「シリヤの聖イサアク全書/第五十説教」の版間の差分

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{{r|生活上|せいかつじょう}}の{{r|事|こと}}に{{r|於|おい}}て{{r|我|われ}}らが{{r|眼前|がんぜん}}に{{r|臨|のぞ}}む{{r|戦|たたかい}}は、{{r|実|じつ}}に{{r|頑固|がんこ}}に{{r|且|かつ}}{{r|困難|こんなん}}にして、{{r|容易|ようい}}にはあらざるなり。{{r|人|ひと}}は{{r|幾|いく}}ばく{{r|堅固|けんご}}にして{{r|勝|か}}たれざる{{r|者|もの}}となり{{r|得|う}}るとも、{{r|格闘|かくとう}}と{{r|苦行|くぎょう}}の{{r|源因|げんいん}}となるべきものが{{r|人|ひと}}に{{r|近|ちか}}づくならば{{r|恐怖|きょうふ}}は{{r|人|ひと}}を{{r|去|さ}}らずして、{{r|魔鬼|まき}}と{{r|顕然|けんぜん}}なる{{r|戦|たたかい}}を{{r|為|な}}す{{r|時|とき}}よりも{{r|滅亡|めつぼう}}は{{r|更|さら}}に{{r|速|すみやか}}ならん。{{r|故|ゆえ}}に{{r|人|ひと}}がその{{r|恐|おそ}}るる{{r|所|ところ}}のものより{{r|遠|とほ}}ざからざる{{r|間|あいだ}}は、{{r|敵|てき}}には{{r|常|つね}}に{{r|人|ひと}}を{{r|襲|おそ}}ふの{{r|便|べん}}あり。もし{{r|僅|わず}}かに{{r|坐睡|ざすい}}し{{r|始|はじ}}むるならば、{{r|敵|てき}}は{{r|容易|ようい}}に{{r|人|ひと}}を{{r|滅|ほろ}}ぼさん。けだし{{r|霊魂|れいこん}}が{{r|世|よ}}と{{r|有害|ゆうがい}}の{{r|交際|こうさい}}を{{r|為|な}}して、{{r|之|これ}}に{{r|繋|つな}}がるときは、{{r|此交際|このこうさい}}は{{r|敵|てき}}の{{r|為|ため}}に{{r|鋭鋒|えいほう}}{{r|利刃|りじん}}となるべし、さればもし{{r|之|これ}}を{{r|迎|むか}}ふるならば、{{r|自然|じぜん}}に{{r|自|みづ}}から{{r|勝利|しょうり}}を{{r|譲|ゆづ}}るものといふべし。{{r|故|ゆえ}}に{{r|古来|こらい}}{{r|此|この}}{{r|路|みち}}を{{r|経過|けいか}}せる{{r|我|われ}}らが{{r|諸|しょ}}{{r|神父|しんぷ}}も、{{r|我|われ}}らの{{r|智|ち}}が{{r|何|いづ}}れの{{r|時|とき}}にも{{r|一所|いっしょ}}に{{r|固|かた}}く{{r|止|とど}}まりて{{r|警衛|けいえい}}{{r|看守|かんしゅ}}する{{r|能|あた}}はず、{{r|又|また}}その{{r|力|ちから}}あるにもあらずして、{{r|或時|あるとき}}には{{r|之|これ}}を{{r|害|がい}}せんとするものを{{r|看|かん}}{{r|破|ぱ}}するさへ{{r|能|あた}}はざるを{{r|知|し}}り、{{r|睿智|えいち}}を{{r|以|もっ}}て{{r|之|これ}}を{{r|慮|おもんばか}}りて、{{r|無|む}}{{r|慾|よく}}を{{r|衣|き}}ること{{r|武器|ぶき}}の{{r|如|ごと}}くし、{{r|録|しる}}して{{r|言|い}}へる{{r|如|ごと}}く{{r|多|おほ}}くの{{r|格闘|かくとう}}より{{r|免|まぬか}}れて、{{註|かくの{{r|如|ごと}}くなればその{{r|欠乏|けつぼう}}を{{r|以|もっ}}て{{r|人|ひと}}は{{r|多|おほ}}くの{{r|陥罪|かんざい}}より{{r|救|すく}}はるるを{{r|得|え}}ん}}{{r|慾|よく}}の{{r|源因|げんいん}}となるべき{{r|生活|せいかつ}}{{r|上|じょう}}の{{r|憧擾|どうじょう}}を{{r|免|まぬか}}るる{{r|野|の}}に{{r|避|さ}}けたり、{{r|是|こ}}れ{{r|彼|かれ}}らが{{r|弱|よわ}}るとき{{r|滅亡|めつぼう}}の{{r|因|いん}}たる{{r|忿怒|ふんど}}、{{r|慾望|よくぼう}}、{{r|怨恨|えんこん}}、{{r|名誉|めいよ}}を{{r|迎|むか}}へざらんが{{r|為|ため}}にして、{{r|野|の}}は{{r|此|こ}}の{{r|凡|すべ}}てを{{r|容易|ようい}}ならしむるによる{{註|けだし{{r|彼|かれ}}らは{{r|野|の}}を{{r|以|もっ}}て{{r|己|おのれ}}を{{r|堅|かた}}め{{r|且|かつ}}{{r|衛|まも}}ること{{r|勝|か}}たれざる{{r|城楼|じょうろう}}の{{r|如|ごと}}くせり}}。その{{r|時|とき}}{{r|彼|かれ}}らはおのおの{{r|黙想|もくそう}}によりその{{r|苦行|くぎょう}}を{{r|成|な}}すを{{r|得|え}}たりき。けだし{{r|彼処|かしこ}}に{{r|於|おい}}ては{{r|五感|ごかん}}も{{r|自|みづ}}から{{r|或|あ}}る{{r|有害|ゆうがい}}なるものを{{r|迎|むか}}へて{{r|我|われ}}らの{{r|敵|てき}}に{{r|加勢|かせい}}する{{r|為|ため}}に{{r|助|たすけ}}を{{r|得|う}}るあらざればなり。{{r|我|われ}}ら{{r|堕落|だらく}}に{{r|生|い}}きんよりは{{r|寧|むし}}ろ{{r|苦行|くぎょう}}に{{r|於|おい}}て{{r|死|し}}を{{r|迎|むか}}へん。
}}くの{{r|格闘|かくとう}}より{{r|免|まぬか}}れて、〔かくの{{r|如|ごと}}くなればその{{r|欠乏|けつぼう}}を{{r|以|もっ}}て{{r|人|ひと}}は{{r|多|おほ}}くの{{r|陥罪|かんざい}}より{{r|救|すく}}はるるを{{r|得|え}}ん〕{{r|慾|よく}}の{{r|源因|げんいん}}となるべき{{r|生活|せいかつ}}{{r|上|じょう}}の{{r|憧擾|どうじょう}}を{{r|免|まぬか}}るる{{r|野|の}}に{{r|避|さ}}けたり、{{r|是|こ}}れ{{r|彼|かれ}}らが{{r|弱|よわ}}るとき{{r|滅亡|めつぼう}}の{{r|因|いん}}たる{{r|忿怒|ふんど}}、{{r|慾望|よくぼう}}、{{r|怨恨|えんこん}}、{{r|名誉|めいよ}}を{{r|迎|むか}}へざらんが{{r|為|ため}}にして、{{r|野|の}}は{{r|此|こ}}の{{r|凡|すべ}}てを{{r|容易|ようい}}ならしむるによる〔けだし{{r|彼|かれ}}らは{{r|野|の}}を{{r|以|もっ}}て{{r|己|おのれ}}を{{r|堅|かた}}め{{r|且|かつ}}{{r|衛|まも}}ること{{r|勝|か}}たれざる{{r|城楼|じょうろう}}の{{r|如|ごと}}くせり〕。その{{r|時|とき}}{{r|彼|かれ}}らはおのおの{{r|黙想|もくそう}}によりその{{r|苦行|くぎょう}}を{{r|成|な}}すを{{r|得|え}}たりき。けだし{{r|彼処|かしこ}}に{{r|於|おい}}ては{{r|五感|ごかん}}も{{r|自|みづ}}から{{r|或|あ}}る{{r|有害|ゆうがい}}なるものを{{r|迎|むか}}へて{{r|我|われ}}らの{{r|敵|てき}}に{{r|加勢|かせい}}する{{r|為|ため}}に{{r|助|たすけ}}を{{r|得|う}}るあらざればなり。{{r|我|われ}}ら{{r|堕落|だらく}}に{{r|生|い}}きんよりは{{r|寧|むし}}ろ{{r|苦行|くぎょう}}に{{r|於|おい}}て{{r|死|し}}を{{r|迎|むか}}へん。
 
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