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CES1596 (トーク | 投稿記録)
 
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のして、行幸にとゝのへひむさうすへ{{*|二字ぞくカ}}して來よ」とて、いでられぬ。よろこびにありきなどすれば、いとあはれにうれしき心ちす。それよりしも、例の愼むべき事あり。二日もか{{*|みかカ}}ごとになむきたるも、たよりにもあるを,さもやと思ふ{{*|程に夜いたくふけゆくゆゝしとおもふイ有}}人も、たゞ一人出で{{*|きイ有}}たり。胸うちつぶれてぞあさましき。「唯今なむ歸り給へる」など語れば、夜更けぬるに昔ながらの心ちならましかば、かゝらましやはと思ふ心ぞいみじき。それより後もおとなし。』しはすのついたちになりぬ。七日ばかりの晝さしのぞきたり。今はいとまばゆき心ちもしにたれば几帳引き寄せて、けしきものしげなるを見て、「いで日暮れにけり。內よ召しありつれば」とて立ちにしまゝに、おとづれもなくて、十七八日になりにけり。今日の晝つ方より、雨いといたうはらめに{{*|きイ}}て、霰につれづれと降る。まして若しやと思ふべき事も絕えにたり。いにしへを思へば我がめ{{*|心イ}}にしもあらじ、心の本上にやありけむ、雨風にもさはらぬものと、ならはしたりしものを、今日思ひ出づれば、昔も心のゆるぶやうにもなかりしかば、我が心のおほけなきにこそありけれ、あはれさらぬものと見しものを、それまで思ひかけられぬと、ながめ暮さる。雨の脚同じやうにて火燈す程{{*|に歟}}もなりぬ。南おもてにこの頃來る人あり。足音すればさにぞあなた{{*|るカ}}。あはれをかしく來たるはと、涌きたぎる心をば、傍に置きてうちいへば、年頃見知りたる人むかひて、「あはれこれにまさりたる雨風にもいにしへ、人の障り給はざめりし物を」といふにつけてぞうちこぼるゝ淚の熱くてかゝるに覺ゆるやう、
のして、行幸にとゝのへひむさうすへ{{*|二字ぞくカ}}して來よ」とて、いでられぬ。よろこびにありきなどすれば、いとあはれにうれしき心ちす。それよりしも、例の愼むべき事あり。二日もか{{*|みかカ}}ごとになむきたるも、たよりにもあるを,さもやと思ふ{{*|程に夜いたくふけゆくゆゝしとおもふイ有}}人も、たゞ一人出で{{*|きイ有}}たり。胸うちつぶれてぞあさましき。「唯今なむ歸り給へる」など語れば、夜更けぬるに昔ながらの心ちならましかば、かゝらましやはと思ふ心ぞいみじき。それより後もおとなし。』しはすのついたちになりぬ。七日ばかりの晝さしのぞきたり。今はいとまばゆき心ちもしにたれば几帳引き寄せて、けしきものしげなるを見て、「いで日暮れにけり。內よ召しありつれば」とて立ちにしまゝに、おとづれもなくて、十七八日になりにけり。今日の晝つ方より、雨いといたうはらめに{{*|きイ}}て、霰につれづれと降る。まして若しやと思ふべき事も絕えにたり。いにしへを思へば我がめ{{*|心イ}}にしもあらじ、心の本上にやありけむ、雨風にもさはらぬものと、ならはしたりしものを、今日思ひ出づれば、昔も心のゆるぶやうにもなかりしかば、我が心のおほけなきにこそありけれ、あはれさらぬものと見しものを、それまで思ひかけられぬと、ながめ暮さる。雨の脚同じやうにて火燈す程{{*|に歟}}もなりぬ。南おもてにこの頃來る人あり。足音すればさにぞあなた{{*|るカ}}。あはれをかしく來たるはと、涌きたぎる心をば、傍に置きてうちいへば、年頃見知りたる人むかひて、「あはれこれにまさりたる雨風にもいにしへ、人の障り給はざめりし物を」といふにつけてぞうちこぼるゝ淚の熱くてかゝるに覺ゆるやう、


 「思ひせは{{*|くカ}}胸のひむらはつれなくてなみだをわかす物にざりけり{{*|るカ}}。」
 「思ひせは{{*|くカ}}胸のひむらはつれなくてなみだをわかす物にざりけり{{*|るカ}}。」