祈祷惺々集/我等が聖神父階梯著者イオアンの教訓 (1)

我等が聖神父階梯著者イオアンの教訓

祈祷の説教及其の注釈

一、 祈祷は其の性質をいへば人と神との体合なり、一致なり、されども其の働きをいへば世界を立つるなり、神を復和せしむるなり、涙の母にして又其のむすめなり、罪の為めにあわれみれしむるなり、誘惑を横ぎるの橋なり、憂愁のめに中壁なり、あらそいを絶つなり、諸神使の行なり、すべて無形なる者の糧にして将来の喜びなり。終りと限りのあらざる行為にして徳行とくこういづみなり、たまものの中保者にして又原因者なり、見えざる上進なり、心霊の糧食りょうしょくなり、智識の照明なり、絶望の為におのなり。希望の證明なり、かなしみのてかせくなり、修道士の富なり、静黙者のたからなり、いかりの減少なり〈漸々に減じて零に至る〉上進の鏡なり、程度の顕現なり〈誰かいかなる程度にあるをあらはす〉性状の表明なり〈或は霊神上の建設〉来世の事の〈或は来世の報酬の〉報道者なり頌讃の表示なり。しんに祈祷する者の為に祈祷は鞫問きくもんじょなり裁判所なり及び未来のほうに先だつ主の寳坐なり。

修士司祭アファナシイの解釈、 當然に行はるる祈祷は神に於る熱心の希望及び愉快と共に左の良善なる性質を己れに有するなり、即ち人の智識を神に高めて己の造成者をむかへしめれと配合してわかべからざるに至らしむるなり。さて其の祈祷の働きいたりてはかぞつくすべからざるなり。彼は世界を立て日々に行はるる多くの罪の為に破らるるをまぬかれしむるなり。彼は我等を憐憫する神の愛を引誘す。彼は涙の母にして又其のむすめなり。何となれば人は祈祷により主の前に涙をそそぐべくして涙は又人をしてなほいよいよ祈祷せしむればなり。祈祷は罪のゆるしを請願す。祈祷は人が誘惑と艱難とをまぬかれ自由にして清涼に移るべきの橋なり。我等を憂愁よりふせぎこれをして我等の内部に入るを得しめず彼処かしこに於て或は魔鬼まきより或は人類及び情欲より我等をしへたぐるを得しめざる中壁なり。彼は我等と闘ふ所の敵を打ち散らすなり。彼は天上の行にして悉くの神使と聖人とに飽くを得しめ諸の義人の不断なる祝喜なり。いづれの時か徒然に帰して消散におはるべき偶有的のものにあらざる徳行なり。もろもろの善を噴出はきいだす所の關鍵かんけん〈かぎ〉なり。もろもろのおんを買ふ所の商人なり。彼は秘密に心を上進せしむるなり。彼は尊貴なる霊魂の食卓にして霊魂はこれより立去らず断えずこれが為に養はれて飽くことを知らざるなり。智識の為に消滅せざる光なり天のともしびなり。絶望を截断せつだんちくするのおのなり。心霊が神に希望を有するを證するの證明なり、けだし心霊はこの希望にりて祈祷すればなり。哀みの消毒薬なり。衷心の感動によりて祈祷を行ふ修道士の富なり。祈祷に勉励べんれいする静黙せいもくしゃおほいなるたからなり。いかりげんじ又はめつしてこれを蒸発せしむるなり。誰かいかに祈祷するありてそれより幾ばく善に上進するをあらはすの鏡なり。善良なる心霊の表示者にして内部の善良なる性状をあらはすのともしびなり。彼はまどなり、しん使の光はこのまどとほして祈祷する者の心霊に入りてこれに神のおく秘義ひぎとを説明するなり。神が愛する所のぼくかはらざる栄誉と其のつ所の幸福を指示す者なり。祈祷は時として心霊を全く喜ばしむることあたかも既に讃栄をうけたるが如きはたらきをあらはすことあり。又時として心霊をして次の様子に至らしむることあり、即ちハリストスほうの前に審判に立ちて己が犯したる悉くの罪をきくせらるることあたかおほいなるかつおそるべき神の審判の時期の既にまりし如くなることあり、それが為め恐れに打たれ自ら悔い懇願し流涕りゅうていして悛改しゅんかいすることの約束をあたふ、これ悔改と自ら己を責むるとをもて罪より清められ預め神の義怒をしづめ且其の憐憫を引き以て眞實の審判に於て定罪せらるるをまぬかれんが為めなり。

二、 ちて此の聖なる徳行の女皇ぢょこう大聲たいせいをもて我等にびつぐるをきかん、曰く『すべてつかれたる者及び重きを負へる者は我れに来れ我れ汝等をいこはせん、我がくびきを負ふべし汝等の心に平安をしめ』て汝等のきずいやさん。『けだし我がくびきやすく』しておほいなる罪に陥りしをいやすものなればなり。

アフ、 されば我れ汝等に願ふらんよりちて至聖なる祈祷と此の徳行の女皇ぢょこう大聲たいせいにて我れにびつぐるを熱心をもて聴くに急がん、いへらく凡て肉身と世俗と魔鬼まきとのたたかいにてつかれたるものは我にきたれ、さらば我れ全く汝等をこれより救ふて平安ならしめん。悲むことなかれ、我がことばは汝等に重く苦しきものとはならざらん。ただみづから好んで我がくびきを己れに負ふべし、みづかいたむことなく己の為めに緊要の労を始むべし、さらば汝は自ら想像するだに能はざるほどおほいなる平安を必ずん。ただ易くして痛苦なきのみならず更に愉快にして汝等が悉皆しっかいきずすみやかいやされん且汝は以前に比すれば更に堅く更に健に更に美に且更に強からんとす。けだし我がくびきおひとは善なるもの且は人を救ふものにしてもろもろの罪に陥りしをいやすべければなり。

三、 ゆきて王及び神に謁見えつけんしこれと談話せんと志しつつ當然に用意するあらずして此のみちのぼらざらん、彼れ我が武器を有せざると王に謁見の為に定められたる衣服を有せざるとをはるかに見てぼくと其従者に命じ我をばくして其の面前よりいづれの所にか遠くしりぞけ我等のねがいを裂きて我が面前に投ずるをまぬかれんが為めなり。

アフ、 我等の王及び神にえつして彼れに我がおいめゆるされんことを懇願せんと旅行の用意をなし當然に己を善く整へずしてみちに発することをせざるべし、すなはち己のたましいも己の心も己の智も神を畏るるの畏れと虔恭けんきょうと神を熱望すると依頼するとにて充たしめ特に謙遜にて充たしめん。然らずんば我等が王に達するきに王は我を遠くより見認みとめて我等の心にかかる内部の武器を有せざると霊魂のかかる鮮麗なる衣服を有せざるとを見て我等の無思慮と無耻むちとに心をいたましめ其僕そのぼくを遣はして我を成るべくすみやかばくして其の面前より遠くしりぞけ我が祈祷の書券かきつけ扯裂ひきさきて我が面前に投ずるをなさん。

四、 なんきて主に謁見する時は汝がたましい長襯ながした忘辱ぼうじょくの線にて総てを織通おりとほしたるものなるべし。かくの如くならずんば汝は祈祷によりて何の益もうけざらん。

アフ、 ゆきて神に祈祷に於てえつする時は汝の霊は巧稀なる王布より織り成せる祭服をるべし、即ち天上の思念によりて織り出しはぢと恭敬と善心との線にて織通しあなどりを赦すと敵を愛するの金にて刺繍せるものなるべし。然らずんば其の祈祷により益をうけざらん。

五、 汝が祈祷の組立は斑雑はんざつならざるべし、税吏と蕩子とは一言いちげんにて神を慈悲に向はしめたればなり。

アフ、 汝が祈祷のことばぜい能弁のうべんとをらざるべし。ただ清明にして散乱せざる智と清き心とより出づるべし。けだし税吏も蕩子も十字架上の盗賊もおほいに慨嘆せる一言の為めにゆるしをうけて神と復和したりき。

六、 神の前に祈祷に立つは〈立つの如何は〉凡て立つ所の者に於て一様なり、されども〈趣旨と目的とに依れば〉彼はますます多様にして同じからざるなり。或は自分の為にあらず他を代保するがために歌と熱切の祈祷とを主にささげて他と主宰と談話するが如くに談話する〈神と〉あり。或は〈神に霊神上の〉富と榮と勇気とを請願するあり。或は自己の敵より全く救はれんことを祈祷するあり。或は或る尊位の事を切願し或はおいめを全くゆるされんことを切願するあり〈其事の心配の最早もはや己れに残らざらんやうに〉、或は獄よりのがれんことを願ひ或は罪のかれんことを願ふあるなり。

アフ、 凡そ神にささぐる所の祈祷に於て神の前に立つは其の形に依れば一様なるが如くに見ゆるといへども其の働きとねがひとに於てはおほいに種々様々なり。けだし或は一の虔恭けんきょうをもて一の縁由に依り互に他に依りて神に進むあり。或は神に進就し其の祈祷をあへて神にそそぐこと善良なる朋友又は愛さるる所の人の如く彼れに叩頭こうとうし彼れに他の為めに切願して自分の為めに願はざるあり。或は己れに大なる霊神上の尊きと富と愛とを賜はらんことを請願するあり。或は敵より全くまぬかれんことを呼ぶあり。或は何の位階をか與へられんことを求むるあり。或は己れに書付を與へて其の悉皆しっかいの債をあがなはしめ此事につきてた不安の無からんことを祈願するあり。或は獄よりまぬかれて罰より救はれんことを哀願するあり。或は涙を流して己れに罪のゆるしたまはらんことを求むるなり。

七、 我等が祈祷の書券かきつけにはまづ第一に誠実なる感謝を置かん、第二に中心のざんと共に告解〈罪の〉を置かん、かかりし後我等が願をもおほいなる王に告ぐるなり。かくの如き祈祷の順序のもっともき順序なることは主の使が兄弟の一人に示したる如し。

アフ、 然れども我等はまづ第一に吾が祈祷の始めにおいて神の我等における大なる恩恵と其の王たる鴻恩によりて我等がうくる所の日々の安慰との為めに神にささぐる潔浄熱心なる感謝を書するなり。我等が祈祷の第二條には中心の懊悔おうかいと悲痛とをもて罪を告解することを置く、これ即ち我等禁ずる能はずして日夜陥る所の罪なり。而して既に我が祈祷の第三條に至ては天の王にすべての謙遜をもて懇願して我等の願をあらはし其の唯一の憐憫によりて我等が為めに哀み我等を憐み且慰めんことを願ひ其の大なる仁慈によりて我等に其国を賜はらんことを願ふなり。かくの如き祈祷の順序のもっともき順序なることは一の尊ぶべき修士がしん使よりききし所なり。祈祷に於て我等はかくの如くに行為せん。第一は神の仁慈の為めに神に感謝するなり。第二は神に己の罪を告解するなり、第三は神に祈祷して我等に憐みを垂れ給はんことを願ふなり。

八、 もし汝は有形の裁判者に裁判せられしことある時は己の祈祷に於て例を他にもとむるに及ばず汝の目前にあるなり。されどももし未だ嘗てみづから立ちしことなく〈かかる裁判に〉又彼れに於て他を拷鞫ごうきくするを見たることなかりせば少くとも病者が截断せつだん〈肢体の〉もしくは腐蝕法を施さるるに先だちて医者に嘆願するより例を取り学ぶべし。

アフ、 もし汝はいづれの時か或る過失の為めに縛られ又は縛られざるもそれが為めに汝を罰せんとする裁判者の前に立ちしことあらば汝は罪の無数の多きが為めに定罪せられし者として神の面前に立ち神に対していかに大なる畏れを有すべしとの例を他にもとむるに及ばざるべし。されどももし汝は告訴せられたる罪人として裁判に立ちしことなく又他を拷鞫ごうきく責罰せきばつするを見ざりし時にはすくなくとも畏れと涙とをもて祈祷することを病者の為す所より学ぶべし、即ち医士が集まりて病者の肢体を截断せつだんし又は腐蝕法を施し又は歯を抜かん時病者わづかに此事をきくや未だ其の手術を施さざるに先づ戦慄して医者に嘆願しもし此等の施術の既に逃るべからざるものとせば少くとも手荒にせずして出来るだけ其の器械を軽く施さんことを願ふなり。

九、 己の祈祷に於て言をたくみにするなかれ、けだし純朴にして飾らざる小児の拙言せつげん天に在す彼等の父にこんしたること屡々しばしばなればなり。

アフ、 己の祈祷に於て仮に飾れる美なる言舌ごんぜつをもて談話せんとつとめて言をたくみにするなかれ。ことば多からざるも丹心たんしんより出で虔恭けんきょうにして感動すべきものは速に我等が天の父なる神をして憐を垂れしむることは聖書に多く見ゆ、小児の純朴にしてつたなき言の父を喜ばすが如く神を喜ばすなり。
ミンヌ Migne かかる小児は悪に於て小児たる者なり〔コリンフ前書十四の二十〕。彼等の大なる価値は主の言にて定めらる、曰く『もし感化して孩提おさなごの如くならずんば天国に入る能はず』〔馬太十八の三〕。

十、 げんせんとつとむるなかれ、ことばの捜索の故に汝の智識の散乱せざらんが為なり。税吏の一言いちげんは神をして憐ましめ信仰の充満したる一言は盗賊を救へり。祈祷に於てのげんは毎々智識を妄想に陥らしめ且散乱せしむべくかへりて一言いちげんはこれを収束するなり。

アフ、 己の祈祷に於て多く言はんと欲するなかれ、なんぢいふべき所の言を追求しつつ汝の智識の散乱して漸々遺失するなからんが為なり、されどももしなんぢ多く知るあらずんば汝に懊悔おうかい虔恭けんきょうと涙とを與ふべき所の言と祈祷とを多次たじふべし。かくの如くなれば汝の智識は散乱せずして存すべく汝の心に熱心を守らるべし。税吏は一言の為めに赦され盗賊は救はれたりき。
ミンヌ 祈祷に於て多く言ひ一次ひとたびに多くいふあるべからず、ただ一言いちげんせんを要す、即ち同一のことばを数回言ふべし。

十一、 何か祈祷のことばにて楽み又は感動せらるるあらばそれにとどまるべし、けだしかかる場合に於て我等が守護者は我等と共に祈祷して我等の側に在ればなり。

アフ、 汝に感動と神妙なる甘楽とをあたふることばとどまるべし、何となれば其時汝の神使は汝と共に神に祈祷すればなり。

十二、 たとひきよきを得たるにせよ自分に勇敢なるなかれ、更にますます大なる謙遜をもて前進すべし、さらばますます勇気なるを得ん〈ますます勇気にして祈祷せん〉

アフ、 たとひ汝はもろもろの罪よりきようせられこれをまぬかれて己が主宰を怒らしめざるやうになれるを知るといへども自から勇敢なるなかれ、深き謙遜をもて祈祷すべし、さらば其時更に大なる希望と渇想と恩寵とは汝に来りて汝は更に熱心に更に感動して祈祷せん。

十三、 たとひ汝は徳行の階段に全く登りしにせよパウェルが衆罪人を呼んで『我等の中第一は我れなり』〔ティモフェイ前一の十五〕といへるを聴き〈パウェルが呼ぶ時己を罪人の列に立つるをききて〉不断に罪の赦されんことを祈るべし。

アフ、 たとひ徳行のすべての階段に実際登りたりしにせよなほかつ全く大なるパウェルがあれ程の功労の後にあれ程の聖徳を得しもティモフェイに書して主イイスス ハリストスの罪人を救ふが為に世に来りしをいひこれに加へて『彼等の中第一は我れなり』といへるをきき自己の罪の為めに神に祈らんことを要す。

十四、 橄欖かんらんの油としおとは常に食味を調ととのふ、されど貞潔と涙とは祈祷を羽翼す。

アフ、 しおと油とは食物を調理して甘美ならしめ、然して貞潔と涙とは祈祷に羽翼を添ふ、されば祈祷は更に速に神に騰上せん。

十五、 もし温柔おんじゅう不怒ふどとをるあらば智識を俘囚ふしゅうよりのがれしむるが為に汝に多くの労を促さるるあらざらん。

イリヤ 言意はなんし大なる謙遜と不怒とを着るあらば祈祷する時己の心を虚妄罪悪なる記憶よりまとめんに大なる労を要すること決してあらざるべし。反りて己れに極致の謙遜と不怒とを有せざらん者は祈祷に立ちいかにしても己の智識をまとむる能はず、思念の為めに或は彼に或は此に俘囚の如く曳去られて口に言ふ所を記憶せず且は了解せざらん。
アフ、 もし汝は全幅の温柔おんじゅう敦厚とんこうとを着るあらばなんぢ祈祷の時に於て己の智識の他に走去らざらんが為め及び散乱せざらむが為めこれに自由を得せしむることに於て既に多くの労を要するあらざるべし。