ビル・クリントンの第2回大統領就任演説


演説 編集

我が同胞たる市民諸君よ。

20世紀最後となるこの大統領就任式に際し、来世紀に我々を待ち受ける試練に目を向けてみよう。幸運にも我々は、新たな世紀や新たな千年紀の端緒にだけでなく、人類の営みに関する明るい新たな展望や、今後数十年間に及ぶ我々の進路と性格を決する瞬間の端緒に身を置く時と機会を得た。我々は、我が国の旧来の民主主義を永久に若々しく保たねばならない。約束の地という旧来の展望に導かれつつ、新たな約束の地を見据えよう。

米国の約束は18世紀に、全国民が生まれながらに平等であるという強い信念から生じた。それは我が国の版図が大陸中に拡張し、連邦を救い[1]奴隷制という惨禍を廃止した19世紀に伸張し、保持された。

その後混乱と勝利の果てに、この約束は今世紀を米国の世紀とし、世界という舞台に押し上げた。

今世紀は何という世紀であったのであろう。米国は、世界最強の工業国となった。2つの世界大戦と長い冷戦の中、圧政から世界を救った。そして、我々と同様に自由の恩恵を切望する世界中の人々に、幾度も手を差し伸べた。

そうした中で、米国民は大規模な中流階級と老後の生活保障を生んだ。比類なき学府を築き、公立学校を全ての者に開放した。原子を分割し、宇宙を探査した。コンピュータマイクロチップを発明した。そして、アフリカ系米国人と全ての少数民族のために市民権革命を行ったり、女性のために公民権や機会や尊厳の範囲を拡大したりすることにより、正義の源を深めた。

今、3度目の新世紀を目前にした我々は、新たな選択の時にある。我々は19世紀を選択によって開始し、大陸全域に版図を広げた。20世紀を選択によって開始し、産業革命を自由企業制、自然保護、良識といった価値観のために活用した。それらの選択は、大きな変化をもたらした。

21世紀の曙に際し、今こそ自由な人々は、情報化時代グローバル社会に相応しい力を構築し、全国民の無限の可能性を発揮し、より完全な連邦を形成する道を選択せねばならない。

前回集った際、この新たな未来への足取りは、今日に比べて確固たるものではなかった。当時我々は、自国を改革すべく明確な進路を定めると誓った。

この4年間で、我々は惨劇によって打ちひしがれ、試練によって鼓舞され、達成によって強くなった。米国は、世界に不可欠な国家として抜きん出ている。米国経済は再び、世界最強となった。我が国は再び、より強い家族、活気ある社会、より良い教育機会、より清浄な環境を築きつつある。かつては深まる運命にあるかに見えた諸問題は今や、我々の努力によって克服された。街頭は安全になり、記録的な数の国民が生活保護から抜け出して働き始めた。

そして我が国は再び、当代における政府の役割について大いに議論し、結論を得た。本日、我々は宣言する。「政府が問題なのではないし、政府が解答なのでもない。我々――米国民――、我々こそが解答なのである」と。このことをよく理解していた建国者らは、幾世紀にも亙って存続し得るほどに強い民主主義を、そして共通の試練に立ち向かい新たな日々における共通の夢を進め得るほどに柔軟な民主主義を、我々に与えてくれたのである。

時代が変われば、政府も変わらねばならない。我々には、新世紀に相応しい新政府が必要である。即ち、全ての問題を解決しようとしないほどに充分謙虚であるが、国民自身で問題を解決する手段を与え得るほどに充分強い政府であり、より小規模で、分相応の財政運営をし、少ない歳入でも成果を挙げる政府である。しかし、世界における我が国の価値や利害を擁護し得る分野や、日常生活に顕著な変化をもたらす力を米国民に与え得る分野では、政府は関与を増やすべきであって、減らしてはならない。新政府の重要な使命は、全ての米国人に機会――より良い生活を築くための、保証でなく真の機会――を与えることにある。

さらに国民諸君よ。未来は我々次第である。建国者らが教えるところによれば、我が国の自由と連邦を維持できるか否かは責任ある市民的行動に懸かっている。そして我々には、新たな世紀に相応しい新たな責任感が必要である。為すべき仕事、政府だけではできない仕事がある。即ち、子らに読みを教えることであり、生活保護を受けられず流浪している人々を雇用することであり、施錠された扉や閉じた窓の外に出て、薬物不良集団犯罪から街を再生させることであり、他者に奉仕するために時間を割くことである。

己や家族に対してだけでなく、隣人や国家に対しても、各自が各自のやり方で責任を負わなければならない。我々にとって最大の義務は、新世紀に相応しい新たな共同体精神を持つことである。何故なら、我々の誰もが成功するには、我々が1つの米国として成功せねばならないからである。

過去の試練は、未来においても試練であり続ける。我々は1つの共通の運命を有する1つの国家、1つの国民たり得るのか? 我々は協力できるのであろうか、それとも分裂するのであろうか?

人種間の分裂は、米国にとって忌まわしい問題であり続けた。そして、波のように押し寄せる移民は、旧来の偏見の新たな標的となっている。宗教的・政治的信念を装った偏見と侮蔑も、何ら違いはない。これらの力は、過去に我が国を破滅の淵に追いやった。これらは、未だに我々を悩ませている。恐怖の熱狂を煽っている。そして世界中の分裂した国々で、多くの人の生活を苛んでいる。

こうした強迫観念は憎む者も、そして勿論憎まれる者をも蝕み、双方から可能性を奪う。我々は、魂の奥底に潜む邪悪な衝動に屈する訳にはゆかないし、決して屈しない。我々は、これらを克服する。そしてこれらを、家庭にいる際に互いに感じるような、寛大な精神に置き換える。

人種的・宗教的・政治的多様性という我が国の豊かな構造は、21世紀における神の賜物となるであろう。共に生き、共に学び、共に働き、互いを束ねる新たな絆を創り得る人々にこそ、大きな報酬はもたらされる。

この新時代が近付くにつれ、既にその輪郭が見えるようになってきた。10年前、インターネット物理学者らの神秘の領域であった。今やそれは、多くの学童にとって身近な百科事典となっている。科学者らは今や、人間の生命の青写真解読しつつある。恐ろしい疾病の治療法が確立される日も近かろう。

世界は、もはや2つの敵対的陣営に分かれてはいない。今や我々は、かつての敵国と絆を築きつつある。商業文化の関係強化は、世界中の人々の運命と精神を高める機会を我々に与える。そして史上初めて、この地球上で独裁よりも民主主義の下で生きる人々の数が多くなっている。

米国民諸君よ。この注目すべき世紀を振り返るに際し、こう問うてみよう。我々は単に追随するのではなく、米国における20世紀の業績すらも凌ぎ、その遺産を流血で汚すのを避けることを望み得るのか? この場にいる米国民や国中の米国民は今こそ、その質問に対してきっぱり「イエス」と答えねばならないのである。

これが我々の任務の核心である。新たな政府像、新たな責任感、新たな共同体精神をもって、米国の旅を続けよう。我々は新たな地で求めた約束を、再び新たな約束の地で見出してみせる。

この新たな地では、教育が全市民にとって最も貴重な財産となるであろう。我が国の学校は世界最高水準となり、あらゆる少年少女の目の中に可能性という火花を燃え立たせるであろう。高等教育の門戸は、皆に開かれるであろう。情報化時代の知識と力は一握りの者だけでなく、あらゆる教室図書館や児童の手に届くであろう。親子らは、単に働くだけでなく、共に本を読んだり遊んだりする時間が得られるようになり、彼らが家庭で立てる計画は、より良い家、より良い職、大学に行く確かな機会に関する計画となるであろう。

児童らを銃撃しようとしたり、児童らに薬物を売り付けようとしたりする者はいなくなり、街頭には再び児童らの笑い声が響くようになろう。今日の永続的下流階級が明日の伸びゆく中流階級の一部となり、働ける者は皆働くようになろう。医療の新たな奇跡は、現在治療を求め得る人々だけでなく、長きに亙って無視されてきた児童や勤労家庭にも手が届くようになろう。

我々は平和と自由のために強くあり続け、テロと破壊に対する強い防衛を維持する。子らは、核兵器化学兵器生物武器に脅えることなく眠れるようになろう。空港農場工場は、貿易と技術革新と発想によって栄えるであろう。そして世界で最も偉大な民主主義国家が、民主主義世界全体を導くであろう。

我々の新たな約束の地は、その義務を果たす国であり、予算の均衡を保ちつつも物価の均衡を決して失わない国である。祖父母らが安心して老後を送り医療を受けられる国であり、孫らが自分の時代のため、我々がこうした恩恵の維持に必要な改革をしたことを知ることのできる国である。空気や広大な土地といった大自然の恵みを守りつつも、世界で最も生産的な経済を強化できる国である。

そしてこの新たな約束の地で、我々は自国の政治を改革し、もって人々の声を常に私利私欲の雑音よりも大きくし、政治参加を取り戻し、米国民全ての信頼に応えよう。

市民諸君よ。こうした米国を築こう。全市民の潜在能力を引き出す方向へと前進する国家を築こう。繁栄と力は重要であり、保たねばならない。だが、我々が為してきた最大の進歩も、今後為さねばならない最大の進歩も、人間の精神の中にあるということを決して忘れてはならない。つまり、全世界の富も1000の軍も、人間の精神力と良識には及ばないのである。

34年前、我々が今日その人生を称える人物が、このモールの反対側のあの場所から、国家の良心を動かした演説において国民に語り掛けた。彼は昔の予言者のように、いつの日か米国が立ち上がり、全ての市民を法律や精神において平等に扱うであろうという、己の夢について語った。マーティン・ルーサー・キングの夢は「米国の夢」である。彼が求めるものは我々が求めるもの、即ち常に我々の真の信条の実現に努めることである。我が国の歴史は、そうした夢と努力の上に築かれてきた。そして我々は己の夢と努力によって、21世紀における米国の約束を果たすであろう。

私はそのために職権の限りを尽くすことを誓う。議員諸君にも、この誓約に参加して欲しい。米国民は、一方の党から大統領を、もう一方の党から議会を選出した。間違っても国民は、彼らが明白に批判している、つまらぬ論争や過度な党派主義といった政争を進めるためにこうしたのではない。そうではなく、彼らは不和を修復し、米国の使命と共に進むよう我々に求めているのである。

米国は偉大な成果を我々に要求するし、その資格がある――卑小なことからは、偉大な成果など決して生じない。人生の終焉に直面したバーナーディン枢機卿の、不朽の金言を忘れぬようにしよう。彼は語った。「時間という貴重な賜物を、怒りと対立で浪費するのは誤りである」と。

国民諸君よ。我々はこの時という貴重な賜物を浪費してはならない。何故なら、我々は皆、人生という同じ旅の途上だからである。我々の旅は、いつかは終わる。だが、米国の旅は続いてゆく。

だから米国民諸君よ。我々は強くあらねばならない。為すべきことは山ほどあるのだから。当代に必要なものは多種多様である。信仰と勇気、忍耐と謝意と明るい心をもって、これらに対処しよう。この日の希望を米国史上最高の章にしよう。そう、我々の橋を架けよう。米国民全てが祝福された新たな約束の地へと渡れるような、広く強固な橋を。

我々が顔を見ることも名を知ることもないであろう世代が、ここに集う我々について、こう語ってくれることを願う。「米国の夢」を全ての子孫に残すことによって、完全な連邦という米国の約束を全国民に実現させることによって、世界中に広がりつつある自由という米国の輝かしい炎によって、愛する国を新世紀へと導いてくれたのだと。

この地の高みから、この世紀の頂上から前進しよう。神よ、我々に力を与え、もって善行を為さしめ給え。そして常に、常に米国に御加護を与え給え。

訳註 編集

  1. 南北戦争を指す。
 

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