福岡高等裁判所平11 (う) 第429号

福岡高等裁判所平成11年(う)第429号
平成13年10月10日第二刑事部判決

判決

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無職 久間三千年 昭和13年1月9日生
 上記の者に対する略取誘拐、殺人、死体遺棄被告事件について、平成11年9月29日福岡地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官中野寛司出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

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本件控訴を棄却する。

理由

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 本件控訴の趣意は、主任弁護人岩田務、弁護人徳田靖之、同鈴木宗嚴、同千野博之、同城台哲が連名で提出した控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官中野寛司が提出した答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。
 論旨は、要するに、原審において取り調べられた証拠中には、被告人と本件犯行とを直接結びつける証拠はなく、個々の情況証拠の認定にも疑問がある上、これらを総合評価しても、被告人が犯人であることにつき合理的な疑いを容れない程度の証明がなく、被告人は無罪であるのに、被告人を犯人と認定した原判決には証拠の評価を誤り、事実を誤認したものであるから、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。
 そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも加えて検討する。
 原判決の認定した犯罪事実は、原判決の掲げる関係各証拠により優に認定することができ、所論の指摘する点につき原審記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討しても、その認定に誤りはないと認められる。ただし、犯行時刻につき、原判示第一の拐取時刻は午前8時30分過ぎころと認定するのが相当であり(原判決も補足説明において検討しているところによればそのように理解される。)、第二、第三の各殺害の時刻はその後午前9時30分前後ころまでの間と認定するのが相当である(A田の食事終了時間や、消化状況から厳密な時間を認定するのは相当でないと考えられることによる。)が、これらの点はもとより判決に影響を及ぼすものではない。

第1 原判決の認定した情況事実

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 原判決の認定している主要な情況証拠はおおむね次のとおりである。
1 まず、原判決の補足説明一で認定した外形的事実が認められる。すなわち、被害者両名は、平成4年2月20日午前8時30分過ぎころから行方不明になり、そのころ犯人により拐取され、朝食後1ないし2時間後に扼頸により窒息死させられ、その後、甘木市と嘉穂郡嘉穂町とを結ぶ国道322号線、通称八丁峠第5カーブ付近に遺棄されたことが認められるが、原判示の被害者両名の死亡時刻がいずれも同じころであることは、死体解剖の結果、特に胃内容物の消化の程度及び死斑、硬直の状態から、これを認定することができる。
2 森林組合に勤務するT田は、同日午前11時過ぎころ、後に被害者両名の遺留品であるランドセル、着衣等が発見された斜面の上の路上で、停車していた不審な車両とその脇にいた頭部のはげた男を目撃したが、T田が目撃した車両は、紺色のワンボックスカーであり、同人の証言に当時の他の車両の製造販売状況に関する関係証拠を併せると、それは、マツダボンゴ車である可能性が高い。
3 被害者両名は、午前8時30分ころ登校途中の通学路上の原判示E村方前三叉路で最後に目撃された後、行方不明になっているが、そのころの午前8時30分過ぎに、原判示E村方前三叉路を北から南に走行してきた紺色マツダボンゴ車が目撃されている。 
4 被害者両名の着衣に付着していた繊維の分析の結果、その繊維は本件犯行当時被告人が使用していた車両と製造時期を同じくする、すなわち昭和57年ころから約1年半の間に製造されたマツダウェストコースト(マツダボンゴ車の最上級車)の座席シートの繊維と一致する蓋然性が極めて高い(なお、以下では、被告人車の座席シートの織布に用いられていたものと同様の織布を用いたマツダウェストコースト車について、単に「マツダウェストコースト」と略記する。)。
5 被害者は両名とも、扼頸により殺害された後、まずB山が、その後にA田が膣内に手指を挿入されていて、その手指を介して犯人の血液が膣内及び膣周辺部に付着している(犯人の血液が発見されるのは、この種の犯行としては特異な事情といえる。)が、そのことから、犯人は本件当時出血していたことが認められ、その血液型はB型、DNA型はMCT118型で16-26型である。なお、B山の血液型はA型、DNA型はMCT118型で18 - 25型、A田のそれはO型、23 - 27型である。
6 本件は、被害者両名が近隣の者らに気付かれずに拐取されているところから、被害者両名が犯人車両に抵抗することなく乗車したものと推認できるのであって、被害者両名から怪しまれない顔見知りの者の犯行である疑いが高いといえるし、犯人は犯行現場付近についての土地勘がある者と推定される。
 原判決は、以上のほか、以下の情況事実を認定しているが、これらは被告人を犯人と推認させるものに該当する。
7 被告人は、マツダウェストコーストを所有し、拐取現場の近隣に居住する者である。
8 被告人は、前記マツダウェストコーストを妻の勤務先への送迎に使用しており、通常の経路としては前記E村方前三叉路を通過する経路を採っていたが、当日朝も妻を送り帰路自宅に戻る途中の午前8時30分ころ、同所を通っていた蓋然性が高い。そして、そのころ、その現場付近で同種車両であるマツダボンゴ車が目撃されている。
9 被告人の血液型はB型で、DNA型のMCT118型が16v-v26型であり犯人のそれと符合している。
10 そして、被告人所有の車両が買い換えのため下取りに出された同年9月に押収されたが、その車内後部座席から、尿痕及び血痕が発見され、その原因は本件以前に付着していたものとは認められず、しかも、その血痕の一部の血液型がO型、DNA型のうちのGc型がC型と判明し、A田のそれと符合していて、扼頸による窒息死の際の失禁(被害者両名のパンツとスカートに相当量の尿が付着している。)及びA田の鼻血の出血によるものとすれば、血痕、尿痕を矛盾なく説明できる。特に血痕が水洗いされるなどして薄められ座席内部にしみ込んだ状況が認められることについても矛盾なく説明が可能である。
11 被告人車はT田及びX田らの目撃した車両の仕様、特徴等と種々の点で符合し、特に異なる点は見当たらない。被害者両名の着衣付着繊維と被告人車の座席の繊維とを対比しても汚れなどを示す元素などを含めて特に矛盾点はなく、よく符合する。
12 犯人の前頭部にははげたところがあった、と述べるT田の供述の信用性も高いが、被告人は当時円形脱毛症に罹患していたことが認められる。
13 被告人は本件当時亀頭包皮炎に罹患していて、被告人が犯人だとすれば、犯人の血液が被害者両名から発見されているという特異な事実の説明が容易に可能になる状況がある。
14 本件は、被害者両名が気付かれずに拐取されているところから、顔見知りの者の犯行である疑いが高いといえるし、犯人は犯行現場付近についての土地勘がある者と認められるが、被告人は、このような条件をも充たしている。
15 しかも、被告人には、アリバイが成立しない。

 原判決は、おおむね以上のような情況事実を認定した上、これらを総合することにより被告人が本件犯行の犯人であると認めるに十分であると認定しているところ、原判決挙示の関係各証拠を総合すれば、その情況事実の認定及びそれに基づく各犯罪事実の認定は、正当として是認することができ、記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討しても、原判決の認定、判断に誤りがあることはうかがわれない。
1 原判決の主要な情況事実の推論過程について説示するところについても異論を差し挟むべき点は特にない。ただ、本件犯行に使用された車両については、前記一1ないし3の事情からマツダボンゴ車である蓋然性が極めて高いのに加え、前記一4の繊維鑑定の結果がマツダウェストコーストの座席の繊維とほぼ一致すると認められる事情を併せると、マツダウェストコーストと認定するに十分というべきである。後記のとおり、繊維鑑定は、犯行使用車両の車種を特定するのに極めて重要な意味を有するものであって、これと殺害後約1時間半ないし2時間程度経過した時点における遺留品発見現場での車両の目撃状況などを併せると、そのように認定するに十分である。
2 被告人は、上記のとおり、マツダウェストコーストを所有する近隣の居住者である上、職に就いておらず、消防署に勤務する妻の送り迎えの通常の経路として犯行時間帯に被害者の通学路である本件拐取現場付近を通行しており、被告人車とよく似たマツダボンゴ車が、上記3のとおり目撃されており、被告人のアリバイも否定されている。したがって、被告人は、被害者が拐取されたころ、拐取現場付近をマツダウェストコーストで走行していた蓋然性が高く、被告人には犯罪事実に対する近接性が強く認められる。加えて、被害者から検出された犯人の血液型と、DNA型のうちのMCT118型が一致しているという重要な情況事実があり、被告人には出血の原因も存在していたことから、犯人の血液が被害者から発見されたことが説明できる情況がある。更に、被告人車から発見された血痕は、被害者の1人であるA田の血液型及び分解の進んでいたDNAからようやく抽出できたDNA型(Gc型)と符合し、A田が鼻血を出していたこと(死体や着衣の状態から明らかである。)とも符合する上、尿痕も発見されていて、これらは、車内における扼頸による窒息死に伴う失禁の事実を裏付けるものということができ、車内での殺害を裏付けるとともに、被告人車が犯行に使用され、その犯人が被告人であることを強く推認させる重要な情況事実である。被告人には、犯人像として考えられるところと矛盾する点はなく、他に犯人性を否定する方向に働く特段の証拠は見出せないというべきである。
3 以上のような諸般の情況事実を総合して、原判決は、被告人を本件犯行の犯人と認定するに十分であって、そのように認定するにつき合理的な疑いはないとしているが、その認定、判断は正当というべきである(なお、後記のとおり、拐取の犯行時刻は、同種車両の目撃状況から午前8時30分過ぎころと、殺害の時刻は、それぞれの食事終了の時間からすると午前9時30分ころまでの間と認定するのが相当であるが、もとよりその点の差異は判決に影響を及ぼすものとはいえない。)。

第2 主要な争点に関する所論について

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 以下、主要な争点に関する所論にかんがみ、説明を補足し、その中で、当審の見解をも付加、補足し、被告人が犯人と認められる情況を更に明らかにすることとする。

一 犯罪の外形的事実及び死後経過時間について

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 原判決が補足説明一で事案の概要として認定しているところは関係証拠に照らしおおむね正当として是認することができる。
 これを要約すると、次のとおりである。被害者A田A子及び同B山B子は本件当日である平成4年2月20日当時いずれも7歳で潤野小学校1年生であったが、A田は同日午前7時40分ころ出かけ、同級生のK山K子とともにB山を呼びに行き、3人で定められた通学路を通って登校し始めたが、ぐずぐずしていて遅れているのを数人の者に目撃され、同日午前8時30分ころ、原判示のE村方前の三叉路付近を行きつ戻りつしているのを農協職員D山D子により目撃されたのを最後に消息を絶った。翌日午後0時10分ころになって、拐取現場から28ないし36キロメートル(車で約35ないし約53分ほど)離れた、甘木市と嘉穂町とを通称八丁峠を超えて結ぶ国道322号線の甘木市野鳥側に位置する第5カーブ付近の斜面下に遺棄されているのを通行人が発見し、警察に通報した結果被害者両名の死体であることが判明した。死体解剖の結果、死因はいずれも扼頸による窒息死であり、A田は鼻血を出し、両名のパンツには相当多量の尿が付着し、処女膜に裂傷が、膣前壁に出血があり、血液が周囲に付着していること、B山は、会陰部に小裂創があり、処女膜と膣前壁部が損傷していて、周囲に血液が付着していること、死斑の出現状態は被害者両名とも同様であり、解剖開始時の午後10時ないし10時30分現在で死後おおむね1日ないし1日半程度が経過していることが判明した。翌22日になって遺棄現場より八丁峠の方に約3キロメートル上った第17カーブ付近の道路下斜面に被害者両名のランドセルなどの所持品及び下着、靴下のほかA田のキュロットスカートが捨てられているのが発見された。両名の胃内容物は朝食の際に摂取した物が残留しているとして特に矛盾がなく、鑑定の結果をも踏まえて、A田につき食後おおむね1、2時間後に殺害されたものと認められ、B山についても、その胃内容物の消化状況及び死斑や死後硬直の状態などでA田と差異がないことなどから、A田とほぼ同時刻に殺害されたものと認められる。
 所論は、A田が殺害されたのは、胃内に野菜片が含まれていることから、朝食後更に野菜片を含む食物を摂取した後に殺害されたと認めるべきであるから、殺害時刻はかなり遅くなるはずであり、その内容物は、朝食のそれであるとともに、行方不明となった後に摂取された野菜片を含んだ食物が加わったものと考えられるとする趣旨の主張をする。しかし、原判示のとおり、関係証拠によれば、野菜片は前夜食べた焼きそばに含まれる物が消化されないで残ったものとして矛盾がないこと、せき止めのシロップと思われるものが検出されていること、後に野菜片が含まれる食物を摂取しているとすれば、朝食べた物は消化が更に進んでいなければならず、結局後に食べた物が残存していることになるのであって、所論のいうような朝食の消化状態(摂取後1、2時間後)とは異なる状態にならざるを得なくなることからすれば、所論のようにいえないことが明らかである。
 次に、所論は、B山の胃内容からは、死亡時期を明らかにすることはできず、また、A田が先に殺害され、相当後にB山が殺害されたとしても不自然ではないから、B山の死亡時間に関する原判決の認定も誤りであると主張する。しかし、B山が朝食に摂取したイチゴとミルク入りカステラロールの消化状況、とりわけカステラ部分の消化が早く進むこと、胆汁が胆のう内に滞留している状態にあったこと(胃を通過した食物が十二指腸に至ると胆汁が排出されることから、胆汁が胆のう内に滞留していることは、食物がいまだ胃内にとどまっていたことを示していることになり、食事後それほど経過していないことになる。)からすれば、その状況が食事後1、2時間として矛盾がないばかりか、死斑の発生状況や死後硬直状況などがA田と変わりないものと認められること、両名がパンツを着用したまま失禁している状態から、先に殺害行為がされ、その後にいたずらがされていて、いたずらの順序は原判示のとおり先にB山に、後にA田にされていること(被害者両名の膣内部及び膣周辺部の血液反応等から明らかである。この点は後に触れる。)からしても、ほぼ同じ時間ころに殺害されたことを認定するに十分である。そして、A田の食事を終える時間や胃内容物の消化状況などを総合すると、被害者両名の殺害は誘拐されてから午前9時30分前後ころまでの間に行われたものと認めるのが相当である。

二 T田証言の信用性について

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 T田の証言要旨は、原判示のとおりであり、同証言の重要性にかんがみ当審においても弁護人の請求により再度尋問をしたが、その内容に特に異なる点は認められず、原審において供述経過の証拠として取り調べられている供述調書に照らしても、その内容に実質的な変遷はないことが認められる。その証言内容はおおむね次のとおりである。
 すなわち、T田は、甘木市森林組合の職員として甘木市内の同事務所に勤務し、本件当日である2月20日は、国道322号線の八丁峠の手前を東に入った大休の山林の状況の検査、写真撮影に赴き、その仕事を終えて午前11時ころ出発し、カーブの多い山道の上記国道に出てしばらく進んだところの左カーブ(第17カーブより約50メートル下方)の向かって右側の路肩に、一台の車が停止しているのを前方約60メートルの地点に発見した。厳冬期であり車の通行が稀である上に、通常はそのような場所に停止する車両はないことから、不審に思ってその車両を見ると、紺色のワンボックスカーであり、後輪が小さくダブルタイヤになっていて、古い型のものであり、車輪のところに黒ずんだ輪のようなものが見えた。助手席の傍らに男が立っていて、カッターシャツにチョッキの軽装であり、目が合うのを避けるようにし、つまずいて前のめりに手をつくような状態になったが、その際前頭部付近がはげたようになっているのが見えた。今ごろ何だろうと思いながら通過し、振り返ると、リアウィンドーやサイドウィンドーは暗く、中が見えない状態であったから後部の窓にはフィルムが張られているように見えた。つんのめった男は、車の左側後部座席付近に道路に背を向けるようにして立っていた。不審に思いながら事務所に戻ったが、戻る途中、山道では他の車両に遭わなかった。翌日夕方、事務所で勤務中に、2人の女児の死体が八丁峠に通ずる国道の下の方で発見されたとの報道を聞いて、昨日のことを思い出し、紺色のワンボックスカーやその傍らの男のことを同僚のJに話したが、その際は死体の発見場所が違っていることから事件とは関係ないものということになり、翌日にも再び話題になったが、やはり関係がないだろうということになり警察等に知らせることなくそのままにしていた。3月2日になって、警察官の聞き込みを受けその話をしたところ、その場所に案内するように言われ、3月4日警察官とともに車でその場所に行った。最初にこの場所ではないかと分かったが、間違えているかもしれないので、2、3回行きつ戻りつし、雑木林の様子やカーブ、ガードレールの状態、手前の右側には小高い場所があったことなどからその場所に間違いないものと判断し、その場所を指示した。その指示をするまでに、ランドセルなどの遺留品発見現場がその場所であることは警察官らからも一切聞かされておらず、その指示をした後になって初めてそのことを聞いた。おおむね以上のとおりである。
 そうすると、T田が、本件当日の2月20日午前11時10分ころ、原判示の場所で、紺色ワンボックスカーで後輪がダブルタイヤで、窓にフィルムが貼ってあり中が見えないようになっている古い型の車両が駐車しており、かつ、頭部にはげた部位があり冬季にしては軽装の男がその傍らにいたのを見かけたことは、間違いないものと認められる。しかも、T田は、その後押収された車両を空港の警察航空隊で実際に見ているが、同一の型であることを確認していて、実際に見た物と押収されている被告人車との間に違いのないことを供述しているが、この点についての信用性に疑いを抱かせるような状況も見出せない。
 所論は、T田証言は瞬時の目撃証言としては詳細に過ぎ、その内容には、体験していない情報に基づく部分が相当多く含まれているとしてその信用性を争うが、当審における同証人の再尋問を含む事実取調べの結果を検討しても、原判決が同証言にその認める限度で信用性を認めていることに少なくとも誤りがあるとは考えられない。すなわち、(1)同証人は、森林組合に勤務し、目撃現場付近の山中については、季節を問わず仕事で通行していて、詳細な知識、経験を有している者であるが、本件犯行時の冬季に遺留品発見現場付近の八丁峠に向かう国道を通行する車両は珍しく、しかも、その通行の安全に支障となるようなカーブ付近に停車していた車両に不審の念を抱き、運転しながらも強い関心と注意をもって車の状態を目撃したこと、(2)日ごろから雑誌等で車の仕様についても関心を抱いていて大まかな知識を得ていたため、車種や形状、仕様などについての観察も詳細となり、これを記憶にとどめることができたこと、 (3)そばに立っていた者がつんのめるように手をついて倒れ、目が合うのを避けるようにしていたので不審の念を更に強めていることから、その状況を記憶にとどめやすい状況が生じていること、(4)翌日夕方、死体発見をラジオ報道で知り、同僚のJらにその際の様子を話したが、不審車両を目撃したのは死体発見現場より上方であったことから、関係はないだろうということになり、その翌日に再び話題になった際も同様であったが、それにより当時の状況を思い返し記憶を新たにしていることなどの事情が認められるのであって、これらの事情に照らすと、証言に現れた程度の内容を観察し記憶にとどめ続けることは十分可能であると認められる。年齢、着衣の色、背の高さなど比較的一般的な事項についての記憶には正確性が欠けることが考えられるが、通常とは異なる特殊な事象については、そのようにいえないこともよく経験するところである。また、累次の供述にもかかわらず、その内容は当初から基本的に変わらないこと、被告人を目撃したかどうかについては面通しを受けても同一性を識別できない旨供述し、目撃した人物の年齢を若く供述するなど、被告人が犯人であるとすれば異なることになるような内容を含めて供述していることなどからしても、T田が記憶に従い誇張もなく供述していることに疑いを差し挟む余地はないと認められる。特に、目撃した車両の車種や形状、色、紺色のダブルタイヤのワンボックスカーという基本的な要素については、証人の車に対する日ごろからのある程度の関心や知識経験からして間違えようのないところと考えられ、その時点では、本件の犯行に使用された車両がいかなるものかは捜査機関自体においても全く把握していなかったと認められるのであって、捜査機関は、T田のそのような供述により、初めて犯行車両がT田の目撃したものである疑いを強め、それにより犯人車両につき紺色のマツダボンゴ車である可能性があるとして絞りをかけることが可能になったものというべきであり(なお、当時の新聞には犯人車は白色の乗用車ではないかとする記事が掲載されている。)、K1警察官がT田の聞き込みに赴いた経緯として供述するところも自然に理解できるものである。捜査機関が犯人の可能性のある人物の一人として被告人を把握していたとしても、この段階では、T田に何らかの示唆、暗示を与え、その供述内容を左右してまで、犯人像を被告人と一致させる必要があったとの事情はうかがわれない。原判決は、この点につき抑制的かつ慎重に判断を示しているのであって、その結論は、大筋において是認することができる。
 以上の認定、判断は、当審において取り調べたT田証人の再尋問の結果や、目撃実験の結果を記載した鑑定書(嚴島鑑定)及びその作成者である当審証人嚴島行雄の証言を検討しても左右されない。なお、嚴島鑑定は、厳冬期とは異なり車の往来の激しい4月の桜開花時に行われており、停車車両に不審を抱かせるような厳冬期の目撃状況とはそもそも全く条件が異なること、目撃された車両がダブルタイヤを装着した車両で前輪と後輪の大きさが異なるとされているにもかかわらず、通常の車輪の奥にもう1個の同じ大きさの車輪を重ね合わせるなどしていてタイヤの違いに気付くことが困難な状態で実験をしていることなどからすれば、その結果は到底採用できないものといわなければならない。特に、実験時には対向してきてすれ違う通行車両が平均して約30秒に1台の割合で存在したことが認められる以上、対向車との安全に注意を向けることが必要になり、途中で停車している車両についての注意、関心が弱まるばかりか、他の車両についての類似記憶が入り込むことになって、道路脇にたまたま停止している車両の細部についての記憶を保持しにくくなることなどを考えると、観察及び記憶の条件、状況は、T田のそれとは明らかに異なるものといわざるを得ない。
 目撃時間及び目撃場所の正確性について見るに、目撃時間については、当日の森林組合の業務の過程で目撃しており、業務日誌のグリーンダイヤリーの裏付けもあること、場所については、約12日後に警察官とともに現地を走行し、行ったり来たりしながら場所の特定をしており、その間に警察官から示唆を受けたりした形跡はないこと、森林組合職員として山道や山道での運転に慣れており、その場所的な判断には通常人よりも高い信用性を認めることができるといえることなどに照らし、正確性を認めることができる。その場所は、まさにランドセルなどの遺留品が発見された斜面の上の道路であって、本件犯行とそれに用いられた自動車や犯人の特定に結びつくものといえる。行ったり来たりしながら場所の特定をした経緯については、その証言内容からしても、特定に至る心理過程を十分確認、了解できるものとなっているのであって、所論のいうように信用性に乏しいものとは考えられない。
 所論は、T田証言には警察官の誘導が相当程度入っているのではないかという疑問を呈するが、犯人の年齢等についての供述内容が被告人の実際の年齢等と異なること、面通しでも被告人を犯人と特定できていないこと、K1証言によれば、最初森林組合に聞き込みに行ったK1警察官は、現場付近である大休の作業現場の作業員からT田のことを聞いて、森林組合事務所にT田を訪ねたところ、T田が紺色のボンゴ車と不審な行動をした男を見ていることを初めて知ったことが明らかであること、また、J証言によれば、T田の供述内容は、既に事件の翌日にJらが聞いていたものと同じであることが明らかであることなどの事情にかんがみると、T田の証言のうち少なくとも当初の供述調書に現れている部分が、警察官の誘導により得られたものであることはうかがわれない。頭部にはげた部分があったという点も、手をついて倒れた際に自然に目に入ったもので、特異な出来事として記憶しているものといえるから、信用性を認めることができる。
 そして、前記のとおりの死亡推定時刻に照らすと、犯人は、国道322号線の通称八丁峠第5カーブで、午前11時ころ、被害者両名の死体を見とがめられないように急いで遺棄した後に、被害者らの所持品を捨てているとその間に見とがめられる危険が大きいと考えて、その場から去り峠の方に進んでからランドセルなどの所持品を捨てたが、その際に、かえって運悪くT田に目撃されたという蓋然性が高いというべきである。そして、原判示のとおり、当時製造され使用されていた各種ワンボックスカーの色や仕様に関する証拠に照らせば、T田の目撃した車両がマツダのボンゴ車に限られることが認められ、そのことは車に多少とも関心のある者が調べればすぐ明らかになる程度の事項でもあるから、T田証人が、他社のワンボックスカーとは異なるマツダのボンゴ車であると供述するのも、その趣旨で理解できるというべきである。

三 拐取現場付近の目撃証言(W田証言、X田証言)の信用性について

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 これらの者は、誘拐現場付近でその時刻ころ犯人車に類似した車両を目撃した証人であるところ、両名は、少なくとも、小学校の方向に走り去った車両が紺色系統ないし黒っぽい色のワンボックスカーであること、W田は、さらに、これがダブルタイヤ仕様のものであることや、フィルムが貼ってあって中がよく見えない状態になっていたことを供述している。なお、W田の現認位置からすれば、W田からは車両の窓の状況がよく見えること、犯人車がガードレールの終端よりも先まで進行すれば、同車のダブルタイヤ装着状況も良好に現認できることが認められる。
 W田及びX田が拐取現場付近で目撃した車両に関する供述内容については、十分な信用性が認められるというべきである。確かに、両名は本件被害発生後間もなくの時点で、当日の状況について警察官から尋ねられており、当初は、被害者両名を見かけたかどうかを聞かれて見かけなかった旨答えていたが、数か月後になって、通りかかった車両について聞かれたことから、紺色のボンゴ車が走りすぎるのを見た状況を克明に供述するに至ったものであることは、所論の指摘するとおりである。しかし、見かけた車についての供述時期がそのように遅れたことについては、それなりに了解可能な理由が見出されるのであって、直ちに、所論のいうようにそれが警察官の誘導によるものとの疑いがあるともいえない。殊に、両名は、被害者らが失踪したころ、その近辺に居合わせた者として事情を聞かれており、目撃者自身が疑いの目で見られかねない状況もなかったとはいえず、それだけに、その事件との関係を念頭にその場所における体験を繰り返し想起していることが考えられるから、それが、記憶を保持させる重要な要因となっているといえる。そして、いずれの供述者も、当日の業務の経過の中で生じたこととして、その状況を記憶しているばかりか、特にX田は、目撃したその車両に接触されそうになったという強い心理的緊張、強烈な体験を伴った記憶として、その車両についての具体的な記憶を保持していることが認められる。また、W田は、車のことについての知識が特に豊富であって、車両の特徴などからその車種を識別することには人一倍たけていることが認められ、しかも、X田から、「今、ひかれそうになった。」と訴えられてその車両が疾走していくのを30メートル程度前方に見たというのであるから、大まかな特徴を記憶にとどめているのは決して不自然ではない。ただ、警察官により車について聴取されるまでに相当の期間が経過していたばかりか、その後協力しようとして考えるうちに、細部についてはあいまいな記憶にとどまるのに細部まで明らかになってきたかのような錯覚を生じている疑いがないとはいえず、当審で供述経過を立証する趣旨で取り調べた捜査段階の供述調書に照らしても、カーテンなどの細部についての公判供述にまで高度の信用性を認めることにはちゅうちょせざるを得ないが、その供述態度や供述内容に照らし、少なくとも車種の特定に至る程度の供述内容の限度では信用性を認めるに十分である。 
 しかも、W田が供述する目撃時刻についても、業務の過程における事情をもとに特定している上、交通の妨げとならないようにX田運転車両を移動させる必要があったこととも結びついた記憶として、それぞれの時間の特定がかなり明確にできる状況にあったものと認められるから、正確性が高いというべきであり、また、被害者両名の目撃状況に関するD山を始め農協職員、学校関係者らの供述内容の信用性に疑問はなく、これらを併せると、被害者が午前8時30分かその直後ころ、E村方前三叉路付近でW田らの目撃車両により誘拐された蓋然性が高いというべきである。なお、D山証言の信用性については原判決説示のとおりである。

四 繊維鑑定について

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 被害者両名の着衣に座席シートの繊維が付着しており、それがマツダウェストコーストのそれと符合していることについては、おおむね原判決が詳細に認定しているとおりである。B山は、スカートやトレーナーの新品を当日の朝包装されていた袋から取出して初めて着用していたこと、A田もよく洗濯されたものを着用していること、両名は徒歩で登校中のところを拐取され、その後数時間のうちに殺害、遺棄されていることからして、これらの衣類に付着した繊維には犯人車両の座席シートに由来するものが多いと推定されるところ、関係証拠によれば、付着繊維には、マツダウェストコーストの座席の模様を構成する繊維の色である焦げ茶、黄茶、だいだい、薄黄茶の各色繊維が多数付着していることが認められ、しかも、各色の付着繊維の数もそれぞれの色の座席に占める色の広さの順に存在していることが認められるのであって、これだけでも特異な事実というべきである。のみならず、その付着繊維は、マツダウェストコーストの座席の原糸である東レの製造に係るナイロン6のステープル糸と一致し(つや消し剤として加えられている二酸化チタンの含有量などについても、矛盾のない結果が得られている。)、しかも、この原糸の染色に使用された4種の染料のうち、2種の染料(イソランイェローK-RLS、ラナシンブラックBRL)に関する詳細な含有分析結果が、焦げ茶色と黄茶色の繊維につきおおよその配合比も含めて相互に一致し、黄茶色の繊維については染色等の過程で使用されたものと推定される物質の存在を示すラマンバンド1120カイザー付近の特異点が(原判決は、焦げ茶色のものにもこれが認められるとしているが、この点は正しくない。)が検出されていること、そのうちの1本の付着繊維は、前記B山の新調のスカートから発見されていることなど、付着繊維がマツダウェストコーストの座席シートに符合する結果が出ていることが認められ、これらの点については原判決が詳細に認定しているとおりである。そして、座席シートについては、自動車メーカーで独自にデザインし、これに基づき織布を作る会社(本件では住江株式会社)が染色会社(本件では茶久染色株式会社)に染色の注文を出し、その色の調整は染色会社が独自の方法でその都度、染料の選択、配合比、添加物などを決めて行うもので、これらの点については性質上個別性、独自性が高いものであること、そもそも、座席のデザイン色調などはその都度車種ごとに検討し、配合比率などを適宜、独自に定めているのであって、それぞれの染料の選択、配合比等には個性が顕著に認められることを考慮に入れると、マツダウェストコーストの座席シートの繊維と着衣付着の繊維とは極めて類似しほぼ一致するものと認めることができる。原判決が、他のメーカーが製造した自動車や被告人車とは製造時期を異にし、異なる織布を座席シートに用いたマツダウェストコースト車の中に、その座席シートの原糸材質が東レのナイロン6であり、イソランイェローK-RLS、ラナシンブラックBRLという特定の染料が同じ配合比で使用されている可能性はほとんどないとはいえても全くないとまで認定することのできる証拠は存せず、それだけでは付着繊維がマツダスウェストコーストに由来するものとは断定できない旨を判示しているのも、その趣旨のものにほかならない。しかし、付着繊維に関する鑑定等の結果は、T田、W田、X田の各目撃供述を補強するものであり、目撃された車両がマツダボンゴ車と認められることと併せると、本件の犯人車がマツダボンゴ車以外の車種であるとの現実的な可能性は認め難く、しかも、座席シートやこれに用いられている繊維の特徴からすると、犯人車はマツダボンゴ車の中でも最も上のグレードであるウエストコースト車に属するものであり、関係証拠を総合すると昭和57年から約1年半の間に製造されたものと認めるに十分である。以上と異なる所論は関係証拠に照らし採用できない。
 以上の事実のほか、関係証拠により認められる原判決の補足説明「一 事案の概要」の項に掲げる事実を総合すれば、犯人が、原判示の犯罪事実のとおり被害者両名を誘拐し、殺害しその死体を遺棄した事実を優に認定することができる。以下、犯人が被告人であるとする原判決の認定の当否について検討する。

五 被告人の車両保有事実並びに当日の行動及びアリバイについて

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 被告人は、マツダボンゴ車の最上級車であるマツダウェストコーストを保有していたところ、犯行現場の近辺ないし飯塚市内及びその付近でこれを保有する者は十数台と極めて限られていることが関係証拠により明らかである。したがって、被告人は、その保有者の1人として犯人としての嫌疑が及ぶことは避けられない(なお、当日運行に供されていたと認められるマツダウェストコーストの保有者ないし判明している運転者の血液型、DNA型(MCT118型)で、犯人のそれと一致する者は被告人のみと認められるところ、この点は、もとより被告人が犯人であることを認めるべき証拠とはならないが、被告人の犯人性を高める方向には働くものということができる。)。
 のみならず、被告人は、本件当時、毎朝出勤する妻を勤務先の消防署まで送り届けて帰宅することを続けていたが、被告人及びその妻の供述によると、そのコースはほとんど本件拐取現場付近のE村方前三叉路を経由するものであったことが認められる。その時間についても、通常午前8時過ぎころ自宅を出て、午前8時15分ころ消防署に到着し、すぐ折り返して午前8時30分ころ帰宅するというものであり、通常は復路E村方前の三叉路を通過する時刻がおおむね午前8時28分ころであったことが関係証拠により認められる。したがって、本件当日被告人がその経路を通っているとすれば、その時刻ころ犯行現場付近を通過することになるものと認められる。犯行時刻は午前8時30分かその直後であると認められるから、被告人が犯人とすればいつもよりやや遅れて通過することになるが、同種同型の車がその前に通過したことをうかがわせる状況はD山、W田らの供述を検討する限り見出せないし、被告人が現場付近を通常通過する時刻に通過していたとすれば、被害児童2名を見かけているはずであると考えられる。他方、犯人であるとすれば、遅刻する被害児童の姿を見てしばらくためらうなどしていたことも考えられるから、多少の遅れはむしろ自然に理解することができる。
 ところで、被告人は、当日の朝の行動について、妻を送り届けた後は、そのまま母親の家に行っており、引き続きパチンコ店でパチンコをしていたのであって、犯行時間帯に現場付近を通行した事実はなく、もとより被害児童の姿も見ていないとして、アリバイの主張をしている。
 しかし、関係証拠によると、本件については、被告人は、遅くとも翌日の朝には、町内放送で捜索への参加を呼びかける知らせを聞き、知っていたのであり、また、現場付近では当然ながら同じ時間帯に検問等の態勢がとられるなど本件発生に伴った動きが生じていたものと認められ、遅くとも、翌日には、まさに被告人の通行する場所でその通行する時間帯に誘拐事件が発生していることを知ったことが認められるから、前日の自分の行動がどうであったか否応なく思い返さざるを得ない心理状態にあったものと認めざるを得ない。仮に、その時点で本件発生の詳細な状況までは知らなかったとしても、数日後警察官からの聞き込みを受けた時点では、本件の内容を詳しく知ったことが明らかであるから、この点は同様に解される。また、被告人の居住区域では以前にも女児の行方不明事件(昭和63年12月愛子ちゃん事件)が発生し、被告人は町内会長としてその捜査に協力しているが、最後の目撃者として自分自身も強く疑われかねない事情もあったことがうかがわれるから、被告人としては、本件の発生に無頓着でいられるはずはなく、本件の発生状況を知った際、直ちに犯行時刻ころの自分の行動につき確かめ、その主張するようなアリバイに当たる事実があれば、これで自分は疑われなくて済む、という安堵を伴う強烈な印象をもってその事実を再確認し、脳裏に焼き付けることになったはずであり、当日朝現場付近を通行していたならば、その際の状況、経路等につき想起してその後の行動を含めて明確かつ事細かに記憶にとどめたはずであって、その後も折に触れ反すうし、詳細な記憶となるというのが、被告人の心理状態に合致するものといえる。
 これに対し、被告人は、その後いろいろと思い返しているうちに、母親の自宅に米を持って行っており、アリバイがあることに気付いた、と供述しているのであるから、その想起の過程について供述するところは不自然というほかはないものである。妻を勤務先に送り届けた後、母親宅に米を届けるまでの間に一旦帰宅したのか否かという点に関し、供述に変遷も見られるし、被告人は、捜査段階において、当初は、事件の前日に米を購入した事実を根拠にその翌日である事件当日には母親のもとに米を届けた旨のアリバイを主張していたことがうかがわれるが、事件前日には米を購入した事実が認められないことを指摘されて、これを撤回し、毎月このころ米を届けており、妻子を通院先に送り届けた日などを根拠にして判断した結果、事件当日に母親のもとに米を届けていることに変わりはない旨アリバイ主張の根拠を変更しているのも不自然である。以上によれば、アリバイの主張は信用できないものといわざるを得ない。したがって、被告人は当日の行動につき十分な記憶を有しているにもかかわらず、信用できないアリバイ主張をしていることになる。
 そうすると、被告人は本件当日も通常の経路で本件誘拐現場付近を通行していた蓋然性が極めて高く、したがって、X田及びW田に目撃されたマツダボンゴ車は、被告人車である蓋然性が極めて高いというべきである。

六 被害者から発見された犯人の血液成分に関する鑑定について(石山鑑定を含む)

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1 B山の膣から流出し木の枝に付着したと認められる血痕、B山の膣周辺付着物及び膣内容物、A田の膣周辺付着物及び膣内容物の検査、鑑定結果によれば、A田、B山由来の血液型、DNA型以外の犯人に由来するものと考えられる血液型はB型であり、DNA型はMCT118型につき16-26型(123塩基ラダーマーカーによる判定)であり、被告人のそれと同型であることが認められる。
2 まず、血液型についての科警研の検査結果が正当であることについては、疑問の余地がない。所論は、犯人はAB型の可能性があるというが、クロロホルムメタノール法により血液成分のみをほぼ純粋に取り出して行った検査結果では、B山膣周辺付着物及びB山膣内容物についての検査結果から明らかなように、B山の血液型であるA型より被害者に由来しない血液型成分であるB型の方が強く出ていることが認められ、A田の膣周辺付着物、A田の膣内容物についての検査結果から、A田の血液型であるO型と被害者に由来しないB型が同程度出ているのに、B山の血液型であるA型がわずかしか出ていないことが認められる。しかし、犯人の血液型がAB型であったとすれば、A型とB型の反応が同程度に出るはずであり、上記いずれの検査結果とも合致しない。したがって、被害者らに由来しない血液型、すなわち、犯人のものと思料される血液型はB型であることが明らかである。
3 次に、MCT118型のDNA鑑定結果が一定の条件の下で証拠能力を有することについては最高裁判所の判例(平成12年7月17日第二小法廷決定・刑集54巻6号550頁)のとおりであり、本件で問題となっている他のDNA型識別方法についても同様に解されるところ、本件の各鑑定結果については、いずれもその要件を充たしているものと認められる。
 まず、犯人のDNA型のうち、MCT118型については、科警研による検査結果が123塩基ラダーマーカーを用いた当時の基準により16-26型と判別していることの信用性は十分であり、その理由は原判決が判示しているとおりである。すなわち、123塩基ラダーマーカーを用いて判別された16-26型は、アレリックラダーマーカーを用いた場合では、18-30型に対応するとされているが、18-29型、18-31型に対応する場合もあり得るとされているようであり、当時の方法によれば、それが16-26型として表示されることになる原因も一応明らかにされている(分子量に従った泳動がゲルの性質等によりある程度阻害される(遅くなる)ことによる現象として理解されている。)。したがって、当時の方法ではアレリックラダーマーカーによれば更に細分化されて型判別されるものを近似的にまとめて表示している可能性も否定できないが、仮にそうであったとしても、絞り込みの際の識別方法としては十分意味のあるものであって、この点については疑問の余地はない。したがって、123塩基ラダーマーカーを用いて判別したその型が16-26型であることは犯人特定の情況証拠として重要な意味を持つことに変わりはない。
4 所論は、本件で採用された科警研の123塩基ラダーマーカーによるMCT118型検査法による型判定は、MCT118型検査の原理である塩基列の繰り返しを正確に反映しないものであって、単に移動度という現象を示すものであり、原理的な裏付けのないいわば幻の型を型として判定しているにすぎず、隣の型との識別も正しく行われないものとなっているという趣旨に解される主張をしている。確かに、123塩基ラダーマーカーを使用しポリアクリルアミドゲル中を泳動させた場合には、塩基列の実際の繰り返し数よりも少ない数値しか得られないことが判明しているのであって、その繰り返し回数を正確に示すアレリックラダーマーカーによる方が検査方法として優れていることは所論の指摘するとおりと認められる。しかし、塩基列の繰り返し数が同じであれば、同一条件の下でほぼ同一の泳動状態を現出するということが判明しており、123塩基ラダーマーカーを用いた科警研の型判定はそれを識別の基準としていること、そして、その識別により同一性の判断が可能であること、現象を見ているにすぎない以上一つ違いのものとの識別に困難を生ずる場合があることは否定できないが、識別が明確にできているものについては、その現象自体が、ある特定の塩基列の繰り返し回数に正確に対応しているといえるのであって、識別方法としての意味が十分にあるものということができる。原理どおりの繰り返し回数がなぜ正確に反映されず、少なく出るかについても前述のように一応の原因が挙げられているが、その解明が十分とはいえないからといって、検査結果の正確性が減少する場合があるとはいえ、識別方法として科学的な根拠を欠くということになるものではないし、それが一致することをもって確率的な絞り込みの資料とすることを妨げるものではない。留意すべきは、それをもって塩基列の繰り返し回数を忠実に反映したものと考えないことであり、本件でいえば、123塩基ラダーマーカーを用いて判別された16-26型は、アレリックラダーマーカーを用いた場合には、18-30型ばかりではなく、18-29型、18-31型に判別される可能性もある(なお、123塩基ラダーマーカーを用いて判別された16型がアレリックラダーマーカーを用いて判別された18型のみに対応することは本件で提出されている文献等からも明らかである。)ことを念頭に置き、出現率を考える必要があるということがいえるにすぎない。その証明力は、将来はともかく現状では、123塩基ラダーマーカーによる判定もアレリックラダーマーカーによる判定も(アレリックラダーマーカーを用いて同じ型と判定されたものでも、塩基組成には違いの見られる場合がある。)、あくまでも類型的なDNAの型判定にすぎず、科学の進歩により将来は更に細分化され、指紋に近い精度になることも考えられるが、現時点では到底そのような高い精度のものではなく、同一とされていても詳しく見ていけば別のものであるという場合もあり得ることは当然であり、したがって、血液型判定と原理的には変わらないシステムであることは改めていうまでもない。しかしながら、そのような前提のもとで検討しても、被害者両名及び遺棄現場の木の枝付着資料から発見された血痕等に含まれ、123塩基ラダーマーカーを用いて16型と判別されるDNAの塩基数の現象上の計測値(デンシトグラムによる。)は398.2から401.1の範囲に入っており、同じく26型とされるものの計測値は561.6から565.7の範囲に入っているのに対し、被告人のそれの現象上の計測値は、16型とされるものについては399.2と400.0、26型とされるものについては563.7と564.9であり、資料(犯人)の数値と被告人の数値との差は最大でも3.3にとどまる(なお、資料の16型の平均値は399.7、26型の平均値は564.0であり、被告人のそれは399.6と564.3であるから、平均値ではほとんど変わらず、その差は0.3以内にすぎない。)ところ、繰り返し回数が1回異なれば原理上はプラスマイナス16、現象としてはそれよりやや低いプラスマイナス13ないし15程度の数値の差が生ずることになることから判断すれば、両者のMCT118型についての型(塩基列の繰り返し回数。すなわち、アレリックラダーマーカーを用いた場合に判別される型)が同一であることは、測定誤差を考慮しても明白であるといわなければならない。したがって、アレリックラダーマーカーを使用して型判定を行っていたとしても等しい結果が出ていたと認められる。
 そうしてみると、被告人及び本件資料(犯人)のDNA型(MCT118型)は、同じ型であり、アレリックラダーマーカーを用いて判別した場合には、18-29型か18-30型か18-31型かのいずれかの型に一致するといえる以上、そのどれに当たるかが明確になっていないとしても、塩基列の繰り返し回数を基準とするDNA型としては同一であるということができる。
 なお、123塩基ラダーマーカーを用いた場合の16-26型の出現率は、原審弁13号証によると、0.1572(16型の出現率)×0.1052(26型の出現率)×2=0.033程度で、約30人に1人、これにB型の出現率0.22を乗ずると、約0.0073となり約130人に1人の出現率になる。次に、アレリックラダーマーカーを用いて判別したMCT118型の出現頻度の方が123塩基ラダーマーカーを用いたそれよりも検査資料数が多く、出現頻度としての信頼性が高いと思料されるので、123塩基ラダーマーカーを用いて判別した16-26型について、アレリックラダーマーカーを用いた場合に判別されたであろう型に置き換えて、その出現率の算定を試みることにする。なお、前記のとおり、123塩基ラダーマーカーを用いて判別された16-26型は、アレリックラダーマーカーを用いて判別した場合には、18-29型、18-30型、もしくは18-31型かのいずれかの型を示すから、出現頻度の算出に当たっては、これら3つの型のうち、弁13号証によれば、最も出現頻度の高いと認められる18-30型について検討することで足りる。そうすると、上記18-30型の出現率は、0.1447(18型の出現率)×0.1484(30型の出現率)×2=0.043であり、約23人に1人となり、これに、前記0.22を乗ずると約100人余りに1人となるのであって、123塩基ラダーマーカーを用いて型判別をした場合の出現率とさほど変わりはない数値になる。いずれにしても、被害者から発見された血液成分に関する上記のような鑑定の結果に、犯行に使用された同種の車両を保有する近隣の者という絞り込みと併せると、これだけでも被告人が犯人である蓋然性は極めて高いといわざるを得ない。しかも、近隣の者で、同様に同種車両を保有する者につき、血液型、DNA型を調査したが該当者はなかった、という捜査結果には保有者の家族や偶然の使用者は含まれていないことを考慮しても、その捜査結果による絞り込みも更に加わることは否定できないから、その蓋然性は更に補強されるものといわなければならない。
5 次に、犯人のDNA型のうちHLADQα型についての科警研の鑑定結果(1.3-3型)を採用しなかった原判決の結論も正当である。すなわち、犯人のそれが1.3-3型(被告人のそれもこれと同じである。)である可能性があるとはいえ、(1)HLADQα型の特定には、本件当時においてはMCT118型の検出に必要とされるものよりも相当多くのDNA量が必要とされていたことが認められること、(2)資料中には被害者の血液成分よりも犯人の血液成分の方がより多く含まれていたとしても、血液成分以外については、犯人よりも被害者のものが多量に含まれており、型判別に用いられるDNAの総量としては、犯人のものよりも被害者のものの方が優勢である場合も当然に予想されること(すなわち、血液型検査で強く反応を示すのは赤血球であるが、赤血球は核を持たず、したがってDNAも持たないから、資料中の赤血球数の多少はDNA型の判別に際して得られる反応の強弱に影響せず、血液成分中では白血球細胞の核内にあるDNAのみが型判別に用いられることになる。ところで、本件で鑑定に用いられた血痕などのように、血液成分のみならず、膣液などの体液をも含んでいると思料される混合資料の場合には、その体液に混入している一般細胞等の核内にあるDNAも型判定に用いられることになるのであるから、当該資料中の血液成分については犯人のものの方が被害者のものよりも相対的に多く含まれ、その結果犯人の血液型が被害者の血液型よりも強く検出される場合であっても、DNA総量としては、被害者のものの方が犯人のものよりも多く含まれる場合のあることは十分考えられるのである。)、(3)当時の検査キットでは、1.1型に対する感度よりも1.3型に対する感度の方が鈍く、そのためにA田の膣周辺付着物及び膣内容物からは1.3型の検出ができなかった可能性があること(u証言)などを総合して考察すると、犯人のHLADQα型がB山の膣周辺付着物、膣内容物から検出されているといえるかどうかについては、v証言にもかかわらず、なお、疑問が残るというべきである。ただ、この結果は、犯人の型が1.3-3型としても矛盾しないという意味を有するものと理解するのが相当である。
 所論は、犯人は1.3型を持たない者ではないかという合理的な疑いを否定できないと主張する。確かに、MCT118型では、A田の膣周辺付着物からは犯人とA田のDNA型がほぼ同様の強さで検出されているように見えるが、膣内容物の方からは犯人のそれはやっと検出されるという状態にあることが認められるところからすると、HLADQα型について、A田の膣周辺付着物や膣内容物からは、A田の型である1.1型のみが検出され、被告人の型である1.3型が検出されていないからといって、直ちに被告人が犯人でないとの疑いを生じさせるものとはいえないばかりか、1.3型が検出されないことについては、上記(3)のように、改良前の当時の検査キットでは、1.3型に対する感度が低く、発色しにくかったためにA田の膣周辺付着物からも検出されなかったものと理解することもできるし、他にもいろいろな原因のあり得るところと考えられる。なお、犯人のHLADQα型がA田と同じものではないかとの疑いは、クロロホルムメタノール法による血液型の検査結果からも明らかなように、犯人の血液は、A田のものよりもB山のものの方に多量に含まれているのに、B山のものから1.1型が検出されていないことや、前記のように1.3型の方が1.1型よりもHLADQα型の検査キットの感度が鈍かったとされていることなどからすれば、これを否定することができるというべきである。いずれにしても、HLADQα型が検出できるだけの犯人由来のDNA量が得られなかったために、これが検出ができなかったにすぎないことが考えられるのであって、所論のように犯人が1.3-3型を持たない者であるとの合理的な疑いを抱かせるものとはいえないから、所論は採用できない。 
6 他方、石山鑑定において被告人のDNA型を発見できなかったとする結論が、犯人が被告人ではないとする合理的な疑いを生ずるものかどうかについて検討する。
(1)  まず、HLADQβ型の結果については、B山、A田に由来する者以外の者の型を検出しているものとは認め難く、石山鑑定に用いられた各資料は、科警研の鑑定後の残量であって鑑定に供しうる資料が微量であった上、相対的には被害者のDNAよりも犯人のそれが少ないために、各被害者本人の分(A田から採取されたものからはA田の、B山から採取されたものからはB山の分)のみが検出されている可能性があるものと認められる(HLADQα型についての科警研のA田の膣周辺付着物及び膣内容物の鑑定結果参照。これらのものからはB山のA型血液が検出されているのに、B山に由来する1.3-3型DNAは検出されていない。)。すなわち、犯人の分は、実際には資料中にそれが存在しているにもかかわらず、その量が少なく検出限度以下であるために、HLADQα型の場合と同様に検出不能であったことが十分に考えられるというべきである。なお、A田の膣周辺付着物からは、HLADQβ1座につき、B山及び被告人と同型のもの(0601、3022)が検出されているところ、これは、B山のみのものか、犯人とB山の両名のものが合わさったものかは必ずしも明らかではないというべきであるが、HLADQβ2座では被害者(被採取者)本人自身のもの(A田もB山も同型である。)しか検出されていない合理的な可能性があることと対比すると、β1座で被害者本人自身以外のものが検出されているのは、B山のものと犯人のものが同型であり、これが合わさったために濃度が高くなり泳動のバンドとして可視的なものになった可能性が考えられるから、それが原因ではないかと解される。すなわち、A田の膣周辺付着物及び膣内容物からは、MCT118型では犯人の型が検出されているのに対しB山の型は検出されていないこと、他方、HLADQα型では同じHLADQ座にあるDNA型でありながら犯人の型もB山の型も検出されていないことを対比して考えると、β1座では、前記のように、むしろB山のものと犯人のものが同型であり、これが合わさったために濃度が高くなって可視的になったものと見るのが相当と解される。そうすると、HLADQβ型の検出結果(被告人の型のうちの1.1型の不検出)をもって、被告人が犯人ではないとの合理的な疑いを抱かせるものとはいえないというべきである。
(2)  また、ミトコンドリアDNAの型判定の結果についてみると、石山鑑定によれば、資料中に含まれるミトコンドリアDNAはB山タイプ、A田タイプのもの、すなわち、B山及びA田に由来するものがほとんどであり、被告人タイプのものは検出されているとはいえない、というのである。
 ところで、石山鑑定のミトコンドリアDNAに関する鑑定結果に現れた内容を検討すると、そのミトコンドリアDNA型はほとんどが被害者に由来するものであり、犯人に由来する可能性のあるものがわずかしか発見されていないと見ることができるものである。すなわち、検査の対象とされたもの(鑑定資料中のミトコンドリアDNAを増殖することで得られたクローン化されたDNA部分)のうち相当数のものについてはDNAの塩基配列(4種のアミノ酸A、C、G、Tの配列)が分析解明されているところ、それによると、人のミトコンドリアDNAの塩基配列を解析した多数の事例の集積の中で変異が発見されていない部位(言い換えると、人のミトコンドリアDNA中の当該部位については同一の塩基の存在しかこれまでには確認されておらず、当該部位に存在する塩基の型には個体差が見られない部位)であるにもかかわらず、本件鑑定においては、通常とは異なる塩基の存在が確認されており、変異の生じているものが少なからず発見されているのであって、これは、石山鑑定人も供述しているように、大腸菌を用いたDNA増幅法(いわゆる間接法)による場合には変異が現れやすいとされていることから、本件鑑定でも同様の現象が生じたものと一応推定してよいと考えられる。したがって、人のミトコンドリアDNAであるならば通常は変異が見られないはずの部位に生じた変異については、間接法を用いた増幅の過程で生じた変異であり、鑑定資料に含まれる増幅前のミトコンドリアDNA中には存在しなかった塩基の変異であると推定してよいと考えられるから、これらの変異部分を除外して塩基配列を詳細に検討すると、ほとんどのDNA型(DNAの特定部位がクローン化されたそれ)がB山タイプないしA田タイプのものといえるのであって、この結論は石山証言からも明らかというべきである。
 ただ、MCT118型では犯人由来のDNA型が認められるのに、ミトコンドリアDNAについては、そもそも犯人に由来する可能性のあるDNA型の検出数が少なすぎるとの印象を受けるが、このような差異が生じるのは、細胞に含まれるミトコンドリアの数は細胞の種類によって相当な較差があるからではないかと考えられる。すなわち、DNAの型判定は細胞中に通常は1個しかない核内に存在するDNAを対象としているのに対し、ミトコンドリアDNAの型判定は細胞質中のミトコンドリア内に存在するDNAを対象としているもので、1個の細胞が細胞質内に保有するミトコンドリアの数は、細胞の種類や性質などによって大きく異なっていることから(文献では、多いものでは数千個に達するものもあるとされている。)、鑑定に供される資料中に含まれる細胞の種類やその種類ごとの細胞数に応じて、ミトコンドリアDNAの検出には差異が見られるのであり、例え同一の資料を用いたとしても、MCT118型のように核内に存在するDNAを対象とした型判定とミトコンドリアDNAの型判定との間で、その検出結果に差異を生じて少しも不自然ではないのである。そして、エネルギーを生み出す必要のある細胞、たとえば筋肉細胞などではミトコンドリアが多く存在することが知られていることからすると、膣液に混入している膣の細胞には、血液細胞(白血球の細胞)に比べてミトコンドリアが多く含まれているものと考えられるのであって、これを本件鑑定に当てはめて考察すると、鑑定資料とされた血痕中に含まれるもののうち、被害者に由来する細胞にはミトコンドリアが多く含まれていて、犯人に由来する細胞中のミトコンドリアの数と対比すると、前者が優勢になっていたと考える余地が多分にあり、被害者に由来するB山タイプ及びA田タイプのミトコンドリアDNAを持ったクローンが大多数を占め、犯人由来の可能性のあるミトコンドリアDNAを持ったクローンが極めてわずかしか形成、検出されていないのも首肯できるのであり、特に不自然、不合理とはいえないこととなる。そして、B山の膣周辺付着物からはB山タイプと認めることのできるDNA型しか発見されていないこと、B山の膣内容物からは、1個を除き、B山タイプと認めることのできるDNA型しか発見されていないこと、他方、A田の膣周辺付着物からは、A田タイプと認められるDNA型のほかB山タイプと認められるDNA型が多数発見されていることについても、B山に先にいたずらがされ、次いでA田にいたずらがされたとすれば、その説明が可能になり、よく理解できることになる。関係証拠によれば、B山は仰向けのまま遺棄されており、その体液が遺体の下にあった木の葉や枝にも滴下していることが認められることからすると、重力の作用によってB山の膣内から膣液等が漏れ出し、これが膣周辺に付着していた犯人に由来する付着血液を流し薄めるように作用していることが考えられるのに対し、A田の場合は、仰向けに遺棄されていて、膣周辺部に付着したB山由来のものがそのまま残り、多く発見されるに至ったものと見ることが可能である。
 また、科警研の鑑定により各資料が費消された結果、石山鑑定に用いられたのは、ごく少量の綿をつまみ取ったようなものに、かすかに色がついているという資料であり、混合血痕であるため凝集が起こるなどして必ずしも資料各部で均一に混合していなかったことも考えられるから、科警研における鑑定と石山鑑定とでは、用いられた資料にそもそも違いがあり、石山鑑定の資料には犯人由来のミトコンドリアDNAがわずかにしか混入していなかった可能性も考えられる。
 このように見てくると、犯人由来の可能性のあるミトコンドリアDNAがわずかしか発見されていないことについてはそれなりの説明が可能であり、したがって、被告人タイプのミトコンドリアDNAが特に発見されないからといって、それだけで被告人が犯人ではない合理的な疑いを生ずるものではないと考えられる。のみならず、本件では、被告人のミトコンドリアDNA型(検査の対象となったDNA部分の特異点である番号16223の部位のCがTに、番号16362の部位のTがCになっている。)と1塩基違いのミトコンドリアDNA型がB山の膣内容物から1個発見されているところ、この塩基配列中被告人のものと唯一異なる塩基の部位は、人のミトコンドリアにはこれまで変異が発見されておらず変異が見られないはずの部位(番号16309)であり、これを除いて見れば、被告人タイプのそれと一致することになるので、そのミトコンドリアDNAは被告人に由来するものと見ることも十分可能なものである。すなわち、塩基配列のすべてが一致していない以上被告人のものが発見されたとはいえないとする石山証言は正当であるが、同証言は被告人のものが発見されないともいえないというのであって、塩基配列に唯一違いが認められる部位(番号16309)は、個体間に変異が発見されていないとされている部分であるから、たとえば大腸菌を用いた増幅過程で変異が生じた可能性が十分にあると考えられるのであり、これを除いて考察すると被告人の塩基配列に一致するのであるから、そのDNAは犯人由来のものであり、かつ、犯人が被告人であることを否定するものとはいえないことになることに留意しなければならない。したがって、ミトコンドリアのDNA型の鑑定結果についても、所論のいうように被告人が犯人であることにつき合理的な疑いを抱かせるものとはいえない。
 結局、石山鑑定の結果が被告人が犯人ではない旨の合理的な疑いを抱かせるものであるとする所論は、採用できない。
7 所論は、DNA型の鑑定のような重大な結果を生じかねない性質のものについては、再検査が可能なように資料を残すなり、増幅したPCR資料を残すなりしておく必要があり、そのような措置を講じていない本件では、証拠能力を否定すべきであり、少なくとも信用性を否定すべきである、というのである。確かに、所論のように資料を残すなどして再検査を可能にする方途を講ずることは望ましいが、資料が少なかったり、なかなか結果が出しにくい場合に全部使い切ることがあったとしても、やむを得ない場合のあることは否定できないことである。そして、本件では、科警研の検査で資料をほとんど使っているが、検査の結果がなかなか出にくかったことなどを考慮すれば、残量が少なくなったのもやむを得ないという事情があること、殊更再鑑定を避けるために費消するなどの不適切な事情も見当たらないことからすれば、資料をほとんど使い切ったからといって、その故をもって証拠能力を否定すべきものと解されない。また、鑑定の内容に照らしても、以上のとおり、MCT118型についての信用性を認めることができる。所論は採用できない。

七 被告人車内の血痕及び尿痕について

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 関係証拠によると、被告人車が押収され、その内部から血痕及び尿痕が発見されているところ、その発見経過、状況、結果については原判示のとおりと認められる(原判決補足説明六1)。すなわち、尿痕については押収された直後に発見され、後部座席の左側シートに2か所尿痕が発見され、人尿と確認されたが、血液型は判明しなかった。他方、血痕については、その際後部座席シート左側ドアに接する部分及びその下のフロアマットから発見された分について、血液型がO型であることが判明したが、DNA型の判別をMCT118型及びHLADQα型につき行ったもののDNA型は検出できなかった。その原因は、水洗いされて水で薄められるなどしてDNAの分解が進んでいるためと推定された。その後、DNA型につき新たな方法が開発されたことを聞いた科捜研係官が、平成6年4月に至り、その資料として上記座席シート中の血痕付着部分と考えるところを切り取った際、先に繊維鑑定のために切り取って東レに送付していた部分の下に接する座席のスポンジ部分に、変色痕が認められたことから、翌日繊維鑑定の終了を理由にそのシート部分の返却を東レから受けた際、その裏側に2か所染みのあることが判明し、それが当初から付着していたことが東レの鑑定人によって確認され、さらに、座席シートをはがして調べてみると、シートの裏にはほかにも染み状になった部分があり、これらのうちいくつかは血液反応を示した。そこで、座席シートから新たに発見した血痕様部分と東レに繊維鑑定に出していた部分につき科警研に血液型及びDNA型の鑑定を依頼したところ、東レに繊維鑑定に出していた部分の裏2か所のものにつき、血液型がO型であることが検出され、MCT118型、HLADQα型については検出できなかったが、DNAの分解が進んでいることが考えられたので、塩基数の少ない部位に関し新たに開発されたものを含む他のDNA型検査法(TH01型、PM検査法)を試みたところ、そのうちの1か所から、Gc型についてCのホモ(v証言、原審第5回388項、その出現率は、当審弁43号証によると、約16人に1人と認められる。)であることが検出された。他方、同時に、保存されていたA田及びB山の毛髪を使用して同様の検査を施したところ、MCT118型は検出できなかったが、HLADQα型、TH01及びPM法ではすべての型を検出することができ、その結果、A田のDNA型はGc型についてはCのホモであり、上記座席シートから検出されたものと同一の型であることが判明した。
 さらに、関係証拠によると、PM検査では、HLADQα型判定と同様にドット法を用い、試薬の発色によってDNAの型判定を行う方法が採用されているが、その場合、検査紙上に設けられた各種のDNA型に対応する位置に発色が見られたとしても、Sの位置(標準マーカー、HLADQα型の分子量のものが検出できるかどうかをその指標としていることが認められる。本件では、HLADQα型は検出できないのであるから、発色しないのが当然ということになる。)が発色しないときは、アガロースゲル電気泳動法によりDNAの増殖が認められた場合にのみ、当該発色の状況を有効な型判定に用いることができるとされていることから、泳動法でDNAの増殖状況を検査したところ、Gc型の部分にしかDNAの増殖を検出できなかったため、Gc型についてのみの判定にとどめたものであること、しかし、発色法では、PM検査5種のうち、塩基数の最も小さいGc型には明瞭な発色があったほか、塩基数の小さいHBGG型につきAB型、D7S8型につきA型を示す部位にやや薄いとはいえ発色があり、これらについてもA田と同一の部位に発色が認められるが、Sの発色がなく発色の弱さや電気泳動法による判定が得られなかったことから、型判定には使用しなかったこと(もっとも、アガロース電気泳動の写真をよく見ると、極めて薄いが泳動の影が見えないではないようにも思われる。)、PM法のうち上記のものを除いた塩基数の多い2種については発色がなかったことが認められる。
 以上によれば、被告人車を押収した後間もなく行われた第1回の鑑定ではO型の血液型を持つ血痕が発見されたにとどまるが、その後、新たに開発されたPM法などを用いた第2回の鑑定では、O型の血液型に加えDNA型のうちGc型につきC型(C型のホモ)が検出されていることから、その血痕は型判定からしても、A田のそれと矛盾しないものといえるものが発見されていることになる。ところで、DNAは時間の経過とともに分解が進み、したがって、塩基数の多いものほど分解が速く進み判別が困難になると考えられるから、MCT118型などの塩基数の多いものについては型判別ができないほどにDNAの分解が進んでいたとしても、より塩基数の少ない部位についてはDNA部分が分解されないまま残っているものが相対的に多く存在するため、これを用いた型判定が可能である場合のあることは容易に理解できる。そして、Gc型の判定は、PM法を用いられる各種のDNA部分の中でも最も塩基数が少ない部位に位置するDNA部分を用いて行われることからすると、Gc型よりもやや塩基数の多い部位に位置するDNA部分を用いて行われるHBGG型及びD7S8型の判定についてやや薄いとはいえ発色が認められていてそれがA田のものと同一であることは、検査法の原理からすれば決して無意味なものとはいえず、これらにつき全く発色が認められない場合とは異なり、その血痕がA田に由来するものであることを更に補強しているものと認めるのが相当である。
 さらに、単に付着したにとどまる血液は容易にふき取ることができ、水洗いすれば消し去ることができるが、したたり落ちたりして多量に付着した血液の場合は織布の繊維の間や織り目の隙間にしみ込みやすいし、水洗いすれば更に内部にしみ込んで広がることが考えられるところ、本件においてそれぞれの血痕が座席から発見された経緯に照らして見ると、ふき取ったり水洗いしたりしたことを前提とすれば、したたり落ちたりした血痕のみが検出される結果になることをたやすく説明できるものといわなければならない。関係証拠によると、A田の死体からは鼻血を出していたことが認められ、着衣にはそれが滴下したことを示す痕跡が認められる。A田の鼻血が座席等に滴下したとすれば、被告人車内からA田のみの血痕が発見され、犯人やB山の血痕が発見されないことを合理的に説明することができるというべきである。また、関係証拠によると、被告人が、本件の約7か月後に被告人車を買い換えのため下取りに出した際、通常下取りに出される車両と異なり車内が異常な程きれいに掃除されていたことが認められ、被告人自身も水洗いするなどしたことを認めていることからすれば、滴下するなどしたA田の鼻血が織り目を通って座席裏側にしみ込んだことが推測されるから、本件の血痕の発見過程に格別不自然な点は見出せないというべきである。付着していた血痕はいずれもやっと鑑定が可能な程分解が進んだものであることからしても、DNAの分解を進めることになる水洗いなどがされている事実ともよく符合するとともに、作為された可能性も否定されるというべきであり、発見過程について関係証拠を詳細に検討しても作為を疑わせる点は見出せない。
 本件では、血痕とともに尿痕が発見されているが、被害者両名の下着には失禁による尿痕が認められるところ、車内から尿痕が発見されたことは、殺害が車内で行われたと推定される本件では、その状況を血痕とともに裏付けるものとして説明できるものである。
 所論は、被告人の家族、親族にはO型のものが多数おり、その血液や尿が付着していることが考えられるし、以前の所有者の時代に付着したことも考えられるというが、この点について原判決が詳細に判示しているところは、大筋において関係証拠により正当として是認することができる。発見された血痕と尿痕は同時に生じたものでしかも殺害の際に生じたものであるとした場合、すべての要素を矛盾なく説明することができることからしても、所論のいうような可能性は極めて乏しいといわざるを得ず、合理的疑いを生じさせるものではない。 

八 亀頭包皮炎罹患の事実について

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 本件では、通常のわいせつ目的の事件とは異なり、被害者の局部に犯人に由来すると認められる血液の付着、混入が認められる点で特異性があると認められる。すなわち、上記のような血液の付着、混入状況からすれば、犯人が出血していたことが認められるが、被害者の局部からは唾液の存在が確認されていないから、犯人の出血原因としては口内出血の可能性は考えられない。ところで、関係証拠によれば、原判示のとおり、被告人は当時亀頭包皮炎に罹患していた事実が認められる。所論は、そのような事実はなかったとして争うが、原判示のとおり、被告人は元々その罹患を理由に本件の犯人ではないと主張していたのみならず、医師や薬剤師の供述調書等から、その事実を認めるに十分である。犯人が被告人であるとすれば、通常は生じにくい血液の付着、混入の事実を容易に説明することができるものであるから、この事実は、犯人の特異性についての説明を可能にするものであり、被告人の犯人性を補強するものということができる。

九 その他の補強的な情況事実について

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 以上の情況証拠を総合すれば、被告人が本件の犯人であることを認めるに十分というべきであるが、本件については、このほかにも、被告人の犯人性を補強するいくつかの事情が存在する。
1 関係証拠によると、被告人は本件当時円形脱毛症の症状を呈していたことが認められる。この点は、T田の見た犯人と考えられる者の容ぼうの特色を裏付けるものであり、被告人が犯人であることを補強している。
2 また、本件は、被害者2名が同時に誘拐されて被害に遭っているところ、B山らは、日ごろから知らない人について行ったり知らない人の車に乗ったりしないように両親らから注意を受けていたのに、容易に乗車していることがうかがわれることからすれば、被害者と顔見知りの者による犯行と推認されるところ、被告人の長男は、被害者とは学年は異なるが同じ小学校に通っているなど、接点があり、被告人は日中は暇であるため、長男の友達を含む子供らと遊ぶなどして久間のおじちゃんとして知られていることが認められ、被害者らとは顔見知りになっていたことがうかがわれる。この点も被告人が犯人である可能性を補強しているといえる。
3 被告人は、死体遺棄現場付近についての土地勘を有するものであることは、これまでの職歴や近隣居住の事実及び本件の前年ころの秋ころ、知人に八丁峠に通ずる道路で目撃されていることなどにより裏付けられているから、被告人が遺棄現場付近につき不案内であるとはいえない。

一〇 被告人が犯人ではないとの方向に働くような事実について

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1 所論は、犯人は小児性愛者であると推定されるが、被告人には、たとえば、そのことに関心を示すビデオなどを所有せず、そのような傾向はうかがわれないから犯人とは考えられないと主張する。確かに、被告人が小児性愛者であることを示す物的な証拠は発見されていない。しかし、そのような外形的な事情がうかがわれなくても、小学生などの児童に対するわいせつ犯罪が行われていることは、実務上もしばしば見受けられるのであって、必ずしもこれを異とするに足りないというべきである。
2 T田は、本件発生の2か月くらい後に、消防署に車で妻を送ってきた被告人を、捜査車両内から面通ししているところ、T田は目撃した者との同一性を確認できなかった事実がある。しかし、T田が目撃したのはわずかな時間であり、かつ、顔を正面から明確に見ておらず、倒れて手を着くようにして前屈みになった頭部と後ろ向きになった姿を見ているにとどまるのであるから、特色のある点は別として目撃した人物について記憶に残りにくいのが通常と考えられることなどに照らすと、同一性の確認ができていないことをもって、被告人が犯人ではないとの疑いを抱かせるものとはいえない。
3 ポリグラフの検査結果について
 ポリグラフ検査は2回にわたっていて、当審においていずれも弁護人に開示されたものであるところ、最初のもののみにつき弁護人から証拠として請求され、検察官の同意を得て取り調べられたものである。その結果は、反応を否定されているものもあるが疑問判定が多く、いわゆる白の鑑定にはなっていない。その内容を弁護人の指摘に従って検討しても、以上の情況証拠と併せて考察すれば、これをもって所論のいうように被告人が犯人でないことに疑いを差し挟ませるものということはできない。
4 石山鑑定について
 同鑑定が犯人が被告人以外の者である疑いを抱かせるに足りるものではないことは前示のとおりである。

第3 情況証拠の十分性について

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 本件では、犯行現場を目撃されたり、死体や証拠物の遺棄状況を直接目撃されていないし、T田も犯人を目撃しているといえるものの、当然とはいえ、頭部にはげた部分があることを目撃している程度にとどまり被告人が目撃人物と似ているかどうかについても明確にできない程度の目撃であること、死体等や遺留品から被告人のものであることが明らかに認められるものも存在せず、被告人車内からも、それだけで被害者と明確に結びつくような被害者の遺留物、痕跡なども発見されておらず、まして、被告人の自白もないことから、以上の情況をもって被告人が犯人であることが合理的疑いを超えて証明されているかどうかを検討しなければならない。
 しかし、(1)繊維鑑定の結果及び遺留品発見現場上の路上における車両等車両目撃状況等を総合すると、犯行に使用された車はマツダウェストコーストと認めるに十分であること、(2)被告人は、誘拐現場付近に居住する者でほかならぬその車両を保有しており、これを保有する者は現場付近や飯塚市内及びその周辺においては極めて少数に限られていること、(3)被告人の使用車両からは、被害者の一人であるA田の鼻血により生じたものであるとして付着状況が矛盾せず、A田の血液型、DNA型と同じ特徴を備えた血痕と、扼頸による殺害に伴う被害者の失禁と考えて矛盾しない尿痕が、後部座席(血痕は座席裏側)から発見されていること、(4)被告人は、マツダウェストコーストを使用して誘拐の犯行時刻ころ日常的に本件誘拐現場付近を通行していた者であり、被告人のいう当日のアリバイは信用できず、犯行当日の誘拐の犯行時刻ころも被告人が犯行現場を通行していたことが強く推認されること、(5)他方、死体に付着、混入する血液からは被告人の血液型、DNA型の一部と一致するものが発見されており、これと積極的に矛盾する要素は見出されず、犯人が出血していたという特異な事実は被告人の亀頭包皮炎罹患の事実により裏付けられることなどの情況事実が累積している。これらの情況事実は、いずれも犯人と犯行とを結びつける情況として重要かつ特異的であり、一つ一つの情況がそれぞれに相当大きな確率で犯人を絞り込むという性質を有するものであり、これらは相互に独立した要素であるから、その結果、犯人である確率は幾何級数的に高まっていることが明らかである。さらに、被告人車以外の同種車両についての捜査も相当詳細に行われていて、周辺の類似対象車両のアリバイ、保有者の血液型、DNA型についても地道かつ膨大な捜査がされていて、その結果該当車両は他にはほとんど見出せない情況もある。他方、被告人が犯人ではないのではないかという方向に働く証拠をつぶさに検討してもその疑いを抱かせるには足りない。これらの事情を総合して考慮すれば、被告人が本件の犯人であることにつき合理的疑いを超えた立証があるものと認めるに十分である。
 以上によれば、本件犯行の犯人は被告人と認められる。その他所論が多岐にわたり指摘する点について逐一原審記録及び当審における事実取調べの結果を検討しても、以上の認定、判断は左右されない。
 原判決には所論のような事実誤認はなく、論旨は理由がない。

第4 職権による量刑判断

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 事案にかんがみ、職権で原審の量刑につき判断を示しておくことにする。
 本件は、登校途中の小学1年生の女児2名を略取誘拐し、わいせつ目的で扼殺した上、両名の陰部をもてあそび、遠方に運んでその死体を山中に遺棄したという事案である。その犯行は、動機、態様において悪質極まりないばかりか、冷酷、非情かつ残忍というに尽きる。自己の卑劣な欲望により2名もの幼い純粋な命を奪った刑責は誠に重いというほかはない。被害者の苦痛及び無念の情は測り難く、遺族の深い悲しみ、精神的打撃は察するに余りある。地域住民に与えた不安恐怖の念も誠に大きいものがある。にもかかわらず、被告人は、反省の情を全く示しておらず、被害弁償も含め慰謝の方途も講じられていない。
 死刑は、究極の刑罰であり、これを科するには、事案の重大性、悪質性、被害者の遺族の被害感情、社会に与えた影響の深刻さ、被告人の反社会性、更生可能性など諸般の事情を総合し、真にやむを得ない場合に限るものと解されるところ、本件においてこれらの事情をつぶさに検討しても、犯行の重大性、冷酷非情な態様、動機の悪質性、被害者の遺族の感情、被告人の反社会性等を重視せざるを得ないことからすると、死刑をもって処断するのは誠にやむを得ないといわなければならない。原審の量刑判断は相当である。
 よって、刑訴法396条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用については、同法181条1項ただし書を適用して被告人にこれを負担させないこととし、主文のとおり判決する。
平成13年10月10日
福岡高等裁判所第二刑事部
裁判長裁判官 小出錞一 裁判官 駒谷孝雄 裁判官 松藤和博

 

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