鉄道唱歌/地理教育 富山新潟間鉄道唱歌
< 鉄道唱歌
北陸線 の大 都 會 、富 山 の市 の賑 ひは、街 の數 さへ百〇二、人口 六萬 五千と餘 。市 內 の名所󠄁數 ふれば、光 嚴 、妙 國 、大法 寺 、於保多 の社 に日枝 神社 、富士 公󠄁園 の招魂社 。西 を流 るゝ神通󠄁 の、橋 は一百五十間 、對 岸 に建󠄁 てる兵營 は、 これぞ六十九聯隊󠄁 。北 に北代梅林 や、南 に吳 福 の桃園 を、探 りて倦 かず吳 羽 への、 そゞろあるきの面白 や。天 そゝり立 つ立山 に、續󠄁 く乘鞍 、蓮 華 山 。右 に望󠄆 みて心 地 よく、東 へ進󠄁 む汽 車 の窓 。遙 に能登 の半󠄁島 を、波 に隔 てゝほの〲と、砂原遠󠄁 く立 つかすみ、連 なる松 は萩 の浦 。文󠄁 治 の昔 義經 が、鎧 を懸 けし老松 も、近󠄁 きあたりの岩 瀨 驛 、過󠄁 ぎて水橋 、滑 川 。此所󠄁 に名 高 き螢 烏賊󠄁 、幾 百萬 の電燈 を、燭 すが如 き壯 觀 を、春 の夕 べに來 てや見 ん。- そこより
汽 車 を乘 かへて、詣 る大岩 不 動尊󠄁 、巨巖 に一丈󠄁 八尺 の、像󠄃 は行 基 が鑿 の跡 。 足 の序 に詣 づるは、往󠄁昔立山龍󠄂神 の、 一夜 に建󠄁 てし堂塔 と、傳 ふる眼目 の立川 寺 。以前󠄁來 し道󠄁 に立歸 り、早月 過󠄁 ぎて左 には、海 につらなる漁 火 と、鯛 にその名 も有 磯 海 。昔 上杉謙󠄁信 が、鎧 の袖 を片 敷󠄁 きて、枕 に近󠄁 きかりがねを、歌 に詠 みにし魚 津 城 、柴 田 、前󠄁 田 の兩雄 が、天神山 に爭 ひし、戰 のあとを吊 ひて、古 き昔 をしのびつゝ、浦島 太 郞 が遊󠄁 びしと、繪 本 に見 たる龍󠄂宮 を、水 や空󠄁 なる海原 に、畵 く朧󠄆 の蜃 氣 樓 。眺 めもあかぬそのうちに、片貝 、布施 川早 越 えて、佐野 の常 世 が櫻 江 の、庄 を今 呼 ぶ三 日 市 。- 三
本柿 や德法 寺 、黑 部 に架 る愛本 の、橋 や釣鐘 、黑薙 の、溫泉 にも遊󠄁 びて樂 まむ。 謙󠄁信 手 植 の巨松 や、其 名 に高 き生 地 臺 、入善 城 は義仲 の、固 めし城 と傳 ふなる。土地 を後 に泊 驛 、小 川 の溫 泉 に入浴 して、 八幡宮 や名 殘石 、芭蕉 の碑 たづねつゝ。越 後 に越 ゆる境󠄂 川 、西行法 師 の庵 のあと、芭 蕉 が萩 の一 つ家 は、市振驛 のほとりとか。謠 曲 に名 ある山姥 の、棲 みにし洞 の上 路 山 。右 に右上 げて親不 知 、幾 百仭 の絕壁 に、碎 くる濤 を窺 ひて、辛 くも隱 るゝ岩窟 の、次󠄁 より次󠄁 へ走 り行 く、危 險 も今 はいと安 し。北條朝󠄁時 、宮崎 を、討 ちて京 へ攻 め上 り、名 越 時兼󠄁 官 軍 を、 こゝに惱 ます勝󠄁 戰 。或 は長 尾 爲景 が、上杉勢 に討 れたる、歷 史󠄁 を胸 にくり返󠄁 し、夢 の間 にこそ打 ち過󠄁 れ。聖󠄁 德太 子 の北遊󠄁 に、岩 にしるせる水莖 の、 あとに因 める歌 が濱 、今驛 の名 は親不 知 。又󠄁 も子 不 知 、駒返󠄁 り、不 動 の瀧󠄆 の落 り水 、秀吉 、景勝󠄁 、會 見 の勝󠄁山 、右 に靑 海 驛 。窓 に迫󠄁 れる黑姬 の、山 の麓 の福來 ヶ口 、奴奈 川妃󠄂 の神駐󠄁 り、 おはせし媼 の壞 や。姬川 過󠄁 ぎて糸 魚 川 、南 へ行 けば松本 市 、途󠄁中 の平󠄁岩温泉 に、蓮 華登 山 の案內 を、雇 ひて躋 る絕 頂 は、海拔 九千と有 餘 尺 、天 狗 の淵 や花󠄁畑 に、高山 植 物採󠄁取 せん。小 谷 、蒲原 、梶山 と、温泉 の數 いと多 き、縣道󠄁 を戾 りて糸 魚 川 、淸崎 城 址 の一の宮 。櫻 の中 の稚兒 の舞 、花󠄁 の冠 、花󠄁 の袖 、神輿 の競 り合 ふ祭禮 に、 四月十日の賑 やかさ。噂 聞 きつゝ過󠄁 ぎて行 く、右 には山 の眺 めよく、左 は海 のはて見 ず、 やがて駐󠄁 る梶 屋 敷󠄁 、藤󠄁 に名 を得 し月 不見 や、 八十八ヶ瀨 日 光 寺 、越 後 の富士 と呼 ばれたる、燒山行 もこゝよりぞ。早川渡 り浦本 の、漁 る船󠄂 の幾 百と、數 へながらに能生 川 を、行 けば直 ちに曙󠄁 や、霧 にうづまく鐘 の聲 、白山神社 に國寶 の、觀 音󠄁 像 をおがみつゝ、辨天巖 も眺 めみむ、小 泊 灣 の築󠄁港󠄁 は、末賴 母 しき海 の幸 、見 よや水產學校 の遠󠄁洋漁業 の雄々 しさを。松󠄁 に名 を得 し藤󠄁崎 を、後 に筒石 、名 立驛 、江 野神社 や岩 谷 堂 、 めぐる岬 は鳥 ヶ首 。海水浴 によしと云 ふ、波 しづかなる長濱 の、渚 に足 を洗 つゝ、行 ば虫 生 の「二 つくり」。郷󠄁 津 の灣 に集 ひ來 る、漁 舟 の白 帆󠄁 數 へつゝ、軈 て分 け入 る五智 の森 、 こゝに名 高 き國分 寺 、聖󠄁 武 の帝󠄁 の勅願 を、享 けて行 基 が建󠄁立 し、俊 海僧 都 が再興 の、國 家 鎭 護 の大 伽 藍 、名 殘 をとゞむる仁 王門 、 三重寶塔 、經藏 に、夢 窻國 師 の尊󠄁像󠄃 は、國 の寶 とあがめらる。右手 に聳 ゆる春 日 山 、 これぞ將 軍義家 が、奧州征伐 そのみぎり、砦 のあとの蜂 が峰 、降 りて元 亀 天正 に、武 名 四海 を壓倒 し、北方 に覇󠄁 を唱 へたる、偉 人上杉謙󠄁信 が、此城 を根據 に能越 や、關 東信 濃 に雄 飛 せる、壯 圖 を襲 げる景勝󠄁 に、代 りて據 れる秀治 の、長 き歷 史 の繪 卷物 、昔 を今 にくりかへし、偲 ぶたもとに散 る櫻 、松󠄁 に千 歲 の響 きあり。麓 に殘 る不 識󠄂菴 、長 尾譜󠄁 代 の菩 提所󠄁 や、麒 麟 兒 輝虎 出 藍 の、 あとに傳 ふる林泉 寺 。府 中 八幡 、諏訪 の宮 、其處 よ彼 處 と指 して、着 くは直 江津 ステーション、港󠄁 につどふ百 千 船󠄂 。長 野 方面 乘 り換 へと、驛 夫 の聲 を聞 捨 てに、黑 井 、犀潟 、潟町 や、柿崎 近󠄁 き淨 福 寺 。桃 の盛 りは馬 正 面 、旗持山 に米山 の、藥 師 や福浦 八景 に、近󠄁 き鉢崎 、靑 海 川 。波 穩 に水淸 き、海 の眺 めは鯨 波 、出 ては潜 るトン子ルの、窓 にも通󠄁 ふ船󠄂 の歌 。番神鼻󠄁 に閻 魔󠄁 堂 、日本 、寶田 二會 社 の、石油 事 業 は柏 崎 、越 後 鐵道󠄁分󠄁 岐 點 。豆燒 、西谷 鑛 泉 や、不 動 の瀧 に黑姬 の、安 田 、北條 塚山 を、後 に程 なく來迎󠄁 寺 。- そこより
南 、片貝 を、過󠄁 ぎて船󠄂岡公󠄁園 や、越 後 縮 布 の小千谷 へは、輕便󠄁鐵道󠄁通󠄁 じたり。 香魚 に名 高 き布引 や、或 は小 松 の七 つ釜󠄃 、瀑布 のほとりに杖󠄁 曳 きて、夏 の暑 さを忘󠄁 れんか。- 二百
餘 間 の鐵 橋 を、渡 りて望󠄆 む兩岸 の、繪 ける如 き絕景 に、旅󠄁 の疲 れを忘󠄁 れつゝ。 宮內 過󠄁 ぎて長岡 市 、天主󠄁 に殘 る碑 の主󠄁 は、維 新 史󠄁 上 に光 輝 ある、河 合 、山本 兩將 ぞ。油 井 の櫓 立 ち並 び、數 へ盡 せぬ東 山 、信 濃河 畔󠄁 の精 油 所󠄁 を、積 み出 す石 油 は日 本 一。川 に四 百八十間 、架 れる名 さへ長 生橋 、夏 は煙󠄁 火 の閃 きて、袖 吹 く風 の涼 しさよ。紬 產 地 の橡 尾 町 、分󠄁水工 事 の大河 津 、佐渡 に間 近󠄁 き寺 泊 、皆 こゝよりぞ別 れ行 く。勤王 、佐 幕 の輩 が、鎬 削󠄁 りし大黑 の、押切驛 に見 附町 、凧 を競 り合 ふ今町 や。帶織󠄂 過󠄁 ぎて三條 の、御 坊 の太 鼓 や本成 寺 、古 き帝󠄁 の御歌 に、綸 旨 を拜 し一の木戶 。羽二 重 織󠄂 り出 す加茂 の町 、靑海 神社 に額 きて、鶯 張 りの廻󠄃 廊 を、廻󠄃 れば四季 も春心 地 。羽 生田越 えて矢 代 田 に、近󠄁 き小須戶 や白 根 町 、 こゝの端 午 の凧 戰 、旅󠄁 の土 產 に寄 て見 ん。柄 目木油 田 や小 山 田 の、櫻 に名 ある新 津 町 、步 兵 三十聯隊󠄁 の、村松󠄁 行 きは五泉驛 、秋 は時 雨 の山紅 葉 、賞 でつゝ走 る岩越線 、或 は第 十五旅󠄁團 に、步 兵 十六聯隊󠄁 の、新發田 の町 や菅谷 の、不 動 に乙 の大日堂 、村上 行 きの别 れ路 、海 府 の浦 も遠󠄁 からず。雲 井 櫻 の龜 田 驛 、窓󠄁 より遠󠄁 く打 ち續󠄁 く、梨子 の林 を眺 めつゝ、沼垂 過󠄁 ぐれば新潟驛 。- 八千八
川 打 ち交󠄁 り、海 へと注󠄁 ぐ信 濃 川 、燕 、長岡 、葛塚 と、通󠄁 ふ汽 船󠄂 の絕 間 なき。 - そこに
渡 せる萬代 の、橋 は四百と三十間 、每歲 賑 ふ七夕 の、花󠄁 火 は星 と影競 ふ。 - 七十四
橋 水 の郷󠄁 、人口凡 そ七萬餘 、見 よや港󠄁 に集 ひ來 る、外國 々 の商󠄁 船󠄂 を。 船󠄂 津 社 と稱 へたる、白山神社 の公󠄁園 や、日 和 の山 の夕 がすみ、呼 ば答 へん佐渡 が島 。興 は盡 ねどいざさらば、鬻 ぐ漆 器 を土產 に、越 後 鐵道󠄁 の便󠄁 かりて、弥 彥 の宮 に詣 でんか。- 三千
年來 畏 くも、千木 彌高 き宮 柱 、太 敷󠄁 く立 てる神 社 、越 後 の國 の一の宮 。 仰 げば高 き大峰 の、叢 立 つ杉 のいと古 く、水洗川 の淸 流 は、神 威 を長久 に私 語 けり。四方 に普 き神德 の、階下 に伏 して大君 の、御威 や國 の榮 まで、赤 誠 こめて祈 らばや。終
JIS X 0208版
編集- 表記は歴史的仮名遣とし、漢字制限はJIS X 0208に文字が収録されていれば元の漢字をそのまま使った。
- くの字点は/\を代用した。
北陸線 の大 都 會 、富 山 の市 の賑 ひは、街 の數 さへ百〇二、人口 六萬 五千と餘 。市 内 の名所數 ふれば、光 嚴 、妙 國 、大法 寺 、於保多 の社 に日枝 神社 、富士 公園 の招魂社 。西 を流 るゝ神通 の、橋 は一百五十間 、對 岸 に建 てる兵營 は、 これぞ六十九聨隊 。北 に北代梅林 や、南 に呉 福 の桃園 を、探 りて倦 かず呉 羽 への、 そゞろあるきの面白 や。天 そゝり立 つ立山 に、續 く乘鞍 、蓮 華 山 。右 に望 みて心 地 よく、東 へ進 む汽 車 の窓 。遙 に能登 の半島 を、波 に隔 てゝほの/″\と、砂原遠 く立 つかすみ、連 なる松 は萩 の浦 。文 治 の昔 義經 が、鎧 を懸 けし老松 も、近 きあたりの岩 瀬 驛 、過 ぎて水橋 、滑 川 。此所 に名 高 き螢 烏賊 、幾 百萬 の電燈 を、燭 すが如 き壯 觀 を、春 の夕 べに來 てや見 ん。- そこより
汽 車 を乘 かへて、詣 る大岩 不 動尊󠄁 、巨巖 に一丈 八尺 の、像 は行 基 が鑿 の跡 。 足 の序 に詣 づるは、往昔立山龍神 の、 一夜 に建 てし堂塔 と、傳 ふる眼目 の立川 寺 。以前󠄁來 し道 に立歸 り、早月 過 ぎて左 には、海 につらなる漁 火 と、鯛 にその名 も有 磯 海 。昔 上杉謙信 が、鎧 の袖 を片 敷 きて、枕 に近 きかりがねを、歌 に詠 みにし魚 津 城 、柴 田 、前󠄁 田 の兩雄 が、天神山 に爭 ひし、戰 のあとを吊 ひて、古 き昔 をしのびつゝ、浦島 太 郎 が遊 びしと、繪 本 に見 たる龍宮 を、水 や空 なる海原 に、画 く朧 の蜃 氣 樓 。眺 めもあかぬそのうちに、片貝 、布施 川早 越 えて、佐野 の常 世 が櫻 江 の、庄 を今 呼 ぶ三 日 市 。- 三
本柿 や徳法 寺 、黒 部 に架 る愛本 の、橋 や釣鐘 、黒薙 の、温泉 にも遊 びて樂 まむ。 謙信 手 植 の巨松 や、其 名 に高 き生 地 臺 、入善 城 は義仲 の、固 めし城 と傳 ふなる。土地 を後 に泊 驛 、小 川 の温 泉 に入浴 して、 八幡宮 や名 殘石 、芭蕉 の碑 たづねつゝ。越 後 に越 ゆる境 川 、西行法 師 の庵 のあと、芭 蕉 が萩 の一 つ家 は、市振驛 のほとりとか。謠 曲 に名 ある山姥 の、棲 みにし洞 の上 路 山 。右 に右上 げて親不 知 、幾 百仭 の絶壁 に、碎 くる濤 を窺 ひて、辛 くも隱 るゝ岩窟 の、次 より次 へ走 り行 く、危 險 も今 はいと安 し。北條朝時 、宮崎 を、討 ちて京 へ攻 め上 り、名 越 時兼 官 軍 を、 こゝに惱 ます勝 戰 。或 は長 尾 爲景 が、上杉勢 に討 れたる、歴 史 を胸 にくり返 し、夢 の間 にこそ打 ち過 れ。聖 徳太 子 の北遊 に、岩 にしるせる水莖 の、 あとに因 める歌 が濱 、今驛 の名 は親不 知 。又 も子 不 知 、駒返 り、不 動 の瀧 の落 り水 、秀吉 、景勝 、會 見 の勝山 、右 に青 海 驛 。窓 に迫 れる黒姫 の、山 の麓 の福來 ヶ口 、奴奈 川妃 の神駐 り、 おはせし媼 の壞 や。姫川 過 ぎて糸 魚 川 、南 へ行 けば松本 市 、途中 の平岩温泉 に、蓮 華登 山 の案内 を、雇 ひて躋 る絶 頂 は、海拔 九千と有 餘 尺 、天 狗 の淵 や花畑 に、高山 植 物採取 せん。小 谷 、蒲原 、梶山 と、温泉 の數 いと多 き、縣道 を戻 りて糸 魚 川 、清崎 城 址 の一の宮 。櫻 の中 の稚兒 の舞 、花 の冠 、花 の袖 、神輿 の競 り合 ふ祭禮 に、 四月十日の賑 やかさ。噂 聞 きつゝ過 ぎてゆく、右 には山 の眺 めよく、左 は海 のはて見 えず、 やがて駐 る梶 屋 敷󠄁 、藤 に名 を得 し月 不見 や、 八十八ヶ瀬 日 光 寺 、越 後 の富士 と呼 ばれたる、燒山行 もこゝよりぞ。早川渡 り浦本 の、漁 る船 の幾 百と、數 へながらに能生 川 を、行 けば直 ちに曙 や、霧 にうづまく鐘 の聲 、白山神社 に國寶 の、觀 音 像 をおがみつゝ、辨天巖 も眺 めみむ、小 泊 灣 の築港 は、末頼 母 しき海 の幸 、見 よや水産學校 の、遠洋漁業 の雄々 しさを。松 に名 を得 し藤崎 を、後 に筒石 、名 立驛 、江 野神社 や岩 谷 堂 、 めぐる岬 は鳥 ヶ首 。海水浴 によしと云 ふ、波 しづかなる長濱 の、渚 に足 を洗 つゝ、行 ば虫 生 の「二 つくり」。郷 津 の灣 に集 ひ來 る、漁 舟 の白 帆 數 へつゝ、軈 て分 け入 る五智 の森 、 こゝに名 高 き國分 寺 、聖 武 の帝 の勅願 を、享 けて行 基 が建立 し、俊 海僧 都 が再興 の、國 家 鎭 護 の大 伽 藍 、名 殘 をとゞむる仁 王門 、 三重寶塔 、經藏 に、夢 窗國 師 の尊像 は、國 の寶 とあがめらる。右手 に聳 ゆる春 日 山 、 これぞ將 軍義家 が、奧州征伐 そのみぎり、砦 のあとの蜂 が峰 、降 りて元 亀 天正 に、武 名 四海 を壓倒 し、北方 に覇 を唱 へたる、偉 人上杉謙信 が、此城 を根據 に能越 や、關 東信 濃 に雄 飛 せる、壯 圖 を襲 げる景勝 に、代 りて據 れる秀治 の、長 き歴 史 の繪 卷物 、昔 を今 にくりかへし、偲 ぶたもとに散 る櫻 、松 に千 歳 の響 きあり。麓 に殘 る不 識菴 、長 尾譜 代 の菩 提所 や、麒 麟 兒 輝虎 出 藍 の、 あとに傳 ふる林泉 寺 。府 中 八幡 、諏訪 の宮 、其處 よ彼 處 と指 して、着 くは直 江津 ステーション、港 につどふ百 千 船 。長 野 方面 乘 り換 へと、驛 夫 の聲 を聞 捨 てに、黒 井 、犀潟 、潟町 や、柿崎 近 き淨 福 寺 。桃 の盛 りは馬 正 面 、旗持山 に米山 の、藥 師 や福浦 八景 に、近 き鉢崎 、青 海 川 。波 穩 に水清 き、海 の眺 めは鯨 波 、出 ては潜 るトン子ルの、窓 にも通 ふ船 の歌 。番神鼻 に閻 魔 堂 、日本 、寶田 二會 社 の、石油 事 業 は柏 崎 、越 後 鐵道分 岐 點 。豆燒 、西谷 鑛 泉 や、不 動 の瀧 に黒姫 の、安 田 、北條 塚山 を、後 に程 なく來迎 寺 。- そこより
南 、片貝 を、過 ぎて船岡公園 や、越 後 縮 布 の小千谷 へは、輕便鐵道通 じたり。 香魚 に名 高 き布引 や、或 は小 松 の七 つ釜 、瀑布 のほとりに杖 曳 きて、夏 の暑 さを忘 れんか。- 二百
餘 間 の鐵 橋 を、渡 りて望 む兩岸 の、繪 ける如 き絶景 に、旅 の疲 れを忘 れつゝ。 宮内 過 ぎて長岡 市 、天主 に殘 る碑 の主 は、維 新 史 上 に光 輝 ある、河 合 、山本 兩將 ぞ。油 井 の櫓 立 ち並 び、數 へ盡 せぬ東 山 、信 濃河 畔 の精 油 所 を、積 み出 す石 油 は日 本 一。川 に四 百八十間 、架 れる名 さへ長 生橋 、夏 は煙 火 の閃 きて、袖 吹 く風 の涼 しさよ。紬 産 地 の橡 尾 町 、分水工 事 の大河 津 、佐渡 に間 近 き寺 泊 、皆 こゝよりぞ別 れ行 く。勤王 、佐 幕 の輩 が、鎬 削 りし大黒 の、押切驛 に見 附町 、凧 を競 り合 ふ今町 や。帶織 過 ぎて三條 の、御 坊 の太 鼓 や本成 寺 、古 き帝 の御歌 に、綸 旨 を拜 し一の木戸 。羽二 重 織 り出 す加茂 の町 、青海 神社 に額 きて、鶯 張 りの廻 廊 を、廻 れば四季 も春心 地 。羽 生田越 えて矢 代 田 に、近 き小須 や白 根 町 、 こゝの端 午 の凧 戰 、旅 の土 産 に寄 て見 ん。柄 目木油 田 や小 山 田 の、櫻 に名 ある新 津 町 、歩 兵 三十聯隊 の、村松 行 きは五泉驛 、秋 は時 雨 の山紅 葉 、賞 でつゝ走 る岩越線 、或 は第 十五旅團 に、歩 兵 十六聯隊 の、新發田 の町 や菅谷 の、不 動 に乙 の大日堂 、村上 行 きの別 れ路 、海 府 の浦 も遠 からず。雲 井 櫻 の龜 田 驛 、窓 より遠 く打 ち續 く、梨子 の林 を眺 めつゝ、沼垂 過 ぐれば新潟驛 。- 八千八
川 打 ち交 り、海 へと注 ぐ信 濃 川 、燕 、長岡 、葛塚 と、通 ふ汽 船 の絶 間 なき。 - そこに
渡 せる萬代 の、橋 は四百と三十間 、毎歳 賑 ふ七夕 の、花 火 は星 と影競 ふ。 - 七十四
橋 水 の郷 、人口凡 そ七萬餘 、見 よや港 に集 ひ來 る、外國 々 の商 船 を。 船 津 社 と稱 へたる、白山神社 の公園 や、日 和 の山 の夕 がすみ、呼 ば答 へん佐渡 が島 。興 は盡 ねどいざさらば、鬻 ぐ漆 器 を土産 に、越 後 鐵道 の便 かりて、弥 彦 の宮 に詣 でんか。- 三千
年來 畏 くも、千木 彌高 き宮 柱 、太 敷 く立 てる神 社 、越 後 の國 の一の宮 。 仰 げば高 き大峰 の、叢 立 つ杉 のいと古 く、水洗川 の清 流 は、神 威 を長久 に私 語 けり。四方 に普 き神徳 の、階下 に伏 して大君 の、御威 や國 の榮 えまで、赤 誠 こめて祈 らばや。終
この著作物は、1934年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。