猫 (梶井基次郎)

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朝寐の主人が起きて、顏を洗つて飯を食つて、また蒲團の敷いてある部屋へ歸つてゆく。さあ床をあげようか〔な〕と〔思つて〕掛蒲團を剝ぎにかかる。すると敷布の上でぬウウとそれは懶く氣持よげに身體を伸ばす下らない奴がある。それが<この小説の主人公――>仔猫だ。名前は――これは一定してゐない。しかし「白」と〔いふ〕呼ばれることが<一番>多い。〔これはここの家へ毎日遊びに來る春仔が眞黑〕〔左様。〕その通り彼は毛が白いのである。しかしこの家へ毎日遊びに來る春仔の黑猫といふ存在さへなかつたなら彼ももつとほかの〔稱呼で〕呼ばれてたかも知れぬ。「黑」が來るから彼は「白」なのである。そのほか「べー」と呼ばれることもあ〔るが〕これは<つまり>彼の親〔の名〕が「べー」だつたからだ。こんな<自然發生的な>名前もないだらう。ここの〔家族はみんな忙しい。〕〔家族には猫の名前を〕うちの人々は「アキル」だとか「チロ」だとか「タマ」だとか、そんな〔優美〕文化的な愛稱を、こんな下らない動物につける趣味を持〔たない。〕つてゐない。誰かが自分の心のなかであれこれと考へたすゑ「ジヤツズ」と呼ぶことにしたとしよう。そんな「けつたいな」名前なんて誰も〔發音〕〔一顧さへしな〕一呼だに與へはしない。〔だから〕自分はその積りでもその積りが積りにならないのである。だから結局間の惡いことになつてしまふ。いつの間には「白」といふやうな名前が〔ついてしまふ。〕歷然として來る。「白」といふ呼び方にしても「四郎」といふやうには云はない。「ロ」にアクセントのある純粹に色の發音をする。――このアクセントに就いてここ〔が關西である〕の人々及び仔猫の家が關西であることを云ひ添へて置かないといけないだらう。
「白」や「黑」の以前にはやはり訪問猫の「ノボ」といふのがゐた。この名前は今は死んだこの家の老主人がつけたのである。
「お前は〔ノボやぞ。〕ノボーツとし〔と〕てるよつてにノボやぞ。おいノボ、こらノボ」
朝から酒を嗜むその老主人は<毎日>さう云ひながら人指ゆびでその猫の額を突ききママ突き酒を飮んでゐた。すると家族の誰も彼もが皆笑ふのである。實際それは滑稽な猫であつた。第一彼は決して鳴かないのである。だから食物をねだるなんてことはしない。〔それから第二に彼は驚ろくママなん〕人が呉れたら食べるのである。呉れなければ――呉れなければ結局は歸るのであるが、まあ大低(抵)はそのままで坐つてゐる。そのうちに呉れるのである。第二に彼は決してものに驚ろママかない。どんなにされても平氣である。何事にも無關心である。こんな物臭さな猫なんてゐるものではない。
この猫の唯一の藝(?)といふのは「された格好そのままになつてゐる」といふことだつた。仰向けに轉されて四つ足を空に向けて置くとそのままでゐるのである。前足の一本を膝に載せてやると、恐らくこの懶猫には似附か<ないそのうら恥しい恰好で凝つとしてゐるのである。>
〔「こいつ こ奴パテ(脂土)やな。こらパテ猫」
さう云つて家族の若い者は毎日いろんな恰好をさせる、そして笑ふのである。〕
ノボといふ名前はだから〔非常に秀逸だつたのである。〕家族の誰も彼もが喜んで呼ぶ名前であつた。
さう云つた極つた名前のほかにこの家の若者二三人の間には、何かにかこつけて「行き當りばつたり」の名前をつける癖があつた。みなはそれを樂しむのである。
「お前はどないされてもされたままになつてるのやな。おいママ猫」
「こ奴はパテ(脂土)やがな。こらパテ猫」
――そんな風に。
〔これは猫の名前が權力ある人間に極められ、みなが爾後その通り呼びまするといふやうなことがなく、自然自然に名前がついてゆくといふこの家の習慣の反映でありそれの轉化である。
名前のことはこれ位でいい。「白」と「黑」を活躍させなければならぬ。次は彼等の活躍である。〕
ところでこんな名前は〔にしても相手のそれに對する感度次第である。〕相手が畜生なのだから、名前とともにその感度も記載しなければならない。「ノボ」〔といふ名〕には、<誰もそれ以外の呼び方はしなかつたにも拘らず>態度がまるで不明瞭であつた。クロはもつともよく感じる。しかし此奴は……(缺)
 

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