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::::::::::::早く牡豚を返すべし
:衛の太子はこれを聞くと顔色を変えた。思い当ることがあったのである。
:父・霊公の夫人(といっても太子の母ではない){{ruby|南子|なんし}}は宋の国から来ている。容色よりもむしろその才気でもってすっかり霊公をまるめ込んでいるのだが、この夫人が最近霊公に勧め、宋から公子朝というものを呼んで衛の大夫に任じさせた。宋朝は有名な美男である。衛に{{ruby|嫁|とつ}}ぐ以前の南子と醜関係があったことは、霊公以外の誰一人として知らぬ者はない。二人の関係は今衛の公宮で再びほとんど'''{{傍点|おおっぴら'''}}に続けられている。宋の野人の歌う牝豚牡豚とは、疑いもなく、南子と宋朝とを指しているのである。
:太子は斉から帰ると、側臣の戯陽速を呼んで事を{{ruby|謀|はか}}った。翌日、太子が南子夫人に{{ruby|挨拶|あいさつ}}に出た時、戯陽速はすでに[[w:匕首|{{ruby|匕首|あいくち}}]]を{{ruby|呑|の}}んで室の{{ruby|一隅|いちぐう}}の幕の陰に隠れていた。さりげなく話をしながら太子は幕の陰に目くばせする。急に{{ruby|臆|おく}}したものか、刺客は出て来ない。三度合図をしても、ただ黒い幕がごそごそ揺れるばかりである。太子の妙な'''{{傍点|そぶり'''}}に夫人は気がついた。太子の視線をたどり、室の一隅に怪しい者の潜んでいるのを知ると、夫人は悲鳴をあげて奥へ{{ruby|跳|と}}び込んだ。その声に驚いて霊公が出て来る。夫人の手を執って落ち着けようとするが、夫人はただ狂気のように「太子が妾を殺します。太子が妾を殺します」と繰り返すばかりである。霊公は兵を召して太子を討たせようとする。その自分には太子も刺客も{{ruby|疾|と}}うに都を遠く逃げ出していた。
:宋に{{ruby|奔|はし}}り、続いて[[w:晋 (春秋)|{{ruby|晋|しん}}]]に{{ruby|逃|のが}}れた太子蒯聵は、人ごとに語って言った。{{ruby|淫婦|いんぷ}}刺殺というせっかくの義挙も臆病な{{ruby|莫迦者|ばかもの}}の裏切りによって失敗したと。これもやはり衛から出奔した戯陽速がこの言葉を伝え聞いて、こう{{ruby|酬|むく}}いた。とんでもない。こちらの方こそ、すんでのことに太子に裏切られるところだったのだ。太子は私を脅して、自分の義母を殺させようとした。承知しなければきっと私が殺されたに違いないし、もし夫人をうまく殺せたら、今度は必ずその罪をなすりつけられるに決まっている。私が太子の言を承諾して、しかも実行しなかったのは、深謀遠慮の結果なのだと。
 
:晋では当時{{ruby|范|はん}}氏{{ruby|中行|ちゅうこう}}氏の乱で手を焼いていた。斉・衛の諸国が{{ruby|叛乱者|はんらんしゃ}}の{{ruby|尻押|しりお}}しをするので用意に{{ruby|埓|らち}}があかないのである。
:晋に入った衛の太子は、この国の大黒柱たる[[w:趙鞅|{{ruby|趙簡子|ちょうかんし}}]]のもとに身を寄せた。趙氏がすこぶる厚遇したのは、この太子を擁立することによって、反晋派たる現在の衛侯に{{ruby|楯突|たてつ}}こうとしたにほかならぬ。
:厚遇とはいっても、故国にいたころの身分とは違う。平野の打ち続く衛の風景とはおよそ事変った・山がちの{{ruby|絳|こう}}の都に、{{ruby|侘|わび}}しい三年の月日を送った後、太子ははるかに父衛侯の{{ruby|訃|ふ}}を聞いた。{{ruby|噂|うわさ}}によれば、太子のいない衛国では、やむを得ず蒯聵の子・[[w:出公 (衛)|{{ruby|輒|ちょう}}]]を立てて、位に{{ruby|即|つ}}かせたという。国を出奔する時後に残して来た男の児である。当然自分の異母弟の一人が選ばれるものと考えていた蒯聵は、ちょっと妙な気がした。あの子供が衛侯だと?三年前の'''{{傍点|あどけなさ'''}}を考えると、急におかしくなって来た。すぐにも故国に帰って自分が衛侯にとなるのに、何の造作もないように思われる。
:亡命太子は趙簡子の軍に擁せられて意気揚々と黄河を渡った。いよいよ衛の地である。{{ruby|戚|せき}}の地まで来ると、しかし、そこからはもはや一歩も東に進めないことが判った。太子の入国をは拒む新衛侯の軍勢の{{ruby|邀撃|ようげき}}に{{ruby|遇|あ}}ったからである。戚の城に入るのでさえ、喪服をまとい父の死に{{ruby|哭|こく}}しつつ、土地の民衆の{{ruby|機嫌|きげん}}をとりながらはいらなければならぬ始末であった。事の意外に腹を立てたが仕方がない。故国に片足を突っ込んだまま、彼はそこに留まって機を待たねばならなかった。それも、最初の予期に反し、およそ十三年の長きにわたって。
:もはや(かつては愛らしかった){{ruby|己|おのれ}}の息子の輒は存在しない。己の当然{{ruby|嗣|つ}}ぐべき位を奪った・そして{{ruby|執拗|しつよう}}に己の入国を拒否する・{{ruby|貪欲|どんよく}}な憎むべき・若い衛侯があるだけである。かつては自分が目をかけてやった諸大夫連が、誰一人機嫌伺いにさえ来ようとしない。みんな、あの若い{{ruby|傲慢|ごうまん}}な衛侯と、それを{{ruby|輔|たす}}ける・しかつめらしい{{ruby|老獪|ろうかい}}な{{ruby|上卿|じょうけい}}・{{ruby|孔叔圉|こうしゅくぎょ}}(自分の姉の夫に当る{{ruby|爺|じい}}さんだが)の下で、蒯聵などという名前は昔から'''{{傍点|てんで'''}}聞いたこともなかったような顔をして楽しげに働いている。
:明け暮れ黄河の水ばかり見て過ごした十年あまりのうちに、気まぐれでわがままだった白面の貴公子が、いつか、刻薄で、ひねくれた中年の苦労人になり上がっていた。
:荒涼たる生活の中で、ただ一つの慰めは、息子の公子疾であった。現在の衛公輒とは異腹の弟だが、蒯聵が戚の地に入るとすぐに、母親とともに父のもとに{{ruby|赴|おもむ}}き、そこで一緒に暮らすようになったのである。志を得たならば必ずこの子を太子にと、蒯聵は固く決めていた。息子のほかにもう一つ、彼は一種の{{ruby|捨鉢|すてばち}}な情熱の吐け口を闘鶏戯に見出していた。{{ruby|射幸心|しゃこうしん}}や{{ruby|嗜虐性|しぎゃくせい}}の満足を求める以外に、{{ruby|逞|たくま}}しい{{ruby|雄鶏|おんどり}}の姿への美的な{{ruby|耽溺|たんでき}}である。あまり{{ruby|裕|ゆた}}かでない{{ruby|生活|くらし}}の中から{{ruby|莫大|ばくだい}}な費用を{{ruby|割|さ}}いて、堂々たる鶏舎を連ね、美しく強い鶏どもを養っていた。
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:周の昭王の四十年、{{ruby|閏|うるう}}十二月某日蒯聵は良夫に迎えられて長駆郡に入った。薄暮女装して孔氏の邸に潜入、姉の伯姫や渾良夫とともに孔家の上卿たる・甥の孔悝(伯姫からいえば息子)を脅し、これを一味に入れてクウ・デ・タアを断行した。子・衛侯は即刻出奔、父・太子が代って立つ。すなわち衛の荘公である。南子に{{ruby|逐|お}}われて国を出てから実に十七年目であった。
 
:荘公が位に立ってまず行おうとしたのは、外交の調整でも内治の振興でもない。それは実に、空費された己の過去に対する保障であった。あるいは過去への{{ruby|復讐|ふくしゅう}}であった。不遇時代に得られなかった快楽は、今や性急にかつ十二分に{{ruby|充|み}}たされねばならぬ。不遇時代に{{ruby|惨|みじ}}めに屈していた自尊心は、今やにわかに傲然と{{ruby|膨|ふく}}れ返らねばならぬ。不遇時代に己を{{ruby|虐|しいた}}げた者には極刑を、己を{{ruby|蔑|さげず}}んだ者には相当な{{ruby|懲|こら}}しめを、己に同情を示さなかった者には冷遇を与えねばならぬ。己の亡命の因であった先君の夫人南子が前年に亡くなっていたことは、彼にとって最大の痛恨事であった。あの{{ruby|姦婦|かんぷ}}を捕えてあらゆる{{ruby|辱|はずか}}しめを加えそのあげく極刑に処してやろうというのが、亡命時代の最も{{ruby|愉|たの}}しい夢だったからである。過去の己に対して無関心だった諸重臣に向って彼は言った。どうだ。諸子も'''{{傍点|たまには'''}}そういう経験が薬だろうと。この一言で直ちに国外に奔った大夫も二、三に止まらない。姉の伯姫と甥の孔悝とには、もとより大いに酬いるところがあったが、一夜宴に招いて酔わしめた後、二人を馬車に乗せ、御者に命じてそのまま国外に駆り去らしめた。衛侯となってからの最初の一年は、誠に{{ruby|憑|つ}}かれたような復讐の月日であった。{{ruby|空|むな}}しく流離の中に失われた青春の埋合せのために、部下の美女を{{ruby|漁|あさ}}っては後宮に{{ruby|納|い}}れたことは附け加えるまでもない。
:前から考えていた通り、己と亡命の苦をともにした公子疾を彼は直ちに太子と立てた。まだ'''{{傍点|ほんの'''}}少年と思っていたのが、いつしか堂々たる青年の風を備え、それに、幼時から不遇の地位にあって人の心の裏ばかりを{{ruby|覗|のぞ}}いて来たせいか、年に似合わぬ不気味な刻薄さをチラリと見せることがある。幼時の{{ruby|溺愛|できあい}}の結果が、子の{{ruby|不遜|ふそん}}と父の譲歩という形で、今に到るまで残り、はたの者には到底不可解な'''{{傍点|気の弱さ'''}}を、父はこの子の前にだけ示すのである。この太子疾と、大夫に昇った渾良夫とだけが、荘公にとっての腹心といってよかった。
 
:ある夜、荘公は渾良夫に向って、先の衛侯輒が出奔に際し、{{ruby|累代|るいだい}}の国の宝器をすっかり持ち去ったことを語り、いかにして取り戻すべきかを計った。良夫は{{ruby|燭|しょく}}を執る侍者を退席させ、みずから燭を持って公に近づき、低声に言った。亡命された前衛侯も現太子も同じく君の子であり、父たる君に先立って位にあられたのも皆自分の本心から出たことではない。いっそこの際前衛侯を呼び戻し、現太子とその才を比べて見て{{ruby|優|すぐ}}れた方を改めて太子に定められてはいかが。もし不才だったなら、その時は宝器だけを取り上げられればよいわけだ。……
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:それだけでちょうど三件。太子はまだ我を殺すことは出来ぬ、と、必死にもがきながら良夫が叫ぶ。
:いや、まだある。忘れるなよ。先夜、汝は主君に何を言上したか?君侯父子を離間しようとする{{ruby|佞臣奴|ねいしんめ}}!
:良夫の顔が'''{{傍点|さっ'''}}と紙のように白くなる。
:これで汝の罪は四つだ。という言葉も終らぬうちに、良夫の{{ruby|頸|くび}}は'''{{傍点|がっくり'''}}前に落ち、黒地に金で{{ruby|猛虎|もうこ}}を{{ruby|刺繍|ししゅう}}した大緞帳に鮮血が{{ruby|迸|ほとばし}}る。
:荘公は{{ruby|真蒼|まっさお}}な顔をしたまま、黙って息子のすることを見ていた。
 
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:その年の秋の夜、荘公は妙な夢を見た。
:荒涼たる{{ruby|曠野|こうや}}に、{{ruby|檐|のき}}も傾いた古い楼台が一つ{{ruby|聳|そび}}え、そこへ一人の男が上って、髪を振り乱して叫んでいる。「見えるわ。見えるわ。{{ruby|瓜|うり}}、一面の瓜だ。」見覚えのあるようなところと思ったらそこは{{ruby|古|いにしえ}}の{{ruby|昆吾|こんご}}氏の{{ruby|墟|あと}}で、なるほど到るところ{{ruby|累々|るいるい}}たる瓜ばかりである。小さな瓜をこの大きさに育て上げたのは誰だ?惨めな亡命者を時めく衛侯にまで守り育てたのは誰だ?と楼上で狂人のごとく{{ruby|地団駄|じだんだ}}を踏んで{{ruby|喚|わめ}}いているかの男の声にも、どうやら聞き{{ruby|憶|おぼ}}えがある。おやと思って聞き耳を立てると、今度は莫迦に'''{{傍点|はっきり'''}}聞えて来た。「{{ruby|俺|おれ}}は渾良夫だ。俺に何の罪があるか!俺に何の罪があるか!」
:荘公は、びっしょり汗をかいて眼を{{ruby|覚|さ}}ました。いやな気持であった。不快さを追い払おうと露台に出て見る。遅い月が野の果てに出たところであった。赤銅色に近い・紅く濁った月である。公は不吉なものを見たように{{ruby|眉|まゆ}}を{{ruby|顰|ひそ}}め、再び室に入って、気になるままに灯の下でみずから{{ruby|筮竹|ぜいちく}}を取った。
:翌朝、筮師を召してその卦を判ぜしめた。害なしと言う。公は{{ruby|欣|よろこ}}び、賞として{{ruby|領邑|りょうゆう}}を与えることにしたが、筮師は公の前を退くとすぐに{{ruby|倉皇|そうこう}}として国外に逃れた。現れた通りの卦をそのまま伝えれば不興を{{ruby|蒙|こうむ}}ること必定ゆえ、ひとまず偽って公の前をつくろい、さて、後に一散に逃亡したのである。公は改めて{{ruby|卜|ぼく}}した。その封兆の辞を見るに「魚の疲れ病み、赤尾を{{ruby|曳|ひ}}きて流れに横たわり、水辺を迷うがごとし。大国これを滅ぼし、まさに亡びんとす。城門と水門とを閉じ、すなわち後より{{ruby|踰|こ}}えん」とある。大国であるのが、晋であろうことだけは判るが、その他の意味は判然しない。とにかく、衛侯の前途の暗いものであることだけは確かと思われた。
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:冬、西方から晋軍の侵入と呼応して、大夫・{{ruby|石圃|せきほ}}なる者が兵を挙げ、衛の公宮を襲うた。衛侯の己を除こうとしているのを知り先手を打ったのである。一説にはまた、太子疾との共謀によるのだともいう。
:荘公は城門をことごとく閉じ、みずから城楼に登って叛軍に呼びかけ、和議の条件を種々提示したが石圃は{{ruby|頑|がん}}として応じない。やむなく{{ruby|寡|すくな}}い手兵を持って{{ruby|禦|ふせ}}がせているうちに夜に入った。
:月の出ぬ間の暗さに乗じて逃れねばならぬ。諸公子・侍臣らの少数を従え、例の 高冠昻尾の愛鶏をみずから抱いて公は後門を踰える。慣れぬこととて足を踏み外して{{ruby|墜|お}}ち、したたか{{ruby|股|もも}}を打ち脚を{{ruby|挫|くじ}}いた。手当をしている暇はない。侍臣に{{ruby|扶|たす}}けられつつ、真暗な曠野を急ぐ。とにもかくにも夜明けまでに国境を越えて宋の地に入ろうとしたのである。大分歩いたころ、突然空が'''{{傍点|ぼうっ'''}}と{{ruby|仄黄|ほのき}}{{ruby|色|いろ}}く野の黒さから離れて浮き上ったような感じがした。月が出たのである。いつかの夜夢に起されて公宮の露台から見たのとまるで'''{{傍点|そっくり'''}}の赤銅色に濁った月である。'''{{傍点|いや'''}}だなと荘公が思った途端、左右の{{ruby|叢|くさむら}}から黒い人影がばらばらと立ち現われて、打ってかかった。{{ruby|剽盗|ひょうとう}}か、それとも追手か。考える暇もなく激しく{{ruby|闘|たたか}}わねばならなかった。諸公子も侍臣らも大方は討たれ、それでも公はただ独り草に{{ruby|匍|は}}いつつ逃れた。立てなかったためにかえって見逃されたのでもあろう。
:気がついてみると、公はまだ鶏をしっかり抱いている。先ほどから鳴き声一つ立てないのはとうに死んでしまっていたからである。それでも捨て去る気になれず、死んだ鶏を片手に、匍って行く。
:原の一隅に、不思議と、人家らしいもののかたまった一郭が見えた。公はようやくそこまでたどり着き、気息{{ruby|奄々|えんえん}}たるさまで'''{{傍点|とっつき'''}}の一軒に匍い込む。扶け入れられ、差し出された水を一杯飲み終った時、とうとう来たな!という太い声がした。驚いて眼を上げると、この家の主人らしい・{{ruby|赭|あか}}ら顔の・前歯の大きく飛び出た男が'''{{傍点|じっ'''}}と此方を見つめている。一向に見憶えがない。
:「見憶えがない?そうだろう。ただ、{{ruby|此奴|こいつ}}なら憶えているだろうな。」
:男は、部屋の{{ruby|隅|すみ}}に{{ruby|蹲|うずく}}まっていた一人の女を招いた。その女の顔を薄暗い灯の下で見た時、公は思わず鶏の{{ruby|死骸|しがい}}を取り落とし、ほとんど倒れようとした。被衣をもって頭を隠したその女こそは、紛れもなく、公の寵姫の髢のために髪を奪われた己氏の妻であった。