軍用記

 

オープンアクセス NDLJP:3 伊勢貞丈は幕臣なり平廃と称し安斎は其の号なり父を貞益といひき幼より有職故実の研究を好み博覧強記にして最も古今の記録に精通し以てつひに一家をなせり著書頗るおほく数十種数百巻あり即ち安斎叢書安斎随筆貞丈雑記安斎漫筆安斎夜話武器考証等そのおもなるものなり光格天皇の天明四年六月に歿せり年七十

此の書は鎧下の小袖の事より筆をおこし甲冑刀劒弓矢鞍轡等に関したる製作および故実を詳述し又出陣の作法首実検の故実等に至るまで凡そ昔時の武士の心得となるべき事は細大もらすことなし貞丈の著大抵此の類の書おほし中にも此の書は千賀淵蔵が天保五年より同十四年に至るまで殆ど十年間史籍を渉猟して部類抄を編纂し其の傍この書に関する事を増補しまた図書をも挿入して出版したるものなれば記事もおのづから危雑に流れず初学者のためには最も便益なるものなり

此の書仮字づかひの誤謬は直に訂正し送仮字の不十分にして難渋を感ずる所などはおほかたに補へり又必ず誤なるべしと覚ゆる所ありたとへば平重盛の待賢門の戦を平家物語と(巻の一に)したるは平治物語のあやまりなること著く新羅三郎義元(巻の五に)とあるは義光なること論なしかゝる類は出版の際誤写せるものなるべければ直に正せり

又原本七冊毎巻図を挿入したれどもさては本文と参照せんこと頗る不便なるが如し故に今は図のみを合はせて別に一冊としたり覧者原本と異なるを見て怪しむこと勿れ

校訂者 識


オープンアクセス NDLJP:4軍用記第一

 目録      
鎧下小袖   鎧直垂
同袴   小大口
梨子打鳥帽子   引立烏帽子
折烏帽子   鉢巻
脛巾   四幅袴
 補
侍烏帽子   後三年合戦ニ見エタル折烏帽子
烏帽子集説   烏帽子掛
 

軍用記第二

 目録      
  鍬形
冑緒   面頬
  脇楯
  鳩尾板
栴檀板   小手
オープンアクセス NDLJP:5膝鎧   臑当
頬貫   上帯
鎧櫃   同覆
鎧掛御目事
 

軍用記第三

 目録      
鎧威毛大意(六ケ条) 鎧威毛定法(九ケ条)
 革威之部
緋威 黒革威 薫革威 赤革威
洗革威 節縄目 小桜威 小桜黄返
藍白地黄返 品革威 赤革黄糸
 綾威之部
唐綾威
 練緯威之部
練緯威
 糸威之部
紅梅威 黄糸感 白糸威 黒糸威
赤糸威 萠黄糸威 紫糸威 紺糸威
藤糸威 黄櫨威 褐色威 糸緋威
夘花威 沢瀉威 樫鳥威 敷目威
色々威 紫裳濃 紅裳濃 耳裳濃
紺裳濃(付惣テ裳濃ノ事) 黄櫨匂 妻匂
肩句(付惣テ匂ノ事) 肩白 妻取
腰取
 大荒目ノ部
大荒目 三枚革大荒目 金交大荒目 一枚交大荒目
 鉄胴ノ部
鉄胴カラ胴 包胴 相生相剋鎧 四姓鎧
菱縫板 威絹 離物 縫延
着長 具足 仲綱緋威ノ
昔具足当世具足 腹巻併図 胴丸併図
当世具足図 鉄胴図 腹当 鉄鉢
袖験 笠印 具足ノ守 鎧フト言詞
鎧着吉方 御鎧召次第 馬嘶其外凶兆ノ事
オープンアクセス NDLJP:6人ノ鎧ヲ見ル事 大将ノ御鎧ヲ着ス事
甲冑ノ字訓 武具ノ字用
 

軍用記第四

 目録      
太刀 尻鞘 弦袋 尖矢打刀火打袋ノ次ニ有リ
塗籠籐弓 重籐弓 火打袋
征矢 鏑矢 ユガケ
弓袋 床机 敷皮
 

軍用記第五

 目録      
矢保呂 団扇 保呂之考
勝軍木
蜻蛉結 総角
麾扇団扇使様 保呂
 

軍用記第六

 目録      
泥障
切付 力革 面懸胸懸尻懸
塩手 手綱腹帯 手縄 鞍覆
二重腹帯 馬請取渡 馬懸御目 馬乗様
馬嘶吉凶 馬五性十毛 二毛馬 馬責ト不言
鋪皮為鞍覆 旗裁縫 旗袋 旗竿
旗台 旗指 乳付旗(同折懸)
幕串 幕打様 幕出入 幕小丸付
幔幕 幕畳様 幕入唐櫃 軍道具不洗
 

軍用記第七

 目録      
出陣肴組 甲役人甲持様 上帯結直 帰陣肴組
首実検 首ノ髪結様 首持出様 首ニ酒為呑
戦場ニテ首懸御目 屋台有所ニテ首懸御目事
私宅ニテ首見 首桶 首桶ニ首入様
敵ニ首渡様 首請取様 首披露 首札付
首獄門ニ掛 首板 獄門札 首注文
着到 感状 首切様体 人ニ令切腹
オープンアクセス NDLJP:7首併成敗人ニ酒為呑肴組 寛正ノ古例 首日記付時墨研様
首ノ居様 囚人縛縄 囚人請取渡 武具陣所ニ置様
鯨波声 凱歌 保呂掛時申様 弓持参酒給様
旗竿出入 具足唐櫃出入 六具 五装束
小具足 首ヲ行器ニ入 旗竿折吉凶 弓折吉凶
馬嘶吉凶 武者詞 書状持参 御前通行
鎧着初祝 正月鎧ノ餅附軍神 正月廿日鎧ノ餅祝
オープンアクセス NDLJP:7
 
軍用記第一

伊勢貞丈著︀
千賀春城補

 
鎧下の小袖事
鎧の下に着する小袖も常の小袖に替る事なし地は貴人は綾織物平人は練貫平絹等常に同じ又夏は生絹麻布等単も袷も綿入も常のごとし又近世袖細と名付けて袖を筒のごとく細くしたるを用ふる事有り袖をほそくする事は籠手をさすに宜き故なりいづれもたけはみじかきをよしとす又いにしへ袖細と名付けしは素襖の袖の下をそぎて細くしたるをいふ是れはよろひの下に着する物にはあらず狩の時に着せし素襖なり

帯も常の帯なり替る事なし

手づな(たぶさぎの事なり)も常の如し近世はさがりの両端に緒の両方を縫付けて其の緒のわなをくびにかくる襷〈[#「襷」は底本では「欅」]〉にこしらへたるもありさがりのはづれざらんが為なり是れを用ふる事も人々のこゝろに任すべし

 
鎧直垂仕立やうの事
将軍家のひたゝれは赤地の錦なり(古代は将軍家に限らず赤地のにしきのひたゝれを用ふ参考保元物語義朝白川殿夜討の事といふ条に嫡子中務少輔重盛生年十九歳赤地の錦の直垂に沢瀉をどしのよろひに白星の兜を着云云この外梅松論平家物語義経記増鏡平治物語保元物語承久記等に見えたる文みな将軍家にかぎらず赤地のにしきを用ひたり然し大将分は十に八九は赤地の錦の直垂を着たるやうに思はる平治物語待賢門の軍の条に左衛門オープンアクセス NDLJP:8佐重盛生年廿三歳今日の軍の大将なれば赤地の錦の直垂とあり又実盛が老後のおもひでとて宗盛へのぞみし時赤地の錦のひたゝれを給ひしなれ赤地を着する事をねがひしなるべし大将赤地と限りたる事はなけれども外の色は稀なる事なり)御紋をうけて縫ふべしまた織付くるもあり裏組染むべし大将の直垂は相生の色に染むるなり裁縫の事は吉日(暦にある吉日また亥日なり)吉時(子の時より巳の時まで陽分の時)吉方(聞神又玉女の方)に向ひ柳の尺にてさし裁つべし刀を前へ引くべからず刀をさきへ裁つなりかき板同柳なり(柳を用ふる事は陽木にて勢つよきものなる故なり)直垂の上は主の器量にあるべし袖は錦のはゞを一幅をわりて二幅半づゝ両方にあるべし(錦一はゞを中より裁ちて其の半輻を一はゞと定めてそでは二幅にするなり畢竟は袖広さにしきの一はゞなり中より裁ちはなして又縫合する故布二幅ほどの幅になるなり袖二幅にては長くて悪し一幅をよしとす是れ口伝なり)同袴長ければ(袴の長さの事なり)たびの緒かくるゝ程なり腰のひだの数前に六つうしろに三つ以上九所なり袖の両方に五色の(春城云ふ啄木の糸なり)丸打の糸にてつがりを入れて袴のすそも袖口のごとくくゝりを入るべし袖口のくゝりは引通し下のぬひめどほりにて糸のもろくちを取合せぬひめのきはに一むすび一ふせ(手一束なり)置きて又一むすび二ふせ(手二束なり)置きて又一むすびふさ三寸計あるべし直垂のうしろの縫め五所穴の(丸きなり)ごとく糸を乱して菊とぢ(ふさをうちひろげて菊の花のごとくするなり)二つあるべし袴のもゝだちの縫とめ両方に三つづゞ六つ付くべし花を(きくとぢのふさの中高なる処なり)ひら(たゝきひらむるなり)鎧すれざる様にぬふべしひも又菊とぢに同じき色なり丸ぐみ三尺六寸を二つにきりて直垂のえりを上へみはりひき通してくみさきをときひろげてぬけざるやうに留むべしひもは黄糸にてむすびふさのやうに糸さきを乱すべし袴のこし白く精好うらと表錦とをいくへもをりあはせてくけて上よりけしやう縫を地の糸に相応の糸にて三はり(三針)さしに縫ふ右の袖口の糸は右より左の袖口の糸は左よりなり夏は単にしてしや(紗なり)にて仕立御紋を縫ふなり侍大将以下は布ひたゝれ家々の紋を染め付くるなりひも相生の一色丸ぐみなり平侍以下無紋かちん裏絹染むべからず左右の袖を三つわりにてあるべし仕立やう同前

鎧直垂のした膝鎧はいだての上に精好小大口の小大口あるべし小袖を着て其の上に籠手をさし諸を結びて籠手の上に直垂を着るなり本式の鎧の籠手はわだかみに附くる事なし。長さ人の器量にしたがひ膝口に着すべし腰帯(直垂の上にするこしおびなり)白布せいかうを赤くも黒くも染めて家の紋をぬふ事あり大将は白く無紋御用ひあるべし鎧直垂の上下四のくゝりは袖口の左右袴の下のくゝり左右以上四のくゝりなりくゝりあぐる事左はざばん(うでがねのことなり)の上に押上ぐるなり十二のひだを取るとは袖口を大針十二とぢてある故その袖くゝりの緒をしむればおのづから十二のひだ出来るなり其のひだを引きつくろふを十二のひだをとると云ふなり袴の十八のひだ是れに准じしるべし右は袖口に十二のひだを取りくゝりしめしかとゆひて袖口の内へおしこうべし弓懸の緒の留やうに同じ左はうでがねの一の板の上に留むる同じく袖口に十二のひだをとりくゝりをしめ緒に取合せしかとゆひて三つにくみて袖の下におし入るべし袴は膝鎧半大口を押上げて膝の上にて膝のくゝりをしめてしかと結ひてくゝりの糸三つ取りてくみて袴の内へ押入るべしひだの数後に三つ前に六つ左右に十八ひだあるやうにくゝりをよすべし其の間さきのひだはいくつ有るも不苦直垂次第大概此の分なり

 
萎烏帽子の事
     もみゑぼし鎧ひたゝれの古実今の世には公家衆をはじめ知りたる人少し貴ぶべし珍重すべし

もみゑぼしに三つの品あり一つには梨子打ゑぼし二つには引立ゑぼし三つには折ゑぼしなり  補
健保職人尽哥合烏帽子折月の題八番我が宿のゑぼうし絹をいかにせんぬるよすくなき月の頃かな 又宇治拾遺物語巻十一(第十二条)七十あまりばかりなる翁のかみのはげて白きとてもおろある頭になほくろのゑぼしを引入れてもともちひさきがいとゞすじかゞまりたるか杖にすがりてあゆむ又宮野宰相定基卿曰ふゑぼしはもと帽子なるべし昔は絹を用ひたるも候今は紙は漆にてかため候ふるきは和かにて候へは自由になり候と見えたり以上のこと以下梨子折ゑぼしをあや精好などにて作る証にすべし。
いづれも甲の下にかぶるゑぼしなり萎ゑぼしといふはゑぼしをもみて作るにあらずうすく和かにして折りてかぶりそれを又引立てなどしておのづからもめる故もみゑぼしと云ふ(或は精好を用ふ)梨子打ゑぼし地は綾なり(或は精好を用ふ)ふしがねにて(五倍子鉄漿〈[#「鉄漿」は底本では「鉄醤」]〉なり)染めうらはうすやうを二三枚重ねてオープンアクセス NDLJP:9かきを(かきしぶなり)上に引きてうるしにてぬり裏に付くるなり少しやはらかにこしらへて緒あるべからず鉢巻に付けやうあり是れは甲の下に着すべきためなり甲をとる時もとゞりのみゆるはもとゞりはなしとて(髪を乱すを云ふ)天のおそれあるによつて是れを用ふ殊に合戦のあらん日は大将軍是れを用ふ軍陣の時犬笠懸を(春城云ふ犬追物笠懸流鏑馬なり)射る事あり其の時ゑぼしの(常のゑぼしなり)代に用意あるべし返々をり様は口伝有りこれを着するは兵衛督三位なりへんぬり(是れは引立ゑぼしなり梨子打には入らぬ事なり)の事をよく心得分くべし

口伝に云ふゑぼし大小は人々の頭の寸を取りてゆるからず(ゑぼしのひたひの所へ鉢巻を少し入るゝ間其の心得をすべし)つまらぬやうに頭に合せて作るべし頭の廻りの寸二尺ならばゑぼしの高さ一尺なり(少し長くも人々の好みによるべし)何れも大小このつもりを用ふべし綾の紋何とても不定細かなる紋あるを用ふべし此の梨子打ゑぼしは表は綾うらはうるしぬりの薄やうの紙を付けてぬふなり縫めは内にありへりはうるしぬることなし表うら共にはしを折りて糸にてくけ合するなりゑぼしのうしろにゑぼしどめの緒を付くべし四寸ほどの細き組緒を二つに折りて緒のはしをゑぼしの内へ両端一寸づゝ入れて表へ見えぬ様に表裏へさし通しとぢ付くべし細糸にてとづるなり

又云ふ鉢巻に付様鉢巻を二つに折り真中の所長さ二寸(左右にて四寸ほどなり)ほどの間をゑばしのひたひの内へ入れてとぢ付くるなり表へ見えぬ様に糸にてとぢ付くべしゑばしの内へ入る分鉢巻一寸ほどはゞを入る但はちまきはひとへ(うしろにてむすぶなり)鉢巻なりうしろの方はゑぼしどめを鉢巻の上にあてゑぼしどめのわなの内よりはちまきをすくひて竹針をさして置くなり(ゑぼしに付くるはちまきの長さひたひより後へ廻して又ひたひの方へ廻してもろわなにむすばるゝぼどにすべし)鉢巻をゑぼしにとち付けずしても用ふ其の時はゑぼしを頭に引きかぶりて其の上よりはちまきをするなり後は針にてとむる同前

又云ふ折様甲をかぶる時はゑぼしを折りひらめて甲をかぶるなり其の折様はゑぼしのうしろをふかく前の方へおし入れ扨前のかたより頭の形に後へなでやりゑぼしの丸みの所は左へ折りふせておくなり

甲をぬき給ふ時は右の如く折りたるゑぼしの丸みの所を取りて立引つれば本のごとく立ゑぼしになるなり(古き物語なとに折ゑぼしを引立とあるは此の事なり折りたるを引立つるなり)

又云ふ是れを着るは兵衛督三位なりとあれども此の官位のみにあらずすべて大将のめさるゝゑぼしなり(春城云ふ大将のみに限らず親長記長享元年九月十二日朝間陰己刻計晴今日征夷大将軍従一位行権大納言朝臣義尚江州佐々木六角一枚(実名可尋)御退治()政資朝臣(鶴丸縫物鎧直垂額梨子打烏帽子)云々又高舘草に云ふむさしばう弁慶は四間所へつゝと入りいつもこのむかちんのひたゝれにみづにをしのはいだして三つ引りやうのこてさしいまだよろひは着ざりけり二尺ばかりなるうち刀を十文字にさすまゝになしうちゑぼしおつこうてしらあやたゝんではちまきにむずとしめ人々御免候へとて四間のでいより中間のらうにいでからうどにこしをかけて東にむきてぞゐたりける云々此等の類の文枚挙すべからず)

この烏帽子を梨子打といふ事衣をはるにのりをうすくやはらかにはるをなしを(ふくさはりなり)打つといふなり又うるしなどもあさとうすくぬるをなし打といふなり此のゑぼし綾をやはらかにはりうらをうるしにてこはらぬやうにあさとぬる故なし打鳥帽子と云ふなり(なし打のなしは木のみのなしにあらずなやし打といふべきを中のやの字を略してなし打といふなるべしなやすといふはやはらかにすることなり)

オープンアクセス NDLJP:10引立烏帽子引立烏帽子の事一名べんぬりともへりぬりともいふ但へりぬりとはあやまりべんぬりといふ事本なり弁塗と書きて異名なり(春城按ずるにふるき軍物語に弁塗かぶるといふ事(公家はしらず武士のかむりし事)更に所見なしみなへりぬりとあり其の一二をあげて徴とせん平家物語巻十五緒方三郎の事の条に惟能は縁塗の鳥帽子に引柿の直垂打ちかけて引かたぬいて弓の絃をさしついてゐたる所へ伊村帰り来けり云々鎗倉年中行事に公方様御発向の条に公方様左折の御縁ぬり金欄の御肩衣云々随兵日記にへりぬりは出陣の時大将又ははたさしなどきるべし同じきはちまきをすべきなり云々余枚挙するに暇あらず)

弁ぬりとは常のゑぼしなり其のあまりを上へ引立でゝきやうげんゑぼしの如くに引立てゝ拵ふべし白布をひらぐけにして中程を結ひて其のあまりをもつて緒にむすぶべし是れを籏さしも着るべし其の外軍勢も用ふべし地は烏帽子(風折ゑぼしなるべし)の大さびの如しゑばしの手をむすびてはりをけづりてうしろよりおとさぬやうにさすべし公家の口傅には中将の位に用ふ

口伝に云ふ常のゑぼしなりとは常の如くうるしぬりにするをいふなり梨子打ゑぼしは綾にて作る故引立ゑぼしをば常のゑぼしなりと云へるなり其のあまりを上へ引立つとはなし打のごとくかどを丸くすべき所を角をあまして角を引立てたる如く作るゆゑ引立ゑぼしといふなり

亦曰ふ白布をひらぐけにして中程を結ふとは白布をはゞ三分程にひらくくけてゑぼしの中程のへりに穴をあけ緒を引通し先をゆひて其のあまりを引きおろしておとがひの下にて結ぶなり

又云ふ地はゑぼしを大さびの如しとはさびと云ふはゑぼしのきめをいふなり一面あるくぼみめをいふなり風折ゑぼしなどの如く大にくぼみを付くるなり此の引立ゑぼしも甲の下にかぶる故うすくやはらかにこしらへて大さびをすべし

    大さび〈[#図は省略]〉如此〈[#図は省略]〉大方長さ一寸二分程はゞ六分ほどなり

ゑぼしの手をゆふとはうしろにゑぼしどめを付くる事なりゑぼしどめの事なし打の所にしるす如くなり

公家の口傅には中将の位用ふとは公家も甲をかぶり給ふ時は此のゑぼしを用ひらるゝなり是等の事は何官と定まりたる事もなし

或説に弁ぬりとはむかしゑぼし折る者に弁官を給はりし故弁ぬりと云ふといへりこの説心得がたし弁官といふは大政官の内の官人にて左大弁右大弁左中弁右中弁左少弁右少弁とてありゑぼし折る者等の授かる官にてはなし弁ぬりといふ子細詳ならぬ事なりたゞ引立ゑぼしの異名と心得置くべしへりぬりともいふ子細は梨子打ゑぼしもへりなし引立ゑぼしはへりをとりてぬる故へりぬりと云ふ(弁ぬりといふはへりぬりと云ふこと葉のあやまりなるべし)

地は柳さびなり折様は右へ折るべし左折は子細有り緒は萠黄のくみ糸又は黒きくみ糸又は五分まだらにて用ふべし二寸のはり三つ入るなり一つは折りかへしたる処をとづるなり一つは後のひだをとづるなり一つは入るゝ事あり侍のきるものなり但三つの針入るべしわるくすれば猿楽(さるがくの大臣ゑぼしに似るなり)の着に似たり

口伝に曰ふ折ゑぼしといふに品々あり公家衆のめさるゝ折ゑぼし風折ゑぼしなり素襖の時かぶる折ゑぼしは平オープンアクセス NDLJP:11礼の折ゑぼしなり軍陣に用ふる折ゑぼしは右の二色にはかはれり是れはもみゑぼしを折りたるなり是れも甲の下にかぶる故うすくやはらかに作るなり

又云ふ地は柳さびといふは柳の葉の形の如く細くたてにさびをするなりさびの事は引立ゑぼしの所に云へるがごとし

    柳さび〈[#図は省略]〉如此〈[#図は省略]〉大方長さ一寸九分程はゞ一分五厘ほど

又云ふ左折は子細ありと云ふは左の方へ折りたるは子細有り其の子細は大将の梨子打ゑぼしを折りて甲の下にめさるゝ時は丸みの所を左へをる故それをはゞかるなり(常に左折右折と云ふは左の方へ折りたるを右折と云ひ右の方へをりたるを左折と云ふ其の子細は左の手にて右の方へおし折る故左折と云ひ右の手にて左へをるゆへ右折といふなり軍陣のゑぼしは左へ折りたるは左をりといふ右へ折りたるは右折といふ)

針一つは入るゝ事有りといふはゑぼし留にさすなりゑぼし留にさす事前に記すに同じ針はいづれも竹針なり

折烏帽子此の折烏帽子をひき立てゝかぶる事もあり古き物語などに折ゑぼしを引立とあるはこの事なり引立つる時も後は少し押入るゝなり

前にしるしたる引立ゑばしと此の折ゑぼしと貴賤の差別はなし両品いづれなりとも好にまかせて用ふるなり梨子打の事は大将ならぬ人は用ふる事なし但侍大将迄は着るなり右三品のゑぼしは専武家軍陣に用ふるゑぼしなり公家にも軍陣の時は用ひらるゝなり今の世には武家にも知る人少し梨子打をへりぬりと覚えちがひ又三品を一つものに心得たるもあり誤なり

 
鉢巻の事
鉢巻に二品ありひとへ鉢巻半鉢巻是れなり

はたぬひとはふせぬひの事なりはたをぬふにはふせぬひにする也鉢巻は紅の絹一幅を五重に折りてくゝるなり両方の端をくけてはたぬひをこまかにしてくけをより扇にて六尺にあまるべし是れはひとへはちまきの寸尺なり但人の頭によるべし半鉢まきは一丈にあまりたるなり黒きしろき二色なり萠黄糸にてとづるなり

口伝に云ふくろきしろき二色といふは紅につゞきては黒と白とを本とするなり大将は必ず紅を用ひらる夫より以下は白にても黒にても用ふるなり其の外の色をも用ふる事は人々のこのみによるべし

 
はゞきの事
はゞきはきやはんともいふなりすねあての下にはくなり地は繻子なり又常にもゑぼし上下の時はかならず是れをはくなり赤すねの見ゆるは尾籠なり裏は絹にても布にても縫ふべしうしろにもろかゞりをするなり緒は長さ二尺五六寸許人のすねの大小によるべし
 
四幅袴の事(一名化粧袴と云ふ)
十徳はすあうの両わきを縫ひふさぎたる者なり布又は葛にてぬふなり。諸書当用抄に云ふ化粧ばかまとは四幅袴の事なり云云右の書は文明年中の書なり其の頃は四のばかまをけしやう袴と云ひしなり今時化粧待と云ふものは四幅はかまにあらず新作なり雑兵は鎧の下に四幅袴を着するなり四幅袴は布四はゞなり前二はゞうしろ二幅なり長さはひざふしあたり迄とゞく程なりまちを入るゝ事常の袴のごとし前にふたつひだありうしろに腰板なし菊とぢ二つあり色は何色にても染むべし紋はあひ引に付くる素襖のはかまのごとし軍陣に限らず常にも着るものなり侍も中間も小者も常に用ふるなり輿かきなども十徳に四幅袴を着するなり四幅袴着するやう常の袴とはかはるなり先うしろ腰をあてオープンアクセス NDLJP:12て前にてひもをゆひ扨前腰をあてゝ紐をうしろへ廻し後腰の表を引き廻し又前へとりて常のはかまの紐のごとくゆひおくなり
 
鎧直垂前 
 
 
鎧直垂袴前鎧直垂後
 
 
 鎧直垂袴後
 
侍烏帽子
 
甲ヲカフル時烏帽子ヲ折タル図梨子打ヱボシカブリタル図
 
 
梨子打ヱボシカブリタル古画
 
後三年合戦ニ見エタル折烏帽子
 
甲ヲカブル時ノ折ヨウハナシウチニ准シ知ルヘシ後三年合戦ノ絵巻物ニ見タリ
 
 
半大口前折烏帽子ノイマダヲラヌ時ノ形
 
 
ナシ打ヱボシニハ此所ヲトヂ付ル也半大口後
 
 
四幅袴後四幅袴前
 
 
脛巾ハヾキ
 
オープンアクセス NDLJP:12
 
軍用記第二

伊勢貞丈著︀
千賀春城補

 
冑の事
冑は(少しうしろ高し)なりにてもさくなり(丸し)にても椎形しひなり(少し上すぼし)にても筋かぶと星冑を本式とす四方白八方白あり四方白は前後左右筋の間に銀をはる八方白は四方の白の間々を又銀をはるなり片白といふは前か後か鉢半分銀をはるなり

冑の筋の数は廿八筋なり廿八宿をかたどるなり星の数は五つ或は七つ或は九つづ、ならぶなり大星あり小星あり金なり星白といふは銀なり

神宿かんやどり(今八幡座と云ふ)の心は筒の如くふくらみ(今はあげだまと名づけてふくらみあり)なし玉ぶちなり座は菊座三重又は五重菊の花びらすかしたると透さゞるとをまじへ一重毎に金銀赤銅色を加ふ皆花びら上へ向ふべし台座は花形(花をうつぶせにするなりいまかへり花などゝ云ふなり)葵牡丹などの形なり大にして花びら下へ向ふべし四天の座は玉ぶちしとゞめを打ち組緒の輪を少し出すなり

しのだれは前に三つ有り又四方に一つづゝも又四方に三つづゝもたるゝしのだれは劔の形なり劔にしのぎある故しのだれといふ

鉢は黒くも赤くも漆にてぬるまたぬらず鉄地をも用ふべし

オープンアクセス NDLJP:13しころは三枚又は五枚なり三枚冑五枚冑と云ふなりしころの形はまんぢう形を本式とす

鉢の下の廻りしころ付の座ありはち付の鋲あり四所又は五所に打つ金銀めつきなり

冑の威毛は鎧と同じ色なり是れを同じ毛の冑と云ふ小札毛引鎧のごとししころのすその板は鎧の草ずりのごとくうなめぬひ菱とぢ(又ひしぬひとも云ふ)有るべし菱とぢ二とほりなり吹返しは板ごとに吹きかへすべし菱とぢの板は吹きかへさぬなり裏の方外へ向きたる所は色々の花葉鳥獣の紋染め出したる染革にて包むなり革のへりは織物又は別の革にてへりをば縫ひめぎはには組をふせてへりの上に小桜の鋲を打つなり

かぶとの緒をしのびの緒と云ふは天文水禄の頃の書に見えたり本名は冑の緒なりかぶとの緒はやはらかなる組緒を心に入れ和かなる革にて包みぬひくゝむべしくけめにふせぐみあるべし長さ三尺五寸なり少し短きやうなれども高紐にかくるに能きなり三尺五寸はたかばかりの定なり冑高紐に掛くる時かぶとをぬぎてうしろへなし冑の緒を高紐にむすび付べし(補、かぶとの緒の事をしのびの緒といひ鎧の上帯の事をかざしの緒などゝ云ふ事古き書に曽て見えず近代いひならはしたる事なり古き書には皆かぶとの緒鎧の上帯とあり是れのみに限らずいろむづかしき名を付けていふ事間々有之皆近代の人のいひ出したる事なり)

かぶとの緒は鉢の内に四所又は五所乳を付け又は環を打ちて引き通すなり乳と乳との間へ渡したる緒へかけて引下して結ひ留むるなり

鉢の内うけばりは洗革又は布を糸にてさして付くるなり(補、古はかぶとにうけばりあるもありなきもありしなりうけばりなきは図のごとくかぶとのはちを布にて十文字に結ひてかぶるなり図のごとく十文字にゆひてかぶりたる体飛弾守惟久がゑがきし後三年の絵巻物にいくらも見えたり)図末にしるす

鍬形とかくはあやまりなり然れどもあまねく書き来れるなり真向の立物は龍頭獅子頭なりまた笠験をも立つるなりくはがたはくわゐと云ふ草の葉の形なりくはへと取りなして物のくゝり増すこゝろにて(春城曰ふ軍勢を加へ国郡を加へゐせいを加へなどする類めでたき事なり加増の義なり)祝の義にて古よりもちひ来れるなり(春城曰ふこんぶをよろこぶと取りなし褐色を勝色と取りなし打蚫をうちうつととりなし堅栗を勝と取りなしていはふ類にてくわゐを加へととりなす事なり)立物は皆金にてみがくべし鍬形の長さ一尺二寸但人の器量により長くも短くもすべし不定(補、ある説にくはがたはおもだかの葉の形なりおもだかは勝軍草と云ひてよろひにもおもだかをどしありかぶとにもくはがたありといふ此の説あやまりなり右の説のごとくならばおもだかの葉の形を何とてくはがたとは名付くるぞや其の名義叶はざることなり又おもだかを勝軍草といふ事たしかならず鎧におもだかをどしある故近代の人勝軍草と私に名付けしなるべし勝軍草といふ故に依りて威毛にも鍬がたにも用ふるにはあらずたとへば白膠木を勝軍木といふゆゑに依りて軍器に用ふるにはあらず軍器に用ふるゆゑ勝軍木と云ふがごとしおもだかは燕尾草と云ふ水草なり(沢瀉の二じを古よりおもだかに用ひ来れるはあやまりなり別物なり)鉄鉢の事を半首といふはとなへ違ひなり鉄鉢は冑の下にかぶるはちなり又身がるに出立つ時冑を用ひずして鉄鉢ばかりも用ふるなり半首は頭の半分ひたひをおほふ道具なり目の下のほう当をして半首をかぶれば面頬同前に成るなり)

岡本記云冑にしやくま付くる子細の事極熱抔の時冑のはちなまらせじが為なり又は白の冑にはしやぐま付くる事本なり又甲ためすは二間許あひを置くなり冑の緒とめやう両方下へ引きさげ面頬の緒たよりのかぎにかけて上へ引きあげ冑の内の前の乳と乳との間の緒へかけて又下へ引きおろしておとがひの下にてむすぶなり(図末にしるす)

 
面頬の事
オープンアクセス NDLJP:14

めんほうは額よりおとがび迄かくるなりこれ本式なり頬当は目の下よりかくるなりこれは畧儀なり面頬にすぐによだれかけを付くるなりよだれかけを付くるには染革一枚をへりをとりて鎧の射向の草ずりの太刀かけのごとくするなり(図末にしるす)

 
鎧の事
鎧の胴の板は七枚なり下四枚をかぶき胴と云ひかぶき胴より上三枚をばたてあげといふ

かぶき胴は弓手よりおし付の方迄連るなり札は毛引を本式とするなり

胴の前むな板は色々の紋ある染革にて包むなり包みやうの事は末に記すむな板の下にけしやうの板を付くるけしやうの板の事も末にしるすむな板に金物を打ちむな金物といふ末に記す

草摺の事中高く左右はひらく少しそらするなり板の数はひし縫の板ともに五枚なり菱縫の(前後のひしぬひの板なり左右をば二つにわらず)板をば中よりわりて二つにわくるなり草ずりの数は四さがりなり脇楯鎧は馬手の方合はずしてある故脇楯を以ちて馬手の方をふさぐなり依て胴に付けたる草ずりは前後左右合せて三さがりなり脇楯に付けたる草ずりを合せて四さがりなりすその板をばひしぬひの板といふ下に菱縫二とほりありひしぬひの上の方には啄木の糸にてうなめ縫をして第五の板にとぢ付くるなり菱縫の板に三所金物を打つすそ金物と云ふなり

革にて草ずりを付くるをかうもり付といふ射向の草ずりはゆるぎの糸の所に糸を用ひずして染革一枚を付くる両方の端に織物又は別の革にてへりを付くるなり此の染革の所を太刀かけといふなり糸にては太刀の金具にからみて障る事ある故ゆるぎの糸のかはりに染革を用ふるなり脇楯にもこの革あり草ずりの一の板に金物を打ちて太刀かけの革をとり付くるなり

胴の後つきかつぎの板は下をなめし皮にて作り上を色々の紋付けたる染革又おり物を以ちて包みぬひくゝむなり此のつきかつぎの板に障子の板を付け高ひもを付け袖付のしだを付くるなりつきかつぎ一名はわだかみと云ふ肩上とかくなり

胴のうしろも前と同じくおし付の板ともに板数七枚なり

障子の板はくびの骨を射らるまじき為のふせぎになり形は半月の如し是れも色々の紋ある染革にて包む事むな板などに同じ

高紐はおし付の板より付出して障子の板の外を引きわたして前のかたへ出す紐の先わなにしてこはぜを付くる

おしつけの板はむな板のごとく染革にて包むおしつけの板に金物三所打つなり押付の板の下にけしやうの板を打つむな板の下同前なり

さか板の事二の板の下に付くる三の板の上におほひかゝるなりすべて鎧の札は下の方は上に重なる物なるに此の板許上も下も上に重なるやうに付けたる故逆板といふなり此の板上は札頭にして下は一文字なり上の方には啄木の組にてうなめぬひをしておし付の板にとぢ付くる下の方は菱ぬひ二通りするなり

逆板の真中に総角付の座金物ありくわんを打ちてあげまきを付くる総角は紅の組緒にて緒びて上のわなをくわんの上より下へ出しそのわなへ惣躰をくゞらせて下ぐるなり総角の緒の長さは五尺計ふさ長さ五六寸計鎧の大小によりてはからふべし将軍家はあげまきの色むらさきなり

弓手の方に前もうしろもたてあげの分はぬひつゞけずかぶき胴の分は縫つゞくるなりたてあげの上かど両方共オープンアクセス NDLJP:15に組緒二すぢづゝ通してつなぐなりたて上の緒と云ふ

前もうしろも馬手の方の胴の下に二尺計の組緒を付くる是れを引合の緒といふ脇楯をあてゝ其の上をゆふなり革緒にてひらくくけるなり前の緒は長しうしろより前へ廻して右の脇にでむすぶなり後の緒は二尺ばかりなり(補、鎧を弓鉄炮にてためす事鉄炮にてぬけぬ鎧は弓にてぬけるなり弓にてぬけぬよろひはてつぼうにてぬけるなり其のわけは弓のせいは鉄炮よりも軽くしてはずみてぬけるなり鉄炮の勢は弓よりも重くしておしやぶりてぬけるなりおしやぶる勢とはずみたる勢との差別によりて鉄をねりきたふるに違ひあり弓にても鉄炮にてもぬけぬやうにするには甚あつくせざれば用にたゝぬなりあつくすれば甚おもくなりて着しがたし鎧を作るに疵をうけぬ用心ばかりするは臆病者のする事なり鎧はかろくしてはたらきの便りよきやうにするは勇者のする事なりとある人申したりき)

脇楯の事 鎧の胴は馬手の方あきてあり其処を脇楯をあてゝふさぐなり脇楯の形は射向の脇楯の如し惣体を染革にて包む事弦ばしりの如し上の方の中の通りに穴を一つ又は二つ又は三つあけ座金物しとゞめを打つなり此の穴へ啄木の組緒を通して結ぶなり腰の通り両方にも緒を付くる革のくけ緒なり下には草ずりを付くる射向の草ずりの如しゆるきの糸を用ひずして染革一枚を付けてゆるきの糸の替りにすること射向の草ずりのごとし染革の両方へりを付くるなり此の染革の所を矢ずりの革といふなり箙より矢をぬき出すとき糸なれば矢じりにかゝり障になるゆゑ革を付くるなり草ずりの一の板に金物三所打ちて矢ずりの革にとり付くるなり

鎧着るには先脇楯をあてゝ次に鎧をきるなり鎧の引合は脇楯の上に重なるなり又主君の御鎧を給りて着せらるる時はわい楯をばよろひの上にあつるなり是れ御鎧着の役の覚悟なり其の鎧を主君召さるゝ時先脇楯を取りて参らすべき為の用意なり

脇楯あてやうつぼの緒の両端を上とまへとのつぼの外よりうちへ通して扨其の緒の両端を一つにそろへてうしるのつぼへ内より外へ通し置きてさて脇楯をとりて脇におしあてゝうしろのつばより出でたる二筋を一つに取りてうしろを廻し左の肩の上より前へとりて前のつぼの緒のわなへ緒ひと筋通して今一筋の緒と取り合せてかたわなにゆひて三つ打のごとく組みて留むべし扨こしの緒をば前後を引廻して左の脇にてかたわなに結ひて三つ打のごとく組みて留むべし

脇楯にこしの緒なきもあり下の方は鎧の上帯にておのづからしまるゆゑ腰の緒を畧するもあり緒の結ひ様等何れも前に同じ

脇楯をあてゝ後に鎧を着るなり(図末に記す)

袖の事 大袖あり小袖あり大袖を本式とするなりかむりの板前の方は後の方よりも少し広くするなりかむりの板も染革にて包む事むな板に同じ其の下にけしやうの板あり袖の板数は七枚なりひしぬひの板金物等草摺に同じかむりの板の両方のうらに環を打ちて緒を付くる是れ袖付のくだに結ひ付くる緒なり又其の真中にも一つくわんを打ちて緒を付くる是れはじんどうの札に結ひ付くる緒なり是れをしづかの絡と云ふ第三の板の表後の端に座金物を打ちて其の環に緒一すぢ付くる是れを水のみの緒といふこれは総角の横手のわなに付くる緒なり是れは袖の前へ出でざる様にとめ置くためなりあげまきのわなに二重かけかもくゝしに結ひて緒の先を打ちかけはさみおくなり

鎧に金物打つ所の事むな板脇板総角付の板おし付の板左右の袖のかむりの板袖も草ずりも菱縫の板けしやうのオープンアクセス NDLJP:16板に座金物打つなり白銀黄金或は焼付真余等にて草木の花葉から草鳥蝶獅子龍の丸等ほり物すかしさまなり金物は二所また三所にならべ打つべしむな板はむな金物すそはすそ金物といふ

高ひも引合の諸脇楯の緒其の外所々緒を引通す所は何れもしとゞめを入れ又座金物を打つなり

むな板おし付の板脇板脇楯等のはづれのはた両袖のかむりの板のはづれははたをひねり返しをして覆輪をとるなり

革にて包む所の事 甲のふき返しまびさし鎧のつるばしりむな板障子の板押付の板脇楯けしやうの板は皆色々に紋出したる染革にて包みあるひはおり物又は別の革にて其の染かはの外廻りにへりを付け縫めぎはに組をふせ緑の上に小桜のびやう打つなりかざりの座金物は染革の上に打つなり又太刀かけ矢ずりの皮もへりを付くる処ふせ組なりびやうは打たずじんどうの札もそめ革にてつゝむへりは付けず障子の板も染革にて包む是れは上の方にへりを付くる

けしやうの板の事 むな板の下おし付の板の下袖のかむりの板の下に打つなりけしやうの板と云ふは広さ五六分の板を紋ある染革にて包み間の金物と云ふ物を打ち其の板の下のきはに白き赤き二色の綾をほそく玉縁の様に二筋ならべて付くる是れを水引といふ又りうもんともいふなりけしやうの板は横たへて一文字に打つなり

鳩尾板鳩尾の板の事 又小手輪ともいふ薄鉄にて作る上広く下は狭く長さ七寸計染革にて包み金夜輪をかくる裏に緒を付くる射向の高紐の上をおほうてむすび付くるなり高紐を切られまじき為の用ひなりせんだんの板も同じ心なり

栴檀板栴檀の板の事 袖の形のごとくにして小板かず三枚なり長さ七寸計なりうらに緒あり是れは馬手の高紐の上をおほひて結ひ付くるなり(春城云ふよろひの左右のあひ引の緒を覆ふに左右の形のかはる事何故何の利用といふ事古書に所見なし按ずるに敵に向ひて白刄をとり働く時は右の手先左のかた先へ行く事多し其の時左に付けたる板柔軟して屈伸あるせんだんの板にてはさまたげになる事あるべし又右に強直の鳩尾の板を付けては右の手先の働の防になる事あるべしされば右に鳩尾の板左にせんだんの板を用ふるに利あるべしさればとて左右強直の板にても柔軟の板にても不便なり試みてしるべし)

小手小手の事 手甲はなまづ形を本とす鉄なり手くびの所表にはくゝり緒を付くる手先の裏にはゆびかけを付くる一の板二の板の座盤ざばんは鉄にて花鳥唐草などをゑりすかして裏には革をあつる一二の板の間はくさりにてつなぐ手くびの所もくさりなり冠の板の真中にしとゞめを入れて緒を引き通し付くる是れはえりのうしろにて左右を取合せて結ぶなり又前とうしろとにも緒を付くる是れは脇下にて前後をとり合せて結ぶなり小手の家はそめ革又は織物なり小手の袋は常の小袖のたもとのごとし家に縫付くるなりへりも小手うらより革にてへりをさしつゞくるなり此の小手袋の内に衣服の袖を納るゝなり

小手は下小袖の上に直にさすなり扨小手の上に鎧直垂を着て鎧直垂の左の袖は上へまくりあげて袖くゝりをしめて小手をあらはし右は直垂の袖くゝりを手くびにてくゝりて小手はひたゝれのうちにこもりて外へあらはれ

ず(補、鎧の小袖をわだがみに付くるは悪しわだがみに付けずして小手の緒を脇の下にてゆふべし(〈左の小手の緒は右のわきの下にてゆひ右小手はひだりのわきの下にてゆふなり〉)後三年の絵の躰如此なり当世の具足は小手をわだがみに付くる故急によろひを着るにはやく着られぬなり)

膝鎧膝鎧の事 脛楯とも(はきだてをはいだてと云ふ)或は細き板金或はいため革にねり物を付け或は小札毛引にもオープンアクセス NDLJP:17するなり瓦札も用ふ(図末にしるす)

臑当臑当は大立挙を本とするなり大立学は惣体鉄を以ちて膳の骨肉の形に合せて作るなり両脇にもとをりの金物有りてひらきつすぼめつする様にしたる物なり上下に緒有り(図末にしるす)

頬貫つらぬきの事 又つなぬきとも云ふ毛沓の事なり熊の毛皮にて作る又牛馬の毛皮をも用ふ熊の毛本なり和かに皮をもみて作る故近代もみたびといひならはせり非なり足の甲のあたる所のうらに堅に細き鉄のすぢがねを三つわたしてとぢ付くる此のかねは表と裏との間にありかねを入れざるもよしある説につらぬきの毛皮の下に仁王経一部を二つに分け小き紙に黒くなる程書きかけ書きて入るといへりかやうの事は人の好によるべし法式にはあらず沓は左よりはきてぬぐ時も左よりぬぐなり緒のむすびやう緒を前へとり足くびの処にて左右を打ちちがへ両方の緒を足の裏へ廻して又上へとりあげて足の甲の上にてむすびてひねりおしかひ置くべし(つらぬきは長さ一尺二寸足のなかにゆびかけの緒あるべしへりは白銀にてするなり諸書当用抄に曰ふ平人は熊の皮大将は虎の皮にてするなりと文明随兵日記に云ふつなぬきの長さ一尺二寸表の広さ四寸二分皮は虎のかはあざらしの皮熊の皮を用ふべしと〈[#図は省略]〉春城曰ふ略儀には毛なきやはらかなるもみ皮を栗色にぬりてはく事あるか後三年の給に見えたり)(図すゑにしるす)

上帯鎧の上帯の事 白布なり長さ一丈三尺七寸二分なり但鎧の胴の太き細きによりて長くもみじかくもよろしき程にはからふべし白布をよくもみやはらかにして一幅を五重に折りくけて用ふべし胴に二重廻りて片わなにむすびてわなと端と取合せ三つ打の如く組みておしかひ置くべし結ひめは前にあるべし又云ふ胴に二重まはしてとびあがりながらしむればよくしまるなり(春城按ずるに出陣聞書に曰ふ上おびこしらへやうの事九尺五寸なり人により一丈にもするなり布は十九と云ふ布を九つにたゝみくけてさきを革にて真結にしてとむるなり布の折やう口伝なり又弓法私書に曰ふ上帯は寸法なし人のこしのふとさによりて付くるなりと)(補、古はよろひをば唐櫃に約めたり義経記に土佐房房経の討手に上る条に云ふよろひはら巻入れたる唐櫃をこもにてつゝみしめをひき熊野のはつほ物と云ふ札を付けたり云々源平盛衰記巻廿三新院厳島へ還御の条に曰ふ富士川のはたを見れば物のぐ捨てたる中に忠清と銘書たるからびつ一合あり平家物がたりに重代のきせ長唐革をからびつに入れてかゝせらる云々具足横といふは近代つくり出したる物なり)

鎧櫃鎧櫃別に式法なし唐櫃に納むるなり寸尺は鎧の大小に従ひて大くも小くも作るべし櫃の角々はきちやうめんを取るべし赤も黒も漆にてぬり家の紋付くるも付けざるも好にまかすべし足の上下にさか輪を入る緒はくみ緒なり前の方には前の字を金泥にても木漆にても書くべし又金物にしても打つべし何れにてもよし

扇鏡云から櫃のゆたんの事色はあさぎ四方に家の紋を付くるなり二幅割はゞ一つ入るなり唐物にてはせず。鎧櫃覆鎧の唐櫃の覆の事浅黄布なり我が家の紋を付くるなり唐物等は不用覆は唐櫃の足までかゝるなり足のたけほど四すみをほころばし黒皮にて菊とぢをすべし布を竪につかひてぬふべしふたの上より両脇はおし通すべしふせ縫にするなり(図末にしるす)

鎧を貴人に御目にかくるには唐櫃のふたをあふむけ胴立に甲鎧をかけて両人にて舁きて出るなり射向の方かく人は下輩馬手の方舁く人は上輩なり射向の方かく人は跡しさりに出るなり少しすぢかひになる様に出るなりさて御前より二畳ほど隔てゝ下に置きて射向の方舁きたる人は退くべし馬手の方かきたる人は居のこりてからびつのふたに手をそへて射向の方を御覧ずるやうに少しひねり向けて扨退くべし甲の緒をむすびて置くといふ説もあれどもむすばずして唯長く下げておくべきなり
オープンアクセス NDLJP:18
 
鎧の雑事
鎧の後にあげまきをむすび付けて袖の水のみの緒をあげまきにむすび付くるはそでの前へかたむき出でゝさゝはりにならぬ為にとめおくなりあげまきの一名をとんばう結といふなりとんばうといふむしはあとへしさらぬ虫なり武士のあとへしさるまじきいましめの為に用ふるなり袖の緒を水のみの緒といふ事はとんばう結にゆひ付くる緒成る故なりとんばうは水の上に遊びて尾にて水をのむものなる故なり

よろひの袖の水のみの緒をおしつけの総角にゆひ付けたる体後三年の絵に見えたる図すゑにしるす

近世は鉄を着て太刀をはかず打物と長脇指とをさす事になりたり右の打刀脇ざしさすに革にて腰当といふ物を作り緒を付けて上帯の上に引廻し結ぶなり其の腰当といふ物長さ七寸計広さ三寸計に飯びつ形にして中に十文字に細き革にてわなを二つにして其のわなへ打刀脇ざしを通してはくなり此の外色々の作り様あり右腰当と云ふ物古くは曽て無之ものなり古は太刀をはきし故こし当は用ひざるなりさやまきの刀は上帯にさしたるなり室町殿の時代の書にこし当と云ふ物あり是れは引敷の事なり(引敷は敷皮のごとく作り緒を付けてこしにあつるものなり)施行などに用ふる物なり

鎧下の装束は先大口をはきて其のうへに鐘直垂の下を(袴の事なり)はきて足を入れ捨置きてさて鎧直垂を着て扨袴の腰をとり上げて腰をむすぶなり古は常の直垂も袴の下に大口をはきたり又上は鎧直垂にて下は袴はかず大口計はく事も有りしなり太平記巻六(関東の大勢上洛の条に)我が身は(長崎四郎左衛門なり)その次に纐纈こうけつの鐙直垂に精好の大口をはらせ紫すそごのよろひに白星の五枚冑に八龍を金にて打つて付けたるを猪くびに着なし云々又同巻二(師賢登山の条に)年十五六計なる小児の(海東左近将監が子幸若丸なり)髪からわに上げたるが麴屋の筒丸に大口のそば高く取つて云々右何れも上は鎧直垂にて下は大口ばかりはきてはかまは略したり云々冑の下にゑぼしをかぶらず鎧の下に直垂を着せずして下にふんごみを着て鎧を着する事に成りたるは信長秀吉の頃よりの風俗なるべし古は軍中にも礼儀を乱さず礼服を用ひてゑぼし直垂を着しけるなり信長秀吉の頃よりして只物事簡易にして専ら利用を旨とせる故ゑばし直垂抔は無用のものにして捨てて用ひざりし成るべし鎧の胴に草ずりを付けたる所の糸をゆるぎの糸といふなり此のゆるぎの糸の所を糸を用ひずして一板革にて草ずりを胴へとり付けたるを蝠編付といふなり蝙蝠の翅は羽毛なくて皮ばかりにてつがひある故糸の毛引なくて革にてつかひをしたるをかうもり付といふなり

獅子頭の冑といふは冑のまびさしを獅子の面にこしらへたるをいふなりししの面を横平くまびさし一面に作りたるなり義家朝臣の像大塔の宮の像の古画に見えたり(まびさしのもやうなり)

龍頭の冑と云ふは真向に龍の頭を作りたるなり古き画どもに見えたり飛弾守惟久が書きたる後三年合戦の絵に義家朝臣の冑には冑の天辺てへんの上に龍をすゑ置きたる形をゑがきたり是れは龍の頭ばかりにはあらず頭尾胴四足、ともに備りて龍の全体そろひたる形たり是れは龍頭の冑とはいふべからず源家の鎧の八龍といふよろひにそひの鎧一具なる冑のかたちをゑがきし成るべし(八龍といふよろひは龍の金物を八つ鎧に打ちたるものなりといふ伝ふるなり)
 
  
 
 
臑当、頬貫ツラヌキ鉄鉢カナバチ半首ハツブリ
 
 
膝鎧前上ヲビ
 
 
唐櫃膝鎧前ウラ
 
 
後三年合戦絵巻物ノカブトヲ布ニテ十文字ニ結テカブリタル図唐櫃覆
 
 
半頬、猿頬 
 
オープンアクセス NDLJP:19
 
軍用記第三

伊勢貞丈著︀
千賀春城補

 
鎧威毛の大意
威毛といふ事おどしは敵の目をおどすを云ふなり毛といふは札を綴りたる糸のならびつらなりたるが毛をふせたるがごとくなれば毛といふなり毛引といふも同じ心なり革おどし綾威の類も同例なり

鎧のおどし毛の色目は一条院御代の書に見えたり保元平治の物語より以来代々の軍物語に色々の威毛の名見えたり(補、鎧のおどし毛といふ物の初まり詳ならず続世織物語に大内配保胤といひし博士人々の文のよしあしを評判しける事見えたり其の中に云匡衡の文を表していへる其詞に云匡衡かようはただものゝふ武士あけかはしてひおどし緋威かは詞なりしたる着てえならぬこまあしきにのりてあふさかのせきをこゆるけしきなりとぞ申ける云々保胤は一条院の御世の人也緋威是を以て考ふるに一条院の御世すでに緋おとしなどゝいふ名有りし然れば威毛の名どもは夫よりも先の御代よりありし事にこそあるべけれども其始は詳ならず(又右の文にて緋おどしは革おどしなる事をし知るべし))〈[#底本では直前に「終わり丸括弧」なし]〉

楠正成が金剛山の城の壁書に甲冑はさねよきを以てよしとす毛をこのむべからずといへりげにも扎だにかたくば合戦の用は足るべし威毛をこのむは無益の事なり然れども賤き田夫野人もよき衣服着れば少は人がらもよく見ゆるごとく弱武者も鎧のおどし毛にかざられて武者ぶりさもつよげに見ゆべしましてや強武者のはなやかに出立ちたるはいよすさまじくもいさましくも見ゆべし何れにても敵の眼を驚かし気をうばひ我が勇威をたすくるの徳あるなればこそおどし毛とはいふなれ一途に無益のことといふべからす楠が詞は札よきをえらばずしてたゞ威毛のかざりのみをいましめたる言葉なり

鎧の威毛のはなやかなるを着すは敵に目を付けられてわろしといふ説ありきたなき心なり敵にあつぱれよき武者よと目を付けねらはれんこそ武士の面目なるべけれ敵につけねらはるゝをおそろしく思はゞ戦場へ出でずして宿に居て夜具などをかぶりて伏し隠れたらんこそあぶなげもなくてあつはれよき腰ぬけ武士なるべけれ

威毛の事いふに抑此の何おどしは古何天皇或は何がし大将何がしと云ふ鎧工におどさせ何方の戦ひに勝ち給ひしより始るなどゝ其の由来を委くのべたる説いくらもあり皆正しき古書には曽て見えざる事にて私に作為したる偽説なり用ふべからず

この何といふおどしは札の形を何の形に作り何色にぬり何色の毛にておどし何色の耳糸を引くべしなどゝ札の形札の色糸の色耳糸等をとり合せておどし毛の名を立つる説多しかやうの事古は曽てなき事なり皆私の作意なる故諸説一決せざるなり

 
鎧おとし毛の定法
札の形は割小札を本式とするなりさま異形にするは略儀なり

札の色は黒漆にぬるなり是古の定式なりたま金箔にもたむなり此の外銀箔朱漆青漆其の外色々皆畧儀なり札のとぢやうは毛引にするなり是古の定式なり大荒めは格別のものなり

威毛の名目は糸威ならば其の糸の色ばかりを以て名づくるなり札は黒漆にても金箔にてもおどし毛の名は札の色形にかはる事なし革威は革の色綾威は綾の色を以て名付くるなり

オープンアクセス NDLJP:20 二色の糸にておどすを二毛といひてにげるといふに似たれは忌む人有りそれも啄木の耳糸にてわたりにならぬなり。鎧の耳糸をにほひの糸ともいふ耳糸は啄木の組を本式とするなり別毛の糸は畧儀なり耳糸に啄木の糸を用ふる事は先祖の鎧を子孫に伝へて着するにその人の性に合はぬ毛の色は鎧にても啄木にて其性にあはぬ色を乱す意なり啄木は色々の糸を組交へたる物なれば何色ともかたづかぬ故性に合はぬ色を乱す道理なり

鎧の胴の前は一面に染革にて包むなりこれを弦走つるばしりといふなり此の弦走の革は何色にてもあれ威毛の名目にはかゝはらぬなり近代の鎧には弦走なし脇楯もなし古の鎧とは替りたり近代の鎧も古のよろひに准じて威すべし(冑の眉庇吹返鎧の袖の冠の板左右の草摺の蝙蝠付等の革の色は何色にてもおどし毛にかはらず)

草摺の袖等のひし縫の糸の色も威毛の名目にかゝはらず。おどし毛の名は専ら袖と草摺にあり其故は胴の前は弦走の皮にて包むゆゑ見えずうしろの方は母羅衣ほろぎぬを掛れば見えずよく見る処は唯袖と草ずりなり依て古人威毛の名を付けたる所は専ら袖と草ずりにあり胴の色は地色に随ふなり地色とはたとへば紅すそごなれば胴をば唯うす紅の一色ばかりにするなり其の外の毛も推してしるべし鎧の高紐あげまきの緒脇楯の緒袖の水呑の緒等の色は何毛にてもあれおどし毛の名目にかゝはらぬなり

冑のおどし毛はよろひと同じ色なるを同じ毛のかぶとゝいふなり別色なるを用ふるも常の事なり冑の緒の色も威毛の名にかゝはらぬなり

右九ケ条はおどし毛の定法の正伝なり是にたがひたる説は正説にあらず左にしるす所のおどし毛の品々皆右九ケ条の趣を以て考ふべし

 
革威の部
上古のよろひは皆革を以てぬひしなり然ればかは威本とすべし後に糸威綾おどしなどは出で来しなり革威は染めたるおしかはを細く裁ちて両端を裏の方へをり或は折らずして糸威の如くおどすなりをしかはとはなめしがはの表をかんなにてけづりさりてやはらかにしたるかはをいふなりあひかは黒革ふすべ革などの類なり

緋おどしは緋色に染めたるかはにておどすなり緋は紅花にてそむるなり其の色火のもえ出るごとくなる故火威ともかくなり緋威しは革おどし本なり糸の緋威をば糸の字を付けて糸緋おどしといふなり紅威のことも緋おどしといふなり

黒革威黒革おどしといふは黒革にておどしたるなり

薫革威ふすべ革おどしといふはふすべ革にておどしたるなり

赤革威赤革おどしといふはあか革にて威すなり赤革はあかねにて染めたるかはなり緋の革よりは色黒みあり

洗革威洗革おどしは洗革にておどすなり洗かはは薄紅にてそめたるかはなり是をあらひかはといふ事は緋いろの革を

あらひはがして色うすくなりたるが如くなる故あらひがはといふなり実に洗ひたるにはあらず(補、俗説に洗革といふは水に薬を入れて革のこわらぬやうに洗ひたるを洗革と云ふ即白くやはらかくもみたるかはの事なりと云ふは誤りなり今世はそれをあらひがはともいふべけれども古書に洗ひかはとあるは其白きをし革の事にはあらずうす紅に染めたるをしかはの事なり(韋の字をしかはとよむなりかんなにてうすくして和かなるををしかはと云ふなり)革といふ物は薬を入れても水付けば必ずこわくなる物なりやはらかなるが洗革ならば何色のかはにても皆あらひかはなるべきや白きかはのみにかぎるべからず俗説用ふるにたらず笑ふべき事なりそれ洗革といふは薄紅に染めたるをしかはなりと云ふ証拠は保元物語の異本に義朝幼少の弟ども被誅条に曰三人の君達各西にむかひて手を合せ礼拝しけるぞかなしげなる是を見て五十余人の兵も皆袖をぞぬらしける其中に波多野が緋おどしのよろひの袖は洗革にやなりぬらんと見えたり(此文印板の本にてはなし)是はなく涙にて緋おどしの袖をあらひはがして色うすくなるべしといふ心なりこれうす紅オープンアクセス NDLJP:21のかはを洗かはといへば如此いひたるなり○春城曰洗章鎧平家物語同長門本盛衰記太平記平治物語参考保元武家儀式異制庭訓参考太平記等に見えたり尚部類抄にしるす)

節縄目節縄目おどしは(招縄目据索目伏縄目とも書く)ふしなはめといふそめ革にて威すなりふしなはめといふ革は白と薄青とこんのすぢをつゞら折に染めたる革なり其の革をたてに細く裁てば自らまくの手縄の如くないまぜの縄のやうに見ゆるなりさればふし縄めと云ふなり糸おどしにはふしなはめと云威はなしかはおどしにかぎりたる名なり(春城曰節縄目のよろひ盛衰記平治物語平家物語同長門本義経記太平記等にみえたり尚部類抄に記す)図末にしるす

小桜威小桜革おどし又畧して小ざくら威とも云ふなり小ざくら革といふ革にておどすなりこざくら革は藍地に白くちひさく桜の花がたを染出したる革なり糸おどしには小ざくら威といふおどし毛はなきなり革おどしばかりなり(春城曰小桜威義経記庭訓徃来異制庭訓尺素往来高舘草子赤松物語等にみえたり尚部類抄に記す)図末にしるす

小桜黄返小ざくら革を黄に返したる鎧といふは小桜革を萠黄木地にして桜の花を黄に染めたる革にて威したるをいふなり黄に返すとは右の藍地白紋の小桜革を黄に染め返すをいふ也右の如く染めかへせば地はおのづからもえぎ色になり桜は黄になるなり是又糸おどしには此名なし革おどし計なり(春城曰こざくらを黄に返したる鎧盛衰記平家物語同長門本参考保元物語等に見えたりなほ部類抄にしるす)

藍白地黄返藍地を黄に返したるよろひといふはすべて白地に藍紋ある革を右の小ざくらを黄に返したる如く染め返したる革にておどしたるをいふ是もいとおどしにはなし革おどし計なり(春城曰藍白地を黄にかへしたるよろひその着例まれなり只保元物語に其名みえたり此余の古書どもに所見なし保元物語の文部類抄にしるす又藍白地を黄にかへせば地は黄になり紋は萠木色になるなり)(諸説まぢなるゆゑ是をしるす尚詳に部類抄に記す

品革威品革おどし又此奈革威とも書くなり源平盛衰記印板の本に此奈革おとしを紫奈かは威と書きたるは非也紫の字は此奈の二字をあやまりて写したる也品革は藍地に白く歯朶の葉を二枚むかひ合せ本の方をうちちがへて形丸く両方より向ひ合せたる紋をしげく染たる革なり依之歯朶革といふなり(又支名革四名革紫名革などゝ書くいづれも用ふべからず)しだかはなれ共しだかはといひにくき故しながはといふなりたとなは五音相通する故なりしながはと云ふ詞に付きて品の字を仮り用ひ又此奈ともかく也(春城曰しながはおどし平治物語盛衰記平家物語長門本尺素往来等にみえたり尚部類抄にしるす)

赤革黄糸赤革黄革の鎧と云ふは赤革と黄革を以て一段一段に色を違へ又は上と下と色を違へておどしたる也糸と革とを以ておどす事赤革黄糸のみに限らず何糸にても有るべきなり(春城曰赤かは黄糸のよろひ庭訓徃来に見えたり部類抄にくはしくしるす)〈[#底本では直前に「終わり丸括弧」なし]〉

紫革威藍革威ふすべかはおどし黒革威などは各そのおどしたる革を以て威毛の名をよぶ故別の子細なしくはしくはしるすに及ばず

右のふし縄め小ざくら品革等のおどし毛は皆かはおどしなり然るを近世しらぬ人は糸おどしの名なりとおもひあやまりしかのみならずいろの糸おどしを新作してしひて其名に合せんとしてさまこしらへ出だしたる偽説多し惑ふべからず末に記す所の革の絵図は古き鎧の威毛を見てしるすなり私の作意にはあらず(春城曰紫革威藍革威ふすベ革黒革威其の出所多ければこゝに其の書名を畧す部類抄それの部にて参考すべし)

オープンアクセス NDLJP:22
 
綾威の部
唐綾おどしといふは唐土より渡りたる綾を細くたちたゝみ重ねて糸威のごとくおどすなり色は品々あるべし何色の唐綾威といふべし萠黄の唐綾をふとくたゝみておどしたる鎧など旧記にも見えたり糸威にからあやおどしといふ名はなきなりこれはしれたる事なれども心得たがひあるゆゑしるしおくなり
 
練緯威の部
練緯はいまのあゞらのしめなり練緯威は練緯を厚く細くたゝみ重ねておどすなり何色の練緯威といふべし色は様々好みによるべし練緯は経は生糸にぬきは練糸にておりたる故練緯といふなり(練貫ともかけども之れはわろし)糸威に練緯おどしといふ名はなきなり
 
糸威の部
紅梅威白糸威黒糸威赤糸威萠黄糸威紫糸威紺糸威紅梅威黄糸おどし白糸威黒糸威赤糸威萠黄糸おどし紫糸威紺糸威等は別の子細なし各其色の糸にておどしたるなり(春城曰右品々の糸おどしの鎧其の出所多ければ書銘を畧す部類抄それの部にて見合すべし)

藤糸威藤威といふはふじ色糸おどしなりうす紫の糸にて威すなり藤色糸おどしといふは長くていびにくきゆゑ略して藤色おどしといふなり萠黄糸威を略して萠黄おどしといひ小ざくらがはおどしを畧して小ざくらおどしと云ふ類皆同例なり(春城曰東鑑義貞記に見えたりなほ部類抄にしるす)

百首御歌
   順徳院
ひとめ見しとをちの村のはしられて秋風ぞふく
黄櫨威黄櫨はじ威と云ふははじ色の糸にて威す也はじ色は黄色に赤みさしたる色なり黄櫨の二字をはじとよむなりはじのじもみぢ又も木一色ははぜの木とも葉も枝も漆の木に似たり秋の末に霜にあへば葉色黄色に赤みさしたる色になる也後には紅になる也和歌にはじもみぢとよむは此事なり初のほど黄に赤みさしたる葉色を似せて染むるをはじ色と云なり文応二年毎日一首の中
 民部卿為家
ありま山しらるゝ峯のときは木にひとり秋しるはじ紅葉かな右のうた夫木集に見ゆ
(春城曰黄櫨威といふ名目古書に所見なしはじ匂は平治物語太平記平家物語長門本等にみえたりなほ部類抄にしるす)

褐色威褐色おどしはかち色の糸にて威すなりかち色ともかつ色共いふ故勝といふ事にとりなして軍陣に専ら用ふるなりかちん色といふはあやまり也褐色は藍をこくして紺よりも猶こく黒くなりたるを云也古歌に そめてほすしがまのかちを見るよりもぬれて色こき我が思ひかな又我恋はしかま餝磨かちにあらねどもあひそめてこそこさはりしとなり扨此の色をかち色といふ事は古異国より褐布とて毛おりの布を渡しけるその布の色に似たれば褐色と名付けたりとぞ申し伝ふる也(補、褐といふ色の事西土の書には何色にても黒色を着たる色を何褐色と云ふたとへば鳶色をば赤褐色あいみある茶をば青褐色きがら茶をば黄褐色と云ふ皆黒色を着たる色なり北方にて紺糸のふかくして黒くなりたるを褐(かち色又かつ色又かちん色とも云ふ)と云ふは黒き故たゞ褐とばかり云ふなり真に黒といはずして褐と云ふは真の黒にあらざるゆゑなり西土の例によらば紺褐といふべきなり藍褐といふべからず藍褐といへばあらにびと云ふ色になる浅青に少し黒みあり鉛いろなり青鈍色は凶者のきる凶服の色なり鈍色をにび色とよむたゞにび色とばかりいふはねづみ色の事なり○春城曰褐色威の鎧古人の着例希なり随兵日記に褐色威の事見えたりなほ部類抄にしるす)

糸緋威糸緋おどしは緋色の糸にておどすなり前にいふ如く緋は紅花にて染むるなり緋威は前にしるすごとく革威本なり革の緋威にまぎれぬ為に糸の字を付けて糸緋おどしといふなり赤糸おどしは茜染の糸なる故緋おどしのごとく花やがならず黒みあり此差別をしるべし(春城曰緋威のよろひ参考保元志田草子高舘草子等に見えたりなほオープンアクセス NDLJP:23部類抄にしるす)

夘花威卯の花おどしは白糸と萠黄糸にて威すなり白は花の色萠木は葉の色なり上は白糸を用ひ袖草ずりの下二段をもえぎにて威すなり(春城曰卯花威の鎧義経記太平記保元物語随兵日記文正記増鏡庭訓往来同異制庭訓尺素往来高舘草子矢島草子等に見えたり尚部類抄にしるす)

沢瀉威沢瀉威は二色の糸を以ておどすなり一色は地色にして一色はおもだかの葉のごとく三岐の形を袖草ずりに威すなり地色も三岐の形も何色と定りたる事はなし何色をも用ふべし胴は地色にするなり逆沢瀉おどしは右の三岐の形をさかさまに威したる也(春城曰おもだかおどしの鎧保元物語平治物語等に見えたり尚部類抄にしるす)図末に記す樫鳥威樫烏威はかし鳥の羽色を似せて威すなりかし鳥は大さひえどり程も有るべし頭の毛青くして黒きまだらのふあり羽色は青くるり色にて黒き班の文ありはなだ色は花色のことなり背の色はくり色なり其羽青くるり色に黒班ありてうつくしきを似せてはなた色の糸に黒糸をまだらに組みまぜたる糸を以て威す也(此間に図有之末に記す)といふ説あり右の説慥ならずといへどもしばらく爰にしるすかしどりは古歌にもよめり夫木集巻二十永久四年 百首俊頼朝臣 なつそ夏麻ひくうな上山のしひしばにかし鳥なきつ夕あさり求食してとよめりかしとりおどしの樫どりの字鴷鵊につきて樫鳥の二字を用ふる事俗用には和らかにてよし(按ずるに樫鳥威はたゞ花田色威なるべし黒糸をくみまぜに及ばざるべし花田色の糸に黒塗りの札交ふる故かし鳥の羽に似るなり花田色糸おどしといふはむづかしきゆゑかしどり威といふなるべし○春城曰樫鳥おどしの鎧太平記尺素往来等に見えたりなほ部類抄にしるす) 数目威敷目おどしは二色の糸を以て袖草ずりにすぢかひにしきりめを立て色をかへておどす也白と紅なれば紅の敷目の鎧などゝ云ふ也此外も推して知るべししめかぎりめといふ事を畧してしきりめといふ又しきりめを畧してしきめと云ふ也さればしきめとはト限間と書くべき事なれ共其詞につきて敷めと書き来れるなり(図末にしるす) 色々威色々おどしは色々おどしによりて後人五音おどしをしん作したるなるべし五音威の名古記に見えたり五色併に間色を幾色も集めておどしたるなり色の数も定りなし色の順も定りなし只色を奪はざるやうにくばるなり白と黄赤と紫と青と萠黄と黒と紺糸等を並ぶれはたがひに色をうばひてあざやかならず色をうばはぬやうに糸くばりをすべし胴も色々なり(春城曰色々威の鎧参考太平記に見えたりなほ部類抄にしるす)

紫裳濃紫裳濃は(すそごの字末濃座滋などゝも書く)胴は薄紫なり袖草摺は上は薄紫中は中紫下は本紫なりすそほど色濃きなり(一説に上を紫にしてすそを紺にするといふは誤なり又裳紐と書く説あり是用をふべからず○春城曰紫裳濃のよろひ平治物語同参考平家物語同長門本義経記盛衰記太平記鎌倉大草紙星移集異制庭訓等にみえたり尚部類抄にしるす)紅裳濃紅裳濃は胴は薄紅(もゝいろ)なり袖草摺は薄紅中は中紅下は本紅なりすそほど色こきなり(一説に袖を紅にしてすそを紫におどすといふ説はあやまりなり不之○春城曰紅裳濃の鎧東鑑太平記平治物語等に見えたり尚部類抄にしるす)

耳裳濃はた裳濃は(耳座滋とも書く)耳は袖草摺の堅か両端なり耳を裳渡の如くするを云ふ色は何色にても両の耳を段々に濃くするなり(真中は薄色なり○春城曰耳裳濃の鎧盛衰記に見えたり尚部類抄に記す)

紺裳濃紺裳濃は胴は花田色なり袖草摺は上ははなだ色中は濃花田色(こきはな色なり)下はこんなり此外何色のすそごも皆上は色薄く中ほどは少しこく下は大に濃色を用ひて威すべし○又上は浅黄色中ははなだ色下は紺色なり

すそ濃は何色にても有るべし何れも上をば色薄くしてすそをばこくするなり一説にすそごは紫すそご紅すそごオープンアクセス NDLJP:24の二つに限る事なりといふはあやまりなり何色にても有る事なり古書を見てしるべきなり

黄櫨匂黄櫨はじ匂の鎧といふは上をはじ色の糸にして(はじ色の事前にしるす)袖草摺の末を黄色にして又其次を薄黄色に威すなり(春城曰はじにほひの鎧平治物語太平記平家長門本盛衰記尺素住来参考太平記等に見えたり尚部類抄にしるす)

萠木匂は上をもえ黄色にして袖草ずりの末を薄萠黄にして又其の次を上よりなほうすきもえぎいろにするなり(春城曰萠木匂鎧盛衰記平家長門本等に見えたり尚部類抄にしるす)

妻匂妻匂といふはつまとは袖草摺の両端をいふなり袖草摺の両端を色薄くおどすなり是も惣を濃き色にして袖草ずりの両端をばうす色にして其の外をば猶又薄色にするをいふなり

肩句肩匂といふは袖の上の方を匂におどすなり袖の下の方をば濃き色にして上より二段めをば中色にして又上の一段をば薄色にするなり何色にても肩匂はあるべし肩句の肩の字かたとはよまずわたとよむなり肩白と書きてわた白とよみ肩上と書きてわたがみとよむ皆同例なり

何句と云ふと耳糸を匂の糸と云ふとは別事なり耳未の事と思ふへからず肩匂妻匂といふ類すべて匂といふは沈香たき物杯の匂の意なり物の香はほのとかほりて末々は段々にうすくなる物なり刀の焼刄にもにほひといふ事あり焼刄の所に虹の如く見えてほのと色薄くなりたる所をにほひといふ又女房の眉を作るにも黛にて上の方を丸く色こくして下をば薄くちらすなり其下の方のうすくちりたる所をにほひといふなり鎧のおどし毛の匂といふも同じ意なり何色にてもあれ惣体をこき色にして末に至りては中色にして(濃と薄の間の色なり)其の次をば薄色にするなり何いろも同じ

肩白肩白といふは何色の威毛にてもあれ袖の上二段を白くするをいふなりたとへば赤威肩白と云は赤威は惣体を茜染の糸にておどし袖も赤威にして袖の上二段ばかりを白糸にておどすなり

妻取妻取は妻とは袖草摺の両端を云ふ取とは色どりといふ事なり袖草ずりの両端を別色の糸四すぢほどならべて覆輪をとりたる様に色どるなり何色のおどしにもつまとりをすべし好みにまかすべし旧記に白糸にてつまとりたる鎧などゝあるは此事なりつまとりといふを耳糸を引きたる事といふ説は誤なりつまどりの鎧に耳糸は啄木を用ふるなり

腰取こし取は草ずりのゆるぎの糸を別色にするをいふ也是もとるといふは色どりと云ふを畧して取ると計いふ也妻とりのとりも同じ事なり後成恩寺殿一条摂政兼良公の尺素往来に鎧の事書きたまひし文は或は取或は取と見えたるは此の事なり

右威毛の名は皆奮記に見えたり右の外氷魚威五音威威麾毛鎧雪日威などを始としてさまの名有りて其の説もまちなり何れも旧記に見えざる名目なればとにるたらず

 
大荒目之部
大あらめ今すがけといふに同じ大荒目といふはおどし毛の名にはあらず札のとぢやうの名なり大あらめは札を小札にせず札の頭をたゞすぐに切りたるばかりなり大あらめといふ事は大あら間なり(まとめ五音通ずる故大あらまを大あらめと云ふ)札をとぢるに大にあらく間を置きてとづるなり大あらめといへばとて小荒目といふ事なし

三枚革大荒目三枚革の大荒目といふは札を作るにいため革三枚重ねて厚くして綴ぢたるをいふ也(大荒めは常のよろひよりはあつく重き故大強力の勇士着せしなり)

金交大荒目金まぜの大荒めといふはいため革二枚の間へ鉄の板金を壱枚まぜて綴ぢたるをいふ也(黒革威の大あらめといオープンアクセス NDLJP:25ふはくろ革にておどしたるなりかはにても糸にてもとづべし)

一枚交大荒目一枚まぜの大荒めと云ふも右の金まぜの大あらめの事なり(春城曰大荒目の鎧太平記庭訓往来平家長門本志田草子盛衰記参考保元義経記保元物語等に見えたり尚部類抄にしるす)

 
鉄胴の部
かな胴といふは鎧にはあらず鉄を打のべて胴を作りたる物なり袖も草ずりもなし胴ばかり作りてうるしにてぬるなり之をかなどうと云ふ又から胴と云ふなり袖も草ずりもなく胴ばかりなる故から胴とも云ふなるべし旧記に見るにかな胴は何れも勇力の武者鎧の下に重ねて着する物なり力量よわき者はかなふべからず(図末に記す)

包胴包胴といふは右の鉄胴を純子繻子或は染革にて包みたるなり包胴といふを鎧の胴をつゝむことと心得たる説ありあやまりなり

右包胴以上古記に見えたる名目なり古記にも見えざる名目多し一向用ふるに足らず(春城曰金胴種々あり四枚胴四枚金胴桶皮胴空胴赤地純子にて包みたる金胴などゝいふ名目古記に見えたり尚部類抄に記す)

 
相生相剋の鎧
相生は我が為に吉なり相剋は我が為に凶なり人の五性によりて吉凶あり

相生の威毛は木性(水生木)の人は黒(水ノ色) 火性(木生火)の人は青(木ノ色)

土性(火生土)人は赤(火ノ色) 金性(土生金)の人は黄(土ノ色)  水性(金生水)の人は白(金色)

 何れも吉なり

相剋の威毛は木性(金剋木)の人は白(金の色) 火性(水剋火)の人は黒(水の色)

土性(木剋土)の人は青(木の色)金性(火剋金)の人は赤(火の色) 水性(土剋水)の人は黄(土の色)

 何れも凶なり

吉凶右のごとく申しならはしたれども深く吉凶になつまざるをよしとするなり相生の鎧を着したりとも忠義を

忘れ武勇をはげまずば必わざはひをのがるべからず

 
四性の鎧
源氏は黒色平氏は紫色藤原氏は萠黄橘氏は黄色を用ふ是れは清和天皇の御時関白良房公勅命をうけたまはりて如此定め給ふともいふ又一説には村上天皇の御時天暦年中定められしとも云ふ此両説ともに世に申し習はしたるのみにて正しき記録古書には曽て見えざる事なれば用ふるに足らざる事なり四性の鎧とて定まりたることはなき事なり
 
雑記
菱縫板冑のしころ面類のよだりかけ鎧の袖草ずりせんだんの板などの終の板をばひし縫の板といふ具足のつじといふはひしをわろくゆひたるもつじなり又小桜の鎧にて革の紋に有る獅子の目をうちつぶしたるもつじなり菱縫ある故なりひしぬひの板をば何れも黒く塗るなりおし付のさか板も菱縫あり黒糸なり

威絹鎧のうらを包む織物をばおどしぎぬともうけ裏ともいふなり革にて包むをもおどしぎぬといふなり(うけうら当世具足にあり正式古制のよろひにはうけうらなし)

離物離物といふ事胴の威毛と袖のおどし毛の色ちがひたるを云ふなり

縫延縫延といふは鎧の胴の射向のわきをてうつがひにしたる物出で来しより後古の鎧の如く射向の脇てうつがひなオープンアクセス NDLJP:26くしてのべ付けなるをぬひのべといふなり

着長よろひをきせ長といふ事大将の御鎧にかざりたる事なりといふは非なり平侍のをもきせ長といふなり大将のをば御の字を添へて御きせ長と云ふなりきせ長とは鎧の異名なり胴丸腹巻などはたけ短し鎧は草ずり長き故着長といふなり着脊長といふはわろし又腹巻の事を着長と覚えたる人あり誤りなり(春城曰着背長と書く事俗説にあらず腹巻腹当などは背の方に合する故腹の方より当てきるなりよろひは背の方よりきるゆゑきせ長といふなりされば大将のよろひばかりきせながといふは僻言なり後三年合戦記に我着たるきせながをぬぎのり馬どもを国府へやるとあり是諸卒のよろひの事をきせ長といふなり)

具足具足といふもよろひの事なり具足とは惣て物を取りそろへたるを具足といふ也射手具足楽器のぐそく仏前の三具足などゝいふも取揃へるをいふなり具はそなはるといふ字なり足はたれりといふ字なり物のとり揃ひかけめなきをぐそくといふなり軍陣の具足といふ事なり一説に大将のをよろひといひ平侍のを具足と云ふ又一説に昔のをよろひといひ当世のを具足といふ説あり此の両説何れも非なり鎌倉年中行事に御鎧(白糸)是モ被管ヒクワン中ノ宿老両人シテ持テ出ル時役人出向テ上手ウハテキンスル人御具足ノ右ノ方ヲ受取と有り是古より鎧ともぐそくともいひたる証拠なり大将平侍の差別なし昔今の分別なき事をしるべし

伊勢武者は皆ひおどしの鎧着て宇治の網代にかゝりける哉といふ歌平家物語に見えたり此歌源平盛衰記には作者誰ともなし又伊勢武者といふ五文字を白児党とあり又末の七字のかゝりぬる哉と云ふをかゝりける哉とあり白児党は伊勢の国白児といふ所の人々なり昔平家の軍兵緋威の鎧着て宇治川をながれしを見て伊豆守仲網(源三位頼政の子)がよみし歌なり宇治川に氷魚といふ魚あるに事よせて緋おどしをよめる歌なり此歌によりて後人氷魚威といふ威毛を作り出せり仲綱緋威ノ仲綱が歌は緋おどしなり氷魚(此名目古記に無之近代の新作なり)威にはあらず

昔具足当世具足昔具足当世ぐそくといふ事むかしぐそくは前にしるし末に絵図にあらはせし鎧の事なり当世のぐそくといふは腹巻胴丸などの形のごとく脇楯を用ひずして右の脇にて引合せ弦ばしり障子の板せんだんのいた鳩尾板逆板などもなく草ずり七枚下り胴を二つにわるやうにして甲も吹返しなきもあり近代のよろひの小ぐそくの中に脇引と云ふ物ありわきの下をふさぐ物なり古はなき物にしてをく病道具なりこの外当世はをく病道ぐの新作多かるべし吹返しあるも又少し是は応仁年中の大乱久しく打つゞきたる比より鎧の作り様も人々の好みにまかせて作りし程によろひに昔なかりしがつたり請筒再拝付のくわんえり廻りかた当などゝいふ物を作りそへ鎧に昔ありし弦走障子板その外の物をも省きすてたるによりて昔鎧にかはりたりと申し傅へたり弓馬故実記にぐそくを人の見んとあらん時持ちて出る事当世のぐそくなどならばわだがみを提けて見せ申すべしと云々此書応仁以後の書なる故当世の具足といへるなるべし当世具足図わだかみをさげて見せ申すべしと云ふ事昔のわだがみやはらかなる故さげてもちがたし当世のぐそくはわだがみかたき故提けて見するといふ心なり図末に記す

春城曰或説に腹巻にはわいだてありきせ長にはせ板ありといふ此説甚あやまりなり着背は常の鎧也わいだてを用ふるなりはら巻はせにて合する故背板有り又背板ををく病の板と云ふ人有り甚悪き名なりせいたと云ふべし古はら巻にせいたは無之腹巻併図腹巻の事是は背にて合するなり合せめに脊板をあてず引合するやうに作りたるもあり袖無之近代は袖あるもあり又障子板鳩尾坂せんだんの板弦ばしりなどもなし草摺は前後左右合せて七枚あり小札毛引等の事はよろひの如し古代此腹巻を直垂狩衣などの下に着したるを下腹巻といひしなり下はらまきといふ物別には無之また直垂かり衣等の上に着するを上はら巻と云ふ(春城云はら巻東鑑下学集室町殿日記参考保元参考平治参考太平記随兵日記光源院殿記明月記万躾方次第等に見えたり上腹巻下腹巻おどし毛等の事部類抄にしるす)図末にし

胴丸併図胴丸の事又筒丸ともかく胴をかこみたる体丸く竹の筒のごとし是は右の脇にて合するなり脇楯なし又障子の板弦走りせんだんの板鳩尾の板などもなしわだがみの上に相引の緒を覆ふ物を杏葉の形にして付くるなり袖もあオープンアクセス NDLJP:27り草ずりは前後合せて八枚あり小札毛引其の外鎧のごとし

胴の事胴丸は札の一段々をあがきにするなり鎧のごとくかたくはなし(春城曰筒九盛衰記下学集庭訓往来今川往来等に見えたり同威毛の事部類抄にしるす)図末にしるす

 
腹当の事
腹当は鎧腹巻等を着せずして身軽に出立つ時に用ふるなり鉄鉢頭には鉄鉢を被るなり又人の心によりてよろひの下に着する事もあり腹当は牛皮にねりものを付けて長くしてすがけにとづるなり赤くも黒くもぬるなりわだがみも細し前より左右のわきへひき廻しうしろにてこはぜにてかけ下の緒を結ぶなり

腹当の事を下はら巻といふ人有り非也下はら巻といふは直垂かり衣などの下にはら巻を着する事をいふなり下腹巻といふ物別にあるにあらず又腹当の事にてもなし(春城曰はら当盛衰記庭訓往来下学集太平記明徳記万躾方等に見えたり尚部類抄にしるす)図末に記す

 
袖験の事
岡本記に曰袖しるしの付様一の板にうらの方に三所の緒を帯する如くに結ぶなりいつれも毛をかけてうらへ引き通すなり袖じるしは絹を二つに折りて中を裁つべし長さは袖一たけにすべし何も折めすそぬひは表(包む心なり)になすべし普通には絹を四に折りて裁つべし長さは袖一たけに袖の札二板だけにする也袖に付くるには袖の毛を数へて真中より一つ前へよせて付くるなりそでじるしは射向に神明八幡大ぼさつといさゝか前へよせてかくべし口伝に曰袖じるしの色は其の大将のこのみに随ふべし文字をかき神名仏名或は紋等を書く事も大将の好みにまかすべし戦入り乱れたる時に敵身方を見分くべき為の袖験なれば定法あるべからず定法ある時は敵も其定法を用ひ身方も用ふる時は袖じるしのかひなかるべし笠じるしも是に同じ意なり袖じるし笠しるしは諸軍勢一様にするなり大将は錦などを用ひらるゝとも書き付る文字又は紋などは諸軍勢と同じかるべし笠注又同じ甲には笠じるし左右の袖には袖じるしを付くる事何方を見ても敵味方のわかち有りてまぎれざらしめんが為なり(図末にしるす)
 
笠注の事
笠じるしは絹一はゞ也すそぬひを表へなすべし手は組にても又ごめんがはをほそく拵へても結ぶべし手の間三寸八分竿竹にても又は針(鉄をほそくうつなり)かねにてもする也大将の家の紋付くるなり大将は錦又は精好をも用ひらるゝなり長さは一尺三寸なり

口伝に曰笠じるしに紋を書くのみに限らず何にても大将の心にまかすべし又笠じるし真向に立てざる時は冑のうしろ笠じるしの環に付くるなり此の時は竿を用ひざるなり

笠じるし竿長さ一尺七寸なり(春城曰日本紀東鑑盛衰記太平記梅松論参考太平記寝覚記承久記長禄記文正記大橋暦代記出陣聞書明徳記難太平記岡本記平治物語北条五代記義経記等に見えたり尚部類抄にしるす)図末にしるす

中笠しるしの事絹二はゞを旗縫にぬふべし上下にくゝりなく上に細く竹を削り入る下のくゝりには細き組を入れて風に前へ吹き廻されぬやうに組の端を冑の吹返しの内へつる緒あり其の緒に付くるなり家の紋あるべし長さは一尺三寸なり竿の長さ一尺七寸なり

右の竿は鉄にて作るべし一本立の竿は風雨の時とほり見えわかざる間末の図の如く三立を用ふるなり小笠印の事長さ一尺三寸はたはり九寸ぬるての木を削り入れて錦にて包み藍革にて縫ひくゝむべし手も藍かはなり

オープンアクセス NDLJP:28右銘文錦の時は文金銀精好の時は黒字を用ふるなり勧請の下家の紋有るべし小笠注これなり(図末にしるす)

竿一尺七寸性のよき竹を削りてすべし藍革ひとへとんぼうにむすぶなり(図末に記す)

右の竿は前に記したる如く三本立の竿を用ふる也竿の頭三わりたる所巾一尺笠注のすその当る通り七寸也

笠注付くる事ゆひめの先を両方を端へなすなり中の緒は射向の方へなすなり進む義なり

口伝に曰右の笠じるしの銘文七星九曜日輪廿八宿梵天帝釈摩利支天に限りたる定法にあらず敵身方を見分くべき為の笠じるしなれば銘文又は紋等の事は大将の心に任せ何なりとも用ひらるべし色の事も定まらず好に任すべし袖験も笠注も諸軍勢一様にすべし

具足ノ守具足の守の事一ばんに左の袖にまん字を書くなり

まん字はマン此字なり摩利支天の字なり二番に胸板にはばん字をかくなりばん字はバン此字なり大日の字なり三番に右の袖にきりく字を書くなりきりく字はキリク此字なり阿弥陀(又大威徳明王)の字なり次にをし付にまん字をかくなり次にをし付の方よりてへん天辺(頭の上をいふ)に一字こんろん金輪を書くなりホロヲン 是金輪なり大日の字なり次に面よりまつこうに不動の咒をかくなりカンマン是不動の字なり(此守を書くべき共書くまじきとも人々の心次第なり)

同勧請の事左の袖にへい矢を置き御幣を持ちて左より打ち秡〈[#「秡」はママ。「祓」と同じ意。後文同じ]〉ひ申す事三度也伊勢大神宮八幡大菩薩を勧請申す也次に右の袖氏神を勧請申す也一番冑勧請押付の方より梵天帝釈四大天王七星九曜二十八宿を勧請申すなり次に冑と矢と幣とを持せてはうかう座して外師ゲシ子の印は置き被甲ヒカウ次に中臣ナカトミの秡を申し右より三度打ちはらひ弾指三つして送り奉るなり又甲の加持の時被甲護身の印の咒なり(この勧請を行ふべきとも行ふまじきとも人々の心次第なり)

ほろ付は笠じるしのくはんの所なり本名は笠じるしのくわんせいふほろ付と云ふはとなへ誤りなり具足の守の事摩利支天と書きて一字づゝきりて摩の字は胄のほろ付の下に付け利の字は射向の袖に付け支の字は馬手の袖に付け天の字は馬に付くるなり錦にて縫ひくゝむべし(此守も付くべきとも付くまじき共人々のこゝろ次第なり)

鎧フト言詞よろひを着する事をよろふと云ふ事古よりある詞なりある説に矢を負はざるものはよろふとはいふべからずぐそく着するとも物のぐするともいふべし云々此説非なり矢を負はずとも鎧着するをばよろふともいふ也(具足着る物のぐするといふ事矢を負ふ時にもいふべし何も矢にかゝはらぬ事なり○春城曰保元物語に武者所以下甲冑をよろひ弓矢をたいすとありあやしげなる男あるひは甲冑をよろふたる兵とあり又平治物語に甲冑をよろひゆみ箭を帯する者もなかりしかば云々曽我物語に後陣のけいごの武士はかつちうをよろひ弓矢をたいする随兵は上下につがひと云々右之文にて矢を負ふ負はざるにかゝはらざる事を参考すべし)〈[#底本では直前に「終わり丸括弧」なし]〉

鎧着吉方鎧きる時吉方の事聞神の方へ向ふべし其日より三つめの方なり貞丈曰悪日悪方も我心にかくれば凶となるかゝらざれば凶とならずされども諸軍勢の内に心にかくる人もあり諸人の為に大将は悪日悪方をいむべし子の日は子丑寅とかぞへて寅の方は聞神の方なりもし北の方又は鬼門の方か其年のふさがりの方などにあたらば玉女の方に向ふべし其日より九つめなり子の日は子丑寅卯辰巳午未申とかぞへて申の方は玉女の方なり若俄なら何方も打置きて南か東又は氏神の方へ向ふべし北はいむべし

  
 
御鎧召す次第の事(同時彫刻義家朝臣よろひ着用伝を参考すべし)
オープンアクセス NDLJP:29
第一 手綱(たぶさぎの事なり) 第二 小袖
第三 下の帯(下の帯とは小袖の上にする帯なりしやうぞくの下になる故なり)
第四 脛巾(きやはんなり) 第五 鉢巻
第六 ゑぼし 第七 小手(小手の上にさすなり先左次に右)
第八 すね当(先左次右) 第九 ゆがけ(先左次右)
第十 袴(よろひひたゝれの下なりいまだよろひ直垂は着せず先左足次に右足)
第十一 ひざ鎧(先左足次右足) 第十二 小大口(ひざよろひの上に着るなり)
第十三 鎧直垂 第十四 直垂の腰帯
第十五 直垂の袖くゝり絞る(先左次右) 第十六 脇楯
第十七 鐙 第十八 鎧の上帯
第十九 つらぬき(先左次右) 第二十 刀(さや巻なり)
第廿一 太刀(併弦袋) 第廿二 征矢(箙を負ふなり箙の上おひをいふ)
第廿三 ほう当(よたりがけ別にはなれたらばつぎによだりかけ懸くべし)
第廿四 弓 第廿五 かぶと

母雑絹を懸くべきならば征矢を負うて後かくべし

扇をばよろひの引合せにさし又は高紐にむすび付くべし

鞭は馬に乗りて後膝楯のむぢさしのつぼへ横たへさし置くべし箙にもむぢさす事あれども是はかけがへのためなり又は厩の者の腰にさゝせたるもよし是むぢさしの役と云ふ

鎧着用の次第諸説あれども次第乱れたるあり或は小ぐそくのもれたるもあり用ひがたし右のおもむきを用ふべし右の次第をもつて常に着なれざればこん雑して着用にひまどる事ありよろひを手はやく着る事も武芸の一つなり

大将出陣の時は出ぢんの祝あり式の看にて三献参りて御祝あり此の時甲冑を着して床机にこしをかけて三献参るなり祝終りて打立ちぬる時中門にて太刀はき征矢負ひ給ふ事有る也御かぶとをば人に持たせる事なり是は緩々と出陣の時の事なり

大将軍出陣の時簇さし座敷に出る跡に御冑の役人御冑を弓手に置きて左の膝をつきて吹返しより後の方の緒に右の手をかけて鉢の内へ左の手を入れていかにもやすくとくべし其後御前に参りて馬に乗るべしふるまひは御はた竿と同前かりそめにも馬を右の方へまはすべからず後を見るべからず

御冑を大将に着せ申す事馬をよせ冑の緒をときて左の手に鉢をもたせ右の手にてしのびの緒を一すぢとりて参らせ候大将弓をわきにはさみ右の手をば弦の間を内に入れてきるはよし又冑の役人弓矢を帯したるは弓を右へ

取り直し腕にぬき入れて冑を参りて候但所によりて弓手馬手いづれも用ふる事有り弓を持たずば馬鎮箭かぶらやを一手さすべし是は御前にて色々の悪事咒ふ事あり

馬嘶其外凶兆ノ事口伝に曰出陣の時馬いばへ又跡しさり其外色々のいまはしき事ある時かぶら矢を持ちて軍神を祈念し箭の先にてくじを切るなり如此すれば障難なしと云々

人ノ鎧ヲ見ル事人の鎧を見せらるゝ時は先前を見其次に射向の袖を見次に右の袖を見て扨もどりて前より冑を見るべし又前をオープンアクセス NDLJP:30見て次に冑扨射向次に右の方如此にも見るべしうしろをば見る事有るべからず其主押付を見よと申さるれば馬手のわきより総角を見るべし扨ほむる詞は近頃かたき物にて候ともあつぱれ御鎧に候とも云ふべし其外物をいふべからずよろひをば廻りては見ぬ物なり冑ばかり見る時も三方をみるべしほめやう同前

大将ノ御鎧ヲ着ス事大将の御よろひを着して御供仕る時は脇楯をば鎧の外にあて着すべし常には脇楯は鎧の内に当て着する物なれども大将の御よろひ着する時は右の如くするなり其故はもし大将其鎧召されんと有る時は先一番にわいだてを取りてめさせ申すべきが為に鎧の外にわいだてを当つるなり是れ故実なり是れは御鎧着の役人の覚悟なり

甲冑ノ字訓甲冑の字の事甲はよろひなり冑はかぶとなり東鑑にも右のごとく用ひたり源平盛衰記其外にも右の通りに用ひたり源平盛衰記其外の諸書には多く甲かぶと冑をよろひと用ひたり甚誤りなり甲士甲兵などいふ時は甲の一字にてかぶと共鎧とも兼ねて云ふ詞也武具ノ字用武具の文字近代色々の文字を書きかへて其文字に付きて色々の邪説を設けて偽を述ぶる事はやるなり惑ふべからず冑の腰は腰の字を用ふべきに去死こしと書きかへけしやう板は仮粧板と書くべきに驚勝板と書きかへたる類甚多し只やすらかに義理聞ゆる字を用ふべし色々の異字を講釈して漸々に義理の聞ゆるやうなることは皆近代の人の新作にて人を迷す者也用ふべからず物によりて文字の知らざる物はかな書にして置くべしみだりに文字を付くるは悪し

 
フシナワメノ革ノ図、品革ノ図、同黄ニ返シタル革ノ図、小ザクラ革の図 
 
 
腹巻前シキメノ図、カシトリ威ノ糸ノ図、ヲモカタオドシノ図、サカヲモタカノ図
 
 
胴丸腹巻後
 
 
当世具足後当世具足前
 
鉄胴図
 
腹当之図鉄胴
 
 
笠注中笠注
 
 
鎧之図中笠注、竿
 
 
袖、キウビノ板中笠注、竿
 
 
センダンノ板
 
オープンアクセス NDLJP:30
 
軍用記第四

伊勢貞丈著︀
千賀春城補

 
太刀の事
貞丈曰四姓に柄糸の色を定めしば何人の所為が正しき書には見えずもちふべからず

軍陣には糸巻(是を今時さやまきの太刀と云ふはあやまりなりさやまきとは刀の名なり)の太刀を帯せらる柄糸は源氏は黒平氏は紫藤原氏は萠黄橘氏は黄を用ふ云々然れ共それにかゝはらず何色を用ふるも人々の好みに任するなり糸は平組にても又は琴の糸にても巻くなり又わたり巻も同色の糸なり(又兵庫鎖いか物作をも用ふべし)

糸巻の太刀と云々刄劒問答に曰糸巻太刀は今も世に鞘巻の太刀といふ物にて候糸巻の太刀といふ事は本式太刀の柄をば糸にてまかぬ物なり公家に帯せられ候太刀も品々有之候へ、共柄を巻く事無之候武家にて帯し候白太刀黒太刀と申すも柄をまく事無之候然れども糸巻太刀は軍陣に帯し候太刀にて有之候間柄を巻き候なり柄をまく事は手たまり有りて宜き故巻き候なり依之糸巻の太刀と申し候古足利公方の糸巻の御太刀は何れもさや袋に入候赤うるしも黒きも有之柄は琴の糸にてかなぐなり金ぐ目貫丸の内相を焼付にするはゞき金なりつばふくりんなし又まき糸こんあさぎもありおびとりの浅黄の布にてあしあひの所はかんたうにて包むいくふりも此作りなりし由宗悟一冊に見えたり云々貞丈翁の説に糸にて巻きたるを糸巻の太刀と云ひ革にて巻きたるを革巻の太刀と云ふ惣名巻太刀なり巻太刀は武士の太刀なり公家には是を用ひず又近世糸巻太刀をさや巻太刀とオープンアクセス NDLJP:31いふは誤りなり鞘巻といふは腰刀なり又今世糸巻太刀を陰の太刀といふも誤りなり太刀に陰陽は無之又兵庫鎖と云々(貞丈曰古禁中に兵庫寮と云ふ役所ありしなり武具を作りて納めおかるるなりその蔵を兵庫といふなり其兵庫寮にて武具の奉行する役人を兵庫頭兵庫助兵庫允なとゝいふなり其兵庫寮には甲冑刀劒をはじめすべて武具を作る職人を召しおきて武具を作らしむるなり兵庫鎖の太刀も兵庫にて作りたる也兵庫にて作るは上手にて細工よき故賞翫して兵庫鎖といふなり然る故兵庫にて作らぬも細工よきを兵庫鎖といふなり)

(刄劔問答に云いか物作りも兵庫鎖に似て少し違ひあり諸聞書条々に曰太刀にいかものつくりといふ事をば今の世に是をしらず鹿の皮の尻さやかけて足は兵庫鎖に七足なり柄の甲金も常よりは甲高きなり武者のはく太刀なり云々兵庫鎖に七足とは兵庫鎖のごとく銀の鎖を付くるを云ふ七足とは足に鎖を七筋づゝ付くを云ふ也渡辺宗冬いか物作りの古図を見せたりし其図のおもむき柄鞘ともに銀ののし付けなりかぶとかねふとく長しすぢがねあり中にはゞ広きしめがねめぬきは家の紋なり柄頭にあなあり銀のくさりを通す鎖のうでぬきなり鎖の端細長く先ふとき金を露に付くるさやは兵庫鎖の如しあしの所も同じくわんありくわんに鎖を七すぢつゝ付けておびとりを通すおびとりは鎖にあらず菖蒲革なり鹿の皮のしりさやかけるよし見えたり)

金具は地を赤銅にしてなのこ(魚の子なゝ子のこと)をうちへりを金にして家の紋を付くる又家の紋の外何にても好みにまかすべし

かぶとこしもとかね石づきあし芝引もゝよせしめがねに至るまで金具の紋等みな一やうにあるべし

柄糸の下にはきんらんにて巻くべし大将軍はにしきにて巻くなり

目貫の形家の紋又は何にても好みに任すべし目ぬきは表うら両方同じへりに打つなり目貫のしんをふとくして則目針に用ひ候なり但しさしうらより打つなりさし表の目貫は目貫穴をおほひふさぐなり

鍔は葵鍔(葵の葉を四つ合せたる形なり)なり金覆りんあるべし赤銅なり

大せつぱ二枚は鍔より少し小さし形はつばの形なり是も赤銅になのこを打ち家の紋をちらす又は何にてもちらし付くる紋は金なりふくりん有り

小せつぱ四つ其の内二つは金二つは銀如此色を替ふべし

さゝらせつぱは赤銅たるべし小せつぱと色をかゆるなりさゝらせつぱは大さ小せつぱに同じあつさは小せつぱを四枚重ねたるほどの厚さにして廻りに堅に五六厘ほどづゝのふとさに菊座のごとくきざみめを付くるなりさゝらせつぱは金銀の小せつぱの間に重ぬるなり

わたり巻の巻糸の下も柄と同じく金蘭錦等にて巻くなり

鞘は金のすりこ地又は黒ぬり又朱ぬりまたはなめし革を着せて包むも好みに任すべし(右のこしらへ定法にもあらず猶ひとの好みに任すべし)

鞘袋の事将軍の御太刀は何れも鞘袋に入れらるゝさや袋とは錦を金ぐの上よりきせて堅く縫ひくゝむなりしりざやの事にはあらずおびとりはかんとう又は雪の下又は布何れも細くたゝみくけて用ふるなり又啄木(たくぼくの時は足間にあたる所を黒革にてぬひくゝむなり)の組緒も用ふ将軍家にはかんとう又は浅黄の布を用ひられしなりかんどうも雪の下も唐より渡りたるおり物の名なり

太刀の寸尺は定法なし其の人の力量によりて長きも知きも有るべし我か力量よりも短きを用ふる事古法なり

うてぬきの事藍革又は黒革を細くくけて用ふるなり柄の猿手の両方のすき間へ通し柄を持ちてうでに緒を廻しオープンアクセス NDLJP:32よきほどの所にて刀の下緒むすぶごとく両方一つに一結し余りは三寸計残しきるべし(図末にしるす)

太刀はかせ申す様おびとりを両方共に鎧の上帯の間へ上より下へとほし其の端を足間へ引いだして二の足の方はうしろへ廻し一の足の方は前へ廻して右脇にて結びて其の余りを三つ打の如く組みておしかひ置くべし上帯に足間の所当る也少し前さがりに太刀を付くるなり(図末にしるす)尻さやの皮は鹿の皮通例也行縢鞍覆あをりの類すへて毛皮を用ふるに足利殿の御代には虎豹の皮は将軍家吉良殿三職の外は不之熊の皮は弾正の官人ならでは不之也尻さやも其の通りなるべし尻ざや品々あり部類抄にくはしくしるす尻鞘尻鞘の事是は太刀のさや日にてらし雨露にぬるれば太刀の刄のさびるゆゑ尻さやを用ふるなり大将は豹虎の皮其次は熊の皮鹿の皮をも用ふべし尻少しふとく袋にぬひて用ふる也太刀を帯して後石つきの方より入れて緒をは二の足にかけて結ぶべし(図末にしるす)

弦袋絃袋は太刀の帯とりに付くるなり丸く革にて作る端の所を二重にして其の間に緒をまく也丸き穴あり五六分ばかりの細き革を通し輪に縫ふなり太刀の足間に通すなり(図末にしるす)

火打袋火打袋の事是も太刀に付くるなり織物を丸く経六七寸にしてつがりをして緒を通すなり火打がま火打石火口を入るゝなり又薬等をも入るべし口の緒をしめて太刀の一の足の根にゆひ付くべし太刀に火打袋付くる事は日本武の尊のはじめ給ひし事なり日本武尊東夷退治の時御姨大倭姫の命へ御暇ごひに参り給ひし時大倭姫の命天の叢雲の劔に火打袋付けて参らせしと申し伝ふるなり(常には火打袋を腰刀(さや巻の事なり)に付くるなり殿中又は式正の時は刀に火打袋を付くる事なしと旧記に見えたり)図末にしるす

武雑記に曰御前又ははれの時火打袋をさげ候事若き人はあるまじく候四十以上は御案内申上ぐるに不及提可申候但病者などは薬を入れ候間若き人も御案内申上候てさげ候はん歟(貞丈曰御前とは公方様の御前へ出づる時也○晴の時とは行義をたゝす時なり○火打袋は火うちがま火打石ほくちなどを入るる袋なり此のふくろは太刀刀に付くる物也これは軍陣又は旅行夜道等の用心のためなり然る間御前又ははれなる時には入用なき物なる故さげ候事は有るまじきなり火打袋の抜やうは織物等を丸く切りてさし渡し六七寸計にして裏を付けぬひてへりに糸にてかゞりを付け緒を通してひきしむるなり今のきんちやくといふものは此の火打袋を習ひたる物也○ 御案内申上るとは病身なる故さげ申度よし申し上くる也○春城曰火打袋とあり部類抄にしるす就て見るべし)

 
刀の事
刀はさや巻ともいふ又腰刀ともこしの物とも云ふ又さう巻ともいふ長さ六七寸より八九寸迄なり常に帯するには柄を巻かずしてはなし目貫なり軍陣には柄をまくなり又まかぬも人の好みによるべし鍔はなきものなり小刀かうがいをさす小刀の柄にはくわんを付くるなり此の腰刀は敵をくみふせたる時首をかく刀なりまた組打の時によろひのすき間をさし通すなり小刀の柄に環を付くる事は敵の首を取りたる時小刀の環に緒を付けて首のきり口より唇の方へ緒を通し首をつなく時の針にする為なり又かうがいは髪かきなりゑばしをかぶりかぶとをかぶる故人のいきこもりてかゆくなるものなり其とき手にてはかゝれずかうがいにてかくなり笄すぐにてとゝかぬ所は少しおしまげてかくなり依てこうかひをば鉄にて作らずして赤銅にて作るなりまがりやすき故なり此の外にも先のとがりたる物なる故それ相応の所用多し

此の刀を帯するやう是も鎧の上帯の間にさして下緒を小尻の方に一巻まきて一むすびして置くなり小尻をば弦巻の穴へ通すべし下ざやに巻きて帯する故さや巻といふなり如此鞘に巻く子細はこの刀みじかき者故ぬかんとする時わろくすればさやともにぬけ来る間その為に鞘にさけ緒を巻き結びて鞘をば腰に留めて置く也上帯は此の刀の上を引き廻す也(補春城按ずるに腰刀又腰の物と云ふとさうまき又鞘巻といふ物一物同名にあらざる歟オープンアクセス NDLJP:33諸書当用抄にいはく具足の上にさやまきの刀さゝぬ事なりと云々貞丈翁此の本文注してさや巻の刀は六寸より八九寸迄の刄にてさやには葛などを巻きたる様にきざみめありつばを入れずつかをまかざるものなりつかをまかぬ故手だまりなければ具足の上にさゝぬ事なり云々此の説を正とするときは下緒をさやに巻く故の名にあらざる事をしるへし(尚部類抄委しく記す)図末に記すゑぼしがたのさや巻と云ふは柄頭を風折ゑぼしの頂のごとくかどをたてたるを云ふ)〈[#底本では直前に「終わり丸括弧」なし]〉

えび鞘巻といふは鞘をも海老の殻のごとくきざみめを付けて朱塗にするなり是には必飛喜女下緒を付くるなり飛喜女下緒はひきめの革とて黒き革に赤くわらびての様なる形を書きたるを下緒にするなり(小尻は海老の腰をかゞめたる形にして尾の形をも作るかゞめに緒を下けて丈まねぎといふなり)

鞘巻をちひさ刀とも云ふなり是は打刀に対して云ふ詞なり打刀は長き物なる故さやまきをばちひさ刀といふなり

 
打刀の事
打刀は鍔刀とも云ふ也雑兵太刀を帯する事なし打刀を帯するなり打刀長さは人の力量によるべし但我が力量より短きを用ふる事古法なり鞘には太刀の芝引のごとく筋金を入るべし常の打刀は筋金なし鍔のすかしに革緒を通してうでぬきにするなり

打刀帯する様下緒の一方をくりかたの所に一巻まとひて一結ひし又は一方を五寸ほどのけて又一巻まとひ一結びすれば太刀のおびとりの様になるなり右のごとくして鎧の上おびに搦み付けて右脇にて結ぶ事太刀を帯する時のごとくみねの方を上へなほすべし(図末に記す)

近代革にて腰当といふ物を作り夫に打刀腰指をさして固め置く故打刀をぬくにぬきにくし打刀も太刀の如くぶださげてさせばぬげよき也太刀をおびとりてぶら下ぐるはぬきよきか故なり常には将軍家をはじめ諸侍打刀をば人に持たせらるゝ也帯する物にあらず軍陣には雑兵は是を帯するなり常には中間小者も打刀たいする事なし貴賤共に常にはさや巻ばかり帯するなり(蜷川記曰下緒の寸法同じく色の事是も寸法などは無之候何色も不苦候由紫などはいかゞに候はんなど申方も候云々貞丈曰人々の手の寸にて五尺五寸にしてよし春城按ずるに人々の手の寸にて五尺五寸とは弓馬三冊に曰弓矢鞭行縢にはおのが高ばかりにて寸尺を定むるなり手にて寸の取りやうありと云々)図末に記す

 
弓の事弓矢古実作法部類抄に委しく記す故爰に畧

大将は重籐の弓を持ちたもふなり重籐は箙にそふ弓なり将軍家持ちたまふ弓なる間平人は斟酌すべし平人はぬりごめ籐の弓持つべし又本重籐とてにぎり下を重籐にしてにぎりより上をニ一所籐にしたるも平人は斟酌すべし大将のもちたまふ弓なり

塗籠籐弓重籐の弓の事黒くぬりて籐を白くつかふなり籐の長さ一寸計間を五分計置きてつかふべし両方のかぶら籐はせんだん巻にすべし上下のせんだんまき矢ずり籐をのぞいて籐かず三十三なり後世に至りて矢すり重籐うら重籐かふら重籐そのさまの名あり古くなき事なり一説に曰にぎりより上籐数三十六なりにぎり下籐数二十八是三十六禽二十八宿をかたどるといへりまた一説に上は籐数廿八にぎりの下三十六籐数有るべしにぎりの下三十六籐は地の三十六禽にぎり上二十八籐は天の二十八宿をかたどるといへりにぎりの下は愛染明王の咒摩利支天の咒をうすやうに書きて巻きて其の上を赤地のにしきにて巻きて紫革にて握りを十五にまくべし黒革にても巻くべし黒革は平人の義なり云々

すべて弓に巻く籐は本名は萪籐くわとうといふなり口伝に曰重籐とは籐をしげくつかふ故の名也籐の数は上より下迄廿八にも三十六にも三十三にもつかふべし数は物にかたどるべし廿八は廿八宿卅六は卅六禽三十三は観音の三十三身なり又愛染摩利支天の咒を書き入る事オープンアクセス NDLJP:34も人の好みによるべし弓は咒をいれずとも悪魔をしりぞけ怨敵を亡す徳は本より備はりてあるものなり

平人はぬりご籐めを用ふるなり黒くぬりうらはず本はず矢ずり此の三所に籐を白くつかふべし其の間を二三ケ所ばかり籐をつかふ事は心に任すべし定法有るべからず

軍陣に持つ弓こしらへやう木竹をよく撰み其の力を試みて薄き革を生漆に少し小麦の粉をまぜてそれにてうらはずより本はずまですくとほしにきせてよくほしからし其上をから糸のふときをもつてひたと漆を付けて巻き能くほすべし扨布などきせるは悪しいくへんもぬりてからし砥石にてすこし上をとぎて高き所を平にして扨其上ぬり(花ぬりうるしに油えんを交へてぬる也)を黒くして重籐にも三所籐にも籐をまくべし如此拵ふれば雨露にあひてもくるふことなくはなるゝ事もなし大事の秘伝なり(図末にしるす)

弦はせきづるを懸くべしせきづるは射しめたる弦をこしらへるなりしめのせき弦といふは是なり拵様射しめたる弦をこしらふるなり弦をはりくすねを引き唐糸にて巻き柿渋を引き生漆にてぬりかたむるなり(図末にしるす)

 
征矢の事
征矢は箙にさす矢なり数は廿五二十十六なりこのうちとがり矢二つ有るべし

おひ征矢のからはよはず(筈を別に竹にて入れず直に其の箟のうらをえりて筈にする也)なりのごひ篦にしてふしかげをとるべきともとるまじきともまゝたるべし白箟にはこしらへざるなり

征矢の羽はきりふを付くる也将軍の羽なり平人は何をも付くべしかすをうすべうなど可然なり鷹の羽は征矢には付けまじきなり

征矢のはぎやうの事ふしはおつとりのふし本とすべしいくふし篦とは不定但おつとりのふしすけぶし篦中のふし以上三ふし篦然るべきなりおつとりのふしの在る所は本はぎの下の巻とめより一束ばかり間を置いておつとりのふしをおくべし少しのあがりさがりは苦しからずはきめ筈巻黒うるしたるべしくつ巻も黒かるべしくつまきふたつふせねだ巻一つぶせなり

根は丸根本なり根の先あまりに丸ければ箙にさされぬなり根の大小は弓の力により又人の好みによるべし丸根とは柳葉などのごとく中にしのぎをたてずして少し丸みを付くるなり(しのぎの所を丸くするなりしのぎなきなり)図末にしるす

とがり矢の事一手の物なり羽は的矢の如く一つは内向一つは外向たるべし筈はよはず也ふしはおつとりを本とすべしいくふし篦とは定らず但おつとりすけぶし篦中三ふしの可然はずまきうらはぎ本はぎくつ巻黒漆たるべしねだまきはえり糸にて巻きて赤染にぬるべし是迄は何も征矢にかはるまじきなりはぎやうは四立なり羽は鷹の羽なり小羽は山鳥の引尾なり小羽をもうらはぎ迄通す也羽中にてとむるはわろし(図末にしるす)征矢劔尻尖矢などの矢音を語るにはひやうつばと射てといふ也はづしたる時はひやうすつとはづしてと云ふ也

鏑矢かぶら矢の事箙には二つさしうつぼには一つさすなりかぶらのからはさわしにもするのこひ箟にも是等は略儀也筈はふしはずなりこしまきにうるしをたむるなり羽はたかの羽なり小羽には雉子の尾をも付くるなりめとりをとり同事なりかぶらのからにかぎり二つふせ長くするなり大事の物射る矢なる故矢柄をよくひかん為常の矢柄の所を巻きてそのしるしとするなり是を矢つか巻といふなり

合戦の始矢入のかぶら矢の羽は山鳥鳶かぶらの長さ三ふせなり鹿の角にてくりて三方にぬたを残す此かぶらにかりまたをすげるなりくつまき二つぶオープンアクセス NDLJP:35せねだまきは一つぶせよりは長く巻きたるがよき也形は瓶子の形也中を高く矢先の方へ五巻くつ巻の方へ七巻たるべし烏鷺ヤクマこの五ツの羽を用ふると通例也八鶴と云はくまだかの羽に八の字の文あるをいふなり白羽に黒き八の字の形あり赤漆にぬるべしかぶらのからは白箟本也ふしは羽中を賞すべし幾ふしとは定らず但三ふし然るべし羽中のふしを本にしてすげぶしとも四節五節にもするくるしからずかりまたの寸法定まらず弓の力によるべし

 
箙の事
箙(ぬりえびらなり)は桑又はしほじなどの木にて上ひらき下すぼに作るべし板の厚さ四分なりさかつらの箙を式正の箙共云なりこしらへ様別書にあり角々は六七厘ほどづゝ高くほり上にして地をして黒くぬるなり背板は角々を丸くして黒くぬらず手は鉄なり太さ二分五厘厚さ一分ほどなり細き籐をまくほうだても同じ事なり根緒うけ緒かけ緒矢たばね皆菖蒲皮なりさかつらの箙はむちをもさすなり軍中記にあり矢がらみはいため革にて縫ひくゝむ矢くばりは竹を薄くひらくしてならべあみて編目の上は地をして四角にぬるはたては細組糸なり色不定底に露おとしのあなあり角にて二重の菊座しとゞめを入れ又角二つ出す是も角にて二重の菊座を入る手を脇板にさしこむ所外より角のびやうを打つなり板の所はみな赤うるしにぬるなり赤うるしとは外の色を交へずうるしばかりなり(図末にしるす)

右の寸法は大なる箙なり此の積りにてちひさくもするなり本文の箙の負様
少し有相違歟猶有口伝然し是も古き一説なりさかつらの服はおふ弓矢の脇の下は前へ取りそれを右の肩へかけて結ぶなり

箙に矢のさし様矢数は五々廿五四五二十四四十六とかく数を重にして四角になるやうにすべしその内とがり矢二つかぶら矢二つ其の外は皆征矢也廿五さす時左の図の如し余は是に淮じさすべし(図末にしるす)えびらをおふべきやう馬手の脇の後におし当てかけ緒を弓手の脇の下より前へとりうけ緒を右の肩の上よりかけて前へ引きおろしうけ緒のわなへかけ緒を通して結ぶなり底の角をば上おひの間へさすなり箙負に口伝あり本文に記せしはひまどりてあしゝえひらを馬手のわき少しうしろにおしあてかけ緒を弓手の肩の上よりかけて前へ引おろしうけをのわなへかけをゝとほして片わなにむすひ先を三ツ組に打ちてはさみおくなり矢をぬき出す度にえびらを前へくりよせては悪し兼て心得て居り後のわきへ手をやり矢をぬくべし此せつを用ふべきなり本文のせつはまはりどほにて悪し矢をぬき出す時には角をはづして緒をゆりこし箙を前の方へくりよせて矢を見分けてぬく也負ふ時は背板を我身につけておふなり太刀をはく時箙を負ふなり

 
弓袋の事
弓袋にははづし弓を入るるなり袋の地は布なり古は十九と云ふ布を用ひたれども後世なき布なる間只うつくしき布を用ふるなり

色の事こい浅黄なり軍陣には大将軍は白布無紋を用ひらる其外はこい浅黄に染め白く紋を付くる一方に紋五づゝ両方合せて十なり

長さは弓のたけにくらべて上下一尺二寸づゝあますべしはらは布を竪に二つに折りて一方二寸五分又は三寸づゝなり

縫様の事弓の長さほどの間はふせ縫にするなり上下ともに一尺二寸ほころばすべし端をばかたびらのすそぬひのごとくぬふべし

上一尺二寸あまる分をうつたれといふ弓の裏筈の上のへりに十二のひだを取りて其所の折めの方にけしよう革を付け下の一尺二寸あまる分をくゝりあましと云ふ此方にはひだをとらず本はずの下通りをおしよせて三尺計の赤組の緒にてむすぶなり

けしよう革はしやうぶ革とごめん革なり長さ二尺四寸はゞ一寸二分なりさきをけんさきにきりしやうぶ革を上ごめん革を下に重ね中に刀めを入れ其の穴へ一方をくゞらせてはゞ二分計の黒革にて袋の折めの方弓のうらはずの上通りへゆひ付くるなり

きくとぢは上下のほころばしのとまりに一つつゝ中三ところに縫ひめの上にとぢ付くるなり

オープンアクセス NDLJP:36けしやう革を付け弓を入れ下をくゝりたる形末にしるす 補(春城曰貞丈翁著述の書所々に弓袋の説あれども寸尺一决せず即弓袋引目袋の式と題したる古書を伝来せり此の書のおもむき愚意に符合せり依之弓袋の式の文其の儘左に抄出す)

 
弓袋幕目袋の式

弓袋の事地は布なり十九といふ布を用ふべし然れども後世なき布なる間只うつくしき布を用ふべし(地の厚き布を用ふべし単なり)

袋長さの事弓にくらべてうらはずより上余る分一尺二寸本はずより下余る分も一尺二寸なりはゝは二寸五分又は三寸なり布をたてに二つに折りてぬふなり寸尺はたかばかりの定めなり

袋染やうの事こい浅黄なり紋五つ付くる両方にて紋十なり紋の大さは袋のはゞに随ひて相応にすべし紋の色は白し公方様も御旅などの時は色浅黄なり軍陣などの時は大将軍のはしろ布なるべし

縫様の事ふせぬひなりうらはず本はずよりあまる分一尺二寸の内一尺ほころばすべし端はかたびらのすその如くぬふなり又うらはずの方は縫ひふさぎもするなり好みに任すべし

うらはずより上余る分をうつたれといふ本はずより下余る分をくゝりあましと云ふ

ひだをとる事うらはずの方に十二のひたを取る也本はずの方にはひだをとらずひだは片々に六つひだつゝなり

菊とぢの事うつたれとくゝりあましをのけて弓のたけの分を三つに折りて二所のをりめに菊とぢを付くる也又上下のほころばしたるきはにも一つゝ付くる以上四所なりきくとぢの革は黒かはなり広さ五分結びて長さ一寸五分計なり左前にならぬやうに結ぶべし

けしやう革の事装束革ともいふうらはずの頭のあたるへりに付くる也しやうぶ革上ごめん革を下に重ねて付く革の広さ一寸二分計先をけん先に切るべし長さは二尺四寸なり二つに折りて一方へたるゝ分一尺二寸うつたれと同じ長さなりたかばかりの定なりごめんがはとは正平革の事なり

けしやう革の事しやうぶ革ごめん革を重ねて二つに折て折めをたてに刀めを入れて其穴の内へけんさきの方を一つくゞらせ引出してそのもじれたる所を袋にあてゝほそき黒かはにてゆひ付くるなり

化粧革の事ごめん草なき時はにしき革を代りに用ふべしにしき革とは紫地に白く小紋を出したるかはなり一名をおもてがはとも云ふなり又ごめんがは計又黒革をも用ふる也但畧儀なりごめんかははかき色に白くもんを出したるかはなり

けしやう革は袋の折めの方に付けきくとぢはぬひめの方に付くるなり化しやう革をゆひ付くる緒は黒革也はゞ二分計長さ一尺五六寸計なり結びて後あまりは切捨つべしゆひ付やう結やうあり結ひあまり二寸ほど輪の所銭の丸さより大し

本はずの方のくゝり緒長さたかばかりにて三尺但ふさ共にふさ長さ二寸計ふとさは細き矢寛ほどなり色は紅なり緒のまん中を下のほころひの上のぬひめの所に乳を付けて緒を引きとほし置くべし弓を袋に入れて三巻まきてもろわなに結ぶなり

弓を袋に入るには外竹をぬひめの方へなして入るべし弓袋持つ時も縫ひめの方を肩にあてにぎりより四五寸下を持つべし

オープンアクセス NDLJP:37弓ぶくろにははづし弓を入るゝなり

弓をふくろより出し入るには本はずの方の口より出し入るるなりしやうぞくがはの方はとく事あるべからず(図末にしるす)

弓袋のひだかたに六つづゝ両方合せて十二なり両方対になるやうにひだをとるべし右は右へひだをふせ左は左へひだをふせるなり

菖蒲革は地をもえぎ色にしてあやめの花と葉の形を小く白くならべてそめ出したる革なり御免革はかき色に白く紋を出したる革なり(以上弓袋の式)

 
韘の事
ゆがけにぬふまじき革の事にしき革又何にてもあれ無紋のかはなり別の革にて指をつぐとも不之又鹿の丸のかは不

ゆがけの指を別の革にてつぐ事畧儀なりおなじ革にてつぐべし緒も前の革にてするは畧儀なり

ゆがけの手の甲に家の紋付くる事常にはなき事なり軍陣の時には家の紋付くるなり

ゆがけは右よりさして左よりとるべし

軍陣の時韘の緒の留様之事緒を(一巻まきで上より)引通して結びてあとへもどして(二巻まとひて)又上より引き通して結びて手の甲の方へ廻して上より通して結びて余りを三つに折りひねりておしかふべし右轢は巻き初めに右の方へ廻し左韘は左の方へ廻して巻くなり引き通す所々にて結ふ事手の甲にてとむる事軍陣の時に限りたる事なり右小笠原流の留めやうなり

又同じ緒のとめ様の事くると三巻まとひて緒の余りを三巻へ上より下へ通して結ばずして緒のあまりを二つに折りてむかふへひねりたるを二つに折りて其折めを三巻の下へおし夾みて置く也右武田流也(武田と小笠原は元来兄弟の家なる故弓馬の故実両家かはる事なし相違ある事は犬追物三矢の矢沙汰の事やぶさめの矢の出しやうの事引袋の事ゆがけの緒のとめやうの事右四色ならでは違ふ事なし此の外に違ひたる事あらば一方の覚え違ひなるべし云々右両家ゆがけの緒留様末に図をあらはすなり両家ゆがけの緒とめやう色々有之然れども此の条には軍陣のゆがけの緒の事ばかり記之)

 
敷皮の事
常に敷革を敷くには白毛を左になしくしかみを右へなして敷也たゝむ時直に右の手にてくしがみを取るへき為なり又白毛を前になして数く事もあり大的などには如此なり敷がはは鹿の皮なり秋二毛とて星の所々に有るがよし長さ三尺計幅二尺あまり見はからひよきほどにすべし但二尺二寸程にも可然裏は白布に粉のりを付けて白くすべし布のつぎめはふせぬひ也へりのとり様毛の方を上になしくしかみを向になしすそを我が前になし置きて右へなる方を横菖蒲左へなる方を堅菖蒲にて取るべし横菖蒲堅菖蒲とは菖蒲皮の横竪を云ふなり

豹虎の皮将軍併三職の御衆被之熊の皮弾正官の人用之何れも平人は斟酌有るべし

引敷は何皮にてもするくしがみ両方に緒を付け腰にあてゝ結ぶなり(図末にしるす)

よろひ着て床机にこしかくるに敷皮を敷くなり床机にくしかみをかけて白毛を下る白毛の所をふまへて居るなり是貴人の儀なり平人は打板を可用なり打板にも敷皮しく事は同じ但白毛をふまへては居るべからず白毛を前へなして敷くべきなりよろひ着たる時は床木にても打板にても腰をかけずしては居らざるなり

 
床机の事

オープンアクセス NDLJP:38軍陣にての床机の高さは一尺八寸なり

打板の事法式なし敷皮のはゞ程にしてうらに二所さんを打つなり高さ五寸計にもすべし(図末にしるす)甲冑を着て甲冑を入れたるからびつにこしをかくる事もあり

 
尻鞘、柄巻タル鞘巻 
 
 
矢ガラミ、矢クバリボウダテ
 
 
  
 
 
  
 
 
手ニテ寸取様之図、打刀帯スルトキノ図火打袋、弦袋
 
 
尖矢、征矢、本重籐塗コメ三所籐、重籐、ハズカブラ、カブラドウ
 
 
敷皮、うつたれゆがけ緒留様
 
 
 床几之図、畳床几、打板
 
オープンアクセス NDLJP:38
 
軍用記第五

伊勢貞丈著︀
千賀春城補

 
扇の事
軍陣にもつ扇長さ一尺二寸なり地紙長さ六寸紙より下に出づるほね六寸にする骨は黒塗十二本さしぼねなり上骨にはねこまをうけぼりにしてうるしにて金箔を入る上の方にはその人の生年の八卦の形をうけぼりにして漆にて金箔を入るかなめの所には金にてしとゞめを両方より入れて緒を手にぬき入るゝ程にすべし大方一寸二分ふさは其の外也ふさ一寸五分計なり叶結にするなり緒の色は其の主の好みによるべしむらさきははゞかるべし扇に折りて地紙の広さ一寸二分にをるなり寸法は金の定なり

地紙のこと表の方地を白く端々を紅に朱にて色どり日輪を金箔にて置き所々に金泥にてかすりを書くなり是れをつま紅の扇といふなり裏の方へは地を空色に紺青にて色とり月輪九曜星を銀ばくにて置き所々に銀泥にてかすりを書くなり右は大将の扇なり諸軍勢のもち扇は表は前に同じ裏には月輪七曜星を書く銀泥にてかすりを書く事前に同じ月輪は半月の形なり満月の形をばかゝず(図末にしるす)

或説に日月星はいまだ金銀のはくを置かざる時大日勢七曜九曜の焚字をかき入るゝ事あり其の主のこのみにまかすべし

扇を作りたらば扇を神前に置きて軍神を祭るべし円扇麾等を作りたる時も同前神主又は真言僧にたのむべしオープンアクセス NDLJP:39扇に九つの様体の事一にかなめしとゞめぬけたるをまじなふ事は八幡大菩薩摩利支天と三返となへ祈念して要を入るべし二に順風逆風と云ふ事右にてあほぐは順風なり左にてあほぐは逆風なりされば首実検の時は左にてあほぐなり三に扇に物を置く事軍陣にては裏の方におくべし表の日輪をはゞかるべし四に御旗を受取るときはた袋の緒を扇にかけ左の手にて下を受けて請取るべし五に敵の扇ひろひて取る事要の方に立ちまはりて取るべし大将に見参に入るには要の方を御前になし日輪の方を地にふせ置きて可懸御目なり六に扇にてはたの手を直す事御旗の手はた竿にからまる時は手にて直すべからず扇にてはづし直すべしのこり三ケ条たえて伝はらず此の外怨敵を調伏するには左手にあほぐべし吉凶を占ふには無念無想に扇を半分ひらきほね数半にひらくは吉なり調にひらくは凶なり又射手の的に扇を立つるに軍扇は立つべからず常の扇を立つべし日月の絵をいる事を恐るゝなり敵に射さするには日月を射さすべし又軍陣勧進の時扇持様両手にておもてを上へなし直に高く持ちて軍神こゝに影向したまへと祈念すべし又扇を高紐にさす事弓持つとき弓手にふかくわきへ廻してさすべし又陣中にて人の所へ行く時扇を持ちて行くには弓手にもつべし外人ならば弓手にさす帰る時は扇を抜きて右の方にさして帰るなり又扇つかふには半分ひらきてつかふべし甚あつくば残らず開くべし昼は日を表にして夜は月を表にしてつかふべし又扇の納め所は右のむな板とわきだての間にさすべし又奥州合戦前九年は過ぎ後三年の時八幡殿の扇の要ぬけたる時御鎧直垂の紐をめされて御沙汰有りしと云々

右の趣伝来の説なる故しばらく記之然れども元来軍中の扇を用ふる主意は夏暑気の時は勿論の事常にも軍中にては働き強きゆゑ身熱する間扇をつかひて熱をさまさゞれば堪へがたし古は軍扇とて別に作る事なし只常の扇を用ひしなり絵様なども定なし古書に軍扇といふ事なし然れども常の扇は損じやすき故中古以来軍扇と名づけて別にこしらふ事になりたり別にこしらふに付けて絵様なども定ある様になり扇の用ひ方も熱をさます事は次になりてさし引の用具と称しあるひはまじなひ又は占などの道具となり色々さまの作法をこしらへ秘事口伝などゝいふ事出来て殊の外に尊く大事のものゝ様になりたるなり然れども日月星辰を画き軍神を勧請して其の物を神にして用ふる事謀畧の一助にもなるべければさも有るべしうちはも又本は熱をさまさん為に扇の替りに用ひたるが是も色々さまの事をとり付けてさし引の用具と定めて日取方角のうらなひまじなひの事などの道具となり軍神を勧請し神にして用ふる事扇と同断なり麾は専らさし引の要具として軍神を勧請して是れを神とする所は扇同断なり神をつかひ仏をつかふ事謀畧の意なり理をもつてとがむべからず明将は仏神をつかひ愚将は仏神につかはるゝなり明将も愚将も神を尊み仏をうやまひ信仰する所は一つにして其の中につかふとつかはるとの差別あり(補、軍陣聞書に曰く具足若てもつべき扇のこと面は地は紅に日を丸く地にはゞかる程に出たすべし日の大小定まらずきんぱくなりうらは青く月は円く出すべし大小定まらず月は白はく(ぎんなり)なり地はそら色なり月の方の地には星を出たすべし星の数七つ又十二なり星は白はくなり星の大小定まらず丸くちひさく月の両傍に出だすべし七つの時扇夜つかふ時さきへ三つ身よりに四つなるやうにつくべし又十二のときは一方に六つ一方に六つ以上十二なり星のおき所定まらず見はからひておくべし面はひるのそらなりうらはよるの体なり骨は黒ほねなり数は十二ねこまさしほねたるべし例式の扇よりは間ひろがるべし広さ定まらず此書に団扇の図あれども部類抄に団扇の図併伝来の説委しく記したる故にこゝに略之かなめはかねにてもするかたにかしらをしてしんを通してかたに座を丸くしてとほりたるしんのさきをかへしてぬけぬ様にするなり扇の長さ一尺二寸かねの定めたるべし云々又射御拾遺抄随兵日記弓法私書出陣等の古書不残地を紅にして日を金にて出だすとありて地白とはなし)〈[#底本では直前に「終わり丸括弧」なし]〉

オープンアクセス NDLJP:40貞丈曰く軍配円扇といふもの太平記以上の古き軍物がたりの書に曽て見えず甲陽軍艦には見えたり然れば信玄謙信の頃より始りしなるべし山城国太秦の広隆寺に聖徳太子のものなりとて古き団扇ある軍の時に用ひられしやいかゞ又実に太子のものか言伝ばかりなればおぼつかなし

 
団扇の事団扇と書きてまろき扇とよむ形まろき故なり〈[#図は省略]〉如此作るはわろし

団扇は形丸し径りかねの尺にて八寸二分なり中の所は上下ともに五分丸みを内へ入るうすきいため革二枚にて合せまはりを縫ひ柄をさしたる所の両方をもぬふべし細き革にてぬふなり柄は鉄なり長さ一尺三寸厚さ一分五厘広さ七分柄の末は羽の外へ五分出づ先を丸くする本の方は径一寸程丸くして其の内に穴をあけ緒を通し柄は黒くうるしにてぬる柄末羽の先へ出づる所羽の付きは三分ほど籐をまく羽の下五分計籐をまく柄の本丸き際も五分計籐をまく緒は細き組緒長さ一尺二寸ふさあり長さ一尺五分緒に手をぬき入れよきほどにしてかなふ結にするなり

羽の表は朱うるしにぬり金泥にて九曜星をかき中に梵字をかきうらの方は金にてたみてまん字をかくなり

右の趣伝来の説なる故しばらく記之(按ずるに軍に団扇を用ひし事古書には見えず弘治永禄年中の頃信玄謙信などの時代より用ひはじめしなるべし)

 
麾の事
麾も是を以て(かけ引の)指揮したる事古書にはかつて見えず是も信玄謙信の頃より用ひはじめしなるべし近代の書に源頼義朱さいはいを新羅三郎義光に賜ひしよししるしたるもあれども古書に是なく偽説なりとるにたらずざいといふ事鷹をつかう道具にざいといふものあり竿の先に切先紙を付けたる物なり軍にもちふるものも鷹のざいに似たる故ざいと名付けしなるべし又さいはいともいふさいはいは裁配なるべし人数を裁配する器故の名なるべし采幣釆牌再拝などゝ書くは詞に付きてのあて字なるべし

ざいのこしらへ様色々説ありて一定なし然れども多くは朱紙と白紙の二品なり細く切りさきて作る又金紙などを用ふるもあり柄は一尺二寸上下に金のさかわを入れて柄本に緒を付くる右の類愚意に叶はず子が親戚の家に東照宮の取らせ給ひし御麾を持ち傅へたりそれを拝見したるに近代世に用ふる物とは大に違ひたり愚意に感心せり依之かの御ざいのおもむき左にしるす(図末にしるす)

勝軍木軍陣に勝軍木を用ふる事(日本紀元享釈書等に見えたり)昔聖徳太子守屋の大連と戦ひ給ひし時ぬるての木を削りて四天王の像をきざみて頂の上において戦ひ給ひければ太子軍に勝ち給ひしによりて摂州四天王寺を建立し給ひしなり其の吉例を以てぬるての木を勝軍木とも勝木とも名付けて是れを軍陣のとき用ふるなり勝軍木本名 白膠はくきやう木と云ふぬるでともぬりでともいふ木なり合戦の場は物さわがしくして口上にてはきこえざる故団扇扇麾にて相図をするなり此の相づも二三十間一丁二丁も遠く備へは見えがたし依て貝太鼓其の外鳴物の役者は大将の近所に居て大将団扇あふぎ庁等をふりつかひやうを見て夫に従ひて相円の鳴物をならして諸軍へ告知らすなり其鳴物を聞きて備々の侍大将も麾扇団扇を打ふつて手下の指揮するなり

蜻蛉結軍道具の緒をとんばう結びにする事は蜻蛉といふ虫はあとへしりぞかぬ虫なりよつてとんぼうむすびを用ふるなり

総角あげまきを用ふる事あげまきの一名をとんぼうむすびと云ふなりあげまきもとんぼうの形に似たる故なり

麾扇団扇使様麾のつかひ様定法なし大将の定によつて違ふべし常に軍勢をつかひ馴らし置くべきなりたとへていはゞ左のごとし扇団扇同じ心なりすゝめと云ふ時は右脇より左のかたの上へふり上くるなり三度計ふるなり止れといふ時は左脇より右のかたの上へふり上くるなり数同前

左よりかゝれといふ時は左の手に持ちて左へつき出してふる右よりかゝれといふときは右の手に持ちて右へつき出してふる新手を以て横を入るゝには広く一文字にふる敵のうしろへ廻れと云ふには手を高くさしあげ上にて輪にふる軍勢をまとひて人数をあぐるには前にて輪をふる

物に手本なければ学びがたき間大方をしらせんが為に記すなり右の趣定法にはあらず大将の心次第にていか様オープンアクセス NDLJP:41にも相図あるべし

 
保呂の事
保呂衣作る事長さ五尺八寸五幅にぬふなり但三はゞ或は二はゞ半にも其の人の人体により幅数をする本式は五はゞなり

ひだをとる事両方に十重一方に五重とれば両方十重なり

ひだをとる事其のひだの如く糸にて打つたる緒にて上下三寸計間を置きてちどりがけに糸にて縫付け両方共とめ組なり糸の色はのぞみ次第但紫は斟酌すべしちどりがけのうへの糸より一尺二寸残すきぬのはづれを一寸二分程はづすなり其の内に紋を付くべし下にも紋を付くる事も心次第なり

ちどりがけに通したる間に両方ともにうち緒を一筋づゝ通し両方にふさを付け両方にてむすぶ

絹はすずし本式也おり色ねりたるなるべし但略しては布なり唐物は(からのおり物)御免にて用ふ(貞丈按ずるに唐物とは紋紗などの類ひをいふなりうすき物なりあつきものはもちふべからず)

保呂併あげまきの事あけぼのにすずしの糸を御鎧の上に引きかけて召されけるより(いかなるひとのめされしにやもし応神天皇歟詳ならず)始れり而して応神天皇の御子仁徳天皇の御時二色の作り様を改められたりける一様ありて本とする此保呂は胎内の子のつゝまれし胞衣なり比丘僧の袈裟あげまきも是なり天魔下道の障難をふせぐ其の表体なり生る時にも是れを生衣の始とす死する時も是れを死衣の終として着する故に人の死滅に限りて必袈裟をかくるなり保呂衣をかくるもあげまきも此の心なり保呂を作り立てゝ必智僧に加持せさせ奉りて着すべきなり袈裟保呂衣等これみな荒神(貞丈曰く此の事用ふべからず)の変作なり秘すべし右保衣の記終右口伝左にしるす(図末にしるす)

ほろをば懸るといふなり負ふとは言はざるなり近代ほろ懸る事をほろをすゝむると云ふ人ありいにしへなき詞なり

ほろ懸やうの事ほろをわだがみのうしろにあてゝ緒の両方をわだがみの外よりかけて内より上へ引き出して一からみむすびて其の余りをえりのうしろにて片わなにゆひ三つ折のごとく組みおくべし又すその方の緒はうしろより腰を引き廻し前へとりかたわなにむすび三つ打のごとく組みて置くべし又すそをばこしにゆひ付けずしてたゞそのまゝ垂れさげひらめかしても置くなり此の時はすその緒をばほろのきはにかたはなにむすびさげおくべし左右ともに同じ(図末にしるす)

右にしるす所のほろは伝来したる古代のほろなり外にも古代のほろの図を見るに少しばかりの違ひはあれど右にしるす趣に大かた似たり近代のほろは其の体いろさま異形のものありて緒を所々に多く付けて其の緒にも色々むづかしき名を付けたり緒を所々に多く付けたるは籠を包む故なり古代のほろは籠を包む事なしほろといふ字は三代実録には保呂と書き扶桑略記には保侶と書き東鑑には母廬と書き下学集埃嚢抄などの書には縨又は母衣と書きたりこれらはふるき書に用ひたる字なり近代の書に源氏には武羅と書き平家には神衣とかき藤原氏には錦衣とかき橘氏には母衣とかくといへり是れ一向何の証拠もなき偽説なり用ふべからず又母羅と書くも出所無之又縨の字をほろとする事是れ又出所詳かならず続の字は字書にも韻会にもこれなく後代の人の偽作したる字なり(縨の字は下学集埃嚢抄にも見えたれども用ふるに足らず)

母衣と書くは母廬衣の廬の字を中略したるなり昔外国の後漢の王陵といふ人母の衣を鎧の上に着して武勇をふオープンアクセス NDLJP:42るひしといふ古事によりて母衣とも書くともいひ又は母の胎内にある時袍衣をかぶりて諸毒をふせぐ如く軍中にはほろをかけて災難を防ぐ故袍衣のこゝろにて母衣と書くなどゝ云ふ説は皆母の字に付きて後に作為したる偽説なり母廬と書く事母の字にも廬の字にも何の心なしたゞ其のほろと云ふ詞につきて字の音をかりて書きたるなり保呂保侶などゝ書くも同じ事なりかやうにかくを仮名書とも万葉書とも云ふ也ほろと名付くるしさいは末にしるす

保呂を作るには吉日吉時吉方に向ひ柳の木の尺にてさし柳のかき板にて裁つべし裁つ時ものたち刀を前へ引くべからず向ふへおしやりて裁つべし吉方は聞神の方なり其日の支より三つめの方なりたとへば子の日ならば子丑寅と三つかぞへて寅を吉方とするなりさりながらもし北の方に当る事あらば北をばいむべし其の時は玉女の方に向ふべし玉女の方は其の日の支より九つめなり吉時は子の時より己の時迄陽分の時を用ふべし

保呂をかくる時は北斗(破軍星)の星をうしろに当てゝ又は東に向つては八幡宮を礼拝し祈念してかくべし

保呂をば一領二領といふなり

 
保呂の考
ほろと云ふもの其の始詳かならず或は仏説をまじへ或は唐土の故事を述たれども天竺にも唐土にもほろと云ふ物なき故其の諸説皆偽なり又応神天皇仁徳天皇神功皇后住吉大明神などより始まるといふ説も正しき古代の記録に見えざれば皆偽なり其のはじめのしれざる事はしれざるまゝにておくをよしとすべし

古代の記録に三代実録といふ書ありその書に清和天皇の御代貞観十二年十二月対馬の国司小野朝臣春風といひし人起請二事を進す(起請とは願書なり二事は二ケ条なり)その起請の一に曰く軍旅儲啻タヾ介冑薄助ルニ保侶調布作保侶衣千領以備ヘンヿヲ不虞云々此の文の心は軍陣の用意はたゞ甲冑を第一とすたとひ甲冑は薄くとも保侶をかけば甲冑のうすきをもたすけ補ふべし依之百性どもより調物に献上する所の布を以て保侶千領を縫ひ造りて不慮の事出来の時のために用意して置き度此の事を望み請ひ申すとなり右保呂を以て甲冑を助くるといへる心をよく考へ味ふべきなり右の文の心を以て探り考ふるに古代保侶を用ひし事は矢をふせぐべきが為なるべし布を竿にかけ垂れ下げて布のひらめく所へ矢を射かけて見るべし布の和かなる故矢のするどなる勢ぬけて透ることなきものなり是れを以て保侶の矢をふせぎて甲冑の助となるべき事をおもひ見るべし其の矢をふせぐべき様を考ふるにほろのうへの緒は鎧にゆひ付け下の緒は腰に結ひ置きたるを矢をふせぐべき時に至つては腰に結ひたる緒をときてほろをうしろよりかぶとの上に起して前へかぶりて下の緒を鎧にゆひ付けて進みゆかば矢はよろひに当る事あるべからず冑の鍬形高角などの類は皆このほろをかぶる時にほろをさゝげおくべきが為なり鍬がたたかつのなどを打ちたるものなるべし是れ城改のとき城中より雨のふるごとく矢を射出して城ぎはへたやすく寄する事叶はざる時右のごとくほろをかぶり矢をしのぎて城際へ押し寄するなるべしほろは軍中の災難をはらふ為に懸くといひ伝ふるも矢をふせぐ故の事なるべし近代のごとくほろに籠を包みて負ひたゞさし物にしたる計にては邪魔になりて災難をまねぐ道具なり

保呂の懸け様古今相違あり近代は保呂かごほろぼねほろ串などゝ云ふものを作りてそれをほろに包みて負ふなり如此にてはほろをかくるとはいひがたしほろを負ふといふべきがごとく古代のほろは籠をも何をも包む事なし既に末に絵図にあらはすが如し又古代の絵師のゑがきたる絵を見ても知るべし古き絵を見るにほろの緒を上下ともによろひにむすび付けたるが左右の端は緒にてゆひ付けたる体もなくくちあきて中ほどは風ふくみふくオープンアクセス NDLJP:43らみたる体に画きたるもあり又下の緒をば腰にゆひ付けずして旗のごとく風にふきなびかれたる体に絵がきしもあり又義経記衣川合戦の条に武蔵はかれに打ちあひこれに打ちあひするほどにのどぶえを打ちさかれ血出づる事はかぎりなしよのつねの人などは血ゑひなどするぞかし弁慶は血出づればいとゞ血そばえして人を人と思はず前へながるゝ血は鎧のはたらくにしたがひてあやちになりて流れける程に敵申しけるは爰なる法師はあまりものくるはしさに前にほろをかけたるぞと申しけるとあり前へ血のはしり流るゝを見て前にほろかけたるぞといひしは血のながれさがりたるをほろを垂れたるごとく血のあやちになりてはしり出づるをばほろのひらめくに見まがへる心を書きたる文なり又太平記新田謀反の条に尾花が末をわくる風ははたの手をひらめかしほろの手しづまる事ぞなきとありほろの手といふもはたの手といふに同じくすその方をいふ也しづまる事ぞなきとは風にほろのすそを吹きなびかしてしづかならぬをいふなりこれらの古書に見えたる趣をもつて古代にはほろに何をも包まざる事又かけ様も違ひたるを知るべし

建仁三年九月九日実朝公始めて鎧着し給ふ時小山左衛門尉朝政足立左衛門尉遠元輩甲冑母廬等を着する次第故実を執推して悉くさづけ奉る由東鑑十八に見えたり母衣県様故実ある事を知るべし故実といふに至つては家々少しづゝ替りめもあるべし(図末にしるす)

右保呂の体上の方に木竹の類ひを入れて両端に緒を付けて冑の吹返の後へ緒付けたる体なりかぶとの吹返のうしろの辺に環を打つて緒をゆひ付くるなるべし此の環ほろ付のくわんといふものなるべし近代笠じるしの環をほろ付の環といふはとなへ違ひなるべし又土佐光信(後花園院御代の人)がゑがきし一の谷合戦の絵にも冑のしごろのうへにほろを引きかけたる体もあり又しころの上にかけずしころの下よりかけたる体もあり何れもほろのすそをば腰にてゆひたる体なりほろの上の方は木竹などを入るゝ如く一文字にはなくてかぶとのこしを引き廻したる体にゑがきたり(古き絵は其の時代見る体をかき又は古き絵本をもつて書きたるものゆゑ証拠にもちふるなり)大塔宮の像古画のうつしたるを見しに近代のほろ串といふやうなる物にほろかけ給ひし体をゑがきたり其の絵の筆者誰ともしれずほろの串を用ひたる体はいぶかしき絵なりされどもほろのすぞは風に吹きなびかされひらめきたる体に絵がけり

鎧のかこの下の方に穴ありほろ付の穴といにしへよりとなへ来れり前に記すごとく矢をふせがんとてほろをかぶりたる時ほろのすその緒を鎧のほろ付の穴に結ひ付け置く事もありしなるべし細き緒にてほろ付のわなをこしらへ付け置きてほろの緒をかのわなへとほしむすびおきたる歟

縨の字の事前にもいふごとく字書韻書にも無之推量を以て考ふるに縨の字は幌の字かき違ひなるべし幌の字は字書韻書にもあり幌は帷幔なりと字注あり帷幔はまくの類なり前にもいふごとくほろは矢をふせぐ時かぶりて前へたれて幕などの如くなる故其の義をとりて古人幌の字を用ひたりしを文字にうとき人幌の字の巾編を覚え違ひて糸編にして縨と書きしなるべし

ほろとは何ゆゑに名付くるぞと考ふるにほろと云ふはひれといふ詞の転じたる也転ずるとは其の詞のうつり替りたるをいふなりひとほは五音相通ずるなり(ハヒフヘホの相通なり)れとろも五音相通ずるなり(ラリルレロの相通なり)平ほしに平礼といふ事あり平体と書きてひれとよむ折りたる所のひらめく故なりひれとはひらめくなり魚のひれもひらめく故の名なり婦人の装束にひれといふものあり(領巾と云ふ物なり)是れもひらめくものなりほろもひらめくものなる故ひれといふ詞を転じてほろと名付けたるなり母衣の形近代は大にちがひ且又ほろの用ひ方絶えて今は知る人なし依之愚考を記す事右のごとし古代のほろにオープンアクセス NDLJP:44も少しづゝのかはりめはあり又懸様も少しづゝはかはりめありしと見えたり

右愚按のおもむきを絵図にあらはすなり介冑薄といへども助くるに保侶を以てすと小野春風が書きし詞の意を探り又古書に見えたる保侶の懸様等を考へ合せて愚按をめぐらしてしるす物なり近代のほろの如く籠などを包みてさし物にする計にてはほろといふものは無益の道具なるべし

母衣の作法熊谷流平山流蘇武流などゝいふ事を世にいひ習はせどもたしかなる証拠もなくいぶかしき事なれば一向とるにたらずまた近世ひたゝれの様なる物を絵図にして是れ古代のほろぎぬといふ物なりと言ふ説あり用ふるに足らず出所も知れず証拠もなき偽作物なり

保呂のたゝみやう竪に二つに折りて又二つ又二つ又二つ以上八つに折る也横も右のごとく八つに折るなり(是れ定法といふにはあらざる也大体如此にして宜き也)是れは五はゞ五尺八寸の保侶の畳みやう也小き保侶も是れを略してよき程にたゝむべし

保侶袋はにしき其の外織物にて縫ふべし裏はすゞしにても練にても用ふべし色は表の地色に随ふべし別の色も苦しからず大さは保呂の大小に随ふべし五幅五尺八寸の保呂を畳みたる大さ大方竪三寸余横七寸余程なるべし袋はその寸よりゆるやかにして竪一尺二寸横四寸にぬふべし両方の口をほころばすべし両方に緒を付く表二尺づゝ色は何をも用ふべし紫色は平人は斟酌すべし将軍御用の色なり(図末にしるす)

 
矢母衣の事
矢母衣と云ふ物上古の書には見えず中古以来の物歟元長の随兵日記に(此の書文明十八年記之小笠原元長の筆記也)云く矢ほろの色は紅も画き同じくしろくも又は朽葉色にもすべし但うつたれに我が家の紋をぬひものにて織り付くべし同矢ぼろを懸けて羽の通に二つ引両をくろく折り付くべしすべて矢ほろをかくることは異儀也云々土佐光信がゑがきし一の谷合戦の絵又は土佐某が(実名不詳)ゑがきし結城合戦の絵等にうつばに失ほろかけたる体をゑがきたりその矢ほろは何れも紅にて白く二つ引両をかきたり又えびら負ひたる武者を書きたるも多けれどもえびらに矢ほろ懸けたるは一つも見えず我が家に伝来の矢ほろの拵へやう左の如し

矢保呂長さ四尺三寸三幅也四尺三寸はたかばかりの定なり地はすゞし又は練貫又絹にても縫ふべし縫糸紅なりふせ縫なり(図末にしるす)

右矢ぼろをうつぼにかくる時は靱に矢をさして後上より懸けて靱の腰革の上にてすそのくゝりをしめて左右の緒を前へ廻し後へとりてもろわなにむすびおくべし扨上の方はねぢれざる様に見よくつくろひて細き黒革にてむすぶべし(図末にしるす)

矢ほろは靱のかざりに懸くる計なり外に利なし又矢ほろは箙にかけて矢数を人に見せまじきためなりなどゝいふ説あれども箙に懸くる事其の証拠無之又軍中数万人の多勢入り乱れたることにて箙に矢のありなし見わくる事あるべからず况や矢かずの多少をかぞへて居るひまはあるべからずいろ異説多しまどふべからず(補 小笠原民部少輔尚清聞書に曰く矢ぼろの事絹にても又は紗にてもすべし広さは一はたばり也但矢の数によるべし長さは矢柄にあてがひて引き入れて沓巻の方へなるところにくゝりを入るゝなり矢筈の方のうつたれ一尺二寸計矢はずの方をば黒皮ごめんを重ねて結ぶべきなりしたは糸にても結びてもしきるなり)図末にしるす

右の図に拠りて按ずるに高忠開書に曰くうつぼの根本はかまどばかりをうつぼとて付けたるなりそれよりまへはなかりし也たゞ箙しこなどおひたるが如しさるによりて矢だね尽きたるをやがて人見る間なに矢をさしたるオープンアクセス NDLJP:45をも人にしらせず矢を射尽くしたるをもしらせじがためにむかしの人の故実にて当代うつぼのごとくつくりなしていろの革をかけ来る也それよりうつぼには何革をかくべきともさたまらざるなり云々この説のごとくならばうつぼは古代かまと計なりしを矢の有無をかくさんが為に矢ぼろをかけしが雨雪などにぬれてよろしからぬ故に矢ぼろの代に皮をかけはじめしなるべし矢ばろの作りやういろあれども右の絵のごとくにはあらずいづれも妄作なるべし

 
軍陣扇之図 
 
 
弓法私書扇之図軍陣扇之図
 
 
東照宮御麾之図保呂カケタル図、八卦
 
 
母衣ヲカフリテ矢ヲフセグ図矢保呂の図、保呂衣の図
 
 
右二ツノ図一ノ谷合戦之絵ニ見エタリ土佐光信ノ古画ナリ補 矢保呂掛タル靱負タル図
 
 
後ノ図靱ノ後ニナル方ナリ此ノ国古画結城合戦之絵ニ見タリ
 
 
 母衣ヲ冑ヨリカケタル図、保呂袋之図
 
オープンアクセス NDLJP:45
 
軍用記第六

伊勢貞丈著︀
千賀春城補

 
馬具の事
軍陣の鞭も常の鞭にかはる事なく只けしやう籐をつかふばかりの違ひなり籐の巻どころ数定法なし(定法ありといふ説もあり然れども古伝の書にも如此)主の好にまかすべし三所又五所又七所又九所巻くべし黒塗鞭にて籐は白し

竹の根鞭は略儀なり依之軍陣には不用なり木の塗鞭本儀なり

鞭にする木はくま柳なり一名はいそ柳ともいふもし熊柳なき時はぐみの木にてもするなり春城曰く鞭の寸法とり様矢づかと同じ事なりと矢づかの先を右の乳に当て左の手をのばして鞭の先を中指の先にてあつれば人々の手の寸にて二尺五寸あるものなりそれにまた我が手の寸にて二寸五分ます也長さは二尺七寸五分なり此の寸尺はかねの尺にあらず又竹計の尺にもあらず我が手の定なり是れをおのがたかはかりといふなり人さし指と大ゆびをひろげて是れを五寸と定め中指をかゞめて中のふし間を一寸と定め其の半分を五分と定むるなりふとさは法量なし大概本の方かねの尺にて二寸廻り末の方一寸五分廻り程にすべし本の方の木口をば十二刀に削りて末の方は五刀に削る如此すれば本の方はまるく未の方は少しとがるなり布をきせて黒漆に塗るべし籐は細くわりてまくべし籐の巻きたる長さ定まらずよき程にすべし

とつゝかの事二尺七寸の内我が手にて六寸とつゝかにすべしとつゝかの下には竹をわりて膠にてふせて中程に少ししゞれあるやうに削りてその上を紙にて巻き其の上を革にてぬひくゝむ也ぬひ糸は紅のから糸なり緒を通オープンアクセス NDLJP:46す穴は端より五分置きてあくるなりくけめの通りなりこの五分の所をひな先といふなり

とつゝかの革の事何の革をもする也たゞし師子の丸の革おもて革しやうぶ革などにてはせぬ也おもてがはとはにしきの革の事也むらさき地に白く紋を出だしたる革なり紫革にてもする也但平人は斟酌すべき事歟

鞭の緒の事とつつかと同じ革にてする也中に麻糸を入れて革にてつゝみくけて用ふべし腕の入る程にゆる としてむぢ結びに結ぶべし其のあまりはかたを一寸程かたを五分計のこして切りてくけべし

鞭むすびの事常に物をむすぶ如く一むすびして又一むすびして其の端を本へ一もどしづゝももどすなりむすびたるくけめの方を少し切り上げの革をのこし折りかへして結びめの下へおし入れて置くべしそれをそくひにて能くおしかふべし(補、むぢは馬を打つ具なり然るにある説に馬を打つにあらず人を打つにもあらず別に伝受の鞭といふ作りやうありて其のむぢを以て悪魔をはらひ病を治し其のほかさまの秘法ありなどゝいふはわらふべき事なり用ふべからず)

鞍の事馬具蒔給朱塗金我輪などは将軍家三職大名などの用ひらるゝ間平人は斟酌すべし黒ぬりに紋付けたるを用ふべし(補 岡本記に鞍にさかわに口の入る事苦しからず是れ結構なる故なり犬笠懸軍陣等には尤可然事なり貞丈曰くさかわにぐちは今は略してさかわといふなりくらの爪先にさかわをいれるなりかなものをはめるなり随兵日記随兵の時も同じ出陣の時も乗鞍の事は各別にあるべからず但し金をも入れていづれも色書きて乗すべし但とつゝけは長さ一尺二寸同鐙はかな鑑を用ふべし同腹帯も二重はるひに有るべし口伝あり春城曰く口伝ありとは二重はら帯の口伝なり腹おびの所に記す弓矢名所の記月馬古実等鞍橋くらぼねの名所等の図末にしるすなほ部類抄にくはしくしるす)

鐙は黒ぬり内は朱ぬりなりあぶみの内黒くぬりたるは入道法師の用ふる物也結構なる鎧は平人は斟酌すべし(補 弓馬古実に曰く鐙の内を黒くすることしりかひと同前なり俗体にては判官又は弾正少弼大弼などゝ名を付くるものはするなり弾正左衛門はせぬなり去ながら是もむらさきのしりかひは掛くまじきなりあさぎもえぎ茶などの色は県くべし弓馬故実弓矢名所の記弓馬三冊等のあぶみの図末にしるす尚部類抄にくはしくしるす)

轡はぬらず白みがき本なり塗りたるは略儀なり(補 弓矢名所の記弓馬三冊馬具寸法記等のくつは名所の図末にしるす)

泥障泥障は毛皮を本とすなめし革にてまるく作りたるは鐙ずりと云ふ(春城曰くあぶりは根本雨ふる日には泥はね上りて装束をけがすゆゑ其の泥をさゝへんが為にしたる物ゆゑ泥障とも書くなり和名抄には障泥とあり是れを正とすべし右にいふごとく泥を障る為の具なる故晴天の日には無用の物なり然れどもむかしよりやぶさめ笠懸犬追物軍陣の時などすべて馬上のはたらきをするにはあふりをさゝぬなり川わたしなどには水にしとみ悪し古き物がたりの書などに大将の出立に熊のかはのあふりさしたるなどいふ事も見えたれどもこれはたまの事也又は故実作法に心づかずして文章の花に書きたるもしらず乗る方には入用なき物也今世は馬具の古実を知りたる人もなければ常にあふりをさしせめ馬の時にもあふりをさす事になりたり馬乗る時かくを入るゝにもあふりをへだてゝかくを入るゝ故木馬のけい古にもきびしくつよくかくを入れならふ事なり是れ今の世常にあふりをさす世の中の乗方なりあふりさゝぬときにきびしくつよくかくを入れたらば馬のほねをつよくいためやぶりて害あるべしあふりさしたる時とさゝぬ時とはかくを入るゝにも心得あるべき事なりあふりさゝぬ時はすこしかろくかくを入れても馬のほねにこたふる事はつよかるべき事なり以上貞丈翁の諸書にかゝれしを私意をくはへつゞりたるなり)

オープンアクセス NDLJP:47切付切付はつゝら切付本なり白き葛にて組み黒く紋を書きたるなり

力革力革も白なめし革にてするを本とす(補 弓法秘書に曰く力革の寸大方は三尺六寸なり但人によりてひざの折めに合せて用捨すると云ふ具足して乗るには例式の時ふむより少し長し鞍につゝ立て鞍の上より六寸しざるがよきと云々)

おとがひむながひしりがひ色は赤を本式とす紫は将軍家御用なる故平人は斟酌すべし赤色の外の色は入道法師用之

塩手塩手は引目革にてつゝむを本とすくけめにふせぐみ有るべしとつゝけの緒はたくばく也とつゝけの緒は塩手にむすび下げて置く緒なり敵の首取りたる時首を緒に付くる也

手綱腹帯手綱腹帯は麻布也両方の端一尺ばかり浅黄にも萠黄にも紺にも地色にて扨筋を横にふとくもほそくも付くるなりひきりやう筋とて二筋づゝよせて付くるは嫌ふ也立筋にも付くまじきなり柿色の筋も付くまじきなり手綱の長さは七尺五寸なり腹帯は八尺ばかりなり馬により違ふべし軍陣にはかねの尺にて定むる也常はたかばかりなり

手縄手綱の事常には白黒浅黄三色なり軍陣には是をかまさし縄と言ふ地は布なり長さ二丈八尺左右へ打べし引馬にも是れをさして引くなり軍陣には色白きを用ふ又黒きを褐色とて用ふ貴人は白を用ひ平人は黒を用ふ平人は打まぜをも用ふる也長さ三尋片寸ともいふ

鞍覆軍陣には鞍覆は鹿の皮なり将軍家三職は虎豹の皮なり弾正の官の人は熊の皮を用ひらるゝなり

二重腹帯二重はるびの事布一幅をひろげて馬のせなかへ打ちきせ其の上に鞍を置き腹の下へ廻し上へ引きあげ常の如く結ぶなり如此すれば鞍まはらずしてよきなり(春城按ずるに二重腹帯両説あり諸書当用抄に二重腹帯の長さ一倍ばかりなりひとへに取りてわの方鞍の上敷の上にあてはら帯通しへ両はしを入れて馬のはらの下にてとり違ひて腹帯さき又はら帯通しへ通して上敷のうへにていつものごとく一倍しめて両の手がたにかけて前輪の前にて[むなかひにかけて]八字不用いつもの如く丸くしてくら下へをさめ置くべし)

馬請取渡陣中にて馬を受取り渡す事渡す人も受取る人も水付の方の手綱輪を一つするなり右の手の手綱さきも輪一つして持つなり

馬懸御目軍陣の時馬を引きて懸御目事しざらかす事を忌むなり又馬のうしろをば御目にかけぬなり先引き出でゝ面をば出づる足にて懸御目て扨馬の左を御目に掛けてそのまゝ身に引きかけて座敷の左へおし入るゝなり別たる秘事なり

馬乗様軍陣にて馬乗様大将に御目に懸る時は乗初にもしざらかさず後におりさまにもしさらかさずして大将の方へ引き向つて下るなり

馬嘶吉凶出陣の時馬のいぼうに吉凶の事我が家を出でゝ一町の内なれば凶なり祝直して出づべしこえ(ふんの事なり糞なり)を出だしたるも同前なり

馬五性十毛馬の五性十毛の事 木性は青毛あし毛なり 火性はくり毛ひばり毛なり
土性は鹿毛かす毛なり 金性はかはらけ月毛なり 水性は黒毛二毛なり

此の外の毛色も其の類をもつて定むるなり

二毛馬二毛馬にのる事は忌む儀なり二毛はぶち馬の事なり二毛と云ふ名目にげるといふ詞にかよふ故甚いむ事也

オープンアクセス NDLJP:48馬責ト不言城中にては馬をせむるとはいふべからず馬を乗り直すといふべし

鋪皮為鞍覆軍陣へ引かする馬は敷皮を鞍覆にして白手網にてからむべし白毛の方を前輪へなし両方の力革にむすび付け前輪の右の塩手にとめるなり

 
旗の事
旗仕立る事月は正五九月を用ふる事本式なり但急の事には余の月たりともくるしからず戊己庚申の日をいむべし亥の日を用ふべし此の日は摩利支天の縁日なるゆゑなり

兼日精進を三七日或は一七日毎日行水可有之滝の水清き流れ川の水を用ふべし

朝日出づる時妻戸の間にて東にむかひて裁つべし若し其の日東方に悪神ある日ならば旺相の方に向ふべし或は玉女の方に向ふべし

口伝に曰く悪神ある方とは八方神の方なり千人出でゝ一人も帰らざる方なりされば出陣門出に深くつゝしむ日なり八方神の方左の如し

甲丙戊庚壬の子辰の日は 辰巳の方也

甲丙戊庚壬の午申の日は 午の方也

乙丁巳辛癸の己未の日は 未申酉の方也

乙丁巳辛癸の巳亥の日は 戌亥子の方也

乙丁巳辛癸の夘西の日は 卯の方也

甲丙戊庚壬の寅戊の日は 丑寅の方也

以上八方神の方なり旺相の方とは旺相死囚老と云ふ事あり其の旺と相の方にむかふなり

春は東方旺也南方相也夏は南方旺也中央相也

秋は西方旺也北方相也冬は北方旺也東方相也

北方は旺相に当るとも北方をば忌むべし

玉女の方といふは其の日の支より九つめなり子の日ならば申の方なり丑の日ならば酉の方なり以下准じ知るべし玉女は何事にもよきなり

旗裁縫柳の木を用ふるとは楊木にて勢つよき故なり○周尺といふは周の世の尺にて曲尺よりも六寸四分短し
此の書に周尺といふは周のにとにあらず曲尺を周尺と名づけて用ふるなり常の金ざしの寸なり
旗を裁つ時用意有るべき物の事莚二枚注連(一筋七五三の紙)裁板(一枚柳)尺(周の尺但金ざしの事なり)東向の柳の枝にて金ざしを作る糸(左より右より)裁刀二(新しきを用ふ一つを金剛劔と名づけ一つを胎蔵劔と名づく)針(新しきを用ふ)御幣(白 軍神の御幣也)桑の弓二張蓬の矢一手葦の矢一手[しやうふくみ](此六字詳ならず)

肴の事打蚫 勝栗 昆布 酒 供響 折敷 洗米 土器

裁つ時先心中に祈念の次第心経七巻じゆし咒くわりひの咒摩利支天の咒大小勝金剛咒九字文以上廿一遍

勧請新念の神 伊勢大神宮 八幡大菩薩 其の主の氏神 太神宮 八幡宮は軍神なり

旗を裁つ役人出仕の作法はゑぼし直垂を着す相手一人も同様に出立ちてともにひざまづく(図末にしるす)

裁刀をとり金剛劔を内ににぎりて刀を外の方へ(向けて裁ちて)後三肴にて三献あるひは一献祝儀あるべし

金剛劔をにぎるとは弓をにぎる如く大指と次の指にてたがひにつめをはるなり外の方へむくとは我が前へ刀をひかずむかひへ裁ちやるなり軍陣には前へ引く事を忘むなり

三献の看三盃くみ様は末の巻にあらはす所の出陣の肴組に同じ神へ奉る分三膳大将の分一膳裁役人と相手の分オープンアクセス NDLJP:49二膳なり諸兵の分は一つ折敷に三肴を三所に山の如くつみ盃人数ほどをおくつみ置きてめし出だしのごとく一人づゝ出でてのむなり

大将はなしうちゑぼしよろひひたゝれを着てたつところを御覧ぜらるべし

旗ぬひとゝのふる次第先むしろをしき其の上にて縫ふべし横にぬふところを右より縫ひはじめ左に縫ふはりをとめずしてこゝのはり右へぬひ又左へなゝはり縫ひて糸をはやすべし又たてざまに縫ふ所をば上よりぬひはじめ下へ縫ひ下しはりを留むるなり

縫ひ調へて旗の銘を書き加持する事一七ケ日或は三日なり其の後家の紋を書きて又よく加持すべし

旗の銘は定めたる事なし八幡其の外の神名又は何の文なりとも大将の好にまかせらるべし紋は銘の下に書くべし銘なきもあるべし又紋なくして銘計有るべしみな大将の心にまかすべし

旗かぢし奉る事劔印をむすんで大勝金剛の真言中臣秡併に秘密の秡をよむべし秘密の秡如左

 そろへて ならべて いつはり さらに たね ちらさず いはゐ めで こゝろ しつめて まうす 二十一返

右秡は天下に一人の外無相伝税なり若伝へば末期に及びて子一人に伝ふべきなり可秘々々天子の御はたの秘事とは此のはらひによりての事なりあなかしこ可秘々々

天子の御旗の秘事とは此の秡によりての事なりあなかしこ可秘々々

旗をはじめて立つる時はたの手を付くる儀式あり手付の儀式の事家の子旗竿を持ち参り竿の中程を握りてせみ本を大将の御前になす時旗の手の端を揃へてとんぼむすびの中へ上より入ぬき通し其の緒を両方にわけて裁取にとつて一むすび結びて其の後右を折り返し左をばひとへにしてひとわにむすぶべきなり(かたわなの事なり)

此の時咒文に曰く天上天下唯我独尊如此唱ふべし其の後旗を庭上へ出だす此の時旗をば竿に持ちそへて出でゝ其の日の玉女の方に向ひて指上ぐる時持たる手をときはなつ其の時同く咒文をとなへ旗を指上げはたの台に立て納むるなりはたの手といふははたに付けたる緒の事なり是れをせみ口に結ひ付くるなり

旗を立てたらば大将反閇へんばいをふみて神に酒を奉り咒文をとなへ拝礼有るべし反閇ふむ儀式御幣を持ち九字文を唱へながらふむなり反閇ふみ様左のごとし

九字の文は臨兵闘者皆陣列在前如此なり

前右足皆右足闘右足右足

列右足者右足臨右足

在左足陣左足兵左足左足

右の如くして大将神前に還りて本尊に酒を手向奉るなり本尊の御前にうづくまりて三度の土器にくたび入れて

手向奉る其の時咒文に云く天上天下テンシヤウテンカ唯我独尊ユイガドクソン愛愍納受アイミンノウシユウ我軍立勝ガグンリツシヤウと三返となへて拝礼あるべし其の後本座になほり給ふ時出陣の時の肴組にて祝儀あるべし但出陣の時は大将一人祝ふ也此の時の祝は諸侍にも祝するなり是ればかり出陣にかはるなり

御幣あらひ米肴手向け奉る前に立ておき旗裁縫はじめ精進無沙汰なればかならず風逆にふき竿にまとはれなどする時は一七日加持くわんじようの前のごとし

旗長さ一丈又は一丈二尺絹二幅なり(或は三はゞにもすれども二はゞをよしとす)色は大将のこのみにまかすべし

オープンアクセス NDLJP:50旗の寸法は定法よりも少し短くせばきハくるしからず一分にても定より長くひろくはせぬ事なり(はたははたさしの役人馬上にて持つゆゑあまりに大なるは持ちにくきゆゑなり)

旗の銘かくにすゞりをあらひきよめ墨筆あたらしきをもちふべきなり

右の外族のかたち長短等家々により吉例を用ふる事なれば様々あるべし一色を見て不審をなすことなかれ

旗袋旗袋の事大紋の赤地のにしきうらは綾等を付くべし長三尺広さ七寸但是は袋に縫ひたる時の大さなり筒の如くぬひて両方三寸づゝ縫ひのこしほころばすべし縫めの方三所菊とぢを付くる事縫めを下へなしおしひらめ六ひだづゝひだをとり両方合て十二ひだなり紅の組緒を通すべし緒の両端八寸づゝ二またにしてひだの上より穴をあけ緒を引き通し緒の先を一つにとり合せふさをつけるふさ長さ三寸なり緒の惣長三尺六寸なり緒を通す穴端より五寸の所にあくるなり菊とぢは黒革にても藍革にても用ふべし二つは縫ひのこしたる所に付く一つは縫ひめの所の真中に付くべし

旗袋出陣の時は前にかけ帰陣の時はうしろにかくべしはたさしの役人えりにかくるなり

右旗仕立様伝来の説なり色々むづかしき作法仏神等を用ふる事は旗を神にせんが為なり右の作法を略して用ふべきも人々によりて心次第たるべしはたぬひ終りて軍神を祭る事はかならず有るべし其のまつりも神道を用ふるも仏道を用ふるもひとの好によるべし

はたざほむしくはざる法うなぎをやきて度々ふすべおくべしむしくはず惣て何にてもあれうなぎをやきてふすぶべし 旗竿とる次第霊所の竹の太さ細さを見さだめ末も枯れざる竹の虫もさゝず節間のびたる竹を立てながら七日或は三日加持をして取るとも其の生門の方へとり出だすべきなり加持の時摩利支天九字の文をとなへ印をむすぶなりとり様は根ほりにも立勝にも両様なり若し立勝ならば左刀にて立勝べし節数は半にすべし重にすべからず

口伝に曰く霊所とは名高き神社仏堂の地の事なり生門の方とは子の日は子の方丑の日は丑の方生門也子の日は子より七つめ午の方丑の日は丑より七め未の方は死所なり根ほりとは竹の根をほり出して根をきらずひげ計りをとりさるなり立勝とは根を切り削るなり左刀とは左刄に付けたるなたの事なり節を半にする事二人かたざるこゝろなり云々

旗竿旗竿長さ一丈二尺是れは一丈のはたにもちふべし又は一文五尺又一丈六尺是れは一丈二尺の旗に用ふべし但一丈六尺は天子の御旗竿なり云々(図末にしるす)旗台旗台の事五寸角の檜木柱四方に立て長さ三尺六寸厚さ一寸程のぬきを三所にぬき入れはたざぼをぬき十文字の所におしあてゝ縄にて男むすびにむすぶなり結めは内になすべし内とは身方の方をいふ大将の御前の方なり竿も内の方に当つべし(図末にしるす)

旗指御旗差の役人は大将の御出の時中門の内御妻戸の前に伺候するなり御旗仕立申役人御族をもち出て御旗竿の蝉口に付て渡さるゝ時御旗ざしこれを受取り大門より罷り出で馬に乗る時は御旗をば彼の官人にもたせ置き馬に乗りて後御旗を取りてさし申すなり御旗ざしの役人は大兵大力にて強勢なる人をえらみ勤めさせらるべしさなければ御はた自由に取り扱ひがたし

乳付旗乳付はたの事のぼりとも云ふ是れは東山殿御代康正二年畠山左衛門督政長はじめて旗に乳を付け候ひけるより起るなり旗の長さは前の如し乳数は上の横五つ五行にかたどる竪は十二なり十二月又十二支をかたどるなり乳の長さ六寸横三寸二つに折りくけて付くる也但長さ六寸といふは二つに折りたる時六寸なりのばしては一尺二寸也旗へ一寸五分かゝるなり乳の針めは如此にぬふなり乳を付くるには下のちより段々順に付けてのオープンアクセス NDLJP:51ばるべし乳を下より付てのほるゆゑのぼりと云ふなるべし又乳をば旗と同じ絹又は布又ふすべ革黒かはなどの類にてもするなり縫め如此するはまんじ如此するはまんじ此の心なり(図末にしるす)

乳付はたの竿は前にしるしたる竿の寸尺にては短し旗一たけ半計にすべし如此にあらざれば竿みじかきなり

上の乳を通す折りかけは鉄を丸く大ゆびほどの太さにしてまかりがねの形の如く打ちて下に穴をあけて緒を通すなり竿には右のかねの通りめぐるほどの大さなるつばがねを打ちて夫れに打ちかけのかねをさし下の緒をさし下の緒を少しゆるめて竿にまとひてとめおくなり又竹にてもするなり(図末にしるす)

身方のはたをば立つる横たふと云ふ敵のはたをば引き立つるたふるゝといふ

旗を先へやるをばすゝむといふ後へ帰るをば鶴するといふなり

 
幕の事
幕の長さ三丈六尺三十六禽を表す又二丈八尺二十八宿を表す又三丈一尺三十日を表す布はゞ一尺二寸十二月を表す五幅は地水火風空の五体木火土金水の五行を表す乳の数廿八二十八宿を表す九つの物見は九曜星を表す

幕の地は布なり幅は五はゞふせ縫ひにするなりぬひ糸は麻糸をふとく強くして用ふべし五幅の内上の幅をかふりの幅といふ又天のはゞ共いふ中三幅は物見のはゞとも紋のはゞとも云ふ下のはゞは沓の幅と云ひ又芝打とも地打はゞ共いふまた石うちともいふ

 補
器の乳廿八は廿八宿にかたとる其の内に牛宿にあたる乳を除く事一流の義あり日本には吉備公の相伝なりとて別に前後まじはる事中頃大内火災にかかりし日は牛宿にあたる日なりしによりて牛宿を除きて廿七宿とせり徒然草大成に見えたり牛宿をのぞく事古製になき事なり
春城曰く古代牛宿を吉宿とす扇鏡に曰く牛宿は吉宿なり白乳なり斗宿女宿の間に置くなり是れ牛宿を吉宿とする一証なり扇鏡に曰く乳は九寸を折廻すなりちの広さはくけて一寸三分なり弓法秘書に曰く幕の手とはちな通したる緒の両方へ出てたるを申すなりみなはと申す人もありわろしまくの手と申すべし何がしとまくの手をつがうたると物がたりにも仕なりちを通したるなほのことなり扇鏡に曰く手縄はちを通しかたへ三尺づゝ合せて六尺いづるなり扇鏡に曰く乳に二十八宿八月一日角宿より始まる是を次第に付くるなり吉宿の所には白乳を用ふるなり凶宿の所にあたる時は黒を付くるなり
乳の数廿八長さ一尺二寸十二時を表す又五寸二分にもする布一はゞを三つにわり折りてはゞ一寸二分にする幕にぬひ付くる分一寸づゝ両面へかゝるなり或は一寸二分もかけて縫ふなり乳の色は白青黒三色なり何色の幕にてもあれ乳の色は同じ乳をとぢ付くる針めの形末にしるす

針目九つは九曜星七つは七曜星を表す下地をよく縫ひ付けて上に箇様に針めをみせとづる也四角に十文字に糸をわたす也

物見の数は九つなり物見の広さ八寸但上の二つは尺二寸中の物見は下四の間なり又上のはゞは中の物見の間たるべし上二つは大将の物見なり中三つは侍大将臣家の物見なり下四つは諸軍勢の物見なり幕のはしより下の物見まで三尺五寸なり

幕の紋は五所又三所又七所に付くる大略は五所也諸侍の幕の紋は中三幅にかゝるべき也大将の幕は上下の幅迄にかゝる也白地の幕は勿論紋黒し黒き紋を漆にて墨の上をそととむるも可然也雨露にはげずしてよきなり

手なはの事長さ七間半なり但幕の長短に寄るべし幕よりあまる分両方七尺五寸づゝにすべし布一幅を三つにわりて左縄になうなり三くりなり色は是も青白黒打まぜなり手縄の先白き右の方に九字を見分かぬやうに書くべし白手縄にする流もあり

地白の幕もすそ紺も地染のまくもつま黒も乳の色は白青黒三色なりいづれも物見の数も乳の数も手縄も替らざるなり

右の手先白き乳に十字の内の勝といふ字をかくなり

幕串まく串の事木は勝軍木又は檜の木なり幕の広さにくらべて二尺余ほどにすべしかぎより上四寸二分八角にも丸くも又四角にもすべし上はきりこなり大さ五寸廻りにすべし土へ入る分先をとがらする也くしの内一も二も土へ入る分に鉄をかけてまなばしの如くする是れにて土にあなをつく為なり串は黒くぬるなり(図末にしるす)

幕一帖といふは二はりの事也根本一帖といふは六丈四尺なり

オープンアクセス NDLJP:52まくをば打つともはしらかすともはるともいふなり常にはとるともあぐるとも云ふ軍陣にては取るをば納むるといふなりはしらかすと云ふは船中にての詞なり敵のまくをば引くといふはづすといふおろすをしばるといふ

幕打様まくの打ちやうかたに串四つに有るべし先左の方より串を立て初めて打つべしうへはいづれもをり釘にかくべし両のはしを折釘の上にてしるし付けてむすびて其の余を下へさげてまとひて留むべしとおもふ時は手縄をくしにわなにしてしめてそのわなの所を手縄のはしにて物をひつときにむすびて置くなり一帖打つ時も同じあくる時右の方よりあくべし(図末にしるす)

 補
弓馬故実に曰く一帖といふは二つの事なり一つは方方といふなり
上占はまく一口二口と云ふ車防令にみえたり
まくを打つに右の方の端をば必外の方へ筋違に折りまげて打ち出だすなり直に打つ事は忌む也何帖つゞけて打つとも右の端の幕をば打ち出だすべしまくぐしは内に立つるなり主君御通の道すぢ辻固する時は幕串を外に立てゝ端を内の方へ打ち入れ申すなり是れ御通の方を幕の内にする心なり又すべてまくのすそは少し地にたまるほどに打つべきなり

幕何帖も打ちつゞくる事二つの幕のつぎめを常に着物着る様に打ちちがへめは半間ほど重ぬべし

 補
扇鏡に曰く昼は日の物見より出入なり夜は月の物見より出入なり弓法私書に曰く番をうち上けて内へ入る時はまくのすみを外へ一つまくり返して両力の手にてまくをあげて内へ入りてあとをよく直しておくべきなり内より出る時も同前なりいづれもまくのすそ内へまくり入らぬやうにするなりまた紋の付きたる問を出入すると申す説あり
幕出入幕出入の事上の幅に物見二つあり是れを日月の物見といふ此物見の通りの下より出入すべからず其の処をよけてまん中の通りより出入すべし(若し其の所に貴人居給はゞ何方よりも出入すべし)出づる時はたゝみ上げ入る時は前へまくる心也紋の間を出入るなり又何帖も打ちつゞけたる時その打ちちかへたる間をば通らぬもの也

幕小丸付幕にこまるを付くる事こまるとは紙を五分ほどに細くたゝみて手縄に結ひ付け置きて幕をかゝげてこまるにてむすぶなりこまる付く所は日月の物見の上に一づゝ真中に一つ以上三所につくべし日月の下は大将の出入し給ふ所なり中は諸軍勢出入すべし一説に中を大将の出入の所と云ふはあやまりなりこまるにてむすぶを身方にてはかゝぐると云ふ敵の幕をばしばるといふべし

幔幕幔幕の事長さ何程とは不定其の絹のはゞ十二ならべて上に横に一はゞわたしたる物なり段子其の外何にても人々の位ほどにすべし横幅より下へ五尺にするすそ三所一尺計ほころばすべし物見なし惣体ふせ縫ひにすべし乳の数十二長さ広さ不定同じ絹にてすべし紋付くる事は横はゞに五つ付くるなり上に横幅あるを幔幕と云ひ横幅なきを暖簾といふなり(図末にしるす)

 補
岡本記に曰く常にまくとりおく時はまづもとの方をときて扨末もときて本末ひとつに合せて表とあふさてそのまゝかずもなくひた物をりて行て前に書く如く又上へ折りあげ二つ手を持ちてくるとまきておしかひておくべし猶口伝在是
乳をぬひ付くる様手なはの色等の事前にしるすに同じ

幕畳様幕を畳むこと常のまくは本末を内ざまへ折り入れ畳むべし出陣の時は外へ折り出だしたゝむべし帰陣の時は常のごとし

幕入唐櫃まくも唐櫃に入るべし唐櫃の大さ幕一帖入るほどにつくるべしまくの大小にしたかふべしすべて箇様の物は皆唐櫃に入る物なり

軍道具不洗軍道具をばあらはぬものなり殊に幕をばあらふべからずあたらしけれども大将うち死の時はかならずあらふものなりしかる間堅く洗ふ事を忌むなり

 
補 弓馬三冊一軍陣之鞭之図 
 
 
旗裁時式座之図 
 
 
旗袋、同緒ヲ通タル形旗之形如此ニモスル也
 
 
 幔幕之図
 
 
  
 
 
  
 
 
  
 
オープンアクセス NDLJP:53
 
軍用記第七

伊勢貞丈著︀
千賀春城補

 
軍礼の事
出陣の時肴組やう

かりそめに肴を拵らふる事打蚫二つ勝栗五つ三つも組むなり

出陣の時に一に打蚫二に勝栗三に昆布如是祝ふなりうち勝よろこぶといふ心なり右喰様ならびに酌の次第酒のみやう流々により相替る間一偏ならず先如此の祝は主殿の内にて南へ向つていはひ給ふなり大将物の具をよろうて床机に敷皮をかけ白毛を下へなして腰をかけ白毛の所をふまへて着座有るべし御酌陪膳の人も皆鎧を着て仕るべし何もあとへしさる事をいむ左右のわきへは向ふべし又右へ廻る事をいむかならず左へ廻りて立つべしひざをつく事なしつくばひて仕るべし肴喰やう先出陣の時は打あわびを取りて左の手に持ちほそき方よりふとき方へ口を付けてふとき所をすこし喰切りて上の盃をとりあけ酒を三度入れさせて呑みて其の盃は打蚫の前辺にも置くべしさて次にかち栗の真中に有るをとりてくひかきて中の盃にて酒三度入れさせのみて其の盃を前の盃の上におくべし軍中記には二つめの盃の時は一度入れて加へて二度入るゝなり加るは二つめの盃の時ばかりなり扨次に昆布の有るを取りて両の端を切りて中をくひ切りて下の盃にて三度酒を入れさせて呑みて其の盃を本の所へおくべし喰たる残りの喰ひかけの肴は膳の左のすみの辺におくべし酒を盃に入れ様はそゝと二度入れて三度めには多く入るべし酒ぎらひなる人には呑残さぬやうに少し入るべしいつもそと一度入れたらはくはへて二度参らすべし以上三度三盃にて三々九度なり酌くはへ共にしさるべからず此の祝は大将一人へ参るなり相伴はなし祝終りて中門へ出で給ふ也中門にて太刀をはき矢を負ひ弓杖をつきて馬に乗り給ふなり馬上弓持ちやう例式のごとくうらはずを馬の耳二つの間になして持つべし歩行の時は左の手に弦を下へなして持つべし立ちあひて人の物云ふ時は弓杖をつきて弦を脇へなしていふべし又畏つて物云ふ時は弓のうらを人の方へなし少し横たへていふ又賞翫の人に物申す時は弦を外へなし外竹を前へなして申すべし(補 軍陣聞書に曰ふ肴をかんなかけの上にめゝかく小角なりにをしきにすうる也へいかうはめゝがくに折敷にはすゑぬなり其外三種をばをしきにすうべきなり三度のみくふなり出づる時は先一番に蚫のひろき方のさきより中ほど迄口を付けて尾の方より広き方へ少しくひて酒をのむべし其の次二献めにかちぐりを一つくひて酒をのむべきなり其の次三献目にこぶの両方のはしを切のけて中をくひて酒をのむべきなり毎度軍ばいの時はあはびかちぐりこぶ此の三色たるべきなり我家にてぐんはいを祝ふにはしゆでんの九間にて南に向きて祝ふなり家のつくり様によりて南へむきがたくは東へもむくべきなり東南は陽の方なり其の謂なり又云ふ可酌やうの事一人してすべし初献はそび はびと三度入れて二献めはそびと一度入れて左へまはりてくはへて又そびばひと二度入るゝなり三ごんめはそびばひと三度入るゝなり以上九度なり盃を人にのませぬなりいはひてやがて肴をくづしてあくべし酌は諸ひざを立てつくばひすべしくはふる時も其外かりそめにもうしろへしさるまじきなりそびと入るゝは酒を卒度入るゝなり是は鼠の尾の心なりはびと入るるはさけを多く入るゝなり是れは馬の尾のこゝろなり陰陽の義なり)

甲役人甲持様御甲の役人御甲をかいとりて左の手のひらにすゑひぢにて持せ肩にしころの端のかゝる様に持つべし敵の方へオープンアクセス NDLJP:54むくやうに持つ事しつけなり前にくはし

上帯結直中門にいまだ出でたまはざる時は上帯をば仮にしめて中門を出で太刀をはかせ申す時上おびをよくしめ直すなり

帰陣肴組帰陣の時御肴くみ様

帰陣の時は勝ちて打ちてよろこぶといはふなり一勝栗二打蚫三昆布如此いはふべし打帰りては打あはひの広き方を喰ふなり其の外出陣のごとし(補 軍陣聞書に曰ふ帰陣して祝の時は初献にかちぐりをくひて二献めに蚫のひろき方のさきをちときりて折敷に置きて其の切めよりほそき尾の方へくひて酒をのむなり三献めにはこぶの両方のはしをきりのけて中をくひて酒をのむべきなりあはびのくひやうばかり出陣と帰陣とかはるなり)

 
首実検の事
装を高くゆふとは古の人は惣はつなり常にもとゞり後へよるを其の髪は頭の真中へよせてゆふなりもとゞりを取りて引き故なり

首の拵様(くび仮粧と云ひ又首装束とも云ひ)首ノ髪結様髪は常より高くゆひ候ふなり首の髪をゆふには初より水を付け右よりくしをつかひそのくしのみねにてたてゝ元ゆひを櫛にて四つたゝきて結ひ納るなりさればたゝの時節のみねをかみに当つべからず又歯を黒めたる首にはかねを付けけしやうしたるくびにはけしやうするなり(補 貞順記に曰ふ首装束の事能く洗ひて髪をゆふ也左右の耳の上後のとほりにくしめをするなりもとゞりにはよく水を付けてゆふなりたゝみ元ゆひなり又水こきせざるこよりにてもゆふなり二まはし廻してむすひきるなり馬具寸法記に曰く首のこしらへ様髪を高くふくさ元ゆひなり)(春城曰くふくさ元ゆひとはたゝみもとゆひの事なり)首をすうる台の事そばをしきなりそばをしきは角を切らぬをしきなり常そば折敷よりは手あつくするなり木は檜木なり広さ八寸四分四方厚さ九分足の高さ一寸二分計足はさん足なりくりかたなし箱のふたのさんのごとく打つなり鉄針にて三所打つべし首を置く時はまさめの方を先へしておくなり木目を堅にしておく事なり依つて常には堅に木めを人に向けて膳をすうるをゑびす膳とていむは此のゆゑなり首に酒のまする時も同じ(補 弓法私書に曰く首板の広さ八寸にしてさんを打つべし足付のごとし是にくびを置きて見せ申すなり大将分の首をはいまた実けんせぬ間は白布をかけておくべし馬具寸法記に曰ふたゞの人の首はかんなかけのやうに足もなくすこし厚き板に居うべし大双紙に曰ふ台に朝敵又は御一家ならばくきやうにすうべし常は平折敷なり居物なくばはながみにすうべし夏の首のしるのたるゝをばぬるでの葉をひくべし春城曰ふ大将の首は一尺五寸の足の高さ四寸二分の台にすゑて二人してかきて出て懸御目なり尚部類抄に記す)

首実検の時大将は中門の内にて御覧有るべしみせ申す人は門の外なり大将はへりぬり又は梨子打ゑぼしをかぶり鎧直垂の上によろひを着しゆがけをさしさやまきをたいし太刀をはき上帯をしめ鉢巻をしめ切符中黒の征矢をさしてさかつらの箙を負ひ鞭をは身よりの方にあるやうにさし(ゑびらにさすなり)つらぬきをはき左の手には重籐の弓をにぎり右の手には扇を持ち床机に引皮をしかせ腰をかけ白毛の所をふまへて着座したまふべし右にもちたる扇をば立て給ふと云ふ引合はさすなり是れ御覧する時は床机をはづしつい立ちて弓杖をつき右の手をは太刀の柄にかけて少し太刀をぬきかけて敵に向ふ心にして右の方へ顔をそばむけ左のめじりにて只ひとめ御覧じて扨てぬきかけたる太刀ををさめ弓を右の手にとりて弓杖をつき左の手に扇を取りて不残びらき昼はあふきの日の方を外になし夜は月の方を外になして左あふきにつかひ給ふべしくびは一目御覧ずるなり二目とはみぬ物なり又ま向には見ぬ物なりしりめに見るなり(補 蜷川記に曰ふ朝敵の首をまむきに見ぬ事なりさるほどに御覧じさまに右のあしを左へ御こし候て身をひねりて首につい違ひて実けん有るものなり)若し御太刀人に持せらるゝ事あらは左にきつはにもちて御左のわオープンアクセス NDLJP:55きに可在之きつはとは太刀をすこしぬきかけて太刀のつかに手をかくるなり御前伺候の人々も皆へりぬりまたは折ゑばしに鎧直垂の上によろひを着し太刀をはくなり首御目にかくる人もおなじ出立なりあし中はくべからず沓もはくべからず矢をおふべし実検の作法すべて戦場の如し大将のくびなどは敵方よりうばひ返しに来る事ある故別けて用心きびしくする事也(補 貞順記に曰く首対面の事(春城曰ふたいめんとは大将のくびを実けんする時を云ふ)大将は六具して冑を人にもたせ供侍二人めしつれ候是れも六具して甲を高ひもにかけ弓征矢を対して大将の左右に居るなり)

くびの左りかほを御めにかくると書きたる書あり誤なり左は敵対する法なる故右を御目にかくるなり 首持出様首を持ちていづる事台を左の手に持ち右の手にてもとゝりをにぎり引きあげて台を下に受けて持出て座する時ひざを立つる事なし両ひざをふせて安座するなり扨て台を下に置きて左の手をば首の耳に大ゆびを入れのこるゆびにておとがひをかゝへ右の手は頬よりおとがひをかゝへ持上けて首の右のそば顔を見せ申して頓て左へ廻り立ちてしりぞくなり初御目にかくる時は両ひざをべたと居ゑてみせ申すなり帰る時は首を台におき前に持出でたる時のごとく持直して退くなりよろひ着たる時は両のひざをふせて前にて足をろくに居て御めにかくるなりひたゝれきたる時は左のひざを立つるなり両様なり御覧の時は奏者は大将と御めにかくる人々の間御左の方に居てくび取りたる人の名字を披露すべし首を見知りたらばたれそれの首と披露すべし首取りたる名字(何のたれ討とりたる何がしがくびなりと云ふなり)を披露して後に首の名字をば云ふべし首のだいなき時は鼻かみ又は常の扇のうらを表にして首の下にうけてのせたる如くに持出づべし(補 軍中記に曰ふ頸を見せ申す者ひざのたてやう両方をへたと居うるなり頸を持ち出づるもの何がしとは申さず候申次は別人なり位次第に見せ申すなり両ひざをべたと居うると云ふはよろひ着たる時はあぐらをかき安座して見せ申すなり武士は平生片ひざ立つる事を礼とすれども鎧着ては主人貴人の前にても両ひざふせて安座を礼とするなり位次第とは首かずあるとき首の位次第によき人のくびほど先に御目にかくるなり)図すゑにしるす

実検すみて中門の外において首を台又は首桶のふたの上にすゑ置きて首を敵の方へ向けて弓杖五つゑ計のきて立ちならんて時の声を上ぐるなり首ニ酒為呑折敷はゑびすぜんにすうるなり板めをたてにしてすうるなり首に酒のまする事侍大将等のくびの事なり其の外の首には此事なしその主意はてきながらもいやしめすもてなす心なり終りて縁のなき折敷にかはらけ二つ重ね向ふにこんぶ一きれ置きてくびにすゑて銚子持出て首取りたる人首に酒のまするなり酒のませやうこんぶを取りて首の口によせて折敷のわきへ置きて上の盃に二度酒をつがせて首の口にのまする体にして盃を折敷のわきにうつぶせて置き又前のこんぶを首の口によせ又下の盃に酒二度入れさせて首の口にのまする体にするなり二度つゝ二つ盃に入れて以上四度なり盃三つあるは二献なり此の時銚子の持ちやう常に替り左の手を先にしてかつらの星の所を持ち右の手は長柄の折目を持ちて左の手の甲のかたへひねりて逆に酒を入るゝなりくびを我が前の左におき我が右の方へ首のおもてをむけて左の手にてもとゞりを取居て右の手にて酒をのまするなり酒をいだす口は常の口なり一説に右の方の口より酒をいだすと云ふは誤なり其の子細は銚子は本は片口なり両口にしたるは乱酒の時左右の人に参らする時のためにつくりたるなり凶事のためにつくりたるにはあらず凶事の時はてうし持ちやうかはるばかりなり酒は常の口より出すべきなり常にこんぶ一切盃二つおく事二献のむ事左酌にて逆に酒入る事盃をうつぶせて置く事をいむは右の故なり右の儀式終りて首をば北の方へすつべし北の字はにぐるとよむ字にてある故なり東の方へ捨つべからず軍陣に北の方をいむは此の故なり

具足をぬぎ小具足にてもあれ首御目にかくる事あり其の時はたぶさを右の手に引きさげてくびの面を先へなし首を少しあふのけて首の左を御覧有るやうに御目にかくる時左右のひざを立てゝつくばひて御めにかくべきなり立様に左へ廻りて立ち候なり(補 軍中記に曰く具足をもぬがせ小ぐそくにてもあれ頸を御目にかけ候事有り左やうの時は頸のたぶさを右の手にひつさげてかほの面を先へなして首をすこしあふのけて頸の右を御覧し候オープンアクセス NDLJP:56様に左右のひざを立てつくばひて御目に懸くべし立さまに左へまはりて立ち候也然れはくびの右の方御目にかけ候○くび実検の次第本式と略儀の差別をよくわきもふべし本式には主従ともに甲冑を着し出陣の時のごとし略儀には直垂にて鎧きず又はひたゝれに小具そくばかりなり又本式には首台を下におき両手にて首を持ちて首の右がほをごぜんへむけ少しあふのけて左かほを御めに懸け左へ廻り帰る時おのづから右がほを御らんずるやうにする又本式には首御めにかける時両ひざをふせてべたと居る略儀には両ひざを立てつくばふなり本式と略儀とをこんざつしては心得ちがひあるゆゑこれをしるしおくなり)

入道くびは左の手にて切口をとらへて大指にて耳の上をつよくかゝへて御目に懸くる様は冑の首同前なり(補 軍陣開書に曰ふ嘉吉元年赤松大膳太夫満祐法師か首慶雲院殿御実検のときは伊勢守殿宿所西向にて御実検あり其の時当方侍所なり多賀出雲入道所司代職抱の時出雲入道子息左近将監に令指南御目様うら打の直垂にゑぼしがけしてもゝ立を取りて以前にしるすごとくだいにすゑて持ち御前へ参りてくびをそのまゝ中に持ち右の方を卒度御目にかけ左へ廻りて立つなり頸を台におく時より直におかで右の方を御覧せらるゝごとく台の上にすぢかへておくなり○赤松大膳太夫満祐普広院義教将軍を弑し奉り我領国播州へ迯籠りしを京都より討手を向けられ赤松を誅伐し給ひその首京都にて実検あり将軍慶雲院義勝公御覧せられし式をしるせるなり伊勢守は伊勢いせ守平貞国なり政所職をつとめられしなり当方とは佐々木京極家なり右軍陣聞書をば京極の家臣多賀豊後守高忠かしるせしゆゑ京極家をさして当家と云ひたるなり)

肩衣袴の時は太刀を持ちて首を見る事ありこれは一向略儀なり(補 古のかた衣はひだをとる事なし三光院内府記に曰ふ半臂は如肩衣にて有裏云々公家衆束帯の装束の下に半臂といふしやうぞくを着せらるゝなり半臂の絵図装束図式と云ふ書に有り〈[#底本では直前に「終わり丸括弧」あり]〉その半臂はそでもひだもなきもの也古のかたぎぬはひだなきものにてありし故半臂のかたち様子をいふとて半臂かたきぬのごとしといひたるなり其の形似たる故なり今の肩衣はひだをとるゆゑ半臂のかたちににたることはなく大に違ひたるなり)(尚部類抄にくはしく記す)

平人の首はかんながけにすうべし(すゑざる事もあり)御めにかけ様大略同前なりかやうの時鎧直垂にて仕るなり又さしたる首にて無之時は小具足ばかりにても不苦その時は太刀にても打刀にても可持候又扇を被持べし大略左にもつなりさして位も無之首をは右の方をみせ申すべきなり

戦場ニテ首懸御目合戦の場にて人体の首御めにかくる時は時により扇にすうることも可有之

屋台有所ニテ首懸御目事屋台ある所にて人体のくび御めにかくる時はさいこしに御覧するやうに可御目なり

私宅ニテ首見私宅にて首見せ申す時はよろひひたゝれなり時宜は同前又小具足などにて見せ申すこともあり是れは定法あるべからざるなり

首をは実検終りて拾つる事もあり獄門にかくるも有り首桶に入れて敵の方へ送ることもあり其の時その首の品により子細による事なり

首桶首をけのこしらへやう高さ一尺三寸口の広さ八寸わげ物にしてかぶせぶたなり蓋の上へ書く文字はこれなり緒の付けやうは革にても又おびの類を以て十文字にからぐることもあり両様いづれにても用ふべし

首桶ニ首入様首桶にくび入れ様の事貴人の首ならばすゞしに包み桶のとぢめの方に首の面をむくべし保呂にてつゝむ時はほろのこしのひもを切りて両端を畳みて右の方を上になして包むなり

敵ニ首渡様敵に首わたしやうの事暇乞の矢とて征矢一筋添ふるなり矢を右に持ち首桶の緒を左に持ち請取る人の前にて首オープンアクセス NDLJP:57桶を我左へおき矢を右に持ち根の方を下になし矢の根の上のかたに左の手をそへ先矢をわたし扨て首桶の緒を左に持ちとぢめ(常のものはとぢめを先になす事を忌むとぢめは我方になすべし)を先になし右の手をそへわたし申すなり

首請取様同請取やうの事先矢を右にとり左の手を添へうけ取り我右に置き左にて首をけを右の手そへて受とり我左へとぢめを先へなし置き披露可申旨申候て罷立つべきなり

首披露同披露の事矢は右に持ち首桶は左に持参もちたる儘にならへ置きて披露申すなり但矢の根の方主人に向くべからずすぢかへてわきへむくべし扨主人の御返答申し候時はかの矢をとりて右の手に持ち根を下になし御返答申して即矢の根の方を先へなして渡し返すべきなり使者は多分矢をとりて帰る事なしその時は矢をばその所へすて置くなり

首札付首に付くる札の事(木札本なり長さ一寸八分横は一寸なり上二分置きて切目付緒縄にて結ぶなり)木札にても紙札にても何がし是をうち取るとかくべし首見知りたらは何某(或は討取る人の名不書と云ふ書きたるかたよろしかるべし)討取之何某の首と二行に書くべし札付所は大将分のくびは左の鬢の髪に緒を結付くべし若党の首は右の鬢に付くべし入道ならは耳に穴をあけて緒を通し付くべし左右は人品によるべし

首獄門ニ掛罪の軽重によりて首を拾てずして大路を引廻はし獄門にかけ市にさらす事あり又陣所の近辺にかくること陣所を首のうしろにして可懸なり首板にすゑかけ札にかけおくなり

首板首板の事首一つの時は板の堅横一尺六寸なり堅足三本付くる高さ四尺(四々十六の数なり四々を死々の儀にとる歟)足二本は前一本は後(常に三足の香炉其の外三足の物を二足を人の方へ向くるを忌む此の故なり)なり板のうらより表の方へ長き釘を打出たして首の切口をさすべし首数多き時は板の長さは首数相応にすべし此の時は足は四本四角にうつべし足は釘にて打つなり

獄門札獄門札は横板なり頭を劒先にせず四角なり柱は一本高さは人のよむほど五尺計成るべし文言に何の罪に依て如此と書留るなりされは常には札の頭四角にせず横板に物かく事を(箱物のふたの上に書く等横板にかくことをいむなり)忌み又如此とかきとむるをいむなり

首注文首注文の事たとへば

 天文二年七月六日(申時於大山表討捕首注文の事)

                   期日弾正手

首 一   前河左衛門           勝手右衛門 討捕之

                       中間

首 一   名前不知              彦六

                   長尾雅楽介手

首 一   荒上次郎左衛門         益田弾正忠 討捕之

  此外討捨数不知と計書之奥に年号月日も無

着到着到といふは身方のぐんぜいはせて集り来るにしたがひて其名字をかき記す日記なり出陣の前の人数帳なり

感状感状は大将御感有りて下し給はる状なりたとへば

     今度於何方合戦に粉骨の儀併無比類
オープンアクセス NDLJP:58     弥忠節神妙たるべく候

      月 日                 御判

         何かし殿    殿ゐとのへ何も人によるべし

首切様体首切る時の事切手は床机に腰をかけて居るなり生害すべき人をば敷皮に置くべし敷皮の敷きやう常にかはるなりくしかみを前にして白毛をうしろになしてうらを上へなし毛の方(常には毛の方を上へなすなり)毛の方を下へなして敷くなり又平地に居て腹切る時分白毛をば右か後へなして敷くべし敷皮なくは引敷(敷皮の如くにてこしに付くるものなり)を敷くなり其時は緒の付たる方を前(常にうしろになすなり)になし毛さきを後になし引くべし引敷は(常には下へなすなり)毛の方を上へなし敷くべし引皮も引敷も敷きやう常とはおもてうらにするなり

人ニ令切腹人に腹切らする時の肴の事(常には盃より前に肴を出すなり)盃より後に肴を出すなりふちをとりはなしたる折敷にかはらけ二つ重ねて出し次におなじ折敷に香の物三切(身きれといふ心なり)すゑて出す折敷はいづれも木目を竪(ゑびすぜんといふ物なり)にしてすうべしあひしらひの侍はふち有る折敷の木目を横にして香の物一切(人きれといふ心なり)すうべしはら切る人に酒をはしめさせてあひしらひの侍一つのみて思ひ返しに切手へさす切手のみ終らざる内にあひしらひの侍は立つべし銚子より酒出す事切腹人にはてうに二度つゝ二盃にて四度なりあひしらひの侍併に切手には三度つゝ酒を入るべし是れは盃は一つなり銚子の持ち様切腹人に酒のませる時は前にしるすごとく左酌に取るべしあひしらひの侍切手などにのまする時は常のごとく持ちかへて酌をするなり

首併成敗人ニ酒為呑肴組首にのませる時と成敗人に酒をのまする時は肴は昆布のおび一切と塩と篠の葉をかひ敷にしてふちなしの折敷にすゑて盃より後に出すべし盃二つ前のごとし二献のまするなり銚子等の事前の如し

右のごとくの儀式なる故ふちなしの折敷又折敷の板目竪にすうる事看より前に盃出す事香の物三切盛る事こんぶの帯くふ事又こんぶ一切肴に組む事酒を盃に二度つゝ入るゝ事二献呑む事思ひ返しにさかづきさす事左酌の事塩を肴にする事篠の葉かひ敷にする事等常には甚忌む事なり思ひ返しの盃とは一盃のみてその盃を下におきてやがておもひ返して其の盃を人にさすをいふなり常に人にさす時は一盃のみて直にさすべし下に置きすこし間ありて其の盃そのまゝさすべからずいむ事なり盃二つ重ねてすうるも忌む事なりさかづきをうつむけにおくも忌む事なり

寛正ノ古例寛正の頃楠南方より囚人にて上洛せし時切腹せしむる時の儀式前の如く昆布塩の肴にてさけのませたり貞丈曰ふ寛正の頃とはあやまりなり明徳三年なり楠正元囚人となりて誅せられしなり昔の例を引きての儀なり首の切手は其の時の所司代多賀豊後守なりかちんのうらうちに大口を着し梨子打ゑぼしに鉢巻を着す太刀はいか物づくりなり甲士三百人にて警固有之と云々

首日記付時墨研様首日記を付くる時は硯の海にて墨をこくすりて書くべし筆をも左へ点すべし囚人の着到は如此いそにて墨にて左の文字のかたちにするなり筆を竪に点すべし

首ノ居様首のすゑ物くぎやうかんなげにも又碁ばんの上にもすうべし 一説にごはんの裏に血たまりとて四角にくぼめたる所あるは此の故なりといへり此の一説用ふべからず

囚人縛縄囚人をしばる事死罪の者は白縄三所四寸にしばる流罪の者は細引にて三所六寸にしばるべし凡下の者をば三所八寸にしばるべし

囚人しばる縄の事侍をば弓の弦或はえびらの上帯なるべし鼻より上に紙をかけ又はほうかぶりさせて顔をかくオープンアクセス NDLJP:59させて素襖をうちかけて脊縫をほころばして夫より縄を引とほすべし四寸ほど脊ぬひをほころばすなり凡下のものをばさし縄馬尻縄なりにてしばるべし

囚人請取渡囚人請取渡の事請取る時は渡す人の出立を聞きて其のごとく出立つべし渡す人の上手をとるやうにして刀に心をかけさそくを心得べきなり

武具陣所ニ置様すべて武具をば陣中にては敵の方むけておくべきなり

鯨波声ときの声は左より右へ上るは吉なり右より左へあげるはいむなりときの声はゑいわうと上くるなり

凱歌勝どきの事敵を退治しては床机にこしをかけ祝の看に向つて勝栗を右の手にとり左にて扇を不残ひらき持ちて大将ゑいゑいといふ時三度めに諸軍勢ときをついでゑいわうとあぐるなり

軍道具は洗はぬなり殊にまくをば不洗新しけれ共大将討死なとすれは洗ふ也然る間堅く洗ふ事をいむなり

保呂掛時申様母衣をかけて主人に物いふには我左のあとの塩手の通りに御馬の鼻を置くやうに申し承るべきなり母衣をかけずとも馬上の時はすべて如此なり一説母衣かけたる時貴人にたいしては左の手(緒のことなり)をとくといふせつ有り母衣は自由緩怠の道具にあらず手をとくに不及事なり

弓持参酒給様軍陣にて弓を持ち御前に参り御酒給る事すね当をとり甲を持せ鉢巻にて罷出で御前にて弓を左のわきにはさみ弦の間より右の手をぬき出し御盃をとり左右とあとへ退かずして給はるべし射向の袖を御目にかくるやうに罷出づべし

旗竿出入御旗竿出入の事出づる時はせみ口を外へなし入る時は内へなすべし大将の御前にて御旗竿の向ふを通ること手をつくべからず膝つくべからず手をばひざに納めて腰ばかりかゞめて通るべし

軍陣にて大将の御目にかくる事箙をおひまたはうつぼ付けながら弓を以て常のごとく御目にかけ末はずをとりよせて弓と弦との間へ左の手を入れて其間に御礼申すべきなり手を負ひ抵をかうむりたる時も尻籠うつぼを付けながら御めにかくるなりいた手には出ぬ事なり常の礼には箙尻能うつぼ弓をば置きて参り御目にかくるなり

具足唐櫃出入御出陣の時御具足唐櫃出す事妻戸より出すべし御旗も同前

六具六具といふはゆがけ鞭えびら(但し矢をさしてなり)母衣扇(或は団扇或は麾)小旗(小旗とは背旗にあらずこし小ばたなり)腰小旗平治物語にも見えたり

五装束五装束といふは籠手はいだて甲鉢巻こし当なり七つ道具の事当用抄に曰ふ七道具といふは先具足刀太刀矢負弓持ほろをかけ冑をきる是れを七つ道具或は七つものといふなり又云ふ小具足出立とは白かたびらを着上にかた衣けしやう袴に小手をさしのどわをして太刀をはく鉢巻をいたし候

小具足小具足といふは鏡をば着ずして腹当に籠手すね当着するなり

首ヲ行器ニ入朝敵の首又御一門のくびならでは行器には入れましきなり

旗竿折吉凶旗ざほの折れたるにて吉凶を見る事持ちたる所より上の折れたるは吉事なり持ちたる所より下のをれたるは凶事なり

弓折吉凶弓の折れたる吉凶の事にぎりより上の折れたるは吉事なりにぎりより下の折れたるは凶事なり

馬嘶吉凶馬のいばゆる事厩の内又はひんだして乗らぬ前にいばゆるは吉事なり鐙に足をかけ乗て後いばゆるは凶事なり其の時は弓を弓手の脇にはさみて上おびを結直すべし同馬のはるびもしめ直すべし又馬の身ぶるひするも凶事なり其の時もはるひを〆直し上おびをもかひ直すべし又主も物につまづきたらば上帯をしめ直すべし同はなひる事も忌むなり其の時も上おびを結ひ直すべし此の義軍陣にかぎらず遠方へ行く時同前なり

オープンアクセス NDLJP:60敵のかぶとをば一はねと云ふ一と刎と書くなり身方のかぶとをは一頂といふ
貴人の御馬をひくとはいはず身方の馬はいさめてまゐれといふなりはたをまくとはいはすをさむるといふなりまたいまだはたのてをばとかぬをばくわんぢくといふなり
武者詞軍中武者詞の事敵のくびをば討ちとる或は切りとるといふ身方をうたせてとらせて切らせてつがせてといふ敵のぼこりをはまけふりと言ふ身かたをはむまばこり武者ほこりとも敵の人数をばひき出すひき廻すといふ身方の人数をばくり出すはり出すと云ふ又敵の人数をば引あぐるといふ身方の人数をばあぐるといふ敵の馬をば引くといふ身方の馬はすゝむといふ敵の旗は引立るたふすといふ身方のはたは立る横たふるといふ敵の幕はひくと云ひはづすと云ひおろすと云ふ身方のまくは打つと云ひあぐると云ひひらくと云ひはると云ふ此の外すべて敵の方をば凶にいひよわく言ひ身方の事をば吉にいひつよくいふなり万事心を付けて云ふべし

書状持参陣中にて大将に書状を持ちて参らするには状を立て持ちて参らするなり陣中にては何にてもふする事をいむなり

御前通行大将の御前御はた竿の向ふを通る事手をつくべからずひざをつくべからず手を膝に納めて腰計かゞめて通るべしすべて陣中にては常のごとく手をつかずかしこまらず頭をさげず是れ軍礼なり常にかはるなりよろひ着ては常のごとくならぬ故なり

 
鎧着初の事
男子はじめて鎧着るには吉日をえらみ祝儀有るべし武功名高き人を頼みて鎧親として貴人鎧を着せしむるなり其の人の武功にあやかるべき為なり鐙着初には先八幡宮廉利支天氏神をまつる次第 洗米 香炉 花(時の花)酒可之方角は其の人の生によつて神前をかざるべし生に依てとは子の年ならば子の方丑の年ならは丑の方なり

鎧は唐櫃の上に胴立を置き鎧甲常のごとく飾り置くべし南向又は東向にかざるべし其の方さゝはりあらば聞神の(その日のゑとより三つめの方)玉女の(其日のゑとより九つめのかた)方などに向くべし

梨子折ゑぼしへりぬりにても折鳥帽子にても鎧直垂母衣さし物其の外色々広ぶたにのせて鎧の左の方におくべきなり

甲冑の前には正月のかざりのごとく餅をかざり置きて其の前の左右に瓶子一具口を蝶形に包み置きだいにすうべし供饗に盃を載せ同前に置くべし盃は三つかはらけなり左右に銚子ひさげ蝶形に包み置くべし

着座の次第鐙着る人は東に向ひよろひ着せしむる時は南に向くべし又氏神の方又玉女の方又聞神の方にも向くべし

よろひ着する時後見の人二人有るべし鎧親の手つだひするなり

貞丈曰ふよろひ下にはらまき又はくさりなどを着するは人の器量によるべし誰も定まりて着するにはあらず 鎧着する次第は前の甲冑の部に記したる一二の次第の如く又当世具足ならば一に化粧袴(すそ細の事なり)二に着籠(下はら巻よろひ下ともいふ)三勝当四に脛楯五腹巻(銭なるべし)六に上帯七に籠手併に袖八に太刀九に頬当十に冑十一に母衣併に指物右の次第のごとく着すべしよろひ着の人にすゝませて可着なり(貞丈曰ふさし物をさ、ば母衣をかくべからず母衣をかけばさし物さすべからず二品はさゝれぬゆゑなり)

鎧着せたらは床机(敷皮を引くべし出ぢんの時の如し)にても唐櫃にてもこしをかけさせ南へ向くべし張弓を弓杖につき征矢を為持左の足にて拍子を三つふませて扨て腰をかけさするなり高き物とは折敷を机か又は何その箱か又は新に下台を其の上に折敷をすうるなり軍陣の床机は常よりも高し夫にこしをかけて肴をとるにうつむかぬほどの高さにするなり或は征矢を持たせず団扇麾扇を持たするもよし扨て出陣の肴組を高き物にすべてすうる三献の祝有るべし此の祝には相伴なし出陣の時にも相件なき故なり三つめの盃を鎧親へさし鎧親呑みて納るなり酌の仕様出陣の時のごとし酌陪膳の人鎧を着して勤むべし

オープンアクセス NDLJP:61右の祝儀相調て鎧をぬがせよろひ直垂ゑぼし計着せかざりは其の儘置きて一座の各へ引渡をそなへ祝ふべし引渡は帰陣の時の肴組なり看取り様かち打悦と取るべきなり

酒のみやう供饗〈[#「供饗」は底本では「供餐」。後文同じ]〉の三つ盃を鎧親のみはじめて銭着の子にさすくはへて二度呑む所へ鎧親の方より太刀馬其の外何にても兵具を出すなり又加へて三献のみてよろひ親へさす扨て其の盃を後見の人誰にても呑み納るなり其の盃を一の下に重ねて置くべきなり

二つめの盃を其の子呑みて鎧親へさして其の盃を子の父へさす父のみて後見の人誰にてもさす則呑納るなり後見の人太刀折紙出して祝言申すべきなり○三つめの盃鎧きの子の親呑みて子にさし子呑みて後見の人へ誰にてもさす後見の人呑て鎧親へさし鎧親呑みて納るなり

三つめの盃は鎧着の子の親のみて子にさし子のみて後見の人へ誰にてもさす後見の人のみてよろひ親へさしよろひ親のみて納むるなり

右祝終りて其の座のかざり物を広間に飾りかへて家の家老侍大将物頭以下位の高下に随つて席を正し帰陣の肴組にて三献進るなり

父子の方より鎧おや併に後見人へ引出物有るべし

右銭着初の次第小笠原家の説を取りてこれをしるす鎌倉将軍の鎧着初の規式は東鑑に見えたり

 
正月鎧の餅の事
餅をのするつい重ねは供饗の如くにして大くつよく作るなり紙を一重つゝ三方へ下けて敷くなり向ふをばあけておくなり(図末にしるす)

大なる丸餅大小二つ絵図の如くにかさねて中に置きて其の上にひし餅十おくなり赤き餅に赤小豆つき入る事は誤なり子細は末にあり赤くするは血の色にかたどるなり但し赤き餅(赤さゝげを交る)五白餅五おくべしひし併置き様は松を中に立て廻りにひし餅を重ねて置くべし

松は絵図のごとく三重に枝の有るを立て其の廻りに前に熨斗蚫向にこんぶ右に柑子ほたわら物左に柿と栗と見合置くなりかゝみの餅のかざりも同前

よろひに餅をそなふる事は軍神を祭る儀なり鎧を神体とする心なり

中に丸餅大小一重ね松を(松をひし餅にかたとる)立てひし餅十但し赤五つ白五つ柑子三つ昆布二つ紙一重ね包中にひだをとり水引にて結ひ熨斗蚫二つ包みやう水引ほだわら(ほんたわらの事)柿三つうら白をこんぶの下に置くなり栗三つ柿と同じく左に置く(右天文年中の人小笠原民部少輔信定か説なり)

軍神は天照太神経津主神健雷神大物主神(大巳貴の神といふ同体なり)事代主神神武天皇日本武尊神功皇后八幡太神なり是れ皆日本の軍神なり摩利支天不動明王十二神将などの類は天竺の神なり仏法にある事なり(図末にしるす)

 
よろひの餅祝の事
正月廿日に必鎧の餅とも具足の餅とも言ひて鎧にそなへたる餅を祝ふなり小豆に入れて調ふること大なるあやまりなり小豆は煮ればはら切るなり依之忌むなり蕪をそへて調へて可祝なりかぶらは矢じり草といふによりて用之なりすべて男子のいはひには小豆は用ふまじきなり(図末にしるす)
 
出陣ノ時肴ノ組様 
 
 
鎧餅飾帰陣之時肴之組様
 
 
 御具足之飾御祝之図
 


 

ものゝふの家に生れては軍の道こそしらまほしけれあめが下安しといへどもたゝかひをわすれざれといにしへの人もいへりしぞかしよつの海静なる時に生れ我が子むまごの治まれる世のならはしにのみなれてものゝふのオープンアクセス NDLJP:62道にうとくなりゆかんこそかなしけれ是れによりて此の七巻のふみあらはして道のかたはしをもしらしめんと思ふ志いたづらになすことなかれ

  明和六年己丑五月十一日改正                平貞丈 書

 

古我同氏なりし因幡守か記し置し旧記に云旗幕などのたぐひは家々の吉例を用来候間何れの家もかはるべし我家に用来る筋なくは誰々にても武辺の覚あらん人用る流をまなぶべし出陣帰陣の御肴組酌の取様以下実検の作法扇のこしらへ様も右に同しと云々我家は殿中の立ふるまひを教る家にて軍陣の作法教る家にあらず然共昔より家に残り伝りし軍陣の事記せる旧記も旧説もあり其外諸説とり集て一書となし軍用記と名つく是我家の流儀といふにはあらず又是を人に教へんと思ふにもあらず唯我子々孫々軍陣の作法知らざらん者の為に書集る所也此書の趣を人に伝ん事は憚るべしと云如何となれは我家にて教へき事にあらざるが故也

宝暦十一年辛己十月六日        伊勢平蔵貞丈 書

 

軍用記

天保五年より今十四年に至る凡十余年書をよむ毎に此記に関係する所の語を採撫して微塵山となり滴露海をなす其抄する所の者百巻更号て部類捗と云其中要なる者を此記に補入しかつは高島千春麻生知明主の手をかり図をなし以同志に授としかいふ

 天保十四年癸卯五月朔旦    千賀淵蔵春城 書

 

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