通俗正教教話/信経/第九か條
(九)第九か條
編集- 『
又 信 ず、一 の聖 なる公 なる使徒 の教會 を』
- 『
問 『
- 答 『
教會 』と申 しまするのは神様 のお定 めになった律法 と、神様 自 らのお定 めになった機 密 とを以 て堅 く結合 した所 の人 の集 を申 すので御座 います。
問 『
- 答
教會 を信 ずると謂 ふのは眞 心 を以 て、ハリストスの教會 を尊 び、其 教會 が教 ふる教 と誡 には堅 く服従 して、其 と同 時 に教會 の内 に常 に往 来 して私 共 の贖 をなし又 は私 共 を誨 ふるハリストスの恩寵 を信 じて疑 はないことで御座 います。
問
- 答
単 に教會 と申 しますれば此 地 上 の教會 を申 すので御座 いますが、詳 しく教會 なるものを分解 して見 ますれば二 つになるので御座 います、一 つは天 上 の教會 で既 に死 した基督信者 を一括 した言 で御座 いまして今一 つは地 上 の教會 即 ち私 共 信者 の一団 で御座 います其 で御座 いますから、単 に教會 と申 しまする時 には無 論 其内 に天 上 の教會 と地 上 の教會 の二 つ有 るので御座 います。(此事は聖書中エウレイ一二の二二、二三、二四に在り)
問
- 答
否 記 載 して御座 います、馬太 の福音書 の中 には此事 に関 るイイスス ハリストスの御 言 が載 せて御座 います。
『
『
問
- 答
何故 と申 しまして教會 は一 つの霊 なる集會 で、其長 たる者 はイイスス ハリストスより外 に誰 も御座 いません。又 教會 を活 す神様 の神 も一 つより外 誰 もないので御座 います、其故 一 つ以 上 有 ることが出来 ないので御座 います、此事 を聖 使徒 パエルはエヘス書 の内 に記 して申 しまするには、『体 は一 、神 は一 、爾 等 が召 されたる召 の望 の一 なるが如 し、主 は一 、信 は一 、洗礼 は一 、神 萬 衆 の父 は一 なり、彼 は萬有 の上 に在 り、萬有 を貫 き、我 等 萬人 の中 に在 り』〔四の四、五、六〕
問 イイスス ハリストスより
- 答
聖 使徒 パエルがコリンフ書 の内 に述 べて居 ります、『置 かれたる基 なるイイスス ハリストスの外 誰 も他 の基 を置 く能 はず』〔前三の一一〕此 言 の意味 を解釈 しますれば教會 の基 たり、又 首 たる者 は主 イイスス ハリストスを除 ては誰 も無 いとの意味 で御座 います。
問
- 答
御 存 じの通 りハリステアニンは互 に神 と云 ふ一 の父上 を持 って居 る兄弟 で御座 います、其 で御座 いますから互 に助 け合 って、其 兄弟 たるの実 を現 さなければなりませぬ、聖 使徒 パエルがエヘスの信者 に書 き送 って申 しまするには、『凡 て謙遜 と温 柔 と恒忍 とを以 て愛 によりて互 に恕 せよ、務 めて和 平 の繋 を以 て神 の一 なるを守 れ』〔四の二、三〕
問
- 答
否 、左様 では御座 いませぬ、教會 は假 し幾何 御座 いましても教會 の首 たるイイススを奉 じ、一 の信仰 を有 ち、同 じき機 密 と同 じき祈 祷 に與 って居 りまするならば、教會 の一 たることに少 しも差 支 はないので、畢竟 英国 や日 本 や露西亜 や希臘 等 の教會 は正教會 と謂 ふ一 の大 い教會 の各 部 分 になるので御座 います。
問
- 答
無 論 一 なので御座 います、何故 かと申 しますれば天 上 の教會 も地 上 の教會 も只 一 の主 イイスス ハリストスを其 首 として居 りまするから同 じ首 を戴 いた一 の体 の様 なもので御座 います。
問
- 答
祈 祷 を以 て互 に音信 を通 じ、互 に扶 け合 ふので御座 います、即 ち地 上 の教會 に属 して居 る私 共 信者 は神様 にお祈 りをしまする時 に、天 上 の教會 に属 して居 る聖人 のことを想 ひ起 しまして、彼 等 の為 に神様 に祈 祷 を献 じますると共 に又 彼 等 の扶助 を願 ふので御座 います、其 うしますれば天 上 に在 る聖人 は神様 のお傍 に居 りますることで御座 いまするから、私 共 地 上 に居 りまする信者 の為 に、神様 と私 共 の間 に立 って私 共 の願 に己 の願 を添 へて神様 の前 に傳 へ、出来 得 る限 り私 共 を助 けて呉 れるので御座 います、天 上 の教會 と地 上 の教會 と互 に相 提 へて行 く道 は是 より外 には何 も無 いので御座 います。
問
- 答
其 は聖傳 に基 いたことで御座 います、併 し其 大本 を尋 ねますれば、矢 張 聖書 で御座 いまして豫 言者 ダビドが『我 等 の列 祖 アブラアム イサアク及 びイズライリの主 なる神 よ』と聖人 の名 を稱 んで祈 祷 をしましたのが始 りで御座 います。 此事 に就 きましてエルサリムの聖 キリルは誨 へて居 りまするには『私 共 は既 に此 世 を去 って列祖 、豫 言者 、聖 使徒 、主 の為 に命 を捨 てたる致 命者 等 を記 憶 しなければなりませぬ、何故 かと申 しますれば、彼 の人々 は私 共 の為 に神様 に祈 り私 共 に代 って神様 に凡 ての事 を願 ふ人 で御座 います。云々
問
- 答
聖 福音者 イオアンは黙 示 録 の中 に記 載 して居 ります、彼 の申 しまするには、『我 七 の天 使 が神 の前 に立 てるを見 たり、七 の箛 は彼 等 に與 へられたり、又 他 の天 使 来 りて祭壇 の前 に立 ち金 の香 炉 を持 てり、多 くの香 は彼 に與 へられたり、彼 が之 を悉 くの聖人 の祈 祷 と偕 に宝 座 の前 に在 る金 の祭壇 の上 に献 げん為 なり、香 の烟 は諸聖人の祈祷と偕に天 使 の手 より神 の前 に昇 れり』〔八の二、三、四〕
問
- 答
沢山 御座 います、マトヘイの聖書 の中 にも記載 して御座 います、イイススが十 字架 の上 にてお薨 りになりました時 『墓 啓 けて寝 ねたる聖人 の身 は多 く復活 し、彼 の復活 の後 墓 より出 でて聖 なる城 に入 り多 くの者 に現 れたり』〔馬太二七の五二、五三〕 此時 の聖人 の顕出 は人々 をしてイイススの地 獄 にお降 りになった事 及 び其 御 復活 を傳 へ、人々 をして新 たに起 ったる新約 教會 に移 らしめやうとする為 であつたので御座 います。
問
- 答
有 ります、例令 へて見 ますれば、豫 言者 エリセイの死 骸 は其 に触 れた一人 の死 者 を甦 らしめましたし〔列王記二書一三の二一〕聖 使徒 パエルの持 て居 ました手巾 は彼 が居 ない時 に奇 跡 を行 ったので御座 います〔行実一九の一二〕これに由 って見 ましても聖人 が死後 も人 に惠 を垂 るることは明 かなことで御座 います。 此事 に就 きましてダマスクのイオアンは記 して申 しましたには、『主 イイスス ハリストスは聖人 の不 朽 体 を救贖 の源 として我 等 に賜 へり、これより種々 なる恩恵 流 れ出 づ云々』〔神学者四書十五章三四節〕又 神学者 グリゴリイも此事 を記 して居 りまするには『聖人 の体 の顕 はす力 も亦 少 なからず、人 之 に触 れ又 は之 を敬 ふ時 は其 聖 なる霊 と均 しき力 を有 てり、彼 等 の血 一滴 たりとも、凡 そ彼 等 の苦 難 を表 すものは其 力 全 ての体 の力 と異 なることあらず』〔ユリアン譴責第一講話〕
問 『
- 答
其 はイイスス ハリストスの御 苦 と其 御 導 きと其 御 祈 祷 と、其 機 密 とを以 て聖 にせられたからで御座 います、聖書 に此事 を記 して居 りまするには - 『ハリストス
教會 を愛 し己 を此 が為 に捨 てたり、是 を水 の洗 を以 て、言 に由 りて潔 めて聖 にせん為 め、是 を己 の前 に光栄 なる教會 、汚 或 は皺 或 は此 くの如 き類 なき者 として立 てん為 、即 ち是 が聖 にして疵 なき者 とならん為 なり』〔エフェス五の二五、二六、二七〕又イイスス ハリストスが信者 の為 にお祈 りになった言 の中 に斯 う謂 ふ御 言 が御座 います『爾 の真実 を以 て彼 等 を聖 にせよ、爾 の言 は真実 なり、我 彼 等 の為 に己 を聖 にす彼 等 も真実 を以 て聖 にせられん為 なり』〔イオアン十七の一七、一九〕
問
- 答
幾何 元 と大罪 を犯 しましても心 から悔 ひ改 めた人 なれば、其様 な人 が教會 の會員 の中 に雑 って居 ましたとて少 しも差 支 はないので、教會 は矢 張 聖 なる者 で御座 います、けれ共 罪 を犯 しながら少 しも悔 ひ改 めない人々 は、聖 なる者 と申 すことが出来 ませんので御座 いますから、其様 な人 は丁度 、医 者 が人 の体 を害 ふ様 な腫物 を切 り捨 てて人 の体 の健康 を保 つ様 に、教會 も自己 の會員 の内 から其様 な人 を除 いて教會 の神聖 を保 つので御座 います、聖書 の内 にも此事 を戒 しめて御座 いますには『悪 者 を爾 等 の中 より除 け』〔コリンフ前書五の一三〕
問
- 答
其 は私 共 の教會 は、国 や、時 や、人 に少 しも関係 なく、何処 の国 でも、何時 の時 代 でも、何 う謂 ふ人 でも、只 神 主 イイスス ハリストスに対 して同 じ信仰 を有 って居 る者 でさへ有 りますれば、皆 教會 の會員 なので御座 いますから、此程 公 な教會 は他 に御座 いませぬ、聖 使徒 パエルは此事 に就 いて申 して居 りまするには『此 福音 は爾 等 の中 に存 すること全 世 界 に於 けるが如 し、且 つ果 を結 び又 蔓延 す』〔コロサイ一の六〕又 『教會 にはエルリン人 及 び、イウデヤ人 、割礼 及 び無 割礼 、夷 狄 及 びスキフ奴 隷 及 び、自 主 の者 無 し、即 ちハリストスは一切 なり及 び一切 の中 に在 り』〔コロサイ三の十一〕
問 『
- 答
第一 には『公 なる教會 』は地 獄 の力 によりて侵 るる様 なことの決 して無 いことです、第 二 は此 世 の末 の日 迄 神 主 親 らが此 教會 と偕 にせらるることで御座 います、第三 は、神 の栄 がイイスス ハリストスに由 って此 教會 に何時 迄 も限 りなく存在 することで御座 います、其様 に教會 には人 の侵 すことの出来 ぬ権威 が備 って居 るので御座 いますから、決 して真 理 を誤 ったり迷 に陥 ったりする様 なことは決 して無 いので御座 います。
問
- 答
決 して無 いので御座 います、此事 に就 いてはイイスス ハリストスも御自 分 を葡 萄 の樹 に譬 へ、信者 を其枝 に比 べて申 されましたには『爾 等 我 に居 れ、我 も爾 等 に居 らん、枝 若 し葡 萄 の樹 に居 らずば、自 ら実 を結 ぶ能 はず、爾 等 も若 し我 に居 らずば亦 是 くの如 し、我 は葡 萄 の樹 爾 等 は枝 なり、我 に居 り、我 も彼 に居 る所 の者 は多 くの実 を結 ぶ』〔イオアン一五の四、五〕其 で御座 いますからハリストスを首 としている教會 を離 れて他 に救贖 はないので御座 います。
問
- 答
其訳 は私 共 の正教會 はロマ帝国 の東 の部 分 に多 く廣 まり其 から追々 東々 へと廣 まったからなので御座 います、今日 西 の教會 と申 しまするロマ旧教 はロマ府 を中心 として西 へ西 へと廣 がって行 つたので西 の教會 と申 すので御座 います。
問
- 答
其 は私 共 の教會 は主 のお弟子 を首 に代々 絶 えず今日 に至 る迄 継続 して来 た教會 で御座 いますので、特 に『使徒 』のと謂 ふ言 を附 けましたので、尚 ほ言 を換 へて申 しますれば『使徒 の』と謂 ふ意味 は使徒 を基 とし我主 イイスス ハリストスを首 としていると謂 ふ意味 で御座 います、此事 に就 いては聖書 に詳 しく申 して御座 います。 - 『
爾 等 既 に異 民 或 は他 邦 の人 たらず、乃 諸 聖 徒 の同邦 の人 神 の家 属 なり、爾 等 は諸 使徒 と諸 預 言者 との基 に建 てられたり、イイスス ハリストスは自 ら其 隅石 なり』〔エフェス二の一九、二○〕
問 『
- 答 『
使徒 の教會 を信 ずる』とは聖 使徒 によって傳 へられた教會 の教 と聖傳 とを固 く守 って、此 に基 かざる教 を棄 つることなので御座 います、聖書 に教 へて御座 いますには『兄弟 よ、爾 等 堅 く立 ちて、我 等 の言 或 は書 を以 て教 へられし傳 を守 れ』〔フェサロニカ後書二の一五〕
問
- 答
御座 います、今日 教會 で申 しまする主教 、司 祭 、輔 祭 は使徒 の後 継者 で、彼 等 の行 ふ職 務 は使徒 の行 った職 務 と同 じもので御座 います。
問
- 答
否 左様 では御座 いません、神品 職 (神品 とは主教 、司 祭 、輔 祭 の位 を一所 に纏 めて申 す言 で御座います)を立 てた者 は矢 張 イイスス ハリストスで御座 いまして、其 一番 の基 と申 しまするものはイイスス ハリストスが聖神 を其 お弟子 にお降 しになったのが初 で御座 いまして、此時 から神様 の御 惠 は今日 迄 絶 えず神品 職 の上 に降 って居 るので御座 います、而 して此様 な恩寵 を代々 傳 へて行 きまするには神品 機 密 (此事 は後 に詳 く申 します)と申 しまする一 の儀 式 が教會 に備 って居 るので御座 います、神品 が神様 のお立 てになったものであり、其 行 ふべき務 の如何 様 のものであるかに就 いては聖書 に左 の様 に記 して御座 います。 - 『
彼 (イイスス)が與 へし者 には使徒 あり、豫 言者 あり、福音者 あり、牧師 あり、教 師 あり、聖 徒 を全 備 せしめ服務 の事 を行 ひ、ハリストスの体 を立 つ』〔エフェス四の一一、一二〕
問
- 答
総 主教 と申 しまするも府 主教 と申 しまするも大 主教 と申 しまするも皆 同 じく主教 の位 で御座 いますが、総 主教 と申 しまするのは教會 の或 廣 い区 域 の首 で御座 いますし、府 主教 と申 しまするのは、或 都 に駐 って居 る主教 を特 に名 けまする名 称 で、大 主教 と申 しまするのは主教 の内 の功労 ある人 に附 けまする名 で御座 います今日 露 国 には総 主教 は御座 いませんが其 代 り教務院 と謂 ふ府 主教 及 び大 主教 の集 る一 の会 議 が御座 いまして、其 会 議 で議 決 されたことは総 主教 の権 と同 じ力 を持 って居 るので御座 います。