「池田勇人君の故議員淺沼稻次郎君に対する追悼演説」の版間の差分

詩の出所について脚注
編集の要約なし
(詩の出所について脚注)
 
:あすは京都の辻の寺
 
これは、大正末年、日労党結成当時、淺沼君の友人がうたったものであります<ref>[[w:日本経済新聞|日本経済新聞]]の連載自伝コーナーである[[w:私の履歴書|『私の履歴書』]]の[[私の履歴書/浅沼稲次郎#六、鍛え上げたガラガラ声|浅沼の回]]からの引用。</ref>。委員長となってからも、この演説百姓の精神はいささかも衰えを見せませんでした。全国各地で演説を行なう君の姿は、今なお、われわれの眼底に、ほうふつたるものがあります。(拍手)
 
 「演説こそは大衆運動三十年の私の唯一の武器だ。これが私の党に尽くす道である」と生前君が語られたのを思い、七日前の日比谷のできごとを思うとき、君が素志のなみなみならぬを覚えて暗たんたる気持にならざるを得ません。(拍手)
3

回編集