警察手眼/探索心得

• 明治12年10月発行
• 出版社：警視局（のちの内務省警視庁）
• 著作権者
  • 川路利良（初代大警視、1834年 - 1879年、著作権保護対象外）
  • 植松直久（編纂者、1846年 - 1882年、著作権保護対象外）
  • 佐和正（1844年 - 1918年、著作権保護期間満了）
• 註: 以下のリストに掲載される漢字はJIS X 0208外の異体字であり、Unicode表のBMP（基本多言語面、0面）が正しく表示できない環境によっては正しく記されない可能性がある。尚U+FA30からU+FA60の文字は、JIS X 0213対応のフォント（IPAフォント等）による記述を行っている。

  • 凡例

    親字 → 異体字 (Unicode番号) ; 異体字の説明。

  • 告 → 吿 (U+543F) ; 「靠」の「非」を除いた字形
  • 内 → 內 (U+5167) ; 「人」の部分が「入」となる字形
  • 強 → 强 (U+5F3A) ; 「厶」の部分が「口」となる字形
  • 間 → 閒 (U+9592) ; 「日」の部分が「月」となる字形
  • 精 → 精 (U+FA1D) ; 旁が「倩」の旁部分となる字形
  • 類 → 類 (U+F9D0) ; 「大」の部分が「犬」となる字形
  • 横 → 橫 (U+6A6B) ; 旁が「廣」のまだれを除いた部分となる字形
  • 状 → 狀 (U+72C0) ; 偏が「爿」となる字形
  • 溌 → 潑 (U+6F51) ; 「発」の部分が「發」となる字形
  • 悦 → 悅 (U+6085) ; 旁が「兌」となる字形
  • 神 → 神 (U+FA19) ; 偏が「示」となる字形
  • 虚 → 虛 (U+865B) ; 「墟」の旁部分となる字形
  • 即 → 卽 (U+537D) ; 偏が「皀」となる字形
  • 産 → 產 (U+7522) ; 「偐」の旁から「彡」を除き「生」を足した字形
  • 益 → 益 (U+FA17) ; 「縊」の旁部分となる字形
  • 殺 → 殺 (U+F970) ; 「木」の部分が「大→犬」のようなところに点を附する字形
  • 歴 → 歷 (U+6B77) ; 「木」の部分が「禾」となる字形
  • 徴 → 徵 (U+5FB5) ; 旁が「澂」の旁部分となる字形
  • 戸 → 戶 (U+6236) ; 1、2画目が「斤」の1、2画目となる字形
  • 憎 → 憎 (U+FA3F) ; 「曽」の部分が「曾」となる字形
  • 器 → 器 (U+FA38) ; 「大」の部分が「犬」となる字形
  • 悔 → 悔 (U+FA3D) ; 「毋」の部分が「母」となる字形
  • 難 → 難 (U+FA68) ; 艸冠が「廿」となり、9画目が上に飛び出る字形
  • 者 → 者 (U+FA5B) ; 「偖」の旁部分となる字形
  • 視 → 視 (U+FA61) ; 偏が「示」となる字形
  • 免 → 免 (U+FA32) ; 「俛」の旁部分となり、1、2画目の部分が「刀」となる字形

探索心得

六七　警察官ハ善人ヲ探知スルノ深切ナルヿ亦兇徒ヲ探索スルガ如クスベシ

六八　探索ノ道微妙ノ地位ニ至テハ聲無キニ聞キ形無キニ見ルガ如キ無聲無形ノ際ニ感覺セザルヲ得ザル也

六九　怪キ事ハ多ク實ナキ者也决テ心ヲ動カスベカラズ然レドモ一度耳ニ入ル者ハ未ダ其實ヲ得ズト雖モ亦怠タラザルハ警察ノ要務也

七〇　探索人若クハ吿發人等ノ片言ヲ信ジ心ヲ動シ决シテ踈忽ニ手ヲ下スベカラズ必ヤ双方ヲ照合シ其實ヲ得テ然後ニ手ヲ下スベシ

七一　隱密ノ探索ニハ不容易ノ事件アレバ能ク其事ヲ察シ其事ニ堪ヘ得ベキ人物ヲ選ムニアリ而シテ其人物ニ種々ノ長所アリ左ニ述ブ

各國ノ動靜及交際上ニ明カナル人

國內ノ人物ヲ諳記シ其心術向背等ヲ熟知セシ人

內外商法交易上ニ達セシ人

謀反不逞ノ徒ニ容レラレ其動靜ヲ察スルニ好キ人

右等ノ徒ニ欺キ與ミシテ探ラシムルニ好キ人

强竊盜或ハ掏摸衒騙博徒密賣淫ヲ探ルニ好キ人

七二　探索人タル者ハ瞻力强勇ニシテ表裏反覆臨機應變等其詐術ニ巧ミナルヲ要ス若シ或ハ暗弱ナル探索人ニシテ反閒ニ陷ル如キハ不容易ノ大害ヲ釀スニ至ラン故ニ探索人ヲ選ムニハ能々其事柄ヲ察シ其事ニ堪ヘ得ベキ人物ヲ見テ然後之ヲ命ズ可シ

七三　右等ハ其人物ニ因テ此方ノ爲サント欲スル趣意ノ彼ノ心ニ能ク勝チ得ルヤ如何ヲ洞察シ然後其術ヲ施スベシ亦其事ニ於テ臨時一擧ニ决セザルヲ得ザル事ト平常順序ヲ經テ徐々トシテ施行スル事トノ分別アルヲ能々察スベシ

七四　警察官ハ其管內ノ人物ヲ注意シ其善惡正否ヲ精微ニ區別考察シテ怠ラザルベシ例ヘバ爰ニ十名ヲ擧グ其二人ハ上等其六人ハ中等其二人ハ下等トカ惡トカ其類ヲ能ク區別スベシ何トナレバ一人ノ性質中ニモ其長短得失種々アリ擧テ數フベカラズ

七五　人ト爲リヲ知ル事

毀譽ノ輕キ者

愛憎ノ甚キ者

喜怒ノ速ナル者

心ニ飽迄道理ヲ辨明シ口ニ發スル能ハザル者或ハ又言行ヲ顯ミ浸ニ口ニ發スルヲ好マザル者

心意勇猛ニシテ好ンデ人ヲ欺ク者

內ニ勇氣ナク才器ノミヲ以テ橫着ニ人ヲ欺ク者

狀貌婦人ノ如クニシテ大膽不敵ノ者

狀貌猛者ノ如クニシテ實地ニ臨ミ見掛ナキ臆病ノ者

己レニ過チアリ其非ナルヲ知テ改ルヿヲ爲サズ底意地ノ强キ者

己ノ迷ヲ悟ラズ眞ニ理トシテ言ヒ張ル者

一旦言張ルモ其非ナルヲ知テ忽ニ改メ大ニ悔悟スル者

膽大ニシテ心密ナラズ又膽小ニシテ心モ亦小ナル者

如何ナル難ニ臨ンデモ平氣活潑ニシテ能ク堪テ事ヲ治ル者

外ニ笑フガ如クニシテ內ニ怒ル者又外ニ怒ルガ如クニシテ內ニ笑フ者

初ヲ難シテ終ヲ丈夫ニスル者又早合點ニシテ終ナキ者

上ニ諂ヒ下ニ苛キ者又上ニ抗シテ下ニ人望ヲ求ル者〈此弊封建政治ニ少ク當今ニ多シ〉

上ニ向テ申述スルノ器量ナク下ニ向テ上ヲ非トシ下ニ人望ヲ求ル者

心意丈夫ニシテ口ノ利カザル者又口ノミ利キテ心意ナキ者

强ク掛レバ弱ツテ服スル者又强ク掛レバ激シテ服セザル者

穩和ニ掛レハ能ク服スル者又穩和ニ掛レハ傲慢ニシテ服セザル者

人ノ言ヲ聞テ是非ヲ論ゼズ服從スル者（俗ニ云フ早合點也）

人ノ言ヲ了解セズシテ忽ニ悅ビ忽ニ怒ル者（俗ニ云フ一刻者也）

己レガ釀セシ難ヲ人ニ推諉シ遁辭ヲ搆ル狡黠ノ甚シキ者

人ノ如何ナル擧動アルモ理非曲直ヲ分別シ泰然トシテ動カズ穩ニ應ズル者

人ノ盛名ヲ聞キ未ダ其人ヲ見ズシテ鬼神ノ如ク恐ルヽ者有リ如何ナル功名ノ人ニテモ不思議ニ人ニ勝ル者ニアラズ舜何人ゾ我何人ゾト云ヒシ見識ナキ者ハ陋劣ノ小人ナルヲ知ルベシ

七六　事ニ臨ミ心ノ動靜ヲ見ル事

其眼色面容ヲ見其聲音言語ヲ聽キ其身ノ動作ヲ察シ其手足ノ措ク所ヲ視ル

七七　情ニ侵入スル事

凡ソ人ニ心ノ淺深厚薄アリ故ニ此ヲ察セズシテ踈怱ニ手ヲ下スベカラズ此ヲ察スルノ術タル先ヅ彼ノ人ト爲リヲ察シ彼ニ容レラレズンバアルベカラズ彼ニ容レラルヽノ術タルヤ其喜怒愛憎スル所ヲ察シ其心ノ趣ク所ニ同意シテ侵入スルヲ要ス

七八　情ヲ動ス事

情ヲ動スノ法ハ其胸慮ヲ動シ其虛實ヲ察シ或ハ怒ラシメ或ハ容レ或ハ拒ミ或ハ詐リ或ハ信ジ或ハ威シ或ハ慄ル等盡ク欺術ヲ以テスベシ

七九　情ヲ察スル事

賊ノ事タル他ニアラズ欲ト情トノ二ツニアリ故ニ賊ヲ探索スルニハ賊ノ欲情ヲ共ニセシ者ニ因ルヲ上策トス卽彼ノ情アル婦人彼ノ恩アル人ノ類

八〇　事變ヲ察スル事

凡ソ探索上異變ノ狀況ヲ聞ク時ハ能々勘考熟察スベシ决シテ踈忽ノ擧動アルベカラズ其橫死人等ノ變アル時探索ノ方向ヲ定ル訣ニ曰爰ニ人ヲ殺セリ此ヲ殺シテ益スル者ハ誰ソ

八一　兇徒ノ心素ヨリ浩然ノ養ナク其氣常ニ飢タル者ナレバ右等ノ術ニ於テ必ヤ其言葉ヲ盡スヿヲ得ズ亦其虛飾ヲ遂ゲ得ルヿ能ハザルベシ是則天ト人トヲ欺キ得ズシテ到底天網ヲ免レザルノ理アリトス

八二　爭論ヲ察知スルニ道アリ例ヘバ爰ニ甲乙二人アラン甲ハ平常操行正シク且實直ナレドモ訥辯ニシテ人ト爭論スルニ拙シ乙ハ平常不品行旦狡黠ニシテ雄辯快舌爭論スルニハ人ヲ言伏スベキ勢力アリトス此ノ爭論ニ於テ甲ノ訥辯乙ノ能辯ニ言伏セラレ殆ンド曲ニ陷ントスベシト雖モ警察官ニ於テ甲ノ平常實直ナルヲ以テ丁寧此ヲ調ル時ハ甲ノ直ニ歸スル者ナラン篤ク注意スベシ

又爰ニ甲乙二人酒席上醉テ爭論ヲ起ス者アラン甲ハ平常實直無欲ノ善人ナレドモ天性酒僻アル者トス乙ハ平常强欲ナレドモ酒ヲ愼ム者トス然レバ甲ハ實直ナレドモ平常酒失アルヲ以テ多ハ甲ノ曲ナルヲ察スベシ

又此兩人金錢取引ノ事ヨリ爭論ヲ起セン如キハ平生乙ノ强慾ナルヲ以テ多ハ乙ノ曲ニ歸スルヲ察スベシ

警察上右等ノ類擧ヲ數フベカラズ此其一例也餘ハ推テ知ルベシ

八三　夫レ無產業ニシテ坐食スル者ハ必幾分カ良民ノ權利ヲ妨ル者也故ニ此等ノ徒ハ其履歷ヲ査シテ其行狀ヲ知リ其友ヲ觀テ其人ト爲リヲ視其既往ヲ徵シテ其將來情慾ノ發動スル所ヲ察ス是警察官ニ於テ戶口調査ノ止ム可ラザル所以也

八四　又曰凡ソ人ハ各自己レノ一身ヲ生活スベキノ營業ナキヲ得ズ此ヲ勵ム者ハ良民也無營業ニシテ坐食スル者ハ不良民也此ノ不良民ハ幾分カ良民ノ權利ヲ妨グルノ理アリ故ニ警察官タル者ハ先ヅ此不良民ヲ注意警戒シテ怠タラザルベシ是則兇ヲ防キ良ヲ護スルノ意也

八五　世ニ兇惡ノ徒ナキヲ得ズ人ニ兇惡ノ心ナキヲ得ズ只警察ノ手眼ヲ以テ是ヲ抑制スルノミ故ニ曰賊ヨ汝爲サント欲セバ爲セ汝ガ爲サントスル所ハ我眼盡ク視ル汝ガ爲サント欲スル心ハ我盡ク知レリ汝能何ヲカ爲サン哉