聖仏母般若波羅蜜多経
白文
編集如是我聞。一時世尊、在王舍城鷲峯山中、與大苾芻衆千二百五十人倶、并諸菩薩摩訶薩衆、而共圍繞。
爾時世尊、即入甚深光明宣説正法三摩地。
時觀自在菩薩摩訶薩、在佛會中。而此菩薩摩訶薩、已能修行甚深般若波羅蜜多、觀見五蘊自性皆空。
爾時尊者舍利子、承佛威神、前白觀自在菩薩摩訶薩言、
「若善男子善女人、於此甚深般若波羅蜜多法門、樂欲修學者、當云何學。」
時觀自在菩薩摩訶薩、告尊者舍利子言、
「汝今諦聽爲汝宣説、若善男子善女人、樂欲修學此甚深般若波羅蜜多法門者、當觀五蘊自性皆空。
何名五蘊自性空耶。所謂即色是空即空是色。色無異於空。空無異於色。受想行識亦復如是。
舍利子、此一切法如是空相[1]、無所生、無所滅、無垢染、無清淨、無増長、無損減。
舍利子、是故空中無色、無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。
無眼界、無眼識界、乃至無意界、無意識界。無無明、無無明盡、乃至無老死、亦無老死盡。
無苦集滅道。無智、無所得、亦無無得。
舍利子、由是無得故、菩薩摩訶薩、依般若波羅蜜多相應行故、心無所著、亦無罜礙。以無著無礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒妄想。
究竟圓寂・所有三世諸佛、依此般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。
是故應知。般若波羅蜜多、是廣大明、是無上明、是無等等明、而能息除一切苦惱、是即眞實無虚妄法。諸修學者、當如是學。
我今宣説般若波羅蜜多大明曰
怛[寧+也]切身他引一 唵引 誐帝引 誐帝引二 播引囉 誐帝引三 播引囉僧誐帝引四 冐提 莎引賀引五
(怛[寧+也]他 唵 誐帝 誐帝 播囉誐帝 播囉僧誐帝 冐提 莎賀)
舍利子、諸菩薩摩訶薩、若能誦是般若波羅蜜多明句、是即修學甚深般若波羅蜜多。」
爾時世尊、從三摩地安詳而起、讃觀自在菩薩摩訶薩言、「善哉善哉、善男子。如汝所説、如是如是。
般若波羅蜜多、當如是學、是即眞實最上究竟。一切如來亦皆隨喜。」佛説此經已、觀自在菩薩摩訶薩、并諸苾芻、
乃至世間天人阿修羅乾闥婆等、一切大衆。
聞佛所説皆大歡喜、信受奉行。
現代語訳
編集このように私は聞いた。ある時、幸福なる御方(ブッダ)は、王舎城・霊鷲山中において、千二百五十人の大比丘たち、諸々の菩薩たちと共に、円状になって滞在していた。その時に幸福なる御方(ブッダ)は、〔瞑想を行ない〕「”深遠なる光明”によって正しい法(ダルマ)を説く」[2]という名の三昧[3]に入られた。
時に観音菩薩が、〔釈迦牟尼〕仏の集会の中におられた。この菩薩は、すでに深遠なる「般若波羅蜜」をよく修行し、五蘊は自性が空である[4]と観ていた。
その時尊者シャーリプトラは、〔釈迦牟尼〕仏の神通力を受けて、先に観音菩薩にたずねた、
「もし善男子・善女人が、この深遠なる「般若波羅蜜」の法門において、〔これを〕修め学びたいと願うならば、どのように学ぶべきでしょうか?」
時に観音菩薩は、尊者シャーリプトラに告げていった、
「汝はいま詳らかに聴け。汝のために説こう。もし善男子・善女人が、この深遠なる「般若波羅蜜」の法門において、〔これを〕修め学びたいと願うならば、五蘊は自性が空であると観察すべきである。
どのようなことを<五蘊が自性が空である>というのか?すなわち、色は空である。空は色である。色は空と異ならない。空は色と異ならない。受・想・行・識・も、またその通りである。
シャーリプトラよ、この一切法は、このように空という性質[を持つもの]であるから、生じられたものでもなく(無所生)、滅せられたものでもなく(無所滅)、汚れたものでもなく、清らかなものでもなく、増えることもなく、減ることもない。
シャーリプトラよ、それゆえ空においては、色もなく、受・想・行・識もなく、眼・耳・鼻・舌・身・意もなく、色・声・香・味・触・法もなく、
眼界もなく、眼識界もなく、また意界もなく、意識界もなく[5]、
無明もなく、無明の尽もなく、また老死もなく、老死の尽もない[6]。
苦・集・滅・道〔の真理〕もなく[7]、知ることもなく、得るものもなく、得ることがない、ということもない[8]。
シャーリプトラよ、菩薩は得ることがないゆえに、「般若波羅蜜」に相応する行のゆえに、心に執着するものもなく、とらわれるものもない。執着もなく、とらわれるものもないゆえに、恐れはなく、一切の顛倒妄想から遠く離れている。
「究極の円満なる静けさ」を備える三世の諸仏たちは、この「般若波羅蜜」に依拠するがゆえに、「無上の完全なる悟り」を得る。
それゆえに知るべきである、「般若波羅蜜」は、広大なる明呪(マントラ)であり、超えるものなき明呪であり、並ぶものなき明呪であり、一切の苦しみをよく除き、真実にして虚妄ならざる法である、と。諸々の修行者は、このように学ぶべきである。
さあ「般若波羅蜜」の大いなる明呪を説こう、
タディヤター オーン ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー
(”タディヤター”、”オーン”、往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に正しく往ける者よ、〔聖なる仏母である〕菩提〔女尊〕よ、ささげ物を受け取り給え!)
シャーリプトラよ、もろもろの菩薩がもしこの「般若波羅蜜」の明呪の言葉を唱えるならば、これすなわち深遠なる「般若波羅蜜」を修め学ぶことになるのだ。」
そのとき、幸福なる御方(ブッダ)は[瞑想による]三昧[の境地]より出て、立ち上がり、観音菩薩を賛嘆して言われた、「善きかな!善きかな!善男子よ、お前の説いた通りだ。般若波羅蜜をこの通りに学ぶべきである。これはすなわち真実にして、この上ない、最高の[ことがら]であり、一切の如来もまたみな随喜するのである。」ブッダがこの経典を説き終わると、観世音菩薩大士、ならびに諸々の比丘たち、また、世界の天、人、阿修羅、ガンダルヴァなど一切の大いなる衆が、ブッダの説いたことを聞いて、皆、大いに喜び、[教えを]信じ受とり、[そのように]行なった。
脚注
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