白文・書き下し文 編集

 夫人姓許氏、自號蘭雪軒、於筠爲第三姊。嫁著作郞金君誠立、早卒無嗣。平生著述甚富、遺命荼毗之、所傳至尠。俱出於筠臆記、恐其久而愈忘失、爰灾於木、以廣傳云。時

萬曆紀元之三十六載孟夏上浣
 弟許筠端甫 書于披香堂。

 夫人は姓 許氏、みずか蘭雪軒らんせつけんと号し、いんおいて第三[1]たり。著作郞[2] 金君 誠立にするも、早くしゅっ[3]してあとつぎ無し。平生 著述 はなはだ富むるも、遺命いめいにてこれ荼毘だび[4]するに、つたうる所 至ってすくなし。ともいん臆記おくきよりいだすも、其れ久しくして愈〻いよいよ忘失ぼうしつせらるるを恐れ、ここに木にさい[5]して、もっひろつたえんしかじか[6]。時に

萬曆ばんれき紀元の三十六さい[7]孟夏もうか[8]上浣じょうかん[9]

 弟 許筠きょいん 端甫たんぽ 披香堂ひこうどうしるす。

訳文 編集

 夫人は姓は許氏で、自ら蘭雪軒らんせつけんと号して、わたくしいんにとっては第3姉である。著作郎であった金誠立君に嫁いだが、早くに亡くなり、跡継ぎがなかった。常日頃、著述がとても豊富であったが、遺言でそれを火にくべるよう命じていたので、伝わっているものは極めて少ない。みな、わたくしいんの胸中の記憶から出してきたが、それも長い間にますます忘れ去ってしまうのを恐れ、ここに木に刻んで、それで広く伝えようとするところである。

 時に万暦紀元36年4月上旬

 弟 許筠ホギュン 号は端甫たんぽ 披香堂ひこうどうにてしるす。

注釈 編集

  1. 「姉」に同じ。
  2. 正三品の文官の位であり、弘文館に1名、承文院と校書館に2名ずついた。
  3. 亡くなること。
  4. 火にかけること。火にかけて弔うこと。火葬。サンスクリット語 jhāpeta の音写。
  5. 木に刻み込むという意味。「灾」は「災」の古字・異体字・簡体字であるが、「災いする(災いが及ぶ)」という意味ではないようだ。
  6. ここでは「云う」の意味ではなく、上述を総括して「~ということである」という意味を表す文末の語助詞。
  7. 「載」は年に同じ。万暦36年、西暦1608年(宣祖41年)。
  8. 四月。(旧暦の)夏の最初の月。孟秋(七月)、孟冬(十月)、孟春(正月)。ちなみに、真ん中(2番目)の月の場合「仲」が、最後(3番目)の月の場合は「季」が前に付く。仲夏(五月)、仲秋(八月)、仲冬(十一月)、仲春(二月);季夏(六月)、季秋(九月)、季冬(十二月)、季春(三月)。
  9. 月の初めの十日間、上旬。
 

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