メインメニューを開く

Wikisource β

落日の光景

  • 底本:昭和45年7月15日筑摩書房発行『現代日本文學大系63 梶井基次郎・外村繁・中島敦集』

目次

本文編集

編集

私の妻は乳癌(にゆうがん)に罹(かか)り、築地(つきぢ)の癌研附属病院で左胸部の切除手術を受けた。更にコバルトを照射するために、大塚の同病院の放射線科に移ることになつた。私達の自動車が大塚の病院の構内に沿つて左折した時、道路に面したその石垣の上に、いづれも夥(おびただ)しい花をつけた沈丁花(ぢんちやうげ)が植込まれてゐるのが、私の目に入つた。一瞬、私は噎(む)せ返るやうな、沈丁花の芳香を幻覚する。
妻の病室は三階の三十八号室である。妻は手術後の経過は良好で、疼痛(とうつう)もなく、至つて元気である。勿論(もちろん)、自分で自分に虚勢を張つてゐる点もあらう。築地の時と同じく、妻は荷物を整理したり、事務室や、看護婦室に挨拶に行つたりして、少しもぢつとしてゐない。が、看護婦が入つて来たので、妻は漸(やうや)くベッドの上に上る。看護婦は妻の脈を取り、体温計を渡して、立ち去る。
「やはり、奥さまでしたのね。どちらさまかと思つてゐました」
隣りのベッドの婦人が言ふ。五十ばかりの上品な婦人である。
「病人にならせるのが、一苦労なんです」と、私が苦笑する。
「奥様は、どこですの」
「乳ですの」と妻が言ふ。
「さうですか。私も十二年前なんですけど、やはり乳癌を患(わづら)ひましたの。片つぽありませんの。今度は肋膜に水が溜るんです」
十二年、急にその年数が私の頭に貼りついてしまつた感じである。私は妻の年齢に十二を足してみる。自分の年齢にも足してみる。しかし妻の場合は、病気の発見が遅れ、腋下(えきか)にも転移してゐる。更に築地で全部剔出(てきしゆつ)したわけでもない。私が十二年などといふ年数について考へることは、ひどく甘い考へであるといはなければなるまい。しかしまた逆に言へば、十二年の年数を経つても、再発の恐れはあるのか。
一昨昨年、私はある病院に入院し、放射線の深部治療を受けた。病名は「上顎腫瘍(じやうがくしゆやう)」である。妻の病名が「乳腺腫瘍」であるところからすれば、上顎の癌といふべきかも知れない。毎週一度、私は今も病院へ通つてゐる。しかし私は少しも不安を感じてゐない。私が退院して、まだ満二年半を経てゐるに過ぎない。再発の危険のあることは十分に知つてゐる。が、私の本心といへば、俗にいふ、けろりとしたものである。他愛のないものだ、とも一応思つてみるだけである。しかしこの夫人はいつも軽い咳(せき)をしてゐる。頻(しき)りに紙で痰(たん)を拭つてゐる。
やや肥満した、温厚さうな容姿の医師が、看護婦を従へて、入つて来る。
「私が奥さまを担当します」
妻は寝台の上に坐り、着物を脱ぐ。勿論、左の乳房は切除されてゐるので、妻の左胸部は扁平である。しかし切断された乳房の上皮の三分の一ほどを剥ぎ取り、それが縫ひ合はされてゐるので、さして異常感はない。腋下の傷口の肉が少し盛り上つてゐるに過ぎない。
むしろ異様といへば、右の乳房の方であらう。私の妻は後妻で、実子はない。従つて、子女を哺育(ほいく)したことのない妻の乳房には、少しの衰萎の兆もなかつた。しかしそれは左右、二つの乳房が描いた均斉の美しさであつたのである。片一方だけの豊満な隆起は、却(かへ)つて無気味である。不安である。さうして胸部全体から言へば、いかにも歪形(いびつがた)の感じで、無慚(むざん)である。
医師は、妻の首根のあたりを押へ、私の方を向いて言ふ。
「おや、ここのは取らなかつたんですね」
「放射線科の方に任せるやうなお話でしたが」
「さうでしたか。ぢや、とにかく取つてしまひませう。手術といつても、ごく簡単にすみますから」
医者は看護婦を従へて出て行く、私はその後を追つた。
「あそこのは簡単ですから。とにかく取れるだけ取りませう。後はコバルトで焼いてしまふなり、シードをかけるなりします。シードを取り寄せる関係で、手術は明明後日くらゐにはなるでせう」
私は一礼して、病室に帰る。隣りの婦人が妻に言つてゐる。
「加納先生です。副部長さんですの」
妻は寝台の上に仰向いて寝てゐる。ぢつと一点を見詰めながら言ふ。
「どうでした」
「シードとかいふものを取り寄せる関係で、手術は明明後日くらゐになるらしい」
「私、何度でも切つてもらふ。徹底的にやつてもらふ」
「さうだ。切ると言はれれば、切つてもらはうね。何も彼も、病気のことは医者まかせだ」
駅前の広場を越して、斜め真直ぐに、一本の道が通じてゐる。私は躊躇(ちうちよ)なくその道を歩いて行く。道の両側には商店が軒を接して並んでゐる。いづれの店頭にも見られる、中小の小売屋である。戦後、復興されたものらしく、街全体にも陰翳(いんえい)がなく、至つて表情に乏しい。毎日、往復するのには、あまり愉(たの)しい道とは言ひ難い。
しかしこの頃、私はできるかぎり歩くことに努めてゐる。少しでも足を強くしたいからである。年寄の冷水と笑はれるかも知れない。しかし妻のために、私は少しでもより健康になりたいのである。今日はひどく暖い。少し歩いただけで、私の肌はもう汗ばんでゐる。
この一本筋の街を行き過ぎると、病院の構内の東北隅に突きあたる。私は心竊(こころひそ)かに沈丁花の高い香りを期待してゐたのである。しかし今日の暖気の中には、花の香りはなかつた。やはりこの花の香は、早春の寒冷な空気の中に、漂(ただよ)ひ匂ふのがふさはしいのか知れない。私は病院の正門を入り、沈丁花の植込みの方へ行つてみる。沈丁花の花弁の紫色はすつかり色褪(あ)せてしまつてゐる。盛りを過ぎた花の香りは極めて儚(はかな)い。
妻の病室に入ると、妻は微笑を浮かべて起き上り、いきなり言つた。
「こちら、花井先生の奥さんでしたのよ。びつくりしました」
花井氏は関西のある大学の教授である。妻とは以前からの知合ひである。また、辻本といふ私の友人も同じ大学の同じ学科の教授である。従つて花井氏のことは、私もしばしば聞いた。
「さうか。それは、実に、偶然でしたね。辻本君とか高等学校からの、親しい友人なんです」
「さうですつてね。しかし、お互に、こんなところで、お目にかかるなんて、ねえ」
花井夫人は仰向けに臥したまま、淋しげに微笑した。
翌翌日、午後一時五分、妻は手術室に入つた。私は廊下の椅子に腰かけてゐる。午後になると、外来患者の姿は少くなり、廊下は急に閑散になる。私が腰かけてゐる椅子の横に、担架を乗せた患者運送車が置いてある。その上には妻の寝巻が裏側を拡げて、敷いてある。人の身に纏(まと)ふものは、不思議にその人の風情(ふぜい)を移してゐるものである。私の視線はともするとその方へ向はうとする。
築地の病院で、妻が最初の手術を受けた時にも、私はこのやうに椅子に腰掛けてゐた。しかし今の私の感情は、その時のやうに高ぶつてゐないつもりである。少し横着な言ひ方かも知れないが、私は時間潰しにもなると思つて、先刻の不思議な妻の心理を思ひ返してみる。
先刻、妻は看護婦に附きそはれ、手術の控室に入つた。直ぐ看護婦に促され、妻は着物を脱ぎ、上半身裸になつた。その時、自分から白ネルの腰巻に手をかけ、妻が言つたのである。
「これも取るのでせうか」
妻の着物を抱へ、看護婦の後に立つてゐた私は、瞬間、少からず驚かされたものである。あの時、何故(なぜ)妻はあんなことを言つたのであらうか。築地の時は、妻は全裸体で手術台に乗せられたやうである。しかし控室から手術台まで全裸で歩かせられるはずはなからう。妻は至つて気丈な性質である。が、流石(さすが)に手術を前にして、妻は興奮してゐたのではないか。更に言へば、勝気な性質だけに、却つて一種のマゾヒズム的な興奮状態にあつたのではないか、とも思はれなくもない。妻が哀れでならない。
「いいえ、それはいいんです」
確かに看護婦はさう言つた。妻は片つぽだけの乳房を揺りながら、直ぐ背中を見せて、手術室に入つた。
私は左の手に妻の腕時計をはめてゐる。時計を見ると、既に一時間近く経過してゐる。手術は至つて簡単である旨を告げた。加納副部長の言葉を思ひ出し、少し不安になつて来る。
廊下を男の患者が歩いて来る。その顔面には小さい絆創膏(ばんさうかう)が数知れず貼つてある。顔色もひどく悪い。廊下を突きあたると、その左側が地階に下りる階段になつてゐる。突きあたりの窓からは明るい陽光が差し入つてゐる。従つてそれと対蹠(たいせき)的に、階段の下方には暗い空間が開いてゐる感じである。男の患者は明るい光線の中に歩き入つたが、直ぐ左折して、階段を下りて行く。
それと入れ違ひに、空の担架を抱へた担送夫が階段を上つて来る。彼等は担架を運送車の上に載せると、一人がそれを押し、一人がその傍に附き添きそつて、談笑しながら、私の前を過ぎて行く。暫くすると、老婦人が孫娘のやうな少女に抱へられ、ひどく緩(ゆつく)りした足取りで階段を上つて来る。老婦人が私の前を通り過ぎた頃、反対の方から、洋装の中年の婦人が歩いて来、かなり軽い歩調で階段を下りて行く。その後から、先刻の担送夫が、男の患者を乗せた運送車を押して来る。その患者の鼻腔(びかう)には管が差し入れられてゐるのが見える。二人の担送夫は運送車から担架を持ち上げると、いかにも慎重な足配りで、階段を下りて行く。先刻の男の患者が上つて来た。
初め、私はひどく閑散なやうに思つたが、かうして見てゐると、この廊下にもなかなか人通りがあることに気がつく。階下には放射線の照射室でもあるのであらう。が、妻の方はどうなつてゐるのか。時計を見る。二時三十分を過ぎてゐる。あまり簡単な手術ではないやうである。が、ふと、あの時「とにかく取れるだけ取りませう」と言つた、加納副部長の言葉が、私の頭に閃(ひらめ)いた。つまり手術が長びくのは、切除する可能性の多いことを示すものではないか。思はず、喜色が溢(あふ)れ出ようとする。しかし私は私の発病以来、病気は医者任せ、運は天任せ、と心に決めた。さうして自分の一喜一憂を厳しく自戒したはずではないか。私は心の冷静を取り戻すために、静かに目をつむる。
暫くの時間が経つ。漸く私は目を開ける。丁度、その私の前を運送車が押されて行く。車の上には女の患者が乗つてゐる。が、瞬間、私は慄然(りつぜん)となる。その片方の目は(ゑぐ)り取られてゐる。さうして、その眼窩(ぐわんか)に詰められたガーゼの端が覗いてゐる。私はあわてて再び瞑目(めいもく)する。が、小さい絆創膏が沢山貼られてゐた、あの男患者の青黒い顔が目に浮かぶ。私はまた急いで目を開く。突きあたりの明るい光線の中で、二人の担送夫は単かを持ち上げ、階段を下りて行くところであつた。
時計は三時を過ぎてゐる。既に二時間を経過したわけである。築地の時も二時間は要しなかつた記憶がある。しかし気持の動揺するやうなことはない。三時十分、に十分。控室の方が少し騒がしくなつて来る。三十分、廊下の向うから、先刻の担送夫が歩いて来るのが、私の目に入る。が、その時、意外にも加納副部長が私の前に立つてゐる。いつ加納副部長が出て来たか、いつ私が椅子から立ち上つたか、全く記憶がない。
「奥さんの、取つたものを、お見せしませう」
私は副部長の後から蹤(つ)いて行く。一室に入る。三四人の若い医者がゐる。加納副部長は、例の盤の中の妻の切り取られた筋肉を撮(つま)みながら、言ふ。
「まだ、こんなに残つてゐました。随分、こしらへたものですよ、しかし、一つだけを遺して、後は全部取りました」
私は感謝の言葉が言葉にならず、頭だけを下げる。
「その一つは、強ひて切り取れば、大出血をする恐れのあるところにできてゐましたから、それにはシードをかけておきました。つまり金の線を八本巻いてやりました。それで、大丈夫、取れると思ひます」
若い医師達は妻の手術に加はつた人達であらうか、机上に女の上半身が書いてある。何枚かのカードを拡げ、手術の後を検討してゐるやうである。
「更に、手術の傷口と睨(にら)み合はせ、コバルトを掛けます」
「いろいろと有難うございました」
私は一礼して、その部屋を出る。喜びの感情が込み上げて来る。しかし築地の診断とは少し異なる。更に加納副部長の言葉のやうに、全部取り除き得たとしても、再発の可能性は十分にある。妻の運命がどうなるか、もとより知る由もない。しかしともなく人事を尽し得た感じである。二時間半にもわたる医者達の努力に対して、私は感謝するより他はなからう。自分ながらいかにも他愛ないとは思ふ。しかしともすると私の顔に微笑が浮かばうとするのを、やつと制しながら、妻の病室へと私は階段を上つて行く。


編集

この頃、私の健康状態は至つて良好であると言はなければならない。妻の病気のため、逆に私の気持が高揚してゐるからかも知れない。食欲もかなり増した。病院で昼食をとる時など、妻を驚かしたことも一度ならずある。
更に皮肉なことは、最近、私の性欲が回復したことである。一昨昨年、入院して放射線の深部治療を受けて以来、放射線のためかどうかは知らないが、私は性欲的不能者になつてゐた。ところが、先日、鶯(うぐひす)が頻(しき)りに鳴いてゐる朝、目を覚ますと、私の性器が機能を回復してゐることを知つた。一瞬、私はひどく嬉しかつた。まるで生命そのものが蘇(よみがへ)つて来たやうな、錯覚にさへ陥(おちい)つた。が、私の喜びは直ぐ苦笑に変つた。よい年をして、全く性懲りもない話である。私はその執念の深さに呆れ返つた。しかしそのことに関しては暫く措(お)く。少くとも私がより健康になつたことは事実であらう。
しかし私の神経がかなり異常な状態にあることに気づいたのは、妻がまだ築地の病院にゐる時のことである。病院へ行く途中の町角に、某温泉の案内所がある。その薄汚れたショーウィンドーの中には、大宴会場や、千人風呂の写真が飾つてある。その中の一枚の写真の、髪を洗ふポーズを取つた女の胸に、二つの大きな乳房がぶら下がつてゐるのを見た瞬間、私は危く悲鳴を上げるほどの衝撃を受けた。
以来、私は女性の胸部が気にかかつてならない。ジャケツの下が左右等しく盛り上つてゐるやうな場合は言ふまでもない。和服の襟を固く締め合はせてゐるやうな婦人に対してゐても、帯を解いた瞬間、ぶるんと脹(ふく)れ上るであらう二つの乳房が想像され、私は不安でならない。或は私のそんな不安が伝はるものか、問はれるままに、妻の病気の経過などを語つてゐると、殆(ほとん)どの婦人は、
「まあ」と、左右の手で胸を押へる。すると、今度は逆に新しい恐怖が私の方へ撥(は)ね返つて来るのである。
その中に、私の恐怖は女の乳房に限られなくなつて来る。一対(いつつゐ)のもの、つまり二つが対をなしてゐるもの総(すべ)てが、気にかかつて来る。女の乳房に比べると、男の乳首などといふものはあつて、なきに等しい。が、その一つを欠いた男の胸は、奇怪であらう。二つの目、二つの耳、二本の手足、もとより同然である。
島の両翼、牛の双角、一足の靴、一対の鋏(はさみ)、飛行機のプロペラ、自動車のヘッドライト、等等、総て一方を欠いた場合を想像すればよい。ある宴席のテーブルに出された洋菓子の上に載つてゐた、二顆(くわ)の大きな苺(いちご)を見て、思はず、私は慄然となつた。
招き猫の招く手は、注意して見てゐると、右の場合もある。左の場合もある。私の家の近くの蕎麦屋(そばや)には、右と、左の二匹の招き猫が並んでゐる。しかしいづれの場合も、勿論、片手に限られてゐる。人間でも両手で人を招けば、ひどくをかしい。まして猫にとつては手でなく、足である。猫が両手を上げれば却(かへ)つて不安定であり、怪奇でもあらう。しかし私は片手だけを挙げた招き猫の恰好(かつかう)が、気にかかつてならない。また薬罐(やくわん)の胴の片方だけに口がついてゐるのも、私にはやはり不安なのである。両口のある薬罐などといふものを見たことはない。が、薬罐ののつぺりした胴が、気にかかるのであらう。やはり私の神経はかなり異常な状態にあると、言はなければなるまい。
しかし私は決して絶えず一対のものに脅(おびやか)されてゐるわけではない。勿論、大部分の時間は、そんなことは忘れてゐる。
毎朝私は妻を病院に見舞ふため、家を出る。道には出勤を急ぐ人人が歩いてゐる。しかし殆ど同じ方向に向つて歩いてゐるのであるから、振り返らない限り、私は人人の背中を見てゐればよい。時には、空を仰いで、早春の空の色を愉(たの)しむやうなこともある。
駅に着くと、私は切符を買ひ、改札口を通り、フォームに立つ。電車が入つて来て、停り、扉が開く。が、一歩を電車に乗り入れた途端に、私は心の中で悲鳴を上げる。一対の目が、右に、左に、前に、後に、やや高く、やや低く、私の方を向いて光つてゐるのである。私はあわてて新聞を拡げ、その上に目を落すより他はない。
病院の待合室には既に大勢の患者が集つてゐる。この病院は放射線科で、病勢の進んだ人も多い。目を抜き取つた人を見かけるのも、二人や、三人ではない。しかし奇妙なことに、私の気持は少しも動揺しない。私は物馴れた表情で、階段を上る。二階には大病室がある。両側にベッドが並んでゐて、カーテンで仕切られてゐる。私はそのカーテンの間を通り抜け、三階へ上り、妻の病室のドアを引く。
妻は微笑して起き上る。私は花井夫人にも一揖(いちいふ)し、妻の前の椅子に腰を下す。
「どうかね」
「やつと、痛いのが取れましたわ」
「さうか、それはよかつたね」
「家の方、変りありません。今年も鶯(うぐひす)、来てゐます」
「鶯、ね」と言つたが、私は心中いかにも苦笑が禁じ得ない。
「つい、この間まで来てゐたんだが、ここ暫く来ないんだよ」
「でも、去年は四月の初め頃まで、来てゐましたのにね」
「さうだつたね。今年は暖冬で、山の雪が早く溶けたのかも知れないね」
「お宅へ鶯が来るんですか」
花井夫人が静かな声で言ふ。その顔には、微かながら血の色がさしてゐる。今日は気分もかなり快いらしい。
「さうよ。毎年、きまつてやつて来て、うちの庭の木でも鳴くのよ」
「まあ、いいわね」
妻と花井夫人はすつかり親しくなつてゐるらしい。私は妻に言ふ。
「今日は、奥さんのお顔の色がとてもいいね」
「さう、奥さんは特殊の注射薬を、アメリカから取り寄せてもらつて、注射してられるんですの」
「ええ、その注射薬は四日間しか効果がないのですつて。ところが、アメリカから飛行機でどうしても二日かかるさうですから、とつても忙しいお薬ですのよ」
多分、放射性能を持つた注射薬であらう。私はその注射薬を積んだ飛行機が、アメリカの飛行場を離陸し、太平洋の上を飛翔(ひしやう)して来る光景を想像する。更に羽田空港に待機してゐたオートバイが――何故か、私にはオートバイに違ひないやうに思はれる――その注射薬を積み替へるや、否や、爆音高く、失踪してくる光景を想像する。少しく甘つたるい想像かも知れない。が、それにしても、健康な世界ではあのやうな異常な不安を感じる私が、癌病棟(がんびやうとう)の病室でこのやうな健康な想像をするのは、何故か。私の神経がどこか倒錯してゐるのであらうか。
「この注射をすると、食欲はなくなるし、とつても疲れるので、どうしても入院しなくちやなりませんの」
「でも、私が入院した時から見ると、随分、元気になられたわ」
「この注射はとつても高いのよ。あれから、十二年も、命を貰つたのだから、もうづおだつてよいやうなものだけどね」
「そんなことないわ。絶対に。でも、そんなに高いの」
「一回、一万円もするのよ」
「一万円ですつて。安いもんぢやありませんか。だつて、太平洋をですよ、越えて来るんでせう。もう金銭の問題ぢやありませんよ。それに、第一、奥さんの顔色がこんなによくなつたんですものね」
私は花井夫人に気休めを言つたのではない。言葉に思あず力が入つたのは、妻に、或は私自身に言ひ聞かせたのかも知れない。
病室内の拡声器が妻の名を呼ぶ。妻はそれに答へてから、寝台を下り、私とともに階下へ行く。妻は袢纏(はんてん)を私に渡し、診察室へ入る。私は空席を見つけ、椅子に腰を下す。花井夫人の病気の性質上、私は妻の病室では煙草(たばこ)を慎(つつ)しんでゐる。早速、私は煙草を取り出す。私の眼前では、患者や、附添の人達や、その間を縫つて看護婦が右往左往してゐる。ぢつと一所にかたまり合つて、動かない一団もゐる。今が最も混み合ふ時間でもある。
「奥さんは、どこがお悪いのです」
振り向くと、小柄な婦人が掛けてゐる。が、その瞬間、私は強い衝撃を受ける。慄然といふ言葉の通り、私の皮膚は総毛立つた。その婦人の片方の黒目が白濁し始めてゐたからばかりではない。ふと、その顔立が、奇怪なことに、私の亡くなつた妻とひどく似てゐるやうに思はれたからである。私は視線を逸(そら)していふ。
「乳癌なんです」
「さうですか。とてもお元気さうですのにね」
私はまたそつと婦人の横顔に目を遣つてみる。決して私の異常な神経の故ではない。確かに実によく似てゐる。といふより、この婦人の顔を見てゐると、亡妻の面影が蘇つて来るやうである。しかし私の脳裏に故人の顔立を完全に描かうとするには、やはり片方の白濁した目が、ひどく邪魔になる。逆にこの婦人が痛ましく思はれて来る。
「奥さんはどこが悪いんですか」
「なんだか、顎(あご)に腫瘍(しゆやう)とかいふものができてゐるんださうです」
再び私の気持は動揺する。
「ええ、奥さんも上顎腫瘍なんですか」
「ああ、さうでした。よく御存じですね」
「私も、一昨昨年、やつたんですよ」
「さうですか。それで、そんなによくおなりになつたんですのね」
婦人は心持私の顔を見上げる風で、微笑する。
「まだ、週に一度は病院へ行つてゐるんですけれど」
「腫瘍といふのは、癌ではないのですわね。でも、私、今度は目が少し悪くなりましてね」
私は直ぐに答へる言葉がない。私が通つてゐる病院の放射線科の診察室では、いつも私の目に懐中電燈が当てられたことを思ひ出す。すると、上顎腫瘍は目に転移する場合があるのか。この病院の廊下で、よく見かける。片目を抉(えぐ)っりとられた患者達も、やはりそれか。が、この時、拡声器が言ふ。
「小池いとさん、小池いとさん、第二診察室へお入り下さい」
婦人が立ち上つた。この婦人の名が呼ばれたのであらう。
「では、失礼します」
婦人は一礼して、第二診察室の方へ歩いて行く。その後姿が、また不思議なほど、亡くなつた妻の姿に似てゐる。私はまるで悪夢の中にゐるやうな、錯覚に陥つてしまふ。私の手に残されてゐる妻の袢纏だけが、辛うじて私をこの現実の中に踏み留まらせてゐるかのやうである。
漸く妻が診察室から出て来る。私は立ち上り、妻の肩に反転をかけてやる。私は歩きながら、妻に言ふ。
「偶然にね、上顎腫瘍だといふ奥さんが、僕の横に腰かけてゐてね」
「さう、ここには上顎腫瘍の肩が沢山ゐますわ」
「目も少し悪いやうだつたが」
「さうよ、あれは直ぐに眼底に転移するらしいのよ。私のお向ひの部屋にも一人おばあさんがゐますわ」
「おいおい、嚇(おどか)しちやいけないよ。しかしね、素人(しろうと)の『らしい』話ね、つまり素人診断は、あまり考へない方がいいやうだよ」
「だつて、癌の本にもちやんと書いてあつたわ」
「さうかね。ところで、今日も病院の食事を御馳走にならうかな。あれ、変においしんだ」
「父さん、この頃、食欲ありますのね。嬉しいわ。ぢや、私は今日はてんぷらうどんにしよう」
「君だつて、なかなか旺盛(おうせい)ぢやないか」
しかし昼食を終つても、妻は口にこそ出さないが、私を帰したがらない。私は早く帰つて、仕事をしなければならないとは思ふ。が、私も妻の病床から離れ難い。そんなところへ見舞客が来る。私は客を残して帰るわけにはいかない。
「田口さん、パイナップルの罐詰をあけて下さい」
見舞客が帰ると、直ぐ妻はそんなことを言ふ。私はまた帰つぱなを失つてしまふ。そんな風にして、私が漸く腰を上げるのは、いつも夕方近くなる。
その日も、私が阿佐ケ谷に降りた時には、街には夕靄(ゆふもや)が漂つてゐた。しかし夕方になつても、先頃までのやうな冷気は最早感じない。空には白雲が多かつたが、西の空はきれに晴れ渡つてゐる。私はいつものやうに駅前の広場を渡り、わが家の方へ歩いて行く。
ふと、私は足を停めた。青く澄んだ空の中に、柳を枝を垂れてゐる。その柳の枝が既に浅黄色を帯びてゐるのに気づいたからである。私は道を左に折れ、わが家へは少し遠廻りになる道を取つて行く。
この道は少し変な道である。少し行くと、あまり広くはないが墓地がある。更に行くと、片側の欅(けやき)の巨木が列んでゐ、その反対側に温泉マークの旅館がある。そのガラス窓には、料金表が掲げてあり、その下には男女のこけし人形が並んでゐる。更にその先に産婦人科兼整形外科の医院もある。しかしそんなものには私は用はない。私は旅館の角を右に曲る。つまり私は元のやうに西に向いて歩いて行くことになる。
少し行くと、小高い石垣の上に、今は荒廃した二階家がある。以前には、有名な女流歌手が住んでゐた。先年、肝臓癌とかで亡くなつた。その庭にある、巨大な辛夷(こぶし)の木が私の目的なのである。果して辛夷の梢(こずゑ)には、既に点点と蕾(つぼみ)が白く綻(ほころ)んでゐる。更に一輪、流石(さすが)に夕空の清冽(せいれつ)な色の中に、純白な舟型の花弁を開いてゐ、その梢の上に、星が一つ、初初しい光を放つてゐた。

編集

庭の彼岸桜(ひがんざくら)はもう盛りを過ぎた。うららかな陽光の中を、可憐な花びらが盛んに散つてゐる。その枝先には、花弁の散つた後に残つてゐる、赤い蕚(がく)が既に目立つばかりになつてゐる。
椿(つばき)は一杯に赤い花をつけてゐる。この椿は郷里の庭の白椿の下に生えてゐた実生(みしやう)を移し植ゑたものである。私は或は白椿に、赤い椿の花粉が交配されたのではないかと疑つてゐる。その色も籔椿(やぶつばき)のやうな素朴な赤色ではない。その形も大きく、籔椿のやうな深い筒状をなしてゐない。しかしこの椿の花は変に艶(なまめ)かしい。雑種特有のものかも知れない。地上にも椿の花は落ちてゐる。俯伏(うつぶ)せになつて、既に褐色に変色してゐるものもある。黄色の雄蘂(をしべ)をつけたまま、仰向けになつてゐる、新しい落花もある。しかしこの椿花期はかなり長い。その下枝にはまだ沢山の蕾が脹(ふく)らんでゐる。
楓(かへで)も赤い茎を伸ばし、赤みを帯びた緑の嫩葉(わかば)を拡げた。いかにも幼く、嫋嫋(よわよわ)しい感じである。
門前の吉野桜も咲き始めた。昨日、私は末子に頼み、車中に持ち込める限りの大きい枝を切り取つて貰つた。今、浴室のバケツの中に入れてある。今年も、わが家に春が来たことを、妻に知らせてやりたいのである。妻の病室は三階にあるから、かなり眺望は利く。しかしこの辺一帯が戦災に遇(あ)つたためか、一本の樹木も目に入らない。まして春の日に咲き匂ふ桜花の風情など見る由もない。
私は桜の木を持つて、いつもより遅く家を出る。大塚駅に降りると、私は思ひ切つて、桜の枝を担ぐやう肩に当てる。さうして少し派手過ぎる恰好のやうにも思はれたが、そのまま病院の玄関の扉をあけた。
患者達の目が一斉に私の方に注がれたやうに感じる。が、最早、一対の目などといふ、異常な感情は今の私にはない。若しもその中に片一方が潰れてゐる目が交つてゐたとしても、私は少しも恐れるやうなことはなかつたであらう。
「春が来た。春が来た」とでも言ひながら、桜の枝を担いで、歩き廻ちたいやうな気持を押へて、私は階段を上つて行つた。
妻の病室へ入る。
「まあ、素晴らしい」
花井夫人がさう言つて、上体を起こす。妻もかなり気に入つたらしく、浮浮とした口調で附添婦に言ひつけ、枕許に桜の枝を飾らせる。桜の枝には薄桃色の蕾が沢山ついてゐ、既に数輪は綻(ほころ)び始めてゐる。
「よくこんな大きいのが、持つて来られましたわね」
「今年の花見は、これで我慢してもらふんだね」
「私まで、思ひも寄らず、お花見させていただきましたわ」
去年の夏、私と妻は上越高原の湯檜曽(ゆびそ)温泉へ行つた。私達は涼風の吹き通る旅館の部屋で、ビールを汲み交はしながら、来年の花時に妻の故郷を訪ねようと、話を決めた。妻の故郷は山形の蔵王山麓にある。山村の春は遅く、梅も、桜も、桃も一時に花開くといふ。私は何故かそんな山村の春が偲(しの)ばれてならなかつたのである。が、今はそれどころではない。
「なんだか、『早くあけろ、早くあけろ』つて、急(せ)きたてられてゐるやうで、気持が悪いわね」
「ほんとよ。つまり逆に言へば『まだか、まだか』つてわけでせう。厭になつちやふわね」
「それは何のお話」
「お向かひの部屋のおばあさんが、亡くなつたんです」
「さうか。上顎腫瘍で、片目を手術した、おばあさんかい」
「さうですの。もつとも直接の原因は肺炎だつたさうですけれどもね」
「さうか」
「昨日の夜中でしたわ、私は眠つてゐたのでせうが、廊下が何だか騒騒しかつたのを覚えてゐます。でも、明け方、目を覚ますと、廊下はもうひつそりとなつてゐましたわ。さうして今朝になると、病院はいつものやうに正確に活動を開始しました。まるで何事もなかつたやうにね。でも、おばあさんの名前はやはり名札から消えてゐましたの」
「ほんとに、あの足音は厭なものですのよ。どんなに眠つてゐても、あの足音だけは、ちやんと知つてゐますからね」
「ところが、私が診察室から帰つて来ると、お向かひの部屋の前に、もう蒲団や、荷物が置いてあるぢやありませんか」
「さうか。もう替りの方が来たわけなんだね」
「さうなのよ。三十人の入院希望者に、ベッド一つの割合ださうです。全く、押すな、押すなつて、感じですわ」
「さう言へば、あの社長さんも、あまりおよろしくないやうね」
「さうね。社長さんのお部屋は東向きでせう。以前は、毎朝、カーテンを一杯に開いて、朝日が差し入つてゐたのに、この頃はすつかりカーテンも締め切つて、ベッドも隅の方へ寄せてしまつてね」
「ほんとに、私にも覚えがあるけど、衰弱がひどくなると、外界の生生としたもの、潑剌(はつらつ)としたものが、堪へられなくなつてくるものなのよ」
妻が私に説明的に言ふ。
「その方は、社長さんがどうかは知りませんが、立派な紳士で、筋向ひの個室に入つてゐられますのよ。咽頭癌のやうですけれど」
「すると、お二人とも、もう大丈夫だと言へさうですね。こんなに生生潑剌たる桜の枝を担ぎ込んで来たのに、あんなに喜んでいただけたんですからね」
「そんなら、とにかく、さういふことにさせていただいておきませう。ねえ、奥さん」
花井夫人はさう言つて、かなり晴れやかな微笑を浮かべる。
妻は拡声器に呼ばれ、コバルトの治療に行く。私もその後に従ふ。妻を待つ間にゆつくり喫煙ができるからでもある。
「今朝ね、診察室でね、私、順番を待つてゐましたの。その前で、五十杉野男の方が診察を受けてゐましたが、その肩の鼻には管が通してありましたの」
「食堂でも悪いのだらうね」
「さうでせうね。その方がね、お医者さんに何か言はれましたの。すると、お医者さんがひどく驚いた表情をなさつて、『水、水を持つて来てくれ』と看護婦さんにおつしやつて、看護婦さんが持つて来たコップを、その方に持たせてね、『静かに、静かあに、少しづつ飲んでみなさい』と言はれましたのよ」
瞬間、その患者は、どういふわけか解し得ないほど、激しく瞬きをしたといふ。さうして恐る恐るコップを持ち上げ、水を口中に含んだ。途端に、その患者の顔が、まつ赤になつたともいふ。しかし別に異常は起こらなかつたのである。
「飲めたね。飲めたね。もう一度、少し、ほんの少し」と医者が言ひ、その患者は再び水を飲んだといふ。が、やはり異常はなかつたのである。医者達、看護婦達、患者達の顔に、一斉に「まあ、よかつた」といふ表情が動いたといふ。
「私もすつかり感動してしまひました。でも、お医者さんは『しかしまだ調子に乗つてはいけないよ。飲むにしても、少しづつ、ほんの少しづつだよ』と言つてをられましたけれどもね」
コバルトの照射室は地下室にある。一階の手術室の前を通り、あの廊下を突き当り、左に折れて、私と妻は階段を下りる。妻は袢纏を私に渡し、照射室に入り、片肌を脱いで、寝台に仰臥(ぎやうぐわ)する。その肩と、首筋には、小さい絆創膏(ばんさうかう)が幾つも貼つてある。コバルトを照射する範囲を示すもののやうである。係りの医師が装置を終ると、急ぎ足で出て来て、扉をしめる。私はやつと椅子に腰を下し、煙草を取り出して、火をつける。
妻が入つてゐる照射室の扉には、「照射中開扉厳禁」といふ札が掛つてゐる。私の場合には、亜鉛板を口に含み、石膏(せきかう)のマスクをつけた。係りの医師が同じく急ぎ足で出て行き、扉をしめる。やがて微かに把手を切る音が聞こえる。しかし放射線は全く無感覚である。却つて激しい孤独感に襲はれたものである。
階段の上には、明るい春の陽光が入つてゐる。その中に人の姿が現はれると、直ぐに黒い影となつて、階段を下りて来る。地下室には四つの照射室がある。担架に乗せられた患者をも担がれて来る。老婆がセーラー服の娘に手を取られて下りて来る。ひどく覚束(おぼつか)ない足取りである。老婆は階段を下りると、椅子の前に蹲(うづくま)つてしまふ。
「おばあちやん、どうかしたの」と娘が言ふ。しかし老婆の声は潰れてゐて、殆(ほとん)ど言葉にならない。
階段んも上に、看護婦の姿が現れる。一瞬、白い制服の裾に、明るく光線が当り、二本の脚の影を映す。清潔で好色的でさへある。私は長く忘れてゐたものを思ひ出したやうで、ひどく愉(たの)しい。が、看護婦は勢よく階段を下りて来て、さつと私の前を通り過ぎる。いかにも生生潑剌とした感じである。
医師が出て来て、妻の照射室の扉をあける。私と妻は三階の病室へ帰る。
更に拡声器に呼ばれ、妻は一階の放射線室へ行く。乳房を切除した左胸部に、放射線の深部治療を受けるためである。
「病人といつても、これで結構忙しいものですよ」と妻は苦笑する。私の場合は、八分間づつ、四つの方向から、上顎に照射を受けた。しかし妻の深部治療は、患部の関係からか、僅か三分間である。妻は直ぐ放射線室から出て来る。この時刻になると、待合所には殆ど人はゐない。庭には春の夕日が当つてゐる。私と妻は玄関に出てみる。いきなり妻が私の袖を引いて言ふ。
「あの方です。ほら、今朝、初めて水が喉(のど)を通つたの、あの方ですわ」
「さうか」
一人の小柄な男が、庭の躑躅(つつじ)の植込みの間を静かな歩調で歩いてゐる。
「しかし、あの気持、何だか判るやうな気がするね」
「さうよ、手を後で組んだりしてね。きつと心に余裕ができたのね」
「さうだらう。よほど嬉しかつただらうからね」
「私なんか、一時は、そのことで頭が一杯、何を見てゐても、何も目に入らなかつたものですわ」
その男の人は両手を後で組み、心もち顎を上げて、緩(ゆつく)りと歩いてゐる。その横顔に明るく夕日が当つてゐた。

編集

私は仕事のため、数日、妻を見舞はなかつた。その間、門前の染井吉野は既に満開を過ぎた。私はそんな桜の花を見上げながら、落花を踏んでわが家を出る。隣家の庭には、紅木蓮が夥(おびただ)しい花をつけてゐ、若葉を開いた山吹の枝には、黄色い、八重の花が咲き列んでゐる。
私は御茶ノ水の病院へ行く。私の上顎には、放射線を放射した後に、孔穴ができてゐるといふ。週に一回、私はそれを洗滌(せんでう)してもらふ。それからバスで、私は妻の病院へ向かつた。
妻の病室へ入る。花井夫人は和服に着換へ、寝台の上に坐つてゐる。珍しく薄く化粧してゐる。その枕許(まくらもと)に、一見して学者風の紳士が立つてゐる。妻が二人を紹介する。花井氏である。
「奥さん、今日、退院なさるの」
「さうか。それはよかつたですね。もつとも、最近はすつかり元気におなりでしたからね」
「しかし、来月には、また入院して、例の注射を更に一二回、打つてもらふのださうですが」
「その注射は、側から見てゐても、大へんよく利くやうですね」
「さあ、どうですか。でも、かうして一二年も、どうにか持つてゐれば、またどんなお薬が発明されるかも知れませんからね。それだけが頼りですわ」
夫人はさう言つて、淋しげに微笑する。或は同病者の先輩として、決して甘くは考へてゐないところを示したのかも知れない。しかしまた久し振りに夫君が帰つて来たので、夫人は少し甘えてゐるかとも、思はれなくもない。
廊下に、重い足音が停り、変な物音が聞こえる。夫人と妻が顔を見合はせて言ふ。
「あら、もう見えたのかしら」
「さうらしいわね。田口さん、一寸見てみて頂戴(ちやうだい)」
附添婦が扉から首を出して言ふ。
「やはりさうです。お蒲団が置いてありますわ」
「あなた、もう替りの方が見えたのよ」
「全く押すな、押すなの盛況ね」
「実際、この病気の患者の数は、底がないといつた感じですね」
「でも、奥さんの場合なんか、めでたく退院なんだから、どんなに急き立てられても、悪い気はしないわね」
「あまりおめでたくもなささうなんだけれどもね」
花井氏は私と同じく決して器用とは言ひ難い。が、どうにか荷物をまとめ上げる。夫人は妻と別れの挨拶を繰り返し、花井氏に附き添はれて退院した。
後を附添婦に託し、妻はコバルトをかけるために、部屋を出る。
「奥さんはあまり肯定的ではなかつたが、アメリカの注射つて、かなり利くやうらしいね。ほんと見違へるやうに元気になられたものね」
「でもね、御本人にしてみれば、心の中ではどう思つてゐても、口では大丈夫とは言へませんものね」
「それは、さうだ」
「さうさう、さう言へば、いつか話してらつしやつた、上顎腫瘍の女の方ね、今朝、診察室で出会ひましたわ」
「さうかい」
私の亡くなつた先妻によく似た女の人のことである。あの時以来、その人のことが妙に私の心にかかつた。待合所などで、私はそれとなく目を配つたが、その人の姿は見られなかつたのである。
「入院してをられるのだらうか」
「さう、二階ですつて。おとなしい感じのよい方ですわ」
「さうだ、そんな感じの方だつたね」
「顎に放射線をかけてゐるんですつて。さうして目にはね、やはりアメリカから送つて来る、目薬をさしてゐるのですつて。それで、目を手術してなくすんだつて、喜んでをられましたけれど」
「さうか、目薬ね。やはり飛行機だらうね」
「さうでせうね。でも、お気の毒に、目もまだ濁つてゐたし、顔色も青黒くつてね、どう見ても、よい按配(あんばい)とは思はれませんでしたわ」
私と妻は階段を地下室へ降りて行く。入れ違ひに初老の紳士が上つて来る。その顔面にも小さい絆創膏が幾つも貼つてある。
「あの小さい絆創膏はね、放射線をかける範囲を示すもんだとすると、今の人も上顎腫瘍のやうだね」
「さうでせうね。とにかく、この病院には上顎腫瘍の方は多いやうです」
妻がコバルトをかけ終り、二人が病室へ帰ると、既に隣の寝台には六十ばかりの婦人が寝てゐる。病状はあまり良くないらしく、顔色も勝(すぐ)れず、かなり痩せてゐる。寝台のまはりには、その子息らしい年配の人達が立つてゐる。妻が寝台に上がると、その一人が、
「母ですが、よろしくお願ひします」と言ふ。
「こちらこそ」と、妻が挨拶を返す。
妻の放射線の深部治療は一昨日で終了した由である。妻の今日の仕事は終つたことになる。加納副部長が入つて来る。私は病室から遠慮して、いつもの露台に行き、煙草に火を点(つ)ける。
今日は天気が好く、肌が汗ばむほど気温も高い。が、風が強く、空には土埃(つちぼこり)が舞ひ上つてゐる。路上にも、歩きながら、顔に手をかざしてゐる人、足を停め、風を背に向けて、埃を避けてゐる人の姿も見える。この風で、今年の桜も大方は散つてしまふだらう。
病室へ帰る。妻が小声で言ふ。
「あちら、胃が悪いらしい。明後日、手術なさるのですつて」
私は黙って頷(うなづ)く。
「お茶をいれませう。田口さん、お湯を沸かして来て下さい」
子供等も成人してしまひ、私達の間には、改めて語るほどのこともない。しかしお茶を飲んでからも、いつもの通り、私はなかなか妻の側から離れにくい。取りとめもない雑談を交したりして、私は漸く妻の病室を出たのは、その日も夕方に近かつた。
一瞬、思はず私は足を停めた。入口の扉が開いてゐて、窓から夕陽が射し入つてゐる。従つて逆光線を受け、室内の光景が黒い影絵となつて、私の目に映つた。
大きい病室である。十ばかりの寝台が二列に並んでゐる。その上に、黒い輪郭だけの患者が仰臥してゐる。勿論、容貌などははつきりしまい。奇妙なことに、どの患者も病衣の間から管のやうなものを出してゐる。しかしその管の出てゐる部位はそれぞれに違つてゐる。喉元から出てゐる人もゐる。胸や、腹のあたりから出てゐる人もゐる。さうしてそれぞれの附添婦が太い注射器を持つて、それぞれの管の中に溶液を注入してゐるのである。その溶液はスープでもあらうか。果汁でもあらうか。つまり食道癌の患者達の夕食が始まつてゐるのではないか。
一瞬、私は慄然(りつぜん)とした。しかし妻の発病以来、更に溯(さかのぼ)つて先妻の死以来、私の神経は衝撃を受け続けた。が、生きてゐる以上、更に作家として生きてゐる以上、私は自分のいかなる運命からも目を逸(そら)すわけにはいかない。私の神経は揉みくちやにされながら、その度に太太しくなつて行つたやうである。
私も、妻も、再発の危険を十分に潜めてゐる。この病気の経験者である。これ等の人人と同じ運命が、いつ私達を待ち受けてゐるか知れやしない。しかし私はもうう先刻のやうな恐怖は感じない。実を言へば、私は竊(ひそ)かにひどく不逞な企みを思ひついたからである。
先日来、私は微熱が取れず、御茶ノ水の病院で、内科の精密検査を受けた。その結果、私の消化器官は健全であることが判つた。殊に私の肝臓は、酒飲みにも似ず、至つて丈夫であるといふ。
従つて、最悪の場合にも、私は附添婦に頼み、或は強要して、毎夕、一リットルばかりの酒か、それと相当量のアルコール分を注入してもらへばよい。酒は管から入つても、私は次第に酔ひを発して行くだらう。さうなれば、最早、恐しいものはない。むしろ私は楽しいのである。まして窓一面に夕陽が燦然(さんぜん)と照り映えてゐるではないか。私は快い酔ひに乗じて、金色の夕空を翔(か)けることも不可能ではない。
しかし私はいつまでも廊下に立つてゐたわけではない。急いで立ち去らうとした瞬間、窓の一劃に私は大きい落日を見たのである。さうして私はまるで落日の光芒(くわうぼう)に酔つたやうに、あらぬ考へに耽(ふけ)りながら、歩いてゐたのであつた。