豊満水電站工人慰霊塔碑銘

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康德八年五月三十日第二松花江發電所大堰堤ニ面スルノ地ヲトシ滿洲國水利電氣局直營公事ニ從事シタル大東公司(滿洲勞工協會)ノ供給ニ係ル工人中康德四年九月ヨリ同七年十月ニ至ル間ニ於テ不幸公病死セル無名人柱ノ靈ヲ永久ニ弔ハンガ為初代滿洲國水利電氣局長直木倫太郎博士ノ揮毫ヲ仰ギ工人慰靈塔ヲ建立ス

抑々本工事タルヤ其規模ノ大ナルコト世界有數ノモノニシテ而モ政府直營工事タルニ於テ有史以來未ダ類例ヲ見ザルモノナリ、滿洲國ノ此地タルヤ四半歲ノ間寒氣極メテ嚴シク從來土建工事ハ此間中止スルヲ例トセリ然ルニ本工事ノミハ其性質上一度工事ヲ開始スルヤ四六時中秒間タリト雖モ中止スルヲ許サス玆ニ於テカ酷寒ヲ克服シテ作業ヲ繼續シ以テ年間ヲ通シ此地ニ於ケル工事遂行ノ可能ナルヲ如實ニ示セルモノニシテ此國ノ工事ニ一示唆ヲへダルモノナリ

而シテ之ニ從事セル現場職員竝ニ工人ノ辛勞タルヤ到底想像もの亦及バザルモノタルト共ニ職場ニ斃レタル工人ハ眞ニ人柱トナリシモノニシテ單ニ工事ノ完成ニ寄與セルノミナラズ實ニ勤勞精神ノ化身トモ言フヲ得ヘシ

康德四年十一月本工事ノ直營ト決スルヤ大東公司ハ水利電氣局ノ懇請ト軍ノ慫慂トニ依リ勞力ヲ供給スルコトニ決定シ時正ニ結氷期ヲ目睫ニ控へツツ僅々一ヶ月足ラスシテ工人宿舍ノ完成其他諸準備ヲ整へ工人ヲ收容シ以テ要求ニ應ヘタリ爾來三ヶ年間事變ノ影響ト國內產業ノ勃興ト建設工事ノ激增トハ勞力需要ヲ增大セシメ極度ニ工人ノ不足ヲ來シ募集ハ空前ノ困難ヲ招來セリ本工事ノ勞力供給亦此ノ狀勢ニ抗スルニ由ナク保有勞働者數ノ維持スラ至難ニシテ時ニハ不可能ノ狀況ヲ呈スルニ至レリ從テ就勞工人ノ勞苦甚シク過勞ノ為犧牲トナレルモノナシトセズ

此間ニ處シ當初ヨリ斯業ヲ擔當セル吉林工人管理所長福田定四郎氏ハ工人ト辛勞ヲ共ニシ具ニ此ノ狀態ニ直面シアリシ為人柱トナリシ無名工人ニ對スル同情ト感謝トノ念禁ズル能ハズ慰靈塔建立ヲ發意シ此業務開始入當初ヨリ責任者トシテ關係深キ大東公司支配人タリシ予ニ之ヲ諮レリ予モ亦之ニ贊シ滿洲勞工協會ノ贊同ヲ得玆ニ之ヲ建立シ聊カタリトモ慰靈ノ微意ヲ表スルヲ得ルニ至レリ

希クハ無名工人ノ靈ヨ眼前ノ世界的大堰堤ヲ永久ニ守ランコトヲ

康德八年五月三十日

元大東公司支配人 滿洲勞動協會理事 飯島滿治

施工者 株式会社阿川組

 

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