「十七条憲法」の版間の差分

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口語訳を忠実な翻刻に差し替え。多少古めかしくとも、信頼できる版元を掲載する方が良いと思われたため。PDで使いやすいし。
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*[[:zh:日本書紀/卷第廿二|『日本書紀』第二十二巻]] 豊御食炊屋姫天皇 推古天皇十二年(604年)
*訓は飯島忠夫・河野省三編『勤王文庫』第一篇(大日本明道館。大正八年六月十五日発行:{{NDLJP|959961/16}})による。
*口語訳は林竹次郎「ハナシコトバ十七條憲法」『林古溪小篇第一(補訂第三版)』古溪歌會、1935年、{{NDLJP|1272857}} を元作成している。
{{PD-Japan}}
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== 口語訳 ==
# 仲良第一に、なかよくすることが、なにより大切である。さかないのが肝心である。人はみんな仲間をみたがるが、胸のひろものが少ない。で、なかには君に背き、親にさか、隣近所の嫌ものになてしまう者ふものなどもある。けれども、上のものと下のものとが、仲くしあて、{{ruby|睦|むつ}}びあて、よく相談しあば、物の道理、仕事の筋道すぢみち立ったつて、何でも成就しないことはない。
{{新訳}}
 
# 仲良くすることが、何より大切である。逆らわないのが肝心である。人はみんな仲間を組みたがるが、胸の広い者が少ない。で、中には君に背き、親に逆らい、隣近所の嫌われ者になってしまう者などもある。けれども、上の者と下の者とが、仲良くしあって、{{ruby|睦|むつ}}びあって、よく相談しあえば、物の道理、仕事の筋道が良く立って、何でも成就しないことはない。
# 第二に、よくよく3つのたつとばねばならない3つのといのは、仏・佛と・僧と僧とである。この3つのものは、一切の生物の心の最後のよりどころであり、すべての国々國國の政治の大切な根本である。いつの時代でも、いかなる人でも、教えをしへを大切にしないものはない。もそも人間といものは、非常な人といものは無いものである。教え導へみちびいてきさすれば、必ず{{ruby||よ}}くなるものである。それにつけても、三たよらなければならない。三によらなければ、た心をなほす方い。
 
# 第三に、天皇の御命令があたら、必ずかしこまらなければならない。君は天である。臣は地である。天はてのものを覆い包ひつつみ、地は一切のものを載せて持っ待つり、それによて春夏秋冬も合よく行れ、四方のも通じ合うあふのである。しも地が、下にるのがいやだと言っいつて、天を包もつつまうとするなら、の世界はただちにつぶれてしまであるから、君がおっしゃ仰せられた言を、臣はつつしんで{{ruby||うけたまわ}}り、これに従わなけれ從はねばならない。上にもの地に行ば、下のものはすぐとなびき従う從ふものである。この通りであるから、詔を受け{{ruby|賜|たま}}わっ承つたら、必ずかしこまておけしなさい。うしなければ自然、自分で自分をほろぼすことになる。
# いろいろの官吏、公吏、役人たち、礼を、行いの土台にしなさい。人民を治めて行く大本は、第一は礼である。上の役人が礼を守らなければ、下の者はうまく治まらない。また、下の者が礼を守らなければ、きっと、罰せられることになる。ところで、官公吏役人たちに礼があり、人民たちに礼があれば、上下の秩序、位地、次第が、きちんとして乱れることはなく、したがって、国家は自然に治まるのである。
 
# 役人たちは、欲深く、物を欲しがる心をやめて、願いの筋を、うまく、間違いなく裁かねばならない。人民の訴え、争いは、一日の中には千もある。一日でもそうである。まして一年なり二年なりしたら、たいした数になるだろう。つまり、訴えのないようにしなければならない。この頃の裁きをする役人たちは、自分の儲けになるようにするのが当たり前だと思って、賄賂贈り物の多い少ないによって、裁きを付ける。けしからんことである。すると、金、財産のある家の訴え事は、石を水の中に投げ込むように、いつも、間違いなく通る。金のない者の訴えは、水を石に投げるように、大抵跳ね返され、取り合われない。こんな風であるから貧しい人、財産の無い人たちは、どこへも、どのようにも願い出る道がない。こんなことでは、役人としても、臣の務めを、欠くことになる。
# 第四に、いろいろの官吏、公吏、役人たち、を、行の土にしなさい。人民を治めてく大本は、第一はである。上の役人がを守らなければ、下のものはうまく治まらない。また、下のものを守らなければ、きっと屹度、罰せられることになる。ところで、官公吏役人たちにがあり、人民たちにがあれば、上下の秩序、位地、次第が、きちんとしてれることはなく、したがっ從つて、家は自然に治まるのである。
# 「悪いことを懲らしめ、善いことを励ます」これは昔から、人を治めてゆく者の、善い決まり、手本である。そこで、人々は、他人のした善い事、{{ruby|誉|ほま}}れを隠してはならない。悪いことは、直しておやりなさい。上役には、体裁良く気に入るようにし、上辺を飾り、ごまかすことは、国家を滅ぼすためのよい道具であり、人民を殺すための刃物である。また、口先だけでうまくご機嫌を取り、上役に取り入ろうとする人は、きっと、上役に対しては下の者の悪い事を話し、下の者に対しては、上役のよろしくない事を、{{ruby|謗|そし}}り陰口を叩く。このような人は、君には忠義を尽くさず、人民には情けを掛けない者である。こんな不真面目なことは、国家に大乱を起こす元である。
 
# 人にはそれぞれ、務め役目がある。むやみに人の仕事に、手出し、口出しをしてはいけない。それにつけても才智の優れた、よく物の道理をわきまえた人が、役についていれば、よく治まって、賛歌が歌われる。道理に外れ、心の曲がった人が、役についていると、世の災い、世の乱れが甚だしくなる。一体、この世には、生まれつき賢いという者は少ない。よくよく考え考え、工夫してするから、立派な聖人、優れた人にもなれるのである。すべて、大事でも小事でも良い人があればうまくできる。どんな忙しい時でも、優れた人があれば、ゆったりとのびのびと治まってゆく。このように良い人があると、国家は永久に栄え、危ないというようなことは無くなる。だから、昔から、優れた王様は、役があるからそれを務める人を探すので、人にあげたいために役を置くということはしない。
# 第五に、役人たちは、深く、物をしがる心をやめて、願いねがひすぢを、うまく、間違いまちがひなくさばかねばならない。人民の訴えうつたへ争い爭ひは、一日の中には千もある。一日でもうである。ましていはんや一年なり二年なりしたら、たいしたになるだろであらう。つまり、訴えのないうにしなけれせねばならないの頃のさばきをする役人たちは、自分のもうけになるうにするのがたりまへだと思て、賄賂おくものの多い少いによて、さばきをける。けしからことである。するといふと、金、財産のある家の訴え事訟へごとは、石を水の中に投げ込むように、いつも、間違いまちがひなく通る。金のないものの訴は、水を石に投げるように、大抵かへされ、取り合わあはれない。こんな風であるから貧しい人、財産の無い人たちは、どこ何處へも、どのようにも願出るみちがない。こんなことでは、役人としても、臣の務たるつとめを、くことになる。
# 官吏公吏勤め人たち、お役所へ早く出よ。むやみに早く下がってはいけない。世の中の政治上の務め、公の仕事は、十分しっかりやり、粗末にはできないのである。一日中やってもやり終わることはない。それを、遅く出て来れば急な用に間に合わず、早く下がれば仕事は投げやりになる。
 
# 誠実、真面目で、嘘偽りを言わないことは、人の道を守ってゆく根本である。何事をするにもまごころで、親切におやりなさい。善くなり、成功する元は、第一に、このまごころである。官吏、公吏が、お互いに真面目にまごころを尽くしあったら、何でもできる。真面目に事をする者がなかったら、万事は破滅である。
# 第六に、いことを懲らしめ、善いことをはげます」これは昔から、人を治めてゆくものの、善いまり、手本である。そこで、人は、他人のした善い事、{{ruby|誉|ほま}}れをかくしてはならないいことは、なほしておやりなさい。上役には、体裁良ていさいよに入るようにし、上辺うはべかざり、ごまかすことは、家をほろぼすためのよい道具であり、人民を殺すための刃物である。また、口先だけでうまく機嫌を取り、上役に取り入うとする人は、きと、上役にしては下のの惡ことを話し、下のものしては、上役のよろしくないことを、{{ruby|謗|そし}}陰口かげぐちく。ような人は、君には忠義をくさず、人民にはなさけをない者ぬものである。こんな不真面目ふまじめなことは、家に大こすである。
# ぷりぷりするな、腹を立てるな、恐ろしい顔をするな。人が逆らったからといって、腹を立てるものではない。人々には、それぞれ心持ちがある。その心持ちはそれぞれ、自分の頑張りになっている。先方が善いと思えば、こちらでは悪いと思う。こちらが善いと思えば、先方では悪いと思う。こちらは優れているとも決まっていないだろう、先方はきっと愚だとも決まっていないだろう。先方もこちらも、お互いに、凡人である。善いとか悪いとか、そう、造作なく決められるものではない。お互いに賢だ愚だと言い合っても、つまりは環に端がないようなものである、取り留めようもない。だから、先方の人が怒ったからといって、こちらが、つられて一緒に怒ってはいけない。しくじらない用心が大切である。たとえ、自分だけで善いと思っていることがあっても、大勢の人たちに混じっては、しいて逆らわないようになさい、一緒におやりなさい。
 
# 下役の者に手柄があったか、しくじりがあったかを、よくよく見抜いて、賞も罰も、必ず間違いないようにしなさい。この頃、往々にして、ご褒美が功のない所へ与えられたり、罰が罪のない人に加えられたりすることがある。政治に携わる人たち、上役の人たちは、よく気を付けて、賞罰を、はっきりと、間違わないようにしなさい。
# 第七に、人にはそれぞれ、つとめ役目がある。むやみに人の仕事に、手出し、口出しをしてはいけないかん。それにつけても才智のすぐれた、よく物の道理をわきまた人が、役についてれば、よく治まて、賛歌頌音歌わうたはれる。道理にはづれ、こころた人が、役についてると、世の災い禍、世のれが甚しくなる。一の世には、生れつきかしこいという者ふものは少い。よくよく考、工夫してするから、立派な聖人、すぐれた人にもなれるのである。すべて、大事でも小事でもい人があればうまくでき出來る。どんないそがしい時でも、すぐれた人があれば、ゆたりとのびのびと治まてゆく。ようい人があると、家は永久にさかえ、あぶないというようふ樣なことは無くなる。であるから、昔から、すぐれた王は、役があるからそれをつとめる人をさがすので、人にあげやりたいために役をくといことはしない。
# 地方地方の官吏公吏たちは、人民から、勝手に租税を取り立ててはならない。一国には二人の君は無く、人民には二人の主君は無いはずである。この国中の人民には、天皇お一人がご主人である。役人たちは皆、天皇の臣下である。それが何の理由で、天皇と同じように、人民から、勝手に税を取るのであるか、いかん、いかん<!-- 白文の反語を最後まで記したものと思われる。林氏の翻訳方針と思われるので、そのままとする-->。
 
# 役人たるもの、それぞれの同役の務め役柄を、よく知り合わねばならない。多くの役人の中には、病気で欠勤する者もあろうし、役所の御用で出張する者もあろう。その場合には、その仕事に、滞りのないようにする。不在であるとわかったら、仲良く一致共同して、その仕事をしてやる。私は知らなかった。私には関係がないと言って、公務の邪魔になるような{{ruby|放|ほ}}ったらかしをしてはならない。
# 第八に、官吏公吏つとにんたち、役所へ早く出よ。むやみに早くてはいけないかん。世の中の政治上の務め、公の仕事は、十分しかりやり、粗末にはでき出來ないのである。一日中やてもやり終わをはることはない。それを、おそく出てれば急な用に合わあはず、早くがれば仕事はげやりになる。
# 全ての役人たち、{{ruby|嫉|そね}}み、{{ruby|妬|ねた}}みの心を持ってはならない。自分が人を妬み憎めば、人もまた自分を妬み憎む。妬み、{{ruby|羨|うらや}}み、憎むということの、災いは、果てがわからない。恐ろしいものである。ところが、大抵の人は、知恵が自分より優れている者に会うと、結構だとは思わないで、これを憎む。才、働きが、自分より{{ruby|優|まさ}}っている者を嫉み妬んで、{{ruby|陥|おとしい}}れようとする。だから、500年も{{ruby|経|た}}って、賢い人に、あるいは会うことができるかもしれないが、千年経っても、一人の偉い優れた聖人は出て来ない。嫉妬の心から、聖人賢人を世に出すまいとするからである。しかし、それではいかん。優れた者がなければ、国は治まらない。
 
# 自分の私情を捨てて、公の為に尽くすのが臣の道である。自分の事ばかり考えるから、すぐと恨み怒ることになる。恨んだり怒ったりすれば、きっと人々と共同一致することができない。共同一致ができないから、つまり、私情が公のことを{{ruby|妨|さまた}}げることになる。また、恨んだり怒ったりすれば、国家の法律制度をも壊すことになり、取り締まられることにもなる。だから、第一条に、上下の者仲を良くするのが大切だと言ったのである。
# 誠実第九に真面目まこと、まじめで、嘘偽うそいつはりを言わないはぬことは、人の道を守てゆく根本である。何事をするにもまごころ眞心で、親切しんせつにおやりなさい。善くなり、成功するもとは、第一に、このまごころ眞心である。官吏、公吏が、お互真面目まじめまごころ眞心くしあたら、何でもでき出來る。真面目まじめに事をするがなかたら、事は破滅である。
# 人民を使うのには、時節を見なければならない。冬になると暇があるから、その時は使ってもよい。春から秋にかけては、農耕、養蚕の大切な時節であるから、使うわけにはいかない。農耕しなければ食べ物がない。蚕を飼わなければ、着る物がない。
 
# 一体、政治上の事柄は、ひとりで決めてしまってはいけない。大勢の役人たちと相談してやるがよい。小さな事は、まあ相談には及ぶまいが、大事件と思われることは、やり損ないがあるといけないから、みんなと相談して決めてゆくのである。大勢で相談すれば、道理に{{ruby|適|かな}}ったもっともな所が出て来る。
# 第十に、ぷりぷりするな、腹をてるな、恐ろしいをするな。人がさかたからといって、腹をてるものでない。人には、それぞれ心持がある。その心持はそれぞれ、自分の頑張がんばりになる。先方が善いよしと思ば、こちらではいと思。こちらが善いと思ば、先方ではいと思こちら此方すぐれてるともないだう、先方はきと愚だともいだろからう。先方むかふもこちらも、お互に、凡である。善いとかいとか、う、造作ざうさなくめられるものではない。お互に賢だ愚だと合っひあつても、つまりは環に端がようなものである、ようもない。であるから、先方の人が怒っおこつたからといって、こちら此方が、つりこまれて一&#32214;に怒てはいけないかん。しくじらない用心が大切である。たと、自分だけで善いと思ることがあても、大勢の人たちにては、しい強ひさかわないようはぬ樣になさい、一&#32214;におやりなさい。
 
# 第十一に、下役のものに手柄があたか、しくじりがあたかを、よくよく見いて、賞も罰も、必ず間違いまちがひないようにしなさい。の頃、往々にしてご褒御襃美が功のないところへ與与えられたり、罰が罪のない人に加られたりすることがある。政治に携わたづさはる人たち、上役の人たちは、よくけて、賞罰を、はきりと、間違わないよまちがはぬやうにしなさい。
 
# 第十二に、地方地方の官吏公吏たちは、人民から、勝手に租税を取りててはならない。一二人の君は無く、人民には二人の主君は無いはずである。中の人民には、天皇一人が主人である。役人たちはみな、天皇の臣下である。それが何の理由で、天皇と同じように、人民から、勝手に税を取るのであるか、いか、いかん<!-- 白文の反語を最後まで記したものと思われる。林氏の翻訳方針と思われるので、そのままとする-->
 
# 第十三に、役人たるもの、それぞれの同役のつとめ役柄を、よく知り合わあはねばならない。多くの役人の中には、病欠勤缺&#64052;するものもあうし、役所の御用で出張するものもあう。その場合には、その仕事に、りのないうにする。不在であるとわかたら、仲く一致共同して、その仕事をしてやる。私は知らなかった。私には係がないと言っいつて、公務の邪魔になるよう{{ruby|放|}}ったらかしをしてはならない
 
# 全第十四に、すべての役人たち、{{ruby|嫉|そね}}み、{{ruby|妬|ねた}}みの心を持っもつてはならない。自分が人をねたにくめば、人もまた自分をねたにくむ。ねたみ、{{ruby|羨|うらや}}み、にくむといことの、災いわざはひは、てがわからない。恐ろしいものである。ところが、大抵の人は、知恵智慧が自分よりすぐれてもの会うあふと、結構だとは思ないで、これにくむ。才、はたらきが、自分より{{ruby|優|まさ}}っものそねねたんで、{{ruby|陥|おとしい}}れようとする。であるから、500五百年も{{ruby|経|}}って、賢い人に、或はるいは会うことができ出來るかもしれないが、千年経ったつても、一人のえらすぐれた聖人は出てない。嫉妬の心から、聖人賢人を世に出すまいとするからである。しかし、それではいかん。すぐれたものがなければ、は治ない
 
# 第十五に、自分の私情をてて、公のためくすのが臣の道である。自分の事ばかり考るから、すぐと恨み怒ることになる。恨んだり怒たりすれば、きと人と共同一致することができない出來ぬ。共同一致ができない出來ぬから、つまり、私が公のことを{{ruby||さまた}}げることになる。また、恨んだり怒たりすれば、家の法律制度をもこはすことになり、取られることにもなる。であるから、第一に、上下のもの仲をくするのが大切だと言っいつたのである。
 
# 第十六に、人民を使のには、時&#64086;を見なければならない。冬になるとひまがあるから、その時は使てもよい。春から秋にかけては、農耕、養の大切な時&#64086;であるから、使わけにはいかない。農耕しなければ食べ物がない。かひこ飼わかはなければ、ものがない。
 
# 第十七に、、政治上の事柄は、ひとりでめてしまてはいけないかぬ勢の役人たちと相談してやるがよい。小さな事は、まあ相談には及ぶまいが、大事件と思れることは、やり損ないがあるといけないかんから、みんなと相談してめてゆくのである。勢で相談すれば、道理に{{ruby|適|かな}}ったもともなところが出てる。
 
== 註 ==