茲に律法の十戒と、その簡潔な解明とを挿入することが、異様であろうとは予は考えない、何故というに、此れによって予の言及したこと、即ち一たび定め給うた礼拝は今尚お活きていることが、一層善く明らかになり、次いで、第二の点、即ち、ユダヤ人らは十戒によって真の敬虔の條理の如何なるものであるかを学んだのみでなくて、此れを遵守するに自らの足らざるを見るや、審判の恐怖によって、不本意ながらではあったが、中保者へと連れ行かれたということに確証を加えるからである。さて神についての真実な知識に必要であるところのことの要約を述べる際に、直ちに神の威厳が襲い来て我々をその礼拝へと緊迫することなしには、神の偉大についてわれわれは概念し得ないと云うことを教示した。
【続く】