「汚名演説」の版間の差分

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昨日、[[w:1941年|1941年]][[w:12月7日|12月7日]]――この日は汚名と共に記憶されることであろうが――、[[w:アメリカ合衆国|アメリカ合衆国]]は、[[w:大日本帝国|大日本帝国]]の[[w:大日本帝国海軍|海軍]]及び[[w:大日本帝国海軍航空隊|空軍]]<ref>原文は「air forces」。便宜上「空軍」と訳したが、大日本帝国には空軍はなく、攻撃を行ったのは[[w:大日本帝国海軍航空隊|海軍航空隊]]の艦載機。</ref>による[[w:真珠湾攻撃|意図的な奇襲攻撃]]を受けた。
 
合衆国は、同国との間に平和的関係を維持しており、日本の要請により、[[w:太平洋|太平洋]]の平和維持に向け、同国の[[w:日本国政府|政府]]及び[[w:天皇|天皇]]<ref>[[w:昭和天皇|昭和天皇]](在位1926年12月25日 - 1989年1月7日)。</ref>との対話を続けてきた。実際、日本の航空隊が米国の[[w:オアフ島|オアフ島]]に対する爆撃を開始した1時間後に、[[w:在アメリカ合衆国日本大使|駐米日本大使]]<ref>[[w:野村吉三郎|野村吉三郎]](任1940年 - 1942年)。</ref>とその同僚<ref>[[w:来栖三郎 (外交官)|来栖三郎]]。</ref>は、最近米国が送った[[w:ハル・ノート|書簡]]に対する公式回答を我が国の[[w:アメリカ合衆国国務長官|国務長官]]<ref>[[w:コーデル・ハル|コーデル・ハル]](任1933年3月4日 - 1944年11月30日)。</ref>に提出した。この回答には、これ以上外交交渉を続けても無駄と思わせる記述こそあったものの、[[w:戦争|戦争]]や武力攻撃の警告や暗示は全くなかった。
 
次のことは記録されるべきであろう。[[w:ハワイ|ハワイ]]から日本までの距離を鑑みれば、昨日の攻撃が数日前、あるいは事によると数週間前から、周到に計画されていたことは明らかである。この間、日本政府は、持続的平和を希望するとの偽りの声明と表現で、合衆国を故意に欺こうとしてきた。
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そして<ref>原文は「And」。草稿にはなかった。</ref>今朝、日本軍は[[w:ミッドウェイ島|ミッドウェイ島]]を攻撃した。
 
つまり、日本は太平洋全域にわたる奇襲攻撃を敢行したのである。昨日と今日の事件がこのこと全てを物語っている。米国民は既に見解を固めており、この事件が自国のまさに存続と安全とを脅かすという事実を充分理解している。
 
[[w:アメリカ陸軍|陸軍]]及び海軍の[[w:最高指揮官|最高指揮官]]として、私は自国の防衛のため、あらゆる措置を講ずるよう指示した。
 
だが我々全国民は、自国に対するこの猛攻撃が如何なる性格のものであったか<ref>「the character of the onslaught(猛攻撃の性格)」とは不当性、即ち真珠湾攻撃が奇襲であったことを指す。ローズヴェルトは、日本の攻撃には正義がないと主張しているのである。</ref>を、決して忘れない。
 
この計画的侵略を打倒するのにどれほど時間が掛かろうとも、米国民は正義の力をもって必ずや完全勝利を達成する。
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戦闘行為は存在する。もはや、国民や国土や国益が重大な危機にあるという事実を無視することはできない。
 
軍への信頼と我々国民の限りない決意をもって、我々は必ずや勝利を収めてみせる。神のご加護を祈る。
 
議会に対しては、以下のとおり宣言するよう要請する。1941年12月7日の日曜日に日本の一方的かつ背信的卑劣な攻撃が開始されたため、アメリカ合衆国と大日本帝国の間に戦争状態が開始したと。
 
== 脚注 ==