鉄道唱歌/奥州・磐城篇
< 鉄道唱歌
奥州線―磐城線
汽 車 は烟 を噴 き立 てゝ今 ぞ上 野 を出 でゝゆく ゆくへは何 く陸奧 の青森 までも一飛 に王 子 に着 きて仰 ぎみる森 は花 見 し飛鳥 山 土器 なげて遊 びたる江戸 の名所 の其一 つ赤羽 すぎて打 ちわたる名 も荒川 の鐵 の橋 その水上 は秩 父 より いでゝ墨 田 の川 となる浦 和 に浦 は無 けれども大宮驛 に宮 ありて公園 ひろく池 ふかく夏 のさかりも暑 からず中山道 と打 わかれ ゆくや蓮田 の花 ざかり久喜 栗橋 の橋 かけて わたるはこれぞ利根 の川 末 は銚 子 の海 に入 る坂東 太 郎 の名 も高 し みよや白 帆 の絶 間 なく のぼればくだる賑 を次 に來 るは古河間々田 兩 手 ひろげて我 汽 車 を萬歳 と呼 ぶ子 供 あり おもへば今日 は日曜 か小 山 をおりて右 にゆく水戸 と友 部 の線 路 には紬 産 地 の結 城 あり櫻 名所 の岩 瀬 あり左 にゆかば前橋 を經 て高崎 に至 るべし足利 桐生 伊勢 崎 は音 に聞 えし養蠶 地 金 と石 との小 金 井 や石橋 すぎて秋 の田 を立 つや雀 の宮 鼓 宇都 宮 にもつきにけり- いざ
乘 り替 へん日 光 の線 路 これより分 れたり二 十 五 マイル走 りなば一 時 半 にて着 くといふ 日 光 見 ずは結構 と いふなといひし諺 も おもひしらるゝ宮 の樣 花 か紅葉 か金襴 か東照宮 の壯麗 も三代廟 の高大 も みるまに一 日日 ぐらしの陽明門 は是 かとよ瀧 は華 嚴 の音 たかく百 雷谷 に吼 え叫 ぶ裏 見 霧降 とり/″\に雲 よりおつる物 すごさ又 立 ちかへる宇都 宮 急 げば早 も西 那須野 こゝよりゆけば鹽原 の温泉 わづか五里 あまり霰 たばしる篠原 と うたひし跡 の狩 場 の野 たゞ見 る薄 女郎花 殺 生 石 はいづかたぞ東 那須野 の青 嵐 ふくや黒磯黒 田 原 こゝは何 くと白河 の城 の夕 日 は影赤 し秋風 吹 くと詠 じたる關所 の跡 は此 ところ會 津 の兵 を官 軍 の討 ちし維 新 の古 戰 場 岩 もる水 の泉 崎 矢 吹須賀 川冬 の來 て むすぶ氷 の郡 山 近 き湖 水 は猪 苗代 - こゝに
起 りて越 後 まで つゞく岩越線 路 あり工 事 はいまだ半 にて今 は若松會 津 まで 日和田 本宮 二 本松 安 達 が原 の黒塚 を見 にゆく人 は下 車 せよと案内 記 にもしるしたり松川 すぎてトン子ル〔ママ〕を いづれば來 る福島 の町 は縣 廳 所在 の地 板倉氏 の舊 城 下 - しのぶもじずり
摺 り出 だす石 の名所 も程近 く米澤 ゆきの鐵道 は此町 よりぞ分 れたる 長岡 おりて飯坂 の湯 治 にまはる人 もあり越河 こして白石 は はや陸前 の國 と聞 く末 は東 の海 に入 る阿武 隈川 も窓 ちかく盡 きぬ唱 歌 の聲 あげて躍 り來 れるうれしさよ岩沼驛 のにぎはひは春 と秋 との馬 の市 千 里 の道 に鞭 うちて すゝむは誰 ぞ國 のため東北一 の都 會 とて其 名 しられし仙臺 市 伊達 政宗 の築 きたる城 に師 團 は置 かれたり阿武 隈川 の埋 木 も仙臺平 の袴 地 も皆 この土地 の産物 ぞ みてゆけこゝも一日 は愛 宕 の山 の木々 青 く廣 瀬 の川 の水白 し櫻 が岡 の公園 は花 も若 葉 も月雪 も多賀 の碑 ほどちかき岩切 おりて乘 りかふる汽 車 は鹽竈 千賀 の浦 いざ船 よせよ松島 に松島船 あそび- こげや/\いざ
船 子 鏡 なせる海 の上 波 に浮 ぶ八百 の島 の影 もおもしろや 見 るがまゝに變 りゆく松 のすがた岩 のさま前 に立 てる島 ははや あとに遠 く霞 みたり雪 のあした月 の夜半 あそぶ人 はいかならん みれど/\果 もなき二 子 島 の夕 げしき五 大堂 を右 にして瑞嚴 寺 〔ママ〕の森 ちかき磯 に船 は著 きにけり暫 しといふ程 もなく
- こげや/\いざ
汽 車 に乘 りても松島 の話 かしまし鹿 島臺 小牛田 は神 の宮 ちかく新 田 は沼 のけしきよし水 は川 瀬 の石 こして さきちる波 の花 泉 一 の關 より陸中 と きけば南 部 の舊 領 地 阿部 の貞任義家 の戰 ありし衣 川 金色堂 を見 る人 は こゝにておりよ平 泉 - すぎゆく
驛 は七 つ八 つ山 おもしろく野 は廣 し北上川 を右 にして つくは何 くぞ盛岡 市 羽二 重 おりと鐵瓶 は市 の産物 と知 られたり岩 手 の山 の峰 よりも南 部 の馬 の名 ぞ高 き好 摩 川口沼 宮 内 中山 小鳥谷 一 の戸 と すぎゆくまゝに變 りゆく土地 の言 葉 もおもしろや尻内 こせば打 ちむれて遊 ぶ野 馬 の古 間木 や今日 ぞ始 めて陸奧 の海 とは是 かあの船 は野邊地 の灣 の左手 に立 てる岬 は夏 泊 とまらぬ汽 車 のすゝみよく八甲 田 山 も迎 へたり渚 に近 き湯野 島 を見 つゝくゞれるトン子ル〔ママ〕の先 は野 内 か浦町 か浦 のけしきの晴 れやかさ勇 む笛 の音 いそぐ人 汽 車 は著 きけり青森 に むかしは陸 路 廿 日 道 今 は鐵道一晝 夜 津 輕 の瀬戸 を中 にして凾館 〔ママ〕までは二 十 四里 ゆきかふ船 の煙 にも國 のさかえは知 られけり汽 車 のりかへて弘前 に あそぶも旅 の樂 しみよ店 にならぶは津 輕塗 空 に立 てるは津 輕 富士 歸 りは線 路 の道 かへて海際 づたひ進 まんと仙臺 すぎて馬市 の岩沼 よりぞ分 れゆく道 は磐 城 をつらぬきて常 陸 にかゝる磐 城 線 ながめはてなき海原 は亞米利加 までやつゞくらん海 にしばらく別 れゆく小田 の緑 の中村 は陶 器 産 地 と兼 ねて聞 く相 馬 の町 をひかへたり中村 いでゝ打 ちわたる川 は眞野 川新 田 川 原 の町 より歩 行 して妙見 まうでや試 みん浪 江 なみうつ稻 の穗 の長塚 すぎて豐 なる里 の富岡 木戸 廣 野 廣 き海原 みつゝゆく- しば/\くゞるトン子ル〔ママ〕を
出 てはながむる浦 の波 岩 には休 む鴎 あり沖 には渡 る白 帆 あり 君 が八千代 の久 の濱 木奴美 が浦 の波 ちかく をさまる國 の平 町 並 が岡 のけしきよし綴 湯 本 をあとにして ゆくや泉 の驛 の傍 しるべの札 の文字 みれば小名 濱 までは道一 里 道 もせに散 る花 よりも世 に芳 ばしき名 を留 めし八幡 太 郎 が歌 のあと勿 來 の關 も見 てゆかん關本 おりで〔ママ〕平潟 の港 にやどる人 もあり岩 の中道 ふみわけて磯 うつ波 も聞 きがてら- あひて
別 れて別 れては またあふ海 と磯 の松 磯原 すぎて高萩 に假 るや旅 寢 の高 枕 助川 さして潮 あびに ゆけや下孫孫 も子 も驛 夫 の聲 におどろけば いつしか水戸 は來 りたり三 家 の中 に勤王 の その名知 られし水戸 の藩 わするな義 公 が撰 びたる大 日 本 史 のその功 文 武 の道 を弘 めたる弘道 館 の跡 とへば のこる千 本 の梅 が香 は雪 の下 よりにほふなり- つれだつ
旅 の友 部 より わかるゝ道 は小 山線 石岡 よりは歌 によむ志 筑 の田井 も程 ちかし 間 もなく來 る土浦 の岸 を浸 せる水海 は霞 が浦 の名 も廣 く汽 船 の笛 の音 たえず雲 井 の空 に耳二 つ立 てたる駒 の如 くにて みゆる高 嶺 は男體 と女體 そびゆる筑 波 山 峰 にのぼれば地圖 一 つ ひろげし如 く見 えわたる常 陸 の國 のこゝかしこ利根 のながれの末 までも松 戸 をおりて國府 の臺 ゆけば一 里 に足 らぬ道 眞間 の手兒名 が跡 といふ寺 も入 江 ものこるなり車輪 のめぐり速 に千住大橋右 に見 て環 の端 の限 なく ふたゝびもどる田 端驛 - むかしは
鬼 の住 家 とて人 のおそれし陸奧 の はてまでゆきて時 の間 に かへる事 こそめでたけれ - いはへ
人 々 鐵道 の ひらけし時 に逢 へる身 を上 野 の山 もひゞくまで鐵道 唱 歌 の聲 立 てゝ
この著作物は、1943年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。