金 槐 和 歌 集   卷 之 下

      雜  部


旅の心を
(五六二) 玉鉾たまぼこのみちは遠くもあらなくに旅としおもへばわびしかりけり 類從本には「旅」の部にあり。
(五六三) 草枕旅にしあればいもにこひむるまをなみ夢さへ見えず 類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。
(五六四) 草枕旅にしあればかりごもの思ひみだれていこそられぬ 類從本には「旅」の部にあり。
(五六五) 玉葉 旅衣たもとかたしきこよひもや草の枕にわれひとり寢む 定家所傳本には結句「わ」とあり。
眞淵この歌に○を附す。
(五六六) 續古今 旅ねする伊勢の濱荻はまをぎつゆながらむすぶ枕にやどる月影 類從本には「旅」の部にありて「旅哥」と題せり。
眞淵は、「露といひて月かげをやどせし樣、後なり」と評せり。
(五六七) 東路あづまぢのさやの中山こえていなばいとど都や遠ざかりなむ 類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。
眞淵この歌に○を附す。

旅  泊
(五六八) みなと風いたくな吹きそしながどり猪名ゐなのみづうみ舟とむるまで 類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。
(五六九) やらのさき月影さむしおきつ鳥鴨といふ舟うきねすらしも 眞淵この歌に○を附し、「やらの崎、筑紫なり。こは萬葉に、奧鳥鴨云舟のかへりこばやらの崎守はやく吿こそ、なほもあり、後の人のおもひもかけぬ地をとり出つらねられたるさまもをかし」と評せり。
類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。
 
(五七〇) 新勅撰 世の中はつねにもがもななぎさこぐ海士あま小舟おぶねの綱手かなしも 眞淵この歌に○○を附し、「よにことなるけしき有る所を命を惜みし歌、萬葉にあるを思ひよりて、末はた彼のみちのくの歌のことばを用ひられしなど、いとおもしろし。いで巧をせんには、かく大きにこそあらめ」と評せり。

羇中夕露
(五七一) 露しげみならはぬ野邊のかり衣頃しもかなし秋の夕暮 類從本には「旅」の部にあり。
(五七二) 野邊にけぬわけぬ袖だに露はおくものをただこのごろの秋の夕暮 類從本には「旅」の部にあり。
類從本定家所傳本には初句「野邊けぬ」とあり。
眞淵は「ただこの頃、後なり」と評せり。
(五七三) 旅衣うらがなしかる夕ぐれのすそ野の露に秋風ぞふく 類從本には「旅」の部にあり。
眞淵この歌に○を附す。

羇 中 鹿

類從本には「旅」の部にあり。
(五七四) 旅衣すそ野の露にうられてひもゆふ風に鹿ぞ鳴くなる 類從本定家所傳本には第三句「うられて」とあり。
眞淵はこの歌にづき、うらがれて、この語いかが、うらびれてか。ひも夕風に、衣といふよりかくいふは後なり。後世は、緣のことばを好むを、古意をよく知る時は、いとこそいやしげにきこゆれ」評したり。
(五七五) 秋もはやすゑ野の原に鳴く鹿の聲きくときぞ旅は悲しき 類從本には「旅」の部にあり。定家所傳本には第二句「すゑはらに」とあり。
(五七六) 歌ひとりふす草の枕のよるの露はよるの露友なき鹿の淚なりけり 類從本には「旅」の部にありて、第三句の「は」なし。

旅 宿 月
(五七七) ひとりふす草の枕の露の上に知らぬ野原の月を見るかな 類從本には「旅」の部にあり。
眞淵この歌に○を附す。
(五七八) 岩がねの苔の枕に露おきていく夜み山の月にぬらむ 類從本には「旅」の部にあり。
 
旅宿時雨
(五七九) 旅の空なれぬ埴生はにふよるの床よるのとにわびしきまでにもる時雨かな 類從本には「旅」の部にあり。
定家所傳本には第三句「よるのとに」とあり。

旅 宿 霜
(五八〇) 袖枕そでまくら霜おく床の苔の上にあかすばかりのさよの中山 類從本には「旅」の部にあり。
眞淵この歌につき、「袖枕後なり。さよの中山は、史に差益郡とありて、そこの山なれば、さやの中山といへり。後にさ夜とよみしはりなり」と評せり。
(五八一) しなが鳥ゐな野の原の篠枕しのまくらまくらの霜ややどる月影 類從本には「旅」の部にあり。
定家所傳本に第三句「ささまくら」とあり。猶ほ原本第四句「露や」とあるなるべし。
眞淵この歌に○を附す。

羇 中 雪
(五八二) 旅衣夜半よはの片しきさえさえて野中の庵に雪ふりにけり 類從本には「旅」の部にあり。
眞淵この歌に○を附す。
(五八三) あふ阪の關の山みち越えわびぬきのふもけふも雪しつもれば 類從本には「旅」の部にあり。
(五八四) 雪ふりて跡ははかなく絕えむとも越の山みちやまず通はむ 類從本には「旅」の部にあり。

屛風の繪に山中に雪ふれる所に旅人數多かける所を

類從本には「雪降山の中に旅人ふしたる所」とあり。
類從本には「旅」の部にあり。
(五八五) かたしきの衣手ころもでいたくさえわびぬ雪ふかき夜の嶺の松風 眞淵は「さえわびぬといへる句わろし」と評せり。
(五八六) あかつきの夢の枕に雪つもりわがねざめ訪ふみねのまつ風 類從本には「旅」の部にあり。
眞淵は「夢の枕、後なり」と評せり。

屛風の繪に山家に松かけるところに旅人あまたあるをよめる
(五八七) まれにきて聞くだにかなし山がつの苔のいほりの庭の松風 類從本には「旅」の部にあり。
(五八八) まれに來て稀に宿かる人もあらじあはれとおもへ庭の松風 類從本には「旅」の部にあり。
 
相模川といふ川あり月さし出でてのち舟にのりてわたるとて

類從本には「……よめる」とあり。
(五八九) 夕づく夜さすや川瀨かはせ水馴棹みなれざをなれてもうとき波の音かな
 
あさぼらけ八重のしほぢ霞み渡りて空も一つにみえ侍りしかば

類從本には「……よめる」とあり。
(五九〇) 空や海うみ波やや空とも見ええぞわかぬ霞も波もたちみちにつつ 類從本には第二句「や空とも」とあり。第三句、貞享本には「見えわかぬ」「えぞわかぬ」と二通りに記し、類從本定家所傳本には「えぞわかぬ」と記せり。
 
箱根の山をうち出て見れば浪のよる小島あり、供の者に此うらの名は知るやと尋ねしかば、伊豆の海となむ申すと答へ侍りしをききて

類從本には「供の者に此の名」とあり。
(五九一) 續後撰 箱根路をわがこえくれば伊豆の海やおきの小島に波の寄るみゆ 定家所傳本には「わこえくれば」とあり。
眞淵この歌に○を附し、「かくまではいかでよみたまふらんと常にめでられるめり。萬葉に、あふさかをけさこえくればあふみのみ白ゆふ花に浪たちわたる、てふをもてよみ給ひけん、それよりもまされり」と評したり。

二所へ詣でたりし還向けかふ[1]に春雨のいたくふれりしかば

類從本には「二所へまうでし下向に春雨いたく降しかば讀る」とあり。
(五九二) 春雨にうちそぼちこぼちつつ足曳の山路ゆくらむ山人やたれ 類從本には「旅」の部にあり。
第二句「こぼちつつ」を眞淵は消し、「萬葉に、あし引のやまにゆきけん山人の心もしらず山人やたれ」と註せり。
(五九三) 春雨はいたくな降りそ旅人たびびとの道行きころもぬれもこそすれ 類從本には「旅」の部にあり。
 
同詣下向の後朝にさぶらひども見えざりしかばよめる

類從本には「二所下向の後朝にさぶらひども見えざりしかば」とあり。
(五九四) 旅をゆきし跡のやどもりおれおれにわたくしあれや今朝はまだいまだこぬ 類從本及び貞享本には第三句「れに」とあり。
類從本には別に「をのをのに」と註せり。定家所傳本には「のに」とあり。また貞享本には結句「今朝はまたこ類從本定家所傳本には「今朝はまだこぬ」とあり。

ある人都の方へのぼり侍りしにたよりにつけてよみて遣はす

類從本には「……つかはす」とあり。
(五九五) 夜を寒み獨り寢覺の床さえてわが衣手に露ぞおきける 類從本定家所傳本には結句「ぞ」とあり。
眞淵この歌に○を附し、「獨ねざめのこの句、いま少しふさはず」と評せり。
(五九六) かかるをりもありけるものを手枕たまくらのひまもる風を何いとひけむ
(五九七) 都べに夢にもゆかむ便たよりあらばうつの山風吹きもつたへよ 原本初句「都人に」とあり。一本及び類從本によりて改む。
(五九八) 都より吹きここむママ[2]風の君ならば忘るなどだにいはましものを 類從本には、第四句「忘るなとだにも」と八字音にしたり。眞淵この歌に○を附す。
(五九九) うつたえうちたえてに思ふばかりはいはねども便につけてたづねぬばかりぞ 原本には初句「うたへ類從本には「打絕て定家所傳本には「うえて」とあり。眞淵の說によりて改む。
(六〇〇) 岩根ふみいくへの峰を越えぬとも思ひも出でむ出でばこころへだつな 類從本定家所傳本ににママ第四句「思ひも出で」とあり[3]
 
五月の頃みちのくにへまかれりし人の許になど遣はし侍りし中に時鳥の書きたるにかきつけ侍りし

類從本には「五月の頃陸奧へまかれりし人のもとにあふぎなどあまたつかはし侍し中に郭公かきたるにかきつけ侍りし歌」とあり。
(六〇一) たち別れいなばの山の時鳥まつとつげこせ歸りくるがに 定家所傳本には結句「歸くるがに」とあり。
 
近うつかふ女房遠き國に罷らむとて暇申し侍りしかば

類從本には「ちかうめしつかうママ[4]女房……」とあり。
(六〇二) 山遠み雲井に雁の越えていなば我のみひとりねにや鳴きなくらむ 原本結句「鳴なん」とあり。「鳴なむ」「鳴なむ」何れか明かならざれども、定家所傳本及び佐佐木博士の「校註金槐和歌集」によりて「鳴きなむ」とす。

遠き國へまかれりし人八月ばかりには歸り參るべきよしを申して九月までに見えざりしかば彼の人のもとにつかはし侍りし
類從本には「……見えざりしかば人の許につかはし侍しうた」とあり。
(六〇三) こむとしもたのめぬうはの空にだに秋風ふけば雁は來にけり 類從本には「戀」の部にありて、初句を「ことしも」とあり。
(六〇四) むとたのめし人は見えなくに秋風寒み雁は來にけり 類從本には「戀」の部にあり。
 
素暹法師物へまかり侍りけるにつかはしける

類從本には「侍り」の語なし。
(六〇五) 續拾遺 沖つ波八十やそ島かけてすむ千鳥心ひとつといかがたのまむ 類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。
返  し
  續拾遺 濱千鳥八十島かけてかよふともすみこし浦をいかが忘れむ 類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。

秋の頃いひなれたる人の物へまかりしに便につけて書など遣はすとて

類從本には「秋のころいひなれにし人のもとへまかりしに便につけて文などつかはすとて」とあり
(六〇六) うはの空に見し面影を思ひ出でて月になれにし秋ぞこひしき 類從本には「戀」の部にあり。
(六〇七) 思ひいでよ見し世はよそになりぬともありし名殘なごりの有明の月 類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。なほ「秋の〔ころ〕いひなれたる人のもとへまかりしに便につけて文などつかはすとて」と前書あり。
 
忍びていひわたる人ありき遙なるかたへゆかむといひ侍りしかば
(六〇八) ゆひそめて馴れしたぶさの濃紫こむらさき思はず今も淺かりきとは 類從本定家所傳本には第四句「今」とあり。
 
遠き國へまかれりし人のもとより見せばや袖のなど申しおこせたりし返事に
(六〇九) われゆゑにぬるるにはあらじ唐衣からごろも山路の苔の露にぞありけあらまし 類從本定家所傳本には結句「露にぞありけ」とあり。眞淵は「から衣はかり衣か」と評せり。

法眼定忍[5]にあひて侍りし時大峯山の物語などをしいへるを聞きて後によめる

類從本には「……物語などせし聞きて後よめる」とあり。
(六一〇) おく山の苔のころもにおく露はなみだの雨のしづくなるけり 類從本には「神祇」の部にあり。
眞淵この歌に○を附す。
(六一一) すずかけの苔おりぎぬのふりふる衣おくもこのもときつつなれけむ 類從本には「神祇」の部にあり。
類從本には第四句「いく木の本に」とあり。
定家所傳本には第三四句「ふをてもこのも」とあり。
(六一二) いくかへり往來ゆききの嶺のそみかくだすずかけ衣きつつ馴れけむ 類從本には「神祇」の部にあり。
眞淵は「そみかくだは蘇民書札なり」と註せり。
 
伊勢御遷宮の年の歌
(六一三) 神風やあさひの宮の宮遷みやうつしかげのどかなる世にこそありけれ 類從本には「神祇」の部にあり。
眞淵この歌に○を附す。
 
建保六年十一月素暹法師 于時 胤行 下總國に侍りし比のぼるべきよし申し遣はすとて
(六一四) 戀しともおもはでいかが久かたのあまてる神も空に知るらむ 類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。吾妻鏡には第二句「いはば」とあり。

神祇の歌の中に
(六一五) いにしへの神代のかげぞのこりける天の岩戶のあけがたの月 以下三首、類從本には「神祇」と題し、「神祇」の部にあり。
定家所傳本には第四句「天のいはの」とあり。
(六一六) 月さゆるみもすそ川の底きよみいづれの代にか澄みはじめけむ
(六一七) 八百萬やほよろづよもの神たちあつまれり高まの原にちぎ高くして 原本結句「きし高くして」とあ[6]一本により改む。
類從本定家所傳本には「きゝ高くして」とあり。
(六一八) 男山をとこやま神にぞぬさを手向たむけつる八百萬代も君がまにまに 類從本には「賀」の部にあり。
眞淵この歌に○を附す。
 
寄松祝といふ事を

類從本には「松によする祝といふ事をよめる」とあり。
(六一九) 八幡山小高こだかき松のたねしあれば千とせの後も絕えじとぞおもふ 類從本には「賀」の部にあり。
定家所傳本には第三句「たねしあば」とあり。

鶴岡別當僧都の許に雪のふれりしあしたよみて遣はす

類從本には「……雪のふりし朝よみてつかはすうた」とあり。
(六二〇) 鶴が岡あふぎて見れば嶺の松こずゑはるかに雪ぞつもれる 類從本には「冬」の部にあり。
定家所傳本には初句「つるおか」とあり。
(六二一) 八幡山だかき松にゐるたづのはね白たへにみゆきふるら雪はふりつつ 類從本には「冬」の部にあり。
眞淵この歌に○を附す。
 
河 邊 月

類從本には「賀」の部にあり。眞淵はこの歌の初句につき「千早振てふ事は惡しき神の事なり。すべての神に冠らするはなり。まして伊勢の皇神をや」と評せり。
(六二二) 千はやぶるみたらし川の底きよみきよく長閑のどかに月のかげはすみけり
 
屛風に賀茂へまうでたる所
(六二三) たちよればころもですずしみたらしや影みる岸の春の川なみ 類從本には結句「の川波」とあり。眞淵は「見たらしやのや、いかが。影見る岸、是も後なり」と評せり。

同じ社をよめる

類從本には「加茂祭歌」と題して、「神祇」の部にあり。
(六二四) あふひ草かづらにかけて千はやぶる賀茂の祭りをねるはねるやたが子ぞ 類從本定家所傳本には結句「ねる」とあり。
猶ほ眞淵この歌に○を附す。
(六二五) 何しおはばその神山のあふひ草かけて昔を思ひいでなむ 類從本には「戀」の部にあり。
 
社 頭 霜
(六二六) さよふけていなりのの杉の葉にうへに白くも霜のおきにけるかな 類從本にては「冬」の部にあり。定家所傳本には第二句「宮の」類從本には第三句「杉のに」とあり。
眞淵この歌に○を附す。
 
屛風にかきつけ侍りし

類從本には「屛風の歌」とあり。
(六二七) 吉ののえ岸の姬松ふりにけりいづれの世にかたねはまきけむ 類從本定家所傳本には初句「住の江の」とあり。
 
社 頭 月

類從本には「神祇」の部にあり。
(六二八) 月のすむ北野の宮の小松原いく世を經てか神さびにけむ
 
松 間 雪
(六二九) 雪つもる和歌の松原ふりにけりいく世へぬらむ玉津たまつ島守しまもり 類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。
眞淵は「此浦を和歌と書きて歌の事とするは笑ふにたへぬひがごとなり」と評せり。
 
月前千鳥
(六三〇) 玉津島和歌の松原夢にだにまだ見ぬ月に千鳥なくなり 眞淵は「四三句後なり」と評せり。
 
社頭夏月
(六三一) ながむれば吹く風凉し三輪みわの山杉のこずゑを出づる月かげ 類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。
眞淵は「ながむるは、心に思ひあるとき默然として物をまもりをるをいへり。ただ見ることにあらず」と評せり。
 
三輪社を
(六三二) 今つくる三輪の祝部はふりが杉社すぎにしことは問はずともよし 類從本には「神祇」の部にあり。
眞淵この歌に○を附す。

社 頭 雪 此歌新古今集に顯輔のうたに相似たりいかゞ。
(六三三) 年つもるこし白山しらやま知らずともかしらの雪をあはれとは見よ
(六三四) み熊野のなぎの葉しだり降る雪は雪降るは神のかけたるしでにぞあるらありける 類從本には「冬」の部にあり。
眞淵この歌に○を附す。
 
社頭時鳥
(六三五) 五月雨をぬさ手向たむけ三熊野みくまののの山時鳥なきとよむなり 類從本には「夏」の部にあり。
 
法眼定忍[5]にあひて侍りしに那智の山の瀧のありさまを語れりしかば

類從本には「那智瀧の有さまかたりしを」とあり。
(六三六) みくま野のなちのお山に引くしめのうちはへてのみおつる瀧かな 類從本には「神祇」の部にあり。
眞淵この歌に○を附す。
 
屛風に同じ山をかきたる所

類從本には「屛風になちのみ山書たる所」とあり。
(六三七) 冬ごもり那智の嵐の寒ければ苔の衣のうすくやあるらむ 類從本には「冬ごも」とあり。

走湯山參詣の時

類從本には「走湯山に參詣の時歌」とあり。
(六三八) 渡津海わたつみの中に向ひていづる湯のいづのお山とうべもいひけり 定家所傳本には初句「わたつみの」とあり。原本及び類從本には結句の「うべ」を「べ」に作れども眞淵の訂正に從へり。
眞淵はこの歌に○を附し、「わたつみは海津持にて、海神の名なるを、たゞ海のことにもいへり。わだつうみといふは俗のひがごとぞ」と註せり。
(六三九) 走湯はしりゆの神とはうべいひけらしはやきしるしのあればなりけり 類從本定家所傳本には初句「はしゆの」とあり。類從本の「むべ」の訂正同前。
眞淵この歌に○を附す。
(六四〇) 玉葉 伊豆の國や山の南に出づる湯のはやきは神のしるしなりけり 類從本には初句「伊の國」とあり。
眞淵この歌に○を附す。
 
二所詣し侍りしに

類從本には「二所詣し侍し時」とあり。
(六四一) 續後撰 ちはやぶる伊豆のお山の玉椿やほよろづ代も色はかはらじ 類從本には「賀」の部にあり。
 
社頭松風

類從本には「神祇」の部にあり。
(六四二) りにけるあけの玉垣かみさびてれたる御簾みすに松風ぞふく
 
故鄕を神祇によせて詠みける

類從本には「故鄕の心を」とあり。
(六四三) いそのかみふるき都神さびてただかたたるにしあれや人も通はぬ 類從本定家所傳本には第四句「たたるにしあれや」とあり。

神祇の歌數多よみ侍りしに

類從本には「神祇」の部にあり。
(六四四) かみつけの瀨田せたのあかぎのかみやしろやまとにいかで跡をたれけむ 定家所傳本には第三句「かやしろ」とあり。
眞淵この歌に○を附す。
(六四五) さとみこがみ湯たて笹のそよそよになびきおきふしよしや世の中 類從本には「神祇」の部にあり。
(六四六) 新後撰 みづがきの久しき世よりふゆだすきかけし心は神ぞしるらむ 類從本には「神祇」の部にあり。
 
得功徳歌
(六四七) 大日だいにち種字しゆしより出でて三昧耶形さまやきやうさまやきやうまた尊形そんぎやうとなる。 定家所傳本には初句の「の」なし。
 
懺 悔 歌
(六四八) 塔をくみ堂をつくるも人なげき懺悔さんげにまさる功徳くどくやはある 定家所傳本には第三句「ひとなげき」とあり。
 
思罪業歌
(六四九) ほのほほのぼのとのみ虛言こくう[7]にみてる阿鼻地獄あびぢごく行方ゆくへもなしといふもはかなし 初句、貞享本、類從本及び定家所傳本みな「ほのほのみ」なるに、眞淵校訂の際に「ほのぼのと」と訂正せり。
 
大乘作中道觀歌
(六五〇) 世の中は鏡にうつる影にあれやあるにもあらずなきにもあらず 眞淵この歌に○を附す。
 
心の心をよめる
(六五一) 神といひほとけといふも世の中の人のこころのほかのものかは

祝の心を

類從本には「賀」の部にあり。結句貞享本、類從本共に「年老いにけり」とあり。か。猶ほ貞享本には第四句「千とせふも」とあり。
(六五二) 姬島の小松がうれにゐるたづのとせふれども年おいずけり
(六五三) 田鶴たづのゐる長柄ながらの濱のはま風に萬代よろづよかけて波ぞ寄すなる 類從本には「賀」の部にあり。
眞淵この歌に○を附す。

寄松祝といふ事を
(六五四) 田鶴のゐる長良ながらの濱の濱松のまつとはなしに千世ちよこそふれ 類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。
眞淵この歌に○を附す。
(六五五) 君が世はなほしも盡きじ住吉すみよしの松はももたび生ひかはるとも 類從本には「松によする祝といふ事を」と題して「賀」の部にあり。
眞淵この歌に○を附す。
(六五六) 續後撰 行末ゆくすゑもかぎりは知らず住吉すみよしの松にいく世の年か經ぬらむ 類從本には「賀」の部にあり。
眞淵この歌に○を附す。
(六五七) 住の江にふてふ松の枝しげみ葉每に千世の數ぞこもれる 類從本には「賀」の部にあり。
定家所傳本には初句「すみよしの」とあり。
(六五八) 行末ゆくすゑの千とせをこめて春霞立田の山に松風ぞ吹く 類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。
(六五九) くらゐ山小高こだかくならむ松にのみ八百萬代やほよろづよと春風ぞ吹く 類從本には「賀」の部にあり。
 
障子の繪に岩に松の生ひたる所
(六六〇) 岩の上におふる小松の年も經ぬいく千代までと契りおきけむ 類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。

寄 竹 祝
(六六一) 竹の葉にふりおほふ雪のうれを重み下にも千世ちよの色は隱れず 類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。
眞淵この歌に○を附す。
(六六二) なよ竹のななももそぢ老いぬれど八十やそのちふしは色もかはらず 類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。
眞淵この歌に○を附す。
(六六三) なよ竹のちぢのさ枝のはは枝のそのふしぶしによよはこもれり 類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。
(六六四) あひおひの袖のふれにし宿の竹よよは經にけりわが友として 類從本には「一本及印本所載歌」のママにあり。
眞淵はこの歌の初句につき「あひおいは相老の意なるを後人あやまれり」と評せり。
 
寄苔祝といふ事を
(六六五) 岩にむす苔のみどりの深き色をいく千世ちよまでとたれか染めけむ 類從本には「賀」の部にあり。
 
梅花を瓶にさせるをよめる

類從本には「梅の花をかめにさせるをみてよめる」とありて、「賀」の部にあり。
眞淵は「萬葉に、玉だれの小簾と書しは、皆をすとよむ證あり。この玉だれのこがめも、がめを後にりてがめとかきしものなり」と評せり。
(六六六) 玉だれのこがめにさせる梅の花萬代ふべきかざしなりけり
 
櫻花さけるを見て
(六六七) 宿やどにある櫻の花は咲きにけり千とせの春もつねかくし見む 類從本には「はなの咲るを見て」とありて、「賀」の部にあり。

慶賀の歌
(六六八) 玉葉 ちぢの春よろづの秋にながらへて月と花とを君ぞみるべき 類從本には「賀」の部にあり。定家所傳本には第四句「とを」とあり。眞淵は「月と花とを、後なり」と評せり。
(六六九) 君が代に猶ながらへて月きよみ秋のみ空のかげを待たなむ 類從本には「述懷」の部にあり。
(六七〇) 萬代に見るともあかじ長月の有明ありあけの月のあらむかぎりは 類從本には「賀」の部にあり、特に「月によする祝」と題せり。
眞淵この歌に○を附す。
(六七一) 朝にありてわが代はつきじ天の戶やいづる月日の照らむかぎりは 類從本には、この歌と次の歌とに「いはひのうた」と題して「賀」の部にあり。
(六七二) 續古今 君が代もわが世もつきじ石川やせみの小川のたえじとおもへば
(六七三) 續古今 宮柱ふとしきたてて萬代よろづよに今ぞ榮えむ鎌倉の里 類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。
眞淵この歌に○を附す。

大嘗會の年の歌に

類從本には「賀」の部に入れ、「大嘗會の年の歌」(ナシ)と題し、結句「あなむ」とあり。猶ほ原本結句「有なむ」とあり。
眞淵この歌に○を附す。
(六七四) 黑木くろきもて君がつくれる宿なれば萬代ふともふりずもありなむ
(六七五) 今つくる黑木のもろむろやふりずして君はかよはむ萬代までに 類從本には「一本及印本所載歌」の部にあり。第二句の「もろ」を「ろ」に作る。眞淵この歌に○を附す。

太上天皇御書下預時歌

この歌と次の二首、類從本にては「述懷」の部にあり。
(六七六) おほ君のちよくをかしこみ父母ちちははの心はわくとも人にいはめやも 貞享本には第三句「ちゝわくに」とありて「わく」の右には「はは」と註せり。定家所傳本にも「ちちわくに」とあり。
(六七七) 新勅撰 山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがわれあらめやも 貞享本及び定家所傳本には結句「わがあらめやも」類從本には「あらめやも」とあり。齋藤茂吉氏の「新訂金槐和歌集」[8]には「しばらくわれと讀むべし」と註せり。
眞淵この歌に○○を附し、「ををしさ、まことに大人の誓言ぞ」と評せり。
(六七八) ひむがしの國にわがをれば朝日さす藐姑射はこや[9]の山のかげとなりにき 貞享本には第二句「わがをれば」と明かに記し、類從本には「我をれば」とあり。

相州の土屋といふ所に年九十にあまれるくち法師ありおのづからきたり昔語などせしついでに身のたちゐにたへずなむなりぬる事をなくなく申して出でぬ時に老といふ事を人々に仰せてつかうまつらせしついでによみ侍りし

眞淵は「相州」の語につき「某州と書くことはこの國にはなし。相模の國とあるべし」といへり。

類從本には「……よみ侍る歌」とあり。
(六七九) われいくそ見し世の事を思ひ出のでつあくるほどなきよるの寢覺に 定家所傳本には第三句「おもひいでつ」とあり。
(六八〇) 新勅撰 思ひ出でてよるはすがらにをぞなくありし昔の世々のふるごと 眞淵この歌に○を附す。
(六八一) 中々なかなかに老はほれても忘れなでなどか昔をいとしのぶらむ 貞享本には第三四句「わすれなにと昔を」とあれど、傍註及び類從本定家所傳本によりて改む。
(六八二) 道とほし腰はふたへにかがまれり杖にすがりてここそこまでもくる 定家所傳本には第四句「杖にすがりて」とあり。類從本には第五句「こまでも」とあり。
(六八三) さりともと思ふものから日を經てはしだいしだいにる悲し 類從本定家所傳本には結句「悲し」とあり。

雜の歌の中に

類從本には「雜歌」と題せり。
(六八四) 新勅撰 世にふればうきことの葉のかずごとにたえず淚の露ぞおきける
(六八五) 歎きわび世をそむくべきかた知らず吉野の奧も住みうしといへり
(六八六) いづくにて世をばつくさむ菅原すがはらや伏見の里も荒れぬといふものを 眞淵この歌に○を附す。
(六八七) 春秋はかはりゆくともけどもわたつのなかなる島の松久しき 類從本定家所傳本には第二句「ゆけども」結句「まつ久しき」とあり。猶ほ定家所傳本にては第三句を「わたつうみの」と六音にせり。

屛風の歌
(六八八) とよ国のきくの濱松おいにけり知らずいく世の年か經にけむ 定家所傳本には第二句「きくのそままつ」とあり。
(六八九) 年ふれば老たふれて朽ちぬべき身は住の江の松ならなくに 類從本には「老たふれて」とあり。
 
屛風の繪に野中に松三本おひたる所をきぬかづける女一人とほりたり

類從本には「……きぬかぶれる女りたる」とあり。
(六九〇) おのづからわれを尋ぬる人もあらば野中の松よみきと語るな 眞淵この歌に○を附す。
 
三崎といふ所へまかれりし道に磯邊の松としふりにけるを見てよめる
(六九一) 玉葉 磯の松いくひささにかなりぬらむいたくだかき風の音かな 眞淵この歌に○を附し、「二句いくひさひさを略せしなり」と評せり。
 
ものまうでし侍りし時磯のほとりに松ひと本ありしを見てよめる
(六九二) 梓弓いそべにたてるひとつ松あなつれづれげ友なしにして 眞淵は「あなつれげは、萬葉のあなたづしをなほせしなれど、あしし」と評せり。
 
あら磯に浪のよるを見てよめる
(六九三) 大海の磯もとどろによする波よる波のわれてくだけてさけて散るかも 類從本には第三句「よる浪の」として「よする波」と註せり。
 
又のとし二所へまゐりたりし時箱根の水海を見てよみ侍る歌
(六九四) 玉くしげ箱根の海はけけれあれや二山ふたやまにかけて何かたゆたふ 類從本には「玉くしげ箱根のみうみ海は)けけれあれや二國ふたくにかけて中にたゆたふ」とあり。
 
民のかまどより烟のたつを見てよめる
(六九五) みちのくにここにやいづくしほがまの浦とはなしにけぶり立つ見ゆ 類從本には第二句「爰やいづく」とありて「に」を脫せり。
 
濱へ出でたりしに海士のたく藻しほ火をを見てよめる

類從本には「たく」「よめる」の語を脫せり。
(六九六) いつもかくさびしきものかあしの屋にたきすさびたる海士あまのもしほ
 
山の端に日の入るを見てよみ侍りける

類從本には「……見てよめる」とあり。
(六九七) くれなゐのちしほのまふり山のはに日の入る時の空にぞありける 貞享本に第二句「ちしほのまり」とあるはなるべし。
 
二所詣下向に濱邊の宿のまへに前川といふ川ありなが雨ふりて水まさりしかば日暮れて渡り侍りし時よめる
類從本には「……水まさりしかば……」とあり。
(六九八) 濱べなるまへの川せを行く水の早くも今日のくれにけるかな
 
かち人の橋わたりたる所

類從本には「……わたる所」とあり。
(六九九) かち人のわたればゆるぐかつしかのままの繼橋つぎはし朽ちやしぬなむ
 
故鄕の心を
(七〇〇) いにしへを忍ぶとなしにいそかみふりにし里にわれは來にけり 貞享本には第二句「なに」とあり。類從本による。
 
まないたといふ物の上にかりをあらぬさまにして置きたるを見て

類從本には「……見てよめる」とあり。
(七〇一) あはれなり雲井のよそに行く雁もかかるすがたになりぬと思へば 類從本には初句「あはれな」第三句「行雁」とあり。
 

定家所傳本には初句「うばたまや」とあり。貞享本結句「鳴なり」はなるべし。
眞淵この歌に○を附す。
(七〇二) ぬば玉のやみのくらきにあま雲のやへ雲がくれ雁ぞ鳴くなる
 
(七〇三) 澤邊より雲井にかよふあしたづもきことあれやのみ鳴くらむ
 
千  鳥
(七〇四) 朝ぼらけ跡なき浪に鳴く千鳥あなことごとしあはれいつまで

(七〇五) 空蟬うつせみの世は夢なれや櫻花咲きては散りぬあはれいつまで
(七〇六) いにしへの朽木くちきの櫻春ごとにあはれむかしと思ふかひなし
 
(七〇七) 難波がたうきふししげきあしの葉におきたる露のあはれ世の中

無 常 を
(七〇八) かくてのみありてはかなき世の中をうしとやいはむあはれとやいはむ
(七〇九) うつつとも夢とも知らぬ世にしあれば有りとてありと賴むべき身か
 
わび人の世にたちめぐるを見て

類從本には「……見てよめる」とあり。
(七一〇) とにかくにあれば有りあはれありけるける世にしあればなしとてもなき世をもふるかも 類從本には第二句「有ける」とあり。
 
人心不常といふ事を

類從本には「……ことをよめる」とあり。
(七一一) とにかくにあなさだめな世の中や喜ぶものあればらばわぶるものあり 類從本には第二句「さだめな」第四句「喜ぶものあば」とあり。
眞淵この歌に○を附す。
 
世間つねならずといふことを人のもとによみて遣はし侍りし
(七一二) 世の中にかしこきこともわりなきはかなきもも思ひしとけば夢にぞありける 類從本定家所傳本には第三句「はかなきも」とあり。
眞淵は「思ひしとけば、後なり」と評せり。
 
日比ひごろやまふすとも聞かざりし人あかつきはかなくなりにけるを聞きてよめる
類從本には「……はかなくなりにける聞きて……」とあり。
(七一三) 聞きてしも驚くべきにあらねどもはかなき夢の世にこそありけれ
 
道のほとりに幼き童の母を尋ねていたく泣くを其あたりの人に尋ねしかば父母なむ身まかりにしと答へ侍りしを聞きて
類從本には「……よめる」とあり。
(七一四) いとほしや見るに淚もとどまらず親もなき子の母を尋ぬる 眞淵この歌に○を附す。
 
慈悲の心を
(七一五) 物いはぬ四方よものけだものすらだにもあはれなるかなかなや親の子をおもふ 類從本定家所傳本には第四句「あはれなるかな」とあり。
眞淵はこの歌の第三句につき「すらか、だにか、一つこそいへ」と評せり。
 
建曆元年七月洪水漫天土民愁歎きせん事を思ひて一人奉本尊聊致念と云

類從本には「建曆元年七月洪水漫一氏土民愁歎むことをおもひて一人奉本尊聊致」とあり。
(七一六) 時によりぐれば民のなげきなり八大龍王はちだいりゆうわう雨やめ給へ 眞淵この歌に○を附す。

 

右之一帖者鎌倉右大臣家集京極中 定家卿 門弟此道之達者 云々 然最初雖部類在不審尙之間重而改之畢尤可爲證本類乎

                            柳  營  亞  槐 


△鎌倉右大臣實朝卿 右大將賴朝卿之二男
母平時政之女二位尼政子
⛬義家 八幡太郞  爲義 六條  義朝 左馬頭  賴朝 征夷將軍
 實朝 右大臣正三位征夷大將軍
承久元年爲公曉之被討行年二十八歲治世十六年


 右府  常磐井相國  衣笠內府 此三人定家卿門弟之內殊に上手


公卿補任
從三位源實朝四月十日敍五月二十六日吏任右中將
 故前大言賴朝卿二男母二位尼
建仁三年九月七日敍從五位下任征夷大將軍同十月二十四日任右兵衞佐元久元年正月五日敍從五位上臨時三月六日任右少將同二年正月五日正五下同廿九日加賀介轉權中將建永年二月廿二日敍從四位下承元元年正月五日敍從四位上同二年十二月九日敍正四位下同四年 庚午 右中將建曆二年 壬申 十二月十一日從二位同三年二月廿七日非參議正二位閑院賞左中將美濃權守言中將位第一之例也 建保四年六月二十日任右中將七月廿日轉左同五年 丁丑 權中言正二位左中將同六年 戊寅 右大臣正二位十二月二日任左大將如元內大臣正二位十月九日任元權大言左大將如元十二月二日轉右正月十三日任三月六日左大將同日爲左馬寮監十月八日任內大臣權中言正二位左將正月十三日任權大言同七年右大臣正二位右大將征夷大將軍正月廿七日誅初參八幡別當同於社頭被誅之

  貞享四丁卯歲仲夏上浣

                二條通寺町入

                     大 森 太 右 衛 門 刊 行

[入力者補足]

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  1. 底本ママ。齋藤茂吉の『新訂 金槐和歌集』(昭和7年の増補版)では「けか」となっている。
  2. 底本ママ。「こむ(込む/來む)」か? 齋藤茂吉は、『新訂 金槐和歌集』(昭和7年の増補版)では「こむ」とし、日本古典全書『金槐和歌集』(昭和25年)では「」としている。
  3. 底本“(句点)”欠。
  4. 誤植か? 正しくは「つか」である。
  5. 5.0 5.1 これらの詞書によって、熊野の大峯山、および那智の滝について詠んだという点からして、中級の修験者であろうと推察される人物だが未詳。この人物について論文有り - 犬井, 善壽『閑月和歌集』所載実朝歌一首の本文 : 『金槐和歌集』の本文流伝との関連において」 (pdf) 、『筑波大学平家部会論集』第9巻、筑波大学平家部会、つくば市筑波大学2002年6月30日、 30-36頁、2020年9月18日閲覧。
  6. 底本“(句点)”脱。代わりに手前の「り」に傍点(圏点)あり。
  7. 底本ママ。誤植か? 齋藤茂吉の『新訂 金槐和歌集』(昭和7年の増補版)でも日本古典全書『金槐和歌集』(昭和25年)でも「虛空」となっている。
  8. 冒頭のにある「齋藤茂吉氏の『新訂金槐和歌集』」(昭和4年刊行の昭和7年増補版)のことである。
  9. 藐姑射はこやは神仙の住む神話上の仙山だが、太上天皇上皇)の地位を指す唐名でもある。