← 地歌
越後獅子 作者:不詳
越路潟(こしぢがた)、御国名物さま〴〵なれど、田舎(ゐなか)なまりの片言交(かたことまじ)り、白(しら)うさぎなる言の葉に。面白がられしそうな事を、直江浦(なおえうら)の海士(あま)の子が、七つか八つ目鰻(うなぎ)まで、うむや編(あみ)その綱手(つなで)とは、恋の心も米山(こめやま)の、とほき浮気(うはき)で黄蓮(わうれん)も、なに糸魚川(いといがは)糸魚(いとうを)の、縺(もつ)れ縺(もつ)つるる草浦(くさうら)の、油漆(あぶらうるし)と交(まじは)りて、末松山(すゑまつやま)の白布(しらぬの)の、縮(ちぢみ)は肌の何処(どこ)やらが、見え透(す)く国の風流を、うつし大鼓や笛の音も、弾(ひ)いて唄ふや獅子の曲。向(むか)ひ小山のしちく竹、枝節(えだふし)揃えて、切りを細(こまか)に十七が、室(むろ)の小口(こぐち)に昼寝(ひるね)して、花の盛(さかり)を夢に見て候(そろ)。夢の占象(うらかた)越後の獅子は、牡丹は持たねど富貴(ふうき)は、己(おの)が姿に咲かせ舞ひ納む、姿に咲せて舞ひ納む。
この作品は1930年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。