清、第七号
遼東半島還付にニ関するスル日清条約
千八百九十五年十一月八日
調印
大日本帝国皇帝陛下及大清帝国皇帝陛下はハ日本国
よりヨリ奉天省南部のノ地一切をヲ清国にニ還付するスル為
めにメニ条約をヲ締結することにスルコトニ決しシ之かカ為めメ大日
本帝国皇帝陛下はハ北京駐箚特命全権公使正四位
勲一等男爵林董をヲ大清國大皇帝陛下はハ欽差全權
大臣太子太傅文華殿大學士一等肅毅伯爵李鴻
章をヲ各其のノ全權大臣にニ任命したりシタリ因てテ両国全権
大臣はハ互にニ其のノ全権委任状をヲ示しシ其のノ善良
妥当なるをナルヲ認めメ左のノ諸条をヲ協議決定せりセリ
第一条
日本國はハ明治二十八年四月十七日即光緒二十
一年三月二十三日締結のノ下のノ關條約第二条にニ
因りリ清国よりヨリ日本國へヘ譲与したるシタル奉天省南部
のノ地方即鴨綠江口よりヨリ安平河口にニ至りリ鳳凰城
海城及營口にニ亘るル以南のノ各城市及遼東灣東岸
並にニ黃海北岸にニ在てテ奉天省にニ屬するスル諸島嶼のノ
主権をヲ〓けケ本条約第三条のノ規定にニ依りリ日本國
軍隊かカ総てテ撤退するスル時該地方にニ現在するスル城壘
兵器製造所及官有物とト共にニ永遠清国にニ還付すス
因てテ下のノ關條約第三条及同条約中陸路交通及
貿易をヲ律するスル為めメ一のノ条約をヲ締結すへしとのスヘシトノ
規定はハ之をヲ取消すス
第二条
清国政府はハ奉天省南部のノ地還付のノ報酬としてトシテ
庫平銀三千萬両をヲ明治二十八年十一月十六日
即光緒二十一年九月〓日迄にニ日本國政府へヘ払
入ることをルコトヲ約すス
第三条
本条約第二条にニ規定したるシタル報償金庫平銀三千
萬両をヲ清国よりヨリ日本國へヘ払入れたるときはレタルトキハ其
日よりヨリ三箇月以內にニ還付地よりヨリ日本國軍隊をヲ
総てテ撤退すへしスヘシ
第四条
清国はハ日本國軍隊還付地占領中之とト種々のノ關
係をヲ有したるシタル清国臣民あるもアルモ之をヲ処罰しシ若くク
はハ処罰せしめさることをセシメサルコトヲ約すス
第五条
本条約はハ日本文漢文英文にてニテ各二通をヲ作るル而
してシテ以三本文はハ総てテ同一のノ意義をヲ有すとスト雖もモ
若しシ日本文とト漢文とのトノ間にニ鮮訳をヲ異にしたるニシタル
ときはトキハ英文にニ依てテ決裁すへきものとすスヘキモノトス
第六条
本条約はハ大日本國大皇帝陛下及大清國大皇帝陛下
にニ於てテ批准せらるへくセラルヘク而してシテ其のノ批准書はハ本条
約調印のノ日よりヨリ三週間以内にニ北京にニ於てテ之をヲ
交換すへしスヘシ
右証拠としてトシテ両國全權大臣はハ之にニ記名調印すス
ルモノナリ
るものなり
明治二十八年十一月初八日即光緒二十一年九月
二十二日北京にニ於てテ作るル
大日本帝國北京駐箚特命全權公使正四位勲一等男爵 林董
大清帝國欽差全權大臣太子太傅文華殿大學士一等肅毅伯爵 李鴻章
==出典==
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B13090896500、奉天半島還付条約(B-C7)(外務省外交史料館)
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