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△道路 當町を通ずる國道は船橋稲毛から海岸に沿ふて登戸にかゝり、右曲して新町通町を經、千葉神社門前迄來て更に南折し、本町通を縣廳舍の前迄に至る、奮稱上總街道の一路で、縣廳舎前から寒川に至り大橋の袂を五田保に至るの一道、千葉神社から道場通を都村貝塚に至る奮稱佐倉街道、都川の邊り病院下を通せる奮東金街道及び本町旅館松葉館の角から俗に云ふ正面横丁を曲って房總線本千葉驛に至る一道は孰れも懸道で、基他里道等は日に月に開通の機運に進みつゝある。<br />
△道路 當町を通ずる國道は船橋稲毛から海岸に沿ふて登戸にかゝり、右曲して新町通町を經、千葉神社門前迄來て更に南折し、本町通を縣廳舍の前迄に至る、奮稱上總街道の一路で、縣廳舎前から寒川に至り大橋の袂を五田保に至るの一道、千葉神社から道場通を都村貝塚に至る奮稱佐倉街道、都川の邊り病院下を通せる奮東金街道及び本町旅館松葉館の角から俗に云ふ正面横丁を曲って房總線本千葉驛に至る一道は孰れも懸道で、基他里道等は日に月に開通の機運に進みつゝある。<br />
△鐵道 東京兩國を起點とし佐倉、成田、佐原、成東、橫芝、八日市橋から調子に迄通ずる總武線停車場「千葉驛」は町の北端に位し、毎月平均各二萬餘の乗降客があり、又大網、東金、茂原、一の宮、大原に至る奮房總線の「本千葉驛」は町の西端に位し寒川に在り、每年夏期には避暑客の運搬に忙しく每月平均の乗降客は各四萬足らずある。<br />
△鐵道 東京兩國を起點とし佐倉、成田、佐原、成東、橫芝、八日市橋から調子に迄通ずる總武線停車場「千葉驛」は町の北端に位し、毎月平均各二萬餘の乗降客があり、又大網、東金、茂原、一の宮、大原に至る奮房總線の「本千葉驛」は町の西端に位し寒川に在り、每年夏期には避暑客の運搬に忙しく每月平均の乗降客は各四萬足らずある。<br />
△水運 本町は海邊の地であり乍ら由來水運の便は甚だ開けず、汽船は東京灣汽船會社の汽船が僅か日に度霊岸島を出て横濱を廻り、蘇我町を經て都川尻に寄って東京に戾るのがあるきりで、他は各運送店の貨物船が往復するのみである。乍併去る四十二年縣會に於て可決された寒川浚渫事業が近く竣工した暁は、本町が水陸交通の連絡上大に利便を得るは明らかな事である。
△水運 本町は海邊の地であり乍ら由來水運の便は甚だ開けず、汽船は東京灣汽船會社の汽船が僅か日に度霊岸島を出て横濱を廻り、蘇我町を經て都川尻に寄って東京に戾るのがあるきりで、他は各運送店の貨物船が往復するのみである。乍併去る四十二年縣會に於て可決された寒川浚渫事業が近く竣工した暁は、本町が水陸交通の連絡上大に利便を得るは明らかな事である。