「プログラマが知るべき97のこと/「人間」を知る」の版間の差分

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マルテイン・ハイデガーは、「道具(ツール)」というものに人間がどう関わるかを詳しく考察しました。プログラマの場合は、ツールを自ら作ることもあり、使うこともあります。以前に作られたツールを改良することもあれば、同様のツールを新たに作り直すこともあります。プログラマは、ツールには強い関心を持ちます。しかしユーザはどうでしょうか。ハイデガーが著書「存在と時間」で言っているとおり、道具というものはそれを使う人間にのみ理解できる存在です。使わない人間にとっては目に見えない存在なのです。ユーザにとってツールは、正しく機能しなくなってはじめて関心を持つものかもしれません。ツールの使い勝手などについて話し合う際には、こうしたプログラマとユーザの意識の「ずれ」を念頭に置いておくべきでしょう。
 
私たちの思想、世界観には、いまだにアリストテレスの影響が強く残っています。アリストテレスのように物事を分類して考える習慣がいまだに残っているのです。エレノア・ロッシュは、それを覆そうとしました。プログラマは、システムを構築する際にユーザに要望を尋ねます。そのときプログラマがやろうとするのもやはり、アリストテレス的な「分類」です。ユーザの話を聞き、求められていることを明確な定義を基にカテゴリに分けるのです。そうするのがプログラマにとって非常に便利だからです。この方法を採ると、ユーザの話に出てきた言葉をそのままクラスの属性にしたり、テーブルのカラムにしたりできます。各要素がきれいに分かれた、理路整然としたプログラムができあがります。しかし困ったことに、生物としての人間は、元来そのように世界を認識していないのです。エレノア・ロッシュは、そのことを「ナチラルカテゴリー」の研究やその後の研究を通じて明らかにしています。人間は、「例」に基づいて物事を理解します。例の中でも、特に「プロトタイプ」と呼ばれるものは、他よりも優勢で大きな影響力を持ちます。このような例に基づく分類は、暖昧で、要素の重複の多いものになり、各カテゴリーは豊かな内部構造を持つことになります。「アリストテレス的」な答えを求めている限り、私たちはユーザに対して、妥当な問いを発することができないのです。ユーザの物の捉え方と相容れないからです。そのため、共通理解を得るのに大変な苦労を強いられることになります。