甲陽軍鑑/品第四十九
一信玄公一代攻取給ふ城の事 一気を見る事
品第五十
一天正元年五月勝頼公、御家督、大軍穿鑿 一信玄公遠慮深被㆑成事 一高坂弾正金言の事 一勝頼公続目御朱印の事 一諏訪明神夢想の事
品第五十一
一甲州味方衆心替りの事 一勝頼公酉の九月、遠州にてねらひ申事 一武田方家康に負る事 一天正二年春、勝頼公東美濃発向 一同年高天神落城 一高坂内藤能き分別の事 一勝頼公浜松迄御働き 一小田原より検見被㆓差越㆒事 一三河先方奥平、逆心の事 一信玄公御吊の事
品第五十二
一長篠合戦 一同殿後高坂意見の事 一家康駿河へ発向の事 同小山後詰の事
品第五十三
一武田贔負衆被㆑倒事 一天正四年勝頼公横須賀発向の事 一飛弾越中謙信被㆑取給ふ事 一氏政勝頼縁者之事 一伊勢熊野諏訪願書の事 一高坂弾正御意見の事 一信玄公軍御日取の事 一軍法の事味方討なき大事三ケ条之外在㆓口伝㆒
甲陽軍鑑品第四十九 自是五品 巻第十九信玄公御一代攻取給ふ城之事
次第不同
信州佐久郡志賀の城 かんのみね 飯田 大島 高遠 おわ こちやう 高島 和田 ながくぼ 小山 とや ねつ といし まやま 小曽のかけ 虚空蔵 むろか かつらお わたうち 井み すた まきの島 かつら山 ひき あまかさり わうちやう お山 こいはたけ 青柳 をみ 相木 まい山 内山 岩尾 みゝとり 平原 よら 小室 あなうや 望月 あしだ おんたけ 此次追て可書加㆒者乎〈[#「加」の返り点「一」は底本ママ]〉
上野之内落城之事
松枝 なんもく 鷹巣 くらかの 此次追て可㆑考 箕輪
駿州之内落城之事
府中今川殿御舘 蒲原 ゑんのふ 大宮神田屋敷 善徳寺 興国寺 永久保 花沢 田中 初徳の一しきといふ是はあけてのく此次追可㆓書加㆒
伊豆之内落城之事
山中 足柄 両所ながらすてをかるゝ 深沢 新庄 此次追て可㆑考
遠州之内落城之事
ふたまた たゝら いぬい 是わはやく御味方中城主天野宮内右衛門也 あまかた 是も降参なり此次追て可㆑考
三州之内落城之事
長篠の内 大沼 あさかい 田代 八桑 あすり 野田 足助 つくでは御味方申 たみね
濃州之内落城之事
岩村 右の外東美濃、信長持の要害十八ケ所の落城は少き
遠州高天神も同年の夏なり、其後沼津迄、都合二十一、是は勝頼公御代落城なり
飛弾之国にて取出二ツ、是は又信玄公御代に、山県一手にてせめ取、越中椎名持之取出二ツ、木曽衆、馬場美濃、真田三頭にて攻取、此ゆへ飛弾江間、越中の椎名味方申仍如㆑件
信州にて 信玄公御代
内村 永窪左衛門督 小山筑後 福沢同弟甚八郎 塩尻 牧野大学 あまかさり右衛門尉 前山主殿 望月甚八郎 信州先方本望月弟也 小山田大学 組衆あり
浅利彦二郎 みませにて討死の浅利子息なり 右此衆は 此次追て可㆓書加㆒
対陣之時気を見る事、城を巻にも口伝有
右五ツの気は
一宮〈[#図は省略]〉
二商〈[#図は省略]〉
三角〈[#図は省略]〉
四徴〈[#図は省略]〉
【 NDLJP:227】 是は山本勘介気之見様也
信玄公御代之事、天正元年四月十二日迄之儀、右之分如此信玄公十八歳より、信州強敵村上義清と九年取合給ひ、村上負て、越後へ牢人なされ、謙信を頼給ふ故、謙信と十五年の御取合、都合廿四年信玄公四十一歳にて、信濃国御一篇也其間件の城どもに、御手間をとらるゝ故、信玄公御弓箭も御上手なり、又御年つまり候まで大に国をとり給ふ事もなく、たゞ五ケ国にて御他界なり如㆑件