鉄道唱歌/山陰鉄道唱歌
< 鉄道唱歌
- 山陰 鐵道󠄁唱歌
- 岩田勝󠄁市作歌
千有 餘 年 の其 昔 開 けし都 京都 市 を今朝󠄁 たち出 づる汽 車 の旅󠄁 山陰諸州 へ向 ふなり- たちまち
來 る二 條 城 今 は離 宮 を置󠄁 かれたり てらす朝󠄁 日 に輝 きて たてる甍 の高 々 と 花󠄁 に紅葉 に春秋の 眺 めたえせぬ嵯峨御 室 嵐 の山 の朝󠄁夕 に景 色 すぐれし渡 月橋 窓 より近󠄁 き保津 川 の早 き流 れをながむれば舟 は矢 よりも更󠄁 に疾 く見 る見 る岩 にかくれ行 く山又󠄂山 をくゞりつゝ こゝは丹󠄁 波 の園 部 町 流 れも淸 き和知 川 や綾 部 の町 に着 きにけり阪󠄁鶴線 に乘 りかへて行 けば舞鶴軍港󠄁 に雄々 しく並 ぶ軍艦󠄂 我海軍 の樣 を見 よ海 をめぐれば宮 津 灣 波 も靜 けき與謝 の海 名 高 き日本三景 の天 の橋立 こゝにあり道󠄁 をかへして福 知 山 工兵隊󠄁 も見 て行 かん昔 語 りの大 江 山 北 へ數 里 の道󠄁 の程 川口 ・夜久野 ・梁 瀨 驛 播但線 と出會 ふなる和田 山 あとに養󠄁父󠄁 ・八 鹿 江 原 ・豐岡 すぎ行 きぬ- はや
城󠄀崎 の溫泉 に しばしの程 をやすらひて いざ見 に行 かん玄 武 洞 列 なる石 の六方柱󠄁 香 住󠄁 に名 高 き大乘寺 應擧 の筆 ぞあらはるゝ西 へ向 へば餘 部 の大鐵橋 にかゝるなり山 より山 にかけ渡 す み空󠄁 の虹 か棧 か百有 餘 尺 の中空󠄁 に雲 をつらぬく鐵 の橋 汽 車 の窓 より眺 めやる日本海 の沿󠄀岸 は巖 こゞしく峙 ちて白浪 よする勇󠄁 ましさ海 の景 色 をながめつゝ濱坂 ・居 組早 すぎて こゝは因 幡 の岩 美 驛 岩 井 溫泉 ほど近󠄁 し山陰道󠄁 の中央 に都 をなせる鳥取 市 榮 ゆる土地 の賑 しく摩󠄁尼 の名 寺 も遠󠄁 からず千代 川 すぎて湖 山池 つゞく濱邊 の松󠄁靑 し かすむ漁村 を遠󠄁 に見 て寳 木 ・濱村 ・靑 谷 驛 泊 をすぎて東郷󠄁 湖 中 に湧 出 る引 地 の湯 南 へ行 けば三佛 寺 投入堂 のたくみあり天神川 の川上 の倉吉町 は工業 地 飛 白 に名 ある織物 や生 糸 の產 も數多 し由良 や八 橋 や赤崎 〔ママ〕や左 に見 ゆる船󠄂 上 山 君 を奉 じて長年 が たてこもりしは此山 ぞ君 の御 船󠄂 を迎󠄁 へたる御 來 屋 町 はこゝなれや其功績 は今 も尙 名和 神社 とぞ仰 がるゝ空󠄁 に拔 出 る大山 は中國 一 と聞 えたり高 嶺 にまとふ雲 の帶 富士 の姿󠄁 に似 たるかな海 をはるかに眺 めつゝ淀 江 の町 を過󠄁 ぎ行 けば濁 れる水 の日野 川 に鐵 の採󠄁取 ぞしのばるゝ山市 塲 なる安養󠄁 寺 瓊 子內親王 の墓所󠄁 父󠄁 の帝󠄁 につくされし其孝養󠄁 は世 のかゞみ此處 は伯 耆 の米 子 町 商󠄁業 日々 に榮 行 きて錦 の浦 の夕波 に通󠄁 ふ汽 船󠄂 の賑 しさ大天橋 の名 を得 たる夜見ヶ 濱 邊 を過󠄁 ぎゆけは〔ママ〕北 に境󠄂 の貿易港󠄁 海 をへだてゝ美保 の關 米 子 を出 でゝ磯 づたひ波靜 かなる中 の海 淸水寺 を傍 にして何時 しか來 たる安 來 町 荒󠄁島 馬 瀉 〔ママ〕はや過󠄁 ぎて松󠄁 江 城󠄀下 は近󠄁 づきぬ行 手 に見 ゆる千鳥城󠄀 今 も雲 井 に聳 えたり水運󠄁多 き松󠄁 江市 は人口三万六千 餘 その大橋 の名 も高 く宍 道󠄁 の湖 に臨 むなり湖 水 を右 に眺 めつゝ湯 町 ・莊原 ・直󠄁 江 驛 彼方 に見 ゆる山 々 は島 根 岬 と知 れたり〔ママ〕雲 たち出 づる出 雲 路 の斐󠄁 の川上 は其昔 大蛇 うたれし素戔鳴 〔ママ〕の神 の武 勇󠄁 にかくれなし今市町 をあとにして西 へ向 へば杵 築町 大國主󠄁 をまつりたる出 雲 大社 にまふでなん杉 の木 立 の神 さびて高 く尊󠄁 き御 社 に鎭 まりましゝ八千 矛 の神 の御 德 はいや高 し尙石州 に向 ひなば濱 田 ・津和野 ぞ著 るゝ矢 上 の川 の斷魚溪 繪 にも及󠄁 ばぬ景 色 あり日本海 に船󠄂 出 して隱岐 へ向 へば西郷󠄁港󠄁 見 よ海 上 の夕 景 色 つゞく千 里 の波赤 し(終)
JIS X 0208版
編集- 千有餘年の其昔 開けし都京都市を 今朝たち出づる汽車の旅 山陰諸州へ向ふなり
- たちまち來る二條城 今は離宮を置かれたり てらす朝日に輝きて たてる甍の高々と
- 花に紅葉に春秋の 眺めたえせぬ嵯峨御室 嵐の山の朝夕に 景色すぐれし渡月橋
- 窓より近き保津川の 早き流れをながむれば 舟は矢よりも更に疾く 見る見る岩にかくれ行く
- 山又山をくゞりつゝ こゝは丹波の園部町 流れも清き和知川や 綾部の町に着きにけり
- 阪鶴線に乘りかへて 行けば舞鶴軍港に 雄々しく並ぶ軍艦 我海軍の樣を見よ
- 海をめぐれば宮津灣 波も靜けき與謝の海 名高き日本三景の 天の橋立こゝにあり
- 道をかへして福知山 工兵隊も見て行かん 昔語りの大江山 北へ數里の道の程
- 川口・夜久野・梁瀬驛 播但線と出會ふなる 和田山あとに養父・八鹿 江原・豐岡すぎ行きぬ
- はや城崎の温泉に しばしの程をやすらひて いざ見に行かん玄武洞 列なる石の六方柱
- 香住に名高き大乘寺 應擧の筆ぞあらはるゝ 西へ向へば餘部の 大鐵橋にかゝるなり
- 山より山にかけ渡す み空の虹か棧か 百有餘尺の中空に 雲をつらぬく鐵の橋
- 汽車の窓より眺めやる 日本海の沿岸は 巖こゞしく峙ちて 白浪よする勇ましさ
- 海の景色をながめつゝ 濱坂・居組早すぎて こゝは因幡の岩美驛 岩井温泉ほど近し
- 山陰道の中央に 都をなせる鳥取市 榮ゆる土地の賑しく 摩尼の名寺も遠からず
- 千代川すぎて湖山池 つゞく濱邊の松青し かすむ漁村を遠に見て 寳木・濱村・青谷驛
- 泊をすぎて東郷湖 中に湧出る引地の湯 南へ行けば三佛寺 投入堂のたくみあり
- 天神川の川上の 倉吉町は工業地 飛白に名ある織物や 生糸の産も數多し
- 由良や八橋や赤崎〔ママ〕や 左に見ゆる船上山 君を奉じて長年が たてこもりしは此山ぞ
- 君の御船を迎へたる 御來屋町はこゝなれや 其功績は今も尚 名和神社とぞ仰がるゝ
- 空に拔出る大山は 中國一と聞えたり 高嶺にまとふ雲の帶 富士の姿に似たるかな
- 海をはるかに眺めつゝ 淀江の町を過ぎ行けば 濁れる水の日野川に 鐵の採取ぞしのばるゝ
- 山市塲なる安養寺 瓊子内親王の墓所 父の帝につくされし 其孝養は世のかゞみ
- 此處は伯耆の米子町 商業日々に榮行きて 錦の浦の夕波に 通ふ汽船の賑しさ
- 大天橋の名を得たる 夜見ヶ濱邊を過ぎゆけは〔ママ〕 北に境の貿易港 海をへだてゝ美保の關
- 米子を出でゝ磯づたひ 波靜かなる中の海 清水寺を傍にして 何時しか來たる安來町
- 荒島馬瀉〔ママ〕はや過ぎて 松江城下は近づきぬ 行手に見ゆる千鳥城 今も雲井に聳えたり
- 水運多き松江市は 人口三万六千餘 その大橋の名も高く 宍道の湖に臨むなり
- 湖水を右に眺めつゝ 湯町・莊原・直江驛 彼方に見ゆる山々は 島根岬と知れたり〔ママ〕
- 雲たち出づる出雲路の 斐の川上は其昔 大蛇うたれし素戔鳴〔ママ〕の 神の武勇にかくれなし
- 今市町をあとにして 西へ向へば杵築町 大國主をまつりたる 出雲大社にまふでなん
- 杉の木立の神さびて 高く尊き御社に 鎭まりましゝ八千矛の 神の御徳はいや高し
- 尚石州に向ひなば 濱田・津和野ぞ著るゝ 矢上の川の斷魚溪 繪にも及ばぬ景色あり
- 日本海に船出して 隱岐へ向へば西郷港 見よ海上の夕景色 つゞく千里の波赤し(終)
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