電気窃盗事件
右竊盜被告事件ニ付明治三十六年三月二十日東京控訴院ニ於テ言渡シタル判󠄄決ニ對シ同院檢事長橫田國臣ハ上告ヲ爲シタリ依テ刑事訴訟法第二百八十三條ノ定式ヲ履行シ審判󠄄スルコト左ノ如シ
○判󠄄示事項
一電流ハ有體物ニ非サルモ五官ノ作用ニ依リ其存在ヲ認󠄃識󠄂スルコトヲ得ヘキモノニシテ之ヲ容器ニ牧容シテ獨立ノ存在十ヲ有セシムルコトヲ得從テ他人ノ所󠄃持スル電流ヲ不法ニ奪取シテ之ヲ自己ノ所󠄃持內ニ置キタル者ハ刑法第三百六十六條ニ所󠄃謂他人ノ所󠄃有物ヲ竊取シタルモノトス
被告人藤村淸次󠄄郞
上告趣意ハ當院判󠄄決ヲ按スルニ電流ハ有體物ニアラサルカ故ニ竊盜罪ノ目的物タルコトヲ得ストノ理由ヲ以テ本案事件ト罪トナラサルモノト爲シタリ然リト雖モ抑モ刑法上竊盜罪ノ目的物タリ得ヘキモノハ苟モ吾人ノ財產ヲ組成󠄃シ自由ニ之ヲ占有シ管理シ移轉シ得ヘキモノナレハ則チ足レリ必スシモ其物理學上物質タルト否トハ問フヲ要󠄃セサルモノナリ然ルニ今電流カ吾人ニ利用セラルヽ狀態ヲ見ルニ其經濟上價値ヲ有シ法律的貨物タルコト疑ナキノミナラス吾人ハ自由ニ其上ニ占有及管理權ヲ行フコトヲ得ヘシ則チ一定ノ目的ニ從ヒ之カ所󠄃在ヲ限定シ之ヲ蓄積シ之ヲ移轉スル等一ニ吾人ノ欲スル儘ニ之ヲ支配シ得ヘキコトハ明白ナル事實ニ屬ス故ニ電流ハ竊盜罪ノ目的トナリ得ヘキモノト論斷セサルヘカラス然ルニ當院ハ之ヲ否定スルヲ以テ是レ明カニ擬律ノ錯誤󠄄アルモノト思料スト云フニ在リ○依テ按スルニ物理學上物ト稱スルハ形體ヲ具フル所󠄃ノ物質ニシテ必ラス固體液體氣體ノ分類中ハ一ニ屬スヘキモノナルコト電流ハ形體ヲ具有セメ隨テ固體液體氣體ノ何レニモ屬セサルヲ以テ物ニアラスシテ物以外ニ存スル一種ノ力ナリトスルハ物理學上動カスヘカラサルノ定說タリ又タ民法第八十五條ニ依ルトキハ民法ニ於テ物ト稱スルト有體物ヲ謂ヒ無體物ハ民法上物ニアラサルヲ以テ民法上ノ物ハ物理上ノ物ト全然一致シ電流ハ無體物トシテ民法上ノ物ニアラサルコトモ亦タ明白ニシテ疑義ヲ容ルヘキノ餘地ナキモノトス然レトモ物トハ物理學上及ヒ民法上ニ於テ有體物ノミヲ謂ヒ無體物タル電流ハ物理學ニ於テモ民法上ニ於テ私物ニアラストスルモ是レカ爲メ刑法ニ所󠄃謂ル物モ亦夕必ス有體物タラサルヘカラスシテ無體物タル電流ハ他人ノ所󠄃有物ヲ竊取スルニ因リテ成󠄃立スル竊盜罪ノ目的タルコトヲ得ストノ論結ヲ生セサルモノトス若シ夫レ物ナル語ハ一定不可動ノ意義ヲ有シ常ニ必ス有體ノ物ノミヲ意味スルモノトセンカ刑法ニ所󠄃謂ル物ナル語ハ有體物ノ意義ニ解スヘク之ニ付スルニ他ノ意義ヲ以テスルコト能ハサルヘキハ論ヲ俟タサル所󠄃ナリ然レトモ物ナル語ハル一定不可動ノ意義ヲ有スルモノニアラスシテ或ル場合ニ於テハ有體物ナリトノ極メテ狹キ意義ニ解シ或ル場合ニ於テハ有體タルト無體タルトヲ問ハス有形的ノ或ルモノ即チ人ノ思想ノミニ存在スル形而上ノモノニアラスシテ五官ノ作用ニ依リ直接ニ其存在ヲ認󠄃識󠄂シ得ヘキ形而下ノ物ナリト解シ或ル場合ニ於テハ其意義ヲ擴充シ權利ノ如キ人ノ理想ニノミ存在スル無形物ヲモ指稱スルコトアルヲ以テ刑法ニ於テ物ト稱スルハ果シテ如何ナルモノヲ謂フヤハ自カラ刑法ノ解釋上ノ問題ニ屬シ必スシモ物理上及民法上ノ觀念ノミニ依據スルコトヲ要󠄃セサルモノナリ依テ刑法第三百六十六條ニ所󠄃謂ル物トハ如何ナル物ヲ意味スルヤヲ按スルニ刑法ハ一般的ニ物ノ定義ヲ與ヘス又夕竊盜ノ目的タルコトヲ得ヘキ物ノ範圍ヲ限定セサルヲ以テ或物ニシテ苟クモ竊盜罪ノ基本的要󠄃素ヲ充タシ得ヘキ特性ヲ有スルニ於テハ竊盜罪ノ目的物タルコトヲ得ヘク之ニ反シテ竊盜罪ノ觀念ト相容レサル物ハ竊盜罪ノ目的タルコトヲ得サルモノト解釋セサルヘカラス換言スレハ刑法カ竊盜罪ノ基本的要󠄃素トナセル「竊取」ノ觀念ハ自カラ竊盜罪ノ目的タルコトヲ得ヘキ物ノ範圍ヲ確定スルノ作用ヲ爲スモノニシテ竊盜罪ノ成󠄃立ニ必要󠄃ナル竊取ノ客體タルニ適󠄃スル物ハ竊盜罪ノ目的トナリ竊取ノ客體トシテ不適󠄃當ナル物ハ竊盜罪ノ目的タルコトヲ得サルモノト解スヘキモノトス何トナレハ刑法カ竊盜ノ目的タルコトヲ得ヘキ物ノ範圍ヲ限定スレハ即チ止ム既ニ其範圍ヲ限定セス又夕目的物ノ竊取ヲ以テ竊盜罪ノ基本的要󠄃素トナシタル以上ハ法文ノ解釋上犯罪成󠄃立ノ要󠄃件タル竊取可能ノ特性ヲ有スル物ハ其何タルヲ論セス總テ竊盜罪ノ目的タルコトヲ得ルト同時ニ此特性ヲ具フル物ニアラサレハ本罪ノ目的タルコトヲ得サルモノト論結スヘキハ事理ノ當然ニシテ竊取可能性ヲ具フルモノタルニ拘ハラス之ヲ竊盜罪ノ目的物ヨリ除外シ竊取ノ不可能ナル物ヲ竊盜罪ノ目的中ニ包󠄃含セシムルハ法文ノ主旨ニ添󠄃ハサルモノニシテ格段ナル憑據アルニアラサレハ爲シ得ヘカラサルモノナレハナリ然リ而シテ刑法草案中ニ竊盜ノ目的物ヲ有體動產ト限定シアリテ刑法ニ所󠄃謂ル物ハ有體物リ意義ニ解スヘキカ如ント雖モ竊盜ノ目的物ハ有體動產タルヘシトノ主意ハ明カニ刑法ノ規定中ニ表示セラレサリシノミナラス刑法ニ却テ物ナル一般的ノ語ヲ用ヰアルヲ以テ草案中ニ其主旨ノ規定アレハトテ一般的ノ語ヲ用ヰテ竊盜罪ノ目的物ヲ指示セル刑法ノ規定ヲ制限スルコトヲ得ス又刑法第三百六十六條ノ所󠄃有物ナル語ハ民法ニ所󠄃謂ル所󠄃有權ノ目的タル有體物ヲ指シタルモノト解シ得ヘキカ如シト雖モ所󠄃有ナル語モ亦極メテ廣キ意義ヲ有シ有體無體ノ別ナク人ト物トノ歸屬關係ヲ表明シ人カ法律上目的物上ニ完全ナル支配權ヲ行フゴトヲ得ヘキ狀體ヲ指示スルカ爲メニ用井ラレ來リタルモノナレハ刑法ニ所󠄃謂所󠄃有物ナル語ハ直ニ民法ニ謂フ所󠄃ノ所󠄃有權ノ目的タル有體物ノ意義ニ解スルコト能ハサルモノトス要󠄃スルニ我刑法ノ解釋トシテ竊盜ノ目的物ヲ有體物ニ限定スヘキ確然タル證據ナキヲ以テ竊取ノ目的タルコトヲ得ヘキ物ヲ以テ竊盜罪ノ目的物トナサヽルヲ得ス而シテ刑法第三百六十六條ニ所󠄃謂ル竊取トハ他人ノ所󠄃持スル物ヲ不法ニ自己ノ所󠄃持內ニ移スノ所󠄃爲ヲ意味シ人ノ理想ノミニ存スル無形物ハ之ヲ所󠄃持スルコト能ハサルモノナレハ竊盜ノ目的タルコトヲ得サルハ論ヲ待タス然レトモ所󠄃持ノ可能ナルカ爲メニハ五官ノ作用ニ依リテ認󠄃識󠄂シ得ヘキ形而下ノ物タルヲ以テ足レリトシ有體物タルコトヲ必要󠄃トセス何トナレハ此種ノ物ニシテ獨立ノ存在ヲ有シ人カヲ以テ任意ニ支配セラレ得ヘキ特性ヲ有スルニ於テハ之ヲ所󠄃持シ其所󠄃持ヲ繼續シ移轉スルコトヲ得ヘケレハナリ約言スレハ可動性及ヒ管理可能性ノ有無ヲ以テ竊盜罪ノ目的タルコトヲ得ヘキ物ト否ラサル物トヲ區別スルノ唯一ノ標準トナスヘキモノトス而シテ電流ハ有體物ニアラサルモ五官ノ作用ニ依リテ其存在ヲ認󠄃識󠄂スルコトヲ得ヘキモノニシテ之ヲ容器ニ收容シテ獨立ノ存在ヲ有セシムルコトヲ得ルハ勿論容器ニ蓄積シテ之ヲ所󠄃持シ一ノ場所󠄃ヨリ他ノ場所󠄃ニ移轉スル等人カヲ以テ任意ニ支配スルコトヲ得ヘク可動性ト管理可能性トヲ幷有スルヲ以テ優ニ竊盜罪ノ成󠄃立ニ必要󠄃ナル竊取ノ要󠄃件ヲ充タスコトヲ得ヘシ故ニ他人ノ所󠄃持スル他人ノ電流ヲ不法ニ奪取シテ之ヲ自己ノ所󠄃持內ニ置キタル者ハ刑法第三百六十六條ニ所󠄃謂ル他人ノ所󠄃有物ヲ竊取シタルモノニシテ竊盜罪ノ犯人トシテ刑罰ノ制裁ヲ受ケサルヘカラサルヤ明ナリ然ルニ原院ニ於テ竊盜罪ノ目的物ハ有體物ニ限ルモノトシ而シテ電流ハ有體物ニアラサルカ故ニ竊盜罪ノ目的物タルコトヲ得ストノ理由ヲ以テ被告ニ無罪ヲ言渡シタルハ失當ノ判󠄄決タルヲ免レスシテ原院檢事長ノ上告ハ其理由アルモノトス
右ノ理由ニ付刑事訴訟法第二百八十六條二從ヒ原判󠄄決擬律ノ部分ヲ破毀シ本院ニ於テ直ニ判󠄄決スルコト左ノ如シ
藤村淸次󠄄郞
原院ノ認󠄃メタル事實ニ依リ之ヲ法律ニ照スニ被告ノ第一乃至第三ノ所󠄃爲ハ各刑法第百五條第三百六十六條第三百七十六條ニ該リ尙ホ第一ニ未遂󠄅ナルヲ以テ同法第三百七十五條第百十三條第二項第百十二條ヲ適󠄃用シテ既遂󠄅ノ刑ニ一等ヲ減スヘク而シテ輕罪ノ三罪俱發スルモノニ付同法第百條第一項第三項ニ依リ一ノ重キ第三ノ所󠄃爲ニ從ヒ被告淸次󠄄郞ヲ重禁錮三月ニ處シ監社六月ニ付ス押牧ノ受取證一枚ハ刑事訴訟法第二百二條ニ依リ差出人ヘ還󠄃付シ公訴裁劉費用ハ刑法第四十五條第四十七條及ヒ刑事訴訟法第二百一條第一項ニ從ヒ第一審相被告吉田治郞吉ト連帶負擔スヘシ
明治三十六年五月二十一日大審院第一刑事部公廷ニ於テ檢事岩野新平󠄃立會宣告ス
この著作物は、日本国の旧著作権法第11条により著作権の目的とならないため、パブリックドメインの状態にあります。同条は、次のいずれかに該当する著作物は著作権の目的とならない旨定めています。
- 法律命令及官公󠄁文󠄁書
- 新聞紙及定期刊行物ニ記載シタル雜報及政事上ノ論說若ハ時事ノ記事
- 公󠄁開セル裁判󠄁所󠄁、議會竝政談集會ニ於󠄁テ爲シタル演述󠄁
この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。