「ひびのおしえ」の版間の差分

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 人たる者は、むしをころし、けものをくるしめなど、すべてむごきことを、なす可らず。かゝるじひなきふるまひをするときは、つひにはわがどうるいの人をも、むごくするよふになるべし。つゝしまざるべからず。<br />
      十月十六日<br />
 <ruby><rb>子供</rb><rp>(</rp><rt>こども</rt><rp>)</rp></ruby>とて、いつまでもこどもたるべきにあらず。おひ<span class="sfrac nowrap" style="display:inline-block; vertical-align:-0.5em; text-align:center;"><span style="display:block; line-height:1em; padding:0 0em;">〳</span><span style="display:block; line-height:1em; padding:0 0em;">〵</span></span>{{く}}はせいちゃうして、<ruby><rb>一人前</rb><rp>(</rp><rt>ひとりまへ</rt><rp>)</rp></ruby>の男となるものなれば、<ruby><rb>稚</rb><rp>(</rp><rt>おさな</rt><rp>)</rp></ruby>きときより、なるたけ人のせわにならぬよふ、<ruby><rb>自分</rb><rp>(</rp><rt>じぶん</rt><rp>)</rp></ruby>にてうがいをし、かほをあらい、きものもひとりにてき、たびもひとりにてはくよふ、そのほかすべて、じぶんにてできることは、じぶんにてするがよし。これを西洋のことばにて、インヂペンデントといふ。インヂペンデントとは、<ruby><rb>独立</rb><rp>(</rp><rt>どくりつ</rt><rp>)</rp></ruby>ともうすことなり。どくりつとは、ひとりだちして、<ruby><rb>他人</rb><rp>(</rp><rt>たにん</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>世話</rb><rp>(</rp><rt>せわ</rt><rp>)</rp></ruby>にならぬことなり。<br />
      十月十七日<br />
 人の心の<ruby><rb>異</rb><rp>(</rp><rt>こと</rt><rp>)</rp></ruby>なるは<ruby><rb>其</rb><rp>(</rp><rt>その</rt><rp>)</rp></ruby>おもての<ruby><rb>如</rb><rp>(</rp><rt>ごと</rt><rp>)</rp></ruby>しとて、ひと<span class="sfrac nowrap" style="display:inline-block; vertical-align:-0.5em; text-align:center;"><span style="display:block; line-height:1em; padding:0 0em;">〴</span><span style="display:block; line-height:1em; padding:0 0em;">〵</span></span>{{ぐ}}のこゝろは、たれもおなじものにあらず。まろき<ruby><rb>面</rb><rp>(</rp><rt>かほ</rt><rp>)</rp></ruby>もあり、ながきかほもあるやふに、その心もまためい<span class="sfrac nowrap" style="display:inline-block; vertical-align:-0.5em; text-align:center;"><span style="display:block; line-height:1em; padding:0 0em;">〳</span><span style="display:block; line-height:1em; padding:0 0em;">〵</span></span>{{く}}のうまれつき、いちやうならず、<ruby><rb>気短</rb><rp>(</rp><rt>きみじか</rt><rp>)</rp></ruby>き人もあり、<ruby><rb>気長</rb><rp>(</rp><rt>きなが</rt><rp>)</rp></ruby>き人もあり、しづかなるもあり、さわがしきもあるゆへ、人のふるまいを<ruby><rb>見</rb><rp>(</rp><rt>み</rt><rp>)</rp></ruby>て、あながち、わが心にかなはざるとて、<ruby><rb>短気</rb><rp>(</rp><rt>たんき</rt><rp>)</rp></ruby>をおこし、いかりのけしきをあらはすべからず。なるたけかんべんしがまんして、たがひにまじはるべきなり。<br />
      十月十九日<br />
 もめんの<ruby><rb>着物</rb><rp>(</rp><rt>きもの</rt><rp>)</rp></ruby>にても、とうざんの<ruby><rb>羽織</rb><rp>(</rp><rt>はをり</rt><rp>)</rp></ruby>にても、すべて<ruby><rb>着類</rb><rp>(</rp><rt>きるい</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>粗末</rb><rp>(</rp><rt>そまつ</rt><rp>)</rp></ruby>なるは、<ruby><rb>恥</rb><rp>(</rp><rt>はづ</rt><rp>)</rp></ruby>るにたらざれども、きものにあかつき、<ruby><rb>顔</rb><rp>(</rp><rt>かほ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>手足</rb><rp>(</rp><rt>てあし</rt><rp>)</rp></ruby>のよごれて、きたなきこそ<ruby><rb>恥</rb><rp>(</rp><rt>はじ</rt><rp>)</rp></ruby>なれ。子供たる者はつねに<ruby><rb>心掛</rb><rp>(</rp><rt>こゝろがけ</rt><rp>)</rp></ruby>て、手足をあらい、きものをよごさぬよふ、つゝしむべし。<br />
42行目:
 <ruby><rb>世</rb><rp>(</rp><rt>よ</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>中</rb><rp>(</rp><rt>なか</rt><rp>)</rp></ruby>に父母ほどよきものはなし。父母よりしんせつなるものはなし。父母のながくいきてじやうぶなるは、子供のねがふところなれども、けふはいきて、あすはしぬるもわからず。父母のいきしにはごつどの心にあり。ごつどは父母をこしらえ、ごつどは父母をいかし、また父母をしなせることもあるべし。<ruby><rb>天地萬物</rb><rp>(</rp><rt>てんちばんぶつ</rt><rp>)</rp></ruby>なにもかも、ごつどのつくらざるものなし。子供のときより、ごつどのありがたきをしり、ごつどのこゝろにしたがふべきものなり。<br />
      ○<br />
 まいにちさんどのおまんまをたべ、よるはいね、あさになればおき、まいにちまいにち、おなじことにて、ひをおくるときは、ひとのいのちは、わづか五十ねん、いつのまにかはとしをとり、きのふにかはるこんにちは、しらがあたまのおぢいさん、やがておてらのつちとなるべし。そも<span class="sfrac nowrap" style="display:inline-block; vertical-align:-0.5em; text-align:center;"><span style="display:block; line-height:1em; padding:0 0em;">〳</span><span style="display:block; line-height:1em; padding:0 0em;">〵</span></span>{{く}}、ものをたべてねておきることは、うまにてもぶたにても、できることなり。にんげんのみぶんとして、うまやぶたなどと、おなじことにて、あひすむべきや。あさましきしだいなり。さればいまひとゝなりて、このよにうまれたれば、とりけものにできぬ、むづかしきことをなして、ちくるいとにんげんとの、くべつをつけざるべからず。そのくべつとは、ひとはだうりをわきまへて、みだりにめのまへのよくにまよはず、もんじをかき、もんじをよみ、ひろくせかいぢうのありさまをしり、むかしのよといまのよと、かはりたるもやうをがてんして、にんげんのつきあひをむつまじくし、ひとりのこゝろに、はづることなきやうに、することなり。かくありてこそひとはばんぶつのれいともいふべきなり。<br />
      ○<br />
 もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。けしからぬことならずや。たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり。もしまたそのおにが、いつたいわろきものにて、よのなかのさまたげをなせしことあらば、もゝたろふのゆうきにて、これをこらしむるは、はなはだよきことなれども、たからをとりてうちにかへり、おぢいさんとおばゝさんにあげたとは、たゞよくのためのしごとにて、ひれつせんばんなり。<br />
      ○<br />
 てあしにけがをしても、かみにてゆはへ、またはかうやくなどつけて、だいじにしておけば、じきになほり、すこしのけがなれば、きずにもならぬものなり。さてひとたるものは、うそをつかぬはずなり、ぬすみせぬはずなり。いちどにてもうそをつき、ぬすみするときは、すなはちこれを、こゝろのけがとまうすべし。こゝろのけがは、てあしのけがよりも、おそろしきものにて、くすりやかうやくにては、なか<span class="sfrac nowrap" style="display:inline-block; vertical-align:-0.5em; text-align:center;"><span style="display:block; line-height:1em; padding:0 0em;">〳</span><span style="display:block; line-height:1em; padding:0 0em;">〵</span></span>{{く}}なほりがたし。かるがゆへに、おまへたちは、てあしよりもこゝろをだいじにすべきなり。<br />
      ○<br />
 こどもは、ものゝかずを、しらざるべからず。たとへばひとには、てのゆびが五ほんづゝ、あしのゆびが五ほんづゝ、てとあしとのゆびを、あはせて二十ほんあり。いまおまへたちの、きやうだい五にんの、てあしのゆびを、みなあはせて、いくほんあるやと、たづねられたらば、なんとこたふるや。<br />
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 てんとうさまのおきてともうすは、むかしむかしそのむかしより、けふのいまにいたるまで、すこしもまちがひあることなし。むぎをまけばむぎがはえ、まめをまけばまめがはえ、きのふねはうき、つちのふねはしづむ。きまりきつたることなれば、ひともこれをふしぎとおもはず。されば、いま、よきことをすれば、よきことがむくひ、わろきことをすれば、わろきことがむくふも、これまたてんとうさまのおきてにて、むかしのよから、まちがひしことなし。しかるに、てんとうしらずのばかものが、めのまへのよくにまよふて、てんのおきてをおそれず、あくじをはたらいて、さいわいをもとめんとするものあり。こは、つちのふねにのりて、うみをわたらんとするにおなじ。こんなことで、てんとうさまがだまさるべきや。あくじをまけばあくじがはえるぞ。かべにみゝあり、ふすまにめあり。あくじをなして、つみをのがれんとするなかれ。<br />
      ○<br />
 けさのひのでより、あすのあさのひのでまでを、いちにちとし、三十にちあはせてひとつきとす。だいのつきは三十にち、せうのつきは二十九にちなれども、まづこれを三十にちづゝとすれば、一ねんは十二つきにて、ひかづ三百六十にちなり。十ねんは三千六百にち、五十ねんは一萬八千にちなり。おまへたちもいまから三百六十ねると、またひとつとしをとり、おしやうぐわつになりて、おもしろきこともあらん。されどもだん<span class="sfrac nowrap" style="display:inline-block; vertical-align:-0.5em; text-align:center;"><span style="display:block; line-height:1em; padding:0 0em;">〳</span><span style="display:block; line-height:1em; padding:0 0em;">〵</span></span>{{く}}おほくねて、一萬八千ばかりもねると、五十六、七のおぢいさんになりて、あまりおもしろくもあるまじ。一にちにてもゆだんをせずに、がくもんすべきものなり。<br />
      ○<br />
 日本にては<ruby><rb>夜晝</rb><rp>(</rp><rt>よるひる</rt><rp>)</rp></ruby>を十二にわけて十二時とさだむれども、西洋にては二十四にわけ、夜晝あはせて二十四<ruby><rb>時</rb><rp>(</rp><rt>とき</rt><rp>)</rp></ruby>と<ruby><rb>さ</rb><rp>(</rp><rt>〔ママ〕</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>定</rb><rp>(</rp><rt>さだ</rt><rp>)</rp></ruby>む。ゆゑに西洋の<ruby><rb>一時</rb><rp>(</rp><rt>ひとゝき</rt><rp>)</rp></ruby>は日本の<ruby><rb>半時</rb><rp>(</rp><rt>はんとき</rt><rp>)</rp></ruby>なり。そのわりあひ<ruby><rb>左</rb><rp>(</rp><rt>さ</rt><rp>)</rp></ruby>のごとし。<br />
99行目:
 七半   五時<br />
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 このやうにかぞへて、またもとの<ruby><rb>六時</rb><rp>(</rp><rt>むつ</rt><rp>)</rp></ruby>にかへり、じゆん<span class="sfrac nowrap" style="display:inline-block; vertical-align:-0.5em; text-align:center;"><span style="display:block; line-height:1em; padding:0 0em;">〳</span><span style="display:block; line-height:1em; padding:0 0em;">〵</span></span>{{く}}にかぞふるなり。<br />
      ○<br />
 西洋の<ruby><rb>一時</rb><rp>(</rp><rt>いちじ</rt><rp>)</rp></ruby>を六十にわけて<ruby><rb>一分時</rb><rp>(</rp><rt>いちぶんじ</rt><rp>)</rp></ruby>といふ。<ruby><rb>或</rb><rp>(</rp><rt>あるひ</rt><rp>)</rp></ruby>は西洋のことばにて一「ミニウト」ともいふ。一分時をまた六十にわけて一「セカンド」といふ。一「セカンド」は、たいてい、<ruby><rb>脈</rb><rp>(</rp><rt>みやく</rt><rp>)</rp></ruby>のひとつ、うごくくらいの、あひだなり。<br />