{{r|御|おん}}{{r|主|あるじ}}の{{r|宣|のたまは}}く Qui sequitur me, non ambulat in tenebris, sed habebit lumen vitae. Ioan. 8. 我を慕ふ者は{{r|暗|やみ}}{{r|路|ぢ}}を行かず◦たゞ壽命の光を持つべしと也。心の{{r|暗|やみ}}を逃れ◦まことの光を受けんと思ふにをひては◦きりしと の{{r|御|ご}}{{r|行跡|かうせき}}と{{r|御|おん}}{{r|氣|かた}}{{r|質|ぎ}}を學び奉れと◦この{{r|御|み}}{{r|言|こと}}{{r|葉|ば}}を以て勧め給ふ也。{{r|然|しか}}る時んば◦きりしと の御行跡の{{r|患難|かんなん}}を◦我等が第一の學問とすべし。きりしと の{{r|御|おん}}{{r|教|をしへ}}は諸々の善人の教に{{r|勝|すぐ}}れ給へり。善の道に立入りたらん人は◦{{r|御|ご}}{{r|教|をしへ}}にこもる不可思議の{{r|甘|かん}}{{r|味|み}}を覚ゆべし。{{r|然|しか}}るに多くの人◦きりしと の{{r|御|み}}{{r|法|のり}}を繁く{{r|聴|ちやう}}{{r|聞|もん}}すれども◦{{r|發|ほつ}}{{r|機|き}}少きことは◦きりしと の{{r|御|ご}}{{r|内|ない}}{{r|證|せう}}に{{r|値|ち}}{{r|遇|ぐう}}し奉らぬ故也。きりしと の{{r|御|み}}言葉を味ひ深く◦達して分別し奉らんと思ふにをひては◦我身の{{r|行|ぎやう}}{{r|儀|ぎ}}を◦こと{{gu}}く きりしと に等しくし奉らんと歎くべし。へりくだる心なきによつて◦ちりんだあでの{{r|御|ご}}内證を背き奉るにをひては◦そのちりんだあでの高きおん理りを論じても何の益ぞ。まことに媚びたる言葉は◦人を善人にも正しき人にも爲さず◦たゞ善の{{r|行|ぎやう}}{{r|儀|ぎ}}こそ◦人を でうす に親しませ奉るものなれ。こんちりさんといふ後悔の{{r|理|ことわ}}りを知るよりも◦このこんちりさんを心に覚ゆる事は◦なほ好ましき事也。びぶりやといふ{{r|尊|たつと}}き{{r|經|きやう}}{{r|文|もん}}の{{r|文|もん}}{{r|句|く}}をこと{{gu}}く{{r|暗|そら}}んじ◦諸々の{{r|學|がく}}{{r|匠|しやう}}の{{r|語|ご}}を皆知りても◦でうす の{{r|御|ご}}{{r|大切|たいせつ}}とその{{r|御|ご}}{{r|合|かふ}}{{r|力|りよく}}なくんば◦これ皆何の益かあらん。でうす {{r|御|ご}}一體を大切に思ひ◦仕へ奉るよりほかは◦皆{{r|實|み}}もなき事の中の{{r|實|み}}もなき事也。この世を厭ひて◦天の{{r|御國|おんくに}}に志すこと◦最上の智惠なり。かくの如くある時んば◦{{r|過|すぎ}}{{r|去|さ}}る福徳をたづね求め◦それに頼みをかくる事は◦實もなき事也。位◦譽れを望み歎き◦身をたかぶる事も又◦實もなき事也。骨肉の欲するに任せ◦以後甚だ迷惑すべき事を望むは◦實もなき事也。行儀の正しからん事をば歎かずして◦長命を望むは◦實もなき事也。現在の事をのみ{{r|専|もっぱら}}として◦未來を覚悟せざること實もなき事也。さしも早く過去る事に{{r|愛|あい}}{{r|着|ぢやく}}して◦長き楽みのあるところへ急がざる事◦實もなき事也。 Oculus non vidit, nec auris audiuit, nec in cor hominis ascendit, quae praeparauit Deus ijs qui diligunt illum. ⅰ. Cor. 2. {{r|眼|まなこ}}は見る事に{{r|明|あ}}かず◦耳は聴くことを以て達せずといへる貴き經文の語を◦常に思出すべし。{{r|然|しか}}る時んば◦目前の事より心を離し◦目に見へざるところに心を移すやうに◦歎くべし。その故は色身のみだりに望む事を慕ふ者は◦その身のこんしゑんしやを{{r|汚|けが}}し◦でうす の御加護なるがらさを失ひ奉る也
:::::○内證の閑談の事
{{r|御|おん}}{{r|主|あるじ}}の{{r|御|み}}言葉に◦ Regnum Dei intra vos est. Luc. 17. でうす の御國は{{r|汝|なん}}{{r|達|だち}}の{{r|内|うち}}にありと宣ふ也。心より でうす に立歸り奉り◦この{{r|墓|はか}}なき世界を厭ふべし。然らば汝のあにま{{r|寛|くつろ}}ぎを得べし。{{r|外|ほか}}なる事を捨て◦{{r|内|うち}}の事を専らとする道を習ふにをひては◦でうす の{{r|御|み}}{{r|國|くに}}來り給ふを{{r|見|み}}べし。その故は◦でうす の{{r|御|み}}{{r|國|くに}}は無事とすぴりつ◦さんとよりの喜びなり。是を罪人には與へられず。汝のうちに相應の御{{r|居所|きよしよ}}をととのゆるにをひては◦きりしと 汝に來り給ひ◦御身の喜びを覚えさせ給ふべし。御主の御威光とおんいつくしさは内證にあり◦また◦そこにをひて御感應をなし給ふ也。内證を専らとする{{r|輩|ともがら}}を常に{{r|音信|いんしん}}し給ひ◦{{r|睦|むつま}}しくともに語り給ひ◦感にたへたる喜びを{{r|抱|いだ}}かせ給ひ◦{{r|深甚|じんじん}}なる無事と有難き御懇切を彼に盡し給ふ也。さても二心なきあにま◦この御主汝に來り給ひてともに居住し給ふ様に◦心中を{{r|調|ととの}}へよ。その御言葉に Si quis diligit me, sermonem meum servabit ; et Pater meus diliget eum, et ad eum veniemus, et mansionem apud eum faciemus. Ioan. 4. 我を思ふ者は我言葉を保つべし。又わが御親もその人を思ひ給ひ◦又御親と共に彼に至り◦居住すべしと也。