山陰鉄道唱歌

明治44年(1911年)11月発表

作曲者:田村虎蔵

作詞者:岩田勝市

※がつく歌詞は、当時発表された歌詞、或いは読み仮名が異なる。

1 千有余年の其の昔 開けし都京都市を 今朝立ち出ずる汽車の旅 山陰諸州へ向かうなり

2 たちまち来たる二条城 今は離宮を置かれたり 照らす朝日に輝きて 立てる甍の高々と

3 花に紅葉に春秋の 眺め絶えせぬ嵯峨御室 嵐の山の朝夕に 景色優れし渡月橋

4 窓より近き保津川の 早き流れを眺むれば 舟は矢よりも更に疾く 見る見る岩に隠れ行く

5 山又山をくぐりつつ ここは舟波の園部町 流れも清き和知川や 綾部の町に着きにけり

6 阪鶴線に乗り換えて 行けば舞鶴軍港に 雄々しく並ぶ軍艦 我が海軍の様を見よ

7 海を巡れば宮津湾 波も静けき与謝の海 名高き日本三景の 天の橋立ここにあり

8 道を返して福知山 工兵隊も見てゆかん 昔語りの大江山 北へ数里の道の程

9 川口夜久野梁瀬駅 播但線と出会うなる 和田山後に養父八鹿 江原豊岡過ぎ行きぬ

10 早や城崎の温泉に しばしの程を安らいで いざ見に行かん玄武洞 列なる石の六方柱

11 香住に名高き大乗寺 応挙の筆ぞあらわるる 西へ向かえば餘部の 大鉄橋にかかるなり

※12 山より山に掛け渡し 御空の虹か桟か 百有余尺の中空に 雲を貫く鉄の橋

13 汽車の窓より眺めやる 日本海の沿岸は 巌こごしく峙ちて 白浪寄する勇ましさ

14 海の景色を眺めつつ 浜坂居組早すぎて ここは因幡の岩美駅 岩井温泉程近し

15 山陰道の中央に 都をなせる鳥取市 栄ゆる土地の賑わしく 摩尼の名寺も遠からず

16 千代川過ぎて湖山池 続く浜辺の松青し 霞む漁村を遠に見て 宝木浜村青谷駅

※17 泊を過ぎて東郷湖 中に湧き出る引地の湯 南に行けば三佛寺 投入堂の匠あり

18 天神川の川上の 倉吉町は工業地 飛白に名ある織物や 生糸の産も数多じ

19 由良や八橋や赤碕や 左に見ゆる船上山 君を奉じて長年が 立て篭もりしはこの山ぞ

20 君の御船を迎えたる 御来屋町はここなれや 其の功績は今も尚 名和神社とぞ仰がるる

21 空に抜出る大山は 中国一と聞こえたり 高嶺に纏う雲の帯 富士の姿に似たるかな

22 海を遥かに眺めつつ 淀江の町を過ぎ行けば 濁れる水の日野川に 鉄の採取ぞ偲ばるる

23 山市場なる安養寺 瓊子内親王の墓所 父の帝につくされし 其孝養は世の鑑

24 ここは伯耆の米子町 商業日々に栄え行きて 錦の浦の夕波に 通う汽船の賑わしさ

25 大天橋の名を得たる 夜見ヶ浜辺を過ぎ行けば 北に境の貿易港 海を隔てて美保の関

26 米子を出でて磯づたい 波静かなる中の海 清水寺を傍にして いつしか来る安来町

27 荒島馬潟はや過ぎて 松江城下は近づきぬ 行手に見ゆる千鳥城 今も雲居に聳えたり

28 水軍多き松江市は 人口三万六千余 其の大橋の名も高く 宍道の湖に臨むなり

29 湖水を右に眺めつつ 湯町荘原直江駅 彼方に見ゆる山々は 島根岬と知られたり

30 雲たち出る出雲路の 斐の川上は其昔 大蛇討たれし素戔嗚の 神の武勇に隠れ無し

31 今市町を後にして 西に向かえば杵築町 大国主を奉りたる 出雲大社に詣でなん

32 杉の木立の神寂びて 高く尊き御社に 鎮まりましし八千矛の 神の御徳はいや高し

33 尚石州に向かいなば 浜田津和田の現るる 矢上の川の断魚渓 絵にも及ばぬ景色あり

34 日本海に船出して 隠岐に向かえば西郷港 見よ海上の夕景色 続く千里の波赤し

見よ海上の夕景色 続く千里の波赤し


※12番は、「山より山にかけ渡し」とあるが、発表当時は「山より山にかけ渡す」だった。

※17番は「投入堂のたくみあり」とある。「投入堂」は実際には「なげいれどう」と読むが、近年では「とうにゅうどう」と読んだり、歌ったりしている場合もある。