祓除と貨幣の関係
我邦上古の習俗中
『上古罪過ある者に祓物を課して其罪を贖はしめ海山の幸を相易へしことなとも即交易の義なり』
依て考へますに既に本居宣長氏も『今俗に物を買たる
若し右の愚考が太過なきものと致しますれば、祓除なる習俗は我邦上古の宗敎的硏究に重要な一事たるのみならず、また經濟史の硏究上にも甚だ肝要にして看過す可からざる事柄かと考へらるゝのであります。波良比は元と罪と穢をはらふと云ふ義に用られ、延て一切の債務を決濟する支拂のことをも言ひ、
之を西洋の經濟史に就て考へますに、神への貢獻から延て君主への調貢が財の流通交換の一起源を爲したことは、今日殆んど動かす可からざる定說となつて居る樣でありまして、ビユヒアー先生の如き全く交換なき、流通なき自足經濟と云ふことに大に重きを置て說かるゝ學者も、如此一方的仕拂が交換の起源となると云ふことは認めて居られます。
依て思ひまするに祓除の習俗は交換賣買の事と關係ある如く、また貨幣の起源及發達に就ても甚だ密接なる關係を有して居るのではありますまいか。貨幣は交換の要具・價値の尺度として起つたと云ふ舊說には、今日歷史的硏究を重ずる學者は餘り信服して居らぬ事は、今更繰返へすまでもないことでありまして、演繹的に今日の發達した貨幣經濟の世に養はれた頭を以て、唯だ只だ理屈責めに貨幣の本質と起源を說くことの非なるは凡そ進步した學者は皆認めて居ります。貨幣は現今に於ても仕拂要具たること、其起源も亦仕拂要具たる事に存することに就ては、餘程守舊的な考を持て居る人の外は一樣に認めて居ることで、今更喋々するのは遼東の豕でありますが、私は我邦祓除の事賞は殊更に此仕拂要具たるの實を證明する力があることかと考へるものであります。
獨逸に就ては言語の發達の上から餘程的確に此證明が立つことゝ思います。拉丁系統の貨幣なる語 money, monnaie, moneta 等は價値 value, valeur, valore と同じく此點に於ては餘程不便てある樣に思ひます。獨逸系語の Geld, gelt の方が餘程長い歷史を含んで居て、之に付て其昔を偲ぶに大に便利であります。
さて獨逸語の Geld に就てはグリム氏の字書に實に詳しい硏究が載せてありまして、貨幣の事を論ずるものは是非參考を要することゝ思ひます。今其一二節を引て見ますれば、
"Geld" 2) ursprünglich religiösen hintergrund zeigt es in der bedeutung opfer.
dargebrachtes opfer und zugleich gottesdienst überhaupt.
b) mit dem religiösen gebrauch wird ursprünglich zusammenhängen der gebrauch im rechtsleben (war ja der priester zugleich der rechtskundige) zuerst vielleicht als wergeld.
eigentlich der ersatz für einen erschlageenn, den der thäter und seine sippe der beschädigten sippe zu leisten hatte, womit der weg der blutrache abgeschnitten und friede und sühne gewonnen wurde.
der begriff von wergelt erweiterte sich früh zu dem von schadenersatz für persönliche ver letzung überhaupt.
auch der mann selbst als 'gelt' gegeben.
c) ganz früh erscheint auch schon die bedeutung 'abgabe': leistung an den herrn.
3) die weitere entwickelung geschah im gemeindeleben und verkehrsleben, immer mit 'gelten' hand in hand.
a) abgabe an den herrn, an den eigentümer, die behörde, u. a., census, gelt.
b) ebenso dann von allerhand andern gebühren, die zu entrichten sind, an gericht, amt, behörden.
c) lohn, eigentlich gegenleistung für einen dienst.
d) lohn oder gegenleistung für gelieferte arbeit oder waare.
e) daher auch für kosten.
f) auch die zahlung hiess einfach gelt.
g) gelt als schuld.
h) gelt als wert.
右は飛々に一部分を集めたものですから、委きことを知らんとする方は宜しく原書を一覽あらむことを希望致します。
近來ハーン氏は『農業の起源』と云ふ書、『經濟的勞働の起源』と云ふ書等に於て、經濟行爲の起りと宗敎との關係の甚だ密接なることを說て居られますが、貨幣の起り及發達に就て宗敎との關係は殊更に密接なるものあることは、グリム氏の右の考證に依ても一端を窺ぶことが出來る次第であります。
さて私は我邦上古の生活に於てまた貨幣と宗敎及法制との間に密接なる關係あること祓除の習俗之を證することゝ考ふるものであります。wergeld に丁度該當するやうな習俗は之を我邦に見ることは出來ぬのでありますが、人身殊に人體の一部を祓具に供したことは
復有被役之民路頭炊飯。於是路頭之家。乃謂之曰何故任情炊飯余路强使祓除。復有百姓就他借甑炊飯。其配觸物而覆。於是甑主乃使祓除。如是等類愚俗所染。今悉除斷勿使復爲。
とあるを看ますれば餘程普く行はれて居つたかと察せられるのであります。
さて祓具と云ふ語の外に
我邦上古には貨幣の事を何と申して居りましたか、獨逸の『ゲルド』の樣に遠く遡つて考へ得可き語は兎に角ありません。『ゼニ』『カネ』等は拉丁系統の monnaie, argent と同じく遙か後世の鑄貨時代に起つた語でありませう。併し私の唯一寸思付いた處では和幣の『ニギテ』は『ニギタヘ』の約であるにしろ、ないにしろ初は成程
以上申述ぶる所は極めて杜撰にして又甚だ獨斷的な考でありまして、專門歷史家から見られましたらば、唯一笑に附するの外値なきことであらうと存じます。又私は國語の知識もなく言語學等に就て全く門外漢であります。唯此方面に於ても我國史を經濟的に觀察すること、又其反對に經濟學上の爭論を解決するには我邦の歷史は必ず大に參考とする必要のあること等の一端を窺ひ得る樣に思ふ餘り、斯くの如き詰らぬ考を公けに致す次第であります。何卒歷史專門家諸君に於て少しは此方面に指を染められたいものです。然れば私の右の卑見が根本的に打破せらるゝ位は少しも厭ふ所ではないのであります。猶右認めた外少々は調べて見たのてすが何分纏りが付きませんから、追ての機會を待つことゝ致します。 (六月五日記す)
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