西洋哲學史/下卷
文學博士 大西 祝󠄀先生遺󠄁稿
西洋哲學史下卷
東京 警醒社󠄁書店
本集の編󠄁纂に就きて
一、本集は先生の遺󠄁稿の散佚するを恐れ、之れを一纏めにして、先生の面影を永く後世に傳へむが爲めに編󠄁纂したるもの、『大西博士全󠄁集』と名づけたるは、略〻先生の遺󠄁稿の主要なるものを網羅したればなり。
二、『論理學』、『倫理學』、『西洋哲學史󠄁』等は、もと早稻田大學の需めに應じ其の講義に揭げられしものにて、先生の蘊蓄を悉くされしにはあらず。雜著󠄁に載せたる評󠄁論創作等、亦其の時〳〵の塲合に臨み當座に作り成されしものにて、是れはた先生の全󠄁力を注がれしものにあらず。
三、本集の纏まりたる著󠄁述󠄁の中、完全󠄁せるは『論理學』と『良心起󠄃源論』との二つのみ、他は皆歐洲留學其の他の事故の爲め、半󠄁途󠄁にして筆をとどめられしものなり。
四、『西洋哲學史󠄁』は先生の口述󠄁により綱島榮一郞、五十嵐力、兩人の綴りし文󠄁に、更󠄃に先生の加筆せられしものなり。第十三章ソークラテース(一七六頁)までは綱島榮一郞の筆に成り、餘は五十嵐力の筆に成れり。卷中往々先生自らの文󠄁致と異なるものあるはこれが爲めなり。又󠄁鼇頭に星符(*)或は枠を施したるものは、先生が其の手控本に書入されたるを其のまゝに揭げたるなり。
五、『西洋哲學史』を講じ初められしは明治二十九年の春にて講じ終へられしは三十年の冬なり。其の下卷末部カント以下の哲學は講義錄結了期日の迫れる爲め匇忙の間に略說せられしものにて、他日更に約そ千頁を費やして之れを詳說せられるべき約ありしが、歐洲行の爲めに果たされざりしは惜らしき極みなり。
六、先生の假名遣󠄁には先生一流の風あり、又󠄂年代によりて種々に變へ試みられたるありて、其の樣式必ずしも一定せず、又󠄁必ずしも世の假名遣󠄁と同じからず。それらは槪ね其のまゝに先生の手振を留めたり。
七、鼇頭、目次、及び和、英、獨對譯表等は、共に校󠄁訂者󠄁の新に加へしもの、讀者󠄁の便󠄁宜を謀れるに外ならず。
八、本集全󠄁體の編󠄁輯に就きては『早稻田哲學會』員、中桐確太郞、紀淑雄、島村瀧太郞、後藤寅之助、中島半󠄁次郞、綱島榮一郞、五十嵐力等各〻其の勞を分󠄁かてり。
但し『西洋哲學史󠄁』は谷本富氏歸朝󠄁早々三ヶ月を費やして專ら之れが校󠄁訂に當たられ、尙ほ綱島榮一郞、五十嵐力の両人更󠄃に最後の校󠄁訂に任じたり。
九、各卷出版の順序は一に編󠄁纂上の便󠄁宜に依りて定めたり。
十、本集の出版につきては、橫井時雄氏主として斡旋の勞を取られ、渡部董之介、谷本富、文󠄁學博士坪󠄁內雄藏、綱島佳吉、文󠄁學博士中島力造󠄁、松󠄁村介石、文󠄁學博士松󠄁本亦太郞、文󠄁學博士元良勇次郞の諸氏之れに與られたり。殊に法學博士高田早苗氏及び早稻田大學の厚意を受けしこと少なからず。
十一、本書出版の由來等につきては本集完結の際に述󠄁ぶべし。
明治三十六年十二月
編󠄁 者󠄁 識
西洋哲學史下卷
目次
一頁 |
五一 |
九六 |
一四〇 |
一四六 |
一九一 |
二〇八 |
二五二 |
二七一 |
三〇二 |
三一〇 |
三三〇 |
三六一 |
三六六 |
四四六 |
四六六 |
六〇五 |
西洋哲學史下卷目次終
西洋哲學史下卷
近世哲學
第二十八章 過渡時代
《過渡時代に於ける思想界一般の狀態。》〔一〕夫れ中世紀より近世紀に移る過渡は歐羅巴の歷史に於ける大變動の時期にして種々の原因湊合して其の如き變遷を來たしたるなり。一はダンテ、ペットラルカ、ボッカッチョ等に剏められ、一千四百五十三年コンスタンチノープルの陷落によりて更に其の動力を增したる古代文藝の復興により、一は種々の發明及び地理上並びに學術上の發見(活版の發明、亞米利加の發見、印度への航路の發見、コペルニクス等の天文上の發見等)によりて時人の眼界の廣まれること、社會の組織に諸種の變動の起これること(即ち封建制度の衰微、市府の興起、國王の權力の增長、國家統一の傾向等)、又これに伴へる羅馬法王制度の衰微腐敗、及び宗敎上に於いては羅馬敎會に對する大打擊即ち宗敎改革等、是れ皆中世紀を變じて歐羅巴に於ける新時期を誘致したる原因なり。
當時學問界に於いても舊時代の遺物に滿足せずして何等かの新しきものを求むる精神の鬱勃たりしを見る。而して此の精神が先づ古代文藝の復興に於いて其の滿足を求めむとしたりしは自然の事なり。盖し旣に中世紀に於いて端緖を開きたる古代文藝の復興は當時ます〳〵其の潮勢を高め來たり中世思想に厭きて新を求めたる眼は先づ古代希臘の文化を歎美するに向かひたり。それ希臘思想の特質は自然的にして人間的、世間的なり。其の世間を樂しみ、吾人の知見を開くによりて能く自ら幸福なる生を送り得べしといふ信仰に充ちたるは中世紀の超自然的、出世間的、宗敎的なるとは大に異なれり。斯く其の精神を異にしたる古代の文藝を修むる(humanitas)を以て人を人らしからしむるに缺くべからざる事となしたる、是れ即ち當時の新學風にして之れを唱道せし人々をヒュマニストと名づく。中世紀に於いて敎會の打ち從へたりし世間的思想が彼等ヒュマニストの唱道に於いて復活し來たれりと謂ふべし。
かくの如く中世紀の思想とは大に其の趣を異にする希臘の文化に引かれて其の思想を復活せしむる外に又多少新しき傾向を取りて進まむとしたる者ありき。されど此等の新思想が組織的のものにあらずして槪ね想像に奔る傾を有せしは自然の事なり。
以上は過渡時代に於ける思想界一般の狀態にして之れを約言すれば、一は古代殊に專ら希臘の思想に對する歎美及び其の思想の復興、一は未だ組織を成さざれども種々の方面に大膽に動き出でたる思想を以て其の特徵となし得べし。此の過渡時代に於ける學風を見れば新精神の鬱勃たる
《諸種の古代哲學の復活。》〔二〕斯く當時の學問界の大變動は先づ古學の復興によりて創められしが其の復興の最初の、又主要の舞臺は伊太利にして、之れに次げるは獨逸なりき。ピタゴラス派の學說、デーモクリトス、エピクーロス、さては羅馬の折衷的、通俗的哲學及び懷疑說等幾多の古代哲學は陸續として時人の注意を惹きて當時に復活し來たれり。此等復興せる古學の中、最も大なる流をなしゝは自らプラトーン學派とアリストテレース學派となりき。中世紀に發達したるアリストテレース風の思想は專らトマスの解釋に據れるものなりしが當時復興し來たりしは曩にスコラ學者の眼に映じたりしアリストテレースならずしてアリストテレース自家の學說の眞相を捕捉せむとする硏究なりき。然れども此等のアリストテレース學者の中にも差別ありて二大流派を成したり。一はアヹロエス派にして專らアヹロエスの解釋に從へるもの、其の中心はパドア大學にありき、此の流派の有名なる學者はアキルリーニ(Achillini 一千五百十八年に死す)。ニーフォー(Nifo 一三七三―一五四六)等なり。他はアレクサンドロス派にして有名なる註釋者アフロディシアスのアレクサンドロスに從へるもの、此の派の學者中最も有名なりしはポムポナッヅィ(Pomponazzi 一四六二―一五二四)なり。
善く當時の美術的精神に投合してアリストテレース學派よりも更に見るべき新結果を來たしたるは寧ろプラトーン學派なりき。プラトーン學派といふも實際は新プラトーン學派風の臭味を帶びたる者にして、フィレンヅェのアカデミーを以て其の中心とせり。プレト(Pletho 一三五五―一四五〇)、其の弟子ベッサリオン(Bessarion 一四〇三―一四七二)及びマルシリオ、フィチーノー、(Marsilio Ficino 一四三三―一四九九)等此の派の錚々たるものなりき。此等プラトーン派の學者も又アリストテレース派の學者も(但しプレトは大に基督敎的思想を脫して希臘思想に染み、ベッサリオンは敎會に對して無頓著なりしが)一般には決して公然敎會に反抗を試みることなく、此等兩派の相爭うて他派を攻擊するや其の非基督敎的性質を擧げて之れを駁するを常とせり。アリストテレース學派はプラトーン學派の萬有神敎的なるを以て非基督敎的なりとし、プラトーン學派はアリストテレース學派の自然的傾向を以て非基督敎的なりとせり。されど其のスコラ學說に反對せるは二者共に一なりき。
スコラ哲學に對する最も銳利なる攻擊は(專ら其の論述の仕方に對して)ヒュマニストの中、羅馬の學者の常識を重んじたる折衷的哲學思想に就けりし人々より來たれり。此等のヒュマニストはシセロ等を歎美して其の麗はしき修辭に著眼し之れをスコラ學者の無味乾燥なる論述の仕方に對比して專らアリストテレースの論理學即ち中世紀に用ゐられたる形式的論理を嘲り、これを以て眞に吾人の知識を開發するに足るものに非ずとしたり。ラウレンヅォ、ヷルラ(Laurenzo Valla 一四〇八―一四五七)ヸーヹス(Vives 一四九二―一五四六)ニヅォリウス(Nizolius 一四九八―一五七六)等此の流に屬せり、就中最も有力なりしはピエール、ド、ラ、ラメー(Pierre de la Ramée 一五一五―一五七二)なり。ラメーは痛くアリストテレースを排擊し自ら所謂「自然的」論理學を唱へ吾人の自然になす思想の運用が言語に現はるゝ所を見て新たに論理の法則を發見するを要すと論じ論理學に種々の改良を爲さむと企てたり。
《自然界の硏究と神智學。》〔三〕當時思想上の新しき產物には新プラトーン學派風の彩色を帶びたるもの多かりき。盖し哲學が神學と手を別かちてよりは其の本領とする所おのづから自然界の硏究となり、超自然界を以て哲學の關せざる宗敎上の事なりとして之れを神學に委ぬることとなり、而して件の自然界の硏究は多くの學者に於いては新プラトーン學派風の趣味を帶びたるものとなり、又是れが基督敎的思想と相結ばりては其の結果神智學風のものとなり來たれり。こゝに神智學といふは神に接して之れを識る知識を得ることを目的としたるものの謂ひにして、之れを唱へたる人々は自然界の何たるを看破すれば其の根柢に於いて神を發見することを得べく、自然界の蘊奧を探ることによりて神の祕密に入るを得べしと思惟せり。かくの如き思想の傾向はミランドラのジョヷンニ、ピーコー(Giovanni Pico de la Mirandola 一四六三―一四九四)に於いて之れを認むるを得。ロイヒリン(Reuchlin 一四五五―一五二二)は此くの如き思想にカッバーラの要素を打ち混じたり。更に祕術的傾向を帶びたるものは之れをアグリッパ(Agrippa 一四八一―一五三五)に於いて見るを得。當時此等自然界の探求に熱中せる傾向は以て中世紀思想の轉變したる一徵證となし得べし。今いふ神智學風の傾向を帶びたる學者は自然を奧妙なるものと思惟し吾人は其の祕密に探り入ることによりて神智を得また妙力を得て遂に祕術的不思議力をも得べしと考へたり。而して此等は吾人若し深く自然を究めて之れを用ゐることをせば偉大なる事を爲し得べしと考へたる時人の思想を反映したるものに外ならず。
《パラセルススと其の自然界の論。》〔四〕上に云へるが如き思想の最も善く發達したるものはパラセルスス(Paracelsus 一四九三―一五四一)に於いて認めらる。彼れの考ふる所によれば哲學は自然界の知識也。世界はそが發生の種子たる一體の者より生じ出で而して此のもの是れ即ち神によりて造られたる原物質(prima materia)なり。此の原物質の中に萬物は未だ其の形を成さずして含蓄せらる、而して此の含蓄せられたるものの開發生長したるもの是れ即ち世界なり。世界は三界に別かたる、一は地水火風の原素を以て成れる地界、二は星界、三は神界なり。人間に於いても亦此の三界に應ずる三部分あり、一は地水火風の原素によりて養はるゝ肉體、二は星を司る精靈に養はれて想念のはたらきを爲す精神、三は宗敎上の信仰(即ち神の惠)によりて養はるゝ心靈是れなり。かくの如く人間と世界とは其の成り立ちに於いて相類似し同一の法則が二者に行はるゝが故に吾人は世界の成立を知ることによりて人間を知ることを得。世界は活物なり、人間に似て時代を經て生長するものなりと。此くの如く人間と世界とを其の成り立ちに於いて相同じきものと見る論、即ち大宇宙小宇宙の論は當時種々の形を取りて現はれたり。
斯くの如くパラセルススは自然界に行はるゝ同じ力が人間に行はるとなしゝ所より自然界の祕密を探り其の知識を醫術に應用せむと試みたり。以爲へらく、疾病は生活の氣の妨げらるゝことによりて起こると。此の生活の氣をアルケーウス(Archeus)と名づく、而してアルケーウスは自然界全體を保つ所の自然力(之れをヴルカーヌス〔Vulcanus〕と名づく)の一の特殊のはたらきに外ならず。生活の氣を妨ぐる者は其の氣に反する地上及び星界の力なるを以て吾人は其等を探知することによりて之れを防ぐを得べく因りて以て吾人の疾病を醫療するを得べしと、かく考へてパラセルススは自然界を知ることによりて得る醫療の祕術を尊崇したり。
《神祕說の勃興。》〔五〕パラセルススに於いて他の思想と相混じて見るを得べき祕術的思想は外界として橫はる自然界の祕密に探り入らむと力めたるものなるが、今外界の代はりに吾人の內界即ち人性の根柢を看破して直接に神に接せむとしたるもの之れを神祕學說となす。前者は大宇宙の方面より全體の祕密を探らむとしたるもの、後者は小宇宙の方面より同一の祕密を探らむとしたるものなり。小宇宙は大宇宙の粹を集めたるものとせらる。神祕說は一面、上に謂へる神智學風の流れに屬するものと見らるれど其の外にまた他の淵源を有せり、即ち中世紀の末つ方に發達したる實行的神祕說是れなり。羅馬敎會の儀式的なるに反抗したるプロテスタント敎は元來宗敎の生命を以て外形の行爲にあらず各自の內心の實證にありとしたるものにして、其の起原に於いて明らかに件の實行的神祕說に聯絡したるものなり。ルーテル自ら神祕家の趣を帶びたりしが彼れは後に至りては聖書の文句を信仰の標準と見做して宗義を形づくることに傾きたり。〔ルーテル派のプロテスタント敎的神學を形づくることに於いて最も力ありしはメランヒトン(Melanchthon)にして彼れはプロテスタント敎義を組織するにアリストテレースの哲學を用ゐたり。同じくプロテスタント敎の中にてもカルヸン派は專らアウグスティーヌスに憑據せり。斯くプロテスタント敎徒が宗派を分かちて各〻宗義を形づくらむとするに反對し殊にプロテスタント敎に用ゐられたるアリストテレース風の思想に反對して其等の宗派に係はらざる基督敎的神學を形づくらむとしたるを以て有名なるはタウレルルス(Taurellus)なり〕。かくてプロテスタント敎徒が宗義を樹てゝ經典の文字に拘泥する傾向に反對して吾人各自の心裡の宗敎的實驗を基礎とする神祕家の流を持續せむとしたる人々の起これるありき。シュヹンクフェルド(Schwenckfeld 一四九〇―一五六一)フランク(Franck 一五〇〇―一五四五)及びパラセルススの影響を受けたるヴァレンティン、ワイゲル(Valentin Weigel 一五三三―一五八八)等其の主なるものなり。ワイゲル以爲へらく、我れを棄てて神に合一したる生命を有する者は宗義上、文字上、斷定する所の如何に拘らず皆眞に宗敎の生命ある者、皆クリスチャンなりと。此等の通俗宗敎的神祕家とは少しく其の趣を異にし神祕學者として最も肝要なる位地に立てるは
ヤーコブ、ベーメ(Jakob Böhme 一五七五―一六二四)
なり。已に中世紀に於いて現はれたる獨逸神祕學は彼れに於いて復活し且つ榮ゆるに至れり。ベーメは製靴を業としたりしが一時諸方を遍歷して到る處に醱酵しつゝありし種々の思想を吸收したり。其の所在の有司に叱責せられたるにも拘らず又文筆に嫻へる身にあらざりしにも拘らず其の胸中に鬱積せる思想は溫良なる彼れを驅りて書を著はすことを思ひ止まらざらしめき。
《ベーメが神祕說の特色。》〔六〕通俗を旨としたる神祕家に優りてベーメは眼を自然界に注ぎたり。獨逸神祕派の流れに於いて汲むことを得る一種の宗敎的哲學に加ふるに自然界の祕密を探求する傾向を以てしたるはベーメが神祕說の特色なり。彼れはすべての神祕家の如く自己の宗敎的實驗を以て出立したり。彼れは己れの宗敎的實驗の上より考察して、自然の性と生まれ更はりたる性との相對することを發見せり。即ち彼れは其の宗敎的實驗に於いて吾人が自然の狀態より出立し而して其の中より更に生まれかはりて新しき性を現はすことに進むを見、此の自然の樣とそが更に生まれかはり行く狀態との對峙を以て人性の根柢を示すものなりと見たり、而してベーメはかく吾人の心底に於いて發見したるものを以て世界の起これる所以をも考へむとせり。彼れは萬物の暗黑なる太原を名づけて神に於ける自然の性即ち未だ生まれ出でざる神といへり。此の暗黑なる太原が其の自らを現はし自らを知らむとする衝動(Drang)によりて始めて活動する神となる。而してそが自らを知らむとするは是れ即ち其れが知るものと知らるゝものとに分裂するなり。かく神の自ら分裂することなくんば凡べての活動のあらむよしなし。かくては唯だ存在の暗黑なる太原あるのみにして未だ眞に存在物ありとはいふべからず。かくの如く凡べての活動、凡べての存在は自らが相對峙するものに分かるゝことによりて起こる。相對峙するもの無くば凡べては唯だ單一なる
ベーメは詳しく神の自らを世界に現はすはたらきを說かむと試みたり。彼れは世界の創造を七段階に分かち、委細に酸の收縮作用及び甘の伸張作用によりて萬象の生する最初の段階より漸次に進みて感覺及び知識作用の生出するに至るまでを說けり。彼れは更に地上の歷史を叙して人間の靈の墮落することより其が再び神に還り彼れに和合するに至る次第を詳說せり。此等はベーメが其の神祕說に雜ふるに自然界の神智學的見解を以てせしものなり。彼れは凡べて豫言者風の語氣を以て其の思想を述べ、其の說く所の言語は頗る晦澁なれとも神祕說に特有なる一種幽玄の趣を帶ぶる所あり。
《伊太利の自然哲學と其の特相。》〔七〕上に述べたるが如く新プラトーン學派の影響を受けて自然界を神智學的に觀る傾向が一は祕術風の思想に到り又一はベーメの神祕說に到りし傍に又伊太利の自然哲學と名づくるものに於いて更に優りたる意味にて自然界に關する哲學思想の發達せるを見ることを得。蓋し哲學が神學と分離して專ら自然界を考ふるものとなりしに因り、又新プラトーン學說の影響を受けしことに因りて茲に一元的なる、萬有神敎的なる、而して頗る想像的なる一種の自然哲學の成り出でたるは解し難きことにあらず、且つ自然界を活動する神と同一體なりと見て宇宙の美をたゝへたるは又大に古代文藝復興時代の美術的精神に適合せる者なりき。而して此くの如き思想はパトリッヅィ(Patrizzi 一五二九―一五九七)に於いて殆んど全く新プラトーン學派風の形に言ひ表はされたり。彼れよりも獨立なる思想を持して所謂伊太利の自然哲學を開發したる者はカルダーノー(Cardano 一五〇一―一五七六)、テレジオ(Telesio 一五〇八―一五八八)、ジョルダーノ、ブルーノ(Giordano Bruno 一五四八―一六〇〇)、カムパネルラ(Campanella 一五六八―一六三九)等なり。
《ジョルダーノ、ブルーノの自然哲學。》〔八〕彼等伊太利の自然哲學家等の中に就き最も傑出したるを
ジョルダーノ、ブルーノ
とす。彼れは當代の最も光彩あり最も大膽なる思想家なり、己れ羅馬敎會の僧侶なりしにも拘らず其の懷抱せる說を吐露して毫も憚らざりき。彼れに親善なるもの之れを諌めて其の直言を愼まむことを勸めたれとも彼れ聊かも枉ぐることなかりしを以て七年間獄舍に繫がれし後遂に火刑に處せられたり。
ブルーノは宇宙を觀て活動するもの又無際限なるものとしたり。彼れは當時已に世に傅へられたるコペルニクスの天文上の新說を採り更に之れを推し擴めて宇宙全體を蔽ふものとなしたり。コペルニクスの說ける所は地球及び其の他の遊星が太陽を中心として回轉すといふに在りて羅馬敎會が其の宗敎上の信仰に結び附けて信じたる如くに大地は宇宙の中心には非ず一の遊星に外ならずとせり。ブルーノは更に其の說を擴張して曰はく、幾多の星體一太陽を中心とし其の周圍を回轉して一團體を形づくり而して斯かる團體無數に存在す、故に宇宙には無數の世界ありと。此の際限なき宇宙をしかあらしむるもの即ち萬有を能造化の方面より觀たるもの(natura naturans)是れ即ち神にして、世界はしかあらしめらるゝもの即ち萬有を所造化の方面より觀たるもの(natura naturata)なりとせり、神は宇宙の全體を貫きて之れを活動せしむる所以の生命也。萬有は活物たる一體を成すもの、之れを譬ふれば根より梢に至るまで生氣全樹に通ひて葉を出だし花を咲かすが如く宇宙には同じき神の生命の通ひ居るなり。
斯く神によりて活き之れによりて形を成せる萬物を分割すれば遂に剖かつべからざる極微のものとなる。此の極微なるものは物體なると共に精神なり、是れ即ち心物の兩面を具ふる原子(デーモクリトスの所謂アトムとは異なり)にして之れをモナドと名づく。此のモナドは宇宙を活動せしむる勢力の個々に分かれて發現したるもの、換言すれば、各モナドはそれぞれの樣に於いて神を現はすものなり。故に一切の物皆それぞれに全宇宙の本體を寫す鏡と見るを得べし。
萬物各〻全宇宙の一部として他と相聯結して一大調和を現ず。調和は萬有の眞相なり。萬有は神の生命の現はれたるものなるが故に完全なり、善美を盡くせるものなり。此のブルーノの說に於いて當時の文藝復興時代の美術的精神は最も偉大なる哲學的發表を得たりと謂ふべし。
《カムパネルラ。》〔一〇〕カムパネルラはブルーノとは異なりて敎會に從順ならむと力めたりしが政治上の理由によりて二十七年間幽囚の身となり後救はれて佛蘭西に行き、旣に彼處に起これりしデカルト派の學者等と霎時相交際したり。彼れは中世紀末葉の思想を受けて神學と哲學とを分かち神學は信仰に根據するもの、哲學は吾人の經驗に基づき而して數理及び理論に從ひて硏究を進め行くものなりとせり。彼れは又吾人が一切の知識の起點は自己を知るに在りとなし以爲へらく、吾人が自ら經驗する所を顧みれば、我れは作爲し、知識し又意志するものなることを知る、即ち我が經驗に於いて我れの性が力と知と愛とを以て成れることを知り、また同樣の性を具へたる者と交涉することを知る。諸物の性は吾人自らの性を知ることによりて推知する外なし。吾人の知識の中に就き第一に確實なるは我れの存在と我れの性を知ることなり、而して之れを基として神の存在を推知し得べし、そは我れの有する神てふ觀念は我れの如き有限者の造り得る所に非ずして無限なる完全なる者によりて始めて與へらるゝを得るものなればなり。〈後去つてデカルトの說く所を看よ〉而して其の神の性質も要するに力と知と愛とに外ならずと知る、唯だ其の凡べてが無限なるのみ。
萬物は悉皆活けるものなり。生命なき者より生命ある者の出づべくもあらず。物々皆或は愛欲し或は嫌惡す物質の運動も自らを保存する衝動によりて起こる遊星の太陽を回るも其の中心に引かるゝ情あればなり。虛空は充たされむことを欲求す。カムパネルラは萬物が神によりて生ぜらるゝ次第を新プラトーン學派風に云ひ做したり。神より生じ出でたる萬物は皆其の本源なる神に和合せむとする性を有す、是れ即ち宗敎の基づく所にして物々皆宗敎心を有すといふことを得べし。
《近世自然科學の發端、コペルニクスとケプレル。》〔一一〕謂はゆる伊太利の自然哲學が一方に於いて開發せられつゝありし時に已に精確なる科學的硏究の他方に起こりて時人が自然界を見る眼を新にせむとせるあり。是れ即ち近世の自然科學の發端なり。ブルーノ、カムパネルラ等に先きだちコペルニクス(Kopernikus 一四七三―一五四三)出でて地動說を唱へたり。彼れの初め其の說を唱へしや表面上は唯だ之れを一種の臆說として提出したりしが其の說おひ〳〵當時の進步したる思想家間に弘まりブルーノに於いては廣大なる哲學的世界觀に編み込まれたり。
其の後ケプレル(Kepler 一五七一―一六三〇)出でて更に天文に關する硏究を進めたり。彼れの學術的思索は宇宙の調和といふ觀念を根據とせり、此の點に於いて彼れは文藝復興時代の一般の思想に據れるが如くなれども其の硏究せる所はピタゴラス學派風の數理に關する想像說にもあらず又所謂伊太利の自然哲學の類ひにもあらずして精確なる計算を基とせるものなりき。即ち自然界の硏究は彼れに於いては神祕的ならず神智的ならずして數學を應用したる科學的のものとなれり。(彼れ以爲へらく、眞正の知識は精確に計量を爲し得る所に在りと。而して此の計量的觀察是れ即ち近世科學の一大特色なり。此の科學的硏究法の後にガリレオによりて更に開發されたることは後章に叙述すべし。
《國家の獨立、マッキャヹルリの國家論。》〔一二〕當時如何に學問界の眼の自然界に注がれたるかは上來述べたる所の如くなるが自然界が斯くも歎美され貴重されたると共に當時の一特徵といふべきは國家の重大視せらるゝに至りたることなり。古代希臘に於いては宗敎は國家の附屬物に外ならざりしが中世紀に在りては二者の關係全く之れに反して國家が宗敎に附屬する有樣となれりしは曩に陳述せるが如し。而して近世に入るに當たりては恰も神學と哲學と、超自然界と自然界との相分離せるが如く出世間の事に關する敎會と世間を治むる國家とはまた相分かれて國家は全く殊別獨立のものとなれり。而して國家の獨立及び尊嚴を說くに畢生の力を費やしたる者は之れを先づマッキャヹルリ(Macchiavelli 一四六九―一五二七)に於いて見るを得。彼れ曾て其の友に贈れる書中に曰へらく、「運命我れをして絹絲を語り毛を織ることを語り損益を語り得ざらしむ、我れは國家に就きて語らざるを得ず、然らざれば全く默せむのみ」と。彼れは國家盛衰の原因を歷史上に求めて以爲へらく、國家の盛衰するや其の由りて盛衰する歷史上の法則あり。國家の成り立ちや、其が救濟維持の策や皆歷史を講じて後始めて知るを得べしと。而して彼れが實際の人類の歷史に就きて見たる所に從へば、人間は飽くことなき慾望を以て動くものにして常に惡事に傾き、善事を爲すは唯だ其の止むを得ざる時に於いてのみ。政治上の問題は道德上の論辯を以て解釋せらるべきものに非ず、須らく力によるべし、腐敗したる國家に在りては特に然りとなす。元來國家は唯だ人間の利益及び必要に生じたるものなるを以て國家に關することは凡べて利益の爭ひてふ立脚地より觀ざるべからず。國家を統治する者は宜しく擅制の權を以て其が國家の隆盛を計るべし、苟くも此の目的にだに益するあらば如何なる手段を用ゐるも可なり。目的は手段を正しくす。之れをマッキャヹルリが有名なる政治論とす。當時彼れが伊太利に在りて唯一の目的となせるは其が生國の獨立と繁榮となりき、而して羅馬法王の權力は伊太利の國家的獨立と相合はざるものなりと見て痛く之れを攻擊せり。
マッキャヹルリは非敎會主義を執りしが當時羅馬敎會の方に於いても(イェスイト徒中に)國家の論を爲したる學者あり。中に就いて有名なるをべルラルミーノ(Bellarmino 一五四二―一六二一)マリアーナ(Mariana 一五三七―一六二四)等とす。彼等は敎會の下に在らざるものとしての國家の起原を考へて曰はく、國家は人各〻が利益を計る心に由り形づくられたるものにして其の權を神聖にするは獨り敎會の能くする所なり。國家の主權は本來人民に在るものなれば敎會が君主の權を神聖冒す可からざるものとせざる限りは人民の意に隨ひて之れを取りかへすことを得べしと。當時羅馬敎會の版圖を脫したる國々に於いてイェスイトの徒は斯かる思想に基づきて革命的思想を鼓吹せむと試みたり。此の點に於いてプロテスタント敎徒の國家論は其の趣を異にし國王の權は神の制定に出でたるものにして人民は必ず之れに服從する義務を負ふものとなしたり。
《グローチウスの國法論。》〔一三〕敎會の宗義に拘ること無くして全く獨立に國家及び政治を論じたる學者の中に就き最も肝要なるものを揭ぐれば英吉利人にはトマス、モーア(Thomas More 一四八〇―一五三五)ありて宗敎に對する寬容主義を唱へ、佛蘭西人にはボダン(Bodin 一五三〇―一五九七)ありて歷史的事實の硏究に心を用ゐ、伊太利人にはジェンティーリス(Gentilis 一五五一―一六一一)ありて私權の原理を物理の法則上より論ぜむと試み、獨逸人にはアルトゥス(Althus 一五五七―一六三八)ありて民主權を唱へ、社會は人民の相約して成せるものにして何人も人民の權を取り去ること能はず、また之れを分割すること能はず、國王は唯だ國家の最高の役人たるに過ぎずと論ぜり。
國法の論を爲したる學者の中最も有名なるを和蘭人フーゴー、グローチウス(Hugo Grotius 一五八三―一六四五)とす。彼れは天啓によりて定まれる神定法と人間の定めたる人定法との區別を爲し、又アリストテレースの說を取りて人間は本來社會的の者なりとし、而して又此の人間の社會的性質を根據として凡べての權理上の論を演繹せむと試みたり。彼れは自然法と制定法とを分かちて曰はく、自然法は凡べての人間即ち理性を有する者に遍通なるものにして、制定法は歷史及び國土の差別によりて相異なりと。彼れは尙ほ自然法及び制定法の各〻を分かちて人と人との間を律するもの(jus personale)國と國との間を律するもの(jus gentium)との二つとなせり。後者は即ち萬國公法にして其の論は彼れが名聲を後世に遺したるものなり。
《懷疑的傾向と實際的傾向。》〔一四〕上に述べたるが如く當時は樣々の說出でて樣々の傾向を示したりしが尙ほ整然たる組織を成せる者とては無く、頗る大膽なる所ありしと共に又多く想像に失したり。かくの如く一方には種々の思想の沸騰しながら未だ能く其の形を成さざるに他方には昔時人心を支配したる思想の已に勢力を失へる時代に屢〻出で來たるは懷疑的傾向なり。而して此の懷疑的傾向の實に當時に現はれたるを看る、又其の傾向は古代の懷疑說の復興によりて强められたる所あり。古代の懷疑論者の旣に說ける所なる五官の知覺の誤りあること及び人々の所信の相異なること等を根據として懷疑的思想を吐露したるはモンテーヌ(Montaigne 一五一三―一五九二)なり。彼れおもへらく、吾人は眞理の何なるかを確實に知覺し得ざれども何を爲すべきかを定むることは能はざるに非ず、吾人が行爲の規範として依るべきは一は自然の性に從へる生活、一は天啓の敎示、是れなりと。蓋し後者は即ち宗敎の信仰にして前者は世人が常識を以て善しとすることを指せるに外ならず。モンテーヌと同じく佛蘭西人なるシャロン(Charron 一五四一―一六〇三)に於いても亦懷疑的傾向を見る。シャロン說いて曰はく、懷疑の目的は硏究心を盛んにすると宗敎上の信仰を貴くするとに在り。吾人は究理心を以て遂に確實なる眞理を發見すること能はざるを知らばおのづから宗敎上の信仰を尊ぶに至るべしと。是れシャロンが懷疑說を用ゐて宗敎の實行に利せむとせるなり。されど彼れはまた以爲へらく、吾人は全く眞理を所持すること能はざれとも其を求むることを得。吾人は眞理を求むるが爲めに生まれたるものにして眞理の探求是れ即ち吾人の生活を價値あらしむる所以のものなりと。
葡萄牙人サンチェス(Sanchez 一千六百三十二年に死す)に於いて吾人は中世紀哲學の終はりに出でたる唯名論風の立塲よりせる懷疑說を見る。彼れ以爲へらく、微小なる人間が如何にして限りなく大なる宇宙を知り究むるを得むや。吾人の經驗は唯だ事物の外面に觸るゝのみにして到底其の內部の本性を知ること能はず。吾人の眞に知り得べきは吾人自らの爲し得ることのみ、唯だ實行してしかじかのことによりかく〳〵の事を爲し得と知るのみと。
かくの如く懷疑說は究理的考察の眞理に到達し得るを疑ひたる結果、多く
《新哲學の新硏究法、究理學派と經驗學派。》〔一五〕近世學術の祖と云はるゝ人々に於いては恰も言ひ合はせたらむが如くに舊思想を捨て一切の先入を去りて學問界に大革新を來たさむとする大志望の懷かれたりしを見る。而してかくの如き學問上の新組織を成すことに最も必要なるは其を組織せむための新方法なり。此の故に學術の硏究法を明らかにすることが近世哲學の當初に於ける最も肝要なる問題なりき。本章に叙述したる過渡時代に於いて種々の新思想の沸騰したるを見れども未だ大なる組織の成れるものあらず、唯だ心あてに一大新組織を成すべき根柢を探りつゝありしものの如し。而して未だ其の如き組織に達し得ざりしは主として確實なる又有力なる新方法を明らかにせざりしに由る、其の如き硏究法を明らかに意識することなくして多くは唯だ大膽に想像に走りしに由る。近世の新哲學は實に其の如き新硏究法の明瞭なる意識に始まれり。新硏究法と新學問の理想とを明らかにすることによりて近世哲學の一大新時期を開くに至れるは恰も希臘哲學に於いてソークラテースによりて新時期の開かれたりしに比すべし。而して其の如き硏究法は要するに確實なる出立點に起こりて確實なる知識を造ることに存すれども謂ふところ確實なる方法に二途を分かつを得べし。即ち一は確實なる根據に立脚すといふことをば吾人が實驗する數多の外界の事實を蒐集し觀察するにありとするもの、一は謂ふところ確實なる根據を吾人が意識の確實なる證明に求め意識に於いて直接に確實とせらるゝ所を根據とし之れよりして理を究め步を追うて進みゆくを要すとするもの、是れなり。後者即ち意識の直接の證明に根據することは已にアウグスティーヌスが所說の一方面に於いて其の端緖を見たるものにして是れ近世哲學に於ける大潮流たる究理學派を成したるもの也。前者即ち外界の個々の事實を多く觀察して漸次に確實なる知識を組織せむとするもの是れ即ち近世哲學の他の大潮流なる經驗學派なり。
第二十九章 近世學術の濫觴
《近世學術の舞臺、濫觴及び硏究法の論。》〔一〕前章に述べたる過渡時代、他の語にていへば文藝復興時代(即ちヒュマニスト時代)に於ける思想の舞臺は專ら伊太利次いでは獨逸なりき。然るに其の後羅馬敎會がプロテスタント敎の勃興に對し自衞策を講じて益〻其の主張を固くしたると共に內部の改良を行ひて其の勢力を强めたる結果として新學術思想勃興の氣運は伊太利に於いてはおのづから抑壓せらるゝこととなり、獨逸に於いては宗敎改革に次いで起こりたる戰爭によりて一時學問の衰頽を來たしたるが爲め近世哲學當初の舞臺は英吉利、佛蘭西及び自由制度を布きて大に思想信仰の自由を與へむとしたる和蘭なりき。謂はゆる經驗學派を成すに至りし學統の濫觴及び發達は專ら英吉利に於いて見ることを得べく而して他の大潮流なる究理學派は佛蘭西に起こり其の舞臺は延いて和蘭に及べり。
こゝには先づ究理派並びに經驗派の哲學上の組織の成立する以前に於ける近世學術の濫觴殊に其の硏究法上の論を述ぶべし。是れ即ち近世謂はゆる自然科學の基礎を開けるものなり。
《フランシス、ベーコンと其の著書。》〔二〕已にテレジオ、カムパネルラ及び懷疑學者等は經驗主義を主張して吾人の知識は經驗を基礎とすべき者なりと說けり。されどテレジオ等は斯くの如く說きながら其の實際に爲せる所を見るに想像に走り一躍して純理哲學論に飛び上がることに躊躇せざりき。畢竟彼等は未だ經驗的硏究の何たるかを明瞭に自識せる者にあらず。此の經驗的硏究法を先づ最も明らかなる自識もて說き出だせるは
フランシス、ベーコン(Francis Bacon 一五六一―一六二六)
なり。是れ卽ち彼れが近世學術の歷史に重要なる位置を占むる所以なり。ベーコンの著書中最も肝要なるを "Essays"(『論文集』)"Advancement of Learning"(『學問の進步』彼れ後に之れを拉丁語に移し且つ敷衍して "De Dignitate et Augmentis Scientiarum" と題しき)及び "Novum Organum" とす。
《ベーコンの功績は歸納的硏究法を明らかにせるにあり。》〔三〕ベーコンは明らかに在來の舊學問の信憑するに足らざることと其を全く根柢より革むるの必要とを認めたり。是を以て彼れは切りにスコラ學風を彈訶し中世紀に行はれたりしアリストテレース風の論理即ち三段論法を以てする演繹法をば吾人が知識の擴張に於いて價値なきものと見、アリストテレースが學術の舊機關『オルガノン』に對して新機關を說きたり、是れ即ち其の『ノーヴム、オルガヌム』なり。彼れに於いて新學問の精神は伊太利の自然哲學者等に於けるよりは更に明瞭に更に組織的のものとなれり。其の功績は新學問の組織を建てたるに在るよりも寧ろ自然科學の新理想と新硏究法とを揭げたるに在り。彼れが自然界に關する實際の硏究とては殆んど一も見るべき者なく其の蒐集したる事實上の知識は槪ね從來存在せる書籍等に據れり、また其の實際用ゐたりし思想にも中世紀より傅來せる者少なからず。斯くの如くベーコンは實際學術の硏究によりて新しき天然の法則を發見せしにもあらねば、また新經驗的哲學の組織を成せるにもあらず、其の功績は專ら自然科學の歸納的硏究法を明らかにせむと力めたるに在り。此の意味に於いて彼れを近世學術の祖なりといふ、固より不可なし。
《四種偶像論。》〔四〕ベーコン以爲へらく、確實なる知識に達せむには吾人は先づ古き先入を去らざるべからず。固よりベーコンを懷疑論者といふこと能はざれども一切の先入を去りて全く新しく確實に考へ直さざるべからずと論ぜる點に於いて彼れが舊思想に對して懷疑的の
《歸納法詳說。》〔五〕次ぎにベーコンは在來の知識を以て滿足せしむること能はざる學問の新理想を揭げ其が如何なる部分の又如何なる種類の硏究によりて組成せらるべきかを說き、次ぎに其の如き理想に循へる學術の硏究法を說けり。ベーコンの所說に於いて特に吾人の注意すべきは此の硏究法なり。彼れ先づ說いて曰はく、吾人の依據すべきは經驗なり、凡そ學術の硏究は多くの事實を經驗するに出立し而して漸次に此等の事實に通ずる法則を發見せまくする歸納法(induction)に依らざるべからずと。是れ彼れがアリストテレース及びスコラ學者等に反對して形式論理を新知識の開發に無用なるものと視而して之れに對して說きたる謂はゆる學術の「新機關」なり。
歸納的硏究を爲さむには先づ事實を蒐集せざるべからず、此等の事實是れ即ち歸納の據るべき事例(instantiae)なり。事例の蒐集は自然界に生起する事柄を平叙することによりて成すを得べし、而して之れを彙めたるもの是れ listoria naturalis なり。ベーコンは自ら此等の事例を集めむとしたれども彼れが此等蒐集の淵源をなせるものは多くは書籍なりき。
事例の蒐集に次ぎて吾人の爲すべきは其を解釋すること(interpretatio)なり。解釋とは一現象をして
《自然界の硏究と其の利用。》〔六〕吾人は斯かる歸納的硏究法を以て自然界を探らざるべからず。されど吾人が斯くして自然界を探りて確實なる知識を得むとする目的は(ベーコンに從へば)畢竟實用に在り。知識は即ち力なり。以爲へらく、自然を使役せむと欲せば先づ之れに隨順せざるべからず、自家の空想臆測に走らずして自然の法則を知らざるべからず、自然界の法則を知ることによりて能く自然力を使役し利用するを得べしと。先きに過渡時代の祕術的思想に於いて天然界の祕密に探り入りて之れを用ゐるべしと說けるが如き漠然たる思想に代へて精密なる科學的(歸納的)硏究を以て天然の法則を確かめ之れに從ひて能く天然力を用ゐ得べしといふ理想はベーコンの明らかに意識せし所なりき。而して是れ當時の思想界の大志望を揭げたるもの也。人間はかくの如き力によりて偉大なる事業を爲すことを得べく、また之れによりて吾人の生活を改良して人生に幸福を來たし得べしといふ新希望、新信仰を以て充ち滿ちたる時勢の聲がベーコンによりて發せられたる也。
《ベーコンの所謂自然科學的硏究は物界、社會、人心の一切事相に關す。》〔七〕ベーコンに於いては哲學は即ち自然界の硏究なり。されど謂ふところ自然界の硏究は唯だ物界にのみ關するものにあらず。精神作用に係る事相(社會的及び心理的現象)の知識も亦自然科學的歸納法を用ゐて始めて確實にせらるべしと云ふこと是れ已に彼れが腦裡に浮かべたる所なり。是れ彼れが眼光の遠きに透徹したる所にして、一言にして云はば、物界、社會、人心に關する一切の自然科學的硏究の新理想は彼れによりて意識されたりと謂ふべし。彼れは中世紀の末に起こりたる宗敎と學問とを分離せしめむとする思想を傳へて吾人が自然に具ふる道理心を用ゐて得る知識と天啓によりて得る知識とを全く區別し一は他に係るものならずとせり。
《ガリレオと其の物理的硏究法。》〔八〕上述せる如くにベーコンは近世學術の歸納的硏究法を說かむとしたりしが其の說き洩らしたる最も大なる一點は數學の必要なりき。彼れは數學を應用して一切の物理的現象を分析し以て其の起これる所以及び法則を定むる必要に著目せざりき。此の點に於いて最も善く近世物理硏究の著眼點を明らかにし得たりしは
ガリレオ、ガリレイ(Galileo Galilei 一五六四―一六四二)
なり。彼れ說いて曰はく、吾人の知識作用は先づ觀察即ち經驗を以て始まらざるべからず、而かも唯だ個々の事柄を觀察するのみにて學理的知識の形づくらるべくはあらず、須らく其の事柄を迎ふるに法則てふ觀念を以つてすべし、觀察したる個々の事柄を法則に纒むること是れ吾人の知識作用なり。而して物理現象の法則は畢竟ずるに之れを物體の部分が運動する關係に求めざる可からず。吾人が物體に就きて感覺する感官上の性質は主觀的のものにして物體そのものの具する所にあらず、物體其の物に於ける變動は其を成せる部分が其の塲所を移すと云ふことの外にあらず。故に物理現象の原因を探るといふは先づ其の現象を物體部分の運動に分析し而して其の各部分の運動の相集まりて數學上生ずべき結果と見て其の現象の生起を了解する謂ひなりと。ベーコンが歸納法の主眼は現象のフォームを探求するに在りしがガリレオの硏究法とする所は數理上定め得る運動の最も單一なるもの換言すれば運動の單元を分析し出だすことに在り。故にガリレオに於いては物理現象の原因といふ事が新鮮なる且つ明瞭なる意義を有することとなり、運動學の原理に從へる近世學術の物理的說明の根本主義は彼れによりて明らかに說き出だされたるなり。彼れ以爲へらく、數學上明らかに定め得る限り吾人の知識は達するを得るものなりと。性質上の區別を分量上の區別に歸せむとする近世學術の傾向はこゝに於いて十分なる意識を以て進み來たれり。ガリレオの機械的說明を廣く諸種の現象に應用して一の大膽なる哲學上の組織を立てたる者を英吉利人トマス、ホッブスとす。
第三十章 トマス、ホッブス(Thomas Hobbes)
《ホッブスの生涯及び著述。》〔一〕ホッブスは一千五百八十八年四月五日に生まる、父は一牧師なり。其の生まるゝや恰も西班牙がかのアルマーダを浮かべて將に英國を擊たむとする由聞こえわたり擧國人心恟々たりし時に際せり。彼れ十五歲にしてオックスフォルドに入りスコラ學者の敎へ來たりたるアリストテレース風の論理學及び物理學を脩めたれども多く之れに趣味を感ぜず、然れども此の時に於いて彼れがかの中世紀の末葉に起こりたる唯名論に得たる所少なからざりしことは蔽ふべからず。其の後カヹンディシ家に師傅たりし故を以てしば〳〵歐洲大陸に旅行し特に佛蘭西には久しく其の足を留めて當時知名の學者等と交はり文學及び學術、數學又自然科學の硏究に其の心を注ぎたり。巴里に在りてはデカルトの親友なるメルセンヌ及びガッセンディ等と相來往し自國に在りてはベーコンと相識り、また其の曾て以太利に行きし時には多分ガリレオと相會したりしならむ。千六百三十七年英國に歸りて後、其の開發し得たる思想を組織し其が學說を傳ふべき著述を成就せむことに著手せり。千六百四十年議會が王權黨を窘迫し初めむとするやホッブス其の危害の己が身にも及ばむことを慮り國內の紛擾を遁れて佛蘭西に行きこゝに靜かに其の學を攻むる地を求めたり、盖し彼れは自國に於ける非王權黨が上下の安寧を亂さむことを憂へ旣に之れに對する自己の意見を吐露したればなり。然るに其の後其の國家論を發表したる名著『リヷイアサン』の故を以て彼れは加特力敎徒及びエピスコパルかたぎの王權黨に容れられず其れが爲め英國王子(後の英王チャールス第二世)の師傅たる位地を失ひ千六百五十二年英國に歸れり。爾後只管其が著作の完成に從事し、又王朝の復興するに逢ひては國王チャールス第二世の厚遇を受け、千六百七十九年九十一歲の高齡を以て歿せり。彼れは終生娶らず。ホップスが著書の主要なるものを擧ぐれば千六百四十年 "Elements of Law, Natural and Politic" を作り(此の書は公にせでありしに十年の後著者の承諾なくして "Human Nature" 及び "De Corpore Politico" と題する二書に分かちて出版せらる)千六百四十二年 "De Cive" を著はす(千六百四十七年增補す)。此の書は "Elements of Law" の終はりの部を改作して獨立の一書としたるもの、是れ即ちホッブスが哲學組織の第三部門を成すものなり。千六百五十一年 "Leviathan, or the Matter, Form and and Power of a Commonwealth" を著はす。千六百五十五年 "De Corpore" を公にす、是れ彼れが哲學の第一部門を成すものなり。千六百五十八年 "De Homine" を公にす、是れ彼れが哲學の第二部門を成すものなり。此の二書と嚮に著はしたる "De Cive" を以てホッブスの "Elementa Philosophiae" とす。
《ホッブス哲學の根本思想、及び其の三部門。》〔二〕傳へ云ふ、ホッブス曾て巴里に在り、一日其の地の學者等と會談したりし時感官の知覺の何たるかに關する問題の提出されしに其の座に之れを解釋し得る者のなかりしかば彼れ此の時より切りに此の問題を考索して、竟に若し物體全く靜かにして又其を形成する部分聊かも移動すること無くば一切の辯別、隨うて一切の知覺作用は起こらざるべしと云ふことを思ひ得て爾後一心不亂に物體の運動にのみ其の思索を注ぎたりとぞ。而して茲に彼れは其の哲學の根本思想を得たるなり。彼れに從へば、凡べて存在するものは物體なり、凡べての出來事は物體の蓮動に外ならず。謂はゆる心的現象も究竟すれば物體の運動なり。而して物體の運動は機械的に必然なる因果の關係を以て生起するもの也。哲學は此の物體の運動を論ずるもの、委しく云へば、其の運動によりて現象の原因を說明し又其の原因によりて現象の生ずる所以を說明するもの、卽ち結果よりして原因を推し原因よりして結果を知るもの也、而して謂ふところ原因結果も共に物體の運動に外ならずと。斯く考へてホッブスは哲學上吾人の考覈し得べき範圍內の一切の現象は皆機械的に說明し得べきものなりとし一切の問題を物體及び其の運動より演繹的に考索せむとせり。是れ即ちガリレオの物理說を以て演繹的學術の基礎となさむとしたるものなり。彼れ曾て偶然にもオイクライデースの幾何學を得てこゝに演繹的學術の好模範を發見したりと云ふ。彼れが哲學的思索の專ら演釋的にして數學を重んじたることは彼れをしてベーコンと大に其の趣を異にせしめたり。
ホッブスの哲學は三部門を以て成る。第一部門は通常謂ふ所の物體を論ずるもの即ち物理の學なり、第二部門は人間を論ずるもの、第三は人間の相集まりて結成する國家を論ずるもの也。
《ホッブスの心理論。》〔三〕こゝにはホッブスの物理學を陳ぶる必要なし、吾人の注意を價ひするは其の人間及び國家の論なり。人間論の中に就き最も注意すべきは心理の論なり。彼れ以爲へらく、外物が吾人の感官に印象(impression)を與へ而して件の印象が心臟に傳はりてこゝに知覺を生ず。色聲香味觸等の感覺は外物に具はれるものにあらずして主觀上のものなり、一旦生起したる感覺の尙ほ其の痕跡を止めたる之れを記憶といふ。記憶の集積したるもの及び之れを基とし類を以て推して將來を豫期することを相合したるもの是れ即ち吾人の經驗と名づくるもの也。
吾人の心作用に極めて肝要なる關係を有するは言語の能力なり。言語は吾人の經驗したるものの中、相似たるものを纏めて之れに與へたる者の符號なり。通性は吾人の作り設けたるもの即ち言語に外ならず。吾人が通常名づけて高等なる心作用といふは言語を取り扱ふ作用なり。判定とは言語を繫ぎて其の合ふか合はざるかを見るを謂ひ、推論とは判定を連結せしむるを謂ふ。吾人の名づけて理性(reason)といふは作り設けたる這般の記號即言語の結合する作用に外ならず。
《其の欲求及び意志の論。》〔四〕人間は外物に接して之れを知覺すると共に又快不快の感をも起こす。而して此等快不快の感に加へてそを豫期する念の加はるによりて欲求及び嫌惡のこゝろを生じ、また愛憎の念を生ず。凡そ吾人の行爲は欲求によりて起こるものなり。若干の欲求相爭うて其の中最も强きものの勝を制したるを意志と名づく。故に意志の判斷は自由なるものにあらず、其の欲求相爭ふ機械的作用に因りて決せらるるは猶ほ物體の現象が機械的必然の作用に從ひて生ずるが如し。
《其の倫理說及び政治論。》〔五〕ホッブスの倫理說及び政治論は一種の特色を帶びたるものにして當時の思想界に大なる反抗を喚起したり。彼れは吾人が自然に具ふる欲求を本として道德を論ぜむとしき。以爲へらく、吾人に取りて善きものは吾人の欲するものに外ならず、而して萬人の侔しく有する根本的欲求は自己を保存することにあり。故に自存自衞は吾人に取りて第一に善きものなり。而して人間は自然に其の根本的欲求に從ひて行動して他を顧みざる者なるが故に其の原始の狀態は決してアリストテレース及びグローチウス等の云へるが如く社會的のものに非ずして寧ろ萬人を敵とする(Bellum omnium contra omnis)狀態なり。
されど斯く萬人が萬人を敵とする狀態に於いては吾人は少しも安寧なる生活を營むこと能はず、かくては却つて自己の保存に便利ならざるを覺るに至る。是に於いてか人類は其の根本性なる利己心によりて遂に安寧の必要なることを發見せり。然るに安寧を保たむには互に自然に有する絕對の自由を制限して他を害せざることを約せざる可からず、而して件の約束を實行して全體の結合を保たむには全體の上に立ち絕對の權力を有して破約者を罸する主權者なかる可からず。是に於いて人類は國家の必要を發見せり。一國家の主權は全體の上に絕對の權力を有する者にして臣民は皆絕對の服從を義務とせざる可からずと、是れ即ちホッブスが當時政治上の動搖甚だしからむとせる英國の政治界に在りて主張したる專制主義なり。
彼れ以爲へらく、斯く國家の主權者立ち其の制定したる法律ありて始めて爲さねばならぬ事と爲すべからざる事との區域は生ず。若し法律なくんば善惡の別かるゝ所唯だ各人の欲する所と欲せざる所との別に歸す。蓋し各人の欲する所が其の者に取りて善なるもの、欲せざる所が其の者に取りて惡なるものにして、欲する事をも爲すべからず、欲せざる事をも爲さざる可からずと謂ふ道德上の法則或は命令は存在せず。此の如き法則又は命令は法律ありて後に在るものなりと。但しホッブスに從ふも法律以外に各人に取りて自然に善なることと不善なることとの區別全く無きにあらず。例へば暴飮暴食は我が健康を害ひ自衞の道に適はざるものなれば法律の有無に拘らずして不善事なり。唯だ彼れに從へば社會的關係に於ける正邪善惡の區別は法律の規定によりて始めて成立すと云ふなり。法律、隨うて道德の淵源が主權者の所定に在るのみならず彼れはまた須らく其が絕對の權力を以て國敎を定むべし。國敎は畢竟國家の安寧を保持せむが爲めの用具に過ぎず、故に臣民は凡べて國敎を奉ずべきもの也。但し道理上宗旨を信ずると否とは別論なり。そは國敎として凡べて臣民の守るべきは國家保存に必要なる形式上の所作に外ならざればなり。故に宗旨は猶ほ丸藥の如し之れを丸吞みにすべく嚙み碎くべからず。別言すれば道理上眞理非眞理を問ふは學問の事にして宗敎の事にあらず。斯くホッブスに於いても哲學は吾人が自然に享有せる道理心を以て自然界を硏究するに止まるものにして宗敎とは全く異なる範圍に屬するものとせられたり。
《ケムブリッヂのプラトーン學者等。》〔七〕ホッブスの學說は近世哲學史上唯物論の最も早く明瞭に發表されたるもの、彼れが思想を行るや其の唯物的論據よりして一筋に其の論理的結論へ向かひ行けり、彼れが學說は首尾よく貫徹せるものの一なり。又彼の唱へたる心理說は其の後連綿として續きたる謂はゆる英國心理學硏究の端緖を開けるもの、又特に其の國家及び道德の論は自然主義の見地と其の結論とを最も明瞭に又大膽に唱道したるものとして多くの反抗を喚び起こし爲めに英國に於ける倫理學の硏究に大刺激を與へたり、其の相繼いで現はれたる倫理學說はしばらくはホッブスに對する答辯ならぬは無き有樣なりき。
ベーコン及びホッブスによりて喚起されたる新學術思潮の外に當時英國に在りては他の流派の思想を代表せるものありてこれが當國の其の時及び其の後の精神界に及ぼせる影響は輕少ならざりしが而も哲學思想上は主としてプラトーン學(委しくは之れ新プラトーン學派を通ほして觀たるもの)に依傍したれば、其の所說は新見地を開拓することには與りて多く力あらざりき。斯かる流派の思想を代表したる者の主なるはケムブリッヂのプラトーン學者と名づけらるる人々なり。ケムブリッヂのプラトーン學者等は一方にはホッブスの自然主義を排斥するに力めたると共に又ピュリタン宗徒等の非哲學主義に反對して宗敎及び神學の事を吾人の理性もて考ふるを至當なることとせり。ベーコン及び殊にホッブスは其の學術上の見地に於いて全くピュリタン宗徒等の神學思想と相容れざりしが、宗敎と哲學とを全く相分離して後者は專ら自然界の硏究を事とするもの、前者は吾人が理性を以てする硏究には毫も係かる所なきものとしたり。ケムブリッヂのプラトーン學者等は其の何れにも同意せずして哲學と宗敎との一致を保たむとせり。彼等は又哲學思想を宗敎上に用ゐるにもスコラ風のアリストテレース哲學に據ることをせず、又殊に中世末期の唯名論的學說を排斥して寧ろ新プラトーン學に其の主要なる思想を仰ぎ隨うて神祕說の傾向を具へたり。ホッブスの唯物論及び自然主義なる道德論に對する攻擊は先づ最も此等のプラトーン學者等より來たれり。
ケムブリッデなるプラトーン學者の錚々たる者はラルフ、カッドヲルス(Ralph Cudworth 一六一七―一六八八)及びヘンリー、モアー(Henry More 一六一四―一六八七)なり。カッドヲルス主張すらく、眞理は感官以上のものにして神靈に於いて永恒に存するもの、吾人は唯だ吾が心を開いて之れを受け容るべきものなり。ホッブスが謂ふ物體界の如きも是れ亦單に感官上のものにあらず、物體てふ觀念は旣に整然たる數理上の闥係をも含蓄するものにしてかの絕えず變易する感覺の能く形づくる所にあらず。道德上の原理も數學上の眞理と共に神の知性に本具せる永恒なるものにして神意又は人意の制定によりて始めて成れるものに非ずと。カッドヲルスが著書の主なるものは "The True Intellectual System of the Universe"(千六百七十八年出版)及び其の死後千七百三十一年に發刊されたる "Treatise concerning Eternal and Immutable Morality" なり。
ヘンリー、モアーは一切の存在物を以て廣袤を有するものとし只だ物體と心體とを區別して前者は縱、橫、深の三廣袤のみを具へ後者は第四廣袤を具ふとせり。此の故に心體は透徹混入することを爲し得れど不可分なるもの、物體は分割し得らるれど透入し得ざるもの也。斯く考へてモアーはホッブスが吾人は物體以外の實體を考ふる能はずと云へる論に答へむとせり。彼れ以爲へらく、無限なる空間は神みづから具する性にして吾人の靈は只だ限りあることに於いて神靈と異なるのみ。彼れは斯く廣袤を以て心物共に凡べて實體と云ふべきものの具ふる所となせる外、また活動てふことを以て一切實體の性と見做したり。盖し凡べての實體は神より出づる靈活の氣を以て充たさるれば也。世界に磅礴たる此の靈氣は無意識にして而かも能く神の目的に循うて動作するもの、諸物間の感應及び動物界の本能等皆此れによりて說明し得べしと。斯くモアーが心物を相對せしめて其の異同を論ぜむとしたる、是れ旣に當時世に知られたるデカルトが學說の影響を被りたるもの也。哲學上彼れが著書の主なるものは "Enchiridion Metaphysicum" 及び "Enchiridion Ethicum" なり(著作全集千六百七十九年發刊)。
第三十一章 デカルト(René Descartes)
《近世哲學における唯理學派の開祖デカルト、其の生涯、著述、性行。》〔一〕先きにカムパネルラの條にも又ホッブスの條にも已に其の名を揭げたるデカルトを以て近世哲學に於ける大組織を立てたる最初の人となす。上來叙述したる新時代の學問界の精神即ち從來の思想に依傍せずして根柢より新らしく確實に萬事を考へ直さむといふ志望は彼れに於いて最も大なる形を取りたり。而して通常彼れを以て近世哲學上の一大潮流なる究理(又は唯理)學派の開祖とするは彼れが新哲學の方針を樹てゝ吾人の意識の直接に確證する疑ふべからざる所に立脚し、之れを根據として次第に究理の步武を進め以て哲學の大組織を建設せむとしたればなり。
デカルトは一千五百九十六年三月三十一日佛蘭西國トゥレーヌの門閥の家に生まる。生來蒲柳の質、幼少より病がちなりしかど已に夙く其の才能の非凡なるを顯はせり。其の問ふ事柄の常に理窟に傾けるを以て彼れが父は彼れを呼んで哲學者と云へりきとぞ。ラ、フレッシなるイェスイト學校に入り十八歲に至るまで當時の學問なるスコラ學の組織に從へる哲學及び物理學等を學習せり。然れども彼れは其のこゝにて習得せる所を以ていと不滿足に思へり。唯だ彼れが最も好めるは數學なりしが此の數學に對しても一時は興味を失ふに至れり。これより後彼れは暫らく一切學術上の事に疑ひを揷み巴里府に來たりし後は當時の武士が修めし武藝に專ら心を傾けて學問を抛擲したりしが幾ばくもなく唯だ外形的なる生活に厭きて更に沈思冥想の方向に傾き突然獨り巴里府の靜閑なる處に退き朋友にも隱れてありしこと二年、後にまた廣く世間を知り實の人間を觀察せむと思ひ立ちて自ら兵士となり初め先づ和蘭に行き後かの「三十年戰爭」の起こらむとせる時獨逸に於ける兵士の募集に應じ、其處にてノイブルグの兵營に冬籠もりせる時學術硏究の新方針に就きて豁然悟る所ありたり。彼れは此の新發見の日を一千六百十九年十一月十日なりと記せり。件の學問の新方針の彼れが念頭に浮かぶや卽時に其が開發に思を凝らし其の湧起し來たる思想の餘りに盛んなりしが爲め一時精神の非常に激昂したる狀態に陷り
上に揭げし『エセー、フィロゾフィック』及び『メディタシオーネス、デ、プリーマ、フィロゾフィア』の外デカルトが著書の主なるものを擧ぐれば『ブリンシピア、フィロゾフィエ』("Principia philosophiae" 哲學原理、一千六百四十四年刊行)『トレテ、デ、パシオン、ド、ラーム』("Traité des passions de l'âme" 心情論、一千六百四十九年刊行)及び彼れの死後に出版せる『ド、ロム』("de l'homme" 人間論)等なり。
デカルトは其の自ら好める學術の硏究に靜かに從事し得むがため成るべく表面上當時の敎會に反對せず、成るべく嫌疑を受くることを避けむとしたり。此の點に於いて彼れは羅馬敎會の宗義にあらはに反對しても尙ほ猛進して退かざりしブルーノとは大に其の性質を異にせり。彼れは學問上には自信に富み自ら標置すること頗る高く、凡べて彼れの主唱せる所は自家の新發見によりて得たるものとし他に學べる所あることを承認するに吝なりき。
《デカルトの哲學硏究法。》〔二〕彼れが一千六百十九年獨逸のノイブルグにての發見と名づくるものは實に其の畢生の哲學硏究の方針を定めたるものなり。其の時彼れ思へらく、凡そ多數の人相寄りて成せる事には相和せざる節ありて全く一人が根柢より造り上げたるものに比して不完全なる塲合多し。吾人は各〻生まれ出でて以來未だ知慮の發達せざる時より種々の人に接し種々の所傳を何心なく受け容るゝ者なれば吾人の知識は其の組織及び根柢に於いては極めて不完全なるものと云はざる可からず。故に確實なる知識を得むには恰も一市府の家屋古びて用を爲さざるに至れば全く之れをうち毀ち一の秩然たる計畫に從ひて新たに建設するが如く吾人は須らく我が懷抱し求たれる思想を兎に角に一旦毀ち去りて之れを全く其の基礎より建て改むべしと。而して斯くする事の方針として彼れの揭げたる個條の第一は極めて明瞭に且つ判然と吾人の思考したるものの外は何事をも全く受け容るべからずと云ふこと、第二は困難にして解し難き事柄に逢へば其の難解の點を委細に分析すべしと云ふこと、第三は最も簡單に又最も平易なるものより始めて順次に複雜なる事へ進み行くべしと云ふこと、第四は吾人の硏究の中に入るべき事柄を漏らす所なく網羅すべしと云ふこと、是れなり。デカルトは、學術の硏究は斯くして進め行かざるべからずと見たり。彼れは決して實驗を輕んじたるにあらず、寧ろ硏究上吾人の考ふべき事柄は餘さず之れを網羅する必要を認め而して實驗したる事柄に就き極めて明瞭にして疑ふべからざる點を見定むるを要すと說けるなり。斯く直接に明瞭且つ正確なる立脚地より出立して徐々に其の步を進め而して一步々々に吾人が所見の確實明瞭なるか否かを吟味し行くべしとなせるなり。約言すれば、彼れの硏究法の骨子と見るべきものは先づ直覺的に明瞭なる事件を根據とし而して之れを出立點として進み行く一步々々が亦吾人の思想上直覺的に明瞭ならざる可からずと云ふこと是れなり。斯く明瞭なる根據より究理し行く所より見れば彼れの硏究法は演繹的なりと謂ふべし。唯だ吾人の問ふべきは上述せる硏究法に從ひて彼れは實際吾人の明瞭に承認すべきものの外何物をも取り入れざりしか、また彼れが究理を進め行ける歷程に過誤なかりしかと云ふことなり。
《「我れ思ふ、故に我れ在り」。》〔三〕デカルトは上述せる趣意に從ひて先づ疑ひ得る限りを疑へり。以爲へらく、知覺は吾人を迷はすことあり故に知覺の示す所をも疑はざる可からず、又吾人が理性を以て思考したる事も疑訝を免れず。そは惡魔といふ如きものありて吾人を惑はさむが爲めに吾人に理性を賦與したるかも知る可からざればなりと。斯くデカルトは考へて竟に一切の事を疑へり。されど彼れの疑ひしは畢竟確實なる知識を得むことを目的としたるにて唯だ漫に疑ふがために疑へるにあらず。故に彼れは疑ひの中に更に疑ふべからざる根據を發見せむと力めたり而して彼れは遂に其の根據を疑念そのものの更に疑ふべからざる點に得たり。以爲へらく、吾人は凡べての事を疑ふを得、されど疑ふ以上は我れの疑ふといふことは疑ふべからず。而して疑ふといふことは吾人が思ふの一種なり、故にかくの如き思ひを我れが思ふと云ふことは如何にしても疑ふべからず。卽ち我れが思ふと云ふことは確實なり、我れが思ふと云ふこと確實ならば之れと共に思ふ者即ち我れの存在することは疑ふべからず、換言すれば思ふと云ふことに即して思ふ者の存在することは吾人の意識の直接に明瞭に證明する所なりと。是れデカルトが建てたる哲學の出立點として有名なる「我れ思ふ、故に我れ在り」(cogito ergo sum)と云へる句に主張したる所なり。デカルトの意に從へば我れてふ者は思ふといふ働きより離れたる者に非ず、我れの我れたるは唯だ思ふ者といふことに在りと。而して彼れは此の思ふことをするものを稱して心(mens 又は animus)と名づけたり。こゝに彼れが我れ思ふといへるは我れ意識すと云ふ程の廣き意味にて云へるなり。
《「我れ思ふ、故に我れ在り」は推論にあらずして意識の直接證明也、其の批難に對する辯明。》〔四〕「我れ思ふ、故に我れ在り」と云ふ句に故にてふ語を用ゐたるによりて其は恰も三段論法やうの推論の如くに見ゆれど、デカルト自らの辯明せる所によりても明らかなる如くこは決して推論に非ずして意識の直接なる證明なり。我れ思ふと云ふことに即して思ふ者の存在することの知らるゝなり。即ち思ふと云ふことの在ると共に思ふ者の存在することの直覺せらるゝなれば是れは推論にあらずして寧ろ凡べての推論の原初の根據となるものなり。
若しデカルトの云ふ如くならば、啻だ思ふと云ふことのみならず、「我れ步む、故に我れ在り」とも云ひ得べきにあらずやてふ非難に對して彼れ自ら辯明して曰はく、是れ正當に我が論點を見得たるものにあらず、何となれば步むといふ如き動作の確實なることは吾人が意識の直接に知り得る所にあらず、此の如きは是れ硏究の當初に疑ひたる所のものなり、但し疑ふべからざるは我れの步むことにあらずして我れ步むと思ふことなり。步むといふことは縱令眞實には無しとするも我が步むと思ふ時のその思ひは疑ふべからず。思はるゝ事柄は誤れりとも、思ひ居ることは疑ふべからずと。是れデカルトの自ら說明したる論旨なり。
《眞理の標準立つ。》〔五〕此くの如く「我れ思ふ、故に我れ在り」といふことに於いて彼れは確實なる知識の第一步を得たり。彼れは尙ほこれに就きて考ふらく、「我れ思ふ、故に我れ在り」と云ふことの疑ふべからざるは畢竟それが明瞭にして且つ判然たればなり。吾人の以て眞理となすものは吾人が明瞭に且つ判然と思考したるものに外ならずと。是に於いて彼れは眞理の標準を立てゝ其の事の判明なることに在りとなせり。デカルトは此の標準に依り更に推究して我が存在の外に尙ほ同じく眞理の標準に合ふものあるを發見せり。即ち無よりは何物も生ずべからずと云ふことの如きは亦吾人が之れを考ふるによりて明瞭に且つ判然と認めらるべきものなり。而して此の原理を一特殊の塲合に用ゐたるものとして原因は結果よりも少なき實在を有するものなる可からず、換言すれば、原因は其の完全なることに於いて結果よりも劣れるものなる可からずと云ふことを承認せざるを得ず、何となれば若し結果が原因よりも完全にして其れよりも多くの實在を有せば其の原因に優れる丈の實在は無より生じたりと見ざる可からざれば也。
《神の存在の論證。》〔六〕進みて此處に至りて後、デカルトは一層其の論步を急にしゆけり。彼れは意識(是れ即ち疑ふべからざる者)を顧みて其の中に種々の觀念あるを見たり。其の一は神(即ち無限者)てふ觀念也。今此の觀念の何處より來たれるかを尋究するに我れを以て其の如き觀念の原因となす可からず。原因の結果に對するや或は製作家が其の製作物に對するが如く前者の後者に優れるか、或は一物の形がそを印象せるものに於けるが如く全く相似たるかの關係を有す。而して我れは右の何れの意味に於いても完全無限なる者即ち神てふ觀念の原因たるを得ず、我れ自らの性質には限り無きと云ふことを含み居らざればなり。我れは疑惑を懷くといふことに於いて旣に我が知識の完全ならぬことを自識す。然らば件の觀念は吾人が種々の限り有るものより抽象して造り得たるものなるかと問ふに、しか考ふべからず。何となれば抽象は事物の一方面のみを取りて見るものなるが故に限り有るものに就いて如何に抽象作用を施すとも限り無き者を考へ出だし得べくもあらざればなり。又こゝに限り無きといふは圓滿に凡べての實在を有する者の義なるを以て限り有るものを如何に多く集むとも之れよりして斯くの如き意味の無限者てふ觀念を得ること能はず、換言すれば、限り有るものを相重加する數に際限を置くこと能はずといふ意味にての無限は茲に謂ふ圓滿てふ意味にての無限とは異なり、唯だ幾度數ふるも尙ほ其の上に數を加へ得といふのみにては之れを圓滿完了せる者とは謂ふべからず。故に無限者としての神てふ觀念は我れよりも又我れ以外の有限物よりも得ること能はず。然らば此の觀念は何處より來たれるか。答へて曰はく、此の觀念は眞に圓滿完了せる者即ち神より來たれりと考へざる可からずと。斯くデカルトは我れに無限者てふ觀念の在ることを以て無限者そのものの實在することを證せむとせる也。
彼れは更に少しく別なる言ひ方を以て神の存在の論證を爲せり。曰はく、我れの存在より推して神の存在を證するを得べし。何者か我れをして存在せしめたる、我れは我れ自ら隨意に出で來たれる者に非ざるが故に自身を以て我が存在の原因とは見ること能はず。然らば我れ以外の者、しかも我れと等しく限りある者、例へば父母が我れを存在せしめたる原因なるか。曰はく、是れはた原因と見るべからず何となれば我れは多くの完全なる事柄の觀念(例へば限りなき智、限りなき力、限りなき德といふ如き觀念)を有す、而して上に述べたる理由によりて知らるゝ如く其の如き觀念を有する我れの十分なる原因となるはその如き完全なる事柄を具へたる者ならざる可からず、我れ及び我が父母は不完全なる者にして能くその如き完全なる事柄の觀念の原因たる能はず。故に我れ(即ち完全なる事柄の觀念を有する我れ)を存在せしめたるは完全なる者即ち神ならざる可からず。是に於いてか知る、我れを生ぜしめ我れを保つ者として無限者の無かる可からざるを。
デカルトは尙ほ他に神の存在の證明を揭げたり。以爲へらく、神てふ觀念そのものに神の存在を含む、何となれば、若し存在を缺かば之れを完全なる者と謂ふべからず、故に完全なる者即ち神は必然存在すべき者なりと。彼れが此の論證はアンセルムスの有名なる論證と比べて殆んど相同じきが如し。然るに彼れは其の論のアンセルムスのと同じからざることを論ぜむと力めたり。曰はく、アンセルムスの論證は唯だ神てふ言葉の意義を說明するに止まる。我が論はしからず、そは我が論旨は唯だ神てふ言葉は完全なる者といふことを意味し而して完全てふ者の中には存在をも含まざる可からずと云ふに止まらずして我れは完全なる者といふ觀念を考へざる可からず、而してそを考ふると共に其の者を實在する者と考へざる可からずと云ふことに在りと。デカルト自らは此くの如くに論ずれども彼れが此の最後の證明は實際アンセルムスのと區別し難し。旣に先きにも說明せし如く、其の根柢に橫はれる思想を見る時はアンセルムスの論證も諸事物を考ふるには其が必須の根據として圓滿なる者の存在を認めざる可からずと云ふ實在論的思想に基づけるを知る。デカルトが論證も畢竟此の實在論上の思想の發表せられたるものに外ならず。請ふ左に更に委しく之れを辯ぜむ。
《神の存在の論證つづき。》〔七〕神の存在に關するデカルトが最後の論證の立ち得むには先づ限りなき者てふ觀念の必須のものたるを要するは勿論なり。縱令神を考ふる以上は存在てふことを含めて考へざる可からずと云ふとも神を考ふる必要なくばそは全く無用の論なるべし。而して神を考ふる必要は何處より來たるぞと問はば吾人の如き限りある、不完全なる者の存在することより來たらざる可からず。我れの如き不完全なる者の眞實に存在することは是れデカルトが吾人の意識の直接なる證明によりて疑ふべからずとなせる所、而してかく不完全なる者の存在し得むには先づ完全なる者を存在すと考へざる可からず、何となれば不完全なる者を何程多く集むともそこに完全なる者を得ること能はず、寧ろ限り無きものを姑らく限り見てこゝに始めて限り有るものの存在を考へ得べし。此の故に我れといふ如き限りある者の存在にして若し疑ふべからず、又我れが限り無きもの(即ち神)といふ觀念を有し居ることにして若し疑ふべからずば、我れの原因として必ず無限者を實在するものと考へざる可からずと。是れデカルトが神の存在を論證する根本思想なり。一言に云へば、原因は實在に於いて及び完全なることに於いて結果よりも劣れるものなる可からずとはデカルトが神の存在を證據立つる根據にして彼れはかゝる因果の關係は論證を要せずして直接に明瞭なるものと思ひたるなり。されば彼れは吾人が有する完全なる者てふ觀念を以て恰も神が自らを吾人に示すもの、即ち吾人の心に於ける彼れの印象なるが如くに見たり、換言すれば、神が自らを吾人の心に印象したるもの是れ即ち無限なるもの、完全なるものてふ觀念なり。其の觀念と神との關係は譬へば紙に捺したる形と其の形を與へたる模型との關係の如し。即ち完全なる者といふ觀念に於いて神が吾人に觸接する所ありと謂ふべきなり。此の故にデカルトは無限者てふ觀念を以て神が吾人に與へたる所のもの、即ち換言すれば、吾人が神に造られたる樣に於いて生具する觀念なりと見たり。
《神の誠實と物界存在の確實。》〔九〕斯くの如くにしてデカルトは無限圓滿なる神の存在を論證し得たりと考へたり。神は完全なるが故に一切の圓滿なる德を具ふ。而して其の圓滿なる諸德の中、デカルトが其の論究を進むるに特に肝要なるは神の誠實といふことなり。神は誠實なるものなるが故に彼れが吾人を欺くといふが如きことある可からず、是に於いてか吾人の明瞭に思考したる所を以て眞實となすべきことの根據を發見す。吾人は先きに理性の示す所をさへ疑へりき。されど是に至りてはそを疑ふ必要なきことを了解す、何となれば理性を吾人に賦與したるは神にして神が吾人を欺かむが爲めに之れを賦與したりとは考ふ可からざれば也。故に吾人が理性にて推究して明瞭確實なりとする事はそを明瞭確實なりと信じて聊かも之れを危ぶむ必要なきことを知るなり。
デカルトは斯くして神の誠實なることを證し得てよりは其の論步を進むること益〻容易なるに至れり。彼れは最初外界の存在をも疑ひて以爲へらく、吾人は五官を以て外物の存在を知覺すれど是れ皆五官の迷妄なるかも知る可らずと。されど茲に至りては彼れは全く其の如き疑訝を拂ひ去ることを得たり。以爲へらく、吾人が五官を以て知覺する外界は吾人自ら造り出だせるものに非ず、吾人の力を以て自由に之れを有らしめ又無からしむること能はず、寧ろ吾人の眼前に備へられたるもの、而して外物の觀念は吾人以外の何物かによりて吾人に與へられたるものならざる可からず。而して若し吾人の實際に知覺する所とは全く異なるものによりて其の觀念が與へられたりとせば、換言すれば、外物は吾人の知覺する所とは全く異なれるものならば吾人の知覺は悉皆迷妄なりと云はざる可からず。吾人の知覺に依賴する限り吾人は廣がりを有する物體を存在すと思はざるを得ず。故に此の知覺にして若し全く迷妄ならば神は吾人を迷はさむが爲めに吾人に其の如き知覺を賦與せりと云はざる可からず。然るに神は誠實にして斯く吾人を迷はすべき者にあらず、故に廣袤を有する外物の存在すといふ知覺は吾人の信憑すべきものなり。但し個々の塲合に於いては感官に種々の迷妄の起こるあるは勿論なれど廣袤ある物體の存在すといふこと、換言すれば、外物の存在すといふことを全く迷妄なりとするは甚だしく吾人が意識の證明に逆らふもの、其を迷妄とするは吾人の確實なりとする事物の關係を全く疑ふに同じ。されど上に已に論じたる如く圓滿なる神を以て萬物の原因と見る以上はかくの如き疑ひを起こす必要なきなり。
《實體、屬性、樣狀。》〔一〇〕かくしてデカルトは遂に論じて物界の存在をも確實なりとするに至れり、彼れが論證の順序より云へば、先づ能意識者、換言すれば、吾人が各〻「我」と名づくる限りある心體の存在を確かめ、而して神即ち絕對に無限なる者の存在に論じ至り、次ぎに物體の存在に論じ至れり。是に至りて此の三つの者の存在は疑ふべからざることとなりぬ、無限者、心體及び物體是れなり。而してデカルトは無限者即ち神を以て實體(substantia)となせり。彼れが所謂實體は他に依らずして存在するもの、即ち自存するものなり。彼れは亦心と物とをも實體と名づけたり。但し神を實體といへると同一の意義にて云へるにはあらず。何となれば有限なる心體及び物體は神に依りて存在するものなれば也。されど心物は神に依る外に、依りて存在する所を有せず、心は心として存在して物に待つ所なく、物は物として存在して心に待つ所なし。盖し心は意識するものにして物は廣がれるもの、而して意識と廣袤とは全く其の性を異にして一が他に依りて存在するものに非ざれば也。されば神を第一義の實體といふに對して心體及び物體を第二義の實體と謂ふべし。
心體と物體とが各〻實體として知らるゝはそが各〻特殊の性(attributum)を具ふればなり。心體の何なるかを問はば、念ふことをするものといふ外なし、即ち念ひといふ性によりて始めて心體の存在は知らるゝなり。物體の何なるかを問はば、廣がれるものといふ外なし、即ち廣がりといふ性によりて始めて物體の存在は知らるゝなり。此等の性はもとより實體に於けるもの、或は實體に屬するものとして始めて考へらるれど亦實體以外のものを假らずして考へらる。即ち意識は他のものを假らずして考へられ、廣袤はた他のものを假らずして其れ自身に考へらるゝ(per se concipiuntur)ものなり。故に委しくは之れを本性と名づくべし。性を以て、換言すれば性の取れる種々の樣として始めて考へられ得るもの之れを樣狀(又は單に樣 modus)といふ。例へば物體の位置、形狀、動靜の如きは是れ廣袤の種々の樣狀にして廣袤なくしては考ふ可からざるもの也。また感情、慾望、意志といふが如きは是れ皆念ひの種々の樣狀にして念ひといふことに依らずしては考ふ可からざるもの也。即ち樣狀は其れ自身には考ふべからず、他に依りて始めて考へらる(per aliud concipiuntur)べきもの也。かくして近世哲學に於ける主要なる觀念即ち實體(又は單に體)てふ觀念と共に性(又は屬性)及び樣狀(又は單に樣)てふ觀念はデカルトによりて明らかに揭げ出だされたり。
《デカルトの物理說、物界に於ける目的觀の排斥、運動の三法則。》〔一一〕上來論述せる所を基として特に物體に就きて論究せるもの是れデカルトの物理說なり。彼れ以爲へらく、廣袤といふ本性以外に物體其の物の具ふる性質なし。吾人が五官を以て感覺する諸性質(色、聲、香、味、觸、等)は物體其の物の具ふる所にあらずして吾人の心に感ずる主觀的のものなり。長さ、廣さ、厚さの外に物體そのものの性と謂ふべきものなし。此の故に吾人は全く數理的に物體を考ふるを要すと。盖しデカルトに取りては物體と廣袤とは同一不二にして彼れは廣袤ある所物體あらざる無しとし、隨ひて眞空の存在を否めり。若し一器物の內部が眞空にして何物も無からむには其の緣邊は相附著せざる可からず、其の相分かれて異別のものとなり居るは其の間に廣がれるものあれば也。廣がりのある是れ即ち廣がれるもの、物體の存するなり。
物體の物體たる所は廣袤といふことに在るが故に其の廣がれるといふことに於いては一切の物體皆平等一如のものたり、而して其の差別は唯だ種々の部分が種々に運動すと云ふことに存するのみ。故に吾人が一物體と名づけて他の物體と區別するは畢竟廣がれるものの一部分が他の部分と別異なる運動を爲すによれり。約言すれば、物體の差別はそれが種々に區劃さるゝと其れが運動するとの二點に在り。
物體の運動は何處より來たる。曰はく、其の窮極の原因は神に求めざる可からず。然れども吾人は唯だ神が物體に運動を與へたることを知り得るのみ、物體の運動に於いて目的の存することを發見する能はず。物體を論ずるに當たりては唯だ其が動くものなりといふ點に於いてのみ之れを考ふべし、其が如何なる目的を以て動くかは物體の論に揷入すべからざる觀念なり。故に物理上の事は全く數理を以て物體の運動を硏究する事の外に出でず、換言すれば、機械的に考ふる外なし。物體を動かし物體を形づくれる神の目的を知るといふが如きは吾人の僭越に出づ。况んや人間を以て物界の目的となすが如きは僭越に添ふるに放慢の心を以てせるもの也。かくの如く論じてデカルトは物理の論より全く目的觀を排斥せり。
神は物體運動の原因にして且つ常住不變なる者也、而してかく原因不變易なるの故を以て物界の運動は其が全體の量に於いて常に變更すること無し。物體の運動には絕對の增減なし、それが一部分に沒すれば他部分に現はる。斯く運動に絕對の增減なしと云ふことより運動の三法則を演繹するを得。其の法則の一は一物體が一狀態に在らば常に其の狀態を保存すと云ふこと、即ち惰性(inertia)の法則と名づくるもの也、其の二は物體の動くや他物によりて妨げられざる限りは直線を取ると云ふこと、其の三は運動する物體が他物に觸るれば之れに運動を傳ふと云ふこと、是れなり。(デカルトは一物が他物に運動を傳ふる法則を更に委しく說明せむと試みたり。)
《物體の三種類と其の循環運動。》〔一二〕物界の構造は唯だ物體と其の運動とによりて說明し得べし、詳言すれば、物體が神によりて動かさると見たる上は唯だ其の運動によりて自然に物界の形づくらるゝことを說明し得べし。上にも云へるが如く、物體の本性は廣袤といふことなるを以て之れを種々に區劃すれば種々の異なる形の物體を成すべく、又如何ほども小さくそを區劃することを得べし。故に分かつ可からざる物質元子即ちアトムと謂ふべきもの無し。物體を分かちて三種類となす。第一は比較的に分量の大なるもの、換言すれば、比較的に大きく區劃されたるものにして是れ即ち地球を形づくる物質なり、遊星亦此の種の物質を以て成る、第二は甚だ小さき球形を成せる物體にして是れ即ち空氣の元素なり。第三は最も細微にして殆んど個々の部分を爲さずして全く相聯續するもの、是れ即ち火氣の元素にして太陽及び恒星は之れを以て成る。
斯くの如き種類の物質は畢竟廣袤の種々に區劃されたるものが種々の運動を取れるに外ならず。されど眞空は存在せざるものなれば其等物體の運動せむには唯だ一部分のみ運動すること能はず、其の動くや必ず循環運動を爲す。例へばイが動きてロに行かむにはロは動きてハに行き、ハは動きてニに行き、ニは動きてイに行き、斯くして循環運動を爲さざる可からず、即ち其等の悉くが同時に一回轉することによりて其の運動は出來得るなり。遊星が太陽の周圍を回るも畢竟遊星を圍繞する最も精微なる物質が循環運動(換言せば渦旋運動)を爲せばなり。又かくの如き渦旋運動の故を以て凡べて物體は一中心に向かひて墜下す、猶ほ水の渦を捲くや水上に浮かべる物體が一中心に集まるが如し。一物體の他物體に影響せむには必ず運動して相觸れざるべからず、空隙を隔てゝ一物體の他物體に影響せむ由なし。
《生氣と精神との區別、生體の動作の機械的說明。》〔一三〕生物學も生物の體軀を論ずるものとしては全く物理學に屬すべきもの、生體の動作生長等は皆機械的物理作用として之れを考ふるを得べし。デカルトは是に於いて身體の生氣と精神(心)とを全く區別して生氣は身體の物質的作用に外ならず、非物質なるは唯だ精神あるのみ、而して其の作用は意識に外ならずとせり。即ち彼れによりて身體の
デカルトは尙ほ人類に說き及ぼして曰はく、人類に於いても身體は一種の機械に外ならず、身體の生氣となりて其の作動を起こすに最も肝要なるものは動物精氣(spiritus animalis)にしてこは物質中最も精微なる種類のものなり。動物精氣は血液が心臟に於ける熱氣によりて溫められ、頭腦に上り其處にて冷却され又濾されてかく精微なる部分となり分かれたるものにして神經に保たれて全身を廻ると。彼れは身體の動作の起こる所以を說きて曰はく、外物先づ神經の末端を刺激し其の刺激は腦に傅はり行く、其が腦に於いて動物精氣の集注する部分に傳はり行くこと恰も琴の絲に震動の傳はるが如し、而して動物精氣の運動は更に神經に運動を起こし、次いで其の神經と連續する筋肉の運動を起こし、是に於いて身體の動作は起こるなりと。斯くの如く生理上より見れば吾人の身體は全く機械的作動を爲すものに外ならず。然れども吾人は動物とは異なりて精神卽ち心を有す、即ち身體のかく動作するに伴うて意識を有するなり。
《身體の物質的運動と精神の意識作用とは腦の松果腺において觸接す。》〔一四〕精神即ち心の作用は物體の運動とは全く其の性質を異にするものなれど人類に於いては二者相觸接する所ありと考へらる、何となれば吾人は外物が吾が身體に與ふる刺激を感じ、また吾人の意志の作用を以て身體の運動を起こし得ればなり。此の故にデカルトは二者觸接の點、即ち一の動作が他の動作に通ずる點なかる可からずと考へて之れを腦に於ける松果腺に求めたり。蓋し彼れは件の松果腺が腦の他の部分の如くに左右に對を爲さずして唯だ一個體として中央に存在するものなるが故にかくの如き職分を爲すに適當なりとし、之れを以て吾人の靈魂の座と見たるなり。委しく言へば、外物の刺激は神經の末端に運動を起こし、其の運動が松果腺に於ける動物精氣の運動を起こし、こゝに感覺として吾人の精神に感ぜられ、又吾人精神の作用は松果腺に於ける動物精氣の運動を起こし、次ぎに神經の運動を起こし、遂に筋肉の收縮を來たすなり。
かくの如くデカルトは身體の物質的運動と精神の意識作用とが松果腺に於いて相接するが如く云ひたれども其の說ける物理の原則に從へば物體の運動は增減生滅するものに非ず。故に動物精氣の運動が吾人の精神に感覺を起こすとはいふものから其の運動はそを起こしたることに因りて聊かも減滅すべきものに非ず、また吾人の意志によりて動物精氣の運動を起こすとはいふものから聊かも新らしき運動の物質に加へられたりとは考ふべからず。故にデカルトは吾人の精神作用が動物精氣の運動に影響するは唯だ其の運動の方向を轉ぜしむるのみにして全く新たに運動を造り出だすにはあらずと辯明したり。
《デカルトの心理說大要。》〔一五〕吾人の心は常に念ふことを爲す、何となれば心の本性は念ふと謂ふことにあり、而して其の本性の無き即ち念ひの無き心のある可からざれば也。而してデカルトは一切の個々の念ひを名づけて觀念(ideae)と云へり。上に述べたる如く、吾人に於いては心と物とが相結ばり居るゆゑに觀念(言ひ更ふれば意識の內容)には只だ心そのものの純粹の作用に基づくものと心と身とが相結ばれるより起こるものとの二種あり。デカルトに從へば前者は能動(actio)のものにして明瞭なる且つ判然たるもの也。後者は所動(passio)のものにして不明瞭なる且つ混雜せるものなり。而して其の双方を各〻知と意との二つに分かつことを得。即ち意識の內容は一面より見れば能動、所動の二つに分かれ、他面より見れば知と意との二つより成る。能動の部分に於いて知に屬するは道理を辯ずる心なり、意に屬するは即ち通常意志と名づけらるゝものなり。所動の部分に於いて知に屬するは耳目口鼻等の感官によりて起こさるゝ感覺なり、意に屬するものは物欲及び情緖なり。而して想像の中、記憶は寧ろ所動の方に屬し、構成的想像は能動の方面に屬すとせらるべし。デカルトが心理說の大旨は此くの如し。然れども能動と所動と及び知と意との區別及び其の關係は彼れの說に於いて甚だ明瞭ならぬ所あり。
デカルトは吾人の根本的情緖を六種に分かてり。曰はく驚異(admiration)、愛、憎、欲望(désir)、喜、悲、是れなり。一切の情緖は此等六種のものによりて形づくらる。而して彼れに從へば這般情緖は動物精氣の運動が腦及び身體の他の部分に於ける細竅を通じて心に突入するに因りて起こるもの(但し驚異の情のみは動物精氣の運動の尙ほ腦中に止まるに因るもの)なり。而して此等の情は皆不明瞭なる觀念にして、吾人の精神を攪擾し其の明知を蔽ふこと此等に越ゆるものなし。されど吾人の精神は想念を思ひ浮かべ之れによりて動物精氣の運動の方向を轉ずるを得るが故に情を抑制する力を有す。即ち吾人の思ひ傲し樣によりて喜怒哀樂の諸情を制することを得べし。
《觀念の起原、全き觀念と全たからざる觀念、意志自由の論。》〔一六〕デカルトは觀念の起原に就きては之れを三種に分かてり。一は外物によりて來たれるもの(adventitiae)例へば眼前に橫はれる器物の想念の如き是れなり、次ぎは吾人の自ら作り設けたるもの(factae)例へば諸種の想像の如き是れなり、第三は吾人生得のもの(innatae)例へば「我」、「神」といふ觀念及び數學上の原理の如き是れなり。蓋しデカルトに於いて生得といふ語は二意義を有せり、一は讀みて字の如く生まれながら具ふと云ふ義、他は自明なるもの即ち直接に明瞭に且つ判然として他の證明を待たずと云ふ義、是れなり。此等の兩義は彼れに於いては相錯雜して在り。
デカルトはまた知識上に於ける價値の方面よりしては吾人の觀念を全きもの(adequatae)と全からざるもの(inadequatae)の二種に分かち、不明瞭なる觀念、混雜せる觀念は皆後者に屬すとなせり。
全からざる觀念その物をば直ちに知識上の誤謬即ち迷妄なりとは云ふべからず、迷妄ならむには判定の作用の加はるを要す。判定すとは承認し否認し、可とし不可とするの謂ひにしてこは即ち意志の作用なり。吾人もし明瞭なる觀念をのみ承認せば過誤の起こることなかるべけれど不明瞭なる觀念をも可として承認するが故に過誤に陷るを免れざる也。尙ほデカルトは吾人が意志の作用を以て自由なるものとせり。されど彼れに取りては意志の自由は一種の制限を有せり。以爲へらく、明暸なる觀念に對しては意志は之れを承認せざるを得ず、不明瞭なる觀念に對して承認を與ふると與へざるとは其の自由なり。神に於いては彼れが眞理と認むる所是れ絕對に自由なる彼れの意志の定むる所也、されど人間に於いては其の意志は常に吾人の善しと見定めたる所に從ひて動く。故に神に於いては其の一切の活動は自由の意志を根據とすれども人間の意志は之れと同一義にて自由なりといふ能はず、但し尙ほ選擇の自由は十分に之れ有り。吾人は習慣によりて宜しきことをのみ選ぶに至るを得べし。而してかく練習によりて過誤を爲すこと無き狀態に達したる是れ最も高等なる自由なり。吾人の情緖も亦制御其の道を得ば却つて善事を爲す動機となる、而して吾人の意志は好みて德に
《デカルトの哲學に於ける不備の點。》〔一七〕以上略〻デカルトの哲學を說明し了へぬ。吾人は彼れの學說の中に其の思想の未だ整はざる點あるを發見す、而して後の近世哲學の發達を了解せむには當さに彼れが所說中更に說き改むべく更に開發せらるべき點の存在することを見るべし。先づこゝに吾人の注意すべきはデカルトは根柢より全く哲學を改造せむと志したれども彼れも流石に中世紀の思想と全く一時に相絕つを得ざりしこと是れなり。即ち彼れが思想中、中世紀の遺產と見るべき者あり、而してこれが彼れの論步を進むるに隨うて知らず〳〵頭を擡げ來たれるを發見す。先づ彼れが神の存在を證明する所を見ば中世紀ぶりの實在論が明らかに其の根據を爲せるを知るべし。完全なるものは必ず實在てふことを含有すべきもの、言ひ更ふれば、完全なることの多き物は取りも直さず實在の多き物なりと云ふ如き、又因は其の完全なること、實在を有することに於いて果よりも少なきものなる可からずと云ふ如き、是れ皆同一の實在論的思想に基づけるものなり。また因果の關係は一切の物を支配して一物あれば其の因りて存在する何等かの因あらざる可からず、故に其れ自身が自らの存在の原因たりと見る可からざる時には必ず他のものが其の因たらざる可からずと云ふ如きも是れ亦彼れが在來の思想の中につき明瞭なるものとして發見せる所なり。此等傳來の思想はデカルトが哲學の根據、換言すれば彼れが思想の出立點(其の假定)を成せりといふも不可なし。而して這般の假定そのものに關する討究の尙ほ後に起こり來たることは以下近世哲學思想の發達を叙し行くに隨ひて明らかになるべし。
デカルトの據れる論法に於いて尙ほ批評さるべき點あることは哲學史家の屢〻注意せる所なり。蓋し彼れの哲學を立つるや吾人の明瞭に認知し得ることを以て眞理の標準となし、さて其の論步を進めて神の存在を證するに至れり。されど彼れが論證は神の存在を證し、其の誠實の德を具ふることを確め、而して神の誠實なることに賴りて吾人が理性てふものの憑據するに足ることを證せむとしたりと見ゆ。此の點に於いて彼れの論に缺陷ありと云はるゝは其の循環論證の過誤に陷らざるかといふこと是れなり。そは彼れが先づ眞理の標準を確かめ次第に論步を進め行きて神の存在を證するに至るまでは是れ已に理性に依賴せるものならずや、即ち彼れは一步々々の道理上明瞭に認知したる所を以て眞理となし來たれるならずや。然るに飜りて神の存在と其の誠實の德とを以て吾人の理性の眞實なることを證するは、云はば吾人の明瞭に思考したることは眞理なりといふを根據として神の存在を證し、飜りて神の存在を根據として吾人の明瞭に思考したることの眞理なる(換言すれば吾人の理性の吾人を迷はすが如きものならぬ)ことを證するなり。是れ正さしく論證を循環せる者には非じか。此の點に於いてデカルトの論は循環論證に陷れりとて非難せらる。されどエルドマンは彼れの爲めに辯じて曰はく、デカルトは循環論證の過誤を犯さず、彼れは知識上の根據(principium cognoscendi)と存在上の根據(principium essendi)とを區別せるなり。盖しデカルトの意、吾人が知る順序より云へば、先づ我れの存在を確め次ぎに我が明瞭に思考したる事の眞理なるを確め、而して之れを根據として神の存在を知るなり、されど存在上の根據より云へば、神は萬物の本原にして我れも神に依りて存在し我が理性も亦神によりて在りといふことを云へるなりと。エルドマンはかくの如く辯ずれども、デカルト自身が果たしてかほど明瞭に二者を區別せるかは疑はし。デカルト自らの言ひ表はし方に於いては循環論證の過誤を犯したる責を全くは免るゝ能はじと思はる。
尙ほデカルトの論に於いて思想の未だ整はざる點あるは本體といふ觀念の用方なり。彼れは本體を解してそを他に依らずして自ら存在するものなりと云へり。然らば正常に本體と云はるべきは神の外あるべからず。さるを彼れは限りある心及び物をも第二義の本體と名づけたり。されど嚴密に云へば、到底第一義第二義の區別を以て滿足すべからず。かく彼れは唯だ第二義といふ言譯を附せるのみにて正當には用ゐるべからざる本體てふ語を有限なる心及び物に應用して此の二者をも多少の獨立を有する者なるが如く言ひ做せる點に於いて其の思想の整はざる所あるのみならず、其の神を論ずるや彼れを無限なる心として心物の二つの中に就き神を其の一方に結び附けたることの十分の理由を與ふる能はず。又彼れは限界を取り去りて知性即ち心(natura intellectualis)を考ふれば神といふ觀念を得べく、神てふ觀念に限界を與へて考ふれば人間の心を得べしと云へり。されど何故に物體に就きても同樣のことを云ひ得ぬかに就きて十分の證明を與へず。
《デカルトの哲學に於ける不備の點、つづき。》〔一八〕更にデカルトの哲學に於いて修正を要する點は彼れが心物の關係を說ける所にあり。彼れに從へば、心と物とは全く其の本性を異にして一方を考ふるに他を以てする要なく從ひて一方に生じたる事柄の原因として他方を持ち來たること能はざるなり。廣がりと念ひとは全く相容れざるものにして廣がりは念ひにあらず念ひは廣がりにあらず。故に念ひが何故に念ひならざる物體の運動を起こし、物體の運動より何故に廣がりならざる念ひの起こるかを解すること能はず、斯くして其が正當の結論は物心の一が直接に他に影響を及ぼすこと無しといふに至らざる可からず。デカルトも全く此の結論を想起せざるにはあらざりきと思はるれど强ひて吾人が實際上の經驗に合はさむとせるより吾人の身體の中唯だ松果腺の一點に於いて兩者の相接する所ありと說きたり。然れども是れ亦十分なる說明とは謂ふべからず、何故に又如何にして此の一點に於いて一が他に變化を與ふるかが解す可からざる問題なればなり。デカルトは又物體の運動に絕對の增減なしてふことに違反せざらむが爲めに吾人の意志が動物精氣を動かすにも新たなる運動の量を與ふるに非ずして唯だ旣に存在せる運動の方向を轉ずるに過ぎず、此の故に量に於いて聊かも增減すること無しといふ。然れども是れ亦窮したる說明と云はざる可からず、何となれば縱令假りに運動の量と方向とを區別し得とすとも方向を轉ずといふことが已に一種の變動なれば此の變動は心の念ひに因りて新たに物界に生じたるものと考べざる可からざれば也。之れを要するに、心と身との相關する所以はデカルトの說明に依りては解すべからず。
かくの如くデカルトの思想に於いて修正を要する幾多の點あり、而して彼れの學說に根據して出立したる論者が先づ此等の點に於いて其の思想を改めむとしたるは自然の事なり。彼等は特に先づ二點に於いてデカルトが思想の修正及び開發を試みたり、一は限りある心と物とが神てふ本體に對する關係、一は心物相互の關係、是れなり。先づ此の第二の點に其の論を結び來たりしものはオッカジオ(occasio)論者なり。
第三十二章 デカルト學說の發達
《デカルト哲學の波及。》〔一〕デカルトの哲學は諸方より多くの攻擊を受けたりしと共に、又和蘭を初めとして漸々其の勢力を擴げ行けり。彼れの哲學は最初和蘭のユートレヒト及びライデンの二大學に於いて講ぜられ、次ぎに獨逸に波及し、また其の故國佛蘭西に於いても其の說を信奉する人々を得、特にヂャンセン(Jansen)の徒(當時の一宗派にして其の中心はポール、ロアヤル〔Port-Royal〕にあり)及びオラトアール(Oratoire)と名づくる宗敎家の一圑體の中に受け容れられき。
《アルノール、ジューランクスのオッカジオ論。》〔二〕心と物との關係は早くよりデカルト學徒の中に注意されたる點にして此れよりして漸次オッカジオ論の開發に向かひたり。オッカジオ論は佛蘭西人ルイ、ド、ラ、フォルジ(Louis de la Folge)及び獨逸人ヨハン、クラウベルグ(Johann Clauberg)等の所說に其の端緖を發見し得れども、此の論を最も明瞭に唱へ出でたるはクラウベルク等と時を同じうせし
アルノール、ジューランクス(Arnold Geulincx 一六二五―一六六九)
なり。彼れはリヨーヹン大學に於いて又後にライデン大學に於いて敎授たりき。彼れが思想の根據はデカルトの立てたる實體てふ觀念及び心物二元の論なり。彼れはデカルトの思想に基づきて心と物とが互に相影響することの出來得べからざるを見、而して尙ほ追加して曰はく、我れは如何にして爲し得るか(其を爲し得る道)を知らざることをば爲す能はず、然るに我れは如何にして感覺の生ぜしめらるゝかを知らず、また如何にして我が意志する時に我が身體の動かさるゝかを知らず。(是れ嚮にデカルトの據りて考へたる因果の關係に基づきて考へたるところのものにしてジューランクスの謂ふこゝろは我れの爲すは我が意識を以て爲すことならざる可からず、故に我れの爲す道を知らざることに於いて我れは其の原因たる能はずと云ふにあり。)故に我が心が身體の動作の原因にもあらねば、また身體に於ける運動を以て我が心に於ける變化の原因とも見ること能はずと。之れを要するに、眞正の原因は限りある心及び限りある物以外に存せざる可からず。然らば何處にあるか、曰はく、之れを神に發見するの外なし。吾人が意志する時に身體の動くは眞實は神が我が身體を動かすによる、我が意志は唯だオッカジオ(occasio 又は causa occasionalis)即ち緣(別言すれば唯だ塲合)を爲すに過ぎず。即ち吾人が意志する塲合に吾人の身體は神によりて動かさるゝ也。吾人が身體上の變動も亦之れと同じく唯だ吾人の念ひを變化せしむる緣を爲すに過ぎず、即ち吾人の身體に一の、變動ある塲合に神が吾人の心に念ひを起こさしむる也。斯く心と身との相影響するが如くに見ゆるも一が決して他の變動の眞因たるには非ずして唯だオッカジオに外ならずと說く、是れ此の論のオッカジオ論と稱せらるゝ所以なり。
《オッカジオ論の進步。》〔三〕されど若し以上の如く云はば、我が意志する每に神は其の力を用ゐて我が身を動かし、外物の刺激等によりて身體に變動の起こる每に神は其の力を用ゐて吾人の心に感覺等を起こさしむることとなるべく、恰も吾人の意志することに隨ひ又は物體の動くことに隨うて神は其の時每に煩はしく作爲するが如く見ゆ。故に此くの如き見解に滿足すること能はずしてオッカジオ論は更に進步したる形を取るに至れり。其の說に曰はく、吾人の意志する每に又物體の動く每に神が煩はしく其の力を用ゐるに非ず、又吾人の意志及び物體の變動が因となりて神を其の塲〳〵に作爲せしむるに非ず、神がもと吾人の心と身とを造りし時一方の變動が他と相應ずる樣に爲せるなり。之れを譬ふれば、恰も時計師が二個の時計を製造して其の一方の針の示す所と他方の針の示す所とが相應ずる樣に仕掛けたるが如く、一の時計の針が直ちに他の時計の針を動かすにもあらねば、又時計師が一の時計の針の動く每に之れに從うて他の時計の針を動かすにもあらずと。かく言ひ改めたるオッカジオ論は已にジューランクス自身の唱へ出でたる所と思はる。
《ジューランクスの道德論。》〔四〕此くの如く心に於いて又物體に於いて起こる一切の變動の眞因は神の外になしといふことを取りてジューランクスは之れを逍德論に應用せり。曰はく、吾人は我が意志を以て即ち我れが原因となりて外界を變ずること能はず、我等は物界の變化に對しては寧ろ唯だ之れを傍觀する位置に在るものなり。故に吾人が力の爲し得ざる事に對しては須らく其の事を爲さむとする欲望を抛擲すべし。吾人は天命に安んじ、外界に懸かる欲念を棄て、知識の外に意志を馳せしむること無く常に安慰を我が心中に發見すべきなりと。
《萬有神說への一轉步。》〔五〕かゝる論が森羅萬象を悉く神に懸かりて在る者とし、個々物をば獨立自存する者に非ず唯だ神の存在に與ることに於いて始めて存在するものとして萬有神敎的傾向に進み行くことは其の自然に取るべき發達の順序なり。ジューランクス自らも旣に此の傾向に一步を進めて、吾人は神の心に與る所あるによりて存在する者なり、神は限りなき心、吾人は限りある心、云はば、神の心に限界を附して之れを個々に分かれたるものと見れば是れ吾人の心にして、吾人の心より限界を取り去ればこゝに限りなき神の心在り、恰も限りたる空間即ち個々の物體が限りなき空間の部分なるが如しと。かく云ふに至りてはジューランクスは旣に個々の物體が限りなき廣袤の樣狀なるが如く、吾人の個々の心は神てふ限りなき心の樣狀なりといふ見地に進みたる者と見らるべし。是れ明らかに一步を萬有神說に向けたるものと謂ふべき也。
《マルブランシ。》〔六〕同じくデカルト哲學の根據より出立し其の思想を進めて一學說を立てたる者あり、是れ
マルブランシ(Malebranche 一六三八―一七一五)
にして、彼れの說きし所是れまたデカルト哲學發達の一結果と見らるべきもの也。マルブランシは上に云へるオラトアール圑體の一員なり。彼れ偶然廛頭にデカルトの著書『人間論』を購ひ得て之れを讀み恰も我が竊かに思ひ求め居たるものに遭遇したるが如くに感じ喜悅禁ずる能はず、遂にデカルトの哲學を根據として更に硏究を進むることに一身を委ぬるに至れり。彼れが著書の中、最も有名なるは『ド、ラ、ルシェルシ、ド、ラ、ヹリテ』『眞理の探究』("De la Recherche de la Vérité")なり。マルブランシ以爲へらく、限りある心又限りある物體と同一の意味にて神を心と云ひ又物體と云ふこと能はず、されど限りなきものとしては心も廣がりも共に神の具ふる所なり。凡そ有限のものは皆彼れに與り彼れを分有することによりて存在す。一切の完全なることは神に備はり、而して之れに與り之れを分有せるもの是れ即ち吾人の心と諸〻の個々なる物體となり。神が思念の對境となるは神自身なり、又神自らが其が意志の目的なり、換言すれば、神は自らを知り自らを愛する者なり。吾人が事物を知るは神が自らを知る知識に與るに外ならず。吾人の世界を觀ずるは神の自らを觀ずることを分有するもの也。マルブランシは此の意を言ひ表はして「我等は萬物を神に於いて見る」といへり。萬物の存在するは其が神に於ける模範的觀念を分有すれば也。而して此等の模範的觀念は神に於ける永劫の眞理にして其は神の意志によりて定められたるものに非ずして本來神の性に具はれるものなり。マルブランシは空間が個々の物體の居處なるが如く、神は吾人の精神の居處なりと云へり。
《一切の原因は神に在り。》〔七〕一切の原因は唯だ神なり、吾人の知識も畢竟ずれば神によりて與へられたるもの、即ち神の知識の光によりて照らされたるものに外ならず。吾人の意志の働きて我が四肢の動くは我れが其の眞因たるに非ず我れは唯だ其の塲合を爲すに過ぎず。啻だ心と身との關係の然るのみならず一物體が他物體を動かすも眞實は一が他の原因となるにあらず。運動を與ふる眞原因は神の外にあらず。吾人の知識が神の自識を分有するものなるが如く吾人の意志も亦神が自らを愛する愛を分有するもの也。如何なる意志も皆多少の善を求めざるはなし。吾人の窮極の目的は唯だ神を知り彼れを愛することに在り。
《マルブランシの萬有神說。》〔九〕マルブランシの學說も一種のオッカジオ論たる趣を帶びたり。彼れはジューランクスの用ゐたると殆んど同一の語をさへ用ゐたる所あり。彼れの思想は畢竟ずるに一切の原因を神に歸し神を離れて自存する者なしと主張するにあれば其の傾向は明らかに萬有神說的なりと謂ふべし。ジューランクスはデカルトより出立して進みて萬有神說の方向にむかひ、マルブランシは(彼れ自らは此の說を排撃するに力めたれども)ジューランクスよりも更に此の說の方向に進める所あり。彼れが神を謂ひて神は念ひを有すると共に廣がりを有す、但し其の念ひ及び廣がりは個々の心が念ふことを爲し個々の物體が廣がれるとは其の意義同一ならずと說けるが如き、其のジューランクスに比して明らかに萬有神說に向かひたることを證するものなり。而して是れ即ちデカルトが思想の根柢に在る實在論の正當の結論なるべし。個々の存在物は一の完全なる實在物によりて其の存在を得、故に個々に分かるゝほと實在を限るものなりと云ふ思想は應さに萬有神說の傾向を取りて進まざる可からず。是れ謂はば、中世紀に於いて旣にアンセルムスに存在せる思想の正當の歸結が遙かに時を隔てゝ近世に至りて發表されたるものと見るを得べし。
されどジューランクス及びマルブランシの所說は未だ能く萬有神說を完成せるものには非ず。少しくマルブランシに先きんじて旣に明瞭に又大膽にデカルト哲學の論理的歸結を揭げ萬有神說を唱へ出でたる者あり。是れ即ちスピノーザなり。スピノーザの哲學も此の方面より觀ればデカルト哲學發達の潮流に屬するものと云ふを得べきが彼れが萬有神說を唱ふるに至りしには尙ほ他にそが淵源となれるものあり、又彼れの哲學にはデカルト學派以外の思潮に屬する要素の攝入せられたるありておのづから一種の特色を帶びたる一大組織を成すに至れるなれば彼れをジューランクス及びマルブルンシと同列にならぶ可からず。
第三十三章 スピノ一ザ(Baruci Spinoza)
《スピノーザの生涯、著書、性行。》〔一〕スピノーザの哲學は其の根本的思想に於いてデカルト哲學發達の潮流に屬せる者多しと雖も又彼れに於いてはホッブス等が自然說ぶりなる思想の相交はりて存在せるあり。別言すれば、彼れに於いてはデカルト學派に屬せるものの外に其れとは頗る其の趣を異にせる而かも同じく第十七世紀の特殊なる思想と見るべきものの集合せるを認む。此の點より見るも彼れは歐洲近世の哲學史上一種の特色を帶び異樣なる光彩を放てる思想家なり。彼れは久しき間神學者等に嫌惡せられ「名高き無神論者」として言ひ傳へられたる程なりしが後にはまた漸々其の哲學の眞價値を認むる學者出で來て終には彼れを「神に醉へる人」とまで名づけたるノファリスの如き者あるに至れり。
スピノ一ザは一千六百三十二年十一月廿四日和蘭のアムステルダムに生まる、其の血統は猶太人にして父は相應に暮らせる商人なりき。抑〻アムステルダムの猶太人は西班牙及び葡萄牙より移住せる者、而して曩にも云へる如く西班牙の猶太人間には一時文物煥發して名ある哲學者も出でたる程なりしが後に異宗旨を奉ずる故を以て彼等は基督敎徒のために劇しき迫害を蒙ることとなり多く和蘭に逃れ來たれり。彼等和蘭に逃れ來たりてよりは累はさるゝこと無く其の昔ながらの禮拜を維持することを得たりしが斯くなりて後はまた彼等仲間の中に宗旨上に壓制を行ひ嚴しく異端と見るべきものを排斥し初めたりき。斯くの如き宗敎上の爭ひは當時代の流弊なりきと云ふも可なり。
スピノーザはかゝる猶太人間に在り其の學校に入りて經典を修めたりしが才學群を拔き幼より頭角を現はして十五歲の頃には已に
爾後彼れはアムステルダムの傍りなる知己の家に寓し曾て習ひ得たりし
《スピノーザ哲學の淵源、其の數學的硏究法。》〔二〕スピノーザの哲學の淵源に就きては哲學史家の間に種々の異論あれど彼れがデカルトの哲學に汲める所多きは何人も拒否せざる所なり。故に或は彼れを以て先づデカルト哲學の立脚地に在り而して其の後漸々自家の見地を開くに至れる者となせる史家あれど彼れが曾てデカルト學徒と名づくべき位置を取れりしことありしか疑はし。彼れは早くよりジョルダーノ、ブルーノの影響を受けたる所ありと思はる、其が萬有神說の淵源の少なくも一部はこゝに在りしならむ。又彼れが哲學の神祕說的方面は幼少より其の心を潛めたる宗敎觀に原由し(彼れはマイモニデス等の猶太哲學者及びカッバーラに通曉し又後期のスコラ學者の書をも讀めりと思はる)彼れの自然說的方面はホッブス等に負へる所多かるべし。かゝる影響の有りきとは云ふ者からスピノーザ自らの特性が其の說を成せる大動力なりしことは固より埋沒すべからず。約言すれば、思想上萬有神說に至るべき傾向を含めるデカルトの哲學がブルーノの影響を受けたるのみならず當時の敎會の宗義に束縛せられずして特殊の心傾向を有せるスピノーザに觸れて其の當さに爲すべき發達を爲して遂に萬有神說に到れる者と謂ひて可なるべし。
明瞭なる觀念を以て出立し吾人の明らかに且つ判然と思考し得るものを辿りて一步一步究理を進め行かむとしたるデカルトの硏究法はスピノーザに至りては全く數學的のものとなれり。盖しデカルトに於いても其の全く學術を改造せむとするや數學が最も明瞭正確なる知識模範として常に彼れの腦裡に浮かべり。數學を最も確實なる知識と見、恰も物理の硏究が數學によりて明確なるものと成れる如く哲學も亦數學を應用して始めて從來の亂雜なる狀態を脫し得べしといふ思想は當時の學界に特殊なる思考の一として多くの學者の腦裡に宿りたり。スピノーザは此の思想を懷きて之れを實にせむとしたる者の最好代表者なり。彼れが其の大著に標題して『幾何學的順序に從ひて證明したるエティカ』("Ethica ordine geometrico demonstrata")といへるを見て彼れが論述の如何に數學的なるかを認め得べし。其の論述の方法は幾何學に於けるが如く最初に定義を揭げ次ぎに公理、次ぎに證明すべき命題を置き、さて後に其の證明を與ふるにあり。
《本體の觀念。》〔三〕斯くしてスピノーザは其れ自身に確實明瞭なる觀念より出立し、數學的に論步を進め行かむとして以爲へらく、眞理は他のものに照らして證明さるゝを要するものに非ず、吾人の之れを思ふや直ちに其れ自身明らかなりとせらるゝこと譬へば光の其れ自身を照らすが如しと。是れ先きにデカルトが明瞭に且つ判然と吾人の思考する所を以て眞理となせるに基づけり。スピノーザに從へば、眞知識とは個々の事物をしからしむる所以の理を知るの謂ひなり。單に種々の事柄を集めたるのみにては尙ほ唯だ漠然たる經驗に止まりて未だ眞知識とは云ふ可からず。只だ數多の事物を見聞するのみにては未だ必ず其の事物のしかる所以を發見したると同じからず。眞知識は其等幾多の出來事を然らしむる所以の根本理を看破する所に在り。之れを本として推考すれば啻だ一二の事物のみに限らず凡べての物のしかる所以を其の本性に於いて發見することを得。而してスピノーザが萬事物を說明するに缺くべからざる根本觀念として出立したるは彼れがデカルトに得たる本體(substantia)てふ觀念なり。スピノーザに取りては本體てふ觀念ほど明瞭に又證明を待たずして承認せらる可きもの無し、何となれば本體は彼れに取りては凡べての物の爾る所以の基本の謂ひなれば也。彼れ曰はく、「我が所謂本體は其れ自身にて存在し其れ自身によりて考へらるゝものを意味す」と。されば彼れの謂ふ本體は他に依らずして存在し又他に依らずして考へ得べきものの謂ひ也、即ち凡べての物の實在すと云はるゝ所以を指す也。故に彼れが所謂本體は其の實在することの證明を要すべき者に非ず、語を換ふれば、實在そのものを指せるなり。凡べての物の實に在りと云はるゝは何の處に在るか。畢竟ずるに實に在るものは其れ自身に存在し其れ自身に考へらるゝ者ならざる可からず。他に依りて在るものは其れ自身に實在を有せず之れを實在せしむる所以の眞の實在者なかる可からず。かく見てスピノーザは其の實在者を本體と名づけたる也。是れ彼れが其の謂ふ本體をば自明なる觀念として出立せし所以なり。
スピノーザ說いて曰はく、本體は其れ自身に存在するものなるが故に他によりて限らるゝ所なし、即ち無限のものなり、若し他によりて限らるゝ所あらば此の所に於いて依他のものにして自存のものと云ふ可からざれば也。無限なるが故に其はまた唯一なり、多中の一にあらずして凡べての實在を成すといふ意味にて唯一のものなり。また他に依らざるもの即ち其の存在の根據が自己以外に無きものなるが故に其を自因(causa sui)と名づくべし。スピノーザは自因の何たるかを說明して曰はく、自因とは其の本性が其の存在を含める者、換言すれば、其の性が其のものの存在を必然ならしむる者を謂ふ、旣にアンセルムスに存し又デカルトにも傳はりたる「存在すとより外に考ふ可からざるもの」といふ觀念即ち是れを謂へるなり。其は凡べての物の實在を成すものなれば之れを存在せぬものとは考ふ可からず、又其の存在の原因は自らに在るがゆゑに其は必然に存在するもの也と。此の故にスピノーザに取りては必然と云ふは其れ自身に存在すと云ふと同意義なり、又永恒といふと同意義なり。謂ふところ永恒は時間上の期限を附し難き連續を意味するに非ずして其の物が其れ自身の原因として必然に常住するを謂ふ。故に以爲へらく、本體上より觀來たるは事物を時間上前後を爲すものとせず之れを觀るに永恒常住の相(sub specie aeteruitatis)に於いてする也。凡べての物は本體に於いては皆同時に永恒常住のものとして存在す、換言すれば、時間の連續を脫したる所に於いて其の物の本體上の眞理を發見せざる可からずと。斯く本體は自身が自身の原因なるが故に他にせしめらるゝ所なきもの即ち自由なるもの也。故に之れを自由原因と名づけ得べし。スピノーザに取りては內よりする(自性其のものが爾かあらしむる)必然是れ即ち自由なり。
此くの如く本體は、自存、無限、唯一、自由、永恒のものなるが故に吾人はそれに就きて否定を意味する形容を下すこと能はず、何となれば否定は實在を限るものなれば也。本體に就きて吾人は唯だ純然たる存在を言定し得るのみ、其を限定して名づくべき言葉なし、限定は即ち否定なれば也。故に一言にして云へば、本體は自足圓滿完了したる實在と謂ふべきもの也。
《本體即ち神也、神は萬物の內在的原因也。》〔四〕かくの如く本體は自足圓滿の實在にして凡べての物は之れによりて爾かあらしめらるゝなればスピノーザは之れを萬物の原因と見、而して之れを神と名づけたり。故に彼れの謂ふ神は通常歐洲の神學者等の謂ふ神とは異にして右云へる本體是れ即ち神なり(deus sive substantia)。神を以て萬物の原因なりといふも時間上前後をなして作爲する底の原因に非ず。盖しスピノ一ザは原因を說くに於いても數學的に、換言すれば、論理的に考へたるなり、即ち其の觀念より必然に考へ出でらるべきことを以て該原因に生じたるものと見たり。故に彼れは謂ふところ自因を說明して其を考ふることに於いて必然に其の存在を認めざるを得ざるもの也といへり。スピノーザが所謂因果の關係は猶ほ理由と結論との關係の如し、彼れは萬物は神によりて存在すといふも其は神が意志を用ゐて造化したりと云ふに非ず、吾人は神其の者に意志といふが如き定限ある相を附すること能はず、盖し意志は個物として他の個物に對するもの例へば人間の如きものに於いて始めて言ひ得べきものなれば也。また萬物、神によりて存在すとは萬物は神より發出せりと云ふ義にもあらず、本體より出でてそれ以外に物の存在せむやう無ければなり。萬物は唯だ神の必然の性質によりて存在するものにして其の關係を譬ふれば恰も三角其の物の性質と三角形の角度の和が二直角に均しと云ふこととの關係の如し。三角形の角度の和が二直角に均しといふは三角形の性質其のものに具はれる必然の結果なり(結果といふも唯だ其の如き意味にての結果なり)、三角形以外に角度の和の二直角に均しと云ふことのあらざる如くに神以外に萬物は存在せざるなり。神は萬物に於ける內在的原因(causa immanens)なり、萬物以外に在りて之を生ぜしむる超越的原因(causa transiens)にあらず。故にスピノーザは中世紀の末葉に旣に用ゐられる語を用ゐて神をナトゥーラ、ナトゥランス(natura naturans)と名づけ萬有即ち自然界をナトゥーラ、ナトゥラータ(natura naturata)と名づけたり。即ち前者を以て凡べての物を爾かあらしむる所以の本體の義とし、後者を以て爾かあらしめらるゝ萬物の謂ひとせり。以爲へらく、全自然界と神とは相即したるものなりと(deus sive natura)。
スピノーザの謂はゆる神は全く自然界と相離れたるものならざること及び人間の如く心意を有して作爲する者に非ざることに於いて、當時の宗敎に於いて一般に信仰せられたる神と異なれり。故に彼れの說は先づ無神論として彈訶せられ時人は詳かに之れを了解し得ざりしなり。
《本體の性、心(念ひ)と物(廣がり)。》〔五〕上に述べたるが如く本體は無限なるもの、換言すれば、圓滿完全なるものなり、而して其の吾人に知らるるや其の性によりてす。性(attributum)とは本體の本質を成すものとして吾人の知力の認むるものなり。但し本體は圓滿にして凡べての實在を含むものなるが故に限りなく多くの性を具ふ、何となれば其の性は其が圓滿完全の相を顯はすものに外ならざれば也。本體其の者の具ふる性は斯くの如く無限に多かれども吾人の知り得る所は唯だ心(念ひ)と物(廣がり)との二つに過ぎず。天地萬物の吾人に對するや或は心の方面に於いて或は物體の方面に於いて知らるゝのみ。件の二つの方面以外に吾人の知り得る所なし。されど是れは吾人の知力の限りあるが故なり、若し吾人以上の知力を具ふる者あらば心物以外の方面に由りて本體を觀ることを得べし。
斯くしてデカルトに於いては第二義の名の下に體を具ふるものとせられたる心と物とはスピノーザに於いては體を具ふるものと視られずして唯だ一本體の性とのみ見らるゝこととなれり、即ちスピノーザは唯だ一本體の存在を許して第一義第二義といふ區別をば全然拂ひ去れり。されど彼れには尙ほ或意味に於いてデカルトの二元論を維持せりと見らるべき點あり、即ち彼れが思念と廣袤とを以て全く別異のものとなし其の一方に於ける事相を持ち來たりて其の他方に於ける事相を說明すること能はず、即ち一を說明せむが爲めに他を因とすること能はず、二者の間全く因果の關係なしと說ける所是れなり。
《本體の樣狀、本體と差別相との關係。》〔六〕かく本體の吾人に對するや全く其の性を異にせる二つの方面に於いて知らる。而して此等の各方面に於いて起こる種々雜多の事柄あり、スピノーザは之れを本體の樣(或は樣狀 modus)と名づけたり。此等本體の樣は言ひ換ふれば本體の差別相(affectio 又は modificatio)なり。心なる性の方面に於ける本體の差別相は出沒極まりなき種々の念にして此等は多くの個々の心として或は現はれ或は沒す。廣袤の方面に於ける本體の差別相は同じく出沒極まりなき個々の形體即ち種々の形を具して種々に動く個々の物體なり。而して本體と其の差別相とは相即不離の關係を有す。スピノーザは之れを譬へて曰はく、本體と差別相との關係は猶ほ線と線に於ける點との關係の如し、個々の點が個々なる樣に於いての集合を以て線とは云ふ可からず、其が線と云はるゝは個々の樣に非ずして一體をなせる所にあり。されど其の一なる線は決して個々の點と相離れたるものに非ず。萬物と本體と亦かくの如し、萬物は其の個々なる樣に於いて直ちに本體(即ち神)と云はる可きものに非ざれども二者は相即して決して離れざるものなり。史家エルドマンはスピノーザの意を取り、之れを譬へて曰はく、神(本體)と萬物(樣狀)とは猶は水と波との如し。而して萬物は水に於ける波の如く心の方面に於いても物の方面に於いても種々雜多の差別相を現じ出沒變化して歇む時なしと。〈此の譬喩を見る者は何人も起信論中の有名なる譬喩を想ひ出でざるを得ざるべし。〉永恒常住なる方面より見れば凡べては唯一無限の圓滿なる本體即ち natura naturans に外ならず、有限差別の方面より見れば一として常住なるもの無く森羅萬象は唯だ常住なる本體に於いて出沒變化する波の如きものに外ならず、此等即ち natura naturata なり。
《無限樣、其れと神との關係。》〔七〕スピノーザは更に委しく本體の樣に就きて限り無きもの(modus infinitus)と限りあるものとを別かてり。スピノーザが玆に所謂無限樣の何たるかに就きては明瞭にし難きふしあれど彼れが言へる所を以て推考するに其の大意は必ずしも見難きにはあらざらむ。惟ふに、彼れは宇宙に存在する心の方面又は物の方面に於ける全體を指して無限樣と云へりと見ゆ、即ち之れを以て恰も本體(神)と嚴密なる意味に謂ふ個々の差別相即ち有限樣との間に位する如きものと見たりと考へらる。而してスピノーザは動と靜とを以て物體の方面に於ける無限樣となせり、謂ふこゝろは動と靜との全體は無窮に變ずること無きものにして或は一方に沒し或は一方に出づることあれども、全體の上より見れぱ常に一の全き樣を成し居るものなりとし、かくて動及び靜(motus et quies)をば廣がりの性に於ける無限樣と名づけたるならむ。又心の方面に於いては無限知(intellectus infinitus)萬有の觀念(idea omnium)又は神の觀念(idea Dei)是れ即ち無限樣なりと云へり。盖しスピノーザの意は心の方面に於ける全體の作動を指して其を全きものとし唯だ其の中の部分のみ變化出沒するものなりと見たりと考へらる。故に吾人の知力は無限知の一部分なりと云へり。
此くの如く無限樣は心又は物の方面に於ける全體の全き所を指して云へるものなるが故に、こは神即ち本體より直ちに來たるものとして考ふるを得、換言すれば、本體の圓滿相は心及び物の各方面に於ける全き樣(無限樣)に現はると見るを得。是に於いて吾人はスピノーザが限りある個々物は直ちに神より來たるものとしては考ふべからず、直ちに神より來たるものとして考ふべきは唯だ無限樣あるのみと云へる意を了解するを得べし。茲に神より來たるといふ語を用ゐればスピノーザが神と萬物との關係を說きて其を唯だ論理的なるものなるかの如くにいふ(三角形と三角形の角度の和が二直角に均しきこととの關係の如しといふ)の意を現はすに適せざるやうなれど、スピノーザの說く所に於いては實際神が萬物を生ずるかの如くに言ふ趣あるを看過する能はず。彼れは常に理由(ratio)と生因(causa)とを同一視せり、而して其の二者を同一視するや或は眞實の意味に於いての生因を言はずして、生因即ち理由に外ならず、換言すれば、論理上或結論を來たすものに外ならずと說けるが如く思はるれど又然らずして之れを通常所謂生因なるが如くに說ける所もあり。彼れは此の二者を同一視せるよりして或は生因の方面を沒して理由に歸せしめ了せるかの如く見ゆる所もあれど全く然らずして兩者を混同して說ける所もまた無きに非ず。是に於いてエルドマン及びクーノー、フィッシャー等の見解の差別を生じ來たる。エルドマンは以爲へらく、スピノーザに取りて所謂原因(causa)は生因にあらずして時間に關係なきもの即ち論理上の理由に外ならずと。クーノー、フィッシャーは曰はく、スピノーザの所謂本體の性は卽ち本體の力なりと。力といふ、已に其の活動によりて萬物を出現せしむる意味となり來たる。是れ畢竟スピノーザが其の所謂原因(causa)といふ一語に於いて理由と生因とを混同せしより起これるものなり。
《個々差別相の變化の直接原因は同じく之れを差別相に求めざる可からず。》〔八〕差別の相卽ち個々物の出沒變化する所以を以て直ちに本體に求むること能はず、個物變化の直接の原因(causa proxima)は同じく差別相其のものの中に求めざる可からず。吾人は有限樣よりして直ちに無限の本體に上ること能はず。ここに一物の動くあるは其をして然らしむる他の一物卽ち限りある物の存すればなり。故に限りあるものの變動は凡べて他の限りあるものの變動に依りて說明せざる可からず、有限の物は其の物それ自身に於いて存在すべき必然の理由を有せず。唯だ他の一物の在りし爲めにたま〳〵そこに存在するのみ。此の意味にてスピノーザは個々物の存在を偶然のもの(contingens)といへり。無限なる本體は必然に存在するものにして其を存在せざるものとは考ふべからず、然るに此の一物、此の一念は之れを存在せざるものとも考ふるを得べし、唯だ其の存在するは其處に他の一物、他の一念の存するあればなり、換言すれば、此等皆依他起生のものに外ならず。必然に神の圓滿相より來たると考へ得べきは唯だ心及び物に於ける樣狀の全體卽ち先きに所謂無限樣あるのみ。
かく心の方面に於いても、また物の方面に於いても、個々現象の出沒變化する原因は他の個々現象に於いて認めらる、卽ち有限樣の中に在りては一物生起の原因が他物に於いて認めらるゝなれば之れは他在的原因と云ふべきもの也。故に其の間に於ける關係は神が萬物に對する關係とは全く異にして個々現象間の因果の鎖は終極なきなり。個々現象の相生ずるは是れ時間に於ける因果の關係にして其の終始なし。一結果を來たしたる原因は更に他の原因によりて來たされ其の因も亦更に他の因によりて來たさる、斯くして遂に窮極的原因に到達することなし。個々の現象間に於ける關係を傅うては遂に其の窮極の一端として神に到逮すべきものに非ず(是れ有限樣は直ちに神より來たるとしては考ふべからずといふ所以なり)、神を萬物の原因といふは斯かる意眛にての有限樣間に於ける因果の鎖の窮極の端を爲すと云ふには非ずして、其の如く端なき因果の鎖を成して變化出沒する萬有全體の基本即ち本體として常住に存在するものてふ意味にていふなり。
《心物は一本體の兩方面也。》〔九〕此くの如く個々物は極まりなき因果の關係をなして出沒するものなるが曩に述べたる心物の關係に從うて心の方面の現象と物の方面の現象とは相互に因果の關係を爲すことなし。心の種々の念の生起する所以は同じく心に於ける他の念によりて說かざる可からず、物體に於ける變動は同じく物體の變動によりて說かざる可からず。一言に云へば、念の生起は念によりて說明し、物體の運動は物體によりて說明せざるべからず。然るに心物の二者が相互に關係影響するが如く思はるゝは何故ぞや。是れデカルト哲學の立脚地に在りて說明するに難かりし所にしてオッカジオ論を喚び起こしゝ所以のもの也。スピノーザは之れに對して自家哲學の見地より一の巧妙なる說明を與へて曰はく、心と物とは互に因果の關係を成すに非ず、然るに恰も相關係するかの如く見ゆるは心物は畢竟一本體の二つの方面なればなり。之れを譬ふれば猶ほ疊める一枚の紙に於いて表より見て凸なる所は裏面より見て凹なる所にして凹凸相對して違はざるが如し、心と云ひ物と云ふ、共に一本體を見る兩面に外ならず、互に一面に於いて見る所必ず他面に於いて見る所と相應ず。即ち心物各〻の現象は互に生じ生ぜらるゝ因果の關係を成すにあらずして唯だ相應じ相伴ふのみと。此の點に於いてスピノーザはデカルト哲學に於ける一の難題を斷じ了し得たりと思ひしと共に、またホッブスに對しても異なる見地を取りて、ホッブス等の云ふが如く物體の運動によりて心の現象の生ずといふは吾人の了解し得ざる所なりとし、唯物論風に心の現象が物體によりて生ぜらると云ふも、又心物二元を措きて二者互に相影響するかの如く云ふも、畢竟吾人の明瞭に了解せざることを言ふに外ならず、一本體の二面として始めて心物の關係を明らかに了解するを得べしと考へたる也。
《心物の關係。》〔一〇〕斯く心と物とは相應ずるものなるが故にスピノーザは心に於ける順序と物に於ける順序とは同一なり(ordo rerum idem ac ordo idearum)と說き、其の意を說明して曰はく、例へば吾人の心に於ける圓といふ觀念には物體上圓といふ形の應ずるあるが如し、即ち吾人の思ひ浮かぶる所は之れを物體の上にて云へば種々の形及び種々の動靜となる、換言すれば、物界に存在する(esse formaliter)と吾人の心に念ひ浮かべらるゝ(objective)とは相應ずるものなりと。
されどスピノーザの心物の關係を論ずるや其の思想には知識上の論と心理上の論と相混淆せり。彼れは先づ心物の相應ずる關係を以て吾人の思ひ浮かべたる圓と物界の圓との關係の如しと論じもて行くと共に、またこゝに吾人の念と念の起こるに伴ふ吾人の身體に於ける即ち物質上の變動との關係を提起し來たり、後者即ち心理上の關係の意味にて心と物相應ずと說きて、却つて知識論上の關係を遺却せる傾きあり。彼れは心理上の意味にて吾人の心は身の觀念(idea corporis)なりといへり。心は身の觀念なると共に其の觀念を自識するものなるが故に此の點より觀れば之れを身の觀念の觀念又は心の觀念(idea mentis)と云ふべし。心が身の觀念なりといふ義は身體に於ける物質上の變動が心の方面に於いては念として意識せらるといふ意味に外ならず、是れ即ち今日所謂心理と生理との關係なり。啻だ吾人の身體のみならず、均しく一個體を成せるものには皆心の伴はざること無し、唯だ其の思ひ浮かぶる念の多少及び明不明に幾多の段等の存するのみ。
《機械的說明のみ眞實の物理的說明也。》〔一一〕かく萬物には常に相對し相應ずる心理と物理との二方面あり、而して之れを物理の方面より考ふるもの是れ即ち物理學なり。物理の方面に於いては前にも云へるが如く其の現象は凡べて物體の運動を以て說かざる可からず、故に機械的說明をのみ眞實の物理的說明と見るべきなり。かく說ける點に於いてスピノーザはデカルト及びホッブスと其の意見を同じうして物理界の說明に目的觀を持ち來たることを拒めり。世界の事物が或目的に從ひて形づくらると考ふるは畢竟人間の感想を世界に移せる誤謬にして之れを以て自然界の生起の說明とは爲す可からず。また斯くの如き目的說は却りて神を不完全なるものとするに當たる、何となれば神若し或目的を懷いて活動せば彼れ其の目的を達せざる間は未だ滿ち足れる者といふ可からず、換言すれば、其の目的を達し得て始めて完全圓滿なる者と云はるべければ也。かく自然界の事物は全く機械的に考へざる可からず、故に物理上の根本法則は惰性律なり。されどスピノーザはツィルンハウゼン(Tschirnhausen)の質問に對して物體を唯だ廣がれるものと見ては其が運動の起こり來たる所以を說明すること能はざるを承認せり。(デカルトは此の故に神が物體に運動を與へたりと云へり、されどスピノーザに取りてはかゝる說明を用ゐること能はず。)故に彼れは物體を唯だ廣がれるものと見るのみにては未だ盡くさざる所あるが故に其の定義を新しくするを要すと云ひしが、彼れは此の點に於いて遂に其の說を全うするに至らざりしが如し。
《心は複雜なる念の結合より成る。》〔一二〕一個體が種々の部分を以て成るが如く心も亦種々の念を以て成る。一個體とは其の部分が或定まりたる相互の關係を保ちて、部分を成す物質は縱令新陳代謝すとも尙ほ一定の形を具ふるものの謂ひなり。而して其の如き一個體は同樣なる他の一個體と結合して更に高等なる一個體を成し、それが尙ほ他の一個體と結ばりて更に高等なる一個體を成す、かくして萬有全體は遂に一個體を成せるものと考へらる。(自然界に關する觀念に於いてスピノーザが如何にブルーノ等のルネサンス時代の世界觀に影響せられたる所あるかを看よ。)而して其等個體の凡べての段階は皆それぞれに多少心作用の伴ひ居るもの也。換言すれば、物體に於いて多少複雜なる運動の結合のある所には必ず觀念の多少複雜なる結合の伴へるあり。吾人の身體はかゝる複雜なる結合を成せる一個體にして吾人の心も等しく複雜なる觀念の結合せるものなり。所謂吾人の心は其等の觀念の相結合せるものに外ならざること猶ほ身體がそを組成する種々の部分の結合せるものに外ならざるが如し。
《感覺の性質、念の法則。》〔一三〕吾人の身體が他の物體によりて影響せらるゝ時に、換言すれば、吾人の感官によりて他物の刺激を得る時に吾人の身體に生じたる變動に伴うて起こる心の念是れ即ち感覺なり。故に感覺は外物の狀態其の物を示すよりも寧ろ吾人の身體の狀態に伴ふものなり(感覺を主觀的なりとすることに於いてガリレオ、ホッブス、デカルト等の說皆一致せり)。されど吾人の身體に於ける變動は之れを唯だ吾人の身體の內部に生じたるものとのみ見ては說明すること能はず、換言すれぱ、其の變動を唯だ吾人の身體に於けるものとしては之れを完全に考ふること能はざるが故に尙ほ他に其の原因を求めざる可からず。此の故に吾人は常に我が感覺を外物の性質又は狀態として之れに歸する傾向を有するなり。
斯く感覺のみならず一切の心念は他面卽ち物體の方面に於いて凡べて吾人の身體の變動に伴はるゝものなり。而して運動の法則が在らゆる物體の變動に通貫し之れを支配するが如く在らゆる念は其の相似たるもの相互に喚起し、先き立ちて起これる念が續きて起こる念を喚起すといふ法則に從ふ、こゝにスピノーザの謂ふ所は即ち近世の心理學者の謂ふ聯想律なり。
《自衞性、欲望、快苦、情緖、意志及び善惡美醜の論。》〔一四〕スピノーザはデカルトの如く吾人の觀念に就きて自動(或は能動)のものと所動のものとを別かてり。彼れの此の區別を爲すや其の思想にはホッブス風の自然論的要素加はり來たりて其れがデカルト風の思想と相結べる所あり。彼れ以爲へらく、凡べて存在する個物は皆其れ自身を保存する性を具ふ、此の性は心の方面に於いても物の方面に於いても共に等しく在り、而して此の自存の性を助長し行くもの是れ即ち自動的或は能動的のものにして、此の性の他に抑壓せらるゝを覺ゆる是れ即ち所動的狀態なり。而して吾人は生來其の所動的狀態を去りて成るべく自動的ならむことを求むるもの、換言すれば、吾人は心に於いても他の障碍抑壓に勝ちて自由に伸び行かむと力むるものなり。此の根本性に具はれる自然の求めは心の方面に於いては欲望(又は欲求 cupiditas)となりて顯はる。而して件の自然の傾向欲求に合して之れを助長せしむるものは吾人に快樂を覺えしめ之れに不利なるものは吾人に苦痛を感ぜしむ、換言すれば、凡そ吾人の性に根本的に具はれる欲望を充たして吾人の存在を强固にし增進するものは快しと感ぜられ之れに反するものは快からずと感ぜらる。斯く快樂及び苦痛は吾人の狀態の或は自存に利なる方に變じ或は不利なる方に變ずる所、一言に云へば、吾人の狀態の變化する所に生ずるものなりと。(今日の生理的心理學上に快樂苦痛の感は吾人の生理作用が身體の生活に益ある方に變じ或は不利なる方に變ずる所に起こるといふ說と其の旨意相同じきものと見て可なり。)而してスピノーザは件の欲望及び之れに根ざせる快樂苦痛を根據として一切の情念(或は情緖)の出で來たる所以を說かむとせり、盖し謂ふ所情緖の種類は之れを要するに苦樂の感に結ばれる觀念の種類に歸するを得べしと考へたるなり。スピノーザが一切情念の心理的說明を試みるや、恰も物理學者が自然界に對して物理的說明を爲さむとするが如くにして、決して情の善惡を別かちて之れを取捨し或は抑揚することをせず、一切をひとしなみに其の自然の心理の法則に從うて說明することを以て目的としたりき。而して此の方針に從ひて彼れが種々の情緖を攷覈せるところは近世の心理學上の硏究に於いて一種の光彩ある功績を遺せるものと云ひて可なり。彼れ以爲へらく、種々の觀念が快苦の感と相結合して種々の情の生起するは、例へば吾人に快樂を與ふるものの觀念と其の快樂との結合することによりて喜びといふ情を生じ、また苦痛を與ふるものの觀念と其の苦痛とが相結ばりて悲みといふ情の生ずるが如し。而して一物を以て吾人に喜びを與ふる理由と見る(換言すれば喜びの原因を思ひ浮かぶる觀念が喜びの情に結ばる)時にはこゝに愛といふ情起こり、また悲みの情と其の原因を思ひ浮かぶる觀念との結合する時には茲に憎惡といふ情起こる、再言すれば、愛憎の情は吾人に喜び又は悲みを與ふる原因として一事物を思ひ浮かぶる時に其の事物に對して生じ來たる情なり。かくしてスピノーザが吾人の性に於ける根本的欲求を基として一切の情緖の起こり來たる所以を說明せる所はデカルトが爲したる情の說明に比して一層巧みに一層整ひたる所ありと謂ふべし。
情緖は斯くして生起するものなり、即ち其は畢竟ずるに吾人の自動的狀態と所動的狀態との釣り合ひによりて生ずるものなるが故に全く所動の方面なき、換言すれば、獨立自存、他に制限さるゝ所なき者に於いては情の存すべき理なし。故に無限智には情ある可からず、又本體其の者即ち神に於いては喜怒哀樂の情ありと云ふ可からざること固よりなり。
スピノーザは更に以爲へらく、吾人の情に於ける根本的欲求即ち自衞の求め是れ取りも直さず意志と名づけらるゝもの也、而して吾人が善しと云ひ又惡しと云ふは畢竟一事物が吾人の意志を滿足せしむるか否かの別に存す、各人の欲望する所を離れて善きもの無くまた惡しきもの無し。故に精密なる意味にて云へば、善きものといふは何人かに取りて善きものなり、何人かの欲望することより離れて絕對に善きといふは意味なき言葉なり。尙ほ少しく語を換へて云へば、善惡は凡べて比較によりて生ずるものにして一物が他物よりも吾人の欲求を充たすに適する時にそれだけ其の物は善き也。吾人は我が性の根本の求めに從ひて吾が理想的狀態を描き出だす、即ち吾人各〻が他に抑壓制限されずして自ら存在し自ら十分に伸び居れる狀態を描き出だす、此の觀念(idea hominis, tanquam naturae humanae exemplar)を模範標準として之れに到達せむと力め、而してそれに到るに利あるものを善と呼び害あるものを惡といふ。斯く善惡の區別は畢竟ずるに事物の不完全なる狀態に於ける比較に生ずるものなるが故に本體其の物の永恒の相より見れば本より善惡無差別なり。美といひ醜といふも亦、同じく吾人が事物を差別する所に生ずる比較上の觀念に外ならず。
《スピノーザの國家論、其のホッブスより來たれる自然論的影響。》〔一五〕スピノーザが心理說に於ける自然論の要素は彼れがホッブス風の思想に影響せられたるに由るものなることは以上述べし所によりて明らかなるが其の國家の論に於いては更に大にホッブスの思想に影響せられたる所あるを見る。スピノーザは實際に存せざる空想的國家を描くことを爲さず專ら現存する諸種の國家の如何にして生起せるかを了解せむことを力むと云ひ、而して其の國家の起原を說くや、曰はく、人類生存の原初に於いては力と權利とは同一なるものにしておのづから人々互に敵たるの狀態に居りしが、斯くすることの各自に不利なるを知りてこゝに國家を結ぶに至れりと。されどスピノーザが國家論のホッブスのと異なる所は、已に國家の結ばれたる狀態に於いても彼れは成るべく自由の發達といふことに重きを置ける點に在り。彼れ以爲へらく、國家其の物の權の達する所は其の力の達する限りを出でず、他の國家に對しては其の力の及ぶ所に從ひて自らの利益を保存すといふこと即ち一國家の唯一の目的なり、故に一國家の利益に反することに於いても尙ほ他の國家に對して守るべき義務といふべきもの無し。一國家が自國の人民に對するや亦其の力の及ぶ限りにのみ權あるものなるが故に如何にしても抑壓すべからざることを强ひて抑壓せむとする時に於いては却りて國家其の物の存在を危くし人民の反抗を來たすに至るべし。斯かる瘍合に於いて國家に取りて最も恐るべき敵は取りも直さず其の人民なり。此の故に宗敎上國家の命令し得ることは唯だ國家の存在に必要なる丈の外形上の禮式に止まりて宗旨上の信仰其のものを命令し左右すること能はず。信敎並びに學術の自由及びそを發表する要具なる言論の自由は國家が人民に對して十分に許さざる可からざるもの也。如何なる國家が最も安全なるといふに道理に從ひて最も善く治められ其の人民に許すに最も多くの自由を以てするもの也。斯くスピノーザの國家を論ずるや最も吾人の自由なる發達に重きを置けり。また彼れは國家の政治は人民の狀態を善くし或は惡しくすることに於いて極めて大なる閼係を有するものなりと見て以爲へらく、人民は何れの國土に於いても又何れの時代に於いても常に相同じきものにして甚だしく其の戕態を異にし來たるは偏へに其を統治する政府の所置如何によると。斯くしてスピノーザの政治論は人間の根本性たる自衞の傾向を根據とせる點に於いてホッブス風の自然論に從ひながら、その本性に基づきて自由の發達を主張せる點に於いて大に其が特殊の趣を發揮し來たれり。
《知性と意志との關係。》〔一六〕スピノーザの說ける所には、しかくホッブスぶりなる自然論的要素の存すると共にデカルトに淵源する主知論の要素の結ばり來たれるが爲めに茲に一種特殊なる趣を具ふることとなり、又之れが爲めに彼れの說く所に於いて彼れ此れ相合し難き點の存するあるを看る。彼れが知性(intellectus)と意志(voluntas)との關係の論の如き其の一例なり。スピノーザが自然論の立脚地に在りて心理を說く所に於いては所謂意志は吾人の根本性たる自衞の求めと異別なるものに非ず、而して知性の意志に對する關係を說くや知性の作用が意志の作用に從ひて動くが如く說ける所あり。彼れ曰はく、吾人が一物を求め、欲し、望み、意志するは其を善しと思ふが故にはあらず、寧ろ吾人が其を求め、欲し、望み、意志するが故に其を善しと思ふなりと。彼れが此の言によりて見れば、其の意、吾人の知性が善惡の區別をなすは畢竟吾人が意志の定むる所に係かるといふに在り。されど彼れは其が最初の著作と稱せらるゝ書("Tractatus(brevis)de Deo et Homine ejusque Felicitate")に於いては全く主知論の見地を取りて吾人の知性が吾人の一切の心作用の方向を定むる者にして吾人の意志は思考の結果に外ならずと說けり。後にまた其の大著『エティカ』に於いては吾人の心的活動は畢竟皆思考作用にして意志は知性の作用と一なるものなり(Voluntas et intellectus unum et idem sunt.)とせり。スピノーザが此の見地に居る時には、彼れに取りては知性の認むる所にして意志の承認せざるものある無く、意志の承認と知性の承認とは同一不二なるものと見做されたりと。
《完全なる觀念と不完全なる觀念、推論知と直觀知。》〔一七〕スピノーザの哲學にホッブス風の自然論とデカルト風の主知論とが相結合せる樣は彼れが吾人の自衞の性を說く所に於いて最も明らかに現はれたり。彼れに取りて所謂自己の保存は吾人の能動的(或は自動的)狀態を保つの謂ひにして而して所謂能動的狀態は吾人の知性が明瞭に十分に作動する所に在り、吾人の知性の働き不十分にして漠然たる觀念に蔽はるゝは畢竟吾人が所動的狀態に居りて他に制限せらるればなり。故にスピノーザが此の見地より云へば、吾人の自己を保存して吾が存在を擴張し吾れを完全の域に進むるは即ち吾が知性の働きを强健ならしむると同一なり。換言すれば吾が存在を增して多くの實在を有するものと爲すは不明瞭不完全なる觀念を去りて明瞭に且つ完全なる觀念を得るに進み行くと同一不二なり。
然らば不完全なる觀念(ideae inadequate)は何處より來たる。スピノーザ以爲へらく、吾人の心に種々の複雜なる觀念あるは猶ほ吾人の身體に種々の複雜なる運動あるが如し、而して吾人の身體に於いて一の運動が他の運動によりて紛擾せらるゝが如く吾人の心に於ける觀念はた相互に紛擾攪亂せらると。言ふこゝろは所謂不完全なる觀念は吾人か切れ〴〵の觀念を想ひ浮かべて之れを雜然結合せしむるより來たるといふにあり。盖し一物の觀念を全く想ひ浮かべずして覺束なく其の一部分のみを浮かぶる是れ即ち切れ〴〵の觀念を思ひ浮かぶるにてまた此等の切れ〴〵なる觀念が他の切れ〴〵なる觀念と相混雜することによりて不明瞭なると共に混雜せる觀念を生ず。而してかくの如く不明瞭に且つ混雜せる觀念の存在する所以は事物を唯だ離れ〴〵の物として見るが故なり、個々の離れ〴〵の部分が相集まりたるものとして見るが故なり。一言に云へば、事物の差別相をのみ見るが故なり。スピノーザは此の差別見を名づけてイマギナシオ(imaginatio)と云へり。差別見によりて見たるものは即ち全からざる觀念にして不明瞭、不確實なる疑はしき想ひは凡べて之れに屬す。眞理は明らかなる全き觀念を想ひ浮かぶるにあり、而して其の眞理たることは其の觀念を想ひ浮かぶることに於いて自ら證せらる。眞理は自らを證するものなり。五官の感覺及び種々の情念等は皆事物を斷ち離して永恒の本體を觀ざる差別見に屬す、善惡美醜の別といふも、目的といふも、また抽象的槪念といふも、皆これに屬す。一物が或事柄の目的の爲めに生ぜられたるが如くに見るは畢竟ずるに吾人の差別見を以て觀るが故なり、また實在するものの相を抽象して槪念を作るが如きも同じく事物を切斷して見るものにして是れ決して實在其の物、眞理其の物を看取する道に非ず。
眞實の知識は事物を其の永恒の相に於いて觀る所に存す。スピノーザは之れに二段を分かてり。一は論理的作用に從ひて推理し行く所のラシオ(ratio)にして他は事物の實相を直觀する直覺的知識(coguitio intuitiva)なり。かく二分する時は推理に屬するものは直觀と同じく萬物に行はれ居る永恒の理相を發見するものなれども唯だ其が本體の上より一時に直觀するものならぬことに於いて之れと異なり。されど此等の二者は共に事物を其の出沒變化する差別の方面に於いて見ず、個々獨立の存在を有するものとして見ず、其を然らしむる永恒の實相に於いて之れを見ることに於いては同一なるを以て之れを合して一言に理智といふも可なり。故にスピノーザは二者を合はせ名づけてインテレクトス(intellectus)とも云へり。理智は共通觀念(notiones communes)を以て働く、換言すれば、吾人の理性が根本的觀念即ち原理(fundamenta rationis)として用ゐるものを以て働く。謂ふところ根本的觀念に屬するものは例へば無よりは何物をも生ぜずといふ因果の關係を言ひ表はす原理の如きものにして此等の共通觀念は前にスピノーザが差別見に屬すと云ひし抽象的槪念とは全く相異なるものなり。
スピノーザの推理的知識及び直觀的知識を說くや其の兩者の差別甚だ明瞭ならずして或は殆んどそが區別を立て難き樣なる語をさへ用ゐたる所あり。されど大體より云へば、差別見、推理智及び直觀智の三段を以て有限の樣狀(natura naturata particularis)無限の樣狀(natura naturata generalis)及び本體(natura naturans)の三段に應ずるものと見て不可なかるべし。
《差別の妄見、煩惱を脫して知性を明らかにするところに道德存す、寂靜主義、神に對する知性の愛。》〔一八〕吾人は須らく差別に束縛されたる妄見を脫し進みて我が知性を明らかにし其の活動を全うする狀態に進みゆくべし。吾人の道德と名づくるものここに存す。德の根本とも稱すべきは吾人の心力の勇壯なる(fortitudo)に在り、言ひ換ふれば、吾人の心が他に制御せられずして十分に其の活動を現ずる狀態に在り、而して吾人の心が其の如く十分の力を具へて活動する所、他言もて云へば、所謂自衞の性を全うする所は是れ喜悅を覺ゆる狀態なり。一切の嫉妬、恐怖、情惡等の情念は凡べて吾人に苦痛を與ふるもの凡べて吾人が心の活動の十分に伸長せざるに原由するものにして賢人は此等の情念によりて其の心を攪亂されず。吾人の精神勇壯に活動して知性明瞭なる觀念を以て働く時は他を嫉拓し、恐怖し、憎惡する念慮は絕えてなく却りて他を益し共に其の性を全うせむの志を厚くし來たる。何となればこゝに至りては自他を共に全くせしむるが最も自由に吾人の本性を開發する道なりと認むればなり。吾人が嫉妬、恐怖、憎惡、諍鬪等の諸情に攪擾せらるゝは畢竟ずるに吾人の心が未だ自ら十分に其の活動を進むる能はずして他に制限束縛せられ居る狀態に在ればなり。吾人は須らく斯くの如き奴隸的狀態(servitus)を脫して自主自由の境に入らざるべからず。斯くスピノーザが吾人の煩惱に覊さるゝ狀態を描き、而して吾人は之れを擺脫して自由自在なるべしと說ける所、是れ彼れが論に於ける有名なる一段なり。
斯くの如くスピノーザは吾人の煩惱を拂ひ去りて心の靜平なる狀態に到ることを重んぜり。是れ即ち彼れの說に於ける寂靜主義の要素なり。されど彼れは決して禁欲主義を唱へたる者にあらず、唯だ吾人の妄見により種々の煩惱に心を擾だしそれに覊さるゝ狀態を脫却する必要を說けるなり。如何にせば其の如く煩惱を脫して寂靜の境地に到るを得べき。彼れ說いて曰はく、吾人は凡べての事物の起こり來たる永恒の理を發見することによりて諸多の妄執を脫却し得べし、凡そ妄想は事物の起こり來たる原因を明らむるによりて夢の覺むるが如くに覺め果つるものなり。吾人の煩惱を起こすは畢竟事物の當さに然かあるべき筈なるを知らず之れに種々の願望を繫けて自己の心を擾だせばなり。若し其が本體に於ける永恒の相に於いて萬物を觀ば凡べての事と物とは皆神性の必然によりて來たるものなるを悟るに至るべく、それに反抗して種々の妄想を起こす心は自然に消滅し了すべし。
而して斯くの如く煩惱を靜め妄執を去るは唯だ乾燥無味なる理窟を考ふることによりて成さるゝにあらず。情を靜めむには須らく他の情を用ゐるべし。而して萬物永恒の理を看ることに於いて一種深奧なる情の伴ひ來たるあり、何となれば斯く萬物の本體を觀ることは取りも直さず我が本性を全うするものにして其の性を全うすれば吾人はおのづから大喜悅を覺ゆればなり。而して此の喜悅は是れ萬物の本禮即ち神を知ることによりて來たるものなれば此の喜悅の原因として神を觀るに至るは是れ即ち神に對して愛を覺え來たるなり。かくして吾人が一切の事物は神の必然の性より出で來たるを知るは已に乾燥無味なる智識にあらずして一種の言ひ難き喜悅を以て充たされたるもの、而して此の大喜悅の心あるによりて吾人は自然に一切の煩惱を忘れ果てゝ神明に和合するを得るなり。此の心是れ即ちスピノーザが神に對する知性の愛(amor intellectualis Dei)と名づけたるもの也。
神を知るといふは全き觀念を有するの謂ひ也、而して全き觀念は無限智(intellectus infinitus)を成すものとして永恒のものなるを以て吾人も亦其の如き觀念を有することに於いて永恒なることを得。但しこゝに永恒と謂ふは一個人が個人としての存在を時間上無限に繼續するの謂ひに非ず。スピノーザに取りては個人の獨立的存在と云ひ、或は時間上の繼續といふが如きは畢竟吾人の差別見の假造したる者に外ならず。盖し吾人は個人としては有限樣の一なり、大海の一波瀾に外ならず、唯だ全き觀念を得、萬物の本體(神)を知識することに於いて時間を脫したる永恒の存在を得べきのみ。
《スピノーザ哲學の三要素及び其の難點。》〔一九〕以上叙述し求たりたるスピノーザが哲學を顧みれば明らかに三種の異なる要素あるを認むべし。第一は自然論風の思想にしてこはホッブス等に得たる所多かるべく、而して此の要素は主もに彼れが心理及び國家の論に於いて發見せらる。第二はデカルトに淵源せる主知論(intellectualism)の要素にして此等は主として智識論及び形而上論に於いて認むることを得。第三は神祕說にしてこは彼れが元來の宗敎的傾向に基づけるもの、其の神に對する理智の愛を說ける所の如き最も明らかに此の方面を表現せるものなり。但し此の神祕的方面はスピノーザよりも正統にデカルト學派の立脚地に立てりと云はるべきマルブランシに於いても見ることを得れど、スピノーザに於いてはマルブランシよりも一層明らかなるものとして現はれたり。而して此等の相異なる要素は全く融和せられたりとまでは云ふを得ざれども、兎に角それらが一種の結合を成せる所は是れスピノーザが哲學に於いて特殊の面目を成せる所なりと云ふべし。スピノーザの哲學に於いてはデカルト及びホッブスの共に取りたる機械說亦一の主要なる要素として存在す。而して此の機械說の要素は彼れに於いては凡べての物の實在を一本體に歸する萬有神說と相結合せり。
スピノーザの哲學は其の根本的觀念としたる所を大膽に論理的に推究して其の當さに到るべき所に到りたるものと見ゆれど、また其が種々の要素の連結せる所に於いては明らかに論理的關係の看取し得べからざる點あり。彼れの哲學組織は一見恰も刻み上げたる水晶體の如くなれども其の中には尙ほ說明を要する難點と見らるべきものの存在すること啻だ一二に止まらず。第一には先きにも云へる如く、彼れが主知論の要素と自然論の要素との調和成就せず、故に彼れが其の大著『エティカ』の初めの二卷に於いて說ける所と後の部分に在りて專ら心理的說明を事とせる所とには相合せざる點あり。次ぎには彼れが謂ふ所の原因てふ觀念に於いて理由即ち論理上の關係と生因即ち生起上の關係とが混同せられたり。彼れは一面に於いては本體永恒の實相は時間上に在るものならずと云ひながらまた他方に於いては其が働きて萬物を生ずるかの如く說ける所ありて其の關係明らかならず。次ぎにはスピノーザは善惡美醜の價値の差別は凡べて吾人の差別見に屬するものなりと云ひながら尙ほ宗敎及び道德論の上に立つ時に於いては神そのものに關し又は神を觀る上に關して價値の觀念を持ち來たれる所あり。彼れが心理學上及び知識論上、情緖を說く所と彼れが宗敎觀に於いて神に對する知性の愛を說く所との如きは强ひて牽き合はせたるが如き趣なき能はず。終はりにスピノーザの哲學に於ける最も困難なる點として哲學史家の間にも其の說明に異論あるは其の謂ふ本體(substantia)は一なるものにして其を限定する性質の附し難きもの、唯だ圓滿無限の存在者なりといふ外に言狀すべからざるものと說きながらそれに數限りなき性の存在するかの如く說けるは如何といふこと是れなり。彼れが神に廣がり及び念ひといふ性ありと云ふは是れ正さしく彼れに或種類の限定を與ふるにはあらざるか。其等の無數の性及び樣と唯一無限永恒なる本體とは如何に相和すべきものなるか。此の點スピノーザの哲學に於いて最も說明を要する所なり。エルドマンはスピノーザの意を解して以爲へらく、彼れが本體に幾多の性あるが如くにいふは是れ其の所謂差別見に屬するものの謂ひにして本體其のものに斯かる差別ありと云ふにはあらず、換言すれば、性と云ひ樣と云ひ凡べて差別に屬するものは畢竟吾人の心の主觀的の見樣に外ならずといふ意なりと。スピノーザ自ら性の樣たるを定義せる所に曰ふ、性は本體の本質を成すものとして吾人の知力が本體に就いて認むる所のものなりと。エルドマンは此の定義の語中の吾人の知力といふ言葉に重きを置きて解せるなり。されど又スピノーザは件の定義の中に本體の本質を成すものとしてといふ語を挾み置けるを見れば彼れが所謂性を以て唯だ吾人の主觀的の見樣なりと爲すはいかがはし。且つスピノーザが本體の性及び樣といへるものを取りて全く唯だ吾人の主觀的の見樣に屬すべきものと爲すは彼れが哲學全體の趣に合せざるが如し。但しエルドマンが委しく證明したる如く、スピノーザは吾人が事物の差別相を見るをば其の謂ふイマギナシオに歸せり、然れども惟ふに彼れの所謂イマギナシオに事物の差別相を歸すると、其の所謂本體の性を以て本體其の物に存在するものとして唯だ吾人の主觀的の見樣に非ずとするとは必ずしも相和せざるものに非ず。彼れがイマギナシオに屬するものとしたる差別の相は是れ個々物をば全く斷ち離して獨立のものと見る見方なり、本體其の物の永恒の性より必然に來たれるものとして見るに非ず。故にスピノーザに取りては假令本體永恒の相より見るも性及び樣の差別相は全く滅するものに非ず、唯だ其の差別相が個々獨立の者として自存すといふ見方の滅するのみ、本體より必然に來たるものとしては性及び樣の差別相は全く妄見にあらず。彼れが謂ふ無限樣(即ち動、靜)及び無限智の如きは全く差別を呈せざるものに非ずして而かも之れを以て全く吾人の妄見に屬するものとは云ふ可からず、本體圓滿の相を發現したるものとしては此等はまさしく眞實のものなり。一言にして云へば、本體永恒の相よりする見方に於いては一と多とは相離れざるもの、其の關係は差別即平等、平等即差別なりと說かざるを得ざるなり。しかも差別と平等との相即不離の關係を說く所スピノーザの哲學に於いて尙ほ未だ至らざる所あり。是れ彼れが萬有神說に於ける最も困難なる點と云ふべきもの也。
第三十四章 神祕家及び懷疑家
《神祕家及び懷疑家。》〔一〕スピノーザの哲學は當時に於いて已に多少の遵奉者を得たりき。されど全體より云へば彼れが思想は當時未だ能く了解せられず、之れを無神論と視て烈しき攻擊を加へたる學者多かりき。啻だスピノーザの哲學のみならずデカルトの哲學に對してさへ神祕說の見地より攻擊を加ふる者少からざりき。
今こゝに十七世紀に於いてデカルトよりスピノーザに至れる哲學思想の大潮流の傍にありし神祕家及び懷疑家の說に就きて略述する所あるべし。但しデカルト學派の或者に於いても又特にスピノーザに於いても神祕的傾向は明らかに存在せり。こゝに謂ふ神祕家は寧ろ唯だ神祕說をのみ獨立のものとして懷き其を一の哲學的組織に編み込むよりも寧ろ之れを懷疑說に聯結せしむる傾向を有したるものなり。佛人ブレーズ、パスカル(Blaise Pascal 一六二三―一六六二)に於いては件の神祕的傾向は稍〻獨立のものとして認めらる。彼れはポール、ロアヤルの一人にしてデカルト哲學の影響を受けたれども專ら宗敎的神祕說に立脚したり。彼れはまた當時の有名なる數學者の一人にして數學を以て吾人の有する唯一の確實なる知識と見たり。されど彼れは數學によりては吾人は事物の全體を究むること能はず、而かも全體を知らずしては眞實に部分をも解すべからずと考へ、哲學上には寧ろ懷疑的傾向を取り、而して最後の立脚地を宗敎上の信仰に求めたり。以爲へらく、吾人の道德的觀念も、又數學に於いて吾人が理性の立つる所の原理も、又神を信ずる心も、畢竟ずるに吾人が心情の感ずる所に基づくものにして吾人の思考を以て證し得べきものに非ず、眞正に吾人を導くものは感情なり、信仰なりと。
《ジョセフ、グランヸルの懷疑說。》〔二〕英國人ジョセフ、グランヸル(Joseph Glanville 一六三六―一六八〇)亦哲學上懷疑說に傾き宗敎上の信仰に安居をもとめ、デカルト學派の唯理說を攻擊したり。彼れは又ホッブスが因果の關係を知ることを學術硏究の目的となせるに對して、因果の關係は吾人の經驗の能く認むる所にあらず、吾人の經驗する所は唯だ一事が他の一事の後に來たることを見るに止まり、一事が他の一事の故を以て來たりたりと云ふことは吾人が思想の附加する所に外ならず、即ち從來一事が常に他の一事と相前後して來たりたるを見て其の間に因果の關係あらむと察するのみ、必ず其の間に然る關係ありとは確知する能はずと論じたり。此の因果律の論評に於いてグランヸルはヒュームの先驅たりしなり。
《ピエール、ポアレ。》〔三〕ピエール、ポアレ(Pierre Poiret 一六四六―一七一九)亦佛蘭西人にして初めはデカルトの哲學に服せしが後に懷疑說を取りて彼れを離れ殊にスピノーザに對しては嫌惡の情を懷けり。彼れの說く所に從へば、吾人の知力に自動的のものと所動的のものとあり。自動的のものによりて吾人は數學等に於ける觀念を思ひ浮かぶ、されど此等の觀念は事物の實相を示すものに非ずして唯だ其の影を捉らふるが如きものに過ぎず、且つ數學の精神を究め行かば竟に凡べてを機械的必然の作用と見て吾人の自由を否むに立ち至らざる可からず。之れよりも却りて高尙なるは所動的の智なり、こは自ら觀念を作らずして他より受くるもの即ち五官に現はるゝ世界を見、且つ神の啓示によりて眞知を得るもの、これなり。吾人の知れる凡べての事物の中、最も確實なるは神なり、彼れは吾人自己の存在よりも更に確實なるものなり。吾人は神に接し神の啓示によりて始めて眞知識に達するを得べしと。
《ダニエル、ユエー。》〔四〕ダニエル、ユエー(Daniel Huet 一六三〇―一七二一)は懷疑說を取りてデカルト及びスピノーザに對し大に反對の意見を主張せり。彼れは吾人の理性の信憑するに足らざることを言ひ、偏へに天啓に依賴するの必要を說き吾人の推理したることも其の信ずべきか否かの判別は遂に其の標準を天啓に求めざる可からずと考へたり。而して斯く彼れは懷疑說の立脚地より吾人の理性の不能なることを說くと共におのづから感覺論の見地に近づけり。以爲へらく、吾人の感官によりて得たることの外は吾人の知解に存するもの無しと。
《當代最大の懷疑論者ピエール、ベール。》〔五〕當代の懷疑論者として最も大なるをピエール、ベール(Pierre Bayle 一六四七―一七〇六)とす。彼れ初めはデカルトの學說に其の心を傾けたりしが後には專ら懷疑說の見地を取りて諸種の學說を評論することに力めたり。其の評論の一結果として見るべきは彼れの有名なる著作『ディクショネール、イストリック、エ、クリティック』("Dictionaire Historique et Critique")なり。されど彼れは組織的に懷疑說を唱道するよりも寧ろ其の應接せる幾多の學說に就きて其の中に存する矛盾の點を發見することを好めりしを以て彼れ自らの說く所に於いても相合はざる所あるを見る。盖し知識を求むる熱心と、在來の學說に自家撞着の點を發見して之れを破壞するを好む心と及び宗敎上の信仰を重んじ道德心の指示を信ずる堅き心とは彼れに於いて奇妙なる結合を爲せるなり。
ベールは在來の學說を批評し去りて吾人の理性が確實不動の眞理を發見し得ることを疑ひ、進みてデカルトが其の哲學の出立點としたる自識の確實なることをも疑ひて曰はく、我れ自らに就きて吾人の知る所よりも外界に就きて知る所の方却りて確かなりとも云はるべし、何となれば吾人自らは一轉瞬每に變遷し行くものにして到底我れ自らの如何なる者なるかを確知すること能はざる可ければ也。吾人の理性は寧ろ矛盾の點を發見し破壞を事とするものにして確實なる知識を建設する力あるものに非ずと。斯くの如くベールは在來の諸學說の信憑するに足らざることを說きしと共に宗敎上敎會の唱ふる信仰に關しても其が道理に合せざることを論じて忌憚する所なかりき。以爲へらく、宗敎上の信仰は必ずしも道理に合ふものに非ず、されど其の然るに拘らず、否寧ろ却つて其れが道理に合はざるの故を以て信ずべきなりと。彼れはまた世に存する善惡の問題を取り來たりて、道理上より考ふれば善なる一神が世界を造れりと云はむよりも寧ろマニカイ宗の主張したるが如く善惡の二元を說くかた考へ易しと論じたり。
かくの如くベールは哲學上の學說及び宗敎上の信仰を批評して其の中に存する矛盾の點を發見するを好みたりしが唯だ彼れの取りて確實なるものと爲したるは吾人のなべて有する道德心の指示なり。以爲へらく、品德は宗敎上信仰の如何に懸かるよりも寧ろ各人の生具し居る性質に因る所多し。吾人は宗敎上若しくは理論上に如何ばかり相異なる思想を有すとも世間に行はるゝ道德的襃貶に關しては皆おのづから相一致する所あり、故に國家は能く無神論者を以ても組織することを得べし、啻だ然るのみならず世間の道德を實行せむには却りて宗敎に於いて稱揚する所に反せざる可からざる如きことあり。此くの如く行爲の實際に於いては明確なる道德的判別ありて如何なる宗敎上の天啓も之れと撞著すべきに非ず、天啓の是非正否は寧ろ其が斯かる實際の道德に合するか否かを標準として定むべきものなりと。
之れを要するに、ベールは究理上吾人の確實なる知識に到達し得ることを疑ひて多くの懷疑論者の爲せるが如く宗敎上の信仰に其の隱家を求めむとし、而してまた憚る所なく宗敎上の信仰其のものに存する自家撞著の點を暴露して其の非理なるにも拘らず吾人の宜しく信ずべきものなりと爲したりしが、而かも畢竟彼れが安住の地と爲したる所は吾人の道德心の指示に從ふことに在りしなり。
第三十五章 ライブニッツ
《ライブニッツの哲學の學相。》〔一〕以上予輩はデカルトに始まりたる近世哲學究理派の潮流を叙してスピノーザに至り、而して此の大潮流に傍ひて其の影響を蒙りながらまた之れに反抗して神祕的及び懷疑的立脚地を取れる人々の思想をも略叙したり、而して此等の思想家中には吾人の感官によりて獲得する實驗を重んずるに傾ける者あることをも述べたり。由來究理に對する懷疑說は實驗的思想(殊に道德上及び宗敎上に於ける)に重きを置く傾向を有せるものなり。デカルトに起こりし究理學派の潮流と相對して近世哲學變遷上の二大勢力を成せるものと云ふべきは經驗學派の潮流なるが、此の潮流の淵源は專ら英吉利に發したりき。盖し近世學術の源頭に立ちて先づ最も明らかに自然科學に於ける實驗的硏究の必要を唱へ出でたるはベーコンなれども正當に經驗哲學の祖と云はるべきは寧ろスピノーザと同年に生まれたるロックなり。而してロックの哲學がスピノーザの哲學に對して大に相異なる趣を帶びたるが如くまた他の方面よりしてスピノーザの哲學と大に相異なる趣を帶びたる一大組織あり。是れ即ち少しくスピノーザ及びロックに後れて出でたる、しかも其が所說の要旨はロックのとは全く異別に、獨立に成し上げられたるライブニッツの哲學なり。ライブニッツの哲學はスピノーザの哲學とは大に其の趣を異にすれども、また等しく一種の形而上學的組織にして此の點より見れば彼れを以て究理學派の流れに屬する者の一人と見做し而して之れを經驗學派の潮流に屬する者と區別することを得。盖しロックが知識論を以て其が哲學の出立點となし又其の主要の部分となしたると、ライブニッツが大膽なる形而上學的組織を建てたるとは大に其の學相を異にせるや明らかなり。此の點に於いてライブニッツの哲學はデカルト及びスピノーザの大組織に並ぶべきもの、而してホッブスの唯物論的組織も亦其の列に加へらるべきもの也。吾人はロックに始まれる實驗哲學の發達を叙するに先きだちて先づライブニッツの哲學及び其の流派を叙述せむ。
《ライブニッツの生涯及び著述。》〔二〕ゴッドフリード、ヸルヘルム、ライブニッツ(Gottfried Wilhelm Leibnitz)は一千六百四十六年六月二十一日獨逸國ライプツィヒ府に生まる。父は其處の大學に在りて道義學の敎授たりき。彼れ幼より父の書齋に在りて讀書を事とし文學、歷史を初めとして後には廣く中世紀哲學者等の著作にも涉獵しき。其の後彼れは其の生地の大學に入りて更に哲學を初めとして其の他の諸種の學科に心を傾けり。其の頃彼れはライプツィヒに近き森林に散策を試みし時在來のスコラ哲學を守らむか、はた當時の新流の學說に就かむかとの問題を想ひ浮かべて深く思ひを凝らしゝことありと言へり。彼れは更に見聞を廣くし特に自然科學上の知識を廣く得むが爲めに益〻諸種の書籍を涉獵し、ベーコン、ホッブス等を初めとしてケプレル、ガリレオ、カッセンディ等を讀めるのみならず、尙ほ中世紀の哲學に對しても注意することを廢せざりき。彼れは後にアルトドルフに行き其處にて法律學科を以てドクトルの學位を得、次ぎてマインツに行きて其處の宮廷に事ふることとなれり。彼れがマインツ公に事ふるや法典及び法律學上の改良を成さむとの企國を懷き且つ益〻自然科學を硏究すると共に當時に行はれたる新流の學說に其の好尙を傾くることとなり、一時はスピノーザの徒の說く所に心を寄せたりといふ。後彼れは一千六百七十二年公務を帶びて佛國巴里府に赴きて其處に滯在し時の佛王路易第十四世の獨逸征服の念を防止せむが爲めに王の心を埃及征伐に向けむと試みたることあり。斯かる政事上の職務に鞅掌せる間にも彼れは常に心を學術の攷究に傾け殊に巴里に在りては數學を修めまた此の頃より深くデカルトを硏究したり。彼れは早くより廣く當時の學者と交はり書簡を以て其の意見を交換し巴里に在りてはホイヘンズ(和蘭物理學者 Huyghens 一六二九―一六九五)及びアルノール等と親しく交はり又是れより先きホッブスに書を贈れることあり。彼れが巴里府に在りてツィルンハウゼンと相知るや、ツィルンハウゼンはスピノ一ザに勸むるに其の著『エティカ』をライブニッツに示さむことを以てしたりしが、スピノーザは尙ほ早しとて肯ぜざりき。後にライブニッツ旅行して和蘭を過ぎれる時スピノーザを訪うて懇談せることあり、遂に請うて『エティカ』を示さるゝを得たり。ライブニッツがスピノーザに對する關係の決して疎ならざりしは彼れが多くの書翰をスピノーザに送れるを以ても明らかなり。巴里府に滯在したりし時のことなり、一千六百七十六年に彼れは有名なるフルクシオンの發明を爲したり、是れはニュートンの創剏したる微分法と其の趣を同じうせるものにて互に獨立に發見せるものとして後世に傅へらる。千六百七十七年以後ライブニッツはハンノーフェルの宮廷に仕へて宮中顧問となり、又其の圖書舘を監督せりしが、ハンノーフェル公の女、ブランデンブルグ公即ち後の最初の普漏士王に嫁ぎてより、彼れは屢〻ベルリンに行けり。ハンノーフェル家の歷史の編纂を委囑せられ文藝穿鑿のため維納及び以太利に行き其處の宮廷に親密となる便を得、又歸りて後一千六百九十一年にはヺルフェンビュッテル公の圓書舘の監督を委託せられたり。ハンノーフェル公エルンスト、アウグストの歿後はライブニッツが普漏士の宮廷に對する關係ます〳〵親密となり、一千七百年べルリンに新設せられたるアカデミーの建立に與りて力あり且つ其の最初の長となれり。普漏士王妃の歿後はべルリンの關係頓に疎くなりゆき、それに代へて維納の宮廷と親密になり、又ハンノーフェル公ゲオルグ、ルドヰヒ去つて英國王となるやハンノーフェルとの關係も甚だしく冷却せり。
彼れは諸種の學術に關する硏究の外、政治上及び其の他實際上の事業に與り曾て宗敎上の事をも畫策せり。例せば羅馬加特力敎會とプロテスタント敎會との和合を圖らむが爲めに其の意見をポシュエーに示しゝことあるが如き、またプロテスタント敎會內に於いてもル一テル派とレフォルミールト派との一致を計らむと欲したるが如き、是れなり。彼れは少より多讀の人にして其の自家の新見識を開き來たれるも多くは讀書の媒介によれりしが如し。博覽にして兼ねて獨創の才に富めりし者をいふや、人多くは古代に於いてはアリストテレースを稱し近世にはライブニッツを擧ぐ。上に云へる如くライブニッツは數學に於いても發明する所あり、また法律學及び言語學の上にも其の心を用ゐ其が硏究の痕跡を遺せり、其の他一切の自然科學一として彼れの涉獵せざるもの無かりき。
ライブニッツは閑散に其の晚年を送りぬ。彼れは自ら云へる如く多くの業務に鞅掌せしが爲めに娶るには餘りに遲きに至るまで家を成す期を得ず遂に獨身にして其の生涯を終へたり。彼れの晚年には其の曾て恩寵を受けし宮廷の覺え目出度からざるに至れりとおぼしく、また彼れが寺院に詣づることを力めざりしより宗敎家等は彼れが信仰の正しきかを疑ひ、其の名を俗語にもぢりてレーヹニックス(Lövenix 不信仰者の義)と稱せり。一千七百十六年彼れの歿せる時には其の柩を送れるもの甚だ少なく官人の招かれたる者とては一人も會葬せざりきといふ。
ライブニッツには其の學說全體を纏めたる著作なし、唯だ種々の塲合に應じて其が學說の種々の部分を發表せる著書又は論文等の遺存するあるのみ。また彼れは廣く當時の學者と交はり書信により其の意見を交換せるを以て其の哲學を見むには此等の書翰は甚だ肝要なる者なり。彼れが時々公にしたりし論文の數多き中に就き、其の哲學の大體の組織の現はれたるものの最も早きは、一千六百八十五年に出版せし『純理哲學小論』("Petit Discours de Métaphysique")及び一千六百九十五年に『ヂュルナル、デ、サヷン』("Journal de Savan")に揭げし『自然界と本體相互の關係とに關する新說』("Système Nouveau de la Nature et de la Communication des Substances")なり。其の外彼れの著述の哲學上主要なるはロックが有名なる著書に對して作りたる、而して其の成るに先きだちてロックの逝きしが爲め遂に世に公にせざりし"Nouveaux Essais sur l'Entendement Humain"(是れ其の著述の最も大なるもの)、及び普漏士王妃の求めに應じて作り一千七百十年に至りて世に公にせし "Théodicée" 其の他彼れが一千七百十三年より同十四年にかけて維納府に在りし時オイゲン公の爲めにものせる其の哲學原理の摘要とも見るべき書にして後に『モナド論』("Monadologie")の名を以て世に知られたるもの及び彼れの死後二年を經て世に公にせられし "Principes de la Nature et de la Grâce" 等なり。
《ライブニッツ哲學の主要なる動機、其の活動說、多元說。》〔三〕ライブニッツが哲學に於ける主要なる動機の一はスピノーザが萬有神說に現はれたる結論を避けむとするに在り。彼れはスピノーザの哲學を以てデカルト哲學の論理的結論なりとし、また其の結論が萬有神說となり了したるは其の吾人の承認す可からざる見地なることを正に表白したるものなりと見、而して其の如き結論を免れむにはデカルト哲學の根本思想に於いて改むべき所ありと考へたり。故にライブニッツは常にデカルトの哲學は眞正なる哲學の玄關たるに過ぎずと云へりき。次ぎに彼れが哲學の他の動機と見るべきは、デカルト、ホッブス及びスピノーザ等が皆一致して取り求たりし所のもの即ち自然界をば機械的に說明することに對して目的觀をも之れと共に攝取せむとするに在りき、詳しく云へば、ライブニッツは自然界を飽くまでも機械的に說明せむとする當時の自然科學の精神に對しては本より異論を揷む所ありしに非ず、唯だ彼れはかゝる機械說を容しながら尙ほ其の根本に於いて之れと目的觀とを調和せむと力めたるなり。件の二動機を以て觀ればライブニッツが哲學に於ける根本思想の由來は略〻了解せらるべし。而して彼れの哲學は固より大體より見て究理派の流れに屬するもの、換言すれば、彼れは吾人の究理心を以て攷究する所是れ取りも直さず實在の相なりといふ見地に立ちしなり。然れどもデカルトよりスピノーザに至りて竟に萬有神說となれる思想に反抗したると又自然の現象を唯だ機械的にのみ說明せむとする科學的傾向に反抗したるとの故を以て彼れの哲學は究理學派の中に在りておのづから一大特色を帶びたる組織となれり。
其の論理的歸結の萬有神說となる困難を免れむにはデカルトの思想に就いて何れの點を變更すべきか。ライブニッツ以爲へらく、先づ實體(又は本體)てふ觀念を變更せざる可からず、本體を以て不變動にして一なるものと見る是れ即ち萬有神說に陷る所以なり、本體は靜寂なるものに非ずして寧ろ活動する力と見るべきもの也。何物か實在する。曰はく、物は活動することによりて存す、自ら活動すること無くして物の存在すと云ふことなし、働かざるもの即ち存在せざるものなり(quod non agit, non existit)、而して其等の活動する力は數多あるものにして其の各〻が即ち實在の單元と謂はるべきもの也と。即ちライブニッツはスピノーザの萬有神說に對して活動說及び多元說を取れる者なり。
然れども彼れは決してデカルトの云へる本體てふ觀念を捨てたるに非ず、唯だ其を活動する力と見たる點に於いて該觀念を改めたるのみ。謂ふところ力は自然に生じ又自然に滅するものに非ず、唯だ不可思議なる妙力を以て創造せられ或は消滅せしめられ得るのみ。又そは各〻一にして分割す可からざるもの、又相互の影響を受けずして獨立自存するもの、即ち他によりて變化せられざるもの也。此等の點に於いてライブニッツの所謂實在の單元はアトム論者の所謂アトムに似たり。されど彼れの謂ふ所のものはアトムの如く廣袤を有せず、アトムは廣袤を有するが故に思想上尙ほ分かたれ得べきものにして眞に單一なるものと謂ふべからず、ライブニッツの謂ふ所は眞に單一なるもの即ち思想上に於いても分かつ可からざる形而上的の點と名づく可きものなり。されど其等多くの單元の各〻はスピノーザの所謂本體の如く凡べての存在を含む、而してこゝに各單元が凡べての存在を含むと云ふは凡べての存在が想念上にて各單元に縮寫せらるゝを謂ふ。之れを譬ふれば猶ほ一圓形の周圍より引ける凡べての線が其の中心に集まり其等の線を以て成す所の凡べての角度が其の一中心點に保たるゝが如く各單元は皆凡べての存在を包含する小宇宙と見らるべきもの也。此等の單元をモナド(monad)と名づく。
以上述べたる所によりて知らるゝ如く、ライブニッツはデカルト派の學說を批評し又アトム論をも批評して遂に其の所謂モナド論に到達したるなり。彼れ自らアトム論の唯物說とプラトーン哲學の理想說とを其のモナド論に於いて調和し得たりと考へたり。ライブニッツは廣く諸種の書籍を涉獵して種々の思想に啓發せられたる結果として遂に自家の學說を建つるに至れるにて其の學說を通貫したる一大特色は調和といふ觀念にあり。彼れは幾多の特殊なる思想を調和して一大組織を成し上げむと力めたり。
《モナドの本性。》〔四〕ライブニッツは實在の本體を多元的に見て其の各〻を活動する力なりと見たり。而して彼れは機械說と目的說とを其の根本に於いて調和せむと力めたる所より其の所謂モナドの活動を以て發達進步と見たり。此の點に於いては彼れの說く所發達てふ觀念を根據としたるアリストテレースの哲學思想に似通ひたる所あり。而して各モナドの發達する狀態は自己以外のものによりて起こさるゝに非ずして自發自展するもの即ち其の可能性として本來具有せるものが漸次に開發し來たるなり。此の點に於いてライブニッツのモナド論はまたスピノーザの所謂本體てふ觀念と相接近する所ありと云ふも可なり、何となればスピノーザの所謂本體もライブニッツの所謂各モナドも其のものに於ける凡べての事相は其の自性に從うて出で來たるものなれば也。斯くの如く各モナドの狀態は其の生具せる所のものがおのづから開發するなれば其の旣に開發したるものは其の現在の狀態に含まれ、また其の將に開發せむとする狀態も其の現狀態に於いて豫想せらる。故に明知を以て見る時は各モナドの現狀態に於いて其のモナドの過去と未來とを讀むことを得。尙ほ語を換へて云はば、各モナドの現狀態が其の凡べての發達の段階を表現するなり。之れを譬ふれば猶ほ樫の實が其の當さに成るべき樫の樹を表現するが如し。
かくの如く各モナドの現狀態に於いて其の凡べての過去と未來との讀まるゝのみならず、其はまた他の凡べてのモナドの狀態を表現す、故に各モナドは宇宙の活きたる鏡(miroir vivant de l'univers)とも云ふべし。されど其の宇宙を
《モナド論つづき、連續律、類推律等。》〔五〕此くの如く各モナドは漸次に其の生具の狀態を開發し行くものにして而してこゝにライブニッツの哲學全體を通貫する一大法則即ち連續律(lex continui)を認む。何をか連續律といふ。モナドの自發する狀態は本來全く無きものの出で來たるに非ずして已に可能性として其の具有するものの次第に開展し來たるなり、而して其の開展は決して間隙を成して飛躍するものに非ず、是れ連續律に從へるなり。ライブニッツが連續律を發見したる由來は彼れの物理的硏究に求むべし。彼れ以爲へらく、若し一物の溫度が進みて或點より或點に至り又は一物の運動が或速度より或速度に增進する事ある時には其の增進は必す其の始まりたる程度と其の到達する程度との間に於ける凡べての程度を通過せざる可からず、例へば一〇の速度或は溫度より一〇〇の速度或は溫度に進む時には其の間の凡べての段階を通過すること無くして彼れより是れへ飛び昇ること能はず、如何ばかり迅速に彼れより是れに移るも必ず其の間に存する凡べての程度を經過し行かざる可からず。自然の現象は凡べて此の連續律に從ふ者にして決して飛躍を爲すこと無し。又全く運動の無き處に突然運動の生起し來たるものに非ず、運動の生ぜむには必ず先づ小なる運動ありて其れが或速力を以て增進し來たるに因らざる可からず、故に靜は動の小なるものと謂ふべきなり。一切の反對は皆相對的のもの、換言すれば、皆程度上の差別にして絕對の差別にあらず。固體は流動體が其の流動の狀態を少なくしたる者、流動體は固體が其の固形の狀態を少なくしたるものに外ならず。生は伸ぶるなり、死は縮むなり。反對と見らるゝ者も畢竟程度の差別に歸するなりと。斯く連續律に從うて一切のものが連綿たる程度の差等を成し一切のモナドが皆飛躍を爲すこと無くして其の狀態を開發し行く所に某の變化推移する所以を發見するを得。物の一狀態に在るは其れが更に次ぎの狀態に進み行く所以なり。而して一物が一狀態に在るや皆其の當さに然るべき十分の理由ありて然るなり、其れが其の狀態に在りて他の狀態に在らざるは其の然る所以なかる可からず。凡そ存在するものは皆それぞれに殊相を具ふ、一物として全く他の物と同じきはなし。若し二物全く同じくば其れが何故に二物として存在するかの十分の理由を認むること能はず。一が此處に在り他が彼處に在りと云ふことに於いて已に其の差別を見る、若し其れが全く相同じくば何故に其の一が此處に在りて彼處に在らず、他が彼處に在りて此處に在らざるかの理由を認むる能はず。宇宙には一物として相同じきもの無しといふ、是れ即ちライブニッツの所謂 principium identitatis indiscernibilium(無同一の原理)なり、然れども其等一切の差別は畢竟皆程度の差別なり、種類に於ける絕對の差別に非ず。故に一物は凡べて他物と異なりながら又必ず相似たり。其の異なるは唯だ程度の上に於いてのみ、其の事相に於いては皆相類似す、何となれば各モナドは凡べて同一の宇宙を縮寫するものなれば也。故に吾人は類推して一物の狀態より他の狀態を知ることを得と云ふ、是れ即ちライブニッツの所謂類推律なり。
《モナド論つづき、モナドの想念作用。》〔六〕上に各モナドは全體を表現すと云へり、而して謂ふところ表現はライブニッツに取りては想念すといふと同一義となる。篕し一モナドが全宇宙を表現するは多なるものが一に於いて表はさるゝ、或は外なるものが內に含まるゝの謂ひにして是れ即ち想念の作用に外ならざれば也。恰も吾人が事物を想念すといふは我が心の中に多なるものを表現するの謂ひなる如く各モナドが全宇宙を表現する活動は想念の活動なり。斯くの如く見るには彼れの所謂類推律が大に彼れを助くる所ありしなり。盖しモナドの活動の、內なる狀態は何によりて知り得べきかと云ふに先づ吾人の心の實驗する所より推して知るべき也。吾人の心に實驗する所を出立點として類推すべく、而して其の心は全宇宙を想念することに於いて小宇宙と見らるべきものなれば、亦之れに準じて一切のモナドを考ふべし。(かゝる思想の順序はデカルトが自識を以て出立點としたると相比することを得。)而してモナドの活動即ち想念は其の明らかなるの程度に於いて無數の差等あり。其の所謂發達は活動の進むなり、而して活動の進むは不明瞭なる觀念を想ひ浮かぶる狀態より明瞭なる觀念を想ひ浮かぶる狀態に至るの謂ひなり。(こゝにはライブニッツはデカルト及びスピノーザの思想を用ゐたり。)而して斯くある所以は各モナドの活動に制限あり、其れの沮碍せらるゝところあればなり。即ちライブニッツは各モナドには活動の方面と其の沮碍さるゝ方面とありと見、而して彼れはアリストテレース及びスコラ學者の用語を用ゐて活動の方面をエンテレキア(entelechia 相)、沮碍の方面をマテリア、プリーマ(materia prima 素)と名つけたり。謂はゆるモナドの發達は素即ち沮碍の方面〻の少なくなりて相即ち活動の方面の進み行くの謂ひなり。されどモナドには一として純粹に活動的方面のみのもの(purus actus)無し。純なる活動にして聊かの制限なく些の沮碍なきものは唯だ神あるのみ。故にライブニッツは神を以て一切のモナドの頂上に位するものとし、或は之れを最高のモナドとも名づけたり。活動の制限されたるは即ち不明瞭なる混雜せる觀念を浮かべ居れる狀態なり、神に於いては一として不明瞭なる混雜せる觀念なし。以上ライブニッツの所說に於いて如何にアリストテレース風の思想及びデカルト、スピノーザ風の思想の相混和されたるかを見よ。
《モナドの存在と神、謂はゆる理由則。》〔七〕各モナドが同一の宇宙を縮寫するは猶ほ幾多の人が各〻自己の立ち塲より同一景色を見るが如し。モナドは皆各自に特殊なる立ち塲より萬有を映ずるなれば一と他との間に差別はあれど、畢竟ずるに連續律に從ふ程度の差別にして此等皆相契合して同一宇宙を縮寫するなり。斯くの如く各モナドは其の表現に明不明の差等はありながら又全く相異なるものに非ざることは先きに說きし類推律を以ても知るを得。盖し全く相同じきモナドは無けれども、また全く相異なるモナドも無し、之れを要するにモナドは皆其の類を同じうするもの也。其の類を同じうすとは明不明の程度の差別を具へながら同一宇宙を表現するの謂ひなり。而して斯くの如く各モナドが獨立に生具する所を自發するや其の趣の相契合することの(換言すれば、類推律に從うて彼れより是れを推知するを得ることの)窮極的根據は神なり、即ち神はモナドの存在と其の調和との原因なり。されどモナドは思想上に於いては本來永恒の眞理として無始より神に存在せるもの、言ひ換ふれば、現在するモナドは其の存在を與へらるゝに先きだちて已に神の心に於いて存在せるもの、而して神の心に於ける其が存在は神の意志を以て自由に造り出だせるものに非ずして、本來神性(神智)に具はれるもの也。而して其が神の心に於ける思想上の存在以外の存在を與へらるゝには其の爾かせらるべき理由なかる可らず、換言すれば、其れが存在するに至る十分の理由なくして存在すべきものに非ず。然らば其の理由は何處に在るか。曰はく、其の存在するに宜しき所あること是れなり、別言すれば、物は其れが完全の相を具するの度に從うて實在するなり、全きことの大なる程其の實在する理由は大なるなり。而して神の心に於いて思想上已に存在する數多きモナドの中に就き其の實在し得ることの最も多大なるものが先づ實在を與へらる、之れを譬ふれば、猶ほ若干の運動が各〻相異なる方面に向かひて起こる時に其等の相合したる結果は種々の運動の最も多くが實現せらるゝ方角に向かひて進むが如く、最も實在の多き(換言すれば完全なることの最も大なる)モナドの團體が實在を與へらるゝ也。思想上には等しく存在し得るものも其れが實在を與へらるゝ上に於いては皆同等ならず、彼れ是れ矛盾するものは共在するを得ず、其の中の何れかが選擇せられざる可からず、而して其の選擇せらるゝや全きことの大なるもの先づ實在を與へらる。一言に云へば、神の心に浮かべらるゝモナド全體の中より、相調和して最も完全なる實在を與へられ得るもののみ選擇せられて茲に大調和を實現したる宇宙は形づくられたる也。
斯くの如くライブニッツの思想にはスコラ哲學に、更に溯れば已にプラトーンに見ることを得る實在論の彩色ありて、實在と完全とが同一視せられたりと思はるゝ所あり、而してこゝに彼れが哲學の一大動機なる目的觀の和合し來たれるを見る。彼れが諸物の存在には其の存在する十分の理由なかる可からずと云へるは彼れに取りては其が存在するに宜しき目的ありと云ふと同じ。即ち彼れに取りては原因と目的とは究竟するところ同一義となる、而して彼れの哲學に於いて用ゐらるゝ主要なる原因は件の因果律又は理由則なり、而して彼れは此の理由則を言ひ表はして何物も其の存在する十分の理由を有せずに存在すること無し(principium rationis sufficientis)と云へると共に又之れを言表して優れるものの存在する原理(principium melioris)とせり、謂ふこゝろは凡そ物は其の優れる度に從うて存在を與へらると云ふにあり。
先きにライブニッツの揭げたる法則の一として世に全く相同じきもの無しと云ふことを說きたりしが、是れは畢竟上述せる理由則に基づく。若し二物全く相同じくば其れが何故に二物として存在するかの理由なく、又已に二物として相分かれて其の存在を異にし居る以上は其が二つとなりて分かるゝ理由なかる可からず、換言すれば、其が相異なる二物として在るは其の爾かあることに各〻が其の特殊の理由を有すべきなれば、其は決して全く同一なるものに非ず。
《時間空間の主觀的說明及び機械觀と目的觀との調和。》〔八〕萬物は皆モナドを以て成る、而してモナドは廣袤を有するものにあらずして心靈的のものなり。物體と名づくるものも畢竟本體たるモナドの結合體に外ならず。然らば廣袤、言ひ換ふれば、空間は何故にあるか。曰はく、空間は吾人の觀る上に存して實在するものに非ず、即ち吾人の心の見樣に屬する主觀的のもの(entia mentalia)なり。譬へば吾人が銀河を視るや其を成す一々の星を認めずして之れを一面に廣がれるものとするは銀河其のものの然るにあらで吾人が視力の足らざるに因るが如く、吾人が感官的知覺の明らかならざるが故にモナドの結合體が漠然相合して一面に廣がれる如く見ゆるなり。故にモナドの結合體が廣がれるものとして感ぜらるゝ、即ち物體として見ゆるは現象(吾人の主觀に現はれたる樣)なり。空間が吾人の主觀に現はれたる現象なるが如く、空間に於いて起こる運動も亦然り、時間もまた均しく吾人の心の見樣に屬するものなり。
しかも斯く物體が廣がりて見え又空間に運動するものとして見ゆるは全く吾人の感官が吾人を欺くにはあらず、そは其れに相當する實在の相(即ちモナドの團結と各モナドの開發と)が在ればなり。デカルトは先きに物理上より見て宇宙に於ける運動の和(即ち全量)は常に同一にして增減すること無しと云へりしが、ライブニッツは以爲へらく、常に同一なるは運動ならで寧ろ運動として現はるゝ勢力なり、卽ち物理上勢力の全量が增減することなく保存せらるゝ也。(此の點是れ近世の物理學に謂ふ勢力保存論の旣に彼れによりて言ひ表はされたる者と見て可也。)物體に於ける一切の狀態は其を動かす勢力によりて生ずるものなるが故に物理上より見れば物體の諸現象は運動力を以て說明せざる可からず、換言すれば、在らゆる物理的現象は全く機械的に說明すべきもの也。されど自然界の諸物が都べて機械的關係を以て活動する所以の窮極的原因は何ぞやと尋ぬるに其の爾かするに宜しき目的を具へたること是れなり、即ち機械的に活動する物界全體の根據は其れの成就すべき目的に在りと云はざる可からず。(是れ上に謂へる principium melioris に從へるものなり。)斯くの如く說きてライブニッツは近世の自然科學の大精神なる機械的說明と目的觀とを其の根據に於いて調和せむと試みたり。
《モナドの團體と生物。》〔九〕若干のモナドが相集合して一團結を成せる中に就き其の一モナドの想念する所他のモナドのしかする所に比して大に明瞭なるときには其の一モナドと該團體に於ける他のモナドとの間には恰も各モナドに於ける二方面と相比すべき關係を成す。盖し想念することの最も明瞭なるモナドはエンテレキア(entelechia)即ち靈魂にして他のモナドは相寄りて其の靈魂を宿す身體(materia secunda)を成すこと恰も各モナドに於ける相と素との關係の如し。かゝるモナドの一團體これ生物と名づくる者にして其が靈魂と身體との關係は豫め一致せしめ置かれたる二個の時計の相合ふが如くに相應ずるものなれども其の間相互に影響すること無し。斯く生物は本體なる各モナドに於ける二方面に類似せる二面を具ふるものなれば無機物よりも更に高等なる意味に於いて一體たるものなり、盖し無機物は偶然に一體を成したるもの(unum per accidens)にして有機體は其れ自身に一體を成せるもの(unum per se)に近よれる所あり、此の故にライブニッツは或は生物を名づけて本體(substantia)と云へる所もあり。凡そ靈魂は其を宿す身體を以て伴はれざる無し、而して其の身體を成す物質(究竟すればモナド)は常に新陳代謝し、靈魂の想念する所亦之れに伴ひて變動し行く。一生物の生まるゝは連續律に從ひたるものにして全く其が靈魂及び身體の無き所より生出せるに非ず、靈魂及び其を宿す身體は生前より業に已に存在し、而して生物の生まるゝは唯だ其が身體を成すモナドの團體の急速に生長するに外ならず。死も亦全く靈魂及び身體の消え失するの謂ひに非ずして其の身體を成せるモナドの急に減少して吾人の肉眼を以て認め得ざるに至るを謂ふなり。而して其の減少或は增加は生物の吾人の眼前に生活し居る間にも常に行はれ居るものにして、生と云ひ死といひ、畢竟ずるに增加または減少(新陳代謝)のただ大なる程度に於いて行はるゝの謂ひに外ならず。
斯く一モナドの想念する所が他のモナドに比して特に明瞭なる時に他モナドの狀態は其の一モナドの明瞭なる想念に於いて最も鮮明に表現せらる、換言すれば、他の狀態をば其の一モナドに於いて最も善く讀むことを得、他の狀態のしかある所以が最もよく其れに於いて了解せらる。而して他の狀態のしかる所以を示すは是れ能動の地に在るものにして其のしかる所以を示さるゝは是れ所動の地に在るなり。所謂能動所動は直接に彼れが此れに影響を與ふるの謂ひに非ず、他に於ける狀態のしかる理由を開示するが故に之れを能動と云ふなり。さればライブニッツに取りてもデカルト及びスピノーザに於けるが如く、能動の地に在るは想念の明暸なる判然たるものにして所動の地に在るは想念の不明瞭なる漠然たるものなり。此の故に一團體に於ける他のモナドに比して想念することの特に明瞭なるもの即ち靈魂は其の團體に於ける主宰と名づくべきもの也。
ライブニッツは啻だ吾人の靈魂及び身體のみならず一切の生物は其の生まれ出づる前より已に存在し、其の死後にも尙ほ存在するものなることを證明するものとして、當時恰も生物學上唱へ出だされたる微小なる種子的動物の說を取りて曰はく、凡そ生物は本來かゝる種子(身體と靈魂とを倂せ具ふるもの)として存在するもの、其の生死は畢竟該種子の伸長し縮小するに外ならず。盖し生物も連續律に從うて大なるものより極めて小なるものに至るまで數限りなき段階を成す。一麈の微と雖も亦多くの生物によりて住せらるゝなりと。
《靈魂作用に於ける明不明の差等。》〔一〇〕靈魂も亦連續律に從ひ其が念ひ浮かぶる想念の明不明に於いて多くの差等を成す。之れを大別すれば最下等は恰も吾人の昏倒して無意識となれるが如き狀態に在るもの、此等の睡れる靈魂は生物の最下級に位するものにして草木の如き是れに屬す。次ぎの段階は動物の靈魂にしてこれは感覺を具ふ。其の想念することの如何に不明瞭なるものにてもモナドは皆若干の(或は無意識なる)想念及び其の想念が更に他の想念に移り行く傾向(appétit 又は tendence)を有せざるは無し、何となれば想念はモナドが自性に具する所の自發せるものにして、而してモナドには若干の想念をおもひ浮かぶるに止まらず更に進みたる明らかなる想念を浮かべむと力めざるもの無ければなり。而して動物の唯だ感覺を具ふる程度より更に上ること一段すれば啻だ感覺の能あるのみならず其が自らの活動を自覺するに至る、而してこは記憶作用に基づき幾多の想念を相結合せしむるに因りて成るなり。此の段階に至れば靈魂は明らかなる意識を具ふるものと成る、吾人人類の有する所即ち是れなり。而して斯く明らかに意識を有して活動するものに至れば其の想念は思考となり、其が一想念より更に明らかなる想念へ移り行かむとする傾向(或は力求)は意志となる。されど吾人の靈魂なるモナドも純粹に活動の方面のみを具ふるに非ざれば明らかに意識して爲す思考及び意志の外に尙ほ不明瞭なる想念をおもひ浮かぶ。通常は之れに注意せざれども吾人は微少なる、又漠然たる殆んど無意識ともいふべき感覺を思ひ浮かべ居り、而して其等の結合は吾人の明瞭なる意識に對して重大なる關係を有するものなり。吾人が明らかに其を意識せざるは唯だ其等の感覺の相互の差別の判明ならざるが故のみ。殆んど無意識なりとは云へども此等は實に吾人の心的生活に於いて決して看過すべからざる要素を成すものなり。斯くライブニッツが其の曾て數學に於いて發見したる微分的計算法を應用して說ける所は彼れが心理的說明の上に最も光彩を放てる點にして最近の心理學者が吾人の心作用中漠然たる體機感等の漠然たる感覺が明瞭なる意識の後景を成すと說くが如きは已にライブニッツの眼中に存せし所のものなり。
彼れ尙ほ以爲へらく、身體に於ける運動の止む時なきが如く吾人の心も亦常に活動するものにして勢力保存の法則が普く物質界に行はるゝが如く亦心界にも行はるゝなり、唯だ恰も勢力が物質界に於いて運動として或は多く或は少なく現はるゝ如く心界に於いても想念の或は多く或は少なく意識に現はるゝことあるのみ。睡眠の狀態と覺醒の狀態とは畢竟唯だ程度の差別なり、吾人の注意を轉ずるは是れ取りも直さず幾分睡眠の狀態に入るなり。吾人の感覺は一見甚だ單純なるが如くなれど實は然らず、其れに應對し居る身體上の運動の複雜なるが如くに複雜なるものなり。之れを譬ふれば、海波の磯邊に打ち寄する音の恰も一の單純なる音の如く聞こゆれど實際は幾多の波濤の幾多の運動に對して幾多の微小なる感覺起こり、而して其等感覺の結合がさながら一の感覺なるが如くに意識せらるゝ也。
而して各個人に於ける意識の一時期と他の時期との關係は殆んど意識に上らざる此等幾多の觀念によりて始めて了解せらるゝを得。盖し若し其等の極微なる感覺ありて其の間に連續を爲すこと無くば一時期に於ける意識の狀態が何故に變じて他時期の意識の狀態となるに至るかは解すべからず。個人と個人との間に於ける性情氣質の差別の如きも亦此等朧げなる想念の結合の趣きを以て說明すべきものなり。一人として其の氣質性情の全く他人と同一なるもの無し、而して此等の不明瞭なる幾多の想念の相集結せるものが各個人の氣質の差別を成すは恰もモナドとモナドとの差別が其れの活動の制限さるゝ方面(即ち想念の不明瞭なる所)あるによりて起こるが如し、盖し其の活動の制限さるゝ所(prima materia)是れ即ち個別の原由(principium individuationis)なり。恰も運動は其の全く無かりし所より起ること無く唯だ微小なるものの增大し行くに外ならぬが如く吾人の想念も亦全く無き者の生ずるに非ずして本來の心性に具はれるものが其の漠然たる無意識の狀態より漸次に明瞭になり行くに外ならず。而して明不明の度によりて其等吾人の想念を大別すれば、大凡そ三段と爲すことを得。其の最下等に位するは上に謂へる漠然たる體機感の如き者にしてライブニッツは此等を名づけて微小感覺(petites perceptions)と云へり。次ぎなる段階は意識を以て俘はれたる感覺(sentiment)にして例へば視聽の感覺の如きもの、此等は能く更に分析して其の定義を下して他人に示すこと能はざるもの、簡に言へば尙ほ未だ判然たらざるものなり。更に上れば想念が最も明暸なる意識を以て統一されたる狀態に至る、是れ即ち自意識の統一(apperception)の行はるゝ段階なりと。
《觀念生得の論。》〔一一〕斯くの如く吾人の想念は不明瞭なるより明瞭なるに至るまで幾多の連續せる段階を成すものなるが要するに此等は凡べて吾人の生具する所がおのづから開發しゆくもの、換言すれば、先きに無意識に具へたるものが漸次に意識せられ來たるに外ならざれば其の如き意味にて吾人の觀念を凡べて生得のものなりと云ふを得。(是れロックが生得の觀念を排斥せる論に對してライブニッツの云へる所なり。)吾人の不明瞭なる觀念を以て知る所は唯だ事物の現象なり、吾人が物體を空間に廣がれるものの如く見るは是れ不明瞭なる五官の知覺を以てするが故なり。眞理を認むるは吾人の理性にして是れは吾人に具はれる知識の原則に從ひて働くもの、而して其等理性の依りて働く原則は吾人の初めより明らかに意識するものには非ざれど、凡べての觀念と均しく吾人の心に本具せるものにして吾人の精神的活動の進むに隨うて之れを自覺し來たるなり。吾人の心は全く白紙の如きものならずして、寧ろ知識を開發すべき特殊の性を具ふ。之れを譬ふれば、恰も定まれる
《自同則と理由則、思想のイロハ。》〔一二〕理性の依りて以て働く原理に二あり、一は自同則(principium identitatis)或は矛盾則(principium contradlctionis)一は理由則なり。吾人が眞理と認むるものの中に就き其が最も單純なる基本と見るべきは自同判定なり、こは一物を取りてそれに就きて其れ自らを言ひ表はす判定にして、是れ直接に明瞭なるものとして吾人の承認せざるを得ざるもの也、委しく云へば、判定の主位に在るものと其れに就きて言表さるゝもの即ち客位に在るものとが相同じきが故に他に何等の證明をも待たずしてそれ自身に明瞭なるなり。凡べての論理上の判定は其を證明しもて行けば皆遂にかゝる自同判定に歸せしめ得べきもの、而して是れは吾人の理性に具はれる自同則に從へるものにして論理上一物に就きて正當に立言し得ることの窮極の根據はかゝる判定に在るなり。而してライブニッツに取りては件の自同則と矛盾則とは畢竟は異別ならず、矛盾するものは在り得べからざるもの也。吾人の知識を組成する幾多の判定を推し究めて其を成るべく少數の自同判定に歸せしめたるもの是れ論理上知識の窮極原理にして之れを基本とし論理によりて(即ち矛盾則に從うて)吾人は須らく論究を進め知識を正確にすべきなり。
右述べたる所は論理上の形式に於ける理性の原則なるが事實即ち內容の上に於いて用ゐるべき他の原則あり、理由則是れなり。盖し前に謂へる論理上の原理に逆ひて矛盾を含むものは是れ固とより在り得べからざるもの、矛盾を含まざるものは在り能ふものなれど、在り能ふもの必ずしも皆實に在るものならず、實に在るか否かを知らむには理由則に從ひて其が存在すべき十分の理由あるか否かを見ざる可からず。在り能ふものの中に於いて實に在るものは其れが在るべき十分の理由を有するもののみ也。斯くの如く事實の穿鑿に理由則を用ゐて考ふるは是れ吾人が理性のはたらきなり。かほど明らかに論理上の則と事實上の則とを分かち各〻に特別の原則ありとして之れを揭げ出だしたるは先づライブニッツを以て嚆矢とせざる可からず。
事實上の穿鑿に於いても吾人は其が據りて立つ若干の根本的事實を言ひ表はす判定を揭ぐるを得、而して此等の根本的事實は先づ許多の事實を蒐集し比較し而して其が基本となるものを發見することによりて得らるゝなり。凡そ吾人の知識する所は其が證明を追ひ行けば終に一は若干の根本的自同判定に基ゐし、一は根本的事實を言表する若干の判定に基ゐするものとなる、而して此等は共に吾人の認識に對しては直接の關係を有するもの、即ち共に他の媒介を要せずして直接に吾人に承認せらるゝもの也。生得の觀念も亦其の理由を問ひ質すに於いては件の若干の根本的判定の上に其の證明を求めざる可からず。此等の根本的判定を基として推究し結合し行かば吾人は正確なる知識を組み立つることを得べし。斯く考へてライブニッツは其等の根本的判定にそれぞれ適當なる記號を與へむとし、而して此等の記號を思想のイロハ(alphabetum cogitationum humanorum)となして恰もイロハを以て一切の言辭を造るが如く、此等思想のイロハを以て凡べて吾人の思想を形づくりて人類一般に通用するものたらしめむの企圖を胸中に懷きたりき。
《衝動、本能、意志の論、道德の根據。》〔一三〕以上は思ひ浮かぶる想念の方面より吾人の心を見たるもの、即ち其が知識の邊を說明せるものなり。ライブニッツは吾人の想念より離さずして其れの傾向、換言すれば、其が更に明瞭なるものとなり行かむとする衝動を說きたり。以爲へらく、件の衝動の明らかに意識さるゝに至りたるもの是れ卽ち吾人の意志なり、意志の活動は想念によりて決定せらるゝものにして絕對に自由に決斷するものに非ず、換言すれば、其の決斷は其が理由によりて決定さるゝものにして吾人がしかく思惟せざるは唯だそを決定する所以のものが漠然と意識さるゝこと多きが故なり。漠然たる種々の觀念に結ばりて漠然たる傾向、衝動あり、而して通常所謂意志の決定は此等に根據して爲さるゝものなれども吾人は唯だ意志の決定をのみ明らかに意識してそを然らしむる所以の心理的作用を自覺せざるが故に意志は理由なくして絕對に自由に意志自らを決定するものなるが如くに思ふなり。されど意志に於いても想念に於けるが如く幾多の段階ありて極めて漠然たる所より進みて其の發達したる狀態に至る。而して吾人が其等傾向、衝動、意志の充足せられ增大せられたる狀態に進める所には快樂を感じ、之れに反せる塲合には不快感を起こす。吾人の本能と名づくるものは此等意志的作動中の下級に位するものなり。更に進めば快感を得むとする吾人の好みといふ狀態に至る、されど此等はなほ唯だ個々の快感に向かふ意志にして其が發達の至れるものに非ず。意志の最も發達したる狀態に於いては吾人に取りての善福を明らかに目的として常に之れを求むるに至る。玆に善福といふは一時々々の個々の快感に非ずして吾人の全體の活動が益〻完全に成り行く所に覺ゆる幸福の狀態即ち永續したる快樂の狀態と名づく可きものなり、而して吾人の道德の根據こゝに在り。吾人の德行と名づくるものは吾が活動の全くなる所に在り、全くなるとは諸性能の開發し且つ調和したる狀態をいふ、一言に云へば、圓滿調和の狀態に進む、是れ德に進むなり、而して斯かる狀態に在るや吾人はおのづから快樂を覺ゆるなり。
吾人は啻だ自己の活動の進みて完全となり隨うて幸福なる狀態に在らむことを求むるのみならず自然に他人をも完からしめ幸福ならしめむと力むる傾向を具ふ、而して一切の社會的道德、即ち人と人との間に自然に成立する權利義務はこゝに其の根據を有す。所謂自然の道德法に三段階を分かてば、曰はく、第一には「何人をも害ふ勿れ」といふ正義の德(jus strictum)、第二には「各〻與ふるに其の得るに價する所を以てせよ」といふ公義の德(aequitas)、第三即ち最高の段には「禮を盡くせ」といふ修禮の德(pietas)、是れなり。
《ライブニッツの根本思想は調和といふ觀念にあり。》〔一四〕ライブニッツ以爲へらく、萬有は凡べて調和を現じ居るもの、而して吾人の知識は其の調和を知らむことを以て目的とし、吾人の行爲は吾人に於いて圓滿なる調和を實現せむことを力む。而して同じく調和を認知するにも其を明瞭に知るは是れ即ち學理的知識にして其を漠然と知る所には所謂觀美の感を起こす、換言すれば、一物を見て美はしと思ふは其の物に於ける調和を漠然と思ひ浮かベたる也。例へば音樂を聽きて其の美を感ずるは其の音曲に具はれる音律の調和を漠然と認識せるなり。數理上其の調和を明らかに意識するは是れ即ち學理上の明瞭なる知識なりと。斯くライブニッツの所說は道德を言ふ上に於いても、學理的知識をいふ上に於いても、又觀美的品評を爲す上に於いても、其の根本的思想とする所は調和といふ觀念なり、而して所謂調和は其の圓滿完全てふ觀念と相離れざるものにして是れ彼れが哲學全體を貫徹する思想なり。ライブニッツは人と爲り調和を好めり。
《ライブニッツの宗敎論。》〔一五〕宗敎論に於いては彼れは當時敎會の唱へたる敎義を辯護せむと力めたり、某の著『テオディセー』はベールに對して論じたるもの也。ベールは宗敎上の敎義は道理に合はざることを言へり。ライブニッツは答へて曰はく、其等敎義は悖理のものに非ず、そは悖理とは論理上矛盾を含むか又は理由則に逆ふの謂ひなれど、敎會が唱ふる敎義は決して論理上矛盾を含むものに非ず、また理由則に逆ふものとも云ふこと能はず、凡べての物の存在する理由は窮極すれば世界の全體の目的に存するものにして、種々の事物は畢竟件の全體の目的如何によりて生じ來たるものなるが故に奇跡の如きも是れ亦理由則に逆ふものに非ず、其れが生ぜらるべき十分の理由ある所に生じたりと見ることによりて其の毫も怪しむ可きものならぬことを知るべし。唯だ吾人が其等の理由を(換言すれば全體の目的)を發見し得ざる所あるのみ。語を換ふれば、敎會の敎義には吾人の理性以上のものありと云ふを得れども、之れに戾れるものありと云ふこと能はず。吾人の理性は限りあるものなり、吾人以上の理性を具ふるものより見ば吾人の解し得ざるものも一了解し得らるゝならむ。
《宗敎論つづき、樂天論。》〔一六〕以上は專ら敎會の敎義即ち天啓によりて敎ふるものに就きての論なり。ライブニッツ尙ほ曰はく、吾人が自然に具ふる理性を以て宗敎上吾人の知識し得る所のものあり、而して其等は凡べての宗敎に於ける神髓とも云ふべきものにして吾人の本具せるもの、唯だそを開發して明らかに認識するに至りて所謂自然神學の組織を成す。所謂自然神學の綱領は一には世界以上にその造化主なる神ありと云ふこと、二には吾人の靈魂は不死なりといふこと、是れなり。吾人が靈魂の不死なるは其のモナドなることによりて知らる。神の存在に就きては曩に揭げたる論證、即ち宇宙に於ける調和より推して其の原因として神の存在を知る論(a posteriori)の外に神の在り能ふと云ふことより其の實に在ることを證する論(a priori)を加ふるを得、何となればモナドの最高のものに在りては其れの在り能ふことと其の實在することとが一なれば也、圓滿なるものに於いては其の在り能ふと云ふことは其の實在することと合一す。(是れ畢竟中世紀このかた用ゐ來たれる神即ち無限者てふ觀念より必然に神の存在を證明する論のアリストテレースが可能對現實論の彩色を帶びて其の形を變じたるものに外ならず。)凡べての物の窮極は神にして彼れはあらゆる眞理と盛德との淵源なり。神の光榮是れ萬物の向かひ進む目途にして而して其の光榮は世界の調和を現ずること及び生きとし生ける者の幸福なることと異別なるものに非ず。
然るに茲に問ふべきことのあるは斯くの如き目的を以て造られたる世界に何故に災禍の存在するかと云ふこと是れなり。ベールは曩に此の世界は善惡の二元を有すと見るかた事實にかなへりと云ひしが、ライブニッツは之れに對して、道理上より考ふるも此の世界は善良なるものにして前に所謂其が目的と決して相戾るものに非ざることを證せむと力めたり。彼れは先づあらゆる不善を三種類に別かち、一、哲理上より見る不善、二、物理上の不善、三、道德上の不善となして曰はく、哲理上より見たる不善とは萬物の皆有限なるを云ふ、これは所造物たるものの免る可からざる所にして造られたる個々物が存在する以上は其等は各〻それぞれの制限を以て存在せざる可からず。而してかく所造物は凡べて制限を有するものなるが故に苦痛即ち物理上の不善と名づけらるゝものの亦茲に生ずるは止むを得ざることなり、何となれば制限され抑壓さると云ふことと苦痛と云ふこととは全く離れ得べきものに非ざればなり。又かくの如く限りあるものなるが故に罪惡即ち道德上の不善の生ずるも亦止むを得ざること也。されど此等の罪惡も其の根據する所は制限即ち缺乏と云ふことにて神が罪惡を造れりと云ふことには非ず、神の造れるは唯だ罪惡を免れざる限りあるものにして而して神は其等のものの限りある所よりして罪惡の出で來たるべきを豫知せりとは云ふを得。
以上列擧したる不善を以て限りある所造物の免る可からざるものと爲したる上にて更に提出せらるべきは何故に神が必然に不善を以て伴はるべき有限なる個々物を創造せるかといふ問題なり。若し其の如く不善の伴ふことの免る可からざるものならば初めより其等有限の萬物を創造せざるの勝れるに若かざるに非ずや。ライブニッツが之れに對する解答に曰はく、斯く不善は在りながら尙ほ全體より云へば世界は最も善なるものなり、神の心の中に於いて種々の世界が想念として存在し、而して中に就き最も善なるものが選ばれて創造せられたる也。人若し此の世界の最善のものたることを見ずば、そは唯だ其の一部のみを見て全體を考へず、また人類の目的及び幸福のみを標準として考ふればなり。世界の善なる所以は其が全體を見、其が全體の目的よりして考へざる可からず。
斯くの如く唯だ世界の一部分のみを見る時は不善なることの多きが如くなれども其等は全體より見て不善と云ふ可からざるのみならず、現實吾人の應接する世間に於いても決して不幸多しと云ふことを得ず。啻だ消極的に全體の目的より見ば全世界は最も善きものなるかも知るべからずと云ひ得るのみならず、吾人は現實此の世界の善なることを證明するを得。人動〻もすれば不善なることの此の世界に多き樣に言ひ做せど實際は然らず、唯だ吾人は善事には慣れ易く炎禍苦痛は些少にても之れを大なる樣に言ひ做す傾きあるなり。生物の此の世に在るや槪ね其の生を樂しみ生きながらへむことを欲す。啻だ善事に比して不善事の少なきのみならず、大なる善を來たさむが爲めには寧ろ不善の必要なる理由あり。吾人の活動を獎勵し隨ひて吾人をして大なる幸福を獲得せしめむには多少の障碍の吾人を刺激するもの無かる可からず、多少の苦痛之れあるが爲めに却つて吾人が强大なる快樂を感ずるは譬へば食物に少許の藥味を添ふることが却つて全體の風味を增し、音曲に少許の不調子を揷むことが却つて曲全體の調子を高むるが如し。世に多少の不善の存在するは世界全體の調子を害ふものに非ずして、なかなかに其を高むるものなりと云はざる可からずと。これをライブニッツの有名なる樂天論とす。
《ライブニッツ哲學の一大特色と其の難點。》〔一七〕以上ライブニッツの哲學を陳述したる所を以ても知らるゝが如く、彼れの所說は一根本的觀念より出立して其を論理的に開發したるものに非ず、寧ろ從來存在せし種々の學說に對し批評を用ゐたる結果として種々の思想を發揮し來たり其等が相結合して一大組織を成せるものなり。是を以て彼れの哲學には種々の見地に屬する思想の多く攝取綜合されたるあり。アリストテレースの哲學の要素もあれば、スコラ哲學の思想も其の痕跡を遺し、ルネサンス時代の大宇宙小宇宙の論もあれば、元子論も攝取され、デカルト哲學及び其れより出でたるオッカジオ論に由來せる要素もあれば、又自ら反對しながらスピノーザの哲學に負へる所もあり。此くの如く夥多の要素の攝入せられて其處に一の新和合を成せる所是れ彼れが哲學の一大特色なり、而して其の和合は論理的推究の結果として成り上がれるものと云はむよりも寧ろ美術的結構を以て成し上げられたるが如き趣を呈せり。故にライブニッツの哲學は全體より見れば調和てふ觀念を主眼として一種の美術趣味を帶びたる所あれど深く其の內部に立ち入りて考ふれば未だ其が諸要素の調和の成らざる點あるを認め易し。彼れの哲學組織の中に於いて最も不調和を感ずるは神といふ觀念なり。彼れの所謂神はモナドの調和を說かむが爲めに止むを得ず外より附け加へたるが如き趣あり、盖し彼れはその所謂衆多のモナドの想念する所が何故に相調和するかを解す可からざるが故に其の調和を豫定したる神ありと說きて謂はば、神てふ觀念をモナドの頂點に添へたるにて、其の觀念の地位の甚だ安からざるは深く考へずして明らかなり。彼れはモナドを以て一切他によりて影響せられざる本體と爲しながら又それが奇跡的に神によりて創造せられたることを說かざるを得ず。之れを要するに、彼れの說く所はオッカジオ論に附著する困難と同一の困難に觸れざるを得ざるなり。
次ぎに吾人はライブニッツが所謂モナドの想念する事柄の何なるかを知るに困しまざるを得ず、換言すれば、其が想念の內容の何なるかを了解し難し。何となれば彼れは各モナドは其の自性に具ふる所を自發するものなりと說くものから其が自發する想念の何なるを尋ぬれば是れ他のモナドの狀態を縮寫せるものに外ならずと云ふ、而して他のモナドの狀態は何ぞやと尋ぬれば是れ亦他のモナドの狀態を表現するものに外ならずと云ふ。されば到底各モナドの想念は他のモナドの狀態を表現するもの也と云ふに止まるなれば恰も寫すもののみありて寫さるゝ內容の來たる所なきの難に陷る、換言すれば、一モナドは他を表現し、而して表現さるべき他のモナドに何事のあるかと尋ぬれば其はまた他を表現すと云ふに止まる。されば想念さるべき事柄の出で來たる所以は竟に之れを解すべからず、若し其の事柄を得むとすれば唯だ之れを神といふ原因に歸して、神は各モナドにそが想念の內容を與へたりといふ說明に其の
斯くの如くライブニッツの哲學に少なからざる困難の點あるは畢竟彼れが多元を說きて其の各〻を獨立のものとしたる上に尙ほ其の一致を說明せむとすれば也。換言すれば、彼れはスピノーザの萬有神說に陷らざらむとして多元說に走れると同時に多元說の困難に陷れるものと云ふべきなり。斯くの如く彼れが哲學に困難の點はあれども連續律を根據として唱へ出でたる其が種々の思想の中には後世の學界に記憶せらるべきもの少なしとせず。殊に彼れが心理上の所說の如きは今日に至りても尙ほ大に價値ありと云はざる可からず。
第三十六章 ヺルフ及び其の學派
《哲學上ヺルフの功績及び其の生涯。》〔一〕ライブニッツは其の哲學思想を組織的に叙述することを爲さず、且つ彼れが學說を窺ふに肝要なる論文及び書翰等は廣く世人の見るを得るの便を缺きたり。彼れに次ぎて起こり其の哲學の主要なる思想を取りて其を組織的に論述し且つ廣く之れを當時の學問界に傳へたるはクリスチアン、ヺルフ(Christian Volff)の功績なり。ヺルフは一千六百七十九年を以てブレスラウに生まれ後イェーナ大學に入りて數學、物理學、哲學及び神學を修め特にデカルト及びライブニッツを硏究して大に得る所あり、又ツィルンハウゼンの書を讀み且つ後には其の著者とも相知りて其が思想の影響を受けたり。彼れが論述の組織的方面に於いて大に具はれる所あるはツィルンハウゼンが學術硏究法の論に得たる所ありしに因ると考へらる。彼れ後にハルレ大學に招かれて數學の敎授となりしが其の後、該大學にて哲學の講義を以て大に名聲を揚げたり。されどピエティスト派の宗敎家等は彼れが唱道したる唯理說を危險なるものとして彼れを徘斥せむとし其の說を曲解して、其の唱ふる所に從へば國王に屬する兵士の脫走することありとも敢て咎むること能はざる如きこととなるとの旨意を時の普漏士王フリードリヒ、ヰルヘルム第一世に吿げて彼れを陷れむと試みるに至れり。ヺルフは遂に此の詭計のために陷れられてハルレを逐はるゝこととなり、四十八時間以內に國王の地を退去せずば笞刑に處せらるべしといふ條件の下に追放せられぬ。ヺルフは是れよりマルブルグに行き其處の大學に敎授となりて一千七百四十一年に至りしがフリードリヒ大王位に即きて後またハルレに召喚せられ、一千七百五十四年即ち其の死に至るまで其處の大學に在りて敎授に力めたり。
《ヺルフが哲學の組織。》〔二〕ヺルフが獨逸の哲學に致せる特殊なる功績の一は獨逸語を以て哲學を論ずることに力めたるに在り。當時に至るまで獨逸の學者が哲學を講ずるや槪ね拉丁語或は佛蘭西語を用ゐき、ライブニッツの如き亦爾かしたりき。然るに此の頃より次第に獨逸語の用ゐらるゝに至りしが、獨逸語をば哲學を叙述するに堪ふる國語と爲したることに於いてはヺルフが力の與れる所頗る多かりき。彼れが造りたる哲學上の用語が模範となりて後代の用法を定めたるもの少なからず。右の外ヺルフが功績の一に數ふべきは、彼れが(上にも旣に一言せる如く)哲學を組織立てゝ叙述せること、是れなり。彼れに從へば、哲學は凡そ可能なることの全體を攷究するものなり。其の立てたる組織に曰はく、吾人の心には知識の能力(facultas cognoscitiva)と意欲の能力(facultas appetitiva)との二あり(是れライブニッツの所說に由來せるもの)而して哲學には此の二者の各〻に關係する部分即ち二部門あり。一は理論的方面にして純粹に吾人が知識の能力に屬するもの、之れを稱してメタフィジカ(理體學)といふ。次ぎに意欲の能力に關係するものは吾人の行爲を論ずるものにして之れを實踐哲學(philosophia practica)といふ。而して件の哲學の二部門に人る準備として論理學(logica)の一科あり、是れ哲學的硏究に於いて其れが理體學たると實踐哲學たるとを問はず常に吾人の從ふべき思想全體の成立及び運用の方法を論ずるものなり。理體學を分かちて總論及び各論とす。總論は實在其の物に就きて全體の硏究を爲すもの、換言すれば、實在が如何なる特殊の形を取れるに拘らず一切實在と云はるべきものに通ずる事相を論ずるものにして之れを實體學(ontologia)といふ。而して各論は更に三部分に區別せらる。第一は世界の成立を硏究するものにして之れをコスモロギア(cosmologia)といひ、第二は心に關する硏究にして之れを心理學(psychologia)と云ひ(心理學に對して云へばコスモロギアは廣義にての物理學と謂ふべきもの也)而して第三は心界及び物界の全體の原因なる神に就きて論ずるものにして之れを神學(theologia)といふ。次ぎに實踐哲學も理體學と同じく總論と各論とに分かる。其の總論は實踐哲學全體の基礎と見るべきものの論にして之れを philosophia practica universalis と云ひ、而して各論と見るべきものは亦三部に分かたる、吾人を個々人として論ずるもの之れを道德學(ethica)と云ひ、一家族を成すものとして吾人を論ずるもの之れを經濟學(economica)と云ひ、國家といふ團體を成すものとして吾人を論ずるもの之れを政治學(politica)といふ。(此の區別はアリストテレースに由來せり。)
《ヺルフの哲學攷究法。》〔三〕哲學攷究の方法よりいふ時は究理(又は唯理)學派の特色は其の極端の形を具して特に明らかにヺルフの思想に現はれ來たれるを見る。彼れに從へば、哲學は吾人の槪念を以て推究し行くもの、專ら分析を用ゐ行くものなり。此の故に彼れの立脚地よりすれば吾人の出立點としたる槪念を分析して其の中に含まれたるものを分かち出だすによりて能く吾人の一切の哲學的知識は組成せらる。是れ正さしくデカルトが其の疑ふべからずとしたる自我の意識より出立して論步を進め、スピノーザが本體の觀念を根據として推究したる論法を尙ほ一層明らかに演繹的のもの、又槪念的のものと爲したるなり。斯くの如くヺルフに從へば、哲學の硏究は種々の事物を經驗し其の經驗に基づきて攷究を進むるものに非ずして先づ吾人が心を以て形づくれる根本的槪念より出立して演繹的に進み行くもの、而して是れ彼れに於いて唯理學派の攷究法が經驗學派に對して最も極端の位置に達したる者と見らるべき所なり。ヺルフは斯く哲學硏究を以て專ら演繹的のものと見たりしが彼れは又其の傍らに經驗上の事柄を取り扱ふ學問をも置き、槪念の推究を以て進み行くものと經驗的事實を蒐集し行くものとの二者はおのづから相並び行くものなりとし、又眞實の學問に於いては前者は後者によりて實例を供せらるゝものなりとせり。此の故に彼れがコスモロギアに於いて物理の論を爲すに方たりては其が出立點となる槪念より論理的に其の凡べての知誡を演繹するものの外に實驗的(experimental)に攷究しゆく物理學をも置けり。彼れ以爲へらく、物界に生起する一切の現象は物體を組織する細微分子(corpuscula)と其の運動とによりて起こり來たる。而して物理學には此の二者に關する槪念より出立し、經驗を待たずして物理的に造り上ぐるものと物界の經驗を多く蒐集しゆくものとの二種あり、前者は原理を立つるものにして後者は原理の行はるゝ實例を供するものなりと。心理學も亦之れと同じく、心理學上の材料を蒐集し行く者即ち經驗的心理學(psychologia empilica)と吾人の心といふ槪念(換言すれば、想念する力を有するものと云ふ觀念)より心理上一切の作用能力を論じ出だすもの即ち純理的心理學(psychologia rationalis)との二つに分かる。ヺルフが論述の方法は斯くの如く一方に於いては經驗的硏究に基ゐするものを許容したるのみならず、彼れが實際爲せる所を見れば單に槪念の推究によりて進み行く方(即ち純理の方)に於いても常に吾人の經驗より得たる觀念を揷み來たれること明らかなり。されど其の目的と爲せる所は兎に角明らかに唯理學派の傾向を極端まで持ち行けるものにして此れは彼れが論述の方法とライブニッツのとを比べ見ば明らかに了解せらるべし。ライブニッツは吾人の理性が用ゐる原則として自同則と理由則とを並べ揭げたれども論理的に一より他を論じ出ださむとは試みざりき、ヺルフは之れを試みて謂ふ所理由則も畢竟ずるに自同則より出でたるものに外ならずと爲せり。其の意に曰はく、若し一物の存在することに全く其の理由なかりせば由りて以て其の存在する所以を了解すべきもの無きが故に其の物は無より出でたりと見ざる可からず、然るに無よりは何物も生じ出でざるべし、此の故に凡べての物は其れの存在する十分の理由を以てして始めて存在し得べきものなりと。斯くしてヺルフは單に論理的思考を以て理由則を證明せむと試みたれども、其の證明の無効のものたることは見るに難からず。何となれば彼れの證明は循環論證の似而非推論に陷れゝばなり、そは彼れは理由則を論證せむとして無よりは何物も生ぜずと云へど無よりは何物も生ぜずと云ふことが旣に理由則を假定し居れば也。
ヺルフが學說の長處は其の組織的なる點に在り。其の論旨は(假令彼れはライブニッツの學徒たりと云はるゝことを甘諾せざりきと雖も)槪ねライブニッツに由來せるが故に茲に委しく之れを繰り回し說く必要なし。唯だ特に取り出でて注意する價値ありと思はるゝ三四の點をのみ左に摘出せむ。
《ヺルフ學說の注意すべき點。》〔四〕ヺルフは全く定限されたる者を以て實在の相となし個性を具へたるものの外に實在なるもの無しと見たり。蓋し個別の原理に從ひ個々物として其の定相を具へたるもの是れ實在なりと云ふことはライブニッツが已にスピノーザに對して唱へ出でたる多元說の見地をば更に言表せるものに外ならず。斯く實在は個々各〻定相を具ふるもの而して其の各〻をして定相あらしむる所以の原理は即ち理由則にして其れに定相を與へし所以が其の物自身に在る時には其は絕對に必然に存在するもの、換言すれば、自存のもの(a se)なり、若しまた其れに定相を與ふる所以のものが他に在る時は其は依他のもの(ab alio)即ち偶然のもの、換言すれば、他に依りて始めて必然に存在するものなり。ヺルフが斯く說ける所は是れライブニッツ風の思想にスピノーザ風の思想の加昧せられたるものに外ならず。ヺルフは物界を以て一の機械と見做せり。以爲へらく、凡そ物界に生起する事件は皆機械的に必然に出來するものにして物界の最小部分と雖も其の現實在るに異なりて在らむには全物界の別世界となることを要す。斯く物界の事は凡べて必然に起こるものなれどこは畢竟依他の必然にして唯だ他に一の物理的變化ありしに依りてこゝに亦一物理的變化の必然に起こるもの也。かるが故に物界に於ける一變動は唯だ他に一變動ありしが故に然るのみにて此の機械的必然の關係を以ては物界全體の然る所以を說明するに足らず。物界全體の然る所以を說明せむには目的觀を持ち來たらざる可からず、即ち世界の存在するに宜しき目的のあるが爲めに此くの如く機械的關係を以て變動する物界ありと考ふるより他に之れを了解する道なきなり。
世界の存在する目的は畢竟ずるに其が圓滿の相を現ずることに在り、換言すれば、其れが最も完きものなるが故に存在するなり、而してヺルフは物の完きといふことを說きて多なるものの一致なりと云へり、盖しライブニッツの所謂調和と完全とが同一にせられおるものに外ならず。
《ヺルフの學說とライブニッツ。》〔五〕空間に廣がれる形を有する物體は是れ即ち吾人に現はれたる
ヺルフがライブニッツと其の說を異にせる他の一の著るき點は豫定の調和の範圍を限れる所にあり。ライブニッツは凡べてのモナドに就きて豫定調和論を說きたりしがヺルフは唯だ其を吾人の心身の關係に就きてのみ云へり。此等の點よりして考ふれば彼れは其の主要なる思想をライブニッツより得たるものにして而して其の相異なる點は主に唯だ彼れがライブニッツの說をなだらかならしめて却りて其が特殊の意義風趣を埋沒せしむる如き結果に立ち至れる所にあり。
《ヺルフが倫理法理の論。》〔六〕以上述べたる所よりもヺルフがライブニッツに對して獨立の地位を取れるは其が倫理及び法理に關する論なり。此の方面に於いては彼れはグローチウス及びプーフェンドルフを硏究せるによりて得たる所少なからず。彼れは先づ吾人の道德上の目的を明らかに幸福と區別して完全になることに在りとせり。所謂完全になるとは一には其の活動が活動する者の本性に相合することを意昧す、換言すれば、眞實の性より見て其の物の當さに在るべき樣に其の物の現實の樣の合したるが即ち完全なるなり、之れに加へて又吾人の行爲が行爲の結果と相調和することに完全といふことあり。所謂幸福は唯だ完全に達せる狀態に於いて附加せらるゝものに外ならず、眞正の幸福は吾人の良心が其の如き狀態に在ることを嘉みする所に存するもの也。ヺルフは斯く明らかに幸福と完全になることとを相分かちて道德上の目的を說けりしが故に倫理學上所謂完全說がライブニッツに於けるよりも彼れに於いて更に善く其の形を成せりと云ふべし。彼れ尙ほ以爲へらく、一個人の完全になることは他人の完全に成ることと相離れたるものにあらず、是れ吾人がおのづから夫婦親子及び主從の關係を成して一家を形づくり又家族相集まりて更に大なる社會を形づくることの必要なる所以なり。社會を組織したる民約の根據は畢竟ずるに人々各〻完全にならむとする目的に在り、國家全體の安寧を增進すること是れ國家の最高法律なり、安寧ならずんば人々相互に完全の域に達すること能はず、而して件の國家に於ける最高法律よりして凡べての法理を論じ出だすことを得と。
《「ライブニッツ・ヺルフ學派」》〔七〕ヺルフが哲學の大要は以上叙述せる所によりて知るを得べし。而して彼れの哲學は整然たる組織を成し且つ何人も採用し易き硏究法を以て說き出だせるものなるの故を以て一時獨逸の學問界は靡然として之れに傾き茲に所謂「ライブニッツ・ヺルフ學派」を成し、アンドレアス、リューディゲル(Andreas Rüdiger 一六七三―一七三一)クリスチアン、アウグスト、クルーシウス(Christian August Crusius 一七一二―一七七六)等の如きありて多少之れに抗して反對の聲を學げしかども獨逸の哲學界はなべて此の學派の押領する所となれり。今此の學派に屬せる者の中、著名なる人々を擧ぐればルードヸヒ、ヒリップ、ティュムミヒ(Rudwig Philipp Thümmig 一六九七―一七二八)ゲオルグ、ベルンハルド、ビルフィンゲル(Georg Bernhard Birfinger 一六九三―一七五〇、此の人始めてライブニッツ・ヺルフ學派といふ名稱を用ゐたり)アレクサンデル、ゴットリーブ、バウムガルテン(Alexander Gottlieb Baumgarten)ゲオルグ、フリードリヒ、マイエル(Georg Friedrich Meier 一七一八―一七七七)等にして中に就き最も吾人の注意を惹くべきをバウムガルテンとす。
バウムガルテン
《バウムガルテンと其の美學說。》〔八〕バウムガルテン(一七一四―一七六二)はヺルフが組織的に攷究せる所をば更に步を進めて其の詳細なる點にまでも整然たる形を與へむと企てたり、又哲學上の用語の彼れに定められたるものが後にカントに用ゐられて長く後世に傳はれるもの少からず。彼れが說ける所の中、最も後世に記憶さるゝは美學上の論なり。さきにヺルフは其の謂ふ理體學及び實踐哲學に入る前に學問硏究の順序として論理の學を置けり、而して論理學とは吾人が事物を明瞭に知識することに於いて思想の成立及び規則を論ずるものを謂ふ。而して吾人の知識はライブニッツの說く所に從へば、漠然たるもの即ち感官を以てするものと及び明瞭なるもの即ち所謂知解に屬するものとの二段階に分かる、前者は下等のものにして後者は高等の者なり、然るにヺルフの論じたるは唯だ高等なるもの即ち論理學に止まりて終に下等なるものに論じ及ばざりき。此のゆゑにバウムガルテンは以爲へらく、吾人の知識の論(彼れの所謂 Gnoseologie)を全からしめむにはヺルフの說きたる論理學を說くに先きだちて感官の知覺を論ずるものを置くべしと、而して彼れは之れをエステーティカ(aesthetica これは希臘語より來たりて元と感官の知覺を論ずるものと云ふほどの意味を有せる語)と名づけたり。彼れ以爲へらく、吾人の知識は其の漠然たるものなると明瞭なるものなるとを問はず、共に完全なるものを以て其の對境とすと。ライブニッツ已に事物の完全の相を明らかに知識する、是れ即ち學理的知識にして其を漠然と認知する是れ即ち美を認むる心の狀態なりと云へりしが、バウムガルテンの審美說は要するに此の思想を開發し行けるもの、之れに從へば亦吾人が明瞭なる觀念を以てする判定は知解の判定にして論理的のもの、漠然たる觀念を以てする判定は觀美の判定即ち品評と名づくるものにして感官的のものなり。斯くしてバウムガルテンに取りては吾人の感官の知覺を論ずるもの是れ即ち吾人の觀美心を論ずるものとなりたり。彼れが所謂エステーティカは此の理由によりて後世美學といふ意義を帶ぶることとなり、又此の故を以て彼れは始めてかゝる名稱を用ゐて哲學組織中の一部分として斯の學を論ぜむとせる者なりと云はるゝなり。
彼れ說いて曰はく、完全とは一物が其の物の本性即ち槪念に相應ずるの謂ひなり、而して吾人が明瞭なる知識を以て其れを了解すれば茲に眞理を得たりと稱せらる。又吾人の心作用の中に就き意欲の方面を以て之れに接すれば件の完全といふことは吾人の當さに得むとすべき善と名づくるものとなる。又吾人の漠然たる感官の知覺を以て之れに接すれば其は茲に美として吾人に認めらると。斯くの如く眞、善、美の三者が明瞭に區別されたるは美學に於ける一大進步と云はざる可からず。此の故に美と名づくるものは畢竟事物の完全なる相に外ならず唯だ其の相が吾人の五官に現はれたる樣(perfectis phaenomenon)なるのみ。而して美に於いて吾人が看取する一事物の完全の相は吾人の感官的知覺が其の事物の槪念に相應ずる所に在るものなるが故に、言を換へて、美は吾人の五官を以て知覺する調和に在りといふも可なり。而して事物の相が其の本性に調和し居る所は美に於いては正さしく其が部分相互の調和及び部分と全體との調和として現はれ來たる。自然界は最も完全なるものを目的とする造化主の活動の作る所なるが故に美なるものの最高模範なり、從ひて吾人の作爲する美術の模範も亦こゝに存するなり。此のゆゑに自然を模倣すと云ふことが美術家の最高目的となり來たる。
斯くの如くライブニッツ・ヺルフ學派はバウムガルテン等の唱道によりて獨逸の學界に偉大なる勢力を振ふこととなり、而して此の學派が哲學思想發達の上に功績を遺せるものあるは固より認めざる可からざることなれども、ヺルフに至りては唯理學派は其の極端に至れると共に最も明瞭に其が弱點を發表し來たりたり。彼れは槪念より出立し之れより論理的に演繹して全哲學を組織すといふを其の主眼と爲したれども、其の實際に爲す所を見れば唯だ論理的に演繹し來たるのみに非ずして常に吾人が經驗によりて得たる種々の事件を揷入せり。哲學的硏究が槪念の分析に止まり居る間は吾人の知識は新らしく其の步を進むること能はず、以て能く吾人が知識の事柄なる千差萬別の事物を捕ふるに足らざることは此の學派の人々の實際論述したる所によりて容易に認めらる。又彼等の出立點とする所謂槪念其のものは何處より得來たれるぞと尋ぬれば、吾人の思想は茲に其の方向を轉じて別路を取らざるを得ざるべし。吾人は經驗に依らずして槪念を形づくり其を確實なる論理的硏究の根據と爲すことを得べきか、凡そ吾人の思想を組織する觀念は如何なる起原を有するものなるぞ、這般の問題を提出して歐洲近世の哲學に一大潮流を起こせるを、かのロックによりて最も明瞭に唱へ出だされたる經驗學派の哲學とす。而して此の經驗派哲學はライブニッツ・ヺルフ學派が獨逸の學界に瀰漫したる時には已に英吉利及び佛蘭西に於いて種々の發達を遂げ居たりしものなり。予輩はライブニッツ・ヺルフ學派以後獨逸に於ける、廣くは歐洲に於ける哲學史上の新時期に入るに先きだち眼を經驗學派の哲學に轉ずべし。
第三十七章 ヂョン、ロック
《經驗學派の開祖ロック。》〔一〕實驗哲學の故鄕とも云ふべきは英國なり。ベーコン出でて早く已に自然科學に於ける實驗的硏究の必要及び其の方法を論じ、ホッブス次ぎて當時の自然科學の根本的思想を取りて其が哲學を組織せむと試みたりき。されどベーコンの功績は專ら自然科學の精神を說ける所に在りて其の所說は能く經驗哲學の組織を成せるものと云ふべからず。又ホッブスは自然科學の根本思想を探用したれども其の攷究の方法は專ら演繹的なりしが故に彼れの哲學は寧ろ一種の究理派學說たるの趣を帶びたり。彼等の後に出でて最も明らかに實驗哲學の建設を爲さむと力めたるをロックとす。故に或は彼れを名づけて歐洲近世哲學に於ける經驗學派の開祖ともいふ。但しロックの說ける所は經驗主義に基づけるものとは云ふものから委しく考ふれば尙ほ彼れの思想には究理學派に在りてのみ許し得べき假定を含有する所少なからず、殊に其の思想の明らかにデカルトの哲學に影響せられたる所あるを認めずんばあらず。されど大體上先づ最も明らかに經驗哲學を唱へ出でたる者は彼れなり。經驗主義に基づきて考ふれば未だ彼れの所說に滿足する能はざる所あること、是れ爾後此の學派發達の動機たりしなり。
《ロックの生涯、著作、性行。》〔二〕ヂョン、ロック(John Locke)は一千六百三十二年八月二十九日を以て英國ブリストルの邊りウリングトンと云ふ邑に生まる、父は法律家にて彼の內亂の起これるに際してはパリメントに黨與したり。ロックは一千六百五十二年オックスフォルド大學に入りしが當時尙ほ其處に說かれたりしスコラ哲學風の思想には甚だ慊焉たらず、其の頃よりデカルトの著書を讀みて大に哲學上の興味を覺え、且つガッセンディ及びホッブスをも硏究せり。メーシャム女史の記せる所によればロック自らデカルトの著述を繙きて始めて哲學の書を讀む與眛を覺えたりと屢〻語れりとぞ。當時英國は恰もクロムエルが統治權の下に在りし時にしてオックスフォルド大學に於いては思想の自由を束縛せず、殊にロックの在りしクライスツ、カレッヂ學長ヂョン、オーエンは宗敎上寬容に富めりし當時の名士にしてロックは少なからず此の人の感化を受けたり。彼れ初めは宗敎家たらむと志したりしが王權復興して後は英吉利の監督敎會、ピュリタン宗派に取りて代はることとなりしかば其の自由なる宗敎上の懷抱は彼れをして敎職を帶びむとの念を斷たしめたり。後又彼れは醫師とならむと欲して醫學及び化學の硏究に心を傾けたりしが醫術も亦彼れが身を立つべき職業にはあらざりき。一千六百六十五年サー、ヲーター、ヹーンがブランデンブルグの宮廷に使するに方たり其の書記官として行けり。翌年オックスフォルドに歸りて其處にロールド、アンソニー、アシュレー卽ち後のシャフツベリー侯(Lord Anthony Aschley, Earl of Shaftesbury)と相知り爾來交情益〻親密となり後に侯が家に師傅及び侍醫として招かれ又侯のためには常に或は書記、或は顧問として助力を與へたり。一千六百六十八年にはノルソムバーランド候に伴はれて佛蘭西及び伊太利に旅行せり。彼れは政治上に於いても宗敎上に於けるが如く自由主義を懷き盛んにホイッグ黨の政論を主張し後にシャフツベリー侯の政府に立つや彼れまた登用せられたりしが一千六百七十三年侯其の位地を失ひロック亦從ひて其の官を失へり。一千六百七十五年療養のため佛蘭西に行き、一千七百七十九年シャフツベリー侯再び朝に立つや彼れ亦召されて歸りしが侯久しからずして貶せられ一千六百八十三年には自ら身を以て英國を逃れざるを得ざることとなりしかばロック亦後を追うて和蘭に行き、其處に滯在せる間著作を事とし又當時の名士と交はることを得たりしが、又時には本國よりの嫌疑のために名を變へて潛伏せざるを得ざりしこともありき。一千六百八十八年オレンジ侯ヰルリアム英國の王位に即き翌年ロック英國に歸り、爾後重く王に用ゐられて當時の政策及び英國立憲政治の基礎を固くすることに與りて大に力ありき。
ロック和蘭に在りし時拉丁語を以て書翰の體裁にものしたる信敎自由を論ずる書を著はし千六百八十五年其の第一書を公にし(但し匿名にて)一千六百八十九年更に其の第二書及び第三書を出版せり( "Epistola de Tolerantia")其の後一千六百九十年其の哲學上の大著、吾人の知解力を論ずる書("Essay concerning Human Understanding")を公にせり。此の書は一千六百八十七年即ち彼れが和蘭に在りし時已に全く完了せしものにして彼れ自らものしたる其の梗槪は其の翌年佛蘭西語に翻譯せられて當時和蘭にて彼れの一友人の發兌せる雜誌『ビブリオテーク、ユニヹルセル』("Bibliotheque Universelle")に揭げられたり。ロックが此の書を著はさむと志しゝは一千六百七十年又は七十一年の事にして彼れが數年間佛蘭西に滯在したる時にはまさに其の著作に從事し千六百七十九年には旣に槪ね其の業を卒へたりしものの如し。ロック自ら其の書の序文に記して曰はく、曾て數人の朋友等と論議したりし時の論議の問題が滿足なる解釋を得ざりしより、己れおもへらく、其等の事柄を論議する前に先づ吾人自らの能力を硏究し而して吾人の知解力が如何なる事柄を取り扱ふに適し如何なる事柄を取扱ふに適せざるかを見分くることを要すと、かくして己れは件の著作に志したりと。英國博物館に保存せられたるロックが此の書の一古本に彼れの友ヂェームス、ティルレル(James Tyrrel)の手記せる語あり、曰はく「回顧すれば我れ亦其の折の討議の席に列なりし一人にて道德及び天啓的宗敎の原理に就きて論ぜられたりしことを想ひ起こすと。一千六百九十一年彼れは政治論二編( "Two Treatises on Civil Government")を出版せり、是れ即ちオレンジ候ヰルリアムを英國に迎へたる政事的革命の正當なることを論じて英國立憲政治の基礎を堅固にせむと力めたるものにして爾後の憲法政治論に於いて大に重きを爲せる著述なり。一千六百九十三年には『敎育意見』("Some Thoughts on Education")同九十五年には『基督敎の合理なることを論ずる書』("The Reasonableness of Christianity as delivered in Scripture")を出版せり。宗敎上にてロックは當時の神學者等の攻擊を受けたりしが其の攻擊は彼れの神學より延きて其の哲學に及べり。彼れを攻擊せし敵手の最も有名なるは監督スティリング、フリート(Stilling Fleet)にして、ロック亦屢〻之れに答辯したりき。其の攻擊の劇しかりしや、オックスフォルド大學にては彼れの『知解力論』を用ゐることを禁ずるに至れる程なりき。ロックは終生娶らず、晚年にはケムブリッジの哲學者カッドヲルスの女婿メーシャム氏(Masham)の家に寓し一千七百〇四年十月二十八日其の家に歿せり。彼れ資性溫厚、朋友に對して交情頗る厚く、又常に思想上及び政事上の自由を主張し人權を擴張することに熱心せり。
《ロックの知識論、其の由來、吾人に生得の觀念なし。》〔三〕上に引けるロックが其の大著に序せる語を以ても明らかなるが如く彼れが哲學的硏究の主眼は吾人の知識の起原、成立、及び其の界限を明らかにせむとするに在り、即ち彼れの此の思想に於いて、知識論の硏究は歐洲近世の哲學に先づ最も明らかに提出され且つ哲學の主要の部分と爲されたり。是れより先き吾人の知識に關する論は已に多少デカルトにもスピノーザにも又其の他の學者の所說にも存したれども明らかに知識の成立を硏究することをば哲學攷究の出立點と爲したるはロックを以て嚆矢とす。一言に言へば、吾人の知識其のものよりも寧ろ實在の相に眼を著けたる從來の見地より移りて吾人の知識其のものを以て先づ硏究の對境となしたること、是れ近世哲學に於いてロックの占め得たる特殊の位置なり。
以上の目的に從うてロックは先づ吾人の觀念の由來を穿鑿することを以て其の硏究を始めたり。彼れ問ひ起こして曰はく、吾人に生得の觀念と名づくべきものありやと。而してみづから答へて曰はく、之れ無しと。かくて彼れは力を極めて生得觀念論を攻擊せり。先きにデカルトは生得の觀念といふ語を用ゐたりしが彼れの用方に二つの意義の交はれることは已に彼れが哲學の條下に述べたる所なり。而してデカルト以後此の語を用ゐる學者等は彼れの先づ用ゐたりし意味即ち直接に明らかなる觀念といふ意義に用ゐずして專ら生まれながら具有すといふ意味に用ゐたり。英國に於いてはケムブリッジの新プラトーン派學者の如きは此の語をかゝる意義に用ゐたり。而して此の意義にて生得の觀念の存在を主張する人々は多くは其の觀念の人類に遍通なること、即ち萬人の一致すること(consensus gentium)を以て其の理由となせり。ロールド、ハーバートは實に此の論法を用ゐて自然道德及び自然宗敎の基礎となる觀念を立てむとせり。ロックが之れに對する論に曰はく、假令萬人の悉く有する觀念ありとするも其の事は未だ以て其等の觀念の生得なることを主張する理由となすに足らず。假りに世に無神論者てふ者なしとするも神の存在を信ずる心を以て吾人の生得のものとなすこと能はず、何となれば吾人は皆同一の世界に住居し世界の事柄より推究して始めて其の如き觀念に達したりとも考へらるればなり。一言に云へば、人類は凡べて生活上同樣なる事柄に接する故を以て若干の同樣なる觀念を懷けるに至れりとも考へらるべければなり。斯くの如く萬人に通ぜりといふことが以て其の觀念の生得なることを證するに足らざるのみにはあらず、萬人に通ずといふ其の事がまた明瞭なる事實として承認せらるべきものにあらず。道德上の規律と雖も諸種の人民に通じて悉く同樣なるものを擧ぐること難く且つ數理及び物理上の原理の如きものも亦小兒野蠻人等に於いては見ることを得ず。盖し吾人は實際其の如き原理を生來思ひ浮かべ居れるものにあらず、通則と云ひ一般の槪念といふが如きものは吾人が多くの個々の事物に接したる後始めて思ひ浮かぶるものなり。人或は言はむ、其等原理通則等の觀念を有せざるが如く思はるゝものあるは其の本來具有したるものが唯だ境遇習慣等によりて埋沒せられたればなりと。されど境遇習慣等によりて埋沒せらるゝ恐れなき小兒等に於いて之れを發見せざるを奈何にせむ。又或は辯じて曰はむ、其等の觀念の小兒及び無敎育者等に存せざるが如くなるは是れ唯だ彼等の心の未だ其れらの觀念を思ひ浮かぶるまでに發達せざればなり、野蠻人と雖も若し其の知力を充分に用ゐ得るまでに進步せば必ず其等の觀念を思ひ浮かべ來たるべきなりと。されど若し吾人の知力が進步したる時に及びて始めて思ひ浮かべ得る觀念を以て生得のものとなさば、如何なる觀念と雖も亦それと均しく生得のものなりと云はるべし。何となれば其等の觀念を思ひ浮かぶるに適當なる準備を其の心に具へたらむには其の觀念の何たるを問はず何人も之れを思ひ浮かべ來たることを得べければなり。故に尙ほ生得觀念の存在を主張せむと欲する者は唯だ吾人が其の觀念を意識せずして心に有せるなりと云ふより外に取るべき遁路なし。されど我が心に有しながら其の觀念を意識せずといふことのあるべき理なし、我が意識せざる觀念の吾が心に存すといふは其の何の意義たるを解すべからず、そは心に在りといふことは心に識るといふことに外ならざればなり。かくの如く論結してロックは終に吾人には全く生得の觀念てふものなしと斷じ、デカルトの哲學に於いて重要なる地位を占めし「我」及び「神」といふ觀念、又其の他一切論理上、敎學上及び純理哲學上の原理と稱せらるゝものも一として吾人の生得したるものにあらずとなせり。然らば吾人の觀念は何處より來たるか。
《吾人の觀念は凡べて經驗より來たる、經驗を得る二途、感覺と反省、內官と外官。》〔四〕吾人は何處より吾が觀念を得たるぞと問ふに、ロックは答へて曰はく、其の起原は經驗の外に在るべからず、而かも彼れに從へば經驗には吾人の感官を以て外物に關して得るものと吾人が自ら吾が心作用を省み其の作用に就きて得るものとの二つあり。而してロックは前者を感覺(sensation)と名づけ、後者を反省(reflection)と名づけ、又は前者を外官(external sense)後者を內官(internal sense)と名づけたり。以爲へらく、吾人が觀念を得る順序より云へば、感覺は反省に先きだち而してまづ感覺によりて得たる觀念を用ゐてする心作用を覺知することに於いて反省即ち內官よりする觀念を得るなり、此等の二つを除きて他に吾人に觀念の來たるべき道なし故に吾人の心には唯だ二つの窓あるのみ。ホメーロスの詩が凡べて二十四文字を以て綴られたるが如く吾人の有する千差萬別の觀念は元來皆上に所謂二つの窓より入ち來たれる觀念を以て成れるものなり。吾人の心は拭へる板または白紙(tabula rasa)に譬ふべし、之れに觀念を記するものは經驗なり。內官及び外官によりて觀念の浮かべらるゝ時にのみ心は其の內容を有す、心は絕えず思念すといふは物體の不斷に運動すといふと等しく共に確實なる根據を以て主張し得べきことにあらず。
《單純觀念、其の四種。》〔五〕吾人が感覺及び反省によりて得る原始の觀念は之れを分析して更に原始なるものとなすべからざるが故に之れを單純觀念(simple ideas)と名づく。單純觀念を大別して四種となすことを得。第一は唯だ一つの感官のみより來たるもの色、音、香、味、溫熱の感及び障礙の感等是れなり。第二は二つ以上の感官(即ち視官及び觸官)より來たるもの、廣袤、形狀、動靜等是れなり。第三は唯だ反省によりて來たるもの卽ち吾人の一切の思想及び意思のはたらきを覺知することに於ける觀念是れなり。第四は內官及び外官の二者より來たるもの、例へば快苦、存在、力、一、繼續等の觀念是れなり。此の最後のものを細說せむに、吾人は內官及び外官の何れによりても能く快樂苦痛の感を覺え、又外官によりて事物の存在するを認め內官によりて吾が心に種々の思ひの存在するを認むることによりて存在といふ觀念を得、又外物の吾人にはたらき且つ吾人の意志のはたらくことを覺知する所に力といふ觀念を得、又感官によりて一物を知覺し心に一想念を覺ゆる所に一といふ觀念を得、又種々の事物が連續して感覺に現じ特に想念の相次ぎて出沒することを覺知する所に繼續といふ觀念を得。此等凡べて吾人の心に意識する所のものをばロックはデカルトの用語に從ひて觀念と名づけたり。
《物體に於ける二種の性質、第一性質と第二性質。》〔六〕吾人が內官及び外官によりて得る所のものは凡べて我が心に屬するものたる觀念に外ならず。されど其の中感官によりて得るものにつきては特に區別するを要するものあり。吾人は五官によりて外物に就きて感ずるものをば通常其の物體の性質と名づく、而して此等性質といふものも要するに觀念として吾人に意識せらるゝものなれども、其のうちに就き物體そのものに屬して離れざるものと唯だ吾人の感覺するところにのみ存するものとを區別し得べし。物體そのものに屬して離れざるものとは廣袤、形狀、數、動靜及び塡充性(solidity)を謂ふ、此等は唯だ吾人の五官に感ずる所に存する色、音、香、味及び溫熟等の感覺とは區別せられざるべからず。但しロックが此等後者を主觀的のものと見たるは曩にデカルトの唱へたる所と同趣意なるが、但だデカルトは廣袤のみを物體其の物に屬する性質なりと見、ロックは之れに加ふるに空間を塡充する性を以てせり。〔ヘンリー、モーアは已に質礙の性(impenetrability)を以てデカルトが謂はゆる物體の性に加へざるべからずと說けり。〕ロックはかくの如く物體の性と云はるべきものに二つの區別をなし、スコラ哲學者の已に用ゐたる、又ロックと相知れるロバート、ボイル(Robert Boile)も已に用ゐたる語を襲用して物體其の物に屬するものを第一性質(primary qualities)と名づけ、吾人の感覺する所にのみ存するものを第二性質(secondary qualities)と名づけたり。茲に第二性質と名づくるものは其れを以て直ちに物體其のものに屬せりといふを得ざれども唯だ其等の感覺を吾人の心に起こすべき力が物體に具はれりといふを得べし、尙ほ委しく云へば、物體の第一性質即ち其を組織する分子の大さ、數及び運動等によりて吾人の心に色、音、香、味等の觀念を起こす力が物體に具はれりといふを得べし。
《內官よりする觀念(知覺、保存、記憶等の心作用)。》〔七〕上に說けるが如く內官よりする觀念は畢竟吾人の心作用(而して其の作用は感覺によりて得たる觀念を用ゐるもの)を自ら覺知する所に起こるものなるが、それらの心作用を更に委しく述ぶれば、第一に知覺(perception)といふ作用あり、是れは吾人が初め感覺によりて觀念を得る時に其の觀念を自ら有し居ることを覺知する所に已に存せり。斯く吾が觀念を知覺するのみならず又其を保存する作用あり、保存(retention)の作用とは、第一には浮かび來たれる觀念を引き止めて其が知覺を繼續せしむる作用にして吾人が注意して一事物の觀念を把持し居る即ち是れなり、第二には一旦心に失はれたる(即ち忘れられたる)觀念を再び想ひ起こすことに在り。而して其を再び想ひ起こし而かも其を新たに得たる觀念とせずして曾て已に知覺したりしものとして認むる是れ即ち記憶(memory)なり、屢〻想ひ起こすことなくしては一たび得たる觀念も總じておのづから朦朧となりゆくものなり。次ぎに吾人は觀念の異同を差別する心作用を有す。次ぎにまた一觀念と他觀念とを差別するのみならず種々の觀念を比較して其の間の關係を認むる心作用あり。次ぎには又幾多の觀念を結合せしむる心作用あり。然れども此等諸〻の心作用は最初外官より得たる觀念に依りて存するものにして其等の觀念なくして起こり得るものにあらず、されど其等の作用を自覺する所に吾人はおのづから別種類の觀念を浮かべ來たるなり。
《複雜觀念の三種、狀態、本體及び關係の觀念。》〔八〕斯くして吾人の心は曾て得たる觀念を更に結合し又比較することによりて複雜觀念(complex ideas)を形づくり來たる。複雜觀念の形づくらるゝ趣を更に詳しく云へば、一には單純なる觀念を結合すといふこと、次ぎには其等の觀念を比較して其の關係を認むるといふこと、三には其等の觀念を比較して其の幾多のものに通じたる相をば差別の相より分かち離す作用即ち所謂抽象作用によりて形成せらるゝなり。これを要するに複雜觀念は吾人の心が單純觀念を以て造り設けたるものに外ならず。而して其等の複雜觀念を分かちて凡そ三種類となすことを得。一に曰はく、狀態の觀念即ち自立して存在するものにあらずして他の者に於いて始めて存在するものの觀念、二に曰はく本體の觀念即ち種々の性質を具するものとして吾人の想ひ浮かぶるものの觀念、三に曰はく關係の觀念即ち二つの物を比較する所に吾人の想ひ浮かぶるもの、即ち是れなり。
《狀態の觀念、簞純なるものと雜合せるもの。》〔九〕狀態の觀念を區別して簞純なるものと雜合せるものとの二つとなし得べし。單純なる狀態とは其れを成すものが凡べて同樣のものなるを謂ふ。例へば一ダスといふ觀念の如きは自立して存在するものの觀念にあらず、何等かの事物に於いて始めて一ダスといふことの在るなり、而して其は又同樣のものを幾何か重ねたるものなれば單純狀態なり。次ぎに戰ひといひ、又は盜みといふ如き觀念も亦何物かに於いて在るもの即ち狀態なれどもこれは同樣のものを累積せるに非ずして種々の異なる單純觀念の結合したるものなれば雜合狀態と名づくべきものなり。單純狀態の中特に吾人の注意すべきものは廣がりといふ觀念より得來たる所のもの、即ち一切空間に關するもの、例へば距離、容量、形狀等即ち是れなり、次ぎに繼續といふ觀念より得來たる所のもの、是れ一切時間に關する觀念にして吾人は繼續する事柄の相去る間隙を計りて時日等の觀念を作る、而して其の計量を何處までも延ばし行く所に永遠といふ觀念を得、次ぎには一といふ觀念より其を重ぬることにより數といふ觀念を作り、又そを何處までも重ね行く所に無限といふ觀念を得、其の他力といふ觀念より能動所動といふが如き觀念を得來たる。雜合狀態は吾人が唯だ假りに種々の觀念を繫ぎ合はして作る所のものなるが故に人民の習慣等の異なるに從ひて其が有する所のもの亦大に異なり、特殊なる雜合狀態の觀念を表はす特殊なる言語の一人民に在りて他には無きもの少なからず。
《本體てふ觀念の說明。》〔一〇〕本體といふ觀念は吾人が一物に種々の性質の變はることなく常に相結合するを見、而して其の性質の斯く結合して保たるゝことをば其等の性質のみが自立して存在するものと見ては解すべからざる所より別に其等を保持するものなかるべからずと思ひ到る所に得る觀念なり。されど其等本體は如何なるものなるかと云へば吾人は毫もそれに就きて知る所なし。若し人ありて色又は重さの具せられ居る所は何處に在るかと問はば唯だ廣がりを充たし居るものに在りと答ふる外あるべからず、而してまた其の廣がりと質礙とは何物に具有せられあるかと問はれむには、吾人が其の物の何たるかを言ひ表はす能はざること、恰も印度人が世界は大象に保たれ而して其の大象は大龜に保たると云ひて大龜を保つ者の何たるかを言ひ得ざるが如し。是を以てロックは本體といふ觀念をば混雜せる觀念(confused idea)となせり。(デカルト及びスピノーザに於いて緊要なりし、又最も明瞭なるものなりし此の觀念がいかにロックによりて取り扱はるゝかを見よ。)斯く本體に就きては其の何たるかを言ひ得ざれどもなほ吾人は種々の性質を具有せるものとして其を考へざるべからず。吾人は種々の物體上の性質を具有するものありとして茲に物體的本體を考へ又種々の精神上の作用を爲すものあるがゆゑにそこに精神的本體を考ふるなり。されどロックはその物體といひ精神といふものの本體の何たるかは吾人の知り得ざる所なりと思へるよりしていへらく、吾人は吾人の靈魂の如何なるものなるかを審かにすること能はず、故にそを物質なりとも又物質ならずとも斷言すること能はず。盖し造物主が物質に賦與するに知覺等の精神作用を以てしたりとも必ずしも考へられざるにあらず、其等精神作用が他の本體に賦與せらると考ふるに比して其れが物質に賦與せらると考ふるは決して難きことに非ずと。されど尙ほロックの意に從へば、物質に精神作用の賦與せらるといふが如きことは造物主といふ如きものの力に依るとせざれば考ふること能はざる所にして、唯だ物質といふものをのみ思ひては何故に其れに精神作用の具はるかを解すること能はざるなり。盖しロックは猶ほデカルトの二元論を脫し居らざるなり、但し彼れは本體といふものの存在を否まざりしかど其の何たるかを知るべからずといふ所より其の所說のデカルトとは異なれる趣を帶ぶるに至れるなり。
《關係の觀念とは如何、聯想。》〔一一〕關係の觀念は一物と他物とを比較する所に吾人の想起する所のものにして一事物そのものに存するにはあらず。此の關係の觀念の中最も主要なる者の一に因果といふ觀念あり、盖し一物又は其の變動によりて他物又は其の變動の生ぜらるゝを見る所に彼れを因とし是れを果とする觀念の浮かび來たるなり。次ぎに同一、異別といふも關係の觀念にして二物が同時に同一の空間を占領すること能はざるが故に同時に同一の空間を占領するものは其れ自身に同じきものとせられ之れに對して他は異別のものとせらる。無機物に於いて同一といふは同時に同處を占領する物體の部分に在り、生物に於いて同一といふは其の部分が新陳代謝しながら猶ほ其の組織の同樣に保たるゝをいひ、而して人格の同一と云ふは意識の繼續することに在りて心の本體の同一といふこととは異なり、何となれば假令心の本體は異なりとも若し記憶によりて一より他へ同一なる意識の繼續さるれば人格上同一のものといふべく、又本體は同一のものにても意識全く斷絕して異別のものと分かるれば人格上異なる人と云はざるべからざればなり。其の他空間及び力等に就きての觀念は多くは關係の觀念なり。
かくの如く觀念の相比較せらるゝことによりて種々の複雜觀念は形づくらるゝが其等觀念相互の間には其れに自然に存する關係もあれば又それが偶然に相結ばれ習慣によりて相喚起し來たるもあり。此等が所謂聯想(association)と名づくる現象を成して種々の觀念が吾人の心に相聯結し相喚起し來たるなり。
《言語、一般觀念、抽象作用、種類の本質。》〔一二〕吾人が觀念を複雜に作り上ぐることに於いて大なる關係を有するは言語なり。一人が其の觀念を他人に傳ふるには其れの記號を以てせざるべからず、而して其の記號の最も便利なるものは即ち通常謂はゆる言語なり。言語はもと事物を示す記號と云はむよりも寧ろ吾人の觀念を現はす者として用ゐらる。然れども各觀念に各〻一つの言辭ありと云ふにはあらず、かくては却つて觀念を取り扱ふに不便なるが故に特別に一物にのみ名づくる固有名詞を除きては大凡そ言語は或種類の物を示す一般觀念(general idea)の記號として用ゐらる。而して一般觀念の造り上げらるゝは個々の事物を觀察して其の共通の相を差別の相より引き離して考ふること即ち抽象作用によれり。故に抽象作用と言語とは親密なる關係を有する者なり、他の心作用は動物と雖も多少具有すと見て不可なけれども唯だ抽象作用のみは彼等の有せずして特に吾人人類の有するところなり。而して此の抽象作用によりて造り成されたる一般觀念は是れ唯だ吾人の思ひに存する一種の複雜觀念に外ならず。眞實存在する者は凡べて個々の物なり、故に吾人の觀念の發達も亦個々物に對する者を以て始まり、最初より遍通の理若しくは一般觀念といふが如きものを思ひ浮かぶるにあらず。之れを要するに、普通名詞と名づくる者は一物を示す者にもあらねば個々の物を一々に指すものにも非ず、唯だ或事物の種類を指示するものなり。而してかゝる言辭の意昧是れ即ち其の種類の本質(essence)と名づくる者なり。例へば黃金の本質は黃金といふ言辭に含有すとせられたる意味なり。此の言辭の意味を以て物の種類の分別を爲す。ロックは之れを精しくは命名上の本質(nominal essence)と云ひて實在上の本質と別かてり、以爲へらく、凡そ吾人が物の種類を別かつは其の物が實在に於いて有する本質の何たるを以てするに非ずして、唯だ假りに一名辭が意味すと見たる若干の性質の有無を以て別かつなり、實在上の本性に就きては吾人の詳にせざること多しと。以上のロックの論は畢竟中世紀の末葉に興隆したる一種の唯名論又は槪念論と名づくるものの立ち塲を受け繼げるなり。
《對實觀念と非實觀念、相應觀念と不相應觀念、眞妄の別、命題。》〔一三〕吾人の槪念に對して其れに應ずるものある時には之れを對實觀念(real idea)と云ひ眞實其れに對應するものなき時には之れを非實觀念といふ。對實觀念の中、一觀念が實際其の指示するものに善く應合したる時には其は相應觀念(adequate idea)と名づけられ、それに應合することの足らざる時には不相應觀念(inadequate idea)と名づけらる。非實觀念は實際あるべからざるものの觀念にして例へば卑怯なる勇者と云ひ又は人頭獸身の怪物と云ふ如きはこれに屬す。されど雜合狀態及び關係の觀念は唯だ吾人の心に假造したるものにてはあれど是れ必ずしも右云ふ意味にて非實のものにあらず、そは其等は元來吾人の假造したる觀念として存するより外にそれの對應すべきもの(それの指示すべきもの)を有せざればなり。故に其等を非實となすべき所以のものが其等以外に在るにあらず、其等はそれ自らが原型(archetypa)なれば其れと相對せしめて是れを非實となすべき者なし、唯だ若し其の如き一觀念を意味する辭をそれの正當に適用されざる觀念に用ゐるときにはそれが非實となると謂ふべし、例へば物惜しみせぬと云ふ觀念を公義の觀念と呼ぶが如し。斯くそれ自身が原型なる觀念に對しては單純觀念は他に其の對境を有するもの(ektypa)と謂ふべし。物體の第二性質と名づくる觀念も亦それに對應する何等かのものが物體に實在せるなり。
孤立せる一言辭又は一觀念は其の明不明の度に於いては大に相異なるあれども未だそれに眞妄の別はあらず。眞妄の別は一言辭と他言辭とを結びて「一命題」を形づくるところに存するなり。されば世に眞理と名づくるものは畢竟相合ふ觀念を合はせ相合はざる觀念を分かつに在りと謂ふべし、委しくは之れを思想上の眞理(mental truth)と名づけ而して其等觀念の相合ふと相合はざるとに從って其等の觀念を言ひ現はす言葉を相關係せしむる、これを言語に於ける眞理(truth of words)と云ふ。
斯く觀念を言ひ現はす言語を相關係せしめて命題を形づくるにも或は其の主語として取れる言葉の中に已に含有せる事をいふに過ぎざる者あり。此等の命題は吾人の知識を廣むるものに非ず、此等を唯だ言葉のまゝの(verbal or trifling)命題と名づくべし、例へば三角形は三つの角を有する形なりといふが如き是れ也。此等とは異なりて吾人に特に敎ふる所ある(real or instructive)命題あり、例へば三角形の三つの角度の和は二直角に等しといふが如き是れ也。ロックの信ずる所に從へば、凡そ數學上の命題は皆後者の種類に屬するものなり。斯く吾人の智識を廣むる者と唯だ一言語の意味を繰り返すに過ぎざるものとの區別はあれど吾人の智識は凡べてかくの如き命題を以て言語に言ひ表はさる、約言すれば、智識は一觀念が他觀念と合ふか合はざるかを認むるに在りて觀念が觀念ならぬ或物に對する關係にはあらず、即ち智識は觀念相互の關係に存するものにして其が相互の關係の範圍外に出づべきものに非ず。
《直覺的知識、論證的知識及び或然的知識、觀念合不合の關係四種。》〔一四〕觀念の合不合を認めて吾人の正確なる智識を形づくらむには先づ直覺的に明らかなるものを以て基礎とせざるべからず。吾人の觀念を比較して其の合ふか合はざるかの直ちに見定めらるゝもの是れ最も確實なるものにして之れを直覺的知識(intuitive knowledge)と云ふ、其の次ぎに確實なるを論證的知識(demonstrative knowledge)といふ。盖し論證的知識とは二箇の觀念を比較して直ちに其の合不合を認むること能はざれども其の間に挾むに他の觀念を以てし而して其の媒介によりて件の二觀念の合不合を見定むるの謂ひ也。此の論證的知識が確實のものたらむには如何に多くの觀念の媒介を揷入すとも其の一步々々が各〻直覺的に明らかなるものならざるべからず。例へば甲と丁とを直接に比較し其の相合ふことを直覺して甲は丁なりと云ひ若しくは其の相合はざることを直覺して甲は丁ならずといふは直覺的智識なるが、それが斯く直覺的に明らかならずとも尙ほ論證によりて明らかにならむには乙丙を揷みて甲と乙との相合ふことを認め、又乙と丙と及び丙と丁との相合ふことを認めざるべからず、而して甲と乙との和合ひ乙と丙と丁との相合ふことが各〻直覺的に明らかなるによりて其の論證は始めて確實なるものと云はるべし。故に確實なる論證は直覺的知識を連續せしめたるものといふも不可なし。唯だ論證によりて始めて得る知識は其の直ちに明らかなるに非ず且つ多くの思想を其の間に挾むを要して其の複雜なる思想作用の中に過誤を生じ易きことに於いて直覺的知識と區別せらるゝを得。斯くして直覺的にも認むることを得ずまた論證的にも確實に認むること能はざるものは皆或然的知識の範圍內に在る者にして吾人は唯だ之れに對して然るならむといふ信念を持し得るに過ぎざるものなり。上に述べたるが如く直覺的知識と論證的知識とを別かつことに於いてはロックはオッカム等に傚ひたるものと見て不可なし。又論證を以て確實に吾人の知識を進め行かむには其の一步々々が直覺的に明瞭ならざるべからずと云へる、是れまさしくデカルトの唱へたりし所なり。
右云へる觀念の合不合といふことを尙ほ詳細に述ぶれば一つには觀念の同一又異別といふこと、二つには觀念の關係、三つには觀念の共在、四つには其の觀念に對する實在物の有無を認むることとなる。此等もろ〳〵の點より觀念相互の關係を定むることに於いて種々の知識は存在するなり。
《觀念の同一、異別及び觀念の關係。》〔一五〕上に擧げたる觀念の合不合を見るに就きての四種の點の中、先づ最初の二つに就きて言はむに、直覺的に或は論證的に確實なる吾人の知識は多く此等の種類に屬す、蓋し觀念の異同或は關係を直覺的に或は論證的に認識する時に於いては其は其の觀念が他のものに應ずるか否かを見るを待たずして吾人の當さに承認すべき所のものなり、何となれば是れ觀念と觀念との關係に外ならざれば也。凡そ論證的に確實なる知識を形づくり得るは吾人自らの作り設けたる觀念相互の關係を見る所に在り、數學の如き即ち是れなり。例へば三角形の角度の和といふ觀念と二直角といふ觀念との關係は吾人の思ひ浮かぶる所に在るものにして其は觀念の上に於いて明らかに認めらるゝがゆゑに他に其を證するものを要することなく、特に一物を捕らへて其を三角形なりとも又二直角なりともいふを要せず、茲に實在する三角形は眞實の意味にて三角形といふべきものならずとも若し其を三角形なりとせば其の角度の和は必ず二直角に等しといふことを承認せざるべからず。かくの如く數學上の命題は唯だ觀念と觀念との關係を見るものなるがゆゑに其は論證的に確實なるものなり。ロックは以爲へらく、倫理學も亦能くかく論證的に確實に建設せらるべし、何となれば倫理學の目的とする所は吾人が實際行ひ居る個々の事實の如何なるかを穿鑿するに在らずして寧ろ吾人が人間として當さに爲すべき事柄の關係を定むるに在れば也。例へば正義は實際しかじかの所に在りや否やと云ふ事實の穿鑿を事とせずとも唯だ正義てふ觀念を形づくればその觀念を思ひ浮かぶることに於いてそを吾人の當さに行ふべきものなりとするの關係を認めざるべからざるなり。此のゆゑに倫理學は數學と共に論證的學科の一として數へらるべきものなりと。此のロックの論は彼れが知識論の一端として特に吾人の注意を引くに足る。
《觀念の共在。》〔一六〕次ぎに觀念の共在といふことに於いて合不合を見るの知識は槪ね必然のものならず。そは吾人は種々の性質の一物に共在することを發見すれども其の性質相互の間に必然の關係あるを發見すること甚だ少なければなり。形ある物には廣がりといふ性質なかるべからざること及び相衝突して運動を傳ふるには其の物が各〻質凝の性を有せざるべからずといふことの如きは必然に相關係し居る性質として吾人の認むべきものなれども、斯かる少許の例を除きては吾人は唯だ一性質と他の性質とが相共在することを認むるのみにて其等の必然相伴はざるべからざることを知了すとは云ふこと能はず。其の故は第一に吾人は感官を以て感ずる種々の性質が如何に多く結合して如何に運動することが如何なる感官上の性質を吾人の心に喚起するかを詳かにすること能はず、假りに其を詳かにしたりとすとも何故に第一性質の或成り立ちが第二性質の或ものと必然に相關係すべきかを發見し得ず、唯だ物質上かゝる運動の存する所には斯かる感覺の生ずといふことを見るに過ぎずして其の間に必然の關係あることは吾人の知識の量り得る範圍にあらず。故に其等の事に關して吾人が實驗によりて知り得る事柄は畢竟個々の事相を認むるに過ぎず、唯だ經驗上此の性質と彼の性質とが相共在せりといふことを認むるのみにて其の關係の遍通又必然なることを斷ずる能はず。此のゆゑに物質に關する經驗的學問は畢竟ずるに確實に學理的のもの(scientific)となるを得ざるなり。吾人の有する遍通の知識は要するに吾人の思想上の關係に存在するものの外に出でず。斯くロックが自然科學は要するに實驗的學問ならざるべからずと說き、而して又其れが實驗的學問なるべきが故に遍通にして全く確實なる知識を與ふるといふ意味にて學理的のものとなること能はずといふ表白は經驗哲學の開祖の言として特に吾人の注意を引くべきものなり、且つ其の表白の意味と價値との、更に悉しくは如何に考ふべきものなるかは是れより以後の哲學思想の發達に於いて徐々に吾人の發見し行くべきものなり。
《觀念に對する實在物の存在、神及び外物の存在の論證。》〔一七〕終はりに觀念に對する實在物の存在に就きての知識には第一に吾人自らの存在を直覺的に認むる知識あり。ロックが此の點を論ずるや殆んどデカルトの言葉其のまゝを用ゐたりとの批評を免れず。彼れ曰はく、吾人の存在することに優りて更に明瞭に認識さるべきものとてはあらず、我れは思盧を回らし、快苦を感ず、而してかく思慮し快苦を感ずといふことの明らかなると同じく之れを感ずる我れの存在は明らかなり。我れ若し凡べての事を疑はば疑ふといふことによりて已に疑ふ我れの存在することを明らかに直覺すべきなりと。
次ぎに實在物の存在に關する知識の中に論證を以て神を認むる知識あり、此の神の存在を論證するに於いてもロックはまた明らかに多くデカルトに負へり。彼れ曰はく、神は彼れにつきての生得の觀念を吾人に與へず、然れども吾人は論證してよく彼れの存在を認むることを得べく、而して其の論證には我れの存在を根據として考ふより外に他のものを假らずして十分なり。盖し我れの存在すること即ち我れの或實在物なることは疑ひを容るべからざる程に明暸にして而して之れと共に全くの無が實に存在する或物を生じ得ずといふことも亦吾人の直覺的に明らかに確認し得べき所なり。無が有を生ずといふは無が二直角に等しといふと同じ程に妄なるものなり、若し何もなきものが二直角に等しきことの有り得べからざることを知り得ざる者あらば其の者は到底オイクライデースに於ける論證を解すること能はざるものなり。此のゆゑに若し茲に或實在物あらば之れによりて吾人は何物かが無始より存在することの明瞭なる證明を得たるなり、何となれば無始より存在せざるものならば其れには存在の始めあるべく、存在の始めを有するものならば其は無より生ずること能はざるものなるが故に其れを生ぜしめたる或物が已に存在し居らざるべからざればなり。斯くして吾人は我れの存在すといふ直覺的知識より推究して永遠に存在する者の存在を承認することを得るなり。且つ又他より其の存在を得たるものは其れの具有するものも亦他即ちそれに存在を與へたる者より得たるものならざるべからず故に永遠に存在する者は他のものに於ける凡べての力の淵源たらざるべからず。而して吾人は我れに於いて智慮の存することを認む、故に凡べてのものの原因と見らるべきものは又智慮を具へたる者ならざるべからず、若しそを全く智慮なきものとなさば何故に智慮といふ作用の吾人に存在するかを了解すべからざればなり。且つ吾人は天地萬物に現はれたる秩序調和及び其の美を考へても能く一つの永遠に存する無限智ある者即ち神の存在を承認せざるべからずと。ロックに取りては神は直覺的に知るべからざるものなれども其の存在を證する論證は少しも疑訝を挾むこと能はざるほど明瞭確實なるものと思はれたりき。盖しロックが此の論證はデカルトが因果律を直覺的に明瞭なるものとして神の存在を證するに用ゐたりし如く矢張り之れを直覺的に明らかなるものとして用ゐたるなり。
次ぎにロックは實在物の知識中には吾人が感官を以てする外物の存在に關するものあるを說きて曰はく、吾人の五官に現ずるものが吾が觀念以外に存すといふことも亦吾人の承認せざるべからざることなり。但し其の外物に就きて吾人の直接に心に浮かぶるものは我が觀念に外ならざれども其等の觀念は我が隨意に思ひ出だし得る他の觀念とは異なりて、吾人の思ひ起こすことを避け得ざるものなり。故に其の如き觀念に對しては、吾人は外在の原因の無かるべからざることを推知し得べし。ロックは此處にもまた因果律を根據として論じたり。且つ外物の存在に就きては吾人の五官は相互に其の證明を合はす所あり。例へば眼によりて火の在ることを見ると共に手に觸るゝといふことが亦其の存在を示すが如し。されど此の外物の存在を知る知識は上に擧げたる直覺的に知る我の存在及び論證的に知る神の存在の知識に比すれば確實なることに於いて其の下に在るものなり。されど實際生活の用を達する上に於いては吾人は不足を感ずることなきほどに外物の存在を確むることを得。斯くロックが知識論上我れの存在を以て吾人の知識の直接に確かなるものとし、次ぎに神の存在を確實に推知し得と云ひ、而して最後に感官を以てする物體の存在に關する知識を置けるところ、是れ亦明らかにデカルトの所說に由來せるなり。
《或然的知識の說明、合理、背理、超理の別。》〔一八〕ロックに從へば凡べて論證的に確實なりと云はるべき知識は觀念と觀念との關係を認むるに止まりて實在物の存在に及ぶものにあらず、されど彼れは唯だ一つの例外を容れて神の實在は確實に論證することを得と考へたり。此等の論證的知識及び前に述べたる直覺的知識の外に關しては吾人は凡べて或然の度に從ひて吾人の判斷を定め行かざるべからず、而して這般或然的知識は或は信念と名づけらる。吾人の信を來たすには多くの差等あり、而して吾人が其を信ずる根據は一つには吾人自らの經驗觀察にして二つには他人の證言なり。理性の作用は上來述べたる吾人の知識の成り立ちに從ひて一塲合に於いて吾人の知る所が全く確實なるものとして承認せらるべきか、はた唯だ或然のものとして承認せらるべきか、若し後者に屬するものなる時には其の或然の度即ち其れが如何ほどの根據を以て吾人に信ぜらるべきものなるかを見定むるに在り。而してこれを見定めむためには必ずしも論理學者の謂はゆる三段論法を用ゐるを要せず、吾人が實際推理の作用を爲す上に於いては三段論法といふが如き形式は寧ろ不用なるものなり。
幾多の或然的知識の中、個々の實際の事柄に關する知識は、畢竟ずるに吾人が親しく其等個々の事柄に接して得たる觀察を以て根據となすものにして他人の證言に依る時に於いても他人が亦親しく其を觀察したることに根據を有せざるべからず。而して吾人が直接に觀察實驗し得ざる事柄即ち宗敎上の信仰の如きに於いては其の根據は之れを神によりて與へられたる證言に措かざるべからず。故に道理と信仰とを相對せしめていふ時は前者は吾人が其の理由を親しく我が經驗上に求むることを得るものにして後者は神の與ふる證言を以て確實なる根據とする點に於いて兩者は相異なりといふを得。このゆゑに宗敎上の信仰には吾人の理性を以て親しく發見し得ざるものあり、されど此等も決して全く信ずべき道理なきものにあらず、何となれば十分の理由ありて神の證言を確實なるものとすと云はば其れほどの道理は其處に存在すればなり。されど右爲せる如く道理と信仰とを區別して云へば後者を以て道理以上のものとなすを得。斯かる趣意に基づきてロックは中世紀の哲學者以來已に唱へ來たれる區別に從ひて合理、悖理及び超理の三種を別かち、宗敎上悖理なることは固より信ぜらるべからざれども超理の事はよく信ぜられ得るものなりと云へり。されば宗敎上ただ吾人の理性を以て定め得る所のものの外に天啓によりて示さるゝものあれど是れ畢竟前者を補充し、そを更に擴張せるものと見るを得、何となればそれが天啓なることの證據(即ちそれが眞實に神の示現なりといふことの證據)は終に吾人が理性の判斷に訴へざるべからざればなり。但し神の證言たる以上は其が吾人の信ずべきものたることはもとよりなれど、其が果たして眞に神の證言とせらるゝ理由あるか否かを定むるは畢竟ずるに理性の範圍內の事と云はざるべからず。
《ロックの哲學のデカルトの哲學に對する關係及びロックの哲學の批評。》〔一九〕以上ロックが吾人の智識の起原、成り立ち、界限を明らかにせむとて說き出だしたる彼れが哲學、即ち世に彼れの經驗哲學と名づくるものの要領を陳述しぬるが、今顧みて委細に其の哲學思想を成せる要素を考ふれば著るくデカルト學派の唯理的學說に由來せる動機を認むることを得。ロックが吾人の觀念の淵源に二種ありとして外官と內官とを說ける所に於いてデカルトの二元說が其の形を裝うて潛めること明らかなり、彼れが物體の第一性質の或成り立ちが何故に第二性質の或ものを吾人に思ひ浮かべしむるか、換言すれば、物體分子の種々の結合及び運動が何故に吾人の意識上のものなる感覺を起こし來たるかは了解すること能はずと云へる所の如きは正さしくデカルト學派の口吻なり。ロックに取りてはデカルトに於けるが如く心作用と意識とは同一不二のものにして心に思ひて其を意識せざることなしとせられ、而して所謂意識の作用と物體の運動とは嚴然として相對峙すとせられたり。
且つまたロックが心理上觀念生起の順序を論ずるや、外官を先きなるものとして之れに重きを措きたれども後に知識上の價値を論ずるに及びては其の輕重を倒まにし吾人の內官によりて發見する所のものを優れりとせり。盖し感官上外物の存在を知る知識は彼れに取りては全く確實のものといふを得ず、其れと異なりて吾人が內省的實驗によりて我れの存在及び觀念相互の關係を認むる知識は全く確實なるものなり。此の點亦明らかにデカルトが哲學思想の痕跡を止めたるものなり。
ロックはまた吾人の心を白紙に譬へて吾人の觀念は凡べて吾人が所動的に受け入るゝものなるかの如くに說けり。されどこの有名なる白紙の譬喩は彼れの本意を表はすには不適當なりと云はざるべからず。彼れが所謂經驗說は固より唯だ吾人の知識の淵源を五官によりて得る感覺のみに歸する感覺說とは異なり。彼れは別に內官によりて得る觀念を說けるのみならず其の觀念を何處より得るかと尋ぬれば其は吾人が外官によりて得たる觀念を以てする我が心作用に就いて得るなり。而して其の心作用はもとより外官によりて得たる觀念なくして有り得るものならねどそれは外官によりて得たる觀念とはおのづから別なるものにして吾人の心性に具する活動と云はざるべからず。此の處より見れば、ライブニッツが吾人の知性其のものは感官より來たれるものと云ふべからずと說けるはロックの必ずしも否めるところにあらず、何となれば彼れは感覺によりて得る觀念と共に吾人の心作用をも說き而して此の心作用は寧ろ能動的のものと見ざるべからざればなり。盖し感覺よりする觀念は經驗に待たざるべからず即ち其處に於いては吾人の心は所動的なりと謂はるべけれど其等の觀念を比較し結合するは心の能動的作用と云はざるべからず。ロックに從へば、觀念は本來心の能動的に造り出だせるものにあらざれども其を比較するとせざると、結合するとせざるとは心其のものの作用に在りて他に待つ所あるにあらず、而してまた其を比較し結合したる以上は其の觀念に具はれる關係を發見せざるを得ず。而してロックは其の觀念の關係を見て恰も觀念其のものに必具して離れざるものの如くに考へ、吾人は唯だそを發見するを要するのみと思惟したるがゆゑに其の關係を認むることに存する吾人の知識は彼れによりて遍通必然のものとせられたり。一言にいへば、彼れが觀念を取り扱ふや恰もこれを以て一定不變の關係を具へ居る如きものとなせり。此の點に於いてはロックは唯理論者の考へ方を脫し居らずと云はざるべからず。但し彼れは吾人の推理と云ひ知識といひ皆吾人の心に存在する觀念を以てする作用に外ならずとなし、而して其等觀念は唯だ個々のものとして存在して、其等觀念其のものの遍通なるにあらず、遍通といふことは唯だそれに附屬せることにして、それは一個物のみならず多くの個物が其の一觀念によりて表示せらるゝことの外にあらずと云へり。然れども一個の觀念に外ならざるものが何ゆゑに多くの個々の物を表示し得るか、換言すれば、何ゆゑに遍通性を得來たるかと云ふことの說明は猶ほ彼れによりて明らかにせられず。彼れは吾人の有する觀念は其が存在の相に於いては畢竟個々のものたるに外ならずと說きながら、なほ時に觀念相互の間に遍通不動の關係のおのづから具はれるが如く說けるは畢竟彼れの知識論に於いて相反對せる二つの動機が錯綜せるがゆゑなり。
ロックはまた關係の觀念及び雜合狀態と名づけたる複雜觀念は皆吾人の心の造れる所に外ならずしてそれらの觀念以外に其れに對應すべき實在物あるにあらずと說きたれども、本體といふ觀念に於いては其れに對應する實在物ありとなせり。されど彼れが知識の淵源を說く所より考ふれば件の本體といふ觀念は何處より來たるべきものなるかを認め難し、外官によりて來たるものにもあらねば、また外官によりて來たる觀念を結合せしめたる單純狀態及び雜合狀態の觀念にもあらず、又觀念相互の關係にもあらず、遂に本體として指す所のものの觀念の來たる所以を解し難し。是に於いてロックは本體と稱して指す其の物の何たるかは吾人の知識する所に非ずとして其の觀念の價値を蔑視し其のこれを言ふ口吻は大にデカルト及びスピノーザと異なりながらなほ其のものの存在を承認せり。こゝ亦ロックが猶ほデカルト學派の羈絆に繫がるゝ所と云はざるべからず。
ロックはまた關係の觀念の一種として因果といふ觀念を擧げ、而して關係と名づくるものは吾人の心にて觀念を比べたる上にのみ存在するものにして、實在物を示すものにあらずと云ひながら、此の關係の觀念を根據として神の實在を證せむとせり。且つ彼れは因果律を以て遍通の價値を有して直覺的に明瞭なるものとせり。然るに彼れが吾人の知識の起原を說く所に從へば、吾人の最初に知るところのものは個々の事柄に外ならず。故に彼れの說によれば實物に就きての吾人の知識を律し得る遍通の理としての因果律が何ゆゑに直覺的に吾人に明らかに認めらるゝかを解し難し。畢竟彼れの何心なく因果律を取り扱へる仕方は少しも他の唯理學派の論者と異なる所なし。
彼れはまた吾人の知識は觀念と觀念との關係を認むるものに外ならざるがゆゑに觀念其のものの外に出づること能はずといふことを屢〻明言しながら猶ほ吾人の知識の中實在物の有無を認むるものありとなせり。以爲へらく、我れの存在と云ひ、神の存在と云ひ、是れ唯だ吾人の心に在る觀念の存在をいふにあらずして觀念以外に本體としての存在をいふなり、また吾人の感官を以て(全く確實なりとは云ふことを得ざれども)外物の存在を知ることを得と。されど觀念と觀念との關係にのみ止まる知識が何ゆゑに觀念に對する實在物の上に及び得るか。ロックは觀念の合不合といふことの中に觀念と其れに對する實在物との關係をも籠めむとすれども是れ明らかに彼れの爲し得べからざることなり。彼れは物體の性質に第一第二の區別を爲して前者は唯だ吾人の心に觀念として存するのみならずして物體其のものに離れざるものなりといふ。されど何故に此の種の性質に於いてのみ觀念に對して尙ほ外物の實在するありといふことを知り得るか。此等の點に就きてロックの所說に改むべき點の存するは見難きことに非ず。彼れが知識を論ずるや其の言頗る錯雜せる所あるなり。
以上述べたるが如くロックは本より實驗哲學の要旨を先づ最も明らかに唱へ出でたるものなれども猶ほ彼れが如何に多くデカルト學派の思想を維持し居れるかは決して見るに難からず、而して其のデカルトに負へりと見ゆるところのものの中には實はデカルトと共に其の共通の淵源なるスコラ學者の思想に由來するところもあるべし。ロックは明らかにオッカム等が唯名論の系統を引けると共に又スコラ學者の脫し居らざりし而してデカルトに傳はりて彼れが唯理學派の說に入り來たれる要素をも繼承せる所あり。彼れはスコラ風の學問に慊焉たらざりしかどもなほ明らかに其を學びたる痕跡を止めたり。
ロックの學說は歐洲の學問界に一大潮流を起こして哲學上多くの學說の淵源となりたれど右論じたる所によりて知らるゝ如く彼れが所說には整頓せざる所なほ甚だ多く從うて種々の點に於いて批評を受くることを免れざりき。一方には彼れとは反對の立塲よりして其の說を批評し得ると共に又他方には彼れの立塲に在りて彼れが說の中途に彷徨せる所あるを改めそを其の當さに進むべき所に進ましむるを得。前者に屬する批評の中最も有力なるものはライブニッツによりて爲されたり。ライブニッツが批評の最も深くロックの學說に觸れたる點は其の說を以て吾人の心性作用に於ける無意識的方面を看過せるものとなす所に在り。ロックは以爲へらく、吾人の心に本具するものなる以上は其は我れ自らに意識せられざるべからずと。ライブニッツは曰はく、否必ずしも然らず吾人の意識は其の極めて漠然たるものより漸次に發達し來たるものなり、知識の進步は其の初め可能的に具へたるものを發揮し來たり、初め無意識的に爲せる作用を漸次に意識し來たるに在り、吾人の心性に本具せざるものにして他より入り來たり得べきものなしと。ロックは曰はく、吾人には一として生得の觀念てふものなしと。ライブニッツは曰はく、吾人の觀念は悉く生得なりと。ロックは曰はく、若し吾人の知識の發達するに從ひて其の觀念の浮かび來たるべき條件の具はる時に始めて浮かび來たるものを生得と云はば一切の觀念は等しく生得と云はるべきなりと。ライブニッツは曰はく、實に然り、漸次に發達の條件に從ひて吾人の心識に浮かび來たるといふことは其が本具のものなりといふことと決して相容れざることにあらずと。即ちライブニッツによりては生得といふことがデカルト及び其の繼續者に於けるとは異なる新らしき意味に解せられ、而してロックの非生得說に對して頗る意味深き反對の見解をなせるなり。
予輩は次ぎにロックの創始したる觀念の硏究及びそれに基づける哲學(ideal system)の爾後の發達を叙せむとするに當たり先づロックの立塲よりして當さに引くべき結論を引き出だしたる者として吾人の注意すべきバークレーの哲學に移らむ。
第三十八章 ジョージ、バークレ一
ジョージ、バークレー(George Berkeley)は一千六百八十五年愛蘭に生まる、其の家はもと英吉利より移住せるものなり。ダブリンなるトリニティー、カレッジに入りて學べり。彼れは夙に心を哲學の硏究に傾け意味なき諸多の空漠なる抽象的觀念を去り、直接に吾人の實驗し得ることに基づきて其が思想を運ばし、而して其の結果として知識と信仰との爭ひを徘除せむと心掛けたり。彼れは一千七百〇九年其の最初の著作にして心理及び知識の論に於いて一新見地を開きたる著書『視覺新論』("New Theory of Vision")を著はし、其の翌年には彼れが哲學上の大著『人知の原理』("Principles of Human Knowledge")を公にせり。其の後倫敦に來たりて某處の文學社會に交はり、其の學識、好尙及び其の性質の溫雅にして君子の風趣あるを以て大に交友の敬愛を受け、また其等當時の文士と交はりを訂せし所よりスティールの發兌し居たる雜誌『グアーデアン』("The Guardian")に投書せることあり、其の後ピーターボロー侯がシヽリーに使するに侍して往けり。千七百十三年對話體にものして文章美はしき『ハイラスとフィロノウスとの對話』("Three Dialogues between Hylas and Philonous" )を著はし、尙ほ後には歐洲大陸を旅行して巴里府に在りし時にはマルブランシに會して盛んに哲學上の論議を鬪はしたることもあり。一千七百二十四年には英國敎會に於ける一敎職を授けられたりしが後彼れは其の敎職に伴ふ少なからざる收入と共に其の位地を棄てて北亞米利加に行き其處に敎化を布かむことを思ひ立ち遂に政府の補助を受くべき約束を得て大西洋のかなたに航し居をロード、アイランドに卜して彼れが歐洲に在りては行ひ難しと見たる其の理想を新國に試み其の人々をして自然なる生活を送らしめ文藝及び宗敎を布きて彼等を新らしき敎化に浴せしめむと企てたり。されど政府が其の約束を守らざりしが爲め大なる困難に陷り數年間自費を以て支へしが遂に之れが爲めに自己の財產の大部分をも擲ち一千七百三十一年遂に空しく其の故國に歸れり。一千七百三十四年監督の職に擧げられ彼れは之れを辭せむと欲したれども國王之れを許さざりき。彼れが其の監督の下に在る區域の人民に對するや貧者を救恤する等種々の社會上の事業に力を致したり。一千七百五十二年居をオックスフォルドに移しゝが翌年一日讀書し居ける時急に心臟麻痺のために逝りぬ。
バークレーは啻だ哲學及び宗敎上の事柄に心を傾けしのみならず、自然科學の方面にも廣く其の眼を著け且つ社會上の問題にも注意を怠らず、其の歐洲に旅行せる時の如き諸國の風土風俗等を始めとしてそれらを觀察することに疎かならざりき。彼れの著書は其の文章の美はしきを以て知らる。上に擧げたる著作の外『アルシフロン』( "Alciphron or the Minute Philosopher" 一千七百三十二年)『サイリス』("Syris" 一千七百四十四年)等あり。
《視覺に關する新說。》〔二〕バークレーはロックが硏究の問題を繼ぎて吾人の觀念の起原を考へ、而して其の知識上の價値を明らかにせむとせり。而して彼れが此の硏究に於いて新路を開き出だせるは其の視覺新論なり。彼れ論じて曰はく、吾人は眼を以て直ちに物體の大さ及び遠近を見るが如く思へど實は然らず、吾人が今、唯だ視覺のみを以て斯く距離及び物體の大さを見るが如く思ふは久しき經驗の結果にして其の起原を考ふれば他の感覺即ち觸感(現今の心理學上の語にて委しく云へば筋肉運動の感覺をも含めたる者)によりて得たる經驗を視覺に結び附けたるに起これるなり。盖し手もて探り足もて步みたる心持が基礎となり、吾人の眼にしかじか見ゆるものは手に觸るゝ時かくの如く感じ、また其の物に觸るゝまでには如何ほど脚の運動をなさざるべからざるかといふことが眼に見たる感覺に結合し來たりて後には目に見たるのみにて直ちに物體の大さと距離とを心に浮かぶるに至るなり。視覺の示すところは寧ろ物體の大さと距離とを示す記號たるに過ぎず。此の故に同一の月にても或は大に或は小に見え又同じく谷を隔てゝ同一の山を望むにも其の時の氣象の有樣によりて或は遠く或は近く見ゆ。生來の盲者が醫術によりて視覺を得たる時に凡べての物が遠近を爲さずして悉く皆眼に附著するが如く見えたりといふも亦一例證なり。物の大さと云ひ其の距離と云ひ畢竟觸覺と視覺との結合するによりて思ひ浮かべらるゝもの、即ち視覺によりて得たる感覺に吾が心を以て附加する所あるに起これるなり。目を以て遠近を視ると云ふは恰も目を以て吾人の顏色に喜怒哀樂を視ると云ふが如し。運動と云ひ、廣さと云ひ、遠近と云ひ、此等は凡べて感覺にあらずして寧ろ吾人の心を以て感覺に附加する所の關係なり、而して其れが感覺相互の關係なりと云ふことが已に其の吾人の知覺を離れて客觀的に存在して居るものにあらざることを示すなり。
《視覺新論のロックの知識論に對する關係。》〔三〕上に述べたるバークレーの視覺論は心理學上一の新生面を開き出だし延いて知識論上頗る重大なる結果を來たしゝものなり。其の論に從へばロックの所謂第一性質及び第二性質の區別は破れざるべからず、そは物の廣さも、又從ひて空間上に於ける物體の一切の狀態も凡べて吾人の主觀的に思ひ浮かぶるものと見ざるべからざればなり。ロックが第一及び第二の性質を說きて唯だ吾人の目もて感ずる色等は主觀的なれども廣がりを有し遠近を爲すものとして物を見ることは主觀的ならずとせる理由は是に至りて全く破れたり。ロックの所謂塡充性といふものも究竟する所吾人が手を以て物に觸れて障礙を感ずる感覺より來たれる觀念に外ならず。(バークレーに先きだちてはホッブス又オッカム等は第一性質と第二性質とを區別せざる方に近より、デカルト及び古くはデーモクリトスはこれを區別せるものと見るべく、而してロックは此の後者に從へるなり。)斯くの如く空間的關係は吾人の視覺を以てする感覺と觸感との結合によりて生ずるものに外ならずロックの語を假りて云へば一の複雜觀念に外ならずといふバークレーの結論は、ロックによりて始められたる觀念の硏究を其の當さに行くべき所に持ち來たれるものと見ざるべからず。第一性質及び第二性質の區別を毀却し去りて其等を凡べて吾人の心に思ひ浮かぶる觀念に外ならずとなし、觀念ならぬ物の存在すといふことの證據は其の中より得べからずと見たる所、是れ即ちバークレーがロックの所說に於いて未だ整はずして中途に止まれりし點を改めて其が正當の結論を發表したるものと見るべきなり。
《抽象的槪念の駁擊。》〔四〕次ぎにバークレーが心理硏究の出立點ともいふべきは其が抽象的槪念の駁擊なり。ロックは曰はく、凡べて實に存在する所のものは個々物なり、されど吾人は個々物に共通なる性質を抽象して我が心の中に其が槪念を形づくるを得と。バークレーは更に一步を進めて曰はく、吾人は其の如き槪念を形づくり得るものにあらず、是れ吾人が心作用を自ら省みても明らかなることなり、吾人の思ひ浮かぶる所は或一つの特殊の相を具へたるものに限る、其れに明瞭不明瞭の差こそあれ兎に角一殊相を具へたる觀念ならざるべからず。若干の事物に共通なる性をのみ思ひ浮かぶるといふ如きことは到底爲し得べからず、例へば運動といふことを思ひ浮かぶるにも速くもなく、遲くもなく、右せずまた左せざる運動といふが如きものは到底思ひ浮かぶるによしなし、若し浮かぶればそは必ず何ほどかの速力を具へ何方へかの方向を取り行く運動なり。人間といふ觀念を思ひ浮かぶるも亦然り、色白からず又黑からず、軀高からず又低からず、男にもあらず女にもあらず、老ならず若ならぬ唯だ人間といふ如きものを奈何でか吾人の心中に思ひ浮かべ得むや。唯だ吾人が一個物を觀るや特に其の一部分にのみ注意を向くるを得べく、而して其の部分が他物と相類したるものなることを得るのみ、そを其の個物の他の部分より引き離し一の獨立なる觀念として思ひ浮かぶることを得ず。然れども一物の一部分にのみ注意してそを考ふることを得るがゆゑに其れに就きて吾人の考へたることを其れと同じき部分を有するものに就きて言ふことを得るなり。例へば一つの三角形を畫きて數學上其の角度の和は二直角に等しと論證せむには一つの抽象的三角形を思ひ浮かべてしかすることを得るにあらずして特に今畫ける一つの三角形に就きて論ぜざるべからず、されど其の三角形の大さと云ひ、又は直角三角形なりと云ひ、又は鈍角三角形と云ふことは論證に關係なきこととして見ることを得るがゆゑに一つの三角形に就きて論證せることを他の三角形につきてもいふことを得るなり。之れを要するに、吾人の思ひ浮かぶる所は個々のものならざるべからず、唯だ其の一個のものを以て他の多くのものを代表せしむることを得るのみ、即ち吾人が一種類のものを考ふるや其の個々の例を以てするなり。斯く一觀念を以て多くの物を代表せしむる所に吾人の用ゐるものは言語なり。例へば吾人は色の黑白、驅幹の大小、及び其の男女なると老若なるとに拘らず人間といふ言語を用ゐて之れを表はすが如し。このゆゑに若し通性或は抽象的のものありとせば其は言語に外ならず。言語あるが故にそれに應當せる觀念ありと思ふべからずと。此のバークレーが論に於いて名目論は更に其の極まれる形を取りて現はれ出でたり。斯く吾人の思ひ浮かぶる所は要するに個性のものに外ならずといふ彼れの論は心理上頗る價値あるものにして是れ亦彼れがロックの論に更に一步を進めたるものと見るべき所なり。
《本體てふ觀念の排除。個々物は畢竟觀念の結合也。》〔五〕上に述べたる第一性質と第二性質との區別を除去したる論と抽象的槪念の存在を否みたる論とは是れバークレーが哲學硏究の根本思想となれるものにして、之れより推究し行けばロックの哲學が如何なる點に於いてバークレーに改めらるべきかは見るに難からず。ロックの哲學に於いて其が正當の位置を占め得ざる本體といふ觀念は正さしくバークレーによりて排除せられたり。其の意に以爲へらく、本體といふが如きものは實際吾人の思ひ浮かべ得るものに非ず、個々の相を具へたる性質とは別にして其の性質を具有するものといふが如きは最も甚だしき抽象的觀念にして、吾人の心を反省すれば實際其の如きものの吾人の觀念中に入り來たることなし、吾人の實際思ひ浮かべ得る所は種々の性質の結合に外ならず。例へば此の一脚の机につきて云はば、其の形、大さ、重さ、色等の一切の性質を取り除きて而して後に何の殘るべきものあらむや。知るべし此の一個の机といふは畢竟其等の性質の相結合するに外ならざることを。而して其等の性質は凡べて吾人の觀念なり、故に個々物は畢竟ずるに觀念の結合なりといふべし。
《觀念以外に物體なし。》〔六〕かくの如くバークレーが本體といふ觀念を打破したるは專ら物質的本體と名づけらるゝものに就いて云へるなり。物體を何ぞと問へば形を具へ空間を塡充するものと云ふ外なく、而して其等物體の性質は吾人の觀念に外ならざるがゆゑに、吾人の觀念以外に其の觀念とは異なりたる物體の存在することは承認すべからざることなり。是に於いてロックが吾人の感官を以て確實なりとはいふべからざれどもなほ外物即ち物體の存在を知り得と說きたるところ亦バークレーに抛棄せられたり。バークレーが物體の存在を否めるは唯だロックの立塲よりせるのみならずまたデカルト學派の思想に由來せるなり。彼れ曰はく、吾人の觀念とは異なりて別に物體界ありといふは啻だ不用なるものを想像するものたるのみならず實に考ふべからざることなり、何となれば我が心の思ひとなるものは我が觀念以外に無きを以て吾人の物體を思ひ浮かぶるや其を觀念としてより外に思ひ浮かぶること能はず、然るに其の觀念によりて何故に觀念ならぬ物が思ひ浮かべらるゝか、人は觀念ならぬ物體ありて而してそを吾人の心に寫すといふ、然れども觀念ならぬものが何故に又如何にして觀念に寫さるゝを得るかと。是れデカルト學派の二元論に立ちて心物を相對せしめ而して結局物體界を否めるものなり。以爲へらく、物體の存在は其れが或心あるものに知覺さるゝといふことに外ならず(esse est percipi)、卽ち實に存在すと云はるゝものは精神及びそれに思ひ浮かべらるゝ觀念に外ならずと。彼れは此の論を以て唯物說を其の根柢より覆すの利器と考へたり。かくて物體の存在は知覺さるゝと云ふことと同一にして知覺することを以て其の性とする心の所造となり了せり、デカルトが揭げたる心物二元の一方なる廣がれるものは遂に觀念を思ひ浮かぶるものなる他方のものの中に沒了せられたり。是れ即ちデカルトが重きを心自識即ち內觀的實驗に置き之れを出立點となしたることが其の二元說と相和し難くして遂に打破し去られたるものなり。
《心は知覺するものとして存在す。》〔七〕存在すとは唯だ知覺さるゝの謂ひなりとは是れ物體に就きての言にしてバークレーは心は知覺するものとして存在すと考へたり、即ち觀念のあると共に觀念する者ありと考へたり。此の點に於いては彼れはなほデカルトの思想を維持せるものといふべし。但だ彼れは心作用を說きて、そを專ら意志の作用となし靈魂は意志なりともいへり。曰はく、吾人の思ふところのものは即ち觀念にして思ふ作用は觀念にあらず、意志なり。意志もて活動するものの外に實在するものなし。故に一言にして言へば、唯だ精神的のもののみ活動的のものにして唯だ活動するもののみ實在するものなり。
《世に存在するは神てふ無限精神と神に造られたる有限精神とのみ。》〔八〕かくの如くバークレーは精神的のものの外に全く實在するものなしと論じ來たれども彼れは決して全く吾人の通常謂はゆる外界の存在を否めるにはあらず。以爲へらく、吾人の俯仰して見る天地萬物は凡べて吾人の觀念に外ならざれどもなほ外界といふ觀念を吾人の思ひ浮かべ來たるは何故ぞ。若し之れを解して觀念ならぬ物體界と云はば其の誤謬なることは已に前に辯じたるが如し。然れども其の如き外界といふ觀念の起こるにはまた然るべき所以なかるべからず。而して其の所以の何たるかを尋ぬるに吾人の思ひ浮かぶる觀念の中吾人の隨意にし得ざるものあり、吾人の妄想するものと吾人に不隨意に起こさるゝ(所謂外物の)觀念とは區別せられざるべからず。後種の觀念は吾人の自ら造り出だせるものに非ずして寧ろ吾人に與へられたるものなり、故に其を與へたる原因は吾人以外に存せざるべからず(こゝ亦バークレーはデカルトに倣ひて因果律を用ゐて考へたり)。而して其の原因は思考し、意志するもの即ち精神ならざるべからず、何となれば觀念を有せざるものが吾人に觀念を與ふべき理なければなり。
而して其の原因の何たるかに關しては吾人は我が心に實驗する所より推考して其を吾人の如く精神的のものなりと見る外他に途なし、而して斯く天地萬物として吾人の思ひ浮かべ居る觀念を吾人に與ふる原因是れ即ち神なり。吾人の俯仰して視る天地萬物は是れ神が直接に吾人に思ひ浮かべしむるところの觀念に外ならず、而して斯くする神の活動におのづから規律あるところ是れ即ち吾人が自然界の法則と名づくるものなり。吾人が自然界の出來事を亂雜ならずとして信ずるは神の活動が理由なくして規律を亂すものにあらざるを信ずるがゆゑなり。されど十分の理由ある時に於いて神が其の活動を常規外に出でしむることあるは少しも怪訝すべきことにあらず、即ち奇蹟といふものは在り得べきものなり、何となれば自然界といふも神より離れたるものにあらずして畢竟神が直接に吾人の心に觀念を起こす其の活動に外ならざればなり。而して吾人の心に起こさるる其等觀念は本來神の心に存在する永遠の觀念なり。此のゆゑに假令我れ一人の心が其の存在を失ふとも世界は之れによりて其の存在を失ふに非ず、そは唯だ我れの觀念として思ひ浮かぶる世界の其の存在を失ふのみ他の者の觀念としては世界は依然として存するなり。又假令有限なる造られたる精神的のものが其の存在を失ふとも神即ち無限精神の觀念として世界は存在す。但し神をも無きものと考ふるに於いては其れ以外に如何なるものも存在する筈なきこと本よりなり。かくバークレーは世に寶在するものは神といふ無限精神及び神に造られたる有限精神のみなりと見たり。故に彼れの論は或は唯心論と名づけらるれども、しかいふ意味は寧ろ精神論(spiritualism)と解釋すべきものなり。
《バークレーの精神論とライブニッツのモナド論との比較。》〔九〕實在するものは皆精神的のものなりと說くことに於いてはバークレーとライブニッツとは其の所見を同じうすといふも不可なし。されどライブニッツの所說は凡べて明らかに意識を具へ居るものをのみいふに非ず、故に精神作用と意識とを全く相合するものとして見る時は彼れの所謂モナドを形容して半ば精神的のものといふも不可なく而して之れに對すればバークレーの云ふ所は全く精神的のものなり。無意識なる精神なしと考へたるところ是れバークレーがデカルトの說を維持せる所にして之れに對してライブニッツ獨り新見地を開きたるなり。且つ又ライブニッツは其の謂はゆるモナドの活動を以て悉く自發の作用なりとなし、バークレーは自發の開展を說かざる點に於いて二者相異なれり。盖し本具し居るものの開發すといふ思想はデカルト學派に無き所、またバークレーに於いても見るべからざる所のものなり。吾人の觀る天地萬物はバークレーに從へば、神の直接に吾人に與ふる觀念、ライブニッツに從へば、各モナドの自ら念ずる所に外ならず、而して各モナドの獨立に自ら念ずる所の相合ふ所以を說明するにライブニッツは豫定の調和を以てしてオッカジオ論の趣を傅へたる點に於いてデカルト學派の二元論の脈を引きたるものといふべし。バークレーとライブニッツとは同じくデカルト學派の二元論の影響を受けながら前者は二元の一方なる物界を沒了して無限精神即ち神と有限なる吾人の精神との間には直接に影響を及ぼすことを得と考へ、後者はデカルト學派にて心と物とを共に本體と見而して其の間相互に影響する所以を解し得ずと考へたる所を受けて凡そ本體として存するものの間には他より影響を受くることのあるべきやうなしと思惟せるなり。デカルトに於いては神の觀念は恰も神が吾人の心に與へたる印象の如きものと認められ、バークレーに於いては天地萬物についての觀念は凡べて神に與へられたるものなりと認められき。
《バークレーの說とマルブランシの說との比較及びマルブランシとコリヤーとの比較。》〔一〇〕其の說の相類似せる點に於いてバークレーと比較すべきはライブニッツよりも寧ろマルブランシなり。此の二者を較ぶれば同じくデカルトの二元論より出立して推究したる結論が如何に相類似せる所に到達したるかを認むることを得べし。盖しバークレーの所說はロックの觀念論即ち其の經驗生義の思想に結べる所あるが爲めにマルブランシの所說とは一見頗る其の趣を異にせるが如くなれども細思すれば二者の說の如何に相類似したるかを見るは少しも難きことにあらず。マルブランシ曰はく、吾人は萬物を神に於いて見ると、バークレーは曰はく、吾人の見る天地萬物は神によりて與へられたる觀念にして其の模型は即ち神に於ける觀念なりと。
バークレーとマルブランシとが其の思想の根柢に於いて如何に親密なる關係を保ちたるかはアーサー、コリヤーがマルブランシより出立していたくバークレーのに似通へる說を唱へたるを見ても之れを知るべし。〈英國に在りてマルブランシの說を受けて之れを唱へたる人にはノリス(Norris)あり、其の著書はコリヤーも之れを知れり、〉コリヤー(Arthur Collier 一六八〇―一七三二)はバークレーと同じく英國敎會に敎職を帶びたる者にして彼れ自ら言へる所に從へば一千七百三年には已に自家の說に思ひ到れりといふ、且つバークレーが其の『視覺新論』を公にせる前年、彼れが自稿の一論文に其の說の述べられたるを見るに彼れはバークレーとは獨立に其の立塲に到達したる者の如し。されど彼れが一千七百十三年に公にせる『大鍵』( "Clavis Universalis, or a New Inquiry after Truth, being a Demonstration of the Non-existence or Impossibility of an External World" )に說ける所は幾分バークレーの說に影響せられたる所あるが如く見ゆ。彼れ論じて曰はく、吾人が現に外物を觀て知覺する所も又吾人が曾て知覺したるものを想ひ起こすも畢竟其の間に强弱明不明の差等あるのみにて皆我が觀念に外ならず、吾人の視る世界が吾人の視るといふ心の作用を離れたる外界として存在すべき筈なし。吾人の視覺に現はれたる所是れ即ち吾人の心に於ける觀念たるに外ならず、吾人に見えたる世界の裏に別に見えず知られざる世界を置くは全く不用のことなり。吾人の心の外に物界を存在するものと見るは矛盾の見に陷るを免れず、故に諸哲學者の物界に就きて說を爲すや同一の物界が或者によりては空間及び時間に於いて無際限なるものとせられ他の者によりては際限あるものとせらる、又或者は物界に於ける凡べての物を以て無窮に分割せらるとなし、他の者は然らずとなす。畢竟ずるに觀念以外に物界の存在を說くは無用の事に屬す、唯だ神の心に於ける觀念として存在する物界を說くを要するのみと。是れ即ちマルブランシが吾人は直接に物界を知覺することを得ず唯だ物界の模範として神の心に存在する永久の觀念を見ることを得るのみと云へる論の自然に到達すべき結論として、即ち神の心に於ける觀念にもあらず、また吾人の心に於ける觀念にもあらざる物界を無用のものとして排除したるなり。
《ロック、バークレーの說の當さに至るべき所に說き到れるはヒュームなり。》〔一一〕上に開陳したる所を以ても知らるゝ如く、バークレーはロックの思想より出立して其の當さに到るべき所に到らむとせる者なるが、彼れの所說はまたデカルトの所說に出立點を有し居りて或處にはロックよりも尙ほ明らかにデカルトに其の思想を結び付けたる趣あり、從ひてまたロックの唱へ出でたる經驗主義より
第三十九章 ダヸッド、ヒューム
《ヒュームの生涯、性行及び著作。》〔一〕ダヸッド、ヒューム(David Hume)は一千七百十一年四月二十六日エディンボローなる相應の資產ある家に生まれき。エディンボロー大學に遊び、早くより文筆を以て一世に名を擧げむことを熱望し、また早くより哲學的問題に其の心を用ゐて新思想を開かむと力めたるが如し。甞てヒポコンドリーを患へて少らく學問上の硏究を廢し、後しばらく實業界に入りたれども彼れは永く畢生の名譽を得むと欲したる學問より離るゝこと能はず、やがて佛蘭西に行き靜閑なるところに居を卜して止まること四年、其處にて彼れの大著『人間性情論』("Treatise on Human Nature: being an Attempt to introduce the Experimental Method of Reasoning into Moral Subjects")の著作に從事し後倫敦に於いて其の第一卷及び二卷を一千七百三十九年に、其の第三卷を一千七百四十年に發兌せり、されど此の大著は當時世人の注意を惹かざりき。ヒューム自ら之れに就きて言へらく、「此の書は活版より死して生まれたるなり、迷信家の苦情を惹き起こす榮譽をすらも得ざりき」と。彼れは實際之れがために大に失望し更に其の名を揚げむと欲して一千七百四十一年に其の『論集』("Essays and Treatises on Several Subjects" )第一卷を著はしゝに頗る時人の注意を惹きたるを以て彼れは一千七百四十八年より同五十二年に至る間更に尙ほ論集の四卷を出版し、而して彼れが最初の大著に論じたる其の哲學を更に世間に發表せむが爲めに之れを改竄して論集の中に入れたり。最初の大著の第一卷("Of the Understanding")は『論集』第二卷に "Philosophical Essays concerning Human Understanding" とせられ、前者の第二卷("Of Passions")は『論集』の第五卷に "Dissertation of the Passions"とせられ、前者の第三卷("Of Morals")は『論集』第三卷に "An Inquiry concerning the Principles of Morals" と改められたり。ヒューム自らは其の熟成したる思想は彼れが最初の著作にあらずして後の『論集』に在りと云へど後のヒュームを論ずるもの多くは其の論集に書き替へたるものを以て哲學上の價値に於いて劣れりとなす。彼れが銳利なる批評を以て從來の神學及び哲學に於ける主要なる觀念を打破したる論の中『論集』に於いては幾分微弱となり且つ全く省かれたるもあり。彼れが何故にしかなしゝかに就きては後人の說く所一ならざれど、畢竟彼れが前說を飜しゝにあらずして唯だ時人の惡意を買ふことを避け成るべく一般の讀者に入り易からしめむと力めたるならむと考へらる。一千七百四十七年にはクレール將軍(St. Clair)に從うて維納及びテューリンの宮庭に使しき。彼れが最初の著作を論集の中に書き更ふることに從事したるはテューリンに在りし時なり。一千七百四十九年に故國蘇格蘭に歸り一千七百五十二年にはエディンボローの辯護士會に屬したる圖書舘の監督者となり廣く書籍を見る機會を得こゝに彼れが其の『論集』によりてよりも尙ほ其の名を弘めたる『英國史』を著はせり。彼れが此の著を爲すや從來史家の多く爲したるが如き唯だの戰爭史たるに止まらずして風俗、文學、美術等凡べて社會上の情態をも叙述せり。彼れはまた一千七百五十五年に "Natural History of Religion" を著はせり。一千七百六十三年ヘルトフォルド侯が平和條約締結の爲めにヹルサイユに使したる時彼れ其の書記官としてこれに隨行し巴里府に於いて大に學者社會の歡迎を受けルソーとも相識れり。一千七百六十七年より同六十八年に至るまで英國政府の外交事務係として其の職を奉じ其の後、生地エディンボローに返隱して閑散なる日月を送りしが久しく病みて後一千七百七十六年八月廿五日遂に瞑す。其の著 "Dialogues on Natural Religion" は彼れの死後一千七百七十九年に出版せられたり。
《ヒューム及びブラウンのロックに對する關係。》〔二〕ヒュームに先きだちてロック哲學の結論を感覺論(sensualism)の方面に引かむとしたる者あり、ピーター、ブラウン是れなり(Peter Brown 愛蘭人、コークの監督たり、一千七百三十五年に死す)。彼れ論じて曰はく、曾て感官に於いて無かりしものの知性に於いて存することなしといふ立塲より正當に考ふれば吾人の外官を以て得るところの外に觀念の淵源といふべきものなし、吾人の心は眞實白紙の如きものにして外界に關しても其の他の何物に關しても本來具有する觀念なし、觀念の來たるべき道は唯だ五官によりてする者あるのみ、其の他に反省によりて原始の觀念を得といふは誤れり。吾人の知識は觀念を以て形づくられ、而して其の知識には直覺的のもの、論證的のもの、或は他人の證言に應ずるもの等の種類はあれども畢竟ずるに其の由來する所は一として感覺にあらざるはなし。但し吾人の心の狀態を自覺することは爲し得れどもこは直接に其を自覺するにて觀念を以てするにはあらず、故に吾人の思想力に就きては明瞭なる觀念を有せず、吾が心の作用を自覺するは正當なる意味にて知識といふべきものにあらず。されば感官を以てするものの外(即ち感官以上のもの)に就きては吾人は毫も知識を有せず、其等に就きては吾人は唯だ比喩的に考ふるを得るのみ、此の故に神を考ふるに於いても吾人は必ず感官上の形象を假るなりと。斯くてブラウンはロックの說を感覺論の方面に引き來たりて感官以上のものに就きては吾人は知識を有せずと說きたれどもなほ彼れは宗敎上の思想に拘束せられたる所ありて其の謂はゆる比喩的に考ふるといふことを以て、正當の意味にては知識といふを得ざれどもなほ吾人のそれに賴るべき價値あるものなりとせり。且つ彼れが吾人は我が心の作用に就きては觀念を有せざれど、なほ直接に其れを自覺することを得と云へるは其の說截然たらず。ヒュームもブラウンと同じくロックの立塲より出立して其の當さに到るべき所に進まむとしたるものなれどもブラウンとは別の方面より其の說を改めむとしたるなり。
《印象と想念。》〔三〕ブラウンはロックの謂はゆる二つの窓の一方を捨てむことを求め反省は觀念を以てする吾人の知識の淵源となるものならずと見たれども實は一方にそれを閉ぢ出だして他方に別異の名を以て(觀念を以てせざれども直接に之れを自覺すといふ名稱の下に)それを容れたり。ヒュームは觀念の種類としてロックの言ひし如く感覺より來たるものと反省より來たるものとを分かつ代はりに印象(impressions)と狹義に謂ふ觀念(ideas)とを揭げたり。彼れが謂はゆる印象は凡べての感覺又は感情等の始めて吾人の心に現はれたる狀態をいふ、例へば机に封して机を見る如き、二つの色を見て其の差別を認むる如き、また我が心に現實に悲痛悅樂を覺ゆる如き、是れ皆印象の部類に屬するなり。彼れが所謂觀念は印象の影像(image)即ち其の苒現したるものの謂ひ也。故に印象と觀念との區別は、前者は其の心の狀態の如何なるかに拘らず、他の影像即ち他の再現として現はれざる新鮮なる狀態を意味し、後者は如何なる心の狀態にても曾て經驗したる心狀態の摸寫として心に現はれ來たるものを意味するなり、例へば眼前に机を見るは印象なり、眼を閉ぢて再び其を思ひ出だすは觀念なり。ヒュームはロックがデカルトに從ひて觀念といふ語を以て廣く吾人の心の一切の狀態を意味するものとなせるを非とし、其を其の正當なる狹き意味に引き戾すを可としたり、故にヒュームの謂はゆる觀念は之れを想念とも名づけ得べきものなり。(觀念といふ語を廣義に用ゐれば觀念は印象と想念とに分かるといふも不可なし。)ヒュームの所謂印象はロックの語を以て云へば其の中に感覺よりする觀念と共にまた反省の方に屬する觀念をも含む。斯く印象と想念とを別かつものから想念は印象の摸寫なれば吾人の心に於ける凡べての觀念の淵源は畢竟一なりといふべきなり。印象より來たるものの外に吾人に觀念の內容なし、想念に思ひ浮かぷるものの何たるかを尋ぬれば曾て印象として心に覺したるものより取り來たる外に其の淵源あるべからず。故にヒュームは吾人の心作用に就きて印象、想念の二つを別かてど其の差別は畢竟其の强さ(force)と明らかさ(vividness)との差異に歸すとせり。彼れ以爲へらく、或少數の塲合に於いて想念は印象と區別され難きほど强くまた明らかなることあり、又印象は想念と區別され難きほど弱く且つ不明瞭なることあり、されども通常此の二つは吾人の惑ふことなく區別し得る所なりと。
《印象はあらゆる知識の基礎なり。》〔四〕かくの如くヒュームは凡べて吾人の知覺する所のものを印象及び觀念(即ち想念)の二つに別かち、後者をば要するに其の內容を前者より得るものとなし、而して此の心理上の見によりて其の知識論を爲したるにより、凡べて吾人が有する知識の價値は吾人の思ひ浮かぶる所が如何なる根據を印象に有し居るかによりて定まると考へたり。語を換へて言へば、一見極めて抽象的なる觀念も其の本源は印象に在らざるべからず、而して吾人の知識は其の觀念の印象に合ふほど事實を示す上に於いて確實にして、印象に合はざるほど不確實なりと。是れヒュームの心理說より自然に來たる所の知識論上の根本思想といふべきなり。
斯くヒュームは印象を以て吾人の知識上原始のものと爲したるが印象の窮極原因に就きては論ずることをせず、印象に對する對境ありて印象は其の對境より直接に來たるものなるか、はた吾人の心を以て生じ出だすものなるか、はた吾人を造りたる造化主ありて彼れより來たるものなるか、這般の問題は到底吾人の知識を以て決すること能はざるものと考へたり。ヒューム自らもことわれる如く印象といふ語は其が吾人の心に與へらるゝ仕方を表はす爲めのものにあらずして唯だ吾人の心に知覺したる其の物を指して謂ふなり、故に印象に對して其れとは別なる對境即ち外物と名づくるものありて其れが恰も印を紙上に捺するが如く吾人の心に其の形を印すといふ意味にて印象といふに非ず、唯だ吾人の知識の由來を考ふれば先づ最初に他の摸寫或は再現とは考ふべからざる新鮮なる狀態ありて之れを印象と名づくべく、而して知識の材料は凡べて之れに求むべく、吾人の硏究亦之れを出立點とせざるべからず、其の背後に分け入りて其れを超絕したる、而して其を起こす所以のものを其の外に求むること能はずと考へたるなり。
吾人が或一物を以て實在とするの思ひも廣き意味にていふ一種の感情(feeling)に外ならず、換言すれば、一印象の活き〳〵として新鮮なる(liveliness)をいふに外ならず。されば一物を存在するものと見るは畢竟ずるに吾人の心に於ける印象の强さを云ふなり。印象の强さを有するものとして一物を思ふと其を存在するものとして思ふとは二つのことにあらず。即ち實在又は存在といふことの觀念も元來皆印象の强さを意味せるなり。之れを要するに印象として吾人の心に浮かべらるゝ是れ即ち其が實在するものとして知らるゝなり。
唯だ吾人の想像に思ひ浮かぶることと記憶することとの區別も其れに伴ふ感情的狀態の强さに外ならず、換言すれば記憶として思ひ浮かべたるものには其を事實と信ずる感情の伴ひ居りて唯だ想像として思ひ浮かべたるものには其れの伴はざる點に於いて相異なるのみ。而して信ずるといふは畢竟一觀念が强き感情を以て吾人の心に現はれ來たることを意味するなり。吾人の思ひ浮かぶるものの中、一つをば唯だ想像として之れを信ぜず、他を事實として信ずるは後者が印象の强さと活き〳〵としたる所とを吾人の心に思はしむればなり。
《知覺即存在也。》〔五〕吾人が印象に於いて有するものは之れに解釋を附加することなくば直覺的に確實なるものなり。例へば今白紙の色が我が目に見ゆとせむに其の印象の內容則ち白色は、之れに種々の解釋を附せずして唯だ白き色として知覺さるゝことに於いては聊か誤謬なし。即ち印象の內容其の物は直覺的に確實なるものなり。而して其等印象の內容は凡べて時間及び空間に關係を爲し居るものとして知覺せらる。例へば白紙の白き色は幾何かの廣がりを成して其の一部分は他の部分に隣接し又耳に聞く音響は時間上連續を成す。空間に於ける共在と時間に於ける繼續とは原初の印象と相離れざるものにして其の印象の吾人に覺せらるるや時間及び空間に於ける或關係を以てせらる、故に其の共在及び繼續、換言すれば時空に於ける隣接は是れまた直覺的に確實に吾人に知覺せらるゝものなり。されど其の直覺的に確實とせらるゝ、換言すれば其れが疑ふべからざる事實とせらるゝは決して吾人の心を離れたる有樣をいふに非ず、委しく云へば、吾人の心に斯く直覺的に確實なるものとして知覺さるゝが是れ即ち其れが事實として存在するなり。
印象の時空に於ける隣接的關係の直覺さるゝのみならず印象の類同といふことまた確實に吾人に知覺さるゝものなり。例へば一の紙の色と他の紙の色とを見て其の色を相似たり或は相似ずと認むるは是れ異同の印象とも名づくべきものにして一種の印象なり(ロックの語を以て云へば內官より來たる觀念に屬すべきものなり)、而して此等異同の印象がまた吾人の知識を形づくる要素となるなり。之れを要するに吾人の知識は印象を以て出立するものにして、而して印象を以て出立する所に於いて時空に於ける隣接と其の印象の類同とはおのづから吾人の知識內の事として含まれ居るなり。
《聯想論、三個の聯想律。》〔六〕ロックが吾人の知力の作用を云ふや本來吾人の所動的に得たる種々の觀念をば件の知力作用を以て能動的に結合せしむるが如く說きしが、ヒュームは特に知力の作用と名づくるものを要するを說かず、觀念の結合を以て全く觀念相互に相喚起し來たる關係に歸せしめたり。是れ即ち謂はゆる聯想の規則にして、ホッブス先きに之れに著眼したりしもロックは其の言唯だ之れに觸れたることあるのみにて特に之れを用ゐることを爲さざりしが、ヒュームに至りて心理學上有力なる說明の利器として用ゐられたるなり。而してヒューム以後英國に於いては聯想律を基礎として一切の心理的現象を說かむとする學者多く出で遂に所謂聯想學派を成すに至れり。ヒュームは聯想の規則として三ケ條を揭げて曰はく、一に類同律(association by resemblance)即ち吾人の觀念の類似せるものが相喚起すといふこと、二に隣接律(association by contiguity)即ち空間及び時間に於いて相接近せるものの觀念が相喚起すといふこと、三に因果律(association by causality)即ち原因結果の關係をなせるものの觀念が相喚起すといふこと是れなり。但し仔細に推究し行けばヒュームが(後に委しく論じたる如く)三個の規則の中第三は第二に歸せしめ得べきものなれども吾人の觀念の相聯續し來たる有樣を說くに便利なる爲め、少らく之れを相別かちて揭げたるなり。
かくの如く吾人の觀念は相互の關係に從うて相聯結すると共に一觀念に伴へる感情の狀態も亦其の觀念に結合し來たる他の觀念に移り行く傾向を有す。例へばイてふ觀念に上に謂はゆる信念てふ感情の活き〳〵としたる狀態が伴ひ居れりとし而して右に云へる聯想律に從ひてロてふ別の觀念がイに聯結し來たる時には元來ロには伴はざりし信念の狀態がイより移りて之れに伴ふに至る。此の聯想の規則と其れに附著せる感情の擴張せらるゝ規則とは是れヒュームが依りて以て其の銳利なる心理的分析を從來の哲學上の主要なる觀念に試みたる武器なり。
但しヒュームは上に揭げたる三個の聯想律は必ず吾人の觀念を支配するものなりとは云はず。又一切の觀念の聯續が皆これによりて解釋せらるべしとも云はず。吾人の觀念が必ず之れに支配せらると云はざる理由は、吾人が一物を思ひ浮かぶるに當たり注意して其の一觀念に住止し聯想律によりて當さに誘起すべき觀念をも思ひ浮かべずして止むことあればなり。又一切の觀念の聯續を之れによりて說明し得べしと云はざる理由は、吾人の觀念の出沒には頗る不規則なるものありて唯だかゝる聯想律に從ふものとしてのみは考ふべからざる塲合もあればなり。かくの如くヒュームは吾人の觀念の聯想律に從はずして不規則に出沒することをも許し居るものから吾人が心理上何等かの規則を立てゝ觀念の相結合する所以を說かむとするに於いては聯想律の外に吾人の由るべきものなしと考へたるなり。斯くしてヒュームはロックが說ける如く知力其れ自身の作用によりて吾人の觀念を結合せしむといふ代はりに觀念相互の間に存する聯想律上の關係を持ち來りて觀念以外のものに假る所なしと說けり。是れまさしくロックが觀念を根據として心理及び知識論上の說明を爲さむと試みたる立塲より出立して當さに到達すべき結論に達せるものなり。
《本體論、本體は觀念の連續に外ならず。》〔七〕上に述べたるヒュームの論據より考ふれば本體といふ觀念が如何なる運命に遭遇すべきかは見るに難からず。本體てふ觀念に於いては其が內容となるものを何等の印象の中に發見し得べきか。ロックも已に云へる如く本體其の物は吾人の知識せざるものにして其の根據となるべき印象は何處にも存せざるがゆゑに其れに應ずべき實在といふべきものなし、何となれば實在といふは前にも云へる如く要するに印象の强く活き〳〵としたる所に名づけたるものに外ならざればなり。一言にして云へば、本體といふものは實に存在するものに非ず。然らば吾人は何によりて其の如きものを思ふに至れるか、曰はく是れただ印象の結合するによりて生じ來たれるのみ。例へば茲に一の机を見むに其の色、形及び其の他吾人の机に對して得る印象の內容として吾人の心に知覺するものは凡べて空間に共在す、故に聯想律に從ひて其の一を思へばおのづから他を思ふに至る、而して其等印象に於ける內容の共在し居ることが屢〻吾人に知覺さるゝほど其等の聯結はいよ〳〵强くなりて其の一を思へば他を思はざるを得ざるに至る、而して遂にかゝる主觀的感情を其の物に移して其處に本體の存在するが如くに思ふに至るなり。尙ほ語を換へて云へば、兹に一の机を見るに當たりて吾人の有する種々の印象の內容があるのみならず其等を一つに結合せしめて維持する本體あるが如くに考ふるは吾人の心に主觀的に生じたる觀念の結合を其の物に移して考ふるがゆゑのみ、約言すれば、吾人は其の印象の內容の一を思へば他を思はざるを得ざる主觀的傾向を生ずるがゆゑに之れを机に移して机其の物にも其等を結合する或一本體の存在するが如くに想像するのみ。
ヒュームは本體てふ觀念の批評をば唯だ物體の上に用ゐたるに止まらずして心體即ち我といふ觀念の上にも用ゐ來たれり。以爲へらく、我と云ひ心體と稱して常に心の種々の觀念の基本となり其を統一して存在する一物あるかの如くに思ふは外物に於いて其が種々の性質を統合する基本あるが如く想像すると少しも異なることなし、外物と名づくるものに於ける本體が印象に於いて其の內容を示し得ざるが如く、心の本體も亦印象に於いて其の內容を示すこと能はざるものなり。我と云ひ心體といふも畢竟ずるに種々の觀念の常に相結合せることの結果として吾人の想像したるものに外ならず。
吾人の意識すると意識せざるとにかゝはらず外物の不斷絕に存在するが如く思ふも畢竟一種の信念にして其の信念は聯想の結果として吾人の想像に結び來たれるものに外ならず。例へば今眼を開けば机が印象の强さを以て活き〳〵と吾人に知覺され、又しばらくして眼を開けば同じ强さを以て知覺さる、而してかゝる事の幾たびも繰り回さるゝ所より吾人の眼のあたり知覺せざる時に於いても其の物を想像して其の想像に印象の活き〳〵としたる感情的狀態即ち信念が伴ひ來たるなり。斯く外物と名づくるものも又我が心と名づくるものも畢竟ずるに印象及び想念即ち廣義に謂はゆる觀念の連續に外ならず、而して其等をしか連續せしめ結合せしむる所以のものが其の基本となりて存在すといふが如きは唯だ聯想上の習慣より吾人の想像し來たるのみにして吾人の確實に知識し得べき限りに非ずと。斯く凡べてを觀念の連續と見做す上より云へばヒュームの說は唯念論と名づけらるべきものなり。是に至りて從來究理學派に於いて主要なる觀念とせられ、ロックに於いても猶ほ全くは棄てられず、バークレーに至りても其が精神的のものを說く上に於いて保存せられたる本體てふ觀念はヒュームに至りて全く抛棄せられたるなり。ヒュームはバークレーが本體てふ觀念を唯だ物體の上に於いてのみ破壞したる立塲より一步を進めたるのみならず其の如き觀念の吾人の心に起こり來たる所以を心理的に說明して其は自然に起こり來たるべきものなれども畢竟吾人の主觀的習慣より生じたるものに外ならずと論破したる所是れ彼れの說に於いて特に見るべき所なり。かゝる說明の仕方是れ即ちヒュームが硏究の最大利器なりきといふも可なり。
《數學は類同の關係に基づきて觀念の關係を定むるもの也。》〔八〕以上述べ來たる所によりて見れば心物共に吾人は直覺的に其が本體の存在を知り得ざるや明らかなり、まして無限なる本體といふが如き者は吾人の知識の範圍內に入り得べきものに非ず、吾人は到底印象を超絕して其の以上に又其の背後に出づること能はず、物體といふも、精神といふも、畢竟印象として吾人に知覺さるゝものの外に出でず、故に印象及び其の類同と時空に於ける其が隣接の關係との外に吾人の知識の根據となるべきものなし、其れより出づること一步すれば其は最早や知識にあらずして寧ろ唯だ想像の境涯に屬するものとなる。
數學に於いては聯想律の第一規則即ち類同の關係を基礎として確實に吾人の觀念の關係を定むるこを得。數學に言ふ所は數及び量の相同じき關係を見ることの外に出でず、而して其等數學上時空の上に於いて異同の關係の認めらるゝ觀念は吾人の思ひ設けたるものなり、例へば直線といふも吾人が印象として實際知覺する一の線を眞實直線と見るにあらずして唯だ假りに直線を吾人の心に思ひ浮かぶるなり。故に數學に於いては一の線と他の線又は一の量と他の量とが全く相同じといふ關係を定むることを得るなり。若し印象として實際吾人の知覺するものに就きて云はば一の三角形と他の三角形とが其の面積に於いて全く相同じといふことを斷言し得ざるなり。之れを要するに數學は實在物の關係を定むるものに非ずして觀念相互の關係を定むるものなり、詳しく云へば、一觀念として吾人の思ひ構へたるものを分析して其の中に含まれたるものを開き出だす(卽ち命題上客語として言ひ現はされたるものに於いて主語の中に含まれたるものを分析し出だす)ものなり。是れ數學に於いて說く所の、如何なる塲合に於いても確實なる所以なり。此の故に數學は論證的に正確なるもの、而して正當なる意味に於いて論證的學問と稱せらるべきは唯だ數學あるのみ。
《論理的眞理は分析的にして其の反對を考へ得ざれども事實上の眞理は附知的にして其の反對を考へ得。》〔九〕吾人の知識には數學に於いて云ふが如き觀念相互の關係を認むるもののみならず又事實に關するものあり、而して事實と名づくる者は時空に連續し共在する印象以外に在るものにあらず、故に其の事實を叙すといふは時空に於ける關係によりて印象を揭ぐるの謂ひに外ならず、而して斯く聯想律の第二の規則即ち隣接の關係に從うて事實を叙述したるもの是れ即ち自然界及び人類に關する學問の平叙的また實驗的なるものなり。此等事實に關する實驗的學問は論證的に論じ出だすことを得るものにあらず、此等は分析的のものにあらずして之れを命題の上に言ひ現はせば其の客語は主語に附加されたるものなり、而して其の能く附加さるゝ所以を尋ぬれば唯だ吾人が時空に於いて隣接したるものとして若干の印象を知覺したるが故なりと答ふる外なし。是れ其の反對のよく考へ得らるゝ所以なり。例へば太陽は明日東より上るべしといふはこれ事實上の關係を言ひ現はしたるものにして、其の客語は主語の中より分析し出だせるものに非ず附け加へられたるものなり、而して其の附け加へらるゝ所以は從來太陽として吾人に知覺されたる印象と其れの東より上り來たることとが連結したるがゆゑなり。されど其の必ず連結すべしといふ理由は吾人の思想上の關係に存在せざるがゆゑに吾人はよく其の反對を考へて太陽を明日上らざるものとも思ふことを得。事實上の關係は此の點に於いて數學上の論證的眞理と異にして、後者は其の反對を考ふること能はざるなり。一言に云へば、論理的眞理は分析的のものにして其の反對を考へむとせば矛盾に陷れども、事實上の眞理は分析的ならずして其の反對を考ふることは論理上少しも矛盾を含むことなし。
《因果律の批評。》〔一〇〕此の如く事實上の知識は論證的に確實なるものに非ず、換言すれば、必然にしかあるものなりといふこと能はずして唯だそが吾人の知覺する印象として兎に角或順序を以て連續し來たれりといひ得るのみ、即ち其の連續し來たることの必然なる所以を論證すること能はず、而して若し其を論證し得るものありとせば其は唯だ因果律ならむのみ。若し因果律を根據として考へなば啻だ一現象が他の現象と相前後せりといふのみならず、其の必然に相前後すべき所以を發見し得られざるべきか。而してまさしく此の思想を根據として究理したるもの是れ即ち從來究理學派の唱道せる哲學組織なり。デカルトが神の存在を證明するや吾人に直覺的に明瞭なるものとして因果律を用ゐ、ロック及びバークレーすらも此の因果律を取り扱ふこと亳も究理派の學者と異なることなく又吾人の印象以外に外界の存在(或は物界として或は心界としての存在)することを說くにもまた因果律を基とし、其の印象の原因なかるべからずといふより外界の存在を知識し得と考へたり。吾人は素より本體を直覺的に知ること能はずとも因果律に從ひて其の存在を知ることを得と考へられざるべきか。此の因果律實に是れ自然の現象を唯だ平叙的又實驗的に臚列する學問より一步を進めて事實上の知識を論證的に確實なるものにせむとする純理哲學(又は形而上學)の根據にして純理哲學の論證的に確實なるか否かは一に因果律の効力によりて懸かると云はざるべからず。然らば因果律は如何なる効力を有すべきものなるか、吾人の知識の成立上如何なる價値を有するものと認めらるべきか。之れを硏究せるもの是れ即ちヒュームが哲學に於ける最も有力なる、又そが後世の哲學思想に影響を與へたることの最も著大なる因果律の批評なり。
吾人は如何にして因果律を承認するか。一の因が必ず一の果を生ずといふことは吾人の直覺的に認め得ざる所なり。吾人の直覺し得る所は觀念の單純なる異同の關係と其が時空に於ける隣接の關係とのみにして一物が他物を生ずといふことは其等と同樣に直覺し得べきことに非ず、又因果律は論理上論證し得べきものにもあらず、論理上の關係のみより考ふる間は甲てふものが乙てふものを生ずといふことの反對を考ふることを得べく、啻だ甲乙といふ二物の特殊なるものに就きてのみならず、因果律の一般の形(即ち凡そ因なくして物の生ずることなしといふこと)に就きても亦よく論理上は其の反對を考ふることを得。例へばこゝに一物が因なくして生じたりと見たればとて聊かも論理上の矛盾を含めるにあらず(ヺルフが因果律を論理的に論證せむとしたる企圖の失敗したることは其の條下に云へるが如し)。因果の關係は分析的のものに非ず、吾人は因の中に在るものを如何に分析すればとて其の中より果を取り出だすこと能はざるなり、例へば吾人が火氣を添へて蠟の融くることを認むる時に於いても其の塲合に於ける火氣といふ原因を如何に分析すればとて其の中より蠟の融くるといふ果を取り出だすこと能はず、因果の關係を言表する命題に於いては客語は主語に附加されたるものなり。故に一物の存在に次ぎて他物の存在することを經驗するに先きだちて、即ちアプリオリ(a priori)に彼れが此れを生ずといふことは吾人の認むる能はざる所なり。然らば吾人は經驗によりて因果の關係を認むるか。吾人は實に一物が生じ或は變化するに次ぎて他物の生じ或は變化するを見る、されど其等相互の間に相次ぐべき必然の關係あることは、吾人の實驗する所に非ず吾人の眞實經驗することは唯だ一事一物の生起又は變化と他事他物の生起又は變化とが相次ぎて來たるといふことのみ。然るに因果律に於いて吾人の意味する所は一物が必ず他物を生ずといふ關係なりとすれば其の必然の關係は何處より吾人の認め得べきものなるか。吾人の確實なる經驗の範圍に止まる間は決して其の如き必然の關係を發見すること能はざるなり。斯くの如く吾人は相次ぎて起こる事物の間に必然の關係を經驗せざれども妙に吾人は一物に次ぎて一物の曾て生じたることを認むるに止まらずして將來に於いてもまた必ず其の如き關係を以て生起し來たるべきことを豫期す、而して斯く將來を豫期する所是れ即ち吾人が因果律を思ひ浮かぶる根據なり。然れどもかゝる豫期の如何にして生ずるかを問へば是れ畢竟ずるに聯想の結果なりと云はざるべからず、從來屢〻甲乙の二物が相次ぎて生じ又は變じたることを經驗したるがゆゑにこれが自然に習慣を成して其の一方を思へば他方を思はざるを得ざる傾向を生じ來たる、斯くして未だ經驗せざる他の塲合に於いても件の二物の同じく相次ぎて起こりたることを思ひ浮かべ而して其の思ひに曾て實際印象として等しき關係を經驗したる時の强さと明らかさとが推移し來たるを以て、其處に一種の信念を生じて今まで經驗し來たれると等しき闢係が未經驗の處にも尙ほ必ず維持せらるゝならむと思ふに至るなり。之れを要するに、因果律を其の一般の形に於いて凡べて因なくして果の生ずることなしといふも、又其の特殊の形に於いて此の一果が必然に此の一因によりて生じたりと見るも、共に皆吾人の主觀的信念を根據とせるなり、事物其の物の間に必然其の如き關係の存在すといふことは客觀的事實として吾人の知り得べきことに非ず。因果の關係を必然なるが如く吾人の思惟するは畢竟ずるに聯想に基づける吾人の心の習慣といふべきものなり、尙ほ語を換へて云へば、本體といふ觀念に於けるが如く吾人の心に於ける主觀的傾向を客觀に移して事物其のものにも一が他と必然に相結ばり來たる關係を有するかの如くに想像するのみ。
かくの如くヒュームは因果律を批評し去りて遂に其が純理哲學上の根據たるべき價値を否み、尙ほまた吾人の意志の作用を直接に意識することに於いて原因力といふべきものを吾人の發見するが如くに唱ふる說を駁擊せり。此のゆゑにヒュームに從へば彼れが聯想律の第三のものとして揭げたる因果の關係も畢竟ずるに第二律即ち隣接の關係に歸すべきものにして、唯だ吾人の經驗したる印象の連續即ち隣接に信念といふ主觀的感情(これ亦聯想的習慣の結果に外ならざるもの)を加へたるに過ぎず、之れを直覺的に確實なる原理とし之れに依りて印象以外に吾人の知識を擴張すべき効力はいさゝかも因果律に存在せざるなり。
《ヒュームの說のポジティヸズムと稱せらるゝ所以。》〔一一〕吾人の知識は啻だ印象以外に出づること能はざるのみならず印象の範圍內に於いても(上に論じたるが如く因果律は主觀的習慣に歸すべきものなるがゆゑに)其の相互の關係、換言すれば印象として吾人の經驗する自然界の法則に就きても吾人は絕對に確實なる知識を有すること能はず。吾人の確實に知り得る所は唯だ個々の印象の直接に經驗されたる樣及び數學に於けるが如き觀念相互の關係の外に出でず。此のゆゑに一切の自然科學も其の根據は確實なる知識と云はむよりも寧ろ信念といふべきものなり。吾人の直接に一現象と一現象との隣接して起こることを經驗する以外、即ち直接に吾人の經驗せざる塲合に於いても同樣なる隣接の關係即ち同樣なる法則の行はるといふことは究竟すれば唯だ吾人がしか信ずといふことの外に出でず。吾人は理性によりて事物の關係を推究すといふも、所謂理性は畢竟聯想の結果として一現象を思ひ浮かぶれば他の現象を豫期することをする一種の本能の如きものに外ならず。
斯くの如く自然界に於ける現象の生起に關しては畢竟ずるに吾人は信念を有するに止まるものなれども、ヒュームは此の信念を以て吾人が實際世に處する上の需要に取りては十分のものなりと考へ、吾人は實際上不都合なき程に確實なるものとして自然界の法則に依賴し得べしとなせり。ヒュームは純理哲學上印象以外に吾人の知識を擴め得ることを否み、又本體及び因果といふ觀念をも只だ主觀的習慣に基ゐするものとして其が純理哲學上の價値を否み、自然界の法則に就きても吾人の知る所は畢竟信念にして確實なる知識に非ずと云へる所より、通常彼れの說を名づけて懷疑說と云ひ來たれり。然れどもヒュームの懷疑說は本より直接の印象と、彼れが其れと離れざるものと見たる印象の異同の關係及び其が時空に於ける隣接の關係に對しては些少の疑ひをも挾まず、數學に於いて言ふが如き觀念相互の關係に就きても亦もとより疑ふことをせず、且つ吾人が自然界に就きて有する信念も實際生活に必要なるほどは確實なるものといふことをも否まず。盖し彼れの學說の趣意は吾人が直接に印象として經驗することが知識の唯一の淵源にして其れより遠ざかるに從ひて事實を知る上の知識としては益〻確實ならぬものとなるといふに在るを以て其の說を名づけてポジティヸズム(positivism)と云はば或は最も適當なる名稱ならむか。
《ヒュームの所說中更に考究を要する點。》〔一二〕以上叙述し來たれる所を顧みれば吾人はヒュームが思想の銳利なることを承認せざるを得ず。先きにロックによりて揭げられたる經驗主義の思想は彼れに於いて始めて其の最も單純なる又大膽なる結論に到達したるものと云はざるべからず、而してこゝに其の止まるべき所を發見する哲學者も少なからず。兎に角吾人の知識をこゝに止まるものとなし、其の範圍以外には吾人の正當なる知識と云はるべきものなしと考ふるは一種の哲學上の思想としては有力なるものと云はざるべからず。然れどもヒュームの哲學を細思すれば吾人の思ひ起こさざるを得ざる幾多の疑問あり、而かもヒュームは此等の疑問の解釋を試みることを敢てせざりき、彼れが意盖しこれを吾人の知識の到底解釋し得ざる所として其の說明を思ひ止まれる也。彼れが所說に就いて吾人の更に問はざるを得ざることは、第一に彼れの謂はゆる印象の起原なり。彼れは印象の起原に就きては更に論究することを爲さざりき。以爲へらく、吾人は到底印象を起こす所以の窮極原因を採ること能はずと。例へば此處に一脚の机を見むに兎に角其が印象として吾人に經驗せられたることは確かなれども其の印象の何者の起こす所なるかはヒュームの措いて問はざる所なりき。○(印象の成り立ち且つ殊に異同の印象といふが如きものの如何にして成さるゝかを問はざるべからず。)且つ又彼れは頻りに聯想律を用ゐ殆んど之れを以て在來の純理哲學上の觀念を打破する唯一の武器なるが如くに取り扱ひたれども、聯想は異同の觀念即ち一を他と同じ又はしからずと認定すること等の後に行はるゝものなればそれを以てその如き認定作用を說明すべからず、啻だ然るのみならず彼れの說ける所よりのみ見ては何故に聯想といふが如きことのあるかを了解する能はず。彼れの立ち塲よりすれば一觀念と他觀念とが相喚起すといふが如きことは却つて不可思議のことなりと云はざるべからず、そは彼れの出立點は個々の印象及び個々の想念にして之より以外のものを許さざるが故に別々の觀念が何故に相聯結する傾向を有するかは考へ難し、是れ彼れ自ら承認する所なり。斯く個々別々の印象及び想念を以て其の出立點と爲す以上は其處に統一といふことの行はるゝ所以を解すること能はず、故に哲學思想はヒュームに於いて一種の休息塲を見出だせりといふものから、猶ほこゝにのみ止まり居ること能はざるなり。彼れが出立點の正否、是れ須らく問ふべき問題なり。知識問題は寧ろ彼れが以て出立したる所のものを討究するに在り、彼れは未だ此の問題を解かず、之れに手を觸れずして措きたるなり。彼れ以後に於いて如何に哲學思想の變遷し來たらむとするか、殊にカントがヒュームの揭げたる問題に對し更に滿足なる解釋を與へむと試みて如何なる知識論上の大潮流を起こし來たるかは後章に於いて吾人の叙述すべき所なり。
《經驗哲學以外當時に於いて攷究せられたる事柄。》〔一三〕上來叙述し來たれる所によりて知らるゝ如く英吉利に於いてロックに始まれる經驗哲學の潮流はヒュームに至りて其の頂上に達し一段落をなせり。されどロックよりヒュームに至るまでの間は英吉利に於いては學問上頗る活潑なりし時代にして以上述べ來たれる心理學上及び知識學上の硏究の外尙ほ他の事柄に就いても盛んに攷究せられたり。而して此の間に於いて特に吾人の注意すべきは自然科學、宗敎及び道德に關する硏究にして此等が上に述べたる心理學及び知識學上の動機と共に種々の關係を成して生起し發達し來たれり(ロック及びヒューム等の論も上には專ら心理及び知識に關する方面のみを述べたり、彼等が道德上の論は別に後章に述ぶべし)先づ次ぎに吾人の注意せむとするは自然科學上の現象にして此の範圍に於いて最も偉大なる人物をニュートンとす。
第四十章 ニュートン
《當時に於ける哲學科學兩思想の相互の影響。》〔一〕近世哲學は其の初めより自然科學と疎からざる關係を有し來たりき。ジョルダーノ、ブルーノがコペルニクスの天文說を取り入れたるを初めとしてライブニッツが當時の自然科學硏究の結果を多く其の哲學思想に編み込みたるに至るまで、其等の硏究が哲學思想に影響したる例多きのみならず又一般哲學上の推究が飜つて科學の根本的思想及び硏究法を更に遍通なるもの、更に明瞭なるものとなし來たれる両者相互の關係の疎遠ならざることは毫も見るに難からず。ケプレル及びガリレオ等によりて提出されたる物理的硏究の見方がホッブス及びデカルト等によりて一般の哲學的思想の上に於いて全物界を通貫する機械的說明として揭げられたるが如きは哲學方面より自然科學の進步及び運命に反響を及ぼしたる最も著るき例なり。斯くデカルト等が其の哲學上の立塲より揭げ出でたる自然科學的硏究の理想に光輝ある一大證明を與へ如何にして物質的世界てふ一大機關が維持さるゝかを示したるもの是れ即ちアイザック、ニュートン(Isaac Newton)なり。
《ニュートンの生涯、著述及び同時代の學者との關係。》〔二〕ニュートンはロックに後るゝこと十年(即ち一千六百四十二年十二月二十五日)にして生まる。初め農夫となりて牛羊を牧せしが其の間にも常に學問上の事に思ひを凝らし、幼きより機械の製作等を好めりしが遂に其が生來の希望を達して學問に從事するの機會を得、ケムブリッジの大學に入りて其の學識は非常に速かに進步したり。後久しき間該大學に在りて數學の敎授たりき。其の著述の最も重要なる者は一千六百八十七年に出版せし "Principia Philosophiae Naturalis Mathematica" 及び一千七百四年に公にせし "Optics" なり。彼れの有名なる微分法(fluxion)の發明は一千六百六十五、六年頃已に彼れの思ひ到れる所にして、其の發見の時日より云へばライブニッツに先きだてりしが世に發表したることは彼れに後れたり。ニュートンの有名なる硏究の一は光線の分析(是れ其の "Optics" に於いて說明せし所のもの)なるが、彼れは光線其の物の說明に於いては當時の有名なる和蘭の科學者クリスチアン、ホイヘンス(Christian Huyghens 一六二九―一六九五)の振動說を受け容れずして物質的光線の發射を說き、其の發射によりて物象(species)が腦に傳へられ、其處にて感覺器に於いて感覺の性能ある心によりて覺知せらると說けり。此の點に於いてニュートンがホイヘンスの說を容れざりしに引きかへて引力說(即ち彼れが科學及び哲學に於いて其の重大なる地位を占むる所以のもの)に於いてはホイヘンスはニュートンの說を容れずして却つて之れを以て考ふべからざるものの如くに評せりき。
《ニュートンの引力說に重大の意義あるは物質界全體を說明せるにあり。》〔三〕ニュートンが說きたる引力說の科學及び哲學に於いて重大の意義を有する所以は吾人が地上に於いて見る所を物質界全體に及ぼして全宇宙を同一なる法則の上に置きたるに在り、宇宙の部分の同質なることは是に於いて最も明らかに說明されたるなり。今之れに關する古來の思想を顧みるに、希臘に於いてはピタゴラス派の學者を初めとしてプラトーン及びアリストテレース等は天上界と地界とを相對比し二者は其の質を異にし其の完美なることに於いて前者は遙かに後者に優れるが如く考へ後に新プラトーン學派に至りては宇宙が完美なることに於いて幾多の段階を成すが如く見たりき。之れに對してストア學派は同一なる神性が萬物を通貫すといふ思想より宇宙の部分の同等なることを說くに近づきたりしが、近世哲學の序幕に於いてジョルダーノ、ブルーノがコペルニクスの天文說を應用したるを初めとして其の後物理學の硏究及びそれと密接の關係ある哲學思想の發達するに從うて終に全物界には均しき機械的法則の行はるといふ說、勝を制するに至れり。而してニュートンが數學上の計算によりて同一なる重力上の法則が地上にも又天體の間にも同樣に行はるといふことを證明するに至りては宇宙の部分を同質なるものと見る說は茲に奪ふべからざる勝利を得たりと云ふべきなり。
《ニュートンの硏究法、數學的硏究即科學的硏究。》〔四〕ニュートンに從へば、物界を硏究する正當の方法は數學的の見方にして數學的に考ふる是れ實に唯一の眞正なる科學的硏究なり。畢竟ずるに是れ其の根本思想に於いてガリレオが物體の運動を說明せむが爲めに主張せし思想、即ち物體の運動を分析して其れの原因を小部分の運動の結合に歸せむとする思想を受け繼げるものに外ならず。ニュートン自らも複雜なるものを分析して單純なるものに至り、結果より推して原因に至り、又個々の原因よりして一般の原因に至り、運動よりして運動を起こす所以の勢力に論じ至るを以て其の硏究の方針となせり。斯くしてニュートンは數學的に物體の運動を考ふることを以て唯一の科學的說明と見、言を極めて中世紀哲學者の說きたる「フォルメ、スブスタンチァーレス(formae substantiales)及び「クヮリターテス、オックルテ」qualitates occultae)を排擊し、其等事物の相因又は隱微の性質といふ如きものを以ては物界の現象の起こる所以を說明するに足らずとなせり。然るにニュートンが引力といふが如きものを說けるは是れまさしく物質の相引くといふ如き不可思議なる性質を說きたるものにあらずやと疑ひたる人もあり。然れども彼れが引力を說きたるは其の自ら說明せる所を以ても明らかなるが如く、唯だ物體の運動する現象を言ひ現はせるのみにて決して其をしかする原因を引力(attractio)といふ言語にて言ひ現はせるにはあらず。物體の相近よる原因を考ふるに於いてはニュートンは一物體を離るゝに從ひて濃くなるエーテル的物質の存在を假定して說かむとせり、即ち彼れは全く空隙を隔てゝ一物が他物に働くといふことを考へ得られざることとなし、引力といふもののある所以をば遂に物質の衝擊(impulsus)を以て說かむとしたるなり。されど其の謂ふエーテル的物質も本より一の臆說として提出せるに過ぎずして要するに引力の原因には論じ入らざりしなり。
《ニュートン對ロバート、ボイル及びライブニッツ。》〔五〕物界を全く機械的に考ふることはニュートンの心に於いては宇宙全體を造化主の所作と見ることと全く調和したり。目的觀と機械觀とを調和せむとすることがライブニッツの哲學の一大目的なりしことは已に云へる如くなるが、ロックの友人にして原子論を化學に入れて其の學に新時期を開きし有名なる化學者ロバート、ボイル(Robert Boyle 一六二六―一六九一)また化學上宇宙を一の機械と見ることを容し且つ盛んに學術硏究の自由を主張したると共に又熱心に知性ある造物生の存在を主張し宇宙てふ機關は其れを造り其れに最初の動力を與へたる者の存在を示すと唱へて無神論及び非目的說を排擊せり、即ちボイルの意見にても、科學上の機械說と宇宙全體を目的觀の上より見ることとは決して衝突するものにあらずとなし其の原子といふ觀念を入れて科學上の說明を爲さむとしたるも是れ唯だ硏究上の方便にして哲學的世界觀を言ひ現はせるものに非ずと考へたり。ニュートン亦宇宙の構造に意匠の現はれ居りて天體の配置及び宇宙全體の構造が其の偶然にして成り上がれるものに非ざるを示し、且つ天體の運動は初め之れに運動を與へたる者の存在を示し(若し初めに物體に運動の與へらるゝことなくば遊星は引力に從ひて太陽に合體し居るべき筈なりとし)殊に有機物の構造は目的を具へて作爲する造化主の存在を證明すと考へたり。
然れども天體の調和は全く完全なるものとなり居るに非ずして彗星遊星との關係より不規則なる運動の生じ來たることあり。而して其れが爲めに天體の間に破壞を來たさざらむ爲めには神は時々に直接に其等の不規則なる關係を矯正するを要すと考へざるべからず。斯くニュートンが宇宙の調和は自然に完全なるものに非ずして時々外より神力の干涉するを要するが如く考へたる點に對しライブニッツは痛く之れを攻擊して是れ恰も造化主の作爲を以て下手なる時計師が時計を作れる後に屢〻其を修復せざるを得ざると同一視するものなりと云ひ而してニュートンの弟子クラークは之れに對してニュートンを辯護せり。
《ニュートンの空間論。》〔六〕ライブニッツとクラークとは又空間の論に就きても相爭ひライブニッツが空間を以て唯だ吾人の感官の漠然たる見樣なりと說けるに對しクラークはニュートンが唱へたる絕對的空間の說を保持せり。ニュートン以爲へらく、吾人が感官上の時間空間及び塲所は凡べて唯だ關係的のものに外ならず、通俗の見に從へば凡べて此等を以て眞實なる者となせども其等は決して窮極的に眞實なるものにあらず。若し眞實に運動、即ち惰性の規則に從ひてありとすべき底の運動の存在せむには唯だ他に對する關係にのみかゝれるものにあらずして、其れ自身に存在する絕對の空間又絕對の時間なかるべからず、絕對に動かざる塲所(ローカー、プリマリア、loca primaria)なくしては遂に事物の存在を定むること能はず、其等絕對の塲所は其れ自身に於ける塲所にして又それが標準となりて凡べての塲所を定め得るものならざるべからず、而して其の如き絕對の塲所は吾人の感官の能く吾人に示す所にあらず、一言に云へば、眞實の空間及び眞實の時間は吾人の數學的に考定する空間及び時間なりと。斯くしてニュートンは數學上抽象して考へざるべからざるものを以て實在を示すものと考へ、學理上に於いては五官の示す所に止まらず數學上の假定を推究して其處に事物の眞實の相を發見せざるべからずと考へたるなり。斯く空間其の物を以て絕對に存在するものと見たる點に於いてニュートンの說は曩にヘンリー、モーアが非物質なる空間の說をなし、廣がりといふことを以て物體の特徵となさずして寧ろ之れを障碍の性に求めたることに合せり。且つ又ニュートンはヘンリー、モーア等のプラトーン學者と共に此の非物質なる空間を以て直ちに神がよりて以て凡べての物を知覺する機關と見たり、換言すれば空間は神の有せる無際限又平等なる感覺器にして神は之れによりて宇宙間の如何なる所に起こる事柄をも直ちに知覺すと考へたるなり。
第四十一章 デイズム
《デイストの宗敎觀、デイストとテイスト。》〔一〕ニュートンの世界觀は彼れに特殊なる新說といふにはあらねど其の彼れが偉大なる自然科學上の硏究に結び附けて說かれたる故を以て英國に於いても又歐洲大陸に於いても大なる影響を時の學問界に與へ而して彼れが此の世界觀はデイズム(deism)と名づくる當時有力なりし一種の宗敎觀の理論的根據をなせり。此の宗敎觀に從へば世界は一つの機械にして其の機械は其を造れる者の存在を示し其が偶然に生じたるものにあらずして神智の所造なることを證明するものなり。又以爲へらく、世界が一旦神によりて造られたる以上は神は世界以外に在りて外より之れを照覽するに止まりて常に力を世界に添へ居るに非ず世界は其の機械作用によりて自ら其の働きを繼續し行くものなりと。此のデイズムてふ宗敎觀は十八世紀に於いては大に英國に勢力を振るひしのみならず、一般歐洲大陸に於いてもかゝる思想は盛んに行はれたり。デイスト(deist)てふ語は十六世紀頃に用ゐ初められしものとおぼしく元と無神論者に對して唯だおほらかに神の存在を信ずる者に名づけたる名稱なりしが其の後敎會の神學者等が又テイスト(theist)といふ語を用ゐることとなれるよりおのづからデイスト、テイスト二語の間に區別を生ずることとなり、前者は世界を創造したる神ありといふことを信ずれども、一旦造られたる以上は世界は其の定められたる所に從うて自ら動き行くと見るものを指し、後者は神は常に人事及び其の他宇宙の事に直接にたづさはりて其の攝理を行ふと信ずるものを意味することとなれり。
《デイズムの當時に行はれたる原因、デイズムはロックの理性論を合理的方面に進めたるものなり。》〔二〕デイスト風の思想の行はれ來たれる原因を考ふれば深く當時に至るまでの宗敎界の變動に起因せるものにしてデイストてふものは其の一般の原因より生まれ來たれる風潮の一つの最も著るき結果と見るべきものなり。宗敎革命以後其れに引き續きたる三十年戰爭を初めとして諸〻の宗敎上の動搖、宗義に關する論爭及び宗派の嫉妬等時を追うて甚だしく遂に心ある者は其等の爭ひに倦み果てそを嫌惡する情を生じて寧ろ宗義の差別を輕視する氣風を釀し來たれり。ボシュエー(Bossuet)及びライブニッツが敎會の一致策を講じたるが如き、又敎會內の人にはあらざれどもスピノーザが信敎の自由を唱へ、ロックが其の自由なる基督敎思想の立場に在りて宗敎上の寬容を主張したるが如き、是れ皆區々たる宗派の區別の上に出でむことを要求する傾向を示すものにあらざるはなし。而して此の傾向の結果として一つには凡べて宗旨上の差別に冷淡なる種類の人々を生じ(例へば英國に於いてはラティチュディナリアン〔Latitudinarian〕の如き即ち是れなり)又一つには宗義上理論的の事を重んぜずして專ら實際上の信仰と實行とを貴ぶ人々を生じ(此等の人々は已にスピノーザの時に於いて和蘭にありき、又獨逸に於いて此の種類の運動の最も成功せしはピエティストなり)また右の二者とも異なりて宗敎をば吾人の理性を以て認め得る普遍の基礎の上に置き謂はゆる自然宗敎を以て唯一の眞正の宗敎即ち眞正の基督敎となして其の他一切種々の宗派及び宗旨に附著し居る不必要なる、又迷信に基ゐする樣々の信仰個條及び儀式を抛擲せむことを求めたる人々あり。彼等は吾人の自然に具ふる光(
曩にロックは中世紀哲學に於けるトマス風の見方を繼續して超理と背理とを區別し天啓を以て吾人が自然の知識を補ふものと見たりき(而してかく見ることに於いてはライブニッツもヺルフも大體上其の意見を同じうせり)。然れどもロックは更に明らかに吾人の理性の外に天啓の信ずべき所以を示すものあらずとし、吾人の理性を以て天啓たることの十分の道理を發見し得べからざるものは眞正の天啓にあらずとしたれば畢竟ずるに宗敎上の信仰もまた吾人の理性の範圔內に在るものとせられざるべからず。ロックの此の思想を追うて宗敎上の事を更に明らかに合理的方面に進めなば是れ取りも直さずデイスト等の主張する所に到るなり。
《ソシニアン派の宗敎觀。》〔三〕かゝる宗敎思想の合理的傾向はソシニアン派(法律家なりしレーリウス、ソシーヌス(Laelius Socinus 一五二五―一五六二)及び其の甥ファウストゥス、ソシーヌス(Faustus Socinus 一五三九―一六〇四)により創められし派にして二人共に伊太利に生まる)の神學說に於いて明らかに進みたるを見る。此の派の學者は以爲へらく、吾人の理性を以て了解すべからざることが天啓によりて吾人に示さるべくもあらず、吾人が何を天啓として承認すべきかは唯だ理性によりて判ずるを得るのみと。斯くて彼等は三位一體の宗義及び基督を神の化身なりといふが如き信仰個條を徘斥し神は唯一にして基督は人間の神聖なる者なりと唱へたり。されど彼等は敢て天啓の必要を否めるにはあらず。彼等に從へば天啓は決して吾人に究理上の眞理を示さむが爲めのものに非ず其の關する事柄は全く學理上のものと異なり。宗敎の特質は其が吾人に對して律法を揭ぐることにあり、神の吾人に示す所のものは哲學的世界觀にあらずして吾人の行爲の規律なり、故に宗敎を奉ずといふは畢竟ずるに神が示せる行爲の規律に從ふの謂ひにして理論上或宗義を承認するの謂ひにもあらねばまた唯だ道德上の氣質を云ふにもあらずして、神によりて示されたる凡べての戒律を實行するにあり。斯く法律的に宗敎を見たる所是れソシニアン派の主唱に於ける特殊の點なり。
《英吉利に於けるデイズム。ロールド、ハーバートの說。》〔四〕英吉利に於いてデイスト風の思想は十七世紀の前半に於いて已に早くロールド、ハーバート(Lord Herbert 一五八一―一六四八)によりて唱へられたり。彼れは宗敎上吾人の信ずべきことを理性の指示に認め又吾人の行ふべきことを道德上の事柄に認めたり。以爲へらく、萬人には共通なる觀念(notitiae communes)あり而して吾人の思考及び觀察は凡べて此等の根本觀念に從うて始めて其の用を爲すべき者なり、若し吾人の生具したる而して直接に吾人に發見され承認さるゝ其等若干の原理なくば吾人は一切の事物を推究すること能はじ(ロックが生得の觀念を論じたるは一つには此等ハーバート等の所說に對せるなり)然れば則ち吾人の生得したる性能が自然に吾人をして眞理を了解せしめ又善を目的とする道德的行爲に進ましむと云ふべし、而して宗敎てふものは此處に其の基礎を有するなり。理性を有すると宗敎を有するとは決して相離るべきことにあらず、ほしいまゝに己が心を暗まし居る者にあらずば何人と雖も理性の示す所の宗敎を承認せざるを得ざるべしと。ハーバートは其の謂ふ理性の示す所の宗敎の要旨に五箇條ありとて揭げて曰はく、〔第一〕世に至高至大のもの即ち神の存在すること、〔第二〕吾人は其のものを敬ふべきこと、〔第三〕而して敬神の要は德行と相離れざること、〔第四〕吾人はおのづから罪惡を嫌惡し從ひて一切の罪業を悔悟すべきものと知り居ること、〔第五〕神は善にして且つ義なるものなるがゆゑに吾人は自ら行ひたる善惡業に從ひ後生に於いて賞罸せらるべきこと是れ也。ハーバートは件の五箇條を以て如何なる時代の如何なる人民にも凡べて承認せらるべきものとなし而してこれより以外の事は畢竟ずるに僧侶の造り設けたる若しくは哲學者等の附け加へたるものに外ならずと見たり。一言にて云へば、彼れは世に至善至正なる神ありとし而して吾人の神に對する關係を專ら道德的に考へて神に事ふるの要旨は畢竟ずるに德行に在りと見たる也。彼れの唱へたる所是れ已に英國に於けるデイスト等の主張したる根本思想を明示せるもの也。
《英國の自由思想家トーランドの說。》〔五〕第十八世紀に於いて英吉利にデイストの運動を起こしゝ最初の人にして且つ此の徒の中にて哲學史上最も注意する價値あるものとしてはヂョン、トーランド(John Toland 一千六百七十年愛蘭に生まれ一千七百二十二年に死す)を揭げざるべからず。トーランドの時始めて英國に於いて此の徒を呼ぶに自由思想家(free thinker)といふ名稱を以てせるを見る、盖し此等の人々は敎會及び其の他の權力(authority)を以て定めたるものより離れて須らく自由に宗敎上の事を考ふべしと主張したればなり。而して斯く敎權に從はずして自由に考ふるは是れ取りも直さず吾人各〻が自然に具ふる理性に從うて考ふるなり。トーランドはロックが如何なることの果たして天啓なるかを定むるは吾人の理性の範圍內のことなりと云へる說に根據し該の說の正當の結果として(但しロック自らはトーランドの結論を承認せざりしかども)唱へて曰はく、宗敎上吾人の承認すべきことは全く合理的のことならざるべからず、背理のことは云ふに及ばず超理のことと雖も亦眞正の宗敎の中に存在すべき筈なし、眞實基督敎に說ける所には毫も不可思議なるものなしと。是れトーランドが其の著 "Christianity not Mysterious" (『基督敎は不可思議ならず』)に於いて述べたる趣意なり。彼れに從へば、天啓は吾人を敎ふる方法にして吾人が信仰の根據にあらず、吾人の之れを信仰するは我が理性を以て其れの十分信ぜらるべき理由を發見すればなり、奇蹟といふ如きものも亦決して不可思議のものにあらず、唯だ神が時に自然の法則をして通常の範圍以外に出でしめたるのみにして通常以外言ひ換ふれば自然以外のことは必ずしも超理のことに非ず。また神の深奧なる性體は吾人の探り得べからざる所なりとするも是れ亦別に奇妙なることにあらず、そは此くの如きは唯だ神のみにあらざればなり、吾人の常に萬物に就きて知る所も亦唯だ其が現はれたる性質に外ならざるなり。之れを要するに唯だ僧侶及び學者が基督敎をして不可思議なるものとならしめたるのみと。トーランドの說く所は當時甚だしく敎會及び有司に嫌惡せられて其の著書の燒き棄てられたるのみならず愛蘭議會の一議員の如きは著者をも燒かむと欲したるほどなりき。
トーランドは後に歐洲大陸に渡りてハンノーフェル朝廷の厚遇を受け、其處にてライブニッツと會せることあり。彼れが一千七百四年に公にしたる『セレーナに贈れる書翰』("Letters to Serena" 是れ即ち普漏士王妃ソフィー、シャルロット Sophie Scharlotte に贈るに擬したるもの)は哲學上の意見としては彼れが著書の中に於いて最も見るべきものなり。彼れ其の中に論じて曰はく、スピノーザの說を以ては運動の存在する所以を說明すること能はず、運動は廣がり及び障礙の性と共に等しく物質に本具せるものと見ざるべからず、動くといふことは物體の性にして吾人の五官に一物體の靜止するが如く見ゆるは反對の運動が相妨げ居れる狀態に外ならず、物體に差別の存するは其れを組織する部分が種々の運動を爲すがゆゑにして運動是れ即ち物體に於ける差別の基因なりと。斯くの如く運動を以て物體其の物に具はる性なりと見たれど、トーランドは決して造化主の存在を否まず、却つて物體を動くものとして造り且つ其の運動を支配するものなくては宇宙に整然たる秩序のある所以、殊に有機物の生じたる所以を解すべからずと考へたり。彼れが晚年の著書『パンテイスティコン』("Pantheisticon" 千七百二十年出版)に於いては其の謂ふ造化主即ち神をば天地萬物に在りて常に活動する大勢力と同一視し神と世界とは實際相離れて存在するものにあらず、唯だ吾人の思考上之れを區別し得るのみと說けり。而してかくの如き世界觀を有する者をパンテイスト(pantheist 即ち萬有神說を唱ふる者)と名づけ、〈此の名稱は實に始めてトーランドによりて用ゐられたるなり〉其等の人々の圑體を理想的に描けり。トーランドは其の著述の收入によりて一時其の生計の安きを得たれど後に至りては再び甚だしき困窮に陷り其の晚年を貧窶と病苦との中に送れり。
《當時の有名なるデイスト及び其の說。デイズムの民間傳播運動。》〔六〕思想上より云へば當時デイスト等の唱へたる所には特に新らしきもの又哲學上價値ありといふべきものを見ず、彼等の言ふ所は槪ねトーランドの所說を多少開發するほどのことに止まれりき。こゝに當時のデイストとして有名なる三四の人物を揭げむに、アンソニー、コリンス(Anthony Collins 一六七六—一七二九)の一千七百十三年に出版せる其の著『自由思想論』("Discourse of Free Thinking")に於いて自由思想の見を主張し、また通常豫言を基礎としたる證據論を排斥せるあり、トマス、ウールストン(Thomas Woolston 一六六九―一七二九)の其の著『救世主の奇蹟に就きての論』("Seven Discourses on the Miracles of our Saviour" 一七二七—一七二九)に於いて奇蹟を基礎としたる證據論を排斥せるなり。マッシュース、ティンダル(Matthews Tindal 一六五六―一七三三)は其の著『創世の古より在りし基督敎』("Christianity as Old as the Creation" 一七三〇)に於いて自然宗敎即ち吾人が理性の示す所に全く合したる宗敎は吾人の原初に於いて已に有せし所のものにして其れ以外歷史上の變遷に從ひて制定したる宗敎(positive religions)は皆後世造り設けたるものにして宗敎の純粹なる精髓を失へるものなり而して基督敎(即ち眞に基督の說きたる敎)は再び原始の眞正の宗敎に復歸したるものに外ならず、然るに其の後敎會の敎へたる基督敎はまた後世僧侶等の作り設けたる種々の事柄を附加せるものにして純粹の基督敎にあらずと唱へたり。即ち彼れに取りては自然宗敎は萬人の均しく理性を以て承認し得べきものなるのみならずまた原初のものなり、盖し自然といひ、原初といひ、眞正といふことをば全く同一不二のものとなしそれより以外のものは皆故意に造り設けたるものに外ならずと見て之れを排斥することはデイスト所說の一方面として彼れに於いて大に明らかになれり。トマス、モルガン(Thomas Morgan)は宗敎の眞正なること即ち其が眞に神より出でたることを知る標準は唯だ道德上の眞理にかなふことに在りとする思想に根據して舊約書が果たして此の標準に合ふか否かにつきて批評を試みたり。トマス、チョップ Thomas Chubb 一六七九―一七四七)は身を職人の社會に起こして一千七百三十八年に『基督の眞福昔』( "True Gospel of Christ")を著はし其の思想を彼れが同業の仲間に擴げデイスト運動をして一般人民の中に入らしめむと力めたり。蓋しデイズムは其の初めに當たりては或一部の學者間に唱へられたるに止まり殊にトーランドの論の如きは學者的なるを失はざりしがチョップに至りて大に通俗的運動となりて其の所說を一般人民の間に傳播せむことを力めたるなり。
かくデイストが其の思想を一般人民の間にまでも布及せむとするに至るやロールド、ボリンブローク(Lord Bolingbroke 一六九八―一七五一)は之れを非とせり。但し彼れ自らは凡べて敎會の造り設けたる敎義を以て唯だ哲學的空想に出でたるもの又は僧侶の假構に起因したるものと考へたれども其は須らく唯だ有識の人のみの懷くべき見識にして一般人民に敎ふべきものにあらず一般人民には宜しく通俗の敎會的宗敎を敎ふべきものにして是れ即ち彼等を治むる正當の途なりと考へたり。
《デイズムに對する反對論、監督バトラーの說。》〔七〕ボリンブロークはデイストを駁擊したれども彼れ自身の信仰とデイストの所說とは敢て相反せるにもあらざりきと考へらるゝが彼れとは異なりてデイストに對して神學上正面より攻擊を加へたる者當時甚だ多かりき。監督バークレーの如きも大にデイストを駁擊せる一人なり。盖し彼れの宗敎心の深厚なりしやニュートン及びデイスト等と共に神と世界との關係を考へて恰も時計師の時計に於けるが如く見るを以て滿足せず、○(彼れが唯心論に於いては神と吾人との精神の間に物界を置かず)更に直接に更に深邃なる關係の神と世界及び吾人との間に存することを主張せり。
デイスト等の所說に對する反對論は頗る多かりきと雖も、思想上特に吾人の注意を價するは監督バトラー(Bishop Butler)が其の名著 "Analogy of Religion Natural and Revealed to the Constitution and Course of Nature" (一千七百三十六年出版)に論じたる所なり。彼れ論じて曰へらく、天啓の宗敎(即ち通常敎會の敎ふる宗義)に向かひて提出し得べき非難の主要なるものはまた能く自然宗敎の信仰に向かひても提出せらるべし。人或は神が救はるべきものを選び而して其の選擇に漏れたる者は永久の刑罰を受くといふを以て非理なることとなさむ。然れども此くの如きは自然界に於いて吾人の常に認むる所ならずや、例へば無數の動植物の種子が失はれて唯だ其の一小部分のみが生育するが如き、或は人間に於いては、吾人の實際に見る所によれば唯だ少數のもののみ道德上十分の發達を遂げ得るが如き、其の他のものは皆選擇に漏れたるが如きものと見られざるべからず。人或は贖罪の宗義を非難せむ、然れども罪なき者が罪ある者に代はりて苦艱を受くること是れ實に世間の常態にあらずや。故に吾人若し天啓的宗敎の敎義を疑はば之れと同じき理由によりて自然界が神によりて造られ又支配さるゝことを疑ふを得べしと。而してバトラー自らは之れを說明して畢竟吾人は何れの方面より見るもよく全體を達觀すること能はざるがゆゑに其の如き理論上の困難に遭遇すと考へ道理上に於いても又道德上に於いても宗敎上の信仰に處るを以て最も安全なることとせり。
《ヒュームの宗敎論。》〔八〕バトラー等の批評よりも更によくデイズムの弱點を見且つ其れを超脫せるはヒュームの宗敎論なり、盖しヒュームの說く所はデイスト風の思想の絕頂に逢せるものなると共に又よく其を超越せるものなり。そもデイスト等の宗敎を論ずるや專ら理性を根據となし而してかく只管に理性を據處とする唯理的傾向に於いてはヺルフ學派と相似たり。而して彼等は漸々に其の唯理的傾向を進め行きて奇蹟にも自然的說明を與へ、又宗敎上說かるゝ凡べての奇怪不可思議なる事柄は皆後世の揑造に出でたるものと斷言するに至りき。但し彼等の宗敎論は一つには深き宗敎的感情を缺きたるを以て彼等の說く所によりては宗敎が如何なる力を以て人心の根祗を動かすかの邊を十分に了解すること能はず又一つには彼等は全く歷史的眼光を缺きたるを以て從ひて原初より存在せし眞正の宗敎ならぬものは皆僧侶或は有司の揑造せるものと見たるのみにて眞に自然の歷史的發達といふものを了解せず。彼等の謂ふところ自然は萬人に通じて原初より在りしものといふこと以外の意義を容れず。件の歷史上の見解に於いてはヒュームの說く所能くデイストが所論の弱點を指摘して其が立脚地以上に出でたるものと謂ひつべし、即ちヒュームは宗敎が吾人の心理的作用に從うて歷史上の變遷發達を爲せる次第を硏究せむと試みたるなり。
ヒューム論じて曰へらく、道理上宗敎の根本を探究して其れが吾人の理性を以て承認せらるべきものなるか否かを見ると、其れが自然に起こり來たれる次第を見るは全く別論なり、換言すれば、理論上の根據と生起上の根據とは混同すべからざるものなり。宗敎は自然に人間社會に起こり來たれるものなれども其れが自然に起これりといふことは吾人の理性によりて立てられたりといふとは異なり。宗敎は理性によりて起こるよりも寧ろ希望、恐怖、驚愕、失望等其の他天然が吾人に與ふる災害等の恐るべきものによりて吾人に起こさるゝ感情及び其等天然の作用を人に擬して考ふる吾人の一種の心理的傾向によりて起こされたるものなり。故に宗敎の原始の狀態はデイストの謂ふが如く高等なる合理的のものに非ず、一神敎にあらずして寧ろ下等なる多神敎なり、唯だ吾人が思想作用の進むに從ひて宗敎上の事をも思索考察するに至り其を合理的ならしめむとするが故に下等なる狀態より漸次に高等なるものに進步し行くのみ。然れども宗敎上の發達も亦唯だ理性を以て吾人の推究する所にのみ原因するものに非ず、これには他の種々の因緣の結合し來たるものあるが故に一旦高等なる一神敎に達せる上にも尙ほ常に精神的に高尙に考ふる傾向と有形的に卑近に考ふる傾向との間に徘徊すること多し。宗敎の起因斯くの如くなるが故に世に謂ふ宗敎には種々雜多なる感想混入して或は高尙なるあり或は下卑なるあり或は淸潔なるあり或は猥褻なるあり。實際の宗敎は決して單に合理的のものにもあらねばまた單に道德的のものにもあらず。
大體より云へば、吾人の知識の進步するに從ひて益〻宗敎より不合理の要素を削除し行くべし。奇蹟の信仰の如きものも亦終に道理上十分の根據を有すと云ふことを得ざるなり。ヒュームが有名なる奇蹟論の要旨に曰はく、奇蹟が眞實に世に行はれたりといふことの立し得られむには何人かの證言によらざるべからず、而して如何なる場合に於いて其の證言が奇蹟の事實なることを證するに足るかと云ふに其の證言の誤れりと云ふことが證せらるべき奇蹟に勝りて奇蹟たるべき時にのみ限る、そは奇蹟を容るべきか證言を誤れりとすべきかは、孰れか能く吾人の經驗に合ふかによりて決する外なければなり。而して經驗の示す自然の法則に從うて考ふれば奇蹟を以て實際に起こりたるものとするよりも寧ろ證人の言を誤れりとする方遙かに承認し易し。證人の言を誤れりとすることの何故に非なるかと云へばそれが吾人の經驗の示す自然の事相に戾ればなるべし。而してヒューム自らは證言の誤れることが奇蹟其のものに勝りたる奇蹟と見らるべきほどに確實なる證言は提出され難しと考へたり。
斯くヒュームは其の著『宗敎自然史』("Natural History of Religion")に於いて宗敎の歷史的發達を論じたり、而して彼れが宗敎の道理上の根據を論じたるは其の著『宗敎對篇』("Dialogues on Religion")なり。此の對話篇に於いて彼れは一方に在りては世界に現はれたる調和秩序より推して其を偶然に出來たるものに非ずとし智惠ある造化主の存在を信ずることの全く理由なきことにあらざるを說くが如く見ゆると共に又他方には之れに對して幾多の非難の點を揭げたり。曰はく、世界には調和あり秩序ありとするも其が意匠の原因は世界以外に在らずして其れ自身の中に存在すと見られざるに非ず又恰も器物を幾度も造り直して後終に美麗なるものを
第四十二章 道義學者
《ロックの政治論。》〔一〕デイストの宗敎を言ふや專ら道德を以て其の內容となしたりしが、當時又別に道德の論盛んに起こりて所謂英國道義學者の輩出せるありき。デイスト等はおほむね唯だ通常人の受け容るゝ道德思想を取りて之れを用ゐたるがゆえに彼等の說に於いては倫理的硏究といふべきものを發見せず。英國の道義學を起こす大動機となれるはホッブスの說にして彼れの說を駁擊して之れに代ふべきものを提出せむこと、是れ久しき間英國道義學者の力めたる所なりき。ホッブスの道德說は彼れが國家の論と相離れざるものにして彼れの國家の起原を考ふるや之れを以て吾人が本來の自然の狀態に於いて存在せるものにあらずして個々人の自利心によりて始めて考へ設けたるものとしたると共に又道德上の善惡を以て主權者の法律を制定せるによりて始めて生じたるものと視たり。此のホッブスの國家論に對してこゝに揭ぐべきはりロックの論なり。先づロックはかの主權黨の一人として有名なりしフィルマー(Filmar)が王の國民に對する關係を說きて王は子に於ける父の如く神によりて立てられたる一國民の父として其の權を有するものなりと言へるを排して曰はく、政權は父が子の上に有し主人が僕の上に有する權とは異なりて法律を制定し其の法律を實行し及び外寇を禦ぐ權能に在り。即ち政權は三部より成る、曰はく立法、曰はく行政、曰はく國防(foederative)是れなり(是れ即ち政府の權力を三部分より成るものとする說の茲に始めて說かれたるものとして有名なるものなり)。中に就きて最高なるものは立法權にして而して一國民が立法權の下に服從するは人々が皆自由に其が保護の下に立たむことを約せしに因ると考へざるべからずと。此の點に於いては彼れはホッブス等と共に個々人の合意的結合によりて政權の成立せることを說くものなり、然れどもロックはホッブスの說けるが如く吾人の自然の狀態を以て全く人々相敵視するの有樣に在るものなりと云はず。以爲へらく、吾人の國家を成すは政權の下に在ることが各人孤立するに比して社會的生活を爲すに便なればなり、然れども一旦政權の下に服したりとて決して自然の狀態に於いて有したりし自由の權利を抛棄せるものにあらず、寧ろ政權の下に於いて其の自由の權利が更に安全に保護せらるゝなり。吾人は自然に財產の權を有す、而して其の權の何處より來たるかを尋ぬれば吾人が各自土地或は物質に吾が勞力を加へたることに起因す。故に縱令政權てふものなくとも一人が其の勞力を或る物に加ふるや已に其の物に對して所有權を有し而して他人の之れを犯すべからざる位置に立つなり。權利義務てふものは已にこゝに始まるものにしてホッブスの云へる如く主權者の立てたる法律によりて始めて成り立てりといふべからず、唯だ斯く自然に吾人の有する所有權が政權の下に於いて更に確かに保護せらるゝのみ。而して政權の中心ともいふべき主權は元來人民の合意によりて出來したるものなるがゆゑに之れを行ふは其の人民全體の意志によらざるべからず而して全體の意志は其の多數を代表するものによりて定むるを最も適當なる方法なりとすと。かくしてロックは英國の立憲政體を主張したり。元來人民の有する最高權は永久に其の失ふべからざるものなれば、若し行政權と立法權とが相爭ふことある時には人民は其の多數の意志に從ひて行政權に抵抗する權利を有す、革命の權は實に斯かる塲合に行はるべきものなり。
《ロック及びカムバーラントの道德說。》〔二〕ロック以爲へらく、立法權によりて法律を制定する目的及び標準は人民全體の幸福に在りと、而して此の點に於いてロックの道德說を其の國家論に結びて考ふることを得べし。されども彼れは實際全體の幸福といふことを根據として道德を說きたるにはあらず、彼れは寧ろ凡べて吾人を以て道理心を有して至善なる神の下に在るものとし而してこれより推考して、能く道德上の正不正を數學に於いての如く論證的に確立することを得べしとし、能く直覺的に道德上の規律を認め得べしとせり(彼れが道德上生得の觀念あることを否む論は決して道德上吾人の直覺し得べき規律ありとする說と相戾るべきものに非ず)、即ち彼れはホッブスに反對して道德的規律を法律に拘らずして効力あるものと見たるなり。然れども其等道德上の規律は是れ亦神の吾人に與へたる法則にして(而して件の道德的法則は國法とも異なり、また毀譽褒貶に基ゐする社會の習慣上の規定とも異なりて自然の法則ともいふべきもの也)吾人が之れに從ひたると背きたるとによりて神は吾人を賞罰するものなり。即ち吾人は理性によりて道德の法則を知識するものにして而して其が實際吾人を動かす制裁力を有するは神の意志によりて其の法則に賞罰の附加せらるゝがゆゑなり。
ロックは一般の利福といふことを重んじたれども之れを最高の目的とし之れを根據として凡べての道德上の規律が立てらるべしとは明らかに言はず、寧ろ一般の利福といふことより考ふることをせずとも其れ自身に明瞭なる幾多の道德上の規律ありと考へたり。公共の利福(common good)を以て明らかに最高の道德法となしまた此の道德法を以て自然の法則(law of nature)と見たるはロックに先きだちて其の著 "De Legibus Naturae" 『自然法』をものしたるカムバーランド(Cumberland 一六三二―一七一八)なり。彼れは又ロックと同じく其の謂ふ道德法を以て神の與へたる規律なりとし、而して吾人がそれを守り或は破ることには神の加ふる裁制を以て伴はると考へたり。
《サミュエル、クラーク及びヲラストンの道德說。》〔三〕以上述べ來たれる議論に於いて已に見ゆるが如く當時の倫理學者がおほむね皆眼中に置ける問題の一つは道德の標準、又其の一つは道德の制裁力なり。而して此等の論の中に在りてカッドヲルス(Cudworth)の論脉を引けりと見るべき趣あるはサミュエル、クラーク(Samuel Clarke 一六七五―一七二九)なり。彼れは吾人の道德を自明なる公理の上に立てむと試みたり。以爲へらく、事物には必然にしてまた永恒なる關係のそれぞれの間に具はるものにして、各事物に對しておのづから其れに適合する(fitness)關係と適合せざる關係とあり、而して其は事物其の物の本來の性に基づけるものにして吾人が理性を以て其を直覺し得べきこと恰も數學上の分量の同不同を認むるが如きものなり。而して吾人の所謂道德も要するにかくの如く事物に適合したる必然の關係に從うて行ふことの外に出でずと。斯く道德を以て數學に於けるが如く論證的に確實なるものとなし得と考へたる點に於いては彼れの說く所大にロックのに似たれどもクラークはロックとは異なりて其等道德上の規律其のものは吾人理性を具ふる者に對しては他の制裁力を待たずして有効なるものと見たり、即ち彼れは吾人の道德を行ふべきは神の課する賞罰あるが爲めにあらずして吾人理性を具ふる者は理性によりて道德上の眞理を認め又そを實行すべき筈なりと見たるなり。然れども彼れはまた道德を實行することが吾人各〻に對して決して不利益なる結果を來たすべきものにあらずと考へ、而して道德上の義務と吾人各自の利益とが必然に相合することの證明を與ふることに於いては竟に神の與ふる賞罰を持ち來たることを避けざりき。
吾人が道德上發見する眞理の上に道德上の法則を置くことに於いてクラークの說く所に似たるはヲラストン(Wollaston 一六五九―一七二四)の說なり。彼れ一千七百二十二年に公にせる著述 "Religion of Nature delineated" に於いて說いて曰はく、行爲の正不正の標準は其の行爲が眞理を發表するか否かに在り、正當なる行爲とは其を爲すことに於いて眞理を肯定しそれを爲さざることに於いて眞理を否定するものの謂ひなり、換言すれば、德行は事物を其の眞に在る所に從うて取り扱ふものにして、不德の行爲は誤れる判定を爲し居るものなりと。彼れはまた道德を以て吾人各自の幸福と離れざるものと見、又吾人の取るべき快樂は眞正の快樂ならざるべからずと見、また快樂を比較し計算して眞實の快樂を得むことを力めざるべからずと考へたり。
クラーク及びヲラストン等の說に於いて認めらるゝ如く、一つには道理上直覺的に或は論證的に發見し得る道德の法則といふ觀念、又一つには一般の幸福といふ觀念、また一つには各人の利益といふ觀念、及びそれらに結びて神の意志によりて與へらるゝ賞罸といふ觀念が多くの道義學者の所說に現はれ來たりながら其等相互の關係は尙ほ十分に說明せられでありしなり。
《シャフツベリー及びハッチソンの說。》〔四〕シャフツベリー(Anthony Ashley Cooper, Earl of Shaftesbury 一六七一―一七一三 ロックに親善なりしシャフツベリー侯の孫)に於いて英國の倫理學上の硏究は一轉步を爲したりと謂ふべし。彼れの倫理說は希臘風の美術的世界觀によりて養はれたる哲學思想に根據せる所あり。彼れが世界を觀るや部分と全體との調和といふ觀念を基とし吾人の身體の個々の部分が全體に於いて纏められて一團體を成し而して其の全團體を活動せしむる所以のものが吾人の精神なる如く、宇宙は多が一に調和されたる一團體にして其を活動せしむる精神是れ即ち神なり。世界の一局部をのみ見ればこそ不調和もあれ其の全體に眼を放てば善美ならざるものなしと觀じ、彼れは殆んど恍惚として此の宇宙の美に對し之れを迎ふるに宗敎的感情を以てせり。彼れは同じく目的觀の立塲より天地萬物を視たれども其の著眼の點に於いては當時思想界に流布したりし吾人人類の利益の爲めに萬物の造られたるが如くに思ふ卑近なる目的說(而してこれ實にヺルフ學派に於いて說かれたりし所)に比して遙かに高し。斯く彼れは希臘の美術的世界觀の上より考へたりしが故に其の道德上の善を言ふやまたこれを美的調和と相離さず。吾人の自然に具ふる諸性能の調和を以て吾人の德行の主眼となしたり。而して此の點よりして彼れが論はホッブスの利己說に對する新らしき方面よりする駁擊となれり。彼れは其の若年の時の著作 "Inquiry concerning Virtue and Merit" に於いてホッブスを駁して曰はく、若し吾人を見て孤立のものとせばホッブスの云ふ如く自己の幸福を來たすやうに其の性情の統御されたる者を呼んで善人と云ふを得むも個人を見て社會を組織する一員とする時はしか云ふを得ず。吾人は實際利己的性情を有するのみならずまた利他的性情をも具ふ、而して此の兩者が各〻其の處を得て能く社會一般の善福を來たすと共にまたおのづから自己の幸福を來たすものとなる、是れ實に道德上善といふ名稱を得て賞讚さるべきものなり。斯くシャフツベリーは說きて而して事實に就いて之れを證明せむが爲めに委しく吾人の具ふる諸多の性情の心理的穿鑿を爲して社會に於ける個々人の調和と一個人に於ける其の性情の調和とは互に其の歸向を一にするものなりと主張したり。斯く倫理學上吾人の心情の精細なる心理的觀察を始めて茲に其の倫理說の基礎を置かむとしたる是れシャフツベリーの名著 "Characteristics of Men, Manners, Opinions and Times" (千七百十一年出版)が英國の倫理學上の硏究に一時期を劃したる所以なり。
シャフツベリーに從へば、各個人の具有する社會的及び利己的性情が社會一般を益する底の釣合を保ち居ること是れ取りも直さず各個人自らの利益を來たすに最も適したる事なり、而してかくの如くに云爲する人を稱して善き人といふ。而して更に其等善良なる行爲及びかゝる行爲に出づる所以の性情を反省すれば吾人はおのづからかゝる行爲及び性情其のものを嘉みする心を起こす、一言にして云へば、道德上善美なるものをば善美なることそれ自身の爲めに愛し其の反對を惡む心あるなり。此の反射的感情是れ即ちシャフツベリーの所謂道德官(moral sense)なり。但し假令此の道德官なくとも利他の性情あるが故に其の性情を滿足せしむること其れ自身に吾人はおのづから悅樂を感じ、又他人の幸ひせられたることにも同情して同じく其を樂しみ、またその如き善業を爲せる故に他人に敬愛せらるといふことを思うて自ら我が心に悅樂を感ずるものなり。且つ又利己の性情は之れを制御せざれば却つて自ら種々の苦痛を感ずるに至る、憤怒憎惡等の情が其れ自身に、少なからぬ苦痛を帶ぶることより見ても社會一般を益する行爲が之れと共に自己の眞實の幸福たるべきは明らかなるべし。また之れに加ふるに上に謂へる道德官即ち正義善業を其れ自身に喜ぶ心を加ふれば更に明らかに社會全體を益する德行と各個人の眞實の幸福とが密接に關係して相離れざることを知るべし。
シャフツベリー以爲へらく、吾人は自然に祉會的性情を具ふるものにして元來非社會的なりしものが各自の利益を考慮したる末遂に相約して始めて社會を結べるにはあらずと。彼れが社會の起原を說くや主として吾人の具ふる種々の本能及び衝動に注意し、吾人が性情の一切の作用は初めより現狀態に在るものにあらざれども又初めより唯だ〳〵利己をのみ中心としたるものにあらずといふことに著眼せり。即ち彼れが倫理說の一大特色ともいふべきは吾人が自然に具ふる直接なる本能的感情を根據とせる點に在り。かく吾人が自然に具ふる性情の直接の作用及び傾向に最も重きを置きたる彼れの倫理說は明らかに利己主義を根據とし種々の考慮を用ゐることを以て道德上の眼目とする說に反對すると共にまた推理を必要とする主智的道德說にも反對せるなり。彼れは道德的感情の吾人に生得なることを主張したるが而かも生得と謂ふことが彼れに於いてロックに於けるとは異別なる意義を得たり、盖し彼れに於いては生得なると自然なると又本具なるとは畢竟同一義なりとせられたり。吾人の自然の發達の結果として吾人に生起し來たる所のものは凡べて吾人に生得のものと云ひて可なり。其の生得なるか否かを見るに必要なるは其れの發現する時の遲速に非ずまた他のものの啓發を待たずといふことに非ずして唯だ吾人の天性に於いて或時期が來たり又或條件が備はらば自然に發生し來たりて人爲を以て故意に造り出だせるものに非ず、といふ點に在り。故にシャフツベリーに取りては上に謂はゆる道德官は吾人の性に具したる所のもの即ち生得のものなり。
シャフツベリーに從へば、德行と各個人の利益とは特に神意を以て附加せらるゝ賞罰に待つ所なくして相合するものなり、故に福德の二者を相合せしめむ爲めのものとしては宗敎を必要とすべき理由なし、宗敎は寧ろ道德的性情の冠となりて其を完うするものにして道德が宗敎を基礎として其の上に立つに非ず、換言すれば、道德的感情の高大になりて宇宙の善美に仰ぎ向かふ所即ち其の頂上に達したる所、こゝに宗敎的感情はあるなり。
フランシス、ハッチソン(Francis Hutcheson 一六九四―一七四七)が其の死後一千七百五十五年に出版せられし其の著『道德哲學の組織』("System of Moral Philosophy")に於いて說ける所はシャフツベリーの說を(但し其れの哲學的方面とは相離して)專ら善美に向かふ自然の感情即ち道德官の論を根據として組織立てたるものなり。されど彼れが他の著述『美及び德の觀念の原始に關する硏究』("Inquiry into the Original of our Ideas of Beauty and Virtue")に於いてはシャフツベリーよりも更に明僚に德行と博愛とを同一視せり。說いて曰はく、道德的行爲の動機として吾人の最も嘉みすべきところのものは、一にば社會全體の利益を計る博愛の心、二には道德上優れたることを其れ自身に喜ぶ心なり、換言すれば前者は博愛にして後者は所謂道德官なりと。尙ほ以爲へらく、個人が唯だ自己の利益をのみ目的として只管これを計る心は廣く他を利することに害なき限りは道德官の上より見て非とすべきことに非ず然れどもまた嘉みすべきことに非ず即ち道德上無記のものなりと。然れどもハッチソンは博愛と道德官の示す所とは共に各個人の眞正の利益と決して相逆らふものに非ずと信じて疑はざりき。彼れは德行の標準を樹てゝそは明らかに最大數に取りての最大幸福(the greatest happiness for the greatest numbers)を來たすことに在りとなせり。されど吾人の行爲が純粹の善心即ち博愛の心又は道德官の指揮に從ひたる時に於いても實際一般社會の幸福を來たさざることあり、又實際に社會一般の幸福を來たす行爲必ずしもかゝる善心より出でたるにあらざることあり。是に於いて彼れは事に於いて(material)善なると形に於いて(formal)善なることの區別を爲して曰はく、前者は行爲の結果が實際祉會一般の幸福を來たすものなる塲合を云ひ後者は行爲の善き心褂より出でたる塲合をいふと。
《マンデヸルの利己的道德說。》〔五〕シャフツベリーは專ら各個人及び社會に於ける善美なる方面及び其の調和を現はすべき方面に著眼したりしが之れに反して專ら吾人の性情に於ける利己的にして醜惡なる方面に著眼し而して之れを以て社會活動の動力なりと說きたる者をマンデヸル(Bernald de Mandeville 一六七〇―一七三三、血統は佛蘭西人にして和蘭に生まれ倫敦府に在りて醫を業とせり)とす。彼れは當時英國に於いて物論を惹き起こしたる其の著『蜜蜂物語』("The Fable of the Bees, or Private Vices made Public Benefits" 是れ初め一千七〇六年に公にせる詩を更に增補して一千七百十四年に出版せるものなり)に於いて大膽に吾人の凡べての活動は悉く自利を根據とすることを論ぜり。彼れ以爲へらく、吾人は元來愛他的のものに非ず、社會のかく成り立ちて維持せらるゝは畢竟追從諂諛に由るものなり、之れを證せむとせば各人が私かに欲し私かに思ふ所を其のまゝに公に云ひ爲すと見よ其の結果や果たして如何なるべき。吾人は皆飮食名譽の欲又は奢侈逸樂を願ふ心によりて動かさる、吾人若し唯だ道義學者の謂はゆる善心によりてのみ動かさるゝこととならば社會の活動は忽ちにして其の動力を失ひ社會の繁榮は復た見るべからざるに至らむ。文明進步の動力は畢竟ずるに個々人が凡べて自己の利益を求むる欲念に存在す、醜惡なりとて之れを除き去るは是れ即ち社會の文化に進む動機を除去するなり、倫敦市街の糞土塵埃を全く除き去らむとするは取りも直さず其の繁榮を滅却するものなり。このゆゑに社會の文化は吾人の道德的性質を高むるによりて進むものにあらずして寧ろ唯だ利己心を裝ひ其の外面を美しくすることに在りて存するのみ。されば社會の文化の進めばとて之れに伴ひて個人の道德心の進むにもあらねば又個々人の滿足の進むにも非ず。もろ〳〵の欲望を充たす方便の增加すると共にまた新らしき欲望を生じ新しき不滿足を覺え來たる。若し欲望不滿足の增長することなくんば文明の進步は立どころに止まらむのみと。マンデヸルはかゝる見地よりして文明問題を揭げ來たれり。盖し彼れの功績は倫理學の上に於けるよりも寧ろ社會の文化に關する問題を提起せる點に在り。此の點に於いてマンデヸルはライブニッツ及びシャフツベリー等の說によりて代表されたる樂天說に對して厭世的思想を唱へたる者と見らるべきなり。
《監督バトラーの道德說。》〔六〕シャフツベリーの後に出でて英吉利の倫理學界に一の肝要なる地位を占むるは先きに宗敎論を叙せる時其の著 "Analogy of Religion" を以て名を得たりと云へる監督バトラー(Bishop Butler 一六九二―一七五二)なり。上にも云へる如くシャフツベリーの倫理を說くや專ら吾人の直接の感情に重きを置き又諸〻の性情の互に相和する方面より其の說を立てゝ、吾人が思慮を用ゐ又諸性情の上に立ちて其を統御する心作用を說く必要あることの方面には注意せざりしが此の方面に最も重きを置きて說をなせるはバトラーなり。彼れに從へば、吾人の道德的行爲に於いて最も肝要とする所は一切の直接の感情及び自然の諸性能を支配するものの何ぞやといふことに在り。彼れも亦シャフツベリーの論じたるが如く決して吾人の自然の衝動(impulses)を以て唯だ利己的傾向のみを具へたるものとは見ず。其の論に曰はく、自利的性情の自然に吾人に具はるが如く社會的性情も亦同じく吾人に自然なるものなり、加之、通常吾人の主我的なりと考ふる物欲、衝動等も亦決して自己の快樂を思ひ浮かべて其を目的とすといふ意味にて利己的のものにあらず、吾人の個々の欲望はそれぞれに其の向かひ行く事柄を有するものにして例へば食欲は元來食物に向かひ行くものなるが如し。斯く吾人には元來それぞれの事柄を欲する心ありて其の欲望を滿足せしむる所に快樂を覺ゆるなり、而して其等自然に具はる個々の欲望の元來の成り立ちより云へば快樂を目的として之れに向かひ行くといふよりも寧ろ先づ或事物に向かひゆき其れを得てそこに快樂を覺ゆるなり。吾人は吾が情欲及び種々の情緖の導くがまゝに任ずれば却つて吾が利益を失ふに立ち至ることあり。されば通常主我的なりと稱せらるゝ是等諸々の性情は吾人の一切の行爲を支配するものとしての自愛心と區別せられざるべからず、眞實の自愛心を以て自己の一切の行爲を統御し居るといふ意味にては吾人は決して自然のまゝに於いて自愛的のものに非ず吾人が自然に爲す所にしてかゝる自愛心の指示に合はざるもの甚だ多し。
然らば吾人の行爲全體の上に臨みて其を統御すべきものは何なるぞ。バトラーはこゝに二つの者を擧げ來たる。曰はく良心(conscience)、曰はく自愛心(self-love)是れなり。彼れは此の二者を以て共に同等にして最高權を有するものと見たり。ここに謂ふところの良心は吾人が專ら他人に對して盡くすべきもろ〳〵の義務を示すもの、また謂はゆる自愛心は各自の眞實の利益を計るものにして唯だ一時の感情或は欲望に從ひ行くの謂ひに非ざるを以て之れを合理的自愛心(reasonable self-love)ともいふ。バトラーの意は決して自愛心を以て良心の下に隸屬すべきものと見たるにあらず、彼れは却つて吾人が感情に燃やされずして靜坐默考する時には(when we sit down in a cool hour,)一行爲が自己の幸福を來たすか又は少なくとも之れに反せざることを認めずしては其の行爲を爲すべき所以を解すること能はずといへり、一言に云へば、彼れは良心よりも寧ろ自愛心を以て基本的のものと見たるなり。故に若し良心の示す所と自愛心の示す所とが相背戾することあらば吾人は自愛心の示す所に反きても良心の指揮に從ふべき理由なきなり。されど良心の示す所が實に吾人の眞正の利益に反することあるかに就きては吾人は決して其の如きことあるを斷言し得べからず。盖し利己的計算は甚だ正確ならざるものにして吾人が一見して我が利益なりと思ふことが果たして眞に吾人の利益となるかは斷言し難し。之れと異なりて良心の命令は明瞭に且つ確實なるものなり、故に實際上吾人の行爲を統御する上より云へば、確實なる命令は宜しく比較的に確實ならざる命令の上に立つべく而して其の反對の確實なる證據の與へられざる限りは明瞭なる良心の命令に從ふことが決して吾人の眞正の利益を害ふものにあらざることを信じて不可なく、而してかゝる證據の與へられ得ざることは已に上に云へるが如し。
バトラーが吾人の良心を論ずるや一千七百二十六年に出版せる其の說敎集("Sermons")に於いてはなほ其の指示と博愛との間に明瞭なる區別を爲さずして良心の指示せる所は要するに社會一般の爲めになることに在るが如くに說きたり、即ち此の點に於いて彼れは尙ほシャフツベリー等の所說に同意したるなり。されど彼れは良心を說きて其が吾人の義務として指示する所は道理に合ひ居るものなりとは云へるものからクラークの說けるが如くに之れを若干の道德上の窮極的原理に歸せしむることを力めずして專ら吾人が實際(言はば常識に於いて)道德上の義務として認め居ることを其のまゝに發見せむと力め、而して其の結果として漸々各個人が實際良心の指示として思ひ浮かぶることの必ずしも博愛と同一なるものにあらざることに著眼し來たれり。以爲へらく、吾人の最も嫌惡する不義理、邪淫若しくは殺人罪の如きものも吾人が事實上確實に認め得る限りに於いては必ずしも一般の不幸を來たすと斷言すること能はざるのみならず、時には却つて幸福を來たすことの多き塲合も無しとはいふべからざるが如しと。是に至りて良心の直接に指し示す事柄と一般の幸福を根據として行ふべきものと見る事柄とは相分かるゝものとなれり。さきに一般希臘の道義學者等に於いては理性と名づくる唯だ一つの統御者のみ說かれたりしが近世に至りては社會と個人との對峙が明らかに自覺さるゝこととなれると共に倫理學上の根本思想に著大なる變化を生じ來たりて二つの支配者即ち自己の福利及び社會一般の福利といふ二標準が相別かたるゝに至れり、而かも英國の倫理學者等に於いてバトラーに至るまでは其の對峙は存在しながら未だ際立てゝ云ひ現はされざりしが彼れに至りては最も明瞭に言ひ現はされ、また一般社會を利するといふことと良心の道德上の指示に從ふと云ふこととは彼れに至りて相別かたるゝこととなれり。後に益〻盛んならむとする直覺說と功利說との論爭は已にこゝに胚胎せりといふ可きなり。
《ヒュームの功利說、ヒューム對シャフツベリー。》〔七〕シャフツベリー先づ唱へてハッチソンの更に開發したる意見に從へば、吾人は道德官によりて直ちに我がもろ〳〵の感情及び動機を嘉賞し或は排斥し而して道德官の褒貶する所は主として吾人の行爲を起こす種々の情緖其のものにして行爲の結果に非ずとなす。此の點に於いてヒュームは異なる說を唱へたり。彼れ以爲へらく、吾人の嘉みする所はもと吾人の行爲の有利なる結果なり、吾人が博愛の行爲を嘉みするは其の行爲が利福を來たすがゆゑなりと。尙ほ曰はく、吾人の嘉みするところのものは唯だ博愛のみにあらず、正直と云ひ、忠義と云ひ、道德上みな吾人の嘉賞する所にして皆博愛と相列ぶべきものなり、而して吾人が此等を嘉みせざるを得ざる理由は此等が凡べて其等の德を有するもの自身或は他の者に快樂を來たすが故なり。一言にして云へば、吾人が德行を嘉みする理由(即ちシャフツベリーの謂はゆる道德官の基づく所)は其の行が何人かに快樂を來たすが故なり。吾人が善しとして嘉みし又は惡しとして斥くる理由は究竟すれば快感を與へ或は不快感を與ふといふことに歸せざるべからず、快樂をも苦痛をも與ふることなき事物に善惡の區別の存在すべくもあらず、之れを譬ふれば恰も感官を有せざるものに取りて事物の感官上の性質の存せざるが如きなり。
然れども吾人の嘉みする所は必ずしも自己に快樂を來たすもののみならず己れの利福には毫も關係せざるが如き行爲にして吾人の道德上善しとすることあり。而してヒュームは之れを說かむが爲めに同情(sympathy)の作用を提出せり。以爲へらく、吾人は他人の快樂を感じ或は苦痛を感ずるを見て之れに同情す、而して之れに同情するがゆゑに快樂を來たす事柄をば善しとして之れを嘉みし苦痛を來たす事柄をば惡しとして之れを斥くと。而して同情の作用を說明せむが爲めにヒュームは其の常に用ゐる聯想律を持ち來たりて曰はく、吾人が或心身の狀態に在りし時に快樂又は苦痛を覺えたることある經驗を基として他人が同樣の狀態に在るを見るや其れに結ばり居る、換言すれば他人の感じ居る快樂又は苦痛を感ずるに至ると。斯くの如くヒュームに取りては他人の快樂又は苦痛に對する同情は道德上一切の是非褒貶の作用の根柢を成すもの也。約言すれば彼れはシャフツベリーの謂はゆる道德官を心理上分析して終に之れを行爲の結果たる快樂又は苦痛に同情する心となしたるなり。
シャフツベリーが感情を基として倫理を說き主知的道德說に反對したるに似てヒュームも亦感情を以て吾人の道德的行爲に於いて最も重要なるものとなしたり。彼れはいと明瞭に說きて曰はく、吾人の行爲の動機となるものは感情なり、知は吾人の取り得べき途を示す用あれども實際吾人を動かして其の途を取らしむるに至るものは感情なり、感情を支配せむには他の感情を以てする外に途なし。而して此等の感情が想念と結合する所より種々の情緖は形づくらる。彼れが此等情緖の成り立ちを論ずる所はスピノーザに似てそれよりも更に詳かなり。但し、感情と感情とが直接に相喚起することあるか、將た其の結合は必ず想念の媒介によるを要するかに就きてはヒュームの論ずる所一定せざるが如く見ゆ。かくの如く吾人が德行を爲す動機は畢竟ずるに之れを感情に求めざるべからず、而して如何なる動機によりて德行を爲すに至れるかといふことと其の德行の價値とは必ずしも一ならず。同一の德行が種々異なりたる動機によりて爲さるゝことあるなり。
斯くの如く道德上の褒貶は元來行爲の結果に對するものなりといふ立塲是れ即ち功利說の根據にして此の點に於いてヒュームは明瞭に功利說を唱へ出だせるものと云ひて不可なく、且つまた各個人の利益と云ひ或は幸福と云ひ若しくはおほらかに爲めになるといふことの何たるかを究むれば畢竟快樂を享受するといふことに外ならずとせる點に於いて功利說の立場は彼れによりて大に明瞭になれりといふを得べし(先きに力ムバーランドが善きもの又は爲めになるものと云へる觀念には啻だ快樂といふ意味にての幸福を含めるのみならず完全といふことをも含み、又後にシャフツベリーの云へる所も純粹に快樂といふ意味に用ゐられたるにはあらず)。功利說の立場よりヒュームが說明に最も苦心せるは正義といふ觀念なり、されど彼れはこれ亦社會に於いて功利を根據として作りなされたる道德的觀念に外ならずと信じたり。以爲へらく、時を異にし處を異にするに從ひて是非善惡の判定も異に習慣も異なれども其の根據を洗うて云へば凡べて功利に基づかざるはなく、唯だ其の事情を異にするに從ひて功利を來たすものの異なる所より道德上是非さるゝこともおのづから異なるのみ、例へば同一なる重力の法に從ひてライン河は北に流れローン河は南に流るゝが如し。
《シャフツベリー及びヒュームの說を折衷せるアダム、スミスの道德說。》〔八〕ヒュームの意見に從へば、吾人の道德上嘉みする所は利益ある結果卽ち快樂を來たすといふことに在り、然るに吾人は其等利益ある結果の來たされたることを見る時に於いても尙ほ道德上其を嘉みすることなき場合あるは何故ぞや、唯だ快樂が來たさるといふ結果に吾人の同情することのみを以ては道德的感情の成り立ちを說明し難き所あるに非ずや。ヒュームの說く所に從へば、吾人が通常道德的性質を帶べりと見做さざるものをも猶ほかゝる同情の對象(object)と見做さざるべからず、故に彼れは實際吾人の嘉みするものの中に通常道德的と云はれざるもの、例へば單に辯才に長じたること等をも含めたり。かくの如く單に快樂といふ結果を來たすといふことのみを以て道德上に謂ふ是非の念の說明し難き所あるよりヒュームの朋友にして其の名著『富國論』("Wealth of Nations")によりて經濟學の祖とまで呼ばれたるアダム、スミス(Adam Smith 一七二三―一七九〇)は一千七百五十四年に出版せる其の著 "Theory of Moral Sentiments" に於いてシャフツベリーの立場に立ち戾りて吾人の感情動機に對して直接に同情することを說きたり。即ち彼れはシャフツベリーの說にヒュームの唱へたる同情を結び來たれるものと云ひて可なり。彼れ以爲へらく、道德上最も重要なることは吾人が他人の行爲の結果に對してよりも寧ろ其の行爲を來たしたる感情に對して直接に同情する點に在り、他人の情を思ひやりて其をよしとするは吾人が其の情に同情すると一なり、道德上如何なることを是とし若しくは非とすべきかを尋ぬれば吾人が其を見其の情に同じて左もありなむと思ふか又はしか思はざるかといふことに在り。吾人が一行爲を見て其が道德上に於ける功德(merit)を認むるは一つには其の行爲を爲したる者の情に直接に同情して其をしかあるべきことと思ひ又二つには其の行爲によりて益せられたる者が益を與へたる者に對して有する感謝の情に間接に同情すればなり。
斯くして吾人は常に他人の心情に同情を表し道德上其の行爲を是非すると共にまた自己の行爲の他人に是非せらるゝことを經驗しまた自然に自己自らが且らく他人の位置に立ちて自己の心情に同情し得るか否かを考ふるに至る、而して若し同情し得れば自己の行爲を道德上是とし、同情し得ざれば之れを非とするなり、此の心是れ即ち良心(conscience)なり。故に良心は自己が假りに公平なる傍觀者の位置に立ちて自己の心情を是非する心に外ならず。道德上の根本的規律は自ら其の爲さむとする所を顧みて公平なる傍觀者の之れに同情し得るか否かを認め而して同情し得と認むるを得ばこゝに始めて其の行爲を爲すべしといふことに在るなり。
斯くしてアダム、スミスは同情を以て凡べて吾人の道德心の根據となし、良心とせらるゝものも其を基として作り上げられたるものに外ならずと見たり。彼れは其の道德論に於いて同情を以て吾人の性に本具せる者と見たると共に其の經濟論に於いては吾人各自の性として各〻が自己の生活を善くせむとする心を基礎として其の說を立てたり、簡に云へば、自利心を以て一切の經濟的現象の動機と見たり。されど彼れは其の經濟論に於いて云へる所と道德論に於いて云へる所との如何に相關係すべきものなるかに就きては明瞭なる說明を與へ居らず。
《直覺說と功利說、リチャード、プライスの道德說。》〔九〕さきにバトラーの說を述べたるところに於いて已に直覺說と功利說との對峙の胚胎したることを述べたりき。直覺說の唱ふる所は行爲が社會の利福の上に來たすところの結果を標準として考ふることを須ゐずして吾人の直接に是非する幾多の事柄ありといふに在り。功利說は之れに反して道德上の是非善惡は畢竟ずるに社會一般の利福を來たすといふことに歸すべきものなりと云ひ、而して謂ふところ幸福とは已にヒュームに於いて明瞭にされたる如く快樂を要素とするものに外ならず。さきに揭げたるクラーク等の說の如きも亦一種の直覺說として見らるべきものなれども其の功利說との對峙は彼れに於いては未だ甚だ明らかならず直覺說の功利說に對する關係は後に至りて潮々明らかになり來たれるなり。而して十八世紀に於ける後の直覺說の一好代表者といふべきはリチャード、プライス(Richard Price 一七二三―一七九一)なり。彼れ一千七百五十七年に『道德上の主要なる問題及び難點の評論』("Review of the Chief Questions and Difficulties of Morals")を著はし、正、不正とシャフツベリーの謂へる道德上の美醜とを別かちて曰はく、前者は吾人の行爲に客觀的に存在する性質なり後者は吾人がそれに就きて感ずる主觀的感情を言ひ現はしたるものなり。また客觀的に存在する行爲の正しといはるべき性質は單に博愛といふことにのみ歸すべきものに非ずして其の他に均しく窮極的なる若干の道德上の原理ありと。彼れに取りては正しといひ、爲すに適すといひ、又爲すべき事といふは凡べて同意義のものにして而して此等は其が若干の窮極的判定に於いて直覺さるべきものとせられたりき。而してかく窮極的のものとして直覺さるべき道德的觀念の如何なるものなるかを示すや彼れは主として常識に訴へたり。また彼れは道德上眞實に正しと云はるべき行爲は利己的動機より發すべきものにあらざることを固く主張せり。
《直覺說と功利說との論爭の點、アブラハム、タッカー及びペーレーの道德說。》〔一〇〕直覺說と功利說との論爭の點を總括すれば、第一行爲の善惡正邪の標準に關すると、第二吾人をして德行を爲さしむる所以のものに關するとの二點に歸す。功利論者は德行の標準は一に社會一般の幸福を來たすといふことに在りとし而して吾人をして其の德行を爲さしむる所以のもの(sanction)は各個人の利益なりと唱へ、直覺論者は之れに反對して德行の標準には唯だ一般の幸福を來たすといふことの外に尙ほ等しく窮極的のものにして各〻直覺さるべき原則ありと云ひ、而して德行に於いて吾人を動かすものは其の事が正しといふ觀念にして其が自己に利益を與ふといふ觀念にあらずと唱へたり。功利說の論旨はアブラハム、タッカー(Ablaham Tucker)によりて已に略〻明瞭に言ひ現はされたり。彼れ其の著 "Light of Nature pursued" 一七六八―一七七四出版)に於いて論じて曰はく、吾人を動かして或行爲に出でしむる所以のものは凡べて自己の滿足を豫期する心なり、而して如何なることが德行なるかは其が一般の幸福を來たすといふことによりて知られ、またかゝる德行を爲すことの各人の利益となることは造化主の至善なることによりて證せらると考へたり。
此の立場よりして更に組織的に其の說を唱へたるものは一千七百八十五年に『道德學及び政治學の原理』("Principles of Moral and Political Philosophy")を著はしたるペーレー(Paley 一七四三―一八〇五)なり。彼れは吾人が德行を爲さざるべからずと思惟する所以を說くに神より得たる命令を以てし而して神の命ずるところに吾人の從ふと從はざるとによりて賞罰の行はるゝ是れ吾人をして德行に出でしむる所以なりと考へ、また一般の幸福を標準として吾人の行爲を定むるに當たり、或は通常正しとせらるゝことに背きても決して特に不幸を來たすが如きことの待ち設けられざる塲合ありとするも猶ほ通則に從ひて善良なる習慣を養ふ必要よりして通常正しとせらるゝことを行ふが全體より見て社會の利福を來たす途なりと唱へたり。一時英國に行はれたる神學的功利說はこゝに至りて最も明らかに唱道せられたりと謂ふべし(爾後の功利說の發達は後に叙する所あるべし)。
第四十三章 聯想派の心理學者
《ダヸッド、ハートレーの聯想說。》〔一〕心理學上及び知識論上の硏究に於いてヒュームの取りて以て大利器としたる聯想說は
ダヸッド、ハートレー(David Hartley 一七〇四―一七五七)
によりて自然科學に用ゐる機械的說明の觀念と結び付けられて吾人の心理的發達全體の根本的規律となされたり。ハートレーは醫を業とし一千七百四十九年、『人間に關する觀察』("Observations of Man, His Frame, His Duty and His Expectation")を著はし(已にゲー〔Gay〕が彼れに先きだちて多少の說を爲したるが如く)吾人の一切の心的現象をば其の最も高等なる最も複雜なるものに至るまで總べて聯想を根據とし單一なる感覺及び觀念の結合したるものとして說明せむと試みたり。即ち彼れは恰も複雜なる物理的現象が機械的作用によりて單一なる運動より形づくらるゝが如く吾人の凡べての心的現象も亦聯想作用によりて單純なる感覺及び想念より形づくらるゝことを說かむと企てたり。彼れが占め得たる特殊の位置は自然科學に於いて廣く用ゐられたる機械的說明を心理の上に用ゐむと試みたる所に在り。彼れは聯想を解して同時に起こり或は直ちに前後して起こりたる觀念の連絡さるゝことなりと云へり。彼れは時にヒュームの說きたる類同によりてする聯想をも言ひたれども專ら隣接律の上より見て相共に意識されたるものが相喚起すといふことを以て聯想作用の根本的のものと見たるが如し、而してかゝる見方は最もよく物質的科學より移し來たれる機械的說明に合へるものなり。
《ハートレーの說ける聯想作用の生理的方面。》〔二〕ヒュームの聯想を言ふや單に心理上の方面を說きて生理上の方面に說き入ることを敢てせざりしがハートレーはまさしく此處に說き至れり、是れ彼れが醫を業とせるより其の眼孔がおのづから自然科學の方面に注がれたればなるべし。彼れは吾人の聯想作用の生理的方面を說いて腦神經の微部分が振動し而して其の振動の結合することに在りとせり。以爲へらく、心理の方面に於いて聯想によりて單純なる觀念の複維に結合せらるゝが如く生理的方面に於いては單純なる振動が複雜に結合せらるゝなり、盖し單純なる觀念には生理的方面に於いて單純なる運動の應ずるあり複雜なる心作用には生理的方面に於いても亦複雜なる振動の應ずるあればなりと。然れども彼れは此の心理的及び生理的兩方面の關係をば唯だ常に相伴ひ相應ずといふに止まりて更に其の以上の說明を爲さむことを試みざりき、換言すれば心身の關係に就きては彼れは斷然唯物說の立場に在ることを確定せるにはあらず。
《聯想作用の結果。》〔三〕以上述べたる聯想作用の結果として、一つには單純なる觀念が結合して複雜なる觀念と成り上がるに至り而して斯く成りあがることによりて原初の單純なる觀念の跡を沒するに至ること恰も物質元素が相結合して化成物を造るに至れば別異の性質に現じ來たるが如きものあり、二つには初めには意識を用ゐ力を用ゐて爲したることが後に屢〻繰り返さるゝや遂に自動的に無意識に爲さるゝに至る、又三つには一觀念の强くまた活き〳〵としたることが其れに結合し來たる他の觀念にも移り行くなり。聯想を基としたる此等の心作用によりて元來感覺的に卑近なるものよりして次第に高等に理想的なる觀念の造り出ださるゝに至り、初めには自利の心より爲したることが後には純粹なる博愛心より爲さるゝに至る。神といふ觀念の如きも凡べて莊嚴偉大なることの聯想の中心となるによりて吾人の最も高尙なる感情の對境となり來たる。神を愛するといふ一種の宗敎的感情も斯くして聯想作用によりて生じたるなり。
《ヂョセフ、プリーストレーの唯物的心理說。》〔四〕ハートレーが觀念の聯絡と腦の微部分の振動との關係を考ふるや唯だ其を相伴ふものと見たるに止まりしが、ヂョセフ、プリーストレー(Joseph Priestley 一七三三―一八〇四 自然科學の硏究者にして一千七百七十四年に酸素を發見せること、及び神學者にして三位一體の宗義に反對してユニテリアン思想を唱へたることを以て其の名を知られ且つ佛蘭西革命に對して熱心なる同情を表せる人なり)は更に一步を唯物論の方向に進め、物質的方面を基礎となし心理的作用をば畢竟生理的作用に懸かりて存するものの如く見、從うて吾人の意志の作用に關しては彼れはハートレーよりも一層明瞭に決定說を唱へたり、而して彼れ自ら其の自說を呼びて唯物論(materialism)と云へり。されど彼れが其の著『物質及び精神に關する攷究』("Disquisitions relating to Matter and Spirit" 一千七百四十七年出版)に於いて論ずる所に從へば、物質を以て(已に一イェスイト宗徒なるボスコヸヒ〔Boscovich〕の唱へたる如く)或は牽引し或は反撥することを爲す勢力とし而して原子は畢竟勢力の中心に外ならずと見たり。故に此の說に從へば、物質の廣がり居る、及び其が障碍の性を有するも究竟すれば勢力が吾人の五官に及ぼしたる影響に對して吾人の感ずる感官上の性質に外ならざるなり。斯く彼れは物質を勢力と見たる所より心物二種の實體を置く必要なしとし、同じき一つの物體が一切の活動を爲すと考へ、而してかく解したる唯物論は物體以外別に精神の存在を說く說よりも更によく原初の基督敎的觀念に合するものなりと考へたり。但し宗敎上の思想に於いてはプリーストレーはデイスト風の立場に在りき。
《エラスマス、ダーヰンの聯想說及び道德說。》〔五〕ハートレーの所說はエラスマス、ダーヰン(Erasmus Darwin 一七三一―一八〇二、醫を業とし自然科學者、文學者及び哲學者として當時其の名を揚げたる人にしてかの進化論の祖と稱せらるゝチャールス、ダーヰンの祖父に當たる、其の主要なる著述は『ヅォオノミア一名有機的生活の法則』("Zoonomia or the Laws of Organic Life"一七九四―一七九六出版)なり。)によりて生物學上の思想に結び附けられたり。彼れが動物の本能を說明するや之れを以て動物が自衞の性に從ひ四圍の境遇に順應することの經驗を基礎となし、聯想作用によりて成り上がれるものとし、尙ほまた斯く外界に接する經驗によりて得たる性質を其の子孫に遺傳することを唱へたり。かくの如く動物が外界の境遇に接することの結果として種々の性質を得而して其の性質が子孫に遺傳せらるゝことを說きたる點に於いてエラスマス、ダーヰンは後の進化說の爲めに其の道を開ける所あり。
第四十四章 蘇格蘭學派
《蘇格蘭學派、此の派の著名なる學者、トマス、リード、ビーティー、ブラオン等。》〔一〕上來叙述せる所によりて知らるゝ如く英國の經驗哲學が心理說に於いて又知識論に於いて其の分析を進め吾人の觀念の生起を說明せむとせる進行の頂點はヒュームなり。彼れに至りて凡べての哲學上及び宗敎上の觀念が劈裂鎔解せられたりといふも不可なし、而して此の極點に達したることに對して自然に反抗を生じ來たり、かく諸觀念を分析することを以て吾人の心證する事實を如實に說明する所以の途にあらずとなし、寧ろ吾人の直接に承認せざるべからざる究竟事實ありといふことに眼を向けたる輩あり。此の反抗運動を代表したる者是れ即ち所謂蘇格蘭學派也。(或は之れを常識學派ともいふ。)畢竟此の學派はヒュームの心理的分析に對して吾人が各自我が心を省みれば承認せざるべからざる、而して更に分析すべからざる若干の直接の事實ありとしたるものなり。此の派の泰斗と稱せらるゝを
トマス、リード(Thomas Reid 一七一〇―一七九六)
とす。彼れはアバーディン及びグラスゴーの敎授にして其の師ヂョージ、タルンブル(George Turnbull 一六九八―一七四八)に負へる所あり。其の著述に『人間の知識に關する論文』("Essays on the Intellectual Powers of Man" 一七八五出版)及び『人間の動作力に關する論文』("Essays on the Active Powers of Man" 一七八八出版)あり、此の二書は後に合して "Essays on the Power of Human Mind" の表題を以て屢〻改版せられたり。リードの外此の派に屬したる學者と見らるべき人々にはヂェームス、オスワルド(James Oswald 一七九三に死す)アダム、ファーゴソン(Adam Ferguson 一七二四―一八一六)ヂェームス、ビーティー(James Beattie 一七三七―一八〇五)等あり。然れどもリードの死後エディンボロー大學の椅子に於いて此の學派を代表して最も勢力ありしは "Elements of the Philosophy of the Human Mind"(一七九二―一八二七間出版)及び其の多くの著作を公にしたるヂュガルド、スチュワート(Dugald Stewart 一七五三―一八二八)なり。尙ほ其の後には多少聯想學派に傾きたるトマス、ブラオン(Thomas Brown 一七七八―一八二〇)あり、ブラオンの主要なる著述には『人心哲學講義』("Lectures on the Philosophy of the Human Minds" 一八二〇出版)あり。
《リードの立塲。》〔二〕蘇格蘭學派の唱道せる主要なる點はリードの說ける所によりて窺ふを得べし。彼れが其の常識哲學の趣意を公にしたる著述 "Inquiries into the Human Mind on the Principles of Common Sense"(一七六四出版)に說ける所は最もよく此の學派の出で來たりし所以を示すに足るものなり。曰はく、彼れ初めロック及びバークレー等の說に從ひたりしが其の論がヒュームに於いて如何なる決論に達したるかを見るに及びて翻然として其の說の非なることを悟れり。以爲へらく、ヒュームの說ける所はロックの哲學の正當の結論なることは爭ふべからず、されどかゝる結論に達したることは取りも直さずロックに於ける出立點の謬れることを示すものなりと。斯く考へて更に嚴密にヒュームにまで至れる經驗哲學の立脚地を精査せむと思ひ立ち而して其の精査の結果として其れが却つて吾人の實際の經驗と相容れざるものなることを發見せりと。但しリードは決して經驗を根據とする立場を離れむとせるにはあらず、却つていづこまでも其の立場に居りて而してロックに創められたる說の誤謬を正さむことに志せるなり。彼れ自ら云へり、ロック及びヒュームよりも更に嚴密にベーコン及びニュートンの取りたる硏究法に從はむことを力むと。
《リードの說、常識とは何ぞ。》〔三〕リード以爲へらく、吾人の知識は若干の原理を以て窮極の出立點及び基礎と爲さざるべからず、論理の步を追うて理由より理由に溯り行くとも吾人は限りなくしかすることを得ず、何處にてか窮極自明なる原理に到達せざるべからず、而して此等自明の原理は吾人の心の本來の成り立ちに存在するものにして萬人に通じて在るべきものなり,。故に吾人の心をロックの譬喩に從ひて白紙のごとしと見るは誤れり、其の成り立ちに於いて本來若干の究理上並びに行爲上の原理を具へ居るものなりと。彼れは斯く考へて其等原理の總體を名づけて常識(common sense)と云へり。而してこれらの原理を純理上並びに道德上の凡べての哲學の基礎とする所より此の學派を稱して常識學派といふ。此等の原理は自明なるものとして吾人の直接に認むる所にして更に其の理由を問ふを要せざるものなり。かくの如く此の常識學派が萬人に通ずる若干の原理の存在を說ける點に於いてはロールド、ハーバートが所說の復興したるものと見らるべき所あり。
ロックに剏まりてヒュームに至れる說に於いて吾人の捨つべきものは經驗を根據とする硏究法にはあらずして唯だ觀念を出立點となし原始のものは單に個々の觀念に外ならず吾人の知識は後に其等の觀念を結合することによりて作りなさるゝものなりと說く所(ideal system)に在り、是れ實に此の說に於ける誤謬の根本なりとす。吾が心の實驗を省みれば原初のものは決して離れ〴〵の個々の觀念にはあらずして寧ろ判定(judgment)なり、吾人の心の活動は唯だそれら切れ〴〵の觀念に始まると云はむよりも寧ろ判定に始まるといふべく而して單純なる觀念即ち判定を組織する要素は唯だ後に吾人が分析を用ゐて假りに分かち出だすに過ぎざるものなり。此等吾人の心の成り立ちに具はりて原始より存在する諸〻の判定の總體是れ即ち常識と名づくるものにしてこれらの判定即ち原理は特に吾人の構設することを要するものにあらず又說明するを要するものにもあらずして唯〻發見すべきものなり。又此等は必ずしも皆一最高原理に歸入せしめ了すべきものにもあらず、しかせむとするは是れ却つて事實を餘りに單一なるものと爲す嫌ひあり。
《吾人の良識に具はれる原理。事實上、道理上及び行爲上の原理。》〔四〕然らば如何なる原理が吾人の常識に具はり居るか。先づ究理の方面に屬するものを言はむに、吾人が事物を感覺するや其の感覺は每に其の對境即ち外物を在りとする信仰を自然に思ひ起こさしむ、但し其の外物を其の感覺の原因として知らしむるにはあらずして唯だおのづから其の感覺につけて思ひ起こさしむるなり(by natural suggestion)。斯くの如く吾人は感覺を意識する時に於いて必ず外物の存在を信ずると共にまた其の感覺を有する我れの存在を信ず、これは凡べて吾人の直覺する所にして推理作用に待つ所あらず。又感覺及び記憶と想像との區別はヒュームの信じたるが如く唯だそが强くまた活き〳〵したることの差等に存するにはあらずして前者には特殊の信念の伴ひて後者には其の伴はざるに在り、而して此の信念即ち吾人が感覺する事物を實在するものとし又記憶する事柄を甞て實在したるものとするこゝろはヒュームの說きしが如くに分析し去るべきものにあらず、また聯想の結果として說明され得べきものにもあらずして、更に分析すべからざる又說明すべからざる特殊のものなり。上に云へる外物の存在及び我れの存在を確實とすること、及び凡そ事物は吾人の其を知覺する如くに如實に在るものなりといふ種類の眞理は是れ即ち事實上の眞理にしてリードは其等として凡べて十二種を列擧せり。右は事實上に自明なる眞理なるがまた道理上の窮極眞理と名づくべきものあり、之れに屬するは何人も疑はざる論理上の原理及び數學上の公理のみならず又ヒュームの疑ひたる形而上學に於ける若干の原理例へば因果律の如きものあり。因果の關係是れ亦更に分析すべからざる特殊のものとして吾人の承認すべきものなり。
行爲に關する方面に於いても亦同じく若干の自明なる窮極的原理あり。例へば吾人は是非の別を認むべき者なること、吾人は我が力に存するものに對してのみ責任を有すること、又吾人は自己が他よりせられむと願ふ如くに他に對しても爲すべき者なりといふが如き何人も承認すべき道德上の原理ありて而して此等の原理に基づきて常人と雖も亦よく其の行爲の褒貶を爲し得るなり。
《常識哲學者の所謂自明の眞理、常識哲學の隆盛は當時の學者の硏究心の倦み疲れたることを証す。》〔五〕リード等の率ゐたる常識哲學がヒュームに對して取れる位置は恰も先きにケムブリッヂ學派がホッブスに對せると相似たるものあり。但しケムブリッヂ學派がホッブスに反對して其の所謂永遠の眞理を說かむと力めたるとは異なりて常識學派は何處までも經驗を以て其の根據となしたりき。斯くの如く常識哲學者等は經驗主義を維持せむと志せる所より精細に吾人の心作用を觀察叙述することに力めたり、而して在來學者の注意を惹かざりし吾人の心的現象を說き出だし富膽なる心的生活の觀察を爲せる點に於いて此の學派の功績は決して輕んずべきものにあらず。而して此の學派が吾人の心作用を硏究するや專ら自觀(又は自省 introspection)によりて、生理の方面を揷入することを避けたり、故に此の學派に於いては哲學硏究は自觀によりてする(恰も物理的科學が外物の觀察によりてする如く)自然科學となれる趣あり。されど此の學派はヒュームに於ける心理的分析に反抗せるより其の硏究おのづから分析に於いて缺けたる所あり、而して其の取る所の硏究法は畢竟各人が我が心に省みて自明と思惟するものを其のまゝに列擧して之れを常識に具はる原理となすに外ならざれば、謂はゆる自明の眞理の數の幾許あるかを定めいふこと能はず唯だ思ひ當たる所に從うて拾ひ集むるに過ぎず、故に同じく此の學派に屬する者の中に在りても其の自明の眞理として揭ぐる所のもの決して全くは一致せず。是れ此の學派立脚の根柢に於いて大に不滿足の所あるを證するものなり。また此の學派に於いては詳細なる分析を用ゐずして謂はゆる原理を窮極なるもの自明なるものとして認許するの傾向あり。遮莫、此の常識學派は多くの人々にヒュームの結論より遁れて且らく休息の處を與へたるが如き趣ありしがゆゑに一時大に勢力を振るひたりき。即ち此の派の隆盛を極めたるは哲學に於ける當時の學者の硏究心が分析に倦み疲れたる結果なりといふべく、畢竟一時の休息を求めたる如きものにして決してヒュームの揭げたる問題がこゝに至りて其の根柢より氷解されたるにあらず。ロック以後十八世紀の英國に於いてヒュームに於いて其の頂上に達したる活潑なる哲學的硏究はこゝに至りて一大段落を吿げ寧ろ衰微の狀態に陷れりといふも不可なかるべし。此の後の哲學史上の壯觀は更に偉大なる更に根本的なる知識論上の解釋を求むることによりて來たるなり。
第四十五章 佛蘭西に於ける啓蒙思潮
佛蘭西に於ける啓蒙時代の大勢
《歐洲近世の啓蒙時代。》〔一〕近世の初めより一方に自然科學が長足の進步を爲し來たれると共にまた他方に之れと相關聯して偉大なる哲學組織の相次ぎて建設せられたるありて十七世紀の末に至りしが之れに次ぎて十八世紀に於ける歐洲思想界の特殊なる現象はそれまでの學術硏究の結果を世間に普及せしむることにありき、殊に哲學上にては英國の經驗哲學起こりて後其の立場より說き出だせる思想は之れを通俗のものとなし易き傾きありき。斯くて主として經驗學派に結びて、凡そ哲學上、科學上、道德上及び宗敎上の硏究の結果として提出されたる世界觀及び人世觀を普及せしむる傾向は英國にも佛蘭西にもまた獨逸にも盛んに行はれてこゝに歐洲全體の風潮をなすに至れり。之れを歐洲近世思想界の歷史に於ける啓蒙時代(Aufklärungsperiode)と名づく、恰も是れ希臘に於けるソフィスト及びソークラテースの時代と相比すべきものなり。英國に於いて件の啓蒙的風潮の最もよく認めらるゝはデイストの運動なりき、而して英國に於けるものと佛蘭西に於けるものと獨逸に於けるものとの間には多少其の趣を異にする點なきにあらざれど畢竟ずるに是れ皆同一大勢の所產に外ならず。中に就きて最も大膽なる運動を起こし最も廣大なる結果を來たしたるは佛蘭西に於けるものなりき。
《佛蘭西に於ける啓蒙運動の起因。モンテスキュー及びヺルテール。》〔二〕佛蘭西に於ける啓蒙運動の起因は十七世紀より十八世紀にかけて英國に於いて活潑なりし思想界の產物を移し植ゑたることにあり。デカルト等の出でたる時に於いて其の學風の影響は英國に及びて英國の學者は一時佛蘭西より學ぶ位置に立ちたるが如き趣ありしが、今は其の打ち返しとして却つて英國より佛蘭西に其の思想の影響を及ぼし來たれり。モンテスキュー及びヺルテールが英國の制度に對する歡美の念を懷きて英國より歸り來たれるは共にヒュームが其の大著を公にしたる十年以前即ち一千七百二十九年のことなりき。而してヺルテールが其の著 Lettres sur les Anglais" に於いて彼れが英國より得來たれる新學問、新宗敎思想及び新政治思想を其の國人に示して佛の思想界に一時期を劃する始めとなれるは恰もロックの死してより百年後(即ち一千七百三十二年)のことなりき。
モンテスキュー及びヺルテールは大に英國の立憲制度を歎美し殊に前者は英國立憲制度の基礎を置けるロックの政治論に根據し尙ほ自己が歷史上の硏究をも加へ理想的制度を描きて之れを時人に示さむと力め、ヺルテールは同じくロックの思想より出立して當時の專制政治及び貴族並びに僧侶の階級的專權に向かひて劇烈なる攻擊を開始し終に後にルソーに至りては共和的思想の養成せらるゝこととなれり。
《ニュートンの世界觀、デイスト風の宗敎思想の輸入。》〔三〕ヺルテールは斯く當時の社會制度に向かひて手痛き攻擊を加へたると共にニュートンの世界觀に基づきてデイスト風の宗敎的思想をも輸入し來たれり。而してかく彼れの移し植ゑたるニュートンの機械的自然科學の思想及びデイスト風の宗敎的思想が如何なる變遷を經たるかといふこと是れ即ち佛蘭西に於ける啓蒙時代の歷史の一要部分を成すものなり。ニュートン及びデイスト風の世界觀に從へば、天地萬物に意匠の現はれ居ることを認め而して之れを根據として造化主の存在を證することを得べしと考へたり。然れども自然科學の機械的說明の益〻進むと共に世界の構造は全く機械的にのみ說明し得らるゝものとする思想に向かひて進めり。ニュートンは神が時に外より其の力を添へて宇宙に起こる不親則なる運動を改むることを要するが如く考へたりしが、かくては此の世界は完全なる機械といふことを得ずして是れ取りも直さず神の造れる機械の拙なることを示すに異ならず、而して若し其れに拙なる所なしとせば世界は全く機械的のものとして特に外より神の手を假る必要なきものとならざるべからず。
且つ自然科學の機械的說明より云へば世界をばいづこまでも全く機械的に說明せむとすると同時に其の機械的作用によりて起こる事柄は必ずしも完美なるものにあらずといふことを看過すること能はず。吾人の住する世界には幾多の炎害あり不調和の行はるゝありて此の點より云へばライブニッツ及びシャフツベリー等の世界觀に疑訝を挾まざるべからず。バトラーが自然宗敎を唱ふる論者に向かひて用ゐたる論法は
かくて宗敎上の信仰を維持するにも宇宙に現はれたる意匠を根據とする論證よりも寧ろ唯だ道德上の要求に其の基礎を置かむとする傾向を生ずるに至れり、而して此の思想の變化は現にヺルテールに於いて已に吾人の發見するところなり。吾人はさきにデイズムに於いて道德的傾向の重きを爲せるを見たりしが、こゝに至りては此の傾向のみが專らなるものとなり其れのみが宗敎的信仰の根據を爲すに至れるものと云ひて可なり。
《佛國の思想感覺論に傾き行く。》〔四〕かくの如くデイスト風の思想が變遷し行ける傍にロックの知識論は(已に英國に於いてはピーター、ブラオンに於いて認め得る如く)感覺論の方面に向かひて發達し行けり、而して純然たる感覺論は是れ即ち吾人のコンディヤックに於いて發見する所なり。
ヺルテールが其の安立の地となしたる道德の說は尙ほ專らシャフツベリーによりて起こされたる倫理思想に感染せられ居るものなるが、上述せる如く哲學思想が感覺論に傾き行くと共に道德思想も亦感覺論に傾き行きて終に純然たる自己的快樂說を成すに至れり、而して是れ吾人が先づ最も明瞭にエルヹシユスが所說に於いて發見する所のものなり。
《純理哲學としての唯物論形づくらる、啓蒙時代の思想發達の絕頂點と見るべき書『自然界の組織』。》〔五〕ロックの哲學より佛蘭西に移し植ゑられたる觀念論(ideologie)が知識論上の感覺說を誘起し來たれる傍に機械的自然科學は人身上に於ける唯物論を生じ來たりぬ、是れ盖しニュートンの唱へたる機械說を生物界に推し擴め來たれるものに外ならず。當時の物理的硏究の結果が遂に人身をも單に一の物質的機械と見做す思想を產み來たらむは自然の勢なり。而して此の生理上の唯物論と知識論上の感覺說とが終に一に結合して一種の純理哲學としての唯物論を形づくることとなれり。英吉利に於いてはロックに始まれる觀念論は漸次に發達して終にヒュームのポジティヸズムに極まり、又自然科學の結果としてはプリーストレーが生理上の唯物論を喚び起こすこととなりたれども其の發達は要するに茲に其の終はりを吿げしが、佛蘭西に於いては右云へる思想の結合よりして更に無神的唯物論となり行けり、而して是れ即ちラ、メトリーの先づ最も明瞭に言ひ現はしたる所なり。
佛蘭西の啓蒙時代に於ける思想の歷史は上に述べたるが如き種々の哲學上、宗敎上、道德上及び政治上の思想のかゝる變遷を爲したることを示すものにして或は一個人に於いてかゝる變遷の段階の認め得らるゝものあり、或は種々の立場の混雜紛糾せる樣を示すものあり、或はまた一の立場より他の立場へ發達しゆく中間に彷徨せる樣を示すものあり、而して上に述べたる啓蒙時代の思想發達の集合點及び絕頂點とも名づくべきは無神論者の經典とも稱せらるゝ書『自然界の組織』("Systeme de la Nature")なり。
《啓蒙的潮勢に對する反抗、其の代表者ルソー。》〔六〕かくの如く啓蒙的潮勢が滔々として一世を風靡し行きたる時に當たり之れに向かひて反抗を起こしたる者あり、是れ即ち當代の傑物ルソーなり。彼れは當時に行はれたる知力的及び機械的分解に反對して直接なる感情の指示によるべきことを唱へたる者にして其の立場の啓蒙的風潮に對するは恰もスコットランドの常識學派がヒュームに對して起これるが如きものあり。されど彼れの唱導したる思想は(必ずしも彼れの創始したる新思想といふにはあらざれども)常識學派の所說に優りて深大なる影響を後世に遺すこととなれり、是れ其の思想が彼れの天才によりて特殊の發表を得たるがゆゑにして後の哲學上、文學上及び社會上の種々の新傾向新運動の種子が彼れにより蒔き植ゑられて世界大の結果を生ずるに至りたるなり。
《啓蒙思潮の弘布。》〔七〕ヺルテールは椽大の筆を揮るひて啓蒙的運動を起こすことに力めたりしが彼れ自ら其の眼中に置きし所は專ら有識の人々(honnêtes gens)にして其等と區別して愚民(canaille)にまでも新思想の布及を圖らむと志しゝにはあらず、彼れが眼界には猶ほ其の如き社會的階級の別を遺したりき。彼れに踵いで更に當時の學術及び哲學硏究の結果を世に普及せしめたる功績は最も多く所謂アンシクロペディスト(encyclopédistes)の一流に屬し、中に就いて最も主要なる人物はディデローなり。アンシクロペディスト等の文筆と共にまた當時の社會に啓蒙的思想の普及を來たすに與りて力ありしはサロン(Salons)なり、當時の交際社會に輝きたる上流婦人のサロンに於いて當時の名士が相集まりて論談せることは唯だ佛國內に影響を及ぼせるのみならず獨逸に於ける諸侯伯の宮廷よりも人を派して其の報道を求めたる如きことありて其の影響は全歐洲に波及せりといふも不可なきほどなりき。此等の影響によりて佛蘭西の社會は靡然として啓蒙的潮勢に動かされ初めは其の範圍の有識者にのみ止まりしものが後に至りては市人の店頭に於いてさへ唱へらるゝこととなりて終に社會を擧げて一代の流行を成せり。此の時代に現はれ筆を揮るひて社會を動かしたることに於いて勢力の最も大なりしはヺルテール、ディデロー、及びルソーの三人なり。
モンテスキュー及びヺルテール
《モンテスキュー及び其の政治論。》〔八〕モンテスキュー(Montesquieu 一六八九―一七五五)は其の名著『萬法精理』("Esprit des Lois" 一七四八出版)に於いて歷史上の事實を硏究することによりて其の政治論を造り建てむとせり。彼れの政治を說くや諸國の制度及び法律の成り立ちを考へ、そが自然の狀態に重きを置きて其等は唯だ故意に造り設けたるものにあらずして風土、風俗、宗敎及び其の他一切の國民の氣質と相離れざる關係を有し居るものなりと見たり。此の點に於いてモンテスキューは十八世紀に於ける一般の思想の標準以上に位せりといふことを得。かくして彼れが一國の制度及び法律と其の自然の狀况との關係を見るや、一國の法律は其の人民に對して特殊なるものならざるべからず、若し一國の法律が他の國の人民に適することありとも其は唯だ偶然のことと云はざるべからざる程に兩者の關係は親密なるものなりと云へり。斯く彼れは一國の制度と其が自然の狀况との間に離すべからざる關係の存在することを見また多少歷史上の關係に眼を注ぐ所ありき。されど彼れが理想的制度としたるは畢竟英國の憲法政治にして而して英國の政治を考ふるにも某が如何に歷史的に成立したるかを見たるにあらずして專らロックの政治論より其の理想を汲み來たれるなりき。而してロックの唱へ出でたる政權三分說は彼れによりて始めて立法、行政及び司法の三部分として言ひ現さるゝこととなれり。盖しモンテスキューの說きたる所は其の根本の思想に於いて特に獨創の見ありといふにはあらざりしも其が歐洲の思想界に及ぼせる影響は頗る大なるものありき。
《ヺルテールの時代觀、宗敎觀及び世界觀。》〔九〕モンテスキューが其の理想的制度を描くや勢ひ當時の制度に對して非難の言を爲す所ありき、されど公然當時の社會制度に對する攻擊を始めて當代の人心を震動せしめたるものはヺルテール(Voltaire 一六九四―一七七八)なり。彼れは其の著 "Lettres sur les Anglais" に於いて其の専ら英吉利より得たる新學術、新宗敎思想及び新社會制度を其の國民の眼前に揭げたりしが、彼れが旨意の此等の新思想を善しとして當時の社會及び社會を支配したる思想と制度とを打擊するに在ること明瞭なりしかば此の書は公然官命を以て燒き棄てられまた其が英國の社會制度に向かひて歎美の情を注ぎたるの故を以て(後にモンテスキューも同じく認められたる如く)多くの國人によりて其の國に忠實ならぬものと認められたり。ヺルテールが其の銳利なる筆鋒を向け特に力を極めて攻擊したるは貴族の階級的專權と僧侶の擅にしたる敎權となりき、而して僧侶等が力を極めて彼れを迫害せむとしたりしと共に彼れも亦力を盡くして僧侶及び僧侶の說きたる敎會的基督敎を攻擊せり。されどヺルテールは決して無神論を唱へたるにはあらずして却つてこれを非としたり。其の有名なる言に曰はく「若し世に神なくば人は神を造るべし」と。彼れが神の存在をいふや其の據りどころを專ら道德の上に置き吾人は道德上の要求として神を信ぜざるべからずと考へ而して神の存在と共に靈魂の不朽を信ずることも亦社會一般の安寧に必要なることと認めたり。彼れは此くの如く宗敎の要義を以て道德に
ヺルテールが神の存在を說くやかくの如く主として道德上の要求を根據としたれどもまたニュートン風の世界觀に從ひて世界に目的ある活動の現はれ居ることを認めこれがまた神の存在を證することを否まず。然れどもまた之れと共に毫も世界に於ける暗黑の方面を指摘することをも避けざりき。彼れは其の名著『カンディッド』("Candide ou sur l'Optimisme" 千七百五十七年出版)に於いて其の主人公をして(當時リスボン市の激烈なる地震の爲めに慘狀を極めたることを其の意中に含めて)若しかゝるをだに最も善美なる世界とせば其の他の世界が造られたらば如何にかあらむと曰はしめたり。此の語は是れライブニッツの樂天論に向かひての大打擊と見らるべきものなり。詩人ポープは其の詩に於いて神が此の世に行ふことを凡べて是なりとすべき所以を歌うて吾人は神が吾人の如き一の渺然たるものの爲めに其の設けたる永恒の法則を易へむことを求むるを得ずと云ひしが、ヺルヲールは曰はく、されど此の渺然たる吾人も猶ほ旻天に號泣し且つ何ゆゑに此の永恒の法則が各個人の爲めに造られざりしかを了解せむことを求むる權利ありと。盖しヺルテールは善なる神の存在を信じ居たり、されど世には災害苦痛の多きことの故を以て其の謂はゆる神を以て全能なるものと見做さずして常に其の所爲に對し障碍を呈する物質ありと考へたり。即ちヺルテールは物質及び神の二つを以て世界の成り立ちを考へむとしたるものにして而して神と物質との外に別に精神的實體を置く必要なしとせり。又彼れはロックが神が物質に賦與するに感覺てふ精神作用を以てしたりと考ふることも能はざるにはあらずと云へるを取り來たり之れを根據として物質其の物に精神作用の具はるが如くに考へたり。されど彼れは物質其の物の何たるかは吾人が精神の何たるかを知り得ざると同じく知り得ざる所なりとせり。啻だ然るのみならず彼れが其の哲學思想を世に普及するに與りて大に力ありし "Dictionaire philosophique portatif" 一千七百六十四年出版)に於いて言へる所によりて察するに、彼れは精神をもまた物質の存在をも永恒なるものと考へたるらしく、換言すれば、一實體が永恒に物體的性質と共に精神作用を本具せる如くに見たりと考へらる。されば彼れの說ける所は唯物論と云はむよりも寧ろ一種の物活說としも云ふべきものなり。以爲へらく、物質を以て無始無終なるものとすとも之れが爲めに毫末も宗敎の毀損せらるべき筈なしと。またヺルテールは初めには意志の自由を主張するに力めたれど其の晚年に至りては漸次に懷疑的傾向を增し來たれり。之れを要するに彼れには哲學上特に創見ありといふにはあらず、また其の所說に深邃なる所ありしにもあらず、されど其の思想を弘布して世俗に入り易からしむることに於いて彼れの力量は多く其の比を見ざるものなりき。彼れが其の椽大の筆を揮ふや如何に神聖なるものも、またいかに權威ある者も爲めに其の權威と神性とを剝奪せられざるを得ざるに至るほどの魔力を有したり。一時彼れが一方にて恰も惡魔の如く嫌惡せられたると共に他方にては鬼神の如くに崇拜せられたるも宜なりと云ふべし。
コンディヤック及びエルヹシユス
《コンディヤックの著述其の感覺的知識論。》〔一〇〕ヺルテールがロックに根據して吾人の知識の根據を考ふるや專ら感覺を其の眼中に置きたれども彼れが主として其の心を注げるは宗敎、道德及び政治上の問題にして心理及び知識論上の硏究には深く思ひを致すことを爲さざりき。心理及び知識の論に其の著眼の點を置き、ロックの經驗主義をして純然たる感覺論とならしめたる者は羅馬加特力敎會の一僧侶なる
コンディヤック(Condillac 一七一五―一七八〇)
なり。彼れの著書には『人知の起原を論ずる書』("Esssai sur l'Origin de la Connaissance Humaine" 一七四六出版)あり、及び其の著書の中最もよく知られたる又彼れが特殊の見地を發表したる『感覺論』("Traite des Sensations" 一七五四出版)あり、其の他『論學』("Logique" 一七八〇出版)また其の死後に公にせられし"Langue de Calculs" 等あり。
ロックは吾人の觀念に二つの淵源ありとし而して其の淵源より得たる觀念を結合し比較し又抽象する作用が吾人の心に本具すと見たりしがコンディヤックは之れを改めて觀念の起原及び吾人の心の一切の作用を更に一層單純なるものに歸せしめ、吾人の觀念は凡べて感覺より成り而して吾人の心の活動には感覺を感ずるといふ能力以外に生具するものなしと見たり。故に彼れの見る所よりすればロックの言へるが如く觀念の淵源には感覺以外に反省といふものなく又感覺を感ずるといふことの外に別に知力又は知解(understanding)といふべきものなく、此等は皆畢竟感覺を感ずといふことより成り上がれるものに外ならず、即ち純然たる感覺論は彼れに至りて始めて成り上がれりといふべし。コンディヤックは吾人の心の一切の內容が凡べて感覺より成り上がれるものなることを說明せむが爲めに假りに一の刻みたる立像を想像し其の像に於いて嗅官を初めとして他の感官が漸次に其の用を作すに從うて如何なる觀念の其の心に入り來たるかを說き終に觸官に至りて始めて外物といふものの知覺の成就さるゝ次第を叙述せむと試みたり。即ち彼れは斯く感官の一々に開くることによりて漸次に如何なる觀念の吾人の心に入り來たるかを見、かくして感官より入り來たる觀念の外に吾人の心の內容となるべきものなきことを證明せむとせるなり。彼れの說く所に從へば、廣がりは唯だ觸官によりて感覺するものにして他の感官によりて得る所のものは凡べて主觀的狀態に外ならず、客觀的事物として之れを空間に投置するは唯だ觸官のなす所なり、色聲香味等の感覺も唯だ觸官より得る所のものと結合して始めて外物の性質として投置せらるゝなり。
《一切の觀念は感覺より成る。》〔一一〕かくの如く吾人は凡べて感官によりて心の內容を得來たるものなるが始めに吾人の感覺する所は頗る漠然たるものなり、而して此等最初の混沌たる感覺の中に於いて漸々に差別を發見し來たるは畢竟ずるに注意の作用による。吾人の知識と名づくるものは其の根本の成り立ちに於いては注意によりて感覺の間に差別を認むることの外に出でず。比較すと云ひ、判定を下すといひ、記憶すといひ、或は抽象すといふ、此等の基づく所は皆注意の作用に在り。同時に二つの感覺に注意する、是れ即ちそを比較するなり。斯く比較して二つの觀念の異同を認むる是れ即ち彼れは是れなり或は是れならずといふ判定を下すなり。一度注意したる感覺の後に其の痕跡を遺す、是れ即ち記憶するなり。便宜上作り設けたる記號を附して一感覺をそが自然に相結ばれる他の感覺より離すは是れ即ち抽象するなり、斯く實際は分離し居らざるものを抽象して相分かつには記號の助けによらざるべからず、委しく云へば言語を用ゐて種々の感覺を命名して以て分析を助け又分析したるものには之れに命名して假りに分析したるものを取り扱ふに便利ならしむるなり。人間の知力の優れたる所以は其の發達したる言語を用ゐ得ることに在り。記號即ち言語に五種類あり、手眞似、音聲、數字、文字及び微分的計算を用ゐる記號是れなり。學識といふものも詮ずる所此等記號の關係を以て組織したるものに外ならず、而して其の關係は根本に於いては一が他と同一なりといふことを認むるにあり、盖し判定は觀念の異同を認むるものに外ならざればなり。思考の用は一記號を以て示す所と他の記號を以て示す所との間に相同じといふ關係の在ることを發見し而して未だ知られざるものを已に知られたる觀念の和合に均しきものと見ることにあり、一言に云へば、觀念の方程を立つることの外にあらず。このコンディヤックの意見は要するに自然科學の硏究に於いて用ゐられたる方法(即ち一現象を分解して更に單一なるものとなし而して其の單一なるものの結合と其の現象とを相同じと見ること)を論理及び知識論の上に應用したるものに外ならず。
斯くの如く凡べて吾人の知識は注意の作用によりて觀念を分析し而して分析し出だせるものの間に何れが何れと相同じきかといふ關係を發見するに在りて其の他に特殊なる種々の能力の吾人の心に具はれるものなし。而して注意といふ作用其のものも畢竟强き感覺に吾人の心の全く奪はれたる狀態に外ならず、感覺を强く感ずるといふこと以外に特別に注意といふ能力の具はり居るにはあらずと。かくの如く說き來たりてコンディヤックは終に吾人の凡べての觀念及び凡べての心作用の淵源を唯だ感覺を感ずといふ一作用にのみ歸せしめ了せり。一切の觀念は感覺か將た感覺の變形したるもの(sensations transformécs)なり、故に思考する是れ畢竟感覺するなり(penser est sentir)。
《快苦善惡とは何ぞ。》〔一二〕感覺は或は快きものとして或は快からぬものとして感ぜらる、故に快不快の感は決して感覺と別なるものに非ず。而して快樂苦痛の感是れ吾人の動作を決定する所以のものにして、注意といふこと是れ亦快樂苦痛によりて動かさるゝものなり。吾人の心は快なるものに住せむとするものにして聊かも興味を感ぜざるものは影の如く吾人の心より消失す。吾人が曾て快しと感じたるものを再び想ひ起こす、是れ欲求の生ずる所以なり、欲求を本として愛憎、希望、恐怖等一切の情緖を生じ、終に意志の作用をも生じ來たる。善しと云ひ美はしと名づくるものは詮じ來たれば凡べて吾人に快樂を與ふる事物の性質を指していふに外ならず。
《コンディヤックの說に於ける二元論。》〔一三〕斯くしてコンディヤックはロックの創始せる觀念の硏究をば終に感覺論まで持ち行きたり、されど彼れはまたデカルト學派の二元論を保持する所あり。彼れ說いて曰はく、人間の罪惡に墮落せざる前と死したる後とは現今の狀態と一にはあらざれども(是れ彼れが其の宗敎上の信仰に假して言へるもの)現今に於いては吾人は全く身體に繫がれ居るを以て其の媒介に依らずんば一の觀念をも得ること能はずと。されど彼れは又物體の運動と感覺とを全く相異なるものとし物體が心作用を爲すと云ふことを以て決して考ふべからざることとせり。このゆゑに彼れ考ふらく、身體上に於ける變動は是れ唯だ身體とは異なりたるものに觀念の起こり來たる身體上の緣に外ならずと。斯くコンディヤックは心物を相異なるものと見たれどもまた身體も物體も共に其の根本の性質に於いては吾人の知り得る所に非ずと考へたり。彼れは又更に進んで廣袤(是れ本來は視覺によりて得ず、唯だ觸官によりて認むべきもの)も亦是れ一種の感覺なることを許し唯だ是れは他の感覺に比して最も恒に存在する要素にして他の感覺の集結する中心となるものなり、而かも是れ亦詮ずる所吾人の知ることを得ざる或者によりて吾人の心に喚び起こさるゝ吾人の感覺に外ならずと說きたり。斯く云へる所より見れば、彼れは吾人が目を以て睹、手を以て觸れて認むる物象も是れ亦吾人の心の觀念にして吾人の心に其等の觀念を喚び起こすものの何たるかは吾人の知るを得ざる所なりとせるなり。要するに、コンディヤックは斯かる知識論上の觀念とデカルト學派風の二元論との間に彷徨せるものと思はる。斯く彼れは唯物論の立脚地を取らざりしと共にまた固より神の存在をも否まざりき。
《コンディヤック、ヒューム、ライブニッツの知識論の比較。》〔一四〕コンディヤックの說きし所は當時佛蘭西の啓蒙時代に於いては哲學思想として最も堅實なるものなりき。彼れは專ら吾人の心に有する凡べてのものの心理的生起の由來を究めむとせし者なるがヒュームも亦同じくロックの立脚地より出立して其の說を單純なる又首尾貫徹したるものと爲さむとせる者なることはさきに叙述したる所の如し。ヒュームは印象及び想念といふことを以て其の出立點となしたれども凡べて吾人の觀念を分解して唯だ感覺のみなりとは爲さざりき、即ち彼れの論は觀念論といふべくして感覺論といふべからず。コンディヤックは唯だ個々の感覺といふことを以て出立し演繹的に論じ去りて凡べてが皆是れより成り上がるべきものと考へたり。彼れの論ずるやヒュームに比すれば更に獨斷的なり。ライブニッツも亦吾人の心が漠然たる感覺の狀態より漸次に發達し行く順序を說かむとしたれども彼れの說とコンディヤックの見る所とは發達といふことを倒まに考へたるが如き趣あり。ライブニッツは感覺を以て吾人の高等なる知識作用の初步と見たり、換言すれば、吾人の心作用に感覺と云ひ知識といふ別種類のものあるに非ずして前者は唯だ後者の未だ發達せざるものなりと見たり。コンディヤックも亦ライブニッツと同じく感覺と知識とを相異なるものと爲さざりしが彼れは後者を以て唯だ前者の複雜に成れるものに過ぎずと見たり、即ちライブニッツは感覺に於いて已に高等なる知識作用が唯だ其の未だ十分に開發せざる狀態に於いて含まるゝを見、コンディヤックは高等なる知識に於いても唯だ感覺の複雜となりたるものなることを認めたるなり。
《エルヹシユスの自己的快樂說。》〔一五〕コンディヤックは各人の快不快の感は其の動作を決定するものなりと說きたれども彼れは倫理上猶ほ決して自利說を發表せるにはあらざりき。道德上に感覺論を移し來たりて茲に自己的快樂說を明瞭に主張したる者を
エルヹシユス(Helvetius 一七一五―一七七一)
とす。彼れに從へば吾人の精神は本來唯だ感覺を感ずる力及び自愛の性のみを具有するものなり。自愛の性とは自己の快樂を求むる心の謂ひにして、此の心實に是れ吾人の一切の擧動を左右する唯一の動力なり。道德界に於いて各人が凡べて自己の利益を求むといふ法則の行はるゝは譬へば猶ほ物理界に於いて遍く運動の法則の行はるゝが如し、吾人が種々の事物に注意するも畢竟無聊の不快を脫せむが爲めにして學問といふこと究竟するに是れ亦快苦の感を以て其が動力となすものなり。吾人を生來の怠惰に傾く狀態より驅り動かすものは是れ唯だ快樂苦痛の感なり、德行も不德行も均しく同一の動力によりて出で來たるものにして德を行ふものと不德を行ふ者とは唯だ其が快樂を覺ゆる事柄を異にするのみ。友誼といふも是れまた吾人が友を得て交際の快味と利益とを得むが爲めなり、志士仁人が從容として死に就くも是れ亦自己が最も多くの快樂を覺ゆる所に從ふものに外ならず、盖し義人は義を爲すことに於いて最も多く快感を覺ゆればなり。さらば正義と云ひ仁愛といふ是れ亦畢竟利益の觀念の上に建てられたるものなり。
《エルヹシユス其の著書の爲めに國を去る。》〔一六〕當時倫理說上自愛說を唱へたる者には有名なる數學者にして純理哲學上は懷疑に傾けるモペルテュイ(Maupertuis 一六九八―一七九五)及び尙ほ他にも多かりしかども、そを最も明瞭にまた最も大膽に唱へ出でたるはエルヹシユスなり。一千七百五十八年に彼れの著 "De l'esprit" の出版せらるゝや物議囂然巴里の大監督、羅馬法王、及び巴里府の議會は皆之れを禁制したり。これが爲めに彼れは且らく外國に逃れざるを得ざることとなれり。後彼れは當時手を廣げて如何なる種類の文學者及び哲學者をも招致したる、而して自ら哲學的硏究に心を用ゐて道德上は利益主義を唱へたるフリードリヒ大王の朝廷に行きて其處に滯留せしことあり。エルヹシユスは天性優しきに過ぐるほとに善心に富める人にして其の財產及び所得を抛ちて公共事業の爲めにすることに躊躇せざりき。
《啓蒙時代に於ける一の特殊なる信仰、エルヹシユスの政治改良論。》〔一七〕エルヹシユスの唱へたる所は哲學上堅固なる推理を以て其の步を進めたるものにあらずして其の論の調子には寧ろ輕浮なる所あり、徂しこは啻だ彼れのみにあらずして啓蒙時代の論者の一般に亘れる傾向なりき。しかも此くの如く輕く又一方向きに唱へられたる說の奧底に於いては又啓蒙時代の高尙なる思想の奔流を認むることを得。彼れはロックに哲學的基礎を有する而して當代の一般の思想とも見らるべきものを語り出でて曰はく、凡そ吾人の各自の生まれ付きに得たる所は皆相均しきものなり、即ち其の感覺する力と其の自愛心とに於いて生來は皆平等なるものなり、唯だ外界に接して種々の經驗を得ることによりて個人の間に種々の差別を生じ來たるのみ、敎育(一切の境遇の影響をも含めて廣き意味に解したるもの)の注意せらるべく、重んぜらるべき所以實にこゝに在り、而して敎育はまた政治の如何に係るものにして權利上及び財產上の差等の減少するに從ひて俊傑と稱すべきもの益〻減少し來たれども人間一般に就きていふ時は幸福を增加し來たると。斯く性に於いては吾人は皆平等なれども唯だ習によりて差別を生ずと見、而して本來の性に於いては吾人は皆卑近なる所に始まりて利益の觀念に動かさるゝものなれども其の自利心を利用して善く敎育を施すことによりて吾人を如何なる高等なる者とも成し上ぐることを得といふ思想是れ即ち啓蒙時代に於ける一の特殊なる信仰なきといふも不可なく此の信仰によりて當時種々の光彩ある運動は喚起せられき。
エルヹシユスが政治上の改良を主張するや其の言論に一種の光彩ありき。以爲へらく、道德の腐敗は個人の非行に存するよりも寧ろ社會一般の利益と個人の利益との相分離することに存す、謂はゆる道義學者等が社會一般の壓制と虐待とを排擊することを爲さずして專ら個人の私行に於ける不德を責むるは是れ寧ろ僞善といふべきものなり。道德、立法、敎育の三者は各自異別のものに非ずして皆同一の目的に向かへるもの、此等は畢竟唯だ社會一般の利益と各人の利益とを相合せしむる所以の道に外ならず。個人を善くすると共に社會をも善くする途は唯だ兩者の利益を相合せしむるに在り、品性の高尙なることと利益の觀念とは決して相離れたるものにあらず、志操の高き人とは唯だ社會一般を益する事柄と自己の利益とする事柄との相離れざる底の人物をいふのみ。
エルヹシユスはかくの如く大膽に利益生義の道德說を主張したりしが彼れは專ら其の眼を倫理の上にのみ注ぎたるにて唯物論を唱へたるにもあらねばまた神の存在を否みしにもあらず、宗敎上は寧ろデイスト風の見地に立てりき。但し彼れは神の深奧なる性は吾人の知り得べからざる所なりと云へり。
自然科學者と唯物論
《シャール、ボネーの感覺論。》〔一八〕コンディヤックはロックの創めたる觀念の硏究に專らにして特に生理的方面に向かひて其の硏究を進むることを爲さざりしが吾人は自然科學者の中に心理上及び知識論上の硏究の結果と生物學及び生理學上の觀察とを結び付けたる者あるを見る。中に就き吾人の先づこゝに揭ぐべきは自然科學の硏究に心を用ゐ、コンディヤックに似てしかも彼れのほどに判然と言ひ現はされざりし感覺論を唱へたる
シャール、ボネー(Charles Bonnet 一七二〇―一七九三)
なり。彼れは吾人の心生活に於ける凡べての內容の起原を感覺に歸し、コンディヤックが用ゐたると同じき譬喩を用ゐて刻みたる像に於いて感官が一つ〳〵に開け行くに從うて如何なる觀念の吾人の心に入り來たるかを說明せむと試みたり。彼れは感覺によりて吾人の心に種々の作用の起こさるゝことを委しく說明せむと試み而して是等の感覺は感官の受くる刺激に對して非物質なる靈魂の反應することに起こるとなせり、即ち彼れはロックが吾人の心を白紙に譬へ外物に接する經驗によりて其の上に文字の記さるゝが如くに言へるを改めて吾人の心の反應といふことに重きを置きたるなり。彼れ以爲へらく、吾人の心は我といふ念に於いて統一の意識を有す、而して此の統一及び單純なることは多くの部分の結合によりて成る身體の有し得ざる所なり。されど靈魂の活動は唯だ外物の影響を受くるに從うて起こり來たるものなるが故に其の活動も畢竟ずるに感覺するといふことに歸し得べきものなり。吾人の靈魂は本來物體と相結ばりて存在する樣に成り立てるものにして、吾人は靈魂なき身體にもあらねばまた決して身體なき靈魂にもあらず。然れども身體は通常吾人の指して云ふ麤身と共に精微なるエーテル質の細身を有す、而して件の細身は麤身の死滅する後にも猶ほ潰頽することなくして常に靈魂に纏はるものなり、此の細身あるによりて吾人は死後にも現世に於いて經過したることの記憶を保存しまたこの細身が來世に於いて更に身體を形づくる種子となるなり。
《感覺より諸〻心作用の起こり來たる趣。》〔一九〕かくの如くボネーは吾人の心身の相結ばりて離れざることを說くに重きを置けり。彼れが好んで云へる言に曰はく、亞米利加土蕃人の頭腦にモンテスキューの靈魂を入るとも、之れによりて吾人の得る所はモンテスキューに非ずして亞米利加土蕃なりと。斯かる見地よりしてボネーはおのづから主として其の眼を生理的方面に注ぎて一切の心作用の物質的條件を攷究せむと力めたり。以爲へらく、感官器に於いて喚起されたる興奮が傅播して腦に至り其處に腦纖維の振動を起こす、この振動なくして心作用の起こり來たることなし、此の故に感官は吾人の心に觀念の入り來たる唯一の通路なり。斯く腦纖維の振動が心作用に必須なる生理的方面なるのみならず、同樣なる刺激に應ずるには一定せる腦纖維あり、各種の音及び各種の色に對しても皆それぞれに定まれる腦纖維あり。
吾人の腦を組織する分子が外界の刺激の傳はるによりて、一旦變動を起こしたる後に於いて其の變動は痕跡を遺すがゆゑに再び同一の感覺を感ずとも其は全く新らしき感覺としては感ぜられずして曾て經驗したるものとして認めらる。習慣といふもの及び習慣の一種なる記憶と云ふものの成り立つ所以こゝに在り。腦纖維相互の間に聯絡の生ずる是れ即ち聯想の成るなり。
吾人が種々の感情を覺ゆるや腦に於いては必ず一定の纖維の變動あり、而してそれが意志の作用の伴ふ纖維の變動を機械的に起こし又其の變動よりして同じく機械的に筋肉の收縮を生じ來たる。此のゆゑに吾人の意志を以て行動する時にも生理的方面に於いては全く機械的作用の行はるゝなり、又心理上に於いても意志は必ず最も强き動機によりて決定さるゝものにして動機の如何にかゝはらずして能く何れをも選擇し得ること(aequilibrium arbitrii)なし。斯く意志は動機によりて決定さるゝものなればこそ敎育をも施すことを得また賞罸も其の功を奏するなれ。
《ボネーの生物說、ボネーの說とロックの說との關係。》〔二〇〕上に述べし精微なるエーテル質の細身を云ふ臆說はボネーが生物學上の推究と相關係せる所あり。彼れは說いて曰はく、一切の生物には本來種子ありて而して其の種子は一として亡ぶることなし、凡べての物は皆段階を成して其の間に飛び越ゆることを要する缺陷なしと。
ボネーが所說の中尙ほ一點の注意に値するはロックが謂はゆる實在上の本質(essence réelle)と名稱上の本質(essence nominale)との區別を說き更へて前者を物其れ自身に於ける當體(chose en soi)とし後者を物の現はれてある樣(ce que la chose paraît être)となせる點なり。
《機械的說明を心理の方面に移さむとする氣運、ビュフォンの有機的分子說。》〔二一〕心的現象を觀るに之れを以て必ず生理上の變動に伴ふもの或は其の變動を以て條件となすものとする、是れおのづから心理を考ふる上に於いて機械說の方面に一步を進めむとしたるものなり。盖し英國聯想學派の所說に於いて吾人の見たるが如く生理的方面の本より機械的に考ふべきのみならず、心作用を以て必然腦分子の變動に應ずるものとせば(殊にボネーの言へるが如く各種の感覺にそれぞれに定まれる腦纖維ありとせば)心作用をも機械的作用に準へて考へむとするは、自然の結果なり。かくして自然科學界の氣運は機械的說明を心理の方面に移し來たらむとすると共に生理的方面其の物即ち一切の生活的現象を全く機械的に說明し得ることを明らかにせむと力むることに向かひ行けり。盖し已にデカルトが有機物の生活も亦須らく機械的作用として見るべきものなりと唱へたりとは云ふものから純然たる物體界の運動の全く機械的に說明し得べきものなることのニュートンの證明によりて疑ふべからざることとなりたる如くに明瞭なる證明を與へられたるにあらず。ニュートンが物理學上證明したる機械說を能く生物上の現象にも適用し得るか否かは實に當時に至るまでの一大問題なりき、而して之れが解釋に一步を進めむと試みたるは
ビュフォン(Buffon 一七〇八―一七八八)
が唱へ出でたる有機的分子(molécules organiques)の臆說なり。彼れの大著 "Histoire naturelle générale et particulière"(一千七百四十九年以降其の死に至るまでに三十六卷を出版し彼れの死せし翌年拾遺七卷を出版せり)は其の文章の美なることに於いて佛文の一好模範とまで見られてアンシクロペディーと共に廣く愛讀せられ又それと同樣なる影響を當時の思想界に與へたり。
ビュフォン以爲へらく、他の力を假ることなくして自ら繁殖するやうに原子の結合せるものあり、之れを有機的分子と名づく、而して此等の分子は機械的法則の下に在りて外界に應接して一切の有機體を形づくるものにして此の有機的分子は一切の生物の原質とも名づくべきものなりと。此の臆說は要するに物質の機械的作用により如何にして生物の形づくらるゝかを考へ易からしめむがためのものに外ならず。
《ロビネーの感覺說。》〔二二〕ビュフォンが有機的分子の說は已にスピノーザの說ける所に胚胎し居るのみならず、彼れが其の他に說ける所にして亦スピノーザの影響を受けたることを示すものあり。彼れが此の有機的分子の臆說に類似したるは
ロビネー(Robinnet 一七三五―一八二〇)
がレーウエンフック(Leeuwenhoek)の唱へたる種子的動物を以て尙ほ更に原始なるものとせらるべき種子の集合して成したるものと見たる說なり。ボネーは生物の種子一として滅するものなく凡べての物皆連續したる段階を形づくるといへることに於いてライブニッツの影響を示したるが、ロビネーは更に彼れにも優りてライブニッツの思想に感染したる所あり。彼れは其の主なる著書 "De la Nature"(千七百六十一年出版)及び其の他の著述に於いて說いて曰はく、凡べての物は限りなく多くの形を示し、而して其等は皆連續せる段階を成し、其の各段階は皆心と物との二要素を具へ居るものなり。但し此の二要素は無數に異なれる割合に於いて相混和せられて其の一方に多く開發するほどに他方に於いて減退す。生物の活動に於いても亦此くの如く精神の方面に於いて力を用ゐたる程は身體の方面に於いて失はれ、身體の方面に於いて增長したるほどは精神の方面に於いて萎縮す。而して此の兩方面の中、基礎となるものは寧ろ物質の方にして精神は物質より出でて又物質に還ると見らるべきものなり。全世界はまた兩極の間に振れ動く搖錘の如くにして生と死、善と惡、美と醜、眞と僞の二面を等しく具ふ、此の二面の調和是れ即ち宇宙の調和といふべきものなり。
ボネーは其の感覺論の立脚地より神といふ觀念も亦感覺上の觀念(idées sensibles)より來たると云へり。されど彼れはもとより神の存在を否みたるに非ず。ロビネーも亦神を置き之れを以て萬物の不可知なる原因とせり。以爲へらく、吾人は無限なるものの觀念を有せず、故に神を考へて之れを意志あり智あり德ある者とせむには必ず假りに之れを人間に擬せざるべからずと。
《佛國唯物論の開祖ラ、メトリーの著述、性行及び知識論。》〔二三〕ヺルテールは感覺を以て運動と共に物體の本具し居る性質なりとなせり、委しく云へば一實體が物質的性質を有すると共に精神の作用をも有すと見たるがボネーもビュフォンもロビネーも各〻心作用と物理的方面とを相離さず進んでは物質的方面を以て精神的現象の基礎とすることに向かひ行かむとせり、就中ロビネーの唱へたる所の如きは之れを一種の唯物論と云はむも必ずしも不可なることなし。されど此等の人々の立脚地に比して更に
ラ、メトリー(La Mettrie 一七〇九―一七五一)
の唱へたる所のものなり、是を以て或は彼れを當時の佛蘭西に於ける正當なる意味にての唯物論の創始者と爲す人あり。ラ、メトリーは軍醫なりしが當時一般に行はれたる醫術を攻擊し、又彼れの意見を、始めて其の著『精神の自然史』("Histoire Naturelle de l'Âme 一七四五年出版)に於いて發表するや彼れはそれが爲めに其の職を失ひ其の書は議會の命によりて燒かれたり。かくて彼れは佛蘭西を去りて和蘭に行きしが、又次いで其の著はしたる『人間は一の機械なり』("L'Homme Machine")と題する書の爲めに其處にても囂々たる物議を惹き起こして安居することを得ざりしかばフリードリヒ大王の許に至りて其の厚遇を受け、其處にて一千七百五十一年に卒然歿せり。其の致死の原因は確かには知られざれども或は毒殺の疑ひありともいふ。ラ、メトリーは其の性頗る勇敢なると共に又傲岸なりき。
ラ、メトリー曾て熱病を患へて血液循環の急激になり來たることが其の思想の出沒に著大なる影響を及ぼすことを實驗し吾人の心作用は生理上の作用を以て說明し得べきものなることに考へ付きしが此の思想を開發して始めて彼れの唯物論上の意見を發表したるものは其の著『精神の自然史』なり。彼れが其の後(一千七百四十八年、即ちアンシクロペディーの初刊に先きだつこと四年、コンディヤックが『感覺論』の著述に先きだつこと六年、エルヹシユスの『ド、レスプリー』に先きだつこと十年、ロビネーの『ド、ラ、ナチュール』に先きだつこと十三年に出版したる "L'Homme Machine" に於いては更に其の步を進めて其の唯物論を明瞭に言ひ現はしき。是の故に彼れを以て佛蘭西に於ける正當なる意味にていふ唯物論の開祖と稱する人もあるなり。彼れはデカルト學派の物理說即ち機械的說明を全く人間に應用して一切の心作用を物質の活動なりと見たり。以爲へらく、物質が感覺作用を爲すといふことの眞なるは何處を見るも物體を離れたる心現象なく、また身體の組織の異なるに從ひて心作用も異なるによりても明らかに證せらるゝことを得べし。一切の思想は悉く物質上の變化に外ならず、吾人の腦裡に多くの思想の宿り得ることより見れば其等の思想の各〻が占領する塲所は極めて狹小なるものと云はざるべからず。吾人の精神の高尙なることは非物質といふ無意義の言語に存在せずして其の思想力の明瞭なること及び其の及ぶ範圍の廣きことに存在す、物質其の物の性に廣袤といふことが具はり居るが如くまた運動といふ作用も具はり居るものにして而して運動する物質がまた感覺といふ作用を具へ居ると見るべきなり。
《人間は下等動物、植物と同じく物質的機械に外ならず。》〔二四〕デカルトは下等動物を見て一の機械に外ならずと說きたれども其の人間に對するや之れを身體上一の機械なると共にまた物體ならぬ他のものを具ふと考へたりき。ラ、メトリーは人間と下等動物とを比較し二者は畢竟程度の上に於いて相異なるものにして人間に於いて他に存せざる特別のものの存在を說くべき理由なきことを示さむと欲したり。論じて曰はく、啻だ下等動物のみならず植物人類との間にも畢竟ずれば亦唯だ程度の差別あるのみ、下等動物の如く、また植物の如く、人間は唯だ物體即ち物質的機械に外ならず、されど之れと共に下等動物及び植物も亦人間に異なる所なく決して全く精神無きものに非ず、感覺は凡べて生ある物の具ふる所たるなり。
かくの如く幾多の生物が其の差等に於いて段階を成し居るを見てラ、メトリーは之れを下等なるものより高等なるものに向かひ行く順序となしたり。而して斯く生物をして發達せしむる動力は其が衝動なり欲求なり。植物より動物に至る段階を見るに營養を得むが爲めに動くべき必要の多きほど其の生物は知力に於いて多く進步したり、人間は最も多くの缺乏を感じ從ひて最も多くの動作を爲さざるべからざる必要に迫られ居るがゆゑにまた最も多く其の知力の發達したるものなり。以上のラ、メトリーが生物論を見るも、又ロビネー及びボネー等の說く所を見るも如何にライブニッツ風の思想が攝取され變形されて當時の自然哲學に宿れるかを知るに足るべし。
《ラ、メトリーの道德說。》〔二五〕ラ、メトリーは其の著 "Histoire Naturelle de l'Âme" に於いてはロックより出立して吾人の有する一切の觀念の起原を吾人の感官に求めたり。以爲へらく、外物に接し他に交はることによりて吾人は我が心の內容を得るなり、若し一人をして他と交はらしめずして孤獨に生活せしめなば其の心や眞に幼稚なる狀態に止まり居らむと。斯く考ふることに於いてラ、メトリーはコンディヤックの感覺說の先驅者となりしと共に又利益主義の道德說に於いてエルヹシユスの爲めに其の途をなせるものと云ひて可なり。彼れ以爲へらく、吾人は唯だ身體を有するのみ、故に快樂といふも亦畢竟身體上のものに外ならず、唯だ其の中に强けれども霎時の間繼續して止むものと靜かなれども長く繼續するものとの區別ありて、前者を感官上の快樂と云ひ後者を精神上の快樂と名づくるに過ぎず。德行とは社會一般の安福を來たす行爲に名づけたるものにして、惡人は法律を以て制御せられ善人は名譽を以て導かるれども、善人と云ひ惡人と云ひ其の行ふ所を極むれば均しく皆機械的必然の作用によりて決定さるゝに外ならず、故に良心に問うて自らを責め悔むことを爲すが如きは無益の業なり。罪人は恰も病人の如き者にして社會の安寧を保たむが爲めといふこと以上に彼等を苛酷に取り扱ふ必要なし。唯物論は吾人をして宗敎上の迷信及び恐怖の情より脫せしむ、無神論者の組織する國家はベールの云ひたるが如く啻だ成り立ち得べきものたるのみならず最も幸福なるものなり。
佛國に於けるかの革命時代に在りては醫士カバニス(Cabanis 一七五七―一八〇八)が唯物論上心作用を說明して吾人の一切の思想は凡べて腦より分泌するものなりと說きたるあり、デステュット、ド、トラシー(Destutt de Tracy 一七五四―一八三六)また之れと相似たる唯物說を唱へたり。
アンシクロペディスト(Encyclopédistes)
《アンシクロペディスト。ダラムベールの懷疑說。》〔二六〕一切の學術及び技藝に關する新思想を一般の讀者に解し易からしめ啓蒙的潮流を集收して之れを當時の社會に奔流せしむることに與りて最も力ありしものはかの有名なる『アンシクロペディー』("Encyclopédie ou Dictionnaire raisonné des Sciences, des Arts et des Métiers.")即ち百科全書なり〈此の書は一千七百五十一年より一千七百七十二年までに二十八册を出版し一千七百七十六年及び其の翌年に拾遺五卷、一千七百八十年に "Table analytique" 二册を出版せり〉
此の百科全書を創設しまた編輯したるはダラムベール及びディデローにして、之れに助力したる者にはテュルゴー(Turgot)グリム(Grimm)ホルバッハ(Holbach)等あり、ヺルテール及びルソーも亦之れに筆を執りき。
ダラムベール(D'Alembert 一七一七―一七八三)は數學家にして哲學上懷疑說の立脚地に在りき。以爲へらく、物體及び心靈が其の性體に於いて如何なるものなるかは吾人の知り得ざる所なり。吾人が感官を以て其の存在を知覺すと思ふが如く果たして吾が心に對して何物か外界に存在するあるか、又若し在らば何物の存在するかは吾人の知識し得る所に非ずと。彼れは哲學上懷疑說の立場を守りたりしと共に道德說に於いても亦自利說の正當なるものなることを承認するに至らざりき。
《ディデローの著作、思想。》〔二七〕アンシクロペディストの中に在りて最も傑出し最も多才多能にして濃厚の情を湛へ、詩人にして又哲學者たり、其の辯論及び文筆を以て當代に偉大なる影響を與へたる者は
ディデロー(Diderot 一七一三―一七八四)
なり。其の初期の著作に於いては彼れは猶ほデイスト風の立脚地に在りて天啓的宗敎の成立し得べきことを信じ、神の存在を否む者に向かひて盛んに攻擊を加へ、道德論に於いてはシャフツベリー風の思想を懷き居たりしが、其の一千七百四十七年に書き下したる "Promenade du Sceptique"(此の書は一千八百三十年 "Mémoires, Correspondance et Ouvrages inédits de Diderot" に於いて始めて世に公にせられしものなり)に於いては彼れは已に懷疑說の見地に進めり。次ぎに一千七百四十八年に著はしたる "Pensées Philosophiques"(此の書は巴里議會の命によりて燒かれたるもの)に於いては其の後年に唱道したる自然論的萬有神說に向かへる跡を示し、尙ほ "Pensées sur l'Interprétation de la Nature"(一七五四出版)に於いては更に明らかに彼れが後年の說を現はし、而して彼れが最後の立場は一千七百六十九年に書き下したる『ダラムベールとディデローとの對話』("Entretien D'Alembert et de Diderot")及び『ダラムベールの夢』("Le Rêve de D'Alembert" 此の兩書は上に揭げたる書と共に一千八百三十年始めて世に公にせられたるもの)に於いて最も善く現はれたり。彼れが『アンシクロペディー』に其の筆を揮ふや其の懷抱を表はすにも禁止の累禍を免れむが爲め故らに婉曲の筆を用ゐたるを以て彼れが眞實の意見は明らさまに其の中には發表せられ居らず。
ディデロー說いて曰はく、物質其の物が生活及び意識の作用を具し居り、物體の無始無終なるが如く生命及び精神も亦無始無終なるものなり、生命及び精神は唯だ機械的變動の結果として見ることを得ず、生なき個々の部分が相集まりて生ある一物を生ずといふは考ふべからざることなり、故に生物の種子は本來存在し居るものと考へざるべからず、高等なると下等なるとの別は唯だ前者に於いては生命及び精神作用が相集結し後者に於いては其の放散し居ることに在り。感覺作用を有する物質が複雜なる結合を爲し動物となるに至りて感覺はこゝに始めて有意識的のものとなる、而して吾人の一切の思想は感覺より成り立つものなり。
ディデローはこゝに自ら一の非難を提出して曰はく、斯く物體の微部分其の物に各〻精神作用の具はるありとするも、其等が相集まりて如何にして一個體を成し意識の統一を來たすかは頗る考へ難きことなりと。彼れは宇宙に存在する凡べての物は活動する一全體を成し一つの生命が其の凡べての部分に通ふと考へたり。斯く一の微部分が他の微部分に相接して其の間に同じき生命の相通ずと見て而して幾分か之れによりて精神上の統一を考へたるかの如く見ゆ。
〔二八〕彼れが宗敎上及び哲學上の思想の變じ行けるに伴ひて道德上の思想も亦均しく變化をなしたり。彼れは初め吾人は自然に是非の念を具へ居る者なりと考へたりしが後に至りては是非善惡を判定する道德心も亦本來吾人に具はれるものに非ずして寧ろ微少なる多くの經驗を結合して成れるものなりとし、以爲へらく、吾人が或事柄を是非する時に當たりて其が動機となるものは多くの經驗より來たりて今は唯だ其の動機の各〻を意識することを爲し居らざるなり、道德上の軌範も要するに人間の性情に基づきて立つべきものにして、而して其の軌範は利己に非ずして一般の安寧を來たすことにあらざるべからずと。彼れはかくの如く說きたりしが其の說の向かふ所、終には德行も不德行も其の起こり來たる所以を尋ぬれば其の基づく所畢竟各人の氣質にありとし、而して所謂氣質は種々の事情に從うて一人には幸に德を爲す樣に形づくられ、他人には不幸にも不德を行ふ樣に形づくられたるものなりと考ふるに至れり。
宗敎に對しても彼れは後に至りては專ら其の弊害に著目することとなれり。以爲へらく、禮拜、儀式及び神學上の敎義が吾人の自然の道德に取りて代はるに至るは是れ宗敎の害ある所以なり、宗敎に於いて吾人の自然の道德以外の事をいふは是れ皆僧侶の造り設けたるものなりと。
かくの如くディデローの思想は其の初年の立場より大に變遷し行きたれども猶ほ其の道德論に於いてエルヹシユスの見地にまで至り世界論に於いてラ、メトリーの唯物論にまで進むことは彼れの敢てせざる所なりき。吾人はディデローに於いてヺルテールが出立したるデイスト風の立場よりして當時の啓蒙的思想の極端なる結果へ向かひ行ける變化の段階を認むることを得、而して此等の極端なる結果は已に他に於いて明らかに言ひ現はされたるものなり。凡べて此等の思想の發達して向かひ行ける結果を集合したるものを吾人は最もよくかの無神論者のバイブルと稱せられたる
『システ一ム、ド、ラ、ナテュール』("Systéme de la Nature, ou des loix du monde physique et du monde moral")
に於いて見るなり。
《自然論的機械說を一切の事物にうち擴げたる書『システーム、ド、ラ、ナテュール』。不信神の福音は世を救ふ敎なり。》〔二九〕『システーム、ド、ラ、ナテュール』は著者が假名を用ゐて一千七百七十年に出版したるものにして『アンシクロペディー』にも筆を執れるホルバッハ男爵の家に集合して論談することを習ひとせる人々の中に成れるものなるが、大抵は
ホルバッハ(Baron von Holbach 一千七百二十三年獨逸に生まれ、一千七百八十九年巴里府に死す)
の筆に成れりと思はる。されど其の中にはディデロー、グリム(Grimm 一七二三獨逸に生まれ一八○七死す)及び數學者ラグランジ(Lagrange 一七三六―一八一三)等の筆に成れる部分もあり。此の書は啓蒙的思想の唯物的結論を發表したるものの中にて最も組織立ちたるもの、最も槪括する所の廣きもの、又最も推論の堅實なるものなり。
此の書は自然論的機械說を世界に於ける一切の事物に打ち擴げたるものなり。說いて曰はく、運動する物質の外に宇宙に存在するものなし、物質其の物には廣がりといふことの在るが如く又運動といふ力の具はれるあり、而して吾人は凡べての出來事を說明する上に於いて是れより以外に要するものなし。唯だ吾人が看ることの足らずして自然の原因を發見し得ざるところより靈魂又は神といふものを持ち來たれども是れは眞實說明といふべきものに非ず、寧ろ學術を殺すものと云はざるべからず。吾人が自らを二重に見て心物二種の實體より成れるが如くに思ふ理由は吾人が唯だ我が身體に於ける外形上の運動を見るのみにして其を來たしたる內部の精微なる分子の運動を見ざるがゆゑなり。世人はかく自己を二重にするが如く又此の世界をも二重に見て物界の外に靈なる神といふものを置けど神てふ觀念は畢竟ずるに此の世に種々の災禍あり而して其の炎禍の起因を考ふることに於いて世人の無知なるより作り出だされたるものなり。神を以て世界を造り且つ動かす非物質のものと思ふも其の觀念を詳かに考ふれば非物質といひ無限といふが如き消極的性質を附することに於いて已に其の觀念の價値なきものなることを認むるを得。神の存在を云ふは無用のことなり、何となれば凡べての物が宇宙といふ一組織を成し居る外に何物の存する筈なく、また其の存在する全體のものと其を活動せしむる所以のものとを分かつべき理由なし。神といふ觀念は啻だ無用なるのみならずまた自家撞著のものなり、何となれば一方に於いては上に云へるが如き消極的性質を附すると其に他方に於いて又人間の如く限りある者に於いてのみ言ひ得べき道德的性質をも附すればなり。神てふ觀念は啻だ自家撞著なるのみならず又有害なるものなり、何となれば世人をして宗敎上現世を輕んじて只管來世を望ましめ、又神の怒りを思うては吾人をして無益なる不安の念を懷かしめ、又宗旨上の憎惡を惹き起こしては人々をして相反目せしむるに至るが故なり。人は元來其の災禍に遇ふと又其の無知なるとの故を以て自然に神々の存在を信ずるに至らむも其の信仰を組織立てゝ一の敎旨となしたるは是れ皆僧侶の所爲に外ならず、而して其の信仰は狂熱と詐僞とによりて裝飾せられ、世人の孱弱なる信じ易き心によりて更に增進せしめられ、習慣はそを敬ふべきものとし、壓制はそを堅固にして之れを用ゐて愚民を制御するなり。姑らく愚民の爲めに迷妄を說くといふべき理由なし、之れを說くは恰も人に毒を服せしめ其の勢力を殺減して而して之れをして亂暴を行はざらしめむと云ふが如し。須らく世に唱ふべきは不信神の福音なり、是れ最も世を救ふ所以の敎なりと。
《『システーム、ド、ラ、ナテュールの世界觀、人間觀、道德觀、宗敎觀。》〔三〇〕自然界は一の自ら活動する全體にして凡べての物は止むことなき運動の狀態に於いて在り、凡べての物は或は因となり或は果となり相連續して絕ゆることなし、秩序と云ひ若しくは調和といふが如きは是れ自然界其の物に存在するものに非ずして唯だ吾人の心の思ひに在るものなり、存在し居るものは一個物に於いても又世界全體に於いても唯だ其の存在を維持するといふことあるのみ、又自己の存在を保存する諸物が因果の關係を成して相動くことあるのみ、其れらが或宜しき目的にかなへりと云ひ又は然らずと云ひ、其が善美なる秩序を現はし居ると云ひ又は然らずといふは、是れ畢竟吾人の主觀的に思ひ設けたる標準に照らして吾人の思ひ設けたる差別に外ならず。
人間に於ける事も凡べて悉く物理的運動の法則によりて說明すべきものなり。心理學も倫理學も詮ずれば物理學に外ならず。感覺は腦分子の運動にして其の運動は例へば醱酵する時に又は營養作用の行はるゝ時に行はるゝ運動の如きものなり。感覺を有せざる物質分子が相結合する所に感覺と謂ふもの生じ來たる(如何に純然たる唯物論の明言されたるかを見よ)而して吾人の凡べての心作用は皆感覺を本として起こりたるものなり(こゝに感覺論の攝取されたるを見よ)。
物理界に於いて惰性と名づけらるゝものは人間に於いては自衞の性となり、前者に於ける牽引力及び反撥力は後者に於いては愛憎の情となる、彼れと是れとは詮ずれば一なり。吾人が自然法に從うて我が目的を達せむには如何なる方法を取るべきかといふことの規定さるゝところに義務の觀念は基づけり、盖し義務とは我が目的とする所に達せむには吾人の必然に取らざるを得ざる道を謂へるものなり。理性と名づくるも畢竟自然科學上の知識を吾人が社會に於いて云爲することの上に應用したるものに外ならず、而して理性は吾人に吿ぐるに我が幸福が全く他人の幸福と相離しては得られざるものなることを以てす。凡べて吾人の行爲は皆利益の觀念によりて出で來たるものにして善人と云ひ惡人といふ其の區別は畢竟其の身體組織の如何と其の何を以て自己の幸福となすかとにかゝる。此の故に德行は他人の幸福を以て自己の幸福とならしむる術といふべきものなり(こゝに利益主義の道德說の說かれたるを見よ)。
自由の意志といふことは一種の迷妄なり、是れ唯だ神をして此の世に於ける罪惡の責に任ぜざらしめむが爲めに造り設けたる觀念に外ならず。若し意志が自由なるものにして全く自己の活動によりて隨意に或事柄を創始し得るものならば是れ全世界を改造する全能力を有すると同一なり、何となれば此の世界の一事を其の必然に在るべき所より改むといふは是れ取りも直さず全體を改むるといふことを意味すればなり。假令吾人に意志の自由なくとも世に刑罰を行ふべき理由あり、何となれば是れ恰も川を堰き止めて、溢れざらしめむとするに同じければなり、此の心を以てして始めて刑罰も亦有効なるものとなるべし。未來の生命といふこと是れ亦啻だ迷妄なるのみならず、吾人の現世に於ける生活上寧ろ有害なる信仰と云はざるべからず。道德を講ずるよりも寧ろ人々をして身體上健康なるものとならしむるが彼等を救ふ道なり、吾人の要する者は僧侶に非ずして寧ろ醫師なり。
《ルソーの生涯、性行、著述。》〔三一〕以上述べ來たれる所によりて當時の啓蒙的運動の主なる潮流が悉く『システーム、ド、ラ、ナテュール』の中に集收せられたるを看るべし、感覺論も此に在り、利益主義の道德說も此に在り、意志自由論も其の中に在り、唯物論も無神論も聊かも隱蔽せらるゝ所なく其の中に現はれ出でたり。而して啓蒙的潮勢が斯くの如き傾向を取りて進み行けるを見て茲に一大反抗の要を感じて起ちたる者は彼の
ヂャン、ヂャック、ルソー(Jean Jacques Rousseau 一七一二―一七七八)
なり。彼れは啓蒙的思潮の單に理解力を以て進み行くに對して直接なる感情の要を說き啓蒙的運動を產み出だしたる文化に對しては純樸なる自然の狀態の美を說かむとしたるなり。文藝復興時代以後文化は駸々として進み來たりしが、ここに始めてルソーに於いて文化進步の果たして眞實に善なるものなるかを疑ふ聲は聞こえたり。文明問題は實に彼れによりて始めて明瞭に提出されたるなり。ルソーは一千七百十二年六月廿八日を以てジェネヷに生まれき。其の境遇と天資とは早くより彼れが現在を後ろにして種々の理想を某の心に描くことに耽る傾向を養ひたり。定まらざる靑年の歲月を送りたる後、巴里に來たり或は敎師として或は他人の書記として或は謄寫を業として漸く其の口を糊したり、而して彼れが文界に於ける生涯は其の著 "Discours sur les Sciences et les Arts"(一七五〇出版)を以て始まりぬ。此の書は其の出版の前年「學術及び技藝の復興が道德を高むることに與りて力ありきや否や」といふ題にて提出されたる懸賞論文に應ぜむとしたるものにして此の書によりて彼れの名は始めて世に知られたり。彼れの自ら言へる所に從へば、此の問題を考ふることによりて全く新らしき眼界が彼れの心中に開かれこゝに彼れは全く新しき人間となれりといふ。彼れは此の問題に對して否定の答案を與へたり、斯くして彼れが新たに開かれたる新眼界に向かひて其の思想を進め行くに從うて益〻一方に於いては啓蒙的運動の指導者として現社會の狀態を攻擊する者又他方に於いては保守的精神を維持して現狀態の爲めに辯護せむとする者の双方に向かひて反對の地位に立つこととなれり。彼れは又後に更に他の懸賞問題に對して著はしたる "Discours sur l'Origine et les Fondements de l'Inégalité parmi les Hommes"(一七七三出版)に於いて步を進めて啻だ學術復興が道德上の進步を益したることを疑ふに止まらずして文明の社會的生活其の物が元來善きものなるかを疑ひて吾人は寧ろ純樸なる天然の狀態に反るを要すと主張するに至れり。
《ルソーの生涯、性行、著述つづき。》〔三二〕ルソー始めはアンシクロペディストの仲間に入り謂はゆる「哲學者」等と相交はり、其の同志の一人として認められたりしがアンシクロペディーの傾向が益〻其の意に恊はざらむとするを見て一千七百五十七年終に之れを脫したり(同じ年にダラムベール及びディデローも其の編輯者の職を辭せり)。彼れの胸裡にはアンシクロペディスト仲間の朋友等の了會し得ざる思想の欝勃たるものありき、かくて彼れは天然に往きて其の慰安を求め、質朴なる田野の生活に退きこゝに彼れが思想的生涯に全く新生面を開くこととなれり。彼れは文明社會の造り飾りたる儀式的なることに對して單純なる、質朴なる、粗野なるものを愛し、自然の狀態に於ける直接の感情に向かひて其の指導を求めたり。彼れはまた世の謂はゆる開けたる人々が眼下に見て齒するに足らずとしたる下等社會に對しても、其の知慮の上に於いては如何なる差等の存するにも拘らず相一致し得べき所のものあるを感じ彼等に向かひて深く同情せり、而して彼れが共通のものとして感じたる所是れ即ち人間が凡べて自然に有する直情なり、彼れは時として名狀すべからざる感情の溢れ來たることを覺えたりしが彼れは其の感情を現はすに適當なる言語を即座に發見し得る技倆を缺きたり。故に彼れは禮儀と好辯とを要したるサロンに於いては光彩を得放つべき性質の者にあらざりき。感情の哲學は彼れに於いて眞に適當なる唱道者を發見したりといふべきなり。彼れは感情其の物を知力と區別して吾人に取りて獨立なる指導者となしたり。心理學に於いては吾人の心生活の特殊なる方面として感情の價値に重きを置き、又文學に於いては感情に耽り之れを樂しむ一派の潮流を惹き起こしたるに於いてルソーの唱道與つて大に力ありき。彼れは自ら其の感情を顧みることを樂しみ其の『懺悔錄』("Confessions")に於いては誇るべきことと耻づべきこととを問はず自己の心裏の經驗を聊かも蔽ふ所なく描き出でたり。
一千七百六十ニ年ルソーは有名なる『民約論』("Du Contrat Social ou Principes du Droit Politique")を著はして現社會を改造する標準とすべき社會制度を描き、また同年に『エミル』("Émile ou sur l'Éducation")を著はして彼れが理想とする敎育法を描きたり。當時の社會は此の畸人をして安き生活を送らしめざりき。『エミル』は政府の命を以て燒かれ、又著者に對しては逮捕狀を發したり。是に於いてルソーは瑞西に逃れたれども彼れはこゝにてもまた安居することを得ざりき、かくて彼れは彼處此處に於いて或は政府に或は人民に窘迫せられ委さに辛酸を甞めたりしが、曾て巴里に於いて彼れと相會したることあるヒュームが此の時彼れを招きしを以て彼れは其の招きに應じて英國に渡りしが其處にて病に罹りしが爲めに英吉利に於ける朋友の惡意あらむことを疑ひて再び佛蘭西に遁れ歸れり。此の實に常人には在り得べからざるが如き猜忌心は善くルソーが性質の暗黑なる方面を示すと共に彼れが奇癖の人たることを現はすものなり。彼れは佛蘭西に歸りて後諸方を流浪しつゝありし中急病に罹りて遂に一千七百七十八年に死せり。
《ルソーが啓蒙思潮に反抗せる態度、其の道德宗敎觀。》〔三三〕ルソーはコンディヤックの感覺說に反對して思考する、比較する、及び判定する等の作用は感覺するといふことと相分かつべきものなりと見て以爲へらく、後者は所動的にして前者は能動的のものなり、吾人は我が直接の感情によりて我れの存在することを知り、また我れてふ者が自由なる思想及び意志の作用を有する者なることを知り、此のゆゑに又我が靈魂の物質ならざることを知る。而してかくの如く直接に我れの何たるかを知り又我れに接する外界の存在することをも知ると共に現世に於いては惡人も或は榮え善人も或は不幸なることあるによりて吾人は尙ほ來世に於いて生活するものなることを知ると。彼れは宗敎上に於いてはデイスト風の立場を取りき。以爲へらく、物質は自ら動き得るものに非ざるを以て之れに活動を與へ意匠に從ひて形づくりし者なかるべからずと。かく彼れは世界の構造を以て神の存在を證し得と考へたれども彼れが信仰の眞實の理由は其の心情の求めに在りき。以爲へらく、如何にして吾人の意志は自由なるか、如何にして此の世界が神に形づくられたるか、又如何にして精神が物質に働くかといふが如きことは到底了解す可からざることなりとするも猶ほ其等の事の正確なる事實たることは我が感情によりて確めらると。彼れは其の著『エミル』の中に於いて其の自說を吐露せしめたりと思はるゝサヺアの牧師をして言はしめて曰はく、「予は哲學上論究することを爲さずして唯だ我が心情に感ずる所を描く、聞くものに向かひても亦其を自ら己が心情に實驗せむことを求む」と。彼れは眞情によりて感ずと云ひ、彼の蘇國學派は直識すと云へり。
ルソーの見る所に從へば、物質は神の活動に制限を與ふるものにして神は物質を造れるものに非ず、故に物質は創造せられたるにあらずして唯だ神が之れを取りて之れに與ふるに秩序を以てし之れを形づくり之れを支配するのみなり。彼れは此の世に於ける凡べてのものが善美なるの故を以て神を信じたりといはむよりも寧ろ神を信ずるがゆゑに此の世界に於ける凡べての事物を善なりと認めたるなり。彼れはヺルテールに向かひ此の感情を言ひ現はして「汝は現實に樂しまむとし我れは希望を懷く」と云へり。ルソーは斯くして宗敎の根據を世界の成立を考ふる上に置くよりも寧ろ吾人各自の感情的生活の上におけり。彼れが感情を以て世界に對するや名狀すべからざる思ひを其の胸中に湛へたりしが、彼れに取りては是れやがて宇宙の神に對する宗敎的感情を成しき。彼れは自ら當世紀に於いて神を信じたる唯一人なりと云へり。彼れ尙ほサヺアの牧師をして言はしめて曰はく、「汝の心をして常に世に神の在らむことを欲する底の狀態に在らしめよ、然らば汝は彼れの存在を疑ふことなかるべし」と。之れを要するに、ルソーが宗敎上の信仰は其が感情の要求に根據したるものなり。
ルソーは上に描きたる所に基づき自然宗敎を取りて敎會的宗敎を捨てたり、而して自然宗敎は彼れに取りてはやがて基督敎の心髓といふべきものなりき。盖し彼れは基督敎に於ける道德上の敎を以て其が精神と認めたるなり。
彼れはまた吾人の良心を以て直接に吾人の行爲の誤らざる指導を爲すものとし、また利益主義の道德說に反對して吾人の自然に有する仁慈及び正義の念を說き、其は決して故らに作れるものに非ずまた實際世に無効力なるものにもあらざることを示さむと力めたり。以上述べたる所によりて見れば、ルソーが感覺論、意志決定論、唯物論、無神論及び自利主義の道德說に反對して當時の大潮勢と戰はむとしたる者なること明らかなり。
《人類墮落の次第。》〔三四〕彼れは其の著 "Discours sur l'Origine et les Fondements de l'Inégalité parmi les Hommes" (一七五三出版)に於いて人類社會が其の原初の純樸なる自然の狀態より墮落し來たれる次第を描けり。以爲へらく、人類は原初に於いては各〻獨立に又自由に生活したる者なり。而して其の生活せむとするや自ら猛獸の害を防ぎ又食物を得る必要あるより先づ器具の發明を爲すことによりて其の心力の發達を來たし、次いでは各〻
《文化の弊害、救治の策、敎育。》〔三五〕文化の害や學げて數へ難し、貧富の差別及びそれに從ひ起こる諸多の差別に生じ來たる一切の猜忌心、憎惡心及び之れより發する爭鬪、又一方には齷齪として其の欲望を充たさむことを求むると共に一方には遊惰文弱に流れゆきて外を飾り種々の繁文縟禮を設けて中心の誠を蔽ひ了すること、又階級制度を以て下等人民を壓制すること、又分業が一部の者をして他者の奴隸たらしめ而して之れを使役するによりて一部の者は愈〻其の所得を增すと共に又其の所得を利用して益〻他の者を使役するに至る等、皆是れ文化の弊害といふべきものなり。
斯くの如く文明の進步は決して社會を善ならしめたるものに非ず却つて之れを腐敗せしめたるものなり、吾人は寧ろ社會的生活に入りかゝりたる時代即ち社會の猶ほ少壯なりし時に於いて止まるべかりしなり。今や社會は已に老衰したり、されど一旦かく純樸の狀態より離れたる以上は到底再び元の儘なる狀態に復ること能はず、唯だ吾人は社會の眞正の成立を知りて其の弊害を除去する法を講ぜざるべからず、而して其を來たすべき一方法は即ち敎育なり。
《ルソーの敎育說。》〔三六〕ルソーが敎育說は先きにロックが英國の紳士を養成することを目的として唱へたりし思想を採用し來たり彼れが自然主義に基づきて更に之れを打ち擴げたるが如きものにして其の思想に於いては特に新發明の見といふべきものなしとするも彼れの天才が之れに與へたる表現は其の思想をして新奇なる力を有するものたらしめ、延いて歐洲の思想界に大なる影響を與ふることとなれり。彼れ以爲へらく、天然のまゝなるものに一として宜しからざるものなし、唯だ人其の手を添へて之れを不良なるものとするのみ。吾人が敎育を施すに當たりて人爲的に種々の事柄を注入するは其の正當の途に非ず、人を敎育する宜しく其が自然の開發に任すべし。敎育の事は他の權力を以ても又啓蒙的敎訓を以ても外より强ひて壓迫し注入すべきものに非ず、寧ろ唯だ其が自然の開發に障礙となるべきものを除去し而して其の開發に
《ルソーの理想とせる社會制度。》〔三七〕以上叙述せる所はルソーが其の著『エミル』に於いて彼れの自然主義に基づきたる理想的敎育法を述べたる趣意の大要なり。彼れは更に其の名著『民約論』に於いて彼れが理想とする社會的制度を描けり。以爲へらく、人類は其の自然の狀態に於いては個々獨立の者なるが故に此の社會は後に彼等が相互に結びたる契約を基礎として成れるものと考へざるべからず。蓋し此の民約說の端緖は已に希臘に於いてエピクーロスの說に現はれ中世紀の終はり近世に入るに及びては此の思想復活して種々の形に於いて唱へられ、尙ほ其の說の脈絡は延いて十七世紀に至れるを見る。さればルソーの民約說は思想の上よりいふ時は決して新らしきものにはあらねど彼れの天才に發揮せられて歐洲一般の思想界に大なる影響を與ふる衝動力とはなりたり。彼れ論じて曰はく、上述の如く國家は民人の契約によりて成れるものなるがゆゑに其の主權は人民の有する所なり、行政官は唯だ民が主權を以て定めたる所を實行する者に外ならずと。ルソーはロック及びモンテスキューと其の說を異にして國家の權力を分割せずして曰はく、立法權是れ即ち眞實に國家の主權なり、行政權は決して之れと相並立すべきものに非ずして寧ろ之れに隸屬すべきものなり、人民が自ら相約し首長を立てゝ之れを仰ぐは契約にはあらずして其の關係は寧ろ唯だ委任といふべきものなり、主權は何處までも人民の有する所にして決して人民の手より離るべきものにあらずと。此の點に於いては彼れはホッブスの正反對に立てると共に又代議政體を以て正當なるものとせざることに於いてロックと其の論を異にせり。彼れ曰はく、行政官が其の權を濫用せざらむが爲めには人民が常に自ら(代人にあらず)相集まりて會議を開くことを要すと。此の點より見る時は彼れが理想とする政體は彼れの故鄕なるジェネヷ又は古代希臘の市府の如き所に於いて最もよく實行さるべきものなり。然らば近世に至りて生長發達したる廣大なる國家に在りて此の制度を用ゐむには如何にすべき。此の點に向かひても彼れは一の考案を懷けり、其は即ち右に云へるが如く人民の自治によりて成るものを幾多集合して一の大なる聯合團體となすこと是れなり、此の考案是れ即ち大西洋の彼方の岸に於いて實行されたるもの即ち合衆政治といふべきものなり。
人民相約して一の國家を組織したる以上は個々人の意志は皆全體の意志に服從せざるべからず、謂ふ所全體の意志とは其の人民の多數の意志により代表さるゝものの謂ひなり、而して國家に於いて法律を設くるもの是れ即ち此の多數の意志にして其の目的とする所は人民の全體に自由と平等とを與ふるに在り、これなくして社會は幸福なることを得べきものに非ず。法律上吾人の第一に得ることを要するは自由と平等となり、但し各自の欲望其のまゝに行ふは眞正の自由に非ず、自ら設けたる法律に從うて行ふもの是れ即ち眞正の自由なり。此のルソーの思想は已に佛蘭西の大革命の根本思想を發表せしものにして彼れ自らは決して其の所說のかくの如き結果に立ち至ることを豫想せるにはあらざれども彼の大革命は取りも直さず彼れの思想を實現せむとしたるものと云ひて不可なし。
《ルソーの說の影響及び其の批評。》〔三八〕ルソーの說ける所は根本思想の上より見て特に大なる新發明の見と云ふべきものにあらざりしが彼れは時人よりも明瞭に之れを看取し且つ彼れの天才が之れに特殊なる表現を與へたりし故を以て恰も全く新奇なるものの如く殆んど魔術の力を以て歐洲の思想界を動かしたり。且つ彼れの說ける所には論理上の關係の明瞭ならず寧ろ相反するが如き節も無きにあらず、例へば彼れが敎育論に謂ふ個人各自の自由なる自然の開發と其の國家論に於いて個人の意思が多數の決議によりて發表さるゝ全體の意志に全く服從することを要すといへるとは思想上如何に相關係すべきものなるか、又彼れが吾人の社會が其の純樸なる自然の狀態より墮落したる次第を述ぶる所と後に其の民約論に於いて描ける所との間にも相和せざるが如く見ゆる點あり、例へば一に於いては財產所有の權が社會の凡べての罪惡の根元となり居るが如くに說き、他に於いては所有權を以て眞正なるものと云ひ居る所あり、又彼れが社會の墮落を言ふ時の非現世說と其が宗敎思想との間にも亦相和せざるが如き所ありといふことを得。之れを要するに、ルソーは決して組織的思想家なりしに非ず、されど其の唱道せる所の中には後世の大なる新運動の種子を含めるを以て近代の民主政體及び共產主義も彼れに其の脈絡を引き無政府黨までも彼れより其の思想を汲み來たれりと稱せらる。哲學及び心理學に於いて吾人の心生活の特殊なる方面として感情の價値をいふに至れるは彼れに負へる所多く、又敎育に於ける自然主義、文學に於けるセンティメンタリズム及びロマンティシズムの如きも亦彼れに其の少なくとも一部の淵源を有する所あるなり。
《ルソー以外の當時の社會論者。》〔三九〕當時社會問題に對して最もよく其の眼を注げるものは先づルソーを推さざるべからざるが其の他主として經濟上より此の問題を論じたる輩にはクェスネー(Quesnay 一六九七―一七七四)及びテュルゴー(Turgot 一七二七―一七八一)等あり、又共產主義を唱へたるものにはモルレー(André Morellet 一七二七―一八一九、彼れの說はプラトーンの國家說に感發されたる所あり)及びマブリー(Mably コンディヤックの兄、一七〇九―一七八五)等あり、其の他革命の哲理を論述したる者にはサン、ラムベール(St. Lambert 一六一六―一八〇三)コンドルセー(Condorcet 一七四三―一七九四)及びヺルネー(Volney 一七五七―一八二〇)等ありき。
第四十六章 獨逸に於ける啓蒙思潮
《科學的硏究の結果の通俗化及び普及。》〔一〕ロックが其の心理說を唱へしより第十八世紀に至るまで當時の學者は專ら其の眼を人間の硏究といふことに置きたり、故に當時哲學の題目となりしものは(ロックの著書及びロック以後の學者の著述の標題を見ても知らるゝ如く)人心の硏究といふことにして而してこれが當時の啓蒙的思潮の一大方面を成したりしが、其の思潮に尙ほ他より加はり來たれる要素は其の頃に至るまでに大なる進步を遂げたる科學的硏究の結果を通俗にして之れを一般に普及せしめむとしたること是れなり。過去に於いて此の時勢と最も能く相比すべきは古代希臘に在りてソフィスト及びソークラテースの出でたる時代なり、其の後に至りてはルネサンス(學藝復興)時代亦之れと相類似せる所あれど、特にソフィスト等の時代に於いて希臘の哲學思想が專ら智識及び道德の論に向かひたりしは歐洲に於ける啓蒙時代の思潮と頗る相似たる所あり。上に云へるが如く當時の啓蒙的思潮の一要素を成したる自然科學の發達及び其の普及の結果として一切の事物に自然科學的硏究の見方を應用するに至り遂に唯物論を喚起し又社會制度の論に於いても其の影響を及ぼせる所ありき。
《啓蒙的思潮の特徵、差別智を主とすること及び個人的思想。》〔二〕啓蒙的思潮の特徵といふべきは各人が其の知を明らかにし其の知解力を用ゐて凡べての事物に明瞭なる判斷を下し行くこと即ち差別智を主とする說、及び社會を以て個々なる獨立の人の相集合したるものと見ること則ち個人的思想是れなり。此の點に於いてライブニッツの哲學はデカルトに出でてスピノーザの萬有神說に至れる純理哲學流の組織とロックに始まれる啓蒙的哲學との間に立てるが如き趣あり。彼れの哲學は多元論即ち多くの個々獨立のものを以て實在とする論にして又吾人精神の根本的作用を以て理解力(智力)なりとする說なり(而して此の說が後にヺルフ學派の唯理說に至りし次第は曾て述べしが如し)。ライブニッツの哲學は此の兩點に於いて啓蒙的思潮の精神を含めるものと云ひて可なり。
上に述べたる啓蒙的思潮の特色に本づき其の先導者の求むる所は個人が獨立に各〻自己の意見に從ふといふことにして從ひて其の思想に於いては自由ならむことを求め、宗敎に於いては敎權に反對する自由思想となり、政治に於いては階級的制度に反對する自由主義となれり、されどかくの如く其の見地の個人的なりし故を以て社會の有機的組織を了解すること十分ならざりき。而して當時に在りて此の有機的組織を認むるに近き者に於いてはライブニッツ風の調和といふ思想先づ其の最も優れたるものなれど、其の思想また是れより以上には出でず、蓋しライブニッツの唱へたる調和說も元來獨立の單元を根元とするものなるがゆゑに其の謂はゆる調和を解するに多くの困難あることは曾て述べしが如し。
當時思想界の傾向が此くの如く個人的なりし結果として人皆凡べての事に於いて個人的のことを好み又各自が自己の心を觀察することを好み而して其の結果として自ら我が感情を樂しむことに耽る傾きを生じ自叙傳風のもの多く出で來たれり、其の好例はルソーに於いて之れを見るべし。又おなじ傾向の結果として哲學其の物も各自の心を自觀する心理の硏究と殆んど同一なるに至れり、是れ英國に於いては蘇格蘭學派に於いて見る所にして獨逸に於いては心理學硏究の盛んなりしことに於いて其の最も著るきを見る。またおなじ傾向の結果として凡そ主觀的なるもの、凡そ特性の存するものを喜ぶ心を惹き起こし來たれり。
上に云へる如く自然科學硏究の見方(時間上の發達よりも寧ろ永恒に變はらざる物理的法則に著眼したる見方)を以て其の要素としたることの結果として啓蒙的思潮にはおしなべて歷史的眼孔に缺けたる所あり。唯だヒュームの如きが當時に在りては歷史的變遷を解することの最も勝れたる者の一人なるべし。此の點に於いてライブニッツが發達論は當時の啓蒙的思潮の上に出で其の眞價値は該思潮の先導者等によりては充分に了解せられざりき。
《英、佛、獨に於ける啓蒙思潮の特色、ピエティストの運動。》〔三〕以上述べ來たれる啓蒙的思潮は歐洲の思想界に於ける一般の現象にして英吉利に於いても佛蘭西に於いても又獨逸に於いても皆之れを見る。但し此等三國に於ける啓蒙的思潮には多少の差別なきにあらず、英吉利に於いてはヒュームのポジティヸズム、デイストの宗敎的運動、シャフツベリー等の道義學及び聯想派心理學者の生理的唯物論の如きを以て其が哲學的方面に於ける結果と見ることを得べく、一般に云へば英吉利に於ける啓蒙的運動は溫和にして常に英國人の特長とする常識によりて支配せられたる趣あり、且つ又英國社會の狀態は當時の歐洲に在りては最も多くの自由を許したるの故を以て啓蒙的思潮に對して頑固無謀なる抵抗を爲し却つて之れを激せしめ極端に赴かしむることなかりし趣もあり。佛蘭西に於いては其の學者の一般の傾向として其が啓蒙的思潮を理論上大膽に推究して其が極端なる論理的結論に赴くことに躊躇せざりき、且つ社會制度の上に於いては專制政體及び階級的壓制に對して終に甚だしき反抗を惹き起こすこととなれり。獨逸に於いては啓蒙的思潮の全體の傾向は折衷的にして其が主要なる要素はヺルフ學派の唯理說より流れ來たれるものなりき、盖し吾人の理解力を以て何事をも明瞭に解し得べきものとし之れに合はざることは皆之れを迷妄として排斥すること即ち唯理學派の精神が取りも直さず啓蒙的思潮の骨子を成すこととなれるなり。されど之れに加へて佛蘭西及び英吉利より輸入したる思想亦其の動力となりたりき。尙ほ他に多少獨逸に於ける啓蒙的思潮に貢獻する所ありしものは「三十年戰爭」以來敎義上の爭ひに飽き他に精神上眞正の宗敎的生活を求めむとしたる需要に應じて起こりハルレ市を中心として廣く勢力を及ぼしたるピエティストの運動是れなり。此の運動はライブニッツと相知り相敬したるスペーネル(Spener 一六三五―一七〇五)によりて創始せられ次ぎにフランケ(Francke 一六六三―一七二七)の組織的才能によりて勢ひある運動となりしものにして其の趣意とせる所は敎會が其の敎權を以て敎ふる敎義に重きを置かずして專ら各自の直接に意識する敬神の念と其を發表する實行とを貴べることに在り。是を以て此の派は其の敎會的ならぬ點に於いておのづから啓蒙的思潮の宗敎上の方面に於けるものに左袒することとなれり。之れを要するに、獨逸に於ける啓蒙的思潮の傾向は其の哲學思想をも成るべく通俗ならしめむと力め、佛國に於けるが如く極端なる論理的結論に走ることを爲さざりしかども、其は猶ほ當時の社會に於ける諸方面に亘りて一代を葢ふ大潮流となれるなり。
《獨逸の啓蒙的思潮の先驅者クリスチアン、トマジウス。》〔四〕獨逸に於いて上に述べたる啓蒙的思潮の先驅者となりしはライブニッツと略〻其の時代を同じうし獨逸語もて始めて學術的雜誌を發行し且つハルレ及びライプツィヒの兩大學に於いて始めて獨逸語もて講義を開きたるクリスチアン、トマジウス(Christian Thomasius 一六五五―一七二八)なり。彼れに從へば、哲學は世界に關して一般に解せらるべき有用なる知識を與ふるものなり。彼れが論述の法は組織的に推理することに重きを置かずして寧ろ平易且つ輕快ならむことを力めたり。此の點に於いて彼れが論述の力はヺルフ學派のと異なれり、されど其の述ぶる所の趣意に於いては偏に吾人の知解に訴へて明白にし得ることの外を悉く排斥したるが爲め幽玄飄逸の趣味に乏しかりき、是れヺルフ學派の唯理說より來たれる自然の結果なり。彼れは其の學說に於いては折衷的にして最も心を道德論に用ゐ又宗敎に於いては寬容の精神を唱道しき。又彼れは自然科學上の知識を有すること少なかりしかども其の代はりに社會制度の種々の獘害に向かひて批評を加へ且つ當時一般に行はれたる種々の迷信及び其の他頑冥なる思想に基づける諸〻の惡獘を攻擊することに其の力を致したりき。此等の點に於いて彼れの學說は十八世紀の獨逸の啓蒙的思潮に於ける殆んど凡べての重要なる要素を含めるものと云ふべく、彼れが該思潮の先驅者と稱せらるゝは此の故なり。
已にトマジウスに於いて認め得る如く獨逸の啓蒙時代に於ける思想界の問題の最も主なるものは道德上の論なりき、而して道德論に於いては吾人人生の目的を以て各〻が完全になることと幸福を享くることとに置けり。盖し完全及び幸福といふことはヺルフ學派に於いて已に相混和したるものとして說かれたりしが、茲に至りライブニッツが謂はゆる發達といふことの深き意義を了解し得ずなれりしにつれて右の二者の中幸福の方漸次に重きを爲すこととなれり。此の道德問題に結んで當時の思想界の問題とせる所は吾人に幸福を與ふる神の存在を證すること(是れ專ら天地に現はれ居る目的を根據として論じたるもの)及び吾人が來世の存在を證することに集注せり。斯く神及び來世の存在を論證せむと力めたることの動機は詮ずれば個々人が各〻幸福なる生活を送らむことを求むるの要求に在りき、是れ即ちヺルテールが宗敎の根據を吾人が道德上の要求に置きルソーが其を感情の要求に置けると相類似したる思想の調子を示せるものと云ひて可なり。又同一の原因よりして當時に於いては心理的觀察に心を用ゐること盛んに行はれ殊に吾人の心理の感情的作用の方面に注意を向くることとなれり。
《啓蒙思潮の一代表者神學者ライマールス。》〔五〕啓蒙時代に於いて該思潮の一代表者として主として神學的方面に於いて大なる勢力を振ひたるはライマールス(Reimarus 一六九四―一七六五)なり。彼れは盛んに無神論を攻擊せると共に又敎會の敎へたる天啓的宗敎の信仰に向かひても毫も假借する所なく批評を試みたりしが其が攻擊の武器とせる所は專らヺルフ學派より得來たれるものなりき。彼れ以爲へらく、世に奇蹟といふべきは唯だ萬物の造化されたることの一あるのみ、天啓と謂ふものも亦唯だ自然界に現はれたるものあるのみにして是れ凡べての人の認め得る所、且つ吾人が幸福を得むには此の自然界に現はれたる天啓を知ることの外に要すべきものなし、其の他に特殊なる奇蹟の行はるといふは是れ却つて神の完全なること及び神が將來を透見する全智と相容れざるものなりと。斯く彼れは唯だ一般の道理の上より天啓的宗敎に說く所を攻擊したりしに止まらず之れに加へて聖書に揭げられたる證憑の果たして賴むに足るべきものなるかを批評し人間の證言の誤り易きこと、聖書の中に記載しある事柄に矛盾したるものあること及び神の啓示を傳へたりと稱せらるゝ人物の言行の神の使者たるに
ライマールスは
《レッシングの宗敎發達論。》〔六〕啓蒙的思潮の產出せる思想家の中最も明瞭なる批評的頭腦を有し且つ後の思想の啓發に益すること多かりし者は有名なる文豪レッシング(Lessing 一七二九―一七八一)なり。彼れが文學上及び美術論評上に於ける功績は且らくこゝに言はず、彼れは當時の啓蒙的思潮の中に立ちて肝要なる位置を占めたる者にして其の哲學的思想はライブニッツの所說より來たれるものにスピノーザの哲學を加味したるが如きものなり。〈久しく世に忘れ果てられたるスピノーザに向かひて再び後世の思想界の眼を注がしめしことに與りて大いに力ありし一人は即ちレッシングなり〉彼れに從へば、神明は凡べてを統括する最高の活きたる一體にして全く差別と變化とを排するものに非ず、萬物は彼れ以外に存するに非ずして寧ろ彼れに於いて保たるゝもの、又各個物は皆神の圓滿なる相の分かれたるものにして、云はば各〻制限せられたる神力なり、而して各個物は其の制限せられたる相に於いて一種の相離れたる獨立の存在を成す。一切のもの皆活力あるものなれど其の活動の程度は大に相異なり凡べて段階を追うて發達し行くなり。
レッシングが宗敎上の思想に於いて合理的宗敎を以て理想とする所は一般デイスト等の說ける所と相同じ、されど彼れはデイスト等に優りて歷史的發達の何たるかを解し又其の之れを解するやヒュームの解釋とは其の趣を異にしたりき。以爲へらく、合理的宗敎は最後に來たるべきものにして此の最後なる極致に達せむが爲めに種々の宗敎は行はるゝなりと。蓋し此等諸宗敎は神が由りて人間を敎育する方法にして之れを以て單に揑造せられ又は詐僞に生じたるものと見るべきにあらず、即ち吾人が小兒を敎ふるや種々の方便を以て其が知識を開發することを要する如く神は人類の初めより今に至るまで天啓によりて吾人を敎育したるなり、天啓は決して無用なるものにはあらずして寧ろ永遠に行はるゝ人類の敎育法なりといふべし。凡べての事は決して一時に吾人に敎へらるべきものにあらず、吾人の進步の段階に適するものと然らざるものとあり、昔者猶太人の神に於けるや唯だ之れを國民の守護神と視るに止まりしが之れを以て世界の獨一神とすることはペルシア人によりて始めて得たる思想なり、其の後舊約書に次ぎて更に之れに優りたる第二の敎科書即ち新約書の與へらるゝに至る。基督出でて始めて明らかに靈魂の不滅を說き又來世に於いて現世に於ける吾人の善惡業に對する報酬を得ることを敎へたり。されど是れ亦吾人を德に進むる一の敎育法に外ならずして吾人の達すべき最高の段階はこゝにあらず、其の最高の段階に於いては吾人は德を行ふこと其れ自身の爲めに行ふに至らざるべからず。吾人は漸次此の完全なる段階に近づきつゝある者にして此の發達の目的なる第三時期は是れ即ち合理的基督敎の成り上がる時代なり、是に至りては今までの如く種々の敎育上の方便として譬喩等を用ゐて敎ふるを要せずして合理的意義其のまゝと道德とを直ちに了解し實行することを得るなり。
レッシング又以爲へらく、個人は各〻人類が發達して到れる段階を經過するものなりと。彼れは此の思想に基づきて個人は唯だ一度其の生を保つに止まらず幾たびも生まれ變はりて一般人類の其の時に進步し到れる段階に進み到ることを得るものなりと考へたり。
《通俗哲學者メンデルスゾーン及びニコライ。フリードリヒ大王。》〔七〕哲學を解し易き形に於いて當世に說かむとしたる者即ち通俗哲學者と名づけらるゝ者の中最も主要なるはメンデルスゾーン及びニコライ等なり。モーゼス、メンデルスゾーン(Moses Mendelssohn 一七二九―一七八六)は猶太人の家に生まれき。彼れに從へば、哲學は吾人の常識を以て認めたる事柄を更に明らかに又更に確實にするものなり。彼れは神の存在及び靈魂の不滅を論證せむことを最も力めたりしが其の論證は畢竟ずるにヺルフ學派の所說より得來たれるものなりき。彼れの志せる所及び其の說ける所には頗る高雅なるものありと雖も其の思想に於いては特に發明の見として取り出でて言ふべき程のものなし。
ニコライ(Nicolai 一七三三―一八一一)はレッシング及びメンデルスゾーンと相友たり、彼れは世人をして諸〻の迷信、偏執及び口碑等の束縛より脫せしめむことに其の力を盡くせり。啓蒙的運動の方面に於いて彼れが力の及べる所は決して少小ならざりき、されど建設的方面は彼れの長所に非ず、又彼れ自らの所懷に於いて其の了解の甚だしく狹隘なる所あるを見る。
其の他以上の學者等と同部類に屬する者にはアブト(Abbt 一七三八―一七六六)エーベルハルド(Eberhard 一七三八―一八〇八)フェーデル(Feder 一七四〇―一八二一)エンゲル(Engel 一七四一―一八〇二)ガルフェ(Garve 一七四二―一七八九)プラットネル(Platner 一七四四―一八一〇)マイネルス(Meiners 一七四七―一八一〇)等あり。サンスーシーの哲學者(フリードリヒ大王)は當時の思想界に於いて一の特殊なる位地を占めたる者なり。彼れはヺルフ學派とロック及びヺルテールの思想とベールの懷疑說との影響を相混じて受け、其の道德思想に於いてはエピクーロス學派風の快樂說とストア學派風の堅固なる義務的道德主義との兩面を有したりき。但し彼れが軍人としての精神が彼れをして其の心を義務的觀念の重きを說くことに傾かしめたるなり。
《知識論者ラムベルト、心理學者テーテンス等。》〔八〕當時知識論上の問題に於いて獨立に硏究の地を開き後にカントの組織したる知識論の少なくとも一方面と頗る相類似せる思想を唱へ出で且つカントに重んぜられたる者はラムベルト(Lambert 一七二八―一七七七)なり。彼れはロックが硏究の結果とライブニッツ‐ヺルフ學派の思想と、換言すれば經驗說と唯理說を結合せしめむと試みたり。以爲へらく、吾人は吾人の思想の形式を其の內容より取り出だすこと能はず又其の內容を其の形式より得來たること能はずと。斯く彼れが吾人の知識の成り立ちを說明することに於いて其を思想の內容を成すものと形式を成すものとの二要素に分かち、而して其の一を分解して他に歸せしむること能はざるものとし、又其の一を缺きて吾人の知識は成り立つこと能はずと唱へ出でたる所、是れ即ち知識論上一新路を開かむとしたるものにして、カントが取りて哲學史上の大革命を爲したるも亦此の道によれるなり。されどラムベルトは斯くして吾人の經驗を分析して得たる規律を直ちに客觀的實在其の物の規律として用ゐたるがゆゑに其の結果として彼れは從來の本體論風の哲學組織を立つることに躊躇せざりき。カントが其の批評哲學を完成する以前の一時期に於いてはラムベルトの攷究と略〻相同じき方面に向かうて其の思想を運ばしたり。
當時心理學の硏究に心を用ゐたる者頗る多かりし中に就きて最も重要なる位置を占めたるはテーテンス(Tetens 一七三六―一八〇五)なり。彼れがカントに影響を與へたること決して少小にあらず。メンデルスゾーン及びスルツェルはライブニッツ‐ヺルフ學派の心理說より出立して吾人の感情的心作用に注意し特に之れを吾人が心的生活の一方面として說かむとすることに向かひたりしが、最も明らかに之れを他の心作用と區別して之れに感情(Fühlungen 又は Gefühle)と云ふ名を附し吾人の心作用の分類法として從來多くの學者の取り來たれる知力と意志との二分法に換ふるに知、情、意の三分法を以てしたるはテーテンスなり。此の三分法は後にカントが更に之れを用ゐ傅へてよりは殆んど心理學上の通說たるかの如き觀をなすに至れり。尙ほテーテンスは吾人の知識の成り立ちを說明して知識は自動的知力(Verstand)の與ふる形式と感覺によりて與へらるゝ內容と此の二者の結合によりて成ると言へり。此等の點及び其の他の彼れが知識論上の所說はカントより影響を受けたるが如く見ゆ。
其の他心理學者として茲に其の名を揭ぐべきものにはテーテンスの論敵にしてボネーの說に傾きたるロッシウス(Lossius)、又ロックとライブニッツとの中間に其の位置を占めむと試みたるカシミール、フォン、クロイツ(Kasimir von Creuz 一七二四―一七七〇)、又同じくロック及びライブニッツの所說を接合し且つ哲學歷史家として其の名を遺したるティーデマン(Tiedemann 一七四八―一八〇三)等あり。
又當時に於いて美學上の著述を爲したるものにはスルツェル(Sulzer 一七二〇―一七七九)及びモリッツ(Moritz 一七五七―一七九三)あり。彼等の所說はおほむねバウムガルテンの所論を根據としたるものなりき。
《ヘルデルの歷史哲學、敎育家バーゼドー、カムペ、ペスタロッツィ。》〔九〕當時の學者の中、人類歷史の哲學的見解に心を用ゐて思想界に輕からざる位置を占めたるは當代の一文豪ヘルデル(Herder 一七四四―一八〇三)なり。彼れは其の歷史上の見解に於いて一般の啓蒙的學者の平準以上に出でたる所あり。彼れは吾人の自然に發達する能力を有することを根據として歷史上の變遷を說かむとせり、即ち彼れの根本思想はライブニッツが哲學思想より得來たれるものにして而して其が哲學の眞意を解することに於いて彼れは當時の一般の啓蒙的思潮の上に出でたり。ルソーは人類が今日に至るまでの社會文化の進步は寧ろ墮落なれど若し今後に於いて改めて其が眞正なる自然の發達に任せなば吾人は幸福になり得べしと信じたりしが、當時佛蘭西に於ける社會改良家は槪ね皆此のルソーの信仰を受け繼ぎたる者なりき。ヘルデルは同じく自然の發達を說き而して彼れは此の思想を過去の歷史に用ゐて人類が今日に至るまでの經過も亦おのづからなる發達の順序を經たるものにして其が起原に於いても人類の思慮して相約したることに始まれるにあらねば又特に神明の制定したるにもあらず、寧ろ人間天禀の性に從ひて自然に成り立ちたるものなりと云へり。彼れは又此の思想を用ゐて言語の起原を說明せり。當時言語の起原を論ずる者、コンディヤックの如きは言語は人間の知慮を以て發明したるものなりと云ひ、ジュッスミルヒ(Süssmilch 獨逸人)等は上帝の吾人に授けたるものなりと說けり。ルソー旣にこれに關して說を爲して人間の性能の自然に開發し行く所に言語の起原を求めしが、ヘルデルは更に明らかに自然に成り立ちたるものとして言語の起原を說かむとせり。
斯くヘルデルに從へば、人類の歷史は段階を成して其が自然の發達を遂げ行くものにして一國民は其の天稟の性質と境遇とによりて自然に其の歷史をなし行き、而して全人類は段階を成して其が完全なる狀態に向かひて進み行くものなり。斯く全人類が完全なる狀態に向かひ段階をなして進み行くといふ思想は以て能く古來種々の國民の盛衰の歷史を說明し得べきものにして、一國民が一たび榮えて衰へたる後、他の國民が其の文化の遺物を傳へて更に一步を進め行くことを見るなりと。以上の歷史哲學的思想は是れヘルデルが其の著 "Ideen zur Philosophie der Geschichte der Menschheit"(一七八四出版)に於いて述べたる所なり。
當時廣く愛人の主義を唱へて社會を改良し敎育の進步を圖らむと力めたる者には有名なるバーゼドウ(Basedow 一七二三―一七九〇)あり。彼れが敎育上の思想はロックの影響を受けたるものにして又ルソーが其の敎育上の意見を發表したるに接しては大に之れを歡迎したりき。彼れが同志の者には盛んにルソーの說を唱道したるカムペ(Campe 一七四六―一八一八)あり、其の外普通敎育制度の改良に盡瘁して敎育歷史上不朽の名を垂れたるペスタロッツィ(Pestalozzi 一七四五―一八二七)あり。ペスタロッツィが敎育論上の根本思想は人間を一の有機體と見而して其は自然界に於ける他の有機體の發達に於けると同一の法則によりて發達し行くものなりといふに在りて、此の思想を廣く實際に應用せるもの是れ即ち彼れが敎育上の意見なり。彼れがルソーの思想に喚起せられたる所あるや明らかなり。
《啓蒙思潮と歐洲近世哲學の中心點カント。》〔一〇〕以上揭げし獨逸に於ける啓蒙時代の學者の多くはカントと其の時を同じうしたる人々にして且つカントが其の新見地を發表したる時には彼等の中には之れに向かひて攻擊を加へたるもの多かりき。カントは其の時代より云へば、啓蒙的思潮の盛んなりし時に遭遇せるのみならず實際彼れ自ら件の思潮の影響を示し居る所あり、啻だ其の思想發達の初期に於いて然りしのみならず其が特殊の立場の成り立ちたる後に於いても猶ほ啓蒙時代の思潮の痕跡を止めたる所あり。されど彼れは其の哲學組織の成り立ちに於いて在來の哲學思想の潮流を一轉せしめて茲に哲學界の新時期を開き出だしたるがゆゑに彼れを以てこゝに至るまでの歐洲に於ける哲學の發達を結束せるものと見做し得べきと共に又其の以後に於ける新潮流を開き出だしたる者といふべし。是を以て哲學史家或は彼れを呼んで歐洲近世哲學の中心點とする者あり、而して其の中心點たる所以は彼れが一方に於いてはヺルフ學派に於いて極まれる唯理學派の潮流に應接し、他の一方に於いてはヒュームに於いて極まれる經驗學派の潮流に應接し而して此の二大潮流を自家の所說に萃め、同時に此の兩者を脫出して茲に新らしき「批評哲學」を打ち立てたる所に在り。
第四十七章 イムマヌエル、カント(Immanuel Kant)
《唯理學派と經驗學派との間に立脚せるカントの「批評哲學」。》〔一〕カントは其の思想發達の上より云へば、ヺルフ學派に出立して中ごろ經驗學派の影響を受け、後遂に其の「批評哲學」の新見地を開ける者なり。今試みに翻りて彼れに至るまでの歐洲哲學思想の發達を案ずるに、唯理學派と經驗學派との二大潮流ありて前者に於いてはデカルト之れを創めてより偉大なる純理哲學上の組織を打ち建てたる人々の續出し來たれるあり、而してライブニッツを經ヺルフに至りては吾人の槪念を唯だ論理的に取り扱ふことによりて吾人の一切の知識を形づくり得る如くに考ふるに至りたり、換言すれば、彼等が哲學硏究の方法は演懌的また數學的なりきといふ可く、數學上吾人の槪念の關係を確實に定め得るが如くに哲學上の知識をも亦槪念の相互の關係として之れを演繹的に論じ定めむと欲することとなれり。されどかくの如く唯だ槪念を分析して演繹的に論じ行くことによりては實際吾人の知識の內容を得ること能はず其の進步を進め行く途すがら知らず〳〵經驗上の事柄を取り入れざるを得ざりしことは前にヺルフ學派を叙せし所に於いて已に述べたるが如し。他方に於ける經驗學派の立場よりすれば其の極まる所はヒュームにして、而して彼れに至りては吾人は自然界に關しても遍通なる學理的法則を立て得ざることとなり、因果律といふも亦是れ吾人の心理上の主觀的習慣に外ならずといふに至れり。斯くの如く一方に在りては遍通の理を說かむことを力めて終に知識の內容を爲す事柄を得る道を說き得ざる失あり、他方に於いては知識の內容を成す事柄を得る道を說くことに力めて而かも之れを知識となす所以の理を得る途なきに至る困難あり。是れ畢竟ずるに一方は吾人の知識の形式をのみ與へ他方は吾人の知識の素材をのみ與へむとするが如きものにして其の形式と素材とを引き離す所是れ即ち兩學派各〻の獘の存する所にはあらざるか。かく見て吾人の知識は形式と素材との兩要素を以て成れるものなりとして茲に新見地を開く途を發見したる者是れ即ちカントなり。
カントの考ふる所によれば從來の哲學は二大潮流の何れを見るも先づ吾人の知識の成り立ちを考ふることを力めざる點に於いて誤れり。ヺルフ學派は吾人の知識の成り立ちを考へずして豫め之れを以て實在の自性を窺ふに足るものと定め吾人の論理上考ふる所は取りも直さず實在そのものの相を示すものなりとして其の論步を進めたり。されど是れは畢竟吾人の知識の成り立ちが果たして其の如きことを爲すに堪ふるものなるか否かをも詳しく考へずして唯だ其の然らむことを獨斷して進み行けるものなり、其の病根こゝにあり。他方に在りてヒュームは吾人の知識を以て實在の遍通的實相を窺ふに足らざるものとなしたれども其の懷疑は未だ十分に吾人の知識の成り立ちを穿鑿したる結果として得たるものにあらず、ロックを始めとしてヒュームに至るまで吾人の知識の起原及び成り立ちを考究せざりしにはあらず而かも其の考究は專ら心理學上の觀念に止まり唯だ吾人が心理的發達の經驗上の順序を云へるものにして未だ能く知識其のものの成り立ち又經驗其のものの出來得べき所以を考究したるものにあらず、此の點に於いては彼等も亦獨斷的(dogmatisch)たる獘あるを免れず、かく考へてカントは彼れ以前の哲學者が先づ吾人の知識の成り立ちを考ふることを爲さずして直ちに實在の硏究に進み行けるを(殊にヺルフ學派の唯理說を)名づけて獨斷說(Dogmatismus)と呼び做せり、而して彼れは此の唯理學派の獨斷說とヒュームの懷疑說との上に出でて新らしく知識硏究の道を開き此の知識論を以て哲學の當さに先づ開拓すべき領域となせり。後に哲學史上知識論を以て哲學の全部分又は其の主要なる部分と見做す說あるは盖し彼れに始まれるなり。但し彼れに至るまでの哲學思想の發達を顧みればロックの已に彼れに先きだちて知識論上の問題を揭げ出だし其の方面に向かひて哲學の硏究を進めむとしたるあれども近世の歐洲哲學に於いて知識論を以て甚だ主要なる問題たらしめ且つ此の問題の最も深き意味を明らかにしたるものはカントなり。而して其の然る所以を尋ぬれば是れカントが、同じく知識の硏究を爲すにもロック等の經驗心理學的觀察を以て正當に其の間題の所在と性質とを看取したるものに非ずとなしたることにあり。盖しカントが知識論はロック等の硏究と全く其の著眼點を異にせり、是れ彼れが Transzendentalismus を開き出だしたる所以なり(下去って說く所を看よ)。斯くして知識論の根本的問題がカントに於いて最も明らかに言ひ現はさるゝに至れるは彼れが唯理學派と經驗學派との衝突の間に其の問題の存在する所を發見したるが故にして、而して彼れは之れを說かむが爲めに唯理學派にもあらず又經驗學派にもあらざる批評的哲學(即ち先づ吾人が哲學的硏究の機關として用ゐる吾人の知識其のものの起原、成り立ち及び界限を批評的に硏究することを目的とするもの)の新天地を開けるなり。
《カントが生涯、性行。》〔二〕カントが家の所傳によれば其の家はもと蘇格蘭より獨逸に移住したるものなりと云ふ。彼れの父はケーニヒスベルヒに住みて馬具用の皮帶を造ることを業として其の家計は貧しかりき。イムマヌエル、カントは一千七百二十四年四月二十二日其が家の長男として生まれぬ。彼れの父母は當時盛んに行はれたるピエティスト風の宗旨を取りて固く之れを信じたり。此の敬虔の念に富みて和睦せる父母が其の家庭に施したる道德上嚴肅なる敎育はカントの性質に拔くべからざる痕跡を遺せりと考へらる。彼れは一千七百四十年以後其の生地ケーニヒスベルヒの大學に入りて哲學、數學及び神學の講義を聽き此の大學に學べる間彼れは殊に數學及び哲學を好み此處にてニュートンの物理學上の知識を得尙ほ廣く自然科學上の硏究に其の心を用ゐ而して哲學上は當時一般に行はれたるヺルフ學派の思想の裡に養はれたり。斯くして彼れが硏究は多くの學科に涉れり。家貧なりしが爲めに大學に在りし間多くは自ら給せざるを得ざりき。大學を卒へて後一千七百四十六年より九年間ばかりは相續いで二三の家に師傳となり其の間の關係により一侯爵の家と相識るに至れりとおぼしく上流社會の交際にも慣るゝこととなれり。一千七百五十五年の冬より彼れは生地の大學に無俸給講師(Docent)として講義を開くことを許されたりしが彼れが爾來講義せる課目には數學、物理學、論理學、純理哲學、道德學及び法理學あり、其の他にも曾て地文學及び人類學を講じ又自然神學及び敎育學をも講じたり、且つ一たびは金石學の講義をも爲せりと思はる。彼れは曾て數學及び哲學の員外敎授の椅子を得むとしたれども會〻此の椅子の廢せらるゝに遭うて其の目的を達すること能はず、一千七百五十八年には論理學及び純理哲學正敎授の椅子の空しくなりしことありしも是れ亦他人の占むる所となり、一千七百七十年に至りて漸く此の椅子を占むることを得たり。彼れは曾て他の大學より招聘されたることありしかども辭して行かず一意其の大學に於ける敎授に心を傾けて一千七百九十六年に至るまで絕えず其の職に力めたりしが此の年に至りて老衰の爲めに止むを得ず講義を止むることとなり、一千八百〇四年終に老病を以て逝きぬ。彼れは終生娶ることなかりき、又生涯東普漏士の域外に出でたることなかりき。
カントの講義は大に學生等の愛する所となりき。一千七百六十二年より一千七百六十四年に至る間彼れの講義を聽きたるヘルデル〈當時ケーニヒスベルヒに在りて一學校の敎師たりき〉は後に彼れの講義を稱揚して「最も思想に富みたる講演は彼れの唇より流れ出でたり、彼れの講義に於いては滑稽も亦乏しからず、彼れが講演の席に侍することは最も樂しむべき業なりき」と云へり。彼れの講義するや專ら學生に與ふるに知識を以てするのみならず又道德及び宗敎上其の心を堅固にせむことを心掛け而して其の大學の學生に對する講義と廣く世の學者社會に訴ふる著作とを分別したり、故に其の論述の趣に於いて彼れ此れ同一ならざる所あり。
カントは其の性頗る溫厚快活にして規律正しく且つ信義を重んじ又人と交はるには頗る友誼に厚かりき。彼れは食事の時に朋友を招きて共に相語ることを樂しみしが其等の談話に於いては哲學上の事を避けて專ら政治上の事を談ずるを好みき。彼れは政治上に於いては自由主義を懷き亞米利加合衆國の獨立戰爭及び佛蘭西の革命事業に對して大に同情を表したりき。彼れが獨立を愛する氣象は其の言葉によりても明らかに認むることを得。彼れ曰はく、「一人の行爲を他人の意志の下に隸屬せしむることばかり忌み嫌ふべきものなし」と。彼れが生活上規則正しかりしや朝に臥床を出でてより夕に寢に就くに至るまで或は業務を執り或は食事を爲し或は散步する等悉く其の時間を違ふることなく唯だルソーの著『エミル』の出版されたる時之れを繙き見て其の面白さに其が常規なる午後の散步を怠れることありきといふ。彼れは大にルソーを愛讀し敎育思想に於いてはルソーの感化を受けたるもの多かりき。
《カントの思想發達の次第、其の四期。》〔三〕カントは當時一般に獨逸の學界に行はれたるライブニッツ‐ヺルフ學派の中に養はれ後遂に其の批評哲學を形づくるに至れるが、彼れが思想發達の順序に就いては哲學史家の間其の見を異にする所あり、そは今日に遺存せる材料少なからねど尙ほ委しくは之れによりて決定して云ひ難き所あればなり。されど其の大體に就きていへば畧〻之れを四期に分かつことを得べし。第一期は即ち彼れがライブニッツ‐ヺルフ學派の獨斷說に居りし時代なり。第二期は彼れが唯理學派の立脚地に疑ひを起こし經驗學派の思想によりて動かされ終には純理哲學に對しては頗る懷疑的になり而して此の方面に於いて其が確信を失ひたる代はりに道德上の直接の感情を尊び之れを以て純理哲學的論證を要せず之れとは全く相異なれる範圍に屬する者となして恰もこゝに其の安居を得むとしたるかの如くに見ゆる時期にして、此の期に於いて彼れは英吉利學者の影響を受けたること最も著るかりき。彼れが思想の此の變遷は一千七百六十年以後の彼れが著述に於いて見ることを得。第三期は彼れがヒュームの哲學の影響を受けながら中心之れに滿足せずしてラムベルトと共に知識論上の硏究に著手し哲學攷究の方法に改良を行はむと力め其の後に建設したる批評的哲學の途に向かひて進み行かむとし而かも又ライブニッツが其の著『人智新論』に於いて發表したる思想を採り用ゐて茲に一面唯理學派の學相を具へ又多少神祕的趣味を加へたるが如き哲學組織を案出したる時代、簡に云へば彼れが其の批評哲學に向かひて一步を進めたると共に又第二期に於いて大なる影響を受けたる經驗學派の思想より多少唯理學派に立ち戾りたる時代にして、是れ彼れが一千七百七十年に正敎授の講座を得たる時にものせる就職論文に於いて發表したる立脚地なり。第四期は彼れが遂に其の特殊なる批評哲學を成したる時期にして其の思想は彼れが一千七百八十一年に公にせる名著『純粹理性批判』に於いて發表したるものなり。されど彼れが一千七百七十年其の就職論文に於いて言ひ現はしたるより其の固有なる批評哲學を完成するに至る間に於ける思想發達の次第に就いては明瞭にし難きものあり。此の期間の彼れが書簡によりて察するに彼れが新見地を發表すべき著述を世に公にすることの近きにあらむことを豫吿しながら尙ほ自ら其の望を滿たすこと能はずして久しく其の完成に至らざりしことと思はる。
《カントの思想發達槪觀、其の著述。》〔四〕カントが初年の思想の發達に最も大なる影響を與へたるはヺルフ學派の思想とニュートンが物理學的世界觀となり。此の二つの思想は大に其の由來と趣とを異にするものにてありながらカントの思想を形づくることに於いて共に其の痕跡を遺せり。彼れが初年の著述を見れば其の如何に自然科學上の硏究に其の意を注げるかを知ることを得べし。彼れは其の最初の著作(一千七百四十七年出版)に於いてデカルト派の物理學者とライブニッツとの間に於ける問題(カントは此の問題を言ひ現はして「運動する物體の力は物體の量と單に其の運動の速力とを相乘じたるものなるか、將た其の量と運動の速力の自乘とを相乘じたるものなるか」といふ點に在りとせり)を論じ又彼れが學位を得たる時の論文(Meditationes de igne 一千七百五十五年)に於いて物體の相牽引するは其が直ちに相觸るゝことによらずして其の間に彈力ある物質の存在するによるとし且つ光及び熱も亦此の物質の振動の傳はることによりて起こることを論じたり。其の他彼れが自然科學上の著作として最も大なる價値を有するは "Allgemeine Naturgeschichte und Theorie des Himmels"(一七五五出版)なり。彼れは此の書に於いて自然科學の機械的說明と神の作爲を言ふ目的觀との相背戾するものに非ざることを論じて謂へらく、自然の勢力は自ら整然たる秩序を爲す樣に働き物質はおのづから法則に從うて目的に合へる組織を成す、而してかく物體の諸部分がおのづから相合して美なる結構を形づくるといふことが神の存在を證するものなり、若し神なしとせば物體の運動が自ら此くの如き秩序をなすといふことは解すべからず、故に一方に於いては目的觀を排斥すべからざると共に又物體の運動を說明せむには何處までも其が直接の原因を自然の勢力に求むべきなりと。ニュートンは引力以外の前進的運動を最初物體に與へたる者は之れを神の直接の働きなりと考へざる可からずと云へりしがカントは其の前進的運動の直接の原因をも猶ほ物體其の物の關係に於いて求むべしと考へ而して彼れが之れを說かむが爲めに案出したるもの是れ即ち星雲說なり。其の論に以爲へらく、太陽及び遊星等元來凡べて混沌たる雲霧の狀態をなしゝものが自然に相團結せむとしたる結果として茲に引力以外の運動を生ずることとなり、從ひて同一の仕方によりて太陽系統のみならず一切の恒星の系統も亦形づくられたるものなりと。此の意を以てカントは若し物質をさへ與へられなば之れよりして自然に世界を成り立たしむることを得べしとまで云へるなり。此の星雲說はラプラースも亦獨立に考へ出でたる所にしてカントよりも數學上精密なる論を立てゝ之れを其の一千七百九十六年に公にしたる "Exposition du Système du Monde" に於いて發表せり。此の星雲說に於いてカント及びラプラースは自然科學の機械的說明に於いてニュートンよりも更に一步を進めたるものなり、蓋しニュートンは遊星及び彗星の軌道を亂らざらしむることに於いて神が時々に外より其の力を添ふることを要するが如く考へたりしが此の星雲說に基づきたる天文上の構說は一切其の如き外より添ふる力を要せず、あらゆる星體の運動を自然の機械的法則を以て說明するこを得と爲せるものなり。
ライブニッツ‐ヺルフ學派の影響の下に於いてカントが著作したるものの中にて先づ最も初年に屬するは彼れがケーニヒスベルヒ大學に講師たりし時の論文 "Principiorum Primorum Cognitionis Metaphysicae Nova Dilucidatio"(一七五五出版)なり。彼れが此の著に說ける所は其の要點に於いてはおほむねライブニッツ‐ヺルフ學派の所說を守りたれどもそを說き變へたる所亦少なからず、蓋し彼れは該學派の中に生長したりとはいふものから初めよりして此の派の說き傳へたる所を全く其のまゝに守れるにはあらざりき。次ぎに此の部類に屬する彼れが著作の主要なるものは一千七百五十六年に出版せる "Monadologia Physica" なり。彼れは此の書に於いてはライブニッツが謂へるモナドの說を改めモナドを以て多少の廣さを有する而かも單純なるものとなし而して其の結果としてブルーノ風の說に似よれる思想を吐露せり、但し彼れはモナドが空間を占領することを說明して以爲へらく、是れ其が反撥力と牽引力とによるものなり、換言すれば物體が若干の空間を占有し他の物體に對して障礙を呈するは此の反撥力と牽引力との結果にして此の二つの力が相平均したる所是れ物體の界限を成すものなりと。即ち彼れは動力的說明を持して物體の廣袤に關してはライブニッツの說とニュートン風の說との中間に立たむとせる者なりと云ひて可なり。
一千七百六十三年に著はしたる『神の存在を證明する唯一の證據』"Der einzig mögliche Beweisgrund zu einer Demonstration des Daseins Gottes" と題する書に於いては彼れが純理哲學上の確信の已に大に動搖したるを見る。彼れ言へらく、吾人の幸福を全うせむには吾人の自然に具へたる常識の直接に示す所に從うて神の存在を確認するを以て足れりとす、特に哲學上之れを嚴密に論證する要なしと。されど彼れは尙ほ神の存在を以て吾人の論證し得べきものとなせり。但し曰へらく、槪念の分析を以て神の存在を論證すること能はず、葢し存在といふことは一物の性質たることを得るものに非ず、「存在す」或は「存在せず」といふことは一物に就きて立言し得べき性質を增減するものに非ざるが故に一槪念を分析して其の中より存在といふことを論じ出だすこと能はざるなりと。此の書と同年に出版されたる "Versuch, den Begriff der negativen Grössen in die Weltweisheit einzuführen" に於いてはカントの思想が如何にヒュームのに接近し來たりたるかを看るを得。彼れ論理上の反對と實在上の反對とを區別して曰はく、前者に於いては唯だ一物の有に對して其の無を云ふに過ぎず、後者に於いては實在する一物に反對して等しく實在する他物の有るを云ふ、故に實在上の反對に於いては兩極共に積極的のもの、但し其を相對せしめたる關係に於いてのみ一を積極的他を消極的と云ひ而して其の雙方の相働くことによりて相沒しあふことを爲すと見るを得ば斯かる積極消極の意味にて物體の界限を反撥牽引二力の平均したる所と見るを得るなり。此の論理上の反對と實在上の反對と相列ぶべきものは論理上一槪念に他槪念の從ひ來たる關係と實在上一事物が他事物に從ひ來たる關係との區別なり。前者に於いては自同律を以て一槪念に他槪念の從ひ來たる所以を解するを得、盖し唯だ前槪念を分析すればそれに後槪念の含まれるを認むべければなり。又矛盾律によりて一槪念と相容れざる他槪念を排斥するを得。然れども實在上の前後はこれと異なり一事物の生起するに從ひて他事物の生起し、又一物が他物を出沒せしむる關係は斯くの如く考ふべからずと。而してカントは此の實在上の關係を以て竟に全くは了解し得られざるものとせり。彼れは是に至りて因果の關係が論理上自同律又は矛盾律によりて考へらるべきものとは全く別のものなることを明白に認めたり。尙ほ彼れは一千七百六十四年の著 "Deutlichkeit der Grundsätze der natürlichen Theologie und der Moral" に於いては進んで哲學及び數學兩者の攷究法を比較して之れを以て全く相異なれるものと見るに至れり。以爲へらく、數學は證明を施すべからざる少數の原理より出立し其れより演繹的に論じ出だして一步々々に確實に其の事柄を組み立つるもの即ち綜合的(synthetisch)のものなり、哲學は經驗として吾人に與へられたるものを取り之れを分析して其の中に行はるゝ法則を發見せむとするもの即ち分析的(analytisch)のものにして之れを硏究する方法はニュートンが自然科學の硏究に於いて取ることを要すとしたる方法と同一の道を取らざる可からず、此の外に之れを確實ならしむる道なしと。而して彼れの見る所に從へば、斯くして攷究すべき純理哲學は諸種の學問の中にて最も困難なるものにして嚴密に云へば實際には未だ一の純理哲學の作られたるものなしといふべきなり。かくカントは純理哲學に對する確信を失ひ來たれる其の代はりに道德的感情を以て獨立固有の領域及び根據を有するものとなせり、盖し彼れは此の書に於いて善を認むる感情と眞理を知る能力とを以ておのづから相異なるものとなしヺルフ學派が善を認むる作用を知力の一種として論ずることを非とせり。彼れは其の著 "Beobachtungen über das Gefühl des Schönen und Erhabenen"(一七六四出版)に於いても亦善美に對する感情を說きて其は道德上の指揮を與ふるものとして確實なるものなるが如くに云へり。此等の論に於いてはカントが英吉利のシャフツベリー風の思想に感化され居ること明らかなり。
一千七百六十六年の著述なる "Träume eines Geistersehers, erläutert durch Träume der Metaphysik" に於いて彼れは更に進んで懷疑說に向かひ行けり。以爲へらく、吾人が純理哲學上種々の考說を構へ得ることは爭ふべからず、されど靈魂の本性と云ひ、自由意志と云ひ、其の他凡そ純理哲學上の問題は吾人の知力を顧みることをする哲學に取りては到底解釋し得べからざるものなり。かの精靈に交通して其の啓示を受け祕密界のことを探知し得と唱ふる一種の神祕說(即ちスヹーデンボルグの主張する降神術)の如きも能く之れを物體の外に精靈てふものありとする純理學的所見に基づき一の臆說として物理的に構設し得ざるにあらず。然れども斯かる臆說は又能く狂人が種々の妄想を思ひ浮かぶると擇ばざるものとしても說明し得ざるに非ずと。蓋し彼れの意は經驗を離れては如何に奇怪なる說をも均しく能く構設するを得といふことを諷刺したるものと見ゆ(然れども降神術を信ずる論者中にはカントをも其の身方なりと主張せる者あり)。斯くカントは懷疑說の方面に進み行きて純理哲學は學理としては立つこと能はずといふ結論に達したるものから猶ほ道德上の命令は別に其れ自身に獨立の効力を有すといふことを主張せり、盖し彼れに於いては知識上の事と道德上の事とが別異なる範圍を成すといふ思想は早くより其の根帶を固めつゝありしなり。斯く彼れは其の思想の明らかに懷疑說に進み行けることを示し居れども尙ほ其の一千七百六十八年に出版したる空間に於ける物體上の差別の根據を論じたる書に於いては先きにオイラー(Euler)が論じたる如く空間は唯だ物體の部分の相互の關係にのみ存在するにあらず即ち唯だ關係的のものに非ずとして絕對的空間の實在を主張し是れは唯だ吾人の思想上に思ひ浮かべたるものに非ずと論ぜむとしたりしが(ニュートンが空間の論と比較せよ)一千七百七十年の論文に於いては已に空間を以て單に吾人の心の上のものと見定むるに至れり。
上に云べる彼れが一千七百七十年にものしたる論文 "De Mundi Sensibilis atque Intelligibilis Forma et principiis" はカントが思想發達の歷史に於いて重要なる位置を占むるものなり。彼れ論じて曰はく、吾人の知識に二種あり、感官上のものと理觀上のものと是れなり、前者は事物を吾人の感官に現はれたる樣(sensibilis)に於いて示すもの、後者は吾人の理智を以て看取する所のもの(intelligibilis)にして事物を其れ自身の樣に於いて吾人に知らしむるものなり。感官的知識に於いては吾人は更に素材と形式との二要素を分析せざるべからず。素材は即ち感覺なり、而して此の感覺に秩序を與ふる所の法則是れ即ち知識の形式にして吾人の心性に本具せるものなり。一言に云へば、吾人の五官に感じたる種々の感覺に關係を與へて之れを整ふるものなかるべからず、而して之れを爲す所の形式は即ち時間と空間となり。斯く感覺を時間及び空間の中に容れてこゝに始めて現象(apparentia)は成り立つなり、時間及び空間は客觀的に存在する實物にあらず、又其の實物の性質にもあらねば其の關係にもあらず、吾人の心其の物に具はれる主觀的の見方なり、換言すれば、心性に本具せる純なる直觀(intuitus porus)なり。
斯くして感官上の知覺が成り立ちたる上に於いて吾人は尙ほ之れに論理的作用を施して之れを槪念に纏め更に之れを遍通なる法則の中に纒めこゝに始めて經驗(experientia)は成り立つなり、されど件の論理的作用は感官上の物を聊かも離れたるものにはあらず、又此の段階に於いて吾人の知識は猶ほ感官的知覺の範圍を超えたるにもあらず、唯だ知解の論理的作用を加へざる段階の感官的直覺(感性)は所動的にして論理的作用を用ゐる知解は能動的なるの差別あるのみ。
吾人の知力には上に云へる論理的作用の外に實在其の物を看取する理智の作用あり、而して純理哲學は此の範圍の知識を以て成るものなり。此の知識の範圍に於いては吾人の理智其の物に生得の觀念としてにはあらで、唯だ其が本具せる法則として幾多の原理あり、例へば實體と云ひ、原因と云ひ、必然といふが如き觀念は本來吾人の理智に具はれる法則にして而して吾人は之れによりて實在其の物の相を認め得るなり、而して此等の原理を追求し行けば吾人は終に最高の存在者即ち神に到達することを得。
何故に吾人は我が理智に本具せる思想の法則に從ひて實在の相を認め得るか。カントはこゝにライブニッツの思想を取り來たり吾人の心と其の他の諸物との間に相應ずる一致の存在することを以て之れに答へ而して其の一致の根據は神に存すとなせり、言ひ換ふれば、諸物の間に相互の關係ある所以又吾人が外物を知識し得る所以は凡べて吾人と外物とに通ずる原因即ち神によりて能くし得ることなりと說けり。
更に其の一千七百七十四年頃の純理哲學講義(ペリッツ Pölitz が始めて出版したるもの)に於いては、カントは尙ほ一步を彼れが後の批評哲學の立脚地に向かつて進めたるを見る。
カントが其の批評哲學を發表して歐洲の思想界に一大新時期を開き出だせる名著『純粹理性批評』("Kritik der reinen Vernunft")は一千七百八十一年に出版されたり。彼れがメンデルスゾーンに送れる書翰によれば、此の書に陳述したる所のものは少なくとも十二年間の熟慮の結果にして其の編述は四ヶ月乃至五ヶ月の間に成し了へたるものなり。彼れ曰はく、此の書に於いて最もよく注意したるは其の內容にして特に讀者をして其を解し易からしめむ爲めに編述の體裁に力を勞することをなさずと。盖し彼れの此の書を編述するや恐らくは彼れが其れより以前にものしたるものをも其の中に容れ込めたりと考へらる。此の書完成の時日に就きては史家の間異說あれど多分一千七百八十年に成れりしものならむ。此の書の第二版は一千七百八十七年に出版せられたるが、カントは其の第二版に於いては第一版に改竄を施したる所なり。斯く改竄を施したる第二版は果たしてカントの自ら言へる如く其の第一版に論ぜむと欲したる所の趣意を更によく言ひ現はしたるものなるか、彼れが批評哲學の眞意を見むには第二版を以て優れりとすべきか將た第一版を以て優れりとすべきかといふことに就きてはカントを硏究する者の間に少なからざる議論あり。ハルテンシュタイン(Hartenstein)及びユィーベルエッヒ(Ueberweg)等はカントの自ら言へる所を善しとして其の第二版を取り、ローゼンクランツ(Rosenkranz)ミシェレー(Michelet)及びショペンハウェル等は第一版を優れりとし、其の第二版に於いて改めたる所は却つてカントが批評哲學の趣意を害ふに至れるものなりとせり。但しショペンハウェルが云へる如く、カントが世評を恐れて意氣地なくも其が前說を變更せりと云はむは其の實情を得たるものにはあらざらむが、兎に角カントが『純粹理性批判』の第二版に於いては彼れが其の第一版に於いて寧ろ十分明瞭に言ひ出だし居らざる實在論的方面の方に重きを置けり。而して此の實在論上の方面が第一版に於いては決して全く說かれざるにあらざれども其が他の方面の爲め壓せられたるが如き趣あること明らかなり、即ちカントは彼れが哲學に實在論的方面の存在することによりて世人の誤解を招きたりと考へたるより第二版に於いては主として此の方面に重きをおきて論じたりといふほどのことは正確なるべし。一千七百八十三年カントは "Progenomena zu einer jeden Künftigen Metaphysik" を著はせり。此の書に於いて旣に彼れは其の『純粹理性批判』の第二版にて重きを置きて說かむとしたる實在論的方面をば其の第一版に於いてよりも明瞭に說き現はしたり。且つ此の書に於いては彼れが『純粹理性批判』に於いて綿密なる硏究の順序を一々に示して到達したる結果をば簡明に結束して開陳せり。
彼れは一千七百八十五年には "Grundlegung zur Metaphysik der Sitten"(『倫理哲擧の基礎』)を著はして其の倫理說の原理を論じ、一千七百八十六年には "Metaphysische Anfangsgründe der Naturwissenschaft"(『自然科學の哲學的原理』)を著はせり。
彼れは一千七百八十八年には『實踐的理性批判』("Kritik der praktischen Vernunft")を著はしぬ、是れ彼れが有名なる第二の批評論にして吾人の道德上に於ける理性を論じたるもの、又前に云へる "Grundlegung" と共にカントの倫理哲學を窺ふに最も肝要なる書なり。次いで一千七百九十年『賞鑑性の批判』("Kritik der Urteilskraft")を著はしぬ、是れ彼れが有名なる第三の批評論にしてカントの美學說は此の書の中に於いて發見せらる。
彼れが一千七百九十三年に著はしたる "Die Religion innerhalb der Grenzen der blossen Vernunft" は彼れが『實踐的理性批判』の一部分と共にカントの宗敎論を窺ふに必要なる書也。又一千七百き九十七年に著はしたる "Metaphysische Anfangsgründe der Rechtslehre" 及び "Metaphysische Anfangsgründe der Tugendlehre"(此の二つを合して "Metaphysische der Sitten" といふ)は彼れが講義を編輯したるものにして其の目的とする所彼れが倫理哲學原理に基づきて吾人の德行及び法理を論ずるにあり。カントの著述には右の外人類學、論理學、地文學及び敎育學等の講義の出版されたるものあり。彼れが時々に著はしたる論文及び著書も亦少なからず。
《カントの哲學の三部分、即ち三批評論。》〔五〕上に揭げたるカントが批評哲學時代の著述を以ても知り得る如く、彼れの哲學は三つの主要なる部分より成れるを見る。彼れは先づ其の批評的硏究を吾人の知識作用其の物に用ゐたり、是れ即ち其の純粹理性(若しくは純粹知的理性)の批判なり。彼れは次ぎに知的理性とは全く別なる範圍を占むるものとして吾人の道德上の判定を論じたり、而して道德上の判定に於いて現はるゝ所のもの是れ即ち實踐的理性(又は行的理性)の指示にして彼れが之れを知的理性と相分かちて全然異別なる範圍に置きたるは上に彼れが著述を揭げたる所に於いても認め得らるゝ如く、彼れが其の批評哲學を完成するにさきだちて已に早く思ひ到れる意見なりき。第三の部分は吾人が下す判定の、美醜の品評に現はれたるものを論じたるものにして彼れは之れを吾人の感情の方面に係れるものとなし之れに對して倫理の論は吾人の意志の作用に係れるもの第一なる批判は吾人の知性に係れるものと見たるなり。即ち彼れが哲學の三部分(三批評論)は當時唱へ出だされたる心理學上の知情意の三分說を取りて之れに連結せしめたるものなり。以下先づカントが第一の批評論なる知識論より開陳せむ。
知識論
《唯理說及び經驗說に對するカントの態度。》〔六〕上にも云へる如くカントの批評哲學は知識論上の問題より出立せるものなり。彼れは其の初めヺルフ學派の獨斷說の中に養はれたるものにして初年には其の說に從うて吾人が論理的に必然に考ふることは取りも直さず實在其の物の相なりと見たり、されど後に彼れは唯だ槪念を用ゐて爲す論理的作用を以てしては實物の存在と其の因果の聯鎖とを認むること能はずと見て茲に獨斷說の覊絆を脫するに至れり。カントが此の思想の變化は一千七百六十年以後の著述に於いて認むることを得べく、彼れは當時吾人の槪念を論理的に取り扱ふのみにては能く種々の說を構ふるを得而して論理的關係より云へば何れも皆至當なるものと云ふを得れども畢竟此等は凡べて架空の論たるを免れずと見るに至れり。然らば實在の相を認めむには吾人の經驗によりて得たる觀念によらざるべからざるか、之れを以て善く實在に關する知識を形づくり得べきか。ヒュームは即ち此の方面に向かひて其の硏究の步を進めたる者にして、而して其の硏究の結果の到る所終に吾人が實在の相を認むる時に用ゐる因果及び實體等の觀念は吾人が經驗の根據たる感官的知覺よりしては到底正當に得らる可からざるものなることを證せり、故に若し經驗派の學者の所謂感官的知覺を以て吾人が知識の根據と爲さば因果と云ひ實體といふが如き觀念は聯想作用によりて生じたる我が心の主觀的習慣の結果に外ならずと見ざる可からざることとなる。ヒュームの此の結論によりてカントは彼れ自ら云へる如く其の獨斷說の昏睡より覺まされたるなり。而かも彼れは此のヒュームの結論を以て吾人の知識の成り立ちを說明する上に於いて未だ十分に成功したるものに非ずと見たり、即ち彼れはヒュームにも滿足せざりき。一言に云へば、彼れは唯理說をも經驗說をも共に吾人の知識の其の對境に對する關係を說明し了し知識其の物の成り立ちを明らかにすることに於いて未だ成功し居らざるものと見たり。以爲へらく、唯だ論理的作用を以ては吾人が硏究の題目なる知識を形づくり得ず又唯だ外より與へらるゝ事柄(即ち經驗派の學者が知識の淵源とする所のもの)よりしても又能く吾人の求むる所のものを與ふること能はずと。然らば此の問題は如何にして說くべきか。
《知識の先天的及び後天的要素、即ち形式と素材。》〔七〕此の問題を解釋すべきものとしてカントは吾人の知識を形式(Form)と素材(Stoff)の二要素に分析せり。以爲へらく、素材は經驗によりて與へらるゝもの即ち
《經驗說及び唯理說の誤謬。》〔八〕經驗說の誤謬は件の先天的要素を認めざるに在り、故に經驗說の立脚地よりしては吾人の知識に與ふるに遍通性及び必然性を以てすること能はず、畢竟ずれば個人的、主觀的なる觀念以外に眞實に客觀的効力を有すとせらるゝ知識を形づくること能はず、確實に客觀的遍通性を有せざる知識は未だ眞に知識の特質を具せるものといふことを得ず、而して此の遍通性及び必然性は吾人の後天的に得るものよりしては如何にしても來たり得べきものに非ず。そは若し其の効力が唯だ經驗にのみ依り居る者ならば吾人が其の場合〳〵に於いて經驗したる時に於いてのみそを然りといふべくして其の以外に於いては其を必ず然り或は遍通的に然りといふこと能はざればなり。かくの如く遍通的なる又必然的なるものは必ず先天的のものならざるべからずといふこと、是れ深くカントが心底に橫はたる確信にして彼れが批評哲學の全體を貫ける肝要なる思想なり。
唯理說は其が取る所の論理的、演繹的硏究法によりて吾人の知識に與ふるに遍通性及び必然性を以てせむとするものなり、されど其の斯くして與へたる所のものが果たして眞に實在の相なるかを示すこと能はず。唯だ論理的作用を以て槪念を取り扱ひ居る間は唯理說は到底實在の相を吾人に示し得るものに非ず、故に少しも後天的要素を容れずして嚴密に其が唯理論上の硏究法を運ばし居る間は其の得る所は終に空なるものとなり了せざるべからず、盖し其が論理的作用によりて與ふる判定は遍通的又必然的のものなりとはいふものから其の判定は詮ずるところ同言的判定(即ち甲は甲なりといふ如きもの)又は分析的判定の外に出でずして能く綜合的判定を與へ得るものに非ざればなり。件の分析的判定と綜合的判定との區別は、其の名稱を異にしながら、已にロックの所說に於いて認め得る所のものなるが、此の區別はカントに取りては甚だしく肝要なるものとなり又彼れの之れを說きし後は論理及び知識の論に於いて特に學者の注意を引くものとなれり。カントに從へば、分析的判定は唯だ其の主語なる觀念の中に含まれ居るものを其の客語に於いて分析し出だすに過ぎざるものなり、例へば物體は廣がれりといふは分析的判定なり、何となれば廣がりを有するといふことを引き離して物體といふ槪念なく物體といふ槪念は空間に廣がれるものといふほどの意味なればなり。故に此等の分析的判定は先天的に遍通必然なるものと云ひて可なれども、而かも其は唯だ觀念の分析たるに止まりて實在に關する知識を開くものに非ず。綜合的判定は主語なる槪念の中に含まれざる別なるものを客語にて言ひ現はすものなり、例へば物體は重しといふ判定の如き是れなり、そは唯だ空間に廣がれる物體其の物といふ槪念には未だ含まれ居らざる重しといふことを持ち來たりて之れを其の判定に於いて綜合すればなり。かゝる綜合的判定が後天的に形づくらるといふは論なきことなり。盖し吾人が一物を經驗したる場合に甲といふ事柄と乙といふ事柄とが其の物に結合し居れりといふだけの事實は認むることを得、然れども其の結合が遍通なり必然なりといふことは後天的には知ること能はず。即ち綜合的判定は後天的に立てらるゝことを得れども後天的に立てたる其の判定は遍通必然なることを得ず。是に於いて吾人に迫り來たる問題は綜合的判定が先天的に立てられざるかといふことなり。若し其が先天的に立てらるゝを得ば其の先天的なるの故を以て其の判定を遍通必然のものと見ることを得べし。故に此の問題を解釋する是れ即ち知識論の問題を解釋すといふべきものなり。而してカントは此の問題を解釋せむとして知識に於ける二要素を分析し其の形式が素材に對する關係を說けるなり。素材即ち多なるものに統一を與ふるものは形式にして而して其の形式の何たるかを硏究せむとするが彼れが知識論上の問題なり、一言にして蔽へば、彼れが知識論の要は知的理性の形式は何ぞやといふこととなるなり。〈カントが吾人の知識の成り立ちを說いて多なるものの統一さるゝに在りと云へるはライブニッツがモナドを說ける所を想ひ出ださしむ〉
《綜合的判定論。》〔九〕斯くカントは吾人の知識を成す所の綜合的判定を取りて其れが如何にして形づくられ得るかを問ふことに其が知的理性の硏究を起こし、而してかゝる綜合的判定は世に謂ふ數學、物理及び純理哲學に少なからず存在するものなりと見たり。例へば、彼れは算術上五と七との和は十二なりといふが如き判定をも唯だ分析的のものにあらずと考へたり、何となれば、五と七との和を言ふ時に於いて唯だ槪念としては未だ十二といふものは成り立ち居らず、十二といふ數を考へむには五と七とを思ふ外に之れに數を綜合する作用を加へざるべからざればなり。又幾何學に於いて謂ふ所の公理を初めとし又其れに基づきたる證明は凡べて綜合的のものなり、例へば、二點の間の直線は其の間に引き得べき最も短き線なりといふ命題に於いて其の主語なる直線といふ槪念に於いては最も短しといふ分量上の觀念を含み居らざるが故に唯だ其の槪念を分析したるのみにては此の命題を作ること能はず。又物理的自然科學に於いては物體の變動するにも拘らず全物界に於ける物質の量は少しも增減せずといふこと及び惰性の法則等を初めとして綜合的判定甚だ多し。純理哲學に於いても此の世界の起原に關する論を初めとして綜合的判定を形づくることが其が學問としての目的なり。
然らば茲に問ふべきは右等の學問に於ける綜合的判定が能く先天的に形づくられ得るか、又其は如何にして形づくらるゝかといふことなり。カントの此の問題に答ふるや先づ如何にして數學に於いて綜合的判定の形づくらるゝかを論じ、次ぎに物理學におけるものの論に亘り、終はりに純理哲學に關するものの論に移れり。(カントは此の第一部の論を『純粹理性批判』の 'Transzendentale Ästhetik' に於いて、第二部の論を 'Transzendentale Analytik' に於いて、第三部の論を 'Transzendentale Dialektik' に於いて爲したり。後の二部を合稱して 'Transzendentale Logik' といふ。此の區別はヺルフ學派の所說に本づけるものなり。)今先づ第一部の論より解說すべし。此の所に於いてカントの論ずる所のものは純直觀の形式なり。
純直觀の形式
《時間空間は先天的直觀の形式なり。》〔一○〕カントが此の第一の問題に對して答ふる所は要するに吾人の事物を經驗するや時間及び空間の形式に入れて之れを知覺す、而して此の時空の形式は槪念に非ずして純直觀(詳しくは純直觀の形式)にして且つ其の形式は先天的のものなりといふに在り。彼れ以爲へらく、時空の形式は先天的なるものにして且つそれが純直觀なればこそ數學に於いて遍通必然なる綜合的判定の形づくらるゝなれと。彼れは先づ時空の形式の先天的なることを論じて曰はく、(一)時空は經驗に由來するものに非ず、何となれば其は吾人の經驗したる事物より得來たるものに非ずして、其等の事物は寧ろ時空の形式を假定するもの、換言すれば、空間に隣接し時間に前後して始めて經驗上の事物たることを得るものなればなり、簡に言へば、空間に於ける共在及び時間に於ける繼續が經驗を成り立たしむるにて、經驗が時間空間を作れるにはあらず。換言すれば、時空は吾人の知覺を成り立たしむる根本的條件にして知覺を待ちて始めて成り立つものに非ず。(二)空間及び時間は必然なる觀念なり、吾人は能く種々の事物を無きものと考へ去ることを得れども時間及び空間を考へ去ること能はず、即ち時空は事物の存在するに必須なる條件にして而して吾人が其の如く必然に時空に於いて觀ずるといふこと是れ即ち時空の形式が後天的ならぬことを示すものなり。
次ぎにカントは時空が吾人の槪念ならざることを論じて曰はく、空間は唯だ一の相連接したる空間としてあるのみ、時間は唯だ一の繼續したる時間としてあるのみ、多くの空間又は時間を槪括する所の槪念ならず。個々の時間又は空間は一つの時間又は一つの空間を幾多の部分に區別したるものに外ならず、槪念が個々の物に對する關係は全く之れと異なり個々物が一槪念の中に在りて其の個々の部分を成すといふに非ずして唯だ一槪念に屬するものとせらるゝなり。然るに個々の空間及び時間は一の空間及び時間の部分に外ならず、是れ時空が槪念に非ずして直觀なる所以なり。尙ほ時空の槪念ならざることは其が無際限の分量を有し居るものなることを以ても知らるべし。吾人は空間及び時間の量に制限を附すること能はず即ち時空には限りなく多くの部分ありと云はざるべからず。然るに槪念てふものは其の中に限りなく多くの部分を含むべきものにあらずして若干の定まれる性質を指して云へるものに外ならず、此の故に時空は先天的なる直觀なり。
《數學上の綜合的判定は遍通必然のものなり。》〔一一〕時空が先天的直觀なればこそ數學に於いて綜合的判定が先天的に立てらるゝなれ。先づ其の判定の綜合的なることは時間及び空間が槪念ならずして直觀なることによりて解し得らる、何となれば直觀なるゆゑに吾人は幾何學に於いては空間に於いて形を作ることを得、數學に於いては時間に於いて數の連續を形づくることを得ればなり。時空にして若し槪念ならば其の槪念の中に已に含み居るもの以外に一步も出づること能はざるべし、換言すれば、分析的なる外に進み行く道無かるべし。然るに時空の直觀に於いては啻だ一部分の空間を描くのみならず其の空間に聯接して更に他の空間を描き又一の時間に連接して他の時間を描き而して其の相互の關係を綜合的に直觀することを得るなり、是れ數學に於いて綜合的判定の形づくられ得る所以なり。
次ぎに綜合的判定の遍通必然なることは時空の直觀が先天的なることによりて了解せらる。時空は經驗を待ちて始めて効力あるものに非ず、吾人の心性に離れざる働き
空間及び時間を直觀の先天的形式と名づくるも其の意味は吾人が何等の經驗を爲さざる前に(換言すれば何等の感覺をも感ぜざる前に)唯だ空なる形式として吾人の心の浮かべ居るといふ意味にあらず。時空は吾人の心性其の物の働き樣なるが故に其はまた感覺を感ずる時の働き樣なり、其れを感ずるに先きだちて其の働き樣のみが時空の形式として獨立に心に浮かべられ居るといふに非ず。是を以てカントは曰はく、此等の形式は經驗する時に(即ち經驗と共に)起こり來たるものなれども經驗より來たれるものにはあらずと。但し茲に經驗と謂ふは感官に感覺を感ずることを言ふと解すべし、吾人は之れを感ずると共に其を時空の形式に入る、而して之れを感ずると其を時空の形式に入るゝとは離るべからざるものなれども一より他を取り出だすこと能はず。斯く多なる感覺を時空の形式に入れ之れに幾分の統一を與へて茲に始めて事物が成り立つなり。吾人が事物の經驗は斯くして成るものなり。故に唯だ感覺を感ずといふに止まらずして(嚴に云へば、吾人はもとより唯だ感覺を感ずといふことなし、之れを感ずるや必ず時空の形式に於いてす)事物を知覺すといふ意味にての經驗は時空の形式を用ゐて始めて成り立つものなり。されば斯かる意味にて謂ふ經驗は時空によりて始めて成り立つものにして時空が經驗によりて成り立つものにはあらず。
此くの如く經驗上の事物は時空によりて始めて成り立つものなるがゆゑに何處の如何なる事物と雖も時空の形式の中に在らざるはなく從うて時空に於いて認めらるゝ數學上の關係に從はざるものなし。かくの如く時空は先天的なるものなるがゆゑに數學上の綜合的判定は遍通必然のものたること明らかなり、例へば、吾人が色眼鏡を用ゐて物を見るが如し、如何なる事物も其の色を帶びて見えざることなしといふことを得、何となれば其の色を帶ばしめて見るといふことが吾人が色眼鏡を用ゐる時の見樣なればなり。若し其の色が吾人の見樣に存在せずして吾人の見樣以外なる對境に存在せば其の對境が或場合に其の色を帶びて見えたればとて他の凡べての場合に於いても必然に其の色を帶びて見ゆとはいふことを得ず。若しかゝらば遍通必然の判定を下し得べからず。唯だ空間及び時間が吾人の心性其の物の作用なるが故に如何なる事物も其の見樣の中に入れられずして吾人に取りて經驗上の事物となること能はざるなり。
《空間は外官の形式、時間は內外兩官の形式なり。》〔一二〕此くの如く時間及び空間は吾人の直觀の形式なり、之れを直觀の形式と云ひ或は純直觀といふは直觀に於ける素材たる感覺に對していふなり、感覺を抽き去りて後直觀に於いて殘るものは此の形式なり、素材たる感覺と時空の形式とが相合して茲に感官的直觀といふものが成り上がるなり。
詳しく云へば、空間は外官の形式にして時間は內官の形式なり。盖し吾人が外物と名づくるものは凡べて空間に於いて共在するものにして、吾人の心內に意識するものは凡べて時間に於いて連續するものなり。然れども空間に於ける事物も又吾人の心に於いて經驗せられ而して心に於ける經驗は凡べて時間の形式の中に在るものなるがゆゑに吾人の外物を經驗するや又時間の中に於いてす。故に時間は內官の形式なるのみならず、間接には又凡べての事物の形式なり、事物の出沒變化するや凡べて時間の形式の中に於いてせざるなし。
《遍通必然なるは現象に關する知識のみ。》〔一三〕時空は心其の物の直觀の仕方、換言すれば、其の主觀的即ち心性的形式にして吾人の知覺に於ける凡べての物は皆件の形式の中に現ずべきものなり。故に時空は所謂實物(心性以外に其が實在を有するもの)にもあらねば其の物の性質にもあらず又其の相互の關係にもあらず。若し其の如きものならば吾人は前に云へる如く其を先天的のものとして吾人の心に浮かぶること能はざると共に數學に於いても綜合的判定が先天的に形づくらるといふこと能はざるべし。而して時空の先天的ならむには其れが上に云へる如き意味にて主觀的、心性的ならざるべからず。斯くの如き思想の聯續よりしてカントに取りては遍通及び必然なると先天的なると主觀的なるは不離なるものとなれり。此のゆゑに吾人が時空に於いて經驗する事柄は凡べて吾人の見樣を離れたるものに非ず、即ち吾人の經驗は吾人の見樣に現はれたる樣、換言すれば現象(Erscheinung. Phoenomena)の外に出でずといふべし。此の故に又カントに取りては主觀的なると現象的なるとは相離れざるものとなれり。斯くして彼れは吾人の知識を論じて其の遍通性及び必然性を救ひ得たると同時に其の確實に言ひ定め得べき範圍は唯だ現象に限らるゝこととなれり、而して吾人の經驗上の事物是れ即ち現象なるがゆゑに吾人の知識に於いて遍通なるものは現象即ち經驗の形式以外に出づること能はずといふこととなれり。
《時間空間は主觀的のものなり。》〔一四〕斯くしてカントは時間及び空間を主觀的即ち心性的のものと見たるが、此處に主觀的と謂ふは感覺を主觀的なりといふと明らかに其の意義を區別せざるべからず。感覺を主觀的なりといふことはカントがデカルト及びロックと共に疑はざる所なり。然れども其を主觀的なりといふ理由を何ぞやと尋ぬるに其が個人的なるがゆゑなりと云ふこと、換言すれば非遍通的なりといふことに在り、是れ實にプロータゴラス及びデーモクリトスが感覺を主觀的の者と見たる理由なり。然るに時空は其れとは全く反對なる理由を以て主觀的とせらる、即ち時空に於いて事物を見るといふことは吾人人類の心性に於いて個人的の差別を容れざるものなり、例へば、一物を見る色或は其の聞く音聲は人によりて異なることあらむも其の空間に於いて見時間に於いて聽くといふことに於いては少しも異ならず。故に感覺を主觀的なりといふ意味に對して云へば、時空は寧ろ客觀的なるものと云はざるべからず。此のゆゑにカントに取りては遍通的及び必然的といふことは先天的といふことと離れず、先天的といふことは心性的といふことと離れず、而して心性的といふことと客觀的といふこととは亦相離れず、故に斯かる意味にての心性的を主觀的と云へば其の意味にて謂ふ主觀的はまた客觀的といふべきものなり。感覺は此の意味にて客觀的なりと云はるゝこと能はず。以上論じ來たれる所によりて吾人は次ぎの如き結論に達す、曰はく、時空は經驗上實在を有するもの(empirische Realität)なり(盖し經驗上の凡べての事物に遍通するものなるをいふ)、されど經驗以外に於いて實在を有するものに非ず、即ち知識の成り立ちより云へば、時空は心上のもの(Transzendentale Idealität を有するもの)に外ならず。
純悟性の槪念即ちカテゴリー(Kategorie)
《經驗上の事物を成すには悟性の槪念の働くを要す。》〔一五〕吾人が經驗上の事物は唯だ其れが時間及び空間に於いて前後し又共在すといふことのみならず尙ほ其れ以上の關係によりて始めて成り立つものなり。而して吾人が自然界と名づくるものは唯だ幾多の感覺が空間に共在し及び時間に前後するのみならずして若干の法則に從へる事物を以て成り立つものなり。感覺が時間及び空間に於いて前後し共在するのみにては未だ所謂事物てふものを成さず、自然科學が此等自然界の事物に就いて有する所は唯だ數學上の關係のみに非ずして又能く其等事物の相互の關係に於ける幾多の通則に及ばざるべからず。例へば、因果の規律と云ふものの如き、自然科學は之れを捨てゝ成り立つべきものにあらず、而して此等因果の規律等は唯だ空間及び時間上の關係として言ひ現はす所の數學上の原理と同一なるものに非ず。是に於いてカントは進みて自然科學上なる吾人の知識を成り立たしむる幾多の原理が先天的に立し得らるゝか否かを問へり。是れ即ち彼れが『純粹理性批判』に於ける第二の問題なり。
兹に言へる經驗上の事物は時空に於ける關係以外の關係によりて結合せられて始めて成り立つもの也といふ意をカントは言ひ表はして曰はく、吾人の感覺を時空の形式に入れて成り立たしめたる直觀を更に統一的作用を有する槪念によりて仕立て上げ茲に始めて經驗上の事物を成す、經驗上の事物に於ける統一性は此の槪念より來たるものなりと。斯くして彼れは感性の與ふる所を雜多なるものと見之れに對して此等の雜多なるものに統一を與ふる槪念を吾人に供するものを名づけて悟性(Verstand)と云へり。
《悟性の槪念は思考の形式なり。》〔一六〕上に述べたるが如く悟性の吾人に供する槪念を以て事物に統一を與ふる是れ即ち其を考ふるといふことなり、故に其等の槪念は時空が直觀の形式なるが如くに吾人の思考(Denken)の形式なり、此等形式によりて思考するに及びて始めて感覺上の雜多なるものが客觀的事物となるなり、而して此等思考の形式即ち悟性の槪念は吾人が事物を考ふる上に於いて必須なるものなること恰も時空の形式が直觀上に必須なるが如し、而して其等の必須なること是れ取りも直さず其等の先天的なることを示すものなり。若し其等が吾人の悟性の先天的形式ならずば吾人は自然界の事物に關して遍通必然なる知識を有する能はざるべきこと、換言すれば、自然科學が嚴密なる意味に於いて成り立つこと能はざること恰も時空の形式あらずば數學の成り立つべからざるが如くなるべし。故に一言に云へば、經驗上の事物に統一を與へて之れを眞に客觀的事物として成り立たしめ又自然界をして整然たる客觀的規律によりて支配さるゝものたらしむるは畢竟ずるに是れ吾人の心性作用即ち吾人の心性其の物に具はる先天的形式の爲す所に外ならず。時間及び空間が吾人の直觀の仕方なるが如く其等自然界に法則を與へて自然科學を成り立たしむる所以の形式即ち悟性の供する槪念は吾人の思考の仕方なり。
《純悟性の槪念は判定の純なる形式なり。》〔一七〕然らば吾人の悟性は如何なる槪念を以て働くものなるか。カント以爲へらく、此等の槪念は吾人の思考力によりて爲さるゝ統一の仕方に外ならず、而して思考によりて爲さるゝ統一是れ即ち論理學に謂はゆる判定作用に於いて現はるゝものなり、吾人の事物を考ふるといふは換言すればそれに就いて判定を下すと云ふことなりと。斯く見てカントは悟性の槪念は論理學上吾人の認むる種々の判定の形式より得來たるべきものと考へたり。尙ほ以爲へらく、一切感官上の事物を除いて直觀の純形式を得るが如く判定に於いて存する一切の事柄を引き去り判定の純なる形式を認むることに於いて純悟性の槪念を發見し得べしと。斯くしてカントは形式的論理學に謂ふ判定に新意義を與へて茲に其れとは全く異なれる目的を有する彼れが知識論上の論理學を打ち建てたり。形式的論理に於いては判定に現はるゝ關係も畢竟ずるに已に與へられたる槪念を取りて其を分析し、又其が關係を認むるに於いても單に矛盾律に從ひて一槪念を以て指示する所と他の名稱を以て呼ぶ槪念の指示する所との異同を認むるに外ならず。カントが茲に謂ふ論理上の關係は其れとは異にして事物を成り立たしむる所以の統一的作用を謂へるなり、換言すれば、吾人の感官的知覺より思考の對境たる經驗上の事物を造り出だす悟性の創造的作用を謂へるなり。即ちカントの此の論に於いて知識論上の論理學が新生面を開けりと云ふべきなり。
《十二の範疇。》〔一八〕かくの如くカントは判定に於いて現はるゝ吾人の統一的思考力を看るに之れを新らしき知識論上の論理的立脚地よりしたるが、而かも所謂判定の種々の形を列擧して其處に悟性の種々の槪念を發見せむとする時には當時一般に行はれたる通常の論理學上の所見によれりき。彼れは其の所見によりて判定を量、質、關係及び樣狀の四種の見方によりて別かち而して其の各〻に於いて更に三種を別かてり。次表の如し
(形式的論理に於ける) | (知識論に於ける)
| ||
判定 | 範疇 | ||
量 | 單稱 | ………………… | 一體 |
特稱 | ………………… | 多性 | |
全稱 | ………………… | 全體 | |
質 | 肯定 | ………………… | 實有 |
否定 | ………………… | 非有 | |
不定 | ………………… | 界限 | |
關係 | 定言的 | ………………… | 體、性 |
假言的 | ………………… | 因、果 | |
選言的 | ………………… | 相關 | |
樣狀 | 或然的 | ………………… | 可能、不可能 |
單然的 | ………………… | 存在、不在 | |
必然的 | ………………… | 必至、偶然 |
斯くしてカントは十二種の判定を揭げて其の各〻に一の統一的槪念が働き居ると見、都合十二種の槪念を擧げ之れを名づけて十二の
《範疇の統一作用。》〔一九〕以上列擧したる槪念を用ゐて思考するに及びて始めて經驗上の事物を成す。例へば「此の花は紅なり」といふ時に於いて、此の花と云ひ其を一つの花として見る所に已に一體といふ槪念働き、又此の花といふ一物が紅なりといふ所に已に體性といふ槪念が働き、又紅なりと肯定する所に實有といふ槪念が働き居り、又火熱が蠟を融かすといふ時には因果といふ槪念が働き居るが如し。斯く上にいふカテゴリーを用ゐて感官的直觀上の多なる事柄に統一を與へて茲に始めて經驗上の事物を成すなり。故に此等の統一作用は經驗によりて始めて出來上がるものに非ずして寧ろ經驗を成り立たしむる先天的條件といふべきものなり。されば經驗上の事物の在る所此等の槪念の應用せられざることなし、何となれば、凡べて經驗上の事物は此等の槪念によりて始めて造り上げらるゝものなればなり、猶ほ吾人の感官上の直觀に於いて時空の形式に支配せられざるものなきが如し。故に此等の範疇は客觀的に遍通なる効力を有するものなり。
斯くの如く吾人の經驗を成り立たしむるに必要なる統一作用を分析して考ふれば其の中に三個の要素を發見することを得、即ち多と一と及び多を一に統ぶる作用と是れなり。次ぎに又此の統一作用は三段階を經て進むものなりといふことを得、即ち第一、直觀に於ける知覺の綜合、第二、想像に於ける再現の綜合、及び第三槪念に於ける認識の綜合、是れなり。盖し統一的作用によりて事物の成り立つ順序を見るに、先づ吾人の直觀するや其處に已に多なる事柄の綜合さるゝことなかるべからず、此の綜合なくば空間及び時間を描くこと能はざるべし。次ぎに又吾人の全き知識を成さむには曾て見たる事物を想像に浮かべて其を再現することを要す、若し全く再現することなく觀たるほどのものが直ちに心を脫し去らば一事をも想ひ浮かぶること能はざるべし。而して此の再現に於いて又綜合作用あり、次ぎに斯く想像の上に再現したるものを認めて是れは彼れなり(例へば今見る是れは即ち曾て見たる花といふものなり)とすること(即ち一槪念に引き合はし是れは彼れなりと再認識する綜合作用加はりて茲に始めて知識を完成せるなり。〈『純粋理性批判』の第二版に於いてはカントは今謂ふ再現の綜合及び再認識の綜合を以て知識論上は言ふ必要なきものとして遺却せり。〉
右いふ統一作用によりて茲に始めて經驗上の判定を成す。カントは此の彼れが謂はゆる經驗上の判定(Erfahrungsurteil)と知覺上の判定(Wahrnehmungsurteil)と名づくるものとを區別せり。以爲へらく、統一作用が唯だ感官上の知覺に止まり居る判定は單に時空に於ける共在及び前後を云ふに外ならず、而して其れが空間に共在し時間に前後すといふ事は遍通的のものとして先天的に斷定し得れども其の前後し共在する事柄の間に必然の關係ありといふことは斷じ得べからず、之れを例すれば、知覺上の判定に止まり居る間は日が照りたり次ぎに蠟が融けたりといふ前後したる事實を言ひ表はし得るに過ぎずして日の照ることが(因となりて)蠟を融か(すといふ果を生)したりといふ判定には進むこと能はず、即ち眞に因果の關係を其の間に言ひ現はすことを得ず、畢竟ずるに、其の種々の感覺の時空に共在し又前後するは唯だ其の時空の處に於いてしかあり、又或個人に對してしかありきといふに止まり、遍通的又客觀的なる關係を成すものとしては認識すること能はず、一言に云へば、個人の觀念の相聯續する心理上の關係を云ふに止まる。之れを要するに、感官的知覺上の關係に止まり居る間はヒュームの立脚地以外に一步も出づること能はざるなり、而して若し其の立脚地以外に出でて、眞に客觀的効力を有する吾人の知識を成り立たしめ、時空に於ける感覺の共在及び聯續をして更に客觀的規律に從へる事物たらしめむにはヒュームが謂はゆる聯想律の如き心理的法則とは全く其の性質を異にしたる知識論上の立脚地より見て知識を成り立たしむる先天的條件とせらるべき統一作作用卽ち悟性の與ふる槪念の効力を謂はざるべからず。此等悟性の槪念を用ゐることに於いて始めて經驗上の判定を成すべし。
されば空間に於ける關係は唯だ悟性の與ふる統一的規律によりて眞に客觀的又遍通的なる効力を有すものとなり得べきものなれども、個人の經驗的意識は此の統一的作用をば寧ろ旣に成れるものとして發見す、換言すれば、悟性の根本的統一作用其の物を意識せずして寧ろ其の作用の結果を認む。故に茲に云ふ吾人の知識作用の根柢に橫はれる統一作用は個人意識の範圍內に於いて行はるゝものと云はむよりも寧ろ其の意識の遍通的根柢に於いて已に橫はれるものと見るべきなり、換言すれば、個人の經驗する意識以上に(又は其の根柢に於いて)更に共同的なる意識ありて而して其の意識が個人の經驗的意識の範圍に旣成の結果として現はれ來たるものと見ざるべからず。是れ即ちカントが其の著『プロレゴメナ』に於いて共同的意識(Bewusstsein überhaupt)と名づけ又『純粹理性批判』に於いては知識の先天的條件を成す統一作用(Transzendentale Apperzeption)或は「我」と名づけたるものなり。盖し此の「我」といひ共同的意識といふは知識論上より見て吾人の意識を成り立たしむべき遍通なる先天的條件といふべきものなり、尙ほ詳しく云へば、個人の經驗的意識に於ける統一作用(即ち知識論上其が先天的條件と見るべき統一作用)の根柢を成すべきものを謂へるなり。然れば此處に於いても經驗的心理學上に言ふ所とカントが知識論上先天的條件として謂ふ所とを區別せざるべからず。
《範疇と直觀との媒介をなす圖式、想像力。》〔二〇〕悟性の槪念を感官的直觀に用ゐて而して始めて經驗上の事物の成り立つとせばこゝに說明を要するは如何にして彼れが此れに用ゐらるゝかと云ふことなり。槪念と直觀とは全く其の趣を異にして恰も(カントの說く所に從へば)見知らぬ他人の如く其の間に何等の關係あり又何等の共通的基本あるかを認め難きものなるに奈何にして能く前者が後者に宛てはめらるゝぞ。カントは此の問に答へて各範疇と直觀との媒介を爲す圖式(Schema)あり而して之れによりて能く前者が後者に宛てはめ用ゐらると云ふ。是れ即ち彼れの謂はゆる範疇圖式の論にして純理性批判論の中其の最も苦心せる所又最も難解の所たるなり。彼れ說いて曰はく、感性と悟性との中間に位するものとも見らるべき想像力(Einbildungskraft)が謂ふところ槪念を直覺に媒する圖式を與ふ、而して此の圖式は時間的直覺の上よりして得らるゝものなりと。盖し直觀の形式の中にてもカントが內官の形式と名づけたる時間は是れ一切の經驗の直觀的形式たるものにして何等の事物と雖も時間に於いて經驗せられざるは無く隨うて槪念を用ゐる時に於いても最もこれに親密なるべきは此の時間の形式なるべければなり。一言に云へば、時間上の或關係に從うて(或はそれを便りとして、記號として)悟性の槪念が感官的直觀に應用せらるゝなり。一體、多性及び全體の三範疇を用ゐる時の圖式は數(即ち同樣なる部分を時間に於いて相重ねたるもの)なり。實有の範疇を用ゐる時の圖式は充たされたる時間(即ち時間に於ける有)なり、非有の圖式は虛なる時間なり、制限の圖式は充たされたる事に限りの有る時間なり。體性の圖式は時間に於ける常住、因果の圖式は時間に於ける規則立ちたる前後、相關の圖式は時間に於ける物の共在なり。可能、存在及び必至の圖式は何等かの時に於いて在り得べきこと、或一の定まりたる時に於いて在ること及び凡べての時に於いて在ること是れなり。此くの如く時間に於ける或關係即ち圖式が媒介となりて各範疇が直觀上の現象に用ゐ得らるゝなり。
《純自然科學の基礎。》〔二一〕上に述べたる圖式に從ひ範疇を用ゐることに因りて吾人は自然界に於ける法則を立することを得、而して此等の法則は吾人の先天的に立し得る所のものなり、盖し自然界其の物は吾人が之れに對して此等の法則を與ふることによりて始めて成り立つものなればなり。此のゆゑに吾人は自然界に關して先天的に立し得る知識を有することを得。而してかくの如く吾人の先天的に立し得る所のもの是れ卽ち「純自然科學」("reine Naturwissenschaft")の基礎となるものにして、カントが「自然界の純理哲學」("Metaphysik der Natur")と名づけたるもの是なり。
純自然科學の基礎を成す所の原理は量、質、關係及び樣狀の四方面より見たる範疇に於いてそれぞれに認めらる。第一、量の原理は凡べて吾人が自然界に於いて經驗するものは皆廣がりに於ける量即ち大さを有すといふことにしてカントは之れを直觀の公理(Axiom der Anschauung)と名づけたり、言ふこゝろは吾人の直觀に於ける凡べての物は皆大さを有すといふに在り。第二、質の原理は凡べて吾人の知覺する所のものは强さに於ける或程度を有すといふことにしてカントは之れを名づけて知覺の豫期(Antizipation der Wahrnehmung)と云へり。第三、關係の原理を名づけてカントは經驗の類推(Analogie der Erfahrung)と云へり。盖し常住、前後、及び共在の三つに對して三個の類推あり、一に曰はく、凡べて現象の變化する中に在りて物の體は常住にして其の全體の量は增減することなし、二に曰はく、凡べての出來事は規則立ちて前後するもの、換言すれば因果律に從ふものなり、三に曰はく、凡べての物體は其が共在する點に於いては皆相關的關係を有するものなり。第四、樣狀の原理を名づけてカントは經驗的思考其の物の要求(Postulate des empirischen Denkens überhaupt)と云へり、之れに三つの原理あり、一に、經驗の形式的條件即ち直觀及び槪念の形式に從へるものは可能なるものなり、二に、經驗の素材的條件即ち感覺に合するものは存在するものなり、三に、經驗の全體に通ずる條件に從うて存在に合したるものは必要なるものなり。
以上揭げたる原理の中第一及び第二の原理は吾人の經驗する一切の事物は皆大さ及び强さに於ける分量に屬するものなりといふことを言表したるもの、第四の原理は可能、存在及び必至といふことの意義を言表したるもの、而して第三の原理は自然界に關する吾人の知識の中最も肝要なるものにして此の所是れ即ちカントが依りて以てヒュームの疑ひ(即ち其が實體及び因果といふ觀念の批評に於いて言ひあらはせる所)を解かむとしたるものなり。カントに從へば、凡そ或事柄の同時に在り或は前後して在るといふは一の常住なる體に於いて始めて出來得ることなり、變化は其の常住なる體に於ける狀態なり、此の常住なる體を置かずしては變化する狀態を考ふべからず、即ち是れは吾人の思想の成り立ちの然らしむる所たるなり。而して前後して生ずる事柄に對して彼れが是れを生じたりと見る(即ち因果の關係を成せるものと見る)も又相共存する物體を無關係のものとせず相關聯して一なる自然界を成すと見るも是れ亦吾人の思想の成り立ちの然らしむる所なり。カント又以爲へらく、自然界の一切の事物は分量を有し居るものなり、故に之れに關する科學的知識は數學的のものならざるべからず。されば數學的に考定し得る限り吾人は科學的知識を有し得るなり、故に數學を用ゐ得ざる心理學及び化學は嚴密に謂ふ自然科學の範圍內に在らず、此等は唯だ叙述的のものなり。而して自然界に起こる一切の事件を數學的に考ふるや之れを空間及び時間の直觀に於いてせざるべからず、即ち運動(即ち數てふ觀念を時空に結びたるもの)といふ觀念を用ゐざるべからず、物理學上は一切の現象を分析して之れを物體の運動に歸し得べし。之れを要するに、運動の法則、範疇及び數理に基づきて吾人の先天的に(即ち遍通的に)又必然的に立し得る所のもの是れ即ち自然科學の純理哲學的基本を成すものなりと。カントは又物質の成り立ち其の物を牽引力及び反撥力の相互の釣合の結果として證明せむと試みたり。
《知識論に於けるカントの新見地、立法者は外物に非ずして我れ也。》〔二二〕此くの如くカントは自然界を成り立たしむる所以の法則即ち形式は吾人の思考力即ち悟性其の物の働き方なりと見て自然科學に於ける綜合的判定の先天的に立せらるゝ所以を證明せむとせり。以爲へらく、若し綜合的判定に於いて綜合せらるゝ事柄が唯だ後天的に與へらるゝならば吾人は何故に其の必然的に又遍通的に然るかを了解し得べからず、然れども其の綜合は吾人の思考力其の物の與ふる所なるを以て吾人の思考力を以て接する所必ず其の綜合の行はれざることなし吾人の自然界に於いて觀る法則は吾人の心性其の物の與ふる所なるがゆゑに其の法則は遍通的、必然的なるを得るなり。
以上述べたるカントの知識論に於いて吾人の知識の成り立ちに關する新見地の開かれたるを觀るべし。希臘哲學者の見地及び其の見地に從へる以後の一切の說に於いては凡べて吾人の知識の對境は外より與へられ吾人の知識は其を寫映するに外ならざるものの如くに考へたりしがカントに至りては一轉して知識の對境其の物が吾人の知識力なる心作用の所造に外ならずと見るに至れり。以爲へらく、事物を知識すといふは已に成り上がれるものを恰も鏡面に映すが如くに我が心面に寫すの謂ひにあらずして其の物を成り上がらしむることが是れ旣に知識其の物の作用なり。吾人が自然界を知るといふは我が悟性の作用によりて知識の對境を造り上ぐるなり。故に自然界の法則は他より吾人の心に與へらるゝものに非ずして吾人が自然界に與ふるものなり、立法者は外物にあらずして我れなり。かくの如く自然界は吾人が之れに因果律等の法則を與へて始めて成り上がるものなるがゆゑに其の界の全範圍を通じて因果律等の法則の行はれずといふことなしと。斯く考へてカントはヒュームがさきに因果律は是れ唯だ吾人の主觀的習慣に基づけるものにして自然界に客觀的に遍通なるものとは斷ず可からずと云へる疑を破するを得と思へり。即ちヒュームに從へば因果律は主觀的なるが故に遍通的ならずと云ひ、カントに從へば其れが吾人の心性そのものの働きにして、其の意味にて主觀的のものなればこそ又能く客觀的に遍通なる効力を有するものとして認めらるゝなれと云ふ。此の點に於いてカントは往時コペルニクスが天文學上に爲したると同樣なる(但し云はば其を倒まにしたるが如き)革命を哲學界に行ひたるものなりと自吿せり。盖し世人が地球を中心として天は回轉すと思へるを破り地球は太陽を中心として廻轉すと見てコペルニクスが始めてよく天文上の問題を解く道を示したるが如く、カントは在來の哲學者が自然界を立法者として吾人は唯だ之れに從ひて其の法則を授かるが如きものなりと見たる關係を倒まにし立法者は吾人にして自然界は吾人の心性を中心として廻轉するものなりと見ることによりて始めて能く知識論上の問題を解き得べしと考へたればなり。
《理智的直觀と物自體、現象界と實體界。》〔二三〕かくの如く吾人は自然界に關して遍通的智識を立し得るものにして因果律等の自然の法則は先天的に必然遍通の効力あるものとして認め得らる、されど其の効力ある範圍は現象界に限る、換言すれば、吾人の經驗の範圍內に於いてのみ然りといふことを得るなり。盖し其等の法則は吾人の經驗其の物の先天的條件なるがゆゑに吾人の經驗し得べきものは必ず皆其等の法則に從ふべきものと斷じ得る代はりに、之れと同一の理由を以て吾人の經驗し得ざる範圍にまでも其等の法則の効力は達すべきものに非ずと云はざるべからず、一言に云へば、悟性の槪念を基礎として自然界の純理哲學は立てらるれども其の純理哲學は吾人の智識の成り立ちより見て唯だ經驗の範圍內に於いてのみ云ふべきもの、即ち含蓄的(immanent)のものにして超越的(transzendent)のものに非ず。但し吾人の槪念によりて經驗以外の事物を考ふることの出來ざるにあらず、然れども其の思考は畢竟架空なるものにして智識を成すものとは云ふべからず、何となれば、智識の對境は範疇の圖式によりて(詳言すれば範疇の圖式を直觀より來たれるものに用ゐて)始めて成り立つものにして其等經驗の範圍外に出でたる思考は終に智識の對境を作ること能はざればなり。故に其等の範疇を其が圖式によりて直觀の範圍內に用ゐれば(換言すれば經驗の範圍內に含蓄的に用ゐれば)其處に智識を成すといふことを得、然れども其の範圍を超えて用ゐれば其は唯だ空なる思考たるに止まりて其處に確實なる智識は形づくられざる也。但し若し吾人の悟性即ち思考力が智識の對境其の物を與ふることを得ば、換言すれば、吾人の考ふる(即ち思考の形式を用ゐる)こと其の事に於いて又能く思考の對境を造り出だすことを得るものならば其處に吾人の今現には有せざる一種の智識を形づくることを得るならむ、カントは其の如き能力を名づけて理智的直觀(intellektuelle Anschauung)と云へり、即ち理智的直觀は吾人の感性的直觀の用と悟性の用とを兼ね有するが如きものなり。思考は形式を與ふると共に智識の對境を造り出だすものなり、而して其の如き智識の對境を名づけて物自體(Ding an sich)換言すれば眞實體といふことを得。然るに吾人の心性には其の如き物自體を吾人の智識に與ふる理智的直觀といふべきものはなし。吾人は直觀を有すれども其は感性的のもの、吾人は悟性を有すれども其は感性的直觀より其の對境を與へられて始めて智識の對境を成すものなり。此のゆゑに吾人の智識は物自體(Ding an sich)又は眞實體(Noumenon)といふべきものを吾人に與へ得ざるものなり。但し吾人は眞實體を解して積極的及び消極的の二義に見ることを得、積極的とは或性的ならざる直觀即ち理智的直觀(又は直觀的理智と名づくべきもの)の對境となるものをいふ、而して是れは全く或然的のものにして吾人は其の如きものの有無を斷言すること能はず、唯だ若し其の如き直觀を有し居る者あらば其の者の智識に對してのみかゝる意義にての眞實體ありと云ひ得るのみ、されど吾人には其の如き理智なし、故に吾人の智識は其の如き眞實體を揭ぐることを得ず。消極的意義とは吾人の感性的直觀の對境とならざるものをいふ、此の消極的意義に於いても亦吾人はそれに關する智識を得ること能はず、されど吾人は吾が經驗を限るものとして其の如き意味にての物自體を考へざるべからず、何となれば若し其の如きものを置かずば吾人の經驗に現はれたるもののみ實なるものにして其の他には何物も存在せずといふ斷定に陷らざるべからず、而して是れは吾人の智識の成り立ちの上より觀て吾人の斷定し得可きことにあらざれば也。故に吾人は吾人の智識の達し得る範圍を現象と名づけ而して其れに對して物自體の界即ち眞實體界を置かざるべからず、換言すれば、物自體は界限的槪念(Grenzbegriff)として吾人の用ゐざるを得ざるものなりと。斯く考へてカントは現象及び物自體の二界を分かち吾人の知識をば唯だ前者に對してのみ効力あるものとなせり。プラトーン以後哲學界に於ける現象界と眞實體界との區別がカントの智識論に於いて如何なる新面目を著けたるかを見よ。
理性の觀念
《吾人の智識は經驗の範圍外に到達せず、されど形而上學の問題の硏究に入るは知識的要求の自然也。》〔二四〕上に論じたる所によりて明らかなるが如く悟性の槪念が感性的直觀によりて與へらるゝ事物を超えて用ゐらるゝ時には其の思考は全く空なるものとなる、一言に云へば、吾人の知識は經驗の範圍以外に到達せざるなり、然らば經驗の範圍を超えたる所に吾人の確實なる知識を到達せしむるものといふ意味にての形而上學の成り立ち得べからざることは以上カントが知識の成り立ちを論じたる結論としても當さに豫想せらるべきことなり。カントは其が知識論に於ける第三の問題に入りて形而上學に於ける綜合的判定の先天的に立てらるゝことを否みヺルフ學派等に謂ふ所の形而上學の議論が確實なる根據を有せざることを詳しく論ぜむと試みたり。されど又彼れは形而上學の問題に吾人の心を運ばすことを以て吾人が知識的要求のおのづから然らしむる所なりとせり。ただ彼れの意見は其の事の知識的要求上の自然なるに拘らず之れを以て吾人の確實なる知識を成せるものとは考ふ可からずと云ふにあり。之れを要するに、彼れの意は先きにヒュームが心理的硏究の上よりして因果律を初めとし其の他純理哲學上の觀念は吾人の心理作用の自然の結果として形づくらるゝものなれども其等は知識上確實なるものといふことを得ず、即ち心理的作用の自然の結果なると共に知識上十分なる理由を備へたるものに非ずと論じたるに似たり、但しカントはヒュームが專ら心理學上の立場より考へたるとは異なりて彼れが揭げたる特殊の知識論上の見地よりせるなり。カントの意見が如何に多くの點に於いてヒュームの所說と相接近して而かもまたおのづから其の面目を異にせるかを看よ。
《相對的統一と絕對的統一、理性と理性の觀念。》〔二五〕形而上學上の論に吾人の心を運ばすことが何故に知識的要求上自然の事なるか。以爲へらく、前章に論じたる悟性の槪念は統一的作用を有するもの、されど其のなす統一は局部的のものなり、換言すれば、一現象と他現象とを關係せしむる上に於いて其の統一的作用を爲すのみにて其の外に出でず。例へば吾人が全體又は一體といふ槪念を用ゐるも其は畢竟唯だ或局部に限りたる處に全體又は一體の統一を與へ得るのみ、例へば此の花を一つの花として或は花の全體を指してしかじかなりと云ふ如きも要するに唯だ一事物一現象に於けるの統一に外ならず。吾人の實驗する所は全體といふも一體といふも又因果といふも畢竟個々の現象に於いての事にして有りとあらゆるものの絕對的統一は吾人の經驗內に存せざるなり。因果の規律といふも此の一現象が他の一現象の原因又は結果たる關係を有することをいふものにして一切事物の絕對的原因といふが如きものは吾人の經驗の範圍內に在らず。かくの如く吾人の悟性の槪念を正當に應用し居る間は常に相對的(bedingt)の範圍內に在るものなり、是れ恰も論理上吾人の推理作用が理由と斷案との關係に從ひ一步々々に進み行きて其が絕對の始及び絕對の終を定むること能はざるが如し。
されど一旦槪念を用ゐて事物の統一を爲し而して其處に始めて智識と名づくるものを形づくりし以上はおのづから益〻其の統一を擴張し行かむとすべし、而して其を擴張しゆくことの窮極は終に絕對的統一を全うせむと試みるに至るべし、而かも其の如く絕對的統一を全うせむとするに至れば必ず吾人が經驗の範圍を超えざるべからず、何となれば絕對的といふことは吾人の經驗の範圍內に存せざればなり。カントは此くの如く絕對的統一を與へむと力むるものを名づけて理性(Vernunft)と云ひ而して其の統一を與ふるが爲めに用ゐる槪念を名づけて理性の觀念と云へり。通常謂ふ所形而上學は此の理性の觀念を用ゐることによりて形づくらるゝものにして而して謂ふ所理性の觀念は悟性の槪念以外別に存するものには非ず寧ろ唯だ其槪念を絕對的に用ゐたるものに外ならず。一言に云へば悟性の槪念を相待的統一を與ふるものとしてのみ用ゐる間は吾人の經驗の範圍內に在りて正當の意味にての智識の對境を超ゆること無けれど、其を超えて絕對的統一を與ふるものとして其の槪念を用ゐたるもの是れ卽ち理性の觀念なり。
《理性の觀念の三方面、靈魂、宇宙一體、神。三者の不正當。》〔二六〕カントはヺルフ學派の意見に從うて理性を形而上學の上に用ゐたるものに三方面を別かてり。而して此の三者の各〻に於いて用ゐらるゝ理性の觀念あり。其の一は靈魂といふ觀念にして是れ純理哲學的心理學(rationale Psychologie)の根本觀念となるもの、即ち吾人の內なる(精神的)經驗の全體に絕對的統一を與へむとする所のものなり。其の二は宇宙を全き一體と見たる觀念にして純理哲學的世界論(rationale Cosmologie)の根本觀念となるもの、是れ吾人の外なる經驗即ち吾人の心に對する世界の全體に絕對的統一を與へむとするものなり。其の三は森羅萬象の絕對的原因としての神といふ觀念にして純理哲學的神學(rationale Theologie)の根本觀念となるもの、即ち吾人の內なる及び外なる經驗の全體に窮極的統一を與へむとするものなり。カントは此等三個の理性の觀念の應用が皆正當なるものにあらざることを次ぎの如く論述せり。
第一、純理哲學的心理學に謂ふ靈魂てふ觀念の吾人の心的現象を考ふるに便利なるは吾人の精神的作用の悉くが凡べて恒有なる靈魂てふ實體に統一せられ居ると見るがゆゑなり。然れども斯く吾人の實驗する心作用の外に其を統一する一實體を置いて考ふるは論理上の誤謬に基づけり、何となれば吾人が「我」と名づくる一切の心作用の淵源となる一實體即ち靈魂の存在するが如く思ふは詮ずれば吾人の意識に統一作用あるが故に外ならねばなり。我といふ意識は畢竟吾人の心に經驗する一切の事柄を統一する意識なり、我れ思ふといふことは斯く統一して意識すといふことに外ならず。このゆゑに「我」と名づくるものを以て論理上の主者(Subjekt)とすることを得れどもそれより直ちに實體としての主者ありといふことを得ず。一言に云へば靈魂てふ實體を置くは吾人が思考作用の論理的主者と實體としての主者とを混同したる論理上の過誤に外ならず、カントは之れを名づけて純理哲學的心理學の論過(Paralogismus)と云へり。盖しカントが自然科學を論じたる所に於いても實體といふ槪念は時間に於ける吾人の感官的經驗の常住を意味するものに外ならぬがゆゑに其の如き範圍を超えて吾人の精神的現象の裡に又は其の根柢に吾人の經驗の範圍に入り來たらざる靈魂といふ實體ありといふことは固より證せらるべき限りのものにあらず。
《純理哲學的世界論の成り立たざる所以。》〔二七〕次ぎにカントは純理哲學的世界論の成り立たざる所以を論じて吾人の理性が斯かる範圍に用ゐらるゝ時には自家撞著に陷ることを示さむとせり。以爲へらく、吾人の知識が純理哲學上には正當に形づくられざることは世界論に於ける理性の觀念其の物の示す所の相反するを見ても知るべしと。彼れは之れを名づけて純理哲學的世界論に於ける矛盾(Antinomie)と云へり。カントは之れに就きて四ヶ條の矛盾を擧げて曰はく、第一、純理哲學上の世界論に於いては世界は時間に於いて其の始めを有し又空間に於いて其の際限を有すといふことが立せらるゝと共に其の反對が均しき根據を以て立せらる。第二、一切の物は單元より成れりといふことが立せらるゝと共に其の反對即ち世に單元といふべきものなく凡べての物は皆合成のものにして無窮に分割せらるべしといふことも亦同じく立せらる。第三、自然法に從へる因果の關係以外に全く自由に働く原因ありといふことが立せらるゝと共に之れに反して世には自由原因といふべきものなく凡べての事は皆自然界に於ける機械的關係によりて必然に生ずるものなりといふことも亦能く立せらる。第四、世界には必然に存在すと考へざるべからざる絕對者ありと立せらるゝと共に之れに反して世界の內に於いても又其の外に於いても絕對に必然なる存在者といふ如きものなく、世に存するは凡べて相待的のもの、凡べて條件附きのものなりといふことも亦能く立せらると。以上純理哲學的世界論に於ける四ヶ條の相反する立言の中カントは其の前なる二つを名づけて數學的のものと云ひ後なる二つを力學的のものと云へり。彼れ以爲へらく、若し純理哲學的世界論に於いてするが如く宇宙を客觀的に全き一體を成せるものと見ば上に云へる如き矛盾を解釋すること能はず、斯く吾人の理性を用ゐて考ふることによりて起こる立(Thesis)と反立(Antithesis)とは共に均しき根據を有し居るものとせられざるべからずと。斯くてカントは此の困難を解釋する道は唯だ彼れが知識論上の新見地よりして始めて得らるべしと考へたり。
彼れ以爲へらく、初めの二ヶ條の矛盾に於いては立も反立も共に誤れり、何となれば二者共に宇宙の全體を完了せる一體と見ることより出立せるに、實際吾人の經驗には其の如き完了せる一體といふものなく完了せる全體は唯だ理想として吾人の思ひ設くる所に外ならざればなり。實際世界は唯だ幾多現象が相關係し其の關係を追うて一より他へ移り行くものとして存在するなれば其の一より他へ移り行きて其の全體を經過し悉くすこと能はず、其の如く全體を經過し悉くしたる完了せる一體としては世界は吾人の知識の範圍內に存在せざるなり。故に世界は完滿なりといふ意味にて無限なるものにあらず、又其が際限に到達し得べきものにもあらず。時間及び空間は吾人が事物を觀る見方にして其を性質として具へたる世界といふ一全體が客觀的に存在するには非ず、若し其の如く客觀的に存在する世界てふ一全體のみづから具ふる性質として時間及び空間を實在するものと見ば其の時こそ實在する時間及び空間は際限あるものか又は然らざるかと問ふことを得べし、然るに時間及び空間は我が心の見樣にして吾人が自ら時空を限りて見れば其處に限りあり、又其の限れる一部分の時間及び空間の外に他の部分なる時間及び空間を連接せしめて見れば其の聯接の最後に達することなしてふ意味にて無際限なるものとなる。凡べての物が分かつべからざる單元より成れるか將た限りなく分かたるゝものなるかといふことに就きても又同樣の證明を爲すことを得。盖し空間に於いて分かたるゝか否かは吾人の見樣なり、吾人が分割を止むれば其處に一物を成し若し分割を進むれば其を合成物として更に分割することを得。空間は吾人の見樣なるがゆゑに究竟する所吾人自らが分割し或は分割せざるまでのことにて別に無窮に分かたれざる又は分かたるゝものの客觀的に存在するにはあらず。
次ぎに後の二つの予盾に於いては立も反立も若し其の指す所の範圍を異にすれば共によく眞なるものとせらるゝを得、換言すれば、其の意義を解き分かつことによりて其の矛盾は消滅するものと考へらる。自然界即ち現象界に於いては自由原因といふべきものなく凡べて機械的關係に從うて必然的に生起變移すと見るべきなれども現象界を超えたる眞實體界に於いては自由意志といふが如きものありとも考へらる、別語にて云へば、自然科學上の見方よりすれば自由は無きものとせられ、道を言ふ上に於いては自由は在るものとせらるゝを得、更に換言すれば、吾人の知識の對境に於いては凡べての事物は機械的必然の關係より成り、道德の要求としては自由を置きて言ふことを得。斯くの如く吾人の知識を現象界に限り而して之れと眞實體界とを相分かつ所よりして上に云へる如き理性の矛盾も却つて能く之れを證明し得べき道の開かるゝ望あるなり。然らば如何にして吾人の自然界を知る知識以外に道德の要求を說き且つ其の要求として眞實體界に關する立言を爲すことを得るかといふこと是れ即ちカントが後に著はしたる『實踐的理性批判』の問題となるものなり。而してかく自由と必然との反對を融解せしめ得るが如く又能く宇宙に於いて絕對に必然なる存在者の在りといひ無しといふ矛盾をも去ることを得。但しカントは吾人が智識の範圍內に於いては其の如き絕對者の存在を立證すること能はずと見たり。是れ彼れが次ぎに純理哲學的神學を批評せる旨意に於いて詳かなり。
《純理哲學上の神の存在の論理の無効なる所以。》〔二八〕カントは從來神學者の用ゐ來たれる神の存在の證據論を以て一切其の目的を達せざるものと見たり、其の證據論の一なる實體學的論證は畢竟ずるに吾人の槪念より直ちに實在を證せむとするものにして此の點に於いて其の論證は倒れざるべからず。其の論證に曰はく、神てふ槪念は必然に其の存在するといふことを含む何となれば神は最も實有最も完全なるものなればなりと。然れども存在といふことは槪念の內容の一部分を成すものにあらず、換言すれば、完全の相の一部分を形づくるものに非ず、即ち存在は一槪念の內容を成す性質として其れに就いて言ひ現はさるべきものに非ず。故に其の槪念を分析すとも其の中より存在といふことを取り出だすこと能はざるなり。譬へば、百圓の金子は其れが唯だ吾人の思に在りとも或は實物として存在すとも百圓は即ち百圓にして百金といふ槪念の內容に少しも異なる所なし、存在は唯だ其の內容に附加したる見方なり、即ち存在すと云ふは綜合的判定なり、故に其の內容を如何に分析すとも其の中より存在といふことを取り出だし得ざるなり。
次ぎに神學者の慣用し來たれる世界論に基づける論證は因果の關係を根據とせり。其の說に曰はく、此の世界は其の存在する原因を有せざるべからず、而して其の原因是れ即ち神なりと。されど此の論證は唯だ吾人の經驗の範圍に於いてのみ、即ち相待的にのみ用ゐ得べき槪念を絕對的に用ゐたる點に於いて誤れり。因果と云ふ槪念は一現象と他現象との關係に就きては(即ち現象界に於いて含蓄的には正當に用ゐらるれども一切の現象の絕對的原因といふ如きものは吾人の知識の範圍に入り來たらざるものなり、一言に云へば、此の論證は原因といふ範疇を正當に用ゐるべからざる範圍に用ゐたるものなり。假りに因果の範疇は超越的に用ゐ得べきものとすとも尙ほ神といふ原因を以て極めて完全なるものと稱すること能はず、何となれば此の世界の完全なりといふことは吾人の證し得ざる所なるを以て其の原因も亦必ずしも完全なるものとは云ふことを得ざればなり。若し其を完全なるものと云はむには實體的論證に立ち返るより他に途なし、而して實體的論證の立ち得ざることは上に述べたるが如くなり。
第三に言ふべきは從來慣用し來たれる目的觀上の論證にして其の趣意は吾人の製造物に準へて神を宇宙の製造者と見るにあり。其の說に曰はく、宇宙は其の方便と目的との相應じたる關係に於いて知慧ある者の存在することを證すと。今假りに此の論證を以て有効なるものとすとも其は唯だ世界の事物に其の如き秩序を與へたるものあることを示すのみにて萬物の創造者の存在を證すること能はざること猶ほ一器物に就いて其を製造したる者ありといふも其の器物を成す物質を作れるものと云ふ意味にてはしかいふこと能はざるが如し。此の故に
《理性の觀念は無効なれども思考上に便利あり。》〔二九〕此くの如くにしてカントは現象界を超越せむとする形而上學を打破し去れりと考へたり。斯く超越的に吾人の悟性の槪念を用ゐることの正當ならぬことは以上論じたるが如く純理哲學としての心理學、世界論及び神學に於ける立論の誤謬に陷れることを以ても知り得べく、特に世界論に於ける理性の矛盾はよく其の如き槪念の超越的使用の正當ならざることを示すに足るものなり。
然れども理性の觀念を用ゐるといふことが(上にも已に云へる如く)全く不自然なることにはあらず、吾人が事物を考ふる上に於いては其の如き觀念を用ゐることが却つて一種の便利を與ふるものなり。例へば吾人が精神的現象を考ふるに當たりて恰も其が一の靈魂てふ實體に基するかの如くに見ば其の現象に統一を與へて考ふる上に於いて一種の便利あり、又世界をも全き一體を成すものとし而して神といふ絕對的原因が在るかの如く思はば一切の事物を統一して考ふる上に便利あり。然れども事物の實際が其等の觀念の示すが如くありと云ふにあらず、唯だ恰も其等の觀念の示す所の如くに事物を考ふることが其を考ふる上に於いて最も便利なる方法なりといふのみ、換言すれば、其等の觀念は吾人の知識の理想として思ひ設くるに止まりて吾人の現に知識する現象界が如實にしかありといふ意味にはあらず。其の如き絕對的統一を有する一全體を標準として恰も其の如きものなるかの如くに吾人の經驗する一切の現象を見る是れ即ち知識が其の理想にむかひて進步し行くものなり、故に其の如き理想と見て此等の觀念を取り扱ふは決して不都合なることに非ず。尙ほ換言すれば、此等理性の觀念は吾人の硏究を指導するもの(regulative Principien)としては正當に用ゐらるれども唯だ其れを其の如く硏究の指導若しくは知識の標準として事物を恰もしかあるかの如くにのみ見ず、世界は如實にしかありと見て而して之れを以て吾人の知識の對境を形づくるもの(constitutive Principien)とするがゆゑに前に述べたるが如き形而上學上の困難に陷るなり。斯く唯だ自然界を硏究する心得としては其れに統一を與ふる目的作用即ち意匠ありて其れをして然らしむるかの如く見るは決して不都合なることに非ずと。此の硏究の心得を云ふ趣意はカントが『純粹理性批判』の最後の部分なる硏究法論(Methodenlehre)に於いて論述したるところにして目的觀の論は尙ほ後の著述に於いて更に開發したる論點なり。〈Methodenlehre に對し "transzendentale Aesthetik" 及び "transzendentale Logik" を合して "Elementarlehre" と名づく、但し「エレメンタルレーレ」が批判論の主要の部分を成すものにして「メトーデンレーレ」は附屬物たる位地に在り。(此の區分及び名稱はヺルフ學派の慣用より來たれり。)〉
《吾人の知識は超越的境界に達せず。》〔三〇〕かくの如く神、自由意志及び靈魂の不滅に就きて吾人は純理性の上に於いて理論的知識としては之れを證明すること能はず。其等の純理哲學的論證がかくして打破せられたると共に其の反對も亦均しく論證せらるゝこと能はず、何となれば其等の存在を證することが超越的なるが如く其等の存在せざることを示すことも亦均しく超越的なればなり。畢竟ずるに、吾人の知識は其の如き超越的境界に達せざるものにして其の存在を證すること能はざると共に其の存在せざることをも證すること能はず、即ち理論上の知識としては唯物論も無神論も共に倒れざるべからず。カントの考ふる所によれば、かくの如く一切其等の立說を拂ひ去りたることが哲學に於ける彼れが知識論の一大功績なり、純理的知識としては有神論も立せられず又無神論をも唱ふべからざる代はりに吾人は全く新らしき路を取りて進むことを得、而して此の新路を進み行くに於いて聊かの障礙も其の途に橫はり居ることなし。謂ふ所新らしき路とは何ぞや、是れ即ちカントが其の『實行的理性批判』に於いて取らむとしたるもの即ち道德論なり。
道德論
《吾人の意志の活動に於いて如何なる綜合的判定が先天的に立てらるゝか。》〔三一〕カントが其の道德論に於いて攷究せむと欲する所は吾人の意志の活動に於いて如何なる綜合的判定が先天的に立てらるゝかと云ふことなり。即ち彼れが其の知識論に於いて論じたる所は知的理性が如何なる先天的形式を以て吾人の知識を成り立たしむる要素となすかといふこと(詳しくは直觀、悟性及び理性が吾人の知識を成す上に如何なる職分を有するかといふこと)に在りしが、道德論の問題は吾人の意志の活動の形式として如何なる規律を先天的に立し得るかといふことなり。知識論に於いて吾人の發見したる所は自然界の法則なり道德論に於いて探究せむとする所は道德法なり、而して如何なる綜合的判定が先天的に立てらるゝかといふこと、是れ其の兩者に貫けるカント哲學の大問題なりと謂ふべし。
吾人の意志の活動に於ける法則の先天的に發見し得らるゝものは唯だ其の形式に在ること恰も吾人の知識の成立を論ずる所に於いて其の先天的要素として揭げらるゝものが其の形式の外に存せざるが如し。カントに從へば、吾人が如何なる事柄を意志するかといふことは(其の事柄と吾人の意志との關係は綜合的なれども)經驗によりて始めて定めらるゝもの、唯だ先天的に定め得るは其の事柄に非ずして凡べて意志の活動に遍通する規律即ち其の形式なり。而して其の規律として如何なる綜合的判定の立てらるゝかといふこと是れカントの問題とする所なり。經驗を待ちて始めて知らるべき事柄を基として立てたる規律は遍通のものたることを得ず、先天的といふことと遍通的といふこととを相離れざるものと見る是れカントが哲學の全體を貫通する思想なり。
《意志の法則と行的理性。絕對的に善なるは善意のみ。》〔三二〕カントが倫理說の目的は先天的に意志の法則を立てむとするに在り、而して彼れは意志の法則を立つるものを名づけて行的理性(理性が吾人の行爲即ち意志の範圍に於いて現はれたるもの)と云へり。此のゆゑに吾人は種々の後天的なる事柄に憑かれる吾人の幸福(快樂)を以て倫理の法則の基礎とすること能はず、何となれば如何なるものが吾人の幸福となるかは各人の好惡と共に異なりて之れに關しては何等の遍通的法則をも先天的に立つること能はざればなり。又各人の氣質、欲求、才能等をも其の基礎とすること能はず、此等も亦人によりて異なりて先天的に定め得らるべきものに非ざればなり。啻だ然るのみならず若し吾人の欲求其のものを以て道德法の基礎とせば特に倫理の法則を要せざるべし、何となれば、各人が自然に其の欲する所に從うて行爲すること是れ取りも直さず其の德行たるべければなり。即ち行爲が吾人の幸福の上に、才能の上に、及び其の他の事柄の上に及ぼす結果を以て倫理の大本とすること能はず、何となれば、其等の結果は因果律に從うて必然的に生じ來たるものにして吾人の意志によりて決定すべからざる所なればなり。吾人の行爲の結果は我が思ひ設けざる所に出づることありて我が意志に對して見れば偶然なる事情によりて決定せらるゝこと屢〻あり、故に其等の結果に道德の法則を基づかしめ其れによりて吾人の道德上の價値を定むべしとせば其の價値は我が意志以外の出來事にかゝると云はざるべからず。畢竟ずるに道德上の價値は意志の性質即ち爲人に在らざるべからず、又これよりして道德の大法を發見せざるべからず。此のゆゑにカントに取りて倫理硏究上の目的は倫理の大本を意志其のものの上に發見するに在り、是れカントが其の名著『倫理哲學の基礎』の冒頭に揭げたる有名なる語に於いて言ひ表はせる所の意味なり。其の言に曰はく、「凡べて此の世に於いて又此の世以外何處に於いても全く制限を附することなくして善と云はるべきもののあるを考ふること能はず、唯だ之れあるは善意のみ」と。善意を除きては他に其れ自身に絕對的に善と云はるべきものなし、他の如何なる事柄も(財寳、權勢、幸福等と雖も)若し之れを用ゐる所以のものが善意にあらずして惡意ならば其等は善ならずして却つて惡なり。獨り善意のみは如何なる塲合に在りても夜光の珠の如く光を放つ、其の尊むべき所以は先天的に其れ自身の性質に於いて發見せらるゝなり。然らば善意とは何ぞや、曰はく善意は道德の法則に從ふ意志なり。然らば茲に問ふべきは謂ふ所道德の法則の何たるかなり。
《カントの謂はゆる道德法、其の三角式。》〔三三〕カントは意志以外の事柄を一切(遍通的道德法を立つるに堪へざるものとして)却けたるを以て意志の法則即ち道德法の內容を得るに當たり之れを吾人の意志する種々の事柄に求むること能はず、之れを求むべきところ唯だ意志活動の形式あるのみ、而して其の形式は何ぞやと問へば意志が法則に從ひて働くといふことの外に出でず、一言に云へば、カントに取りては法則てふ觀念の外に意志活動の形式となり得べきものなし。而して凡そ法則の法則たる所は其れが遍通に行はれて何人にも遵奉せらるといふ一事に外ならざれば法則的といふことは畢竟ずれば遍通的といふこととなる、此の故にカントが吾人の意志の法則として揭げ得べきは各人の則る所が遍通的法則たるべき樣に行へといふことに
カントは更に倫理說上全くは排斥し得ざる目的といふ觀念を用ゐ來たりて其の謂ふ道德法を一の他の形に言表せり。謂はゆる道德法は窮極的の者にしてそれは其れ以外又は以上の何等かの事柄の爲めに從はるべき者に非ず唯だ其れ自身の爲めに從はるべきものなり。而して此の大法に從ふ意志は上に云へるが如く其れ自身に尊きもの、其の價値ある所以は其の意志によりて或事柄の生ずるが爲めに非ず又其の意志が或他の事柄の爲めに役立つが故にあらずして全く其れ自身にあり、然れば其の目的は其れ自身の外にあらずといふべきなり。若し其の目的が其のもの以外の或事柄に存せば其の價値も亦件の事柄を成就する上に於いて懸からざるべからず。要するに、意志が倫理の大法に從ふことの目的は倫理の大法に從ふことの外に存せず、故にかゝる意志は其れ自身を目的とするものなりといふべし。斯かる意志を具有する者(即ち自らが自らの目的たる者)を名づけて人格(Person)といふ。人格の價値は其れ自身に在りて他のものを以て之れに代ふべきに非ず。カントは此の意を言ひ表はして人格は品位(Würde)を有すと云ひ而して之れを唯だ代價(Preis)を有する物件(Sache)と區別せり。物件は其れ自身に價値を有せずして他の或事柄の爲めに役立つ所に其の價値の存するものなれば其の事柄に同等に役立つものと相代へ得べき價値を有するのみ、即ち他の物を以て之れに換ふることを得るものなり。然れども人格の價値は他のものを以て換ふること能はず、其が存在の目的は其れ自身に在るを以て自らを除きて其の目的を成就すべき者なし、換言すれば、吾人が道德上の價値は各自が自己の人格に於いて現はすべきものにして他人の人格をして我が發揮すべき道德的價値の身代はりを勤めしめ得べきに非ず。此のゆゑにかゝる人格を有すべき者は之れを唯だ他の事柄の方便としてのみ取り扱はず當さに其れ自身の目的として取り扱ふべきなり。是れカントが其の謂はゆる道德法に第二の形を與へて吾人人類を汝の人格に於いても又汝以外の人格に於いても常に目的として取り扱ひて決して唯だ方便として取り扱はざる樣に行へと云ひたる所以なり。
カントは更に其の謂ふ道德法に第三の形を與へ、上に云へるが如く唯だ方便として取り扱ふべからずして其れ自身の目的として取り扱ふべき者即ち理性的意志を具ふるものが相結合して一團體を成すを要すと考へたり。一言にいへば、カントは茲に凡そ倫理說に於いて全くは缺くべからざる社會てふ觀念を持ち來たれるなり。
彼れが道德法の第三の形に曰はく、吾人各〻斯かる團體の一員として其の團體を成り立たしむる樣に行へと。然らば如何に行はば其の如き團體は成り立つべきか。曰はく、各〻其れ自身の目的たる者の相結びて一團體を成し得むには其の各〻が遍通的法則に從ひて行はざるべからず、遍通的法則に從ひて行はば各自が其れ自らの目的にてありながら、おのづから一致は其の間に成り立つべきなり。故に道德法の此の第三の形は其の第一の形に云へる遍通的法則といふ觀念と第二の形に云へる人格てふ觀念とを相結合せしめたるが如きものなり。
《道德法は命令として現はれ來たる。自則的倫理說と他則的倫理說。》〔三四〕上に述べたる道德法は、カントの言に從へば、吾人の行的理性其の物の立つる法則なりといふ意味にて先天的なり、又其の內容となるものを意志活動の形式其のものの外に求むるを要せずといふ意味にて先天的なり、又此の故を以て件の道德法は其の効力に於いて經驗上の事實を根據とするものにあらず、換言すれば、吾人が實際曾て從ひし事ありといふ經驗上の事實が其の効力(Gültigkeit)を成すにあらず。即ち吾人が實際曾て從ひしことあり或はあらずといふことは毫末も道德法の効力を增減する所以のものにあらず、吾人の實際其れに從はざることあるに拘らず其の大法は吾人の當さに從ふべき法則なり。故にカントは其の所謂道德法の効力を說きて假令一人として曾て此の法則を守りたることなく又向後に守ることなしとすとも尙ほ其が道德法たる効力に於いて毫も損する所なしと云へり。
かくの如く道德法は吾人の必ずしも實際從ひたる法則にあらずして唯だ當さに守るべき法則なりといふ點に於いては自然界に於ける凡べての現象に通ずる自然法(即ち知識論に於いて攷究したる所のもの)と全く相異なり。道德法の吾人に對するやかく〳〵すべしといふ命令として現はれ來たる。行的理性の立つる法則は何故に自然法たらずして命令となりて吾人に現はれ來たるか。カント以爲へらく、吾人は唯だ理性をのみ具ふるものにあらずして感性(こゝには道德の方面より云ふ、即ち通常情欲と名づくるものは之れに屬す)をも具ふる者なり而して理性と感性とは後者が必ず自然に前者の指定に從ふといふ關係を有し居るものにあらず其の如き自然の一致は二者の間に認められず、即ち感性は理性の定むる命令に背戾しても猶ほ其の向かふ所に走らむとすることあり。是れ道德法が吾人に於いて命令として現はれ來たる所以なり。若し吾人が理性をのみ具ふるものなるか、はた感性が其の成り立ちに於いて自然に理性に從ふものならむには、吾人は自然に道德法に從ふ者たるべし。然るに實際は其の如くならざるを以て道德法は吾人に對し命令として現はれ來たるなりと。盖しカントは理性と感性との二元論の上に其の倫理論を立てむとせる者なり。彼れの倫理說に此の二元あるは恰も其の知識論に感性と悟性との二元あるが如し。二元論は彼れが哲學の全體を貫ける一特色といふべきものなり。
カントは上述せる如く感性と理性とを別かちて道德をば唯だ理性の基礎に立てむとしたるが故に、吾人の行爲が道德上價値ある者たらむには其の行爲の動機は感性の方より來たるものなるべからずとせり、尙ほ語を換ふれば、彼れに從へば、吾人が道德の大法に從ふべきは大法其の物の爲めに從ふべく大法以外何等かの事柄の爲めにすべきにあらず、從ひて件の大法に從ふ動機も亦大法以外の何等の事柄にも求むべきに非ず。カントは此の旨意を言ひ表はして、道德的行爲に於いて吾人の意志の動機となるべきものは吾人が道德法に對する尊敬の心の外に在るべからずと云へり。謂ふ所尊敬の心とは吾人の理性が道德の法則を揭ぐるに當たりて吾人の意志が其の法則に服從する意識なり、換言すれば、其の法則が吾人の意志の上に呼び起こす影響に外ならず。謂ふところ尊敬の心はただ道德法によりて生ぜらるゝものにして他の淵源を有する諸種の感情とは全く區別すべきものなり。一言に云へば、道德的行爲に於いて吾人の意志を動かすものは客觀的に云へば道德の大法、主觀的に云へば其の大法に對する尊敬の心たるべし。而して此の道德法を尊敬する心よりして或行爲を爲すを要すと思ふ是れ即ち義務の念なり、故に言を換ふれば、一切の道德的行爲は義務の念に動かされて爲すべきものなりといふことを得べし。好惡の心より爲したる行爲は道德的價値を有せず、之れに反して好惡若しくは欲望に反すとも尙ほ道德法に對する義務と知りて爲したる行爲こそ純粹なる道德的價値を有するものなれ。
かくの如く吾人の行爲を規定すべき理由及び其の動機を道德法其の物以外に求むべからずとし、而して其の道德法は吾人の理性の自ら立つる所なりとするもの、カントは之れを名づけて自則的(autonomisch)の倫理說と云へり、盖し理性の自ら立つる所の法則に自ら則るを以て道德とすればなり。彼れは凡べて道德の根據を理性の自ら立つる法則以外(幸福又は神意等)に求むるものを他則的(heteronomisch)と名づけて悉く之れを排斥せり。カントに從へば、理性の、自ら揭ぐる法則に從うて行ふ能力是れ即ち意志なるが故に理性が自ら立つる法則に則るといふと意志が自らを律すといふとは畢竟ずるに同一事なり。而して此の理性的意志が自らに具はれる法則に從うて自らを律する是れ即ち道德上の自由なり、別言すれば、道德的自則是れ即ち道德的自由なり。されば此の意味にては自由なる行爲は取りも直さず道德法に從へる行爲なり。
《カントの謂はゆる自由、道德上の要求、現象界と眞實體界との範圍の別。》〔三五〕カントの自由を言ふや上述の意味にて言へる外に尙ほ他の意味あり、即ち道德的行爲の存在する要件と見たる自由是れなり。彼れに從へば、遒德法は吾人に對して無上の命令となりて現はる而して此の命令は無條件のものにして吾人の絕對的に從ふべき筈のものなり。但し若し吾人は如何にしても之れに從ひ得る能力なきものならば其れに從ふべき笞といふことは無意義のものとならざるべからず、即ち吾人が道德法に從ひ得る自由なくしては其の如き命令のあるべきことを解すべからず、隨うて道德は其の根據を失はざるべからず。故にカントは曰はく、「我れ爲し能ふ何となれば我れ爲すべきなればなりと」。一言に言へば、吾人は唯だ機械的因果の關係に從うて必然的鏈鎖の一環を成すのみのものにあらずして我れが自由に我れの行爲を起こし得る原因即ち自由原因なりといふことを承認せざれば道德の命令は意味なきものとなる。但し其の如き自由は知的理性の方面よりしては證明し得ざるものなれども更に行的理性の方面より考ふれば道德の成り立たむ爲めには必ず無かるべからざるものとして吾人の承認せざるべからざるものなり。約言すれば、自由は知識上吾人の論證し得べきものにあらざれども道德上の要求(Postulat)として承認すべきものなり。
されど知識論の結果として吾人の認めたるが如く吾人が現象界に於いて爲すことは一として之れを因果律の必然的鍵鎖を脫したるものと考ふる能はず、然らば自由及び必然の二者をば如何にしてか調和し得べき。曰はく、之れを調和する途は二者の範圍を分かつことにあり、即ち必然的因果の關係は現象界に於けるものにして自由は眞實體界に於けるものとなすべしと。是れカントが其の世界論に於ける理性の予盾を解き得る道として其の知識論中に示したる所のものなるが茲に至りて道德上の要求として其の如き自由といふものの無かるべからざるものなることを認むるを得て又更に能く其の矛盾を解釋する道の正當なることを示せるものなり。以爲へらく、道德上の命令は無條件なるもの、絕對なるものにして自然界に於ける吾人の知識の範圍內なる事柄の相對的なるとは異なり。知的理性の方面より云ふ時は吾人は一步も現象界以外に出づること能はず、されど道德上の要求としては眞實體界に觸るゝことを得、蓋し道德上の要求は絕對的のものなればなり。
上に述べたるが如くカントに從へば、凡べて吾人の爲す所は現象界に於ける方面より見れば皆必然的鏈鎖に從ふものにして眞實體に於ける方面より見れば自由なるものなり。彼れはこゝに於いて經驗上に現はれたる吾人の品性(empirische Character)と經驗上の事相を超脫せる根本的品性(intelligible Character)とを別かてり。前者は現象界なる一切の事柄と共に必然的因果律に從うて發展するもの、而して其處にしかく發展する根本的のものは即ち後者にしてこは自由なるものなり、換言すれば、吾人が眞實體界のものとして自由に取りたる品性が經驗界に於いては吾人の經驗上の品性として必然的に發展するものなり。
《未來の存在の恢復。》〔三六〕斯くしてカントは自由といふ觀念を恢復したるが、彼れは尙ほ其の知識論に於いては抛棄したる他の二つの觀念即ち未來の存在及び神の存在をも同樣に道德上の要求として維持せむと力めたり。以爲へらく、吾人は道德の法則に從ふべきものなり、さばれ吾人は理性の外に感性をも具ふる者にして自然の儘に於いては必ずしも道德上の命令のまゝに行ふものにあらず、然るに道德の法則は吾人の意志が全く其の法則に契合し聊かも感性に從ひて其の反對に走るなきに至らむことを要求す。カントは此くの如く感性が全く道德法に服從するに至れる、換言すれば吾人の欲する所が聊かも道德法の命令の外に出でざる狀態に達したるを名づけて聖なる狀態(Heiligkeit)と云へり。然れども吾人は實際現世に於いて其の如き聖なる狀態に達し得る者にあらず、啻だ然るのみならず志を立てゝ德に進まむとする者が自然界の出來事の爲めに中道に夭折して其の志の水泡に歸するが如きこと少なからず。若し其の人の道德的存在者としての萬事が其のままにて終了するものならば吾人の意志が全く道德法に合せむことを求むる道德上の要求は實に無意義なるものとならむ。即ち吾人は現世に於いて萬事を終ふるものにあらず、我が靈魂は不死なるものにして來世に於いても猶ほ道德上の修練を繼續し得るものなりとせざれば吾人が道德上の向上心は其の意味を失ひ道德其のものの根據の失はるゝこととなるべし。一言に云へば、吾人は道德上の要求として未來の存在をも承認せざるべからず。道德法と吾人の意志との絕對的調和は是れ無條件なる境界に屬する吾人の理想にして經驗界に於ける即ち時間に於ける事相の一部分として發展する吾等の品性に於いては唯だ無窮に其の理想に接近することあるのみ、言を換ふれば、件の道德的要求は時間上の存在に於いては唯だ吾人の理想に向かふ永久の接近として實現せらるゝなり。
《德福の調和、神の存在。》〔三七〕吾人は我が意志を道德の法則に合せしむる即ち德を修むるのみならず又其の如く德の修まれる狀態にはおのづから幸福てふものの伴ふべきものなりといふことを承認せざるを得ず、吾人は德と福とを全く相離して考ふること能はず。德は吾人に取りて善きものの最上(bonum supremum)なれども尙ほ完滿なる善きもの(summum bonum consummatum)を成さむには其の外に之れに應ずる福といふものの加はらざるべからず。吾人は善人は終に福を享け惡人は終に禍を受くべきものなりといふことを信ぜざるを得ず、是れ亦道德上に於ける一の信念として吾人の抛擲し得ざるものなり。然るに幸福てふものは自然界に於ける出來事に懸かるものなるに自然界の出來事は必ずしも道德界に於ける價値に從うて決定せらるといふことを得ず、例せば道德上より見て最も尊き者といふべき善人が自然界に於ける出來事の爲めに非常なる苦痛に呻吟することあり。此の故に自然界と道德界とを互に獨立のものと考へては吾人は福の必ず德に伴ふべき所以を解すること能はず、されば福の必ず德に伴ひて吾人の道德上の一大信念なる完滿なる善きものてふことの迷夢に屬せざらむには道德界と自然界とを共に支配し後者に於ける出來事を導きて前者に於ける要求に合せしむる者の存在することを必要とす、即ち神の存在するあり其の攝理に從うて善人は終に福せられ惡人は遂に禍を蒙るといふことが又道德上の要求として承認せられざるべからずと。斯くしてカントは感性對理性の二元論に出立し而して兩者の終に一致することを要すといふ旨意によりて未來の存在を說き又同じく道德界對自然界の二元論の上よりして神の存在を認むるに至れるなり。
《道德と宗敎との關係。》〔三八〕カントはかくの如く知的理性の上よりしては證明し得ざるものとなしたる自由、未來及び神の三者をば行的理性の要求として打ち立て、而して其の道德論は遂に宗敎論に進入することとなれり。彼れに從へば、宗敎は道德の上に立せらるゝものにして道德が宗敎の上に立せらるゝにあらず、換言すれば、吾人は先づ宗敎上の信念を立してこゝに始めて其の基礎の上に道德を立し得るに非ず、却つて先づ道德を立てゝ其の基礎の上に宗敎上の信念を立し得るなり。彼れ以爲へらく、宗敎は其の事柄(內容)に於いて道德と異なれるものにあらず、宗敎上吾人の爲すべきものとせらるゝ事柄は道德上吾人の爲すべきものとせらるゝことと別なるものにあらず、約言すれば、道德を行ふといふこと是れ取りも直さず宗敎の內容なり。二者の異なる所は要するに唯だ其の形式に在り、詳しく云へば、義務を唯だ理性の命令として守るべきものとするは道德にして、同じき義務を神の命令と見るが即ち宗敎なり。而して斯く道德を唯だ理性の法則と見る外に更に神の與へたる法律と見ることが吾人の德行を進むる上に於いて一大助力となるなりと。之れを要するに、カントに從へば、宗敎は畢竟道德を助くるが爲めに在るものと云ひても可なるべく、其の窮極的意義は道德の外に在らざるなり。即ち彼れの知識論が道德論に注ぎ入るが如く彼れの宗敎論は其の道德論より出でたるものと云ひて可なり。カントの思想は道德主義を以て始終を貫けるものと云ふべし。
《カントの宗敎論。》〔三九〕カントは『理性のみの界限內に於ける宗敎』と題したる書に於いて其の宗敎上の意見を述べたる中に論じて曰はく、吾人の經驗上の事相として現はるゝ品性を見るに自ら罪惡に向かふ傾向を有す、吾人の生得の性に於いて此の惡に向かふ傾向(Hang zum Bösen)の存するは是れ取りも直さず吾人の根本的性質に於ける罪惡を示すものなり。故に吾人にして若し眞實德行を爲さむには其の根本的性質に於いて其の心情の根柢に於いて改まる所なかるべからず。カントは之れを基督敎會の所謂原罪論及び更生の敎理に結び付けたり。彼れ又以爲へらく、神の子が人間となりて現はれて人間を救ふといふことの意味は畢竟ずるに完全なる人間の理想の實現せられむが爲めに此の世界が神によりて攝理せらるといふことに在り、故に基督を信ずといふは人間の理想を我が心に抱きてそれに化せられ行くといふことに外ならずと。
敎會は右等の宗敎上の敎義を以て人類を敎化し行く目的を有するものなり、換言すれば、敎會は道德上の修練を計らむが爲めに互に志を同じうする者の相結びたる會合なり。純潔なる德行以外に何等かの方便を用ゐて神を拜し其の心を得むとするが如きは眞に彼れを拜する道に非ず、是れ皆迷信に墮落すべきものなり。敎會に於ける種々の敎理及び其の歷史的信仰の合理的意義は上に述べしが如くなれども其の合理的意義は必ずしも常に純粹に認められず、却つて一般人民に於ける宗敎の進步は能く一時に其の如き純粹なる合理的意義を認むるに至らず、敎會の歷史は寧ろ過去史上の一人物を置き之れを本尊として崇拜することと理想を置いて其れを追究し行くこととが相爭うて漸次に前者より移りて後者に進み行く歷程を示すものなり。歷史的信仰も人民の知識の程度に從うては有用なるものなれども其の窮極の目的は終に純粹なる合理的信仰に達するに在り、敎會に於ける基督敎の目的はた合理的宗敎に到達せむとするに外ならず。かくの如くカントが合理的宗敎を以て宗敎的歷史の窮極の意味となし又宗敎の內容を解するに專ら道德主義を以てしたることは彼れが當時の啓蒙的思潮の產物たる方面を示すものと云ひて可なるべく、又其等の點に於いて彼れはデイスト風なりきといふも不可なかるべし。
《カントの法理哲學思想。》〔四〇〕カントは其の倫理說に基ゐして法理哲學上の思想を形づくれり。彼れに從へば、道德上にては吾人の行爲の動機の如何を問ひ法律上は動機の如何を問はず、後者に在りては唯だ規定したる所に外形上かなへる行爲に出づれば足れり。而して法律上吾人の行爲を規定する所の眼目は遍通的法則の下に個々人の人格を互に傷つくることなく相互に其の自由を保ち得る樣にすることに在り。かくてカントは人々の自由を保全すといふ此の思想よりして一切法理上の規定を演繹し得と考へたり。彼れが刑罰を行ふ理由を言ふや、そは社會の安寧を維持し若しくは罪人を改悛せしむることにあるよりも寧ろ單に報償といふ觀念に基ゐするものなりと考へたり。以爲へらく、刑罸は其れを行ふより來たる何等の結果の爲めに行ふべきものに非ず、其れを行ふべき理由は唯だ其の犯罪に對して必ず爲すべき報償といふことにあるのみと。カントは政治上自由主義を賛せり、曰はく、行政權と立法權との一手に合せらるゝは專制政治を來たすもの、其等兩權の相分かたれたるを以て正當なる政體を爲すべしと。彼れは又民約說を取りて社會は個々人が訂結したる相互の約束に基ゐしたるものなりと考へたり。然れども、民約說は彼れに於いては其の趣を變じて社會の歷史上の成り立ちをいふものたらず、唯だ立法上の理想を揭ぐるものとせられたり、換言すれば、彼れは國家を實際民約によりて始めて形づくられたるものと見たるにはあらずして恰も民約によりて形づくられたるかの如くに見て法律を立てざるべからずと考へたるなり、蓋し立法者は全國民が自ら定めざる法律を定めて之れを其の國民に擔はしむべき筈なければなり。
カントに從へば、人類歷史の起原は人間が唯だ其の本能に從うて行動したる稚き狀態を脫する所に在り、而して其の自然なる狀態と其を圍繞する自然界との上に文明上の所造を來たさむとする是れ即ち人類の歷史が取る所の道なり。初めは唯だ自然の欲望及び必要によりて起これる團結を漸次に理性の指示にかなふ國家とならしむる是れ即ち歷史進步の目的にして文明の進步も畢竟ずるに此の目的に向かひゆくものなり。文明を進むる道は吾人の具ふる種々の能力を發達せしむるに在り、而して其等能力の發達は分業を必須とし或者は勞働に從事し或者は高等なる知力的事業に從ふ餘裕を得ざるべからず。斯く分業の行はれ來たるに從うて自然に階級間に不平等を來たし又其れに從ふ獘害をも生起し來たれども是れ到底人類の進步に免るべからざる所にして斯く個々人の競爭することなくしては吾人の能力を發達せしむる能はざるなり。かくの如き不平等、競爭及び之れに伴ふ獘害のあるは免るべからざる數なりといふものから其等によりて眞實に文明の進步を計らむには個々人が組織する社會に安寧の保たるゝを要す、而して其の安寧は啻だ一國家の內部に於いてのみならず又國家と國家との間にも保たれざるべからず。但し或狀態に在りては國家と國家との間に起こる戰爭てふものが却つて吾人を刺激して文明上の進步を爲さしむる利益あれども人類の終に到達すべき極致即ち完き文明はあらゆる國家の間に世界的同盟の形づくらるゝに至りて始めて成就せらるといふべきなり。
審美論附目的說
《自然界道德界の間に位する判定力の境涯。》〔四一〕カントの知識論に言ふ所は自然界の法則にして其の道德論に言ふ所は自由の界に於ける規律なり。自然界は學理的知識の境涯に在り、其は畢竟關係的なる又有條件なる吾人の見樣にして物自體は其の範圍に在らず。自由界は道德上の事にして絕對無條件なる眞實體界のことなれども其は知識にあらずして要求又は信仰たるに過ぎず。さればカントに取りては自然界と道德界との二つは全く別異の世界を成して其の間に一致の存することを說く道なきが如く思はる。自然界は唯だ事物の在る樣を云ひ道德界は吾人の當さにあるべき樣を言ふ、前者は感官上のものにして悟性の範圍なり、後者は感官以上のものにして理性の範圍なり、吾人は兩者の間に如何なる關係の存するかを知らず、されど道德は其の理想が自然界に行はるゝことを要求す、然らば其の間に何等かの一致を示すものなくしては此の兩界が唯だ二つの離れ〴〵のものに分かれ了はる困難あり。此の困難を救ふ道としてカントは恰も兩者の中間に位する如きものとして判定力(Urteilskraft)の境涯を置けり、是れ即ち彼れが第三なる批判の問題なり。彼れ以爲へらく、悟性は局部的(關係的又有條件なる)統一によりて働き、理性は無條件なる觀念によりて働き而して判定力は自然界に於ける目的といふ觀念によりて働く。判定力の依りて以て働く統一は目的ある動作に於ける統一なり、判定力の自然界に對するや其を恰も目的を有して働き居る(換言すれば目的といふことに於ける統一ある)ものなるかの如くに見る、而して其の統一は悟性の局部的統一よりも理性の無條件なる統一に近き趣あり。されど其は前なる二者と異なりて學理的知識にもあらず、又道德上の要求にもあらず唯だ其の如き目的上の統一あるものなるかの如くに判定するのみなり。
《決定的判定と反射的判定、目的上の判定と觀美上の判定、カントの第三批判の問題。》〔四二〕判定は、廣き意味にていふ時は二極の部類に分かる、決定的判定(bestimmendes Urteil)及び反射的判定(reflektierendes Urteil)是れなり。決定的判定とは已に與へられたる通性に屬するものとして個物を置くもの、反射的判定とは與へられたる個物をおくべき通性を求むるものを謂ふ。換言すれば、前者は一事物其の物の有する性質として其れに決定を與ふる者、後者は前者の如く事物其の物の成り立ち及び性質を言ひ現はすものに非ず、其れに就いて知識を與ふるものにあらず。反射的判定は唯だ判定を下す者自らが其の事物に對する態度をいふに過きず、即ち客觀的に一事物に就いて決定を與ふるものにあらで唯だ主觀に顧みたるもの、換言すれば、一事物を見て恰も智慧ある者が之れに與ふるに統一を以てし而して其の統一をして吾人の認識力に合ふ樣にしたるかの如くに思ふにあり。
目的に合ふといふことに二種あり、主觀的と客觀的と是れなり。目的に合ふことの主觀的なるは一事物が吾人自らの了解力に適合したるを云ひ目的に合ふことの客觀的なるは一事物が其の物の職分又は本性にかなへるをいふ。斯く一事物が客觀的に目的にかなへるを見るは目的上の判定(teleologisches Urteil)、主觀的に目的にかなへるを見るは觀美上の判定(aesthetisches Urteil)なり、而して此の二つの題目はカントの第三批判(即ち判定力)の問題となるものなり。
斯くの如く判定力によりて一事物の目的に合ひたることを知覺するや常に快感の伴ふなり。而してカントの心理說に從へば快不快の感情は智識力と意志力との中間に立つものなり、即ち心理上より云へば恰も情が知と意との中間に立つが如く彼れが哲學の組織より云へば判定力が悟性と理性との中間に位するものなり。
《カントの美論は主觀説、又形式説なり。美の快感と感官上の快感との別。》〔四三〕觀美的判定は客觀界なる事物の性質を表示するものに非ずして唯だ一物が吾人の想像力と悟性とを其の相和するやうに働かしむる所に下さるゝ判定なり。想像力は時空に於ける多なるものを與へ悟性は之れに統一を與ふるものにして此の二能力の相和する樣に活動したることは其の活動に於いて吾人が快感を感ずるによりて認めらる、美なるものとは畢竟かゝる快感を吾人に與ふるものの謂ひなり。斯くして其の物が吾人の想像力と悟性とを相和するやうに働かしむることに適せる故を以て其れが吾人に快感を與へたる時に於いて吾人は其の物を美なりと判定するなれば此の快感は其の判定に於ける客語の地位に立つものなり。其の如く一物に就きて吾人が其を快しと感ずることを言ひ現はすものなるがゆゑに觀美的判定は綜合的なり。然らば觀美的判定は均しく一物を快しとする他の判定即ち感官上の快樂を與ふるものを快しとする判定、例へば一物を味感に於いて快しとする如きと如何なる點に於いて相異なるか。カントに從へば、觀美上の判定も感官上の判定と同じく主觀的なるもの、換言すれば、客觀的事物其のものの具ふる性質を言ふに非ずして吾人の主觀に覺ゆる快感を言ひ表はすものなり。觀美的判定が唯だ感官上のものなる快感と異なるは其の判定の遍通性を有することに在り。吾人が一物を取りて其を美なりとするや其の美となる所のものは凡そ人性の成り立ちより觀て相同じかるべきものにして美醜の判別に於いては諸人の從ふべき一定の標準あり。然るに唯だ感官上の快感は其の如く遍通的ならず、例へば一人の味官に快しと感ぜらるゝもの必ずしも他人の味官にしか感ぜらるべき筈なりと云ふ能はざるが如し。趣味の差別は相爭ふべきものならずとは唯だ感官上のものに就いていふべく觀美上のものに就いて云ふべからず。然らば觀美上の判定は何故に遍通的なるを得るか。曰はく觀美的判定に於いて言ひ現はす吾人の快感は主觀的なると共に又唯だ一物の形式にのみよりて起こさるゝものなるがゆゑなり、委しく云へば、其の物の形式(Form)が吾人の想像力と悟性との働き樣に適合し、而して凡そ人として想像力と悟性とを具ふる以上は其の物の形式が其れに適合する故を以て吾人に快しとせらるべき筈なればなり。斯くの如く形式的にして且つ主觀的なることと遍通的なることとを相離れざるものと見る是れカント哲學の全體に通じたる思想にして彼れの審美論に於いて亦其の根柢を成すものなりと知るべし。感官上の快感も美の快感と同じく主觀的なれども其は唯だ事物の形式によりて生ぜしめられず其の材質(即ち個々なる感覺に屬するもの)によりて起こさるゝ者なる故を以て美感の如く遍通的なること能はず。
かくの如くカントに取りては美なるものは唯だ其の形式のみによりて吾人に快感を與ふるものなり。而して彼れは此の故を以て色聲香味等一切の感覺に結ばるゝ種類の快感を悉く美界より排斥せり、曰はく、吾人が一物を美はしとする時の快感は色又は聲てふ感覺其の物に結ばれたる快味にはあらずして其等の感覺が時空の上に相關係せしめられたる形式によりて起こさるゝ快感なりと。斯くして吾人はカントの審美論に於ける二方面を認むることを得、即ち彼れの審美論は主觀說なると共に形式說なり。彼れに取りては美は主觀的のものにして其れが唯だ能知覺者に對してのみ在るは猶ほ彼れの知識論に於いて自然界の法則が唯だ知識する吾人に對してのみ在るが如し。是れ彼れ以後に於ける美學思想の發達上實に甚だ肝要なる點なりとす。カントは其の知識論にも又其の道德論にも貫通し居る形式主義に從ひ其の審美論に於いても亦凡べての內容を排除して唯だ形式のみを殘したり。其れ唯だ形式に闊係す、かるがゆゑに美に關しても亦先天的に綜合的判定を形づくることを得るなり。而して其の形式は主觀に對して目的にかなへる關係に外ならず。
上述せる所によりて見れば觀美的判定は快感に基ゐせるものにてありながら遍通性を有するものなり、感情なると共に判定なり。故にカントは之れを名づけて品評的判定(Geschmacksurteil)と云へり。此の點に於いて彼れの所說は純形式的美學なると共に又感情的美學なり。
《美感の特色。》〔四四〕美が唯だ感官上快味あるものと異なるは後者が形式以外なる感官上の所依を有して遍通性及び必然性に缺ける點に在り。美と善と相異なるは後者に於いては理性の觀念によりて吾人が快感を覺ゆる點にあり。唯だ感官上なる快味は禽獸も之れを感ず、又感官を有せざるものと雖も理性をだに具ふれば善を認むることを得、然れども事物を品評して美とするは唯だ人間これを能くす。美と完全(即ち內在的目的に適へる)と相異なるは後者が一物の槪念又は本性に基ゐする點に在り、盖し其の物を完全なりといふは其れが其の自らの槪念に合へるの謂ひなり、然るに美は槪念の媒介に依らずして吾人に快感を與ふるものなり。又美は利あるもの(即ち外在的目的に適へるもの)とも異なり、盖し吾人が一物を美と認むるは其の物が其れ以外の或事柄に役立つの關係を思ひ浮かぶることなくして吾人に快感を與ふるものなればなり。觀美の快感は一切利益の感を離れたるものなり。感官上の快味と善とは共に事物の實存在に懸かれるものなれど、美は其の如き意味にて存在物に繫がれたるものにあらず、是を以てカントは觀美的狀態を說いて一切の目的及び利益の觀念より離れたるものなりと云へり。
されば美は一物が吾人をして其の目的を思ひ浮かべしむることなくして而かも目的に適へることに在りと云ふを得べし。例へば、吾人が一輪の花を見て之れを美しとするは其の花が何等かの目的の爲めに役立つといふことを思ひ浮かぶるが爲めに非ずして唯だ其の花が其の形式に於いて吾人の想像力と悟性とを相和して働かしむる目的に適へるが故なり。是に於いてカントは美に定義を與へて曰はく、唯だ其の形式(即ち槪念の媒介によらず目的の想念を思ひ浮かぶることなくして目的に適へること)のみによりて利益の觀念に結ばれざる快感を遍通的に又必然的に吾人に與ふるもの是れ即ち美なるものなりと。斯くしてカントに於いては行爲の範圍(意志及び欲求の領域にして感官上及び道德上の滿足を含めるもの)と知識の範圍(即ち槪念によりて働くもの)と觀美の範圍との三者が明らかに區別せられ美は眞及び善とは別異なるものとせられたり。
かくの如くカントは觀美的判定は一面に於いて感情なると共に他面に於いて判定なりと說きたる點に於いて其の審美說はライブニッツ‐ヺルフ學派の知力說(即ち觀美心を知識作用と同一視したるもの)にも同じからず又英國の學者等が唱逍せる經驗說即ち美感を感官上の快味と同一視したる說)にも同じからず、彼れの審美說が此等二派の所說に對して取りたる位置は恰も彼れの知識論が唯理說と經驗說との中間を行かむとしたるが如きものなりき。
《獨在美と依他美。》〔四五〕右述ぶる如くカントは美學上純なる形式說を唱へむとしたれども亦流石に內容に關係したる美を全く捨つること能はずして終に獨在美(freie Schönheit)と依他美(anhängende Schönheit)とを區別し、後者は事物が其の槪念(即ち其の物の當さに在るべき樣)を現はしたることに懸かれるものなりと云ひ而して家屋宮殿等の美を以て後者に屬するものとしたり。而かも彼れは尙ほ其の形式說を救はむと欲して後者に於ける觀美的判定は不純粹なるものなりと云へり。故に彼れに從へば、理想を現はすことに係かる美は凡べて不純粹なるものなり、例へば人身を見るに唯だこれを其の形式の上に於いてのみせずして人間たるべき想(Ideal または Normalidee)が其れに善く現じたりといふ點よりして其を美とするは是れ不純粹なる觀美的判定なり。而して這般の理想はおのづから道德上の觀念に聯結し來たるべきものなり。さればカントに從へば、此等の觀念を現はしたる最も意味深き美は最も不純粹なるものと云はざるべからず、是れ彼れが其の純なる形式說以外に出でざるを得ずして猶ほ表面上の形式說を維持せむとしたる結果なり。
《美麗と壯麗、壯麗と道德的觀念。》〔四六〕カントは依他美を言ふことに於いて終に道德的觀念に逢著したるが如く亦壯麗(Erhabenheit)(彼れはバークと共に美麗と壯麗とを相比べて說けり)を言ふことに於いて其の觀念を持ち來たれり。以爲へらく、壯麗は美麗とは異なり定形なきものに於いても發見することを得、盖し吾人は一切の比較を超絕するほど大なる若しくは强きものに對して其を壯麗なりと感ずと。斯くしてカントは壯麗に數的のものと力的のものとの二種を別かてり。前者は吾人の知性に對するものにして吾が知力を以て商量し得ざる程に大なるもの、後者は吾人の意志に對するものにして吾が意力を以て比較すべからざるほどに力あるものをいふ。美なるものは吾人の想像力と悟性とを相和する樣に働かしむるもの、壯麗なるものは吾人の想像力と理性とを其の消極的調和とも名づくべき關係に在らしむるものなり。之れを消極的關係といふは盖し人が壯麗に對するや吾人の感官に基ゐせる想像力が理性の觀念を現はすに足らざるを白狀することに於いて其れが却つて理性に對して有すべき態度を取りたるものなればなり。壯麗なるものは吾人に無限絕對なる者の觀念を喚起せしめ而して吾人の感官上に現はるゝ一切のものは能く此の觀念を現はすに足らざるものとせらる、換言すれば無限なるものは其れが想像力の作り得る形を以て表現されざることによりて表現さるゝなり。此の故に眞實に壯麗なるものは自然界なる外物に在らずして寧ろ其を認めて壯麗とする者の心に在り、即ちまことに壯麗なるは吾人の理性なり、詳かに云へば吾人の理性が我れ及び我れ以外に於ける凡べての自然界の事物の上に超絕したることを自覺することによりて壯麗の感を覺ゆるなり(此の點に於いても亦カントの主觀說を見るべし。)感性が斯く自らの足らざることを認むるや此處に苦痛の感を起こし來たれども其の反動として理性の勝利を現はすことに於いて快感は生じ來たる。故に壯麗に於ける快感は其れが苦感に先だたるゝ點に於いて美麗の快感と異なり。壯麗の感は此の點に於いて寧ろ尊敬といふ道德上の感情に似たり。
《自然美と藝術美。天才論。》〔四七〕カントは自然美と藝術美とを區別して曰はく、前者は美はしき物、後は一物を美はしく想念したる物なりと。(此の語は後の美術論に於いて深き意味を含める者とせらる。)彼れは最も自然美を貴びたれども又此の點に於いて美術の價値を發見せり。以爲へらく、美術の長所は天然の有樣其の儘に於いては醜きものをも美はしく表現し得る所に在り、美術によりて美はしく表現せらるゝこと能はざるは唯だ嘔吐を催ほすが如きものあるのみと。
カント曰はく、美術的製作物は其れが恰も天然に生じたるものなるが如く見ゆるに於いて始めて眞に美なり、天然物は恰かも其れが藝術によりて生じたるものなるが如く見ゆるに於いて始めて眞に美なりと。其の意盖し天然物は自然に生じながら其れが恰も目的に合ひ居る點に於いて藝術の所造なるかの如く見え、美術品は人爲に成りしものにてありながら其のわざとならぬ點に於いて恰も天然に成れるが如く見ゆるところ是れ即ち其の美の存在する所なりといふに在り。是を以て美術に於いては人爲と天然とが相合せりといふことを得、而して其の美術に於ける天然の何處より來たるかを尋ぬれば、これを天才に求むる外なし。天才とは依りて以て天然が藝術に規則を與ふる生得なる天質の謂ひなり。故に天才は學習し得べき規則に從うて作する者にあらず、其の所作は獨得なると共に模範的なり、而して其の作するや如何にして自ら作爲するかを知らず、其の作爲を支配する規律等に對しては彼れは全く無意識なり。此くの如く自ら規則を意識せずして作爲し而も獨得なる又模範的なる動作をものし得る天才の心作用に於いては想像力と理性とが美想(aesthetische Idee)を形づくり得るに適したる相互の關係を成すを要す。美想とは想像力によりて作りたる一想念にして而も一槪念によりて槪括し得られざるほどに多くの事柄を思ひ浮かばしむるものの謂ひなり。理性の觀念は感官上の一想念を以ては現はし得べからざるものなるが今謂ふ美想は感官上の感念にてありながら悟性の一槪念を以ては總括し得られざるものの謂ひなり。餘韻嫋々して盡きずといふが如きは即ち此等美想の活動を謂ふものにして此等の美想を形づくり得るもの即ち天才の特色なりとす。
天才に於いて感性上のものと理性上のものとが深き一致をなし自然と意識とが其の根柢に於いて相合一する所あるを示せる如く、亦總じて觀美の境界に於いては自然界と絕對界との恰も調和し居れるが如き相を認むることを得。カントに取りては美は終に道德界の標幟と見られたり。其の意に以爲へらく、美なるものに在りて恰も理性の觀念が感覺界に於ける表現を得たる如く見ゆるを思へば理性と感性、道德界と自然界とが其の根柢に於いて全く相分かれたるものにあらざることに思ひ到るを得と。
《目的上の判定。》〔四八〕觀美的判定は一物の形式が主觀的に目的に適へることに基づけるものなるが、カントの所謂目的上の判定は目的に適へることの客觀的なるものに關す。而して客觀界に於ける諸物の中先づ最もよく目的に適へる關係を表現するものは有機物なり。機械的關係に於いては一部分が他部分の所依となることあるのみ、即ち先づ個々なる部分ありて面して假りに之れを總括して一全體と成すに過ぎず。然るに有機體に於いては部分と部分との關係が全體の觀念によりて決定せらると見ざるべからず、換言すれば、其の諸〻の部分が相互に定形を與ふる所依となることに於いて全體の觀念が働き、因りて能く其等相互の關係を定むるものと見ざるべからず。此くの如く全體の觀念によりて個々なる部分に其の相互の關係の與へられ其の各〻に定形の賦與せらるゝをカントは名づけて其れが目的によりて形づくらると云ふ。彼れは生物の說明には機械的關係の外に其の如き目的上の關係をも持ち來たることを要すとせり。カントは生物に於ける種を論じては之れを本來定まりたるものの如く云へる所あれども又曾て一種が他種の變化によりて生ずることのあらむを臆說として許したり、例へば現在生存する猿猴の種類が自然界に於ける劇甚なる變動の爲めに將來或は人間に似たるものと變化することあらむとも想像せられざるに非ずと云へり。されど彼れは此の臆說を以て吾人が思想の冒險的所爲と考へたり。假りに凡べて生物の種類は或一根本生物より自然に變化し出でたるものなりとすとも遂に生物が無生物より生じたることを說明し得ず、故に生物全體の成り立ちに就いては吾人は機械的說明の外に目的上の說明を用ゐることを廢する能はず。
かくの如く有機物を目的に依りて形づくられたりと見る上は吾人は自然に其の見方を擴げて之れを全自然界に用ゐむとするを防ぐべからず。換言すれば、吾人は一有機體が全體の觀念によりて形づくらるゝを見るが如く其の住する自然界の諸物もを亦同じく全體の意匠によりて形づくられたるものなるかの如くに見ることを得。斯く見來たれば吾人は一切の生物が段階を成し人類が其の極致に位し而して自然界が人類を其の目的となし居るかの如くに見ることを防止し得ず。即ち吾人の見樣は所詮人間中心的ならざるを得ず。然れどもゆめ之れを以て其等自然界の諸物を學理的に說明したるものと思ふべからず、其の如き目的上の判定は吾人の知識の範圍內に屬するものに非ざればなり。畢竟是れは自然界の事物に客觀的說明を與へたるものに非ずして唯だ吾人自らの爲めにしたる說明なるに過ぎず。故に此等の判定も亦觀美的判定と共に知識上即ち論理上の決定的判定に對して反射的判定と名づけらるべし。知識の範圍に於いて言ふ時は吾人は宜しく機械的因果の關係を以て自然界に於ける一切の出來事を說明し得むことを理想として學術の進步を圖るべきなり、但し吾人の實際經驗の範圍に在るは唯だ局部と局部との關係のみにして自然界全體にはあらず、故に其の全體を單に機械的關係に從うて說明し得べく見るは畢竟ずるに自然科學の理想たるに過ぎず。斯く見得ると共に又著眼の點を異にすれば自然界の諸物が目的によりて、即ち知慮ある主宰者によりて形づくられたるかの如くに見ることを得、此等は畢竟主觀的說明と名づけらるべきものなり。
かくの如くカントが其の『判定力批判』に於いて論ずる所は觀美的判定を言ふ所に於いても又目的上の判定を言ふ所に於いても常に全自然界の根據となりて其れに絕對的統一を與ふる感官以上の存在者あるべきことをほのめかすに終はれり。吾人はカントが斯くして其の二元論に止まることを得ずして終に一元論に進まむと力めたる跡を認むることを得。彼れの哲學は此等の點より見るも首尾貫徹したる一の完き組織を成せるものとは言ふべからざれども其の中には吾人を敎ふるに足る多くの思想を含み其の失敗若しくは矛盾の點すら猶ほ深き意味を吾人に知らしむる價値あり。要するに、彼れの哲學は兎も角も近世の歐洲哲學に於ける一大新時期を開きたるものにして其の哲學ばかり後來の思想を多く啓發する淵源となれりしものは近世殆んど見ざる所なり。
《カント哲學の影響及び其の不備の點。》〔四九〕カント以後の歐洲哲學は多少彼れの影響を(積極的に或は消極的に)蒙らざるもの殆んどこれなしといふを得。直ちに彼れに接し來たる獨逸哲學の大時期は即ち彼れが提起せし問題と其の問題の見方とに親密なる關係を以て開き出だされたるものなり。但しカントの說ける所に於いて吾人を滿足せしめざるもの固より少なからず、而して此等の點に於いて彼れの所說を改めむとするが先づ彼れに踵ぎて出でし新時代の思想家の目的としたる所なり。カントが說ける所の中先づ其の最も改修若しくは補足さるゝことを要する點は第一、彼れは感性及び悟性を說きながら二者の由りて出づる根本を說明せざることにあり。盖し彼れは感官的直觀に於いては時空の二形式ありといふのみにて其の二形式が何に基づき何處より來たるか、又何故に二形式のみあるかを說明せず、又悟性の槪念を言ふ時にも十二の範疇を拾ひ集めたるのみにて其の根原を說明せず。彼れが二元論は其の道德論に於いて亦其の難處を暴露せり。而して其の二元論をして一元に歸せしむる所以の道遂に十分ならず。
第二にはカントが所謂物自體てふ觀念に結ばるゝ難點あり。彼れは物自體を以て唯だ界限的槪念となし吾人は現象を考ふるに於いて物自體といふ境遇をおかざるを得ず、而かも是れは唯だ吾人の思考上の事に止まり、其の思考上必須なりといふよりして其の實在を推定すること能はずと說けるが如く見ゆると共に又吾人の知識の素材となる感覺の由來を言ふ時に於いては物自體てふものの實在して吾人の感官が其れより影響を受けて感覺を起こすが如く說けり、前者は彼れが哲學の唯心論的方面にして後者は其の實在論的方面なり。さて吾人の唯だ心上の物にあらざる物自體を實在するものと見ることが彼れの知識論に於いて能く維持さるべきものなるか、若し其の實在を許容し得ずとせば知識の素材的要素なる感覺は何處より來たるべき、又若し其の實在を否まば啻だ知識の形式のみならず、其の素材も(隨うて一切諸物は皆)吾人の唯だ心上のものとなり了すべきにあらずや。要するに彼れの所說に於ける唯心論的要素と實在論的要素とは如何に處置せらるべきものなるか。是れ須らく後人の論究を待つべき點なり。
第三に彼れは吾人の知識を批評的に硏究して先天的要素の存在することを發見すと云ひたるが、其の所謂批評的硏究其の物は吾人の知識上先天的のものなるか將た唯だ後天的のものなるか、換言すれば、吾人の知識に先天的要素の存在することを發見する道(即ち吾人の知識の成り立ちを知識する方法)其の物は果たして先天的のものなりや否や。カントが吾人に於いて時空の直觀形式及び十二範疇等の存在することを發見したるは經驗的方法を取れるものにはあらざるか。此の批評哲學硏究法の論是れ亦後に一の肝要なる問題となるべきものなり。右等の問題に關聯して新時代の思想の如何に開發せらるゝかは是れ吾人の後章に叙せむと欲する所なり。
第四十八章 カントの繼續者及び反對家
《カント哲學の反對家エーベルハルド、ガルフェ、ヘルデル等。》〔一〕カントは其の『純粹理性批判』を公にするに先きだち已に獨得の思想力あるものとして當時の學者間に注目せられ、其の批評哲學を發表してよりは彼れが哲學の十分なる意味は決して早く了解せられたるにはあらざれども猶ほ漸次に其の名聲を高め來たりき。其の晚年に及びては終に赫々たる大名を博し得て四方より其の謦咳に接せむと欲して笈を負うてケーニヒスベルヒに遊學するもの多く、中には他大學の敎授にして猶ほ親しく彼れの說を聽かむとて來遊せるものさへありき。
されど彼れに對する反對論も亦盛んに起こり而して其の反對は種々の方面より爲されたり。ライブニッツ‐ヺルフ學派の立場よりして彼れを攻擊したる者の中にてはエーベルハルドの如き其の錚々たる者なりき(第四十六章第七節を見よ)。エーベルハルドはカントの哲學を攻擊せむが爲め特に雜誌を發行したるほどなりき。又多少獨立の立場より攻擊を加へたる者にはガルフェの如きあり(同上を見よ)、又當時の啓蒙的思潮の先導者にしてロックの立場よりカントを攻擊したるも少なからざりき。
右等の人々よりも攻擊者として更に注意する價値あるは曾てカントの講義を聽聞したることある文豪ヘルデルなり(第四十六章第九節を見よ)。彼れはスピノーザ風の說にライブニッツ風の思想を混じ且つ詩歌的趣味を以て解したる一元論の立場よりしてカント哲學に反對し自然を以て有意識なる心靈によりて活動せしめらるゝものの如くに見、自然と精神とを相離れずして發達の段階を成すものとしてカントの二元論を非難せり。彼れは吾人の言語を以て感官上の印象より思考作用に進みゆく媒介を爲すものと考へたり。彼れは又知識の形式と素材とはカントの言ふが如く本來決して相離れたるものにあらず、理性及び感性も亦カントの云ふが如く相離れたるものにあらず、時空は畢竟吾人の經驗的觀念なりと考へ、又天然の活如たる樣を發表するが美の骨髓なりと見、而して此の立場よりして烈しくカントが形式的審美說を駁擊せむと試みたり。彼れがカントに對する攻擊の調子は不必要なるまでに穩當を缺きたる所ありき。
《反對家ヤコービ及びハーマンの說。》〔二〕獨立の立脚地よりカントに反對して一家の思想を建設せむとしたる者にして吾人の注意を惹くべきは
ヤコービ(Friedrich Heinrich Jacobi 一七四三―一八一九)
なり。彼れはカントが知識の素材と見傲したる感覺の由來に就きて其の所說に困難の點あるを指摘して曰はく、カントは吾人の感官が影響を受けて茲に感覺を生ずといふ。然るに感官に影響して感覺を生ぜしむるものは何なりや。思ふに其は現象か又は物自體かの何れかなるべし。併しながら現象が其の如き影響を與ふとは云ふべからず、盖し感覺てふ素材ありて始めて現象が成り立てばなり。又物自體を以ても其の如き起因を說明すべからず、何となれば斯く說くは是れ取りも直さずカントが現象界にのみ限りて用ゐるべきものとしたる原因てふ範疇を其の界を越えて用ゐ、物自體を以て吾人の感官に働きて能く感覺を生ずる原因となすものなればなり。然らば知識の素材をも其の形式と共に全く主觀の造る所と爲さむか。かゝらば終に絕對的唯心論に陷らざるを得ざるべし。ヤコービはカントが知識論の歸結は此の點に於いて其の論の正しからざるを示すものと考へたり。但し彼れはカントが吾人の悟性の槪念を以ては感官以上のものを知るに堪へずと論じたる點に就いてはカントが知識論に於いて取るべき所として之れを承認したりしかどもカントが吾人は知的理性を以て感官以上のものを知るべからずとしたるを補はむが爲め行的理性の要求に其の道を求めたるを以て甚だ不十分なるものとなせり。盖しヤコービは知識上確實なりとは知るべからざれども唯だ吾人の道德心が之れを要求すといふのみにては未だ十分に吾人に確信を與ふるに足らずと考へたるなり。
ヤコービ自ら以爲へらく、吾人が感官上の事物を知るも、又感官以上の事物を知るも、其の知識の窮極する所は直接的のものならざるべからず。吾人は感官により直接に外物の存在を認めて疑ふことを爲さず、若し直接の知識を許さずして唯だ所依を追うて論證を用ゐることにのみ止まらば、凡べての哲學の正當の結論はスピノーザの萬有神說に歸著せざるを得ざるべしと。彼れは久しく世に忘られたるスピノーザを再び世に紹介するに與りて力ありたる者なり。尙ほ以爲へらく、若し一物の證據を其の所依に求めば終にもとより無所依なるものに達すべからず、世界以外に在りて世界の所依となる而して自らは他に其の所依を有せざる神の存在を證し得べくもあらず、唯だ世界の中に在りて其の全體が必然の關係によりて相保持さるゝことを說く外なし、即ち古來斯かる路を取りて硏究したる一切の哲學は正當にスピノーザの說に歸著すべきもの、而して其は取りも直さず唯心論にして又宿命論なり。若し其の如き說を以て滿足する者あらば論理上之れを說破すべくもあらず、されど斯かる說を唱ふる人は是れ吾人に於ける最も高等なる心念及び向上心を缺如し居る者なりと云はざるべからず。是に於いてかヤコービは斯かる高等なる心念及び向上心の據處として吾人に直接に神及び其れに關する事柄を觀ずる力あることを唱へ、之れを名づけて信仰と云へり(彼れは初めには信仰を受納的のものとして之れと悟性及び理性とを相對せしめしが後には悟性と理性とを相對せしめ而して理性を信仰と同一視せり)。以爲へらく、吾人は窮まり無く論證を運ばすこと能はず、何處にか更に證明を用ゐること能はざる而して又其れ自身に必然に吾人の承認せざるべからざる感情なかるべからず、然らずば凡べての知識は其の根據を失ふべし。而して斯く吾人が其れを承認せざるべからずと感ずる是れ即ち信仰といふものにして是れは感官を以て外物を認識する所に存するが如くに亦感官以上のものなる神及び彼れに關する事柄を直觀する所にも存すと。之れを要するに、ヤコービは謂はゆる信仰哲學の一好代表者なるが其の所說は彼れ自らも言へる如く組織的に開發したるものにはあらざれども猶ほ其の說の根柢は信仰(即ち感情)と悟性との二元論に立てること恰もカントが悟性と理性との二元論に立てるが如し。彼れ曰はく、「我が心情に於いて光あり而かも我れ之れを悟性の上に移さむとするや忽ち消滅す」と。
ヤコービに似て個人の信仰上の確證を以て據處としたるは彼れ、へルデル及びカント等と交遊せし當代の一奇物ハーマンなり(Hamann 一千七百三十年カントと同じ市府に生まれ一千七百七十八年に死す)ハーマン以爲へらく、吾人の悟性にのみ依る時は終に吾人の心中に相和すべからざる分離を來たさざるを得ず、而してカントの論は此の獘に陷れるものなり。然るに吾人の心性は實際其の如く相分離したるものにあらず。言語の妙用に於いて吾人は已に理性が感官上の存在を取り居ることを認むるを得と。彼れは吾人が悟性を以てする知識の代はりに宗敎上の祕密を各自に其の心底に於いて直接に感じ得べきことを說けり。
《シュルツェの反對說。》〔三〕更に他の特殊なる立脚地よりしてカントに對する駁擊を試みたるものあり、即ち懷疑的立脚地よりカントが知識論の歸結を暴露せしめむと力めたる
シュルツェ
是れなり(Gottlob Ernst Schulze 一七六一―一八三三、其の著書 "Aenesidemus" 一千七百九十二年に出版せらる)。彼れは已にヤコービの論じたる點に於いてカントが知識論の弱點を衝けり。以爲へらく、吾人の感官に影響して吾人の知識に其の材質を與ふるものなる物自體てふ觀念は自家撞著のものなり。是れ盖しカントが經驗界を超えては用ゐること能はずと云へる純悟性の槪念をば經驗界を超えて用ゐたるものに外ならざればなり。カントの知識論は知識の材質も其の形式と共に等しく吾人の主觀に由來すと云ふことを拒否する力なし。カントが知識論を以てしてはヒュームの懷疑說は未だ破れざるなりと。
《カント哲學の繼承者、開發者ラインホルド等。》〔四〕右述べ來たれるが如く種々の立場よりしてカントの哲學に對する攻擊を爲したるものありしが、之れと共に彼れの立脚地を取りて其の說を更に全からしめむとしたる者も多かりき。カント哲學を解釋して之れを世に紹介せむと力めたる者の中最も早きはヨハンネス、シュルツ(Johannes Schultz 一七三九―一八〇五、其の著『純理性批判解說』"Erläuterungen über des Herrn Professor Kant Kritik der reinen Vernunft" は一千七百八十四年に出版せられき)又カント哲學を傳播したることに與りて最も力ありしは
ラインホルド(Karl Leonhard Reinhold 一七五八―一八二三)
なり。彼れがイェーナの大學に聘せられて其の哲學敎授の椅子に坐してよりは該大學はカント哲學の一大中心となり、其の市に於いて發行されたる『イェーナ文學叢誌』の如きは其の哲學を擴張する最も勢力ある機關となれり。ラインホルドはおほむねカントの所說を守りて之れを世に傳播せむと力めたりしが尙ほ彼れは吾人の觀念の由來を論ずる點に於いてカントの所說に缺けたる所ありと見て之れを補はむと試みたり。カントは直觀、悟性及び理性といふ如き種々の作用を說きたるのみにて未だ其等の由來する一根柢を示さざりき、換言すれば、カント哲學に於いて缺けたる所は一の最高原理なり、而して此の最高原理てふものは各人が凡べて證明を要することなくして直接に認め得べき事實ならざるべからず、而してラインホルドは吾人の意識是れ即ち其の事實なりと考へたり。以爲へらく、吾人の意識の示す所を見るに各觀念に必ず三要素の含まり居ることを發見す、主觀、客觀及び其の間に於ける觀念作用是れなり。是に於いて彼れは意識の中に含まる此の最高原理を言ひ表はして、觀念は意識に於いて觀念さるゝものと觀念するものとに區別せられ而かも其れが觀念作用に於いて相互に關係せしめらると云へり。彼れは此の根據よりして吾人の知識の素材の客觀的由來及び其の形式の主觀的由來を說明せむとせり。
《シルレルの美說。》〔五〕ラインホルドは專らカントが知識論の方面に立ちて其れの統一的根本を示さむとしたる者なるが別に主として其の倫理及び審美論の方面に於いて其の二元論の獘を救ふことによりてカント哲學を開發せむと力めたる者は有名なる詩人
シルレル(Johann Christoph Friedrich Schiller 一七五九―一八〇五)
なり。シルレルはカントの審美說より出立して美學史上永く記憶せらるべき功績を遺せり。カントは理性と感性とを相對せしめ後者を以て全く前者に隸屬すべきものと說きしがシルレルは此の點を改めて吾人に於ける此の人生の兩方面を以て對等のものとなし其の互に相和したるを人間の理想として之れを美心(schöne Seele)と名づけたり。カントに從へば、美の範圍は理性と感性との調和の標幟にして其の現實なる客觀的調和にあらず唯だ觀美的狀態に於いて主觀の見樣に其の調和の存するのみなり。シルレルは以爲へらく、美に於ける調和其のものは現實なるもの客觀的なるものなり。即ち觀美的活動は吾人に取りての最高なる活動にして此の活動は或他のものの標幟にあらず。此の兩者の調和に成れるものは主觀に於いては美的人間を成し、客觀に於いては美術的製作を成す。美的人間を造るは是れ即ち美育にして人間歷史の進步は此の美育を進めて吾人の氣品を高うすべきものなり。而して此の氣品は感性に屬する材質的衝動(Stofftrieb)と理性に屬する形式的衝動(Formtrieb)との優美なる調和に在りと。此の點に於いてシルレルはカントが倫理說の偏嚴なるを非とせり。
シルレル以爲へらく、右云ふ兩衝動の相和合したるもの是れ遊戯衝動(Spieltrieb)なり。遊戯衝動の現はれたる最も單純なる又最も下等なる段階は動物が其の活力の溢るゝ故を以て遊び戯るゝ所に見え其の高等なる段階は人間が事物の形を其の實在より離して之れを樂しむことに現はる。美術的製作は即ち此の遊戯的衝動に淵源したるものなり。美術は實在より離れたる假象其の物を樂しむことによりて起こるものにして此の假象を作る所以のもの即ち美術なり。美術は實在を示さむの目的を有せざるものなるゆゑを以て虛僞にはあらず又實在に結ばるゝ一切の利益の關係より離れたるものにして唯だ其の形其のものを樂しむ吾人の心に訴ふるものなりと(カントが形式說のこゝに如何に變化されたるかを見よ)。かゝればシルレルに取りてはカントが爲したる如く自立美と依他美とを區別する必要なし。彼れ曰はく、暗愚は吾人をして實在を出でて其の以上に上らしめず悟性は吾人をして眞理以下に止まらざらしめず、實在と眞理とを超脫して假象其の物を樂しみ得るは是れ即ち吾人が精神の發達を示すものなりと。故に彼れは又遊戯することに於いて吾人の性を全うすとも云へり。
《カントの繼承者マイモン及びベック。》〔六〕ラインホルドはカントの智識論に統一的根柢を與へて其が實在論的方面を維持せむとしたるがヤコービ及びシュルツェも指摘したる難點を排除してカント哲學を改めむとしたるものは當時有名なりしサロモン、マイモン(Salomon Maimon 一七五四―一八〇〇猶太人)及びヤーコブ、シギスムンド、ベック(Jakobi Sigismund Beck 一七六一―一八四〇)等なり。
マイモン
はカントの謂はゆる物自體は彼れが知識論に於いて終に維持すべからざるものなりと見て之れを除去せむとせり。彼れ以爲へらく、知識の材質に就きては吾人の明らかにし得ざる所あり、別言すれば其の由來は吾人の知識の範圍內に來たるものにあらず。感性と悟性とは全く相異なるものに非ずして寧ろ其の程度に於いて相異なるものなりと。マイモンは物自體といふ觀念を除去してカント哲學を改めむとしたるが
ベック
は同じ樣なる思想に出立してカント哲學の眞意を發表せむとせり。以爲へらく、一觀念の眞なるか否かを知らむとするに當たりて其の觀念を其れに對する觀念ならぬものと比較すといふ通俗の思想は誤れり、盖し吾人は觀念と觀念ならぬものとを比ぶること能はざればなり。吾人は終に意識外のものを知ること能はず。知識の材質も其の形式と共に吾人の意識の根元的統一によりて造り出ださるゝものなりと。斯くして彼れは實在論的方面を除去したるものを以てカント哲學の眞意と見たり。
《カントの繼承者フリース。》〔七〕尙ほ他にカントの知識論に於ける別問題に向かひて步を進めたるは
フリース(Jakob Friedrich Fries 一七七三―一八四三)
なり。彼れ問うて曰はく、カントが吾人の先天的知識の有無を討究したる其の批評的討究其の物は先天的知識なるか將た後天的知識なるかと、而して以爲へらく、吾人の知識に先天的要素あるか否かを知る其の事は後天的に爲さるゝより外に其の道あるべからず、換言すれば、吾人の心を顧み其の內部を經驗によりて知るより外に其の道なかるべし。是に於いて彼れは此の內部の經驗に基づきたる心理學を以て哲學全體の基礎となせり。以爲へらく、カントは其の理性批判の硏究法其の物の性質が斯く經驗を根據とするものなるを認むること十分ならずと。
フリースは斯く哲學硏究は畢竟後天的ならざるべからずと唱へたれども尙ほかかる後天的硏究法によりて吾人の知識に先天的要素のあることを發見し得べしと考へたり。又彼れは時空の形式及び範疇等を其等の先天的要素とすることに於いてカントと其の說を異にせず。其の知識論上硏究法の性質に就きての論を外にすれば其の所說の內容に於いて彼れは大抵カント以外に出でず。彼れは吾人の知識を以て現象界に限られたるものとし而して其の現象界其の物は有機體に至るまでも凡べて機械的關係に從うて數學的に說明し得べきもの、然るに眞實體は吾人の知識の範圍內に在らずこれに就きては吾人は唯だ信仰を懷くのみと說き、而して此の知識と信仰とを媒介するものを名づけて感想(Ahnung)と云へり。以爲へらく、觀美及び宗敎上の觀念は此の感想の範圍に屬するものにしてこれは現象と實體とを相離れざるものとし彼れに是れの現はれ、有形なるものに無形永恒なるものの發現するを認むるものなりと。之れを要するに、フリースが哲學の此の方面はカントの所說にヤコービ風の思想を混和したるものと謂ひて可なり。即ち彼れが哲學の骨子は左の三思想より成れり。第一、吾人は直觀と悟性の槪念とによりて現象界の事柄を知識し第二、理性の觀念に從うて永恒なる眞實體に就きての信仰を有し第三、感官界に現はれたるものの眞實體なることを感情に於いて感想し得ること是れなり。フリースが哲學硏究を心理學に基ゐするものと見たる思想は後にベーネケに至りて大に開發せられて特殊なる流派を成すに至れり。フリース出でてカント哲學を改めむとしたるに先きだちて已に其が根本思想を開發し其が缺點を除去して一基本より生じ出でたる整然たる大組織たらしめむとしたる者あり、是れ即ちフィヒテなり。以上列擧したるカント哲學に多少の改良を施さむとしたる人々はフィヒテの大組織によりて其の光輝を奪はれたるが如き觀あき。盖しフィヒテはカントより出でてカント以外に一大見地を開き而して謂はゆる獨逸主心哲學の大潮流を捲き起こしたる者なり。
第四十九章 カント以後の哲學
予輩は西洋哲學史を講じて茲にやうやくカント哲學を終へ、千有餘頁といふ少なからぬ紙數に達しぬ、是れ畢竟ずるに西洋哲學史の範圍宏大、少日月を以て講じ盡くすこと能はざればなり。而して予輩の爲めに餘されたる紙數多からず、又學期の終はりに迫りて詳細に述ぶる餘裕なければカント以後は唯だ其の哲學思想の發展の大略を述ぶるに止めざるを得ず。先づカントの繼承者とも云ふべき者の中最も大なるはフィヒテなり。
フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte 一七六二―一八一四)
《フィヒテの哲學、其がカント哲學に對する關係。》〔一〕フィヒテはカント哲學より出立せるものなり。カントは時空てふ直觀の形式を說き、又十二の範疇を說きたれども斯かる直觀の形式及び範疇の根元を示さず唯だ拾ひ集むるが如く其等を揭ぐるに止まりき。又彼れが謂へる知的理性と行的理性との關係の如きは、彼れが所說の中最も吾人を滿足せしめざる點なり。かくては知的理性によりて吾人に示さるゝ所と行的理性によりて示さるゝ所とが何故にかくも相分かるゝかを解す可からず。フィヒテの目的は此等カントの所說の中、其の相互の關係の明らかならざる所、又其の由つて出づる所の根元の明らかならざる點に就いて其の說を補はむとするに在り。殊にカントが謂はゆる物自體といふ觀念の如きは彼れの說けるまゝにては種々の困難あるを以てフィヒテは先づ此の點を改めむとせり。一言に云へば、フィヒテはカントが說ける主要なる思想より其が矛盾の點を除去し、相互の關係の無きものを相關聯したるものとなし、而して一根元より全體を開發せしめむと試みたるものなり。而して此の目的に向かひて進み行ける結果として彼れは終にカントを出でて別に其が特殊の立脚地を開けるなり。
カントの說ける所に從へば、吾人が見て以て外界を爲す所のものも實は吾人の心性の所造なり。殊に其の知識論の主心的方面に從へば、外界てふものを形づくる知識の材料として吾人に與へられたる感覺のみならず其の感覺を與ふるかの如くに云はるゝ物自體其の物も亦吾人の心を離れて存在すといふこと能はず。フィヒテはまさしくカントの哲學に於ける此の主心的方面を其の眞實なる又正當なる意義となし而して此處に自家の思想を結び來たれるなり。且つまたカントが外界を以て吾人の心性の所造より離れて存在するものにあらずと見たる時にも吾人の心性を言ふや唯だ其を個人的のものとせず寧ろ個人の意識に通じたる根基とも云ひ得べき遍通的意識の在るが如くに言へる所あり。而してフィヒテは其が哲學の根本思想を此の點に得たるものといふことを得。彼れに從へば、凡べての物は皆斯かる個々人の心作用の遍通的根基ともいふべき根本作用を以て其の窮極的根元となせるものなり。而して彼れは此の窮極的根元を名づけて絕對我と云へり。
フィヒテに從へば、凡べての物の根元は我の活動に在り、而して我は靜かなる一の事實又は存在と云ふべきものに非ずして寧ろ活動なり。即ち我の我たる所は其の自らを在りとする作用に存す、此の作用を離れて何等の我といふものの靜かに橫はる如きことあらず。凡べての存在の根本は即ち此の我なり、而して我の活動を自識する是れ即ち理知的直觀なり。是に於いてか、カントが吾人の知識の境涯以外に置きたる物自體てふ觀念が取り去られたりといふも可なり。斯くの如く我が我を置くことと相離れずして我が非我を置く働きあり、而して斯く我が非我を置きて我に對せしむると共に、其が置く所の我も、置かるゝ非我も、共に我の活動に外ならざるがゆゑに、我が我に於いて分我に對して分非我を置くと云ふべきなり。一言に云へば、我が我を意識することは我と非我との對峙と相離れず、而して斯く我と非我とを對せしむるもの亦是れ我の活動に外ならず。
かくの如く我が非我に對する時に於いては我は知我として活動す、換言すれば、主觀が客觀に對する所に知識てふ活動は始まるなり。而してフィヒテは件の知我の發達の段階としてカントが謂はゆる時空てふ直觀の形式及び十二範疇の出で來たる所以を說かむと試みたり。以爲へらく、知我の發達の頂上は我が十分に自意識に達したる所に在り、別言すれば我に對して非我を置き而して今迄我が其の非我に限られ居るが如くに思ひたるなれど其の非我も畢竟ずるに我の置ける所なることを悟るに至る、是れ知我發達の頂上にして茲に知我は行我と轉じ來たるなり。要するに、行我は我に循うて非我の境涯を形づくらむとするものなり、換言すれば、我が理想に從ひ世界を造りて之れを我が領內のものとせむとするものなり、而して道德は正さしく茲に存するものなりと。斯くしてフィヒテは一絕對的根元の開發の段階としてカントが謂はゆる知的理性と行的理性との關係を說かむとせり。
フィヒテがカントより出でて特殊の見地を開きたるが如く、又フィヒテより出でて一新立脚地を拓きたるものはシェルリングなり。
シェルリング(Friedrich Wilhelm Joseph Schelling 一七七五―一八五四)
《シェルリングの哲學、其がフィヒテの哲學に對する關係。》〔二〕シェルリングの哲學は種々の時期を經て變遷し行けり。彼れは最初にはフィヒテの立脚地に居りしものなるが其のフィヒテ時代ともいふべき此の時期を除けば、彼れが哲學の變遷には大凡三期ありといふことを得べし。第一期は彼れが自然哲學(Naturphilosophie)と知識哲學(Transzendentalphilosophie)とを並べ說きたる時代なり。第二期は其の無差別哲學(Identitätsphilosophie)と名づけらるゝものを說き出だせる時期にして此の期に於いては彼れはスピノーザの影響を蒙れり。第三期は彼れが神祕說及び神話學の時期と稱し得べきものにして此の期に於いては彼れはヤーコブ、ベーメ及び新プラトーン學派等の影響を蒙れり。
フィヒテに從へば非我(客觀即自然界)は我が自らを意識し行我に進み行きて道德我とならむが爲めに我に對して置かるゝものなり、即ち唯だ我の反對として我の自識を發達せしめむが爲めにのみ其の意味を有するもの也。シェルリングに取りては然らず、非我は唯だ我の反對にあらず寧ろ我の準備又は前階とも名づけ得らるべきもの也、換言すれば、非我即ち自然界が發達して而して我が其の中より生じ出づるなり。之れを譬ふれば、我即ち精神界は非我即ち自然界より咲き出でたる花の如きものにして而して其の花こそ自然界の存在の意味を現はし又其の眞性質を示すものなれ。自然界が發達し行き其が冠として精神界の生じ出づるに至りて自然界發達の目的に達したるものといふを得べく、又茲に至りて自然界に於いて働くものの眞に何たるかを知ることを得べし、何となれば自然界として存在し又活動するものは精神界として現はれ出づるものと同一不二なるものなればなり。かくの如く自然界と精神界とは聊かも反對をなすものにあらずして寧ろ一が他の發達の前段階を成すものなるが故に兩者おのづから相應じ相似たる所の在るなり。シェルリングに從へば自然界は決して死物にあらず、其は無意識なれども目的を有して活動する一團體なり、而して其の最下等の段階より上りて謂はゆる生物の界に至り而して生物に於いて精神の出現し出づるに至る次第を說けるもの是れ即ち彼れが自然哲學なり。彼れ以爲へらく、精神の發達して自然界を知り行くもの是れ即ち知作用なり。自然界の發達とは精神が自然界に生じ出づることをいふものにして知作用の發達とは自然界が我に來たることをいふものなり、換言すれば、知作用の發達とは精神が恰も嬰兒の如くにして自然界に生まれ來たれる時より其が意識を開發し行くに從ひて自然界が其の意識の中に入り來たることの謂ひなり。知作用の發達し行く極點は其の終に行作用となるに在り、而して行作用は人類の歷史に現はるゝものなり。知作用と行作用との一致したるもの是れ即ち美術的活動なり。自然界は無意識にして而かも目的を具へて活動するもの、美術的製作は有意識なれども其の作る所は恰も自然界が無意識に作る所に似たるものなり。即ち美術的製作に於いては意識と無意識との一致、自然と我との一致が成り立ち居れり、換言すれぱ、世界の最も深奧なる祕密が美術的製作に於いて發現すと謂ふべきなり。
以上はシェルリングが其の哲學の第一期に於いて自然哲學と知識哲學とを並べ說けるものの主意なるが、彼れが該期の思想に於いて已に自然界として活動するものも精神界として活動するものも根本に於いては同一者なりといふ思想は含まれたり。彼れに從へば無意識なる同一活動がまづ自然界として始まり而して自らを意識するに至りて精神界となるに外ならず、而して此の自然と精神とが其の根柢に於いて同一なるものなりといふ方面に專ら著眼して說きたるものを彼れが第二期の哲學即ち無差別哲學とす。以爲へらく、客觀と主觀とは其の本體に於いて平等無差別なり、之れを相離して見るは畢竟吾人の差別見の爲す所にして哲學上理知の直觀を開きて觀る者に取りては主觀と客觀、精神と自然とが融合して相離れざる所、換言すれば其の平等無差別なる所を見ることを得。此の平等無差別なる絕對者は事々物々に凡べて均しく存在するものなり、絕對者たる方面より見れば事々物々皆融會して一なり。
シェルリングは其の第三期の哲學に於いては神祕說に入りヤーコブ、ベーメ風の思想に從ひて凡べての物の名づくべからざる根元より其の無意識的なる衝動が有意識的にならむとして而してこゝに活動する神の生じ出づることをば始めとして、其の以後の世界及び歷史の歷程を說かむと試みたり。彼れが此の時代の思想に於いて最も注意すべき點は、唯だ成り得るもの或は唯だ活動し得るもの即ち盲目的なる力と、其れが活動して成らむとする極致を示すものとの二つを相結びて說きたることにあり。
シェルリングより長ずること五歲にして又同窓の學友として彼れと親しかりしヘーゲルは、恰もシェルリングが初めフィヒテの立脚地に在りしが如く、初めにはシェルリングと意見を同じうしたること多かりきと考へらるゝが、後に至りて終に彼れが特殊の見地を開きて兹に謂はゆる「ヘーゲル哲學」てふ大組織を立つることとなれり。フィヒテがカント哲學をして取らしめたる方向を取りて之れを其の當さに到るべき窮極の處に到らしめたるもの是れ即ちヘーゲル哲學なり。
ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel 一七七〇―一八三一)
《ヘーゲルの哲學、其のフィヒテ、シェルリングの哲學に對する關係。》〔三〕フィヒテの哲學は主觀を以て始めたり、故に哲學史家或は彼れの哲學を稱して主觀的主心論といふ。シェルリングは客觀を以て其の哲學を始めたり、故に哲學史家或は之れを客觀的主心論といふ。而してヘーゲルはフィヒテとシェルリングとを合し、主觀及び客觀をしてしかあらしむる所以の絕對的理想を以て出立せり、故に史家(殊に彼れの學派に屬する史家)之れを絕對的主心論と名づく。ヘーゲルに取りては絕對的理想(或は理性)是れ卽ち出でては自然界となり、內に還り自らを意識するに至りては精神界となるものなり。一切の事物は皆此の絕對的理想の發現に外ならず、而して其の發現する所の理想是れ即ち諸物に現はるゝ意味にして其の意味是れ即ち凡べての事物に於ける實在なり。一切の事物は皆かゝる意味(理想)を現はすの故を以て存在す。理性的のもの是れ即ち實在なり、凡べての實在皆是れ理性的のものなり。覆載間なる一切諸物の精髓は畢竟皆理性的意義なり、山川草木といひ、鳥獸魚介といひ、是れ皆理性の意味を語るものに外ならず。
理性即ち絕對的理想は論理的槪念の組織を以て其の骨髓とするものなり、而して此の眞理の骨髓ともいふべき論理的槪念の組織が出でて外に現はれたるもの(即ち恰も血肉を著けたる如きものとなりたる)是れ即ち自然界にして、そが再び內に還りて自らを意識するものとなりたる(即ち活きたる眞理、換言すれば眞理の自意識的となりたるもの)是れ即ち精神なり。故に自然も精神も共に眞理の活動したるものに外ならず。斯くの如く絕對的理想が、眞理を赤裸々にしたるものともいふべき論理的槪念の組織より出でて自然界となり、還りて精神となるは、畢竟其が本具する活動の然らしむる所にして、かくの如く活動する樣を離れて別に理性と云ひ、理想と云ひ、或は眞理と云ふものの存在するに非ず。凡べては皆理想の發達の然らしむる所にして、而してかゝる發達を外にして別に理想てふものなし。而して理想の活動し行くや其が一槪念を以て出立すれば(Thesis)自然に其の反對(Antithesis)に進み行き、反對に進み行けば又必ず二者の融和に進み行かざるべからず、而して其の融和(Synthesis)に進み行けば又其れに對する反對に移り行き次いで又更に其の融和に進み行かざるべからず。かくの如き歷程を經て進み行く、是れ即ち理想本具の性質にして、其の歷程を語るもの是れ即ちヘーゲルの謂はゆる、ディアレクティーク(Dialektik)なり。
ヘーゲルは先づ理性が論理的槪念の組織として在る樣を論じて曰はく、まづ有といふ最も抽象的なる槪念に始めむに有(Sein)を考ふれば必ず其の反對に移りて非有(Nichtsein)を考へざるべからず、非有に移れば又必ず有と非有との融和なる轉化(Werden)に進み行かざる可らずと。斯くして其の謂ふディアレクティークに從うて一切の槪念の組織の成り立つ所以を說明せむとせり。以爲へらく、先づ初めに一槪念を考へむに、其の槪念が絕對的理想の全體を盡くすものにあらざる限りは、即ち其れが一方に偏し居るものなる以上は、必ず其の反對に移り行かざるべからず、而して反對に移り行けば更に兩者の一致に至らざれば休まざるべく而して其の一致は更に其の反對を挑發し來たるべし。斯くして終に圓かなる全理想を盡くすに至らずんば止まざるべく、而して全理想を盡くす時は是れ恰も圓環の一點より始め其を一週し終はりて最初の點に還れるが如きものなり。而して斯く通過したる全體是れ即ち絕對的理想に外ならずと。斯くして絕對的理想を成す論理的槪念の組織の成立を論ずるもの是れ即ちヘーゲルの有名なる論理學なり。但し彼れが論理學に說ける範圍に於いては、一槪念より其れと反對なる槪念に進み次いで其の一致に進み行くといふも是れ決して時間上の前後を成すといふにはあらず。論理學に於ける槪念の組織は時間上ならぬ永恒なる關係をいふものにして、唯だ吾人が其を考ふる上に於いてのみ時間の前後を爲すものなり。
論理的槪念の組織が外に出でて恰も衣を著けたるが如きものを自然界とす、而して此の自然界を論ずるもの是れヘーゲルの自然哲學なり。自然界發達の極點に至れば精神に到達し、理想は茲に自らを意識するに至る、而して此の段階に達したる理想を論ずるもの是れヘーゲルの精神哲學なり。而して此の精神は初めには主觀的のものたり、次ぎに客觀的のものとなり、更に進んで終に主觀客觀の一致したる絕對的精神の境涯に至る。此等の三段階を經て精神の發達し行く樣を說きたるが中にヘーゲルの歷史哲學、審美學及び宗敎哲學等が含まれ居るなり。
フィヒテ、シェルリング、ヘーゲルの三人相繼いで代表したる哲學思想は是れカント以後の獨逸哲學界に於ける中央の流れとも云ふべきものなり。ヘーゲルと略〻其の時代を同じうして生存したる學者にシュライエルマヘル(Schleiermacher 一七六八―一八三四)及びフリードリヒ、クラウゼ(Friedrich Krause 一七八一―一八三二)あり。シュライエルマヘルは最も其の宗敎論を以て記憶せらる、其の哲學上の立脚地は折衷的なり。クラウゼが思想家としての位置は輕からず、ヘーゲルの哲學と相似たる思想を開發したれども不幸にしてヘーゲルの光輝の爲めに蔽はれたり。
以上陳べたるカント以後の獨逸哲學の中央の流の傍には種々の點に於いて其の中央思潮以外に立ちたる哲學者ありき。其の最も主なるものをヘルバルト及びショペンハウェルとなす。先づヘルバルトより述ぶべし。
ヘルバルト(Johann Friedrich Herbart 一七七六―一八四一)
《ヘルバルトの哲學。》〔四〕ヘルバルトに從へば、哲學は吾人の通常有する思想に種々の矛盾あるを發見し、其の矛盾を除き去り之れに整然たる統一を與ふることを其の目的とするものなり。換言すれば、哲學の主眼とする所は經驗上吾人に與へられたるものを批評的に仕立て直すに在りともいふべし。而してまづ第一に如何なる點に於いて矛盾を發見するぞといふに一物が多くの性質を具ふといふが如きこと、是れ吾人の須らく解釋すべき問題なり。又一物が其の性質を變じながら猶ほ其の體を保存すといふが如き亦こゝに矛盾の點を發見せざるを得ず。而して之れを解釋する道は吾人に一物と見ゆる如き物をも分折して其を多くの物に
右に述べたる所によりて見ればヘルバルトの哲學は多元論なり。彼れの說は此の點に於いて、フィヒテ、シェルリング及びヘーゲルが一根元より自然界及び精神界の諸現象を說かむとせると大に相異なり。又ヘルバルトの哲學は變化を以て實相とせず、不變化なるものを以て實在とする常恒實有說にして、フィヒテ、シェルリング、ヘーゲル等が活動を說き發達を言ふ哲學とは全く其の趣を異にせり。ヘルバルトの謂ふ所レアールは原子論者の謂ふアトムに似たり、されどアトムの如く空間的のものにあらずして不可分なるものなり。又レアールは其れが空間的のものならざることに於いてはライブニッツのモナドに似たり、されどモナドの如く活動自發する精神的のものにあらず。
ショペンハウェル(Arthur Schopenhauer 一七八八―一八六〇)
《ショペンハウェルの哲學。》〔五〕ショペンハウェルの哲學はカントに其の出立點を有する所あれどもヘーゲル哲學の達したる結論とは大に異なりたる方角に向かひ行けるものなり。彼れは吾人の知識の成立を論じて以爲へらく、吾人の知識は時間空間及び因果といふ三つの形式によりて活動するものなり(是れ即ちカントの謂はゆる直觀の形式及び悟性の槪念を此の三つに約めたるものと云ひて可なり)。而して此等の三形式はカントの謂へる如く吾人の心に具はれる見樣なるが故に主觀的なるものなり。故に此の三形式の中に入り來たる所の世界は吾人の觀念に外ならず。觀念する者としては吾人の主觀(我)は客觀に對するもの(即ち能觀者)たるに外ならず。されど吾人には尙ほ他に我を知るべき一路あり、即ち直接に我れを知る內觀的知識是れなり。此の知識に從へば、吾人は我れは意欲(Wille)なりといふことを知る、而して我れの意欲なりといふことより推して、天地萬物として我れに現はるゝ凡べての物も其の奧底は皆同じく意欲なることを知るべし。石落ち、風吹き、水流る、畢竟ずるに皆意欲の發現に外ならず。胃の腑は飢渴と名づくる意欲の形を取りて現はれたるものと云ふべく、天に運行する星體より地上の生物に至るまで其の動いて止まざるは要するに意欲の發現せる姿に外ならず。此の點より見れば世界は意欲なりといふべし。
意欲は是れ盲目的なるもの、唯だ無窮に求むることを知りて休むことを知らず。而して意欲の自らを實現せむとして活動し、また其の實現の進み行く、是れ無機物界より有機物に上り、有機界にては終に進みて人間に至るまでの段階を成す所以なり。意欲の意欲たる所は唯だ盲目的に求むることに在りて、飽くことを知らざるが其の本性なり、而して其の性は特に其が發現の頂上なる人間に於いて最もよく現はれたるを見る。意欲は盛んに求むれば求むるほど不滿足を增し、不滿足を增すほど又求むることを增す、是れ凡べて煩惱に動かさるゝものの狀態なり。即ち煩惱は凡べての存在及び其の存在に纏綿して離れざる一切の苦痛の根元なり。特に人間に於いては唯だ無意識に求むることを爲すのみならず意欲の婢僕として知慧の存在するが爲めに却つて多くの不滿足を誘起し從ひて最も多くの苦痛を感ぜざるを得ず。此の故に世は何處を見るも苦艱の境涯なりと。斯く說ける所是れ即ちショペンハウェルが所說の厭世論と名づけらるゝ所以なり。
斯くの如く吾人は知慧あるが爲めに却つて益〻不滿足を覺え苦痛を感ずれども其の苦痛の甚だしくして堪へ難き所より終に世を厭ふ心を生じ、吾人は如何に煩惱を燃やすとも到底滿足を得べきものにあらざるを悟り、此の世を以て誠に厭はしきものとし、他に何等かの解脫の途を求めずんば長へに苦艱を脫する道なきことを知るに至るべし。是に於いてか元來意欲の婢僕として生じたる知慧は却つて吾人をして解脫の道を求めしむる因となる。解脫の道如何。事物の不變化なる類想を觀ずることに存する觀美的狀態に於いて吾人が暫らく休むことなき煩惱を忘れ恍惚として美に見とれ忘我の境涯に入るは是れ一時の解脫に入りたるものなり。更に進みては利己心を離れて只管他の苦痛を憫れみ、慈悲の眼を以て一切衆生を視ることに於いて、即ち道德的生活に於いて更に髙等なる解脫に入ることを得べく、尙ほ進みては此の世の謂はゆる歡樂てふものの一切假樂なることを悟り、全く名利を求むる念を消し吾人の意欲を根柢より斷滅して恰も心身の枯死せるが如き狀態に入ることによりて最も高等なる解脫に入ることを得。是れ即ち意志が自らを滅したる狀態にして、此の境涯を指して涅槃に入るといふ。寂滅は吾人の最も希ふべきものなり。ショペンハウェルの哲學が寂滅爲樂と說く佛說に奈何に酷似せるかは此處に贅するを須ゐず。
ショペンハウェルの厭世哲學は全く世に謂ふ文明の進行に背馳して一切歷史上の進步といふが如きものを認めず、之れをヘーゲルが理想の發達を基礎としたる樂天論に對せしむれば、ショペンハウェルの哲學は其の正反對に立つものなり。ショペンハウェルに從へば、實在の根元は理性にあらずして盲目なる、非理性なる意欲なり、歷史上の進步てふものは、彼れに取りては寧ろ意志の益〻自らを實現し行く悼むべき大迷誤に外ならず。文化と名づけらるゝものは喜ぶべきものにあらず、寧ろ悲しむべきものなり。斯くの如き近世文化の所造及び進化發達といふ思想に全然背反したるショペンハウェルの厭世哲學を引き直し、之れにヘーゲル哲學の主要なる思想を混和して厭世主義を成るべく近世の文明に和合せしめむと試みたるはハルトマンの哲學なり。
ハルトマン(Eduard von Hartmann 一八四二生)
《ハルトマンの哲學。》〔六〕ハルトマン以爲へらく、理想は唯だ其れ自身に於いては無力なるものなり、其は唯だ若し物あらば其の物の如何にあるべきを示すに止まるのみ、物を實在たらしむる所以のものは他に無かるべからず。換言すれば、理想は物の何なるべきかを言ふに止まり、其の在ると云はるゝ所は意欲ならざるべからず、意欲是れ即ち實在なりといふべし。然れども意欲のみにては其が追求の目的を有せず、其の目的は理想の與ふる所なり、目的なき追求といふものはあるべからず。故に理想と意欲とは相離れざるものにして之れを以て一絕對者の二面又は二性質と見るべきなりと。斯くの如くにしてハルトマンはヘーゲル哲學に謂ふ所とショペンハウェルの謂ふ所とを結合せむとせり、而して彼れの之れを合するや、シェルリングが末期の思想に模範を取れり。斯くしてハルトマンはカント以來の獨逸哲學に現はれたる重要なる思想を網羅せむと試みたり。
世界の善美なるは理想(即ち理性)の活動し居るが爲めなり、目的に適合し居るもの即ち宜しきものなり。されど此の故を以て之れを最も幸なるものといふことを得ず、何となれば意欲の限りなき追求は休むことなき苦艱を以て伴はるれば也。意欲が絕對者に於いて靜かに在りし狀態より起ちて限りなき追求を始めたることは是れ其の根本的誤謬にして世界の一切の苦艱は凡べて此處に基づくものなり。意欲が絕對者に於ける靜かなる狀態より起き出でて其の活動を始むるや、理想(即ち知力)を率ゐたり、盖し知力なければ其の追求の目的なければなり。されど知力が常に意欲に伴ふより茲に意志をして其の根本的誤謬を破りて本來の靜かなる狀態に還るべき道は備へらる。即ち意欲をして其の追求の無益なることを悟らしめ、其の追求の却つて無限の苦痛を惹き起こすのみなることを悟らしめて之れを止めしむるものは知力なり。知力あるが爲めに世界の成り行きは意欲の救濟即ち凡べての物の解脫に最も適當なる行路を取りつゝあり。此の點より見て世界は善美なりと。斯くハルトマンが世界の成り行きを以て最も望むべき目的即ち解脫に至るに適するものとなせるは進化說を取れる所にして、是れヘーゲルより來たれる要素なり。されど世界が此くの如き行路を取りて解脫するを要する、換言すれば凡べての物の救濟さるゝことを要するは是れ世界の存在其の物の惡しくして苦艱を以て充たさるゝがゆゑなり。此の點より云へばハルトマンの說は厭世論にして此の處即ちショペンハウェルより來たれる要素なり。
彼れ又以爲へらく、世界に於ける凡べての出來事即ち其の歷路は是れ皆理想(即ち知力)の示導に從うて凡べての物が最後の解脫に至らむとしつゝある途程なり。意識と名づくるものも亦其が途程に於ける必要上より生じたるものに外ならず。絕對者其のものは無意識なり、無意識は先にして意識は後なり、無意識にてありながら理想あるが爲めに目的に合へる働きを爲しつゝあるは是れ凡べての物の活動に於いて見るところなりと。斯く絕對者は無意識にして意欲と知力との兩面を具へたるものなりといふ點に於いてハルトマンの哲學は無意識哲學と稱せらる。以爲へらく、世の文化と稱するもの是れ亦人類が無意識なる絕對者に歸らむとする道行として必要なるものなり。故に今の時に於いて吾人は宜しく益〻文化を進むべし、是れ人類をして最後の解脫に至らしむる適當の道なればなり、されど文化の進步も其が窮極の目的は無意識なる狀態に還ることに在りと。此の點に於いてハルトマンは其の厭世論を近世文化の進步に調和せしめむと試みたるなり。
ヘーゲルよりハルトマンに至る間の他の獨逸哲學者
《ヘーゲルよりハルトマンに至る間の獨逸哲學者ベーネケ、ロッツェ、フェヒネル等。》〔七〕ヘーゲルよりハルトマンに至る間の獨逸哲學に於ける最も偉大なる組織は上來述べたる所に見るを得べきが、其の他にも多くの哲學者輩出して其の中には一家の見地を開きたる者もあり。中に就いて最も主要なるはベーネケ、トレンデレンブルグ、ロッツェ及びフェヒネル等なり。
ベーネケ(Beneke 一七九八―一八五四)はフリースの思想を辿る所あり專ら心內の經驗を基礎として心理說に基づきたる哲學の組織を立てむとせる者なり、換言すれば、心理的硏究の見地よりしてカント哲學に新らしき解釋を與へむとしたるもの是れ彼れが哲學なりといふを得べし。フォルトラーゲ(Fortlage 一八〇六―一八七二)の如きはベーネケの思想を辿れること多き者なり。
トレンデレンブルグ(Trendelenburg 一八〇二―一八七二)はアリストテレースが哲學の眞理を復活せしめむとしたる者なり。
ロッツェ(Lotze 一八一七―一八八一)はヘルバルトの哲學を批評し又スピノーザ及びライブニッツより其の思想を得て自家の哲學組織を立てたる者なり。彼れに從へば、一物が他物に影響を及ぼすと云ふが如き關係は其等の物を互に獨立するものとしては說明する能はず、唯だ一切の事物を一絕對者の狀態と見ることによりてのみ其等相互の影響といふ如きことを說明するを得べし。一物に變化あれば其れが他物に影響して其處に又變化を起こすといふは其が一絕對者の狀態なるの故を以て一方に於ける變化を補ふに他方に於ける變化を以てすればなり。而して斯くの如き種々の狀態が一絕對者に存する所、是れ即ち多なるものが一體を成す所以にして吾人は其の如き多なるものの一なることを如何に考ふべきかと云はば、意識の統一を以て考ふる外に其の道なし。即ち吾人は絕對者を以て意識ある靈なる者なりと考へざるべからずと。
フェヒネル(Fechner 一八〇一―一八八七)は精神物理學(Psychophysik)を創始して近時の謂はゆる生理的心理學を開きたることに於いて記憶せらるべきものなり。されど彼れは他に頗る詩歌的趣味に富める哲學思想を懷きたり。彼れに從へば、心的方面に於いて最高なるものは神の靈に於ける意識的統一なり、物的方面に於いて窮極なるものは單純なる元子なり。而して彼れは此の兩者を相離さずして考へ神の靈が全物界に通じて活動すと說けり。
ヘーゲル學派の分裂、唯物論爭及び新カント學派
《ヘーゲル學派の分裂、唯物論の爭、新カント學派。》〔八〕ヘーゲル學派は一時獨逸の哲學界を風靡して他國にまでも盛んに其の勢力を及ぼしたりしがヘーゲルの所說に對する解釋の異同によりて其の學派に分裂を生ずることとなれり。而して其の解釋に於ける論爭の中心點はヘーゲルの謂はゆる理性即ち絕對者の何たるに在りき。一派は之れを解して有意識的のものとなし之れを基督敎の謂はゆる有神論に近づけむとせり、此の派を名づけてヘーゲル學派の右翼といふ。シャルレル(Schaller 一八六八死)等之れに屬す。之れに反對する者はヘーゲルの謂ゆる絕對者を解して無心のものとなせり、而して此等の徒は無神論に傾けり。之れを名づけてヘーゲル學派の左翼といふ。フォイエルバッハ(Feuerbach 一八七二死)等其の主なるものなり。又右翼及び左翼の外に中央派と名づくるものを分かつことあり。ローゼンクランツ(Rosenkranz 一八七九死)の如き之れに屬する者と見らるべし。
ヘーゲル學派分裂して有神論を取る者と無神論に傾ける者との對峙を生じたる外に近世に於ける物理的科學の發達の一結果として唯物論を誘起し、而して其れの勃起すると共に又之れに對して有神論の爲めに盛んに辯解の勞を取れる者出でたり。當時盛んに唯物論を唱へたるはフォグト(Vogt 一八一七―一八九五)モレショツト(Moleschott 一八二二―一八九三)ビュヒネル(Büchner 一八二四―一八九九)等にして此等の唯物論者に對して有神論を唱へたるはヷイセ(Weisse 一八六六死)小フィヒテ(Fichte 一八七九死)ウルリッツィ(Ulrici 一八八四死)等なり。
カント以後の主心的哲學の組織に滿足せず再び吾人は知識論の硏究より出立せざるべからずと見て「カントに還れ」と叫び出でたる人々あり、之れを新カント學派といふ。オットー、リーブマン(Otto Liebmann 一八四〇生)ランゲ(Friedrich Albert Lange 一八二八―一八七五)等之れに屬す。廣き意味にて新カント學派と稱せらるゝ者の中、知識論上ポジティヸズムを取るに至れる者あり、ラアス(Laas 一八三七―一八八五)リール(Riehl 一八四四生)等即ち是れなり。
コント
《コントの哲學。》〔九〕今世紀に入りて佛蘭西の哲學界にはメーヌ、ド、ビラン(Maine de Biran 一七六六―一八二四)及びヸクトル、クザン(Victor Cousin 一七九二―一八六七)等あり。クザンは謂はゆる折衷學を主張して其の勢力頗る大なりしが而かも彼等の所說は哲學史上新潮流を惹き起こしたるものにあらざりき。今世紀に入りて佛蘭西に出でたる最も重要なる思想家はオーギュスト、コント(Auguste Comte 一七九八―一八五七)なり。
コントの哲學は謂はゆるポジティヸズムなり。彼れに從へば、吾人の知り得るは現象及び現象の前後と共在とのみ。以爲へらく、人類の思想は三時期を經過して進めるものなり。第一は神學的時期にして有心有情の者の働きを假りて現象の說明をなす時なり。第二は形而上學の時期にしてこれは吾人の知覺し得ざる形而上的のものありとし、之れを本體として說明を爲さむと試むる時なり。第三期は即ちポジティヸズムの時期にして是に至りて始めて眞正の學術的時期に入ると。
コントは一切の學科を分類して數學、星學、物理學、化學、生物學及び社會學の六科となし此等を外にして別に哲學と稱すべきものなしと說けり。彼れは最も其の力を社會學の硏究に費やし、此の學の進步上多大の功績あり。彼れは社會硏究の結果として人類を以て己が硏究及び熱情の對境となせり。愛情により秩序に基づきて人類の進步を計ること是れ彼れの立てたる人類敎の要旨なり。
ヂョン、スチュアート、ミル及びハーバート、スペンサー
《ヂョン、スチュアート、ミル及びハーバート、スペンサー。》〔一〇〕今世紀に入りて英國の哲學界にはサー、ヰルリアム、ハミルトン(Sir William Hamilton 一七八七―一八五六)の如きありて蘇格蘭學派の脈絡を傳へ傍らカント哲學の思想を加味したりしが、哲學史上彼れよりも更に重要なる地位を占むるはヂョン、スチュアート、ミル(John Stuart Mill 一八〇六―一八七三)及びハーバート、スペンサー(Herbert Spencer 一八二〇生)なるべし。ミルは種々の問題に關して常にハミルトンと論爭せり。盖し彼れはヒュームより來たれる學脈を引き又コントの思想を注入したるものなり。
スペンサーは其の進化論に基づきて新らしく哲學上の一大組織を立てむとしたる者にして、近時の思想家中最も吾人の注意を値する者の一人なり。彼れは大體に於いて英吉利經驗學派の哲學思想を繼承すると共にダーヰンによりて生物學上大證明を與へられたる進化論に據り之れを以て大は宇宙の成立より地球上一切の事物を說明せむと試みたり。彼れ以爲へらく、吾人の思想は凡べて關係的のものなり、故に吾人は絕對者を知ること能はず、吾人の知り得る所は唯だ現象の界に限らると。かくて彼れは可知及び不可知の境界を別かち可知なる現象の何によりて生ぜしめらるゝか、其の根柢に何物の存在するかは吾人の知り得ざる所なりと說けり。されどスペンサーは現象の根柢は何物かの存在することを否まずして屢〻之れを不可知なる勢力などとも名づけたり。
可知なる現象は凡べて進化の法則に從ひ行くものにして、謂ふところ進化の法則は分化(differentiation)と統一(integration)とが相並びて進み行くことの謂ひなり。混沌たる星雲の狀態より始めて太陽系統の形づくられ、地上に於いては地質上の變化を始めとして生物の進化に至り、終には人類の社會的進化に至るまで凡べて同一なる進化の法則に從ふものなり。而して此等は何等かの目的を具へ之れに向かひて進むに非ずして物質と其の運動との自然に然らしむる所なり。然れども進化の或段階に於いて物質及び其の運動より如何にして意識作用の生じ求たるかはスペンサーの說き難しとする所なり。
近時の思潮の大特色ともいふべきは進化といふことなり、而して此の大思想は全く其の學脈、學相を異にするヘーゲルとスペンサーとが共に其の哲學の骨髓とせる所なり。盖しヘーゲルの哲學は理想の有目的なる進化を說くものにして、スペンサーの哲學は物質及び其の運動の機械的進化を說くものなり。
大西博士全集第四卷西洋哲學史下卷畢
附錄
西洋哲學史上卷用語和原對譯表
(ア) | |
與かる | μετέχειν. |
アタラクシア(心の平靜なる狀態) |
ἀταραξία. |
アカモートの界 | ὀγδοάς. |
愛欲 | amor. |
(イ) | |
一なるもの | μονάς. |
何處 | ποῦ. |
何時 | πότε. |
意志 | Βούλησις. |
一個物を此の物たらしめて他物と異ならしむる所以のもの | haecceitas. |
一切が一切の中に | Omnia ubique. |
(ウ) | |
有 | εἶναι. |
有意識の無知 | docta ignorantia. |
宇宙の原力 | πρώτη δύναμις. |
運命 | ἀνάγκη. |
動くてふこと | κίνησις. |
(エ) | |
影像 | εἴδωλα. |
エンテレカイア(靈魂) | ἐντελέχεια. |
永久の勢力(アイオーネス) | αἰῶνες. |
(オ及びヲ) | |
想ひ出だす | μνήμη. |
王權 | imperium. |
臆說 | πίστις. |
(カ及びクヮ) | |
カーオス | χάος. |
快樂 | ἡδονή. |
感官上の知覺 | αἴσθησις. |
形なきもの | ἄπειρον. |
形を與へて形體を成さしむるもの | πέρας. |
形 | ἰδέα. |
學理的知識 | ἐπιστήμη. |
學理的說明 | ἐπιστήμη. |
槪念 | λόγος. |
カテゴリー、範疇 | κατηγορίαι. |
關係 | πρός τι. |
神を觀る | contemplatis. |
寡頭政治 | ὀλιγαρχία. |
開展 | egressus. |
過失 | vitium. |
外物の摸寫(p. 454) | species intelligibiles. |
(神は萬物を) 疊めるもの | complicatio. |
神の圓滿の相 | πλήρωμα. |
(キ) | |
球(スファイロス) | σφαῖρος. |
技能 | ἀρετή. |
氣槪 | θυμοειδές . |
歸納法 | ἐπαγωγή. |
共通知覺官 | αἰσθητήριον κοινὸν. |
究理上の德 | διανοετικαί ἀρεταί. |
貴族政體 | ἀριστοκρατία. |
共和政體 | πολιτεία. |
敎父 | patres ecclesiae. |
敎法師 | doctores ecclesiae. |
機械的唯物論 | Mechanical Materialism. |
(ク) | |
偶然なるもの、定むべからざるもの | συμβεβηκός. |
偶然なるもの | αὐτόματον. |
君主政體 | βασιλεία. |
愚民政治 | δημοκρατία. |
偶存のもの | accidens. |
(ケ) | |
形狀 | ἰδέα 又ハ σχήματα. |
原型 | παραδειγμα. |
原因 | αιτία. |
原始の素 | πρώτη ὕλη. |
原始の相 | πρώτος εἶδος. |
原動者 | πρῶτον κινούν. |
原動理性 | νοῦς ποιητικός. |
原知 | intelligentia prima. |
現勢 | ενέργεια. |
(コ) | |
虛空 | τὸ χενόν. |
幸福 | εὐδαιμονία. |
克己、節慾 | σωφροσύνη. |
心の安らかなる狀態 | χᾶρά. |
公正 | δικαιοσύνη. |
行爲上のもの | πρακτική. |
吾人の肉體を形づくるもの | entelechia. |
個性の起因 | principium individuationis. |
(サ) | |
三段論法、シルロギスモス | συλλογισμός. |
(三段論法)の形 | σχήματα. |
差別雜多に開發したる神 | deus explicitus. |
(シ) | |
神惠は拒み得べからざるもの(スコラ哲學) | gratia irresistibilis. |
種子 | σπέρματα 又ハ χρήματα. |
充實 | τὸ πλέον. |
人爲もて定めたるもの | νόμος. |
狀態 | πάθη. |
實體界 | οὐσία. |
實體 | ὄντως ὄν. |
純粹の理性 | λογιστικόν. |
純知上のもの | θεωρητική. |
殊相 | διαφορά. |
所動 | πάσχειν. |
(事物の)生ずる | γένεσις. |
神學 | θεολογική. |
純埋的思想 | θεωρία. |
生滅界 | γένεσις. |
受動理性 | νοῦς παθητικός. |
純理觀 | θεωρία. |
思想 | νόησις. |
思想の働き | νόησις. |
思想の對象 | ὃλη νοητόν. |
自然 | φύσις. |
自存 | μονή. |
出離 | πρόοδος. |
信仰 | πίστις. |
心靈 | πνεῦμα. |
眞理 | ἀλήθεια. |
自然 | Natura. |
實有其のもの | essentia. |
實在するもの | realia. |
心界を觀る | meditatio. |
純然たる相の働けるもの | formae separate. |
自性的存在 | persetas boni. |
種 | εἶδος. |
(ス) | |
スコラ哲學 | Scholastic philosophy. |
スコラ學者 | Scholastici. |
推理作用 | ratio. |
凡べてを含める神 | deus implicitus. |
(セ) | |
靜平(心の) | ησυχία. |
善 | ἀγαθόν. |
善福 | εὐδαιμονία. |
善美 | καλοκἀγαθός. |
製作上のもの | ποιητική. |
前提 | πρότασις. |
性質 | ποῖον. |
潜勢 | δύναμις. |
性質上の變化 | ἀλλοίωσις. |
製作 | ποιεῖν. |
性行上の德 | ἠθικαί ἀρεταί. |
洗滌(カタルジス) | κάθαρσις. |
世人の作り設けたるもの | νόμος. |
勢力 | δυνάμεις. |
精神 | ψυχή. |
生氣 | ψυχή. |
全有 | τό πᾶν. |
生產力 | Έρως. |
擅制攻治 | τυραννίς. |
(ソ) | |
ソークラテースの反語法 | Socratic irony. |
俗識 | δόξα. |
造化主,デーミウルゴス | δημιουργός. |
相 | εἶδος 又は μορφή. |
素 | ὕγη. |
想念 | φαντασίαι. |
存在 | οὐσία. |
想念 | memoria. |
其れ自身に | per se. |
僧權 | sacerdotium. |
其の理に於いて | idealiter. |
(タ) | |
ダイモニオン | δαιμόνιον. |
態度 | κεῖσθαι. |
他の制定により | ex institutione. |
(チ) | |
地、ガイーア | Γαῖα. |
智慮 | φρόνησις. |
智 | σοφία. |
直接に承認するもの | άμεσα. |
知識 | ἐπιστήμη. |
知見 | φρόνησις. |
知識 | γνῶσις. |
知慧 | σοφία. |
知識的直觀 | intellectualis visio 或は intuitus gnosticus. |
直觀 | intellectus. |
知力 | intellegentia. |
直觀する | intuitio. |
中 | μεσότης. |
(ツ) | |
通性 | universalis. |
(テ) | |
哲學 | philosophy, philosophia. |
天然に定まれるもの | φύσις. |
ディアレクティック | διαλεκτική μέθοδος. |
定義 | ορισμός. |
(ト) | |
ト、アパイロン | τὸ ἄπειρον. |
動力あるもの | δύναμις. |
等質のもの | ομοιο μερῆ. |
動的快樂 | ἡδονή ἐν κίνησε. |
(ナ) | |
汝自身を知れ | γνῶθι σεαυτόν. |
何物たること(物の物たる所 p. 249.) | quiditas. |
(ニ) | |
肉體 | ὕλη. |
二元論 | dualism. |
(ノ) | |
能動 | ποιείν. |
(ハ) | |
判定 | ἀπόφασις. |
媒語 | ὄρος μέσος. |
判斷を止むること | ἐποχή. |
萬物の太原 | τὸ πρώτον. |
反對の一致 | coincidentia oppositorum. |
(ヒ) | |
開きたるもの | explicatio. |
非有 | μή ὃν. |
品性、氣質、エートス | ἦθος. |
非有 | μὴ εἶναι. |
(フ) | |
不可分の單元、アトマ | άτομα. |
再び思ひ起こす | ἀνάμνησις. |
部 | μερή. |
物欲 | ἐπιθυμητικόν. |
物理に關するもの | φυσικαί. |
分量 | πόσον. |
プノイマ(生物の體內に於いて特に靈魂と相結ばるゝ物質) | πνεῦμα. |
不等質のもの | ὰνομοιο μερῆ. |
不動心 | ἀπάθεια. |
復歸 | ἐπιστροφή. |
不條理なるが故に我れ信ず | credo, quia absurdum. |
復歸 | regressus. |
物界を知覺する | cogitatio. |
附屬 | ἔχειν. |
物活說 | Hylozoism or Animism. |
(ヘ) | |
辯別智 | ratio. |
變動 | μεταβολή. |
變動 | κίνησις. |
(ホ) | |
本質 | οὐσία. |
本性 | οὐσία. |
(ミ) | |
名目 | nomina. |
(ム) | |
無記のもの | ἀδιάφορα. |
(メ) | |
明知 | ἐπιστήμη. |
(モ) | |
摸倣 | μίμησις. |
目的 | τέλος. |
模範的原因 | causae primordiales. |
(ユ) | |
唯名論或ハ名目論 | Nominalism. |
唯名論者或ハ名目論者 | Nominalist. |
(唯一絕對の)有 | τὸ ὅν. |
(ヨ) | |
喚び起こす | ἀνάμνησις. |
欲求 | ὄρεξις. |
(リ) | |
利 | ὠφέλιμον. |
理智 | νόησις. |
理智の對境となるもの(イデア) | ἰδέα, 又は οὐσία(本質又は本體)又は αὐτό κᾶθά αὐτό(自存・自性). |
倫理に關するもの | ἠθικαί. |
兩極 | ὄρος. |
理性 | νοῦς. |
理智を以て靜かに眞理を觀ずる大喜悅の狀態 | ἔκστασις. |
立言 | sermo. |
理智 | intellectus. |
(ル) | |
類 | γένος. |
類同の性 | conformitas. |
(レ) | |
靈魂 | ψυχή. |
戀愛 | ἔρως. |
(ロ) | |
論證 | απόειξις. |
論理に關するもの | λογικαί. |
(ワ) | |
或然の度 | probability. |
西洋哲學史下卷用語和原對譯表
(ア) | |
惡に向かふ傾向 | Hang zum Bösen. |
明らかさ(ヒューム) | vividness. |
アンシクロペディスト(佛啓蒙) | Encyclopédistes. |
(イ) | |
一體(カントの十二範疇) | Einheit, Unity. |
因果律 | Causality. |
意欲 | Wille. |
意志 | voluntas. |
意識に伴はれたる感覺 | sentiment. |
意欲の能力 | facultas appetitiva. |
一般觀念 | general idea. |
印象(ヒューム) | impressions. |
引力(ニュートン) | attractio. |
因果(カントの十二範疇) | Ursache und Wirkung, cause and effect. |
(ウ) | |
有限の樣狀(スピノーザ) | natura naturata particularis. |
有 | Sein. |
有目的の進化 | teleological evolution. |
(エ) | |
演繹的 | deductive. |
影象(印象の、ヒューム) | image. |
(カ及びクヮ) | |
快樂說 | Hedonism. |
感官 | senses. |
外物より來たれるもの | adventitiae. |
槪念 | conception. |
槪念 | concept. |
含蓄的 | immanent. |
界限的槪念 | Grenzbegriff. |
完滿なる善きもの | summum bonum consummatum. |
神の觀念 | idea Dei. |
完全なる觀念 | ideae adequate. |
神に對する知性の愛 | amor intellectualis Dei. |
可能性 | possibility. |
感覺 | sensation. |
外官 | External Sense. |
感覺論(ヒューム) | Sensualism. |
感情(〃) | feeling. |
感覺上の觀念 | idées sensibles. |
感官に現はれたる樣(カント) | Sensibilia. |
感想(〃) | Ahnung. |
形に於いての善(道義學者) | formal good. |
可能、不可能(カントの十二範疇) | Möglichkeit—Unmöglichkeit, Possibility—Impossibility. |
堺限(〃) | Limitation. |
(キ) | |
禁欲 | ascetic. |
究理學派(又は主理學派) | Rationalism. |
共同的意識 | Bewusstsein überhaupt. |
共通觀念 | notiones communes. |
記憶 | memory. |
共通なる觀念(デイスト) | notitiae communes. |
義務 | duty. |
機械的進化 | mechanical evolution. |
(ク) | |
觀念 | ideae. |
空間 | space. |
觀美上の判定(カント) | aesthetisches Urteil. |
觀念 | Vorstellung. |
偶然のもの | contingens. |
觀念 | ideas. |
功德(道義學者) | merit. |
觀念論(佛啓蒙) | idealogie. |
(ケ) | |
驚異 | admiration. |
經驗 | experience. |
形式(カント) | Form. |
現象(〃) | Erscheinung, phoenomena. |
經驗上の實在を有するもの | empirische Bealität. |
形而上學 | Metaphysik. |
硏究を指導するもの(カント) | regulative Principien. |
決定的判定(〃) | bestimmendes Urteil. |
形式的衝動(シルレル) | Formtrieb. |
經濟學 | aeconomica. |
經驗的心理學 | psychologia emperica. |
原型 | archetypa. |
言語に於ける眞理 | truth of words. |
權力、敎權 | authority. |
啓蒙時代 | Aufklärungsperiode. |
現象(カント) | Apparentia. |
經驗(〃) | Experientia. |
經驗上の判定(〃) | Erfahrungsurteil. |
傾向(ライブニッツ) | appétite or tendence. |
硏究法論(カント) | Methodenlehre. |
經驗的思考其のものの要求(〃) | Postulate der empirischen Denkens überhaupt. |
經驗上に現はれたる品性(〃) | empirischer Character. |
經驗上の事相を超脫せる根本的品性(〃) | intelligibler Character. |
(コ) | |
心 | mens or animus. |
心 | mind. |
吾人の自ら作り設けたるもの | factal. |
吾人の生得のもの(觀念) | innatae. |
後天的(カント) | a posteriori. |
悟性(〃) | Verstand. |
行的理性(〃) | praktischen Vernunft. |
効力 | Gültichkeit. |
根本的觀念即ち原理 | fundamenta rationis. |
個別の原理 | principium individuationia. |
公義の德 | aequitas. |
世界成立硏究の學 | Cosmologia. |
混雜せる觀念 | confused idea. |
國防 | faederative. |
公共の利福 | Common good. |
合理的自愛心 | reasonable self-love. |
事に於いての善 | material good.(〃) |
心の觀念(スピノーザ) | idea mentis. |
吾人をして德行を成さしむる所以のもの(功利學者) | Sanction. |
(サ) | |
差別相(スピノーザ) | affectio or modificatio. |
細微分子 | corpuscula. |
最大多數に取りての最大幸福 | the greatest happiness for the greatest numbers. |
懺悔 | confession. |
材質的衝動(シルレル) | Stofftrieb. | |
相關(カントの十二範疇) | Gemeinschaft, Community. | |
(シ) | ||
自然主義 | Naturalism. | |
實體、體、本體 | Substantia, Substance. | |
所動 | passio. | |
自因(スピノーザ) | causa sui. | |
自然界即ち神(〃) | deus sive natura. | |
時間 | time. | |
心上のもの(カント) | transzendetale Idealität. | |
思考(〃) | Denken. | |
純自然科學 | reine Naturwissenschaft. | |
自然界の純理哲學 | Metaphysik der Natur. | |
眞實體(カント) | Noumenon. | |
純理哲學的心理學 | rationale Psychologie. | |
生因 | efficient cause. | |
實有(カントの十二範疇) | Realität, Reality. | |
松果腺(デカルト) | peneal gland (glandula pinealis). | |
純理哲學的世界論 | rationale Cosmologie. | |
純理哲學的神學 | rationale Theologie. | |
主者(カント) | Subject. | |
人格(〃) | Person. | |
自則的(〃) | antonomisch. | |
自然哲學(シェルリング) | Naturphilosophie. | |
事物の差別相を見る差別見(スピノーザ) | imaginatio. | |
心力の勇壯なること(〃) | fortitudo. | |
主知論 | Intellectualism. | |
自意識の統一(カント) | Apperception. | |
自同則(ライブニッツ) | principium identitatis. | |
思想のイロハ(〃) | alphabetum cogitationum humanorum. |
脩禮の德(〃) | pietas. |
實踐哲學 | philosophia practica. |
實體學 | ontologia. |
心理學 | psychologia. |
神學 | theologia. |
實驗的 | experimental. |
純理的心理學 | psychologia rationalia. |
自存のもの | a se. |
自然原子 | atomi natural. |
質礙の性 | impenetrability. |
思想上の眞理 | mental truth. |
新鮮なる(ヒューム) | liveliness. |
信念 | faith. |
衝擊(ニュートン) | impulsus. |
自然に具ふる光(デイスト) | lumen naturale. |
自由思想家 | free thinker. |
自然の法則 | law of nature. |
衝動 | impuls. |
自愛心 | self-love. |
實在上の本質 | essence réelle. |
純なる直觀(カント) | intuitus purus. |
衝動(ベーメ) | Drang. |
神智學 | Theosophy. |
(セ) | |
全體(カントの十二範疇) | Allheit, Totality. |
誠實 | veracity. |
性又は屬性 | attributum. |
先天的(カント) | a priori. |
世界論 | cosmology. |
聖なる狀態(カント) | Heilichkeit. |
精神物理學 | psycho-physics. |
生因(スピノーザ) | causa. |
正義の德 | jus strictum. |
精神哲學(ヘーゲル) | Geistesphilosophie. |
政治學 | politica. |
精神論(バークレー) | Spiritualism. |
絕對に動かざる塲所(ローカー、プリマリア) | loca primaria. |
絕對 | Absolute. |
星雲 | nebula. |
(ソ) | |
壯麗 | Erhabenheit, sublimity. |
それ自身に考へらる | per se concipiuntur. |
存在上の根據 | principium essendi. |
素材(カント) | Stoff. |
綜合的判定 | synthetic judgment. |
想像力(カント) | Einbildungskraft. |
相對的(〃) | Bedingt. |
相 | entelechia. |
素 | materia prima. |
相應觀念(ロック) | adequate idea. |
綜合的(カント) | Synthetisch. |
存在、不在(カントの十二範疇) | Dasein—Nichtsein, Existence—Nonexistence. |
(タ) | |
他に依りて始めて考へらる | per aliud concipiuntur. |
體、性(カントの十二範疇) | Substantia et accidens, Substance and Accident. |
他則的(カント) | heteronomisch. |
惰性 | inertia. |
對境(カント) | Object. |
代價(〃) | Preis. |
惰性律 | law of inertia. |
多元說 | Pluralism. |
單純觀念(ロック) | simple ideas. |
第一性質(〃) | primary qualities. |
第二性質(〃) | secondary qualities. |
對實觀念(〃) | real idea. |
他に其の對境を有するもの(〃) | ektypa. |
對象 | object. |
歎美 | admiration. |
大法(カント) | Imperative. |
多性(カントの十二範疇) | Vielheit, Plurality. |
(チ) | |
直覺的 | intuitive. |
知識上の根據 | principium cognoscendi. |
超越的原因(スピノーザ) | causa transiens. |
知識論 | Epistemology, Erkenntnistheorie. |
知的理性(カント) | reinen Vernunft, Theoretical Reason. |
直觀(カント其の他) | intuition, Anschauung. |
知覺上の判定(カント) | Wahrnehmungsurteil. |
知識の先天的條件を成す統一作用(〃) | transzendentale Apperception. |
直觀の公理(〃) | Axiom der Anschauung. |
知覺の豫期(〃) | Antizipation der Wahrnehmung. |
知識の對境を形づくるもの(〃) | constitutive Principien. |
直接の原因 | causa proxima. |
直覺的知覺 | cognitio intuitiva. |
知識能力 | facultas cognoscitive. |
知識論 | Gnoseologie. |
知覺 | perception. |
直覺的知識 | intuitive Knowledge. |
知力、知解(ロック其の他) | understanding. |
知性即ち心 | natura intellectualis. |
知性 | intellectus. |
超越的(カント) | transzendent. |
常識 | common sense. |
仁愛 | benevolence. |
(ツ) | |
强さ(ヒューム) | force. |
遍通性(カント) | universal. |
圖式(〃) | Schema. |
(テ) | |
ディアレクティーク(ヘーゲル) | Dialectik. |
轉化(ヘーゲル) | Werden, becoming. |
デイズム | Deism. |
デイスト | Deist. |
テイスト | Theist. |
適合(道義學者) | fitness. |
塡充性 | solidity. |
論證的 | demonstrative. |
天啓、默示 | revelation. |
(ト) | |
獨斷說 | Dogmatismus. |
獨斷的 | dogmatisch. |
獨立美 | freie Schönheit. |
統一(スペンサー) | integration. |
奴隸的狀態(スピノーザ) | servitus. |
道德學 | Ethica. |
同情(ヒューム) | Sympathy. |
動機の如何に拘らずして能く何れをも擇び得ること | acquibrium arbitrii. |
道德官(道義學者) | moral sense. |
動及び靜 | motus et quies. |
動物精氣 | spiritus animalis. |
同言的判定 | tautologous judgment. |
(ナ) | |
內官(ロック) | Internal Sense. |
內在的原因(スピノーザ) | causa immanens. |
(ヌ) | |
拭へる板又は紙(ロック) | tabula rasa. |
(ネ) | |
涅槃(ショペンハウェル) | Nirvana. |
(ノ) | |
能動 | actio. |
(ハ) | |
萬人の一致 | consensus gentium. |
反省 | reflection. |
萬有の觀念 | idea omnium. |
判定力(カント) | Urteilskraft. |
反射的判定(〃) | Reflectirendesurteil. |
反立(〃) | Antithesis. |
範畴(カント) | Kategorie. |
萬有神說 | Pantheism. |
判然と | distinctly. |
破、反對 | antithesis. |
判定 | Judgment. |
反射的感情(シャフツベリー) | reflex-feeling. |
(ヒ) | |
批評哲學(カント) | Critical Philosophy. |
必然性 | recessary. |
品位(カント) | Würde. |
美想(〃) | aesthetisches Idea. |
美心(シルレル) | Schöne Seele. |
非有 | Nichtsein. |
ピエティスト(獨逸啓蒙) | Pietist. |
微小感覺 | petites perception. |
美學 | Aesthetica. |
微分法(ニュートン) | fluxion. |
品評的判定(カント) | Geschmacksurteil. |
非有(カントの十二範疇) | Negation. |
必至、偶然(〃) | Notwendichkeit—Zufällichkeit, Necessity—Contingence. |
(フ) | |
分析的(カント) | analytisch. |
物象(ニュートン) | species. |
複雜觀念(ロック) | complex idea. |
不相應觀念(〃) | inadequate idea. |
不完全なる觀念(スピノーザ) | ideae inadequate. |
分化(スペンサー) | differentiation. |
物件(カント) | Sache. |
分析的判定 | analytical Judgment. |
プラトーン學者 | Platonists. |
文藝復興 | Renaissance. |
(ホ) | |
本體即ち神(スピノーザ) | deus sive substantia. |
本體(〃) | natura naturans. |
保存 | retention. |
本質 | essence. |
ポジティヸズム | Positivism. |
(マ) | |
優れるものの存在する原埋 | principium melioris. |
全きもの(觀念) | adequatae. |
全からざるもの(〃) | inadequatae. |
(ミ) | |
身 | body. |
身の觀念(スピノーザ) | idea corporis. |
(ム) | |
矛盾(カント) | Antinomie. |
無差別哲學(シェルリング) | Identitätsphilosophie. |
無意識(ハルトマン) | Unbewusstsein. |
無限樣(スピノーザ) | modus infinitus. |
無限知(〃) | intellectus infinitus. |
無限の樣狀(〃) | natura naturata generalis. |
無相同の原理(ライブニッツ) | principium identatis indiscernibilium. |
矛盾則(〃) | principium contradictionis. |
(メ) | |
名稱上の本質 | essence nominelle. |
命名上の本質 | nominal essence. |
明瞭に | clearly. |
(モ) | |
モナド(ライブニッツ) | monad. |
物其れ自身に於ける當體 | chose en soi. |
物の現はれて在る樣 | Ce que la chose paraît être. |
目的上の判定 | teleologisches Urteil. |
物自體(カント) | Ding an sich. |
(ユ) | |
唯物論 | Materialism. |
融和(ヘーゲル) | Synthesis. |
遊戯衝動(シルレル) | Spieltrieb. |
唯一神敎 | Monotheism. |
(ヨ) | |
樣狀又は樣 | modus (modes). |
欲望 | desire. |
善きものの最上 | bonum supremum. |
要求(カント) | Postulat. |
欲望又は欲求(スピノーザ) | cupiditas. |
預定の調和(ライブニッツ) | pre-established harmony. |
樣狀(カント) | Modalität, modality. |
(ラ) | |
ラシオ(論理的作用によりて推論しゆくもの) | ratio. |
樂天論 | Optimism. |
(リ) | |
理智を以て看取するもの(カント) | Intelligibilia. |
良心(道義學者) | Conscience. |
隣接律(ヒューム) | Association by Contiguity. |
理智 | intellectus. |
理體學 | Metaphysica. |
理由 | ratio. |
立 | Thesis. |
理性 | Vernunft, Reason. |
理由則(ライブニッツ) | principium rationis sufficientia. |
(ル) | |
類同律(ヒューム) | Association by Resemblance. |
(レ) | |
歷史上の變遷に從ひて制定したる宗敎 | positive religion. |
聯想 | association. |
連續律 | lex continui. |
靈魂を宿す身體 | materia secunda. |
聯想律 | law of association. |
レアール(ヘルバルト) | Real. |
利己的 | egoistic. |
利他的 | altruistic. |
(ロ) | |
論證的知識 | demonstrative knowledge. |
論理學 | Logica, Logics. |
論過 | Paralogismus. |
(ワ) | |
我れ思ふ、故に我れ在り(デカルト) | cogito ergo sum. |
我(フィヒテ其の他) | Ich, ego. |
編者曰はく、本表に於いては特殊の語にのみ其の出處を記したり。 |
校正者
綱島榮一郎
五十嵐 力