第58回国会における佐藤内閣総理大臣施政方針演説
演説
編集第五十八回国会に臨み、当面する内外の諸問題について、私の所信を明らかにしたいと存じます。
わが国はことしで明治改元百年を迎えました。国民各位とともに、明治の輝かしい経営のあとをしのび、国家民族の長い将来にわたる発展のため努力する決意を新たにしたいと思います。
明治維新は封建時代から近代への一大転換でありました。東洋の一小国であった日本は、ほぼ半世紀の間に世界的な国家に成長いたしました。当時、諸外国との友好を深め、進んで西欧文明を取り入れ、近代国家としての基盤を確立した国民の気概と活力、指導者の識見と勇断に深い尊敬の念を禁じ得ません。
自来一世紀、われわれは、第二次大戦で敗れた痛手を乗り越えて、焦土と廃墟の上に奇跡的といわれる復興をなし遂げ、わが国は、世界有数の先進工業国に発展いたしました。この成果を踏まえつつ、国際社会における枢要な国家としての地位を保ち、真に民族の恒久的な繁栄の基礎を築くべく、次の百年に向かって新しい出発をしなければなりません。私は、この機会に、長期的な展望に立った重要な政治の課題に触れ、国民各位の御理解を得たいと思います。
世界情勢
編集核時代
編集まず第一に、二十世紀後半の人類は核時代に生きております。この核時代をいかに生きるべきかは、今日すべての国家に共通した課題であります。
われわれは、核兵器の絶滅を念願し、みずからもあえてこれを保有せず、その持ち込みも許さない決意であります。しかしながら、米ソ二大核保有国に続き、イギリス、フランス、中共は、それぞれの立場で核兵器をてことして国家利益の追求をはかろうとしております。
このため、われわれは、当面、核兵器拡散防止に関する公正な条約の早期締結につとめ、さらに国際間の交渉による核軍縮の達成に全力を傾けねばなりません。そして核保有国が、核兵器で威嚇したり、これを使用したりすることを不可能とする国際世論を喚起し、人類の理性が核兵器を支配する正常な国際環境をつくらねばなりません。
世界における唯一の被爆国民としての悲惨な経験を持つわれわれの発言は、世界政治のあり方に重大な示唆を与え、大きな指標となるべきであります。
人類にとって次の世紀にかけての最大の課題は、核エネルギーを中心とした科学技術の進歩の問題であります。核エネルギーの平和利用の分野は予測のつかないほど広大なものであり、あわせて、宇宙、海洋開発などの面で世界各国民がその知力を競う時代が到来することは、必然であります。これからのいわゆる巨大科学の時代に、われわれ日本国民は、みずからの繁栄と人類の進歩のために積極的に取り組まなければなりません。われわれは、核エネルギーの平和利用における国際的進歩におくれをとらないよう、こん身の努力をしなければなりません。そして、科学技術の面における貢献によって、核時代におけるわが国の威信を高め、平和への発言権を確保し、国際社会に建設的な提言を行なうべきであります。
南北問題
編集第二に、国際政治の中心課題は今後とも南北問題であります。世界総人口の約三分の二をかかえる発展途上国には、政治的不安定、社会体制のおくれ、国民経済の貧困が目立ち、特に経済発展の面で先進諸国との格差は、年々増大する一方であります。
貧困と飢餓、疾病と文盲を追放するため積極的協力をすることは、先進諸国に課せられた共同の責任であると申さねばなりません。特に、アジアの一員であり、アジアの平和と繁栄が自国の平和と繁栄に直接結びついているわが国としては、まずアジア諸国の民生安定に積極的に寄与しなければなりません。発展途上国に対するわれわれの経済協力は、アジアの連帯を推進し、平和への布石となるのであります。
都市化傾向
編集第三に、先進諸国に共通の現象として起こっている都市化傾向は、わが国において特に典型的であります。日本列島全体が都市化の波に洗われ、われわれは新しい都市社会の時代を迎えようとしております。
経済の高度成長によるこのような都市化傾向は、農村をも含めて、われわれの生活を急激に変えつつあります。この結果、大都市においては、公害、住宅問題、交通難等過密の弊害が激化し、また周辺地域の無秩序な市街地化を来たしており、都市機能の低下を招き、生活、生産両面においていろいろな摩擦現象を生じております。一方、農村地域においては、人口流出が続き、教育、医療問題など基礎的な生活条件に影響を与えるほどのいわゆる過疎現象も目立っております。
このような地域社会の変化に賢明に対処することこそ、社会を進展させるゆえんであり、われわれに課せられた重要な課題であります。特に狭隘な国土、貧弱な資源など、恵まれない自然条件を克服して新しい国土開発を進めるためには、土地問題が公共優先の観点から再検討されねばなりません。各地域の特性に応じて、計画的に、かつ均衡のとれた国土開発を行なうことは、将来への大きな目標であります。
教育競争の時代
編集第四に、今日国際社会は教育競争の時代となっております。一国の将来が青少年の双肩にかかっていることは、古今東西を通じて変わらない真理であります。われわれは、今後とも世界的に高い教育水準を維持し、国民一人一人の資質を高め、能力を開発する努力を続けねばなりません。
しかしながら、科学技術の急激な進歩によって、ともすれば人間の尊厳が見失われ、精神の衰退を招きがちであります。われわれは、人間のゆるぎない優位を確立し、人類の英知が物質文明を支配し、科学技術とともに哲学、文学、芸術などが栄える人間性豊かな社会を目標としております。
このため、教育もまた、民族のすぐれた伝統にささえられた人間形成に重点が置かれなければならないと信じます。
国際社会における名誉ある地位を占めること
編集第五に、われわれは、民族の理想として、国際社会における名誉ある地位を占めることを念願しております。過去百年の間に世界有数の近代国家として興隆した誇りを持ち、挫折の経験を謙虚に省みながら、民族の理想達成のため、たゆみない努力を続けなければなりません。
自己の能力を正しく把握し、社会秩序を守り、日本人としての誇りと独立の気概を持つことは、民族の若さと活力を永遠に維持する秘訣であり、また、国の安全を保持する基本的な条件であります。
国際協調
編集国際協調の道を切り開いて、恒久的な平和を招来することは、全人類の悲願でありますが、現実の国際情勢は、まだそこまで到達し得ないというのが実情であります。このため世界各国は、自国の利益と安全確保のために、それぞれの立場から現実的な動きを示しており、わが国もまたその例外ではないのであります。われわれは、民族の理想達成のために、常にきびしい現実を直視し、歴史の推移に柔軟に対処し得る時代感覚を持つと同時に、いかなる時代にも生き抜くたくましさを持たなければなりません。
外交
編集次に、外交及び経済に関する若干の重要問題について申し上げます。
小笠原の返還交渉は順調に進み、近く関係協定を国会に提出して承認を求めることといたします。
沖縄の祖国復帰は国民的総意であります。両三年内に返還の時期についてめどをつけるため、日米間の外交折衝を進め、まず返還を実現することに全力を傾ける決意であります。このため、米国との相互信頼の基礎に立って、安全保障上の要請を踏まえつつ、現実的な解決策を生み出すべく努力してまいりますが、それまでの間、本土との一体化施策を進め、教育、経済、社会、文化などの各面で本土との格差を是正し、復帰に備える方針であります。
戦争によってわれわれの手から離れた領土を平和時に回復することが、きわめて困難な問題であることは申すまでもありません。幸いにして、沖縄問題は基本的解決の方向へ向かって着実な軌道に乗せることができました。祖国復帰を一日も早く実現するためには、このことによってわれわれ日本国民が、一そう世界の平和と繁栄のために寄与し得るという信頼感を、国際社会に植えつけることが何よりも大切であります。
一方、北方領土返還問題の前途には大きな困難が横たわっております。領土問題は、日本民族の誇りにつながるものであり、大きな国家利益の問題であります。われわれは、その回復に向かって忍耐強く努力しなければなりません。
ベトナムにおいて依然戦火が続いていることは、まことに遺憾にたえません。私は、一日も早く公正な平和がもたらされることを、心から望むものであります。ベトナム戦争の早期終結は国際世論であり、私は、当事者が互いに意志疎通をはかり、一日も早く話し合いのテーブルにつくことを期待してやみません。わが国としても、平和実現のためできるだけの努力を続けてまいります。
最近における三十八度線を越えて発生した事件及び先日の米艦拿捕事件によって、アジアに新しい緊張が生まれようとしております。世界、特にアジアの平和を心から願う日本国民にとって、まことに憂慮にたえないところであります。われわれは、アジアの平和維持のため、朝鮮半島をめぐる諸問題が一日も早く平和裏に解決されるよう切望してやみません。
中国情勢の安定なくしては、アジアにおける真の平和と繁栄の達成は困難であります。私は、中共内部の動きを注意深く見守りつつ、これまでどおり政経分離の原則のもとに、貿易、文化の交流を進める政策を続けてまいります。
経済
編集政府は、昨年秋以来、一連の景気調整措置をとってまいりましたが、わが国の経済は、いまなお相当の拡大傾向にあり、国際収支の状況にも特に改善のきざしがあらわれておりません。また、ポンド切り下げ、米国の国際収支改善策の発表など、国際経済環境は一そうきびしさを加えつつあります。
このような情勢に対処し、政府は、今後の経済運営にあたっては、引き続き景気を抑制する基本的な態度を堅持し、政府、民間を通じて総需要の抑制をはかり、国際収支の均衡回復と物価の安定を最も重要な政策目標としてまいります。国民各位においても、投資及び消費について節度ある態度で臨み、輸出を伸ばし、外貨の節約につとめるよう強く要望いたします。
また、国際通貨体制の不安については、基本的には、世界経済と貿易を拡大する方向に沿って国際的な協力を強め、その安定をはかるべきであります。政府は、このような観点から、まずみずからの景気の安定、持続的な経済成長につとめつつ、国際協力を呼びかけるとともに、わが国としても、できる限りの協力を行なってまいります。
昭和四十三年度の予算編成にあたっては、景気抑制を主眼として財政規模の圧縮と公債発行額の縮減につとめるとともに、特に財政体質改善のため、一般会計について総合予算主義を採用し、予算補正の大きな要因を除去することといたしました。しかし、今後体質改善の実をあげるためには、引き続き予算に関係のある現行諸制度の抜本的な改善を実施しなくてはなりません。行政機構の簡素合理化をはじめとするこれら諸制度の改善が実施されて、初めて将来にわたる安定成長への基盤が確立されるのであります。
地方行財政の運営にあたっても、国と同様、その合理化、効率化について格段の努力をされるよう強く要請いたします。
税制につきましては、一方において中小所得者の負担軽減のため、所得税、住民税等の減税を行なうとともに、間接税の一部について、最近の所得、物価水準を勘案した負担の調整を行ない、歳入を充足する措置をとることといたしました。
本年度の消費者物価は、政府が当初見通した四・五%上昇の範囲内におさまるものと見込まれますが、本年度後半の物価上昇には根強いものがあり、また、今般公共料金の一部等について最小限度の引き上げを行なうこととしたのに伴う影響もありますので、明年度の動向は楽観を許さない情勢となっております。このため、政府は、財政金融政策の適切な運営と相まって、引き続き生産性の低い部門の近代化、流通機構の改善、公正な競争条件の整備など、物価安定のための諸施策を一そう強力に推進し、明年度の物価を本年度に比べて四・八%程度の上昇にとどめるべく、最大の努力をいたす決意であります。
万国博覧会
編集なお、人類の進歩と調和をテーマとして開催される日本万国博覧会は明後年に迫りましたが、政府は、初めてアジアに招致されたこの平和の祭典を成功に導くため、万全の準備を進めてまいります。
結び
編集私は、明治百年を迎え、わが国が当面している政治の課題について述べてまいりました。明治百年の意義は、過去の栄光を追うことにはなく、来たるべき百年に過去の経験をどう生かしていくかにあります。
時代のいかんを問わず、民族の発展と文明の進歩への道は、決してたんたんとして調和のとれたものではありません。さまざまの困難と矛盾を抱きつつ流動してやまないのであります。現在、われわれは核時代に生き、増大する国際的責任、激化する社会的変動等、かつて先人の経験をしたことのない、きびしい試練に直面しております。この試練を乗り越えて、明日の祖国の命運を切り開いていくことこそ、次の世代に対するわれわれの重大な責務であります。
政治に携わる者は、国民の代表者たるにふさわしい道義感のもとに行動し、清潔な議会民主政治を確立して、国民の政治に対する信頼を高め、その負託にこたえなければなりません。
公務に奉仕する者は、綱紀を厳正に維持し、職務に精励することが何よりも大切であります。
私は、みずからの姿勢を正し、国民諸君とともに、わが民族の未来への道を真剣に考え、相携えて前進したいと思います。国民諸君の御支援を心からお願いする次第であります。
出典
編集- “データベース「世界と日本」 佐藤榮作 第58回国会(常会)における施政方針演説”. 政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所. 2019年2月16日閲覧。
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- 法律命令及官公󠄁文󠄁書
- 新聞紙及定期刊行物ニ記載シタル雜報及政事上ノ論說若ハ時事ノ記事
- 公󠄁開セル裁判󠄁所󠄁、議會竝政談集會ニ於󠄁テ爲シタル演述󠄁
この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。