「盈虚」の版間の差分

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:晋に入った衛の太子は、この国の大黒柱たる[[w:趙鞅|{{ruby|趙簡子|ちょうかんし}}]]のもとに身を寄せた。趙氏がすこぶる厚遇したのは、この太子を擁立することによって、反晋派たる現在の衛侯に{{ruby|楯突|たてつ}}こうとしたにほかならぬ。
:厚遇とはいっても、故国にいたころの身分とは違う。平野の打ち続く衛の風景とはおよそ事変った・山がちの{{ruby|絳|こう}}の都に、{{ruby|侘|わび}}しい三年の月日を送った後、太子ははるかに父衛侯の{{ruby|訃|ふ}}を聞いた。{{ruby|噂|うわさ}}によれば、太子のいない衛国では、やむを得ず蒯聵の子・[[w:出公 (衛)|{{ruby|輒|ちょう}}]]を立てて、位に{{ruby|即|つ}}かせたという。国を出奔する時後に残して来た男の児である。当然自分の異母弟の一人が選ばれるものと考えていた蒯聵は、ちょっと妙な気がした。あの子供が衛侯だと?三年前の'''あどけなさ'''を考えると、急におかしくなって来た。すぐにも故国に帰って自分が衛侯にとなるのに、何の造作もないように思われる。
:亡命太子は趙簡子の軍に擁せられて意気揚々と黄河を渡った。いよいよ衛の地である。{{ruby||せき}}の地まで来ると、しかし、そこからはもはや一歩も東に進めないことが判った。太子の入国をは拒む新衛侯の軍勢の{{ruby|邀撃|ようげき}}{{ruby||}}ったからである。戚の城に入るのでさえ、喪服をまとい父の死に{{ruby||こく}}しつつ、土地の民衆の{{ruby|機嫌|きげん}}をとりながらはいらなければならぬ始末であった。事の意外に腹を立てたが仕方がない。故国に片足を突っ込んだまま、彼はそこに留まって機を待たねばならなかった。それも、最初の予期に反し、およそ十三年の長きにわたって。
:もはや(かつては愛らしかった){{ruby||おのれ}}の息子の輒は存在しない。己の当然{{ruby||}}ぐべき位を奪った・そして{{ruby|執拗|しつよう}}に己の入国を拒否する・{{ruby|貪欲|どんよく}}な憎むべき・若い衛侯があるだけである。かつては自分が目をかけてやった諸大夫連が、誰一人機嫌伺いにさえ来ようとしない。みんな、あの若い{{ruby|傲慢|ごうまん}}な衛侯と、それを{{ruby||たす}}ける・しかつめらしい{{ruby|老獪|ろうかい}}{{ruby|上卿|じょうけい}}{{ruby|孔叔圉|こうしゅくぎょ)(}}(自分の姉の夫に当る{{ruby||じい}}さんだが)の下で、蒯聵などという名前は昔から'''てんで'''聞いたこともなかったような顔をして楽しげに働いている。
:明け暮れ黄河の水ばかり見て過ごした十年あまりのうちに、気まぐれでわがままだった白面の貴公子が、いつか、刻薄で、ひねくれた中年の苦労人になり上がっていた。
:荒涼たる生活の中で、ただ一つの慰めは、息子の公子疾であった。現在の衛公輒とは異腹の弟だが、蒯聵が戚の地に入るとすぐに、母親とともに父のもとに{{ruby||おもむ}}き、そこで一緒に暮らすようになったのである。志を得たならば必ずこの子を太子にと、蒯聵は固く決めていた。息子のほかにもう一つ、彼は一種の{{ruby|捨鉢|すてばち}}な情熱の吐け口を闘鶏戯に見出していた。{{ruby|射幸心|しゃこうしん}}{{ruby|嗜虐性|しぎゃくせい}}の満足を求める以外に、{{ruby||たくま}}しい{{ruby|雄鶏|おんどり}}の姿への美的な{{ruby|耽溺|たんでき}}である。あまり{{ruby||ゆた}}かでない{{ruby|生活|くらし}}の中から{{ruby|莫大|ばくだい}}な費用を{{ruby||}}いて、堂々たる鶏舎を連ね、美しく強い鶏どもを養っていた。
 
:孔叔圉が死に、その未亡人で蒯聵の姉に当る{{ruby|伯姫|はくき}}が、息子の{{ruby||かい}}を虚器に擁して権勢を{{ruby||ふる}}い始めてから、ようやく衛の都の空気は亡命太子にとって好転して来た。伯姫の情夫・{{ruby|渾良夫|こんりょうふ}}という者が使いとなってしばしば都と戚との間を往復した。太子は、志を得た暁には{{ruby||なんじ}}を大夫に取り立て死罪に{{ruby||あた}}{{ruby||とが}}あるも三度までは許そうと良夫に約束し、これを手先としてぬかりなく策謀を{{ruby||めぐ}}らす。
:周の昭王の四十年、{{ruby||うるう}}十二月某日蒯聵は良夫に迎えられて長駆郡に入った。薄暮女装して孔氏の邸に潜入、姉の伯姫や渾良夫とともに孔家の上卿たる・甥の孔悝(伯姫からいえば息子)を脅し、これを一味に入れてクウ・デ・タアを断行した。子・衛侯は即刻出奔、父・太子が代って立つ。すなわち衛の荘公である。南子に{{ruby||}}われて国を出てから実に十七年目であった。
 
:荘公が位に立ってまず行おうとしたのは、外交の調整でも内治の振興でもない。それは実に、空費された己の過去に対する保障であった。あるいは過去への{{ruby|復讐|ふくしゅう}}であった。不遇時代に得られなかった快楽は、今や性急にかつ十二分に{{ruby||}}たされねばならぬ。不遇時代に{{ruby||みじ}}めに屈していた自尊心は、今やにわかに傲然と{{ruby||ふく}}れ返らねばならぬ。不遇時代に己を{{ruby||しいた}}げた者には極刑を、己を{{ruby||さげず}}んだ者には相当な{{ruby||こら}}しめを、己に同情を示さなかった者には冷遇を与えねばならぬ。己の亡命の因であった先君の夫人南子が前年に亡くなっていたことは、彼にとって最大の痛恨事であった。あの{{ruby|姦婦|かんぷ}}を捕えてあらゆる{{ruby||はずか}}しめを加えそのあげく極刑に処してやろうというのが、亡命時代の最も{{ruby||たの}}しい夢だったからである。過去の己に対して無関心だった諸重臣に向って彼は言った。どうだ。諸子も'''たまには'''そういう経験が薬だろうと。この一言で直ちに国外に奔った大夫も二、三に止まらない。姉の伯姫と甥の孔悝とには、もとより大いに酬いるところがあったが、一夜宴に招いて酔わしめた後、二人を馬車に乗せ、御者に命じてそのまま国外に駆り去らしめた。衛侯となってからの最初の一年は、誠に{{ruby||}}かれたような復讐の月日であった。{{ruby||むな}}しく流離の中に失われた青春の埋合せのために、部下の美女を{{ruby||あさ}}っては後宮に{{ruby||}}れたことは附け加えるまでもない。
:前から考えていた通り、己と亡命の苦をともにした公子疾を彼は直ちに太子と立てた。まだ'''ほんの'''少年と思っていたのが、いつしか堂々たる青年の風を備え、それに、幼時から不遇の地位にあって人の心の裏ばかりを{{ruby||のぞ}}いて来たせいか、年に似合わぬ不気味な刻薄さをチラリと見せることがある。幼時の{{ruby|溺愛|できあい}}の結果が、子の{{ruby|不遜|ふそん}}と父の譲歩という形で、今に到るまで残り、はたの者には到底不可解な'''気の弱さ'''を、父はこの子の前にだけ示すのである。この太子疾と、大夫に昇った渾良夫とだけが、荘公にとっての腹心といってよかった。
 
:ある夜、荘公は渾良夫に向って、先の衛侯輒が出奔に際し、{{ruby|累代|るいだい}}の国の宝器をすっかり持ち去ったことを語り、いかにして取り戻すべきかを計った。良夫は{{ruby||しょく}}を執る侍者を退席させ、みずから燭を持って公に近づき、低声に言った。亡命された前衛侯も現太子も同じく君の子であり、父たる君に先立って位にあられたのも皆自分の本心から出たことではない。いっそこの際前衛侯を呼び戻し、現太子とその才を比べて見て{{ruby||すぐ}}れた方を改めて太子に定められてはいかが。もし不才だったなら、その時は宝器だけを取り上げられればよいわけだ。……
:その部屋のどこかに{{ruby|密偵|みってい}}が潜んでいたものらしい。{{ruby||しん}}重に人払いをした上でのこの密談がそのまま太子の耳に入った。
:次の朝、色をなした太子疾が白刃を{{ruby||}}げた五人の壮士を従えて父の居間へ{{ruby|闖入|らんにゅう}}する。太子の無礼を{{ruby|叱咤|しった}}するどころではなく、荘公はただ色{{ruby||あお}}ざめて{{ruby||おのの}}くばかりである。太子は従者に運ばせた牡豚を殺して父に{{ruby||ちか}}わしめ、太子としての己の位置を保証させ、さて渾良夫のごとき{{ruby|奸臣|かんしん}}はたちどころに{{ruby||ちゅう}}すべしと迫る。あの男には三度まで罪を免ずる約束がしてあるのだと公が言う。それでは、と太子は父を{{ruby||おど}}すように念を押す。四度目の罪がある場合には間違いなく{{ruby|誅戮|ちゅうりく}}なさるでしょうな。すっかり気を呑まれた荘公は{{ruby|唯々|いい}}として、「諾」と答えるほかはない。
 
:翌年の春、荘公は郊外の遊覧地{{ruby|籍圃|せきほ}}に一亭を設け、{{ruby|墻塀|しょうへい}}、器具、{{ruby|緞帳|どんちょう}}の類をすべて{{ruby||とら}}の模様一式で飾った。落成式の当日、公は華やかな宴を開き、衛国の名流は{{ruby|綺羅|きら}}を飾ってことごとくこの地に会した。渾良夫はもともと小姓上りとて派手好みの{{ruby|伊達男|だておとこ}}である。この日彼は紫衣に{{ruby|狐裘|こきゅう}}を重ね、牡馬二頭立ての{{ruby|豪奢|ごうしゃ}}な車を駆って宴に赴いた。自由な無礼講のこととて、別に剣を{{ruby||はず}}しもせずに食卓に{{ruby||}}き、食事半ばにして暑くなったので、裘を脱いだ。この態を見た太子は、いきなり良夫に{{ruby||おど}}りかかり、胸倉を{{ruby||つか}}んで引き{{ruby||}}り出すと、白刃をその鼻先に突きつけて{{ruby||なじ}}った。{{ruby|君寵|くんちょう}}{{ruby||たの}}んで無礼を働くにもほどがあるぞ。君に代ってこの場で汝を誅するのだ。
:腕力に自信のない良夫は{{ruby||}}いて抵抗もせず、荘公に哀願の視線を送りながら、叫ぶ。かつて御主君は死罪三件までこれを免ぜんと我に約し給うた。されば、たとえ今我に罪ありとするも、太子は{{ruby||やいば}}を加えることが出来ぬはずだ。
:三件とや?しからば汝の罪を数えよう。汝今日、国君の服たる紫衣をまとう。罪一つ。天子直参の上卿用たる{{ruby|哀甸両牡|ちゅうじょうりょうぼ}}の車に乗る。罪二つ。君の前にして裘を脱ぎ、剣を{{ruby||}}かずして食う。罪三つ。
:それだけでちょうど三件。太子はまだ我を殺すことは出来ぬ、と、必死にもがきながら良夫が叫ぶ。
:いや、まだある。忘れるなよ。先夜、汝は主君に何を言上したか?君侯父子を離間しようとする{{ruby|佞臣奴|ねいしんめ)!}}!
:良夫の顔が'''さっ'''と紙のように白くなる。
:これで汝の罪は四つだ。という言葉も終らぬうちに、良夫の{{ruby||くび}}は'''がっくり'''前に落ち、黒地に金で{{ruby|猛虎|もうこ}}{{ruby|刺繍|ししゅう}}した大緞帳に鮮血が{{ruby||ほとばし}}る。
:荘公は{{ruby|真蒼|まっさお}}な顔をしたまま、黙って息子のすることを見ていた。
 
:晋の趙簡子のところから荘公に使いが来た。衛侯亡命の{{ruby||みぎり}}、及ばずながらお{{ruby||たす}}け申したところ、帰国後一向に御挨拶がない。御自身に差支えあるなら、せめて太子なりと{{ruby||つか}}わされて、晋侯に一応の御挨拶がありたい、という口上である。かなり{{ruby|居猛高|いたけだか}}なこの文言に、荘公はまたしても己の過去の{{ruby||みじ}}めさを思い出し、少からず自尊心を害した。国内にまだ{{ruby|紛争|ごたごた}}が絶えぬゆえ、今しばらく猶予されたい、と、取あえず使いをもって言わせたが、その使者と入れ違いに衛の太子からの密使が晋に届いた。父衛侯の返辞は単なる{{ruby|遁辞|とんじ}}で、実は、以前{{ruby|厄介|やっかい}}になった晋国が煙たさゆえの・故意の延引なのだから、{{ruby||だま}}されぬように、との使いである。一日も早く父に代りたいがための策謀と明らかに知れ、趙簡子もさすがにいささか不快だったが、一方衛侯の忘恩もまた必ず懲らさねばならぬと考えた。
 
:その年の秋の夜、荘公は妙な夢を見た。
:荒涼たる{{ruby|曠野|こうや}}に、{{ruby||のき}}も傾いた古い楼台が一つ{{ruby||そび}}え、そこへ一人の男が上って、髪を振り乱して叫んでいる。「見えるわ。見えるわ。{{ruby||うり}}、一面の瓜だ。」見覚えのあるようなところと思ったらそこは{{ruby||いにしえ}}{{ruby|昆吾|こんご}}氏の{{ruby||あと}}で、んばるほど到るところ{{ruby|累々|るいるい}}たる瓜ばかりである。小さな瓜をこの大きさに育て上げたのは誰だ?惨めな亡命者を時めく衛侯にまで守り育てたのは誰だ?と楼上で狂人のごとく{{ruby|地団駄|じだんだ}}を踏んで{{ruby||わめ}}いているかの男の声にも、どうやら聞き{{ruby||おぼ}}えがある。おやと思って聞き耳を立てると、今度は莫迦に'''はっきり'''聞えて来た。「{{ruby||おれ}}は渾良夫だ。俺に何の罪があるか!俺に何の罪があるか!」
:荘公は、びっしょり汗をかいて眼を{{ruby||}}ました。いやな気持であった。不快さを追い払おうと露台に出て見る。遅い月が野の果てに出たところであった。赤銅色に近い・紅く濁った月である。公は不吉なものを見たように{{ruby||まゆ}}{{ruby||ひそ}}め、再び室に入って、気になるままに灯の下でみずから{{ruby|筮竹|ぜいちく}}を取った。
:翌朝、筮師を召してその卦を判ぜしめた。害なしと言う。公は{{ruby||よろこ}}び、賞として{{ruby|領邑|りょうゆう}}を与えることにしたが、筮師は公の前を退くとすぐに{{ruby|倉皇|そうこう}}として国外に逃れた。現れた通りの卦をそのまま伝えれば不興を{{ruby||こうむ}}ること必定ゆ、ひとまず偽って公の前をつくろい、さて、後に一散に逃亡したのである。公は改めて{{ruby||ぼく}}した。その封兆の辞を見るに「魚の疲れ病み、赤尾を{{ruby||}}きて流れに横たわり、水辺を迷うがごとし。大国これを滅ぼし、まさに亡びんとす。城門と水門とを閉じ、すなわち後より{{ruby||}}えん」とある。大国であるのが、晋であろうことだけは判るが、その他の意味は判然しない。とにかく、衛侯の前途の暗いものであることだけは確かと思われた。
:残年の短さを覚悟させられた荘公は、晋国の圧迫と太子の専横とに対して{{ruby|確乎|かっこ}}たる処置を講ずる代りに、暗い予言の実現する前に少しでも多くの快楽を{{ruby||むさぼ}}ろうとひたすらにあせるばかりである。大規模の工事が相継いで起され過激な労働が強制されて、工匠石匠らの{{ruby|怨嗟|えんさ}}の声も{{ruby||ちまた}}に満ちた。雌伏時代とは違って、今度こそ思いきり派手にこの{{ruby||たの}}しみに{{ruby||ふけ}}ることが出来る。金と権勢とにあかして国内国外から雄鶏の優れたものがことごとく集められた。ことに、{{ruby||}}の一貴人から{{ruby||もと}}め得た一羽のごとき、羽毛は金のごとく{{ruby||けづめ}}は鉄のごとく、{{ruby|高冠昻尾|こうかんこうび}}、誠に{{ruby||まれ}}に見る逸物である。後宮に立ち入らぬ日はあっても衛侯がこの鶏の毛を立て翼を奪うさまを見ない日はなかった。
 
:一日、城楼から下の街々を{{ruby||なが}}めていると、一ヵ所はなはな雑然とした{{ruby|陋穢|ろうわい}}な一画が目についた。侍臣に問えば{{ruby|戎人|じゅうじん}}の部落だという。戎人とは西方化外の民の血を引いた異種族である。{{ruby|眼障|めざわ}}ちだから取り払えと荘公は命じ、都門の外十里の地に放逐させることにした。幼を負い老を曳き、家財道具を車に積んだ{{ruby|賤民|せんみん}}どもが陸続と都門の外へ出て行く。役人に追い立てられて{{ruby||あわ}}て惑うさまが、城楼の上からも一々見て取れる。追い立てられる群衆の中に一人、{{ruby|際立|きわだ}}って髪の美しく豊かな女がいるのを、荘公は見つけた。すぐに人をやってその女を呼ばせる。戎人{{ruby||}}氏なる者の妻であった。顔立ちは美しくなかったが、髪の見事さは誠に輝くばかりである。公は侍臣に命じてこの女の髪を根本から切り取らせた。後宮の寵姫の一人のためにそれでもって{{ruby||かもじ}}{{ruby||こしら}}えようというのだ。丸坊主にされて帰って来た妻を見ると、夫の己氏はすぐに被衣を妻にかずかせ、また城楼の上に立っている衛侯の姿を{{ruby||にら}}んだ。役人に{{ruby|笞打|むちう}}たれても、容易にそこ場を立ち去ろうとしないのである。
 
:冬、西方から晋軍の侵入と呼応して、大夫・{{ruby|石圃|せきほ}}なる者が兵を挙げ、衛の公宮を襲うた。衛侯の己を除こうとしているのを知り先手を打ったのである。一説にはまた、太子疾との共謀によるのだともいう。
:荘公は城門をことごとく閉じ、みずから城楼に登って叛軍に呼びかけ、和議の条件を種々提示したが石圃は{{ruby||がん}}として応じない。やむなく{{ruby||すくな}}い手兵を持って{{ruby||ふせ}}がせているうちに夜に入った。
:月の出ぬ間の暗さに乗じて逃れねばならぬ。諸公子・侍臣らの少数を従え、例の 高冠昻尾の愛鶏をみずから抱いて公は後門を踰える。慣れぬこととて足を踏み外して{{ruby||}}ち、したたか{{ruby||もも}}を打ち脚を{{ruby||くじ}}いた。手当をしている暇はない。侍臣に{{ruby||たす}}けられつつ、真暗な曠野を急ぐ。とにもかくにも夜明けまでに国境を越えて宋の地に入ろうとしたのである。大分歩いたころ、突然空が'''ぼうっ'''と{{ruby|仄黄|ほのき}}{{ruby||いろ}}く野の黒さから離れて浮き上ったような感じがした。月が出たのである。いつかの夜夢に起されて公宮の露台から見たのとまるで'''そっくり'''の赤銅色に濁った月である。'''いや'''だなと荘公が思った途端、左右の{{ruby||くさむら}}から黒い人影がばらばらと立ち現われて、打ってかかった。{{ruby|剽盗|ひょうとう}}か、それとも追手か。考える暇もなく激しく{{ruby||たたか}}わねばならなかった。諸公子も侍臣らも大方は討たれ、それでも公はただ独り草に{{ruby||}}いつつ逃れた。立てなかったためにかえって見逃されたのでもあろう。
:気がついてみると、公はまだ鶏をしっかり抱いている。先ほどから鳴き声一つ立てないのはとうに死んでしまっていたからである。それでも捨て去る気になれず、死んだ鶏を片手に、匍って行く。
:原の一隅に、不思議と、人家らしいもののかたまった一郭が見えた。公はようやくそこまでたどり着き、気息{{ruby|奄々|えんえん}}たるさまで'''とっつき'''の一軒に匍い込む。扶け入れられ、差し出された水を一杯飲み終った時、とうとう来たな!という太い声がした。驚いて眼を上げると、この家の主人らしい・{{ruby||あか}}ら顔の・前歯の大きく飛び出た男が'''じっ'''と此方を見つめている。一向に見憶えがない。
:「見憶えがない?そうだろう。ただ、{{ruby|此奴|こいつ}}なら憶えているだろうな。」
:男は、部屋の{{ruby||すみ}}{{ruby||うずく}}まっていた一人の女を招いた。その女の顔を薄暗い灯の下で見た時、公は思わず鶏の{{ruby|死骸|しがい}}を取り落とし、ほとんど倒れようとした。被衣をもって頭を隠したその女こそは、紛れもなく、公の寵姫の髢のために髪を奪われた己氏の妻であった。
:「許せ」と{{ruby||しわが}}れた声で公は言った。「許せ。」
:公は{{ruby||ふる}}える手で身に{{ruby||}}びた美玉をとり外して、己氏の前に差し出した。
:「これをやるから、どうか、見逃してくれ。」
:己氏は{{ruby|蕃刀|ばんとう}}{{ruby||さや}}を払って近づきながら、ニヤリと笑った。
:「お前を殺せば、{{ruby||たま}}がどこかへ消えるとでもいうのかね?」
:これが衛侯蒯聵の最後であった。