蒲団 (田山花袋)



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小石川の切支丹坂きりしたんざかから極楽水に出る道のだらだら坂を下りようとしてかれは考えた。「これで自分と彼女の関係は一段落を告げた。三十六にもなって、子供も三人あって、あんなことを考えたかと思うと、馬鹿馬鹿しくなる。けれど……けれど……本当にこれが事実なのだろうか。あれだけの愛情を自身に注いだのは単に愛情としてのみで、恋ではなかったろうか」
数多い感情ずくめの手紙――二人の関係はうしても尋常ではなかった。妻があり、子があり、世間があり、師弟の関係があればこそあえはげしい恋に落ちなかったが、語り合う胸のとどろき、相見る眼の光、其の底には確かにすさまじい暴風あらしが潜んで居たのである。機会に遭遇しさえすれば、其の底の底の暴風はたちまち勢を得て、妻子も世間も道徳も師弟の関係も一挙に破れてしまうであろうと思われた。少くとも男はそう信じて居た。それであるのに、二三日来の此の出来事、此から考えると、女は確かに其の感情を偽り売ったのだ。自分をあざむいたのだと男は幾度も思った。けれど文学者だけに、此の男は自ら自分の心理を客観するだけの余裕をって居た。年若い女の心理は容易に判断し得られるものではない、かのあたたかうれしい愛情は、単に女性特有の自然の発展で、美しく見えた眼の表情も、やさしく感じられた態度もすべて無意識で、無意味で、自然の花が見る人に一種の慰藉いしゃを与えたようなものかも知れない。一歩譲って女は自分を愛して恋して居たとしても、自分は師、かの女は門弟、自分は妻あり子ある身、かの女は妙齢の美しい花、そこに互に意識の加わるのを如何いかんともすることは出来まい。いや、更に一歩を進めて、あの熱烈なる一封の手紙、陰に陽に其の胸のもだえを訴えて、丁度自然の力が此の身を圧迫するかのように、最後の情を伝えて来た時、其のなぞを此の身が解いてらなかった。女性のつつましやかなさがとして、其の上になおあらわに迫って来ることが何うして出来よう。そういう心理からかの女は失望して、今回のような事を起したのかも知れぬ。
かく時機は過ぎ去った。彼の女は既に他人ひと所有ものだ!」
歩きながらかれはこう絶叫して頭髪をむしった。
しまセルの背広に、麦稈帽むぎわらぼう藤蔓ふじつるの杖をついて、やや前のめりにだらだらと坂を下りて行く。時は九月の中旬、残暑はまだ堪え難く暑いが、空には既に清涼の秋気が充ち渡って。深いみどりの色が際立きわだって人の感情を動かした。肴屋さかなや、酒屋、雑貨店、其の向うに寺の門やら裏店うらだなの長屋やらが連って、久堅町ひさかたまちの低い地には数多あまたの工場の煙筒が黒い煙をみなぎらしていた。
其の数多い工場の一つ、西洋風の二階の一室それがかれの毎日正午から通う処で、十畳敷ほどの広さの室の中央には、大きい一脚のテーブルが据えてあって、傍に高い西洋風の本箱、此の中にはすべて種々の地理書が一杯入れられてある。渠はある書籍会社の嘱託を受けて地理書の編輯へんしゅうの手伝に従って居るのである。文学者に地理書の編輯!渠は自分が地理の趣味を有って居るからと称して進んでこれに従事して居るが、内心此れにあまんじて居らぬことは言うまでもない。おくれ勝なる文学上の閲歴、断篇のみを作って未だに全力の試みをする機会に遭遇せぬ煩悶、青年雑誌から月毎に受ける罵評ばひょうの苦痛、渠自みずからは其の他日成すあるべきを意識しては居るものの、中心これを苦に病まぬ訳には行かなかった。社会は日増ひましに進歩する。電車は東京市の交通を一変させた。女学生は勢力になって、もう自分が恋をした頃のような旧式の娘は見られなくなった。青年はまた青年で、恋を説くにも、文学を談ずるにも、政治を語るにも、其の態度が総て一変して、自分等とは永久に相触れることが出来ないように感じられた。
で、毎日機械のように同じ道を通って、同じ大きい門を入って、輪転機関のいえうごかす音と職工の臭い汗との交った細い間を通って、事務室の人々に軽く挨拶して、こつこつと長い狭い階梯はしごを登って、さて其の室に入るのだが、東と南に明いた此の室は、午後の烈しい日影を受けて、実に堪え難く暑い。それに小僧が無精で掃除をせぬので、卓の上には白いほこりがざらざらと心地悪い。渠は椅子に腰を掛けて、煙草を一服吸って、立上って、厚い統計書と地図と案内記と地理書とを本箱から出して、さて静かに昨日の続きの筆をり始めた。けれど二三日来、頭脳あたまがむしゃくしゃして居るので、筆が容易に進まない。一行書いては筆を留めて其の事を思う。また一行書く、また留める。又書いてはまた留めるという風。そして其の間に頭脳の浮んで来る考は断片的で、猛烈で、急激で、絶望的分子が多い。ふとういう聯想れんそうか、ハウプトマンの「寂しき人々」を思い出した。こうならぬ前に、この戯曲をかの女の日課として教えて遣ろうかと思ったことがあった。ヨハンネス・フォケラートの心事と悲哀とを教えて遣り度かった。此の戯曲を渠が読んだのは今から三年以前、まだかの女の此の世にあることをも夢にも知らなかった頃であったが、其の頃から渠はさびしい人であった。あえてヨハンネスに其の身を比そうとはなかったが、アンナのような女がもしあったなら、そういう悲劇に陥るのは当然だとしみじみ同情した。今は其のヨハンネスにさえなれぬ身だと思って長嘆した。
流石さすがに「寂しき人々」をかの女に教えなかったが、ツルゲネーフの「ファースト」という短篇を教えたことがあった。洋燈ランプの光明かなる四畳半の書斎、かの女の若々しい心は色彩ある恋物語にあこがれ渡って、表情ある眼は更に深い深い意味をもって輝きわたった。ハイカラな廂髪ひさしがみくし、リボン、洋燈の光線が其の半身を照して、一巻の書籍に顔を近く寄せると、言うに言われぬ香水のかおり、肉のかおり、女のかおり――書中の主人公が昔の恋人に「ファースト」を読んで聞かせる段を講釈する時には男の声も烈しくふるえた。
「けれど、もう駄目だ!」
と、渠は再び頭髪をむしった。


かれは名を竹中時雄とった。
今より三年前、三人目の子が細君の腹に出来て、新婚の快楽などはとうに覚め尽した頃であった。世の中の忙しい事業も意味がなく、一生作ライフワークに力を尽す勇気もなく、日常の生活――朝起きて、出勤して、午後四時に帰って来て、同じように細君の顔を見て、飯を食って眠るという単調なる生活につくづくき果てて了った。家を引越歩いても面白くない、友人と語り合っても面白くない、が異国小説を読み渉猟あさっても満足が出来ぬ。いや、庭樹の繁り、雨の点滴、花の開落などという自然の状態さえ、平凡なる生活をして更に平凡ならしめるような気がして、身を置くに処は無いほど淋しかった。道を歩いて常に見る若い美しい女、出来るならば新しい恋を為たいと痛切に思った。
三十四五、実際此の頃には誰にでもある煩悶はんもんで、此の年頃にいやしい女にたわむるるものの多いのも、畢竟ひっきょうその淋しさをいやす為めである。世間に妻を離縁するものも此の年頃に多い。
出勤する途上に、毎朝邂逅であう美しい女教師があった。渠は其の頃此の女に逢うのを其の日其の日の唯一の楽みとして、其の女に就いていろいろな空想をたくましゅうした。恋が成立って、神楽坂かぐらざかあたりの小待合に連れて行って、人目を忍んで楽しんだらう……・。細君に知れずに、二人近郊を散歩したら何う……。いや、それ処ではない、其の時、細君が懐妊して居ったから、不図ふと難産して死ぬ、其の後に其の女を入れるとして何うであろう。……平気で後妻を入れることが出来るだろうか何うかなどと考えて歩いた。
神戸の女学院の生徒で、生れは備中びっちゅう新見町にいみまちで、渠の著作の崇拝者で、名を横山芳子という女から崇拝の情を以て充された一通の手紙を受取ったのはその頃であった。竹中古城と謂えば、美文的小説を書いて、多少世間に聞えて居ったので、地方から来る崇拝者喝仰者の手紙はこれ迄にも随分多かった。やれ文章を直してれの、弟子にして呉れのと一々取合って居られなかった。だから其の女の手紙を受取っても、別に返事を出そうとまで其の好奇心はつのらなかった。けれど同じ人の熱心なる手紙を三通まで貰っては、流石の時雄も注意をせずに居られなかった。年は十九だそうだが、手紙の文句から推して、その表情の巧みなのは驚くべきほどで、いかなることがあっても先生の門下生になって、一生文学に従事したいとの切なる願望。文字は走り書きのすらすらした字で、余程ハイカラの女らしい。返事を書いたのは、例の工場の二階の室で、其の日は毎日の課業の地理を二枚書いて止して、長い数尺に余る手紙を芳子に送った。其の手紙には女の身として文学にたずさわることの不心得、女は生理的に母たるをの義務を尽さなければならぬ理由、処女にして文学者たるの危険などを縷々るるとして説いて、幾らか罵倒的の文辞もならべて、これならもう愛想をつかして断念あきらめて了うであろうと時雄は思って微笑した。そして本箱の中から岡山県の地図を捜して、阿哲あてつ郡新見町の所在を研究した。山陽線から高梁川たかはしがわの谷をさかのぼって奥十数里、こんな山の中にもこんなハイカラの女があると思うと、それでも何となくなつかしく、時雄は其の附近の地形やら山やら川やらを仔細しさいに見た。
で、これで返辞をよこすまいと思ったら、それどころか、四日目には更に厚い封書が届いて、紫インキで、青いけいの入った西洋紙に横で細字で三枚、何うか将来見捨てずに弟子にして呉れという意味が返す返すも書いてあって、父母に願って許可を得たならば、東京に出て、然るべき学校に入って、完全に忠実に文学を学んで見たいとのことであった。時雄は女の志に感ぜずには居られなかった。東京でさえ――女学校を卒業したものでさえ、文学の価値など解らぬものなのに、何ももよく知って居るらしい手紙の文句、早速返事を出して師弟の関係を結んだ。
それから度々の手紙と文章、文章はまだ幼稚な点はあるが、癖の無い、すらすらした、将来発達の見込は十分あると時雄は思った。で一度は一度より段々互いの気質が知れて、時雄は其の手紙の来るのを待つようになった。ある時などは写真を送れと言って遣ろうと思って、手紙の隅に小さく書いて、そしてまたこれを黒々と塗って了った。女性には容色きりょうと謂うものが是非必要である。容色のわるい女はいくら才っがあっても男が相手に為ない。時雄も内々胸の中で、何うせ文学を遣ろうというような女だから、不容色ぶきりょうに相違ないと思った。けれど成るべくは見られる位の女であって欲しいと思った。
芳子が父母に許可を得て、父にれられて、時雄の門をおとのうたのは翌年の二月で、丁度時雄の三番目の男の児の生れた七夜の日であった。座敷の隣の室は細君の産褥さんじょくで、細君は手伝に来て居る姉から若い女門下生の美しい容色であることを聞いて少なからず懊悩おうのうした。姉もああいう若い美しい女を弟子にして何うする気だろうと心配した。時雄は芳子と父とを並べて、縷縷るるとして文学者の境遇と目的とを語り、女の結婚問題に就いてあらかじめ父親の説をたたいた。芳子の家は新見町でも第三とは下らぬ豪家で、父も母も厳格なる基督教信者クリスチャン、母はことにすぐれた信者で、かつては同志社女学校に学んだこともあるという。総領の兄は英国へ洋行して、帰朝後は某官立学校の教授となって居る。芳子は町の小学校を卒業するとすぐ、神戸に出て神戸の女学院に入り、其処でハイカラな女学校生活を送った。基督教の女学校は他の女学校に比して、文学に対してすべて自由だ。其の頃こそ「魔風恋風まかぜこいかぜ」や「金色夜叉こんじきやしゃ」などを読んではならんとの規定も出て居たが、文部省で干渉しない以前は、教場でさえなくば何を読んでも差支さしつかえなかった。学校に附随した教会、其処で祈禱のとうといこと、クリスマスの晩の面白いこと、理想を養うということの味をも知って、人間の卑しいことを隠して美しいことを標榜ひょうぼうするという群の仲間となった。母の膝下ひざもとが恋しいとか、故郷が懐しいとか言うことは、来た当座こそ切実に辛く感じもしたが、やがては全く忘れて、女学生の寄宿生活を此上なく面白く思うようになった。旨味おいし南瓜かぼちゃを食べさせないと云っては、お鉢の飯に醬油を懸けて賄方まかないがたいじめたり、舎監のひねくれた老婦の顔色を見て、陰陽かげひなたに物を言ったりする女学生の群の中に入って居ては、家庭に養われた少女のように、単純に物を見ることが何うして出来よう。美しいこと、理想を養うこと、虚栄心の高いこと――こういう傾向をいつとなしに受けて、芳子は明治の女学生の長所と短所を遺憾いかんなく備えて居た。
すくなくとも時雄の孤独なる生活はこれによって破られた。昔の恋人――今の細君。曽ては恋人には相違なかったが、今は時勢が移り変った。四五年来の女子教育の勃興、女子大学の設立、庇髪、海老茶袴えびちゃばかま、男と並んで歩くのをはにかむようなものは一人も無くなった。この世の中に、旧式の丸髷まるまげ泥鴨あひるのような歩き振り、温順と貞節とより他に何者をも有せぬ細君に甘んじて居ることは時雄には何よりも情けなかった。路を行けば、美しい今様いまようの細君を連れてのむつまじい散歩、友をおとなえば夫の席に出て流暢りゅうちょうに会話をにぎやかす若い細君、まして其の身が骨を折って書いた小説を読もうでもなく、夫の苦悶煩悶には全く風馬牛ふうばぎゅうで、子供さえ満足に育てれば好いという自分の細君に対すると、何うしても孤独を叫ばざるを得なかった。「寂しき人々」のヨハンネスと共に、家妻というものの無意味を感ぜずには居られなかった。これが――この孤独が芳子に由って破られた。ハイカラな新式な美しい女門下生が、先生!先生!と世にもえらい人のように渇仰して来るのに胸を動かさずに誰が居られようか。
最初の一月ほどは時雄の家に仮寓かぐうして居た。華やかな声、あでやかな姿、今迄の孤独な淋しいかれの生活に、何等の対照!産褥から出たばかりの細君を助けて、靴下を編む、襟巻を編む、着物を縫う、子供を遊ばせるという生々した態度、時雄は新婚当座に再び帰ったような気がして、家門近く来るとそそるように胸が動いた。門をあけると、玄関には其の美しい笑顔えがお、色彩に富んだ姿、夜も今迄は子供と共に細君がいぎたなく眠って了って、六畳の室にいたずらに明らかな洋燈ランプも、かえってわびしさを増すの種であったが、今は如何に夜更けて帰って来ても、洋燈の下には白い手が巧に編物の針を動かして、ひざの上に色ある毛糸の丸い玉!賑かな笑声が牛込の奥の小柴垣こしばがきの中に充ちた。
けれど一月ならずして時雄はこの愛すべき女弟子を其の家に置く事の不可能なのをさとった。柔順なる家妻は敢て其の事に不服をも唱えず、それらしい様子を見せなかったが、しかも其の気色きしょくは次第に悪くなった。限りなき笑声の中に限りなき不安の情が充ち渡った。妻の里方の親戚間などには現に一問題として講究されつつあることを知った。
時雄は種々に煩悶した後、細君の姉の家――軍人の未亡人で恩給と裁縫とで暮して居る姉の家に奇遇させて、其処そこから麹町こうじまちの某女塾に通学させることにした。


それから今回の事件まで一年半の年月が経過した。
其の間二度芳子は故郷をせいした。短篇小説を五種、長篇小説を一種、其の他美文、新体詩を数十篇作った。某女塾では英語は優等の出来で、時雄の選択で、ツルゲネーフの全集を丸善から買った。初めは、暑中休暇に帰省、二度目は、神経衰弱で、時々しゃくのような痙攣けいれんを起すので、しばし故山の静かな処へ帰って休養する方が好いという医師の勧めに従ったのである。
其の寓していた家は麹町の土手三番町、甲武の電車の通る土手際で、芳子の書斎は其の家での客座敷、八畳の一間、前に往来の頻繁ひんぱんな道路があって、がやがやと往来の人やら子供やらでやかましい。時雄の書斎にある西洋本箱を小さくしたような本箱が一閑張いっかんばりの机の傍にあって、其の上には鏡と、紅血と、白粉おしろいびんと、今一つシュウソカリの入った大きな罎がある。これは神経過敏で、頭脳あたまが痛くって為方しかたが無い時に飲むのだという。本箱には紅葉全集、近松世話浄瑠璃、英語の教科書、ことに新しく買ったツルゲネーフ全集が際立って目に附く。で、未来の閨秀けいしゅう作家は学校から帰って来ると、机に向って文を書くというよりは、むしろ多く手紙を書くので、男の友達も随分多い。男文字の手紙も随分来る。中にも高等師範の学生に一人、早稲田大学の学生に一人、それが時々遊びに来たことがあったそうだ。
麹町土手三番町の一角には、女学生もそうハイカラなのが沢山居ない。それに、市ヶ谷見附の彼方あちらには時雄の細君の里の家があるのだが、この附近は殊に昔風の商家の娘が多い。で、尠くとも芳子の神戸仕込のハイカラはあたりの人の目をそばだたしめた。時雄は姉の言葉として、妻から常に次のようなことをきかされる。
「芳子さんにも困ったものですねと姉が今日も言って居ましたお。男の友達が来るのは好いけれど、夜など一緒に二七(不動)に出かけて、遅くまで帰って来ないことがあるんですって。そりゃ芳子さんはそんなことは無いのに決って居るけれど、世間の口が喧しくって為方が無いと云って居ました」
これを聞くと時雄はきまって芳子の肩を持つので、
「お前達のような旧式の人間には芳子の遣ることなどは判りゃせんよ。男女が二人で歩いたり話したりさえすれば、すぐあやしいとか変だとか思うのだが、一体、そんなことを思ったり、言ったりするのが旧式だ、今では女も自覚して居るから、為ようと思うことは勝手にするさ」
此の議論を時雄はまた得意になって芳子にも説法した。「女子ももう自覚せんければいかん。昔の女のように依頼心を持って居ては駄目だ。ズウデルマンのマグダの言った通り、父の手からすぐに夫の手に移るような意気地なしでは為方が無い。日本の新しい婦人としては、自ら考えて自ら行うようにしなければいかん」こう言っては、イプセンのノラの話や、ツルゲネーフのエレネの話や、露西亜ロシア独逸ドイツあたりの婦人の意志と感情と共に富んで居ることを話し、さて、「けれど自覚と云うのは、自省ということをも含んで居るですからな、無闇むやみに意志や自我を振廻しては困るですよ。自分の遣ったこおには自分が全責任を帯びる覚悟がなくては」
芳子にはこの時雄の教訓が何よりも意味があるように聞えて、渇仰の念が愈々いよいよ加わった。基督教の教訓より自由でそして権威があるように考えられた。
芳子は女学生としては身装みなりが派手過ぎた。黄金きんの指環をはめて、流行をった美しい帯をしめて、すっきりとした立姿は、路傍の人目をくに十分であった。美しい顔と云うよりは表情のある顔、非常に美しい時もあれば何だか醜い時もあった。眼に光りがあってそれが非常によく働いた。四五年前までの女は感情をあらわすのに極めて単純で、怒ったかたちとか笑った容とか、三種、四種位しか其の感情を表わすことが出来なかったが、今では情を巧に顔に表す女が多くなった。芳子も其の一人であると時雄は常に思った。
芳子と時雄との関係は単に師弟の間柄としては余りに親密であった。此の二人の様子を観察したある第三者の女が一人が妻に向って、「芳子さんが来てから時雄さんの様子は丸で変りましたよ。二人で話して居るようで、それは本当に油断がなりませんよ」と言った。はたから見れば、無論そう見えたに相違なかった。けれど二人は果してそう親密であったか、何うか。
若い女のうかれ勝な心、うかれるかと思えばすぐ沈む。些細ささいなことにも胸を動かし、つまらぬことにも心を痛める。恋でもない、恋でなくも無いというようなやさしい態度、時雄は絶えず思いまどった。道義の力、習俗の力、機会一度至ればこれを破るのはきぬを裂くよりも容易だ。唯、容易に来らぬはこれを破るに至る機会である。
此の機会はこの一年の間に尠くとも二度近寄ったと時雄は自分だけで思った。一度は芳子が厚い封書を寄せて、自分の不束ふつつかなこと、先生の高恩に報ゆることが出来ぬから自分は故郷に帰って農夫の妻になって居なかに埋れて了おうということを涙交りに書いた時、一度は或る夜芳子が一人で留守番をして居る処へゆくりなく時雄が行って訪問した時、この二度だ。初めの時は時雄は其の手紙の意味を明かに了解した。其の返事をいかに書くべきかに就いて一夜眠らず懊悩した。穏やかに眠れる妻の顔、それを幾度がうかがって自己の良心のいかに麻痺せるかを自ら責めた。そしてあくる朝贈った手紙は、厳乎げんこたる師としての態度であった。二度目はそれから二月ほどった春の夜、ゆくりなく時雄が訪問すると、芳子は白粉をつけて、美しい顔をして、火鉢の前にぽつねんとして居た。
「何うしたの」とくと、
「お留守番ですの」
「姉は何処どこへ行った?」
「四谷へ買物に」
と言って、じっと時雄の顔を見る。いかにもなまめかしい。時雄は此の力ある一瞥いちべつに意気地なく胸をおどらした。二語三語ふたことみこと、普通のことを語り合ったが、其の平凡なる物語が更に平凡でないことを互いに思い知ったらしかった。此の時、今十五分も一緒に話し合ったならば、何うなったであろうか。女の表情の眼は輝き、言葉はなまめき、態度がいかにも尋常でなかった。
「今夜は大変綺麗にしてますね?」
男はわざと軽く出た。
「え、先程、湯に入りましたのよ」
「大変に白粉が白いから」
「あらまア先生!」と言って、笑って体をはす嬌態きょうたいを呈した。
時雄はすぐ帰った。まア好いでしょうと芳子はたって留めたが、何うしても帰ると言うので、名残なごり惜しげに月の夜を其処まで送って来た。其の白い顔には確かにある深い神秘がめられてあった。
四月に入ってから、芳子は多病で蒼白あおじろい顔をして神経過敏に陥って居た。シュウソカリを余程多量に服して何うも眠られぬと困って居た。絶えざる欲望と生殖の力とは年頃の女を誘うのに躊躇ちゅうちょしない。芳子は多く薬に親しんで居た。
四月末に帰国、九月に上京、そして今回の事件が起った。
今回の事件とは他でも無い。芳子は恋人を得た。そして状況の途次、恋人と相携えて京都嵯峨さがに遊んだ。其の遊んだ二日の日数が出発と着京との時日に符号せぬので、東京と備中びっちゅうとの間に手紙の往復があって、詰問した結果は恋愛、神聖なる恋愛、二人は決して罪を犯しては居らぬが、将来は如何にしても此の恋を遂げ度いとの切なる願望。時雄は芳子の師として、此の恋の証人として一面月下氷人の役目を余儀なくさせられたのであった。
芳子の恋人は同志社の学生、神戸教会の秀才、田中秀夫、年二十一。


芳子は師の前に其の恋の神聖なるを神懸けて誓った。故郷の親達は、学生の身で、ひそかに男と嵯峨に遊んだのは、既に其の精神の堕落であると云ったが、決してそんなけがれた行為はない。互に恋を自覚したのは、むしろ京都で別れてからで、東京に帰って来て見ると、男から熱烈なる手紙が来て居た。それで始めて将来の約束をしたような次第で、決して罪を犯したようなことは無いと女は涙を流して言った。時雄は胸に至大の犠牲を感じながらも、其の二人の所謂いわゆる神聖なる恋の為めに力を尽すべく余儀なくされた。
時雄はもだえざるを得なかった。わが愛するものを奪われたということははなはだしく其心を暗くした。元より進んで其女弟子を自分の恋人にする考は無い。そういう明らかな定った考があれば既に二度迄も近寄って来た機会をつかむに於て敢て躊躇するところは無い筈だ。けれど其の愛する女弟子、淋しい生活に美しい色彩を添え、限りなき力を添えて呉れた芳子を、突然人の奪い去るに任すに忍びようか。機会を二度迄攫むことは躊躇したが、三度来る機会、四度来る機会を待って、新なる運命と新なる生活を作りたいとはかれの心の底の底のかすかなる願であった。時雄は悶えた、思い乱れた。ねたみと惜しみと悔恨との念が一緒になって旋風のように頭脳の中を回転した。師としての道義の念もこれに交って、益々炎をさかんにした。わが愛する女の幸福の為めという犠牲の念も加わった。で、夕暮の膳の上の酒はおびただしく量を加えて、泥鴨あひるの如く酔って寝た。
あくる日は日曜日の雨、裏の森にざんざん降って、時雄の為めには一倍侘しい。けやきの古樹に降りかかる雨の脚、それが実に長く、限りない空から限りなく降って居るとしか思われない。時雄は読書する勇気も無い、筆を執る勇気もない。もう秋で冷々と背中の冷たい藤椅子とういすに身を横たえつつ、雨の長い脚を見ながら、今回の事件から其の身の半生のことを考えた。かれの経験にはこういう経験が幾度もあった。一歩の相違で運命の唯中に入ることが出来ずに、いつも圏外に立たせられた淋しい苦悶、その苦しい味をかれは常に味った、文学の側でもそうだ、社会の側でもそうだ、恋、恋、恋、今になってもこんな消極的な運命に漂わされて居るかと思うと、其の身の意気地なしと運命のつたないことがひしひしと胸に迫った。ツルゲネーフのいわゆるSuperfluous man!だと思って、其の主人公のはかない一生を繰返した。
寂寥せきりょうに堪えず、ひるから酒を飲むと言出した。細君の支度の為ようが遅いのでぶつぶつ言って居たが、膳に載せられた肴がまずいので、遂に癇癪かんしゃくを起して、自棄やけに酒を飲んだ。一本、二本と徳利の数は重って、時雄は時のに泥の如く酔った。細君に対する不平ももう言わなくなった。徳利に酒が無くなると、只、酒、酒と言うばかりだ。そしてこれをぐいぐいとあおる。気の弱い下女は何うしたことかとあきれて見て居った。男の児の五歳になるのを始めはしきりに可愛がって抱いたり撫でたり接吻したりして居たが、何うしたはずみでか泣出したのに腹を立てて、ピシャピシャと其尻を乱打したので、三人の子供はこわがって、遠巻にして、平生ふだんに似もよらぬ父親の赤く酔った顔を不思議そうに見て居た。一升近く飲んで其の儘其処に酔倒れて、お膳の筋斗とんぼがえりを打つのにも頓着しなかったが、やがて不思議なだらだらした節で、十年も前にはやった幼稚な新体詩を歌い出した。
君が門辺かどべをさまよふは
ちまたちりを吹き立つる
嵐のみとやおぼすらん。
その嵐よりいやあれに
その塵よりも乱れたる
恋のかばねの暁を
歌を半ばにして、細君のけた蒲団を着たまま、すっくと立上って、座敷の方へ小山の如く動いて行った。何処へ?何処へいらっしゃるんです?と細君は気が気でなく其の姿の後を追って行ったが、それにもかまわず、蒲団を着たまま、かわやの中に入ろうとした。細君はあわてて、
貴郎あなた、貴郎、酔っぱらってはいやですよ。そこは手水場ちょうずばですよ」
突如いきなり蒲団を後から引いたので、蒲団は厠の入口で細君の手に残った。時雄はふらふらと危く小便をして居たが、それがすむと、突如いきなりどうと厠の中に横に寝てしまった。細君が汚がって頻りにゆすったり何かしたが、時雄は動こうとも立とうとも為ない。そうかと行って眠ったのではなく、赤土のような顔に大きい鋭い目をいて、戸外に降りしきる雨をじっと見て居た。


時雄は例刻をてくてくと牛込矢来町の自宅に帰って来た。
かれは三日間、其苦悶と戦った。渠は性として惑溺わくできすることが出来ぬ或る一種の力を有って居る。この力の為めに支配されるのを常に口惜しく思って居るのではあるが、それでもいつか負け了う。此れが為め渠はいつも運命の圏外に立って苦しい味をめさせられるが、世間からは正しい人、信頼する足る人と信じられて居る。三日間の苦しい苦悶、これで兎に角渠は其の前途を見た。二人の間の関係は一段落を告げた。此れからは、師としての責任を尽して、わが愛する女の幸福の為めをはかるばかりだ。これはつらい、けれどつらいのが人生だ!と思いながら帰って来た。
門をあけて入ると、細君が迎えに出た。残暑の日はまだ暑く、洋服の下襦袢したじゅばんがびっしょり汗ににれて居る。それをのりのついた白地の単衣ひとえに着替えて、茶の間の火鉢の前に坐ると、細君はふと思い附いたように、箪笥たんすの上の一封の手紙を取出し、
「芳子さんから」
と言って渡した。
急いで封を切った。巻紙の厚いのを見ても、其の事件に関しての用事に相違ない。時雄は熱心に読下した。
言文一致で、すらすらと此上ない達筆。
先生――
実は御相談に上り度いと存じましたが、余り急でしたものでしたから、独断で実行致しました。
昨日四時に田中から電報が参りまして、六時に新橋の停車場に着くとのことですもの、私はんなに驚きましたか知れません。
何事も無いのに出て来るような、そんな軽率な男でないと信じて居りますだけに、一層甚しく気を揉みました。先生、許して下さい。私は其時刻に迎えに参りましたのです。逢って聞きますと、私の一伍一什いちぶしじゅうを書いた手紙を見て、非常に心配して、もしこの事があった為め万一郷里にれて帰られるようなことがあっては、自分が済まぬと言うので、学事をも捨てて出京して、先生にすっかりお打明申して、お詫び申上げ、お情にもすがって、万事円満に参るようにと、そういう目的で急に出て参ったとのことで御座います。それから、私は先生にお話し申した一伍一什、先生のお情深い言葉、将来までも私等二人の神聖な真面目な恋の証人とも保護者ともなって下さるということを話しました処、非常に先生の御情に感激しまして、感謝の涙に暮れました次第で御座います。
田中は私の余りに狼狽ろうばいした手紙に非常に驚いたと見えまして、十分覚悟をして、万一破壊の暁にはと言った風なことも決心して参りましたので御座います。万一の時にはあの時嵯峨に一緒に参った友人を証人にして、二人の間が決して汚れた関係の無いことを弁明し、別れて後互に感じた二人の恋愛をも打明けて、先生におすがり申して郷里の父母の方へも逐一ちくいち言って頂こうと決心して参りましたそうです。けれど此の間の私の無謀で郷里の父母の感情を破って居る矢先、何うしてそんなことを申してつかわされましょう。今は少時しばらく沈黙して、お互に希望を持って、専心勉学に志し、いつか折りを見て――或は五年、十年の後かも知れません――打明けて願う方が得策だと存じまして、そういうことに致しました。先生のお話をも一切話して聞かせました。で、用事が済んだ上は帰した方が好いのですけれど、非常に疲れて居る様子を見ましては、流石さすがに直ちに引返すようにとも申兼ねました。(私の弱いの御許し下さいまし)勉学中、実際問題に触れてはならぬとの先生の御教訓は身にしみて守るつもりで御座いますが、一先ひとまず旅籠屋はたごやに落着かせまして、折角出て来たものですから、一日位見物しておいでなさいと、つい申して了いました。何うか先生、お許し下さいまし。私共も激しい感情の中に、理性も御座いますから、京都でしたような、仮りにも常識を外れた、他人から誤解されるようなことは致しません。誓って、決して致しません。末ながら奥様にも宜しく申上げて下さいまし。
芳子
先 生  御もと
この一通の手紙を読んで居る中、さまざまの感情が時雄の胸を火のように燃えて通った。其の田中という二十一の青年が現に此の東京に来て居る。芳子が迎えに行った。何をしたか解らん。此の間言ったことも丸で虚言うそかも知れぬ。此の夏期の休暇に須磨で落合った時から出来て居て、京都での行為もその望を満す為め、今度も恋しさに堪え兼ねて女の後を追って上京したのかも知れん。手を握ったろう。胸と胸が相触れたろう。人が見て居ぬ旅籠屋はたごやの二階、何を為て居るか解らぬ。汚れる汚れぬのも刹那せつなの間だ。こう思うと時雄はたまらなくなった。「監督者の責任にも関する!」と腹の中で絶叫した。こうしては置かれぬ、こういう自由を精神の定まらぬ女に与えて置くことは出来ん。監督せんければならん、保護せんけりゃならん。私共は熱情もあるが理性がある!私共とは何だ!何故なぜ私とは書かぬ、何故複数を用いた?時雄の胸は嵐のように乱れた。着いたのは昨日の六時、姉の家に行って聞きただせば昨夜何時頃に帰ったが解るが、今日は何うした、今は何うして居る?
細君の心を尽くした晩餐の膳には、まぐろの新鮮な刺身に、青紫蘇あおじその薬味を添えた冷豆腐ひややっこ、それを味わう余裕も一ぱいは一盃とさかずきを重ねた。
細君は末の児を寝かして、火鉢の前に来て坐ったが、芳子の手紙が夫の傍にあるのに眼を付けて、
「芳子さん、何って言って来たのです?」
時雄は黙って手紙を投げて遣った、細君はそれを受取りながら、夫の顔をじろりと見て、暴風の前に来る雲行の甚だ急なのを知った。
細君は手紙を読終って巻きかえしながら、
「出て来たのですね」
「うむ」
「ずっと東京に居るんでしょうか」
「手紙に書いてあるじゃないか、すぐ帰すッて……」
「帰るでしょうか」
「そんなこと誰が知るものか」
夫の語気が烈しいので、細君は口をつぐんで了った。少時しばらく経ってから、
「だから、本当にいやさ、若い娘の身で、小説家になるなんぞッて、望む本人も本人なら、よこす親達も親達ですからね」
「でも、お前は安心したろう」と言おうとしたが、それは止して、
「まア、そんなことは何うでも好いさ、何うせお前達には解らんのだから……それよりもしゃくでもしたら何うだ」
温順な細君は徳利を取上て、京焼の盃に波々と注ぐ。
時雄は頻りに酒をあおった。酒でなければこの鬱を遣るに堪えぬといわぬばかりに。三本目に、妻は心配して、
「此の頃は何うか為ましたね」
「何故?」
「酔ってばかり居るじゃありませんか」
「酔うということが何うかしたのか」
「そうでしょう、何か気に障ることがあるからでしょう。芳子さんのことなどは何うでも好いじゃありませんか」
「馬鹿!」
と時雄は一喝いっかつした。
細君はそれにもりず、
「だって、余り飲んでは毒ですよ、もう好い加減になさい、また手水場にでも入って寝ると、貴郎あなたは大きいから、私と、お鶴(下女)の手ぐらいでは何うにもなりゃしませんからさ」
「まア、好いからもう一本」
で、もう一本を半分位飲んだ。もう酔は余程回ったらしい。顔の色は赤銅しゃくどう色に染って眼が少しすわって居た。急に立上って、
「おい、帯を出せ!」
「何処へいらっしゃる」
「三番町まで行って来る」
「姉の処?」
「うむ」
「およしなさいよ、危ないから」
「何アに大丈夫だ、人の娘を預って監督せずに投遣なげやりにしては置かれん。男が此の東京に来て一緒に歩いたり何かして居るのを見ぬ振をしては置かれん。田川(姉の家の姓)に預けて置いても不安心だから、今日、行って、早かったら、芳子を家に連れて来る。二階を掃除して置け」
「家に置くんですか、また……」
勿論もちろん
細君は容易に帯と着物とを出そうともせぬので、
「よし、よし、着物を出さんのなら、これで好い」
と、白地の単衣ひとえ唐縮緬とうちりめんの汚れたへこ帯、帽子もかぶらずに、其の儘に急いで戸外へ出た。
「今出しますから……本当に困って了う」という細君の声が後に聞えた。
夏の日はもう暮れ懸って居た。矢来の酒井の森にはからすの声が喧しく聞える。の家でも夕飯が済んで、門口に若い娘の白い顔も見える。ボールを投げて居る少年もある。官吏らしい鰌髭どじょうひげの紳士が庇髪ひさしがみの若い細君を伴れて、神楽坂を散歩に出懸けるのにも幾組か邂逅でっくわした。時雄は激昂げきこうした心と泥酔でいすいした身体からだとに烈しく漂わされて、四辺あたりに見ゆるものが皆な別の世界のもののように思われた。両側の家も動くよう、地も脚の下に陥るよう、天も頭の上におおかぶさるように感じた。元から左程強い酒量でもないのに、無闇にぐいぐいと呷ったので、一時に酔が発したのであろう。ふと露西亜ロシア賤民せんみんの酒に酔って路傍に倒れて寝て居るのを思い出した。そして、ある友人と露西亜の人間はれだからえらい、惑溺するならば飽迄あくまで惑溺せんければ駄目だと言ったことを思いだした。馬鹿な!恋に師弟の別があって堪るものかと口へ出して言った。
中根坂を上って、士官学校の裏門から佐内坂の上まで来た頃は、日はもうとっぷりと暮れた。白地の浴衣ゆかたがぞろぞろ通る。煙草屋の前に若い細君が出て居る。水屋の暖簾のれんが涼しそうに夕風になびく。時雄此の夏の夜景をおぼろげに眼には見ながら、電信柱に突当って倒れそうにしたり、浅い溝に落ちて膝頭ひざがしらをついたり、職工体の男に、「酔漢奴よっぱらいめ!しっかり歩け!」とののしられたりした。急に自ら思いついたらしく、坂の上から右に折れて、市ヶ谷八幡はちまんの境内へと入った。境内には人の影もなく寂寞ひっそりとして居た。大きい古いけやきの樹と松の樹とが蔽い冠さって、左の隅に珊瑚樹さんごじゅの大きいのが繁って居た。処々の常夜燈はそろそろ光を放ち始めた。時雄はいかにしても苦しいので、突如いきなり珊瑚樹の蔭に身をかくして、其の根本の地上に身を構えた。興奮した心の状態、奔放な情と悲哀の快感とは、極端まで其の力を発展して、一方痛切に嫉妬の念に駆られながら、一方冷淡に自己の状態を客観した。
初めて恋するような熱烈な情は無論なかった。盲目に其の運命に従うとうよりは、寧ろひややかに其の運命を批判した。熱い主観の情と冷めたい客観の批判とがり合せた糸のように固く結び着けられて、一種異様の心の状態を呈した。
悲しい、実に痛切に悲しい。此の悲哀は華やかな青春の悲哀でもなく、単に男女の恋の上の悲哀でもなく、人生の最奥にひそんで居るある大きな悲哀だ。行く水の流、咲く花の凋落ちょうらく、此の自然の底にわだかまれる抵抗すべからざる力に触れては、人間ほどはかない情ないものはない。
汪然おうぜんとして涙は時雄の髯面ひげづらを伝った。
ふとある事が胸にのぼった。時雄は立上って歩き出した。もう全く夜になった。境内の処々に立てられた硝子燈ガラスとうは光を放って、其の表面の常夜燈という三字がはっきり見える。この常夜燈という三字、これを見てかれは胸をいた。此の三字をかれはかつて深い懊悩を以て見たことは無いだろうか。今の細君が大きい桃割に結って、このすぐ下の家に娘で居た時、かれは其の微かな琴の音の髣髴ほうふつをだに得たいと思ってよく此の八幡の高台に登った。かの女を得なければいっそ南洋の植民地に漂泊しようというほどの熱烈な心を抱いて、華表とりい、長い石階いしだん、社殿、俳句の懸行燈かけあんどう、この常夜燈の三字にはよく見入って物を思ったものだ。其の下には依然たる家屋、電車のとどろきこそおりおり寂寞せきばくを破って通るが、其の妻の実家の窓には昔と同じように、明かに燈の光が輝いて居た。何たる節操なき心ぞ、わずかに八年の年月をけみしたばかりであるのに、こうも変ろうとは誰が思おう。其の桃割姿を丸髷姿にして、楽しく暮した其の生活が何うしてこういう荒涼たる生活に変って、何うしてこういう新しい恋を感ずるようになったか、時雄は我ながら時の力の恐ろしいのを痛切に胸に覚えた。けれど其の胸にある現在の事実は不思議にも何等の動揺をも受けなかった。
矛盾むじゅんでもなんでも為方しかたがない、其の矛盾、其の無節操、これが事実だから為方がない、事実!事実!」
と時雄は胸の中に繰返した。
時雄は堪え難い自然の力の圧迫に圧せられたもののように、再び傍のロハ台に長い身を横えた。ふと見ると、赤銅のような色をした光芒ひかりの無い大きい月が、おほりの松の上に音も無くのぼって居た。其の色、其のかたち、其の姿がいかにも侘しい。其の侘しさが其の身の居間の侘しさによくかなって居ると時雄は思って、また堪え難い哀愁が其の胸にみなぎり渡った。
酔は既に醒めた。夜露は置始めた。
土手三番町の家の前に来た。
のぞいて見たが、芳子の室に燈火の光が見えぬ。まだ帰って来ぬと見える。時雄の胸はまた燃えた。此の夜、此の暗い夜に恋しい男と二人!何をして居るか解らぬ。こういう常識を欠いた行為を敢てして、神聖なる恋とは何事?汚れたる行為の無いのを弁明するとは何事?
すぐ家に入ろうとしたが、まだ当人が帰って居らぬのに上っても為方が無いと思って、其の前を真直ぐに通り抜けた。女と摩違すれちがう度に、芳子ではないかと顔をのぞきつつ歩いた。土手の上、松の木蔭、街道の曲り角、往来の人に怪まるるまで彼方あっち此方こっち徘徊はいかいした。もう九時、十時に近い。いかに夏の夜であるからと言って、そう遅くまで出歩いて居る筈が無い。もう帰ったに相違ないと思って、引返して姉の家に行ったが、矢張りまだ帰って居ない。
時雄は家へ入った。
奥の六畳に通るや否、
「芳さんは何うしました?」
其の答より何より、姉は時雄の着物におびただしく泥の着いて居るのに驚いて、
「まア、何うしたんです、時雄さん」
明から洋燈ランプの光で見ると、成程、白地の浴衣に、肩、膝、腰の嫌いなく、夥しい泥痕どろあと
「何アに、其処で鳥渡ちょっと転んだものだから」
「だって、肩にまでいて居るじゃありませんか。また、酔ッぱらったんでしょう」
「何アに……」
と時雄はいて笑ってまぎらした。
さて時を移さず、
「芳さん、何処に行ったんです」
「今朝、鳥渡ちょっと中野の方のお友達と散歩に行って来ると行って出た切りですがね、もう帰って来るでしょう。何か用?」
「え、少し……」と言って、「昨日は帰りは遅かったですか」
「いいえ、お友達を新橋に迎えに行くんだって、四時過に出かけて、八時頃に帰って来ましたよ」
時雄の顔を見て、
「何どうかしたのですの?」
「何アに……けれどねえ姉さん」と時雄の声は改まった。「実は姉さんにおまかせしておいても、此の間の京都のようなことが又あると困るですから、芳子を私の家において、十分監督しようと思うんですがね」
「そう、それはいですよ。本当に芳子さんはああいうしっかり者だから、私見たいな無教育なものでは……」
「いや、そういう訳でも無いですがね。余り自由にさせ過ぎても、かえって当人の為にならんですから、一つ家に於いて、十分監督して見ようと思うんです」
「それが好いですよ。本当に、芳子さんにもね……何処と悪いことのない、発明な、利口な、今の世には珍らしい方ですけれど、一つ悪いことがあってね、男の友達と平気で夜歩いたりなんかするんですからね。それさえ止すと好いんだけれどとよく言うのですの。すると芳子さんはまた小母さんの旧弊が始まったって、笑って居るんだもの。いつかなぞも余り男と一緒に歩いたり何かするものだから、角の交番でね、不審にしてね、角袖巡査が家の前に立って居たことがあったと云いますよ。それはそんなことは無いんだから、構いはしませんけどもね……」
「それはいつもことです?」
「昨年の暮でしたかね」
「何うもハイカラ過ぎて困る」と時雄は言ったが、時計の針の既に十時半の処を指すのを見て、
「それにしても何うしたんだろう。若い身空で、こう遅くまで一人で出て歩くと言うのは?」
「もう帰って来ますよ」
「こんなことは幾度もあるんですか」
「いいえ、滅多めったにありはしませんよ。夏の夜だから、まだ宵の口位に思って歩いて居るんですよ」
姉は話しながら裁縫の針を止めぬのである。前に鴨脚いちようの大きい裁物板たちものいたが据えられて、彩絹きぬ裁片たちきれや糸やはさみやが順序なく四面あたりに乱れて居る。女物の美しい色に、洋燈ランプの光が明かに照り渡った。九月中旬の夜は更けて、稍々やや寒く、裏の土手下を甲武の貨物汽車がすさまじい地響を立てて通る。
下駄の音がする度に、今度こそは!今度こそは!と待渡ったが、十一時が打って間もなく、小きざみな、軽い後歯あとばの音が静かな夜を遠く響いて来た。
「今度のこそ、芳子さんですよ」
と姉は言った。
果してその足音が家の入口の前に留って、がらがらと格子こうしが開く。
「芳子さん?」
「ええ」
あでやかな声がする。
玄関から丈の高い庇髪ひさしがみの美しい姿がすっと入って来たが、
「あら、まア、先生!」
と声を立てた。其の声には驚愕と当惑の調子が十分に籠って居た。
「大変遅くなって……」と言って、座敷と居間との間のしきいの処に来て、半ば坐って、ちらりと電光のように時雄の顔色をうかがったが、すぐ紫の袱紗ふくさに何か包んだものを出して、黙って姉の方に押遣った。
「何ですか……お土産?いつもお気の毒ね?」
「いいえ、私も召上るんですもの」
と芳子は快活に言った。そして次の間に行こうとしたのを、無理に洋燈の明るいまぶしい今の一隅かたすみに坐らせた。美しい姿、当世流の庇髪、派手なネルにオリイヴ色の夏帯を形よくめて、少し斜に坐った艶やかさ。時雄はその姿と相対して、一種状すべからざる満足を胸に感じ、今迄の煩悶と苦痛とを半ば忘れて了った。有力な敵があっても、其の恋人をだに占領すれば、それで心の安まるのは恋する者の常態である。
「大変に遅くなって了って……」
いかにも遣瀬やるせないというように微かに弁解した。
「中野へ散歩へ行ったッて?」
時雄は突如として問うた。
「ええ……」芳子は時雄の顔色をまたちらりと見た。
姉は茶をれる。土産の包を開くと、姉の好きなシュウクリームこれはマアおしいと姉の声。で、暫く一座はそれに気を取られた。
少時しばらくしてから、芳子が、
「先生、私の帰るのを待って居て下さったの?」
「ええ、ええ、一時間半位待ったのよ」
と姉が傍から言った。
で、其話が出て、都合さえよくば今夜からでも――荷物は後からでも好いから――一緒に伴れてゆく積りで来たということを話した。芳子は下を向いて点頭うなずいて聞いて居た。無論、其胸には一種の圧迫を感じたに相違ないけれど、芳子の心にしては、絶対に信頼して――今回の恋のことにも全部心をげて同情して呉れた師の家に行って住むことは別に甚しい苦痛でも無かった。寧ろ以前から此の昔風の家に同居して居るのを不快に思って、出来るならば、初めのように先生の家にと願って居たのであるから、今の場合でなければ、かえって大に喜んだのであろうに……。
時雄は一刻も早く其恋簿とのことを聞糺ききただしたかった。今、其の男は何処にいる?何時京都に帰るか?これは時雄に取っては実に重大な問題であった。けれど何も知らぬ姉の前で、打明けて問う訳にも行かぬので、此の夜は露ほども其のことを口に出さなかった。一座は平凡な物語にけた。
今夜にもと時雄の言出したのを、だって、もう十二時だ、明日にした方が宜かろうとの姉の注意。で、時雄は一人で牛込に帰ろうとしたが、何うも不安心で為方ないような気がしたので、夜の更けたのを口実に、姉の家に泊って、明朝早く一緒に行くことにした。
芳子は八畳に、時雄は六畳に姉と床を並べて寝た。やがて姉の小さいいびきが聞えた。時計は一時をカンと鳴った。八畳では寝つかれうと覚しく、おりおり高い長大息ためいき気勢けはいがする。甲武の貨物列車がすさまじい地響を立てて、此の深夜を独り通る。時雄も久しく眠られなかった。


翌朝時雄は芳子を自宅に伴った。二人になるより早く、時雄は昨日の消息を知ろうと思ったけれど、芳子が低頭勝うつむきがちに悄然しょうぜんとして後について来るのを見ると、何となく可哀そうになって、胸に苛々いらいらする思を畳みながら、黙して歩いた。
佐内坂を登りおわると、人通りが少くなった。時雄はふと振帰って、「それで何うしたの?」と突如としてたずねた。
「え?」
煩悶した芳子は顔を曇らせた。
「昨日の話さ、まだ居るのかね」
「それじゃ送って行かなくってはいけないじゃないか」
「いいえ、もう好いんですの」
これで話は途絶えて、二人は黙って歩いた。
矢来町の時雄の宅、今迄物置にして置いた二階の三畳と六畳、これを綺麗に掃除して、芳子の住居とした。久しく物置――子供の遊び場にしておいたので、塵埃じんあいが山のように積って居たが、ほうきをかけ雑巾をかけ、雨のしみの附いた破れ障子を貼り更えると、こうも変るものかと思われるほど明るくなって、裏の酒井の墓塋はかの大樹のしげりが心地よき空翠みどりをその一室にみなぎらした。隣家の葡萄棚ぶどうだな、打捨てて手を入れようともせぬ庭の雑草の中に美人草の美しく交って咲いて居るのも今更に目につく。時雄はさる画家の描いた朝顔の幅を選んで床に懸け、懸花瓶にはおくれ咲の薔薇ばらの花をした。午頃に荷物が着いて、大きな支那鞄、柳行李やなぎごうり、信玄袋、本箱、机、夜具、これを二階に運ぶのには中中骨が折れる。時雄は此の手伝いに一日社を休むべく余儀なくされたのである。
机を南の窓の下、本箱を其の左に、上に鏡やら紅皿やら罎やらを順序よく並べた。押入の一方には支那鞄、柳行李、更紗さらさの蒲団夜具の一組を他の一方に入れようとした時、女の移香うつりがが鼻をったおで、時雄は変な気になった。
午後二時頃には一室が一先ず整頓した。
うです、此処も居心は悪くないでしょう」時雄は得意そうに笑って、「此処に居て、まアゆっくり勉強するです。本当に実際問題に触れてつまらなく苦労したって為方がないですからねえ」
「え……」と芳子は頭を垂れた。
「後で詳しく聞きましょうが、今の中は二人共じっとして勉強して居なくては、為方ないですからね」
「え……」と言って、芳子は顔を挙げて、「それで先生、私達もそう思って、今はお互に勉強して、将来に希望を持って、親の許諾ゆるしをも得たいと存じて居りますの!」
「それが好いです。今、余り騒ぐと、人にも親にも誤解されて了って、折角の真面目な希望も遂げられなくなりますから」
「ですから、ね、先生、私は一心になって勉強しようと思いますの。田中も左様そう申して居りました。それから、先生に是非お目にかかってお礼を申上げなければ済まないと申して居りましたけれど、……よく申上げて呉れッて……」
「いや……」
時雄は芳子の言葉の中に、「私共」と複数をつかうのと、公然もう許嫁いいなずけの約束でもしたかのように言うのとを不快に思った。まだ、十九か二十の妙齢の処女が、こうした言葉を口にするのを怪しんだ。時雄は時代の推移おしうつったのを今更のように感じた。当世の女学生気質かたぎのいかに自分等の恋した時代の処女気質と異って居るかを思った。勿論、此の女学生気質を時雄は主義の上、趣味の上から喜んで見たのは事実である。昔のような教育を受けては、到底今の明治の男子の妻としては立って行かれぬ。女子も立たねばならぬ、意志の力を十分に養わねばならぬとはかれの持論である。此の持論をかれは芳子に向ってもすくなからず鼓吹こすいした。けれどこの新派のハイカラの実行を見ては流石さすがに眉をひそめずにら居られなかった。


男は国府津こうづの消印で帰途に就いたという端書が着いて翌日三番町の姉の家から届けて来た。居間の二階には芳子が居て、呼べば直ぐ返事をして下りて来る。食事には三度々々膳を並べて団欒だんらんして食う。夜は明るい洋燈ランプを取巻いて、賑わしく語り合う。靴下は編んで呉れる。美しい笑顔を絶えず見せる。時雄は芳子を全く占領して、かく安心もし満足もした。細君も芳子に恋人があるのを知ってから、危険の念、不安の念を全く去った。
芳子は恋人に別れるのが辛かった。成ろうことなら一緒に東京に居て、時々顔をも見、言葉をも交えたかった。けれど今の際それは出来難いことと知って居た。二年、三年、男が同志社を卒業する迄は、たまさかのかり音信おとずれをたよりに、一心不乱に勉強しなければならぬと思った。で、午後からは、以前の如く麹町の某英学塾に通い、時雄も小石川の社に通った。
時雄は夜などおりおり芳子を自分の書斎に呼んで、文学の話、小説の話、それから恋の話をすることがある。そして芳子の為めに其の将来の注意を与えた。其の時の態度は公平で、率直で、同情に富んで居て、決して泥酔してかわやに寝たり、地上に横たわったりした人とは思われない。さればと言って、時雄はわざとそういう態度にするのではない。女にむかって居る刹那――其の愛した女の歓心を得るには、いかなる犠牲も甚だ高価に過ぎなかった。
で、芳子は師を信頼した。時期が来て、父母に此の恋を告ぐる時、旧思想と新思想とを衝突するようなことがあっても、此恵深い師の証人を得さえすればそれで沢山だとまで思った。
九月は十月になった。さびしい風が裏の森を鳴らして、空の色は深くあおく、日の光は透通った空気に射渡さしわたって、夕の影が濃くあたりをくまどるようになった。取り残したいもの葉に雨は終日降頻ふりしきって、八百屋の店には松茸まつたけが並べられた。垣の虫の声は露に衰えて、庭のきりの葉ももろくも落ちた。午前の中の一時間、九時より十時迄を、ツルゲネーフの小説の解釈、芳子は師のかがやく眼の下に、机にはすに坐って、「オン・ゼ・イブ」の長い長い物語に耳を傾けた。エレネの感情に烈しく意志の強い性格と、其の悲しい悲壮なる末路とは如何いかにかの女を動かしたか。芳子はエレネの恋物語を自分の引くらべて、其身を小説の中に置いた。恋の運命、恋すべき人に恋する機会がなく、思いも懸けぬ人に其の一生を任した運命、実際芳子の当時の心情その儘であった。須磨の浜で、ゆくりなく受取った百合ゆりの花の一枚の葉書はがき、それがこうした運命になろうとは夢にも思い知らなかったのである。
雨の森、闇の森、月の森に向って、芳子はさまざまに其の事を思った。京都の夜汽車、嵯峨の月、膳所ぜぜに遊んだ時には湖水に夕日が美しく射渡って、旅館の中庭に、はぎが絵のように咲乱れて居た。其の二日の遊は実に夢のようであったと思った。続いてまだ其の人を恋せぬ前のこと、須磨の海水浴、故郷の山の中の月、病気にならぬ以前、殊に其の煩悶を考えると、ほおがおのずからあかくなった。
空想から空想、其の空想はいつか長い手紙となって京都へ行った。京都からもほとんど隔日のように厚い厚い封書が届いた。書いても書いても尽されぬ二人の情――余り其の文通の頻繁なのに時雄は芳子の不在をうかがって、監督という口実の下に其の良心を抑えて、こっそり机の抽斗ひきだしやら文箱やらをさがした。捜し出した二三通の男の手紙を走り読みに読んだ。
恋人のするような甘ったるい言葉は到る処に満ちて居た。けれど時雄はそれ以上にある秘密を捜し出そう苦心した。接吻の痕、性慾の痕が何処かにあらわれて居りはせぬか。神聖なる恋以上に二人の間は進歩して居りはせぬか、けれど手紙にも解らぬのは恋のまことの消息であった。
一ヵ月は過ぎた。
ところが、ある日、時雄は芳子に宛てた一通の端書を受取った。英語で書いてある端書であった。何気なく読むと、一月ほどの生活費は準備して行く、あとは東京で衣食の職業が見附かるかうかという意味、京都田中としてあった。時雄は胸を轟かした。平和は一瞬にして破れた。
晩餐後、芳子は其の事を問われたのである。
芳子は困ったという風で、「先生、本当に困ってしまったんですの。田中が東京に出て来ると云うのですもの、私は二度、三度まで止めて遣ったんですけれど、何だか、宗教に従事して、虚偽に生活していることが、今度の動機で、すっかり厭になって了ったとか何とかで、何うしても東京に出て来るッて言うんですよ」
「東京に来て、何をするつもりなんだ?」
「文学を遣り渡いと――」
「文学?文学ッて何だ。小説を書こうというのか」
「え、左様そうでしょう……」
「馬鹿な!」
時雄は一喝した。
「本当に困って了うんですの」
貴嬢あなたはそんなことを進めたんじゃないか」
「いいえ」と烈しく首を振って、「私はそんなこと……私は今の場合困るから、せめて同志社だけでも卒業して呉れッて、此の間初めに申して来た時にって止めて遣ったんですけれど……もうすっかり独断でそうして了ったんですッて。今更取かえしがつかぬようになって了ったんですって」
「何うして?」
「神戸の信者で、神戸の教会の為めに、田中に学資を出して呉れて居る神津こうづという人があるのですの。其の人に、田中が宗教は自分には出来ぬから、将来文学で立とうと思う。何うか東京に出して呉れと言って遣ったんですの。すると大層怒って、それならもう構わぬ、勝手にしろと言われて、すっかり支度をしてしまったんですって、本当に困って了いますの」
「馬鹿な!」
と言ったが、「今一度留めて遣んなさい。小説で立とうなんぞ思ったッて、とても駄目だ、全く空想だ、空想の極端だ。それに、田中が此方こっちに出て来て居ては、貴嬢の監督上、私が非常に困る。貴嬢の世話も出来んようになるから、厳しく止めて遣んなさい!」
芳子は愈々困ったという風で、「止めてはやりますけれど、手紙が行違いになるかも知れませんから」
「行違い?それじゃもう来るのか」
時雄は目をみはった。
「今来た手紙に、もう手紙をよこして呉れても行違いになるからと言ってよこしたんですから」
「今来た手紙ッて、さっきの端書の又後に来たのか」
芳子は点頭うなずいた。
「困ったね。だから若い空想家は駄目だと言うんだ」
平和は再び攪乱かきみださるることとなった。


一日置いて今夜の六時に新橋に着くという電報があった。電報を持って、芳子はまごまごして居た。けれど夜ひとり若い女を出して遣る訳には行かぬので、新橋へ迎えに行くことは許さなかった。
翌日は達ってっていさめて何うしても京都へかえらせるようにすると言って、芳子は其の恋人のもとおとのうた。其の男は停車場前のつるやという旅館に宿やどって居るのである。
時雄が社から帰った時には、まだとても帰るまいと思った芳子が既に其の笑顔を玄関にあらわしていた。聞くと田中は既にこうして出て来た以上、何うしても京都には帰らぬとのことだ。で、芳子は殆ど喧嘩けんかをする迄に争ったが、矢張やはり断としてかぬ。先生を頼りにして出京したのではあるが、そう聞けば、成程御尤ごもっともである。監督上都合の悪いというのもよく解りました。けれど今更帰れませぬから、自分で如何ようにしても自活の道を求めて目的地に進むより他はないとまで言ったそうだ。時雄は不快を感じた。
時雄は一時は勝手にしろと思った。放って置けとも思った。けれど圏内の一員たるかれに何うして全く風馬牛たることを得ようぞ。芳子は其の後二三日訪問した形跡もなく、学校の時間には正確に帰って来るが、学校に行くと称して恋人の許に寄りはせぬかと思うと、胸は疑惑と嫉妬に燃えた。
時雄は懊悩した。其の心は日に幾遍となく変った。ある時は全く犠牲になって二人の為めに尽そうと思った。ある時は此の一伍一什いちぶしじゅうを国に報じて一挙に破壊して了おうかと思った。けれどこのいずれをも敢てすることは出来ぬのが今の心の状態であった。
細君が、ふと、時雄に耳語した。
「あなた、二階では、これよ」と針で着物を縫う真似まねをして、小声で、「屹度きっと……上げるんでしょう。紺絣こんがすりの書生羽織!白い木綿の長いひもも買ってありますよ」
「本当か?」
「え」
細君は笑った。
時雄は笑うどころではなかった。


芳子が今日は先生少し遅くなりますからと顔をあかくして言った。「彼処へ行くのか」と問うと、
「いいえ!一寸ちょっと友達の処に用があって寄って来ますから」
其の夕暮、時雄は思切って、芳子の恋人の下宿を訪問した。
「まことに、先生にはよう申訳がありまえんのやけれど……」長い演説調の雄弁で、形式的の申訳をした後、田中という中脊の、少し肥えた、色の白い男が祈禱をする時のような眼色をして、さも同情を求めるように言った。
時雄は熟して居た。「しかし、君、解ったら、左様そうしたら好いじゃありませんか、僕は君等の将来を思って言うのです。芳子は僕の弟子です。僕の責任として、芳子に廃学させるには忍びん。君が東京に何うしても居ると言うなら、芳子を国に帰すか、此の関係を父母に打明けて許可を乞うか、二つの中一つを選ばんければならん。君は君の愛する女を君の為めに山の中に埋もらせるほどエゴイスチックな人間じゃありますまい。君は宗教に従事することが今度の事件の為めに厭になったと謂うが、それは一種の考えで、君は忍んで、京都に居りさえすれば、万事円満に、二人の間柄も将来希望があるのですから」
「よう解って居ります……」
「けれど出来んですか」
「何うも済みませんけど……制服も帽子も売ってしもうたで、今更帰るに帰れまえんという次第で……」
「それじゃ芳子を国に帰すですか」
かれは黙って居る。
「国に言って遣りましょうか」
矢張黙って居た。
「私の東京に参りましたのは、そういうことには寧ろ関係しないつもりでおます。別段こちらに居りましても、二人の間には何うという……」
「それは君は左様言うでしょう。けれど、それでは私は監督出来ん。恋はいつ惑溺するっかも解らん」
「私はそないなことは無いつもりですけどナ」
「誓い得るですか」
「静かに、勉強して行かれさえすりゃアナ、そないなことありませんけどナ」
「だから困るのです」
こういう会話――要領を得ない会話を繰返して長く相対した。時雄は将来の希望という点、男子の犠牲という点、事件の進行という点からいろいろさまざまに帰国を進めた。時雄の眼に映じた田中秀夫は、想像したような一箇秀麗な丈夫でもなく天才肌の人とも見えなかった。麹町三番町通の安旅人宿はたご、三方壁でしきられた暑い室に初めて相対した時、先ずかれの身に迫ったのは、基督教に養われた、いやに取澄ました、年に似合わぬ老成な、厭な不愉快な態度であった。京都なまりの言葉、色の白い顔、やさひい処はいくらかあるが、多い青年の中からこうした男を特に選んだ芳子の気が知れなかった。殊に時雄が最も厭に感じたのは、天真流露という率直なところが微塵みじんもなく、自己の罪悪にも弱点にも種々いろいろの理由を強いてつけて、これを弁解しようとする形式的態度であった。とは言え、実を言えば、時雄の激しい頭脳にあ、それがすぐ直覚的に明かに映ったと言うではなく、座敷の隅に置かれた小さい旅鞄やあわれにもしおたれた白地の浴衣などを見ると、青年空想の昔が思い出されて、こうした恋の為め、煩悶もし、懊悩もして居るかと思って、憐憫れんびんの情も起らぬではなかった。
此の暑い一室に相対して、趺座あぐらをもかかず、二人は尠くとも一時間以上語った。話は遂に要領を得なかった。「先ず今一度考え直して見給え」くらいが最後で、時雄は別れて帰途に就いた。
何だか馬鹿らしいような気がした。愚なる行為をしたように感じられて、自ら其の身を嘲笑ちょうしょうした。心にもないお世辞を言い、自分の胸の底の秘密を蔽う為めには、二人の恋の温情なる保護者となろうとまで言ったことを思い出した。安飜訳の仕事を周旋して貰う為めに、某氏に紹介の労を執ろうと言ったことをも思い出した。そして自分ながら自分の意気地なく好人物なのを罵った。
時雄は幾度か考えた。寧ろ国に報知して遣ろうか、と。けれどそれを報知するに、何ういう態度を以てしようかというのが大問題であた。二人の恋の関鍵かぎを自ら握って居ると信ずるだけそれだけ時雄は責任を重く感じた。其の身の不当の嫉妬、不正の恋情の為めに、其の愛する女の熱烈なる恋を犠牲にするには忍びぬと共に、自ら言った「温情なる保護者」として、道徳家の如く身を処するにも堪えなかった。また一方には此の事が国に知れて芳子が父母の為めに伴われて帰国するようになるのを恐れた。
芳子が時雄の書斎に来て、頭を垂れ、声を低うして、其の希望を述べたのは其の翌日の夜であった如何に説いても男は帰らぬ。さりとて国へ報知すれば、父母の許さぬのは知れたこと、時宜じぎに由ればたちまち迎いに来ぬとも限らぬ。男も折角ああして出て来たことでもあり二人の間も世の中の男女の恋のように浅く思い浅く恋した訳でもないから、決して汚れた行為などはなく、惑溺するようなことは誓って為ない。文学は難しい道、小説を書いて一家を成そうとするのは田中のようなものには出来ぬかも知れねど、同じく将来を進むなら、共に好む道に携わり度い。何うか暫く此の儘にして東京に置いて呉れとの頼み。時雄は其の余儀なき頼みをすげなくしりぞけることは出来なかった。時雄は京都嵯峨に於ける女の好意に其の節操を疑っては居るが、一方で又其の弁解をも信じて、此の若い二人の間にはまだそんなことはあるあいと思って居た。自分の青年の経験に照らして見ても、神聖なる誓いの恋は成立っても肉の恋は決してそう容易に実行されるものではない。で、時雄は惑溺せぬものならば、暫く此の儘にして置いて好いと言って、そして縷々るるとして霊の恋愛、肉の恋愛、恋愛と人生の関係、教育ある新しい女のまさに守るべきことなどに就いて、切実に真摯しんしに教訓した。古人が女子の節操をいましめたのは社会道徳の制裁よりは、寧ろ女子の独立を保護する為であるということ、一度肉を男子に許せば女子の自由が全く破れるということ、西洋の女子はよく此間の消息を解して居るから、男女交際をして不都合がないということ、日本の新しい婦人も是非共そうならなければならぬということなど主なる教訓の題目であったが、殊に新派の女子ということに就いて痛切に語った。
芳子は低頭うつむいてきいていた。
時雄は興に乗じて、
「そして一体、何うして生活しようといのです?」
「少しは準備もして来たんでしょう、一月位は好いでしょうけれど……」
「何かうまい口でもあると好いけれど」と時雄は言った。
「実は先生に御縋おすがり申して、誰も知ってるものがないのに出て参りましたのですから、大層失望しましたのですけれど」
「だッて余り突飛だ。一昨日逢ってもそう思ったが、何うもあれでも困るね」
と時雄は笑った。
「何うかまた御心配下さるように……此の上御心配かけては申訳がありませんけれど」と芳子は縋るようにして顔をあからめた。
「心配せん方が好い、何うかなるよ」
芳子が出て行った後、時雄は急に険しい難しい顔に成った。「自分に……自分に、此の恋の世話が出来るだろうか」と独りで胸に反問した。「若い鳥は若い鳥でなくては駄目だ。自分等はもうこの若い鳥を引く美しい羽は持って居ない」こう思うと、言うに言われぬ寂しさが胸を襲った。「妻と子――家庭の快楽だと人は言うが、それに何の意味がある。子供の為めに生存して居る妻は生存の意味があろうが、妻を子に奪われ、子を妻に奪われた夫は何うして寂莫たらざるを得るか」時雄はじっと洋燈を見た。
机の上にはモウパッサンの「死よりも強し」が開かれてあった。
二三日経って後、時雄は例刻に社から帰って火鉢の前に坐ると、細君が小声で、
「今日来てよ」
「誰が」
「二階の……そら芳子さんの好い人」
「そうか……」
「今日一時頃、御免なさいと玄関に来た人があるですから、私が出て見ると、顔の丸い、かすりの羽織を着た、白縞のはかま穿いた書生さんが居るじゃありませんか。また、原稿でも持って来た書生さんかと思ったら、横山さんは此方においでですかと言うじゃありませんか。はて、不思議だと思ったけれど、名を聞きますと、田中……。はア、それで其の人だナと思ったんですよ。厭な人ねえ、あんな人を、あんな書生さんを恋人にしないたッて、いくらでも好いのがあるでしょうに。芳子さんは余程物好ね。あれじゃとても望みはありませんよ」
「それで何うした?」
「芳子さんは嬉しいんでしょうけど、何だかきまりが悪そうでしたよ。私がお茶を持って行って上げると、芳子さんは机の前に坐って居る。其の前に其の人が居て、今迄何か話して居たのを急に止して黙ってしまった。私は変だからすぐ下りて来たですがね、……何だか変ね、……今の若い人はよくああいうことが出来てね、私の其の頃には男に見られるのすら恥かしくって恥かしくって為方がなかったものですのに……」
「時代が違うからナ」
「いくら時代が違っても、余り新派過ぎると思いましたよ。堕落書生と同じですからね。そりゃうわべが似て居るだけで、心はそんなことはないでしょうけれど、何だか変ですよ」
「そんなことは何うでも好い。それで何うした?」
「おげじょが行って上げると言うのに、好いと言って、御自分で出かけて、餅菓子と焼芋を買って来て、御馳走してよ。……お鶴も笑って居ましたよ。お湯をさして上ると、二人でおしそうにおさつを食べて居るところでしたッて……」
時雄も笑わざるを得なかった。
細君はなお語りいだ。「そして随分長く高い声で話して居ましたよ。議論見たいなことも言って、芳子さんもなかなか負けない様子でした」
「そしていつ帰った?」
「もう少し以前」
「芳子は居るか」
「いいえ、路が分らないから、一緒に其処まで送って行って来るッて出懸けて行ったんですよ」
時雄は顔を曇らせた。
夕飯を食って居ると、裏口から芳子が帰って来た。急いで走って来たと覚しく、せいせい息を切って居る。
「何処まで行らしった?」
と細君が問うと、
「神楽坂まで」と答えたが、いつもする「おかえりなさいまし」を時雄に向って言って、そのままばたばたと二階へ上った。すぐ下りて来るかと思うに、なかなか下りて来ない。「芳子さん、芳子さん」と三度ほど細君が呼ぶと、「はアーい」おいう長い返事が聞えて、矢張り下りて来ない。お鶴が迎いに行ってようやく二階を下りて来たが、準備した夕飯の膳を他所よそに、柱に近く、はすに坐った。
「御飯は?」
「もう食べたくないの、おなかが一杯で」
「余りおさつを召上ったせいでしょう」
「あら、まア、ひどい奥さん。いいわ、奥さん」
にら真似まねをする。
細君は笑って、
「芳子さん、何だか変ね」
「何故?」と長く引張る。
「何故も無いわ」
「いいことよ、奥さん」
と又睨んだ。
時雄は怒って此の嬌態に対して居た。胸の騒ぐのは無論である。不快の情はひしと押し寄せて来た。芳子はちらと時雄の顔をうかがったが、其の不機嫌なのが一目で解った。で、すぐ態度を改めて、
「先生、今日田中が参りましてね」
「そうだってね」
「お目にかかってお礼を申上げなければならんのですけれども、又改めて上がりますからッて……よろしく申上げて……」
「そうか」
と言ったが、其のままういと立って書斎に入って了った。


其の恋人が東京に居ては、仮令たとい自分が芳子を其の二階に置いて監督しても、時雄は心を安んずる暇はなかった。二人の相逢うことを妨げることは絶対に不可能である。手紙は無論差留めることは出来ぬし、「今日鳥渡ちょっと田中に寄って参りますから、一時間遅くなります」と公然と断って行くのをう言う訳には行かなかった。また其の男が訪問して来るのを非常に不快に思うけれど、今更それを謝絶することも出来なかった。時雄はいつも間にか、この二人から其の恋に対しての「温情の保護者」として認められて了った。
時雄は常に苛々いらいらして居た。書かなければならぬ原稿が幾種もある。書肆しょしからも催促される。金も欲しい。けれど何うしても筆を執って文をつづるような沈着おちついた心の状態にはなれなかった。いて試みて見ることがあっても、考えがまとまらない。本を読んでも二頁も続けて読む気になれない。二人の恋の温かさを見る度に、胸を燃して、罪もない細君に当り散らして酒を飲んだ。晩餐の菜が気に入らぬと云って、御膳を蹴飛した。夜は十二時過に酔って帰って来ることもあった。芳子はこの乱暴な不調子な時雄の行為に尠なからず心を痛めて、「私がいろいろ御心配を懸けるもんですからね、私が悪いんですよ」と詫びるように細君に言った。芳子は成るたけ手紙の往復を人に見せぬようにし、訪問も三度に一度は学校を休んでこっそり行くようにした。時雄はそれに気が附いて一層懊悩の度を増した。
野は秋も暮れて木枯こがらしの風が立った。裏の森の銀杏樹いちょう黄葉もみじして夕の空を美しくいろどった。垣根道にはそりかえった落葉ががさがさと転がって行く。もず鳴声なきごえがけたたましく聞える。若い二人の恋が愈々いよいよ人目に余りようになったのは此頃であった。時雄は監督上見るに見かねて、芳子をとき勧めて、此の一伍一什いちぶしじゅうを故郷の父母に報ぜしめた。そして時雄も此の恋に関しての長い手紙を芳子の父に寄せた。此の場合にも時雄は芳子の感謝をち得るようにつとめた。時雄は心をあざむいて、――悲壮なる犠牲と称して、此の「恋の温情なる保護者」となった。
備中の山中から数通の手紙が来た。


其の翌年の一月には、時雄は地理の用事で、上武の境なる利根河畔に出張して居た。彼は昨年の年末から此の地に来て居るので、家のこと――芳子のことがことに心配になる。さりとて公務を如何いかんともすることが出来なかった。正月になって二日に鳥渡ちょっと帰京したが、其の時は次男が歯を病んで、妻と芳子とがしきりにそれを介抱して居た。妻に聞くと、芳子の恋は更に惑溺わくできの度を加えた様子。大晦日おおみそかの晩に、田中が生活のたつきを得ず、下宿に帰ることも出来ずに、終夜運転の電車に一夜を過したということ、余り頻繁に二人が往来するので、それをそれとなしに注意して芳子と口争いをしたということ、其の他種々のことを聞いた。困ったことだと思った。一晩泊って再び利根の河畔に戻った。
今は五日の夜であった。ぼうとした空に月がかさを帯びて、其の光が川の中央にきらきらと金を砕いて居た。時雄は机の上に一通の封書をひらいて、深く其の事を考えて居た。其の手紙は今少し前、旅館の下女が置いて行った芳子の筆である。
先生、
まことに、申訳が御座いません。先生の同情ある御恩は決して一生経っても忘るることでなく、今も其のお心を思うと、涙がこぼるるのです。
父母はあの通りです。先生があのように仰しゃって下すっても、旧風むかしふうの頑固で、私共の心をんで呉れようとも致しませず、泣いて訴えましたけれど、許しては呉れません。母の手紙を見れば泣かずには居られませんけれど、少しは私の心も汲んで呉れても好いと思います。恋とはこう苦しいものかと今つくづく思い当りました。先生、私は決心致しました。聖書にも女は親に離れて夫に従うと御座います通り、私は田中に従おうと存じます。
田中は未だに生活のたつきを得ませず、準備した金は既に尽き、昨年の暮れは、うらぶれの悲しい生活を送ったので御座います。私はもう見て居るに忍びません。国からの補助を受けませんでも、私等は私等二人で出来るまで此の世に生きて見ようと思います。先生に御心配を懸けるのは、まことに済みません。監督上、御心配なさるのも御尤もです。けれど折角先生があのように私等の為めに国の父母をお説き下すったのいもかかわらず、父母は唯無意味に起ってばかり居て、取合って呉れませんのは、余りと申せば無慈悲です、勘当されても為方が御座いません。堕落堕落と申して、殆どよわいせぬばかりに申して居りますが、私達の恋はそんなに不真面目なもので御座いましょうか。それに家の門地々々と申しますが、私は恋を父母の都合によって致すような旧式な女でないことは先生もお許し下さるでしょう。
先生、
私は決心致しました。昨日、上野図書館で女の見習生が入用だという広告がありましたから、応じて見ようと思います。二人して一生懸命に働きましたら、まさか餓えるようなことも御座いますまい。先生のお家にこうして居ますればこそ、先生にも奥様にも御心配を懸けて済まぬので御座います。何うか先生、私の決心をお許し下さい。
芳子
先生  おんもとへ
恋の力は遂に二人を深い惑溺のふちに沈めたのである。時雄はもうこうしては置かれぬと思った。時雄が芳子の歓心を得る為めに取った「温情の保護者」としての態度を考えた。備中の父親に寄せた手紙、其の手紙には、極力二人の恋を庇保ひほして、何うしても此の恋を許して貰わねばならぬという主旨であった。時雄は父母の到底これを承知せぬことを知って居た。寧ろ父母の極力反対することを希望して居た。父母は果して極力反対して来た。言うことを聞かぬなら勘当するとまで言って来た。二人はまさに受くべき恋の報酬を受けた。時雄は芳子の為めに飽まで弁明し、汚れた目的の為めに行われたる恋でないことを言い、父母の中一人、是非出京して此の問題を解決して貰いたいと言い送った。けれど故郷の父母は、監督なる時雄がそういう主張であるのと、到底其の口から許可することが出来ぬのとで、上京しても無駄であると云って出て来なかった。
時雄は今、芳子の手紙に対して考えた。
二人の状態は最早一刻も猶予すべからざるものとなって居る。時雄の監督を離れて二人一緒に暮し度いという大胆な言葉、其の言葉の中には警戒すべき分子の多いのを思った。いや、既に一歩を進めて居るかも知れぬと思った。又一面にはこれほど其の為めに尽力して居るのに、其の好意を無にして、こういう決心をするとは義理知らず、情知らず、勝手にするが好いとまで激した。
時雄は胸の轟きを静める為め、月朧おぼろなる利根川の堤の上を散歩した。月がかさを帯びた夜は冬ながらやや暖かく、土手下の家々の窓には平和な燈火が静かに輝いて居た。川の上には薄いもやが懸って、おりおり通る船のの音がギイと聞える。下流でおーいと渡しを呼ぶものがある。舟橋を渡る車の音がとどろに響いてそしてまた一時静かになる。時雄は土手を歩きながら種々のことを考えた。芳子のことよりは一層痛切に自己の家庭のさびしさということが胸を往来した。三十五六歳の男女の最も味うべき生活の苦痛、事業に対する煩悩、性慾より起る不満足等がすさまじい力で其の胸を圧迫した。芳子はかれの為めに平凡なる生活の花であり又かてでもあった。芳子の美しい力に由って、荒野の如き胸に花咲き、び果てた鐘は再び鳴ろうとした。芳子の為めに、復活の活気は新しく鼓吹こすいされた。であるのに再び寂莫荒涼たる以前の平凡なる生活にかえらなければならぬとは……。不平よりも、嫉妬よりも、熱い熱い涙がかれの頰を伝った。
かれは真面目に芳子の恋と其の一生とを考えた。二人同棲して後の倦怠けんたい、疲労、冷酷を自己の経験に照らして見た。そして一たび男子に身を任せて後の女子の境遇の憐むべきを思い遣った。自然の最奥に秘める暗黒なる力に対する厭世えんせいの情は今彼の胸を簇々むらむらとして襲った。
真面目なる解決を施さなければならぬという気になった。今迄の自分の行為の甚だ不自然で不真面目であるのに思いついた。時雄は其の夜、備中の山中にある芳子の父母に寄する手紙を熱心に書いた。芳子の手紙を其の中に巻込んで、二人の近況を詳しく記し、最後に、
父たる貴下と師たる小生と当事者たる二人と相対して、此の問題を真面目に議すべく時節到来来せりと存候、貴下は父としての主張あるべく、芳子は芳子としての自由あるべく、小生また師としての意見有之候、御多忙の際には有之候えども、是非々々御出京下され候、幾重にも希望仕候。
と書いて筆を結んだ。封筒に収めて備中国新見町横山兵蔵様と書いて、傍に置いて、じっとそれを見入った。此の一通が運命の手だと思った。思い切っておんなを呼んで渡した。
一日二日、時雄は其の手紙の備中の山中へ運ばれてゆくさまを想像した。四面山で囲まれた小さな田舎町、其の中央にある大きな白壁造、そこに郵便脚夫が配達すると、店に居た男がそれを奥へ持って行く。丈の高い、ひげのある主人がそれを読む――運命の力は一刻毎に迫って来た。


十日に時雄は東京に帰った。
其の翌日、備中から返事があって、二三日の中に父親が出発すると報じて来た。
芳子も田中も今の際、寧ろそれを希望して居るらしく、別にこれと云って驚いた様子も無かった。
父親が東京に着いて、先ず京橋に宿を取って、牛込の時雄の宅を訪問したのは十六日の午前十一時頃であった。丁度日曜で、時雄は宅に居た。父親はフロックコートを着て、中高帽を冠って、長途の旅に疲れたという風であった。
芳子はその日医師へ行って居た。三日程前から風邪を引いて、熱が少しあった。頭痛がすると言って居た。間もなく帰って来たが、裏口から何の気なしに入ると、細君が、「芳子さん、芳子さん、大変よ、お父さんが来てよ」
「お父さん」
と芳子も流石さすがにはっとした。
其の儘二階に上ったが下りて来ない。
奥で、「芳子は?」と呼ぶので、細君が下から呼んで見たが返事がない。登って行って見ると、芳子は机の上に打伏うつぶして居る。
「芳子さん」
返事がない。
傍に行って又呼ぶと、芳子は青い神経性の顔をもたげた。
「奥で呼んで居りますよ」
「でもね、奥さん、私はうして父に遇われるでしょう」
泣いて居るのだ。
「だッて、父様に久し振じゃありませんか。何うせ逢わないわけには行かんのですもの。何アにそんな心配をすることはありませんよ、大丈夫ですよ」
「だッて、奥さん」
「本当に大丈夫ですから、しっかりなさいよ、よくあなたの心を父様にお話しなさいよ。本当に大丈夫ですよ」
芳子は遂に父親の前に出た。ひげ多く、威厳のある中に何処となく優しい処のある懐かしい顔を見ると、芳子は涙のみなぎるのをとどめ得なかった。旧式な頑固なおやじ、若いものの心など解らぬ爺、それでも此の父は優しい父であった。母親は万事に気が附いて、よく面倒を見て呉れたけれど、何故か芳子には母よりも此の父の方が好かった。其の身の今の窮迫を訴え、泣いて此の恋の真面目なのを訴えたら父親もよもや動かされぬことはあるまいと思った。
「芳子、暫くじゃッたのう……体は丈夫かの?」
「お父さま……」芳子は後は言い得なかった。
「今度来ます時に……」と父親は傍に坐って居る時雄に語った。「佐野と御殿場でしたかナ、汽車に故障がありましてナ、二時間ほど待ちました。機関が破裂しましてナ」
「それは……」
「全速力で進行して居る中、凄じい音がしたと思いましたけえ、汽車がおびただしく傾斜してだらだらと逆行しましてナ、何事かと思いました。機関が破裂して火夫が二人とか即死した……」
「それは危険でしたナ」
「沼津から機関車を持って来てつけるまで二時間も待ちまちたけえ、其の間もナ、思いまして……これの為めにこうして東京に来て居る途中、もしもの事があったら、芳(と今度は娘の方を見て)お前も兄弟に申訳が無かろうと思ったじゃわ」
芳子は頭を垂れて黙って居た。
「それは危険でした。それでも別にお怪我けがもなくって結構でした」
「え、まア」
父親と時雄は暫くその機関破裂のことに就いて語り合った。不図ふと、芳子は、
「お父さま、家では皆な変ることは御座いません?」
「うむ、皆な達者じゃ」
「母さんも……」
「うむ、今度も私が忙しいけえナ、母に来て貰うように言うてじゃったが、矢張、私の方が好いじゃろうと思って……」
「兄さんも御達者?」
「うむ、あれも此の頃は少し落附いて居る」
彼是かれこれする中に、午飯ひるめしの膳が出た。芳子は自分の室に戻った。食事を終って、茶を飲みながら、時雄は前からの其の問題を語りいだ。
「賛成しようにもしまいにも、まだ問題になり居りませんけえ。今、仮に許して、二人一緒にするに致しても、男が二十二で、同志社の三年生では……」
「それは、左様そうですが、人間を御覧の上、将来の約束でも……」
「いや、約束などと、そんなことは致しますまい。私は人物を見たわけでありませんけえ、よく知りませんけどナ、女学生の上京の途次を要して途中に泊らせたり、年来の恩ある神戸教会の恩人を一朝にして捨て去ったりするような男ですけえ、とても話にはならぬと思いますじゃ。此の間、芳から母へよこした手紙に、其の男が苦しんで居るじゃで、何うか御察し下すて、私の学費を少くしても好いから、早稲田に通う位の金を出して呉れと書いてありましたげな、何かそういう計画で芳がだまされて居るんではないですかな」
「そんなことは無いでしょうと思うですが……」
「何うも怪しいことがあるです。芳子と約束が出来て、すぐ宗教が厭になって文学が好きになったと言うのも可笑おかしし、其の後をすぐ追って出て来て、貴方などの御説論も聞かずに衣食に苦しんでまでも此の東京に居るなども意味がありそうですわい」
「それは恋の惑溺であるかも知れませんから善意に解釈することも出来ますが」
「それにしても許可するのせぬとは問題になりませんけえ、結婚の約束は大きなことでして……。それには其者の身分も調べて、此方こっちの身分との釣合も考えなければなりませんし、血統を調べなければなりません。それに人物が第一です。貴方の御覧になる所では、秀才だとか仰しゃってですが……」
「いや、左様言うわけでも無かったです」
「一体、人物は何ういう……」
「それは却って母さんなどが御存じだと言うことですが」
「何アに、須磨の後用学校で一二度会ったことがある位、妻もよく知らんそうですけえ。何でも神戸では多少秀才とか何とか言われた男で、芳は女学院に居る頃から知って居るのでしょうがナ。説教や祈禱などを遣らせると、大人も及ばぬようなうまいことを遣り居ったそうですけえ」
「それで話が演説調子になるのだ。形式的になるのだ、あの厭な上目を使うのは、祈禱する時の表情だ」と時雄は心の中に合点した。あのいやな表情で若い女を迷わせるのだなと続いて思って厭な気がした。
「それにしても、結局は何うしましょう?芳子さんをれてお帰りになりますか」
「されば……成たけは連れて帰り度くないと思いますがナ。村に娘を伴れて突然帰ると、何うも際立って面白くありません。私も妻も種々村の慈善事業や名誉職などを遣って居りますけえ、今度のことなどがぱっとしますと、非常に困る場合もあるのです。……で、私は、貴方の仰しゃる通り、出来得べくば、男を素の京都に帰して、此処一二年、娘は猶お世話になり度いと存じて居りますじゃが……」
「それが好いですな」
と時雄は言った。
二人の間柄に就いての談話も一二あった。時雄は京都嵯峨の事情、其の以後の経過を話し、二人の間には神聖の霊の恋のみ成立って居て、汚い関係は無いであろうと言った。父親はそれを聴いて点頭うなずきはしたが、
「でもまア、其方の関係もあるものとして見なければなりますまい」と言った。
父親の胸には今更娘に就いての悔恨の情が多かった。田舎ものの虚栄心の為めに神戸女学院のようなハイカラな学校に入れて、其の寄宿舎生活を行わせたことや、娘の切なる希望を容れて小説を学ぶべく東京に出したことや、多病の為め言うがままにして余り検束を加えなかったことや、いろいろなことが簇々むらむらと胸に浮んだ。
一時間後にはわざわざ迎いに遣った田中が此の室に来て居た。芳子も其の傍に庇髪ひさしがみれて談話を聞いて居た。父親の眼に映じた田中は元より気に入った人物ではなかった。其の白縞のはかまを着け、紺がすりの羽織を着た書生姿は、軽蔑けいべつの念と憎悪ぞうおの念とを其の胸に漲らしめた。其の所有物を奪った憎むべき男という感は、つて時雄が其の下宿で此の男を見た時の感と甚だよく似て居た。
田中は袴のひだを正して、しゃんと坐ったまま、多く二尺先位の畳をのみ見て居た。服従という態度よりも反抗という態度が歴々として居た。何うも少し固くなり過ぎて、芳子を自分の自由にする或る権利を持って居るという風に見えて居た。
談話は真面目につ烈しかった。父親は其の破廉恥はれんちを敢て正面から責めはしないが、おりおり苦い皮肉を其の言葉の中に交えた。初めは時雄が口を切ったが、中頃からおもに父親と田中とが語った。父親は県会議員をした人だけあって、言葉の抑揚頓挫とんざが中々巧みであった。演説に慣れた田中も時々沈黙させられた。二人の恋の許可不許可も問題に上ったが、それは今研究すべき題目でないとしりぞけられ、当面の京都帰還問題が論ぜられた。
恋する二人――殊に男に取っては、此の分離は甚だ辛いらしかった。男は宗教的資格を全く失ったということ、帰るべく家をも国をも持たぬということ、二三月来飄零ひょうれいの結果漸く東京に前途の光明を認め始めたのに、それを捨てて去るに忍びぬということあぞをたてとして、頻りに帰国の不可能を主張した。
父親は懇々として説いた。
「今更京都に帰れないという、それは帰れないに違いない。けれど今の場合である。愛する女子なら其の女子の為めに犠牲になれぬということはあるまいじゃ。京都に帰れないから田舎に帰る。帰れば自分の目的が達せられぬというが、其処を言うのじゃ。其処を犠牲になっても好かろうと言うのじゃ」
田中は黙して下を向いた。容易に諾しそうにも無い。
先程から黙って聞いて居た時雄は、男が余りに頑固なのに、急に声を励して、「君、僕は先程から聞いて居たが、あれほどに言うお父さんの言葉が解らんですか。お父さんは、君の罪をも問わず、破廉恥をも問わず、将来もし縁があったら、此の恋愛を承諾せぬではない。君もまだ年が若い、芳子さんも今修行中である。だから二人は今暫く此の恋愛問題を未解決の中に其の儘にして置いて、そして其の行末を見ようと言うのが解らんですか。今の場合、二人は何うしても一緒には置かれぬ。何方どっちか此の東京を去らなくってはならん。此の東京を去るということに就いては、君が先ず去るのが至当だ。何故かとえば、君は芳子の後を追うて来たのだから」
「よう解って居ります」と田中は答えた。「私が万事悪いのでございますから、私が一番に去らなければなりません。先生は今、此の恋愛を承諾して下されぬではないと仰しゃったが、お父様の先程の御言葉では、まだ満足致されぬような訳でして……」
「何ういう意味です」
と時雄は反問した。
「本当に約束せぬというのが不満と言うのですじゃろう」と父親は言葉を入れて、「けれど、これは先程もよく話した筈じゃけえ。今の場合、許可、不許可という事は出来ぬのじゃ。独立することも出来ぬ修行中の身で、二人一緒に此の世の中に立って行こうとやるは、何うも不信用じゃ。だから私は今三四年はお互に勉強するが好いじゃと思う。真面目ならば、こうまで言った話は解らんけりゃならん。私が一時を瞞着まんちゃくして、芳をよそかたづけるとか言うのやなら、それは不満足じゃろう。けれど私は神に誓って言う、先生を前に置いて言う、三年は芳を私から進んで嫁にやるようなことはせんじゃ。人の世はエホバの思召おぼしめし次第、罪の多い人間は其の力ある審判を待つより他に為方しかたが無いけえ、私は芳を君に進ずるとまで言うことは出来ん。今の心が許さんけえ、今度のことは、神の思召にかなって居ないと思うけえ。三年って、神の思召に適うか何うか、それは今から予言は出来んが、君の心が、真実真面目で誠実であったなら、必ず神の思召に適うことと思うじゃ」
「あれほどお父さんが解っていらっしゃる」と時雄は父親の言葉を受けて、「三年、君が為めに待つ。君を信用するに足りる三年の時日を君に与えると言われたのは、実に此の上ない恩恵でしょう。人の娘を誘惑するような奴には真面目に話する必要はないといって、此の儘芳子をつれて帰られても、君は一言も恨むせきはないのですのに、三年待とう、君の真心の見えるまでは、芳子を他に嫁けるようなことはすまいと言う。実に恩恵ある言葉だ。許可すると言ったより一層恩義が深い。君はこれが解らんですか」
田中は低頭うつむいて顔をしかめると思ったら、涙がはらはらと其の頰を伝った。
一座は水を打ったゆに静かになった。
田中は溢れ出ずる涙を手のこぶしぬぐった。時雄は今ぞ時と、
「何うです、返事を為給したまえ」
「私など何うなっても好うおます。田舎に埋れても構わんどす!」
また涙を拭った。
「それではいかん。そう反抗的に言ったって為方がない。腹の底を打明けて、互に不満足のないようにしようとする為めのこの会合です。君はって、田舎に帰るのが厭だとならば、芳子を国に帰すばかりです」
「二人何時所に東京に居ることは出来んですか?」
「それは出来ん。監督上出来ん。二人の将来の為めにも出来ん」
「それでは田舎に埋れてもようおます!」
「いいえ、私が帰ります」と芳子も涙に声を震わして、「私は女……女です……貴方さえ成功して下されば、私は田舎に埋もれても構やしません、私が帰ります」
一座はまた沈黙に落ちた。
しばらくしてから、時雄は調子を改めて、
「それにしても、君は何うして京都に帰れんのです。神戸の恩人に一伍一什いちぶしじゅうを話して、今迄の不心得を謝して、同志社に戻ったら好いじゃありませんか。芳子さんが文学志望だから、君も文学家にならんければならんということはない。宗教家として、神学者として、牧師としておおいに立ったなら好いでしょう」
「宗教家にはもうとてもようなりまえん。人にむかって教を説くようなえらい人間ではないでおますで。……それに、残念ですのは、三月の間苦労しまして、実は漸くある親友の世話で、衣食の道が開けましたで、……田舎に埋れるには忍びまえんで」
三人は猶語った。話は遂に一小段落を告げた。田中は今夜親友に相談して、明日か明後日までに確乎かっこたる返事をもたらそうと言って、一先ず帰った。時計はもう午後四時、冬の日は暮近く、今迄室の一隅に照って居た日影もいつか消えて了った。
一室は父親と時雄と二人になった。
「何うも煮え切らない男ですわい」と父親はそれとなく言った。
「何うも形式的で、甚だ要領を得んです。もう少し打明けて、ざっくばらんに話して呉れると好いですけれど……」
「何うも中国の人間はそうは行かんでうけえ、人物が小さくって、小細工で、すぐ人のまたくぐろうとするですわい。関東から東北の人は丸で違うですがナア。悪いのは悪い、好いのは好いと、真情を吐露して了うけえ、好いのですけどもナ。何うもいかん。小細工で、小理窟で、めそめそ泣き居った……」
「何うもそういう処がありますナ」
「見て居さっしゃい、明日屹度きっと承諾しやあせんけえ、何の彼の理窟をつけて、帰るまいとするけえ」
時雄の胸に、ふと二人の関係に就いての疑惑が起った。男の烈しい主張と芳子が己が所有とする権利があるような態度とに、時雄に此の疑惑を起さしむるの動機となったのである。
「で、二人の間の関係を何う御観察なすったです」
時雄は父親に問うた。
「そうですな。関係があると思わんけりゃなりますまい」
「今の際、確めて置く必要があると思うですが、芳子さんに、嵯峨行の弁解をさせましょうか。今度の恋は嵯峨行の後に始めて感じたことだと言うてましたから、其証拠になる手紙があるでしょうから」
「まア、其処までせんでも……」
父親は関係を信じつつもその事実となるのを恐れるらしい。
運悪く其処に芳子が茶を運んで来た。
時雄は呼留めて、其の証拠になる手紙があるだろう、其の身の潔白を証する為めに、其の前後の手紙を見せ給えと迫った。
これを聞いた芳子の顔は俄かに赧くなった。さも困ったという風が歴々ありありとして顔と態度とにあらわれた。
「あの頃の手紙は此の間皆な焼いて了いましたから」其の声は低かった。
「焼いた?」
「ええ」
芳子は顔をれた。
「焼いた?そんなことは無いでしょう」
芳子の顔は愈々赧くなった。時雄は激さざるを得なかった。事実は恐しい力でかれの胸を刺した。
時雄は立ってかわやに行った。胸は苛々いらいらして、頭脳あたま眩惑げんわくするように感じた。欺かれたという念が烈しく心頭を衝いて起った。厠を出ると、其処に――障子の外に芳子はおどおどした様子で立って居る。
「先生――本当に、私は焼いて了ったのですから」
「うそをお言いなさい」と、時雄は叱るように言って、障子を烈しく閉めて室内に入った。


父親は夕飯の馳走になって旅宿へ帰った。時雄の其の夜の煩悶はんもんは非常であった。欺かれたと思うと、ごうが煮えて為方がない。否、芳子の霊と肉――其の全部を一書生に奪われながら、兎に角其の恋に就いて真面目に尽したかと思うと腹が立つ。其の位なら、――あの男に身を任せて居た位なら、何も其の処女の節操を尊ぶには当らなかった。自分も大胆に手を出して、性慾の満足を買えば好かった。こう思うと、今迄上天の境に置いた美しい芳子は、売女か何ぞのように思われて、其の体は愚か、美しい態度も表情も卑しむ気になった。で、其の夜はもだえ悶えて殆ど眠られなかった。様々の感情が黒雲のように胸を通った。其の胸に手を当てて時雄は考えた。いっそこうして呉れようかと思うた。何うせ、男に身を任せて汚れて居るのだ。此の儘こうして、男を京都に帰して、其の弱点を利用して、自分の自由にしようかと思った。と、種々いろいろなことが頭脳あたまに浮ぶ。芳子が其の二階に泊って寝て居た時、もし自分がこっそり其の二階に登って行って、遣瀬やるせなき恋を語ったら何うであろう。危坐きざして自分をいさめるかも知れぬ。声を立てて人を呼ぶかも知れぬ。それとも又せつない自分の情を汲んで犠牲になて呉れるかも知れぬ。さて犠牲になったとして、翌朝は何うであろう、明かな日光を見ては、流石に顔を合わせるにも忍びぬに相違ない。日長けるまで、朝飯をも食わず寝て居るに相違ない。其の時、モウパッサンの「父」という短篇を思い出した。ことに少女が男に身を任せて後烈しく泣いたことの書いてあるのを痛切に感じたが、それを又今思い出した。かと思うと、此の暗い想像に抵抗する力が他の一方から出て、盛にそれと争った。で、煩悶又煩悶、懊悩おうのうまた懊悩、寝返を幾度となく打って二時、三時の時計の音をも聞いた。
芳子も煩悶したに相違なかった。朝起きた時はあおい顔を為て居た。朝飯も一椀で止した。成るたけ時雄の顔に逢うんをお避けて居る様子であった。芳子の煩悶は其の秘密を知られたというよりも、それを隠して置いた非を悟った煩悶であったらしい。午後に鳥渡ちょっと出て来たいと言ったが、社へも行かず家に居た時雄はそれを許さなかった。一日はかくて過ぎた。田中から何等の返事もなかった。
芳子は午飯も夕飯も食べたくないとて食わない。陰鬱な気が一家に充ちた。細君は夫の機嫌の悪いのと、芳子の煩悶して居るのに胸を痛めて、何うしたことかと思った。昨日の話の模様では、万事円満に収まりそうであったのに……。細君は一椀なりと召上らなくてあ、お腹が空いて為方があるまいと、それをすすめに二階へ行った。時雄はわびしい薄暮を苦い顔をして酒を飲んで居た。やがて細君が下りて来た。何うして居たとときおは聞くと、薄暗い室に洋燈ランプも点けず、書き懸けた手紙を机に置いて打伏して居たとの話。手紙?誰に遣る手紙?時雄は激した。そんな手紙を書いたって駄目だと宣告しようと思って足音高く二階に上った。
「先生、後生ですから」
と祈るような声が聞えた。机の上に打伏したままである。「先生、後生ですから、もう、少し待って下さい。手紙に書いて、さし上げますから」
時雄は二階を下りた。暫くして下女は細君に命ぜられて、二階に洋燈を点けに行ったが、下りて来る時、一通の手紙を持って来て、時雄に渡した。
時雄は渇したる心を以て読んだ。
先生、
私は堕落女学生です。私は先生の御厚意を利用して、先生を欺きました。其の罪はいくらお詫びしても許されませぬほど大きいと思います。先生、何うか弱いものと思ってお憐み下さい。先生に教えて頂いた新しい明治の女子としての務め、それを私は行って居りませんでした。矢張私は旧派の女、新しい思想を行う勇気を持って居りませんでした。私は田中に相談しまして、何んなことがあっても此の事ばかりは人に打明けまい。過ぎたことは為方が無いが、これからは清浄な恋を続けようと約束したのです。けれど、先生、先生の御煩悶が皆な私の至らない為めであると思いますと、じつとしては居られません。今日は終日其のことで胸を痛めました。何うか先生、此の憐れなる女をお憐み下さいまし。先生にお縋り申すより他、私には道が無いので御座います。
芳子
先生  おもと
時雄は今更に地の底に此の身を沈めらるるかと思った。手紙を持って立上った。其の激した心には、芳子が此の懺悔ざんげあえてした理由――すべてを打明けて縋ろうとした態度を解釈する余裕が無かった。二階の階梯はしごをけたたましく踏鳴らして上って、芳子の打伏して居る机の傍に厳然として坐った。
「こうなっては、もう為方がない。私はもう何うすることも出来ぬ。此の手紙はあなたに返す、此の事に就いては、誓って何人にも沈黙を守る。かく、あなたが師として私を信頼した態度は新しい日本の女として恥しくない。けれどこうなっては、あなたが国に帰るのが至当だ。今夜――これから直ぐ父様の処へ行きましょう、そして一伍一什を話して、早速、国に帰るようにした方が好い」
で、飯を食いおわるとすぐ、支度をして家を出た。芳子の胸にさまざまの不服、不平、悲哀が溢れたであろうが、しかも時雄のおごそかなる命令にそむくわけには行かなかった。市ヶ谷から電車に乗った。二人相並んで座を取ったが、しかも一語をも言葉を交えなかった。山下門で下りて、京橋の旅館へ行くと、父親は都合よく在宅して居た。一伍一什――父親は特に怒りもしなかった。ただ同行して帰国するのを成べく避けたいらしかったが、しかもそれより他に路は無かった。芳子は泣きも笑いもせず、只、運命のしきにあきるるという風であった。時雄は捨てた積りで芳子を自分にまかせることは出来ぬかと言ったが、父親は当人が親を捨ててもというならばいざ知らず、普通の常態に於いては無論許そうとは為なかった。
芳子も亦親を捨ててまでも、帰国を拒むほどの決心が附いて居らなかった。で、時雄は芳子を父親に預けて帰宅した。


田中は翌朝時雄を訪うた。彼は大勢の既に定まったのを知らずに、己の事情の帰国に適せぬことを縷々るるとして説こうとした。霊肉共に許した恋人のならいとしていかようにしても離れまいとするのである。
時雄の顔には得意の色が上った。
「いや、もう其の問題は決着したです。芳子が一伍一什をすっかり話した。君等は僕を欺いて居たということが解った。大変な神聖な恋でしたナ」
田中の顔は俄かに変った。羞恥しゅうちの念と激昂げっこうの情と絶望の悶とが其の胸をいた。かれは言う所を知らなかった。
「もう止むを得んです」と時雄は言葉をいで、「僕はこの恋に関係することが出来ません。いや、もう厭です。芳子を父親の監督に移したです」
男は黙って坐って居た。蒼いその顔には肉の戦慄せんりつが歴々と見えた。不図、急に、辞儀をして、こうしては居られぬという態度で、此処を出て行った。


午前十時頃、父親は芳子を伴うて来た。愈々今夜六時の神戸急行で帰国するので、大体の荷物は後から送って貰うとして、手廻の物だけまとめて行こうというのであった。芳子は自分の二階へ上って、其の儘荷物の整理に取懸った。
時雄の胸は激しては居ったが、以前よりは軽快であった。二百余里の山川を隔てて、もう其の美しい表情をも見ることが出来なくなると思うと、言うに言われぬ侘しさを感ずるが、其の恋せる女を競争者の手から父親の手に移したことはすくなくとも愉快であった。で、時雄は父親とむしろ快活に種々なる物語にふけった。父親は田舎の紳士によく見るような書画道楽、雪舟、応挙、容斎の絵画、山陽、竹田ちくでん海屋かいおく茶山さざんの書を愛し、其の名幅を無数に蔵して居た。話はおのずからそれに移った。平凡なる書画物語はこの一室に一時栄えた。
田中が来て、時雄に逢いたいと言った。八畳と六畳との中じきりを閉めて、八畳で逢った。父親は六畳に居た。芳子は二階の一室に居た。
「御帰国になるんでしょうか」
「え、何うせ、帰るんでしょう」
「芳さんも一緒に」
「それは左様でしょう」
「何時ですか、お話下されますまいか」
「何うも今の場合、お話することは出来ませんナ」
「それでは一寸でも……芳さんに逢わせて頂く訳には参りますまいか」
「それは駄目でしょう」
「では、お父様は何方どちらへお泊りですか、一寸番地をうかがいたいですが」
「それも僕には教えて好いか悪いか解らんですから」
取附く島がない。田中は黙って暫し坐って居たが、其の儘辞儀をして去った。
昼飯の膳がやがて八畳に並んだ。これでお別れだと云うので、細君は殊に注意して酒肴を揃えた。時雄も別れのしるしに、三人相並んで会食しようとしたのである。けれど押し子は何うしても食べ度くないという。細君が説勧めても来ない。時雄は自身二階へ上った。
東の窓を一枚明けたばかり、暗い一室には本やら、雑誌やら、着物やら、帯やら、ぼんやら、行李やら、支那鞄やらが足の踏みも無い程に散らばって居て、塵埃ほこりの香がおびただしく鼻を衝く中に、芳子は目を泣腫なきはらして荷物の整理を為て居た。三年前、青春の希望湧くがごとき心を抱いて東京に出て来た時のさまと比べて、何等の悲惨、何等の暗黒であろう。すぐれた作品一つ得ず、こうして田舎に帰る運命かと思うと、堪らなく悲しくならずには居られまい。
「折角支度したから、食ったら何うです。もう暫くは一緒に飯も食べられんから」
「先生――」
と、芳子は泣出した。
時雄も胸を衝いた。師としての温情と責任を尽したかと烈しく反省した。かれも泣き度いほど侘しくなった。光線の暗い一室、行李や書籍の散逸せる中に、恋せる女の帰国の涙、これを慰むる言葉も無かった。
午後三時、車が三台来た。玄関に出した行李、支那鞄、信玄袋を車夫は運んで車に乗せた。芳子は栗梅の被布ひふを着て、白いリボンを髪にして、眼を泣腫して居た。送って出た細君の手を堅く握って、
「奥さん、左様なら……私、また屹度きっと来てよ、屹度来てよ、来ないで置きはしないわ」
「本当にね、又出ていらっしゃいよ。一年位したら、屹度ね」
と、細君も固く手を握りかえした。其の眼には涙が溢れた。女心の弱く、同情の念は其の小さい胸に漲り渡ったのである。
冬の日のやや薄寒い牛込の屋敷町、最先まっさきに父親、次に芳子、次に時雄をいう順序で車は走り出した。細君と下婢かひとは名残を惜んで其の車の後影を見送って居た。其の後に隣の細君が此のにわかの出立を何事かと思って見て居た。猶其の後の小路の曲り角に、茶色の帽子をかぶった男が立って居た。芳子は二度、三度まで振返った。
車が麹町の通を日比谷へ向う時、時雄の胸に、今の女学生ということが浮んだ。前に行く車上の芳子、高い二百高地巻、白いリボン、やや猫背勝ちなる姿、こういう形をして、こういう事情の下に、荷物と共に父に伴われて帰国する女学生はさぞ多いことであろう。芳子、あの意志の強い芳子でさえこうした運命を得た。教育家のやかましく女子問題を言うのも無理はない。時雄は父親の苦痛と芳子の涙と其の身の荒涼たる生活とを思った。路行く人の中にはこの荷物を満載して、父親と中年の男子に保護されて行く花の如き女学生を意味ありげに見送るものもあった。
京橋の旅館に着いて、荷物を纏め、会計を済ました。此の家は三年前、芳子が始めて父に伴れられて出京した時泊った旅館で、時雄は此処に二人を訪問したことがあった。三人は其の時と今とを胸に比較して感慨多端であったが、しかも互に避けておもてにあらわさなかった。五時には新橋の停車場に行って、二等待合室に入った。
混雑また混雑、群集また群集、行く人送る人の心は皆そらになって、天井に響く物音が更に旅客の胸に反響した。悲哀と喜悦と好奇心とが停車場の到る処に巴渦うずを巻いて居た。一刻毎に集り来る人の群、殊に六時の神戸急行は乗客が多く、二等室も時の間に肩摩轂撃けんまこくげきの光景となった。時雄は二階の壺屋からさんどウイッチを二箱買って芳子に渡した。切符と入場切符も買った。手荷物のチッキ貰った。今は時刻を待つばかりである。
此の群集の中に、もしや田中の姿が見えはせぬかと三人皆思った。けれど其の姿は見えなかった。
ベルが鳴った。群集はぞろぞろと改札口に集った。一刻も早く乗込もうとする心が燃えて、焦立いらだって、その混雑は一通りでなかった。三人は其の間をかろうじて抜けて、広いプラットホオムに出た。そして最も近い二等室に入った。
後からも続々と旅客が入って来た。長い旅を寝て行こうとする商人もあった。くれあたりに帰るらしい軍人の佐官もあった。大阪言葉を露骨に、喋々ちょうちょうと雑話に耽ける女達もあった。父親は白い毛布を長く敷いて、傍に小さい鞄を置いて、芳子と相並んで腰を掛けた。電気の光が車内に差渡て、芳子の白い顔が丸で浮彫うきぼりのように見えた。父親は窓際に来て、幾度も厚意のほどを謝し、後に残ることに就いて、万事を嘱した。時雄は茶色の中折帽、七子ななこ三紋みつもんの羽織という扮装いでたちで、窓際に立尽して居た。
発車の時間は刻々と迫った。時雄は二人の此の旅を思い、芳子の将来のことを思った。其の身と芳子とは尽きざる縁があるように思われる。妻が無ければ、無論自分は芳子を貰ったに相違ない。芳子も亦喜んで自分の妻になったであろう。理想の生活、文学的の生活、堪え難き創作の煩悶をも慰めて呉れる事が出来るだろう。「何故、もう少し早く生まれなかったでしょう、私も奥様自分に生れて居れば面白かったでしょうに……」と妻に言った芳子の言葉を思い出した。此の芳子を妻にするような運命は永久に其の身に来ぬであろうか。この父親を自分のしゅうとを呼ぶようなときは来ぬであろうか。人生は長い、運命はしき力を持って居る。処女でないということが――一度節操を破ったということが、却って年多く子供ある自分の妻たることを容易ならしむる条件となるかも知れぬ。運命、人生――かつて芳子に教えたツルゲネーフの「プニンとバブリン」が時雄の胸に上った。露西亜のすぐれた作家の描いた人生の意味が今更のように胸をった。
時雄の後に、一群の見送人が居た。其の蔭に、柱の傍に、いつ来たか、一個の古い中折帽をかぶった男が立って居た。芳子は此を認めて胸をとどろかした。父親は不快な感を抱いた。けれど、空想に耽って立尽した時雄は、其の後に其の男が居るのを夢にも知らなかった。
車掌は発車の笛を吹いた。
汽車は動き出した。


十一

編集
さびしい生活、荒涼たる生活は再び時雄の家に音信おとずれた。子供を持てあまして喧しく叱る細君の声が耳について、不愉快な感を時雄に与えた。
生活は三年前のむかしわだちにかえったのである。
五日目に、芳子から手紙が来た。いつもの人懐かしい言文一致でなく、礼儀正しい候文で、
「昨夕つつがなく帰宅し候儘御安心被下度くだされたく、此の度はまことに御忙しき折柄種々御心配ばかり相懸け候うて申訳も無之、幾重にも御詫申上候、御前にて御高恩をも謝し奉り、御詫も致し度候いしが、兎角は胸迫りて最後の会合すらいなみ候心、お察し被下度候、新足にての別離、硝子戸ガラスどの前に立ち候毎に、茶色の帽子うつり候ようの心地致し、今猶まざまざと御姿見るのに候、山北辺より行き降り候うて、湛井たたいよりの山道十五里、悲しきことのみ思い出で、かの一茶が『これがまアつひの住家か雪五尺』の名句痛切に身にしみ申候。、父よりいずれ御礼の文奉り度存居候えども今日は町の市日いちびにて手引き難く、乍失礼しつれいながら私より宜敷よろしく御礼申上候、まだまだ御目汚し度きこと沢山に有之候えども激しく胸騒ぎ致し候まま今日はこれにて筆き申候」と書いてあった。
時雄は雪の深い十五里の山道と雪に埋れた山中の田舎町とを思い遣った。別れた後其の儘にして置いた二階に上った。懐かしさ、恋しさの余り、微かに残った其の人の面影をしのぼうと思ったのである。武蔵野の寒い風の盛に吹く日で、裏の古樹には潮の鳴るような音が凄じく聞えた。別れた日のように東の窓の雨戸を一枚明けると光線は名が流るるように射し込んだ。机、木箱、罎、紅皿、依然として元の儘で、恋しい人はいつもの様に学校に行って居るのではないかと思われる。時雄は机の抽斗ひきだしを明けて見た。古い油の染みたリボンが其の中に捨ててあった。時雄はそれを取って匂いをいだ。暫くして立上ってふすまを明けて見た。大きな柳行李が三箇細引で送るばかりにからげてあって、其向うに、芳子が常に用いて居た蒲団――萌黄唐草もえぎからくさの敷蒲団と、綿の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねてあった。時雄はそれを引出した。女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着のえり天鵞絨びろうど際立きわだって汚れて居るのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。
性慾と悲哀と絶望とが忽ち時雄の胸を襲った。時雄は其の蒲団を敷き、夜着をかけ、冷たい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。
薄暗い一室、戸外には風が吹暴ふきあれて居た。
 

この著作物は、1930年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)80年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、1929年1月1日より前に発行された(もしくはアメリカ合衆国著作権局に登録された)ため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。