「鉄道唱歌/奥州・磐城篇」の版間の差分

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|year=19101900
|author=大和田建樹
|author2=多梅稚
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#左にゆかば前橋を 經て高崎に至るべし 足利桐生伊勢崎は 音に聞えし養蠶地
#金と石との小金井や 石橋すぎて秋の田を 立つや雀の宮鼓 宇都宮にもつきにけり
#いざ乘り替へん日光の 線路これより分れたり 二十五マイル走りなば 一時半にて着くといふ
#日光見ずは結構と いふなといひし諺も おもひしらるゝ宮の樣 花か紅葉か金襴か
#東照宮の壯麗も 三代廟の高大も みるまに一日日ぐらしの 陽明門は是かとよ
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#こゝに起りて越後まで つゞく岩越線路あり 工事はいまだ半にて 今は若松會津まで
#日和田本宮二本松 安達が原の黒塚を 見にゆく人は下車せよと 案内記にもしるしたり
#松川すぎてトンルを いづれば來る福島の 町は縣廳所在の地 板倉氏の舊城下
#しのぶもじずり摺り出だす 石の名所も程近く 米澤ゆきの鐵道は 此町よりぞ分れたる
#長岡おりて飯坂の 湯治にまはる人もあり 越河こして白石は はや陸前の國と聞く
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#尻内こせば打ちむれて 遊ぶ野馬の古間木や 今日ぞ始めて陸奧の 海とは是かあの船は
#野邊地の灣の左手に 立てる岬は夏泊 とまらぬ汽車のすゝみよく 八甲田山も迎へたり
#渚に近き湯野島を 見つゝくゞれるトンルの 先は野内か浦町か 浦のけしきの晴れやかさ
#勇む笛の音いそぐ人 汽車は著きけり青森に むかしは陸路廿日道 今は鐵道一晝夜
#津輕の瀬戸を中にして 凾館までは二十四里 ゆきかふ船の煙にも 國のさかえは知られけり
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#中村いでゝ打ちわたる 川は眞野川新田川 原の町より歩行して 妙見まうでや試みん
#浪江なみうつ稻の穗の 長塚すぎて豐なる 里の富岡木戸廣野 廣き海原みつゝゆく
#しばしばくゞるトンルを 出てはながむる浦の波 岩には休む鴎あり 沖には渡る白帆あり
#君が八千代の久の濱 木奴美が浦の波ちかく をさまる國の平町 並が岡のけしきよし
#綴湯本をあとにして ゆくや泉の驛の傍 しるべの札の文字みれば 小名濱までは道一里