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竹生島 作者:不詳
去る程に、これはまた勿体(もつたい)なくも竹生島、弁財天の御(おん)由来、くわしくこれを尋ぬるに。津(つ)の国難波(なには)の天王寺、仏法最初の御寺なり。本尊何かと尋ぬるに、正面童子庚申(かのえさる)。聖徳太子の御建立(こんりふ)。三水四石(さんすいしせき)で七不思議。亀井の水の底きよく、千代に八千代にさざれ石、巌(いはほ)となれや八幡山(やはたやま)、八幡に八幡大菩薩。山田に矢橋(やばせ)の渡し守(もり)。漕ぎゆく船から眺むれば。女(め)波男(お)波の絶間(たえま)より、弓手(ゆんで)にたかき志賀の寺。馬手(めて)は陸路(くがぢ)でかこむ浜。沖なか遙かに見わたせば。昔聖人のほめたまふ、余国(よこく)に稀なる竹生島。孝安天皇の御代のとき。頃は三月十五日、しかもその夜はつちのとの。己(み)を待つ辰の一天に、二股竹を相添えて、八声(やごゑ)の鶏(とり)と諸(もろ)ともに、金輪奈落の底よりも、揺(ゆる)ぎ出でたる島とかや。さるによつて鳥居にかげし勅額は、竹に生(うま)るる島とかく。これ竹生島とは読ますなり。弁財天は女体(によたい)なれど。十五童子のそのつかさ、巌(いはほ)に御腰(みこし)をやすらえて、琵琶を弾じておはします。
この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。