「学問のすすめ (初編)」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
Araisyohei (トーク | 投稿記録) 細 style ed |
|||
52行目:
== 参考現代語訳 ==
{{CC-BY-3.0}}
(翻訳:[[User:三島堂|三島堂]])
=== 初編 ===
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言う。天が人を生まれさせるのは、万人は万人みな同じ地位であって、生まれながらの貴賎や上下の差別なく、万物の霊長である心身の働きで、天地の間にあるすべての物を利用して衣食住の用を足し、自由自在、互いに人の妨害をせず、おのおの安楽にこの世を渡らせたまう趣旨である。しかし今、広く人間世界を見渡せば、賢い人もあり、愚かな人もあり、貧しい人もあり、富める人もあり、貴人もあり、下人もあって、そのありさまに雲泥の相違があるのはなぜか。そのわけは、全く明らかである。実語教という書物に、人学ばざれば智なし、智のない者は愚人なりとある。つまり賢人と愚人の区別は、学ぶと学ばないことによってできるのである。
89 ⟶ 88行目:
=== 十編 前編のつづき、中津の旧友に贈る ===
前編に、学問の本質を二つに分けて論じた。その議論を概説すれば、人はただ自分や家族の衣食を自給し、それで満足すべきではない、人の天性にはこれよりも高い目的があるのだから、社会の仲間に入り、その中の一人の立場で世のために勉めることがなくてはならないとの趣旨を述べたのである。
118 ⟶ 116行目:
=== 十七編 人望論 ===
十人が見、百人が指して誰それは確かな人だ、たのもしい人物だ、この処理を託して必ず間違いはないだろう、この仕事を任しても必ず成功するだろうとあらかじめ人柄を当てにされ、世間一般の望みをかけられる人を、人望のある人物という。人間の世界に人望の大小はあっても、かりにも他人に当てにされる人でなければなんの用にも立たぬものだ。小さい方から言えば十銭の銭を持たせて町へ使いにやる者も、十銭だけの人望があって十銭だけは人に当てにされる人物である。十銭より一円、一円より千円万円、ついには幾百万円の資金を集めた銀行の支配人となり、または省庁の長官となって、ただ金銭を預かるばかりか人民の用向きを預かり、貧富を預かり、その面目すらも預かることがある。このような大任に当たる者は、必ず平生から人望があって、人に当てにされる人でなければとても仕事を行うことはできないだろう。
|