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関寺小町 作者:不詳
思ひ出づれば懐(なつか)しや、人の恨みの積り来て、いつの頃より浮れ出で、頼む物には竹の杖、泣いつ笑ひつ物狂ひと、人は仇し野(の)夢なれや。問ふは恨し昔は小町(こまち)、今は姿も恥しや。誰は泊(と)めねど関寺の、庵(いほり)淋しき折り折りは、都の町に浮(うか)れ出でて、往来(ゆきき)の袖に縋(すが)りつつ、憂きことの数々を見給へや人々。春は木末(こずゑ)の袖に花にのみ、心を寄せて短夜(みじかよ)の、ほととぎす雪見草。浅沢(あさざは)の燕子花(かきつばた)。菖蒲藻(あやめも)の葉も枯れ枯れに、螢も薄く、残る朝(あした)の、名も広沢の月影(つきかげ)。かこち顔なる我が涙。落葉、時雨に濡れ初めて、我ながら恥(はづか)し。百夜(ももよ)忍ぶの通ひ路は、雨の降る夜も降らぬ夜も、まして雪霜(ゆきしも)いとひなく。心尽しに身を砕(くだ)く、一夜(ひとよ)を待たで死したりし、深草(ふかくさ)の少将の、其怨念(おんねん)の付き添ひて、斯様(かやう)に物を思ふぞや。彼方(かなた)へ走り、こなたへ走り。ざらり、ざらり、ざらざらざらつと、恋ひ得ぬ時は。悪心又狂乱の心付きて声変(かは)り、怪(け)しからず見ゆれば、すごすごと関寺の庵(いほり)に帰る有様は、山田の畦(あぜ)の案山子(かかし)よの、呆果てたりや我(わが)姿。
この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。