「祈祷惺々集/我等が聖神父階梯著者イオアンの教訓 (2)」の版間の差分

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:<u>ミンヌ</u> 神は聖書に録する如く総て恩恵の光線にて光り輝く義の太陽なり、されども霊魂は或は神を愛する時は{{r|&#x881F;|ろう}}となり或は物質を愛する時は泥土とならんことは其の常なり。ヽヽヽ泥土は天然に太陽に乾き{{r|&#x881F;|ろう}}はおのづから融解するが如く霊魂即ち物質を愛し世を愛するの霊魂も神より{{r|諭|さとし}}をうけこれに抵抗して硬固になることは泥土の太陽に於けるが如くなるべく自から己を亡びに投ずることは<u>ファラオン</u>の如くなるべし、されども神を愛するの霊魂は神の働きによりて{{r|&#x881F;|ろう}}の如く鎔解すべく神に属する物の印章を己れにうけこれに依り感化して心神に於て神の{{r|住所|すまい}}となるを致すなり。
 
十九、 祈祷の<span style="border-bottom: dotted 2px">{{傍点|始め</span>}}は一言にして{{r|将|は}}た一の智力を張りて附着を最初に逐ふにあり、<span style="border-bottom: dotted 2px">{{傍点|</span>}}は智識を其の言ふ所或は思ふ所{{註|祈祷に於て}}の一事に止らしむるにあり。然して其の<span style="border-bottom: dotted 2px">{{傍点|完終</span>}}は主に大悦するにあり。
 
:アフ、 良善なる祈祷の始めと堅固なる基とは祈祷する者が其の智識に接近し来れる悪念の戦を一の決然たる言をもて最初に{{r|逐|おひ}}{{r|斥|しりぞ}}くるにあり。中は智識をすべて祈祷の言と思とに籠めて他の何事もたとひ最小の事なりとも断じて思はざるにあり。而して祈祷の完全は智識が大悦して全く神に上昇するにあるなり。故に祈祷を行ひつゝ悪念の来るや直ちにこれを逐ふをもて足れりとせず己の智識を祈祷の言に込めてこれを全く神に{{r|昇|のぼ}}すべし。さればかくの如きの祈祷こそは完全なる且は恩寵に属するの祈祷といふべけれ。
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:アフ、 もし汝は己の智識を習はして汝自己に収存し神と祈祷とより離れざるに習熟せしむる時は食に接するの時といへども汝はこれを己れに止むるを得ん。されどもし{{r|汝|なん}}ぢこれを棄てて{{r|其|それ}}が欲する如く処々方々にさまよふに任かす時は{{r|汝|なん}}ぢ決して彼れの上に権を握る能はざるべし、祈祷の時といへども己が意のままに彼をして汝と共に神の前にあらしむる能はざるなり。
 
二十一、 カ〕{{r|大|おほい}}に完全なる祈祷の{{r|大|おほい}}なる行為者はいひき曰く『我が智識をもて五言をいふを善しとす』云々〔[[コリント人への第一の手紙(口語訳)#14:19|コリンフ前十四の十九]]〕されども彼れより最幼稚なる者に於てはこれと事異なり。ゆえに我等は不完全なる者として性質に加へて数の多きにも必要を有す、けだし後者は前者を助くる者なればなり。{{r|葢|けだ}}し聖書に言へらく怠らずして<span style="border-bottom: dotted 2px">{{傍点|祈祷する者に</span>}}{{r|潔|きよ}}き<span style="border-bottom: dotted 2px">{{傍点|祈祷を{{r|與|あた}}ふ</span>}}{{註|主は與ふ}}即ち{{r|潔|きよ}}からざるも{{r|大|おほい}}に労して祈祷するものに與へらるとなり。
 
:イリ、 祈祷に於て完全の練達者たる聖使徒<u>パウェル</u>いへらく祈祷に於て一の方語をもて萬言をいはんよりも智識に於て五言をいふを勝れりとすと。然れどもかくの如きは祈祷に習熟せざる者の力に及ばざるなり、故に我等は祈祷の性質に未だ習熟せざる者として祈祷の数に要用あり、即ち祈祷の言の多きに{{r|須|ま}}つあり。けだしかかる祈祷の言の多きは潔き祈祷の代保となればなり、何となればたとひ潔からざるも労して怠らずに祈祷する者は終に神より潔き祈祷をうくるによる。
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:アフ、 いまだ罪の暗獄にある所の我等はもしこれより脱せんと欲せば<u>ハリストス</u>にきくこと<u>ペートル</u>が神使にききし如くすべく来りて彼を<u>イロド</u>の獄より出さんとしたるにききし如くすべし。<u>ペートル</u>躊躇せずして天使の旨に{{r|遵|したが}}ひしにが鐵鎖は直ちに彼より脱し門開けて彼れは{{r|出|い}}でて死より{{r|赦|すく}}はれたりき。我等も従順の帯を緊帯し履を穿ちて命ぜられし所を行ふに用意し己が旨を{{r|&#x88AA;|すて}}て全く裸体となり祈祷に於て願ひつゝ<u>ハリストス</u>に就かん、さらば彼は我等に其の旨を行ふを賜ふべし。其時神は我等の{{r|中|うち}}に居りて{{r|自|みづ}}から我等が心の梶を{{r|持|ぢ}}し我等の霊を治めて我等を災と危きとより{{r|衛|まも}}らん。
 
二十五、 世を愛すると{{r|奢侈|しゃし}}を好むとより{{r|起|た}}ちて{{r|費|ひ}}{{r|心|しん}}を{{r|擲|す}}つべし、思念を{{r|脱|ぬ}}ぎすつべし、身体を拒絶すべし、けだし祈祷は見ゆると見えざる世界より遠く離るるに{{r|外|ほか}}ならざればなり。『天にありては誰か我が為にす』、誰もあるなし。『地にありては汝と{{r|與|とも}}にするの{{r|外|ほか}}何を願はん』、ただ放心せずして常に祈祷に於て汝に配するの外何も願ふものあるなし。或者は富を或者は榮を或者は得るを望む、されど<span style="border-bottom: dotted 2px">{{傍点|余はただ神と與にする</span>}}を渇望し我が無欲の<span style="border-bottom: dotted 2px">{{傍点|依頼</span>}}を彼れに<span style="border-bottom: dotted 2px">{{傍点|負はせん</span>}}。〔[[詩篇(口語訳)#73:25|聖詠七十二の二十五、二十八]]〕
:アフ、 もし良善にして神に喜ばるる祈祷を行はんを欲するならば起ちて偏愛と世慮とを自ら棄て己の智を悉くの思念と妄想とより脱し己の心を汚穢なる情慾より潔め己がもろもろの意思を{{r|縛|ばく}}し身体と肉情の虚傲とを絶ち而して汝が悉くの望を神に{{r|献|ささ}}ぐべし。けだし祈祷は暫時なる此世とすべて此世にある所のものを忘るるに{{r|外|ほか}}ならざらんこと預言者が神に言ひし如くなればなり、曰く主や我れ天に向ひ{{r|將|は}}た地に向ひてただ一の汝が光榮なる顔の外何を尋ねんや、今も汝は知る我が祈祷に於て汝と離れずして止まり汝の美に注意すると愛するとをもて汝に配合するの外我れ眞に何も願ふものあらざることを、或者は富を望み或者は榮を或者は得るを望む、されども我れに於てすべての願と志望の向ふ所は汝と配合せんことを願ふにあり、火の鐵に徹するが如く汝の恩寵にて燃着せられんことを願ふにあり、されば我が疑はずして望む如く汝は我を悉くの欲情より潔めて我が霊を光り輝くものとなさん。