萱野茂のアイヌ語による演説
次に、アイヌイタㇰアニ(アイヌ民族の言葉で)ということであります。
イタㇰプリカ ソモネコㇿカ シサムモシㇼ モシㇼソカワ チヌㇺケニㇱパ チヌㇺケ カッケマッ ウタペラリワ オカウㇱケタ クニネネワ アイヌイタㇰアニ クイタㇰルウェ ネワネヤクン ラモッシワノ クヤイライケㇷ゚ ネルウェタパンナ。
(言葉のあやではありませんが、日本の国土、国土の上から選び抜かれてこられた紳士の皆様、淑女の皆様が肩を接しておられる中で、成り行きに従いアイヌ語でしゃべらせてもらえることに心から感謝を申し上げるものであります。)
エエパキタ カニアナㇰネ アイヌモシㇼ シシㇼムカ ニㇷ゚タニコタン コアパマカ 萱野茂 クネルウェネ。
(私は、アイヌの国 北海道沙流川のほとり 二風谷村に生を受けた萱野茂というアイヌです)
ウッチケクニㇷ゚ ラカサㇰペ クネㇷ゚ネクス テエタクㇽネノ アイヌイタㇰ クイェエニタンペ ソモネコㇿカ
(意気地のない、至らない者なので昔のアイヌのようにアイヌの言葉を上手には言えないけれど)
タナントアナㇰネ シサㇺモシルン ニㇱパウタㇻ カッケマッウタㇻ アンウㇱケタ
(今日のこの日は、日本国の国会議員の諸先生方がおられる所に)
アイヌイタㇰ エネアンペネヒ エネアイェㇷ゚ネヒ チコイコカヌ クキルスイクス アイヌイタㇰ イタㇰピㇼカㇷ゚ ケゥト゚カンケワ クイェハウェネ
(アイヌ語というものがどのようなものか、お聞き願いたいと考え、私はアイヌ語を言っているので)
ポンノネクス チコイコカヌワ ウンコレヤン。
(少しですので、お耳を傾けられますようお願い申し上げます)
テエタアナㇰネ アイヌモシㇼ モシㇼソカタ アイヌパテㇰ アンヒタアナㇰネ
(ずっと昔、アイヌ民族の静かな大地にアイヌ民族だけが暮らしていた時代)
ウウェペケㇾ コラチシンネ ユㇰネチキ シペネチキ ネㇷ゚パㇰノ オカㇷ゚ネクス
(アイヌの昔話と全く同じに、シカでもシャケでもたくさんいたので)
ネㇷ゚アエルスイ ネパコンルスイ ソモキノ、アイヌパテㇰ オカㇷ゚ネアコㇿカ
(何を食べたいとも、何を欲しいとも思わず、アイヌ民族だけで暮らしていたが)
ネウㇱケウン シサㇺネマヌㇷ゚ ウパㇱホルッケ エカンナユカㇻ エㇰパルウェネ。
(そこへ和人という違う民族が、なだれのように移住してきたのです)
インネシサㇺ エㇰヒオラーノ ユㇰアウㇰヒ
シペアウㇰヒ ニアト゚イェヒ ハットホ チコイカㇻカㇻ オロワノアナㇰネ アエㇷ゚カイサム
アウフイカクニ チクニカイサム アイヌウタラ ケメコッペアナッネ ケメコッパワ オト゚タヌオト゚タヌ ライワアラパパ[1]
(大勢の日本人が来てからというもの、シカをとるな、シャケもとるな、木も切るなと一方的に法律なるものを押しつけられ、それからというもの、食べ物もなく薪もなく、アイヌ民族たちは飢え死にする者は飢え死にをして次から次と死んでいったのであります。)
シㇰヌワオカ アイヌウタㇻカ アイヌイタㇰ エイワンケクニ シサㇺオㇿワ ハットホアンワ アイヌイタㇰ エイワンケ エアイカㇷ゚パㇷ゚ ネㇷ゚ネクス
(生きていたアイヌたちも、アイヌ語を使うことを日本人に禁じられ、アイヌ語で話をすることができなくなってしまいそうになった)
チイェワピㇼカㇷ゚ アイヌイタㇰ ネアコㇿカ タネアナㇰネ ウラㇻシンネ ラヨチシンネ ウコチャンチャンケペコㇿ クヤイヌアコㇿカ
(言っていい、使っていいアイヌ語であったけれど、現在はかすみのように、にじのように消えうせるかと思っていたが)
タネオカ ペウレアイヌウタㇻ ヤイシンリッ ヤイモトホ エプリウェンパワ
(現在の若いアイヌが、自分の先祖と自分の文化を見直す機運が盛り上がってきて)
イタㇰネヤッカ アイヌプリ ネアヤッカ フナㇻパワ
(アイヌ語やアイヌの風習を捜し求め)
ウウォポキン ウウォポキン エラムオカイパコㇿ オカルウェネ
(次から次へ覚えようと、努力しているのです)
ネヒオㇿタ ニㇱパウタㇻ クコラㇺコㇿヒ エネオカヒ アイヌモシルン アイヌウタㇻカ コエト゚レンノ シサㇺモシㇼタ オカアイヌカ エネネヤッホ[2] アイヌネノ アイヌイタㇰアニ ウコイタㇰパワ ラッチオカ、アプンノオカクニ
コサンニヨワ ウンコレヤン ヘルクワンノ ネアコロカ アイヌイタㇰクイェ、アイヌイタㇰ エネアンクニ チコイコカヌヒ ラモッシワノ クヤイライケナー
(そこで、私が先生方にお願いしたいということは、北海道にいるアイヌたち、それと一緒に、各地にいるアイヌたちがどのようにしたらアイヌ民族らしくアイヌ語で会話を交わし、静かに豊かに暮らしていけるかを先生方に考えてほしいと私は思い、ごく簡単にであったけれども、アイヌ語という違う言葉がどのようなものかをお聞きいただけたことに、アイヌ民族の一人として心から感謝するものであります。)
日本語訳原文(国会議事録版)
編集アイヌ民族の言葉で
言葉のあやではありませんが、日本の国土、国土の上から選び抜かれてこられた紳士の皆様、淑女の皆様が肩を接しておられる中で、成り行きに従いアイヌ語でしゃべらせてもらえることに心から感謝を申し上げるものであります。
私は、アイヌの国、北海道沙流川のほとり、二風谷に生をうけた萱野茂というアイヌです。意気地のない者、至らない者、私なので、昔のアイヌのようにアイヌの言葉を上手には言えないけれども、きょうのこの日は、日本の国の国会議員の諸先生方がおられるところに、アイヌ語というものはどのようなものか、どのような言い方をするものかお聞き願いたいと私は考え、アイヌ語というものはアイヌ語を私はここで言わせていただいたのであります。少しですので、私のアイヌ語にお耳を傾けてくださいますようお願い申し上げる次第です。
ずっと昔、アイヌ民族の静かな大地、北海道にアイヌ民族だけが暮らしていた時代、アイヌの昔話と全く同じに、シカであってもシャケであってもたくさんいたので、何を食べたいとも何を欲しいとも思うことなく、アイヌ民族だけで暮らしておったのだが、そのところへ和人という違う民族が雪なだれのように移住してきたのであります。大勢の日本人が来てからというもの、シカをとるな、シャケもとるな、木も切るなと一方的に法律なるものを押しつけられ、それからというもの、食べ物もなく薪もなく、アイヌ民族たちは飢え死にする者は飢え死にをして次から次と死んでいったのであります。
生きていたアイヌたちもアイヌ語を使うことを日本人によって禁じられ、アイヌ語で話をすることができなくなってしまいそうになった。言っていいもの、使っていいもの、アイヌ語であったけれども、今現在は、かすみのように、にじのように消えうせるかと私は思っていたが、今現在の若いアイヌが自分の先祖を、自分の文化を見直す機運が盛り上がってきて、アイヌ語やアイヌの風習、それらのことを捜し求めて、次から次ではあるけれども、覚えようと努力しているのであります。
そこで、私が先生方にお願いしたいということは、北海道にいるアイヌたち、それと一緒に、各地にいるアイヌたちがどのようにしたらアイヌ民族らしくアイヌ語で会話を交わし、静かに豊かに暮らしていけるかを先生方に考えてほしいと私は思い、ごく簡単にであったけれども、アイヌ語という違う言葉がどのようなものかをお聞きいただけたことに、アイヌ民族の一人として心から感謝するものであります。ありがとうございました。
ローマ字表記
編集Aynuitak ani アイヌ民族の言葉で
Itak puri ka
Somo ne korka
Sísammosir
Mosir so ka wa
Cinumke nispa
Cinumke katkemat
Utaperari wa
Oka uske ta
Kuni ne ne wa
Aynuitak ani
Ku=itak ruwe
Ne wa ne yakun
Ramossi wano
Ku=yayirayke p
Ne ruwe tapan na
Eepakita
Káni anakne
Aynumosir
Sisirmuka
Niptani kotan
Koapamaka
萱野茂
Ku=ne ruwe ne
Utcike kuni p
Raka sak pe
Ku=ne p ne kusu
Teetakur néno
Aynuitak
Ku=ye enitan pe
Somo ne korka
Tananto anakne
Sisammosir un
Nispa utar
Katkemat utar
An uske ta
Aynuitak
Ene an pe ne hi
Ene a=ye p hi
Ci=koykokanu
Ku=ki rusuy kusu
Aynuitak
Itak pirka p
K=eutukanke wa
Ku=ye hawe ne
ponno ne kusu
Ci=koykokanu wa
Un=kore yan
Teeta anakne ずっと昔、
Aynumosir アイヌ民族の静かな大地、
Mosir so ka ta 北海道に
Aynu patek アイヌ民族だけが
An hi ta anakne 暮らしていた時代、
Uwepeker アイヌの昔話と
Koraci sinne 全く同じに、
Yuk ne ciki シカであっても
Sípe ne ciki シャケであっても
Nep pakno たくさん
Oka p ne kusu いたので
Nep a=e rusuy 何を食べたいとも
Nep a=kon[3] rusuy 何を欲しいとも
Somo ki no 思うことなく
Aynu patek アイヌ民族だけで
Oka hi ne a korka 暮らしておったのだが
Ne usike un そのところへ
Sísam ne manu p 和人という違う民族が
Upas horutke 雪なだれ
Ekannayukar のように
Ekpa ruwe ne 移住してきたのであります
Inne sisam
Ek hi orano
Yuk a=uk hi
Sípe a=uk hi
Ni a=tuye hi
Hattoho
Cikoykarkar
Orowano anakne
Aep ka isam
A=uhuyka kuni
Cikuni ka isam
Aynu utar
Kemekot pe anakne
Kemekot pa wa
Otutanu otutanu
Ray wa arpa pa
Siknu wa oka
Aynu utar ka
Aynuitak
Eywanke kuni
Sisam orwa
Hattoho an wa
Aynuitak
Eywanke
Eaykap pa p
Ne p ne kusu
Ci=ye wa pirka p
Aynuitak
Ne a korka
Tane anakne
Urar sinne
Rayoci sinne
Ukocancanke pekor
Ku=yaynu a korka
Tane oka
Pewre Aynu utar
Yay sinrit
Yay motoho
Epuriwen pa wa
Itak ne yakka
Aynu puri
Ne a yakka
Hunarpa wa
Uwopokin
Uwopokin
Eramuokay pa kor
Oka ruwe ne
Ne hi or ta
Nispa utar
Ku=koramkor hi
Hi ne oka hi
Aynumosir un
Aynu utar ka
Koeturenno
Sisam mosir ta
Oka Aynu ka
Ene ne yakka
Aynu néno
Aynuitak ani
Ukoytak pa wa
Ratci oka
Apunno oka kuni
Kosanniyo wa
Un=kore yan
Heru kuwanno
Ne a korka
Aynuitak ku=ye
Aynuitak
Ene an kuni
Ci=koikokanu hi
Ramossi wa no
Ku=yayirayke naa.