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== 沿革 ==
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△ちばの字義 千葉と云ふ言葉が、明かに書物の上に現はされたのは、今から千二百年前、古事記の中に「知婆能。加豆奴袁美禮婆云云」と記された事て、 其後日本紀、績日本紀、日本後紀、和名抄等の書にも、知婆若しくは知波と云ふ字を往々見受けるし、萬葉集の中にも
△ちばの字義 千葉と云ふ言葉が、明かに書物の上に現はされたのは、今から千二百年前、古事記の中に「知婆能。加豆奴袁美禮婆云云」と記された事て、 其後日本紀、績日本紀、日本後紀、和名抄等の書にも、知婆若しくは知波と云ふ字を往々見受けるし、萬葉集の中にも
幾世経て手拍や知波の野にふた面なき君をしたひて
幾世経て{{ruby|兒|このて}}拍や知波の野にふた面なき君をしたひて
の歌があって、知波と記してある。尤も茲に云ふ知波の地は今のちば町をさして云ふた譯では無く、今のちば町の地は往昔は葛繁(今葛飾と記す)の一部分であったのである。知波の字が古事記の出づる頃から存してゐたと云ふ事は夫れで判つた。されば千葉と云ふ字は何時頃生れたのであらうかと云へば、是れは又古事記の出づる三年前なる和銅二年に、ちばの南端に一寺を建立し千葉寺と
の歌があって、知波と記してある。尤も茲に云ふ知波の地は今のちば町をさして云ふた譯では無く、今のちば町の地は往昔は葛繁(今葛飾と記す)の一部分であったのである。知波の字が古事記の出づる頃から存してゐたと云ふ事は夫れで判つた。されば千葉と云ふ字は{{ruby|何時|いつ}}頃生れたのであらうかと云へば、是れは又古事記の出づる三年前なる和銅二年に、ちばの南端に一寺を建立し千葉寺と


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