鉄道唱歌/智育 鉄道唱歌 第一集 増補
< 鉄道唱歌
奥州降り
奧 羽 の都 仙臺 市 町 の數 さへ三十二東西南北 二里四 方 人口七萬六千餘 其產物 は精巧 の仙臺平 や八 ツ橋 と名 取 の川 の埋 木 は世 に賞 られて名 も高 し市 内 の名所算 ふれば躑 躅 か岡 〔ママ〕の櫻 花 赤 き心 を身 に籠 て國 をぞ護 る四 聯隊 武 勇 名 高 き政宗 が 三百年の其 昔 築 きて住 し靑 葉 城 今 二師 團 の營舎 なり響 く喇 叭 の音高 く嘶 く駒 の勇 しく練 へあげたる丹 心 は堅 き鐵 橋 廣 瀨 川 川 の流 れは水 淸 く音 にも高 き瑞鳳 寺 眺 も盡 ぬ愛 宕 山 山 郭 公空高 く飛 び北山 に?ほらしく昔 の聲 を其儘 に鳴 て吊 ふ靑 葉 社 の御 靈 の宮 の山續 き左 と右 に隣 して側 に侍 り君 を守 り苔 むす石 の墓 あるは支倉氏 に林 子 平 - また
其外 に尋 ?べき名所 古 跡 の多 けれど先 つ〔ママ〕松島 を尋 ねんと降 の滊 車 に乘 り込 ぬ 行 く路 すから〔ママ〕見 渡 せバ玉 田 橫 野 に森高 く東 照 宮 の大 伽 籃 右 は稲 田 の蒼 海 原 宮 城野 原 に吟 く虫 末 の松山寳國 寺 奥 の細路今 も猶 野田 の玉川 多賀 の城 岩切舘 は分 れ路 左 り奧 州 線 路 にて利府 や松嶋 鹿 嶋臺 なれど車をこゝに降 り降 る間 もなく右 ?なる䀋竈行 に乘 換 て話 す暇 も無 き中 に早䀋竈 に着 にけり滊 車 より降 りて共 々 に竈 の祠 に立寄 り〔ママ〕䀋竈神社 に參詣 し千賀 の浦 より船󠄂遊 び一棹每 に趣 の變 る風 情󠄁 や歌 に?へ繪 にも冩 せぬ千 松嶋 八百八嶋日本一瑞 願 寺 より五大堂觀 瀾亭 を見 回 りて其風景 に富山 の上 より海 を眺 むれバ數 さへ知 れぬ帆 かけ船󠄂 聖 の歌 に松嶋 や また松嶋 や松嶋 や とばかり詠 みし例 しあり直 ぐ松嶋 の滊 車 にのり鹿 嶋臺 にと向ふれは周 圍 五里餘 の品 井 沼 面積 一千二百丁次 は小牛田 の山 の神 實 にや靈現 あらたかく世 にも鳴 子 の温泉 は これより左七八里瀨 峯 や新 田 、石越 の野 山 も春 の花 泉 有壁隨道打 趣 〔ママ〕バ これより岩 手 の西磐 井 - 一の
關町其 昔 征 夷 將 軍 田 村 麿呂 築 きし城 の其趾 に神 に祭 れる社 あり 山 路 を趣 〔ママ〕せは〔ママ〕平 泉 此處 は藤 原淸衡 が三代 つゝく〔ママ〕舘 の跡 今 は枯 野 に夢 の跡 昔 を忍 ぶ中尊 寺 慈 覺大 師 の開 基 にて 三百坊 に四十塔 殘 るは經堂金 色 堂 - 九郞
判 官 源 の義經舘 を右に見 て つき隨 ひし辨慶 の涙 搾 りし衣 川 - 川の
水上五串 の瀧 は三 㕚 に岩 に落 つ碎 けて泡 や雪 となり飛橋圍 む松 櫻 前澤 過 て水澤 は伊逹 將 監 の舊 城 市 高 野 長 英其人 も生 れし里 はこゝとかや膽 澤 郡 の金 が崎 黑澤尻 の其 名 さへ阿部 の貞任其 おとゝ黑澤氏 の名 にぞよる- よれてはからむ
藤 の花 卷 てよぢれる石鳥 谷 日 詰 て迅 く矢 幅驛 早盛岡 の停車塲 此所 は南 部 の大 都 會 町數 五十餘 りあり 人口三萬三四千 戶數は大凡八千餘 土地 の重 なる產物 は馬 、米 、生 糸 、梨子 、林 檎 軸 木 、羽二 重 、木 綿織 商業 、工 業 盛 んなり猶特有 の物產 は南 部 紬 や鐵瓶 に草 履 の表 、ハンカチフ多 く他 國 に輸 出 せり洲 濱 に似 たる豆銀 糖 滋 養 の多 き黃 精 五葉 の松 の實 片栗 の落雁等 は名 も高 し名所 古 跡 を尋 ぬれば杜 陵 公園 、八幡社 春 は梅 咲 く櫻 山 神社 の景 色 畵 の如 し石割 櫻 、見 馴松 鐘 や三 ッ石 、片 葉 芦 夕顏 瀨 橋 、明 治 橋 算 へ尽 さぬ寺 社 好摩 や川口沼 宮 内 次 第 〱に上 り路 日本鐵道其内 の最 も高 き中山 は海 を拔 く事 一千と 四百九十四呎 の奧 の細路 小 鳥 谷 村 墜道 〔ママ〕くゝり〔ママ〕橋渡 り一 戶 福岡 三 戶を行 けば劍吉尻内 の支 線 に停 り乘替 ば八 戶 湊 鮫 港 - それより
元 に乘 り戾 り下 田 古間 木 を眺めつゝ沼崎 つゝき〔ママ〕三本 木 乙供 まては〔ママ〕皆牧 塲 野邊 地 に雪 の降 り積 り地 獄極樂恐 れ山 此處 に生 れし生唼 に乘 りて昔 は狩 塲 澤 海 は遙 に茫 々 と見 ゆれど其 名小 湊 に漁 る船 は帆 立 貝 鱈 捕 る業 に日 を暮 す其 日 の業 に織 る布 の麻 を温 泉 に涵 すため字 さへ附 けし麻蒸 を見 る間野 内 に浦町 や停 まる車 を降りながら 侍人々に人 に〔ママ〕靑森 や積 る話 は盡 ねども別 れは名 ごり惜 まれて此處 は入海底深 く北海道 に行く舟を送 り迎 ふる大 港 又 弘前 に行 く旅 路 新 城 大釋 迦 浪岡 を越 えて川 部 も通 り過 ぎ弘前 にこそ着 ぬれは南 津 輕 の大都 會 進 めば其 名 も大鰐 に碇 が關 も面白 し過 ぎ來 し旅 路 しるさんと矢 立 峠 も面白 し今 度 開 けし大舘 の建物 さへも新 らしく鷹 の巢 も亦落成 し秋 田をすぎて山形 と通 ふは花 咲 く頃 ならん嬉 しき君 の大 惠 祝へ奉 らん千代や千代 祝へまつらん千代や千代
JIS X 0208版
編集- 表記は歴史的仮名遣とし、漢字制限はJIS X 0208に文字が収録されていれば元の漢字をそのまま使った。
- くの字点は/\を代用した。
- 変体仮名は現在用いられる仮名に改めた。
奥州降り
奧 羽 の都 仙臺 市 町 の數 さへ三十二東西南北 二里四 方 人口七萬六千餘 其産物 は精巧 の仙臺平 や八 ツ橋 と名 取 の川 の埋 木 は世 に賞 られて名 も高 し市 内 の名所算 ふれば躑 躅 か岡 〔ママ〕の櫻 花 赤 き心 を身 に籠 て國 をぞ護 る四 聯隊 武 勇 名 高 き政宗 が 三百年の其 昔 築 きて住 し青 葉 城 今 二師 團 の營舎 なり響 く喇 叭 の音高 く嘶 く駒 の勇 しく練 へあげたる丹 心 は堅 き鐵 橋 廣 瀬 川 川 の流 れは水 清 く音 にも高 き瑞鳳 寺 眺 も盡 ぬ愛 宕 山 山 郭 公空高 く飛 び北山 にしほらしく昔 の聲 を其儘 に鳴 て吊 ふ青 葉 社 の御 靈 の宮 の山續 き左 と右 に隣 して側 に侍 り君 を守 り苔 むす石 の墓 あるは支倉氏 に林 子 平 - また
其外 に尋 ぬべき名所 古 跡 の多 けれど先 つ〔ママ〕松島 を尋 ねんと降 の汽 車 に乘 り込 ぬ 行 く路 すから〔ママ〕見 渡 せバ玉 田 横 野 に森高 く東 照 宮 の大 伽 籃 右 は稲 田 の蒼 海 原 宮 城野 原 に吟 く虫 末 の松山寳國 寺 奥 の細路今 も猶 野田 の玉川 多賀 の城 岩切舘 は分 れ路 左 り奧 州 線 路 にて利府 や松嶋 鹿 嶋臺 なれど車をこゝに降 り降 る間 もなく右 りなる塩竈行 に乘 換 て話 す暇 も無 き中 に早塩竈 に着 にけり汽 車 より降 りて共 々 に竈 の祠 に立寄 り〔ママ〕塩竈神社 に參詣 し千賀 の浦 より船󠄂遊 び一棹毎 に趣 の變 る風 情󠄁 や歌 にさへ繪 にも冩 せぬ千 松嶋 八百八嶋日本一瑞 願 寺 より五大堂觀 瀾亭 を見 回 りて其風景 に富山 の上 より海 を眺 むれバ數 さへ知 れぬ帆 かけ船󠄂 聖 の歌 に松嶋 や また松嶋 や松嶋 や とばかり詠 みし例 しあり直 ぐ松嶋 の汽 車 にのり鹿 嶋臺 にと向ふれは周 圍 五里餘 の品 井 沼 面積 一千二百丁次 は小牛田 の山 の神 實 にや靈現 あらたかく世 にも鳴 子 の温泉 は これより左七八里瀬 峯 や新 田 、石越 の野 山 も春 の花 泉 有壁隨道打 趣 〔ママ〕バ これより岩 手 の西磐 井 - 一の
關町其 昔 征 夷 將 軍 田 村 麿呂 築 きし城 の其趾 に神 に祭 れる社 あり 山 路 を趣 〔ママ〕せは〔ママ〕平 泉 此處 は藤 原清衡 が三代 つゝく〔ママ〕舘 の跡 今 は枯 野 に夢 の跡 昔 を忍 ぶ中尊 寺 慈 覺大 師 の開 基 にて 三百坊 に四十塔 殘 るは經堂金 色 堂 - 九郎
判 官 源 の義經舘 を右に見 て つき隨 ひし辨慶 の涙 搾 りし衣 川 - 川の
水上五串 の瀧 は三 又 に岩 に落 つ碎 けて泡 や雪 となり飛橋圍 む松 櫻 前澤 過 て水澤 は伊逹 將 監 の舊 城 市 高 野 長 英其人 も生 れし里 はこゝとかや膽 澤 郡 の金 が崎 黒澤尻 の其 名 さへ阿部 の貞任其 おとゝ黒澤氏 の名 にぞよる- よれてはからむ
藤 の花 卷 てよぢれる石鳥 谷 日 詰 て迅 く矢 幅驛 早盛岡 の停車塲 此所 は南 部 の大 都 會 町數 五十餘 りあり 人口三萬三四千 戸數は大凡八千餘 土地 の重 なる産物 は馬 、米 、生 糸 、梨子 、林 檎 軸 木 、羽二 重 、木 綿織 商業 、工 業 盛 んなり猶特有 の物産 は南 部 紬 や鐵瓶 に草 履 の表 、ハンカチフ多 く他 國 に輸 出 せり洲 濱 に似 たる豆銀 糖 滋 養 の多 き黄 精 五葉 の松 の實 片栗 の落雁等 は名 も高 し名所 古 跡 を尋 ぬれば杜 陵 公園 、八幡社 春 は梅 咲 く櫻 山 神社 の景 色 画 の如 し石割 櫻 、見 馴松 鐘 や三 ッ石 、片 葉 芦 夕顏 瀬 橋 、明 治 橋 算 へ尽 さぬ寺 社 好摩 や川口沼 宮 内 次 第 /\に上 り路 日本鐵道其内 の最 も高 き中山 は海 を拔 く事 一千と 四百九十四呎 の奧 の細路 小 鳥 谷 村 墜道 〔ママ〕くゝり〔ママ〕橋渡 り一 戸 福岡 三 戸を行 けば劍吉尻内 の支 線 に停 り乘替 ば八 戸 湊 鮫 港 - それより
元 に乘 り戻 り下 田 古間 木 を眺めつゝ沼崎 つゝき〔ママ〕三本 木 乙供 まては〔ママ〕皆牧 塲 野邊 地 に雪 の降 り積 り地 獄極樂恐 れ山 此處 に生 れし生食 に乘 りて昔 は狩 塲 澤 海 は遙 に茫 々 と見 ゆれど其 名小 湊 に漁 る船 は帆 立 貝 鱈 捕 る業 に日 を暮 す其 日 の業 に織 る布 の麻 を温 泉 に涵 すため字 さへ附 けし麻蒸 を見 る間野 内 に浦町 や停 まる車 を降りながら 侍人々に人 に〔ママ〕青森 や積 る話 は盡 ねども別 れは名 ごり惜 まれて此處 は入海底深 く北海道 に行く舟を送 り迎 ふる大 港 又 弘前 に行 く旅 路 新 城 大釋 迦 浪岡 を越 えて川 部 も通 り過 ぎ弘前 にこそ着 ぬれは南 津 輕 の大都 會 進 めば其 名 も大鰐 に碇 が關 も面白 し過 ぎ來 し旅 路 しるさんと矢 立 峠 も面白 し今 度 開 けし大舘 の建物 さへも新 らしく鷹 の巣 も亦落成 し秋 田をすぎて山形 と通 ふは花 咲 く頃 ならん嬉 しき君 の大 惠 祝へ奉 らん千代や千代 祝へまつらん千代や千代