甲陽軍鑑/品第卅八
一信長家康へ異見の事 一霊陽院殿より御使者の事 一霊陽院殿より御使者の事 一申酉両年御備書付御分国中江廻被㆑成 十八ケ条 一信長より漆所望之事 一関東侍衆馬進上之事 一関東侍衆馬進上之事 一氏政より御音信之事 一信長より家康と御無事之儀被㆑申事付御音信之事
元亀二辛未年七月又家康と御取合はじまり候へ共信長はいつものごとく御入魂ぶりなり然ば家康へ信長より異見に三河の吉田までつぼみ遠州浜松には家老をさしおかれ候へとあれども家康溜松の城を立
未の九月はじめに公方霊陽院義秋公【義昭ナルベシ】より松原道友、尼子新左衛門、此両使を被㆓差下㆒信玄公へ御頼有、子細は織田信長、公方を天下へ御供中、二三年の間は馳走申上候へ共去年七月都をとりて三好を倒しをのが被官を天下の所司代に指置、五幾内或は丹波、播磨、若狭、丹後まで大方手に入候へば此比は公方を殊外
申酉両年の御備書付御分国中へ迴なされ候跡部大炊介、原隼人佐奉㆑之辛未八月吉日
一来年者無二至㆓尾、濃、三、遠之間㆒動㆓干戈㆒可㆑進㆓当家興亡之一戦㆒条累年之忠節此時候間或近年隠遁之輩或不知行故令㆓蟄居㆒族之内武勇之輩選出、分量之外催㆓人数㆒、令㆓出陣㆒可㆑被㆑抽㆓忠節戦功㆒之儀年内無㆓油断㆒支度肝要之事
一向後於㆓一戦場㆒至㆘抽㆓戦功㆒輩㆖者、依㆓忠節之浅深㆒不㆑撰㆓貴賤㆒叶㆓所望㆒可㆑出㆓所領㆒之事
一各家中之親類被官累年武勇名誉之人勤㆓軍役㆒輩以㆓注文㆒可㆑被㆓申達㆒向後進退相当加㆓恫意㆒又随㆓忠節戦功㆒可㆑出㆓直恩㆒事
一自今以後為㆑始㆓厚板、薄板、繻子、段子、綾、上々島等之衣装㆒、略㆓無用之費㆒畢竟武具之調在陣之支度専用意之事【 NDLJP:152】一頃諸軍共余、弓空穂見苦候之条、外見如何候、向後叶㆓武勇㆒他見可㆑然様可㆑被㆓申付㆒候事
一立物鑓験并朱四手等如㆓累年㆒不㆑可㆓相違㆒肝要候、新調法尤候事
一知行役之人数如㆓先例㆒武具等一様も無㆓関所㆒支度之事
一過㆓身之分限㆒乗馬嗜事
一近年者、諸手共馬介具不足之様見及候間、堅有㆓穿鑿㆒分量相当嗜候様可㆑被㆓申付㆒事
一当時鉄炮肝要候間、向後略㆓長柄㆒撰㆓噐量之足軽㆒鉄炮持参併以㆓着到㆒鉄砲令㆓糺明㆒上、鉄炮可㆓帯来㆒様子〈[#「帯来」の返り点「一」は底本ではなし]〉、後日可㆑成㆓下知㆒之事
一弓鉄炮無㆓鍛錬㆒之族一切不㆑可㆑令㆓持参㆒候事 付向後者於㆓陣中㆒節々以㆓検使㆒相㆓改弓鉄炮㆒無㆓鍛錬㆒之族可㆑有㆓過怠㆒事
一長柄持鑓共、可㆑為㆓柄打柄㆒之事 付此比長柄之実一段疎之間自今以後別而結搆支度之事
一乗馬歩兵共、一統之指物申付、於㆓戦場㆒剛臆歴然之様可㆑被㆓申付㆒事 付指物小旗之儀者可㆑為㆓随身㆒之事
一大小人共一手之内及㆓一戦㆒之砌可㆑抽㆓戦功㆒手分手組等兼日被㆓相定㆒何時催促次第令㆓出陣㆒可㆑勤㆓武勇㆒仕置肝要之事 付各存寄
一小旗差物新調之事
一貴賤共分量之外鉄炮之玉薬支度可㆑為㆓忠節㆒事
一討死并忠節之人、遺跡幼少者至㆓十八歳㆒迄以㆓武勇之人㆒陣代可㆑被㆓申付㆒但於㆓堪忍分㆒者無㆓不足㆒可㆑渡㆑之然而及㆓十八歳之翌年㆒者速知行被官以下、可㆓還附㆒之旨以㆓誓詞㆒可㆑被㆓相定㆒之事
一向後於㆓陣中㆒貴賤共振舞一切可㆓停止_㆑之然則定器之外、椀折敷以下無用之荷物帯来禁法之事巳上
元亀二年霜月下旬に織田信長より佐々権左衛門使者にて金具の鞍鐙五口進上申され候則ち其使に甲州漆所望有に付、高坂弾正に被㆓仰付㆒候へば弾正申上るは信長より一年に七度づゝ定て御使の外三度四度も参り候に此方よりは二年に一度斗りの御使者に候へば悉皆御はたした【御旗下】会釈に御状の文体まで被㆑遊候それも
元亀二年霜月下旬に関東下総とうがね、両酒井、こがね、高木、終に音信不㆓申上㆒衆、三人ながら能馬を進上申候其外関東侍衆日来御入魂申さるゝ人々、多賀谷、宇都宮をはじめ皆馬を進上申也
北条氏政より白鳥十、江川酒樽【一本ニ江州酒樽トアリ】一対、八丈縞二十端、にた山絹百疋御音信なり
極月中旬に、織田信長より織田掃部をもつて家康御無事之儀其御状に態と奉啓上候仍遠州参州両国之守護徳川家康事貴国御近所に罷有慮外仕相違之儀候者御返事次第此方江召寄差置異見可㆑申候委細者此使者口上可㆑致㆓言上㆒候間紙面早々如此候恐惶謹言 織田上総守
極月朔日 信長
法性院殿 人々御中
其時信長公より御音信は信玄公めしの御小袖一重いつものごとく蒔絵の箱に入、御わたぼうし御頭巾まで例のごとくうつくしき箱に入て此外繻子、段子、合三十巻、又御料人様へも御小袖いつものごとく、此外厚板五十端、薄板五十端、島五十端、片色五十端、せんじ百疋、以上 信玄公家康と御無事の信長へ御返事の御書は、度々来意珍々重々候然者遠三両国之境目居住仕逆侍躍倒赦免之儀、翁更不㆓相心得㆒候委細者後音可㆓申述㆒者也
極月廿三日 大僧正信玄
織田上総守殿
御報