吾吾は、詩に就いて、詩の一般並びに詩の諸型とそれら各種の詩の機能に就いて、及び優れたる詩であるためには、筋は如何に仕組まれねばならぬか、及び、詩は幾何の、さうして如何なる要素から成り立つてゐるか、同じく、その他同様の研究に関するあらゆる事柄を、自然の順序を追ひ、先づ第一歩から説いていかうとするのである。

 叙事詩及び、悲劇の詩、その他喜劇酒神頌歌〔ディテュランボス〕 [1] 及び、竪笛楽と竪琴楽との大部分、これらすべては、大体から言つて、模倣の様式(mimēseis)である。然し、彼等は三つの点で一つ一つ違ふ。即ち、或は性質の違つた媒材で、或は違つた対象を、或は違つた形式に依つて模倣するといふ点にて、違つたものが出来るのである。

 ある人達は、形と色とを以て多くのものを模倣し、その姿を写し出し――それは芸術に依り、もしくは、単なる経験に依つて [2] ――他の人達は音を以てする。これと同様に、上に列挙された芸術に於いては、模倣の媒材は、大体から言つて、律《リユツモス》と言葉《ロゴス》と諧音《ハルモニア》とであつて、これらは、或は単一に、或は混成して用ひられる。例へば、竪笛楽、竪琴楽、その他、これらと同じたぐひの働きをなす如何なるものも(例へば管笛《スリングス》 [3] の模倣の如き)すべて、諧音《ハルモニア》と律《リユツモス》のみを用ひる。舞踏者 [4] の模倣は、諧音《ハルモニア》を除き、律《リユツモス》のみを用ひる。何とならば、舞踏者は自分の姿態の律《リユツモス》を通して、人人の性格、並びに、人人の働きかけたこと、並びに働きかけられたことを模倣するからである。また、単に言葉のみを以て、或は、散文にて、或は、韻文にて、模倣する一つの芸術がある。もし、韻文が使用されれば、それは、或は、多くの韻律を組み合はせ、或は、単一なる韻律を用ひる。然し、この言葉での模倣を呼ぶべき名は、今日に至るまで、未だ、見出されてゐない。吾吾はソフロンまたは、クセナルコスの狂言《ミイモス》 [5] 及びソクラテス的対話 [6] を総称すべき名を持たない。吾吾は、また、かかる模倣が三脚韻律《ツリメトロン》または哀歌韻律《エレゲイオン》 [7] または、他の種類の韻律を以てなされても、それに対する名を持たないであらう。只、人人は、通常、韻律の名に詩人(poiein 作る)といふ文字を結び付けて、或は elegeiopoios (哀歌《エレゲイオン》韻律詩人)或は epopoios (叙事詩即ち六脚韻律詩人)と呼ぶのみである。恰も、それは、言葉を以て模倣するといふ性質を捉へてではなくして、彼等の用ふる韻律に依つて、無差別に、彼等を詩人と呼ぶのである。それ故に、医学上または、自然科学上の議論が韻文で書かれたとしたならば、矢張、作者は詩人と呼ばれるのが常である。然るに、ホメロスとエムペドクレス [8] とは、韻律が同じであるといふ点を除けば、他に何等の共通点を持つてゐない。それ故、ホメロスが、正しく、詩人と呼ばれるならば、エムペドクレスは詩人といふよりも、寧ろ、自然科学者と呼ばれなければならない。また、もしも、誰れかがまるで、すべての種類の韻律を組合はして、カイレモン [9] の『獣人《ケンタウロス》』の如く、殆んど、すべての種類の韻律が組み合はされた吟唱詩《ラプソデイア》の如き模倣をなしても、吾吾は、同じく、彼を詩人と呼ぶであらう――そして吾吾は[カイレモンを]詩人と呼ばなければならない。これらのたぐひの模倣に関しては、以上、述べた丈けに止めおく。最後に、上に列挙された、すべての媒材、即ち、律《リユツモス》、旋律《メロス》、韻文《メトロス》、すべてを利用する模倣が存在することを言はなければならぬ。酒神頌歌の詩と頌歌《ノモス》 [10] の詩と、並びに悲劇と喜劇とがそれである。然し、これらのものは、上に列挙されたる三種の媒材を、あるものは、同時に併せ用ひ、あるものは、一つ一つ分ち用ふるという点にて違ふのである。以上の諸芸術に於いての、これらの異なれる要素を、吾吾は彼等諸芸術のなす模倣の媒材と呼ぶのである。




■訳者解説

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 アリストテレスは『詩学』第一章の冒頭に於いて、先づ「詩学」のプログラムを立てた。然し、現存の『詩学』には、このプログラムから期待されべき多くのものが果たされてゐないことが、章を追うて読み行く中に分るであらう。

 先づ注意すべきは、吾吾の『詩学』には、詩そのものの定義がないことである。然し、これは、悲劇、叙事詩、喜劇が説き果たされてから、それら三者の定義を総合して、そこから出て来べき性質のもの故に、失はれたる部分に、最後の結論として、詩の定義が下されたのではないかと、自分は思ふ。「詩の諸型」に関しては、酒神頌歌、頌歌《ノモス》、狂言《ミイモス》、ソクラテス的対話などの名が挙げられてゐるが、問題にされてゐない。それらは詩の眼目ではないからであらう。喜劇に就いては、二十六章に続いて、直ちに、即ち、『詩学』の失はれたる部分にて、述べられたのであらうといふことは、『詩学』研究者の定説である。「各種の詩の働き」に就いては、アリストテレスは、悲劇の感情作用に触れ、叙事詩の働きが悲劇のそれと同じものであることを仄めかしてゐるのみであるが、この悲劇、叙事詩の感情作用、即ち、カタルシスの問題は、喜劇の部で、それの感情作用と一緒に説かれたものであつたらうと想像され得る(バイウオータア『アリストートルの詩学』序文二三頁参照)。

 アリストテレスは『詩学』のプログラムを掲げたる後、巻頭に、先づ叙事詩、戯曲、酒神頌歌、器楽等一切は「模倣の様式」であるといふ仮説を宣言した。何故に、アリストテレスは、今日の吾吾に言はすれば、それらの様様な詩、劇、音楽は「芸術」であると言ふ所を「模倣の様式」と呼んだであらうか? それは希臘〔ギリシャ』に於いては、吾吾の所謂芸術といふ深みのある言葉は未だなかつたからである。バイウオータア(同上、序文七頁)に拠ると、西洋で、芸術といふ言葉が用ひられるやうになつたのは、ウインケルマンやゲーテの時代からであるが、希臘〔ギリシャ〕では「模倣技術」(mimētikai tekhnai)もしくは「模倣の様式」(mimēseis)といふ如き言葉が、それにほぼ相当するものを意味してゐた。希臘〔ギリシャ〕に於いては芸術は、例えば医術、耕作術、政治術、体操術などと同列に「自然」(phusis)といふものに対して「技術」(tekhnai)と呼ばれ、さうして、其等の実用的技術から区別される為めに、諸芸術に共通な本質的特徴としての「模倣」といふ意味を附加して「模倣技術」と呼ばれてゐたのである。

 試みに、プラトンがこの「技術」(tekhnē)に就いて語つてゐる所(『法律』第十篇八八九)を見ると、そこでは、自然(Phusis)偶然(tukhē)技術(tekhnē)の三つがはつきり説明されてある。プラトンは、其処で、当時の希臘〔ギリシャ〕人一般の考ふる宇宙創造説に触れ「地水火風は自然と偶然とに依り存在し、技術に依り存在するのでない。次ぎに、地球、太陽、月、星、之等はみな生命なき地水火風に依て出来た。次ぎに之等の諸要素は、各各、偶然とさうしてある内面的力とに依り、運動をする。かくして、天が出来上り、天の下のすべてのもの、動物、植物、春夏秋冬が出来上る。之等はある人達の説くやうに、神に依て出来たものではない。また技術に依て出来たものではない。自然と偶然のみで出来たのである。技術は、之等のものの後に出来たものである。技術は人間から生れたものである。この技術の力に依り、ある肖像や真理の非常な偏見的模倣が作られた。音楽家や画家の創作はこの種のものである。然し、自然と結付き、自然と協同作用をなし、重大なる目的を持つ技術がある。例へば、医術、耕作術、体操術、政治術である」といふ意味を語つてゐる。アリストテレスも、また『政治学』一三三七Aに於いて「あらゆる技術、あらゆる教育は、自然の短処を完全にする目的を持つ」と語つてゐるが、之等の個処から、希臘〔ギリシャ〕人の所謂「技術」とは自然にあるままの、生《な》まな質料を材料とする自然の営みを、人為的に促進し、完成するものを意味するといふ事が窺はれるであらう。かやうに、tekhnēは、寧ろ、種種の実用的技術を意味し、其等から区別せられる為めに、芸術はmimētikai tekhnai即ち「模倣技術」と呼ばれたのであつた。

 詩、絵画、彫刻、舞踏及び音楽を指して模倣技術もしくは模倣の様式と呼ぶことはプラトンに於いても見受けるのであるが、かくの如く、之等の諸芸術に共通な、本質的特徴たる「模倣」といふ言葉を以て、それらを呼ぶことは、恐らくは、プラトン以前に、既に一般的に流行してゐたであらう。即ち、一般の古代希臘〔ギリシャ〕人に於いては、諸芸術は「創作」といはんよりは、寧ろ「模写」であるやうに考へられてゐたのである。バイウオータア(同上一一一 - 二頁)に依れば、一般の古代希臘〔ギリシャ〕人に於いて、詩人(poiētēs)は、画家の如く模倣をなすものであつて、詩人の作品は創作といはんよりも寧ろ伝説に、もしくは、人生に既に存在せしものを、多少忠実に模写したるものといふ如き概念があつた。故に、日常語として、詩及び絵画その他の芸術が呼ばれてゐた、深みもない、余韻もない言葉を、そのまま、プラトンは採用して、一般の芸術を、即ち、一般の模倣技術を「模倣」といふ名の示す如く、不名誉なる、不見識なる、且つ有害なるものとして排斥したのであつた(本書一〇五頁〔第四章訳者解説〕以下参照)。注意すべきは、アリストテレスがプラトンの嘲笑と誹謗とを買つた「模倣技術」もしくは「模倣の様式」といふ言葉を平然と『詩学』の巻頭に襲用して「模倣」を生かし、模倣を肯定しようとする強い態度のほの見える点である。

■訳注

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  1. 酒神頌歌は頌歌と共に原始時代の舞謡の一様式である。原始時代の希臘〔ギリシャ〕人は、原始人の常として、神に仕へるにつけ、戦に勝つにつけ、饗宴を張るにつけ、彼等のそれらの情緒を常に唄ひ踊ることに洩らした。彼等が吾吾のこの大地の生産力の象徴たる酒神ディオニュソスに對する崇拝を唄つたものが酒神頌歌で、春の祭りに、竪笛に合はされて唄はれた。歌の内容は伝説に現はれたるディオニュソスの種種な逸話で、唄ふと同時に、身振動作で、歌の意味が演出された。唄ふ人達は、酒神の取巻きである所の、尖つた耳、山羊の尾をつけた森の神サチュロスの姿に扮して牲肉の燻ぶる聖壇の周りに輪を作りながら、狂熱的に舞謡しつつ、見る者をして、さながら伝説の世界に住む思びあらしめたと言はれる。酒神頌歌は、少なくとも、七世紀前から、希臘〔ギリシャ〕に、一種の民謡として存在し、農民等の祭りの度毎に唄はれて来、七世紀末、ドリア人アリオンに依り、秩序と整頓とが与へられ、舞謡者の数が、五十人に定められたりした。また、彼の手に依り、舞謡曲に含まれたる訳を説明し敷術すべく、韻文の対話が、時々、措揮者と舞謡者との間に、節をつけないで、交はされたりした。これらの対話は長短格四脚韻律(trochaic tetrameter)の活溌なるリズムで交はされ、舞謡隊側は絶えず、手真似足真似で、対話の意を形に表はした。この対話が、やがては、悲劇の対話に進化するのであつた(モールトン箸『古代古曲劇』三 - 五頁、へイグ著『希臘悲劇』一三 - 二二頁)。この時代の酒神頌歌の一般は『詩学』四章十三頁に於いて十分、窺ひ知ることが出来よう。
  2. 「それは芸術(tekhnē)に依り、もしくは、単なる経験に依て」は英語の artist と artisan 位の区別であらう。
  3. 「管笛《スリングス》」プラトン(『国家論』第三篇三九九)に依れば牧童の楽器である。
  4. 「舞踏」希臘〔ギリシャ〕では舞踏それ自身だけを観せるといふことは滅多に無かつた。舞踏は主として、歌謡に結付いて用ひられ、其歌詞を躍如たらしめ、其意味を説明する役割をした。希臘〔ギリシャ〕劇のコーラスの唄は殆どすべて何等かの舞踏が伴はれ、舞踏は悲劇喜劇に於いて重大な要素をなしてゐた。また希臘〔ギリシャ〕人は舞踏を尊重すること甚しく、公けの席で舞踏しても、それが優美であれば、少しも威厳を傷けなかつた。ソフホクレス自身も、自作の悲劇に舞踏者として出演することを恥なかつた。同時に吾吾は、古代希臘〔ギリシャ〕の舞踏が近代の西洋の舞踏とはその性質を異にしてゐたことを忘れてはならない。プラトン(『法律』七篇八一六)は、舞踏は言葉や歌詞を身体の動作で説明しようとする人間の本能的傾向に端を発したと言つてゐる。希臘〔ギリシャ〕の舞踏(orchēsis)はあらゆる種類の身振や姿態を含んでゐた。さうして其主なる作用は詩の文句を演出し例証するにあつた。さうして、また、それには、当然、適切な手真似が最も有効であるから希臘〔ギリシャ〕舞踏では、脚の運動よりも手や腕の運動が重要であつた。アイスキュロスが採用してゐた有名な舞踏家テレステスは手で最も巧妙に事件を描くと言はれ、また、ある優れた舞踏家は犬儒学派の一人であるデメトリオスから「彼奴は手で物を言ふ」と言はれたりした。かやうに希臘〔ギリシャ〕の優れた舞踏家は、歌に伴ひ、極めて表現的な所作で歌が描く事物を眼のあたりに彷彿〔ほうふつ〕させることが出来た。プルタークはSimposiasca《シムポジアスカ》七四七Bに於いて希臘〔ギリシャ〕舞踏を三つの要素、即ち運動と姿態と指示とに分類し、運動は行動と感情とを描くに最も必要であり、姿態は運動の一つが終る姿勢で、例へば、舞踏家はアポロもしくはパンもしくはバッカス神徒(Bacchante)を暗示するやうな姿態に休止し、指示は物真似でなく、単に天、地、傍人のやうなある物体を指示することから成立つと云つてゐる(ヘイグ著「希臘劇場《アテイクシアタア》」三一一 - 三頁)。
  5. 「ソフロンまたはクセナルコスの狂言《ミイモス》」「ディオニュソスの冬の祭に、犠牲が供へられるや集へる人々は、列をなして、陽物の偶像を高くかかげ、酒神の賛美歌を唄ひ踊りながら、練歩いた。この後進的舞謡の合間合間に、行列の指揮者は、独白、もしくは、自分と周りの者との間に於いて、個人を揶揄する滑稽な文句を即興的に交へ、見物を笑はしたりするやおうになった。次ぎに、今まで、舞謡者達が、一時、舞謡をやめ、揶揄を言ってゐた形式が一歩進んで、舞謡者自身が被風刺者の真似を演出して、具体的揶揄をするやうになった。茲〔ここ〕に、ディオニュソス祭の舞謡と揶揄とが融合して、戯曲としての喜劇に向ふ第一歩が発せられたのである。この、舞謡を以て揶揄せんとするものを模倣する原始的喜劇の一名がmimos《ミイモス》である。さうして、この原始的喜劇を、最も早く、進歩させた所は、コリンスの地峡にあるメガラであつた。西暦前五七〇年頃、そこで、韻文を以て笑劇(farce)が書かれた。このメガラであつたシシリイ嶋に殖民地を作つたが、この嶋の新しいメガラに於いて、五世紀前半に当つて、エピカルモス(『詩学』第三章九頁参照)が、一層進んだものを書いた。エピカルモスと同時代のシラクユースの人ソフロンは、同じく、シシリイに於いて、従来の狂言《ミイモス》に特殊な形式を与へたと言はれる(モールトン同上第七章)。  クセナルコスはソフロンの子である(スタール註)。
  6. 「ソクラテス的対話」先づ、相手に問を掛け、問答を進め、遂に、相手自身をして真理を掴〔つか〕ましめるやうな様式であつたソクラテスの対話的哲学を描きしもの(例へばプラトンやクセノフォンに於ける如く)もしくは、ソクラテス以外の哲学者のソクラテス風なる問答を描きたる一切を籠めて「ソクラテス的対話」と云ふのである(コープ著『アリストートルの修辞学』三巻一九二頁)。
  7. 哀歌韻律(elegeion)は六歩句と五歩句との連である。ホメロスを生んだイオニアから叙事詩韻律に続いて、起りたる韻律である。単に哀歌のみならず、八世紀七世紀に勃興したる民主的希臘〔ギリシャ〕の新時代の叫びが、すべて、この韻律で歌はれた(A Companion to Greek Studies: Cambridge; 3rd ed. sec. 148)。
  8. エムペドクレス(五世紀)は哲学的論文を叙事詩韻律たる六脚韻律で書いた(ジェット・アイ・サイモンズ著『希臘詩人』一三三頁)。
  9. カイレモンは四世紀の中頃栄へたる悲劇詩人であつて、彼の作なる『獣人』(Kentauros)は諸種の韻律が組み合はされて、書かれたものであることがAthenaios《アテナイオス》六〇八Eから分るが、他は一切不詳であると言はれる(ヘイグ著『希臘悲劇』四二六 - 七頁)。
  10. 頌歌《ノモス》(nomos)はアポロの神に対する頌歌《ノモス》で、竪琴に合はせ舞謡された(スタール註)。酒神頌歌は翻覆的形式即ち、etrophe, antistrophe, epode の三段になつてゐるに反し、頌歌《ノモス》は単一であつた(ステッヒ註)。

■編注

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旧字体→新字体の変換を実施。[]は訳者注、《》は底本のルビ。〔〕はWikisource入力者による補注(主に、常用+人名用の範囲に含まれない漢字等に対するルビ振り)。