章魚の木の下で

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南洋群島の土人の間で仕事をしてゐた間は、內地の新聞も雜誌も一切目にしなかつた。文學などといふものも殆ど忘れてゐたらしい。その中に戰爭になつた。文學に就いて考へることは益々無くなつて行つた。數ヶ月してから東京へ出て來た。氣候ばかりでなく、周圍の空氣が一度に違つたので、大いに面喰つた。本屋の店頭に堆高く積まれた書籍共を見て私は實際仰天した。久しぶりで文學作品を讀むと流石に面白くはあつたが、南洋けして粗雜になつた私の頭には、稍々微妙に過ぎ難解に感じられることが無いのではなかつた。この事は作品以外の批評や感想などに至つて更に其の度を增した。文壇の事情に就いての豫備知識が全然缺けてゐること、當然知つてゐなければならない幾つかの術語や合言葉を知らないこと、私が心理的にも論理的にも餘りに大ザツパな單純な人間になり過ぎて了つたこと、之等がその原因のやうである。倂し、とにもかくにも其等の文章を通じて、文學をする者にとつての現在の問題といふものが朧げながら判つては來た。思へば自分は今まで章魚木たこのきの下で、時局と文學とに就いて全く何とノンビリした考へ方しかしてゐなかつたことかと我ながら驚いた。ノンビリした考へどころではない。てんで何も考へなかつたのだ。戰爭は戰爭、文學は文學。全然別のおのと思ひこんでゐたのだ。己に課せられた實務が目下の所第一の急務で、他は顧みる暇がない。稀に暇があつた時にのみ些かは文字を連ねることもあつたが、必ずしも文學作品といふ意識を以てではない。書くものの中に時局的色彩を盛らうと考へたこともなく、まして、文學などといふものが國家的目的に役立たせられ得るものとは考へもしなかつた。少くとも應用科學が戰爭に役立つと同じ意味で文學が戰爭に役立ち得るとは愚かにも思ひ及ばなかつたんで、此の際文學は忘れ去つて唯當面の仕事を一心にやつてゐればいいのだと簡單に考へた。國民の一人として忠實に活きて行く中に、もし自分が文學者なら其の中に何か作品が自然に出來るだらう。しかし出來なくても一向差支へない。一人の人間が作家にならうとなるまと、そんな事は此の際大した問題ではない。其の程度のボンヤリした考へで東京へ出て來たものだから、種々の微妙複雜な問題の氾濫にすつかり吃驚したのである。成程、文學も戰爭に役立ち得るのかと其の時始めて氣が付いたのだから、隨分迂闊な話だ。しかし、文學者の學問や知識による文化啓蒙運動が役に立つたり、文學者の古典解說や報道文作制術が役に立つたりするのは、之は文學の效用といつて良いものかどうか。文學が其の效用を發揮するとすれば、それは、斯ういふ時世に兎もすれば見のがされ勝ちな我々の精神の外剛內柔性――或ひは、氣負ひ立つた外面の下に隱された思考忌避性といつたやうなものへの、一種の防腐劑としてであらうと思はれるが、之もまだハツキリ言ひ切る勇氣はない。現在我々の味はひつつある感動が直ぐに其の儘作品の上に現れることを期待するのも些か性急に過ぎるやうに思はれる。自己の作物に時局性の薄いことを憂へて取つて付けた樣な國策的色彩を施すのも少々可笑しい。感動はあつても未だ文學的なものに迄醱酵しないし、古い題材では矢張何かしつくりせず、其の他種々の事情から現在が書きにくい時期だといふことは判る。だから、書けなければ書けないで、何も無理をして書かなくともいいのではないか。(ここで私は再び南洋での元の考へ方に戾つて來る。)作家といふ名前は返上して、戰時下の國民の一人として戰爭遂行に必要な實務にたづさはればいいのではないか。文學者の戰場は飽く迄書齋にあると唱える人が多い。現在も尙旺盛な創作熱にとり憑かれてゐる人や、大いに自己の文學を以て御奉公し得る自信のある作家なら、充分にそれを主張する資格がある。倂し、全然書けなくなつたり、自己の作品に不安を感じたりするやうな人迄が、今迄文學をやつて來たからといふそれだけの事實に引きずられて、無理に書齋に嚙りついてゐることは無い。人での足りない此の際、宜しく筆を捨てて何等かの實際的な仕事に就いた方が、文學の爲にも國家の爲にもならうと思ふのである。(實際は既に作家達は各々斯うした仕事に就いてゐるのであつて、私がそれを知らないだけかも知れない。それだつたら何も言ふことは無い。)斯いふあらい考へ方は餘りに文學を見縊つたやうに見えるだらうか。私自身としては毛頭そんなつもりは無い。却つて文學を高い所に置いてゐるが故に、此の世界に於ける代用品の存在を許したくないだけのことである。食料や衣服と違つて代用品はいらない。出來なければ出來ないで、ほんものの出來る迄待つほかは無いと思ふ。だから、つい斯んなものの言ひ方になるのである。
章魚木たこのきの島で暮してゐた時戰爭と文學とを可笑しい程截然と區別してゐたのは、「自分が何か實際の役に立ちたい願ひ」と、「文學をポスター的實用に供したくない氣持」とが頑固に素朴に對立してゐたからである。章魚木の島から華の都へと出て來ても、此の傾向は容易に改まりさうもない。まだ南洋呆けがさめないのかも知れぬ。
 

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