電車唱歌/満韓鉄道唱歌
< 電車唱歌
汽 笛 の響 いさましく馬 關 を跡 に漕 ぎ出 でて蹴 破 る荒波 百 海 里 鷄林 八道 いづかたぞ日本海 の海戰 に大 捷 得 たりし對馬 沖 あれよと指 さす程 もなく船 は釜 山 に着 きにけり釜 山 は名 たたる港 にて韓國 屈 指 の貿易 場 出 船 入船 絕 間 なく竝 ぶ市街 の賑 しさ船 よりあがりて汽 車 に乘 る京 釜 線 路 の初 旅 路 ものめづらしき草 梁 を出 づればまもなく釜 山 鎭 三 百 尺 の山 上 に築 き捨 てたる殘壘 は小 西 行長 千載 の雄 圖 を示 す好 紀 念 古 へ韓國 水軍 の牙 營 おかれし東萊 府 東萊 溫泉 梵魚 寺 に遊 ぶ旅客 も多 からん勿禁 驛 の甑 城 は威 風 草 木 を靡 かせて鬼 と呼 ばれし淸正 が敵 を防 ぎし蹟 とかや院洞 過 ぎて三浪津 馬 山 浦 ゆきの分 岐 點 早 くも來 ぬる密陽 は人口 四 千 の小 都 會 春秋 二季 に開 かるる名 も大 邱 の大 市 場 集 まる商 人 一萬 餘 土地 の潤 いくばくぞ豐太閤 の征韓 軍 暫 くここに留 まりて其 名 を殘 す倭 館 驛 偉志 千年 に朽 ちもせず黃 金 の泉 湧 くといふ商業 繁 華 の金泉 に つぎたる驛は 秋 風嶺 秋風 さむく土地 高 し京 釜 線 路 の央 なる永洞 驛 の近 くには春 は花 ちる落 花 臺 秋 は紅 葉 の錦 城 山 深川 驛 に名 も響 く夏 なほ寒 き瀧 の水 太田 驛 の西方 に冬 は雪 見 る鷄籠 山 水 美 しき錦江 の岸 に沿 ひたる芙 江 驛 米 と鹽 との商業 に旅人 つどひ市 榮 ゆ葛巨 里 全 義 小 井 里 天安 驛 の南 には溫陽 溫泉 名 も高 し浴 みても見 ばや急 がずば昔 は黑 田 長政 の明軍 破 りし稷 山 を過 ればここぞ成觀 府 安 城 川 も遠 からず- かしこに
見 ゆる牙 山 まで過 ぎし日淸 戰役 の面影 みゆる苦 戰 の地 思 へば夢 か夢 ならず 米 の市 場 の開 かるる烏 山 をすぎて餠店 の北 に眺 むる松原 は韓廷 廟 の大皇 橋 西 湖 の風景 おもしろき水原 過 ぎて富 谷 驛 京仁 線 に分 るるは始 興 の次 の永登 浦 仁川 港 に在 留 の邦人 一萬 三千 餘 日 露 の役 の手 始 に敵艦 沈 めし浦 なるぞ港 の賑 ひ見物 し要 務 終 りて餘暇 あらば日 本 公園 月 尾 島 ついでにそれも行 きて見 ん- また
本線 に立 ちかへり間 もなく渡 る漢江 は韓國 五 江 の其 の一 つ水 利 に富 めど冬 冰 る - それより
京 義 鐵道 の基 點 に名 ある龍 山 を過 ぐれば來 る南大門 嬉 しやここは京 城 よ - さすがに
名 高 き韓國 の首 府 の地 なれば盛 にて東西 長 さ三十 町 壁 には八 つの門高 し 京 城 隈 なく一覽 し重 ねて乘 り込 む京 義 線 驛 驛 過 ぎて大同 江 渡 ればかなたは平 壤 府 - あれ
見 よ二 十 七 年 の役 に立 見 の一隊 が打 ち破 りたる牡 丹 臺 今 なほ虛 空 に聳 えたり 定 州 宣川 新 義 州 前 は岸 うつ波 高 き滿韓 境 の鴨 綠 江 アリナレ川 は是 かとよ黑 木 軍隊 此川 を烈風 破 竹 の勢 ひに渡 して揚 げたる閧 の聲 まじるか今 も水音 に水 を後 に乘 りうつる名 も輕便 の假 鐵道 起 點 の驛 は安東 縣 近 くの名所 は九 連 城 數 十 の敵砲 分 捕 りて殆 ど全滅 せしめたる血戰 著名 の蛤 蟆 塘 それもここより遠 からず高麗門 の舊 蹟 も見 はてて過 ぐる鳳凰 城 町 には孔 子 の靈 屋 あり山 には四季 のながめあり乾 の方 に天 を摩 し聳 ゆる峯 は摩 天嶺 その頂 に立 ちたるは日淸 戰爭 紀 念 碑 よ連山關 を打 ち過 ぎて下馬 塔 ・楡 樹林 ・本溪 湖 ここもかしこも我軍 の血 を流 さざる方 もなし百 萬 斤 の石炭 を日 每 に堀 りて出 すと聞 く撫 順 炭礦 右 に見 て今 ぞ着 きぬる奉天 府 三 百 年來 おかれたる帝 都 の昔 忍 ばれて城 壁 たかく町 榮 え人口 およそ三 十 萬 北 に進 まば黑 龍 江 かなたの岸 も近 けれど まづ此 たびは見合 はせて南 に歸 りの道 取 らん東淸 鐵道 名 をかへて今 は南滿 鐵道 の驛 また驛 を尋 ぬれば渾 河堡 ・沙 河 堡 ・煙臺 驛 沙河 は露 軍 を我 軍 の大敗 せしめし古 戰 場 歪頭 山 の峰 高 く あげしは武 勳 の譽 なり煙臺 炭山 名 も高 く敵 に砲擊 加 へたる三塊 石山 ・萬寶山 みな此 附 近 の著名 の地 岡崎 旅團 が苦 戰 せし其 名 を殘 す岡崎 山 見 ながら渡 る太 子河 の水 も凱 歌 や歌 ふらん奧 、野津 、黑 木 の三軍 が力 あはせて乘 り取 りし遼 陽 市 街 の遠近 に殘 るは敵 の角面堡 關 谷 、橘 二 勇 士 が天晴 名 譽 の戰 死 せし首山 堡 すぎて海 城 の右 には牛莊 紅 瓦 塞 海 城 すぎて大石 橋 石 より堅 き敵壘 も攻 め碎 きたる奧軍 の苦 戰 何 にか譬 ふべき右 に分 れて營口 を過 ぐれば遼 河 の渡 あり北 京 に赴 く旅人 は是 に乘 るこそ便 利 なれ- それより
錦 州 山海關 山海關 を中 にして こなたを關外 かなたをば關內線 と名 づけたり 又 立 ち戾 る大石 橋 東 に行 けば柝木 城 續 きて岫 嚴 大 弧 山 下 車 して地理 や探 らまし生 糸 の市 場 と聞 こえたる蓋平 すぎて熊嶽 城 城 外 四 面 に波 立 てて起 き伏 す岡 ぞ望 まるる十 六 門 の速射砲 得 たりし戰 利 の得 利寺 は左 右 に高 く聳 えたる山 の間 を行 く處 貔子窩 を上 りし我 軍 の魂 こめたる彈丸 を始 めて敵 に贈 りたる紀 念 の土地 は普 蘭店 鐵 條 網 の激戰 に其 名 も高 き南山 の麓 にそひて行 く道 の右 に見 ゆるは金 州 灣 進 みも早 く行 く汽 車 の窓 より左 にながめやる風景 佳絕 の和 尚 島 貿易 繁華 の大連 灣 大連 灣 の灣 頭 に露 國 の手 にて作 られし規模 壯大 の靑 泥 窪 は今 の大連 市 街 なり雙溝臺 も土 城 子 も過 ぎて左 にながめゆく松樹 ・二龍 の二 砲臺 あれかや二 百 三 高 地 朝 日 にきらめく日 の御 旗 山 又 山 にさし立 て凱 歌 うたひし我 軍 の當 時 の心 ぞ思 はるる乃木 將 軍 が苦 戰 せし名 譽 の陸 はここなるぞ廣 瀨 中 佐 が戰 死 せし名 譽 の海 はここなるぞ港 の口 を封 鎖 して功 をたてし決 死 の士 朽 ちぬ譽 は千代 八千代 老鐵山 と諸共 に苦 戰 の旅 順 も我 は見 つ平 和 の旅 順 も我 は見 つ之 を旅 路 の土 產 にて行 きて語 らん見 ぬ人に大連 灣 を出港 の定 期 の船 は何丸 ぞ名 殘 は殘 る滿 洲 の地 を踏 む事 も今日 ばかり別 れて久 しき故鄕 の空 を何 くとながむれば煙水 萬 里 の海 の上 日 は暮 れそめて月 高 し- ああ
淸國 も韓國 も共 に親 しき隣國 ぞ互 に近 く行 きかひて硏 かん問題 數 多 し
この著作物は、1920年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)70年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。