麓 花冷


超滿員


 そうですか食費は出すと云ふんですね、それでは部屋だけですから何とかして見ませう、と所󠄁長は云つて、山田健治はこれでどうやら入所󠄁出來ることになつたと、ほつとした。その時である。ノツクもなくドアーママが開いて小使の爺さんが二人の患を案內して入つて來たのである。そんな譯で健治はその二人の患と所󠄁長との押問答を長い時間妙に聞いてゐた末に堪りかねて斯ふ云つたのである。

「所󠄁長さん、僕はいゝです、家がありますから、歸つてゐてお空󠄁きになる迄待つ事にします。」

 五十圓ばかり入つてゐると云ふ大きな古財布を卓の上に抛り出し、そんな譯でわし等は家も屋敷も賣拂つて來たのですから、食費を拂はにやならんのならこれをとつて下さい。その內に家と屋敷の代金が百圓ばかり來る筈ですからそれもとつて頂いていゝんです。何にしても歸る家はなし、二人の娘はここに居るのですし、もうどうしても入れて頂きません事には……。といふ譯だ。健治には家もあり兩親もあるのだ。ここで二ヶ月三ヶ月入所󠄁が遲れたとて大したことではない。ここで自分が退󠄁いてこの窮境にある二人を入所󠄁出來る樣に盡力するのが人情󠄁といふものだ。と彼は悲壯みたいな氣持になつてからに美しい人情󠄁家の大事を果して所󠄁長をもいたく感激させたのである。

 「やあ、君の心懸けには實際感心しましたよ、同病相憂の華と云ふべきですな。有難ふ、その代り合つき次第すぐ容れますからね。」

 と、さう云つた所󠄁長の最後の言葉を大事に胸の中で繰返󠄁してみながら、療養所の門を出て再び歸らぬ決心ではる出て來た故鄕へ逆󠄁戾りする彼だつたのである。

 ところが健治は歸路汽車の中でとんでもない事件に見舞はれてしまつた。彼は癩病である身を恥ぢ急󠄁行三等車の隅つこでなるべく壁と窓の方へ身體を捻じ向けて席をとり、萎びた左手をしつかりズボンのポケツトへしまひ込󠄁んで、小さくなつて座つたのであるが、さうして身體をどうやら落ちつけると間もなく、彼は不思議な自分󠄁の心に思ひ當つて一心に考へはじめたのである。健治は名前󠄁も知らずに來てしまつたがあの爺󠄀さんが所󠄁長の前󠄁に投げ出した古財布の魔󠄁術󠄁にひつかゝつて、それまでに爺󠄀さんの口をいて出た、健治には十分󠄁びつくりに値する大事な話しをけろりと忘れ彼は無暗󠄁にあの親子に同情󠄁してしまつたのだ。

 こいつは何て大間違󠄁ひだ、あの親爺󠄀さんは若い時から癩病でゐて、三人の子供を持つたのだ、ところがその子供がどうやら一人前になつて少しは家の役に立つと思ふ間もなく、その三人の內年上の娘が二人殆んど同時に癩病になってしまつたのだ。親爺󠄀さんは存分󠄁てこずつた揚句に、仕樣事なく因果を含めて二人の娘を巡󠄁禮乞食󠄁に出してしまつた。すると間もなくそれを苦に病んでといふでもなからうが、親爺󠄀さんの女房󠄁が些細な病氣でひよつこり死んでしまつたのだ。連󠄁れ合ひに死なれたんですからねほんとに、と親爺󠄀さんは子供が病氣になつたよりもこれにはよつぽど參つたといふ風に力を入れて幾度もさう云つた。そして今度はまだそれどころぢやありませんよ、世の中にはも佛もあつたものぢやない、その上にですよ、ほんとに何で惡業なんでせう、たつた一人のこいつまでがこれこの通󠄁り病氣になつたんですからね、これはあんまりですよ、と云つてその時には確かに親爺󠄀さんは淚を出していた。ところが所󠄁長の答へはかうである。否や、否や、それは惡業でも何でもないのですよ、あなたが迂闊だつたからのことですよ、癩病のあなたが育てた子供ですからね、その子供が三人とも傳染したつて少しも不思議どころか、當然と云へることですよ。健治はその時の所󠄁長の言葉にはたしかに心を衝たれたのだ。然るにその後で親爺󠄁さんの話は、どこをどううろついてゐたのか、家を出て六年程󠄁たつたつい先頃二人の娘から、療養所󠄁へ入つた、お父󠄁樣もそんなにしてゐないでいゝ所󠄁だからすぐ來い、と云ふりがあつたと云ふのである。それで親子は相談の結果、家をたたんでやつて來たのだ。と云つて、あの古財布の魔󠄁物が飛び出した譯である。何と云ふへまだ、このまゝ家に歸つたら、……と健治はいさぎよく私には家がありますと云つた、その家にゐる幼ない弟や妹の事を考へたのである。

 とんでもない人情󠄁だ、あの人情󠄁が弟や、妹を皆癩病にしてしまふといふ譯だ。こいつはうつかり家へは歸れないぞ。彼は人情󠄁を煽られたあの古財布が恨めしかつた。

 健治はそんな事をすいぶん長い間考へてゐたのである。事件と云ふのはそんな最中に起つたのである。汽車が小さい驛をき拔ける樣に幾度も幾度も通󠄁り拔けては、大きな驛へ二度許り停車した後のことである。彼は前󠄁に立つた黑い影を感じた。彼は初めそれを古財布の惡魔󠄁がここまでついて來たのかと思つた。がすぐに氣が付いて仰天した。どうしたと云ふのだ。彼があれ程󠄁大事に仕舞ひ込んでおいた左手が、彼が夢中で考へ込んでゐる內にいつの間にか拔け出して、その淺間しいグロテスクな萎びた姿を、恥ぢらひもなく、膝の上に平󠄁然と曝してゐるのだ。彼は狼狽してその淺間しい手を引込󠄁めようと動かしたが、もうだめだ、そこに立つてぢつと見つめてゐたのは、車掌なのである。何と云ふだらう? ……。健治は暫く待つたが、車掌は意地惡く默りこくつてゐた。その上氣が付いてみると乘客の目が一勢に彼に向けて注がれてゐるのだ。彼はとう堪らなくなって震へ乍らその憐れな手をポケツトへもぐり込ませた。それを見ると車掌は依然一言も發せず車掌室へ引込󠄁んでしまつた。どんな事になつても驚くまいと思い乍らも健治は、いつたいどういふことになるのか皆目見當がつかないのが不安でならなかつた。こんなことになつて來ると彼はいよあの古財布への人情󠄁が恨めしくなつた。

 次に止まつた驛では昇降の客が可成雜沓した、その雜沓に先だつて車掌は再び健治の前󠄁へ來てこの時いきなり聲をかけた。車掌はすみませんが、とは云はなかつた。君一寸下車して下さい、とまさしく命令である。その聲が澄んでゐるせいか實に冷たく響いた。ともあれ健治はその命令に從ふほかないのである。驛長室へ連󠄁れて行くのだらう。そこでお願ひしたら何とかなると考へたのは彼の誤󠄁算であつた。最早すつかり手が廻󠄀されてゐたのである。先にたつて行く車掌の後から仕樣事なしにくつゝいて改札口を檢札もなく通󠄁り拔けると、そこに來てゐた警官に彼は荷物か何ぞの樣に簡單に引き渡されたのである。健治は愈々見當がつかなくなつて面喰つてしまつた。全󠄁るで罪人である。だが何と思つてもかうなつてはもうどうにも仕樣がない。引つぱられるままに警官にくつゝいて行つたのである。そして彼が塵でも捨󠄁てる樣に抛り込󠄁まれたのが假收容所󠄁と云ふ所󠄁であつた。元は魚問屋か何かの物置でゞもあつたのだらう割に頑丈󠄁な建物で、その中にどうやら人間が寢起出來る樣に假普請󠄁をして、そのまゝ何十年か使つて來たものと思はれる古い家である。中は二つの部屋になつていて、健治が入れられた部屋にはその時も一人の重症な女の癩病人が寢てゐて一種特別な惡臭が鼻をいた。隣の部屋には四人ばかりの人間が襁 (原文は衣へんに强。unicodeにフォントが存在しない漢字。) 褓でも投げ散した樣にだらしなくごろしてゐた。健治がその前󠄁を通󠄁る時彼等は卑めと愍れみとをごつちゃにした、ひどく冷たい目で遠󠄁慮もなく彼を見すえた。不氣味な世界だつた。まさに古財布の魔󠄁境である。この魔󠄁境を逃󠄁れるのには、健治はその日の內に所󠄁長宛に手紙を書いた。夜になると彼の部屋にはもう二人の患がどこからか歸つて來た。一人の頑丈󠄁な身體で兩手が生姜の樣になつていて頭のずべりと禿げた男はボスと云つて親父󠄁とか親方とかいふ意味らしく、もう一人のがんもどきの樣な顏をした細長い身體の男はヤツコといふので、驚いたことには寢てゐる傷だらけの女がオヒメと呼ばれるのである。

 健治には退󠄁屈の日が續いた。ボスとヤツコはバイに行くと云つて每日朝󠄁から晩󠄁まで街に出てゐた。番人の爺󠄁さんは見てゐてもかまふ風がないのである。健治は每日することもなく、以前󠄁にゐた誰かゞ捨てゝ行つたものだらう古雜誌を拾讀みしたり、オヒメがぬるとねばりつく樣な聲で云ふまゝに湯を飮ましてやつたり、疵を貼りつけてやつたりしてゐた。隣室の行路病どもは時になるとひどく騷々しくて、何でも洋傘なほしの婆さんが特別に貰つてゐる粥を他の連󠄁中がくすねるので、婆さんが氣狂ひの樣に騷ぎたてゝ每度はげしい騷動が持上るらしいのだつたが、外の時間は死んでゐる樣に靜かで、起居のおぼつかないばかりらしかつた。

 依然超滿員で仕方がない、もう少し待て、と十五日許り經つて所󠄁長からそんな手紙が來た。

 おい健坊、每日退󠄁屈だらう、少し俺達󠄁と娑婆へ出てみねえか、とボスは每朝󠄁の出かママけにきまつて彼に聲をかけた。初めは山田さんで言葉も丁寧だつたのが健治さんになり、三十日許りたつて彼の呼稱が健坊になつて、それがどうやらボスの氣に入つたらしく、それからはずつとさう呼んだ。娑婆か、成程󠄁、するとこゝはやつぱり魔󠄁界か地獄つて譯だ、と感心して健治はその度にボスの言葉につられかけるのだつた。そして或る朝󠄁とう彼は二人に從つて行くことにしたのである。健治はその頃ではボスの商賣がケコミといふので何をするのか知つていた。この外に浮󠄁浪患の仕事にはヘタリとか、カツパとかクリスとかいふものがあることをも彼はボスから敎へられてゐた。

 街へ出るとボスは、制服󠄁の健治を道󠄁具󠄁にして美事に仕事をしてのけた。この方は東京に苦學してゐたのですがこんな不幸な病氣にとつゝかれて鄕里に歸り度いにも費はなし、惡いと知りつゝ無錢乘車をしたのですが發覺してこゝで降され途󠄁方に暮れてゐるです。どうか熊本まで歸る費を惠んでやつて下さいませ。とボスは情󠄁を込󠄁めて云ふのである。健治は側で聞いてゐて顏から火が出さうに恥かしかつた。が首尾はよかつた。夫人が引込󠄁むとすぐに女中が金一封を持つて來てくれた。どうだいうまいもんだらう。門を出る時ボスは卑しく笑つて云つた。たしかにボロいもんだ、封を切ると三圓出た。それから同じ調子で數軒廻󠄀つた。中にははねつける家もあつたがとに角さうした晝食󠄁は裏町に世帶を持つてゐる患の所󠄁で婆婆の御馳走にありつき、夕方はまた酒まで飮んで、その上オヒメに土產まで買つて尚󠄁七、八圓の殘金をもつて二人は歸つて來たのである。朝󠄁別れたヤツコもどこをどううろついて來たのか殆んど同時に歸つて來た。

 ボスとヤツコはあの裏町の家へよく行くらしく、そして其處では賭博などもやるらしく二人は夜そんな話をすることもあった。併しこの二人は案外無口で常にあまり口をきかなかつた。オヒメはボスの情󠄁婦でゞもあるらしく、ボスは彼女をよくいたはつた。そして蛸頭のボスが夜中などいつの間にか自分の床を拔けて彼女の寢床へ入り込󠄁んでゐることがよくあつた。そんな時健治の隣りに寢ているヤツコが又󠄂大抵眼を醒まして、太息をしたり、變な呟拂ひをしたりした。

 五十日ばかり經つた頃、健治はボスとヤツコとの新しい計畫について聞かされた。それはリヤカーに屋臺を作り、その中にオヒメを乘せて犬に曳かせ、蝸虫のやうに全󠄁國を步き廻󠄀らうといふのである。犬車の屋臺には二人は寢られる。その內にもう一臺作れば四人は住󠄁居に心配することなく日本中步けるといふもんだ。家々で犬車をとめて、幾日でも頑張つて居れば貰ひぱぐれはないさ、どうだい頭は生きてゐるうち使󠄁ふもんだ、素晴󠄁らしいぜ、健坊も行くだらう、とボスは得意だつた。あんまり素晴󠄁らしくもなさそうだが、一人きりでこゝに殘つてゐるのも物憂く、そのに好奇心さえ湧いて、彼は行かうと返󠄁事をした。彼はその晩、あの古財布の魔󠄁術󠄁はいつたいどこまで俺を引つぱつて行かうといふんだ、と、犬車のを色々と考へて見た。

 ボスとヤツコは翌󠄁朝󠄁犬車の仕度に行くといつて出掛けた。オヒメにも今夜に出るのだからと云ひ殘して行つた。なる程󠄁こゝの布團や世帶道󠄁具󠄁をも盜み出し、オヒメをも連󠄁れ出すのだから、夜出發するのだな、と健治は思つた。そして、いよ奇妙なが始まるのかと思ふと、初めに考へた程󠄁吞氣な好奇心どころか、意氣地もなく不安な氣がしてならなかつた。さうして犬車のが流れ流れてその果はどうなるのか、彼は恐ろしくさへなつた。恨めしい古財布の幻が目に浮󠄁んだ。さうして彼に時間は過󠄁ぎて行つた。立つ夜が迫󠄁つた。夕方になつて尚󠄁も一心に考へ惑つてゐた健治は、思ひがけなく又󠄂古財布に化󠄁かされるのかと思ふやうな所󠄁長からの入所󠄁通󠄁知を受けたのである。併し落着いて數へて見れば五十二日目である。彼はボスにもヤツコにも逢はず、オヒメにも知らさず、その夕方急󠄁いで街へ出ると、その夜の終󠄁列車を待つて療養所󠄁へ向つたのである。

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