「ユダヤ人問題によせて」の版間の差分

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 それでは、君たちユダヤ人たちはどんな権限に基づいて解放を求めるのだろうか?自分たちの宗教のためにか?君たちの宗教は国家宗教の仇敵である。国家市民としてか?国家市民などドイツには存在しない。人間たちとしてか?君たちは、自分たちが訴えている相手のような、人間ではない。
 
 バウアーは従来の問題の立て方と解決策を批判してから、ユダヤ人解放問題を新しく立て直した。彼はこう尋ねる。解放されるユダヤ人、解放するべきキリスト教的な国家とは、どのような'''性状'''のものなのか?と。彼はユダヤ教の批判を通じて答えており、ユダヤ教とキリスト教との間の'''宗教的'''対立を分析し、キリスト教的な国家の本質について知らせている。すべてこのことは正確かつ頑丈で力あふれる筆致で、大胆、気鋭、徹底さを持って行われている。
 
 では、バウアーはどのようにユダヤ人問題を解決するのだろうか?どんな結果になるのか?問題を表現することが問題の解決策だ。ユダヤ人問題の批判がユダヤ人問題に対する答えである。それで要約は以下の通り。
 
 我々が他人を解放できるくらいなら、自分自身を解放するにちがいない。
 
 ユダヤ人とキリスト教徒の間の対立の最も硬直的な形式は'''宗教的な'''対立である。人はどのように対立を解決するだろうか?対立を不可能とすることによってである。人はどうやって'''宗教的な'''対立を不可能とするだろうか?'''宗教'''を'''廃止'''することによってである。ユダヤ人とキリスト教徒が、お互いの宗教を、ひとえに'''人間的な精神のそれぞれ異なった発展段階'''だと認識し、'''歴史'''とはそれぞれ異なった脱ぎ捨てられたヘビの抜け殻だと認識し、そして'''人間'''をそれぞれの抜け殻の中で脱皮したヘビとして認識するやいなや、もはやユダヤ人とキリスト教徒は、宗教的な関係に立つのではなく、もっぱら批判的な、'''学問的な'''関係に、人間的な関係に立つのである。そのとき、'''学問'''はユダヤ人とキリスト教徒の一体性である。しかし、学問における対立は学問それ自身によって解決されるのである。
 
 
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